第五話 ヴィルヘルム様のいない日常



「騎士団、ご出征ーっ!」

「わぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 今日は、ヴィルヘルム様が騎士団を率いて出征される日です。

 朝から王都の中央通りには人が溢あふれ、出征してゆく騎士団を見送ろう、と人混みができています。

 帝国に対する援軍とはいえ、このように大々的に兵を発するのは、実に十年ぶりくらいになるのです。異民族との小競り合いや山賊退治などで騎士団は出陣していましたけど、国外への派遣は久しぶりなのです。

 ですので、このように少しでも見送ろうと、騎士団の勇姿を見ようと人が詰めかけているのです。

 かくいう私も、その中にいるのですけど。

「……ヴィルヘルム様」

 中央通りを、騎士団の皆様を率いて先頭をゆくのは、ヴィルヘルム様です。その後ろに、ヴェクター副長やアレキサンダー大隊長など、講義で見た幹部の方々が続いています。

 その戦力は五千──男性の騎士団である、黒鉄騎士団の全戦力です。

 王都の防衛には六花騎士団を残し、全軍で出陣する、と仰おつしやっていました。やはり五千もの騎士が列をなして続くと、威容を感じますね。

 援軍で向かうとはいえ、大々的に出征されるからか、その士気は高いです。

 ヴィルヘルム様は周りの手を振る観衆に目もくれず、じっと前を向いて馬を歩ませています。

 凛り々りしいお姿です。

 ですが、私の望みはただ一つです。

 ヴィルヘルム様、どうか、どうか、生きて戻ってきてくださいませ。

「キャロル、あまり身を乗り出すと危ないぞ」

「……申し訳ありません、父上」

 私は、どうしてこれほどわがままなのでしょうか。

 一昨日おととい、ヴィルヘルム様は私と結婚をしてくれると、そう約束をしてくれました。

 だというのに、今日この日──ヴィルヘルム様の出征をお見送りするそのときでさえも、このように離れていることが悲しいのです。

 ただ、ただ、お側にいたい。

 それだけなのに。

 ヴィルヘルム様との距離が、限りなく遠いのです。

 できることならば、私もその馬で、共に戦場へ向かいたい──そう思ってしまうほどです。

「大丈夫ですよ、キャロル」

「……母上」

「ヴィルヘルム様は、必ず帰ると言ったのです。ならば、キャロルはその言葉を信じて待ちなさい。ヴィルヘルム様は約束を破ったことなどありません」

「……はい」

 ヴィルヘルム様を信じないわけではありません。

 ですけど、戦争です。何が起こるか分からないのです。

 ヴィルヘルム様のお命は、誰も保証してくれないのです。

 ゆっくりと歩みを進めるヴィルヘルム様。

 そのお姿を僅わずかにでも見られれば、と一生懸命背伸びをします。

 できることなら、ヴィルヘルム様に気付いてもらいたいと、そう思いながら。

「ううん……よく見えません」

「お嬢様」

「どうしましたか、ナタリア?」

「よろしければ、肩車をいたしましょうか? そうすれば、ヴィルヘルム様にも気付いていただけるかと」

「いいですね!」

 ナタリアの最高の提案に、そう頷きます。

 私は背が小さいですし、このままだとヴィルヘルム様に気付いてもらえません。ですが、背の高いナタリアに肩車をしてもらえば、ヴィルヘルム様にも気付いてもらえるでしょう。

