もちろん貴族が平民を見下す風潮は未だ根強い。身分を問わず集めた人間を指導官としてえるにはまだまだ障害が山積みである。



 下層街を視察した帰り道、さきほどの長の話を聞いて気になった俺は、中層街にある孤児院に立ち寄ろうと、歩みを進めていた。

 孤児院の目の前にへいせつされた庭では、子供たちが思い思いのゆうに夢中になっている。その一角に、院長とおぼしき四十さいほどの女性とだんしようするアルシアナの姿があった。

「あれは、アルシアナ公女殿下……?」

 シャロンが意外そうに言葉をつむぐ。公女が護衛も連れず一人で城下に出ている時点で不用心だ。いや、俺も人のことは言えないのだが。

 俺はへいかげからアルシアナを見つめる。少なくとも院長と話す様子を見る限りでは、下層街の長が言っていた「院長が冷たくあしらう」とはほどとおかった。無論、院長が身分によって態度を変えている可能性も否定できない。それでも、院長が浮かべるみは俺の目には自然に映った。

「声を掛けなくてよろしいのですか?」

「逆になぜ声を掛ける必要がある。俺がここで公女に話しかけたとして、公女が喜ぶとでも思うのか? むしろげんに思うはずだ」

「……それでも殿下とアルシアナ公女殿下はこんやくしやではありませんか」

「たかが婚約者だ。そもそもこれは政略けつこんであり、公女とて望んだものではなかった。必要以上に接触する理由はどこにもない」

「……きっと殿下とアルシアナ公女殿下は歩み寄れると思うんです」

 違う。歩み寄れる、寄れないの次元の話ではない。俺がそれを望んでいないのだ。

「それは貴様の願望に過ぎない。それより今はあの院長との接触が先だ」

 話の方向をらそうと俺が院長方に視線を送ると、すでにアルシアナは子供達との別れのあいさつを終え、孤児院を後にしようとしていた。その背中と、アルシアナに手をって見送る子供達を見つめる院長のひとみにはあいの色が帯びてはいるが、そこに確かなあいしゆうも混じっていた。俺はアルシアナの姿が見えなくなったのを確認して孤児院のしきに足を踏み入れると、こちらに気づいた院長がいつしゆんで顔色を変え、駆け寄ってくる。

「も、もしかしてエルドリア城から遣わされた貴族様でしょうか……? でもここには来ないと約束していたはず」

 院長がおずおずと尋ねてくる。貴族に、というよりは特定の貴族に対しておびえている様子だ。

「遣わされた?」

 俺は誰かに遣わされたわけではない。自らの意思でここに来た。

「い、いえ。なんでもありません!」

 院長はこつにホッとした様子を見せながら、首を横に振る。遣いという存在が、院長をここまで怯えさせるほどの「何か」をしているのだろう。

「なぜ安心する。俺が貴様の怯える相手よりじんで横暴だと、なぜ思わない」

「ひっ……も、申し訳ございません」

 再びその瞳が怯えをはらむ。

 そもそも、大公家の名を使っておどしているというのが悪質きわまりない。アレオンの性格を見る限り、脅して何かを要求するこうとはしないだろう。

「一度口に出したんだ。全て吐け。その遣いとやらが貴様に何を要求している?」

「……言えません」

「言えない? なぜだ」

「……」

 院長はおの体勢のまま縮こまり、ダンマリを決め込む。

「いんちょうをいじめるな!」

 声の方向に目を向けると、の一人が強くにぎった拳をふるわせながら、こちらをせいいつぱいにらみつけていた。

「やめなさい! この方は貴族さまなのよ」

「さっきのお姉ちゃんも貴族さまなんだろ!? そんな奴に意地悪されて、どうしてだまってるんだよ!」

「そんな奴、とはずいぶんな物言いだな」

「も、申し訳ございません! どうかこの子の命だけは……!」

「無礼をのがせというのなら、相応の誠意が必要になる」

「せ、誠意……」

 院長はなまつばみ込み、しゆんじゆんするように視線を彷徨さまよわせる。

「遣いがだれなのか、知りうる限りを俺に話せ」

「……そ、それは」

「殿下、少しやりすぎかと」

 シャロンがかんげんはさんでくる。

「で、殿下……?」

 殿下という呼び名に院長の肩がさらに震えを増す。

「この方はアルシアナ公女殿下の婚約者で、レトゥアール帝国の皇子であるヘンリック・レトゥアール殿下です。突然の訪問におどろかせてしまって申し訳ございません。こう見えてこころやさしきお方ですから、本気でその子を手にかけるつもりはありません。ご安心ください」

「おい、余計なことは」

 俺のきようはくはもちろんじようだんではある。俺も心を痛めてはいたが、こうでもしなければ口を割らないほどの脅しを受けているのだろうと思ったのだ。シャロンの言葉を聞いて、院長は安心したとは程遠いものの、いくぶんか落ち着きを取りもどしていた。

「殿下は孤児院を助けたいと思っておられます。実のところ、今回訪ねたのはコタツの生産工場でおんな話を耳にしたからなのです」

「不穏な話、ですか?」

「院長はコタツを使っておられますか?」

「ええ、それはもう。毎年、冬の夜は全員で毛布にくるまって身を寄せ合い、寒さをどうにか凌ぐ日々でしたから。冬が始まった今、本当に助かっております」

「コタツを孤児院に届けさせるよう指示なさったのは殿下です」

「お、皇子がコタツをおめぐみに……?」

「はい。まだせいにあまり出回っていないコタツを、孤児院を第一に届けさせたのです」

「……」

 これまで俺と絶対に目を合わせようとしなかった院長と、一瞬目が合う。

「院長が何か口止めされていて、私たちに話すことで不利益をこうむる可能性があるとしても、話されるべきです。不安だとは思いますが、殿下は必ず力になってくださいます」

「……分かりました。お話しします」

 脅しよりも信用させて口を開かせた方がはるかに良い結果を生むのは理解できる。でも、この口と態度でそれを勝ち得ることはまず不可能。だから俺は積極的に脅しを用いているのだ。シャロンはそれをちゆうで遮ったと思えば、いとも簡単に口を開かせてしまった。

「事のほつたんは、忘れもしない三年前の六の月ミヘイムでした。私には五さいになるむすめがいるのですが、突然自宅にやってきた大公国の兵士に、その娘をさらわれてしまったのです。たんに暮れていた私のもとに使者がやってきて、こう告げられました。『娘は預かった。生きて返してほしければ、黙って指示に従え』と」

「その指示とは?」

「十三歳になった子供を全員わたせ、と」

 孤児は基本的に大公家の所有物であり、大公家のために働くことを求められる。その進路は様々だが、一貴族の私物となることはまずありえなかった。そもそもひとじちを取ってまで要求する意味はなんだ?

