◆


「敵大将グラハム・ロンベルクを討うち取ったりぃ!」

 戦の終結を告げる甲かん高だかい一声が戦場にもたらされた。

 ある者は事の真しん偽ぎを判断できず右往左往し、ある者は呆然として佇たたずんでいる。いち早く現実を認識した一部の兵が一目散に脱だつしようと駆け出す様子を皮切りに、戦場を惑わく乱らんが支配した。替かえの利きかない精神的支柱を失ったとあって、王国軍にはもはや瓦解する道しか残されていなかった。

「敵指揮官の貴族を捕つかまえろ! 捕まえた者には褒ほう美びを与あたえる!」

 一方で大公国軍は精気を取り戻もどし、掃そう討とう戦の様相を呈ていする。精強であるとされた王国軍の散り様とは、なんとも無様であった。貴族を多数捕ほ縛ばくすると共に、王国軍を壊かい滅めつさせるという大戦果を挙げ、セドリア川の戦いは幕を閉じる。

 グラハム・ロンベルクは激流と火の筏の餌え食じきとなり、死体は下流で待ち構えていた兵によって発見された。王国の一角を支える公こう爵しやく家けの当主の死去は、王国に激震をもたらす事となる。

 そして戦後に行われる王国との交こう渉しようの駒こまにするべく、戦場でずっと注視していたレグナルト・ロンベルクの捕縛を命じ、さしたる抵てい抗こうもなく身み柄がらを確保した。ロンベルク公爵家の次期当主。その身柄を捕ほ虜りよにしているとあらば、交渉を優位に進めることができるはずだ。

 そうして、完全勝利が確定する。

 返り血を浴びて赤黒く体を染めながら、勝利に沸わいて飛び上がっている者もいれば、深い傷を負って床ゆかに倒れながらも、勝利による開放感から口元を緩めている者もいる。ホッとするあまり放心状態の者も少なくなかった。

「勝った、か」

 俺はそう独りごちた。周囲には王国兵の死体が無数に転がっている。歴戦の猛もう将しようならば勝利の証あかしだと誇ることもできただろう。あるいはヘンリックであっても同様であったはずだ。この世界の人間は戦とともに生きている。こんな光景は日にち常じよう茶さ飯はん事じなのだろう。

 だが平和な国から来た俺のような異分子が、それを簡単に受け入れられるはずもなかった。

――俺がこの凄せい惨さんな光景を生み出したのだ。

 その事実から目を背そむけることはできない。安堵はあっても達成感や高こう揚よう感は無かった。それでも気丈に背筋を伸のばし、堂々と馬を跨またぐ。

「この勝利は殿下が率いた甲か斐いあってこそ。多くの民が救われました。救国の英えい雄ゆうです」

 側にいたシャロンが聖母のような笑えみで告げてくる。

「英雄、ね」

 自分にはおよそ似つかわしくない称しよう号ごうだ。

 二度の戦いで払はらった犠ぎ牲せいは小さくない。撤退の機を逃す場面を一度のみならず繰くり返してしまったことで、本来ならば生き延びていた兵も多くいる。蓋がい世せいの英えい傑けつならばもしくは、用兵を更さらに巧たくみに行い、犠牲を最小限に抑おさえられただろうと後こう悔かいに駆られた。

 だが少なくとも、エルドリアの市民は一人も死なずに済んだ。その事実が何よりも、俺の心に安堵をもたらしてくれた。


◆


「ヘンリック皇子、お見事でした」

 砦とりででセレスと合流すると、心底ホッとした様子で賛辞を受ける。リブレスタを始末した時に聞いた「お見事でした」とはあまりに性質が異なり、思わず笑みが溢こぼれそうになるが、この身体はそれを許さなかった。

「ああ。万ばん事じうまくいった。城に引き上げるぞ」

「ヘンリック皇子、無事でよかった……」

 そこにひょっこり顔を出したのは、アルシアナだった。目め尻じりには涙なみだが浮うかんでいて、悪いことをした気分になる。

「どうして貴様がここにいる」

 前回のように王国側に囚とらわれてはひとたまりもないので、エルドリア城での待機を言いつけていたはずだった。

「いてもたってもいられなかったの。セレスの傍そばなら安全でしょう?」

「そういう問題じゃないだろう」

 俺は呆れて特大のため息を漏らした。アルシアナは言葉を選ばずに言ってしまえばこの国の弱点なのだ。その自覚があるのかないのか、問い詰つめたいのをすんでのところで堪こらえる。もう危機は去ったのだから大目に見よう、と自分に言い聞かせた。

