それはヴァロウ・ゴズ・ヒューネルが最強の軍師と呼ばれ、私がまだ師匠の弟子だった頃の話だ。


 私が生まれたシュットガレン家は、代々優秀な竜騎士をはいしゅつしてきた。

 竜騎士とは読んで字の如く、飛竜を操る騎士のことである。そして飛竜は様々な魔族の特性を掛け合わせた合成生物だ。そのおかげで人類は魔族から制空権を奪うことに成功したが、飛竜の育成は難しく、『竜士』という職業が長年かけてやっとなつくほどであった。

 そしてシュットガレン家の長女である私には、その才覚があったらしい。

 幼い頃に私の才能を見抜いた父は、戦場に行く合間を縫って、子供に英才教育をほどこした。年の離れた兄が戦死してからは、武芸も教え込むようになり、父の教育はより苛烈になっていった。

 飛竜とたわむれるのは好きだ。彼らが成長していくのを見守るのは、何よりの楽しみだったが、武芸だけはどうしても好きにはなれなかった。自分が戦場に出て、誰かを殺すなんて想像できなかったのだ。

 けれども、私にはそっちの方の才覚もあったらしい。

 十三歳になった時、私は父の知り合いの推薦で、軍の戦術研究所に入ることになった。

 優秀な参謀や指揮官を育てる新設の組織らしい。

 私はまだ真新しい建物の中で、重い荷物を抱えながらぽつんと立っていると、廊下の奥から重そうな勲章をぶら下げた若い将校がやってきた。

「ルミルラ・アノゥ・シュットガレンだな」

「は、はい……」

 思わず私は父から習った軍隊式の敬礼をする。恐る恐る若い将校と目を合わせた。

 黒髪と対照的な白い肌。凍てつくような冷たい容貌。この時まだ魔族というものを見たことがなかった私にとって、今まさに目の前にいる将校こそ魔族ではないかと思う程、恐ろしい空気を発していた。

 だが、目は綺麗だった。

 ヘーゼルの虹彩は鋭利な刃のようであるのに、どこか温かみがある。不思議な色だった。

「付いてこい。こっちだ」

 きびすを返そうとした将校の軍服を、私は反射的に掴むと、質問が口を衝いて出ていた。

「何故、私が選ばれたのでしょうか? 私はまだ子供です。そして女です」

「能力に問題ないと判断したまでだ。あと先に言っておくが、お父上の威光ではない。俺が必要と感じたからんだ。君はこの戦術研究所の最年少ということになるが、優秀な──」

「なら尚更です! 私に前線の指揮官が務まるとは思えません。誰かを殺すなんて……」

「相手は魔族だ」

「将校殿は経歴を調べた上で私を喚びだしたと思いますが、それならば私が優秀な竜士であることもご存じなのでしょうか?」

「無論だ」

「飛竜は、元は魔族の肉体を掛け合わせて作られました。飛竜は魔族なのです。可愛いあの子たちの同族を討つなんて私には考えられません」

 ついに将校は押し黙る。しかし十三歳の娘に激しく反論されても、慌てている様子はなかった。

 ただ冷静に思考を回し、考えにふける。ほんの少しの間を取った後、落ち着いた口調でこう答えた。

「ならば、殺さず相手を制する戦い方を身に着ければいい」

「そ、そんなことができるわけがない!」

「できるかできないかは、ここで励み、そして結果を示せ。ここは戦場ではない。表向きは優秀な参謀と指揮官を育てる組織だが、俺の趣味みたいなものだしな」

「しゅ、趣味……!?

「ここは過去を調べ、今を理解し、未来を話す場にしようと考えている」

「未来を、話す……」

「そうだ。いつか武器を使った戦いが無意味な時代がやってくる。その時、存分にお前が目指す戦い方を皆に披露すればいい。君には豊かな才能がある。このヴァロウ・ゴズ・ヒューネルを一瞬でも黙らせたのだからな」

 将校は身をかがめると、ポンと私の頭を撫でた。

 その時に鼻腔を衝いたおいしそうな紅茶の匂いを、私は今でも覚えている。

 これがヴァロウ・ゴズ・ヒューネルと私の初めての出会いであった。


 師匠との思い出は様々だ。

 そして私には、初対面以外のことでいつも真っ先に思い出す記憶がある。

 それは兄弟子たちと研究所の庭で軍儀をしていた時だ。

 軍儀とは駒を兵に見立てた、戦争を模した仮想戦術訓練で、これも師匠が考案した。

 訓練であれど、人が死なない戦場にはゆうのような面白さがあった。だから、私も含めて兄弟子は軍儀にはまり、訓練以外の時間でも暇さえあれば、卓を囲んで遊んでいたものである。

「ああ! また引き分けだ!」

 卓の向こうの兄弟子が、頭を抱える。他の兄弟子たちもうんざりした様子で両手を広げた。

「これで十戦やって十引き分けだぞ、ルミルラ。お前、もっと真面目にやったらどうだ?」

 この時の私は勝負を度外視して、守勢に回り、敵味方の生存を最優先にする戦術を試すことに夢中になっていた。仮想の盤面で、どうにか相手を殺さず、味方を生かす戦術を考えられないか、思案していたのである。

 兄弟子たちが騒いでいると、そこに師匠がやってきた。

「ルミルラ、何故引き分けにする?」

 鋭い視線が私をく。師が怒っていることを敏感に察した私は、慌てて一枚の駒を取り上げた。

「こんなに綺麗な駒を捨てるわけにはいかないので」

 たとえ駒であろうと、現実の戦場においてこれは命だ。

 故に遊戯であっても、私には捨てられなかった。

 すると、師匠もまた一枚の駒を拾い上げる。それを地面に落とし、軍靴で踏みつけた。何度も踏む内に、駒は庭の地面にめり込む。それを拾い上げ、師はまた盤面に戻した。

 当然、駒はボロボロだ。砂と軍靴の靴墨にまみれていた。

「汚れた駒であるならば、お前は躊躇ためらいなく駒を捨てることができるのだな?」

 その汚れた駒を、師匠は何と見立てたのか、今も私には答えとともにわかっていない。

 敵中に潜入したかんちょうか。それとも裏切り者か。あるいはその時のリントリッド王国でまことしやかにささやかれる──上級貴族の存在を指したものなのか。ついぞわからなかった。

 何故なら、次の日──師ヴァロウ・ゴズ・ヒューネルはメトラ王女殺害の罪で衛兵に捕まり、獄に入れられ、その十日後には、私の目の前で炎に巻かれることとなる。

 師を助けることができなかった無念。

 師の最後の問いかけに対する答え。

 それを胸に、ついに十五年の月日が経とうとしていた。