シュインツの領館で、ヴァロウは執務に励んでいた。

 メトラと一緒に書類の精査をしていると、エスカリナが部屋にやって来る。

 まだ帰っていなかったのか。そんなメトラの厳しい視線をかいくぐり、エスカリナは執務をするヴァロウの机の前に立った。

「ヴァロウ、お客様を連れてきたわよ」

「お客様……?」

「わたくしです……」

 ふらっと執務室に入ってきたのは、ペイベロだった。

 何故か、青い顔をしている。しばらく見ない間に少しやつれたような気がした。

「ペイベロ! あなたまでシュインツに来たのですか? はあ……全く──一体、今誰がルロイゼンを治めているのかしら?」

「気の毒とは思いましたが、兵士長に任せてきましたよ、メトラ殿。それよりも、ヴァロウ様。聡明なあなたなら、何故わたくしがここに来たか、おわかりですよね?」

「ああ……。わかっている。そろそろ来る頃だと思っていた」

 羽ペンを置き、ヴァロウは机に肘を突いて組んだ手に顎を載せた。

 ヴァロウとペイベロはお互い少々不機嫌そうな表情で睨み合う。

 その重い空気を察したのは、エスカリナだった。

「二人ともどうしたの? なんか顔が怖いわよ」

「ないんですよ」

「ああ……。ないな」

 ヴァロウとペイベロは声を揃える一方、エスカリナは首を傾げた。

「何がないの?」

 そしてまた同時に二人は返答する。

「お金です」

「金だ……」

 執務室が静寂に包まれる。一人戸惑うエスカリナの表情は、非常に滑稽だった。

 中庭の木の枝に止まった小鳥たちのさえずりが、まるで人の笑い声のように聞こえてくる。

「へ? お金って……。そんなにヤバいの?」

 エスカリナは尋ねると、ペイベロは烈火のごとくまくし立てた。

「当たり前です! ルロイゼンだけを治めていた時とは違うんですよ。今はシュインツにも、食糧を送っているような状況なんです。しかも、これから一万以上のドワーフを食わせなければなりません。いくら魚でもうけていても、今は完全な赤字なんです」

 必死の形相のペイペロを見て、エスカリナとメトラは彼が何故げっそりとやつれているのか、理解した。そのペイベロのぜっぽうは止まらない。

「そもそも誰ですか? 貴重な魚を大盤振る舞いして、勝手に煮魚にしたのは? 一週間分で考えていたのに、二日でなくなったってどういうことですか?」

「さ、さあ……。それは誰だったかしら。あ! そうだ。わたし、ゴブリンに呼ばれていたんだったわ。じゃ、じゃあ二人とも頑張って!」

 手を振り、主犯は執務室から出て行った。

 ヴァロウは一つ息を吐く。いつの間にか机の側まで詰め寄ってきたペイベロの方を見つめた。

「案ずるな、ペイベロ。これも俺の手の平の上のことだ」

「なら、こうなる前に手を打っておいてくださいよ」

「ペイベロ、控えなさい。ヴァロウ様はあなたの上司なのですよ」

「……失礼しました、メトラ様」

「よい、メトラ。心配するな。すでに手は打っている」

「それでは、その奇策をご教示いただけますか?」

「ああ……。今から行こう」

 ヴァロウは立ち上がった。


 ヴァロウがペイベロを伴って、訪れたのはアルパヤの工房だ。

 背の高い荒ら屋のような工房には、多くのドワーフが詰めている。

 大きな魔導機械の周りで、指示を出し、アルパヤ自身も作業に入って、機械のを締めていた。

「な、なんですか、この鉄のかたまりは……?」

 確かにそう言われても仕方ない代物だった。

 新生キラビムはまだまだ開発が始まったばかり。装甲すらできておらず、大きな魔法鉱石ミスリルの塊から、動力を伝達するための線が伸びているだけだった。

 ペイベロは眼鏡を上げ、ヴァロウを見つめる。鋭い視線には何か恨みのようなものが含まれていた。

「もしかして、最近の兵器開発費がふくらんでいるのって」

「ああ。予算の一部をこちらに回した」

「そういうのは先に言っていただかないと!!