「誰の指示かは知らないのか?」

「そこまでは……」

「まあそうだろうな。主導者はおそらく国の上層部にいるような上級貴族だ。つながりを辿れるような情報を貴様に与えるはずもない。これ以上貴様を問い詰めたところで何の意味もないな」

「有益な情報をなにもお伝えできず申し訳ありません」

「これだけでも今日はしゆうかくだ。だが次に大公家の使者を名乗る人間に呼ばれた時には必ず報告しろ」

「は、はい!」

 院長は深く頭を下げながら返事する。完全にこわがらせてしまったようだし、これからはシャロンを挟んだほうが良さそうだな。

おれが来るよりも貴様が行ったほうが手っ取り早いだろう。状況は貴様の口から俺に伝えろ」

「承知しました」

 俺はシャロンに告げながら、思案の海にしずむ。

 院長を脅している人間が誰か、これはかなりやみの深い問題だ。必ず究明し、関わった人間を取り除かなければならない。院長の娘もなるべく早く救出したい。

 とはいえ今の俺がアレオンを始めとする大公国の人間に教えたところで、信じてはもらえないだろう。いや、それだけならばまだ良い。帝国の人間である俺が大公国をめつに導こうとしているのではないか、そう疑念を抱かれでもしたら詰みだ。

 それだけは何としてもけたい。だからこの案件は相当慎重に動く必要がある。今は大公国の貴族たちに俺のことを認めさせるのが先決だ。



 ヘンリックがこの国にやってきてから早くも七ヶ月が経過し、四の月アイブリーヌとなり長い冬もようやく終わりに近づいていた。

 エルドリア城では三ヶ月に一度、定例的に行われる議会が開かれている。国内の有力者が一堂に会する最高意思決定の場であり、ソルテリィシア大公家のえんせきやそれに準ずる権力者がじよくんされている「しやく」のしようごうを持つ貴族が集まっていることから、子爵院と呼ばれている。ただ、基本的に多くの議論は月に二度行われる各貴族の代理人が出席する議会で完結しているため、議論が活発かと言われるとそうでもなく、げんしゆくな空気で行われ貴族たちにとっても義務的に参加する一行事に過ぎなかった。

 そんな子爵院で、今日は珍しく我先にかんりようから声が上がり、かんかんがくがくとはいかずともそれに限りなく近い様相をていしていた。

「閣下、下層街の治安が劇的に良くなっていると報告を受けました。無造作に建てられていたバラックが集合住宅や工場になっており、景観もおおはばに改善しております」

「この時期は例年、下層街でえつとうできなかった者たちの死体処理にほんそうするのですが、今年は死者がほとんど見られません。どうやらコタツなるものが市井に流通しているのが原因とのことです」

「美味な酒がくにより流通している、と南国れんぽうのルナフィス王国の大使に告げられこんわくしていたところ、どうやら我が国のエールが好評を博しているとのこと。かなりのきよがあるというのに、エールを腐らせずに運べるとは驚き申した!」

 次々となされる報告に、一つ一つを簡易的にしやくするのがせいいつぱいといった様子で、アレオンは額にあぶらあせかべる。

「これは一体、どうなっている?」

 そんなまどいの言葉をこぼすのも無理はない。議会全体がそうぜんとし、たがいに顔を見合わせている。

「ありえん。何者かのかいにゆうがあったとしか思えんな」

「このように国を揺るがすほどの人間がこの場にいる者以外にいると?」

「この中に心当たりのある者はおらぬのか?」

 そんな風に言い合う貴族をしりに、アレオンは汗がにじむ手をギュッと握り込む。報告一つ一つを頭の中で咀嚼しきっても、否定的な文言は一つも見当たらなかった。そしてアレオンには、こんな状況を作り出しうる存在に心当たりがあった。

「ヘンリック、皇子……」

 その名前を独りごつ。アレオンは周囲に聞こえないようにらしたつもりだったが、その声はけんそうに包まれる中でもなぜかひびいた。

「大公閣下、ヘンリック皇子が何かしたと仰られますか?」

「何かこんきよがあってのことでございますな?」

 みみざとく聞きつけた貴族たちが口々にアレオンに問いかける。

 アレオンもこの場でその名前を出したのをかつだとしゆんかいした。とはいえ一回にんしきさせた名前を否定してうやむやにすれば、貴族たちの信望にもえいきようしてしまう。

「……ヘンリック皇子を呼べ」

 進退にきゆうしたアレオンは城内にいるであろうヘンリックを呼ぶよう、官僚たちに告げる。それから数分、いや数十秒ほどにも感じられたわずかな時間を経て、ヘンリックは姿を現した。しかも整ったかみがたに、寸分たがわぬ礼服の着こなしが光っており、じんそくな登場も相まってアレオンはあつに取られる。まるで最初からこの展開を予想していたかのような様子だった。

 ヘンリックはアレオンの顔をいちべつし、全体の前に立つ。

「ヘンリック・レトゥアールだ」

「突然呼び立ててしまいまことに申し訳ない。それにしては早いとうちやくのようでしたが」

「今日が子爵院の日だと聞いていたからな。いつでもけつけられるように準備はしていた」

「気をつかわせてしまったようですな」

「ふん、気など遣ってはいない。それよりも俺を呼んだ理由はなんだ?」

 ヘンリックは鼻を鳴らし、わざとらしくちようはつてきな笑みを浮かべた。

「ではヘンリック皇子、単刀直入にお聞きいたします。これは皇子が仕組んだことですか?」

 アレオンではなくしようあらさで知られる貴族の一人が立ち上がり、険しい表情でついきゆうする。

「これ、とは何のことだ? それに仕組んだとは人聞きの悪い」

「ヘンリック皇子、その者に殿でんを責め立てるつもりはない。どうか気になさるな。ただ、下層街における死者の激減や王都全体の経済活性化、エールの国外への流通と立て続けに良い報告があったのだ。これらが全て皇子一人の功績だというのであれば、その者がおもしろくないと思う気持ちも当然だろう? それをどうか理解してもらいたいのさ」