 合流したセレスと共に、エルドリアへの帰路に就く。将兵からはもれなく疲ひ弊へいした様子が伝わってくる。俺もずっと気を張り詰めていたから、今すぐにでもベッドに倒れ込みたい。

 あらゆる思考を放ほう棄きしてただ無心で歩みを進めていると、アルシアナは声を掛けてくる。

「どんな手品を使って王国軍を倒したの?」

「セレスに聞けば良かっただろうが」

「聞いたら余計不安になってしまう気がして聞けなかったの。ヘンリック皇子を信じて待とうって思ったのよ」

「どう思おうと貴様の勝手だがな。俺が王国軍を破るために用いたもの、それは火だ」

「火?」

「火計は古今東西、戦において一定以上の有効性が認められてきた策だ。人間は炎ほのおに呑み込まれれば一ひと溜たまりもない」

 現代日本でも火災は容よう赦しやなく猛もう威いを振るい、火を用いた犯罪が後を絶たない。裏返せば、それほど威い力りよくや殺傷能力が高いが故ゆえに使われているということだ。

「……そうね。火に囚われたら一溜まりもないわ」

 凄惨な光景を想像してか、アルシアナは苦い表情を浮かべる。

「それを応用し、火と川を使った奇襲を考えた。渡河中の王国軍は川の流れに逆らっているからな。セドリア川は流れも速い。敵の身動きを制限した状態で一いち網もう打だ尽じんにできる。そして上流から下流という川の流れを使って火を流した」

「火を流す?」

 アルシアナはいまいちピンときていない様子で首を傾かしげた。

「木材で筏を作り、それに火をつける。水で火が消えにくくするために、油を浸ひたした麻あさ縄なわを縛しばりつけ、薪まきを敷しき詰めて上流から流した」

 シャロンと私兵隊に命じて集めさせていたのが、この作戦に使うための木材や油、麻縄だった。

 大雨に襲われ川の流れが速くなり、筏が転てん覆ぷくしたりすれば消えるだろうが、流れが速くなればそもそも渡河も難しくなる。わざわざ雨の中危険な場所に足を踏ふみ入れる事はしないだろう。川の東岸で雨が止やみ水量が落ち着くのを待ってから進むのが賢けん明めいだ。

 三国志で孫そん権けんと劉りゆう備びの連合軍が曹そう操そうを打ち破る赤せき壁へきの戦いを参考にした。赤壁の戦いでは、油をかけ薪を満まん載さいした火船によって曹操の船団が大炎上している。

「それで巻き込まれたら、確かに人間は一溜まりもないわね」

 それを確実に成功させるために、銀山から掃そう除じを兼かねて大量に回収してきた粉ふん塵じんでグラハムの視界を塞ぎ、対処の邪じや魔まをした。呼吸困難に陥おちいらせるばかりか、現状の把は握あくすらままならないように仕向け、確実に仕留めようと試みたのだ。

「それで、砦にセレスを置いた意味はあったの?」

「王国軍の慢まん心しんを誘さそうためだ。セレスがいる場所が本隊だと思い込ませることができれば、こちらへの注意も殺げる」

 アレオンの代わりに総大将を務めているセレスが砦にいるとなれば、どうしてもそこに目がいく。

「でもあれだけ兵がいたら、前線に連れて行った方が良かったんじゃないの?」

「ふん。砦にいた奴らはろくすっぽ戦えない足手まといだ。だが存在しているという事実は使える。本隊を本隊だと思い込ませるには、ある程度の兵が必要だったからな」

 王国とて、こちらの損害を正しく把握はできていなかっただろうが、だからといって砦にいる兵が少ないと、たとえセレスがいたとしても怪あやしまれる。

 貴重な戦力をそこに割さくのは憚られるところだったが、そこに有志の一いつ般ぱん市民が大勢助すけ太だ刀ちを表明してきた。お世辞にも戦力として数えるのは難しい。だからこの役目は適任だったわけだ。