「ペ~イ~ベ~ロ~」

 メトラは再びペイベロに鋭い殺気を放つ。慌ててペイベロは居住まいを正した。

「失礼しました。で──これは何ですか?」

「人類を二〇〇万人殺す兵器だ」

「二〇〇万! ……これが、ですか? とてもそうは見えませんが」

「ああ。それは俺も思う」

 ヴァロウはアルパヤを呼び出す。ドワーフ族の娘をペイベロに紹介した後、進捗状況を尋ねた。

「キラビムの二号機の開発状況はどうだ?」

「まだ二割ってとこかな」

 アルパヤははめていたゴーグルを上げる。

「遅いな。もうすぐ戦さが始まるぞ」

「わかってるよ。でも、ヴァロウから頼まれている件もあるし」

「そっちは?」

「同じくらい……」

「じゃあ、明後日までに進捗を五割まで引き上げろ」

「えええええ……。そんな……」

あれは次の戦いにどうしても必要だ。でなければ、キラビムの開発どころじゃなくなるぞ」

「わ、わかってるよ! はあ~。ヴァロウの人使いの荒さは、人間以上だよ」

「人員は補充してやる。簡単なことなら、その辺でうろついているゴブリンを捕まえて手伝わせても構わない」

「わかった。頑張るよ」

 アルパヤは側で作業をしていたドワーフたちを呼び出す。作業工程の変更を的確に伝え始めた。

 その様子を見ながら、ペイベロは感心する。

「彼女、若いですが優秀ですね」

「ああ……」

 単なる魔導工学マニアだと思っていたが、アルパヤの知識は工程の効率化、品質管理など多岐に渡る。説明もわかりやすいと、他のドワーフからも好評だ。

 人間たちがシュインツを治めていた頃、ドワーフは単なる奴隷でしかなかった。しかし、ヴァロウは違う。アルパヤのような優秀な人材がいないか、シュインツに残っていた過去の作業記録を事細かに精査し、必要であれば本人と面談して、ドワーフのリーダーとして取り立てていた。

 戦費の不足は確かに頭が痛い問題だ。

 だが、ヴァロウはそこまで深刻に考えていなかった。

 金というのは、きちんと経済活動をすれば、大なり小なり手に入れられるものだ。

 が、人材は違う。手に入れたい時に、手に入るものではない。

 優秀な人材は機を逸すれば、他に取られるのは自明の理である。

 今、シュインツには一二〇〇〇のドワーフがいる。

 これだけの数がいれば、必ず優秀な人材が三人ないし五人はいると考えていた。そのヴァロウの読みは当たり、シュインツの生産能力はすでに人間が治めた時よりも、倍増している。

 アルパヤの工房を辞し、ヴァロウとペイベロが次に向かったのは鍛冶屋街であった。

 ヴァロウの姿を認めると、ドワーフたちは頭を下げる。

 鍛冶屋街で働くドワーフたちは、比較的年齢が上だ。

 それ故、権威の恐ろしさを知っている。特に、魔族を裏切ったという気持ちが強いのか、アルパヤたちのような若い世代とは違い、やはりヴァロウたち幹部とは一線を引いていた。

 ヴァロウは近くにいたドワーフを呼び止め、「例のものを見たい」と命令する。すると、鍛冶屋街から少し離れたところへ案内された。

 そこにあったのは、荷馬車の荷台だ。ずらりと並べられ、その中身はすべて布に覆われ隠されている。その布を解くと、ペイベロは「おお」と反射的に声を上げた。

 そこにあったのは、剣、槍、弓、あるいは鎧だった。つまりは武具である。

「これ全部武具ですか? こんなに大量に……。しかも、質も決して悪くない。すごい……」

 ペイベロは感心するが、ふと我に返った。

「いや、ちょっと待ってください。こんなに大量の武具をどうするのですか?」

 ペイベロが尋ねたのも当然である。

 何故なら、ヴァロウが率いる第六師団には十分武器が行き渡っている。援軍でやってきた魔狼族ワーグは武器を使わないから、そもそも必要がない。将来に対する先行投資と考えても気が早すぎるし、むしろ在庫が増えただけで、維持管理費の観点から言って完全な赤字である。

 だが、ヴァロウのことだ。何か意味があると考え、ペイベロはそれ以上口にしなかった。

 やがて最強の軍師は、ペイベロの予言通り口を開く。

「作ったから売る。それは当たり前の経済活動だろ?」

「それは真理ではありますが、買い手がいなければ商売として成り立ちませんよ、ヴァロウ様」

「買い手ならいるさ」

「魔族がった剣など、誰が買ってくれるんです? 魔族の本国が買い取ってくれるのですか?」

「そんな遠くではない。俺たちの目の前にいるではないか」

「目の前…………?」

「しかも、そいつらは戦さのための武器を欲しがっているらしい。何せシュインツに注文していた武器や防具が届かなくなってしまったのだからな」

 ヴァロウは書類をペイベロに見せる。それは人間が残していった武具の発注書だった。

「まさか……」

「そうだ。買い手は大要塞同盟だ」

「て、敵に武器を売るのですか!?