 口を挟んだのはキプレア・ルドワール子爵だった。

 ややくだけた口調に思えるが、馴れ馴れしさはあまり感じない。若くはないものの、不思議とミスマッチとは思わなかった。

「ヘンリック皇子、ルドワールきようはよく公都の孤児院に寄付をしておりましてな。しんらいできるせいれんけつぱくな男にございます」

「おっと、閣下。そのことはあまりふいちようしないでしいといつも……」

 ルドワールはあきれた様子ながらも、苦笑いしているだけだ。

「おお、そうであった。すまない。ただお主のことを皇子に知ってもらいたくてつい、な」

「ふん。茶番はそれだけか?」

「話のこしを折ってしまいましたな。申し訳ありません」

「貴様らの疑問に答えてやる。俺は確かに下層街にテコ入れし、しよくりようちくきゆうこう作物の開拓で食糧供給の安定化をはかり死者を減らし、コタツやエールの製造などでようの創出に結びつけた。だがなぜ俺がそんなことをしたと思う?」

「……分からないな」

 ルドワールが考え込む。

「この国に来た当初、俺はアレオンの前でこうごうした。独力で目に見える成果を挙げる、と」

「成果?」

「俺がこの国に来た当初、貴様らは全員俺のことをあまく見ていたはずだ。それどころか俺を遠ざけるつもりだっただろう。信用などするはずもない。だから俺一人で貴様らに実力を知らしめ、この国にとって有益だと思わせるためにやった。アレオンよ、これでも成果として足りないか?」

 ヘンリックの視線が再びアレオンをとらえる。アレオンの目にはその不敵な笑みが異常なほど自然に映った。アレオンは肩を震わせ、心底かいそうに笑う。

「ふふふ。大変驚き申した。他の者も同じでありましょう。全く風評というのはアテになりませんな」

 ヘンリックの評判ははっきり言ってかんばしくなく、当初はどの貴族もあなどるばかりであった。アレオン自身もされたうわさを信じきったからこそ、いつかんしてヘンリックを政治から遠ざけようとした。

「人の噂というものは経由した人間のかいざいしてひれがつくものだ」

みなの者、如何いかがであろう。これほどの才覚を持つ者の力を借りぬというのはあまりにもつたいいと思わないか?」

 その問いかけにうなずく者は多かった。そうでない者も皆顔を見合わせるばかりで、否定するような言葉は聞こえてこない。もっとも、空気を読んで同調しただけで、胸中に複雑なものをかかえる者もいるだろうが。

「ヘンリック皇子、よろしいですかな?」

「いいだろう。俺が貴様らの問題を解決してやる」

「聞いたであろう。なんともたのもしいことか。皆、異存はないな?」

 首を横に振る者は現れず、はくしゆすら起こる始末だった。それを見てアレオンは満足げににゆうな笑みを浮かべる。一方のヘンリックはかすかに口角を上げながらも、冷静な振るいをつらぬいていた。



 子爵院はそのままなごやかな空気が最後まで保たれ、空気がかんしたのを見てアレオンが閉会を宣言する。退出していく貴族たちの背中を見つめながら、俺はなおも冷静な表情を維持し続けた。そんな中、アレオンのとなりすわっていたアルバレン子爵家当主のセレス・アルバレンが、何を思ったかこちらを一瞥すると、にこやかに微笑んで、会場を後にした。そして全員が退出し、じゆうこうとびらが完全に閉じたのを見て、張り詰めたきんちようが解けていくのを感じる。

 あれだけ多くの視線にさらされるとさすがにへいの色がい。ずっと気を張っていたので、表情筋がもうしていたのか、ゆるんだひように顔の至る所がピクピクと動いていた。

 先程まで子爵が並んで座っていたあたりに俺はこしける。背もたれに体重を預け、しばしめいもくしていると、入り口の扉が開く音がし、あわてて姿勢を立て直した。

「貴様か」

「ヘンリック皇子、おつかれですかな?」

「ふん、この程度造作もない」

 意外にざといのか、アレオンは俺のろうを瞬時に読み取った。あるいはじゆんすいな心配の言葉かもしれない。アレオンはづかわしげにまゆを下げている。

「まず言っておかねばならないことがあります。皇子はこちらが全く手を差しべなかったにもかかわらず、さまざまな問題の解決にじんりよくしてくださった。大公家当主として、心よりおんれい申し上げる」

ていこくの皇子として、一度決めたことは曲げたくなかった。ただそれだけだ」

 ヘンリックの性格も大きく影響しているが、あれだけ好戦的な態度を見せて何も出来なかったでは格好がつかない。正直なところ成功する確証などはなく、常にどこか不安を抱えながら日々を過ごしていた。結果的にきよくせつつつもおおむね良い結果に結びつき、こうして貴族らの信用をある程度勝ち得るに至ったが、運に助けられた部分も多い。

「流石は旧ていしつの英才教育を受けてきただけある、と申すべきでしょうかな」

「下手な称賛はやめろ。気色が悪い」

「おっと。これは失礼しましたな」

「そもそもこれは俺だけの功績ではない。部下がよく働いたからだ。俺が側に置いているのだから当然の話だが」

 めずらしく、俺が思っていたことをそのまま伝えられた気がする。もっとも、余計な一言こそ付いているが。

「ほう。皇子がそのように仰られるとは驚きましたな。いや、失礼。皇子にとって下の者はあくまで手駒に過ぎず、決して信用はしないのだとばかり思っておりました。しかしその認識、改めなければなりませんな」

 自分でも驚いていた。だんこの口から出てくるのは、他者を褒める言葉であっても、どこかいやみたらしく、百分の一にしやくした上で、大量のとげを生やしたような言葉ばかりだったからだ。強がって自分一人の成果と言い張るのではなく、家臣をたよったことをなおにこの口が認めたのである。

 ただ今回はヘンリックの変化というより、打算的な思考でアレオンから多少であっても好感を持ってもらえた方が、良いと判断したまでだ。ヘンリックは大公家当主であるアレオンをはたがしらに据え、ていこくだつかんこまに仕立て上げようとしている。だからこそアレオンの信頼を得て、自分の意見が可能な限り通る方が都合がいいのだ。

 最初はどうねんとしての思考との大きなかいに戸惑ったこともあったが、今となっては概ね適応した感がある。ヘンリックの人格と直接話すことはできないが、同じ身体を共有している以上ヘンリックのれつな思考が、稔侍としての思想に影響をおよぼしている。そのため俺がこの世界で生きていく上で、帝国のだつかんという宿志は根強いものになっており、ごとでは決して無くなっている。

