◆内政改革
「いっ……」
身体の芯に響くような疼痛に、思わず呻き声が漏れる。天井を見てここが自分の部屋でも、馬車でもないと瞬時に認識する。
(ああ、そうだ。俺は昨日刺客に襲われて……。死ななかったのか?)
疑問に思い、思わず頬を抓る。そのまま襟元を覗き込んで胸の傷を確かめるが、目立った外傷は無い。あの重傷をどんなマジックで治したというのだろうか。
「殿下、お目覚めですか」
突然左耳に声が響く。誰もいないと思い込んでいたから、正直かなり驚いた。ヘンリックの身体でなければ、喫驚して後ずさっていたかもしれない。この身体は常に冷静というか、物事をどこか達観して見ているようなきらいがある。
「ああ、ここは?」
「エルドリア城になります」
身体の至る所を矢に貫かれた生々しく熱い感覚は、未だ脳裏に焼き付いている。あの失血だと生きてここに辿り着くのは困難を極めるはずだ。
「余程優秀な医者でもいたか? いや、あの傷を普通の医者がここまで綺麗に治せるはずがない。この傷を塞いだのは貴様だな?」
「はい」
真っ直ぐな双眸でこちらを見据える。その目に嘘偽りは一切含まれていない。俺は心の中で大きく肩を落とす。年下の少女に命を救われてしまった。
「記憶が朧げだが、あの時貴様が俺に施したのはやはり魔法だったのか。こんな身近にいたとはな」
「もし明かしでもすれば、あらゆる人間にこの力を狙われることになりますから。高待遇で迎えられることなんてまずありませんし、権力者に使い潰されて終わるはずです」
この世界において、魔法使いというのは希少な存在だ。各国に数人しかいないとされている。
帝国で何度か見る機会はあったが、全員が目のハイライトを失っていて、不気味に思った記憶がある。その原因はシャロンの言葉から分かる通り、魔法使いは冷遇されるからだ。
魔法が使えるとなれば、シャロンはラプト族の末裔ということになる。ラプト族はエクドール北部の広大な森を越えた先の港町に住んでいる少数民族。魔法とはその末裔にしか使えないものであった。しかも女性にしか発現しない。それに女性だからと血統者全員に発現するものではなく、中でもごく一部にしか使えない。シャロンにはその力が幸か不幸か芽生えたわけだ。
「多くの貴族は代償も正しく理解していない。酷使され、最後に精神を病んで悲惨な末路を迎えるのは目に見えている」
そこまで言ったところで、不自然な間を感じて視線をシャロンの方に向けると、目を丸くしてこちらを見ていた。
「どうした」
「……いえ、代償があると知っている方にお会いしたことがありませんでしたので。そうですよね、ヘンリック様ならばご存じでも当然のことでしたね」
「なんだ、その気色悪い信頼は」
以前のシャロンからは絶対に聞けなかった言葉を、俺は不審に思う。
「お気になさらず」
「それよりも呑気なものだな。俺は貴様が魔法使いであることを知った。俺の命令で貴様を意のままに操ることもできる。あの場面では俺を見殺しにするのが最適解だった。どんな心変わりをしたのか知らんが、悪手だったな」
「後悔はしていません。殿下は私を庇って深手を負われたのですから、人として当然の行動だと思います」
いくら嫌いな人間が相手でも、自分を庇って死にかけているとあっては、見捨てるのにも良心が傷んだのだろう。
「だが俺はあのとき逃げろと命じたはずだ。命令に反した責は理解しているだろうな?」
本来ならば頭を下げてありがとうと言うべき立場であるにも拘わらず、この口はシャロンを責め立てた。まあ俺が殊勝に頭を下げるのも気味が悪いだろうが。
「お言葉ですが、私たちは殿下に付き従い、ここまでやって参りました。雇い主が死んだら私たちは路頭に迷います」
「しばらく暮らしていけるだけの金貨を渡したはずだが、もういい。埒が明かない」