 善は急げです。

「ではお嬢様、どうぞ」

「はい、ナタリア。お願いします」

「では立ちます」

 ナタリアの肩に太ふと股ももを乗せて、それからナタリアが立ち上がります。

 予想以上の高さに、驚いてしまいました。

 群衆の皆様が、頭の上しか見えません。これほど高いのですね。

 そして、そんな私は皆様よりも高い位置にいます。その状態で、思い切り手を振ります。

 両手を放してぶんぶん振っているので、ナタリアが焦るのが分かりました。

 ごめんなさい、でも止められません。

 ヴィルヘルム様はじっと前を向いておられます。

 気付いてくれません。どうしましょう。

 あ、ヴェクター副長が気付いてくれました。一生懸命ぶんぶん手を振ります。

 ヴェクター副長が、ヴィルヘルム様をつつきました。それでヴィルヘルム様も僅かに振り向かれて、何か言われていました。

 そして。

 目が、合いました。

 やっと、こちらを、見てくださいました。

「ああっ!」

 ここには、たくさんの人がいます。王都中から集まっているのではないか、と思えるほどです。

 ですが、ヴィルヘルム様は私を見てくださっています。ここにいる、数多あまたの人々の中で、私だけをです。

 それを嬉うれしいと思わず、どうしましょう。

 ぶんぶんと、必死に手を振ります。

 ヴィルヘルム様がにこり、と微笑まれ、手を振ってくださいました。

 心が通じ合ったのです。

 すると、ヴィルヘルム様が、ご自分の胸を親指でとん、と叩たたきました。

 他の方々には、そのようなヴィルヘルム様の所作は、どのように受け取れたでしょうか。

 自信満々に、任せておけ、とそう仰っているように見えたでしょうか。

 ですが、私だけは違います。

 私だけは、その真意が分かります。

 ちゃんと、その胸に、約束を刻んでいる──そう、ヴィルヘルム様は態度で示されたのです。

 ああっ。

 これほどの幸福があるでしょうか。

 ヴィルヘルム様と私は、私とヴィルヘルム様は、繫つながっているのです。

「ヴィルヘルム様ぁーっ!」

 思わず、そう叫んでしまいました。

 どちらにせよ、歓声が多いので私の声なんて霞かすんでしまいます。

 ですけど、ヴィルヘルム様は頷かれました。

 ちゃんと、私の声は届いているのです。

 ちゃんと、私の想いは届いているのです。

「キャロルはっ! ヴィルヘルム様がお戻りになるまでっ! いくらでも待ちますっ!」

 心の底から、そう叫びます。

 ヴィルヘルム様に、届くように。

 私は、ずっとずっと、いつまでも、永遠にでも、ヴィルヘルム様を待ちますから。

「お嫁にしてくださる日をっ! お待ちしておりますーっ!」

「キャロルーっ!?」

 騎士団を率いた先頭で、そのようにヴィルヘルム様が叫ばれました。


◇◇◇


 ヴィルヘルム様が戦場に向かわれて、既に一週間が経ちました。

 とはいえ、私の日常は何も変わりません。以前と同じく、騎士団の講師です。今日も今日とて駐屯所で教きよう鞭べんを執っています。

 もっとも、黒鉄騎士団は全軍で出征されました。兄上もザックも、皆向かわれたのです。

 ですので、私が今講義をしているのは、女性騎士団──六花騎士団の駐屯所です。

「では、以上で講義を終わります」

「礼!」

 本日も、六花騎士団の小隊二つに対して講義を行いました。

 ひとまず黒鉄騎士団の帰還までは、こちらで講義を続けるように、と六花騎士団のアナスタシア団長が手配してくれたのです。何でも、以前から私の講義は六花騎士団でも噂に聞いていたので、機会があればしてほしい、と思っていたのだそうです。

 ですので、今日も私が教鞭を執っていた相手は、私よりも少し年上の女性ばかりです。女性しかいないので安心ですね。

 ただ、黒鉄騎士団の駐屯所では、講義が終わると解散、という形だったのですけど、こちらは少し違います。

「あのー」

「はい、何でしょう?」

「ちょっと話を聞いてもらってもいいですか?」

「はい、いいですよ」

「実は少し、肌が荒れてしまって……」

 列の一番前にいるのは、若い女性騎士です。その後ろにも数人並んでいます。

 そんな女性騎士の差し出してきた手の少し上を確認します。赤くなっていますね。恐らく、搔かいたのであろう傷跡もあります。

「痒かゆみはありますか?」

「はい、少し……」

「恐らく、乾燥によるものでしょう。湯浴みの後に保湿をしっかり行うようにしてください」

「でも……」

 知識を総動員しながら、健康関連の相談を聞くのが毎日のことです。

 特に女性同士ということで、男性の医師にはなかなか話しにくいことまで聞いてくるのです。この一週間で、割と色々な相談を受けました。

 この人のように、乾燥肌からの痒みなどはまだ楽な方で、中には妊娠に対する中絶について聞いてきた人もいるのです。さすがに、私にそこまでの知識はなかったので答えられなかったのですけど。水流しはそれ専門の医師がいるのです。下手に、私のように専門でない者が答えるわけにはいかないのです。

 列に並ぶ人たちの健康相談に答えて、ようやく終わりました。

「ふぅ……」

「今日もご苦労様。団長室に来てくれ。お茶でも淹いれよう」

「ありがとうございます、アナスタシア団長」

 そして、このように講義が終わると、常に私を気遣ってくれるのがアナスタシア団長です。

 黒鉄騎士団での講師と異なり、少し残業のある現状をあまり良くは思っていない様子ではあります。ですが、騎士団の皆様もなかなか医者にかかることもできないので、私に少し相談できる現状は良いらしいのです。

 私としても、別段それほど早く帰る必要もありませんし、相談にくらいは乗りますからね。

 アナスタシア団長と一緒に、団長室に向かいます。

 後ろにナタリアは控えていますけど、基本的には二人で向かい合ってお茶を飲むようにしています。最初は緊張しましたけど、もう一週間ですので慣れましたね。

「いつも、連中の相談に乗ってもらってすまないな」

「いえ、大丈夫です。私でお役に立てるのでしたら」

 団長室で、アナスタシア団長が手ずから淹れてくださったお茶を飲みます。

 ヴィルヘルム様もこうやってお茶を振舞ってくださることが多かったですけど、圧倒的に違うことが一つあります。

 そう、それは──。

「実は昨日、こちらをいただいてな」

「まぁ!」

「あまり日持ちもしないし、良かったら一緒に食べないか?」

 お菓子が出るのです。

 アナスタシア団長は慕われているらしく、このようにお菓子をいただくことが多いそうです。干菓子ならまだしも、生菓子だと日持ちがしないので、このように私に下さるのです。

