ルロイゼン城塞都市は、ここしばらく穏やかな日々が続いていた。

 最前線は遠く彼方。テーランを中心に起こった内乱も、今のところ影響はない。

 重税を課すあくとく領主も二ヶ月ほど前に排除され、船を使った交易によって経済活動も再開された。市中はにぎわい、絶望のふちに立たされた領民たちの顔に笑顔が戻りつつあった。

 普通に暮らせるという幸せを噛みしめていた民だったが、いよいよ戦火の足音を聞くことになる。

 かつてルロイゼン城塞都市は人が治める都市だった。だが、今は違う。

 難攻不落のルロイゼンをたった三人の魔族と、二百匹のスライムを以て占拠し、テーランの重戦士部隊、さらには勇者ステバノスを退けた魔王の副官が治めていた。

 そしてついに、その真の領主が魔王城ドライゼルから帰還したのだ。

「おかえり、ヴァロウ!」

 弾けるような笑顔と共に迎えたのは、ルロイゼン城塞都市の元領主の娘エスカリナだった。

 人魚たちの出迎えの唄を聞いて、走ってきた彼女はヴァロウに抱きつく。

 再会を喜ぶ習慣とわかっていても、ヴァロウの秘書メトラは眉を動かさずにはいられなかった。

 習慣とはいえ、ちょっと行き過ぎのような気がしたからだ。

「メトラさんもおかえり!」

 エスカリナは、ヴァロウと同じようにメトラにも抱きつく。

 メトラの頬がポッと赤く染まった。一瞬、呆然とするも、すぐに意識を回復させる。

「ちょ、ちょっと! あなたね! しゅくじょたるもの、もう少していせつをもって……」

「淑女? 貞節? ヴァロウもそうだけど、時々あなたたちって、人間っぽいことを言うよね」

 エスカリナは身体をくの字にして笑う。それを見て、メトラはむっと頬をふくらませた。

「ザガスもお疲れ様」

 ヴァロウの背後にいた二本角の人鬼族ワーオーガに声をかける。

 エスカリナは腕を広げて労おうとするが、その前にザガスの大きな腕に阻まれた。

「馴れ馴れしくするな、人間……。食っちまうぞ」

 さすがのエスカリナも魅力では勝っていても、力では負けてしまう。

 肩をすくめて、握手でもするようにザガスの腕に手を置いた。

「相変わらずね、ザガスは……。まあ、元気そうだからいいけど」

「何か変わったことはないか?」

 早速とばかりにヴァロウは質問する。海岸からルロイゼン城塞都市へと歩き始めた。

「もう……。世間話ぐらいさせてよ、ヴァロウ。まあ、あなたらしいけどね。とりあえず、急を要することは何もないわ。あなたの大好きな紅茶でも飲みながら、じっくり土産話を聞かせて」

「……ああ、そうだな」

「まったく……。ヴァロウの紅茶好きは筋金入りね。ちょっと引き合いに出すだけで、態度をコロっと変えるんだから」

「船の中では紅茶が飲めないからですよ」

「なるほど。そういうことか……」

 メトラの言葉に、エスカリナはポンと手を打つのであった。



 久しぶりのルロイゼン城塞都市は活気づいていた。

 ヴァロウが魔族としてこの都市を占拠した頃とはまるで違う。

 民衆の顔に、人間としての輝きが戻っていた。

 ヴァロウが提案した船による交易も順調のようだ。ペイベロが積極的に船で海に出て、物資を運んでくるらしい。おかげで城塞内の市場は盛況だった。これまで聞けなかった威勢のいい売り子の声が、市場から離れた教会の二階にまで聞こえてくる。

 特にヴァロウの目についたのは、城塞都市内のインフラだ。所々穴が開いていた三段城壁や、割れた石畳などが綺麗に整備されている。雑草が生え、浮いた石畳のせいで馬車も満足に通れなかった大通りもそうされ、ボロボロだった頃の城塞都市のおもかげはすっかりなくなっていた。