シャロンが「素直じゃないんですから」と呟いたのが耳に届く。なんだ、その妙な態度は。まったく、調子が狂う。
かといって追及するほどのことでもないな、と俺は無視に努めた。
「貴様は魔法を使って少なくない代償を負ったはずだ。具体的にどんなものだ?」
「少しの間昏睡状態になります」
「それだけか?」
「……はい、それだけです」
「他にあるのなら言え。隠されるのも寝覚めが悪い」
「大したことではありません。お気になさらず」
秘匿するほどの代償があるというのだろうか。俺は少し、いや、かなり気になったが、本人が黙り込んだまま明かす気を一切見せないので、それ以上の追及は諦めた。
「俺はどれくらい寝ていた?」
「十五日ほどです。私よりも少し長かったですね」
「……大公はどこにいる」
いきなり意識のない状態で二人が運ばれてきたとなれば、大公はさぞ驚いたことだろう。弁明、というわけではないが、色々と話したいこともあった。
「大公閣下でしたら、執務室にいらっしゃるかと」
「ならすぐに連れて行け。色々聞きたいこともある」
「分かりました」
一番は、そもそも俺がどうしてこの国に来ることになったのか。それを知りたかった。
◆
白を基調とした内装に金細工があしらわれた応接の間に通され、ものの数分で現大公とその娘が姿を現した。
「ヘンリック皇子、お初にお目にかかります。エクドール=ソルテリィシア大公国現大公、アレオン・ルゴーア・ラ・エクドール・ソルテリィシアと申します」
自分の娘とほとんど変わらない年齢である俺を前にしても、低姿勢を崩さないアレオンの様子が、今の大公国の難しい立場を物語っている。しかしその一方で、大公としての威厳が確かに伝わってくるのも確かだった。
「ヘンリック・レトゥアールだ」
大公を前にしても、不遜な態度は崩れなかった。ただ、アレオンがそれに気分を害した様子もなく、内心でホッとする。
「刺客に襲われたと聞いて背筋が凍る思いでしたぞ。しかし無事で何より。こうしてお会いでき嬉しく思いますぞ」
本心で喜んでいるとも、安堵しているとも到底思えなかった。歓迎しているようにはとても感じられない。それも当然だろう。帝国の皇子が婿入りするなど、大公国にとって喜ばしい話ではない。
「こちらが娘のアルシアナにございます。ほらアル、殿下にご挨拶を」
アルシアナというアレオンの一人娘は、見た目の麗しさもさることながら、嬋媛な青髪を持ち、切れ長の目が気の強そうな雰囲気を醸している。こちらに視線を向ける様子から察するに、実際そうなのだろう。睨まれているとまではいかずとも、ヘンリック・レトゥアールという異分子との婚約に、不満を露わにするのも当然だ。帝国が意図的に流布しているのだろうが、ヘンリック・レトゥアールという人物の評判は芳しくない。そんな人間と結婚したいなどとは誰も思わないだろう。俺は同情を覚えるばかりだった。
「アルシアナ・ラプトリカ・ラ・エクドール・ソルテリィシアと申します。これからよろしくお願いします」
感情のこもっていない形式上の挨拶にも、全く驚きはない。俺もアルシアナに歓迎する雰囲気を期待するつもりはハナからなかったし、ビジネスライクな関係で構わないと思っている。俺はこの国をいずれ反帝国の旗頭に据えようとしているのだから。そんな思惑を胸中に据えながらアルシアナを心の底から妻と思えるわけがない。
「ああ」
意趣返しというつもりではなく、最初から興味が無さそうに振る舞った方が後でがっかりすることもないだろうと、わざと目を合わせず素っ気なく返答する。アルシアナの眉が僅かに動くが、俺は一切気に留めない。
「ヘンリック皇子、これからの話ですが……」
