メッツァー軍は魔族軍が占拠するシュインツ城塞都市へと出立した。

 騎兵部隊は砂埃を上げ、重装歩兵部隊は大地をじゅうりんするように進む。

 弓兵は鋭い眼差しを光らせ、魔法兵がその後方に控え、不気味な姿をさらしていた。

 同盟最大数を誇る歩兵たちも、立て続けの戦さに疲弊した様子もなく顔を引き締めている。

 何より圧巻なのは、竜騎士部隊だ。

 一五〇騎の飛竜と竜騎士が、やや雲が垂れ込めた鉛色の空を支配している。

 総勢およそ八〇〇〇。大要塞同盟の中でも、最大最精鋭の軍隊がシュインツに向けて進発した。

 先頭は総司令官バルケーノ。参謀レドベン。地上の重装歩兵部隊をたばねるのは、バルケーノの従兄弟いとこヴァモットである。

 バルケーノは珍しく馬に騎乗していた。愛竜を亡くしたからではない。彼ほどの竜騎士であれば、飼っている飛竜は一つや二つではなく、その数は三桁にも及ぶ。

 今、馬にまたがっているのは、空にいると地上の情報を聞けないからだ。

 彼が空へ向かう時は、猛将となる時だけである。そして、その瞬間はそう遠くない。

 もうすぐ七〇に手が届く老将の筋肉は、戦いの気配を敏感に感じていた。

 行軍しながら、バルケーノは鋭い視線を周りに放つ。

「ヴァルファルの軍は何故来ぬ? 参戦するように指示を出したのであろう」

 レドベンを睨む。参謀は汗を掻きながら、報告した。

「再三再四指示は送っているのですが……」

「動かぬか?」

「はい。も、申し訳ございません」

 バルケーノの迫力に、小心者の参謀は馬上で頭を下げた。

 その上司は何も言わず、ただ奥歯を強く噛む。

「ルミルラめ……。事前に何か吹き込んでおいたな」

「いかがいたしますか?」

「放っておけ。ヴァルファルの軍がいなくとも、数の上でも質の上でも我らがまさっている。違うか?」

「仰る通りかと……」

 レドベンはうやうやしく頭を下げ、同意を示す。

 すると、馬に乗ったせっこうがバルケーノの前に現れた。

「ご報告します。敵兵がシュインツから出撃しました。真っ直ぐこちらに向かっております!!

 斥候の声が響き渡ると、兵士たちに動揺が広がる。一際大きな声を上げたのは、レドベンだ。

「馬鹿な! ヤツら、籠城せんのか!」

 メッツァー軍は敵の倍以上の兵力を揃えている。ゴドーゼンやテーランのような田舎兵たちではない。バルケーノの指導したせいえい揃いで、戦術上の練度も高い。

 対する向こうの主力は、二〇〇〇の魔狼族ワーグである。そのしゅんびんな動きは脅威だが、ヴァモット率いる屈強な重装歩兵部隊で足を止めることができると考えていた。魔狼族ワーグさえ押さえてしまえば、残った下級の魔獣など、メッツァーの竜騎士部隊の敵ではない。それは敵も理解しているはずだ。

 故に、レドベンは相手が野戦を捨てて、ろうじょうすると思っていた。シュインツ城塞都市には、同盟一の大きな城壁がある。守勢には最適だ。だから、こちらは通常の攻城戦を行うとともに、相手の補給路を断ち、守勢の勢いが止まったところで竜騎士部隊を空から投入──一気に城壁を攻略して、シュインツ城塞都市内を制圧する算段だった。

 だが、その筋書きがすべて覆されてしまったことになる。

「慌てるな、レドベン」

「いや、しかし……。こちらは攻城戦の準備を」

 レドベンは背後を見る。急ごしらえだが、参謀は攻城櫓と大弩弓を用意していた。

 だが、その苦労が今、水泡に帰してしまったことになる。

「ふん。数の上ではこちらが有利なのだ。ただ正面から叩きつぶせばいい。むしろ、戦さが楽になったと思えばよい」

 バルケーノの言う通りだ。

 攻城戦と野戦。どちらが容易かといえば、断然後者である。

 何も策もなく、ただ軍を前に進めるだけで勝てるのだ。

 だが、油断はできない。シュインツをたった半日で攻略した魔族が、指揮をっているのだ。「何かある……」と思わざるを得なかった。

 だが今、変化をつけることをバルケーノは良しとしないだろう。どう考えても、こちらが有利だからである。基本的に王者の戦い方を好むバルケーノが、作戦変更を許可するとは思えなかった。

 レドベンは斥候に尋ねる。

「予想される会敵地は?」

「敵の行軍速度が今のままであるなら、おそらくパルマ高原かと……」

 広くなだらかな斜面が続く高原である。周りに森や崖こそあるが、障害物が少ない。

 どうやら本当に魔族たちは真っ向勝負を望んでいるらしい。

 それを聞いて、バルケーノは笑った。

「くくく……。ヴァロウとかいう若い魔族め。なかなか度胸があるではないか」

「閣下、これは罠かもしれません」

「そんなものはわかっておるわ」

「はっ?」

「肝心なのは、我らが数で上回っているということを認識することだ。相手が奇策をろうそうとも、我らは真っ直ぐ矛を向ければよい。相手の奇策に合わせれば、それこそヤツらの思うつぼよ」

