もちろん貴族が平民を見下す風潮は未だ根強い。身分を問わず集めた人間を指導官として据えるにはまだまだ障害が山積みである。
◆
下層街を視察した帰り道、先程の長の話を聞いて気になった俺は、中層街にある孤児院に立ち寄ろうと、歩みを進めていた。
孤児院の目の前に併設された庭では、子供達が思い思いの遊戯に夢中になっている。その一角に、院長と思しき四十歳程の女性と談笑するアルシアナの姿があった。
「あれは、アルシアナ公女殿下……?」
シャロンが意外そうに言葉を紡ぐ。公女が護衛も連れず一人で城下に出ている時点で不用心だ。いや、俺も人のことは言えないのだが。
俺は塀の陰からアルシアナを見つめる。少なくとも院長と話す様子を見る限りでは、下層街の長が言っていた「院長が冷たくあしらう」とは程遠かった。無論、院長が身分によって態度を変えている可能性も否定できない。それでも、院長が浮かべる笑みは俺の目には自然に映った。
「声を掛けなくてよろしいのですか?」
「逆になぜ声を掛ける必要がある。俺がここで公女に話しかけたとして、公女が喜ぶとでも思うのか? むしろ怪訝に思うはずだ」
「……それでも殿下とアルシアナ公女殿下は婚約者ではありませんか」
「たかが婚約者だ。そもそもこれは政略結婚であり、公女とて望んだものではなかった。必要以上に接触する理由はどこにもない」
「……きっと殿下とアルシアナ公女殿下は歩み寄れると思うんです」
違う。歩み寄れる、寄れないの次元の話ではない。俺がそれを望んでいないのだ。
「それは貴様の願望に過ぎない。それより今はあの院長との接触が先だ」
話の方向を逸らそうと俺が院長方に視線を送ると、すでにアルシアナは子供達との別れの挨拶を終え、孤児院を後にしようとしていた。その背中と、アルシアナに手を振って見送る子供達を見つめる院長の瞳には慈愛の色が帯びてはいるが、そこに確かな哀愁も混じっていた。俺はアルシアナの姿が見えなくなったのを確認して孤児院の敷地に足を踏み入れると、こちらに気づいた院長が一瞬で顔色を変え、駆け寄ってくる。
「も、もしかしてエルドリア城から遣わされた貴族様でしょうか……? でもここには来ないと約束していたはず」
院長がおずおずと尋ねてくる。貴族に、というよりは特定の貴族に対して怯えている様子だ。
「遣わされた?」
俺は誰かに遣わされたわけではない。自らの意思でここに来た。
「い、いえ。なんでもありません!」
院長は露骨にホッとした様子を見せながら、首を横に振る。遣いという存在が、院長をここまで怯えさせる程の「何か」をしているのだろう。
「なぜ安心する。俺が貴様の怯える相手より理不尽で横暴だと、なぜ思わない」
「ひっ……も、申し訳ございません」
再びその瞳が怯えを孕む。
そもそも、大公家の名を使って脅しているというのが悪質極まりない。アレオンの性格を見る限り、脅して何かを要求する行為を是とはしないだろう。
「一度口に出したんだ。全て吐け。その遣いとやらが貴様に何を要求している?」
「……言えません」
「言えない? なぜだ」
「……」
院長はお辞儀の体勢のまま縮こまり、ダンマリを決め込む。
「いんちょうをいじめるな!」
声の方向に目を向けると、孤児の一人が強く握った拳を震わせながら、こちらを精一杯睨みつけていた。
「やめなさい! この方は貴族さまなのよ」
「さっきのお姉ちゃんも貴族さまなんだろ!? そんな奴に意地悪されて、どうして黙ってるんだよ!」
「そんな奴、とは随分な物言いだな」
「も、申し訳ございません! どうかこの子の命だけは……!」
「無礼を見逃せというのなら、相応の誠意が必要になる」
「せ、誠意……」
院長は生唾を飲み込み、逡巡するように視線を彷徨わせる。
「遣いが誰なのか、知りうる限りを俺に話せ」
「……そ、それは」
「殿下、少しやりすぎかと」
シャロンが諫言を挟んでくる。
「で、殿下……?」
殿下という呼び名に院長の肩が更に震えを増す。
「この方はアルシアナ公女殿下の婚約者で、レトゥアール帝国の皇子であるヘンリック・レトゥアール殿下です。突然の訪問に驚かせてしまって申し訳ございません。こう見えて心優しきお方ですから、本気でその子を手にかけるつもりはありません。ご安心ください」
「おい、余計なことは」
俺の脅迫はもちろん冗談ではある。俺も心を痛めてはいたが、こうでもしなければ口を割らないほどの脅しを受けているのだろうと思ったのだ。シャロンの言葉を聞いて、院長は安心したとは程遠いものの、幾分か落ち着きを取り戻していた。
「殿下は孤児院を助けたいと思っておられます。実のところ、今回訪ねたのはコタツの生産工場で不穏な話を耳にしたからなのです」
「不穏な話、ですか?」
「院長はコタツを使っておられますか?」
「ええ、それはもう。毎年、冬の夜は全員で毛布にくるまって身を寄せ合い、寒さをどうにか凌ぐ日々でしたから。冬が始まった今、本当に助かっております」
「コタツを孤児院に届けさせるよう指示なさったのは殿下です」
「お、皇子がコタツをお恵みに……?」
「はい。まだ市井にあまり出回っていないコタツを、孤児院を第一に届けさせたのです」
「……」
これまで俺と絶対に目を合わせようとしなかった院長と、一瞬目が合う。
「院長が何か口止めされていて、私たちに話すことで不利益を被る可能性があるとしても、話されるべきです。不安だとは思いますが、殿下は必ず力になってくださいます」
「……分かりました。お話しします」
脅しよりも信用させて口を開かせた方がはるかに良い結果を生むのは理解できる。でも、この口と態度でそれを勝ち得ることはまず不可能。だから俺は積極的に脅しを用いているのだ。シャロンはそれを途中で遮ったと思えば、いとも簡単に口を開かせてしまった。
「事の発端は、忘れもしない三年前の六の月でした。私には五歳になる娘がいるのですが、突然自宅にやってきた大公国の兵士に、その娘を攫われてしまったのです。悲嘆に暮れていた私の許に使者がやってきて、こう告げられました。『娘は預かった。生きて返してほしければ、黙って指示に従え』と」
「その指示とは?」
「十三歳になった子供を全員引き渡せ、と」
孤児は基本的に大公家の所有物であり、大公家のために働くことを求められる。その進路は様々だが、一貴族の私物となることはまずありえなかった。そもそも人質を取ってまで要求する意味はなんだ?