「それも重要だが、俺は一切事情も聞かされないまま、半ば追い出されるようにこの国へやってきた。王国の属国であるこの国に、帝国の皇子である俺がなぜ婿入りすることになったのか、それから説明しろ」
かつてゲレオン・サミガレッドにクーデターを起こされ、国の主権が入れ替わったことは誰もが知る事実であり、先帝の息子である俺、すなわちヘンリックが冷遇されているのは納得のいくことだろう。
「承知しました。まず、ソルテリィシア家は元々、王国の貴族に過ぎませんでした。初代当主の功績により、一国の主に昇進した経緯があります」
ソルテリィシア大公家は元々ヴァラン王国の一貴族に過ぎなかったが、初代当主のアレクシスが敗北必至の戦争で大殊勲を挙げ、ここエクドールに移封されて大公となり、多大な裁量権を認められることとなる。
王国内でも地理的に孤立し、気候も厳しい土地であるエクドールへの移封は、銀山が未発見の当時はうま味の薄い地域だった。しかし一侯爵家に過ぎず、領地もさほど広くなかったソルテリィシア家が、王国内でも王家に次ぐ地位を得るまでに飛躍できるのだから、当時の侯爵家の人間にとってはさぞ良い処遇に思えたことだろう。移封された先の土地の名前を冠し、建国と相成った。
「ただそれ以来、当家は王国での立場に懸念を抱くとともに、深刻な財政難に悩んでおりました」
「財政難、その原因は先代だと聞いた。随分と無能だったそうだな」
アレオンはその言葉を否定しなかった。実の息子から見ても、先代は暗愚に映ったらしい。
初代大公が王国一の猛将だった一方、内政はからっきしで政務を他の者に委任するばかりだった。それを見て育ったこともあってか、先代は奢侈に次ぐ奢侈を重ねて財政まで悪化させていく。
「そんなある日、領内で偶然銀山が見つかった。それによって大公国は一気に息を吹き返しますが……」
「それを帝国や王国が見逃すはずもないな」
「その通りにございます。我々は王国に銀山の採掘権の半分を譲渡するよう強引に迫られ、多くの貴族が手切れを声高に叫ぶようになりました」
「その最中、帝国が介入してきた。そういうことだな?」
「はい。帝国は内政に口出しはせず、王国領土を攻め獲った暁には一部権益を譲渡くださるとか。そんな条件の同盟を二割の銀山資源譲渡のみで締結してくださるとの提案に、我らは快諾した次第です」
ゲレオンは時勢を見極め、手を差し伸べたわけだ。元々エクドールはレギール山脈という巨大な山脈を隔てており独立色が強く、王国の締め付けには不満を持っていた。
その王国の支配からの脱却は十分彼らにとって魅力的に映ったし、また王国の要求よりも低い資源譲渡を要求することで、大公国を納得させた上で干渉せずとも金のなる木を獲得したわけだ。近年の帝国の成長を考えれば、王国を平らげる可能性だって十分考えられるし、ここで鞍替えというのも理解できる話ではある。
そもそも銀の譲渡という部分がおかしいのだが、それがあまりにも日常的に浸透しすぎたせいで、疑問を持つことすらしなかった。そんな大公国側の脇の甘さを突いたのは流石の狡猾さというべきか、クーデターを成功させた梟雄ゲレオン・サミガレッドの手腕に狂いはない。
「俺は帝国に与した決断が賢いとは思わない。貴様は帝国の援軍を期待しているのだろうが、帝国は絶対に兵を送らない」
「……なぜ断言できるのですかな?」
あまりにはっきりとした物言いに、アレオンは表情を強張らせる。
「第一にメリットが少ないからだ。帝国が動けば王国も本腰を入れる。長期戦になった時、この国で戦い続けるのには小さくないリスクがある」
「リスク?」
「レトゥアール帝国の帝都からこの国は距離が離れすぎている。そうなれば長期間の遠征が不可避だ。冬が長いこの国での戦闘は、想像以上に過酷を極めるだろうな。大規模な軍となれば、冬の間野営の必要も出てくる。戦闘が長期化すれば、兵に対する負担は重くなり、士気も下がる。敗走した時、帝都まで逃げられる将がどれだけいるか。他にも色々理由は挙げられるが、根本的にリスクに見合わない、ということだ」
