第三話 デートのお誘い



「……な? クリス」

「い、いや、だって、坊ちゃん……あたしは……」

「いいだろ? 僕は君を愛しているんだ。母上にも許可は取ってある。あとはクリスさえ承諾してくれるなら、僕は生涯クリス以外を愛することはない。誓うよ」

「……そうやって、どんな女も騙だましているんでしょうに」

「違う。僕の想いは真剣だ」

 どうしましょう。

 大変なことを聞いてしまっております。


 ヴィルヘルム様とアンドリューさんが決闘をされて、六日後の朝。

 今日もいつも通りにクリスにお弁当をお願いしようと、厨ちゆう房ぼうまでナタリア、メアリーの二人を連れて歩いていました。

 駐屯所まで行くのはナタリアが一緒ですが、屋敷の中では基本的にナタリア、メアリーの二人を連れています。ナタリアが休みの日はメアリーだけです。

 そして、今日も一品はヴィルヘルム様のお食事を作らせていただこうと、クリスにお願いをしに来たのですが。

 そんな私が目にしたのは、壁に手をついてクリスに、そのように迫っている兄アルベルトの姿でした。

 つい、見てはいけないものを見てしまった、と隠れてしまいました。

「……だって、あたしは坊ちゃんより十も年上ですよ。生まれだって平民だ。公爵令息なら、もっと見合った女と結婚した方がいいですって」

「クリス! 僕が愛しているのはクリスだけなんだ!」

「だったら、見合った女と結婚してください。その上であたしにお手つきを下さるんなら、まぁそのときに……」

「違う! 僕は、クリス以外の女となんか……!」

「いえ……気の迷いだと思ってくださいよ。身分の差を……」

「そんなもの関係ない!」

 わお。

 いつもいつも、兄上がクリスのことを愛している、と公言しているのは知っています。私も何度も聞いています。

 ですが、そのたびにクリスがどうでもいい、とばかりに流していたのです。

 このように、顔を赤らめて兄上を見るクリスは、なんだかすごく新鮮に思えます。

 曲がり角に隠れながら、一番下に私、その次にメアリー、一番上にナタリアがちょっとだけ顔を出しつつ、二人のやり取りを見守ります。完全に出歯亀です。

 ですが気になるのです。兄上とクリスは最近いい感じになってきた、と言っていましたけど、これほど進展しているとは思いませんでした。

 クリスの方も、身分の差があるから、くらいの拒否です。そんなもの兄上には関係ありません。

 クリスが良いならば、兄上はがんがんいくでしょう。

「よくいらっしゃる、アンダーソン侯爵家のお嬢さんなんかどうです? あたしなんかより、もっと坊ちゃんを支えられますよ」

「クリス……君は……」

「だって、ねぇ? 誰が認めてくれますか。公爵令息の正妻が平民の料理人で、しかも十も年上とか。あたしもね、坊ちゃんのことは別に嫌いじゃないですよ。だから、坊ちゃんの愛人になるんなら……」

