ただ自分の自慢話を語り続ける男。

 それを聞くわけでもなく、せつの快楽をむさぼる村人。

 ようで凄惨であった。

 理性を失った獣のきょうえん。その中心にダレマイルはいる。

 ダレマイル・ゼノ・チューザー。

 これがリントリッドに巣くう上級貴族の一人である。



 有り体に言うなら、ルビガン・ゼイ・ボッタッキオはダレマイルが嫌いだった。

 目立った戦功もない本国の文官で、何かしらの偉業を成し遂げたわけでもない。

 ただ王族からちょうあいを受け、成り上がったである。

 何よりボッタッキオは上級貴族が気にくわなかった。

 大公に続いて公候伯子男と続く貴族階級。

 そこにいつの間にやら、上級貴族という階級が生まれ、自分たち貴族を顎で使い始めた。

 その能力は非凡であり、王族や民も認める殿てんじょうびとと言うが、ボッタッキオからすれば、金持ちのボンボンとそう変わらない。

 ダレマイルにしてもそうだ。

 今も地方の村を占拠し、どんちゃん騒ぎを繰り返している。

 所詮はお飾りの司令官なのだ。戦局というのを何もわかっていない。

 メッツァーを占拠するのは今において他ない。本国の指示を仰いでいては、好機をいっすだろう。

 ボッタッキオはそう戦局を読み、自軍だけを率いて、メッツァーへと向かった。

 メッツァーの城門前へ来ると、兵を見せつけるように横陣陣形を取る。

 先頭に立ち、ボッタッキオは声を張り上げた。

「我らは本国軍第一師団。我は第一師団師団長ルビガン・ゼイ・ボッタッキオである。メッツァー軍に助太刀に来た。城門を開けられよ」

 突然の大軍に、数少ないメッツァーの衛兵たちは慌てふためく。

 だが、援軍だと知ると、ホッとした様子で、門の上から声を掛けた。

「助太刀感謝いたします。ですが、本隊はすでにシュインツに向けて進発いたしました」

「なるほど……。そうか。すまぬが、こちらは遠方より参った故、人も馬も疲れている。一時、城塞内で休息を取りたい。門を開けてくれぬか」

「申し訳ありません。何人であっても門を開けるなと、領主閣下から厳命されております」

 返答を聞いて、ボッタッキオは軽く舌打ちした。

 だが、バルケーノが魔族だけではなく、本国軍も警戒していることは、予想の範囲内である。

「我らは本国から来たのだぞ。その同胞に対して、門を開けぬとはどういうことだ。これならば、同盟は本国に含むところがあると言っているようなものではないか!」

「そ、そんなことは……」

「ここで一戦を交えると言うなら良かろう。お主らの数は精々五〇〇。我らは一〇〇〇〇。籠城戦になろうとも、どちらが有利か賢明なメッツァーの兵士であれば、わかるであろう!」

「うっ……」

 ここまで一万の兵を見ても動揺しなかった衛兵が、初めてたじろぐ。

「案ずるな。大人しく門を開けてくれれば、何もせぬ」

 肩をいからせ凄んだかと思えば、次にボッタッキオは柔和な笑みを見せる。

 その顔はまるで猿のようだ。それ故、兵の間では密かに『大猿』と呼ばれる将軍であった。

 しばらく時間を置くと、ようやくメッツァー城塞都市の門が開く。

 ボッタッキオは「ありがとう」と感謝を述べ、兵を率いて悠々と城門をくぐった。

 全軍が入城したのを確認した後、ボッタッキオは持っていたながの青竜刀をかざす。

じゅうりんせよ!」

 その一言で戦い──いや、虐殺が始まった。

 猿の顔をした司令官は途端に牙を剥き、どうもうな大猿へと変貌する。

「話がちが────」

 あっという間に城壁にいた衛兵たちを平らげる。

 血を浴びながら、ボッタッキオは大笑し、声を張った。

「殺せ! こいつらは逆賊だ。略奪も許す。ただし女も子どもも各人一人ずつまでだ。いいな!!

