◆内政改革



「いっ……」

 身体の芯しんに響ひびくような疼とう痛つうに、思わず呻うめき声が漏れる。天てん井じようを見てここが自分の部屋でも、馬車でもないと瞬しゆん時じに認識する。

(ああ、そうだ。俺おれは昨日刺客に襲われて……。死ななかったのか?)

 疑問に思い、思わず頬を抓つねる。そのまま襟えり元もとを覗のぞき込こんで胸の傷を確かめるが、目立った外傷は無い。あの重傷をどんなマジックで治したというのだろうか。

「殿下、お目覚めですか」

 突とつ然ぜん左耳に声が響く。誰もいないと思い込んでいたから、正直かなり驚いた。ヘンリックの身体でなければ、喫驚して後ずさっていたかもしれない。この身体は常に冷静というか、物事をどこか達観して見ているようなきらいがある。

「ああ、ここは?」

「エルドリア城になります」

 身体の至る所を矢に貫つらぬかれた生々しく熱い感覚は、未だ脳のう裏りに焼き付いている。あの失血だと生きてここに辿たどり着くのは困難を極きわめるはずだ。

「余よ程ほど優ゆう秀しゆうな医者でもいたか? いや、あの傷を普通の医者がここまで綺き麗れいに治せるはずがない。この傷を塞ふさいだのは貴様だな?」

「はい」

 真まっ直すぐな双眸でこちらを見み据すえる。その目に嘘うそ偽いつわりは一いつ切さい含ふくまれていない。俺は心の中で大きく肩かたを落とす。年下の少女に命を救われてしまった。

「記憶が朧おぼろげだが、あの時貴様が俺に施したのはやはり魔法だったのか。こんな身近にいたとはな」

「もし明かしでもすれば、あらゆる人間にこの力を狙われることになりますから。高待たい遇ぐうで迎えられることなんてまずありませんし、権力者に使い潰つぶされて終わるはずです」

 この世界において、魔ま法ほう使つかいというのは希少な存在だ。各国に数人しかいないとされている。

 帝国で何度か見る機会はあったが、全員が目のハイライトを失っていて、不気味に思った記憶がある。その原因はシャロンの言葉から分かる通り、魔法使いは冷れい遇ぐうされるからだ。

 魔法が使えるとなれば、シャロンはラプト族の末まつ裔えいということになる。ラプト族はエクドール北部の広大な森を越こえた先の港町に住んでいる少数民族。魔法とはその末裔にしか使えないものであった。しかも女性にしか発現しない。それに女性だからと血統者全員に発現するものではなく、中でもごく一部にしか使えない。シャロンにはその力が幸か不幸か芽生えたわけだ。

「多くの貴族は代償も正しく理解していない。酷こく使しされ、最後に精神を病んで悲ひ惨さんな末路を迎えるのは目に見えている」

 そこまで言ったところで、不自然な間を感じて視線をシャロンの方に向けると、目を丸くしてこちらを見ていた。

「どうした」

「……いえ、代償があると知っている方にお会いしたことがありませんでしたので。そうですよね、ヘンリック様ならばご存ぞんじでも当然のことでしたね」

「なんだ、その気色悪い信頼は」

 以前のシャロンからは絶対に聞けなかった言葉を、俺は不ふ審しんに思う。

「お気になさらず」

「それよりも呑のん気きなものだな。俺は貴様が魔法使いであることを知った。俺の命令で貴様を意のままに操あやつることもできる。あの場面では俺を見殺しにするのが最適解だった。どんな心変わりをしたのか知らんが、悪手だったな」