「坊ちゃんって呼ばないでくれ!」

 そこで、兄上が声を荒らげました。

 修羅場です。見ていてなんだかにやにやしてしまいます。

 ですが、じっとここで三人並んで隠れているので、全員の体が密着しています。具体的には私の背中にメアリーがくっついています。

 そんな私の背中に当たる双丘の部分が、思った以上の大きさであったことに少々落ち込んでしまいます。

 ナタリアがばいんばいんなら、メアリーはたゆんたゆんです。最近、メアリーに色々教えるように頼んだリチャードが、毎日のように上機嫌なのはそういう理由なのでしょう。

 黒い感情が湧いてきますが、ひとまず捨ておきます。今は兄上の恋路を見守ることが大事です。

「クリス……僕のことが嫌いかい?」

「いや……嫌いってわけじゃ」

「じゃあ、僕のことが好きかい?」

「まぁ……いや、ええと……」

 兄上は押せ押せですね。何故そんなにも積極的なのでしょうか。

 今まで、こんなにも熱烈に言っているのを、見たことなどないのですけど。

「……嫌いなら、許したりはしませんよ」

「じゃあ!」

「あの夜は気の迷いですよ。あたしはもう忘れています。坊ちゃんは、坊ちゃんの……」

「僕のことはアルベルトと呼んでくれと、そう言っただろう! 呼んでくれたじゃないか!」

「……だから、気の迷いです。なかったことにしましょうよ」

「なかったことになんてできない! 僕はずっとクリスのことを愛していたんだ! 愛する女性との夜を、どうして忘れることができる!」

 どうやら、夜に何かあったみたいです。

 兄上の口調からすると大事件のようですが、一体何があったのでしょうか。

 クリスの顔が真っ赤ですね。あんなクリスの姿を見るのが新鮮です。

「もう一度……僕のことを、アルベルトと、そう呼んでくれ」

「……坊ちゃん、あたしは」

「もう一度だけだ。それだけでいいんだ」

「ああ……もう、あ、アルベルト、様……」

「クリス!」

 そして。

 兄上がクリスを抱きしめて、そのまま口付けをしました。

 クリスもそれを拒否することなく、兄上に全てを任せています。朝からなんという破廉恥なのでしょう。それを覗のぞいている私はもっと破廉恥ですけど。

 胸がどきどきします。

 そうです、愛し合っている男女は、このように抱擁と口付けを交わすものなのです。色々と読んできた恋物語も、大抵は口付けを交わして終わっているのです。

 恥ずかしながら、このように人が口付けを交わしている姿を初めて見ました。

 これほど心動かされるものだとは。

「結婚しよう、クリス。僕は、君とならどんな困難だって乗り越えられる」

「アルベルト、様……」

 すっ、と。

 私はそこで顔を引っ込めました。

 既に十分すぎるほどに見てしまいましたが、これ以上覗くのは野暮でしょう。私が引っ込めたことで、メアリーとナタリアも顔を引っ込めます。

 二人に目だけで合図をして、一いつ旦たん戻ることにします。

 先に朝食をいただくことにしましょう。

 厨房から離れて食堂へ向かい、既に座られている父上と母上の前に座ります。当然ながら、そこに兄上はいらっしゃいません。いたらびっくりします。

「おはようございます、父上、母上」

「おはよう、キャロル」

「おはようございます、キャロル。少し顔が赤いようですが、どうしましたか?」

「い、いえ。何でもありません」

 さすがに、朝からあのような行為を見せられては、顔も赤くなるというものです。

 ですが、良かったです。ようやく兄上の想いは、クリスに通じてくれたみたいですし。

 いずれ、クリスをお義ね姉え様と呼ばねばならない日が来るのでしょうか。

 そこで、少しだけ考えます。

 先程兄上が行っていたような、情熱的な言葉と抱擁、そして──口付け。

 もしも、あれを私が、ヴィルヘルム様にされたら──。

 ぼんっ、とまるで音がするかのように、顔中に熱が走りました。

 どうしましょう。そのようなことになったら、私は幸せで倒れてしまうかもしれません。

 ヴィルヘルム様の逞たくましいお体に抱きしめていただき、そしてお髭ひげの素敵な口元が近付いて、情熱的に口付けを交わす──それを考えるだけで、頭が茹ゆだってしまうのではないか、と思うほど熱くなりました。

「……キャロル?」

「顔が更に赤くなっていますけど、大丈夫ですか?」

「はぅ……」

 ヴィルヘルム様。

 キャロルは、いつでもお待ちしております。

 兄上がクリスにしたような、心を揺さぶられるような愛の言葉と、そして情熱的な口付けを。


◇◇◇


 いつも通りに、バスケットを抱えて駐屯所に向かいます。

 お昼前に行って、ヴィルヘルム様と昼食をご一緒してから講義に入る、という形です。同じ講義ばかりなのですが、毎回皆様から違った反応があるので面白いですね。

 一緒に行くのはナタリアです。メアリーは今日はお留守番です。

 玄関を抜けてから、団長室へ向かいます。まず団長室でご挨あい拶さつをして、それから応接室で昼食です。

 以前は玄関で受付をしてから、手続きを終わらせて入る、という形を取らなければいけませんでした。ですが現在は、私は臨時講師という立場で身分証を発行してもらっているので、一人で駐屯所の中を歩けるのです。もっとも、連れているナタリアは手続きをしなければならないのですが。

「失礼します、ヴィルヘルムさ……」

「すまぬがヴェクター、話は以上だ」

「……ですが、団長」

 いつも通りに団長室の扉をノックして、入ります。以前はお返事があるまでお待ちしていたのですが、気にせず入ってくれていい、と仰おつしやったので甘えて、すぐに入るようにしていたのですが。

 あれ、と首を傾げます。

 団長室にいらっしゃったのは、ヴィルヘルム様と騎士団の副長であるヴェクター様のお二人でした。

 ヴィルヘルム様が、何やら難しそうな顔をされております。

 お仕事の話をされているのでしたら、改めて出直した方が良いのかもしれません。

「む……おぉ、キャロル」

「ええと……何かお話があるようでしたら、後ほど参りましょうか?」

「いや……話は終わったところだ。ヴェクター、ひとまずは、そういう形で頼む。三日後だ」

「……承知いたしました。ですが、団長」

「分かっておる。詳しい話はまた後に発表する。すぐでは混乱もあろう」

「分かりました」

 ヴェクター副長が私にも一礼をして、それから団長室から出てゆきます。

 何があったのでしょうか。

 事情を聞きたいところですが、私の立場はあくまで騎士団の臨時講師です。騎士団の内情にまで触れられる立場ではありません。

 私が知るべきことだったら、ヴィルヘルム様が教えてくださるでしょう。

「すまぬな。今日も昼食を持ってきてくれたのか」

「はい。キャロルはヴィルヘルム様とお昼をご一緒したく思います」

「暫しばし待ってくれ。仕事を片付けておく」

 ヴィルヘルム様が椅子に座り、幾つかの書類に目を通されます。やはり騎士団長であるヴィルヘルム様には、やるべき仕事も多いのでしょう。体を壊さないか心配です。

 ですが、このようにお仕事をされている姿も凛り々りしいですね。文字を見るときに、少し眉まゆの間に皺しわを寄せる姿も精せい悍かんです。

「では、応接室に先に行っておりますね」

「ああ」

 先に、いつも昼食を共にしている応接室へ向かいます。

 そしてナタリアと共に応接室のソファに腰掛けて、昼食の準備をしておきます。とはいえ、今日のお弁当はサンドイッチなので、お茶を淹いれるくらいしか準備はありませんけど。

「待たせたな」

「いえ、大丈夫です。ヴィルヘルム様」

 お仕事が一段落ついたのか、ヴィルヘルム様が応接室にいらっしゃって、私と対面となるソファへ腰掛けられました。

 どことなくお疲れのようです。

 それも仕方のないことなのでしょうか。今日で平日は終わりで、明日が休日です。騎士団では基本的に交替で休んでいるとのことなのですが、ヴィルヘルム様は週末にお休みされるのだとか。

 明日はヴィルヘルム様もお休みですし、ゆっくりと体を休めていただきたいものです。

「うむ……美う味まいな」

「どれがお好みでしょうか?」

「そうだな……この卵と野菜の挟まったものかな。少し辛味が利いて、儂わし好みだ」

「ありがとうございます。ヴィルヘルム様は、甘いものよりも少し辛めのものの方がお好きだと伺いましたので」

「まぁ……そうだな」

 頰が緩みそうになるのを堪こらえます。

 実は、今日のサンドイッチは半分くらい、私が作ったものなのです。

 火を通すものは全部クリスが作ったのですが、火を通さずに具材を挟んで味付けするだけのものは、全部私に作らせてくれました。その中でも、特に気をつけて作ったのが先程ヴィルヘルム様に褒めていただいたものなのです。