「誰の指示かは知らないのか?」
「そこまでは……」
「まあそうだろうな。主導者はおそらく国の上層部にいるような上級貴族だ。繋がりを辿れるような情報を貴様に与えるはずもない。これ以上貴様を問い詰めたところで何の意味もないな」
「有益な情報をなにもお伝えできず申し訳ありません」
「これだけでも今日は収穫だ。だが次に大公家の使者を名乗る人間に呼ばれた時には必ず報告しろ」
「は、はい!」
院長は深く頭を下げながら返事する。完全に怖がらせてしまったようだし、これからはシャロンを挟んだほうが良さそうだな。
「俺が来るよりも貴様が行ったほうが手っ取り早いだろう。状況は貴様の口から俺に伝えろ」
「承知しました」
俺はシャロンに告げながら、思案の海に沈む。
院長を脅している人間が誰か、これはかなり闇の深い問題だ。必ず究明し、関わった人間を取り除かなければならない。院長の娘もなるべく早く救出したい。
とはいえ今の俺がアレオンを始めとする大公国の人間に教えたところで、信じてはもらえないだろう。いや、それだけならばまだ良い。帝国の人間である俺が大公国を破滅に導こうとしているのではないか、そう疑念を抱かれでもしたら詰みだ。
それだけは何としても避けたい。だからこの案件は相当慎重に動く必要がある。今は大公国の貴族たちに俺のことを認めさせるのが先決だ。
◆
ヘンリックがこの国にやってきてから早くも七ヶ月が経過し、四の月となり長い冬もようやく終わりに近づいていた。
エルドリア城では三ヶ月に一度、定例的に行われる議会が開かれている。国内の有力者が一堂に会する最高意思決定の場であり、ソルテリィシア大公家の縁戚やそれに準ずる権力者が叙勲されている「子爵」の称号を持つ貴族が集まっていることから、子爵院と呼ばれている。ただ、基本的に多くの議論は月に二度行われる各貴族の代理人が出席する議会で完結しているため、議論が活発かと言われるとそうでもなく、厳粛な空気で行われ貴族たちにとっても義務的に参加する一行事に過ぎなかった。
そんな子爵院で、今日は珍しく我先に官僚から声が上がり、侃侃諤諤とはいかずともそれに限りなく近い様相を呈していた。
「閣下、下層街の治安が劇的に良くなっていると報告を受けました。無造作に建てられていたバラックが集合住宅や工場になっており、景観も大幅に改善しております」
「この時期は例年、下層街で越冬できなかった者たちの死体処理に奔走するのですが、今年は死者がほとんど見られません。どうやらコタツなるものが市井に流通しているのが原因とのことです」
「美味な酒が我が国より流通している、と南国連邦のルナフィス王国の大使に告げられ困惑していたところ、どうやら我が国のエールが好評を博しているとのこと。かなりの距離があるというのに、エールを腐らせずに運べるとは驚き申した!」
次々となされる報告に、一つ一つを簡易的に咀嚼するのが精一杯といった様子で、アレオンは額に脂汗を浮かべる。
「これは一体、どうなっている?」
そんな戸惑いの言葉を溢すのも無理はない。議会全体が騒然とし、互いに顔を見合わせている。
「ありえん。何者かの介入があったとしか思えんな」
「このように国を揺るがすほどの人間がこの場にいる者以外にいると?」
「この中に心当たりのある者はおらぬのか?」
そんな風に言い合う貴族を尻目に、アレオンは汗が滲む手をギュッと握り込む。報告一つ一つを頭の中で咀嚼しきっても、否定的な文言は一つも見当たらなかった。そしてアレオンには、こんな状況を作り出しうる存在に心当たりがあった。
「ヘンリック、皇子……」
その名前を独りごつ。アレオンは周囲に聞こえないように漏らしたつもりだったが、その声は喧騒に包まれる中でもなぜか響いた。
「大公閣下、ヘンリック皇子が何かしたと仰られますか?」
「何か根拠があってのことでございますな?」
耳聡く聞きつけた貴族たちが口々にアレオンに問いかける。
アレオンもこの場でその名前を出したのを迂闊だと瞬時に自戒した。とはいえ一回認識させた名前を否定してうやむやにすれば、貴族たちの信望にも影響してしまう。
「……ヘンリック皇子を呼べ」
進退に窮したアレオンは城内にいるであろうヘンリックを呼ぶよう、官僚たちに告げる。それから数分、いや数十秒ほどにも感じられた僅かな時間を経て、ヘンリックは姿を現した。しかも整った髪型に、寸分違わぬ礼服の着こなしが光っており、迅速な登場も相まってアレオンは呆気に取られる。まるで最初からこの展開を予想していたかのような様子だった。
ヘンリックはアレオンの顔を一瞥し、全体の前に立つ。
「ヘンリック・レトゥアールだ」
「突然呼び立ててしまい誠に申し訳ない。それにしては早い到着のようでしたが」
「今日が子爵院の日だと聞いていたからな。いつでも駆けつけられるように準備はしていた」
「気を遣わせてしまったようですな」
「ふん、気など遣ってはいない。それよりも俺を呼んだ理由はなんだ?」
ヘンリックは鼻を鳴らし、わざとらしく挑発的な笑みを浮かべた。
「ではヘンリック皇子、単刀直入にお聞き致します。これは皇子が仕組んだことですか?」
アレオンではなく気性の荒さで知られる貴族の一人が立ち上がり、険しい表情で追及する。
「これ、とは何のことだ? それに仕組んだとは人聞きの悪い」
「ヘンリック皇子、その者に貴殿を責め立てるつもりはない。どうか気になさるな。ただ、下層街における死者の激減や王都全体の経済活性化、エールの国外への流通と立て続けに良い報告があったのだ。これらが全て皇子一人の功績だというのであれば、その者が面白くないと思う気持ちも当然だろう? それをどうか理解してもらいたいのさ」
口を挟んだのはキプレア・ルドワール子爵だった。
やや砕けた口調に思えるが、馴れ馴れしさはあまり感じない。若くはないものの、不思議とミスマッチとは思わなかった。
「ヘンリック皇子、ルドワール卿はよく公都の孤児院に寄付をしておりましてな。信頼できる清廉潔白な男にございます」