「後こう悔かいはしていません。殿下は私を庇かばって深手を負われたのですから、人として当然の行動だと思います」

 いくら嫌きらいな人間が相手でも、自分を庇って死にかけているとあっては、見捨てるのにも良心が傷いたんだのだろう。

「だが俺はあのとき逃にげろと命じたはずだ。命令に反した責は理解しているだろうな?」

 本来ならば頭を下げてありがとうと言うべき立場であるにも拘わらず、この口はシャロンを責め立てた。まあ俺が殊しゆ勝しように頭を下げるのも気味が悪いだろうが。

「お言葉ですが、私たちは殿下に付き従い、ここまでやって参りました。雇やとい主ぬしが死んだら私たちは路頭に迷います」

「しばらく暮らしていけるだけの金貨を渡したはずだが、もういい。埒らちが明かない」

 シャロンが「素す直なおじゃないんですから」と呟つぶやいたのが耳に届く。なんだ、その妙みような態度は。まったく、調子が狂う。

 かといって追つい及きゆうするほどのことでもないな、と俺は無視に努めた。

「貴様は魔法を使って少なくない代償を負ったはずだ。具体的にどんなものだ?」

「少しの間昏こん睡すい状態になります」

「それだけか?」

「……はい、それだけです」

「他にあるのなら言え。隠されるのも寝ね覚ざめが悪い」

「大したことではありません。お気になさらず」

 秘ひ匿とくするほどの代償があるというのだろうか。俺は少し、いや、かなり気になったが、本人が黙だまり込んだまま明かす気を一いつ切さい見せないので、それ以上の追及は諦あきらめた。

「俺はどれくらい寝ねていた?」

「十五日ほどです。私よりも少し長かったですね」

「……大公はどこにいる」

 いきなり意識のない状態で二人が運ばれてきたとなれば、大公はさぞ驚いたことだろう。弁明、というわけではないが、色々と話したいこともあった。

「大公閣下でしたら、執しつ務む室しつにいらっしゃるかと」

「ならすぐに連れて行け。色々聞きたいこともある」

「分かりました」

 一番は、そもそも俺がどうしてこの国に来ることになったのか。それを知りたかった。


◆


 白を基調とした内装に金細工があしらわれた応接の間に通され、ものの数分で現大公とその娘が姿を現した。

「ヘンリック皇子、お初にお目にかかります。エクドール=ソルテリィシア大公国現大公、アレオン・ルゴーア・ラ・エクドール・ソルテリィシアと申します」

 自分の娘とほとんど変わらない年ねん齢れいである俺を前にしても、低姿勢を崩さないアレオンの様子が、今の大公国の難しい立場を物語っている。しかしその一方で、大公としての威い厳げんが確かに伝わってくるのも確かだった。

「ヘンリック・レトゥアールだ」

 大公を前にしても、不ふ遜そんな態度は崩れなかった。ただ、アレオンがそれに気分を害した様子もなく、内心でホッとする。

「刺し客かくに襲おそわれたと聞いて背筋が凍こおる思いでしたぞ。しかし無事で何より。こうしてお会いでき嬉うれしく思いますぞ」

 本心で喜んでいるとも、安堵しているとも到とう底てい思えなかった。歓かん迎げいしているようにはとても感じられない。それも当然だろう。帝国の皇子が婿むこ入いりするなど、大公国にとって喜ばしい話ではない。

「こちらが娘のアルシアナにございます。ほらアル、殿下にご挨あい拶さつを」

 アルシアナというアレオンの一人ひとり娘むすめは、見た目の麗うるわしさもさることながら、嬋せん媛えんな青あお髪がみを持ち、切れ長の目が気の強そうな雰ふん囲い気きを醸かもしている。こちらに視線を向ける様子から察するに、実際そうなのだろう。睨にらまれているとまではいかずとも、ヘンリック・レトゥアールという異分子との婚こん約やくに、不満を露あらわにするのも当然だ。帝国が意図的に流る布ふしているのだろうが、ヘンリック・レトゥアールという人物の評判は芳かんばしくない。そんな人間と結けつ婚こんしたいなどとは誰も思わないだろう。俺は同情を覚えるばかりだった。

「アルシアナ・ラプトリカ・ラ・エクドール・ソルテリィシアと申します。これからよろしくお願いします」

 感情のこもっていない形式上の挨拶にも、全く驚きはない。俺もアルシアナに歓迎する雰囲気を期待するつもりはハナからなかったし、ビジネスライクな関係で構わないと思っている。俺はこの国をいずれ反はん帝てい国こくの旗はた頭がしらに据すえようとしているのだから。そんな思おも惑わくを胸中に据えながらアルシアナを心の底から妻と思えるわけがない。

「ああ」

 意い趣しゆ返がえしというつもりではなく、最初から興味が無さそうに振る舞まった方が後でがっかりすることもないだろうと、わざと目を合わせず素っ気なく返答する。アルシアナの眉まゆが僅わずかに動くが、俺は一切気に留とめない。

「ヘンリック皇子、これからの話ですが……」

「それも重要だが、俺は一切事情も聞かされないまま、半ば追い出されるようにこの国へやってきた。王国の属国であるこの国に、帝国の皇子である俺がなぜ婿入りすることになったのか、それから説明しろ」