 ヴィルヘルム様は少し辛めのものがお好きだと伺ったので、味付けにこだわりました。それを評価していただくというのは、これほど嬉うれしいことだったのですね。

「いつも、このように食事を用意してもらってすまぬな」

「いえ、ヴィルヘルム様のお体のためとあれば、キャロルに苦など何一つございません」

「そう言ってもらえるのはありがたい。だが、儂としても何か返すものではないか、と常々思っているのだ」

「そのようなお気遣いを……」

「いや、ただ貰もらってばかりというのも、心苦しいものなのだ」

 まぁ。

 これは私が、好きでやっていることなのです。ヴィルヘルム様に私の作ったものを召し上がっていただきたい、という下心が半分以上を占めているのです。

 だというのに、そう言われてしまうと恥ずかしいですね。

「ふむ……キャロル、明日は休みだったな?」

「はい。明日はお休みです」

 私のお休みも、ヴィルヘルム様と同じく週末です。

 週末になると学園もお休みですので、リリアが遊びに来るのです。本人曰いわく、メアリーを監視するためだとのことですけど、最近はそんなメアリーの反応も楽しんでいるように思えます。

 そこで、ぽん、とヴィルヘルム様が手を打たれました。

「いつも儂ばかり、キャロルに貰っているからな。たまには儂からも返させてほしい」

「そんな……」

「明日は何か予定があるか? もしも無いのならで構わないのだが……」

「何もありません! キャロルは空いております!」

 おっと、いけません。

 ちょっと焦って言ってしまいました。ヴィルヘルム様のお言葉を阻むなんて、私らしくもないことを。

 リリア、ごめんなさい。明日は私はいません。何ならメアリーと二人でお茶をしてください。

「お、おお、そうか……では、明日にでも食事をご馳ち走そうさせてほしい。その後も、少し街になど出てみぬか?」

「まぁ!」

 ヴィルヘルム様からそのようなお誘いがあるなんて!

 これは夢ではないでしょうか。ほっぺを抓つねりたいですが、ヴィルヘルム様の目の前でそのようにはしたない真似はできません。

 休日に男女二人で出かけることを、一般的にデートと呼ぶのです。

 つまりこれは、私とヴィルヘルム様二人でのデートなのです。

 どうしましょう。

 途端に頰が熱くなってきました。

「ヴィルヘルム様と休日にご一緒できること、嬉しく思います」

「うむ……まぁ、儂としてもキャロルへの感謝の気持ちを返したいのだ」

「ありがとうございます」

 思わぬお言葉でしたが、ヴィルヘルム様との初デートが決まりました。早速明日です。

 どのような服を着てゆきましょうか。家に帰ったら洋服棚と戦わねばいけませんね。

 街にも出るとのことですし、もしかすると、店員さんなどから「恋人ですか?」と聞かれることなどあったりするかもしれません。

 そんなとき、私は肯定してもいいのでしょうか。想像するだけで鼓動が跳ねるようです。

 どこに行くのかは全てヴィルヘルム様にお任せです。

 つまり、私はヴィルヘルム様にエスコートしていただくのです。

 ああ。

 早く明日になればいいのに!

「では……そうだな。明日の昼前にでも、屋敷まで迎えに行こう」

「はい。お待ちしております!」

 どうしましょう。

 どきどきして、明日が待ち遠しくてたまりません。

 午後からの講義で、ずっとにやにやしっぱなしだったらどうしましょうか。


◇◇◇


 どきどき。

 駐屯所での講義を終えて、屋敷に帰りました。いつもなら家族で夕食の時間を経て、それからメアリーも含めて資料作りを行うのですが、今日は違います。

 ですが、ひとまず夕食です。講義が終わって帰ると、大抵丁度よく夕食の時間なのです。

「ただいま戻りました、父上、母上」

「お帰り、キャロル」

 既に食堂には、父上と母上が座られておりました。兄上はいません。今日は遅く出たので、遅く帰られるのだと思います。遅番だと言っていました。

 私はひとまず、兄上がいないものの、自分の席に座ります。

「キャロル、楽しそうですね」

「はい、母上」

「何かいいことでもありましたか?」

「はい。明日、ヴィルヘルム様がお出かけに誘ってくださいました」

 ぶっ、と何故か父上が一口飲んだお茶を吐き出しました。

 何故でしょう。

「そうですか。ヴィルヘルム様が来られるのですか?」

「はい。明日の昼前に迎えに来てくださる、とのことです」

「分かりました。楽しんできなさい、キャロル」

「はい」

 母上の言葉に、そう頷うなずきます。

 ですが、大丈夫です。ヴィルヘルム様とご一緒できるなら、私はどこだって楽しいです。

 今からどきどきします。どちらに連れて行っていただけるのでしょうか。

「お、おい、エリザベート……」

「ヴィルヘルム様本人が言われるでしょう。恐らく、そのためにキャロルを誘ったのです」

「だが……」

「知らずとも良いことがあります。水を差してはいけません」

「……?」

 父上と母上が、小声でそのように話されていました。

 何かおかしなことでもあるのでしょうか。なんだか不穏な空気が漂っています。

「どちらにお出かけなのですか?」

「いえ、詳しいことは教えていただけませんでした」

「では、ヴィルヘルム様がエスコートしてくださるのですね。ならば、キャロルはヴィルヘルム様にお任せなさい」

「はい」

 勿もち論ろんです。

 私は全てヴィルヘルム様にお任せ致します。エスコートをされるのも淑女としての努めですから。

 クリスの作った料理を食べながら、頰が緩みます。

 はっ。

 そういえば、私はヴィルヘルム様の私服を見たことがありません。

 我が家で行っていたパーティに参加されていたときには、基本的に正装でした。いわゆるスーツです。

 そして夜会の際には、騎士としての正装である鎧よろい姿でした。

 その後も駐屯所にお邪魔していましたが、ヴィルヘルム様はいつも鎧のお姿だったのです。

 普段、どのような服を着られているのでしょうか。

 想像すると、なんだか頰が熱くなってきました。

「あの、母上」

「どうしましたか」

「お出かけの際に、注意することなどありますか?」

 殿方とお出かけというのは初めてです。そもそも誰かと一緒に出かけた、ということが限りなく少ないです。

 あ、ザックは例外です。あれは殿方と見み做なしません。そもそも二人で一緒に出かけたのは幼い頃のスラム街ですし、いい思い出などないですね。あとは歌劇もありますが、決してデートではありませんし。