 今日、アナスタシア団長が差し出してくださったのは、バタークリームのケーキです。後ろでナタリアが唾つばを飲み込む音が聞こえました。

「良かったら、そちらの侍女も一緒にどうかな?」

「よろしいのですか?」

「ああ、私一人では食べきれない。処理を手伝ってくれるのなら助かる」

「では……ナタリア、あなたもご馳ち走そうになってください」

「……では、失礼します」

 無表情を貫きながらナタリアが座りますが、嬉しそうな様子です。私には分かります。甘味好きですものね。

 私も一口いただきます。

 美お味いしいです。濃厚なバタークリームが口の中でとろけます。

「美味しいですね」

「そうか、ならば良かった。この店の主人は、私を見かけるといつも何か手土産をくれるんだ」

「そうなのですか」

「娘が六花騎士団に入っているからな。娘のことをよろしくお願いします、といつも渡される」

 ははっ、とアナスタシア団長が肩をすくめます。

 やはり、親としては心配なのでしょうね。娘が騎士団に入っている、というのは。

 私もヴィルヘルム様のことを心配していますし、戦地に向かわれた兄上のことも案じています。どうか無事にお戻りになりますように、と。

「叔父上のことが、心配かな?」

「えっ」

 顔に出ていたでしょうか。

 思わず自分の顔を触ります。でも、触ったところで表情など分かりません。

 叔父上──アナスタシア・アイブリンガー団長の叔父、ヴィルヘルム・アイブリンガー様です。

「いや、少し気になってな。叔父上から、色々とキャロル嬢のことは聞いている。特に夜会の話は傑作だった。私もその場にいたかったものだよ」

「そんな……」

 随分、昔のことのように思えます。

 でも、恥ずかしい記憶です。はしたなくも衆人環視の前で頰に口付けをするなんて。

「安心したまえ、キャロル嬢。叔父上は必ず戻るさ」

「ええ……」

「ヴィルヘルム・アイブリンガーといえば、『フレアキスタの白老』と国外でも有名な英雄だ。特に、今回は大陸に覇を唱える帝国に対する援軍だ。万に一つも敗北はないとも」

「はい」

「……ふむ」

 少し驚いたように、アナスタシア団長が眉まゆを上げました。

 何か、それほど奇妙なことでもありましたでしょうか。

「どうかされましたか?」

「いや……随分と落ち着いているものだと思ってね」

「そうでしょうか?」

 確かに、落ち着いています。

 ヴィルヘルム様が戦争に向かわれた、ということは、ちゃんと受け止めました。戦死するかもしれない、という可能性も、ちゃんと心に留めています。

 でも。

 不思議と、心は落ち着いているのです。

「ヴィルヘルム様は……ちゃんとお戻りになると、そう約束してくれましたから」

「……そうか」

「はい。ヴィルヘルム様は、お約束を破ったことなどありません。ですから……私は、待てます」

 そんな私の言葉に、アナスタシア団長は少しだけ感心したように、ほぅ、と息を吐きました。

 そして、苦笑されました。

「いや、叔父上が羨うらやましいものだ」

「えっ」

「こんなにも、素敵な婚約者が待ってくれているのだからね」

 約束があれば、私は待てます。

 いつまでだって、待ちます。

 ですから。

 私は、母上の言ういい女に、少しでも近付くことができたでしょうか。


◇◇◇


「それでは、気をつけて戻ってくれ」

「はい、それでは失礼いたします」

 六花騎士団の駐屯所入り口で、そのようにアナスタシア団長に見送られて戻ります。

 道中の護衛として女性騎士様を一人、伴って戻ります。ナタリアがいるので大丈夫だとは思うのですけど、ヴィルヘルム様も同じく道中は護衛の騎士様をつけてくださっていたので、同じ待遇にしてくださる、とのことです。

 そんな女性騎士様は、私とナタリアの少し後ろで、警戒しながら追従してくださいます。ありがたいですね。

「道中はお任せください、キャロル様の身に何事もないよう、警戒に徹します」

「ありがとうございます、お名前を伺ってもよろしいですか?」

「はっ。六花騎士団の一等騎士、リムリルと申します」

 真面目そうな、短い髪の女性です。でもお名前は可愛らしいです。

 六花騎士団の駐屯所は、屋敷から歩いて割とかかるので、このように護衛を与えてくださるのは助かりますね。

 帰り道の話し相手にもなってくれますし。

「リムリルさんは、騎士団に入られて長いのですか?」

「六年目になります」

「そうなのですか」

 リムリルさんは、今日の講義のときに一番前の席にいた方です。

 熱心に勉強をしていたので、よく覚えています。積極的に質問もしてくれました。

 ですので、この時間に補講をすることもできるのです。

「今日の講義で、分からないことはありましたか?」

「そうですね……三さん角かく巾きんの使い方なのですが……」

 リムリルさんの疑問に答えながら、帰路を歩きます。

 三角巾の使い方については、骨折の際の腕の安定、切り傷に対する処置、打撲に対する処置などを教えています。簡単に担架を作る方法も教えていますが、それ以外にも使える方法は多々あります。

 そのあたりを口頭のみですが、教えます。基本的には実践あるのみですが、覚えていて損はありませんし。

「……と、いうわけです」

「なるほど……確かに、それを覚えておけば大丈夫そうですね」

「ええ。それから、怪我人も病人も、基本的には安静にさせなければいけません。しかし、意識を失った場合は、まず体を横にすることが大切です。講義の際にも教えましたが、人というのは意識を失うと、自分の舌で気道を塞ふさいでしまうことがあるのです」

 ぺろ、と自分の舌を出し、指を差して教えます。

 舌というのは基本的には、横になっても気道を塞ぐことはありません。しかし意識を失うと、舌の根から力が失われ、そのまま気道を塞いでしまうことがあるのです。そして、気道を塞がれたら呼吸ができなくなりますので、非常に危険な状態となります。

 そのため、横向きで安静にさせることが大切なのです。そうすれば、舌はそのまま外に出ますから。

「これを舌根沈下といいます。ですので、緊急時の蘇そ生せい法として一番大切なのは気道の確保です」

「はい、気をつけます」

「あとは何かありますか?」

「いえ、もう大丈夫です」

 良かったです。納得いただけたようです。

 最初の講義から幾つか追加して、緊急時の心肺蘇生法も簡単ながら教えるようになりました。その手順のうちの一つが、気道確保です。とりあえず呼吸をする経路さえ確保しておけば、それだけでも死者を減らすことができるでしょう。