 本当の主力は山の中に潜ひそませ、分断された兵に奇襲を敢かん行こうした。もっと少ない人数なら、更に被害が出ていただろうし、劣勢に転じるのもかなり早まったはずだ。当人たちは何もしていないと思うだろうが、立派な役割を果たしてくれたと言えよう。

「……それを本当に成功させてしまうのがすごいわ」

 感かん嘆たんして、真っ直ぐ見つめてくる。

「まだ気を抜くには早い。オストアルデンヌにヴェルマーとそれに追従した貴族が残っている。奴らの始末は容易ではない。こちらが少しの被害も出さずに終わらさなければならないからな」

「そうね。オストアルデンヌはまだ占せん拠きよされたままだもの」

「この期ごに及およんで、ヴェルマーに負けるなどということは万が一にもありえない。とはいえ二度の戦いでこちらの将兵は疲弊しきっている。もう一度出兵させる判断は愚ぐ将しようのするものだ」

 かと言ってしばらく放置しておくわけにもいかないし、早さつ急きゆうに片付けるとしても、もう一度戦いをすれば必ず被害は出る。散さん漫まんな集中力であれば相手がいくら弱兵であろうと多少の痛手は負うものだ。

「ならどうするつもりなの?」

「簡単だ。戦わなければいい」

 俺にこれ以上将兵を失うつもりはない。だから戦わない。

 頼たのみの綱つなであった王国軍が壊滅し、もはや味方は追従した貴族のみだ。オストアルデンヌには五百の待機兵が残っていると聞くが、グラハムの討うち死じにを聞いてなお留まるとも思えない。

「戦わないなんて、そんなことできるの?」

「普ふ通つうの人間は愚ぐ直ちよくに戦う脳しか持たないだろうがな」

「ふふ、期待してるわ」

 自分の嫌みったらしい口調に、俺は内心で嘆たん息そくするばかりだった。なのに全く気分を害した様子もないアルシアナも大たい概がいだが。

 そんな話をしながら歩いていると、エルドリアの街が見えてくる。この街を守れて良かったと、俺はただただ安堵に浸るばかりだった。


◆


 セドリア川の戦いにおける王国軍敗戦の報は、オストアルデンヌへ速すみやかに届けられた。

「お、王国軍が敗れたとは真まことの話か……? 何かの間ま違ちがいではないのか」

 真っ先に狼ろう狽ばいの声を上げたのは、グラハム・ロンベルクから全ぜん幅ぷくの信しん頼らいを受け、五百の兵を任されていたレスター・シュライヒ伯はく爵しやくであった。

 シュライヒ伯はく爵しやく家けは軍部の中ちゆ枢うすうを担になう軍人を輩はい出しゆつするエリート家系であり、また選民思想の強い人種でもあった。

 そのレスターは伝令の報告を聞いて額に青筋を立て、苛いら立だちを露あらわにする。

「王国軍は兵数の上で圧倒的に優位だったはず。そんな状じよう況きようで敗れるなど」

 ヴェルマーが火に油を注ぐように声を上げる。その声は普ふ段だんのように間延びしておらず、切せつ迫ぱくした色を帯びていた。

 レスターは王国の敗戦以上に、グラハムの訃ふ報ほうに大きな衝しよう撃げきを受けていた。グラハムのことを誰だれよりも敬愛し、その才を誰よりも近くで認識していたからこそ、グラハムを糾きゆう弾だんするかのような色を含ふくんだヴェルマーの声に怒いかりを覚える。

 レスターは思わず睨みつけそうになった自分を抑え、落ち着き払った仮面を即そつ興きようで作り上げる。それは王国軍内部の出世競争という過か酷こくな環かん境きように揉もまれてきた故のものであった。

 そこに一人の兵が焦しよう燥そうを帯びた表情で報告にやってくる。

「街の中で暴動が起こっております。どうやら市民が王国軍の兵士に襲いかかっているとのこと」

 この街においては、誇ほこり高き王国軍の名声は失しつ墜ついし、もはや形をなさない。

 王国軍の主力がオストアルデンヌを発たった後も、残った兵士の横おう柄へいな行いは留まることを知らなかった。

 大公国軍の勝利が誇こ張ちようされて伝わった今、もはや王国軍の自由を許す者はおらず、それどころかこれまでの鬱うつ憤ぷんを晴らすべく粗そ末まつな刃は物ものや木の棒を得物として王国軍の兵士を襲い始めたのだ。突然の豹ひよう変へんぶりに歯は噛がみしたレスターは苦く渋じゆうの決断を下す。