 ふむ、と母上が僅わずかに眉まゆを上げました。

「身み嗜だしなみはきちんと整えなさい」

「はい」

「一緒に歩く際には、半歩後ろを歩きなさい」

「はい」

「料理の注文などはヴィルヘルム様に全てお任せするようになさい」

「はい」

「不ふ埒らちな真似をされそうになった場合は股こ間かんを蹴けり上げなさい」

「はい……はいっ!?」

「冗談です」

 思わぬ言葉に、つい大声を出してしまいました。

 ヴィルヘルム様にでしたら、不埒な真似などいくらされてもいいのですけど。どのくらいが不埒なのかは分かりません。

 頰に口付けしたことは不埒なことに入るのでしょうか。

「キャロル」

「はい」

「あなたはあなたのお好きなように振舞いなさい。自然体のあなたでいいのです」

「は……はい」

 母上の言葉に、そう曖あい昧まいに頷きます。

 好きなように振舞ったら……私の方がヴィルヘルム様に不埒な真似をしてしまうかもしれません。

 どうしてこのように、はしたないことばかり考えてしまうのでしょうか。

「ごちそうさまでした」

「ええ」

 夕食を終えて、部屋に戻ります。

 さて、お出かけの前に準備をしなければいけませんね。

「どんな服を着ていきましょう」

「普段着られているものでよろしいのでは?」

 そう、身も蓋ふたもない意見を言ってくるのはメアリーです。メアリー、分かっていませんね。

 やはりお出かけということで、しっかりとおめかしをしなければいけません。そしておめかしをする、というのは普段と違う格好をする、ということなのです。

 お気に入りのワンピースは、最近はよく着回しているので、ヴィルヘルム様には新鮮味がないでしょう。

 いつだったか母上に買っていただいた服を含めて、お洗濯が終わったものをその都度着ているのです。

 臨時講師には制服がありませんので、私服なのです。そして、部屋着のようなもので人前に出ることもできませんので、それなりに整った服を毎日着ているのです。

 そう、制服──。

「はっ!」

 そうでした。

 いつだったかナタリアが、基本的に殿方は学園の制服を好む、と教えてくれました。

 そして、以前に一度ヴィルヘルム様を訪ねたとき以来、制服は着ておりません。やはり、学園の制服を着て駐屯所で講義を行うのはおかしいだろう、と思えたからです。

 ですが、明日は休日です。休日に制服で過ごす、という学園生もいます。

 つまり、私が明日、学園の制服でヴィルヘルム様とお会いしても、何の問題もないということです。

「完かん璧ぺきです!」

「ええと……お嬢様、服は決まったのですか?」

「ええ。学園の制服を着ていきます」

「え……」

 ナタリアは今厨ちゆう房ぼうの手伝いに行っています。ロバートの件があってから雇った新しい料理人が育っていないのでかなり仕事量が多いそうで、クリスに頼まれて手伝いに行くのだそうです。

 ですので今、私の部屋にいるのはメアリーだけです。

 そんなメアリーが、制服を着てゆく、という私の言葉に不思議そうに眉まゆ根ねを寄せました。

「ええと……お嬢様、何故、制服を?」

「メアリー、知らないのですか? 基本的に殿方は学園の制服を好むのだそうですよ」

「……そう、なんですか?」

「ええ」

 私も詳しく知っているわけではありませんが、ナタリアがそう言っていましたし。

 ナタリアはできる使用人なので、間違ったことは言わないでしょう。現に、学園の制服を着て駐屯所に行った日、なんとなく反応が違うようにも思えましたし。

 まぁ、その後に私が失言をしてしまったせいで、ヴィルヘルム様を怒らせてしまったのですけど。

 もう二度と、命を盾に迫るような真似をしてはいけませんね。

 私は、母上の教えに従い、いい女を目指すのですから。

「では、制服の準備をしておきましょう」

 服の件はこれで解決です。

 ヴィルヘルム様、お待ちになっていてください。

 キャロルは、殿方のお好みをちゃんと分かっております。


◇◇◇


「起きました」

 まだ外は暗いですけど、体を起こします。

 多分まだ早朝です。日も昇っておりません。だというのに、目が覚めてしまいました。

 今日はヴィルヘルム様とお出かけです。

 楽しみすぎて昨夜ゆうべはなかなか寝付けず、そしてようやく寝たはいいものの、このように早くに目が覚めてしまいました。

 どうしましょう。

 どう考えても早すぎます。しっかり寝ておかないと途中で眠くなってしまうかもしれません。そうでなくとも、睡眠不足はお肌の大敵なのです。

 もう一度横になります。

 目を閉じます。

 しっかり眠るように自分に言い聞かせます。

 ……。

 ……。

 眠れません!