 ペイベロは素っ頓狂な声を上げる。

「ああ……。その通りだ」

「我々に向けられる武器を、我々が売ると……」

「心配するな……」


 すべては俺の手の平の上だ。



「め、メッツァーに武具を売りに行く?」

 エスカリナとメトラの声が執務室に響いた。

 街を見回り、部屋に戻ってきたヴァロウは紅茶を啜る。

 シュインツのほとんどが鍛冶場だ。他の都市と比べて空気が汚く、さらに周りが山であるため風通しも悪い。おかげで街を一回りするだけで、喉がえがらっぽくなってしまった。

 その喉をヴァロウは紅茶で癒やした後、事情を説明する。

「戦費を稼がなければ、この先戦えない。シュインツを維持するのもあるが、第四師団との契約もあるしな」

「お金が必要なのはわかるけど……。いつも通り、お魚を売るだけじゃダメなの?」

 エスカリナの質問に、ペイベロが答える。

「今、小売業で稼げるお金は微々たるものです。それに、そろそろわたくしの素性を怪しむ者が現れ始めました。あまり派手に商売するのはそろそろ控えた方がいいかと……」

「その点、武具は利益が大きい。需要もある。特に今は戦時下だしな」

「にしたって、直近の敵に売るのはどうかと思うわ」

「それには理由があってな────」

 ヴァロウは理由を語った。それを聞き、エスカリナは目を剥く。

 先に聞いていたペイベロもやれやれと首を振り、同じく聞いていたメトラも顔を輝かせた。

「さすがはヴァロウ様ですわ」

「相変わらずえげつない作戦を考えるわね、あなた」

「わたくしも聞いた時はさむがしました。この作戦が成功すれば、もしかしたら戦争そのものが変わるかもしれませんよ」

 ペイベロは眼鏡を釣り上げる。

「でも、メッツァーは危険じゃないの? あそこは大要塞同盟の主都市よ。潜り込むのは容易じゃないわ。まずはヴァルファルを目指すべきじゃ……」

「いや、ヴァルファルはダメだ」

「どうして?」

 すると、ヴァロウは腕を組み、書類に視線を落とした。

 そこにはヴァルファル城塞都市の領主の名前が書かれている。

 ルミルラ・アノゥ・シュットガレン。

 その名前を見て、ヴァロウの顔が少し曇る。

「ヴァルファルには、少々厄介な相手がいる」

「厄介な相手?」

「ルミルラですか……。確かに厄介ですね、彼女は」

 メトラも眉間に皺を寄せる。黙りこくった二人を交互に見つめながら、エスカリナは尋ねた。

「最近、領主になった人だから、わたしは知らないのだけど、ルミルラっていう領主はそんなに厄介な人なの?」

「ええ……。ルミルラは──」

「メトラ……」

「ああ。すいません」

 メトラは慌てて口を噤む。エスカリナは首を傾げるだけにとどめた。

 ルミルラはヴァロウが人間だった頃の教え子だ。その潜在能力はヴァロウも認めるところだった。教え子故に、その弱点も熟知しているが、向こうもヴァロウを知っている。

 戦うなら、メッツァー城塞都市の方が先だと考えていた。

「とりあえず、メッツァーへ行く」

「え? もしかしてヴァロウも行くの?」

「私も聞いてませんよ、ヴァロウ様。ペイベロに任せておけばいいではありませんか」

 メトラは目尻を釣り上げ、反対を申し出る。ヴァロウは首を横に振った。

「いや、さすがにペイベロだけでは荷が勝ちすぎている。能力を疑うわけではないが、今回の交渉は難しいものになるだろう」

「一人で十分──と格好をつけたいところですが、ヴァロウ様の言う通り。少々わたくしには荷が重すぎます」

「それに……。お前が欲を出さないか見張る必要もあるしな」

 ペイベロは商人だ。利があれば、そちらになびく可能性もある。そのお目付役というわけだ。

「ああ……。やはりそういう意味もありましたか。やれやれ。まだ信用されていないようですね。馬車馬のように働いているというのに……」

「では、私も行きます」

「いや、メトラは残ってくれ。あまり大所帯で行きたくない」

「しかし──」

「お前にはきょうおうやくを命じる」

「饗応役!?