「おっと、閣下。そのことはあまり吹聴しないで欲しいといつも……」
ルドワールは呆れた様子ながらも、苦笑いしているだけだ。
「おお、そうであった。すまない。ただお主のことを皇子に知って貰いたくてつい、な」
「ふん。茶番はそれだけか?」
「話の腰を折ってしまいましたな。申し訳ありません」
「貴様らの疑問に答えてやる。俺は確かに下層街にテコ入れし、食糧備蓄と救荒作物の開拓で食糧供給の安定化を図り死者を減らし、コタツやエールの製造などで雇用の創出に結びつけた。だがなぜ俺がそんなことをしたと思う?」
「……分からないな」
ルドワールが考え込む。
「この国に来た当初、俺はアレオンの前でこう豪語した。独力で目に見える成果を挙げる、と」
「成果?」
「俺がこの国に来た当初、貴様らは全員俺のことを甘く見ていたはずだ。それどころか俺を遠ざけるつもりだっただろう。信用などするはずもない。だから俺一人で貴様らに実力を知らしめ、この国にとって有益だと思わせるためにやった。アレオンよ、これでも成果として足りないか?」
ヘンリックの視線が再びアレオンを捉える。アレオンの目にはその不敵な笑みが異常なほど自然に映った。アレオンは肩を震わせ、心底愉快そうに笑う。
「ふふふ。大変驚き申した。他の者も同じでありましょう。全く風評というのはアテになりませんな」
ヘンリックの評判ははっきり言って芳しくなく、当初はどの貴族も侮るばかりであった。アレオン自身も流布された噂を信じきったからこそ、一貫してヘンリックを政治から遠ざけようとした。
「人の噂というものは経由した人間の恣意が介在して尾ひれがつくものだ」
「皆の者、如何であろう。これほどの才覚を持つ者の力を借りぬというのはあまりに勿体無いと思わないか?」
その問いかけに頷く者は多かった。そうでない者も皆顔を見合わせるばかりで、否定するような言葉は聞こえてこない。もっとも、空気を読んで同調しただけで、胸中に複雑なものを抱える者もいるだろうが。
「ヘンリック皇子、よろしいですかな?」
「いいだろう。俺が貴様らの問題を解決してやる」
「聞いたであろう。なんとも頼もしいことか。皆、異存はないな?」
首を横に振る者は現れず、拍手すら起こる始末だった。それを見てアレオンは満足げに柔和な笑みを浮かべる。一方のヘンリックは微かに口角を上げながらも、冷静な振る舞いを貫いていた。
◆
子爵院はそのまま和やかな空気が最後まで保たれ、空気が弛緩したのを見てアレオンが閉会を宣言する。退出していく貴族たちの背中を見つめながら、俺はなおも冷静な表情を維持し続けた。そんな中、アレオンの隣に座っていたアルバレン子爵家当主のセレス・アルバレンが、何を思ったかこちらを一瞥すると、にこやかに微笑んで、会場を後にした。そして全員が退出し、重厚な扉が完全に閉じたのを見て、張り詰めた緊張が解けていくのを感じる。
あれだけ多くの視線に晒されるとさすがに疲弊の色が濃い。ずっと気を張っていたので、表情筋が磨耗していたのか、緩んだ拍子に顔の至る所がピクピクと動いていた。
先程まで子爵が並んで座っていたあたりに俺は腰掛ける。背もたれに体重を預け、しばし瞑目していると、入り口の扉が開く音がし、慌てて姿勢を立て直した。
「貴様か」
「ヘンリック皇子、お疲れですかな?」
「ふん、この程度造作もない」
意外に目敏いのか、アレオンは俺の疲労を瞬時に読み取った。あるいは純粋な心配の言葉かもしれない。アレオンは気遣わしげに眉根を下げている。
「まず言っておかねばならないことがあります。皇子はこちらが全く手を差し伸べなかったにも拘わらず、さまざまな問題の解決に尽力してくださった。大公家当主として、心より御礼申し上げる」
「帝国の皇子として、一度決めたことは曲げたくなかった。ただそれだけだ」
ヘンリックの性格も大きく影響しているが、あれだけ好戦的な態度を見せて何も出来なかったでは格好がつかない。正直なところ成功する確証などはなく、常にどこか不安を抱えながら日々を過ごしていた。結果的に紆余曲折を経つつも概ね良い結果に結びつき、こうして貴族らの信用をある程度勝ち得るに至ったが、運に助けられた部分も多い。
「流石は旧帝室の英才教育を受けてきただけある、と申すべきでしょうかな」
「下手な称賛はやめろ。気色が悪い」
「おっと。これは失礼しましたな」
「そもそもこれは俺だけの功績ではない。部下がよく働いたからだ。俺が側に置いているのだから当然の話だが」
珍しく、俺が思っていたことをそのまま伝えられた気がする。もっとも、余計な一言こそ付いているが。
「ほう。皇子がそのように仰られるとは驚きましたな。いや、失礼。皇子にとって下の者はあくまで手駒に過ぎず、決して信用はしないのだとばかり思っておりました。しかしその認識、改めなければなりませんな」
自分でも驚いていた。普段この口から出てくるのは、他者を褒める言葉であっても、どこか嫌みたらしく、百分の一に希釈した上で、大量の棘を生やしたような言葉ばかりだったからだ。強がって自分一人の成果と言い張るのではなく、家臣を頼ったことを素直にこの口が認めたのである。
ただ今回はヘンリックの変化というより、打算的な思考でアレオンから多少であっても好感を持ってもらえた方が、良いと判断したまでだ。ヘンリックは大公家当主であるアレオンを旗頭に据え、帝国奪還の駒に仕立て上げようとしている。だからこそアレオンの信頼を得て、自分の意見が可能な限り通る方が都合がいいのだ。
最初は宮籐稔侍としての思考との大きな乖離に戸惑ったこともあったが、今となっては概ね適応した感がある。ヘンリックの人格と直接話すことはできないが、同じ身体を共有している以上ヘンリックの苛烈な思考が、稔侍としての思想に影響を及ぼしている。そのため俺がこの世界で生きていく上で、帝国の奪還という宿志は根強いものになっており、他人事では決して無くなっている。
「それよりも、俺に何か用があるのだろうが」