「……補給にも懸念がありますな」
「それに元王国傘下の貴族、というだけで、懐疑的な目で見る者もいる。裏切りというのも当然頭にあるだろうな」
「裏切るなど、そんなことは……」
滅相もない、というように最初は強かった語気も、アレオンは自身が十分に諸侯をまとめ上げられていない自覚があるのか、歯切れ悪く語尾が虚空に消えていった。
「無い、とは言い切れないはずだ。実際、大公国にも親王国派はいる。その者たちが叛旗を翻さない保証はない。それに俺は、サミガレッド家にとっては邪魔者だ。見捨てた方が国内のレトゥアール派閥の駆逐は進む。現皇帝にとってはそちらの方がむしろメリットは大きいと踏むだろうな」
「それではこちらが得られる恩恵があまりに……」
「抑止力にはなる。帝国が背後にいれば、王国も安易に手を出せなくなるだろうさ。それが現時点ではこの同盟の最大のメリットだ」
王国が動くにせよ、帝国が背後にいることを踏まえると、それ相応の準備が必要になる。となればしばらくは様子を窺うことだろう。
「現時点では?」
「ああ。現時点では大公国が得られる利益は乏しい。攻め獲った王国領土における権益も、どの程度認められるか定かではない。期待するだけ無駄だろう。ただもう交わしてしまった契約を破棄すれば、今度は双方を敵に回すことになる。それだけは避けたいはずだろう。だから俺が、この盟約を大公家にとって益あるものにしてやる」
「ヘンリック皇子が、ですか?」
一切隠す気のない懐疑的な視線だ。風評を考えれば当然の反応と言えるだろう。何にしても国力の増強は不可欠。そのための努力を惜しむつもりはなかった。
「俺を信頼して欲しい、などと都合のいい懇願をするつもりもない。俺が今持っている人材と資金だけで目に見える成果を挙げて見せよう」
ゲレオンにとって、大公国が存続しようが滅びようかどうでも良いのだ。『王国が大公家に見限られた』という事実だけでも、王国を突き崩す材料の一つにはなる。
だから多少の軍事支援はあっても、援軍が来ることはまず無い。
「具体的にどのような成果を挙げると申されるので?」
「喫緊の課題は銀に頼りきりになっている財政だ。銀山資源以外による産業の創出、まずはそれを目指す」
「……それには資金が必要なのではないですか?」
「無論必要になる。だが何の力も借りずに成し遂げることが何より重要だ。違うか?」
「……元より殿下には自由に過ごしていただくつもりでした。たとえ何の成果も挙げられずとも、ここで殿下が仰られたことは聞かなかったことに致しましょう」
それは最大限オブラートに包んだ言葉だった。最初から俺を大公国の内政に関わらせるつもりはなかったのだろう。関われば内政干渉にもなり、最初帝国が提示した条件から逸脱することにもなる。そうなれば大公の信望にも影響したことだろう。だからこそ、なんの手助けも得ずにアレオン含め大公国の貴族を認めさせる必要がある。
アレオンの選択は合理的だ。信用に値しない、関わらせては不利益になる可能性のある人間を遠ざけるのは当然の判断と言える。それで心象を害されたつもりはない。
「余計な気遣いだ。俺は絶対に成果を挙げるし、そもそも俺の評価が今以上に落ちることはないだろうが」
自嘲を言葉にまとわせながらも、好戦的な空気が身体の奥底から漏れ出ているのを感じ、内心でため息をつくばかりだった。
◆
作業場所として提供された執務室は、余計な物が極力取り除かれ、落ち着いた環境になっている。はっきり言えば質素。エルドリア城はこのように、全てが必ずしも絢爛なわけではなく、最低限の場所のみが豪奢に飾られている。