「確かに道理ではありますが……」

 いや、その方がいいのかもしれない。

 相手のペースに合わせるよりも、こちらのペースに引き込む方が重要だ。

 数での勝負となれば、二人一殺でも勝てるのだから。

「わかりました。閣下の言葉を信じます。ただ先に斥候を戦場に向かわせ、周囲を探ろうと思いますが、いかがでしょうか?」

「任せる」

「ありがとうございます」

 またレドベンは恭しく頭を下げると、早速指示を出した。



 翌々日の早朝──。

 両軍はパルマ高原で向かい合った。

 メッツァー軍八一五〇。魔族軍──第四、第六師団連合軍およそ三〇〇〇。

 このパルマ高原では、幾度か魔族と人類の戦いが行われているが、この時約十五年ぶりのおおいくさが始まろうとしていた。

 ヴァロウたちは高原の山側に布陣する。

 約八〇〇〇の兵を見て、周りの幹部たちは目を細めた。

「どうやらルミルラの交渉は失敗に終わったと見ていいですね」

「ああ……」

 メトラの言葉に、ヴァロウは短く答える。

 確認できる限り、ルミルラの姿はない。ただ彼女が領主を務めるヴァルフォルの兵の姿も確認できなかった。ルミルラに何かあったと考えるべきだろう。

 それでもヴァロウの表情は変わらず、冷えたヘーゼル色の瞳を、眼前の敵軍に向けていた。

「ふん。元より人間など当てにしてはおらん」

 ベガラスクは配置につき、第四師団の先頭に出ると、爪を伸ばした。

「かかか……。腕が鳴るねぇ。久しぶりの大戦さだ」

 嬉々としながらザガスは腕を回し、地面に下ろした鉄の棍棒を持ち上げた。ベガラスクと同じく軍の先頭に出て、総司令官の合図を待つ。

 ヴァロウはおもむろにさやから剣を抜いた。

 同時に地平線の向こうから現れた陽の光が、両軍を分かつようにほとばしる。

 瞬間、両軍から声が響き渡った。

「「かかれぇ!!」」

 ヴァロウとバルケーノの声が重なる。

 大要塞同盟版図では、およそ十五年ぶりに行われる人類と魔族の大戦さが始まった。

 両軍のときの声が戦場に轟き、もののふたちが砂埃を上げて走って行く。

 遠目から見る両軍の色は、魔族軍は黒く、人類軍は白い。

 まるで光と影の対決のように両軍は交わろうとしていた。

「本当に突っ込んできた!!

 鬨の声が上がる中で、レドベンは一人狼狽うろたえていた。

 ずり落ちた眼鏡を持ち上げ、今一度、敵軍の様子を確認する。

 先頭は魔狼族ワーグだ。真っ直ぐ同盟軍の方に向かってくる。他に何か奇妙な行動を取る様子はない。周囲をうかがったが、メッツァー軍の側面を討つ伏兵もいないようだ。

 唯一気になることと言えば、魔族軍の後方に配置された物だろう。布を被り、まさしくヴェールに包まれていて、何も見えない。おそらく兵器だと思うが、今すぐ戦場に投入される気配はなかった。

 レドベンが周りに注意を払っていると、そのが震える。

「レドベン! 後は頼んだぞ!!

 バルケーノが指笛を鳴らすと、空から一匹の飛竜が降りてくる。上空で竜騎士部隊とともに待機していたバルケーノの新しい飛竜だ。翼を広げ減速し、軍のど真ん中に降り立った。

 バルケーノはその頭を撫でると、あぶみを載せて竜にまたがる。

「閣下!?

 レドベンが疑問を投げ返す前に、バルケーノの飛竜は翼を動かしていた。

 鋭い風圧が巻き起こると、バルケーノは愛竜とともに空へと舞い上がっていく。

 指揮官が、猛将になった瞬間であった。

 こうなってはレドベンが指揮するしかない。レドベンは気を引き締め、戦場に向き直る。

 いよいよ白と黒の一団が交わった。

 刹那、先頭を走っていた騎兵が吹き飛ばされる。

 一頭や二頭ではない。十頭以上の軍馬が、空へと舞い上がったのだ。

「ひぃ!!

 レドベンは思わず悲鳴を上げた。

 実はこうやって魔族と正面切って戦うのは初めてだった。レドベンだけではない。魔族の凄まじい膂力に彼を護衛する兵士たちですら、おののいている。

 魔族の勢いは止まらなかった。

 まるで土でも掘るように歩兵や騎兵たちをなぎ倒していく。

 こちらの方陣にくさび穿うがち、メッツァー軍の陣地に深く浸透してきた。

(まさか! 中央突破するつもりか!!

 魔族の勢いは本物だ。何よりも速い。

 緩やかな斜面を利用し、さらに加速がかかっているらしい。

 対して、同盟軍は上りだ。当然、動きが鈍い。このままでは突破を許すことになる。

「レドベン様!! このままでは!!

 早くも部下が悲鳴を上げた。

 レドベンは心の中で「落ち着け」と念じ、一度息を吸う。

「歩兵と騎兵を下がらせ、隊列を作り直せ! ヴァモット様の重装歩兵部隊を前に出して、ヤツらの攻撃を止めるのだ! 弓兵と魔法兵は五歩前進。歩兵と重装歩兵を入れ替える間を援護せよ」

 レドベンの指示は的確だった。

 重装歩兵を前に出し、作戦通り魔狼族ワーグの勢いを殺しにかかったのである。

 その間に、歩兵と騎兵を立て直させて、再突撃に備えさせた。

 その指示がこうそうす。魔狼族ワーグの動きが止まったのだ。



「敵もやりますね」

 メトラはアンデッドとゴブリンの混成部隊に矢を放つよう命じながら、ヴァロウにささやいた。

 完全に魔狼族ワーグの動きが止まってしまう。

 矢を放って援護しているが、重装歩兵の装甲はかなり分厚いようだ。

 アンデッドやゴブリンが引く程度の弓では、ビクともしない。

「向こうの参謀はレドベン・アッソルドか。十五年前は後方の一士官で、実戦はこれで二度目だが、悪くない用兵ぶりだな。とはいえ、主がその言うことを聞くとは思えないが」

 作戦指示は的確で、そして目的も明確だ。おかげで主力の第四師団の動きを止められてしまった。

 第四師団──魔狼族ワーグの長所は速攻の一撃である。どの種族よりも速く戦場を駆け抜け、敵陣に浸透してかくらん、あるいは中央突破を狙う。その足が止まってしまったということは、次の戦術を練る必要が出てきたということだ。

「いかがいたしますか?」

 メトラの質問に、ヴァロウは即時に応答しなかった。じっくり戦況を見極める。

 どうやら敵は乱れた歩兵と騎兵を再構築し、ぼうすいけいになったこちらの軍の側面を狙おうとしているらしい。このまま放っておけば、こちらの本隊と切り離され、第四師団は囲まれるだろう。

「どうやら、早速あの仕掛けを使う時が来たようだな」

 ヴァロウは懐に手を伸ばし、赤い宝石を取りだした。

 それを強く握り込むと、宝石にヒビが入る。鋭い音を立てて砕け散った。

 途端、魔力の波が戦場にでんしていく。その力は魔族たちを強化するわけでもなく、敵に死のささやきを聞かせるような代物でもなかった。たださざなみのように戦場に広がっていく。

 謎の赤い魔力の波は、メッツァー軍を動揺させた。

 しかし、何も起こらない。レドベンは「はったりだ!」と息巻き、さらなる攻撃を命じた。

 が、すでに事は起こっていたのである。


「ぎゃああああああああああああ!!