バツが悪くなって、俺は話題の転換を試みる。
「……察しが良いですな」
俺は初めからアレオンのソワソワした様子を感じ取っていた。
「話せ。聞いてやる」
「我が国に蔓延る根深い社会問題、その解決策をご一考頂きたい」
「社会問題か。そんなのはいくらでもあるがな。貴様は何が一番問題だと見ている?」
「主要産業である銀山で働く労働者の寿命が異様に低いのです。三十を過ぎると体調を崩す者が続発します」
「まあ働き盛りの男が次々と倒れていっては死活問題だろうな」
「原因が不明、というほどではないのです。銀山の環境が影響しているのは理解しています。過酷な労働により肉体的な消耗が激しいことは言うまでもありません。暗い環境が陰鬱な気分を誘発し、精神的な病に繋がっているとも言われております。ただこれらは今になって浮き彫りになったことではなく、銀山が見つかって以来根深い問題となっています」
「現時点でどんな対策をしている?」
「他にも肉体的な負担を軽減するため、一日の労働時間を削減してはみたのですが、ほとんど意味をなさず……」
「根本の原因は労働時間ではない。全く無関係、というわけではないが、やったところでさしたる意味はない」
「……なぜそう言い切れるのですかな?」
「貴様は坑道に入ったことがあるか?」
「……ありませんな」
「鉱山には大量の煙が舞っている。これについてはさすがに有害だと自覚しているからか、通気孔を設けて逃しているようだし、坑道内に空気を循環させる道具や仕掛けを設けているのも把握している。だが本来、坑道には目に見えない微細な粉も大量に舞っている。煙を逃したり、空気を循環させるだけでは、これを防ぐことはできない」
「……目に見えない粉、そんなものが人体を蝕んでいたと?」
「そう。銀山労働者の寿命が短い要因は、それが時間をかけて肺に蓄積することで病気を発症しているからだ」
職業病である塵肺は、初期段階で症状や兆候が現れることはなく、気づいた時には病状が進行しているケースが多いという。
「一旦発症すると完治は無い病気だ。そうなると予防が不可欠になる。有効なのは布で口と鼻を覆う対処法だろうが、常に鼻と口を塞いでいれば息苦しくなるから、外している者も多かったはずだ」
危険性も伝えず、自主的な装着を促すだけでは効果は薄い。粉塵を防ぐためには常に防塵マスクを着用することが必須になってくる。
「……常に装着することを義務化し、周知徹底を行わなければなりませんな」
石見銀山ではマスクに梅干しを挿れ込むことで、粉塵や油煙を防ぐ役目を果たしていたと聞いたことがある。あいにく梅干しはないが、梅に類する酸味の強い果物の存在はヘンリックの記憶から確認済みだ。使えるものはなんだって使う。
梅干しは戦争でも使えるものだ。野戦兵糧として長い保存が利くし、見るだけでも唾液分泌を促進させる効果があるため脱水を未然に防ぎ、摂取すれば栄養も手早く体内に入れることができる。特に籠城戦では役立つだろう。
傷の消毒や伝染病の対策にも役立つらしいから、まさに万能な食材である。
「ただ口と鼻を覆ったところで完全に防げるわけではない。体調を崩したり、亡くなった場合に備えることも必要になる」
「治療費を補償する、ということですかな?」
「それだけでは不十分だ。見舞金の給付や、遺族の養育費の補填も必要だろうな」
「しかし銀山労働者に対する給金は今の時点でもかなり高い水準にあります。これ以上資金を捻出するというのは、非現実的かと」
「そもそもその現状がおかしいとどうして気づかない。本来この国の財政はもっと余裕があって然るべきだ」
単純な税収の少なさ、属国だからと銀を上納させられたり、足元を見られて食糧を相場より高い金額で買わされること、孤児院の運営費用などなど、挙げればキリがない。
「……財政については財務担当の者に任せておりました。あまりにも無責任だったと痛感するばかりです」
アレオンは歯噛みして視線を落とす。財務担当というのはアレオンが盲目的になるほど信頼し、権力が強い人間なのだろう。アレオンには申し訳ないが、その財務を担当している人間に問題があるのは明白だ。
「皇子には財務関係の人間と大公家の人間にしか見ることができない帳簿をお見せしましょう。恥ずかしながら、私には帳簿を見てもどこに問題があるのかさっぱり分かりません。願わくば、皇子に財政改善の策を授けていただきたい」
アレオンは自らの立場を弁えず躊躇いなく頭を垂れる。その声は懇願するような色を帯びていた。
「ふん。俺に頼らなければならない自分の未熟さを恥じることだな」
反論できないと分かっていて、攻撃的な言葉を吐いてしまう。せっかく僅かにでも好印象を与えられたというのに、一瞬でふいにしてしまった気がする。本当に不便で面倒な口だな、と深いため息を吐きたくなった。決して安請け合いできるような案件ではないが、今見えているだけでいくつも課題がある。まずはそれから取り掛かるとしよう。
◆
子爵院の翌日から、多くの相談が舞い込むようになった。大半が士爵家や男爵家といったいわゆる下級貴族と言われる者たちであり、一つ一つに軽く目を通すと、深刻な課題も散見された。ただ、大公家に連なる家系や実力者に与えられる子爵の爵位を持つ者は、上級貴族という矜持があるためか、俺を頼ってくるようなことは今のところない。
俺は成果を公表する場として、大半の貴族が一堂に会する子爵院を選んだ。公表というのは少々語弊があるが、この日にエルドリア城に詰める官僚たちに情報が行くよう意図的に仕向けたのだ。それまでは関係者の口を可能な限り封じ、解禁と同時に貴族の耳に入るよう狙った。子爵院という場が効果的なのは言わずもがなで、成果を小出しにするよりも一気に「放出」した方がインパクトは大きい。貴族たちの目にもそれはそれは鮮やかに映ったことだろう。ただあまりに鮮やかすぎて、下級貴族の羨望を集めすぎてしまったかもしれない。俺に困り事を相談すれば解決してくれる、そんな期待が膨らみすぎた。