「どうしましょう……」

 これほど早くに起きても、することなんてありません。編み物でもしようかと思いましたけど、まだ外は暗いです。

 わざわざランプを点つけてまで、編み物をしてもいけませんよね。

 同様に、明日のための資料作りもできません。結局昨夜は興奮して、制服に合う装飾品は何かないだろうか、と寝る直前まで宝石箱をひっくり返していました。

 結局、どんなアクセサリーも制服には似合わない、ということが判明しました。唯一、髪飾りだけはしていく予定です。蝶ちようを模したもので、それほど高価なものというわけではないのですが、兄上にいただいたものです。

 騎士団に入って、初めて給金を貰もらった、とのことでいただきました。私にはまだ大人っぽすぎるかな、と思ってしまっていたのですけど。

「はぁ……」

 ひとまずベッドで横になっていますが、全く眠れそうにありません。むしろ、完全に目が冴さえています。

 日が昇るまで、せめて目を閉じているべきなのでしょうか。

 すると、私の視界の端に、ちらりとランプの灯あかりが見えました。

 思わず、そちらに目を向けます。

「あ……あれ、お嬢様、もうお目覚めですか?」

「……メアリー?」

 誰かと思えば、そこにいたのはランプを手に持ったメアリーでした。

 そういえば先日、勤務態度も良く真面目にやっている、というリチャードからの報告もあり、当直番を任せることにした、という話を聞きました。当直番は一晩中起きて、一定時間おきに見回りをする役割です。一晩中起きていなければいけませんので、別に当直手当が出るのです。

 メアリーには給金を出さないし休日も与えない、という話でしたけど、使用人として働き始めてもう一ヶ月ほどになります。態度が良い、という報告をよく聞いているので、他の使用人と同じ待遇にしよう、という形で話がまとまりました。

 ですので、メアリーにはちゃんと給金が出ますし休日もあります。アンブラウス公爵家は決してブラックではないのですよ。

「当直ですか?」

「は、はい。見回りの途中です。まだ起きるには早いですが……」

「ええ。ヴィルヘルム様とのお出かけが楽しみで、早起きしてしまいました」

「……そう、ですか」

 すると、メアリーが小さく顔を俯うつむけました。

 何かあったのでしょうか。

 別に現状、することも特にないので、話を聞きましょうか。

「どうかしましたか、メアリー」

「……いえ、その」

「言いにくいなら構いませんよ。私は早起きしすぎて、することがないですから話でも聞こうと思っただけです」

「……お嬢様」

 こほん、とメアリーが咳せき払ばらいをします。

 そして、ランプを手近なテーブルの上に置いて、それから私に向けて膝ひざをつきました。

 頭を下げます。

 土下座です。

「……メアリー?」

「本当に、本当に……申し訳、ありませんでした、お嬢様……」

「どうしたのですか、いきなり」

「ずっと、ずっと、謝罪をしたく思っていました……」

「……?」

 何かされたでしょうか。

 先日、私のお気に入りのマグカップを割った、という話は、もう謝ってもらっていますし。ああ、その前にはメアリーが寝過ごして、資料の作成に来られなかったこともありましたね。あれも次の日謝っていましたし。その前というと、お洗濯で父上の服をずたずたにしてしまった、ということくらいでしょうか。あれを私に謝られても困ります。

 心の中で、そうメアリーのしたことを思い出しますが、心当たりがさっぱりありません。

「最初は、ただの出来心でした……うまくいけば、実家が、王家の庇ひ護ごを得られる、と……」

「……」

「殿下と、お嬢様の仲があまり良くない、と噂で聞いていて……それなら、私にも機会が、と……」

「ああ、なるほど。そのことでしたか」

 随分と昔の話のように思えますね。

 というか、まさかその件について謝罪をされるとは思っていませんでした。私の中では、既に終わった話でしたし。

 今更殿下との婚約を破談にさせたことについて謝罪されるとは思っていませんでしたけど。端的に言うなら、もう正直どうでもいいです。殿下も既に王位継承権を失いましたし、私はヴィルヘルム様とお出かけですし。

 つまり、私はメアリーに対して何の怒りも持っていません。むしろ、ありがとうと言いたいくらいです。

 だからこそ、割と私も母上にメアリーの待遇改善を言いましたし。

「お嬢様に非が向くように、と噓を吐いたのは事実です……。まさか、あれほど殿下が直情的に行動なさるとは思わず……」

「まぁ、そうですよね……」

 本当に次代の王を継ぐ、という自覚があったのでしょうか。

 まぁ、もう二度と会うことはないでしょうし、気にしていても仕方ありませんね。

「メアリー、私は怒っていませんよ」

「ですが……っ!」

「むしろ、あなたには感謝しています。あなたが私と殿下の婚約を引き裂いてくれたおかげで、私は今こうして、ヴィルヘルム様とお出かけするのを楽しみにしているのですから。今更、あなたの罪を問うつもりはありません」

「し、しかし、私は……」

「あ」

 メアリーが申し訳なさそうに顔を伏せています。

 ですが、いいことを思いつきました。

 私は一応レイフォード殿下の婚約者でしたので、今まで夜会などでも男性と会話することがありませんでした。一応、婚約者がいる状態で同年代の男性と会話をすることは、それ自体が不義に問われる可能性もある、というためです。

 ですので、どのように男性に接するのが正しいのか全く分かりません。せいぜい、恋物語を読んで知っているくらいのものです。

 どうすれば、ヴィルヘルム様に私を意識してもらえるのでしょうか。

「メアリー」

「は、はい」

「それほど申し訳ないと思っているのなら、一つ、私に教えてくれませんか?」

「わ、私にできることでしたら」

 私も詳しくは知りませんけど、メアリーは元男爵令嬢です。学園で一応一緒だったとはいえ、殿下からは限りなく遠い存在だったはずです。

 だというのに近付き、殿下を籠ろう絡らくし、私との婚約を破談にまで追い込んだ手腕は、十分に評価できるものでしょう。

 それを少しでも、私に教えてくれると助かります。

 恋物語を参考にしたせいで、私は自死を迫るような痛々しい女になってしまったのです。

 ここはメアリーの経験を参考にさせてもらいましょう。

「どうやって殿下と恋仲になることができたのですか?」

「へ?」

「殿下は……まぁ、あのような方でしたし、男爵令嬢だったあなたでは、近付くことも難しかったのではありませんか?」

「まぁ……はい、そうですね」

 私の質問に、メアリーがそう頷うなずきます。

 身分の差というのは如実に存在しているのです。私はそれほど身分に拘こだわりがあるわけではありませんが、殿下は自身が王族である、ということを誇示していました。どう考えても、近付こうとすれば「身分の差を考えよ」とでも言われそうです。