 いきなり声が上がった。

 悲鳴など戦場ではさして珍しいことではなく、今もあちこちから聞こえてくる。

 だが、その叫びはどこか異質であった。

 メッツァー軍の兵士は一瞬固まる。目だけを動かし、その悲鳴の出所を探った。

 やがて視線が一人の歩兵に集中する。

 手にはやりが握られ、その尖端は仲間の心臓を刺し貫いていた。

「な、何をしておるかぁぁぁあああ!?

 レドベンの絶叫に、槍を持った歩兵がゆっくりと振り向く。

 仲間を槍で刺し貫いた兵がレドベンの方を向いた。

 目に生気はなく、表情はまがまがしく歪んでいる。

「まさか!!

 レドベンの背筋に冷や汗が流れる。

 その瞬間、槍を持った歩兵は次々と仲間の兵を刺し始めた。

 そして、それは一人だけではない。

「ぎゃあああああ!!

「おい! 何を──うぎゃ!」

「やめろ! 仲間だぞ!」

「お前、何をしてるんだ!!

 次々と、まだ魔族がいないはずの戦場から悲鳴が聞こえる。

 何故か戦場のあちこちで同士討ちが始まった。歩兵だけではない。魔法兵は無事のようだが、騎兵、重装歩兵、弓兵……。武具を装備した部隊の中で、同士討ちがあちこちで起こっていたのである。

 しかも、十人、二十人という数ではない。

「一〇〇……いや、もっといるぞ……」

 レドベンはせんりつするが、その彼の目の前でも同士討ちが始まった。

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!

 気が触れたように言葉を連呼し、武器を振り回す。敵味方問わず、斬りかかってきた。

「ええい! と、とにかく取り押さえろ!!

 一体何が起こっているのか──レドベンは眼鏡をあげて、観察する。

 すると、気が触れた兵士が持っている武器に着目した。

 ちょうそうの柄が光っている。よく見ると、じゅのようなものが刻まれていた。

 しかも、その武器は身体と一体化し、一度握れば離すことができないようだ。

「まさか! この武具! 呪われているのか!!

 レドベンの叫声が戦場に響き渡った。


 混乱に陥る戦場をヴァロウは見つめていた。

 普段通り指揮官が無感情に戦場を望む一方で、側に控えるメトラの声は明るい。

「ヴァロウ様、成功です。うまく機能しましたね」

「ああ。これでドワーフたちの努力も報われるというものだ」

 ようやくヴァロウの口元に笑みが浮かぶ。

「さて、メッツァーにばらまいた武器防具はおよそ一五〇〇。実質一五〇〇の援軍だと思えばいい。六六〇〇と四五〇〇……。数の上ではまだ負けているが、これで倍数からは脱した。さあ──」


 握りつぶせ!!


 いつも開いている手の平を、ヴァロウは強く握り込むのだった。



 ヴァロウがメッツァーに武器を売りさばくことにこだわったのは、戦費調達のためだけではない。

 すべては、この戦いのためだ。

 ヴァロウはあらかじめ呪いを込めた武具をドワーフたちに作らせた。それをメッツァー軍に買わせ、この戦さにおいて呪いの力を解放させたのである。

 この作戦は、すでに反乱をけしかけた時から始まっていた。反乱軍との戦いで疲弊した同盟軍は、必ず武器を調達しようとする。そこに呪われた武器を混ぜて、その売上金を戦費に当てるとともに、同盟軍に呪いの武器を装備させたのである。

 結果、ヴァロウはこの戦さにおいて、一五〇〇名の援軍を手に入れた。

 反乱を鎮圧した時から、すでにメッツァー軍はヴァロウの手の平の上で踊らされていたのである。

 ヴァロウの作戦はものの見事にまった。

 メッツァー軍は大混乱におちいる。当然だろう。仲間がいきなり斬りつけてきたのだ。

 それは自陣に突然、敵軍が現れたも同義だった。

 兵士たちの悲鳴が響く。呪われた兵の横暴を止めたいが、仲間故に下手に手出しはできない。ちゅうちょする一部の兵士を余所よそに、呪いの武具を持った兵たちはようしゃなく襲いかかってきた。一瞬にして、三〇〇名もの兵の遺体が地面に転がる。

 冷静でいなければならない参謀レドベンの頭は、今やパニックだ。何かしなければと思うのだが、兵法書に載っていないこの状況に、完全についていけていなかった。

 だが、メッツァー軍の悪夢は続く。

「「「「ぎゃああああああああああ!!」」」」

 一際大きな悲鳴が前方で上がる。

 最初に突進してきた魔狼族ワーグの部隊が勢いを取り戻し、そこまで来ていた。

 レドベンの瞳が、先頭の白銀の魔狼族ワーグと目が合う。

 見つけた、と言わんばかりに紅蓮の瞳が閃くのが見えた。

 魔狼族ワーグは重装歩兵に手を焼いていたが、その重装歩兵も呪いの武具におかされていたのだ。

 前方でも同士討ちが始まり、もはや魔狼族ワーグの突進を止めるどころではなかった。

「くっ! このままで魔狼族ワーグに食い破られるぞ!」

 早くもメッツァー軍最大のピンチを迎える。だが、逆にレドベンの頭は不思議とクリアだった。

 死中に活というわけではないが、自然と自分がやらなければならないことを理解する。

 そのためには呪いの武具による同士討ちをなんとかしなければならない。

「魔法兵! 前方の援護魔法を即時中止せよ!! 解呪魔法を用いて、武具の呪いを解くのだ!!

 まずは元凶を断つ。幸い魔法兵に呪いの武具の影響はない。

 魔法兵たちはすぐに呪唱を中止すると、解呪魔法を唱え始めた。

 その時、ふっとレドベンの頭上を何かが飛んでいく。

 飛竜だろうか。地上の状況を見て、援護しにきてくれたのかもしれない。

 レドベンは顔を上げる。眼鏡越しに見たそれは、飛竜とはかけ離れたものであった。

 スライムだ。

 くるくると回りながら、レドベンの中央部隊の上を通り、後背の魔法兵へと飛んでいく。

 スライムは魔法兵に貼り付くと、その口を塞いで呼吸を奪った。

「一体、どこから!!