正直、キャパオーバーが過ぎる。だから全部一人で処理するのはハナから諦めた。そこで解決難易度毎、三段階にシャロンが仕分け、一番難度が高いもの、もしくはシャロンが俺に意見を仰ぐべきと判断したものを俺に回してもらう形とした。その中で大公家の直轄領に関するもの、すなわち官僚から寄せられた相談を優先的に処理している。
ただ、シャロンが優秀すぎるため、大抵の案件を自分で片付けてしまう。だから基本的に俺は本来の仕事に専念することはできたのだが、仕事が増えてもきっちりこなすあたり、頼もしいとしか言い様がない。
おまけにシャロンは自分の手柄をあろうことか放棄し、俺に全て渡そうとしてきた。「部下の手柄を横取りするような器の小さい人間に落ちぶれたつもりはない」と言うと、「私の名声が上がるより殿下の名声が上がった方が総合的な利得が大きいので」ととりつく島もなかった。
今回の実績が働いて、貴族たちは俺のことをだいぶ信用したはずだ。俺は狙い通りの状況にほくそ笑む。
「殿下、今お時間よろしいでしょうか。孤児院の件でお伝えしたいことがございます」
「事態に進展があったか?」
「はい。まずは他の孤児院がどんな状況なのか、まとめてまいりました。こちらをご覧ください」
そう言って、シャロンは分厚い冊子を手渡してくる。最初に中層街の孤児院を訪問してから、シャロンは仕事の傍ら証拠集めに奔走していた。
ただ他の孤児院に不用意に接触すれば、かえってこちらの動きが露見するリスクを高めてしまう。そのため、尻尾を出すまでは極力他の孤児院への接触は避け、情報収集に徹していた。冊子の中身は、国内にある全ての孤児院とその院長について情報がまとめられていた。
「公都以外の孤児院では、ある時期を境に院長が全員解任され、新たに任命されたのは過去の不正や犯罪に加担しながら処罰を逃れた者ばかりでした。更迭は秘密裏に行われ、院長は前任者と同じ名前を名乗らされていたようです」
「逆らえば牢獄に入れられる、そうなれば言うことを聞かざるを得ないな」
犯罪者や不正をするような人間が院長を務めているというのも看過できない。人を育てるという責務を負っている職業なのだから。
「公都以外の孤児院は孤児が売り飛ばされているのみならず、明らかに経済状況が悪く補助金が適切に運用されているとは思えませんでした」
「やはり横領も起きていたか」
「孤児院の運営に投じられる補助金に不満を抱く貴族による仕業でしょうか?」
孤児の養成には、初代大公の方針で長年力を入れられている。手厚く保護する事で大公家に対する忠誠心を育み、絶対に裏切らない人材としての育成を試みてきたのだ。孤児院といっても孤児のみならず困窮家庭の子供も受け入れており、だからこそこの国には他の国よりもはるかに多い数の孤児院が存在している。
しかし運営には決して少なくない資金が割り当てられており、補助金の撤廃を一部の貴族が唱えながらも、初代大公が一貫して減額すらも一切認めず、また自分の死後も維持するよう遺言として伝えていたことを背景に、今でもその水準が維持されている。初代大公を神聖視する者も少なくないこの国で、それを破って提言するだけでも、顰蹙を買い信望を欠くことに繋がり、自身の立場を弱くしてしまう。そのため、今では暗黙の了解として触れる貴族はいなくなった。
とはいえ、その補助金が財政の圧迫を助長しているのは揺るぎない事実である。
「不満を抱くのは理解できるが、補助金はまだしも孤児を要求する必要はないだろうが」
「今の時点で理由を量るのは難しいですが、一つ、公都の孤児院に限っては院長が据え置かれていることが気になります」
「妙な話だ。何か事情があるとしか思えんな」
「そしてもう一つ、ヘレナ院長から連絡がありました」
俺が最初に訪れた中層街の孤児院の院長はヘレナという名前だった。大公家の使者を名乗る者に用件を告げられる時には、ある廃屋に呼び出されているらしい。だが痕跡を極力残さないよう、最低限の接触に留めていたようで、今までは全く動きがなかった。
「ようやくか。くれぐれも姿を見られないように注意を払え。見られれば全てが無意味になる」
大公家の使者を名乗る人物の後を追うこと。これが真実に到達するための一番の近道だった。
「はい。肝に銘じております」
深くお辞儀をし、シャロンは踵を返す。ただでさえ雪崩れ込んでくる仕事の処理で忙しいはずなのに、本来の使用人業務だけでなく、出張の実地調査すら押し付けてしまっている。ブラック企業も涙目の労働環境ではないだろうか。だが俺が行っても威圧的な態度をとって怖がらせるだけだし、必要な情報の収集にも支障を来すだろうし、仕方ないだろう。
それにしても……。
「なぜ公都の孤児院だけ院長を更迭していない?」
俺は静かになった執務室で独りごつ。不正を露見させないために自らの息がかかった人間を置くのは理解できる。にも拘わらず公都では人質を取ることで言うことを聞かせている。
「更迭に不都合な事情があった……?」
そこで、ふとアルシアナの姿が思い浮かぶ。
俺が以前孤児院を訪れた時、アルシアナはなぜあの場所にいたのか。
彼女は常日頃から、中層街に顔を出しては悪を成敗したり、困り事には膝をついて親身になる。そんな彼女が、孤児院に顔を出すのは自然の摂理だ。孤児院は彼女にとっておそらく、「困っている」「苦しんでいる」人の代名詞になっているだろうから。
正義を標榜する彼女は、不正に手を染める人間にとって邪魔なのだろう。顔馴染みの院長を一斉に更迭するようなことがあれば、アルシアナも流石に勘付く。
孤児院の経済状況の変化も、頻繁に足を運ぶアルシアナならば気づくだろう。食事の質や教育の質、孤児たちの表情、孤児院の空気。マイナスな変化をアルシアナが見逃すとも思えない。だがアルシアナの目があるはずの公都でも同様に院長を脅しているとなれば、孤児にそれだけの価値があると見ているとしか思えない。
その理由は一体なんだ?