「ああ。おそらくだが、俺がいない間、客がここに来るだろうからな」

 ヴァロウは執務室にかかった地図の方を見ると、ある地名に視線を注ぐのだった。



 ヴァルファルに戻った領主ルミルラは、私室の机に座り、考えにふけっていた。

 時間は夜──黄金色に輝く月が空を支配し、月光がルミルラの私室を照らしている。

 その薄暗い部屋で、ルミルラは机に広げた一枚の地図をじっと見つめていた。

 頬杖を突き、時折机を指で叩く。それは長年恋い焦がれた恋人を待っているように見えた。

「決めた」

 突然ルミルラは立ち上がり、私室を出ていく。夜番の兵士に見つからないように館をこっそり抜け出し、向かったのは、スライヤがいるきゅうしゃだった。

 そっと戸を開けると、翼を畳んで休んでいたスライヤが反応する。

 長い首を持ち上げ、ふごっと興奮したように鼻を鳴らした。

「しー」

 ルミルラは指を口に当てて、スライヤを鎮める。

 飛べる? と囁くと、その期待に応えるように飛竜は翼を広げた。

「ありがとう。いい子ね、スライヤは。主とは違って……」

 目を細め、スライヤの鼻頭を撫でた後、鐙を載せ、その背にまたがった。

 首を叩くと、スライヤは走り出す。厩舎を抜け、月がはんとする夜空へと舞い上がった。

 スライヤは首を曲げて、ルミルラに行き先を尋ねる。

「行き先はシュインツよ」

『ぐおおお……』

「そう。今は魔族が支配しているの。でも、会ってみたくなっちゃった」


 私の大好きな軍師と同じ名前の魔族に……。



 メッツァーの衛兵は差し出された通行手形を確認すると、次に本人たちに鋭い視線を送った。

 商人と書かれた通行手形を差し出した二人組の男たちの手には、一切商材のようなものがない。荷馬車すら引いていなかった。

「どこから来た?」

「シュインツです」

 頭に三色のターバンを巻いた長身の男が答えると、たちまち衛兵の顔色が変わった。

「シュインツ……? あのシュインツ城塞都市か?」

「そうです。聞いてくださいよ、衛兵さん。シュインツで商売をしていたら、いきなり魔族が襲いかかってきましてね。命からがら逃げてきたんですよ。おかげで儲けはゼロです。とほほほ……」

 やや芝居がかった動きと語りを聞いて、周りの衛兵たちは「がははは」と笑った。

 人の不幸話が好きなのだろう。妙にいやらしい表情を浮かべ、大笑いしている。

「そういうことか。大変だったな。通っていいぞ」

 衛兵は手で合図を送り、二人組の商人を通した。

「どうも」と胸に手を当て、長身の男がお辞儀し、門を通過しようとしたが。

「きゃあああああ!!

 突如として上がった悲鳴を聞き、二人組の男は振り返った。女と衛兵が何か言い争っている。

 側には子どもがいて、苦しそうに息をしていた。

「お願いです! せめて薬だけでも!!

「ダメだ! お前らはゴドーゼンの住民だろう!? 反乱に荷担した都市の住民は誰も入れるなというお達しだ! 命があるだけでも有り難く思え!」

「そんな! 私は反乱にたんしてません。巻き込まれただけです!」

「関係ない!! そもそもそれを証明できるのか?」

「それは──」

「できないだろう。さあ、行った行った!!