 かつてゲレオン・サミガレッドにクーデターを起こされ、国の主権が入れ替かわったことは誰もが知る事実であり、先せん帝ていの息むす子こである俺、すなわちヘンリックが冷遇されているのは納得のいくことだろう。

「承知しました。まず、ソルテリィシア家は元々、王国の貴族に過ぎませんでした。初代当主の功績により、一国の主あるじに昇しよう進しんした経緯があります」

 ソルテリィシア大公家は元々ヴァラン王国の一貴族に過ぎなかったが、初代当主のアレクシスが敗北必至の戦争で大殊勲を挙げ、ここエクドールに移い封ほうされて大公となり、多大な裁量権を認められることとなる。

 王国内でも地理的に孤こ立りつし、気候も厳しい土地であるエクドールへの移封は、銀山が未発見の当時はうま味の薄い地域だった。しかし一侯こう爵しやく家けに過ぎず、領地もさほど広くなかったソルテリィシア家が、王国内でも王家に次ぐ地位を得るまでに飛ひ躍やくできるのだから、当時の侯爵家の人間にとってはさぞ良い処遇に思えたことだろう。移封された先の土地の名前を冠かんし、建国と相成った。

「ただそれ以来、当家は王国での立場に懸け念ねんを抱くとともに、深刻な財政難に悩なやんでおりました」

「財政難、その原因は先代だと聞いた。随ずい分ぶんと無能だったそうだな」

 アレオンはその言葉を否定しなかった。実の息子から見ても、先代は暗あん愚ぐに映ったらしい。

 初代大公が王国一の猛もう将しようだった一方、内政はからっきしで政務を他の者に委任するばかりだった。それを見て育ったこともあってか、先代は奢しや侈しに次ぐ奢侈を重ねて財政まで悪化させていく。

「そんなある日、領内で偶ぐう然ぜん銀山が見つかった。それによって大公国は一気に息を吹ふき返しますが……」

「それを帝国や王国が見み逃のがすはずもないな」

「その通りにございます。我々は王国に銀山の採さい掘くつ権けんの半分を譲じよう渡とするよう強引に迫せまられ、多くの貴族が手切れを声こわ高だかに叫さけぶようになりました」

「その最中、帝国が介かい入にゆうしてきた。そういうことだな?」

「はい。帝国は内政に口出しはせず、王国領土を攻せめ獲とった暁あかつきには一部権益を譲渡くださるとか。そんな条件の同盟を二割の銀山資源譲渡のみで締てい結けつしてくださるとの提案に、我らは快かい諾だくした次し第だいです」

 ゲレオンは時勢を見み極きわめ、手を差し伸のべたわけだ。元々エクドールはレギール山脈という巨きよ大だいな山脈を隔へだてており独立色が強く、王国の締しめ付けには不満を持っていた。

 その王国の支配からの脱だつ却きやくは十分彼かれらにとって魅み力りよく的てきに映ったし、また王国の要求よりも低い資源譲渡を要求することで、大公国を納得させた上で干かん渉しようせずとも金のなる木を獲かく得とくしたわけだ。近年の帝国の成長を考えれば、王国を平らげる可能性だって十分考えられるし、ここで鞍くら替がえというのも理解できる話ではある。

 そもそも銀の譲渡という部分がおかしいのだが、それがあまりにも日常的に浸しん透とうしすぎたせいで、疑問を持つことすらしなかった。そんな大公国側の脇わきの甘あまさを突ついたのは流石さすがの狡こう猾かつさというべきか、クーデターを成功させた梟きよう雄ゆうゲレオン・サミガレッドの手しゆ腕わんに狂いはない。

「俺は帝国に与くみした決断が賢かしこいとは思わない。貴様は帝国の援えん軍ぐんを期待しているのだろうが、帝国は絶対に兵を送らない」

「……なぜ断言できるのですかな?」

 あまりにはっきりとした物言いに、アレオンは表情を強こわ張ばらせる。

「第一にメリットが少ないからだ。帝国が動けば王国も本ほん腰ごしを入れる。長期戦になった時、この国で戦い続けるのには小さくないリスクがある」

「リスク?」

「レトゥアール帝国の帝てい都とからこの国は距きよ離りが離はなれすぎている。そうなれば長期間の遠えん征せいが不ふ可か避ひだ。冬が長いこの国での戦せん闘とうは、想像以上に過か酷こくを極めるだろうな。大規模な軍となれば、冬の間野営の必要も出てくる。戦闘が長期化すれば、兵に対する負担は重くなり、士気も下がる。敗走した時、帝都まで逃げられる将がどれだけいるか。他にも色々理由は挙げられるが、根本的にリスクに見合わない、ということだ」