ひとまずはシャロンの報告を待つべきだろう。俺はシャロンがいない間に滞っている仕事に手をつける。俺がこんなことをしなくても、シャロンならば何の支障もないのだろうが、今は無性に仕事に没頭したい気分だった。そうして書類の山に向き合ってから、どれくらいが経っただろうか。カーテンを開くのも億劫で、机に顔だけを突っ伏していると、突然執務室の扉がノックされた。途端に目が覚めて、俺は姿勢を正す。
「殿下、遅くなって申し訳ありません。寝室の様子を窺ったのですがいらっしゃらないようでしたので、どこかと思えばまだこちらにおられたのですね」
シャロンの言葉に疑問を抱いた俺は、カーテンを開いて窓の外を見る。鮮やかな橙色が水平線から徐々に昇り、闇夜を侵食しつつあった。一晩が経過したことに全く気づけないくらい、俺は没頭していたようだ。
「こんな時間まで仕事をなさっていたのですか?」
「ふん、早く目が覚めただけだ」
「目の下にクマができてらっしゃいますよ。夜通し書類と睨み合っていては、お身体に障ります」
嘘が一瞬で看破される。俺は反射的に視線を逸らした。
「って、それは私がやるはずの仕事ではありませんか」
俺の手元を見て、シャロンは仄かに取り乱す。
「暇だったからやっただけだ」
「暇だからと夜なべするのはおかしいです」
「別に俺が何をしようが勝手だろうが」
「いいえ、殿下にご負担をおかけしてしまっては、使用人としての顔が立ちません」
「ふん。良い心がけだが、貴様に過労で倒れられでもしたら仕事の進捗が滞る。それは困るんだよ」
「ご心配には及びません。私は魔法を使えるおかげなのか、人より長く活動できるんです。それこそ、一週間くらいなら全く寝ずとも効率を落とさず仕事を出来ると思います」
疲れが一切見えないと思ったが、魔法にはそんな恩恵があるのか。回復魔法という唯一無二の才能を持っているシャロンだからこそ出来る芸当なのかもしれない。
「もう少し早く帰ってきたかったのですが、ヘレナ院長と接触した男の後をつけていると、わざわざ遠回りをしたり、不意に酒場に入っては時間を潰したり、変装をしたりと、尾行を相当警戒されている様子でしたので、気づいたらこんな時間になってしまいました」
「気付かれてはいないんだろうな」
「それは心配ありません。尾行の心得がありますので」
尾行の心得ってなんだ。そもそも一介の使用人が尾行スキルを習得して何になるのか。いや、現に今役に立ったわけだが。
「それで、どうだった」
「大公家の使者は一旦自宅に帰ってから、深夜の寝静まった頃に家を出て、とある貴族の屋敷に入って行きました」
「その貴族とは誰だ」
「クレンテ・ローガン男爵です」
「思ったよりも小物だな」
クレンテは小さな街を治める領主に過ぎない。そんな男爵が上級貴族との結託無しに孤児院の補助金を横領できるほどの権力を持っているとも思えない。
「誰と繋がっているか、徹底的に洗い出すぞ」
「承知しました。でもとりあえず殿下は休んでください。今の様子だとまた時間を忘れて没頭してしまいそうですので」
「ああ」
こういう時、ヘンリックは強がりそうなものだが、疲労のせいか進言を素直に受け入れる。自室に戻りベッドに入った途端、瞼が一瞬で垂れてきた。絶えず頭を使っていたから、相当疲労が溜まっていたようだ。睡魔に身を委ね、俺は微睡みに沈んでいった。
◆
俺は次回の子爵院に照準を据え、更なる証拠集めに奔走する。俺がこの国にやってきてから十ヶ月が経ち、七の月を迎えていた。時が過ぎるのはあっという間だと実感する。
子爵院当日を迎え、俺はアレオンと共にエルドリア城の廊下を歩いていた。前回から今日までの期間で様々な問題を解決した手腕を讃えられ、今回から子爵院への出席を正式に認められたのだ。またこの日までに砂糖の生産も一気に進み、国外ではとりわけ高価で取引されている。それによって大きな収入が加わった。窓の外に広がる空はどんよりと曇っていて、外気温はこの時季には珍しく冬場と遜色ない程に冷え込んでいるようだった。
アレオンが議会の漆黒の重厚な扉を押す。すでに貴族たちは全員が着席しており、こちらに視線を向けていた。深緋に染められたカーペットを、内心の緊張を隠すようにして握り拳を作りながら歩く。アレオンが定位置の議長席につくと、俺はその隣に腰を据えた。
全員がいることを確認し、司会役の官僚が開会の口上とともに議論へと誘導していく。
今回の議会はかなりの盛り上がりを見せていた。中にはこの場で俺に礼の言葉を述べる人間もおり、貴族から一定以上の信用を得られたことを実感することができた。
だが、この空気は俺が破壊する。苦労して得た信用を無に帰する可能性、それを考えては手に汗が滲むばかりだった。そして議論も煮詰まってきた頃合いを見計らい、アレオンが全体を見回しながら閉会の言葉を告げようとする。俺はそれに待ったをかけた。
「おお、皇子。いかがなさいましたかな?」
「一つこの場で話しておきたい事案がある」
俺は背筋を伸ばし、全体を見渡しながら粛々と告げる。その真面目な声音に、ニコニコと微笑んでいたアレオンの顔が少しばかり曇った。
「事案?」
「この国の財政は本来余裕があって然るべきだ。俺の講じた施策を契機に持ち直してはいるが、根本的な解決には至っていない。この国で不正が横行していることが原因の一つになっている」
「不正!?」
アレオンは思いもよらぬ単語に喫驚する。
「中でも孤児院周りの不正は看過できない。さて、この中で心当たりがある者はいるか?」
俺は不正の首謀者を視界の隅で確認するも、怪しい動きは見せなかった。それどころか仏頂面を保ったまま他人事のように振る舞っている。
「まあここで罪を自白するような者は余程の小心者だろう。ここで一切の反応を見せていないあたり、図太いと褒めざるを得ないがな。なあ、キプレア・ルドワール卿よ」
俺は名指ししながら今度はしっかりとその双眸を見つめる。
クレンテとの繋がりを洗い出し、最終的に被疑者となったのが財務長官のキプレア・ルドワールだった。ルドワールの庶弟に、クレンテ・ローガンの娘が嫁いでいるのだ。バックについているのが財務長官ならば、これほどの不正を一切疑われることなく行えるのも納得だ。ただ、血縁関係だけを挙げて不正を主導していると言い切るのは無理がある。
だから俺は今日のために、証拠の収集に努めてきた。