「くっ、もはや是ぜ非ひもない。すぐに撤退するぞ!」

 選民思想の強い彼かれ自身にとって、一般市民とは卑いやしい人種である。そんな暴動を起こした市民を押さえつけるのは難しくはない。能力で言えば天と地ほどの差があるのだ。しかしこれほど濃のう厚こうな叛はん意いを見せられれば、もはや王国による統治は立ち行かない。

「そ、そんな! 王国軍の戦力を失えば我らは保もたない!」

 それはヴェルマーにとっての「死し刑けい宣告」を意味していた。

「貴様を先に切り捨てておけば、私がここに残る必要もなかった。貴様が翻ほん意いして背後を突くかもしれない、その懸念がこの結果を引き起こしたに違ちがいない。これ以上貴様に助力する義理などない。命が助かりたくば王国に亡命でもするが良い。待たい遇ぐうは保証せんがな」

 レスターは吐き捨てて早足で部屋を去っていく。八つ当たりも同然の言葉だったが、ヴェルマーは怒りを覚える余裕もなく、呆ぼう然ぜんとしてその場に立ち尽つくすことしかできない。

 やがて力なく椅い子すに座すわり込んだヴェルマーは、拳を卓たくに叩きつけた。

 揚よう々ようと西進したはずの王国軍が、大公国軍に敗れた。その事実を未だ信じられずにいた。

「フ、フフ。これが報いというものかぁ」

「その通りだ」

 自じ嘲ちように塗まみれた呟つぶやきを肯こう定ていする言葉は、レスターが去った方向からのものであった。

「……誰かね?」

 苦虫を噛み潰つぶした様な顔で応対する。

「ヘンリック皇子直属の私兵隊総隊長のコンラッドだ。これが先代大公を弑しいした報いだ。目先の欲望に釣つられ、軽けい薄はくな判断と甘い見通しがその結果を生んだ」

「元はと言えば、ヘンリック・レトゥアールのせいで我わが子が大公になれなくなった事が元げん凶きようなのだと、分かっているのかぁ?」

「だからといって、王国に寝返っては傀かい儡らいになるだけだろう」

 ヴェルマーは「傀儡」という言葉にピクリと反応しつつも、少し落ち着いたのか普段の間延びした声が戻る。

「それで何の用かね? 無様な敗者を嘲あざ笑わらいでも来たのかぁ?」

「それは今もしている。腹の中でな」

 諦念に浸ったヴェルマーに、コンラッドの言葉が刺ささることはない。薄うすく笑うだけだった。本来ならば、コンラッドはあらゆる罵ば詈り雑ぞう言ごんを浴びせたかった。だが、それでは主君の計画に支障をきたす恐おそれがあり、グッと飲み込んで命令の遂すい行こうに集中する。

「どんな意図があってやってきたのかは知らないけれど、こうなったら最後まで戦い抜くだけさぁ」

 どうせ死ぬのなら、戦って死のうという姿勢自体は、弱将らしからぬ決意だとコンラッドはほんの少しだけ感心する。ただ、それを許しては主君の意に添そわないため、煽あおるようにヴェルマーに問いかける。

「本当にそれで良いのか?」

「何が言いたいのかねぇ?」

「確かに貴様は国を裏切った大罪人だ。だが、殿でん下かはこれ以上の戦いを望んでいない。だから貴様に一つ、選せん択たく肢しを与える。殿下は貴様が降こう伏ふくすれば、家族だけは助命すると仰おつしやられている」

「……それは本当の話かね?」

 思ってもみなかった言葉に、ヴェルマーが目を細める。

「無論、爵しやく位いと領地は没ぼつ収しゆうだ。それでも家族の命が助かるのは逆ぎやく賊ぞくに対しての仕置きとすればあまりに寛かん大だいなもの。そして働き次し第だいでは将来的に爵位の返へん還かんも検討する。これを受け入れない手は無いと思うが?」