「……補給にも懸念がありますな」

「それに元王国傘さん下かの貴族、というだけで、懐かい疑ぎ的てきな目で見る者もいる。裏切りというのも当然頭にあるだろうな」

「裏切るなど、そんなことは……」

 滅めつ相そうもない、というように最初は強かった語気も、アレオンは自身が十分に諸しよ侯こうをまとめ上げられていない自覚があるのか、歯切れ悪く語ご尾びが虚こ空くうに消えていった。

「無い、とは言い切れないはずだ。実際、大公国にも親王国派はいる。その者たちが叛はん旗きを翻ひるがえさない保証はない。それに俺は、サミガレッド家にとっては邪じや魔ま者ものだ。見捨てた方が国内のレトゥアール派は閥ばつの駆く逐ちくは進む。現皇帝にとってはそちらの方がむしろメリットは大きいと踏ふむだろうな」

「それではこちらが得られる恩おん恵けいがあまりに……」

「抑よく止し力りよくにはなる。帝国が背後にいれば、王国も安易に手を出せなくなるだろうさ。それが現時点ではこの同盟の最大のメリットだ」

 王国が動くにせよ、帝国が背後にいることを踏まえると、それ相応の準備が必要になる。となればしばらくは様子を窺うかがうことだろう。

「現時点では?」

「ああ。現時点では大公国が得られる利益は乏とぼしい。攻め獲った王国領土における権益も、どの程度認められるか定かではない。期待するだけ無む駄だだろう。ただもう交かわしてしまった契けい約やくを破は棄きすれば、今度は双そう方ほうを敵に回すことになる。それだけは避さけたいはずだろう。だから俺が、この盟約を大公家にとって益あるものにしてやる」

「ヘンリック皇子が、ですか?」

 一いつ切さい隠かくす気のない懐疑的な視線だ。風評を考えれば当然の反応と言えるだろう。何にしても国力の増強は不可欠。そのための努力を惜おしむつもりはなかった。

「俺を信頼して欲ほしい、などと都合のいい懇こん願がんをするつもりもない。俺が今持っている人材と資金だけで目に見える成果を挙げて見せよう」

 ゲレオンにとって、大公国が存続しようが滅ほろびようかどうでも良いのだ。『王国が大公家に見限られた』という事実だけでも、王国を突き崩くずす材料の一つにはなる。

 だから多少の軍事支し援えんはあっても、援軍が来ることはまず無い。

「具体的にどのような成果を挙げると申されるので?」

「喫きつ緊きんの課題は銀に頼たよりきりになっている財政だ。銀山資源以外による産業の創出、まずはそれを目指す」

「……それには資金が必要なのではないですか?」

「無論必要になる。だが何の力も借りずに成し遂げることが何より重要だ。違ちがうか?」

「……元より殿下には自由に過ごしていただくつもりでした。たとえ何の成果も挙げられずとも、ここで殿下が仰おつしやられたことは聞かなかったことに致いたしましょう」

 それは最大限オブラートに包んだ言葉だった。最初から俺を大公国の内政に関わらせるつもりはなかったのだろう。関われば内ない政せい干かん渉しようにもなり、最初帝国が提示した条件から逸いつ脱だつすることにもなる。そうなれば大公の信望にも影えい響きようしたことだろう。だからこそ、なんの手助けも得ずにアレオン含ふくめ大公国の貴族を認めさせる必要がある。

 アレオンの選せん択たくは合理的だ。信用に値しない、関わらせては不利益になる可能性のある人間を遠ざけるのは当然の判断と言える。それで心象を害されたつもりはない。

「余計な気き遣づかいだ。俺は絶対に成果を挙げるし、そもそも俺の評価が今以上に落ちることはないだろうが」

 自じ嘲ちようを言葉にまとわせながらも、好戦的な空気が身体の奥おく底そこから漏もれ出ているのを感じ、内心でため息をつくばかりだった。


◆


 作業場所として提供された執務室は、余計な物が極力取り除かれ、落ち着いた環かん境きようになっている。はっきり言えば質素。エルドリア城はこのように、全てが必ずしも絢けん爛らんなわけではなく、最低限の場所のみが豪ごう奢しやに飾かざられている。

