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「敵大将グラハム・ロンベルクを討ち取ったりぃ!」
戦の終結を告げる甲高い一声が戦場にもたらされた。
ある者は事の真偽を判断できず右往左往し、ある者は呆然として佇んでいる。いち早く現実を認識した一部の兵が一目散に脱しようと駆け出す様子を皮切りに、戦場を惑乱が支配した。替えの利かない精神的支柱を失ったとあって、王国軍にはもはや瓦解する道しか残されていなかった。
「敵指揮官の貴族を捕まえろ! 捕まえた者には褒美を与える!」
一方で大公国軍は精気を取り戻し、掃討戦の様相を呈する。精強であるとされた王国軍の散り様とは、なんとも無様であった。貴族を多数捕縛すると共に、王国軍を壊滅させるという大戦果を挙げ、セドリア川の戦いは幕を閉じる。
グラハム・ロンベルクは激流と火の筏の餌食となり、死体は下流で待ち構えていた兵によって発見された。王国の一角を支える公爵家の当主の死去は、王国に激震をもたらす事となる。
そして戦後に行われる王国との交渉の駒にするべく、戦場でずっと注視していたレグナルト・ロンベルクの捕縛を命じ、さしたる抵抗もなく身柄を確保した。ロンベルク公爵家の次期当主。その身柄を捕虜にしているとあらば、交渉を優位に進めることができるはずだ。
そうして、完全勝利が確定する。
返り血を浴びて赤黒く体を染めながら、勝利に沸いて飛び上がっている者もいれば、深い傷を負って床に倒れながらも、勝利による開放感から口元を緩めている者もいる。ホッとするあまり放心状態の者も少なくなかった。
「勝った、か」
俺はそう独りごちた。周囲には王国兵の死体が無数に転がっている。歴戦の猛将ならば勝利の証だと誇ることもできただろう。あるいはヘンリックであっても同様であったはずだ。この世界の人間は戦とともに生きている。こんな光景は日常茶飯事なのだろう。
だが平和な国から来た俺のような異分子が、それを簡単に受け入れられるはずもなかった。
――俺がこの凄惨な光景を生み出したのだ。
その事実から目を背けることはできない。安堵はあっても達成感や高揚感は無かった。それでも気丈に背筋を伸ばし、堂々と馬を跨ぐ。
「この勝利は殿下が率いた甲斐あってこそ。多くの民が救われました。救国の英雄です」
側にいたシャロンが聖母のような笑みで告げてくる。
「英雄、ね」
自分にはおよそ似つかわしくない称号だ。
二度の戦いで払った犠牲は小さくない。撤退の機を逃す場面を一度のみならず繰り返してしまったことで、本来ならば生き延びていた兵も多くいる。蓋世の英傑ならばもしくは、用兵を更に巧みに行い、犠牲を最小限に抑えられただろうと後悔に駆られた。
だが少なくとも、エルドリアの市民は一人も死なずに済んだ。その事実が何よりも、俺の心に安堵をもたらしてくれた。
◆
「ヘンリック皇子、お見事でした」
砦でセレスと合流すると、心底ホッとした様子で賛辞を受ける。リブレスタを始末した時に聞いた「お見事でした」とはあまりに性質が異なり、思わず笑みが溢れそうになるが、この身体はそれを許さなかった。
「ああ。万事うまくいった。城に引き上げるぞ」
「ヘンリック皇子、無事でよかった……」
そこにひょっこり顔を出したのは、アルシアナだった。目尻には涙が浮かんでいて、悪いことをした気分になる。
「どうして貴様がここにいる」
前回のように王国側に囚われてはひとたまりもないので、エルドリア城での待機を言いつけていたはずだった。
「いてもたってもいられなかったの。セレスの傍なら安全でしょう?」
「そういう問題じゃないだろう」
俺は呆れて特大のため息を漏らした。アルシアナは言葉を選ばずに言ってしまえばこの国の弱点なのだ。その自覚があるのかないのか、問い詰めたいのをすんでのところで堪える。もう危機は去ったのだから大目に見よう、と自分に言い聞かせた。
合流したセレスと共に、エルドリアへの帰路に就く。将兵からはもれなく疲弊した様子が伝わってくる。俺もずっと気を張り詰めていたから、今すぐにでもベッドに倒れ込みたい。
あらゆる思考を放棄してただ無心で歩みを進めていると、アルシアナは声を掛けてくる。
「どんな手品を使って王国軍を倒したの?」
「セレスに聞けば良かっただろうが」
「聞いたら余計不安になってしまう気がして聞けなかったの。ヘンリック皇子を信じて待とうって思ったのよ」