「ダメなんです。早くこの子に薬を与えないと……」

「うるさい!」

 衛兵はとうとう母親に手を上げた。子どもは母親を心配して駆け寄るも、逆にすがりつくように倒れてしまう。その様を見ても、衛兵はふんと鼻を鳴らすだけで、態度を改めようとはしなかった。

「ゴドーゼンからの難民ですか?」

 長身の男が尋ねると、目の前の衛兵は少々めんどくさそうにかぶとを撫でる。

「ああ。反乱後、難民がああしてやってくるんだ。だが、メッツァーでは難民を受け入れていない。彼らは全員反乱軍ということになっているからな。ははっ……。馬鹿な連中だ。お上に逆らっても、なんの得にもならねぇってのに」

 衛兵はししし、とねずみのように背中を丸めて笑う。

「さ! あんたらはあっちだ。行け」

「はい。ありがとうございます。行きましょう、ヴァロ──じゃなかったヴァル

 長身の男が振り返る。だが、すぐ後ろに控えていたはずの連れの姿が消えていた。

 辺りを見回すと、先ほど衛兵といざこざを起こした親子の側に立っている。

 倒れた女を起こし、子どもの病気の具合をていた。

「この薬を飲め……。後は十分な栄養を取れば持つはずだ」

 連れは硝子がらすびんに入った薬と、パンを衛兵たちに見えないように渡す。

「足りないようなら森に行け。今の時期の獣は大人しいから、襲われる心配はない。マザランというブツブツとした赤い実が食べられるだろう。それで飢えをしのげ」

「あ、ありがとうございますありがとうございますありがとうございます」

 母親はぶわっと涙を流し、念仏でも唱えるように感謝の言葉を繰り返した。

 人間の感情が激しく露わになっても、男の表情は変わらない。

「衛兵に見つからないように早く隠せ。そら! 早く行け──」

「ありがとうございます。ありがとうございます」

 母親は言われた通り、薬とパンを隠す。子どもをかつぎ、メッツァーの城門から離れていった。

「お前、今あの親子に何をした」

「ヤツらは反乱に荷担した者たちだ。ヤツらを助けるなら、反乱に荷担したのも同然だぞ」

 衛兵たちは男に槍を構える。

 すると、男は振り返った。ヘーゼル色の瞳を光らせ、衛兵たちを睨む。

「「「「────ッ!!」」」」

 瞬間、衛兵たちは凍り付いた。自然と槍を持つ手が震え、顔が引きつりそうになるのをなんとか堪える。入城を待っていた他の人間たちも妙な緊張感を察した。異様な雰囲気に飲み込まれると、否応なく沈黙に支配されていく。

「これは失礼しました」

 沈黙を打ち破って、衛兵の前に現れたのは、長身の男だった。

「うちの連れが大変失礼をば……。ここはどうか、これで──」

 長身の男は衛兵の手をギュッと握ると、衛兵は満足そうに顔を歪めた。

「ふん! 気を付けろ! とっとと行け!!

 手で追い払う。長身の男は連れの手を引き、ようやく市街地の方へと歩き出した。

 幅の広い城門を歩きながら、長身の男はおもむろに口を開く。

「危ないことをなさりますね。気持ちはわかりますが、それは偽善というものです。お忘れですか、反乱をあおったのは我々なのですよ」

「…………甘い、と思うか? ペイベロ」

「いえ……。ただ時々、あなたが人間のように見えて仕方がない。そうやって、角を隠しているお姿を見ると、特に……」

「…………」

「ザガスさんや、あのベガラスク師団長は、きっすいの魔族だと思います。ですが、あなたとメトラさんはどこか違う」

「そうか……」

 ヴァロウはそれだけ行って、城門をくぐる。

 瞬間、わっと押し寄せるような人の声が耳朶を打った。

 所狭しと人が溢れ、露店が並び、盛況な声が響いている。人、人、人だ。城門近くにまで店が並んでいる。普通は警備の関係上、どこの城塞都市も城門近くの商売は許されていない。住居も同じである。それでも堂々と露店が並んでいるところを見ると、衛兵に金でも握らせているのだろう。そもそも買い物している者の中には、衛兵の姿がある。わいが横行していることは明らかだった。

 これが大要塞同盟しゅメッツァーの姿だった。

 人口はおよそ四八〇〇〇人。対してその面積は、さほど広いというわけではない。同盟都市の中では大きいが、三万人を超える都市の中では小さい方だろう。人口過密はきっきんの課題だ。