「あのように言い放ってしまって本当に大だい丈じよう夫ぶなんですか?」

 アレオンとの顔合わせでヘンリックの背後に控ひかえていたシャロンが憂心を帯びた声で問いかけてくる。

「ふん、俺が出来ないとでも思っているのか?」

「まさか。私は殿下を信じます」

 曇くもりのない目でそう告げてくるので、ヘンリックは一いつ瞬しゆん声が詰つまった。

「薄っぺらい信頼を口にするのは勝手だがな。貴様は資金に不安があるとでも思っているのだろう?」

「では資金のアテがあると?」

「当たり前だ。第一に俺は帝国の正当なる後こう継けい者しやだ。国庫から金貨を持ち出したところで何の不都合もない。あれはもともとレトゥアール帝てい室しつのものだからな」

「こっそり持ち出して来たと?」

「そういうことだ。無論、バレるようなヘマはしない。幼少の頃から少しずつ持ち出し、部屋の隠し扉とびらの更さらに奥おくの小部屋に貯ため込んでいた」

 ヘンリックはいつかくる帝てい国こく奪だつ還かんの好機に備え、資金収集に奔ほん走そうしていた。その好機が今なのだ。

「それだけではない。帝国内部にも規模は小さいが俺の派閥がある。資金提供に人材提供、それらの言げん質ちは取り付けている」

「……さすが殿下。既すでにそこまで手を回されていたとは」

 それくらいのアテが無ければ、あんな豪ごう語ごができるはずもない。ただ俺がこれから行う策は現代日本で培つちかった知識に頼る部分が少なからずある。画期的で効果的な施し策さくを講じようとしても、その源泉となる知識や知ち恵えが欠けていれば、資金があっても頓とん挫ざする可能性だって十二分にある。そうなれば、恥はじを忍しのんでアレオンに縋すがるしかなかった。

「とはいえ資金があったところで有効な策がなければ意味がない」

「その策を殿下が用意していないはずもありませんね?」

「当たり前だろう」

「ふふ、失礼致しました」

 シャロンが余よ裕ゆうに満ちた表情で一礼した。その態度にもどかしさが湧わき上がり、反感を表すように眉まゆ根ねを寄せながら告げる。

「貴様は自分の立場を正しく理解しているはずだな? 俺はお前を如い何か様ようにもできる。それを忘れるな。貴様には馬車馬の如く働いてもらうぞ」

「承知しました」

 命を救ってもらった大恩を棚たなに上げるのみならず、あまつさえシャロンが希少な魔法使いであるという事実を弱みとして握にぎっている。そしてそのことをわざわざ突きつけるという、誰が聞いてもドン引きする発言をしてしまう。

 そんな自分に、巨大な溜ため息いきが喉のど元もとまで出かけた。にも拘かかわらず、シャロンの表情から微かすかな喜色が滲にじみ出ている気がしたのはきっと気のせいだろう。

「第一に備び蓄ちくと救きゆう荒こう作物の生産準備を進める」

「食しよく糧りようの確保、ということですか?」

 拍ひよう子し抜ぬけという程ほどではないが、きょとんとして聞き返された。乾けん坤こん一いつ擲てきの策を期待していたのだろうか。

「食糧は人々の根幹をなす要素だ。エルドリア城下の下層街では、日々の糧かてすらも得られない貧ひん弱じやくな人間も多いと聞く」

「……はい。冬季の餓が死し者しやに頭を悩まされているとお聞きしたことがあります」

「その原因は銀山に頼りきりで他の産業が育ちにくいことだ」

 育ちにくい、というよりは衰すい退たいしたという方が正しいだろうか。

「銀山の代わりの働き口が少ない、ということですね」

 公都エルドリアにおいては、銀山労働以外の仕事が決して多くはない。他の産業に従事するほとんどは中層街の住人であり、貧ひん困こんに喘あえぐ下層街の住人の多くが銀山で働く以外の選択肢を失ってしまうのだ。明確に身分が区分されているわけではないが、街区ごとに生活水準の優ゆう劣れつがはっきりとしている現状は分断を加速させ、下層街の住人にとって足あし枷かせになってもいる。