「あのように言い放ってしまって本当に大丈夫なんですか?」
アレオンとの顔合わせでヘンリックの背後に控えていたシャロンが憂心を帯びた声で問いかけてくる。
「ふん、俺が出来ないとでも思っているのか?」
「まさか。私は殿下を信じます」
曇りのない目でそう告げてくるので、ヘンリックは一瞬声が詰まった。
「薄っぺらい信頼を口にするのは勝手だがな。貴様は資金に不安があるとでも思っているのだろう?」
「では資金のアテがあると?」
「当たり前だ。第一に俺は帝国の正当なる後継者だ。国庫から金貨を持ち出したところで何の不都合もない。あれはもともとレトゥアール帝室のものだからな」
「こっそり持ち出して来たと?」
「そういうことだ。無論、バレるようなヘマはしない。幼少の頃から少しずつ持ち出し、部屋の隠し扉の更に奥の小部屋に貯め込んでいた」
ヘンリックはいつかくる帝国奪還の好機に備え、資金収集に奔走していた。その好機が今なのだ。
「それだけではない。帝国内部にも規模は小さいが俺の派閥がある。資金提供に人材提供、それらの言質は取り付けている」
「……さすが殿下。既にそこまで手を回されていたとは」
それくらいのアテが無ければ、あんな豪語ができるはずもない。ただ俺がこれから行う策は現代日本で培った知識に頼る部分が少なからずある。画期的で効果的な施策を講じようとしても、その源泉となる知識や知恵が欠けていれば、資金があっても頓挫する可能性だって十二分にある。そうなれば、恥を忍んでアレオンに縋るしかなかった。
「とはいえ資金があったところで有効な策がなければ意味がない」
「その策を殿下が用意していないはずもありませんね?」
「当たり前だろう」
「ふふ、失礼致しました」
シャロンが余裕に満ちた表情で一礼した。その態度にもどかしさが湧き上がり、反感を表すように眉根を寄せながら告げる。
「貴様は自分の立場を正しく理解しているはずだな? 俺はお前を如何様にもできる。それを忘れるな。貴様には馬車馬の如く働いてもらうぞ」
「承知しました」
命を救ってもらった大恩を棚に上げるのみならず、あまつさえシャロンが希少な魔法使いであるという事実を弱みとして握っている。そしてそのことをわざわざ突きつけるという、誰が聞いてもドン引きする発言をしてしまう。
そんな自分に、巨大な溜息が喉元まで出かけた。にも拘わらず、シャロンの表情から微かな喜色が滲み出ている気がしたのはきっと気のせいだろう。
「第一に備蓄と救荒作物の生産準備を進める」
「食糧の確保、ということですか?」
拍子抜けという程ではないが、きょとんとして聞き返された。乾坤一擲の策を期待していたのだろうか。
「食糧は人々の根幹をなす要素だ。エルドリア城下の下層街では、日々の糧すらも得られない貧弱な人間も多いと聞く」
「……はい。冬季の餓死者に頭を悩まされているとお聞きしたことがあります」
「その原因は銀山に頼りきりで他の産業が育ちにくいことだ」
育ちにくい、というよりは衰退したという方が正しいだろうか。
「銀山の代わりの働き口が少ない、ということですね」
公都エルドリアにおいては、銀山労働以外の仕事が決して多くはない。他の産業に従事するほとんどは中層街の住人であり、貧困に喘ぐ下層街の住人の多くが銀山で働く以外の選択肢を失ってしまうのだ。明確に身分が区分されているわけではないが、街区ごとに生活水準の優劣がはっきりとしている現状は分断を加速させ、下層街の住人にとって足枷になってもいる。
「銀山労働は過酷を極める。極寒の冬を生き抜くためにはただでさえ大きなエネルギーを必要とするんだ。にも拘わらず、この国はこれまでその生命源となる食糧の大半を、王国からの輸入に頼っていた」