 ですが。

 はぁ、と小さく溜ため息いきを吐きます。

「……それでも、人は死ぬのですね」

「はい?」

「いえ、何でもありません」

 ヴィルヘルム様は、戦争に行かれました。

 戦争とは、国と国の争いです。それを、国家の持つ兵と兵とで戦わせるのです。そこには、少なからず死者が出ます。

 今回、ヴィルヘルム様と共に出征された五千の騎士──そのうち、どれほどが無事に戻ってくださるのでしょうか。

「お嬢様、そろそろ……」

「そうですね。リムリルさん、ここまでで結構です。屋敷はこちらですので」

「はい、質問ばかりで申し訳ありませんでした。今後とも、よろしくお願いします」

「ええ。次の機会がありましたら、また」

 リムリルさんが大きく礼をして、そのまま背を向けます。

 その背中をナタリアと一緒に見送ってから、屋敷に入ります。今日も疲れました。

 ですけど、明日のための資料を作らなければいけません。メアリーも日中の仕事で疲れているでしょうけど、頑張ってもらわなければ。

 母上に、もう一人読み書きのできる侍女を雇えるよう話をしてみましょうか。

「ただいま戻りました」

「お帰りなさいませ」

 リチャードとメアリーが、どうやら玄関先で仕事をしていたらしく、そのまま迎えてくれました。

 メアリーも大分仕事に慣れたみたいで、もう最初の頃のように、明らかに疲れた顔はしていません。ちゃんと休日を与えるようになったのも良かったのでしょうか。

 もっとも、メアリーは既に実家であるホプキンス男爵家と縁を切っていますので、我が家の中の、与えられた部屋で過ごしているのだそうですけど。

 今度、私と休みが合ったら一緒に出かけてみてもいいかもしれませんね。

「メアリー、夕食が終わったら、また資料作りをお願いします」

「はい、承知いたしました。お嬢様」

 今日は楽です。メアリーとナタリアの二人がいてくれますので。

 でも確か、明日はメアリーが休みだったはずです。少しだけ、普段よりも多めに資料を作っておきましょう。でないと、明日はナタリアと二人なので厳しいのです。

 では私も、部屋で少し休みましょう──そう思い、階段を上がります。

 夕食まではあと少しですけど、夕食が終わると、すぐに資料作りに移るのです。資料を作るだけのお仕事、という形で誰か雇った方が良いのでしょうか。

 もしくは、日中のメアリーの仕事を資料作りだけにするとか……そう一瞬考えましたけど、しかし資料もいつも全く同じもの、というわけではないのです。

 その日の講義で、ここが分かりにくかったかな、という反省を経て、少なからず構成を変えたりしているのです。ですので、資料作りの場にはできる限り私がいなければ。

「ふぅ……」

「お嬢様、何かお飲み物を淹いれましょうか?」

「いえ、構いません。もう夕食ですし」

「分かりました」

 ナタリアが気遣ってくれるのがありがたいですね。

 ですけど、今何かを飲むと、夕食があまり食べられなくなるかもしれません。これから深夜まで資料作りをしなければいけませんので、ちゃんと食事は摂とらなければいけませんから。

「ナタリアは、明後日あさつてがお休みでしたか?」

「はい、予定ではそうなっています。出勤しろ、と仰おつしやるのでしたら、予定は何もないので出ますが」

「いえ、大丈夫です。では、明後日の護衛はどうしましょうか……」

「そう、ですね……」

 ヴィルヘルム様は私を気遣ってくれて、毎朝常に騎士様がお迎えに来てくださいました。

 ですが、アナスタシア団長に、わざわざそのように申し上げるのも気が引けます。毎日、今日のリムリルさんのように、帰りは護衛の騎士様を派遣してくださるのですけど、行きはいないのです。

 さすがに、以前のロバートの一件もありますし、私一人で外出する、という選択肢はありません。リチャードを連れてゆく、という選択肢もありません。

 あとはメアリーですけど……あの娘こが戦えるとは思いませんし。

「分かりました、お嬢様。手配しておきます」

「大丈夫なのですか?」

「はい。信頼できる手て練だれがおります。恐らく、お願いすれば快く引き受けてくださると思いますので」

「でしたら、安心ですね」

 ナタリアがそのように言う者でしたら、ロバートに従っていた者のように、私を攫さらうような真似はしないでしょう。

 あとは一応、講義の際の助手として、メアリーを連れてゆくことにします。それで問題はありませんね。

 こんこん、とそこで部屋の扉が叩たたかれました。

「お嬢様、失礼いたします」

「ええ、メアリー」

「夕食の準備が整いましてございます。食堂へどうぞ」

「はい。向かいますね」

 寝台から立ち上がります。そして、そのままメアリーを前に、ナタリアを後ろに食堂まで行きます。

 そして、食堂で夕食の時間です。

 そんな風に私の日常は、今日も変わらず過ぎてゆくのです──。


◇◇◇


 さて。

 昨日はメアリーがお休みで、今日はナタリアがお休みです。とはいえ、今日も今日とてちゃんと騎士団での講義を行わなければいけません。

 ナタリアがお休みですので、朝食の際に父上から、今日は行かなくても良いのではないか、と言われました。事前にちゃんと使いの者さえやっておけば、以前に誘拐をされたという事情もありますし休んでも問題はないと思います。