「銀山労働は過酷を極める。極ごつ寒かんの冬を生き抜ぬくためにはただでさえ大きなエネルギーを必要とするんだ。にも拘わらず、この国はこれまでその生命源となる食糧の大半を、王国からの輸入に頼っていた」

 当面の食糧調達は帝国から行うし、アレオンもその方向で動いている。だがその調達経路は俺がいずれ断たち切るつもりだ。だから将来的には他国からの供給依い存そん度どを減らし、国内だけでもしばらく糊こ口こうをしのげるくらいの体制は整える必要がある。

「それを遮しや断だんされたらこの国は立ち行かない、と?」

「そうだ。もし他国の援えん助じよがなければ、この国にとっては食糧輸出の遮断が致ち命めい的てきな策になる」

 現状は依存先が王国から帝国に移っただけで、依存が解消されたわけではない。

 こうした部分に鈍どん感かんなのは、王国の属国という立場上、これまで食糧輸入が無くなる懸念が皆かい無むだったからだ。

 銀山という金のなる木を持ちながらもこの国の財政が芳しくないのには、食糧輸入に財源を割さいていることも一因になっている。

 無論、それ以外に要因はたくさんあるのだが。様々な要因が複合して、結果的に毎年少なくない数の餓死者を出してしまう問題に繋つながっている。

「支援を打ち切られる前に大量に備蓄すると?」

「備蓄だけではとても全体に行き渡わたらない。だから救荒作物が必要だ。まずは種たね芋いもを確保し、農地の目星をつけ、開かい墾こんの人員を募つのる」

 食糧の確保のみならず、雇こ用ようの確保にもなる。シャロンはやや驚おどろいたように目を見開いてから、誇ほこらしげに口くちの端はしを持ち上げた。

「一手二手先を読んだ策、御お見み逸それしました」

 おべっかにはとても聞こえない、本心からの言葉に背中がむず痒がゆくなる。

 俺はいくつかの腹案を残しつつ、ひとまずは第一の策を急ぎ進めるべく、現地視察に出向くことにした。


◆


 俺は視察のためシャロンとコンラッドを引き連れ、公都の丁度南に位置する都市・セーラムのすぐ近くにある村を訪おとずれていた。

 救荒作物とは気候が芳しくない環境下でも育ちやすい作物のことで、現代ではジャガイモやサツマイモが例に挙げられる。この国では円えん錐すい形けいの芋いもがクラガ芋という名めい称しようで呼ばれているようだが、他の国ではほとんど見られないため、おそらく寒い地域を好むのだろう。荒あれた土地でも構わず生長するため、救荒作物にはうってつけだ。

「村長。クラガ芋の種芋、貰もらっていくぞ」

「……つかぬことをお聞きしますが、それを如何いかがするというので?」

「食べる」

「そ、それを食べるのですか!?」

 村長は信じられないものを見るように目を見開いている。

 クラガ芋の表面はゴツゴツしていて、見るからに病びよう原げん菌きんか何かに冒おかされているように見える。事実、毒があるからこれまでは食用にできなかったのだ。

 コンラッドに指示して事前に取り寄せていたが、実際思っていたよりも数段変な見た目をしていた。中身には青みがかった緑色の斑はん点てんが点在していて、生の状態では食欲を殺そぐものだった。熱を加えても毒が消えず、食べた者は皆みな半月ほど腹痛や高熱に苦しんでいたそうだ。

「食べた人間が毒にあたったのは、下処理が十分でないからだ」

「下処理、にございますか?」

 クラガ芋に毒があることは聞いていたので、俺は視察に先立ってキャッサバの毒どく抜ぬき法を参考に、毒抜きの実験を行った。まず皮を完全に除去し、綺麗な水に浸つけてから、熱を加えて調理する。

 毒見しようとする俺をコンラッドが全力で止めてきたので、高額な報ほう酬しゆうを出して代わりの毒味役を募ぼ集しゆうし、実験を行うことにした。

 結果、毒が抜けるまで八日間水に浸ける必要があると判明する。念には念を押おして、十日というのを毒抜き完かん了りようのラインとして設定することにした。

「こればかりは食べてみるのが手っ取り早い。おい、頼たのんでいたものは用意できているな?」

「はい、抜かりなく」

 シャロンが大きめの木箱を手て渡わたしてくる。中には下処理を済ませたクラガ芋のほか、油や調味料などが詰まっていた。

「毒抜きをしたとしても、この芋はそのままでは食べられない。調理が必ひつ須すだ」

「……殿でん下かが作られるのですか?」

「俺が作るのはおかしいとでも言いたげだな」

 俺が自分で支し度たくを始めると、シャロンから心底意外そうな視線が飛んできた。

 勿もち論ろん、シャロンに指示して作らせた方が上う手まくできるのは確かだろう。だが比ひ較かく的てき簡単な料理なので、自分で作ってみたかった。調理の方法はいくつもある。油がいの一番に頭に浮うかんだが、貴重品だから、救荒作物の調理方法には相応ふさわしくないだろう。となれば蒸むすのが一番良さそうだ。