「そんな疑いを掛けられるとは大変心外だよ。そもそもどんな不正なのかすら見当もつかないくらいさ。私は孤児院に寄付だってしているのだよ」
これでもなお、ルドワールの瞳は揺れ動きすらしない。用意周到な情報収集を経ていなければ、俺は自分自身の結論に疑問を抱いていただろう。この演技力があってこそ、長年不正を隠し通せてきたのだ。
「そ、そうですぞ、皇子。それは確たる証拠があっての言葉なのですかな?」
逆にアレオンが急に冷え切った空気を受けて狼狽していた。
議会は騒然として、俺を糾弾する声も聞こえる。ルドワール子爵はこれまで、清廉潔白な振る舞いを人前では絶対に崩さなかった。しかし本質は全くの逆。演技力の高さゆえに、その本質が漏れることは一切なかった。
「当たり前だろうが。まあ言葉だけで信じろというのも無理な話だ。証拠をこれから提示していく。その態度をいつまで貫けるか見ものだな。中層街七番区ウレディア商会の御曹司、これを聞いて何か思うところはあるか?」
ウレディア商会は公都有数の商会だが、その御曹司がルドワールの不正に加担していたのだ。
「初めて聞いた名前だね」
「下手な芝居はやめたらどうだ。そいつは思ったより小者でな。最初は威勢も良かったんだが、俺が帝国の皇子だと知るや否や、ビビり上がって洗いざらいぶちまけてくれたよ」
脅しには脅しを、だ。俺はこれ以上ルドワール子爵に加担すれば、容赦はしないと告げた。公都でコタツや石鹸といった製品を売り出したり、エールの生産拡大などを主導していたことが知られ、特に商会の界隈では俺の名前が轟いていたらしい。商会の代表である父親が、新しく開拓されている帝国との商売ルートに多額の投資を行っており、帝国の皇子に逆らってもし打ち切られるようなことがあれば、その御曹司は大目玉では済まない。結局のところ、ルドワールよりも事が父親に露見する方が余程怖かったわけだ。
おかげで、御曹司は俺に従順な姿勢を示した。
「貴様は銀山で発掘された資源を懐に入れ、王国に横流しをしていたようだな」
俺は銀山の統括責任者の下を尋ね、根掘り葉掘り聞いてきた。俺が貴族、それも帝国の皇子だと知ると、あからさまに動揺を見せる。ただ身分が高いというだけではありえないほどの動揺が露わになっており、俺は怪しいと確信した。
「そもそも王国に横流しとは、私の利があまりに薄くはないだろうか」
王国からどのような条件を持ちかけられたのかは知らない。相当な見返りがあったはずだ。銀の採掘量とはいくらでも改竄できるものであり、ルドワールにとってもさほどリスクの高いものではなかったのかもしれない。
「銀の横領は認めるということか?」
真っ先に否定するのではなく、利益、不利益に焦点を持っていった。小さい隙だが、突かぬ手はない。ただ、これもルドワールは飄々と躱す。
「認めてなどないさ。そんなことはありえぬと申しているまで。皆々、誰の証言でもない皇子の戯言を信じていけないよ」
「誰かの証言であれば皆は納得するというのだな?」
俺は全員に向けて確認するように言い放つ。頷きも首を横に振りもしなかったが、空気はそれならば……という空気に移り変わっていく。
「ならば証人を召喚しよう。クレンテ・ローガン。前で話してもらおうか」
俺の呼びかけに、やや動きがぎこちないクレンテが腕と足を同時に前へ出しながら壇上へ上がる。ルドワールにとっては相当予想外の登場だったはずだ。
俺はあれからクレンテの懐柔に動いた。帝国の皇子という肩書は有効に働いたが、それだけで味方するほど甘くはなかった。そこで俺は得意の脅しでクレンテを説き伏せた。
『俺に協力しないのならば、貴様だけを晒しあげる。貴様がルドワール子爵の責任を追及しても、誰も信じないだろうし、奴は当然知らぬ存ぜぬを貫き通す。そうなれば貴様はもう終わりだ』と。
クレンテとて、命令されてそれを実行した身であり、自分に全ての責任をなすりつけられるのは避けたかった。俺はこの国に来てからいくつもの劇的な成果をあげ、また問題や困り事の解決に力を貸したことで、貴族たちから少々のことでは崩れぬ信用を得た。否定するクレンテの言葉よりも、証拠で固めた俺の証言の方が信憑性が高いと誰もが取るはずだとクレンテ自身も理解していただろう。
「私、クレンテ・ローガンはルドワール財務長官の命で銀の横流しを行っていました。それだけではなく、孤児院から補助金を吸い上げたり、孤児の引き渡しを迫り、他国への売り飛ばしにも加担しておりました」
「なぜルドワールに協力した?」
「近い将来王国と戦争になると煽られ、自分の身を守るためには協力しろと」
王国と大公国の対立が存在する今、王国の侵攻で大公国が消滅に追い込まれる可能性は小さくない。相応の身分を確約するような保証が、王国から提示されていたのだろう。
「その懸念は間違っていない。王国がいつ攻め寄せるか分からないのは事実だ。ここで勇気を出して自白した貴様の罪は不問とする」
クレンテは一度深く頭を下げ、自分の席へと戻っていく。事前に示し合わせていたため、クレンテはさほどホッとした様子ではなく、未だ表情は硬い。
「ローガン卿、私を嵌めようとその皇子と結託でもしているのかな? 脅されているのだろう? でも無理もないさ。強大な帝国からやってきた皇子に脅されでもしたら、君一人では逆らえるはずもない。皆もそうは思わないかい?」
ルドワールは議会の空気を瞬時に塗り替えていく。やはり人望の厚さは並大抵のものではない。
「ふん。脅しているのは貴様だろうが。俺がクレンテに辿り着けたのは、一つの孤児院の院長から自分の子供を人質に取られたと告白されたからだ」
公都の孤児院への寄付は自分が関与していないと思わせるためのカモフラージュに過ぎない。孤児院の院長もまさか背後にルドワールがいたとは思わない。
「……」
ルドワールの表情に変化はないが、僅かに眉がピクリと動く。
「貴様は院長の家族を人質に取り、脅して言うことを聞かせていた。家族の安全を保障する代わりに孤児院の子供の引き渡しを、しかも優先的に女の孤児を要求している。そしてその孤児をあろうことか他国に高値で売り飛ばしていた。大公家の所有物であるはずの孤児を勝手に売り飛ばすなど、許されざる行いだ」
地理的な理由から、孤児はシャロンのように魔法が使えるラプト族の末裔である可能性が他よりもかなり高いため、エクドールの子供は高く売れるのだ。更に女となればその価値は跳ね上がる。しかし、ラプト族は少数民族であるため、これは博打に近い商売になる。
