「行きましょう、スライヤ」

 スライヤは鋭くいななくと、南へと向かうのだった。


 東の空が白々と明るくなり始めていた。

 ルミルラが合図を送ると、スライヤは徐々に高度を落とし始める。

 薄い雲を抜けた直後、四方を大きな城壁で囲んだ大都市が現れた。ヴァルファルとは違い、所狭しと建物が密集し、特徴的な三重の城壁が空からならはっきりと見える。その中央には、本国のリントリッド城にも負けず劣らず、大きな宮殿がそびえていた。

 大要塞同盟主都市メッツァー。その宮殿ブロワードだ。

「今日は天気がいいから、街がよく見えるわね、スライヤ」

 ルミルラはまたスライヤに合図を送り、朝の空気を切り裂きながら宮殿ブロワードへ真っ直ぐ降下していく。その速度はたかのスピードを超え、さらに伸びていった。今にもブロワードにぶつかりそうになった瞬間、ルミルラは素早く手綱を引く。スライヤの巨体が大きく反り返ると、急減速した。

 一度大きく羽ばたき、減速の衝撃をやわらげると、ブロワードの大きなテラスに降り立つ。

「ここで待ってて、スライヤ」

 ルミルラはスライヤの首を軽く叩く。愛竜は『があ!』と嘶き、翼を畳んだ。

 最後に手を振り、別れると、ルミルラは宮殿の中へと入っていく。

 そこへ何事かと思った衛兵たちが集まってきた。

「ルミルラ様!?

「スライヤにやみに近づかないようにね」

 慌てて敬礼する衛兵に敬礼を返し、ルミルラは宮殿の奥へと入っていく。角を曲がれば父の私室という場所で、唐突にその動きが止まった。

 藍色の髪に、色白の肌。珍しい三角縁の眼鏡を掛けた男がイライラした様子で立っている。

 軍服を着ているが、身体が細すぎて、あまり軍人らしくはなかった。

「おはよう、レドベン。もう起きてたの?」

「ルミルラ様、宮殿に直接飛竜を乗り付けないでくださいと、先日もお願いしたはずですが!」

「どうして? ブロワードにだって飛竜はいるでしょ」

 ルミルラは笑顔でかわそうとするも、あまりうまく回避できなかったらしい。

 レドベンは眼鏡を釣り上げ、こめかみの辺りをピクピクと動かした。

「父は? もうとっくに起きてるんでしょ? 年を取るごとに、朝が早くなるのだから」

「その前に、その衣装をどうにかしてください。いくら親族とはいえ、バルケーノ様はメッツァーの領主です。村人のような服装を着て、謁見できるような方ではないのですよ」

「はいはい。わかりました。ただ……ドレスだけは勘弁してよね」

 ルミルラはやれやれと首を振り、衣装室へと連行されていった。



 宮殿ブロワードにある会議室にて、メッツァー領主バルケーノは人を待っていた。

 時折、空を見上げる。強い朝日に目を細め、雲一つない青空を望んだ。少し奥歯を噛みながら、左足をさするような仕草をする。膝から先に足はなく、まつな義足が付いていた。

 バルケーノ・アノゥ・シュットガレンは、元々【竜騎士】であった。

 空を駆け抜け、魔族や魔物たちを相棒と共にほふってきた。

 その功績は凄まじく、一度の空戦における撃墜数はいまだ抜かれていない。

 しかし、どんな達人でもいつかは技が衰えるものである。

 足の怪我はそのいましめでもあった。

 それでも、身体は今でも現役さながらだ。七十に手が届こうかというろうとは思えないほどじょうで、胸も厚い。戦地から離れて十年。その覇気はいささかも衰えていなかった。

 バルケーノは灰色の髪を撫でながら振り返り、少々苛立たしげに長い髭を撫でる。

 ノックが聞こえた瞬間、ギョロリと大きな目が頬の傷と一緒に動いた。

 ゆっくりと椅子に腰掛け、落ち着きを払った後「入れ!」と大声を上げる。

 ようやく娘が会議室に姿を現すも、まずバルケーノの心に浮かんだのは疑念であった。何故なら、ルミルラが着ていた服装が華やかなドレスではなく、武骨な軍服であったからだ。