「どう思おうと貴様の勝手だがな。俺が王国軍を破るために用いたもの、それは火だ」
「火?」
「火計は古今東西、戦において一定以上の有効性が認められてきた策だ。人間は炎に呑み込まれれば一溜まりもない」
現代日本でも火災は容赦なく猛威を振るい、火を用いた犯罪が後を絶たない。裏返せば、それほど威力や殺傷能力が高いが故に使われているということだ。
「……そうね。火に囚われたら一溜まりもないわ」
凄惨な光景を想像してか、アルシアナは苦い表情を浮かべる。
「それを応用し、火と川を使った奇襲を考えた。渡河中の王国軍は川の流れに逆らっているからな。セドリア川は流れも速い。敵の身動きを制限した状態で一網打尽にできる。そして上流から下流という川の流れを使って火を流した」
「火を流す?」
アルシアナはいまいちピンときていない様子で首を傾げた。
「木材で筏を作り、それに火をつける。水で火が消えにくくするために、油を浸した麻縄を縛りつけ、薪を敷き詰めて上流から流した」
シャロンと私兵隊に命じて集めさせていたのが、この作戦に使うための木材や油、麻縄だった。
大雨に襲われ川の流れが速くなり、筏が転覆したりすれば消えるだろうが、流れが速くなればそもそも渡河も難しくなる。わざわざ雨の中危険な場所に足を踏み入れる事はしないだろう。川の東岸で雨が止み水量が落ち着くのを待ってから進むのが賢明だ。
三国志で孫権と劉備の連合軍が曹操を打ち破る赤壁の戦いを参考にした。赤壁の戦いでは、油をかけ薪を満載した火船によって曹操の船団が大炎上している。
「それで巻き込まれたら、確かに人間は一溜まりもないわね」
それを確実に成功させるために、銀山から掃除を兼ねて大量に回収してきた粉塵でグラハムの視界を塞ぎ、対処の邪魔をした。呼吸困難に陥らせるばかりか、現状の把握すらままならないように仕向け、確実に仕留めようと試みたのだ。
「それで、砦にセレスを置いた意味はあったの?」
「王国軍の慢心を誘うためだ。セレスがいる場所が本隊だと思い込ませることができれば、こちらへの注意も殺げる」
アレオンの代わりに総大将を務めているセレスが砦にいるとなれば、どうしてもそこに目がいく。
「でもあれだけ兵がいたら、前線に連れて行った方が良かったんじゃないの?」
「ふん。砦にいた奴らはろくすっぽ戦えない足手まといだ。だが存在しているという事実は使える。本隊を本隊だと思い込ませるには、ある程度の兵が必要だったからな」
王国とて、こちらの損害を正しく把握はできていなかっただろうが、だからといって砦にいる兵が少ないと、たとえセレスがいたとしても怪しまれる。
貴重な戦力をそこに割くのは憚られるところだったが、そこに有志の一般市民が大勢助太刀を表明してきた。お世辞にも戦力として数えるのは難しい。だからこの役目は適任だったわけだ。
本当の主力は山の中に潜ませ、分断された兵に奇襲を敢行した。もっと少ない人数なら、更に被害が出ていただろうし、劣勢に転じるのもかなり早まったはずだ。当人たちは何もしていないと思うだろうが、立派な役割を果たしてくれたと言えよう。
「……それを本当に成功させてしまうのがすごいわ」
感嘆して、真っ直ぐ見つめてくる。
「まだ気を抜くには早い。オストアルデンヌにヴェルマーとそれに追従した貴族が残っている。奴らの始末は容易ではない。こちらが少しの被害も出さずに終わらさなければならないからな」
「そうね。オストアルデンヌはまだ占拠されたままだもの」
「この期に及んで、ヴェルマーに負けるなどということは万が一にもありえない。とはいえ二度の戦いでこちらの将兵は疲弊しきっている。もう一度出兵させる判断は愚将のするものだ」
かと言ってしばらく放置しておくわけにもいかないし、早急に片付けるとしても、もう一度戦いをすれば必ず被害は出る。散漫な集中力であれば相手がいくら弱兵であろうと多少の痛手は負うものだ。
「ならどうするつもりなの?」
「簡単だ。戦わなければいい」
俺にこれ以上将兵を失うつもりはない。だから戦わない。
頼みの綱であった王国軍が壊滅し、もはや味方は追従した貴族のみだ。オストアルデンヌには五百の待機兵が残っていると聞くが、グラハムの討ち死にを聞いてなお留まるとも思えない。
「戦わないなんて、そんなことできるの?」
「普通の人間は愚直に戦う脳しか持たないだろうがな」
「ふふ、期待してるわ」