もっとも、ラプト族に目に見える特徴はなく、末裔と判別するための手段は、実際に魔法を使えるか確認するしかない。魔法は個人差はあるものの十五歳前後で発現することが多い。魔法が発現した子供は大公家の保護対象になるため、それが明らかになる前の十三歳という少し早い段階で売り飛ばされるのだ。万が一にでも、もし買った孤児が魔法を使えるとなれば、金銭では測れない程の価値を生み、家格をも大きく押し上げる。それだけの価値を秘めているというわけだ。だから貴族は挙ってエクドールの子供を高値で引き取っていた。
これによってルドワールは多大な財を得ていた。この国では人身売買は固く禁じられているため、孤児院の孤児でなくとも有罪である。
「まったく、ひどい言いがかりだね」
ルドワールは呆れたように肩を竦める。
「それだけではない。公都以外の孤児院に至っては院長が全員更迭され、代わって院長に据えられたのは、過去に罪を犯した者や不正に関与した者ばかり。虜囚の身から解放する代わりに言うことを聞かせていたのだろう? さらに大公国から孤児院にいく補助金の五割返還を要求していた」
クレンテ・ローガンを味方につけたことで、不正の全貌が明らかになった。ルドワールは、公都以外の孤児院から吸い上げた補助金を寄付という名目で公都の孤児院に流していたのだ。自らの懐を痛めず、名声を上げる。守銭奴ゆえのあくどい手法だった。孤児院に頻繁に訪れるアルシアナの信頼を得るという狙いもあっただろうし、実際にそれを達成している。
「公都の孤児院で院長を更迭せず、補助金の横領も控えていたのは、公女がよく訪れていたからだ。違うか?」
「あまりに荒唐無稽な妄想だね」
「孤児の引き渡し要求も、補助金の横領も、始まったのはいずれも三年前の話だ。その時期は丁度、貴様が財務長官に就任した時期とも重なっている。これは偶然か?」
「嫌な偶然と言わざるを得ないね。もしそれが仮に事実だとしても、私が関与した証明にはならないさ」
「とぼけるのはいい加減やめたらどうだ。国内全ての孤児院は大公家の管理下にあり、院長の任命権限は財務長官にある。証拠ならまだあるぞ。ある公都の孤児院には、面倒見が良く慕われていた一人の女の孤児がいたそうだ。だが巣立って数年経っているというのに、孤児院に一度も顔を出さずにいたらしく、それに違和感を覚えた一人の孤児が、危機を察知してか失踪したと聞いた。その時、貴様はなぜか騎士団の一小隊を動かして捜索させた」
「それは失踪した子供を心配したからで、他意はないよ」
「ならばその子供はどこにいる? 言っておくが、巣立ったはずの女の孤児が国の機関に所属していないことは確認済みだ」
「……」
「万が一にも自分の所業を露見させないために、不穏分子を消したのだろう? もはや貴様が一連の不正に関わっているのは明白だ。それでもシラを切り通すのなら、関わった全員をここに召喚したって別に構わないんだぞ」
それだけの証拠を、俺は掴んでいる。もはや盤面を覆すことは不可能だ。ルドワールは額に大粒の汗を滲ませ、歯を軋ませていた。
「ようやく焦りが見えてきたな。ここにいる貴族たちも、貴様に疑念を抱いている。さて、弁明の一つや二つ、聞かせてもらおうか」
「それが事実だとしても、そこにいるクレンテが勝手にやったことさ」
「この期に及んで責任の転嫁か。それではここにいる貴族たちの疑念を拭うことなど到底不可能だぞ」
品行方正な人間として名高かったルドワールが、他者に全責任をなすりつけるような言動をした。その事実は決して軽いものではない。
「ぐっ……」
ルドワールは明らかな動揺と共に声を詰まらせた。
「キプレア、本当にお主がやったと申すのか?」
これほどの証拠を提示しても、アレオンはまだ信じられないという様子だった。観念したのか。ルドワールは開き直ってアレオンを睨みつける。
「ふん、貴方が帝国と結ぶなどという愚かな真似をしなければ、永遠に知らずとも済んだものを」
しかし、まだ強気な姿勢は健在だった。最後の足掻きと見るべきか、まだ策があると見るべきか。
「ルドワール財務長官、もう観念しろ。お前はもう終わりだ」
「ふ、ふふ。終わりだと? ふざけるな!」
わなわなと震え、それでも反抗的な目を見せるキプレアに俺は呆れ返る。
「この者を捕らえ、牢獄に入れよ!」
俺は独断で、部屋の隅で呆然と様子を眺めている官僚たちに告げる。だが顔を見合わせるばかりで動こうとしない。その隙に、激昂したルドワールが懐に忍ばせていた短剣で襲いかかってくる。
「ロクに戦闘経験も積んでいない貴様の剣が届くはずもないだろうが」
俺は呆れながら、剣を握っている右腕を瞬時に掴み、両足を引っ掛けて俯せに倒す。素早く羽交い締めにすると、すぐに大人しくなった。
「いいか、よく聞け! 俺は不正を絶対に許さない」
この場にいる全員の目がこちらを向く。
「今後、不正に関与した者は容赦なく切り捨てる。この国はいずれ王国の侵攻という危機に直面することになるだろう。その足枷となるような不穏分子は取り除かねばならない」
俺は顔を引き攣らせたまま固まっている面々を見て、自分はさっさと退散するのが吉だと判断し、アレオンに背中を向けながら冷たい声を投げかける。
「アレオン、こいつの処遇は貴様に任せる。甘い処遇は自らの首を絞めると理解しろ」
「……必ずや厳しい処罰を下しましょう」
アレオンの表情は暗い。財務長官として重用していた人間が長い間不正に手を染めていたとなればショックは大きいはずだ。まだもう一波乱あるはずだが、今日くらいはもう休みたい。自室に戻ると、静寂が全身を支配し、断続的に襲ってくる耳鳴りに顔を歪めた。
今日の議会を含め、ずっと気を張り詰めていたことで疲れがドッと出てくるのを感じる。ベッドに身を預け、枕に顔を埋めてしばらく。疲れていても眠れないのは、まだ心臓の高鳴りが治らないから。正義の心を胸に自身を全うしたつもりはあっても、一人の人生を閉ざす主因を担ったことに変わりはない。死刑執行のボタンを押す人間は普段からこんな気持ちと戦っているのだろうか、などと尊敬の念すらも抱いていると、扉の前に人が立っているのを察知する。感覚が過敏になっているのだろうか。普段ならこんなことに気づくはずがない。