 俺はクラガ芋を事前に用意していた蒸し器きへ投入し、熱が通った頃ころ合あいを見計らって取り出した。

「食ってみろ」

 俺は全員に食べるよう促うながす。村長は特に抵てい抗こう感を見せていたが、二人が躊躇ためらいなく齧かじったのを見て、意を決して口に放ほうり込んだ。

「毒があると聞いていたので食べたことはなかったのですが、これは美お味いしいですな!」

 コンラッドが驚きよう愕がくして再び口に芋を運んでいる。

「本当ですね。甘みもあって美味しいです」

 シャロンも口元を上品に隠かくしながら丁てい寧ねいに咀そ嚼しやくし、その味に目を見開いている。

 俺も続いて食べてみるが、最初に食感の固さとシャキシャキ感がやや気になったが、微かな甘さが口に広がる。ただ、サツマイモのように蒸すことで甘みが大きく増すかと期待してみたが、かなり抑おさえめな印象だった。

「……期待外れだな。もっと甘いと思ったが」

 意図せず、物足りなさが口こう端たんから溢こぼれると、

「殿下?」

 シャロンが俺の顔を訝いぶかしげに覗き込んできた。今の呟きが聞こえたというのだろうか。

 まったく耳みみ聡ざとい……。

「いや、なんでもない」

 もちろんこのままでも十分食べられるし、救荒作物と考えれば味も申し分ないだろう。ただ、もっと美味しく食べられるはずという期待もあった。現代と比べて遥はるかに調味料に乏しく、食べ方も大きく限られてしまうのは残念だ。

「殿下は甘いものがお好きでしたか?」

「……どうだかな」

 聞こえない声で呟いたつもりだったが、シャロンはしっかりと聞き取っていた。俺は返答に窮きゆうし。変な誤ご魔ま化かし方をしてしまう。

 甘いものは大好物だ。だがそれを口に出すのが憚はばかられたのは、ヘンリックの性格が影響してだろう。砂糖は貴重品なこともあり、これまで甘いものを要求しては来なかったし、贅ぜい沢たくするくらいなら、その分節制して懐ふところにしまっておくのを是ぜとしてきた。

「申し訳ありません。これまで甘いものがお好きだとはつゆほども思わず……。ただ食事に付け足すとなると予算が少し厳しいですね……」

 大公家に限らず、この大陸では食事に金を費ついやす貴族が多い。自分の食事が財政を圧あつ迫ぱくするのは嫌いやだったので、予あらかじめ食事の予算に目安を設けその範はん囲い内ないでやりくりするよう申し付けていた。

「だから別に甘いものが好きなどとは言ってはいないだろうが」

「いいえ、最初から殿下が甘いのを期待していたのは見ていれば分かりましたし、食べてみて退たい屈くつそうに眉を下げておられました。そもそも、好きでないのなら殿下は私の質問を否定するはずです」

 ただでさえ感情の起き伏ふくが薄うすい俺の表情を、これほどまでに正しく見極めるのは、シャロンの観察眼がどれほど優すぐれているのかを示すものだった。

 前々から分かってはいたが、シャロンは会話スキルが非常に高い。隙すきを見せれば、即そく座ざに付け込んでくる。この抜け目のなさは、交こう渉しようなんかでも確実に活いきるだろう。

「使用人として主の欲ほつするものを用意するのは使命ですから。本当は誰だれにも教えてはいけないと母から釘くぎを刺さされていたのですが、私の母は砂糖液というものを作っていたそうなんです」

「砂糖液?」

「北部にアルデンヌの森という広大な森が広がっているのはご存じの通りですが、そこにはシュフィアンと呼ばれる木が至る所に群生しています。ラプト村ではその木から出る甘い水を加工して、貴重な糖分として摂せつ取しゆしていたそうです。殿下の役に立てるのなら、ぜひ使っていただければ、と」