「そんな中で、どうして殿下とお近付きになれたのですか?」

「いえ……それは……」

 メアリーが目を泳がせています。

 言いにくい、とばかりに眉まゆを寄せています。

 まぁ、確かに元婚約者をどのように奪ったのかという話をしろ、というのも話しにくいですよね。

「大丈夫です。どのような話をしても怒りはしませんよ」

「本当……ですか?」

「ええ、誓いましょう」

 メアリーが、念押しのように聞いてくるのにそう頷きます。

 別段、殿下へどのように近付いた、と言われても怒りなど湧いてこないと思いますし。

「ええと……あの、とある、パーティで」

「ふむふむ」

「その……私は、一応、人よりは大きかったので……ちょっと、それを主張した、というか……」

「ふむふむ……?」

「胸元がよく見えるように、開いたドレスを着て、わざと殿下に胸を押し付けたりとか……。それで、名前を聞かれて……。その後も、何度か、押し当てたり……」

「……」

 怒りはしません。私はそう言いました。

 ですが、どうしましょう。ふつふつと怒りが湧いてきます。

 結局は胸ですか。そうですか。


◇◇◇


 朝になりました。

 なんだかんだで結局寝付けなくて、メアリーと色々話をしているうちに日が昇りました。メアリーとはこれまでも接してきましたけど、こんな風に胸襟を開いて話したのは初めてですね。

 割と仲良くなった気がします。

 そして父上、母上、兄上と共に朝食を摂とり、制服に着替えて部屋で待機です。

 いつヴィルヘルム様が来られてもいいように、準備万端です。

 さぁ、いつでもいらっしゃってくださいませ!

 まぁ、来られるのは昼前で今はまだ朝なんですけどね。

「暇ですねぇ……」

「お嬢様、編み物はどうですか?」

「マフラーが完成しました」

 結局日が昇ってからメアリーが仕事に戻って暇になったので、その間ずっとマフラーを編んでいました。その結果、完成してしまいました。

 ヴィルヘルム様のように大きな方でも大丈夫なように、大きめサイズのマフラーです。

 まだマフラーが必要なほど寒くありませんが、これから冬がやって来ます。いつヴィルヘルム様が巻かれてもいいように、今日お渡ししてしまいましょう。

 喜んでくださるでしょうか。

 考えるだけで、頰が緩んでしまいます。

「なるほど。拝見してもよろしいですか?」

「ええ」

 ナタリアに、完成したマフラーを手渡します。

 出来はそれなりに良いと思っています。ちゃんと肌触りが良いように、柔らかく編んだつもりです。

 固く編むと毛糸でお人形が作れるらしいのですが、私の腕はそこまでありませんので、まずは単色のマフラーです。

「お嬢様、初めて作られたんですよね?」

「ええ」

「それにしては、良い出来です。これならプレゼントとしてお渡ししても大丈夫でしょう」

「そうですか。良かったです」

 ナタリアにそう言ってもらえるのなら、安心ですね。

 私も初めて作ったものですし、他の方が作ったものも見たことがありません。ですので比較対象がなかったのです。

 さて。

 ひとまず編み物も完成してしまいましたし、やっぱり暇ですね。

 本でも読んで待っていましょうか。そう考えて、本棚へ向かいます。最近は本も読んでいませんし、少しくらいいいかもしれません。

 と、適当な本を一冊取ったところで、こんこん、と扉が叩たたかれました。

「し、失礼します、お嬢様」

「どうしましたか、メアリー」

「あ、あの、お、お嬢様に、お客様が、いらっしゃっています……」

「あたしよ」

 メアリーの後ろからずいっ、と出てきたのは、リリアでした。

 なるほど、道理でメアリーが随分怯おびえているはずです。週に一度は我が家にお茶を飲みに来るのですが、メアリーはそのたびに側仕えを頼まれるのです。そして、少しでも粗相があればびしびし注意するのです。そこまで注意しなくても、と思うのですが、リリアが楽しそうなのでそのままにしています。

 と、それはいいとして。

 何故いるのでしょう。

「……リリア?」

「何よ。あたしの顔を忘れたわけ?」

「いえ、そういうわけではありませんけど……」

 さすがに、週に一度我が家にやって来る親友の顔を忘れる、というのはあり得ないと思うのですけど。

 ですが、今日は私はヴィルヘルム様とお出かけです。ですので、リリアとお茶をする約束は断ったはずです。

 そのためにナタリアを、アンダーソン家まで送って伝えたはずなのですが。

「ええと……今日は」

「ああ、ちゃんと知ってるわよ。ナタリアから聞いたから」

「では、何故……?」

「前に言ったじゃない。あたしは定期的にこの家にお茶をいただきに来る、って。じゃないと、メアリーが下手な真似をしてないかどうか確認できないから。だから気を遣って、お昼から約束だって言ってたから午前に来たのよ」

