一応、私は公爵家の娘ですので、全く働く必要はありませんでした。アンブラウス公爵家は広い領地を持っておりますので、割とお金持ちなのです。

 もっとも、だからといって贅ぜい沢たくをしていたわけではありませんよ。

 他のご令嬢なんかは、一度袖そでを通したドレスは二度と着ない、などと仰る方もいました。ですが、私はどうしてもそれが許せないのです。一度しか着ないなんて、ドレスを仕立てた方が可哀想に思えますし。やはり、ちゃんと何度もお披露目をしてこそですよね。

 加えて父上も母上も、それほど贅沢をするわけではありません。父上の骨こつ董とう品集めや母上の歌劇鑑賞など、趣味に使うお金はそれなりにありますけど、他の貴族家みたいに湯水のように使うわけではないのですよ。確かに、市井の方にしてみれば贅沢をしているように見えるかもしれませんけど。

 ただ。

 なんとなくですけど、これが自分で稼いだお金だと考えると。

 なんだか、重い気がします。

「まぁ、自分の稼いだ金だ。好きに使うといい。公爵家からそれなりの小遣いは貰もらっているかもしれんが、自分の稼いだ金というのは、少しばかり気分が違うものだろう」

「……ええ」

「何に使うのかは、決めているのか?」

 初めて、私が稼いだお金。

 人の価値は、お金の使い方で決まるとも言います。愚者はくだらないことに金を使うのだ、と母上に教わったこともあります。

 ならば私の価値は、このお金の使い方で決まるのでしょう。

 でも、大丈夫です。ちゃんと考えてあります。

 初めてのお給金を貰ったら、絶対にしようと思っていたことがあるのです。

「ヴィルヘルム様」

「む?」

「あの……歌劇のチケットというのは、お高いのでしょうか」

 私の質問に対して、ヴィルヘルム様が眉を寄せます。

「儂わしもあまり知っているわけではないが……まぁ、あまり安いものではないな。そもそも、歌劇が上流階級の嗜たしなみだ。一枚で、庶民ならば一ひと月つきは暮らせるだろうと言われている。値段は演目によってまちまちだが……今月のキャロルの給金ならば、最も高いものだと二枚買えばなくなってしまうだろう」

「そう、ですか……」

 うーん。

 ちょっとお安めのものを求めてみましょう。

 演目によってと仰いましたし、もしかしたら上演時間が短いものはお安いのかもしれません。私、そういう買い物ってしたことがないのですよね。

 クレアにでも相談してみましょうか。例えば割とすぐに上演があるものだったら、安く買えたりしないでしょうか。

「歌劇を見に行くのか?」

「いえ……その」

 ちらりと、ナタリアを見ます。今日も今日とて、私の後ろでちゃんと直立してくれています。

 何か不穏なことがあれば、すぐにでも動いてくれるでしょう。

 思えば、ナタリアには迷惑をかけてばかりです。私に何かあれば、すぐに助けてくれます。資料作りも、いつも手伝ってくれます。講義の際にも、患者役として適切な行動をとってくれます。