 将軍の許しを得ると、大猿に率いられた兵たちは領民に襲いかかった。

 次々と街の人間を斬りつけ、家の中に押し入っては、壁に血の跡を作る。

 およそ人の所行とは思えないむごたらしい光景に、ショック死する者すら現れた。

 一方ボッタッキオは街の中心へと馬を走らせる。

 メッツァーには他に二つの壁がある。むろん、そこにも衛兵が待ち構えていた。

 衛兵は弓を構え、先頭のボッタッキオを狙う。

「放て!!

 号令が聞こえた直後、矢の雨がボッタッキオに降り注いだ。

 だが、ボッタッキオはそのすべてを打ち払うと、速度を落とさず、第二の城壁に突撃する。

 すると、サッと手を上げた。

「魔法騎兵!! 呪唱準備!」

 ボッタッキオの背後にいた魔法騎兵が、馬上で槍のようなものを掲げる。

 先端の魔石に魔力を込めると、赤く光り始めた。

「放て!!

 ボッタッキオの号令とともに、魔石の付いたそうが放たれる。

 ドンッッッッッッ!!

 腹の底まで揺るがすような音が、メッツァー中にとどろいた。

 分厚い第二の城門が、あっさりと吹き飛ぶ。

 使用したのは炸裂系の貫通魔法だ。それを魔石とともに撃ち出すことによって、より魔力を増幅させ、城門を吹き飛ばすことに成功したのである。さらに言えば、第二の城門は他の都市と比べても、比較的古い時代に作られた。今の魔法戦とその技術に、城門が対応できていなかったのだ。

 ボッタッキオはそのもろさに気付いていた。ボッタッキオの役目は古い体制を敷く大要塞同盟をしゅくせいすることである。いずれ攻略しなければならない城塞都市の特徴はすべて頭に入っていた。その知識を兵に落とし込み、この数ヶ月訓練に明け暮れていたのだ。

 第二の城門を悠然とくぐり抜けると、街並みが変わる。中産階級の人間が住む区画に入った。

 貧困街が並ぶ一番外側の区画とは、着ているものから建物まで何もかもが違う。

 だが、ボッタッキオはそれらに全く目もくれず、次の門へと馬を走らせた。

 第二の城門を守っていたメッツァーの衛兵を置き去りにして、第三の城門へと襲いかかる。

 もう先ほどの魔法による突破はできない。用意していた魔槍は一本だけである。

 魔力を増幅させる時間もかかるため、同じ戦術はもう使えない。

「来たぞ! 死守だ、死守!!

 第三の城門の衛兵たちの悲鳴じみた叫びが聞こえる。

 第二と同じく矢を射かけたが、ボッタッキオには通じない。

「ぶつかるぞ!」

「何をするつもりだ、あいつ!」

 スピードを緩めようとしないボッタッキオを見て、衛兵たちはせんりつした。

 ボッタッキオは青竜刀を大上段にかかげると、さらに馬の腹をって、速度を要求する。

 口を開け、『大猿』の将軍はれっぱくの気合いを吐き出した。

「キェェェェェエエエエエエエエエエ!!

 青竜刀が閃く。

 その速さは落雷──聞こえてきたのは雷鳴であった。

 甲高い金属音が響き、真っ二つに斬られた城門は、剣圧を浴びて吹っ飛ぶ。

 メッツァー最後の門──第三の城門は第二の城門よりもさらに古い。まだ資源が安定しない状況下の中で造られたため、門の厚さが他の門よりも薄くできていた。

 だからボッタッキオは、自分のりょりょくならば斬れると確信していた。

 かつて彼はその青竜刀で硬い巨人族ギガントをも一刀両断したことがある。

 古びた門を斬るなど、造作もないことだった。

「きゃああああああああああ!!