「それよりも、俺に何か用があるのだろうが」

 バツが悪くなって、俺は話題のてんかんを試みる。

「……察しが良いですな」

 俺は初めからアレオンのソワソワした様子を感じ取っていた。

「話せ。聞いてやる」

「我が国に蔓延はびこる根深い社会問題、その解決策をご一考頂きたい」

「社会問題か。そんなのはいくらでもあるがな。貴様は何が一番問題だと見ている?」

「主要産業である銀山で働く労働者の寿じゆみようが異様に低いのです。三十を過ぎると体調をくずす者が続発します」

「まあはたらざかりの男が次々とたおれていっては死活問題だろうな」

「原因が不明、というほどではないのです。銀山のかんきようが影響しているのは理解しています。こくな労働により肉体的なしようもうが激しいことは言うまでもありません。暗い環境がいんうつな気分をゆうはつし、精神的な病に繋がっているとも言われております。ただこれらは今になって浮きりになったことではなく、銀山が見つかって以来根深い問題となっています」

「現時点でどんな対策をしている?」

「他にも肉体的な負担を軽減するため、一日の労働時間をさくげんしてはみたのですが、ほとんど意味をなさず……」

「根本の原因は労働時間ではない。全く無関係、というわけではないが、やったところでさしたる意味はない」

「……なぜそう言い切れるのですかな?」

「貴様はこうどうに入ったことがあるか?」

「……ありませんな」

「鉱山には大量のけむりが舞っている。これについてはさすがに有害だと自覚しているからか、つうこうを設けてのがしているようだし、坑道内に空気をじゆんかんさせる道具やけを設けているのもあくしている。だが本来、坑道には目に見えないさいな粉も大量に舞っている。煙を逃したり、空気を循環させるだけでは、これを防ぐことはできない」

「……目に見えない粉、そんなものが人体をむしばんでいたと?」

「そう。銀山労働者の寿命が短い要因は、それが時間をかけて肺にちくせきすることで病気をはつしようしているからだ」

 職業病であるじんはいは、初期段階でしようじようや兆候が現れることはなく、気づいた時には病状が進行しているケースが多いという。

いつたんはつしようすると完治は無い病気だ。そうなると予防が不可欠になる。有効なのは布で口と鼻をおおう対処法だろうが、常に鼻と口をふさいでいれば息苦しくなるから、外している者も多かったはずだ」

 危険性も伝えず、自主的な装着をうながすだけでは効果はうすい。ふんじんを防ぐためには常にぼうじんマスクを着用することがひつになってくる。

「……常に装着することを義務化し、周知てつていを行わなければなりませんな」

 いわ銀山ではマスクに梅干しを挿れむことで、粉塵やえんを防ぐ役目を果たしていたと聞いたことがある。あいにく梅干しはないが、梅に類する酸味の強い果物の存在はヘンリックのおくからかくにん済みだ。使えるものはなんだって使う。

 梅干しは戦争でも使えるものだ。野戦ひようろうとして長い保存がくし、見るだけでもえきぶんぴつそくしんさせる効果があるためだつすいを未然に防ぎ、せつしゆすれば栄養も手早く体内に入れることができる。特にろうじよう戦では役立つだろう。

 傷の消毒やでんせんびようの対策にも役立つらしいから、まさにばんのうな食材である。

「ただ口と鼻を覆ったところで完全に防げるわけではない。体調を崩したり、くなった場合に備えることも必要になる」

りようほしようする、ということですかな?」

「それだけでは不十分だ。まいきんの給付や、遺族の養育費のてんも必要だろうな」

「しかし銀山労働者に対する給金は今の時点でもかなり高い水準にあります。これ以上資金をねんしゆつするというのは、非現実的かと」

「そもそもその現状がおかしいとどうして気づかない。本来この国の財政はもっとゆうがあってしかるべきだ」

 単純な税収の少なさ、属国だからと銀を上納させられたり、足元を見られて食糧を相場より高い金額で買わされること、いんの運営費用などなど、挙げればキリがない。

「……財政については財務担当の者に任せておりました。あまりにも無責任だったと痛感するばかりです」

 アレオンはみして視線を落とす。財務担当というのはアレオンがもうもくてきになるほど信頼し、権力が強い人間なのだろう。アレオンには申し訳ないが、その財務を担当している人間に問題があるのは明白だ。

「皇子には財務関係の人間と大公家の人間にしか見ることができないちよう簿をお見せしましょう。ずかしながら、私には帳簿を見てもどこに問題があるのかさっぱり分かりません。願わくば、皇子に財政改善の策をさずけていただきたい」

 アレオンは自らの立場をわきまえず躊躇ためらいなくこうべを垂れる。その声はこんがんするような色を帯びていた。

「ふん。俺に頼らなければならない自分の未熟さを恥じることだな」

 反論できないと分かっていて、こうげきてきな言葉をいてしまう。せっかく僅かにでも好印象をあたえられたというのに、一瞬でふいにしてしまった気がする。本当に不便でめんどうな口だな、と深いため息を吐きたくなった。決してやすけ合いできるような案件ではないが、今見えているだけでいくつも課題がある。まずはそれから取りかるとしよう。



 子爵院の翌日から、多くの相談が舞い込むようになった。大半が士爵家やだんしやくといったいわゆる下級貴族と言われる者たちであり、一つ一つに軽く目を通すと、深刻な課題も散見された。ただ、大公家に連なる家系や実力者に与えられる子爵のしやくを持つ者は、上級貴族というきようがあるためか、俺を頼ってくるようなことは今のところない。

 俺は成果を公表する場として、大半の貴族が一堂に会する子爵院を選んだ。公表というのは少々へいがあるが、この日にエルドリア城にめる官僚たちに情報が行くよう意図的に仕向けたのだ。それまでは関係者の口を可能な限りふうじ、解禁と同時に貴族の耳に入るようねらった。子爵院という場が効果的なのは言わずもがなで、成果を小出しにするよりも一気に「放出」した方がインパクトは大きい。貴族たちの目にもそれはそれはあざやかに映ったことだろう。ただあまりに鮮やかすぎて、下級貴族のせんぼうを集めすぎてしまったかもしれない。俺に困り事を相談すれば解決してくれる、そんな期待がふくらみすぎた。

 正直、キャパオーバーが過ぎる。だから全部一人で処理するのはハナからあきらめた。そこで解決難易度ごと、三段階にシャロンが仕分け、一番難度が高いもの、もしくはシャロンが俺に意見をあおぐべきと判断したものを俺に回してもらう形とした。その中で大公家のちよつかつりように関するもの、すなわち官僚から寄せられた相談を優先的に処理している。