自分の嫌みったらしい口調に、俺は内心で嘆息するばかりだった。なのに全く気分を害した様子もないアルシアナも大概だが。
そんな話をしながら歩いていると、エルドリアの街が見えてくる。この街を守れて良かったと、俺はただただ安堵に浸るばかりだった。
◆
セドリア川の戦いにおける王国軍敗戦の報は、オストアルデンヌへ速やかに届けられた。
「お、王国軍が敗れたとは真の話か……? 何かの間違いではないのか」
真っ先に狼狽の声を上げたのは、グラハム・ロンベルクから全幅の信頼を受け、五百の兵を任されていたレスター・シュライヒ伯爵であった。
シュライヒ伯爵家は軍部の中枢を担う軍人を輩出するエリート家系であり、また選民思想の強い人種でもあった。
そのレスターは伝令の報告を聞いて額に青筋を立て、苛立ちを露わにする。
「王国軍は兵数の上で圧倒的に優位だったはず。そんな状況で敗れるなど」
ヴェルマーが火に油を注ぐように声を上げる。その声は普段のように間延びしておらず、切迫した色を帯びていた。
レスターは王国の敗戦以上に、グラハムの訃報に大きな衝撃を受けていた。グラハムのことを誰よりも敬愛し、その才を誰よりも近くで認識していたからこそ、グラハムを糾弾するかのような色を含んだヴェルマーの声に怒りを覚える。
レスターは思わず睨みつけそうになった自分を抑え、落ち着き払った仮面を即興で作り上げる。それは王国軍内部の出世競争という過酷な環境に揉まれてきた故のものであった。
そこに一人の兵が焦燥を帯びた表情で報告にやってくる。
「街の中で暴動が起こっております。どうやら市民が王国軍の兵士に襲いかかっているとのこと」
この街においては、誇り高き王国軍の名声は失墜し、もはや形をなさない。
王国軍の主力がオストアルデンヌを発った後も、残った兵士の横柄な行いは留まることを知らなかった。
大公国軍の勝利が誇張されて伝わった今、もはや王国軍の自由を許す者はおらず、それどころかこれまでの鬱憤を晴らすべく粗末な刃物や木の棒を得物として王国軍の兵士を襲い始めたのだ。突然の豹変ぶりに歯噛みしたレスターは苦渋の決断を下す。
「くっ、もはや是非もない。すぐに撤退するぞ!」
選民思想の強い彼自身にとって、一般市民とは卑しい人種である。そんな暴動を起こした市民を押さえつけるのは難しくはない。能力で言えば天と地ほどの差があるのだ。しかしこれほど濃厚な叛意を見せられれば、もはや王国による統治は立ち行かない。
「そ、そんな! 王国軍の戦力を失えば我らは保たない!」
それはヴェルマーにとっての「死刑宣告」を意味していた。
「貴様を先に切り捨てておけば、私がここに残る必要もなかった。貴様が翻意して背後を突くかもしれない、その懸念がこの結果を引き起こしたに違いない。これ以上貴様に助力する義理などない。命が助かりたくば王国に亡命でもするが良い。待遇は保証せんがな」
レスターは吐き捨てて早足で部屋を去っていく。八つ当たりも同然の言葉だったが、ヴェルマーは怒りを覚える余裕もなく、呆然としてその場に立ち尽くすことしかできない。
やがて力なく椅子に座り込んだヴェルマーは、拳を卓に叩きつけた。
揚々と西進したはずの王国軍が、大公国軍に敗れた。その事実を未だ信じられずにいた。
「フ、フフ。これが報いというものかぁ」
「その通りだ」
自嘲に塗れた呟きを肯定する言葉は、レスターが去った方向からのものであった。
「……誰かね?」
苦虫を噛み潰した様な顔で応対する。
「ヘンリック皇子直属の私兵隊総隊長のコンラッドだ。これが先代大公を弑した報いだ。目先の欲望に釣られ、軽薄な判断と甘い見通しがその結果を生んだ」
「元はと言えば、ヘンリック・レトゥアールのせいで我が子が大公になれなくなった事が元凶なのだと、分かっているのかぁ?」
「だからといって、王国に寝返っては傀儡になるだけだろう」
ヴェルマーは「傀儡」という言葉にピクリと反応しつつも、少し落ち着いたのか普段の間延びした声が戻る。
「それで何の用かね? 無様な敗者を嘲笑いでも来たのかぁ?」
「それは今もしている。腹の中でな」
諦念に浸ったヴェルマーに、コンラッドの言葉が刺さることはない。薄く笑うだけだった。本来ならば、コンラッドはあらゆる罵詈雑言を浴びせたかった。だが、それでは主君の計画に支障をきたす恐れがあり、グッと飲み込んで命令の遂行に集中する。
「どんな意図があってやってきたのかは知らないけれど、こうなったら最後まで戦い抜くだけさぁ」