 上質な絹をまとった女が、道ばたで固まっていた。

 ここは上流階級が住む区画。そして目の前には、宮殿ブロワードがそびえていた。

 広いメッツァーを走りきったボッタッキオは、己を称賛するように手を広げる。

 猿のように歯をむき出し、笑った。

「ものども! よりどりみどりだ! 殺せ! そして奪え! 二度と我ら本国に逆らえないように見せしめにせよ! 蹂躙だ!! 蹂躙せよ!!

 ボッタッキオが号令をかけると、血に飢えた兵士たちは歓喜に色めき立つ。

 兵士たちは、のうのうと暮らしていた商人や貴族に襲いかかった。

 様々なところで悲鳴が上がり、血の雨がメッツァー城塞都市に降り注ぐ。

 だが凶行はいつまでも続かなかった。

 ボッタッキオはふと足を止める。青竜刀を降ろし、なぶっていた貴族を塵のように捨てた。

 振り返るが、白煙と悲鳴が広がるメッツァーの姿しかない。

「気のせいか……」

 いや、確かに感じた。

 誰かに見られているような感覚が……。

 そのボッタッキオの勘は的中する。

 突然、メッツァーに地鳴りが響いたのである。



 それが目を覚ましたのは、バルケーノがヴァロウによって処刑された直後であった。

 闇の中で覚醒したそれは何かに気付き、重いまぶたを開く。

 大きな瞳がたるに入ったどうしゅのように閃いた。

 広い空間の中で、それは一匹である。一部の隙間もない魔法鉱石ミスリル製の壁に覆われ、しゃおんせいを高める素材とさらに分厚い鉄板が貼られていた。

 まるでおり──いや、それはまさしくそれを閉じこめるための牢獄であった。

 それはずっと暗闇の中で眠っていた。まるで睡眠がそれに課せられた唯一の仕事だったかのようにずっとだ。

 だが、ある瞬間それはそのくびきから放たれたことを直感的に悟る。

 長い首をもたげ、ぜんを前に出すと、それだけで檻が震えた。

 ザッと滝のように埃が舞い落ちる中、それは前肢に力を入れて、立ち上がる。

 次に開かれたのは、大きな翼だ。固まった筋肉をほぐすように一つ、二つと羽ばたかせると、じんが舞い上がる。やがてそれは口を開けた。

『ぎるるるるるっっっっっっ!!

 広い空間内で吠声が暴れ回る。

 たったそれだけで、空間全体が吹き飛んでいくような勢いがあった。

 やがてそれは強く羽ばたき始めると、巨体が浮き上がる。

 魔法鉱石ミスリルと鋼板の檻をあっさりと突き破り、それは瓦礫を浴びながら昇っていく。やがて檻を破り、そして光が見えた。

 生まれたばかりの子供のように、それは雄叫びを上げる。

『ぎゃああああああああああああああ!!



 瞬間、メッツァー城塞都市の宮殿ブロワードが吹き飛んだ。

 あそこにはまだ領主の家臣や親族たちが住んでいるはずである。警備のための衛士もいただろうが、その守備力など問題にならないぐらい、文字通りすべてが吹き飛んだ。

 白亜の宮殿はじんとなる。人の腕が空を飛び、血に染まったドレスが舞い上がった。

 だが、ボッタッキオが見ていたのは、死体でも遺品でもない。

 宮殿の下から現れた長い首、天を覆うような大翼、そして赤黒いそうぼう

 ボッタッキオは口を開いたまま、恐る恐る呟いた。

「竜だ……」

 人間の支配圏にいるのは、そのほとんどが飛竜である。

 その体躯は精々熊よりも一回りぐらい大きい程度だ。

 だが、これは飛竜などと呼ばれるサイズに、まるで収まっていなかった。

 竜──古より伝わる空の王者、生物の頂点である。もはや英雄譚にしか確認できないような伝説の生物が、ボッタッキオの前に突如出現する。

「まさか! このような大竜を見ることになるとは!!

