第二話 アンドリューという男



 さて、今日も今日とて講義に行かねば。

 昨日はメアリーがお休みで、今日はナタリアがお休みです。昨夜ゆうべは少しだけ、遅くまで資料作りに時間がかかってしまいました。

 もうそろそろ資料も洗練されてきましたし、これ以上はあまり触らない方が良いかもしれませんね。そのあたりも、今後ヴィルヘルム様と相談することにしましょう。

 ナタリアは今頃、ザックと合流している頃でしょうか。ちゃんと明日の出勤のときに、ことの顚てん末まつを聞かねばいけませんね。

 私としては、二人が良い関係になってくれると助かるのですけど。ナタリアは美人で性格もいいのに、恋人がいる素振りが一つもありませんでしたから。

 ですが、もしもナタリアが結婚してしまうと、私の専属侍女がメアリーしかいなくなってしまいますね。さすがにそのときは、母上に頼んで護衛の方を雇うべきかもしれません。メアリー弱いですし。

「お嬢様、迎えの方が来られました」

「おや。もうそんな時間ですか」

 メアリーと一緒に、クリスの作った昼食をバスケットに詰めているところで、リチャードがそのように伝えてきました。

 毎朝、こんな風に騎士団からお迎えの方が来てくださるのです。大抵の場合はザックですね。ヴィルヘルム様が、私の顔見知りの方が良いだろうと気遣ってくださるのです。

 さて、少し急がないと。

 バスケットに昼食を詰めて、そちらを抱えて玄関に向かいます。そして、昨日作った書類は鞄かばんに詰めて、メアリーに持たせます。

 さて、今日は誰が来てくれているのでしょう。ヴィルヘルム様は昨日、腕の良い方を寄越すと仰おつしやっていましたけど。

「よォ」

「あなたですか、アンドリューさん」

 玄関で私が出てくるのを待っていたのは、騎士団の小隊長アンドリューさんでした。

 まぁ、確かに顔見知りではありますけど。普段、講義に出てこられるときと違って、今日は騎士団の正装です。やっぱり普段、非番の日にいらっしゃっているのですね。

 そんなアンドリューさんが、私の言葉にくくっ、と笑います。

「なんだよ。俺じゃ不満だってかァ?」

「いえ、そんなことはありませんよ。道中、よろしくお願いします」

「あァ。任せな」

 ザックよりは頼りになりそうです。ザックは本人曰いわく騎士団の出世頭らしいのですけど、どうしても幼い頃の印象だとか、ナタリアに一撃で吹き飛ばされたりとか、そういうのが先に来るんですよね。

 さて、それでは向かうとしましょう。

 リチャードに見送られて、アンドリューさんを先頭に私とメアリーがついていきます。

 くぁぁ、と眠たげにあくびをして、アンドリューさんが手を出しました。

 んっ、と手を出されましても。

「よこせ」

「はい?」

「いや、だからよこせっての。荷物くれェなら運んでやるよ」

「ああ、いえ。結構です」

 なるほど、アンドリューさんなりに気を遣ってくれているのですね。

 確かにバスケットは大きいですし、私が持つと重そうに見えるかもしれません。まぁ、決して軽いものではないですけど、このくらいなら大丈夫ですよ。駐屯所はそれほど遠くありませんし。重い水筒の方はメアリーに持たせていますし。

 それに何より、ヴィルヘルム様が召し上がるものですから。

 ちゃんと私が、心を込めて持ってゆくのです。

「んな遠慮すんなよ」

「いえいえ、大丈夫です。こちらはヴィルヘルム様に召し上がっていただくものですから、私がちゃんと持っていきます」

「……へェ。ああ、そうかよ」

 けっ、と何故か不機嫌そうにアンドリューさんが頰を搔かいています。

 確かにせっかくの申し出を、断るのも申し訳がないですね。アンドリューさんは純粋に気遣ってくださったのでしょうし。

 ですが、私にも譲れない部分というのがありまして。

「お前めェさ、この辺には詳しいのか?」

「商店街ですか?」

 騎士団の駐屯所に向かうには、商店街を抜けていかねばならないのです。

 兄上と一緒に向かうときには、お店を開いているおばさま方が黄色い声を上げているのをよく聞きます。私はあまりこのあたりでお買い物をしないので、詳しくないんですよね。

「私はあまり、入らないもので」

「やっぱ、貴族の嬢ちゃんとなれば、この辺で買い物はしねェってか」

「そういうわけではありませんよ。私は、お金を持ち歩いていないもので」

 帰り道に、串くし焼やきの匂いとかするとつい欲しくなってしまいます。ですが、私はお金を持ち歩かないのです。

 最低限の金額は、母上がナタリアに持たせてくれます。しかし、私がお金を使った場合、ナタリアから母上に全部報告がゆくのです。帰り道で買い食いをしていた、などと報告されても困りますから、買わないのです。

 加えて、服や装飾品などは屋敷に届けてもらうのが当然ですから。時には仕立屋を呼んで、採寸から注文をすることもあります。どちらにせよ、お金を支払うのは届けられてからになるのです。