 レドベンは前を向いた。スライムを投げつける──冗談みたいな攻撃を繰り出した悪戯小僧を捜す。真犯人は意外と近くに存在した。

 魔狼族ワーグだ。援護魔法から解呪魔法を切り替える瞬間を見計らい、密かに背負っていたスライムを後方に向かって投げつけていた。

 腹が立つぐらい完璧なタイミングだ。おそらくレドベンの指示を読んでいたのだろう。

「まずい! 突破されるぞ!!

 レドベンは歩兵にすぐに魔法兵についたスライムを剥がすように命じる。

 だが、後ろにばかり気を取られている場合ではない。

 すでに魔狼族ワーグはレドベンの眼前にまで迫っていた。

「レドベン様!!

 騎兵がレドベンに向かって飛び込んでくる。

 次の瞬間、大きな爪がレドベンの鼻先をかすめた。

 騎兵が飛び込んでこなければ、レドベンの首が飛んでいただろう。

 勢いのあまりレドベンは騎兵とともに馬上から落ちる。すぐに立ち上がって、顔を上げた。

 顎を上げた白銀の魔狼族ワーグと目が合う。

「チッ!」

 舌打ちすると、レドベンを放置し、白銀の魔狼族ワーグは後方の魔法兵に襲いかかった。

 魔法兵はいまだスライムから脱することができていない。魔法を唱えられない魔法兵など、平民と同じだ。魔狼族ワーグの襲撃を受け、魔法兵部隊はみるみる削り取られていった。

 一瞬にして、八割以上の魔法兵を失う。

 最後尾の魔法兵部隊が崩された──その意味の重大性にレドベンは息を呑むしかなかった。

「突破された! 八〇〇〇の我が兵が、たかだか二〇〇〇の魔狼族ワーグの突破を防ぎ切れなかった!!

 レドベンは恐怖した。突破を果たしたのは魔狼族ワーグだけではない。

 この作戦を立てた者に対して震え上がった。敵の狙いは、単なる中央突破ではなかったのだ。呪いを解除させないために、最初から魔法兵を狙っていたのである。しかも魔法兵は最初の魔狼族の突撃後、通常よりも前に出ていた。戦術上致し方なかったとはいえ、これはレドベンのミスだ。

「おのれぇぇぇぇぇええええええ!!

 瓦解しようとしている戦況の中で、レドベンは握り拳を地面に叩きつけた。

 ようやく参謀は認識する。自分たちが相手をしているのは、単なる悪魔などではない。

 深い読みと、明確な狙い。戦場のあっとも言える相手と戦っていることを、今さら理解したのだ。

 ぼとり……。

 悔しがるレドベンの前に、突如何かが落ちてきた。

 地面に大量の血がにじむのを見て、参謀は腰を抜かし、後退あとずさる。

 それは人間の生首であった。

 離れたところには、その胴体とおぼしきものが落下し、側には飛竜のむくろも倒れている。

 竜騎士だ。どうやら、呪いの武具の影響は竜騎士部隊も例外というわけではないらしい。

 その時、レドベンの周囲に大きな影が広がった。

 見上げると、飛竜が降りてくる。他と比べても一回り大きい飛竜を見て、主君バルケーノが空から降りてきたことを察した。

「何をしておる、レドベン!!

 竜のはいせいか──と思えるような怒鳴り声が、戦場を貫く。

 その大きさに、メッツァー軍はおろか魔族ですら驚き、動きを止めた。

 戦場に一瞬の静けさが訪れる。

 バルケーノは気にも留めず、尻餅を付いたレドベンの胸倉を掴み、無理やり立たせた。

「お前は我の参謀であろう」

「は、はひ……」

「ならば、この状況をどうにかせい!」

「お、恐れながら閣下……。敵が仕掛けたと思われる呪いの武具の影響があり、今、それを除去する力が我が軍には────」

 レドベンが説明しようとしたその時だった。

 バルケーノはたいそうを振るう。呪いの武具を持ち、襲いかかってきた兵をぎ払った。ろっこつ下から真っ二つに斬り裂かれた兵は、くるりと宙を舞って、地面に叩きつけられる。

 むろん、即死であった。

「状況などわかっておるわ。呪いの武具に我が兵が操られていると言うなら、殺してしまえばいい」

「し、ししししかし、それは我が兵です、閣下。彼らはメッツァーの、閣下の兵であります」

「忘れたのか、レドベンよ。反乱軍の時にも言うたであろう。我ら人間の兵に手をあげるのは、人間にあらず。それは魔族だ。我らが憎むおんてきよぉ!」

 すると、バルケーノは大槍のいしきを地面に向かって叩きつけた。

 甲高い音が、わずかな余韻とともに戦場に広がる。

「総員けいちゅうせよ。我らの前に立ちはだかるのは、すべて魔族だ。故に斬り捨てよ。悪魔も、悪魔の下僕となった者もすべて斬るが良い!! わしが許す!」

 バルケーノの言葉が、悪魔が吹いた喇叭ラッパのように響き渡った。

 すると、動揺していた兵士の顔つきが変わる。ぐっとあごを締め、呪いの武具を持った仲間を見つめた。その視線は鋭く、まるで魔族を見るようだった。

「「「「おおおおおおおお!!」」」」

 あちこちでときの声が上がると、壮絶な同士討ちが始まった。

 半狂乱になりながら、呪いの影響にない正常な兵たちが、同僚に襲いかかる。

 血しぶきが舞った。戦場ではありふれた光景だが、通常と意味合いが全く違う。まさに地獄だ。

 レドベンは呆然と戦場を見つめ、横でバルケーノは愉快そうに笑った。

「くはははははは! お前より兵士たちの方がよっぽど肝がわっておるようではないか。反乱軍鎮圧よこうえんしゅうの甲斐があったな。皆、童貞を捨てておる」

 バルケーノはポンとレドベンの肩を叩く。

「さあ、お前も、自分の役目をこなせ、我が参謀よ」

「……わ、わかりました」

 ようやく動揺から脱したレドベンは、眼鏡を上げる。

「各部隊に告げる。侵攻する魔狼族ワーグの部隊と逆方向になるように前進。そのまま集合し、隊列を整えろ! 今からでも遅くはない! 魔狼族ワーグこうはいを突くぞ!!