 ですけど、私としてはできる限り、講義は行いたいのです。

 ちゃんと、ナタリアが手練れの者に声をかけてくれる、と言っていましたし。

 そういえば、誰に声をかけたのか、という話は何も聞いていませんね。ナタリアの紹介ですから、変な人ではないと思いますけど。

 そして、以前のようにヴィルヘルム様のための昼食を用意しなくてもいい現状、私の午前は特にすることがありません。

 ですので、今日の講義の練習をします。

「え、ええと……」

「座っていて構いません。私が説明をしながら、ちゃんと示す部位を皆様に見えるようにしてください」

「は、はい……」

 今日はナタリアではなく、メアリーを助手にしての初講義です。以前はナタリアが休みの日は、最後尾でいつも座って、監視をしてくださっていた騎士様に代役をお願いしていました。

 ですが、やはりこのように事前にちゃんと練習をすることで、円滑な講義ができるのです。ですので母上に許可を得て、メアリーにも練習をさせることにしました。

 三角巾を実際に巻いてこのように止血をする、という講義において、メアリーがどのように動けばいいか教えます。

 基本的に教えるのは私ですので、それほど緊張する必要はないのですけど。

「と、このように頭部の創傷の場合には、創部を押さえる形で……はい、横を向いてください」

「は、はい!」

「押さえる形でこのように重ねた部分を押さえつけます。そのまま顔の周囲を一回転して……はい、正面を向いてください」

「は、はい!」

 ナタリアはもう慣れているので、何も言わなくても私の思う通りの動きをしてくれるのですけど、初めてのメアリーにそこまで求めてもいけませんね。

 そのまま、ぐるぐると頭の周囲を巻いて、その後は額を巻くように横巻きにぐるぐる巻きます。頭部は丸いので、しっかりと固定をしなければずれるのです。

 するとそのとき、私の部屋の扉が、こんこん、と叩かれました。

「はい」

「お嬢様、失礼いたします。お客様がいらっしゃっております」

「お通ししてください」

 はて。

 今日は誰か来る予定だったでしょうか。

 もしかしたら、ナタリアが手配をしてくれた、という護衛の方かもしれませんね。ちゃんと丁重にお迎えしないと。

 ですが、そんな私の部屋にやって来たのは。

「来たわよ」

「何故ですかリリア」

 何故か、リリアでした。

 今日は講義ですし、お茶をする約束はしていないのですけど。

 いつも通り吊つり上がり気味の目ですが、私のそんな言葉を受けて、唇を尖とがらせて更に吊り上げています。分かりやすい不機嫌です。

「何よ、キャロル。あたしが来たら悪いわけ?」

「いえ、今日は特に約束をしていなかったと思うのですけど」

「あたしも来るつもりなかったわよ。でも、ナタリアに言われたのよ」

 え?

 何故ナタリアが、リリアをここに呼んだのでしょうか。

 確か、手練れの護衛を用意してくれる、とは言っていましたけど。

「私の護衛を手配してくれる、とのことでしたけど……何故リリアが?」

「だから、そんなキャロルの護衛が、うちのデボラなのよ」

「失礼します、キャロル様」

「ああ……」

 なるほど、納得です。

 デボラさんはリリアの護衛で、物もの凄すごく筋肉な見た目をしている女性です。最初は男性かと思っていたくらいに、厳いかつい方です。

 そして、リリアが訪れたときなど、よくナタリアと共に席を外して、部屋の外の廊下で手合わせのようなものをしています。ナタリア曰いわく互角だとのことで、その強さがよく分かります。

 私の護衛に、ということでデボラさんにお願いをして、そのついでにリリアが来た、ということですか。

「ナタリアが休みってことだし、キャロルが下手に外出して、また攫われたってなったらあれだしね。デボラなら任せて安心でしょ?」

「ええ、助かります」

「ついでに、あたしも暇だからキャロル先生の講義を聞こうと思ってね」

「学園はどうしたのですか」

「体調不良って便利な言葉だと思わない?」

 どうやらずる休みをしたみたいです。

 リリアに講義を聞かれるのは恥ずかしいですけど、わざわざ私のために学園を休んでまで来てくれたのは素直にありがたいですね。

 そして、リリアは我が物顔で私の部屋の椅子に、よいしょ、と座りました。

「ふぅ……デボラ、お茶を淹れてちょうだい」

「はい、お嬢様」

「茶葉とポットとカップを借りるわよ」

「ええ、どうぞ」

 デボラさんがそのまま私の部屋から出て、厨ちゆう房ぼうに向かったようです。リリアは何度も来ているので、一緒に来ているデボラさんも、大抵我が家の構造を知っているのです。