「へェ。じゃ、興味はあるのか?」

「まぁ……そうですね」

 何か講義に役立つものがあるかもしれませんし。

 それに、やはり行ったことのないところ、入ったことのないところというのは新鮮ですから。

「よし、じゃァ、あそこ入ろうぜ」

「へ?」

「雑貨屋だよ。割と品揃えはいィぜ。まァ、見てみろ」

「え、ちょ、ちょっと……」

 アンドリューさんに腕を引かれて、無理やり雑貨屋さんに入ることになりました。

 私、これから駐屯所に向かうところなのですけど。まぁ、普段よりも随分早くからアンドリューさんが来ていましたので、時間に余裕はありますが。

 そして、せっかく入ったお店を、すぐに出るというわけにはいきません。

 ああ、もう、と半分諦あきらめながら、私もお店の中を見ることにします。

「いらっしゃいませ」

 会計の席に座ったままの店員さんが、そう挨あい拶さつをします。ですが、それだけです。

 自由に見てくれ、ということなのでしょうか。

 アンドリューさんに無理やり連れてこられたようなものではありますが、色々と見てみましょう。

 可愛らしい装飾品や布地、小物など色々とありますね。

「へぇ……」

「どうだ?」

「可愛いものが多いですね」

 特に講義に役立ちそうなものはありませんが、髪を縛る紐ひもとか、編み物用の毛糸とか、実用品が多いです。

 あとはポプリだったり、ちょっとした置物だったり、見ていて飽きません。

 これは今度のお休みにでも、リリアと一緒にじっくり見る必要がありますね。誘ってみましょう。

「何か買ってやるよ。せっかくだ」

「へ?」

「なァに、この店のモンは、大した値段じゃねェからな。お前ェに、何か買ってやるって言ってんだよ」

「いえ、構いません」

 よく分からないことを仰っています。

 私が欲しいものがあれば、ちゃんと私が買いますよ。アンドリューさんに買ってもらう必要はありません。

 それに、まだ全体をちゃんと見たわけではないのです。休日にじっくり見ないと。

「こいつなんか、似合うんじゃねェか?」

「確かに可愛らしいとは思いますけど……」

「こっちの方がいィか?」

「いえ、ですから……」

 アンドリューさんが示すのは、髪飾りです。

 夜会に行くときと違う、普段用の髪飾りとでも言うのでしょうか。普段使っているのは宝石で装飾されている髪飾りではありますが、こちらは木の実と葉が彫られています。もう一つアンドリューさんが示したのは、可愛らしい猫の彫られたものです。

 どちらも可愛らしいですね。普段、前髪をちょっと寄せておくのに使うのなら、良いかもしれません。

 ですが、やっぱりアンドリューさんにこれを買ってもらう理由はありません。

「まァ、そう遠慮すんな。何なら……」

「いえ。結構です。それより、早く駐屯所に行きます」

「おィおィ……」

「さ、アンドリューさんも早くこちらに」

 お店を出ます。

 雑貨屋さんには申し訳ないですが、今度ちゃんとリリアと一緒に見に来ますから。

 今日はちゃんとお仕事をしなければいけないのです。

「んな急いでどォすんだよ」

「ヴィルヘルム様に昼食を提供するのですよ」

 寄り道をしたせいで、普段よりも少し遅いです。

 いつもならば、ヴィルヘルム様がお昼休みに入られた時点で、準備を終えてお迎えすることができます。ですが、今日はこのままだと着いた頃にはお昼休みに入ってしまうかもしれません。

 お忙しいヴィルヘルム様を、お待たせするわけにはいきませんからね。

「ちッ……」

「はい?」

「なァ、嬢ちゃん。ちょい待て」

「いえ、ですから……」

 振り返って、そう注意をしようとして。

 アンドリューさんの顔が、思い切り近くにありました。

 私の顔の右側に、手をついています。壁とアンドリューさんの間に、私が挟まれてしまっています。

 何ですかこれ。

 どういうことですかこれ。

「お、お嬢様!?」

「今、お前ェが一緒にいるのは誰だ?」

「……は?」

 そんな風に、物もの凄すごく近付かれても困るのですけど。メアリーも凄く焦っていますし。

 私、何かしましたか?

「だからよォ、今、お前ェが一緒にいるのは誰だよ」

「何を仰っているのですか?」

「今、一緒にいるのは俺だろォが。だったら、俺だけ見てろよ」

「いえ、ですから何を仰っているのですか?」

 意味が分からないこと極まりないのですけど。

 確かに今、一緒にいるのはアンドリューさんです。ですが、私が何故アンドリューさんだけ見ていなければいけないのですか。

 ただ護衛として一緒にいるだけですよね、アンドリューさん。

 はぁぁぁ、と大きくアンドリューさんが溜ため息いきを吐きました。

「なァ」

「はい?」

「お前ェよ、今の状況分かってんのか?」

「いえ、よく分かりませんが」