 ただ、シャロンがゆうしゆうすぎるため、たいていの案件を自分で片付けてしまう。だから基本的に俺は本来の仕事に専念することはできたのだが、仕事が増えてもきっちりこなすあたり、頼もしいとしか言い様がない。

 おまけにシャロンは自分のがらをあろうことかほうし、俺に全て渡そうとしてきた。「部下の手柄を横取りするような器の小さい人間に落ちぶれたつもりはない」と言うと、「私の名声が上がるより殿下の名声が上がった方が総合的な利得が大きいので」ととりつく島もなかった。

 今回の実績が働いて、貴族たちは俺のことをだいぶ信用したはずだ。俺は狙い通りの状況にほくそむ。

「殿下、今お時間よろしいでしょうか。孤児院の件でお伝えしたいことがございます」

「事態に進展があったか?」

「はい。まずは他の孤児院がどんな状況なのか、まとめてまいりました。こちらをご覧ください」

 そう言って、シャロンは分厚い冊子をわたしてくる。最初に中層街の孤児院を訪問してから、シャロンは仕事のかたわしよう集めに奔走していた。

 ただ他の孤児院に不用意にせつしよくすれば、かえってこちらの動きがけんするリスクを高めてしまう。そのため、しつを出すまでは極力他の孤児院への接触は避け、情報収集にてつしていた。冊子の中身は、国内にある全ての孤児院とその院長について情報がまとめられていた。

「公都以外の孤児院では、ある時期を境に院長が全員解任され、新たに任命されたのは過去の不正や犯罪に加担しながらしよばつを逃れた者ばかりでした。こうてつみつに行われ、院長は前任者と同じ名前を名乗らされていたようです」

「逆らえばろうごくに入れられる、そうなれば言うことを聞かざるを得ないな」

 犯罪者や不正をするような人間が院長を務めているというのも看過できない。人を育てるという責務を負っている職業なのだから。

「公都以外の孤児院は孤児が売り飛ばされているのみならず、明らかに経済じようきようが悪く補助金が適切に運用されているとは思えませんでした」

「やはり横領も起きていたか」

「孤児院の運営に投じられる補助金に不満をいだく貴族によるわざでしょうか?」

 孤児の養成には、初代大公の方針で長年力を入れられている。手厚く保護する事で大公家に対する忠誠心を育み、絶対に裏切らない人材としての育成を試みてきたのだ。孤児院といっても孤児のみならずこんきゆう家庭の子供も受け入れており、だからこそこの国には他の国よりもはるかに多い数の孤児院が存在している。

 しかし運営には決して少なくない資金が割り当てられており、補助金のてつぱいを一部の貴族が唱えながらも、初代大公が一貫して減額すらもいつさい認めず、また自分の死後もするようゆいごんとして伝えていたことを背景に、今でもその水準が維持されている。初代大公を神聖視する者も少なくないこの国で、それを破って提言するだけでも、ひんしゆくを買い信望を欠くことに繋がり、自身の立場を弱くしてしまう。そのため、今ではあんもくりようかいとしてれる貴族はいなくなった。

 とはいえ、その補助金が財政のあつぱくを助長しているのはるぎない事実である。

「不満を抱くのは理解できるが、補助金はまだしも孤児を要求する必要はないだろうが」

「今の時点で理由を量るのは難しいですが、一つ、公都の孤児院に限っては院長がえ置かれていることが気になります」

みような話だ。何か事情があるとしか思えんな」

「そしてもう一つ、ヘレナ院長かられんらくがありました」

 俺が最初におとずれた中層街の孤児院の院長はヘレナという名前だった。大公家の使者を名乗る者に用件を告げられる時には、あるはいおくに呼び出されているらしい。だがこんせきを極力残さないよう、最低限の接触にとどめていたようで、今までは全く動きがなかった。

「ようやくか。くれぐれも姿を見られないように注意をはらえ。見られれば全てが無意味になる」

 大公家の使者を名乗る人物の後を追うこと。これが真実にとうたつするための一番の近道だった。

「はい。きもめいじております」

 深くお辞儀をし、シャロンはきびすを返す。ただでさえれ込んでくる仕事の処理でいそがしいはずなのに、本来の使用人業務だけでなく、出張の実地調査すらし付けてしまっている。ブラックぎようなみだの労働環境ではないだろうか。だが俺が行ってもあつてきな態度をとって怖がらせるだけだし、必要な情報の収集にも支障をきたすだろうし、仕方ないだろう。

 それにしても……。

「なぜ公都の孤児院だけ院長を更迭していない?」

 俺は静かになったしつしつで独りごつ。不正を露見させないために自らの息がかかった人間を置くのは理解できる。にも拘わらず公都では人質を取ることで言うことを聞かせている。

「更迭に不都合な事情があった……?」

 そこで、ふとアルシアナの姿が思い浮かぶ。

 俺が以前孤児院を訪れた時、アルシアナはなぜあの場所にいたのか。

 かのじよつねごろから、中層街に顔を出しては悪を成敗したり、困り事にはひざをついて親身になる。そんな彼女が、孤児院に顔を出すのは自然のせつだ。孤児院は彼女にとっておそらく、「困っている」「苦しんでいる」人の代名詞になっているだろうから。

 正義をひようぼうする彼女は、不正に手を染める人間にとってじやなのだろう。かおみの院長をいつせいに更迭するようなことがあれば、アルシアナも流石さすがかんく。

 孤児院の経済状況の変化も、ひんぱんに足を運ぶアルシアナならば気づくだろう。食事の質や教育の質、孤児たちの表情、孤児院の空気。マイナスな変化をアルシアナが見逃すとも思えない。だがアルシアナの目があるはずの公都でも同様に院長をおどしているとなれば、孤児にそれだけの価値があると見ているとしか思えない。

 その理由は一体なんだ?