「すごい変わりようですね……」

 メトラが素直に感心していると、ゴブリンたちが走り寄ってくる。

 ヴァロウに挨拶するのかと思ったが、用事があったのはエスカリナの方らしい。

 二、三会話を交わすと、ゴブリンは頷き、またどこかへ行ってしまった。

「ゴブリンともうまくやっているようだな」

「え? ええ……。まあね。最初はおっかなびっくりだったけど、話してみると結構物わかりがよくて、いい子たちよ。素直じゃない軍師様と違って、よっぽど扱いやすいわ」

「エスカリナ……。たとえ冗談であっても、ヴァロウ様に対する暴言は許しませんよ」

「誰もヴァロウのことだと言ってないわよ、メトラさん」

「うっ……」

 メトラがのどを詰まらせると、横でエスカリナが悪戯いたずらに成功した子供のように笑った。

「うふふふ……。でも、助かったわ。彼らのおかげよ。ここまで復興できたのは……」

「どういうこと?」

「彼らが城壁や道路、下水を修理してくれたおかげで、民も元気になり始めたのよ。ほら、身体が元気でも、環境が悪いと気分が落ち込むじゃない。けれど、今は違うの。都市がよみがえったことによって、人もまた蘇ったのよ」

「そうか……」

 ヴァロウは目を伏せる。

 実はこの効果もまた、ヴァロウの手の平の上であった。ルロイゼンから離れる前に、あらかじめ城塞都市の整備をゴブリンに命じていたのである。

 ヴァロウの命令はさびれきった都市の住人にはこう覿てきめんだったらしい。人間というのは、気分一つで変わる生き物だ。たとえお腹いっぱいになるまで毎日ご飯を食うことができても、身体に異常はなくても、環境によって日々の活力が違ってくる。特に作業効率の面で、うんでいの差が出てくるのだ。

 今、数が望めない状況では、質に頼るしかない。居住環境の充実は必須事項であり、そういう観点からも、手先が器用なゴブリンに、都市の環境整備を任せたことは正解だった。

 そんなゴブリンたちを見て、人間たちも積極的にコミュニケーションを図ろうとしていた。過剰に恐れたり、敵意を剥き出すことはなく、普通に挨拶をしたり、整備について要望を出したりしている。おそらくそうした姿勢は、領主代行であったエスカリナの影響も大きいのだろう。

 エスカリナが率先して、ゴブリンたちと言葉を交わしたことによって、周りにいる人間たちも魔獣や魔族に心を開くようになったのだ。

 人類と魔族のゆうを一つの目標と掲げているヴァロウにとって、ルロイゼン城塞都市は魅力的なモデルケースになろうとしていた。


 久方ぶりにルロイゼンにある書斎に戻ると、ヴァロウはやや埃っぽい椅子に腰掛けた。

 本や書類に囲まれている光景は、魔王城にある私室とそう大差はないが、常備されている茶葉の味はひと味もふた味も違う。ヴァロウから言わせると、魔族領土で取れる茶葉の味は、人類で手に入るそれと比べると味が足りていない。一度、水と肥料のやり方を同じにし、魔族領土内で育ててみたことがあったが、それでも味が同じになることはなかった。どうやら土の質に違いがあるらしい。

 故に魔王城に戻る際には、ルロイゼンから茶葉を持ち出したのだが、滞在期間半ばで使い切ってしまった。

 久方ぶりの茶葉の味に、ヴァロウはを動かす。てつめんが大げさに動くことはなかったが、横で見ていたメトラには、上司が喜んでいるように見えた。

 ヴァロウの書斎に集められたのは、メトラ、ザガス、エスカリナ、ペイベロ、そして兵士長だった。

「まず単刀直入に聞こう……。北で行われている反乱はどうなった?」

 ヴァロウは切り出すと、やや重たい空気を舌先に乗せて、エスカリナは口を開いた。

「反乱は鎮圧されたそうよ。死者七千人。死傷者を含めると、その倍の数になるわ。そのほとんどが反乱軍だそうよ」

「そうか……」

 ヴァロウは一度まぶたを閉じ、静かにもくとうを捧げた。

 ゴドーゼンとテーランで起こった反乱を誘発したのは、ヴァロウの策略によるものだ。

 だが、それは大要塞同盟を切り崩すため、どうしても必要な犠牲だった。二ヶ月前、ヴァロウの手元には、ザガスとメトラ、そして魔獣しかいなかった。仮にヴァロウが何もせずにいれば、大要塞同盟は真っ先にルロイゼン奪還に動いたはずである。いくらヴァロウがかつて最強とうたわれた人類側の軍師ヴァロウ・ゴズ・ヒューネルだとしても、今の戦力で万単位の敵から勝利することは難しい。