 おおおおお!! と兵たちの声が揃い、参謀の命令に応えた。

 レドベンの号令のもと魔狼族ワーグの部隊によって分断されたメッツァー軍は前進する。魔狼族ワーグの部隊の後背に集結すると、隊列を整えた。

 バルケーノは髭をさする。

「戦略として正しいが……。レドベンよ。このままでは敵本隊と魔狼族ワーグの間に、我ら本隊が挟まれる形になるぞ」

「構いません。相手の本隊はアンデッドやゴブリンです。たとえ、後ろから刺されたとしても、大した被害にはなりません。それに閣下──」

 眼鏡越しにレドベンは、バルケーノを睨む。ようやく参謀も決心がついたらしい。

「我々にはまだ竜騎士部隊がいます」

「ぐふふふ……。我を顎で使うか、レドベンよ」

「参謀に任命したのは、閣下です。本隊のせんめつ。一五〇騎ほどですが、いけますね」

「誰に言っておる」

 レドベンの頭を叩く。本人は撫でた程度と思っているのだろうが、レドベンからすれば背が縮むかと思うほど痛かった。

「我、一人でも十分よ。……それにの」

 バルケーノは少し離れたところに布陣した敵本隊を眺める。

「あやつとの決着がついておらんのだ」

 づなを握ると、愛竜はすぐに応えた。雄々しく翼を動かすと、ふわりと浮き上がる。

「ここはお任せください。必ず魔狼族ワーグどもを討ち果たしてみせます」

「応! 後で会おう、我が参謀よ」

「はっ!」

 レドベンは敬礼し、主君を見送る。

 バルケーノはぐきを剥きだし、重い雲がたれ込めた空へと消えていった。



 自軍が中央突破したのをヴァロウは本陣から見届ける。

 魔狼族ワーグの遠吠えを聞き、作戦の第一段階が完了したことを確認した。

 ヴァロウにとって、怖いのはメッツァーが誇る竜騎士部隊などではない。

 魔法兵部隊だ。

 何故なら彼らが武具を手にすることは珍しい。魔法性能を上昇させるための黒金糸のローブや守護印ぐらいだろう。さすがに、そこまで用意はできなかったのだ。

 だから、比較的動揺の小さい魔法兵部隊を魔狼族ワーグに強襲させたのである。

「やりましたよ、ヴァロウ様」

 横のメトラは無邪気に手を叩き、中央突破という戦果を喜ぶ。

 だが、ヴァロウからすればその戦果はさほど嬉しいことではない。敵が分断されたことによって、そのまま指揮系統を乱してくれればいいが、そこまでの効果はなかった。

「さすがはメッツァーの参謀レドベンと、それを鍛えてきたバルケーノだな」

 ヴァロウも感心し、素直に敵に賛辞を送った。

 すぐに隊の動揺を抑えると、メッツァー軍は前進し、第四師団の後背を突く動きを見せる。

 だが、ヴァロウからすれば何もかもが遅い。戦いになる前から、軍師はこの状況を読んでいた。

「メトラ……」

「は、はい!」

 興奮気味のメトラは、慌てて振り返った。

「アルパヤを呼べ。そろそろ来るぞ」

「来る、とは……」

 ヴァロウは上空に顔を向ける。

 飛竜に騎乗した竜騎士が、こちらに矛を向けていた。

「竜騎士部隊!!

 メッツァーの主力とも言える部隊が、ついに魔族軍本体に牙を剥こうとしている。

 その先頭の男は、少し離れた距離からでもわかるほどの偉丈夫だった。

 ヴァロウはずっと座っていた椅子から立ち上がり、剣を引き抜く。

「さて──。決着をつけようか、『竜王』バルケーノ・アノゥ・シュットガレン」

 ヴァロウは口角を歪める。

 その視線の先には、竜騎士部隊を率いるバルケーノの姿があった。

 今まさにゴブリン・アンデッドを主力とした第六師団本隊に襲いかかろうとしている。ぎょろりと目玉を動かし、ヴァロウたちを捉えた。するとバルケーノは大槍の柄を脇に挟んで構える。

 口を目一杯開き、号令を響かせた。

「かかれ!!

 竜騎士部隊が突撃してくる。

 興奮した飛竜が、首を動かしながら、鋭くいなないた。

 同時に、ヴァロウも動く。

「アルパヤ! 布を開け!!

「う、うん!」

 側にいたアルパヤが頷く。

 ゴブリンとドワーフで構成された工兵部隊に指示を出すと、後方に置いていた荷の紐を解いた。

 現れたのは、十門の火槍だ。

 成人男性の足よりも一回り大きな穴に、周りは鉄でできている。鉄筒の下からは短い導火線が出ていた。これに火を付け、中の火薬に引火させると、その熱量を使って鉄の塊を打ち出す兵器である。

「馬鹿め! 火槍なんぞ我らが手塩に育てた飛竜に当たるものか!!

 バルケーノが率いる竜騎士部隊は並んだ火槍を見ても、怯まない。

 速度を維持し、第六師団に襲いかかってくる。火槍はさして珍しい兵器ではない。金のかかる魔法兵部隊を組織できない都市では、未だに主力武器として配備されていた。

 だが、連射が利かない上、精度も大したことがない。それなら費用を負担してでも、魔法兵部隊を揃えたり、火槍よりも構造的に安易で安価なだいきゅうが好まれた。

 今では、最前線ではほとんど使われていない兵器である。

 故に火槍=使えない兵器というイメージが根強い。

 だから、バルケーノはこの時火槍を侮ったのである。

「放て!」

 ヴァロウの指示が飛ぶと、アルパヤは合図となる旗を上げた。

 一斉に導火線に火を付ける。

 瞬間、十門の火槍が火を吹いた。

 地を揺るがすような音を立て、砲弾が放たれる。鋭い音を立てて、空へと上がった。

 その速度は凄まじいものだったが、飛竜たちの旋回能力の方が上回っていたようだ。

 飛んできた砲弾に対し、翼を翻し回避した。


「ふんっ!」

 飛んできた砲弾を躱すと、バルケーノは得意げに笑った。

 覚悟しろ、と叫んだ瞬間、事は起こる。

 バアァァァアアアァァァアァアァァァアアァァァアァ!!