「ああ……なるほど」

 つまり、リリアは週に一度、我が家に来てメアリーの様子を確認しなければならない、と考えているわけですね。

 だから私の約束の時間とずらして、一応軽く顔を見せに来た、ということでしょう。

 どうせ私も暇をしていましたし、リリアとお茶を楽しんでから行く、というのも悪くないですね。

 あと、リリアにもヴィルヘルム様とのお出かけでどう振舞うべきか助言をいただきましょう。

「では、どうぞ座ってください、リリア」

「ええ。お邪魔するわよ」

「メアリー、お茶を淹いれてください」

「か、かしこまりました」

 そうメアリーに指示して、私もリリアの前に座ります。

 さて、まず何から聞けばいいでしょうか。やはり淑女として、お出かけのときに気をつけることを聞くべきでしょうか。

「ふーん……」

 ですが、リリアはそう意味深に呟つぶやいて、メアリーの出ていった扉の向こうを見つめていました。

 何かあったのでしょうか。

「どうかしましたか?」

「ううん。随分メアリーを信用してるのね」

「まぁ、もう一ひと月つきになりますからね」

「たった一月だ、ってあたしは言いたいけどね。メアリーには食事関係は触らせないんじゃなかったの?」

「数日前から許可を出しています。最初はリチャードの監視下に置いていましたが、真面目に働いていますし、今は一人でも仕事ができるように整えています」

「……ったく。あたしばっか警戒してるのが馬鹿らしくなるくらいに甘々よね」

 はぁ、と大きくリリアが溜ため息いきを吐きました。

 以前からよく我が家のことを甘いと言いますけど、それほど甘いでしょうか。

 メアリーは一応真面目に働いてくれていますし、私たちも信頼するべきだと考えたのですけど。

 ちゃんと反省もしているみたいですし。

「ま、いいわ。別に、あたしもそこまでメアリーのこと疑ってるわけじゃないから」

「そうなんですか?」

「ええ」

 良かったです。

 メアリーの真面目な働きは、ちゃんとリリアにも伝わっていたのですね。

 いつかメアリーも含めてお茶会ができる日も来てくれるかもしれません。

「当然じゃない。不正の証拠は全部握られていて、告発されれば実家は潰つぶされるし自分は罪に問われること確定。そんな状態で怪しい動きを見せるわけないじゃない」

「……」

 どうやら信用ではなく打算のようです。

 まぁ、確かにリリアの言葉を考えると、反抗するだけ無駄、という感じですけど。

「では、そこまで警戒している、という態度を取らなくても……」

「キャロルとアンブラウス公爵家が甘々な以上、あたしくらいはしっかり見張ってなきゃダメでしょ。いい? 人間ってのは甘くするとつけ上がるのよ。一人くらいは厳しくしないと、調子に乗るに決まってるじゃない」

「はぁ……」

 よく分かりませんが、リリアのことは信用していますので、お任せしましょう。

 リリアの言葉を借りれば、不正の証拠は全部握られていて、告発されれば実家は潰されるし自分は罪に問われること確定、という状態でどのような行動を起こせばいいのかは分かりませんけど。私なら真面目に働いてどうにか信用を得るようにします。

 だからこそ、メアリーは真面目に働いているのだと思っていたのですが。

 その後、メアリーの運んできたお茶を二人で飲みながら、色々と話をします。

 リリアはまだ学園に通っているので、私が退学してからの学園の話などを主にします。まぁ、リリアは私以外に友達がいなかったので、今寂しい思いをしているのではないか、と心配ですけど。

 ですが、色々と学園の話を聞くと、やはり面白いですね。

 そして私の方からは、騎士団の駐屯所での話などを色々と教えます。

 ちゃんと臨時講師をやっているので、知り合いは多くなりました。

「あ、そういえばキャロル、聞いた? 戦争の話」

 もうそろそろ昼前です。

 いつヴィルヘルム様が来られるのか、と思うとそわそわしてしまいます。どきどきします。

 そのせいで、リリアの話も半分くらいは頭に入ってきません。

「ええと……戦争の話、ですか?」

「うん。あれ? 今、騎士団の駐屯所で働いてるのよね? あたしも噂くらいしか聞いてないんだけど……騎士団で話聞いてないの?」

「ええ。聞いていません」

「ふーん……まぁ、帝国が今、戦争の真っ只ただ中なかにあるのは知ってるでしょ?」

「まぁ、それくらいは」

 詳しくは知りませんけど、隣国は随分揉もめている、という話を聞いています。

 フレアキスタは帝国に従属していますので、隣国であるエスティ公国とは一応敵対関係にありますね。

「ガルランド王国が帝国の要請に応こたえて、最前線に兵を送ったらしいわ。で、ガルランドとフレアキスタは同盟関係にあるのよね」

「はぁ……そうなんですか」

 話を聞いていても、戦争は嫌ですね、くらいの感想しか思い浮かびません。どことなく、ぴんと来ない、と言った方がいいでしょうか。

 帝国と他国の戦争は、一年以上続いている、という話は聞いていますけど、それ以上の情報はないのです。

「……そっか、だからか」

「へ?」

「ううん、何でもないわ」

 そう、リリアが首を振ります。

 一体どういうことなのでしょうか。

 すると、そこでこんこん、と私の部屋の扉が叩かれました。

「失礼します、お嬢様」

「どうしましたか、リチャード」

 扉を開いて入ってきたのは、リチャードでした。相変わらずちらりとナタリアの胸元を見てから私を見る悪癖は、いつになれば直るのでしょう。

 多分死ぬまで直らないのでしょうね。

「はい、お嬢様にお客様がいらっしゃっております」

「まぁ!」

「騎士団長、ヴィルヘルム様でございます」

 ついに。

 ついに。

 ついに、ヴィルヘルム様が、いらっしゃってくださいました──!

「ヴィルヘルム様!」

「あ、ちょ、キャロル、待……」

 急いで玄関に向かいます。

 リリアとお茶を飲みながらも、ずっとずっとご来訪をお待ちしておりました。やっとヴィルヘルム様とお出かけです。今から心が弾みます。

 一体どちらに連れていっていただけるのでしょうか。

 あ、それよりもきっと、ヴィルヘルム様は本日私服でいらしておられます。どのような服装なのでしょうか。

 リリアには申し訳ありませんが、ヴィルヘルム様がお越しとなれば、私の優先順位は圧倒的にヴィルヘルム様なのです。

「久しぶりですね、ヴィルヘルム様」

「おお、エリザベートか。変わっておらぬな」

「まぁ。もういい年の女でございます。お世辞とはいえ、ありがたく受け取っておきますね」

「いや、本当に変わっておらぬのだがな……」

 いました、ヴィルヘルム様です。

 玄関で今まさに、母上と何やらお話しされているようです。これが他の女性だったら困惑するかもしれませんが、誰でもない母上なので安心ですね。何気に我が家の両親はラブラブですから。

 ヴィルヘルム様は、カジュアルなセーターとスラックスのお姿です。首元まで覆うセーターは、肌寒くなってきた時期なので丁度いいでしょう。私服姿も素敵です。勿もち論ろん、鎧よろい姿も凛り々りしいので素敵です。というかヴィルヘルム様が素敵です。