 本当に、いつもありがたいと思っているのですよ。

「お世話になっている人に、何か贈り物をと思っています」

「そうか。その人も喜んでくれるだろう」

「はい」

 だからこそ、私は全力で応援いたします。

 ナタリアは二十七歳の未婚です。そして、彼女の口から異性のことが語られたことは、未いまだかつてありません。

 そんなナタリアが、ザックのことが少々気になっているようですし、私はその背中を押すべきなのでしょう。

 つまり。


 私は、ナタリアに贈り物をするのです。

 ザックとの歌劇デートを──。


◇◇◇


 団長室を失礼して、帰路につくことにしました。

 ひとまず、せっかくいただいたお給金ですので、落とさないように気をつけないと。

「ふぁ……あ、キャロル! 今帰り?」

「はい。クレアはまだお仕事ですか?」

「ううん、私もそろそろ終わり」

 いつも通り、駐屯所の受付はクレアです。退屈そうにあくびをしていた瞬間をばっちり見てしまいました。

 そうだ。ちょっと色々と聞いておかねばいけません。

「それにしても、キャロルの講義ってすごい評判いいらしいねー」

「そうなんですか?」

「割と色んな人が、もう一回聞きたいって言ってるの聞くよ。非番の日にでも聞きにこようか、って言ってる人もいるし」

「ありがたいですね」

 残念ながら一人に一度しか講義をできないのですけど、非番の日に後ろにおられるのは問題ありません。今アンドリューさんがそんな感じですし。

 さて、それよりもクレアにちゃんと聞いておかないと。

 ちらっ、とナタリアに目をやります。

「ナタリア」

「はい、お嬢様」

「あなたは先に外へ出ていてください。少しばかりクレアに相談事がありますので」

「……私は、お嬢様の護衛なのですが」

「クレアと少し話をするだけですよ」

 ナタリアが疑いの目で見てきます。

 でも大丈夫ですよ。ここは騎士団の駐屯所であり、私に危険が迫ることなどありません。

 それよりも、ナタリアには内緒でことを進めなければ。

「承知いたしました。では、外でお待ちしております」

「ええ。すぐに終わりますから」

「はい。何かありましたら、すぐにお声をかけてくださいませ」

 ナタリアが一礼して、それから外に出ます。

 そして、その扉がしっかりと閉まったことを確認します。これで大丈夫ですね。

 ナタリアが聞き耳を立てているかもしれませんから、ここからは小声です。

「クレア」

「うん。まぁ、ナタリアさんを遠ざけたってことは、そういう話だよね?」

「察しが良くて助かります」

 ナタリアとザックの間に、どことなくそわそわした感じがあることを知っているのは、私とクレアだけです。

 そして私は主人として、侍女であるナタリアの幸せを願っています。そしてクレアも妹として、兄であるザックの幸せを願っているはずです。この二人が仲良くしてくれれば、私にとってもクレアにとっても幸せなことなのです。

 なんだか悪巧みをしているみたいですね。

「お兄ちゃん、ナタリアさんのことちょっと気になってるみたいだよ」

「そうなのですか?」

「この前、買い物に行ったときに偶然会ったんだって。少し話したって言ってたよ」

「ほほう」

 そのお話は初耳ですね。

 まぁ、さすがにナタリアが休みの日にどうしていたかなど、聞いていませんし。あと多分、ナタリア本人から「先日ザックさんと会いまして」と言われても「そうですか」と答えて終わりそうです。

 そして、クレアが楽しそうに笑みを浮かべました。

「なんか、お兄ちゃんすっごい恥ずかしがっててさ。歌劇で泣いたこと」

「まぁ、確かに感動的な内容でしたけど……」

「でもあのときね、実はナタリアさんも少し泣いてたんだって」

「そうなのですか?」

 それは知りませんでした。

 私も歌劇に熱中していましたし、隣のナタリアまでしっかり見ていませんでしたね。私も泣きそうにはなりましたけど、涙はぎりぎり瞼まぶたの中で止まってくれました。

 くすくすとクレアが笑いながら続けます。

「まぁ、お兄ちゃんみたいにぐしぐし泣いてたわけじゃないらしいけどね。ほんと、隣にいるナタリアさんをちらっと見たときに、涙が流れてるのを見たんだって。綺き麗れいだったって言ってた」

「ほほう……」

 おやおや。

 私としてはナタリアとザックが仲良くしてくれることは嬉うれしいことです。ですが、これは私が特に手を出さなくても、二人で勝手に仲を進めてくれるのではないでしょうか。

 まぁ、いいです。どちらにせよ、私はナタリアにちゃんと恩返しをすることに変わりはありません。

「なるほど。では、二人はもういい感じなわけですね」