 爆発音が空に響き渡る。砲弾が破裂したのだ。

 バルケーノは視界に広がった光を見て、驚いた。

 花火である。

 大輪の華が大空に咲いていた。同時に、大量の花火が竜騎士部隊に降り注ぐ。

 たちまち部隊は混乱状態に陥った。

「馬鹿者! 落ち着け! たかだか花火ではないか!!

 バルケーノは空で一旦停止し、部隊に呼びかける。

 そうだ。バルケーノの言う通り、たかだか花火である。

 だが、異変は自分の愛竜にも起こった。突如、暴れ出すとなんと大輪の花が咲く方へと、愛竜が動き出したのだ。鼻息は荒く、興奮しながら愛竜は主人の指示を無視し、空を滑空する。花火に反応したのかと思えば違う。突然むちゃくちゃな軌道で飛び始めたのだ。

「くそっ!! 一体何が起こっておる!!

 バルケーノは無理矢理手綱を引くが、愛竜の興奮は収まらない。激しく威嚇しながら、主人の指示を無視し続ける。他の竜騎士の竜にも同様のことが起こっていた。

 飛竜は竜騎士の命令を受け入れず暴れる。ついには、飛竜と飛竜が空中で衝突を始めた。そのあおりを食らって、竜騎士が空に投げ出されると、地面に激突し即死する。

 そうしたことは、空のあちこちで起こっていた。

 飛竜同士が衝突、あるいは暴れた飛竜に振り落とされ、竜騎士の数が減らされていく。

 鎧のおかげで生きていても、地上にいたアンデッドの部隊が現れ、トドメを刺していった。

「ぎゃああああああああああ!!

 耳を塞ぎたくなるような竜騎士たちの絶望的な悲鳴が響く。

 一五〇騎の竜騎士部隊は、気がつけば十分の一以下になっていた。

「何が起こっておる……」

 バルケーノはただただ目を大きく丸めることしかできなかった。

 明らかに正気を失った飛竜たち。その飛竜から落ちていく屈強な竜騎士。

 バルケーノ自ら槍を携え、きたえあげた竜騎士部隊が、今や壊滅の危機にあった。

 戦歴の長いバルケーノでも、一体何が起こっているのか分析することさえ難しい。

 ただ三つはっきりしていることがある。この事態を誘引したのが、あの花火であることと、目の前で起こっていることは決して偶然ではなく、明確な意図の下で行われていること。最後に誰かがこの凶状を考え出したということだった。

 その時、バルケーノに迫る飛竜の姿があった。

 衝突するという瞬間、バルケーノはたいそうを振り下ろす。

 飛竜の首を狩り、無理やり衝突を回避した。当然、飛竜は落下をはじめ、騎乗していた竜騎士は「閣下!」と悲鳴を上げながら、地面に叩きつけられる。

 ふん、と息を吐き、バルケーノは眼下をえた。

 ちょうどヘーゼル色の瞳と視線が混じりあう。

「おのれぇぇえええええ!! ヴァロウォォォォオオオオオオオ!!

 バルケーノは空の上でまさしく竜の如く吠えるのだった。



 花火の威力に驚いていたのは、メッツァー軍竜騎士部隊だけではなかった。

 それを実行指揮したアルパヤも目を丸くする。副官補佐のメトラも固まり、次から次へと落ちてくる竜騎士に目を見張った。

 だが、ヴァロウだけは違う。剣を地面に突き立て、地と空の間を眺めていた。

「すごい! 花火だけで、竜騎士を……」

「違うな。あれは通常の花火ではない」

 メトラはやっとのことで声を漏らしたが、ヴァロウは即座にそれを否定した。

 背後のアルパヤに振り返り、口を開く。

「よくやった、アルパヤ」

 戦後ならいざ知らず、戦さの最中でヴァロウが部下を褒めるのは珍しい。

 それだけアルパヤの兵器の出来が良かったということだ。

 その褒め言葉を聞いて、アルパヤの褐色の肌は明らかに赤くなる。

 ベレー帽を脱ぎ、照れくさそうにくすんだ灰色の髪を掻いた。

「ボクも驚いたよ。まさか花火で、あの竜騎士部隊を壊滅状態に追い詰めるなんて」

 アルパヤが放ったのは、単なる花火ではない。

 特定の熱量と、人間が聞こえる音域を超えた──超音波を発生させるものである。

 聞き慣れない言葉に、メトラは首を傾げた。

「超音波、ですか?」

「元々飛竜というのは、我ら魔族の特徴を研究し、掛け合わせた合成生物だ。当然、合成させた種族の特徴を引き継いでいる。その一つが超音波だ」

 合成された種族の内の一つ、鳥人族バルチャーは超音波を発し、その音の反射によって距離を算出して、障害を回避している。鳥人族バルチャー同士では混線しないようにそれぞれ固有の周波数があり、この特徴によって仲間同士の空中衝突を避けることを可能にしていた。

 飛竜は魔族を研究し、その特徴を掛け合わせて作った魔導生物である。故に、飛竜の中には鳥人族バルチャーと同じ機能があると、ヴァロウは睨み、鳥人族バルチャーが鳴らす音域を乱す花火を開発させたのだ。

 結果は見ての通りである。飛竜が放つ音域が乱れたことによって、飛竜は距離感覚を失った。あちこちで飛竜同士の衝突が起こったのも、そのせいである。

「では、熱はどういった意味があるのでしょうか?」

 メトラは学生のように質問すると、教師役のヴァロウは淡々と説明した。

「飛竜には熱をする能力がある」

「熱を……可視化ですか!?