「なんだ、その恰好は?」

「ドレスがイヤだといったら、これを着るように言われました」

 バルケーノは「はあ」と息を吐く。

「お前、もうすぐ三〇だろ」

「いきなり女に年の話をするのは、ではありませんか、お父様?」

「結婚していても不思議ではないはずだ。もう少し女らしくしたらどうだ?」

「お父様が睨みを利かせている限りは、誰も寄ってきませんわ」

 またバルケーノは盛大にため息を吐く。竜で乗り付けたこと。服装のこと。いまだ独身であること。言いたいことは山ほどある。しかし領主同士の会議の場であるはずなのに、家族会議のような始まりになってしまったことを、バルケーノは密かにいた。

「座れ……」

 バルケーノの指示を聞き、ルミルラは自ら近くの椅子を引いて着席する。

 正面に座った娘をえた後、バルケーノはゆっくりと切り出した。

「呼び出された理由はわかっているな?」

「お婿むこさんを紹介してくれるという雰囲気ではなさそうですね」

「ふん……。南──ルロイゼンの悪魔どもの話だ」

「反対です」

「まだ何も言ってないぞ?」

「魔族と戦争をするとおっしゃりたいのでしょ?」

「…………」

「ゴドーゼンとテーランで起こった反乱は鎮圧されましたが、まだ両都市の戦後処理がまだ終わっていません。本国からまだ代官すら来ていない状況で、開戦に踏み切るというのはいかがなものでしょうか?」

「この反乱が、悪魔どもが仕組んだことでも、お前はそう言えるのか?」

「反乱が仕組まれたことと? 一体、何を根拠にそんなことを仰っているのですか?」

「根拠はない。だが、ヤツらに時間を与えてしまったのは事実だ。反乱を鎮圧するのにかかった一月半……。我らはヤツらに何もできなかったのだからな」

 そこでルミルラも気付いたらしい。ハッと顔を上げ、顎に手を置いた。

 思索にふける娘を見ながら、バルケーノは説明を続ける。

「出し抜かれたのかどうかはさておき、この間に戦力が増強されておれば、悪魔どもは一転攻勢に出てくるだろう。シュインツか、それともお前のヴァルファルか。一気にメッツァーを攻めてくるという可能性もある」

「では、軍の態勢を整えてからでも……」

 反乱軍の勢いは凄まじく、死兵となって同盟軍に襲いかかってきた。

 おかげで一五〇〇〇の三都市同盟軍でも、鎮圧に一ヶ月以上かかってしまった。

 投石などによって武具が歪み、いまだ全軍に武器防具が行き渡っていない。加えて久方ぶりの人類同士の小競り合いに、精神的に病む兵が続出したが、そのケアも、必要な兵数も揃えられていない有様だった。

 それでもバルケーノは、ルロイゼンの魔族たちを叩くと主張し、ルミルラは断固反対した。

 親子共々、一歩も退かず、議論は平行線を辿る。

「どうして、お前はそう頑ななのだ! 魔族は敵だぞ! 今すぐ叩くべきだ」

「それはわかります。ですが、まだ反乱の余波が収まらないうちに──」

「ルミルラよ。お前、魔族と戦いたくないのではないか? よもやまだあの男の絵空事に囚われているとは言わせんぞ!!

「────ッ!!

 今まで的確な反論を展開してきたルミルラの口が、急停止する。

 娘の唇がギュッと閉まるのを見たバルケーノは、さらに追い打ちをかけた。

「まさかとは思うが、ルミルラよ。いまだお前が独身でいるのは、あの男がまだ頭の中にいるからではなかろうな?」

「それは違います!!

 ルミルラは否定したが、バルケーノは信じなかった。

「あの男はダメだ! あれは裏切り者だぞ!!


 ヴァロウ・ゴズ・ヒューネルは! 我ら人類を裏切った!!


師匠は────」

 ルミルラは大きく息を吸い、反論を展開しようとした矢先、大きな音を立てて会議室の扉が開いた。

 レドベンが肩で息をし、額には玉のような汗を浮かべて現れる。

「何事だ、レドベン! 会議中だぞ!!