 ルロイゼンが再び人類のものとなれば、魔族にたんした領民たちは必ずしゅくせいされるだろう。そして二度と領民たちに笑顔が戻ることはなかったはずである。

 その瞼が持ち上がるのを待って、エスカリナは言葉を続ける。

「あなたは最初、わたしたちに言ったわね。『きょうだとののしられるような戦法も、俺はちゅうちょなく使うだろう』って。それが今回のことを指しているなら、わたしはあなたにけいべつを禁じ得ない」

「ああ……」

「でも、わたしは『覚悟している』と返したわ。だから、今さら話が違うと言って、あなたの胸ぐらを掴むことはしない。でも、教えて。あなたはこの空白の時間が必要だと言って、一度魔族本国に戻った。それで一体何を手に入れたのかしら?」

 ヴァロウが何故ドライゼル城に戻ったかは、エスカリナにも秘密にしていた。

 具体的なことを言って期待をさせるわけにはいかなかったからである。

 特に誇らしげな表情を浮かべるわけでもなく、ヴァロウはただ淡々と結果を告げた。

「二〇〇〇の援軍を、魔王様から借り受けた」

「二〇〇〇……」

 エスカリナ、さらにはペイベロやルロイゼンの兵士長たちの反応は、どうも微妙だ。

 確かに三人しかいない魔族よりも、二〇〇〇という数字はかなり魅力的に映る。だが反乱軍七〇〇〇の犠牲の代償が、たった二〇〇〇の兵というなら話は別だ。少々落胆を禁じ得なかった。

「案ずるな」

「え?」

「二〇〇〇の援軍といっても、魔獣を引き連れてきたわけでも、田舎から兵をかき集めてきたわけでもない。第四師団──魔狼族ワーグから構成される魔族軍の正規兵だ」

「魔族軍の正規兵!!

「しかも、その第四師団を率いるのは、俺と同じ魔王様の副官だ。名はベガラスク……」

「き、聞いたことがあります」

 声を震わせたのは、エスカリナの側で話を聞いていた兵士長だった。

「銀血のベガラスク……。美しい銀毛の魔狼族ワーグですが、一度戦場に出れば銀毛が赤く染まるほど、人間を殺し尽くすという恐ろしい魔狼族ワーグです……」

 その言葉に、部屋にいた人間たちは全員ぞっとし、押し黙ってしまった。

 だが次の瞬間、エスカリナは喜びを爆発させる。

「すごい!! すごいわ、ヴァロウ! 魔王の副官を仲間にしちゃうなんて!」

「敵ならともかく、味方であればこれほど心強い援軍はおりますまい」

 ペイペロもホッと胸を撫で下ろす。

「二〇〇〇の雑兵が来るならさすがに怒るけど、二〇〇〇の魔狼族ワーグが来るなら話は別よ。しかも魔王の副官……。すごいわ、ヴァロウ。一体、どんな魔法を使ったのかしら……」

「別に……。俺はただ予定通りのことを成しただけだ」

 ヴァロウはさも当然とばかりに、ティーカップの取っ手に指をかけ、紅茶をすすった。

 すると、エスカリナはペイベロ、兵士長と順に目を合わせる。

 何か示しを合わせると、三人はヴァロウの前で膝を折った。

「ヴァロウ、聞いてほしいの」

 エスカリナはいつになく強い眼光をヴァロウに向ける。

「わたしたちは、人間には槍を向けないとあなたに誓ったわ。それを撤回させてほしいの」

「あなた方も戦うと言うのっ!?