「相変わらず、人だらけですね」

「メッツァーに来たことがあるのか?」

「元々上得意様ですからね、メッツァーは。あ……。でも、私のつては諦めてくださいよ。お上の息がかかってますからね」

「わかっている。最初から当てにしていないから心配するな」

「商人として、その言い草は若干傷つきますな。……それで、ヴァロウ様。これからどこへ行かれるのですか? メッツァーは初めてとのことでしたが」

 メッツァー城塞都市は比較的新しい都市だ。

 軍師時代のヴァロウがルロイゼンを攻略した後に、ルロイゼンよりも利便性がよく、大きな要塞を作る構想が持ち上がった。そうして造られたのがメッツァー城塞都市である。

 最初期こそただの要塞で、四万人も住めるような都市ではなかった。

 最前線が上がったことによって、きょうとうとしての有用性が下がり、移民を募るたびに、拡充してきたのだ。

 その名残がメッツァー城塞都市を代表する三枚の城壁である。

 先ほどくぐった城門のさらに内側に、二枚の城壁がほぼ等間隔に配置されている。

 これはメッツァーを守るためではなく、都市の発展とともにできあがったものだった。

「ルロイゼンの三段城壁と比べると見劣りはしますが、メッツァーの城壁もなかなか壮観ですね。あの壁は厄介ですよ、ヴァロウ様。どう攻略するつもりですか?」

「攻略はしない」

 ペイベロの質問に、ヴァロウは簡単に切って捨てる。

 肩すかしの返答にペイベロが目をしばたたかせると、ヴァロウは補足した。

「少数は我らの方だ。メッツァー軍がろうじょうするとは考えにくい。それにここの領主がそれを良しとしないだろう」

「メッツァー城塞都市領主バルケーノ・アノゥ・シュットガレン。別名『竜王』ですか。昔は猛将と名を馳せた竜騎士だそうですが……。確かに籠城は考えにくいですね。しかし、メッツァーには竜騎士部隊がいます。野戦で勝つのは難しいですよ」

「そのために、ここに来たのだ」

 ヴァロウの言葉は力強い。そして負けることを微塵も感じていない様子だった。

 すると、ペイベロは不意にぶるりと背筋を振るわせ、二の腕をさする。

「ヴァロウ様、先ほどから妙な気配がするのですが、わたくしの勘違いでしょうか? 誰かに見られているような……。まさか見張られている?」

 ペイベロは後ろを振り返るが、誰もいない。ちょうど今二人は、大通りから外れた裏路地を進んでいた。荒ら屋が並ぶ下町の一角で、比較的薄暗い通りが続いている。

 その暗く、静まり返った通りを見て、ペイベロは思わず息を呑んだ。

「心配するな。追っ手はない」

「では、わたくしの勘違いでしょうか?」

「いや、あながち間違ってはいない」

 ヴァロウもまた誰かに見張られているような感覚を感じていた。しかし、それはヴァロウたちだけに向けられたものではなく、街全体が見張られているような感覚に近い。

(大きな覇気のようなものを感じる。まるですべての領民を包むような……)

 これが『竜王』バルケーノか、一人心の中で呟く。

 ヴァロウはバルケーノの現役時代を知っている。勇者のような特異な能力はなかったが、猛将という言葉にふさわしく、鬼神のように魔族を打ち払い、十万の魔族を蹴散らした。

 メッツァーから感じるが、本当にバルケーノのものであるなら、いまだその力は衰えていないということになるだろう。

 とはいえ、猛将一人いても、戦略と戦術の前には無意味──というのが、ヴァロウの持論である。

 たとえ、バルケーノがどんなに化け物であっても、決して自分の手の平からは逃さない。

 ヴァロウにはその自信があった。



 バルケーノ・アノゥ・シュットガレンは、宮殿ブロワードでもっとも高い位置にあるバルコニーに立ち、メッツァーの街を見下ろしていた。

 鼠色の髪と、こんのマントを揺らし、テラスに両手をついている。

 目をかっと開き、街を眺めているというよりは睨み付けていた。

 その口が突然開き、歯茎を剥き出す。力を入れすぎたのか、口の奥で歯が欠けたような音を鳴った。

「ここにいましたか、閣下」

 殺気に近いオーラを纏う領主に声をかけたのは、参謀兼大臣のレドベンだった。

 早速、持っていた書類を捲り、最新の情報を報告しようとする。

 だが、その前にバルケーノが口を開いた。

「鼠が入り込んでおるぞ」

「はっ?」

「出るぞ」

「え? いや? どこへ?」

「決まっておろう……」


 戦場よぉ……。