 ボッタッキオは叫声を上げるが、それは大きな間違いである。

 この時のボッタッキオが知る由もないだろうが、その竜もまた飛竜であった。

 その正体は人為的に様々な魔獣と交配させ、あの『竜王』バルケーノ・アノゥ・シュットガレンが育てた異形の飛竜である。バルケーノが死んだ今となってはわからないが、『竜王』という綽名は、この竜になぞらえられたものかもしれなかった。

 ボッタッキオは立ち尽くす。そうするしかなかった。

 その巨躯。その迫力。漂ってくる凄味。

 ボッタッキオは言葉を失いながらも、子どものように目を輝かせていた。単純に焦がれたのだ。

 圧倒的とも言える巨体とプレッシャーに……。

 自然と将としての血が騒ぐ。極度の興奮状態のまま、ボッタッキオはながの青龍刀を握った。

「閣下! 危険です!!

 部下の制止を無視し、ボッタッキオは馬の腹を蹴った。

 すでに馬は魔薬漬けにしてある。興奮した馬は泡を吹きながら、走り出した。

「ぐはははははは! お前、大きいな!! お前ほど大きいヤツを見たのは、前線で戦っていた時以来だ!! 腕が鳴る! 血が騒ぐ! お前みたいなデカいヤツを倒したら、俺様が『竜王』だぁぁああ!!

 半狂乱になりながら、ボッタッキオは一直線に竜へと向かっていく。

 上手く瓦礫に乗り、高く舞い上がった。最後には愛馬すら置き去りにし、ボッタッキオは天高く青龍刀を構えると、竜の頭におどり出る。

「かぁあああああああああ!!

 裂帛の気合いの下、青龍刀を振り抜いた。見事竜の頭を捉える。

「おお!」

「見事!!

「さすがはボッタッキオ様だ!」

 見ていた兵士たちが称賛の言葉を叫ぶ。

 確かにボッタッキオのものは竜に届いていた。

 しかし、そこまでだ。次の瞬間、こうしつな音を立てて、青龍刀が弾かれる。

「でやああああああああ!!

 それでもボッタッキオは諦めない。

 長い滞空時間のなか、青龍刀で何度も竜の頭を斬りつける。

 だが、どの角度で打っても、得物が竜の肌に食い込むことはなかった。

 一方さすがに竜も頭に来たのか、ブフッと鼻息を荒く吐き出す。

 直後飛んできたのは、大樹のような太い尻尾だった。

 耳をつんざくような音が鳴り響くと、ボッタッキオははえのように撃墜される。

 たとえるまでもなく、その衝撃は凄まじく、気付いた時には第三の城門まで吹き飛ばされていた。

「ぼ、ボッタッキオ様が……」

「我らの将が……」

「たった一撃で……」

 ボッタッキオの部下たちの顔が、みるみる青くなる。

 一方、竜は勝ちどきを上げるようにいなないた。周囲に轟いたその声は、人間を恐怖のとりこにする。

 竜はそのまま胸を開くようにった。直後、開いた喉の奥が紅蓮に輝く。

「まさか……」

 部下の一人が気付き、せんりつした。

 一歩後ろに下がるが、その攻撃の前では明らかに不十分だ。

 カッと閃いた瞬間、炎の嵐が巻き起こる。宮殿跡地はもちろん、第三の城門をつらぬき、第二の城門に届こうかという程の炎息が広がった。まるでさいりゅうのように広がった炎は、慈悲なく人や物を飲み込んでいく。

 メッツァーの街を略奪する者。略奪される者。犯す者。犯される者。

 人間の蛮行などしょうとばかりに、一瞬ですべてを吹き消した。

『ぎぃいぃぃぃいいぃいっやあああああああああああ!!