「ヴィルヘルム様!」

「む……キャロル」

「お待たせして申し訳ありません!」

「いや、それほど待ってはおらぬが……」

 ええと、とヴィルヘルム様が、不思議そうに私を見ています。そんなに見られると恥ずかしいです。

 髪形は崩れていないでしょうか。予期せぬリリアの来訪がありましたので、直前に鏡で見ておりません。

 そして、そんな私を見て何故か母上が首を傾げました。

「キャロル」

「はい、母上」

「母は疑問なのですが、何故あなたは制服を着ているのですか? 服なら先日、仕立屋に十数着ほど注文したと思うのですが」

「はい、勿論服はあります、母上」

 お気に入りのワンピースもありますし、スカートもブラウスも、あとは夜会でのドレスもあります。

 別に服がないわけではありません。なのに、制服を着ているのが母上にしてみれば奇妙なのでしょう。

 ここはちゃんと理由を説明しなければいけません。

「母上、殿方は学園の制服を好むのだそうです」

「そうなのですか?」

「はい。私も詳しく存じ上げるわけではありませんが、殿方は基本的に好まれるのだそうです」

「なるほど。そうなのですか、ヴィルヘルム様」

「……い、いや、それはどうなのだろうか」

 母上がヴィルヘルム様にそう聞くと、何故か答えにくそうにそう口ごもられました。

 もしかすると、ヴィルヘルム様は制服がお好みではないのでしょうか。ナタリアは基本的に殿方は学園の制服を好むのだ、と言ってくれましたが、やはりそこには個人差があるのかもしれません。

 こほん、とヴィルヘルム様が咳せき払ばらいをされました。

「きゃ、キャロルよ。制服はちょっと……何だ。着替えてはどうだろうか?」

「……ヴィルヘルム様は、制服がお嫌いですか?」

「い、いや、そういうわけではない。だが、既にキャロルは学園には在籍しておらぬ身であろう。制服とは学園に通っている者が着る服だ。それを着て外出するとなれば、まだキャロルが学園に在籍しているもの、と周りに思われる」

「……そう、ですね」

 なるほど、確かにヴィルヘルム様のお言葉はその通りです。

 既に学園には退学届を出しています。そんな状態で、制服で出歩く、というのは周りに誤解を与えるかもしれませんね。

 可愛らしいデザインなので、できれば普段着として使いたかったのですが、制服を着ていること自体が学園への在籍を如実にあらわすものです。つまり、身分詐称になる可能性もあるのです。

 では、やはり着替えた方が良いのでしょうか。

「分かりました、ヴィルヘルム様。お待たせするのは申し訳ありませんが、着替えてまいります」

「あ、ああ。大丈夫だ。待つくらいならば構わぬ」

「はい。では少々お待ちください」

 では、早く戻って着替えないといけませんね。

 ここはやはり、お気に入りのワンピースにしましょう。確かクローゼットの中にあったはずです。

 でも、ワンピースはよく着ておりますし、今日は別のものにした方がいいのかもしれません。

 今から選ぶと、時間がかかってしまうのではないでしょうか。

 ああ、どうして制服以外の服をちゃんと選んでおかなかったのでしょうか。

「キャロル」

「は、はい。母上」

 急いで部屋に戻っていると、後ろからそう母上の声がしました。

 相変わらずアグレッシブな母上は、私のすぐ後ろにいたようです。

 何かご用でしょうか。

「折角です。母が服を見繕って差し上げましょう」

「まぁ!」

 助かります。

 服というのは無いのも困るのですが、ありすぎても選択肢が多くて困るのです。

 母上の見立てなら、きっと可愛らしいものを選んでくださるでしょう。

 そんな風に、母上と共にまず私の部屋に戻ります。リリアはどうやら帰ったようです。

 あまりヴィルヘルム様をお待たせするわけにもいきませんし、母上がすぐにクローゼットを開いて、何着か取り出しました。

「そうですね……今日は天気もいいですし、まずこちらですね」

「はい、母上」

 母上からまず受け取ったのは、白のチュニックと桃色のカーディガンです。

 肌寒い季節なので、ちょっと一枚上に羽織るのが丁度良さそうですね。

 チュニックは丈が長いので、下とどう合わせるかを悩んで結局あまり着ておりません。

 制服を脱いで、まずチュニックを着てからカーディガンを羽織ります。

 姿見で確認すると、結構いいです。制服のプリーツスカートとも合いそうですね。

「下はこれです」

「はい、母上」

 母上が次に出してきたのは、チェック柄のフレアスカートと白のペチコートでした。

 まずペチコートを下に穿はいて、その上にフレアスカートを穿きます。ペチコートの端がちゃんと見えるようにしておきます。

 あ、可愛いです。

 さすがは母上。私が何と合わせるか悩んでいたものを、全部ちゃんとコーディネートしてくれています。

「では、これで問題ありませんね」

「ありがとうございます、母上」

 助かりました。

 私一人だと、きっとずっと悩んでいたことでしょう。

 ですが母上は首を横に振り、それから私が脱いで置いておいた制服を畳みました。

「キャロル」

「はい」

「もう、この制服は着ない、と考えていいのですね」

「まぁ……そうですね」

 学園に復学するつもりはありませんし、ヴィルヘルム様もお好みでないのなら、もう着る理由がありません。

 ですので、そう頷うなずくと、母上が微笑みました。

「分かりました。では、こちらは母が借りましょう」

「母上が、ですか?」

「ええ。殿方は学園の制服がお好みだとのことですし、ちょっと今夜にでもギリアムに見せてみましょう」

「……」

 姿見の前で母上が、るんるん、と制服を自分の体に合わせながら見ています。

 母上は若々しいので、制服を着れば学園生だとも思われるかもしれません。私とも姉妹に見られるくらいですし。

 ですが。

 ごめんなさい母上。本当に申し訳ないのですが。

 実年齢を知っておりますので、正直ちょっと引きます。