 ひとまずはシャロンの報告を待つべきだろう。俺はシャロンがいない間にとどこおっている仕事に手をつける。俺がこんなことをしなくても、シャロンならば何の支障もないのだろうが、今はしように仕事にぼつとうしたい気分だった。そうして書類の山に向き合ってから、どれくらいが経っただろうか。カーテンを開くのもおつくうで、机に顔だけをしていると、とつぜんしつしつの扉がノックされた。たんに目が覚めて、俺は姿勢を正す。

殿でんおそくなって申し訳ありません。しんしつの様子をうかがったのですがいらっしゃらないようでしたので、どこかと思えばまだこちらにおられたのですね」

 シャロンの言葉に疑問を抱いた俺は、カーテンを開いて窓の外を見る。鮮やかなだいだいいろが水平線からじよじよのぼり、やみしんしよくしつつあった。一晩が経過したことに全く気づけないくらい、俺は没頭していたようだ。

「こんな時間まで仕事をなさっていたのですか?」

「ふん、早く目が覚めただけだ」

「目の下にクマができてらっしゃいますよ。夜通し書類とにらみ合っていては、お身体にさわります」

 うそいつしゆんで看破される。俺は反射的に視線をらした。

「って、それは私がやるはずの仕事ではありませんか」

 俺の手元を見て、シャロンはほのかに取り乱す。

ひまだったからやっただけだ」

「暇だからと夜なべするのはおかしいです」

「別に俺が何をしようが勝手だろうが」

「いいえ、殿下にご負担をおかけしてしまっては、使用人としての顔が立ちません」

「ふん。良い心がけだが、貴様に過労で倒れられでもしたら仕事のしんちよくが滞る。それは困るんだよ」

「ご心配には及びません。私はほうを使えるおかげなのか、人より長く活動できるんです。それこそ、一週間くらいなら全くずとも効率を落とさず仕事を出来ると思います」

 疲れが一切見えないと思ったが、魔法にはそんなおんけいがあるのか。回復魔法というゆいいつの才能を持っているシャロンだからこそ出来る芸当なのかもしれない。

「もう少し早く帰ってきたかったのですが、ヘレナ院長と接触した男の後をつけていると、わざわざ遠回りをしたり、不意に酒場に入っては時間をつぶしたり、変装をしたりと、こうを相当けいかいされている様子でしたので、気づいたらこんな時間になってしまいました」

「気付かれてはいないんだろうな」

「それは心配ありません。尾行の心得がありますので」

 尾行の心得ってなんだ。そもそもいつかいの使用人が尾行スキルを習得して何になるのか。いや、現に今役に立ったわけだが。

「それで、どうだった」

「大公家の使者はいつたん自宅に帰ってから、深夜のしずまったころに家を出て、とある貴族のしきに入って行きました」

「その貴族とはだれだ」

「クレンテ・ローガン男爵です」

「思ったよりも小物だな」

 クレンテは小さな街を治める領主に過ぎない。そんな男爵が上級貴族とのけつたく無しに孤児院の補助金を横領できるほどの権力を持っているとも思えない。

「誰と繋がっているか、てつていてきに洗い出すぞ」

「承知しました。でもとりあえず殿下は休んでください。今の様子だとまた時間を忘れて没頭してしまいそうですので」

「ああ」

 こういう時、ヘンリックは強がりそうなものだが、疲労のせいか進言を素直に受け入れる。自室にもどりベッドに入った途端、まぶたが一瞬で垂れてきた。絶えず頭を使っていたから、相当疲労がまっていたようだ。すいに身を委ね、俺は微睡まどろみに沈んでいった。



 俺は次回の子爵院に照準を据え、さらなる証拠集めに奔走する。俺がこの国にやってきてから十ヶ月が経ち、七の月ムイールむかえていた。時が過ぎるのはあっという間だと実感する。

 子爵院当日を迎え、俺はアレオンと共にエルドリア城のろうを歩いていた。前回から今日までの期間で様々な問題を解決したしゆわんたたえられ、今回から子爵院への出席を正式に認められたのだ。またこの日までに砂糖の生産も一気に進み、国外ではとりわけ高価で取引されている。それによって大きな収入が加わった。窓の外に広がる空はどんよりとくもっていて、外気温はこの時季には珍しく冬場とそんしよくないほどえ込んでいるようだった。

 アレオンが議会のしつこくの重厚な扉を押す。すでに貴族たちは全員が着席しており、こちらに視線を向けていた。こきに染められたカーペットを、内心の緊張をかくすようにしてにぎこぶしを作りながら歩く。アレオンが定位置の議長席につくと、俺はその隣に腰を据えた。

 全員がいることを確認し、司会役の官僚が開会の口上とともに議論へとゆうどうしていく。

 今回の議会はかなりの盛り上がりを見せていた。中にはこの場で俺に礼の言葉を述べる人間もおり、貴族から一定以上の信用を得られたことを実感することができた。

 だが、この空気は俺がかいする。苦労して得た信用を無に帰する可能性、それを考えては手に汗が滲むばかりだった。そして議論もまってきたころいを見計らい、アレオンが全体を見回しながら閉会の言葉を告げようとする。俺はそれに待ったをかけた。

「おお、皇子。いかがなさいましたかな?」

「一つこの場で話しておきたい事案がある」

 俺は背筋を伸ばし、全体をわたしながらしゆくしゆくと告げる。そのこわに、ニコニコと微笑ほほえんでいたアレオンの顔が少しばかり曇った。

「事案?」

「この国の財政は本来余裕があって然るべきだ。俺の講じたさくけいに持ち直してはいるが、根本的な解決には至っていない。この国で不正が横行していることが原因の一つになっている」

「不正!?

 アレオンは思いもよらぬ単語にきつきようする。

「中でも孤児院周りの不正は看過できない。さて、この中で心当たりがある者はいるか?」

 おれは不正のしゆぼうしやを視界のすみで確認するも、あやしい動きは見せなかった。それどころかぶつちようづらを保ったまま他人事のようにる舞っている。

「まあここで罪を自白するような者はほどの小心者だろう。ここで一切の反応を見せていないあたり、図太いとめざるを得ないがな。なあ、キプレア・ルドワール卿よ」

 俺は名指ししながら今度はしっかりとそのそうぼうを見つめる。

 クレンテとのつながりを洗い出し、最終的にしやとなったのが財務長官のキプレア・ルドワールだった。ルドワールの庶弟に、クレンテ・ローガンのむすめとついでいるのだ。バックについているのが財務長官ならば、これほどの不正を一切疑われることなく行えるのもなつとくだ。ただ、けつえん関係だけを挙げて不正を主導していると言い切るのは無理がある。

 だから俺は今日のために、証拠の収集に努めてきた。

「そんな疑いを掛けられるとは大変心外だよ。そもそもどんな不正なのかすら見当もつかないくらいさ。私は孤児院に寄付だってしているのだよ」

 これでもなお、ルドワールのひとみは揺れ動きすらしない。ようしゆうとうな情報収集を経ていなければ、俺は自分自身の結論に疑問を抱いていただろう。この演技力があってこそ、長年不正を隠し通せてきたのだ。