 残ったのは、ただ焼け焦げた跡と竜の甲高い音だけであった。


 宮殿が崩れ、そこから現れた大きな影。

 さらに何もかもをかいじんとしてしまう恐ろしい炎息ブレス

 立て続けに起こった絶望的な事象を前に、メッツァーはパニックとなった。

 街人も、兵士も、女も男も、関係ない。略奪を楽しんでいたボッタッキオ率いる第一師団ですら、すべてを投げだし、宮殿とは逆の方向へと走る。第一、第二、第三の城門を貫く大通りに人が溢れかえった。だが、狭い城門部分に行き当たり、人が詰まってしまう。

 後ろから押され、人に挟まれてあっする者が続出した。

 気が触れた第一師団の兵がわめくが、剣を振り回すスペースもなく、人の波の中に飲まれていく。

 なんとか前へ──。生き延びようとする人間たちの悪夢は続く。

 再び竜が羽ばたき、飛翔を始めた。大きな影が広いメッツァー城塞都市を覆う。

 竜からすればありのように小さな人間に向かって、再び炎息を放った。

 たちまち焼死体の山が出来上がると、それを誇るように竜はまたいななく。

 さらに街を蹂躙し、城塞都市のあちこちで炎と煙が上がった。

 メッツァーの街はたちまちれんに染まる。

 運良く城門を抜けることができた貧困街の人間たちは、途方に暮れるしかない。

 子どもがペタリと尻を付け、呆然と変わり行く城塞都市を見つめていた。

「この世に神様はいないのかな……」

 その言葉は子どもが何度も貧困街で呟いてきた台詞だった。

 いつか誰かが助けにきてくれる。いつか美味しいものを食べさせてくれる。いつか幸せになれる。

 貧困街で暮らしながら、念仏のように唱え続けてきた。けれど願いは叶わず、最後に子どもの前に現れたのは、単なる地獄であった。

 ぶるるる……。

 ふと馬の嘶きが聞こえて、子どもは振り返る。

 黒い雲が南へと流れていく中、その姿は馬上にあった。

 夜の闇のような黒い髪。天使のように美しい顔立ちなのに、ひどく冷たい容貌。そして頭の上から生えた二本の角……。

 その異形とも異様とも言える姿を見た時、それは決して神などではない、と子どもは悟った。

「神などいない。そして生きるのに、神は必要ない」

 ヘーゼル色の瞳をたたえながら、その人物は力強く宣言する。

「この世にいるのは、悪魔だけだ……」

 第六師団師団長にして、最強の軍師ヴァロウがメッツァーに到着した。



 突如、メッツァーに現れたのは魔族だった。

 魔狼族ワーグを主とし、そこにアンデッドやゴブリンなど下級の魔物たちが加わっている。

 第四、第六師団連合軍──それを率いていたのは、若き人鬼族ワーオーガヴァロウであった。

 戦場から休む間もなく、メッツァー城塞都市に向かったのだろう。

 体躯に血の痕がべっとりと付着し、なびかせた黒いがいとうに汗が滲んでいた。

 その魔族の姿を見て、メッツァーの一部の民たちはバルケーノが討たれたことを悟る。

 決して良い領主ではなかった。だが、魔族から自分たちを守ってくれるという点においては、信頼を置ける領主であった。

 彼のあだは『竜王』。その勇ましい名にふさわしい戦果を上げ、悪魔を蹴散らしてくれると信じて疑わなかったが、結果は違う。命からがら逃げてきたメッツァーの民の前に現れたのは、自分たちの君主でもなければ、勇者でも、神でもない。

 魔族あくまであった。メッツァーの民たちは、絶望の重さに耐えかねて地面にへたり込む。

 うなれたのは、もはやばんさくが尽きたからではない。

 魔族の前に、大人しく首を差し出したのである。

「殺せ……」

 そんなていかんともかいこんとも取れる声が聞こえてきそうだった。

 だが、ヴァロウは民に目もくれず、まして手を上げることも、差し出すこともない。ただ民たちの目の前を通り過ぎていく。軍師にとって、彼らはぼうの石でしかなかった。

 メッツァー城塞都市を覆う黒い影に気付き、魔族の軍勢は一斉に空を見上げる。

 竜は時に炎を吐き、時に鋭い爪で地面をえぐり、人間を建物ごと貪り食った。

 まさに蹂躙である。

「かぁあぁあぁあああ!! でっけぇなあ!!