当面の食糧調達は帝国から行うし、アレオンもその方向で動いている。だがその調達経路は俺がいずれ断ち切るつもりだ。だから将来的には他国からの供給依存度を減らし、国内だけでもしばらく糊口をしのげるくらいの体制は整える必要がある。
「それを遮断されたらこの国は立ち行かない、と?」
「そうだ。もし他国の援助がなければ、この国にとっては食糧輸出の遮断が致命的な策になる」
現状は依存先が王国から帝国に移っただけで、依存が解消されたわけではない。
こうした部分に鈍感なのは、王国の属国という立場上、これまで食糧輸入が無くなる懸念が皆無だったからだ。
銀山という金のなる木を持ちながらもこの国の財政が芳しくないのには、食糧輸入に財源を割いていることも一因になっている。
無論、それ以外に要因はたくさんあるのだが。様々な要因が複合して、結果的に毎年少なくない数の餓死者を出してしまう問題に繋がっている。
「支援を打ち切られる前に大量に備蓄すると?」
「備蓄だけではとても全体に行き渡らない。だから救荒作物が必要だ。まずは種芋を確保し、農地の目星をつけ、開墾の人員を募る」
食糧の確保のみならず、雇用の確保にもなる。シャロンはやや驚いたように目を見開いてから、誇らしげに口の端を持ち上げた。
「一手二手先を読んだ策、御見逸れしました」
おべっかにはとても聞こえない、本心からの言葉に背中がむず痒くなる。
俺はいくつかの腹案を残しつつ、ひとまずは第一の策を急ぎ進めるべく、現地視察に出向くことにした。
◆
俺は視察のためシャロンとコンラッドを引き連れ、公都の丁度南に位置する都市・セーラムのすぐ近くにある村を訪れていた。
救荒作物とは気候が芳しくない環境下でも育ちやすい作物のことで、現代ではジャガイモやサツマイモが例に挙げられる。この国では円錐形の芋がクラガ芋という名称で呼ばれているようだが、他の国ではほとんど見られないため、おそらく寒い地域を好むのだろう。荒れた土地でも構わず生長するため、救荒作物にはうってつけだ。
「村長。クラガ芋の種芋、貰っていくぞ」
「……つかぬことをお聞きしますが、それを如何するというので?」
「食べる」
「そ、それを食べるのですか!?」
村長は信じられないものを見るように目を見開いている。
クラガ芋の表面はゴツゴツしていて、見るからに病原菌か何かに冒されているように見える。事実、毒があるからこれまでは食用にできなかったのだ。
コンラッドに指示して事前に取り寄せていたが、実際思っていたよりも数段変な見た目をしていた。中身には青みがかった緑色の斑点が点在していて、生の状態では食欲を殺ぐものだった。熱を加えても毒が消えず、食べた者は皆半月ほど腹痛や高熱に苦しんでいたそうだ。
「食べた人間が毒にあたったのは、下処理が十分でないからだ」
「下処理、にございますか?」
クラガ芋に毒があることは聞いていたので、俺は視察に先立ってキャッサバの毒抜き法を参考に、毒抜きの実験を行った。まず皮を完全に除去し、綺麗な水に浸けてから、熱を加えて調理する。
毒見しようとする俺をコンラッドが全力で止めてきたので、高額な報酬を出して代わりの毒味役を募集し、実験を行うことにした。
結果、毒が抜けるまで八日間水に浸ける必要があると判明する。念には念を押して、十日というのを毒抜き完了のラインとして設定することにした。
「こればかりは食べてみるのが手っ取り早い。おい、頼んでいたものは用意できているな?」
「はい、抜かりなく」
シャロンが大きめの木箱を手渡してくる。中には下処理を済ませたクラガ芋のほか、油や調味料などが詰まっていた。
「毒抜きをしたとしても、この芋はそのままでは食べられない。調理が必須だ」
「……殿下が作られるのですか?」
「俺が作るのはおかしいとでも言いたげだな」