「そ、そうですぞ、皇子。それは確たる証拠があっての言葉なのですかな?」

 逆にアレオンが急に冷え切った空気を受けてろうばいしていた。

 議会は騒然として、俺をきゆうだんする声も聞こえる。ルドワールしやくはこれまで、清廉潔白な振る舞いを人前では絶対に崩さなかった。しかし本質は全くの逆。演技力の高さゆえに、その本質が漏れることは一切なかった。

「当たり前だろうが。まあ言葉だけで信じろというのも無理な話だ。証拠をこれから提示していく。その態度をいつまで貫けるか見ものだな。中層街七番区ウレディア商会のおんぞう、これを聞いて何か思うところはあるか?」

 ウレディア商会は公都有数の商会だが、その御曹司がルドワールの不正に加担していたのだ。

「初めて聞いた名前だね」

「下手なしばはやめたらどうだ。そいつは思ったより小者でな。最初はせいも良かったんだが、俺が帝国の皇子だと知るやいなや、ビビり上がって洗いざらいぶちまけてくれたよ」

 脅しには脅しを、だ。俺はこれ以上ルドワール子爵に加担すれば、ようしやはしないと告げた。公都でコタツやせつけんといった製品を売り出したり、エールの生産拡大などを主導していたことが知られ、特に商会のかいわいでは俺の名前がとどろいていたらしい。商会の代表である父親が、新しくかいたくされている帝国との商売ルートに多額の投資を行っており、帝国の皇子に逆らってもし打ち切られるようなことがあれば、その御曹司は大目玉では済まない。結局のところ、ルドワールよりも事が父親に露見する方がほどこわかったわけだ。

 おかげで、御曹司は俺に従順な姿勢を示した。

「貴様は銀山ではつくつされた資源をふところに入れ、王国に横流しをしていたようだな」

 俺は銀山のとうかつ責任者の下をたずね、り聞いてきた。俺が貴族、それも帝国の皇子だと知ると、あからさまにどうようを見せる。ただ身分が高いというだけではありえないほどの動揺があらわになっており、俺は怪しいと確信した。

「そもそも王国に横流しとは、私の利があまりに薄くはないだろうか」

 王国からどのような条件を持ちかけられたのかは知らない。相当な見返りがあったはずだ。銀のさいくつりようとはいくらでもかいざんできるものであり、ルドワールにとってもさほどリスクの高いものではなかったのかもしれない。

「銀の横領は認めるということか?」

 真っ先に否定するのではなく、利益、不利益にしようてんを持っていった。小さいすきだが、突かぬ手はない。ただ、これもルドワールはひようひようかわす。

「認めてなどないさ。そんなことはありえぬと申しているまで。みなみな、誰の証言でもない皇子のたわごとを信じていけないよ」

「誰かの証言であれば皆は納得するというのだな?」

 俺は全員に向けて確認するように言い放つ。頷きも首を横に振りもしなかったが、空気はそれならば……という空気に移り変わっていく。

「ならば証人をしようかんしよう。クレンテ・ローガン。前で話してもらおうか」

 俺の呼びかけに、やや動きがぎこちないクレンテがうでと足を同時に前へ出しながらだんじようへ上がる。ルドワールにとっては相当予想外の登場だったはずだ。

 俺はあれからクレンテのかいじゆうに動いた。帝国の皇子というかたがきは有効に働いたが、それだけで味方するほど甘くはなかった。そこで俺は得意の脅しでクレンテをせた。

『俺に協力しないのならば、貴様だけを晒しあげる。貴様がルドワール子爵の責任を追及しても、誰も信じないだろうし、やつは当然知らぬ存ぜぬを貫き通す。そうなれば貴様はもう終わりだ』と。

 クレンテとて、命令されてそれを実行した身であり、自分に全ての責任をなすりつけられるのはけたかった。俺はこの国に来てからいくつもの劇的な成果をあげ、また問題や困り事の解決に力を貸したことで、貴族たちから少々のことでは崩れぬ信用を得た。否定するクレンテの言葉よりも、証拠で固めた俺の証言の方がしんぴようせいが高いと誰もが取るはずだとクレンテ自身も理解していただろう。

「私、クレンテ・ローガンはルドワール財務長官の命で銀の横流しを行っていました。それだけではなく、院から補助金を吸い上げたり、孤児の引きわたしをせまり、他国への売り飛ばしにも加担しておりました」

「なぜルドワールに協力した?」

「近い将来王国と戦争になるとあおられ、自分の身を守るためには協力しろと」

 王国と大公国の対立が存在する今、王国のしんこうで大公国がしようめつに追い込まれる可能性は小さくない。相応の身分を確約するような保証が、王国から提示されていたのだろう。

「そのねんちがっていない。王国がいつめ寄せるか分からないのは事実だ。ここで勇気を出して自白した貴様の罪は不問とする」

 クレンテは一度深く頭を下げ、自分の席へと戻っていく。事前に示し合わせていたため、クレンテはさほどホッとした様子ではなく、いまだ表情はかたい。

「ローガンきよう、私をめようとその皇子と結託でもしているのかな? 脅されているのだろう? でも無理もないさ。強大な帝国からやってきた皇子に脅されでもしたら、君一人では逆らえるはずもない。皆もそうは思わないかい?」

 ルドワールは議会の空気をしゆんえていく。やはり人望の厚さはなみたいていのものではない。

「ふん。脅しているのは貴様だろうが。俺がクレンテに辿たどり着けたのは、一つの孤児院の院長から自分の子供をひとじちに取られたと告白されたからだ」

 公都の孤児院への寄付は自分がかんしていないと思わせるためのカモフラージュに過ぎない。孤児院の院長もまさか背後にルドワールがいたとは思わない。

「……」

 ルドワールの表情に変化はないが、わずかにまゆがピクリと動く。

「貴様は院長の家族を人質に取り、脅して言うことを聞かせていた。家族の安全を保障する代わりに孤児院の子供の引き渡しを、しかも優先的に女の孤児を要求している。そしてその孤児をあろうことか他国に高値で売り飛ばしていた。大公家の所有物であるはずの孤児を勝手に売り飛ばすなど、許されざる行いだ」

 地理的な理由から、孤児はシャロンのように魔法が使えるラプト族のまつえいである可能性が他よりもかなり高いため、エクドールの子供は高く売れるのだ。更に女となればその価値はね上がる。しかし、ラプト族は少数民族であるため、これはばくに近い商売になる。