 デボラさんの筋肉な存在感に、クリスあたりが驚きはしないでしょうか、と少し不安ではありますけど。

 まぁ、大丈夫です。デボラさん優しいですから。

「でさ……」

「はい?」

「何やってんの?」

 リリアが、不思議そうに首を傾げます。

 まぁ、普通に見たら分かりませんよね。部屋の中でメアリーを椅子に座らせて、そんなメアリーの頭を三さん角かく巾きんでぐるぐる巻きにしているという謎の状況ですから。

 そんなメアリーは、リリアの視線にびくっ、と体を震わせていました。そろそろ慣れてはどうでしょうか。

「講義の練習です」

「へぇ……ああ、実技ってやつ?」

「そうです。こうやって先に見せて、それから皆様に実践してもらっています」

「案外ちゃんと先生やってるのね。ちょっと驚いたわ」

「失礼な」

 むっ、と唇を尖らせます。

 私なりに、ちゃんと講義を行えるように努力しているのです。学園の先生方を思い出しながら、ちゃんと分かりやすいように、と。

 そして、ひとまずメアリーから三角巾を取ります。一通りは練習しましたし、これで大丈夫でしょう。

「安心したわ」

「ちゃんと講義はしていますよ」

「そうじゃなくて……もう、十日くらいかしら。ヴィルヘルム様が、出陣されてから」

「……」

 今日で、ヴィルヘルム様が出征されてから、丁度十日目です。

 さすがに戦況などは分かりません。そういった詳しい情報は入ってきませんから。

 ですが、ただ私は待つだけです。

 心から、必ず戻って来られるのだ、と信じて。

「泣いてんじゃないか、って思ってたけど、杞き憂ゆうだったみたいね」

「私は、ちゃんと待ちます。いい女ですから」

「だったら良かったわ。騎士団に、戦況とかの情報は入っていないの?」

「全く、ですね。入っていても、私には教えてくれないだけかもしれません」

「その可能性は高いわね。我が家も、一応情報は確認できるようにはしてるけど……まぁ、何か分かったら教えるわ」

「お願いします」

 父上に聞いても、はぐらかされそうですし。

 アンブラウス公爵家は帝国との繫つながりが強いのですけど、かといって全部を教えてくれるわけではありませんから。特に、悪い戦況になったときなど、私にだけは内緒にしておくように、とか気遣われそうです。

 と、そこで。

 だだだだっ、と扉の向こうで、何故か物凄く走っている足音が聞こえました。

「あれ……?」

「お、おお、お嬢様ぁぁぁっ!」

「クリス……?」

 何故か、ノックもせずに扉を開いて、料理長のクリスがそこにいました。

 一体、何があったのでしょう。随分と焦っています。

「どうしたのですか?」

「き、筋肉がっ! 筋肉が厨房に来てっ!」

「……」

 大丈夫です、安心してくださいクリス。

 デボラさんは優しいんです。少しばかり見た目が筋肉なだけで。


◇◇◇


 リリア、メアリー、デボラさんと、四人で六花騎士団の駐屯所に向かいます。

 普段はナタリアと二人で行く道ですので、なんだか新鮮ですね。帰り道は騎士様の護衛を断って、四人でちょっと寄り道をして帰ってもいいかもしれません。特に装飾品など、最近買っていませんし。

 もっとも、私はお金を持ち歩いていないのですけど。

 基本的には気に入ったものがあれば取り置きをしてもらったり、注文をしたりして屋敷まで届けてもらうのです。

「キャロルが先生やってるって、なんか実感わかないわねぇ」

「そうですか?」

「だって、誰よりも真面目に授業受けてたじゃない。キャロルが退学してから、落ち込んでる先生多いわよ。一番真面目な子だったのに、って」

「それは……まぁ」

 ありがたいお話ですけど、申し訳ない気持ちでいっぱいですね。

 確かに、学園に通うことそのものが、自身の地位を示すようなものでもあります。そして学園生にとっては、学習をすることよりも、同じ学園生である貴族の子女と付き合いを深めておく、という意味の方が大きいのです。

 ですので、レイフォード殿下などは取り巻きの人が大勢いましたし。私にも最初は妙に取り巻いてくる人が多かったのですけど、私が基本的に相手をしなかったので自然と解散してしまいました。リリアも同じです。ですから私たちはぼっちだったのです。

 だからこそ、そのように真面目に学習をする、という人はあまりいません。私は単純に学ぶことが楽しかったですし、放課後には王妃様からの教育を受けなければいけませんでした。その気分転換という意味合いもあったのです。

「ま、いいわよ。今更戻ってこい、なんて言わないわ」

「ええ。このようにお仕事もありますし」

「でも、多分学園側はいつでも歓迎するわよ。もうレイフォード殿下……っと、もう殿下じゃないわね。じゃ、何て呼べばいいのかしら。まぁいいわ。あいつもいないし」

「ぞんざいですね」

 一応、まだ王家に籍は残っていると思うのですけど。

 ですが、既に静養という名の軟禁を受けている以上、返り咲くことはないと思います。さすがに、お咎とがめなしで王位継承権を回復させられては父上が黙っていないでしょう。

 と、そのように話しているうちに、駐屯所に到着しました。

「へぇ、ここが女性騎士団なのね」

「ええ。正式名称は六花騎士団です」

「初めて来たわ」

 まぁ、大抵の人は騎士団の駐屯所に用事などありませんからね。

 私も、以前に入団試験を受けたとき、初めて来ましたし。

 いつも通りに受付のお姉さんにご挨あい拶さつをします。

「こんにちは」

「あら、キャロルちゃん。今日もご苦労様……ええと、そちらは?」

「はい。今日はナタリアが休みですので、代理の助手として侍女のメアリーを連れてきました。それから、道中で私の護衛をしてくれたデボラさんと、デボラさんの雇い主であるリリア・アンダーソン侯爵令嬢です」

「はい、それじゃお客様としてお通ししますね。台帳に記入をお願いします」

「はい」

 私は一応臨時講師という形で騎士団に雇われています。

 ですが、普段連れてくるナタリアや、今日のように連れてきたメアリーなどは騎士団に所属していません。そういった人が駐屯所に入るためには、面倒な話ではあるのですが、受付で台帳に記入して手続きをしなければならないのです。

 もっとも、名前を書くだけですけど。これが完全に外部の人だけだった場合には、割と手続きに時間がかかるそうですけど、私という騎士団所属の者がいるので円滑に進むのです。