 手でひさしを作り、「絶景かな。絶景かな」とばかりに眺めていたのは、ザガスだ。

 人鬼族ワーオーガの中でも一際大きな身体を持つ彼でも、竜の大きさに驚かずにはいられない。

 その目は何か大きな玩具おもちゃを見つけたとばかりに、光り輝いていた。

 ザガスが面白がる一方で、他の魔族たちの空気は重い。メトラは元が飛竜とは思えない異形の竜を見て、顎に滴った汗を拭い、横のベガラスクや、魔狼族ワーグたちも口をつぐみ、「むぅ」と唸っていた。

 その中でもヴァロウだけが動じず、メッツァーを蹂躙する竜を睨んでいる。

「バルケーノが亡くなったことを知り、互いの関係を繋ぐ糸が切れたのだろう」

 竜士とその竜の関係は特殊だ。

 魔法的な繋がりがなくとも、主が死んだと知ると、すべての人間との関わりを断つ。

 つまりは魔獣となるのだ。魔獣となった飛竜の末路が、今のメッツァーの現状だった。

 魔族しか襲わないはずの飛竜が、人間、魔族関係なく襲いかかる魔物にへんぼうしたのである。

「バルケーノがいなくなったから、あの竜は解き放たれたのですね。それが、ルミルラが頑なに自分の父を討つことを止めようとした理由なのでしょうか、ヴァロウ様」

「さあな。だが、その推察は本人の生死が不明である以上、無意味だ」

「しかし、ヴァロウよ。こんなことになるなら、いっそあの総大将を生かしておいた方が良かったのではないか?」

 ベガラスクは、ヴァロウの責任を問うように鋭い視線を送る。

「バルケーノは処断されて当たり前の人間だった。ヤツは大将であり、魔族の敵だ。殺さない方がおかしい。それにいずれにしろメッツァーは我ら魔族によって滅び行く運命だった。それがあの竜が肩代わりしているだけだ。俺は何か間違ったことを言っているか、ベガラスク……」

「ふん。確かにな……。だが、あの竜は厄介だぞ」

「ああ……。任せる」

「な! お前、あれを魔狼族ワーグに狩れと言うのか?」

「なんだよ、ベガラスクの旦那。びびってんのか?」

 にししし、と歯をむき出し、ザガスは笑った。

「誰が恐れていると?」

 ベガラスクは尻尾を鞭のように振るう。すると、地面におのを振り下ろしたような跡ができあがった。

「ザガス! ベガラスク様は魔王様の副官なのよ。不敬です」

「へぇへぇ……。だが、旦那がビビるのもわかる。ありゃ化け物だ。今の魔族軍の戦力であれを倒せるのは、第一師団のドラゴランの旦那か、第二師団のアッガムのおっさんぐらいじゃないのか?」

 敬称も付けずに、二人の師団長を名指しする。確かに例に挙げた二人なら眼前にいる竜を討伐できるかもしれない。だが、援軍を呼ぶにしても遅すぎる。その頃には、メッツァー城塞都市どころか、大要塞同盟全体が滅亡の危機にひんしているだろう。

 皆が首を捻る中、一人ヴァロウだけが前に出た。

「第四師団に任せたいのは、あの竜ではない」

「ん? どういうことだ?」

「先に入城した本国軍を第四師団に任せるということでしょうか?」

 ベガラスクはけんしわを寄せ、メトラもまた質問するが、ヴァロウは首を振るだけだった。

「本国軍は壊滅寸前だ。今は無視していい。俺たちの相手は、あの竜だけではないということだ」

 その時、地上を複数の影が走って行った。魔族軍の顔が再び空へと向けられる。

 ベガラスクが珍しく声を張った。

「なにぃ!!

