窓にはドワーフとゴブリン、足元のスライムが身体を伸ばして、鍋を覗き込んでいた。
どうやら、醤油の香りに引かれたらしい。再び厨房の人口密度が一気に上がる。
「ああ! もう! お料理させてよぉおおおおお!!」
小一時間後──。
「はい。煮魚ができたわよ」
シュインツの中央広場に並べられたテーブルの上に、濃い飴色に染まった煮魚が置かれた。
海藻出汁をベースに、醤油と砂糖で味付けしたスープ。
そこにキラキラと皮に照りが入った煮魚が姿をさらしている。身は見た目からわかるほど、ふっくらとしてプリプリ。白い湯気を吐き、一緒に添えられたお頭と尾ひれは、迫力満点だった。
何より匂いが堪らない。醤油の香ばしい匂いが出汁と混ざったことによってまろやかになり、代わりにつんと生姜の匂いが勢いよく鼻腔の中へと滑り込んでくる。
「「「おおっ!」」」
煮魚を待ち望んでいた魔族たちは思わず歓声を上げた。
「こいつはいい匂いだ!」
「ふん。やるではないか、娘。褒めてやる」
「うわぁぁぁぁ……。おいしそう」
「こんなの王きゅ──魔王城でも見たことがないわ」
エスカリナが作った煮魚を、魔族たちは褒めちぎる。
対して、シェフ──エスカリナはややげっそりとやつれていた。
「見た目だけじゃないわよ。味も保証するわ。あ、そうそう。これを食べる時は、これを使ってね」
エスカリナが差し出したのは、この辺りで使っている〝箸〟という食器だった。
「あんたたち、魔族は手掴みで食べるでしょ。文化の違いだから仕方ないけど、それじゃあ味気ないと思うのよ。衛生上よろしくないし。手とか毛とかに醤油の匂いを付けて戦場に言ったら、敵に笑われるわよ。だからね。こうやって身をほぐして、ゆっくりじっくり味わって食べて」
エスカリナは器用に箸を動かし、飴色に染まった身をパクリと食べた。
うん、おいしい! と満足げに微笑む。その顔を見て、魔族たちはごくりと唾を飲み込む。
それでもザガスやベガラスクは箸を使うことを嫌がるが、とにかく食べてみてという、エスカリナの熱意に押され、渋々箸を握った。
「ちっ! めんどくせぇなあ」
「ザガス、持ち方が違うわ。人差し指はこう──」
「む! こうか?」
「そうそう。……ベガラスクさん、うまいじゃない」
「ふふん。これでもオレは魔王様の副官だからな」
「こっち見て笑うな、狼野郎」
「な! ザガス、お前! オレはこれでもお前よりも──」
「はいはい。食べ物の前で争わないの! 早く食べないと冷めちゃうわよ」
睨み合うザガスと、ベガラスクの間にエスカリナが割って入る。
「ちっ! 覚えてやがれ」
「お前こそな」
食べ物のため──しかもおいしい煮魚と言われて、二人は素直に手を引く。悪戦苦闘しながらようやく摘まみ上げると、白身がぶるりと震えた。魔族に恐れを成しているかのようだ。ザガスは癖なのだろうか。いつも通り大きく口を開けて、小さい白身を頬張る。
「むうぅ……!!」
先ほどまで不機嫌だった
表層に表れたのは、驚きだった。まるで狐につままれた子どものような顔をしている。
「どう? どう? ザガス?」
エスカリナがニヤニヤしながら、感想を尋ねた。
「うめぇ……」
ザガスはエスカリナの方を見ると。一言呟く。短い言葉の中に確かな実感がこもっていた。
戦さしか知らない魔族が、明らかに食べ物で感動している。
エスカリナも、その意味を知って少し感動してしまった。
一方で、ザガスの間の抜けた顔を見たベガラスクは笑う。
「くはははは……。鬼すら言葉を失うか。興味深い。それほど、うまいものなのか」
ベガラスクもまたパクッと上顎を開き、醤油色に染まった白身を舌の上に載せた。
…………。
…………。
…………。
ベガラスクは沈黙した。黙り込んだまま一口、二口、と箸を運ぶ。
しかし、決して「うまい」とは口にしない。
ベガラスクは夢中で煮魚を堪能する。その様を見て、エスカリナはすべてを悟り、小さくガッツポーズを取った。無力な人間が、魔王の副官に料理で勝利したのである。
「私もいただいていいかしら」
「どうぞ、メトラさん」
メトラも煮魚に箸を付ける。白身を頬張ると、幸せそうな表情を浮かべた。
「うううううううううんんんんんん……」
熱々の白身はふっくらとしていた。
ぱさつく感じはなく、ルロイゼンから持ってきたとは思えないほど、新鮮な食感を与えてくれる。
その白身をギュッと奥歯で噛んだ瞬間、口の中に染み渡る旨みがまたたまらない。
醤油ベースの甘みも程よく上品だ。おそらく出汁の味だろう。匂いと同じくまろやかな仕上がりになり、舌を包むように刺激する。
宮廷に長く暮らしていたが、こんなにおいしく、品格を兼ね備えた料理は初めてだった。
「くやしいけど、おいしいわね、これ」
「やった! メトラさんの舌を唸らせたら本物ね」
「おいしいよ、お姉さん。生姜も効いてるし」
「アルパヤちゃんだっけ? ありがとう」
アルパヤも満足したらしく、骨の周りについた白身をほじくり返して、口に入れている。
煮魚は他のドワーフや魔族にも振る舞われた。シュインツの整備に当たっていたゴブリンやスライムも、手を止め、頬張る。下級の魔獣たちもピョンピョンと跳ねて喜び、補給部隊の兵士たちもまったりとした顔で、新作魚料理に
エスカリナは大忙しだったが、喜ぶ魔族たちの姿を見て、疲れを吹き飛ばす。
煮魚は完売し、魔族たちは満足げに、中央広場で腹を出して寝っ転がった。
そこへヴァロウが遅れて到着する。
「ヴァロウ様、これを……」
メトラは残しておいた皿をヴァロウに差し出す。
「ああ……。例の煮魚か」
「食べてみて、ヴァロウ。おいしいわよ」
エスカリナから差し出された箸を受け取り、ヴァロウは煮魚を摘まんだ。
普段はあまり動かないはずの眉がピクリと動く。少年のような顔をして驚いていた。
「うまい……」
「ありがとう。これだけ盛況なら、従軍して補給部隊の料理長にでもなろうかしら」
「…………」
「あ、あれ? 否定しないの、ヴァロウ」
「……悪くないかもな」
ヴァロウの口元に一瞬だけ笑みが浮かんだ。