 さらさらと三人分の名前を書いて、提出します。

「はい。ありがとう……それじゃ、いつもの場所にね」

「はい」

 お礼を言って、そのまま三人を連れて階段を上がります。

 応接室の一つを、私が講義をするまでの控え室として開放してくれているのです。そちらは通達されているので、入ってくる方はいません。

 以前にザックが勝手に入ってきたみたいな、そんなトラブルはないのです。

 ザックといえば、ザックも一応戦争に行っているのですが、無事でしょうかね。

 一応、ヴィルヘルム様と兄上の武運を祈るついでに祈っておきましょう。

「ふぅ」

 控え室の椅子に座って、資料の確認をします。

 一昨日おとといと昨日のうちに作成したものですけど、ちゃんと全部が合っているかどうかを事前に確認するのです。三十枚の資料が、ちゃんと一言一句違たがわず書かれているか、というのはここで確認するのです。ほとんど間違いはありませんけど。ナタリアは優秀ですから。

 そんな私の前に、リリアが座りました。デボラさんとメアリーは立ったままです。

「なんか……すごいわね」

「そうですか?」

「うん……なんか、ちゃんとやってる感じがするわ」

「真面目にはやっていますよ」

 私の取り柄なんて、それくらいですから。

 ちなみに、ヴィルヘルム様と昼食をご一緒する必要がありませんので、こちらの駐屯所に出勤をするのはお昼過ぎです。そして、騎士の皆様のお昼休みが終わってから、私の講義に参加する方が会議室に来られる、という形になっています。

 ですので、あまり時間がない今はお茶を飲めません。あまり飲んで、途中でもよおしてもいけませんし。

 と、そうしていると、こんこん、と扉が叩たたかれました。

「失礼、キャロル嬢」

「こんにちは、アナスタシア団長」

「もうそろそろ時間だ。教室に……そちらは?」

「ええ。本日はナタリアが休みですので、友人の雇っている護衛のデボラさんに道中の警護をお願いしました。こちらは雇い主のリリアで、こっちは今日の助手を務めてもらうメアリーです」

「そう、なのか……」

 アナスタシア団長が、随分と警戒した眼まな差ざしで見ておられますが、知り合いですので問題ありません。

 ひとまず時間ですし、向かうとしましょう。

「リリアはどうしますか?」

「後ろの方にでも椅子置いてくれたら、そこに座って見学するわ」

「分かりました」

 リリアに見られながら、というのは少し緊張しますけど、頑張りましょう。

 このくらいで緊張する、などと言い出してはいけませんし。


◇◇◇


 講義は順調に進んで、円滑に終了しました。

 メアリーの動きが悪かった部分は多々ありましたけど、初めてですし仕方ありませんよね。私も初めてのときには嚙かんでしまいましたし。

 リリアは最後まで最後列の席で、じっと私の講義を聞いてくれていました。

「では、以上で講義を終わります」

「ありがとうございました!」

 基本的には、やっていることは毎日変わらないので慣れたものです。

 あとは、何か健康上の相談をしばらく受けてから、アナスタシア団長に報告して帰る、という流れなのですけど。

 列というよりも、囲みができています。

 参加されていた女性騎士の、ほとんどが囲っています。

 私ではありません。

 デボラさんを、です。

「素晴らしい筋肉ですね! どのような鍛練を主に?」

「いえ、普通の訓練を……」

「どちらの部隊に所属していたのですか!」

「アンダーソン侯爵家に幼少から仕えておりますが……」

「戦場ではさぞかし素晴らしい働きをされたのでしょうね!」

「参加したことがないのですが……」

 やはり騎士の皆様ということで、鍛え上げられたデボラさんに夢中のようです。

 確かに、私でも見とれるくらいにデボラさんは筋肉ですので、騎士の皆様にしてみれば憧あこがれるのかもしれません。

 とりあえず私には用事がないみたいですので、帰ることにしましょうか。

「お前たち! 終わったのなら速やかに解散しろ!」

 ああ、助かりました。アナスタシア団長です。

 囲まれていたデボラさんも困っていたみたいですし、助け船にほっとしています。

 ちぇー、と唇を尖とがらせながら、騎士の皆様が退室してゆきます。

「ご苦労様、キャロル嬢」

「はい。ありがとうございます」

「いや、まぁ……」

 ですが、そんなアナスタシア団長も。

 どこかそわそわしながら、デボラさんに近付きました。

「我が騎士団では、君のような人材を求めている! どうだろうか、共に国の平和のために戦うつもりはないだろうか!」

「……いえ、私はアンダーソン侯爵家の侍女ですので」

「くっ……! 残念だ。だが、気が変わったらいつでも言ってくれ! 入団を是非とも歓迎しよう!」

「うちの侍女を勝手に勧誘されても……」

 アナスタシア団長が自ら勧誘をするほど、デボラさんは魅力的なのですね。

 私も筋肉をしっかりつければ、もっと騎士団に必要とされるのでしょうか。


◇◇◇


 ヴィルヘルム様が出立されて、一ひと月つきほど経ちました。

 特に何の報告も事件もありません。私の日常は、毎日変わらずに過ぎてゆきます。平日は騎士団での講義、休日はリリアとのお茶会、と本当に何の変わりもない生活を続けています。

 強いて言うならば、編み物が上達したくらいでしょうか。午前中は手が空くので、その時間に編み編みしているのです。あとは、クリスにお願いして料理を教えてもらう機会も増えました。新人の料理人が、割と育ってくれたそうです。

 そして、平日が終わったので、今日はお休みです。

「起きました」

 うん、と背筋を伸ばして起き上がります。

 昨夜も変わらず資料作りをしていたので、肩が凝っていますね。ナタリアにマッサージをしてもらいましょうか。

 まぁ、昨夜頑張ったので、今日はやらなくてもいいです。それだけでも助かりますね。今夜はゆっくり体を休めましょう。

「おはようございます、お嬢様」

「おはよう、ナタリア」

「お召し物を」

 珍しく、私が着替える前にナタリアがやって来ました。やはり少し疲れが溜たまっているみたいですね。

 そういえば、先週リリアが、次の休みはちょっとお出かけをしよう、と言っていた気がします。いつも屋敷でお茶を飲みながら話をしているだけですし、たまには一緒にお買い物などいいかもしれません。