「も、申し訳ありません、閣下。火急の知らせが入りましたゆえ」

「なんだ? 申してみよ」

「はっ……。報告をそのまま読み上げます」


 シュインツに敵、来襲せり! 至急援軍を請う。


「なっ!」

 ひゃくせんれんのバルケーノですら、息を呑んだ。

 対面のルミルラも口を開けたまま固まっている。

 一瞬金縛りにかかったバルケーノだったが、一旦顎の髭についた汗を拭った。

 少し間を置いて、気持ちを落ち着けた後、バルケーノの鋭い視線がレドベンを捉える。

「敵、とはなんだ? 反乱軍の残党か?」

 レドベンは報告書から顔を上げ、三角縁の眼鏡の奥から強い眼光を光らせた。

「違います、閣下。……魔族です」



 ヴァロウの眼前に、シュインツ城塞都市が広がっていた。

 その城壁の上では、兵士たちが慌ただしい様子で、防衛の準備に入っている。

 一方、ヴァロウの後ろには、魔物、あるいは魔族が控えていた。

 久方ぶりの戦さに心を踊らせ、爪や牙をいでいる。

「ヴァロウ様、作戦は?」

 補佐のメトラが尋ねると、ヴァロウは表情一つ変えず、こう告げた。

「作戦は────ない……」


 ひねりつぶせ……。


「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」」

 ときの声が上がる。

 いよいよヴァロウ率いる第六師団が大要塞同盟に牙をくのだった。



 敵軍来襲の報を聞き、シュインツの駐屯兵たちは、たちまち城壁に集まり、守備を固めた。

 遠くの方で薄く土煙が上がっている。その下には異形の者たちの姿があった。先頭を歩くゴブリンが手にしていた旗には「角」の紋章が描かれている。

 見たことのない旗印に、もうりょうの軍団。

 数も駐屯兵が一四〇〇にも満たないのに対し、相手はおよそ倍の数である。

 駐屯兵たちがすくみ上がるのも無理はなかったが、それでも指揮官は兵たちを鼓舞した。

「恐れるな! 確かに相手の数は倍数だ。だが、我々には数々の兵器がある!!

 ざっと布を取り払った瞬間、城壁の上に大きなきゅうが現れた。

「ここにある兵器! そしてシュインツが誇る城壁! これさえあれば、たとえ三〇〇〇の兵だろうと恐るるに足りん! 五日……いや、三日だ! 三日待てば、必ず他の同盟都市から援軍が来る! それまでなんとしても、このシュインツを死守するのだ!!

「「「「うぉおおおおおおおおお!!」」」」

 竦み上がっていた兵たちが猛る。

 いよいよ対決の機運が高まり、両軍はぶつかり合うことになった。

 魔族軍は隊を分けるわけでもなく、南門へ向かって前進してくる。徐々にシュインツ城塞都市との距離が詰まり、地鳴りの音が大きくなっていった。

 もうもうと舞い上がった砂煙の中に、異形の軍団の姿が消えていく。

「単細胞生物どもめ! ただ闇雲に前進するだけで、このシュインツを攻略できると思っておるのか! ──構えよ!!

 攻撃の第一陣である弓兵たちが弓を引く。大弩弓の準備も終わり、指揮官の合図を待った。

 射程内に入っても、指揮官は命令を下さない。よく引きつけ、最大効果範囲を狙う。

「はなてぇえええええええ!!

 怒声が響く。綺麗な放物線を描き、矢の雨が魔族たちがいるとおぼしき土煙の中へと消えていく。

 さらに大弩弓が異形の軍団の中心に向かって放たれた。大型の魔物ですらく大きな矢尻は、着弾した瞬間、新しい土煙を生み出す。

「がはははははは!! 思い知ったか、悪魔め! 弓兵、射続けよ! たっぷり矢を食らわしてやれ! 工兵部隊! 次弾だ! 弩弓の準備を急がせよ!!

 指示を出す。だが行軍の地鳴りは収まらず、さらに土煙が近づいてきていた。

「ま、魔族の勢い──止まりません!!

「チッ!!

 直後、土煙の中から矢が現れた。

 側にいた兵の眉間を貫く。兵からたちまち生気が失われ、ぐったりとして腕を下げた。

「────ッ!」

 指揮官は目を剥いた。

 攻城戦に際して、弓を使うのは定石である。だが、高いところから射かける矢に対して、下から射かける矢はどうしても威力が減衰する。さらに地上の弓兵は城壁の上から放たれる敵兵の矢を避けるために、射程ギリギリまで下がる必要があった。以上の理由から、下から射かける矢はさほど怖くない。無視してもいいレベルなのだ。

 しかし、今シュインツ城塞都市の駐屯兵を襲う矢は違う。

 十分人を射殺せる威力を持っていた。

 考えられる理由は二つだ。射手の実力か。犠牲覚悟で近くから放っているかのどちらかだろう。

 次々と弓兵たちが魔族側の矢のじきになっていく。狙いこそあまり定まっていないが、数が違う。

 こちらの一本に対し、相手は二本応射してくる。しかも、こちらの矢に全くひるむ様子がない。

(この状況下で、一体どんな射手が弓を引いておるのだ!)