 メトラの質問に、エスカリナは力強く頷く。

「反旗をひるがえしたテーランとゴドーゼンの民衆に対して、大要塞同盟は何の温情も与えなかった。革命を首謀した者は、いちぞくろうとう皆殺しになったそうよ」

「そんな……!」

 人間だった時代、リントリッドの至宝とまで呼ばれたメトラが息を飲む。

 自分が王女だった頃、そこまで苛烈な刑罰を加えるような法律体系ではなかったからだ。十五年前──何者かに謀殺されて以降、政治も法律も権力者側に優位に作られるようになったとしか考えられなかった。

「大要塞同盟は反乱軍の声に一切耳を貸さなかったわ。それどころか自分たちの体面を保つために、民衆を抹殺した。もちろん、反乱軍に火を付けたのはわたしたちよ。でも、遅かれ早かれこういうことは起こっていたはず。なのに、大要塞同盟はただ反乱軍を叩きつぶすだけだった」

「つまり、あれか? ビビって、こちらに付きたいってことか?」

 ザガスはケラケラとののしるも、エスカリナは表情を変えなかった。

「ザガスの言う通りよ。わたしたちは恐ろしくなったの。大要塞同盟──いえ、今自分たちを支配している体制のあり方に……。どんな理由があろうとも、君主が民の声に耳を傾けないのは最低よ。民あっての君主、そして国なのだから。そうでしょう、ヴァロウ」

 エスカリナの言葉に実感がこもっているのは、父親のことがあるからだ。

 むろん、それはぬるま湯の生活に浸かっていた自分も同罪であると認めた上での発言だろう。

「だから、わたしは正式に大要塞同盟を離脱することを決めた。あなたたちと一緒に戦うためにね」

「それは民衆の総意か? それともお前個人の考え方か?」

 エスカリナの決意は固い。だが、彼女一人が思っていても仕方がない。

 ヴァロウはエスカリナの横で膝を折るペイベロと兵士長にも、視線を向ける。

 二人ともエスカリナと同じく力強く頷いた。

「安心して商売するには、今の世は少々きゅうくつすぎますからね」

「ルロイゼン城塞都市駐屯兵二〇〇名。どうかヴァロウ殿の軍の末席にお加えください」

 エスカリナ、ペイベロ、そして兵士長が頭を下げる。

 ヴァロウはしばし考えた後──。

「……わかった。よろしく頼む」

「こちらこそ! よろしく頼むわ、ヴァロウ」

 ここにルロイゼン城塞都市は、正式に大要塞同盟の離脱を決め、魔族軍第六師団の一部として参戦することになったのである。



 大要塞同盟第二位の城塞都市ヴァルファル。

 総人口二六〇〇〇人を誇る大都市で、その広さは、第一位の都市メッツァーよりも大きい。

 牧畜──特に馬などの繁殖を主産業とし、前線に良質な軍馬を送っている。そのため広大な城塞都市にはいくつもの放牧地があり、都市とは名ばかりののんびりとした風景が広がっていた。

 またここには兵の練兵場があり、若き新兵たちが日々汗を流している。ここで育った兵は、強いことはもちろん、忍耐強く、また礼儀正しいと、前線からの評判も高かった。

 そのヴァルファルを統括するのが、領主ルミルラ・アノゥ・シュットガレンである。

 もうすぐ三〇に手が届こうかという年齢のルミルラは、いまだ十代の少女のような容貌をしていた。

 つやのある黒髪を後ろに束ね、大きな黒目の輝きは領主という激務にあっても衰えることを知らない。背丈は低く、前髪を子どものように切りそろえているためか、彼女を知らない人間は必ずといって、「領主様のお子様ですか?」と尋ねるほどであった。

 領主でありながら正装を好まず、馬などの世話をするために村人のような姿をして城下をうろつくことを好む。百歩譲って恰好は良いとしても、領主が度々館を抜けられては、いくらヴァルファルの治安がいいとはいえ、護衛たちも気が気でなかった。

 そんな部下の気も知らず、ルミルラは今日も自身が管理しているきゅうしゃへと向かう。すでに陽は落ち、辺りは暗い。静かで時折、動物の鳴き声が遠くから聞こえるのみであった。

 重い扉を開けて、ルミルラは中に入る。すると一対の赤い光が闇の中でうごめいた。

『があああああああああああ!』

 大きな吠声が厩舎に響き渡ると、ルミルラは反射的に耳を塞いだ。

「ごめんなさい、スライヤ。秘書がなかなか離してくれなくて」

 ルミルラは薄暗い厩舎の中を歩いて行く。呪文を唱え指先に火を灯すと、近くにあったしょくだいに放った。ぼうと厩舎の中が橙色の光に包まれる。

 大きな影が天井を覆い、長い首が現れた。飛竜だ。大きな翼、太い後ろ足と先についた鋭い爪。口は大きく、刃物のような鋭い牙が見える。長い首の根元に鎖がつながれ、ややわずわしそうに頭を振っていた。