 なら、外に出ても恥ずかしくないような服に着替えなければ。

「はい、今日もお可愛らしいです、お嬢様」

「ありがとうございます」

「では、食堂へ参りましょう」

 ナタリアに服の選択を任せて、良いコーディネートをしてもらいました。

 何気にナタリアには服のセンスがあるみたいです。羨うらやましいですね。私だと延々と悩んでしまいます。

 さて、ひとまず朝食に向かいましょう。

 部屋を出て、そのまま階段を下りて、食堂へ向かう途中の玄関ロビー。

 そちらで、父上が何やら焦っていました。

「あれ? おはようございます、父上」

「うんっ!? お、おはよう、キャロル」

「どうされたのですか?」

「う、うむ……少し、王宮に行かねばならぬ。すまんが、先に朝食にしてくれ」

「このような早くにですか」

 父上が王宮に呼び出されることは珍しくないのですが、このように朝早く、というのは珍しいです。

 何か大きな事件でもあったのでしょうか。事件があったのなら、今日は外出を控えた方がいいかもしれませんね。

 父上が帽子をかぶって、そのまま屋敷の外に出て、馬車に乗り込むのを見送りました。

「何があったのでしょうね……」

「さぁ……」

 ナタリアも首を傾げていますが、結局私には分かりません。

 気にせず、朝食としましょう。

 食堂の扉を開くと、そこにおられたのは母上だけでした。

「おはよう、キャロル」

「おはようございます、母上」

「ギリアムは王宮に呼び出されました。二人で朝食としましょう」

「はい」

 席に座ると、そのままクリスが食事を運んで置いてくれました。

 本来なら父上、兄上と共に囲む食卓なのですが、今日は随分と広く感じます。もっとも、兄上もヴィルヘルム様と共に戦場に向かわれているので、一月ほどずっと不在なのですけど。

 いつも通り、美お味いしいクリスの朝食を食べながら、母上とお話をします。

「母上、今日はリリアがお出かけをしよう、と誘ってくださいました」

「それは良いですね。楽しんでいらっしゃい」

「はい。お買い物などもすると思うのですが」

「ナタリアにお金は預けておきましょう。ナタリアは後ほど、私の部屋まで取りにきてください」

「分かりました」

 母上は話が早いです。早過ぎて淡白にすら思えますね。

 ですが、お出かけをすること自体には問題はないようです。ということは、父上が呼び出しを受けたのは別の案件なのでしょうか。

 予想もつきませんし、考えても仕方ありませんね。

「ごちそうさまでした」

 朝食を終えて、立ち上がります。

 あとはリリアが来るまで時間潰つぶしに、編み物でもしていましょうか。

「キャロル」

 と、そこで背を向けた私の名を、そう母上が呼びました。

 何かご用なのでしょうか。

「はい、母上」

「……」

 振り向きます。ですが、母上は私から目を逸そらしています。

 呼んだというのに、何も仰おつしやってくれません。どうしたのでしょうか。

「あの……母上?」

「……キャロル。心を強く持ちなさい」

「はい?」

「母からできる助言は、それだけです」

「はぁ……」

 母上の難点は、色々と過程を飛ばして結論だけ言うことです。理解ができません。

 ですが、母上がそう仰るのならば、心に留めておきましょう。

「分かりました」

「ええ。可愛いキャロル。母は、いつでもここにおります」

「ありがとうございます」

 母上がナプキンで口元を拭ふいて、立ち上がりました。どうやらお部屋に戻るみたいです。

 私も部屋に戻りましょう。

 ナタリアも母上の態度に不思議そうな眼まな差ざしを向けていました。やっぱり不思議ですよね。私だって不思議に思えるのですから。

「さて、何をしましょう……」

「今、編まれているものは……」

 ナタリアと並んで、ひとまず部屋に戻ろう、と玄関ロビーに行きます。

 そこで階段を上ろうとしたときに、丁度扉のノッカーがごんごん、と響きました。お客様みたいです。

 父上は朝早くに出かけてゆきましたし、これほど早くに来客があるとは珍しいことばかりです。雨でも降るのでしょうか。傘を忘れずに持っていきましょう。

「失礼します、お嬢様」

 私とナタリアが立っている脇を抜けて、リチャードが玄関の扉に応対しました。

 もう二ふた月つき以上経ちましたし、頭の包帯も取れています。軽傷で済んで何よりですね。

 そんなリチャードが扉に向かっている間も、何度も何度もごんごんごんごん、とノッカーが叩たたかれ続けていました。

「はい、どちら様でしょうか……」

「キャロルはいるか!?」

「これは、ザック殿……?」

 おや。

 どうやら来客はザックだったみたいです。随分と珍しいお客様ですね。

 ですが、丁度私も部屋に戻るところでしたし、何の用かは分かりませんが迎えましょう。

 あれ?

 でも、ザックは騎士団の一員として戦争に向かっているはずでは?

 もしや、凱がい旋せんして戻ったのでしょうか。

 なら、ヴィルヘルム様も──。

「キャロル!」

「おはようございます、ザック。凱旋なさっ……」

「いいか! 落ち着いて聞け! いいな!?」

「は……?」

 随分と焦っています。

 そんなザックが必死の形相で、私の肩を摑つかみます。それほど大事な、重要な話があるというのでしょうか。