俺が自分で支度を始めると、シャロンから心底意外そうな視線が飛んできた。
勿論、シャロンに指示して作らせた方が上手くできるのは確かだろう。だが比較的簡単な料理なので、自分で作ってみたかった。調理の方法はいくつもある。油がいの一番に頭に浮かんだが、貴重品だから、救荒作物の調理方法には相応しくないだろう。となれば蒸すのが一番良さそうだ。
俺はクラガ芋を事前に用意していた蒸し器へ投入し、熱が通った頃合いを見計らって取り出した。
「食ってみろ」
俺は全員に食べるよう促す。村長は特に抵抗感を見せていたが、二人が躊躇いなく齧ったのを見て、意を決して口に放り込んだ。
「毒があると聞いていたので食べたことはなかったのですが、これは美味しいですな!」
コンラッドが驚愕して再び口に芋を運んでいる。
「本当ですね。甘みもあって美味しいです」
シャロンも口元を上品に隠しながら丁寧に咀嚼し、その味に目を見開いている。
俺も続いて食べてみるが、最初に食感の固さとシャキシャキ感がやや気になったが、微かな甘さが口に広がる。ただ、サツマイモのように蒸すことで甘みが大きく増すかと期待してみたが、かなり抑えめな印象だった。
「……期待外れだな。もっと甘いと思ったが」
意図せず、物足りなさが口端から溢れると、
「殿下?」
シャロンが俺の顔を訝しげに覗き込んできた。今の呟きが聞こえたというのだろうか。
まったく耳聡い……。
「いや、なんでもない」
もちろんこのままでも十分食べられるし、救荒作物と考えれば味も申し分ないだろう。ただ、もっと美味しく食べられるはずという期待もあった。現代と比べて遥かに調味料に乏しく、食べ方も大きく限られてしまうのは残念だ。
「殿下は甘いものがお好きでしたか?」
「……どうだかな」
聞こえない声で呟いたつもりだったが、シャロンはしっかりと聞き取っていた。俺は返答に窮し。変な誤魔化し方をしてしまう。
甘いものは大好物だ。だがそれを口に出すのが憚られたのは、ヘンリックの性格が影響してだろう。砂糖は貴重品なこともあり、これまで甘いものを要求しては来なかったし、贅沢するくらいなら、その分節制して懐にしまっておくのを是としてきた。
「申し訳ありません。これまで甘いものがお好きだとはつゆほども思わず……。ただ食事に付け足すとなると予算が少し厳しいですね……」
大公家に限らず、この大陸では食事に金を費やす貴族が多い。自分の食事が財政を圧迫するのは嫌だったので、予め食事の予算に目安を設けその範囲内でやりくりするよう申し付けていた。
「だから別に甘いものが好きなどとは言ってはいないだろうが」
「いいえ、最初から殿下が甘いのを期待していたのは見ていれば分かりましたし、食べてみて退屈そうに眉を下げておられました。そもそも、好きでないのなら殿下は私の質問を否定するはずです」
ただでさえ感情の起伏が薄い俺の表情を、これほどまでに正しく見極めるのは、シャロンの観察眼がどれほど優れているのかを示すものだった。
前々から分かってはいたが、シャロンは会話スキルが非常に高い。隙を見せれば、即座に付け込んでくる。この抜け目のなさは、交渉なんかでも確実に活きるだろう。
「使用人として主の欲するものを用意するのは使命ですから。本当は誰にも教えてはいけないと母から釘を刺されていたのですが、私の母は砂糖液というものを作っていたそうなんです」
「砂糖液?」
「北部にアルデンヌの森という広大な森が広がっているのはご存じの通りですが、そこにはシュフィアンと呼ばれる木が至る所に群生しています。ラプト村ではその木から出る甘い水を加工して、貴重な糖分として摂取していたそうです。殿下の役に立てるのなら、ぜひ使っていただければ、と」