どうせ死ぬのなら、戦って死のうという姿勢自体は、弱将らしからぬ決意だとコンラッドはほんの少しだけ感心する。ただ、それを許しては主君の意に添わないため、煽るようにヴェルマーに問いかける。
「本当にそれで良いのか?」
「何が言いたいのかねぇ?」
「確かに貴様は国を裏切った大罪人だ。だが、殿下はこれ以上の戦いを望んでいない。だから貴様に一つ、選択肢を与える。殿下は貴様が降伏すれば、家族だけは助命すると仰られている」
「……それは本当の話かね?」
思ってもみなかった言葉に、ヴェルマーが目を細める。
「無論、爵位と領地は没収だ。それでも家族の命が助かるのは逆賊に対しての仕置きとすればあまりに寛大なもの。そして働き次第では将来的に爵位の返還も検討する。これを受け入れない手は無いと思うが?」
ヴェルマーはオストアルデンヌの奪還にくる大公国軍を、捨て身の覚悟で迎撃する腹積りだった。降伏しても許されるわけがなく、当然の意思である。
「……分かったぁ。その提案、受け入れるとしよう」
しかも永久に爵位が剥奪されるわけではなく、回復の可能性があるという。自分の命を担保に何より息子二人が助かり、未来にも希望を持てるのなら、それでいいとヴェルマーは思った。
過剰な締め付けで反発を誘うわけではなく、かといって決して甘い処罰というわけでもない。この塩梅は、ヘンリックがルドワールの一件から今回の戦いまで、一連の出来事を通じて学んだゆえのものだった。
その後、ヴェルマーに追従した貴族全員も同じ条件を呑む決断を下した。
かくしてオストアルデンヌは解放される。王国との領土防衛戦は、これで幕を閉じることとなった。
◆
エルドリア城に帰還した翌日、城に貴族たちが集結し、戦勝の宴が開かれた。
「我々は王国軍を退けた。貴殿らの奮闘がこの国を救ったのだ!」
セレスが壇上から称賛の言葉を放つ。集まった貴族たちは、一様に笑みを浮かべ、肩を組んだり、拳を掲げたりしていた。
「これもヘンリック皇子、貴殿の策略があってのことだ。救国の英雄、その称号はここにいる全員に、いや、国民全員に刻まれた事だろう」
貴族たちは好意的な様子で頷き、俺に羨望の眼差しを送ってくる。どこからかまばらに拍手が上がり、徐々に音が重なっていく。
「もし負けていればここにいる者の命の多くは失われていたはず。そうならなかったのは、皆が確かな勇気を持っていたからだ。それだけは何があっても揺るがない。だから今日だけは、この勝利を噛み締めようではないか!」
その言葉を皮切りに、拍手は俺個人に対するものから、全体を褒め称える喝采へと変貌した。俺は熱狂の中に身を置く気にもなれず、会場の端で壁に寄り掛かりながら、ちびちびとエールを口に含む。シャロンは給仕の仕事に追われているようだ。
そうして静かな時間を噛み締めていると、アルシアナが歩み寄ってくる。
「交ざらなくて良いの?」
「俺が交ざるような人間だと思うか?」
「ふふ、そうよね」
「調子に乗って自分たちが強いと勘違いしなければ良いがな」
「それは大丈夫じゃないかしら。この戦いは全員が強さを見せると同時に、弱みを自覚するものにもなったはずだから。それはヘンリック皇子、貴方も同じよ」
「……ふん」
二人の周囲にだけ、沈黙が落ちる。
「私たち、本当に勝ったのね」
アルシアナは実感が無い様子だ。俺も同じような心境ではあるが。
「あれだけ貧弱な兵どもを率いて、王国軍相手によく勝てたものだとは思うがな」
同意を示すつもりが、俺の口からは皮肉混じりの言葉が飛び出す。
「父上にも早く報告したいわ」
決して明るいとは言えない声音。アルシアナの心に、「現実」の二文字が重くのしかかっているのを、否応なしに感じる。俺はその顔を直視することができなかった。
「……良かった。本当に良かった」
再びの沈黙がきっかけになったのか、アルシアナの瞳から堰を切ったように涙が流れ落ちる。嗚咽を漏らすことなく、ただ頬を伝い、カーペットに染みを作るだけだった。
その涙には、様々な感情が籠っている。王国軍を退け、守るべき国民を死なせずに済んだことへの喜びと安心が、そこにはあるのだろう。だが、俺には肉親を失ったことに対する哀傷の感情が、一番目立って見えた。
俺には寄り添って慰めることはできない。だからせめて、口を開いて涙を否定するような野暮なことだけは避けたい。
俺は無言で背中を向けながら、アルシアナを覆い隠すように立った。泣き姿を貴族たちの目に触れさせないために。