 空にいたのは飛竜だ。それも一匹、二匹というレベルを超えている。

 二〇、三〇……まだ増えていた。メッツァー城壁外に現れ、魔族軍をほうしようとしている。

「なんだ、こりゃ?」

「おそらくバルケーノが飼っていた飛竜たちだろ」

「これ……。全部ですか!?

 メトラはとんきょうな声を上げたが、無理もないだろう。

 竜はざっと数えて、二百匹以上──魔族軍をあざわらうかのように上空を飛翔している。

 バルケーノは『竜王』と呼ばれるだけあって、竜士としても優秀だった。

 そのため常識外の竜を多数抱えていたのである。

 振り返ってみれば、竜の育成こそ孤独な猛将の唯一のなぐさみだったのかもしれない。

「アルパヤ、まだ花火は残っているな」

「う、うん。残り少ないから、全部の飛竜に効くかはわからないけど」

 後方に控えていたアルパヤは、息を切らしたまま答えた。

「よし! メトラ、指揮を任せる。アルパヤの工兵部隊と第四師団を連携させて、小さい飛竜を倒せ」

「し、しかしヴァロウ様は──」

「できるな?」

 ヴァロウはヘーゼル色の瞳を鋭く光らせる。

 否定的な発言をしそうになったメトラは唇を噛み、祈るように胸に手を置いた。

 指揮することが怖いわけではない。ヴァロウの命令なのだから、当然言われたことは実行する。メトラの中でヴァロウは絶対的な存在だからだ。それ故にヴァロウが自分に指揮を任せ、何をしようとしているかを心配していた。

 しかし、この時すでにメトラにはわかっていたのだ。だからやめさせようとした。

 ヴァロウもまたメトラが感づいていることに、気付いていた。

 それでも決意は揺るがない。一体ヴァロウの何がそうさせるのか。

 もしかして、死ぬとわかっていて、ルミルラを送り出したことをいているのか。

 そんな余計なことを考えてしまって、メトラは苦悩する。

 いや、そんなことはない。断じてない。

 きっと、これもまたヴァロウの手の平の上なのだから。

「ヴァロウ様……」

「なんだ?」

「ご武運を」

「………………ああ」

 ヴァロウを一人戦地へと送り出す。

 引き留めたい……! そう強く思ったが、きっと拒まれるだろう。

 すでに、ヴァロウは覚悟を決めている。もしかしてルミルラを見送った時のヴァロウもこんな気持ちだったのだろうか。そんな余計な感情が浮かぶが、ヴァロウと気持ちを一つにできたような気がして、少しだけ楽になれた。

 メトラは銀髪をひるがえし、見送るヴァロウに背を向ける。己のことに集中した。

「指揮を引き継ぎます。よろしいですね、ベガラスク様」

「ああ……。構わぬ。お前が指揮官だ、メトラ」

「では、これより周囲の飛竜のせんめつ────いえ。ヴァロウ様を援護します。全力を以て、ヴァロウ様に近づく飛竜を撃退するのです。各々方、よろしいか!!

「「「「「おお!!」」」」」

 魔狼族ワーグ、そして魔物やドワーフが力の限り声を張り上げた。

 そしてまたメトラの銀髪はひるがえる。赤い瞳はもう一度、戦場を見つめた。

 その時、かつて王女だった者の顔は、戦士のものへと変貌していた。



 ヴァロウは師団を離れ、一人進んでいく。

 避難する人間を横目に見ながら、メッツァーの第一の城門を通過した。

 街の中に入ると、死臭が鼻をく。人間が焼け焦げる匂いだ。

 眉をひそめたくなるような匂いをいでも、ヴァロウの表情は変わらない。

 黙々と歩き、避難する人間の横を通り過ぎていった。

 人鬼族ワーオーガの姿を認め、皆が黙り込んだ。その身体から発せられる殺気に息を呑み、避けて通る。ヴァロウの周りに見えない壁があるようだった。

『がああああああああああああああああ!!