「別に驚くようなことではない。これは竜人族リザードの特徴だからな」

 熱を可視化することによって得るメリットは、やはり夜間でも活動できるからだろう。薄暗い中でも、周囲の温度を確認し、獲物と仲間を識別できるのが、竜人族リザードの大きな特徴だ。当然、魔族の特徴をいいとこ取りした飛竜にも、その機能は備わっていた。

 特に飛竜は、幼少の頃から戦闘生物として育てられる。魔族の体温に反応するように訓練されているため、基本的に人を襲わない。だから、ヴァロウは魔族の体温と同じ設定の熱を出せる花火を作るようアルパヤに指示したのだ。

 ドワーフは土と鉄の種族である。穴掘りと同じくはっ──つまり火薬の知識にも長けていた。

 発する熱の調整など朝飯前なのだ。

「だから、この混乱が起きたということですか。さすがは、ヴァロウ様」

 改めて深く敬服し、メトラは頭を下げた。ヴァロウはその賛辞を無表情で受ける。

 空を見上げた時、寂しそうに飛んでいるバルケーノが、こちらを見ているのがわかった。

「バルケーノ、残念だったな。お前は飛竜の育て方においては超一流だろう。しかしその生物の特徴を知らなさすぎたのだ」


 俺は魔族だ。その魔族の特徴もまた俺が把握していないはずがないだろう。


 ヴァロウは手の平を掲げる。

 宙に浮くバルケーノを己の手の平の上に載せるようにかざすのだった。



 ヴァロウたちが打ち上げた花火は、メッツァー軍本隊からも確認できていた。

 その不思議な音と、戦場を覆うような大輪の華に、レドベンはせんりつする。

 直後悪夢は空から落ちてきた。次々と落とされていく竜騎士たちを見て、顔を青白くさせる。

 メッツァーの主力である竜騎士部隊が壊滅していく。玩具おもちゃのような兵器によってだ。

 レドベンは最初こそ驚いたが、しばらくして腹の中から沸々と怒りが湧き上がってきた。

 一方、本隊兵士たちにも動揺が広がっていた。

「レドベン参謀!」

「助けに行きましょう!」

「このままではバルケーノ様が……」

狼狽うろたえるな!!

 軍の中では小心者と笑われることが多いレドベンが、珍しく吠えた。

「貴様らの大将は誰だ? 総司令官は誰だ?」

「ば、バルケーノ様です……」

「そうだ。我らの大将はバルケーノ様だ。花火がどうした!? 部隊が壊滅したからどうだと言うのだ。あそこにいるのは、一騎当千の『竜王』バルケーノ様だぞ!! バルケーノ様であれば、必ずや悪魔を討ち払ってくれるはずだ!」

 兵の動揺が収まっていくのを見ながら、レドベンはもう一押しする。

「それでもバルケーノ様を信じられないと言うなら、助けに行くがよい。その代わり、私は知らんぞ。一度戦場で血気盛んとなられたあの方には、敵も味方もない。その首、バルケーノ様に捧げたいのであれば、今すぐこの戦場を抜けて助けに行け!」

 レドベンはまくし立てた。

 今ここで最悪なのは、バルケーノが討たれることではない。部隊の全滅である。仮に主君を助けに行けば、魔狼族ワーグ部隊が必ず追撃してくるだろう。機動力のある魔狼族ワーグは、追撃戦を得意とする。背を向ければ、たちまち襲いかかってくるはずだ。

 重要なのは、今目の前にいる魔狼族ワーグ部隊を壊滅させることである。

 中央突破を許したが、まだ四五〇〇もの兵は健在だ。

 逆に向こうは強引な中央突破をしたおかげで、一七〇〇まで数を減らしていた。

 二倍以上の兵力差──どちらが優位かは、子どもでもわかる。

「この一戦、絶対に勝つ! 声を上げろ!! バルケーノ様に捧げるのだ!!

 レドベンは馬上で剣を掲げる。

 すると、兵たちもそれぞれの武器を空にいるバルケーノに向かって突き上げた。

「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」

 すさまじいときの声が、大竜となって戦場を駆け巡る。

「レドベン、よく言ったぞ」

 酒焼けした声が降ってきた。一瞬、バルケーノかと思ったが違う。

 それはレドベンよりも頭二つ大きい重装歩兵だった。手にはおおかなづちを握り、異様なオーラを辺りに振りまいている。バルケーノ同様、呪いを受けた味方をその古ぼけた得物でほふってきたのだろう。全身を覆う鎧には、魔族の血よりも人の血の方が多く付着していた。

「ヴァモット様!!

 重装歩兵部隊隊長のヴァモットだった。バルケーノの従兄弟である異形の男は、戦闘においても心強い味方だ。その膂力はあのバルケーノですら舌を巻いたというほどである。

 バルケーノと歳が近いというのは知っているが、その素顔を見たものは誰もいない。

 何故なら、眠る時も食事をする時もヴァモットは、鎧を着ているからだ。

 ある戦場で魔族の炎息をまともに食らい、重度の火傷を負ったらしい。以来、ずっとああして鎧を纏っている。一説によれば、溶けた肌が鎧に付着し、取れなくなってしまったそうだが、真偽は定かではなかった。ともかく魔族に対するおんしゅうは軍団一と言えるかもしれない。

「ヤツらのことは、おでに任せろ。とっととぶっつぶして、戦場を魔族の血で満たしてやろうぜ。いひ、ひひひひ……」

 ヴァモットは笑う。その声は兜の中で反響して、より怪奇に響き渡った。

 レドベンは一瞬呆然としたが、すぐにえりを正す。何を考えているのか、バルケーノ以上にわからない人間だが、今はその不気味さが逆に頼もしかった。

「お願いします、ヴァモット様」

 レドベンは一礼する。

 すると、ヴァモットは大金鎚を掲げ、隊列の先頭へと出て行った。



 花火の光と音は、ベガラスクが率いる第四師団がいる戦場からでも確認できた。

 次々と地上へと落ちていく竜騎士たちを見て、魔狼族ワーグも驚いている。一応、事前説明を受けていたベガラスクでさえ、うわあごを上げてぜんとしていた。

 数において不利と考えられてきた第六師団が、あっという間に形勢を逆転させる。

 その鮮やかと言える手並みに、ベガラスクはしっを禁じ得なかった。

「どうしたい、ベガラスクの旦那」

 師団長であり、ヴァロウと同じ魔王の副官であるベガラスクの背中をえんりょに叩いたのは、ザガスだった。第四師団とともに先頭に立ち、中央突破の立役者の一人となった彼は、本隊から離れ、再突撃する機会を待っている。