 飛竜は近づいてくるルミルラに抗議するように鼻息を荒くする。

「もう。謝ってるでしょ」

 ルミルラはスライヤと名付けた飛竜の頭を撫でる。

 スライヤはごろごろと喉を鳴らし、主人に甘えるような声を上げた。

 飛竜とは、人間が特殊な品種改良で作った生体兵器である。

 魔族との戦いにおいて、人類は空戦を強いられることになった。そのためにまず初めに行ったのが、魔族の肉体の研究だ。その過程において、様々な魔族の特徴を備えた生物を作ることが肝要であると考えた人類は、竜人族リザードからきょうじんな肉体を、鳥人族バルチャーからは翼を、人鬼族ワーオーガからは内臓器官を──という具合に合成生物を作ることを考えた。そして、ついに長年の研究が実を結び飛竜が完成したのである。

 飛竜を開発したことによって、人類はようやく魔族と制空権を争うことができるようになった。

 だが、飛竜は凶暴で、扱いが難しい。しかも赤子の時から育てなければ、人間になつくことはない。

 故にそういった育成を担う専門家がいて、人はそれを【竜士】と呼んでいた。

【竜士】と飛竜は一体だ。いついかなる時も一緒である。

 その【竜士】が騎士候をいただき、【竜騎士】となり、成長した飛竜とともに戦場へと出て行くのだ。

 ヴァルファルの領主ルミルラもまた飛竜の育成を担う【竜士】であり、また【竜騎士】であった。

 すでに二匹の飛竜を育て、スライヤで三匹目。そしてその竜と共に幾多の戦場を経験している。

 育てた竜の優秀さ、【竜騎士】としての武勇からルミルラは、【竜の巫女】と呼ばれていた。

 そのルミルラがえさと水を差し出すと、スライヤは主人の合図も待たずに貪り始める。水も餌もあっという間に平らげ、満足そうに喉を鳴らした。相当お腹が減っていたようだ。

「やはりここにおられましたか……」

 スライヤとたわむれていると、秘書が慌てた様子で厩舎に飛び込んできた。ルミルラに封筒を差し出す。

「お父上からです」

 子どものように無邪気にはしゃいでいたルミルラの顔が、領主のそれに戻る。

 慎重に封を切り、中身を確認した。すべてに目を通すと、召喚状を秘書に返す。

「バルケーノ様はなんと?」

「至急、メッツァーにさんだいせよとのお達しよ」

「急ですな」

「いいえ。そうでもありません。そろそろあるのではないか、と思っていました。おそらくルロイゼンを占拠した魔族たちについてでしょう」

「まだ反乱の戦後処理も決まっていないのにですか?」

「父──メッツァーの領主バルケーノ・アノゥ・シュットガレンとは、そういう人です。戦さが好きなのですよ。娘よりも、自分がたんねんに育てた竜よりも」

 ややとげのある口調で言い放つと、ルミルラは手際よくスライヤにあぶみを載せた。

 またがり、スライヤを拘束していた鎖を解き放つ。

「ルミルラ様……。一体、どこへ?」

「決まってるでしょ。メッツァーですよ」

「ならば、すぐに馬車を……」

「馬車よりスライヤの方が速いわ」

 ルミルラはニコリと微笑む。

 美女の微笑ではあったが、当の秘書の顔は青ざめていた。領主を止めようとしたが、一歩遅い。

 ルミルラはスライヤの首を叩く。その瞬間、飛竜は地を蹴り、厩舎を飛び出した。

 翼を広げ、あっという間に風を掴むと、夜空へと舞い上がる。

「ルミルラ様! 夜駆けは危険ですぞ!!

「スライヤも私も慣れているから大丈夫ですよ。明日の夕刻までには帰ってきますから」

 別れの言葉を口にし、ルミルラは前を向く。

 やや肌寒い空気を目一杯お腹の中に取り込んだ頃には、雲の上だった。

 青い空と白い雲しか見えない自由な世界。

 今、その領土にいるのは、ルミルラとスライヤだけだった。