 ヴェルマーはオストアルデンヌの奪だつ還かんにくる大公国軍を、捨て身の覚かく悟ごで迎撃する腹積りだった。降伏しても許されるわけがなく、当然の意思である。

「……分かったぁ。その提案、受け入れるとしよう」

 しかも永久に爵位が剥はく奪だつされるわけではなく、回復の可能性があるという。自分の命を担保に何より息子二人が助かり、未来にも希望を持てるのなら、それでいいとヴェルマーは思った。

 過か剰じような締しめ付けで反発を誘うわけではなく、かといって決して甘い処しよ罰ばつというわけでもない。この塩あん梅ばいは、ヘンリックがルドワールの一件から今回の戦いまで、一連の出来事を通じて学んだゆえのものだった。

 その後、ヴェルマーに追従した貴族全員も同じ条件を呑のむ決断を下した。

 かくしてオストアルデンヌは解放される。王国との領土防衛戦は、これで幕を閉じることとなった。


◆


 エルドリア城に帰き還かんした翌日、城に貴族たちが集結し、戦勝の宴うたげが開かれた。

「我々は王国軍を退けた。貴き殿でんらの奮ふん闘とうがこの国を救ったのだ!」

 セレスが壇だん上じようから称しよう賛さんの言葉を放つ。集まった貴族たちは、一様に笑みを浮かべ、肩かたを組んだり、拳こぶしを掲かかげたりしていた。

「これもヘンリック皇子、貴殿の策略があってのことだ。救国の英雄、その称号はここにいる全員に、いや、国民全員に刻まれた事だろう」

 貴族たちは好意的な様子で頷うなずき、俺に羨せん望ぼうの眼まな差ざしを送ってくる。どこからかまばらに拍はく手しゆが上がり、徐じよ々じよに音が重なっていく。

「もし負けていればここにいる者の命の多くは失われていたはず。そうならなかったのは、皆が確かな勇気を持っていたからだ。それだけは何があっても揺ゆるがない。だから今日だけは、この勝利を噛み締めようではないか!」

 その言葉を皮切りに、拍手は俺個人に対するものから、全体を褒ほめ称たたえる喝かつ采さいへと変へん貌ぼうした。俺は熱ねつ狂きようの中に身を置く気にもなれず、会場の端はしで壁かべに寄り掛かかりながら、ちびちびとエールを口に含む。シャロンは給きゆう仕じの仕事に追われているようだ。

 そうして静かな時間を噛み締めていると、アルシアナが歩み寄ってくる。

「交ざらなくて良いの?」

「俺が交ざるような人間だと思うか?」

「ふふ、そうよね」

「調子に乗って自分たちが強いと勘かん違ちがいしなければ良いがな」

「それは大丈夫じゃないかしら。この戦いは全員が強さを見せると同時に、弱みを自覚するものにもなったはずだから。それはヘンリック皇子、貴方あなたも同じよ」

「……ふん」

 二人の周囲にだけ、沈黙が落ちる。

「私たち、本当に勝ったのね」

 アルシアナは実感が無い様子だ。俺も同じような心境ではあるが。

「あれだけ貧ひん弱じやくな兵どもを率いて、王国軍相手によく勝てたものだとは思うがな」

 同意を示すつもりが、俺の口からは皮肉混じりの言葉が飛び出す。

「父上にも早く報告したいわ」

 決して明るいとは言えない声こわ音ね。アルシアナの心に、「現実」の二文字が重くのしかかっているのを、否いや応おうなしに感じる。俺はその顔を直視することができなかった。

「……良かった。本当に良かった」

 再びの沈黙がきっかけになったのか、アルシアナの瞳ひとみから堰せきを切ったように涙が流れ落ちる。嗚お咽えつを漏もらすことなく、ただ頬ほおを伝い、カーペットに染しみを作るだけだった。

 その涙には、様々な感情が籠こもっている。王国軍を退け、守るべき国民を死なせずに済んだことへの喜びと安心が、そこにはあるのだろう。だが、俺には肉親を失ったことに対する哀あい傷しようの感情が、一番目立って見えた。

 俺には寄り添そって慰なぐさめることはできない。だからせめて、口を開いて涙を否定するような野や暮ぼなことだけは避さけたい。

 俺は無言で背中を向けながら、アルシアナを覆い隠かくすように立った。泣き姿を貴族たちの目に触ふれさせないために。