「貴様!! 師団は違えど、オレはお前の上官だと何度──」

「関係ねぇよ」

「はっ?」

「ヴァロウはヴァロウ……。あんたはあんただ」

「お前──」

「あんたの戦い方は悪くねぇ。バカみたいに突撃していく猪戦術だ。まっ──ヴァロウみたいな陰険野郎にはバカにされるだろうけどな」

「バカバカ言うな、この大バカ者!」

「へへ……。でも、戦場において、そのバカをやるのも時には必要だ。あんたはあんたの仕事をして、胸を張ればいい。さっきも言ったが、あんたの戦い方は嫌いじゃねぇ」

 ザガスは三白眼を大きく開き、にぃと子どものように笑う。

 皮肉から来る台詞ではないことはすぐにわかった。心底嬉しそうに笑うザガスを見て、ベガラスクは少し救われる。思わず尻尾しっぽを振りそうになるが、慌てて止めた。

「ふん! 貴様のように脳に筋肉が詰まっているようなヤツに褒められても、嬉しくないわ」

「かかっ! そいつはお互い様だ」

「それよりもお前……。本隊に戻らなくていいのか? ヴァロウのことはともかく、お前ならあの『竜王』に真っ直ぐ飛びつくかと思ったのだが」

 短い間だが、ベガラスクはザガスの性格を見抜いていた。

 強い者と戦う。そして血の一滴まで絞りつくし、敗北する

 絵に描いたようなめつしゅしゃだ。

 だが、ベガラスクも理解できないわけじゃない。自分にも少しそういう面があるからだ。

 武人としてとことん戦いたい──そんな気持ちがないわけではなかった。そのわびしさすら感じる感情に応えてくれる敵は、この戦場においてバルケーノぐらいだと、ベガラスクは理解していた。

「興味ねぇ」

「ほう……」

「ああいう手合いは何にも考えていないように見えて、頭の中ではごちゃごちゃ考えているタイプだ。そういうのは陰険なヴァロウの野郎にくれてやるさ」

「ふふ……。なるほどな」

「オレ様はあっちで我慢してやるよ」

 ザガスは前を向くと、ちょうど目が合った。

 全身をよろいで覆い、大金鎚を持った男がメッツァー軍本隊の先頭に立っている。

 その大金鎚はテーランの守備隊であったゲラドヴァよりも大きく、その腕は牛一頭ぐらいなら軽く捻り潰せそうな程太かった。

「邪魔すんなよ、ベガラスクの旦那」

「オレの趣味じゃない。あと、その呼び方はやめろ」

「行くぜ!!

 ザガスは笑った。瞬間、ベガラスクの遠吠えが響き渡る。

「かかれぇぇぇぇぇええええええ!!

 互いの指揮官の号令が戦場で弾けた。

 ザガスは走る。その速さは周りを走る魔狼族ワーグに引けを取らない。

 地面をえぐり飛ばしながら、ひたすら獲物を狙った。

 ヴァモットはザガスを目にし、立ち止まる。大きく大金鎚を高々と掲げた。

「来いぃぃぃいぃいいぃいぃいぃいぃいいぃいいい!!

 ヴァモットがれっぱくの気合いを吐き出せば、ザガスもまた棍棒を振り上げて応えた。

 ゴォン! としょうろうをそのままひっくり返したような音が戦場に鳴り響く。

 押し込まれたのは、ザガスの方だった。振りの速度で、わずかに負けたのだ。

 ヴァモットはまるで勝ったように笑う。かぶとの向こうの瞳が怪しく歪んだ。

「お前、人鬼族ワーオーガだな!」

「それがどうした肉団子!」

「昔、お前のような人鬼族ワーオーガおで、やりやったことがある。ぺちゃんこにしてやった」

 ヴァモットは口を目いっぱい裂き、挑発的に笑う。

「おではよう……。一発ってのは嫌いなんだ。じっくりと壊していくのが好きでよ。そいつは足から壊したなぁ。次に手だ。次に腕……あで? 腹だったかな?」

「てめぇの性癖なんて聞いてねぇよ」

「ひぃひぃ息を吐きながら、悲鳴を上げてたぜ。そいつは女の人鬼族ワーオーガでよ。その声がたまらなくそそるんだ。人間の女をぶっ壊してるみたいでよ。そういやあ、なんか名前を言ってたなぁ。ゴドラムさまぁ~ってよ」

……」

「でよ! それ以来、その体験が忘れられなくてよ。反乱軍鎮圧の時、ついやっちゃったんだわ。もう最高でよ。女、子ども、ババア……分け隔てなくやってやっでよ。あの時は楽しかったなあ」

 ヴァモットの兜の下から液が垂れる。ぬらりと光ったそれは、ヴァモットのよだれだった。

「遠目から見ただけだがよ。お前たちの本隊のとこに魔族の女がいるよなあ。あいつはどんな風に鳴くのかなあ…………って、あれ? なんで、おで……押し込まれているんだ?」

 かいげに語っていたヴァモットはようやく気付く。

 先ほどまで自分が押し込んでいたはずなのに、いつの間にか形勢は逆転し、ヴァモットが背を反りながら、ザガスの棍棒を受け止めるような姿勢になっていた。

 そして、ザガスの瞳が鋭く光る。炎のように三白眼が揺らぎ、カァと息を吐いた。

「てめぇ……」

「な、なんだ! この力! 嘘だろ! おではあの人鬼族ワーオーガにだって」

「その辺の雑魚魔族と一緒にするんじゃねぇよ」

「は、はあ??」

「あとな。てめぇはオレ様のげきりんに触れた!!

「な、なにぃ! おでが何言────」

「黙れ、イカれ野郎……」

 ザガスはヴァモットのおおかなづちを軽々と弾く。ヴァモットは弾みで尻餅を付いた。ザガスから漏れ出る殺気に竦み上がり、逃げを打つ。助けて、と手を伸ばしたが、彼に手を差し出す者は現れない。

 代わりに降ってきたのは、鬼が振るう巨大な棍棒だった。


 オレ様の前で、ゴドラムの名前を出すな!!!!


 ぐしゃっ!!

 まるで鉄の塊を潰したような音が響く。

 ザガスの棍棒はヴァモットのかぶとふんさいし、さらにその頭をつぶしていた。

 完全に首が身体の中にめり込む。だんまつの悲鳴はなく、鮮血がザガスの頬にかかるのみだった。

「チッ! 嫌なことを思い出させやがって! バルケーノって野郎と戦っていた方がよっぽどマシだったんじゃねぇか」

 ザガスは頬にべったりとついた血をぬぐうのだった。


 武将ヴァモット討ち死に……。

 その報はメッツァー軍本隊を震え上がらせた。

 ついに戦線は崩壊する。戦場から離脱者が現れたのだ。

 だが、魔狼族ワーグは手を緩めない。敗走を始めた人間を追いかけ、血祭りにしていった。

 総崩れとなった本隊を立て直せるほど、レドベンに武将としての求心力はない。