 指揮官は頭を低くしながら、そっと下を覗き込む。

 土煙のあいから見えた異形の姿を見て、再び指揮官は叫んだ。

「スケルトンだと!!

 スケルトンが城壁の正面に平然と立って、上にいる敵兵に射かけている。

 その距離は近く、こちらの弓の射程に入っていたが、構うことなく応射していた。

 それもそのはずスケルトンには刺突攻撃が効かない。矢も例外ではなかった。そのため城壁の近くから射かけることができるので、威力のある矢が放てるのだ。

 いよいよ指揮官が立っている場所にも矢が飛んでくる。こめかみの横をかすめると、慌てて頭を引っ込めて、かぶとを被り直した。

 指揮官の受難はそれだけに収まらない。

「城壁に取り付かれました!」

「う、狼狽うろたえるな! ヤツらには梯子はしごこうじょうもない! この城壁を上ることなど不可能だ!!

 そうだ。上から見る限り、魔族どもはまともな攻城兵器を持っていなかった。

 じょうついを仕掛けてくる雰囲気も、魔法に強いリッチを前面に押し出して、炸裂系の魔法で城門を破壊する様子もない。

(城壁を突破されぬ限り、シュインツが落ちることはありえぬ!)

 心の中で力強く──しかし神にでもすがるように──断言する。

 だが、指揮官の展望はもろくも崩れ去る。敵に背を向けた直後、指揮官の背後に大きな影が現れたのだ。



 シュインツの駐屯兵たちが思わぬ苦戦を強いられている頃、第六師団師団長ヴァロウは、後方から戦況を眺めていた。

 彼の側にはメトラしかいない。ルロイゼンの駐屯兵を除き、今あるすべての戦力を投入して、シュインツを落としにかかっていたからだ。

「弓兵にしたスケルトンは効果抜群ですね、ヴァロウ様」

 魔族軍有利と見たメトラの声は明るい。だが、ヴァロウはいつもの無表情を決め込んでいた。

 戦況はいつもヴァロウの手の平の上だが、油断は禁物だ。

 極々たまにではあるが、戦場ではヴァロウですら及びもつかない奇跡が起こることがある。

 戦さのなかにおいて、油断こそ最も考慮しなければならない大敵なのだ。

「スケルトンの魅力は刺突攻撃に対して強い点だ。攻城戦では、その強みを存分にいかせる」

 攻城戦において、重要になるのは飛び道具だろう。特に矢は攻城戦において一番の主戦武器となる。だが、その弓矢がスケルトンには通じないのだ。

 そのため城壁の近いところで放っても問題なく機能し続けていた。

「さすがに弩弓にはやられているようですが」

「問題ない。弩弓は連射ができない。その前に、俺の第二部隊が城壁を突破するはずだ」

「〝俺の〟だなんてあの方が聞いたら怒りますよ」

 メトラはクスリと笑うが、ヴァロウは訂正しない。

 静かに戦況を見つめるのみだった。



 それはまさしく疾風はやてのようにやってきた。

 垂直に立つシュインツの城壁をいとも容易く駆け上り、城壁の上に踊り出る。陽の光を背にしてシュインツの駐屯兵たちを睨み付けた。

 一対の紅蓮の光が炎のように揺らぐのを見て、兵たちはたちまちすくみ上がる。

「何をしている! 槍兵、討ち取れ!」

 指揮官は腰が引きながらも、げきを飛ばす。

 城壁で待機していた数名の槍兵が、現れた魔族を見上げた。

 それは白銀の魔狼族ワーグだった。他の魔狼族ワーグよりも一回り大きく、一切の武器防具を纏っていない。それなのにスケルトンの攻撃によって城壁からの矢の勢いが落ちたと見るや、この魔族は矢の雨が残る戦場を突っ切り、城壁まで無傷で上ってきたのだ。

 たちまち槍兵たちが、魔狼族ワーグを囲む。やや唇を震わせ、槍の先を向けた。

 すると、魔狼族ワーグは爪の先で耳を掻く。

「やれやれ……。ヴァロウの野郎はこんなヤツらに手こずっていたのか?」

「かかれ!!

 指揮官は号令を飛ばすと、一斉に槍が白銀の魔狼族ワーグに向かって伸びる。

 槍の切っ先が魔狼族ワーグの柔らかな毛に触れた瞬間であった。

 白銀の魔狼族ワーグが爪を広げ、ぐるりと回転する。直後、血しぶきが上がった。

 魔狼族ワーグを襲った槍兵たちの首から鮮血が吹き出す。