そう言って、シャロンはポケットから小さなポーチを取り出し、四つ折りに畳まれた古びたメモを中から摘み上げて手渡してくる。シャロンの話から大体察することはできたが、砂糖液とはメープルシロップのようなものだろうか。この国にそれに近いものがあるということになる。
樹液の九十八%は水であり、残りの二%にのみシロップの成分が含まれている。これを濃縮して加工することで甘いシロップが生まれる。そして樹液は一年のうち僅か十数日程度の期間しか採取できないものだ。
「殊勝な心がけだ。このメモにも書いてあるが、冬の終わりに甘い水を採取できるようだな?」
寒暖の差が最も大きくなる冬の終わり頃に樹液を流出するというが、この国だと五の月の僅かな期間になるだろうか。シロップの採取方法は非常に簡易で、木に穴を空けるだけで勝手に流れ出てくるものだ。煮詰めて濃縮することでドロドロとした甘味の多いシロップになる。シロップは水分を飛ばすことで固形の砂糖にも変身する。
この世界ではまだ砂糖は高級品で、上層街の人間が好んで消費している嗜好品だ。砂糖を他国に輸出すればこの国の重要な産業になる可能性が高い。
アルデンヌの森は一応領土という扱いになっている。一応というのは、森の北側が気候変動により永久に雪が溶けない極寒の地になっており、あまりの寒さに人は立ち入らないからだ。シャロンの母親も気候変動で村を出ざるを得なくなった。
「ただ砂糖液は大量の樹液を濃縮する必要があるので、そのまま運搬するのは難しいですね」
シャロンの言う通り、大量生産を行うためにはいくつか障害がある。まずは運搬路だ。アルデンヌの森に入るためには切り立った崖を登る必要があり、気軽に入れない場所として広く知られていた。それがラプト族以外に砂糖液の存在が知られていない要因だろう。そして濃縮する前の原液は量が多く、人力で運ぼうとすれば莫大な時間と労力を要する。
「地図はあるか?」
「は、はい」
大公国全土の地理が描かれた地図をシャロンから受け取る。現代のように衛星から正確な地形などを把握できるはずもないので、あくまで参考程度ではあるが、どこか運搬できるようなルートがあるかもしれない。
地図と睨めっこしていると、ふと銀山が目につく。
「そうか、銀山があったな」
「銀山?」
シャロンは脈絡もなく俺の口から飛び出た言葉に理解が及ばない様子だ。
「銀山は地中深くまで坑道がある。内部には確か、人を地中まで運ぶ昇降装置があったはずだ」
この国ならではの強み。銀山の存在が後押しして生まれた昇降装置だった。無論、現代にあるエレベーターどころか、明治時代頃にあったそれにも遠く及ばない粗末なものだ。だが人一人分を運ぶための簡易な昇降装置ならば確かにあった。
「崖の高さはどれくらいだ?」
「三十レンチほどかと」
この世界では、人一人分を一レンチとしておおよその高さを測っている。人によって身長は異なるので一概には言えないが、おそらく五十メートルくらいだろう。
「その程度の高さであれば崖に設置するのも不可能ではないだろう」
「なるほど。森で採集した樹液を、昇降装置で崖下につくった工場まで運び加工する、ということですね」
シャロンは納得顔で感心する。
「そうだ。まだ樹液採取の時期までは時間がある。それまでに昇降装置の製作を依頼し、工場の建設も進める必要があるな。作業員の雇用、教育だって必要だ。やることは山積みだぞ」
「承知の上です」
シャロンは望むところだと言わんばかりに微笑を浮かべる。話が一段落し、俺は少し離れた場所にいた村長を手招きした。
「村長、ひとまずクラガ芋の有用性が少しでも分かったはずだ。この村でも大量に育てさせろ。いいな」
近くに寄ってきたところで指示を出す。可能な限り土地を開墾し、種芋を植えさせるとしよう。
「しょ、承知致しました!」
村長は身を強張らせて平伏するばかりだった。