 そう言って、シャロンはポケットから小さなポーチを取り出し、四つ折りに畳たたまれた古びたメモを中から摘つまみ上げて手渡してくる。シャロンの話から大体察することはできたが、砂糖液とはメープルシロップのようなものだろうか。この国にそれに近いものがあるということになる。

 樹液の九十八%は水であり、残りの二%にのみシロップの成分が含まれている。これを濃のう縮しゆくして加工することで甘いシロップが生まれる。そして樹液は一年のうち僅か十数日程度の期間しか採取できないものだ。

「殊勝な心がけだ。このメモにも書いてあるが、冬の終わりに甘い水を採取できるようだな?」

 寒暖の差が最も大きくなる冬の終わり頃ころに樹液を流出するというが、この国だと五の月ビルタナの僅かな期間になるだろうか。シロップの採取方法は非常に簡易で、木に穴を空けるだけで勝手に流れ出てくるものだ。煮に詰つめて濃縮することでドロドロとした甘あま味みの多いシロップになる。シロップは水分を飛ばすことで固形の砂糖にも変身する。

 この世界ではまだ砂糖は高級品で、上層街の人間が好んで消費している嗜し好こう品ひんだ。砂糖を他国に輸出すればこの国の重要な産業になる可能性が高い。

 アルデンヌの森は一応領土という扱あつかいになっている。一応というのは、森の北側が気候変動により永久に雪が溶とけない極寒の地になっており、あまりの寒さに人は立ち入らないからだ。シャロンの母親も気候変動で村を出ざるを得なくなった。

「ただ砂糖液は大量の樹液を濃縮する必要があるので、そのまま運うん搬ぱんするのは難しいですね」

 シャロンの言う通り、大量生産を行うためにはいくつか障害がある。まずは運搬路だ。アルデンヌの森に入るためには切り立った崖がけを登る必要があり、気軽に入れない場所として広く知られていた。それがラプト族以外に砂糖液の存在が知られていない要因だろう。そして濃縮する前の原液は量が多く、人力で運ぼうとすれば莫ばく大だいな時間と労力を要する。

「地図はあるか?」

「は、はい」

 大公国全土の地理が描えがかれた地図をシャロンから受け取る。現代のように衛星から正確な地形などを把は握あくできるはずもないので、あくまで参考程度ではあるが、どこか運搬できるようなルートがあるかもしれない。

 地図と睨めっこしていると、ふと銀山が目につく。

「そうか、銀山があったな」

「銀山?」

 シャロンは脈みやく絡らくもなく俺おれの口から飛び出た言葉に理解が及およばない様子だ。

「銀山は地中深くまで坑こう道どうがある。内部には確か、人を地中まで運ぶ昇しよう降こう装置があったはずだ」

 この国ならではの強み。銀山の存在が後あと押おしして生まれた昇降装置だった。無論、現代にあるエレベーターどころか、明治時代頃にあったそれにも遠く及ばない粗そ末まつなものだ。だが人一人分を運ぶための簡易な昇降装置ならば確かにあった。

「崖の高さはどれくらいだ?」

「三十レンチほどかと」

 この世界では、人一人分を一レンチとしておおよその高さを測っている。人によって身長は異なるので一いち概がいには言えないが、おそらく五十メートルくらいだろう。

「その程度の高さであれば崖に設置するのも不可能ではないだろう」

「なるほど。森で採集した樹液を、昇降装置で崖がけ下したにつくった工場まで運び加工する、ということですね」

 シャロンは納なつ得とく顔がおで感心する。

「そうだ。まだ樹液採取の時期までは時間がある。それまでに昇降装置の製作を依い頼らいし、工場の建設も進める必要があるな。作業員の雇用、教育だって必要だ。やることは山積みだぞ」

「承知の上です」

 シャロンは望むところだと言わんばかりに微び笑しようを浮かべる。話が一段落し、俺は少し離れた場所にいた村長を手招きした。

「村長、ひとまずクラガ芋の有用性が少しでも分かったはずだ。この村でも大量に育てさせろ。いいな」

 近くに寄ってきたところで指示を出す。可能な限り土地を開墾し、種芋を植えさせるとしよう。

「しょ、承知致しました!」

 村長は身を強張らせて平へい伏ふくするばかりだった。