 一際大きな吠声がメッツァー城塞都市を襲うと、避難民たちはたちまち腰砕けになる。

 より一層の悲鳴を上げて、前へ進めと声を荒らげた。

 吠声の主はちょうど第二の城門をまたぐように身体を休める。暴れ疲れたのだろう。いや、むしろもう壊す物がないと思ったのかもしれない。

 その証拠に、竜の周囲はすべて瓦礫に変わっていた。まともに残っているのは城壁くらいだ。

 死体があっても、生者の足音は聞こえず、一面焼け野原が広がっているだけである。

 そこにヴァロウが踏み込む。魔族の匂いに気付いた巨竜は懐かしそうに目を細め、かくしてきた。

 ヴァロウの足が止まる。竜の声におののいた訳ではない。

 鞘からスラリと得物を抜く。剣ではない。まだ真新しい刀であった。それも魔法鉱石ミスリルを丹念に織り込んだわざものである。その優美な刀身は、黒煙が充満しまるで巨大な洞窟のように薄暗くなったメッツァーの中で、一際強く輝いた。

 その強いはんぎゃくの意志に、巨竜も反応する。

 また大きく声を響かせると、その口内が光り始めた。

 炎による攻撃を予感させるも、ヴァロウは動じない。

「工兵、撃て!!

 後方でメトラの声が聞こえた。

 刹那、パルマ高原の戦いで猛威を振るった花火が放たれる。巨竜の鼻先をかすめると、その側で火花が炸裂した。聞いたことのない大音に、さしもの巨竜も体を揺るがせる。

 おかげで解放された炎は、ヴァロウの脇にれた。

 ヴァロウは刀を掲げると、言葉を放つ。

「来い、アイギス……」

 緑色の光と共に、風の精霊が現れた。

 間髪入れず、ヴァロウが掲げた刀に吸い込まれる。

 瞬間、刀を中心に風が荒れ狂い、空を覆う黒煙を払った。

 周囲で燃えさかる炎すら消し飛ばし、暴風を纏った刀がメッツァー城塞都市に降臨する。

 突然立ち上った青白い光に、避難民たちも足を止め、焼け野原となった故郷を振り返った。

 煙が払われ、そこだけぽっかりと日光がそそぐ。

 突然差し込んだ温かな光の真下、一人の小柄な人鬼族ワーオーガが青白い刀を掲げて巨竜と対峙していた。

 絵画を思わせる神々しい光景に誰もが息を呑み、両親と手を繋いだ幼子が笑顔を浮かべて呟く。

「まるで天使様みたいだ……」

 ヴァロウはただ目の前の巨竜に集中していた。

 その竜の口内が再び閃く。直後、炎が吐き出された。

 だが、その前にヴァロウの力強い言葉が天地を裂く。


 ストームブリンガー!!!!!!


『うぉぉおぉおおおぉぉぉおおぉぉぉおんんん!!

 巨竜のほうこうがメッツァー城塞都市に雷鳴のように轟く。

 ヴァロウが放ったのは、『風の勇者』ステバノス・マシュ・エフゲスキの技である。

 風の精霊アイギスを武器に纏わせ、極限にまで圧縮された風と魔力を撃ち放つ剣技だ。

 その威力は千の魔族を討ち払ったと言う。ストームブリンガーと、交信するアイギスを駆使し、ステバノスは勇者というスターダムに駆け上がったのだ。

 だが、ヴァロウが放ったストームブリンガーは、ステバノスの比ではない。