 もっとも、ラプト族に目に見えるとくちようはなく、末裔と判別するための手段は、実際に魔法を使えるか確認するしかない。魔法は個人差はあるものの十五さい前後で発現することが多い。魔法が発現した子供は大公家の保護対象になるため、それが明らかになる前の十三歳という少し早い段階で売り飛ばされるのだ。万が一にでも、もし買った孤児が魔法を使えるとなれば、金銭では測れない程の価値を生み、家格をも大きく押し上げる。それだけの価値をめているというわけだ。だから貴族はこぞってエクドールの子供を高値で引き取っていた。

 これによってルドワールは多大な財を得ていた。この国では人身売買は固く禁じられているため、孤児院の孤児でなくとも有罪である。

「まったく、ひどい言いがかりだね」

 ルドワールはあきれたようにかたすくめる。

「それだけではない。公都以外の孤児院に至っては院長が全員更迭され、代わって院長に据えられたのは、過去に罪をおかした者や不正に関与した者ばかり。りよしゆうの身から解放する代わりに言うことを聞かせていたのだろう? さらに大公国から孤児院にいく補助金の五割へんかんを要求していた」

 クレンテ・ローガンを味方につけたことで、不正のぜんぼうが明らかになった。ルドワールは、公都以外の孤児院から吸い上げた補助金を寄付という名目で公都の孤児院に流していたのだ。自らの懐を痛めず、名声を上げる。しゆせんゆえのあくどい手法だった。孤児院に頻繁に訪れるアルシアナのしんらいを得るという狙いもあっただろうし、実際にそれを達成している。

「公都の孤児院で院長を更迭せず、補助金の横領もひかえていたのは、公女がよく訪れていたからだ。ちがうか?」

「あまりにこうとうけいもうそうだね」

「孤児の引き渡し要求も、補助金の横領も、始まったのはいずれも三年前の話だ。その時期は丁度、貴様が財務長官に就任した時期とも重なっている。これはぐうぜんか?」

いやな偶然と言わざるを得ないね。もしそれが仮に事実だとしても、私が関与した証明にはならないさ」

「とぼけるのはいい加減やめたらどうだ。国内全ての孤児院は大公家の管理下にあり、院長の任命権限は財務長官にある。証拠ならまだあるぞ。ある公都の孤児院には、めんどうが良くしたわれていた一人の女の孤児がいたそうだ。だが巣立って数年経っているというのに、孤児院に一度も顔を出さずにいたらしく、それにかんを覚えた一人の孤児が、危機を察知してかしつそうしたと聞いた。その時、貴様はなぜかだんの一小隊を動かしてそうさくさせた」

「それは失踪した子供を心配したからで、他意はないよ」

「ならばその子供はどこにいる? 言っておくが、巣立ったはずの女の孤児が国の機関に所属していないことは確認済みだ」

「……」

「万が一にも自分の所業を露見させないために、おん分子を消したのだろう? もはや貴様が一連の不正に関わっているのは明白だ。それでもシラを切り通すのなら、関わった全員をここに召喚したって別に構わないんだぞ」

 それだけの証拠を、俺はつかんでいる。もはやばんめんくつがえすことは不可能だ。ルドワールは額におおつぶあせにじませ、歯をきしませていた。

「ようやくあせりが見えてきたな。ここにいる貴族たちも、貴様に疑念を抱いている。さて、弁明の一つや二つ、聞かせてもらおうか」

「それが事実だとしても、そこにいるクレンテが勝手にやったことさ」

「このに及んで責任のてんか。それではここにいる貴族たちの疑念をぬぐうことなどとうてい不可能だぞ」

 品行方正な人間として名高かったルドワールが、他者に全責任をなすりつけるような言動をした。その事実は決して軽いものではない。

「ぐっ……」

 ルドワールは明らかな動揺と共に声を詰まらせた。

「キプレア、本当にお主がやったと申すのか?」

 これほどの証拠を提示しても、アレオンはまだ信じられないという様子だった。観念したのか。ルドワールは開き直ってアレオンを睨みつける。

「ふん、貴方あなたていこくと結ぶなどというおろかなをしなければ、永遠に知らずとも済んだものを」

 しかし、まだ強気な姿勢は健在だった。最後のきと見るべきか、まだ策があると見るべきか。

「ルドワール財務長官、もう観念しろ。お前はもう終わりだ」

「ふ、ふふ。終わりだと? ふざけるな!」

 わなわなとふるえ、それでもはんこうてきな目を見せるキプレアに俺は呆れ返る。

「この者をらえ、牢獄に入れよ!」

 俺は独断で、部屋の隅でぼうぜんと様子をながめているかんりようたちに告げる。だが顔を見合わせるばかりで動こうとしない。その隙に、げきこうしたルドワールが懐にしのばせていたたんけんおそいかかってくる。

「ロクにせんとう経験も積んでいない貴様のけんが届くはずもないだろうが」

 俺は呆れながら、剣を握っているみぎうでを瞬時に掴み、両足を引っ掛けて俯せにたおす。ばやめにすると、すぐに大人しくなった。

「いいか、よく聞け! 俺は不正を絶対に許さない」

 この場にいる全員の目がこちらを向く。

「今後、不正に関与した者は容赦なく切り捨てる。この国はいずれ王国の侵攻という危機に直面することになるだろう。そのあしかせとなるような不穏分子は取り除かねばならない」

 俺は顔を引きらせたまま固まっている面々を見て、自分はさっさと退散するのがきちだと判断し、アレオンに背中を向けながら冷たい声を投げかける。

「アレオン、こいつのしよぐうは貴様に任せる。あまい処遇は自らの首をめると理解しろ」

「……必ずや厳しい処罰を下しましょう」

 アレオンの表情は暗い。財務長官として重用していた人間が長い間不正に手を染めていたとなればショックは大きいはずだ。まだもう一波乱あるはずだが、今日くらいはもう休みたい。自室に戻ると、せいじやくが全身を支配し、断続的に襲ってくる耳鳴りに顔をゆがめた。

 今日の議会をふくめ、ずっと気を張り詰めていたことでつかれがドッと出てくるのを感じる。ベッドに身を預け、まくらに顔をうずめてしばらく。疲れていてもねむれないのは、まだ心臓の高鳴りが治らないから。正義の心を胸に自身をまつとうしたつもりはあっても、一人の人生を閉ざす主因をになったことに変わりはない。けいしつこうのボタンを押す人間はだんからこんな気持ちと戦っているのだろうか、などと尊敬の念すらも抱いていると、とびらの前に人が立っているのを察知する。感覚がびんになっているのだろうか。普段ならこんなことに気づくはずがない。