帝国軍人の朝は早い。いや、正確に言えば「元」帝国軍人だがそこは些細な問題であり、今はどういう訳かモンスターなどをやっている。何処にでもいる学生から卒業と同時に徴兵され、新兵へとジョブチェンジするべく日々訓練に耐えていたところ、とある科学者のお誘いに乗ってしまった結果である。
「それが国のため、帝国臣民を救うためとなるならば、喜んで協力致しましょう!」
科学者の甘い言葉に惑わされ普段の俺なら絶対に吐かないであろうセリフを言ってしまった結果、帝国兵にジョブチェンジを通り越し、見た目灰色のトカゲと人を合わせたようなゴツゴツしたモンスターへとクラスチェンジ。
「誰がここまでしろと言った?」と、その変貌っぷりには幾度もガオガオと泣いた。まさか人を辞めることになるとは思っていなかった、と後悔して騙した科学者をボディビルダーも真っ青なこの太い腕で刈り取ってやろうかと本気で考えるが、目覚めた時には二百年という月日が流れ、最早関係者は誰も生き残っていないという状況。
(もうこの姿で生きていくしかないのか?)
そんな諦めの境地でサバイバルを開始したところ、思いの外この体のスペックが高いことが判明。と言うか物凄くハイスペックだった。流石帝国技術、コールドスリープと言いよくわからんのにとにかく凄い。ところがその帝国も既になく、俺はこうして一帝国軍人として誰に命令されるわけでもなく職務に勤しんでいる。
人の営みが消えた土地は自然に還る。元帝国領の西側──それもエルフが治める共和国との境目である川の付近。そこから見える小さな崖の中腹に丁度良い窪みがあったため、そこを仮拠点へとするべく拡張し、ここを中心にエルフの活動範囲を調査しつつ、情報収集に勤しんでいる。
結局前線に出ることはなかったとは言え、帝国が周辺国全てとの戦争でただ一国、共和国方面の戦況だけが芳しくなかったことは知っている。恐らくは自分もそちらに投入されることになるだろうとの予想はあったが、まさか二百年後……しかもモンスターとなって訪れることになるとは一体誰が想像できただろうか?
帝国に唯一辛酸を嘗めさせたエルフ国家──それを脅威と認識し、偵察を行うのはモンスターとなってしまった我が身には必要な措置である。故に、こうして朝早くから川の向こうを望遠能力を駆使してまで監視しているのだ。目下の目的は仮拠点が安全か否かの判断材料を手に入れることにある。
急造とは言え仮拠点。失うのは惜しいし、そこに住み着く何かがいると警戒されるのもまた面倒。この周辺にモンスターの姿が見えないことから、最悪は未知の存在を排除する流れとなることにある。現状エルフの戦力が如何程なのかは不明であり、今は発見させないよう動く必要があるという訳だ。幸いにしてこの「擬態能力」や「望遠能力」のおかげで見つかる恐れはなく、こうして偵察任務に邁進している。
(と言ってもまだ二日目。成果を焦ることはない)
何せ俺の視線の先には川がある。自然と共に生きることを謳うエルフがこの澄んだ川を利用していないとは思えない。故にここを中心に活動するのだ。そんな訳で川の上流下流を行ったり来たりしているが、中々エルフの姿を見つけることができない。まるで希少生物を撮影するテレビ番組のようだ。
しかし二日目ともなれば多少なりとも地形を覚える。即ち「そこに出入りする者がいない」とわかっている場所はさっさと通り過ぎるということだ。流石にエルフと言えど、明らかに利用するには適していない地形を好き好んで使うとは思えない。なので人間目線で利用しやすいポイントを探し、そこを重点的に監視しようという算段である。
現在、見つけている監視ポイントは合計七か所。このうちの二つか三つはアタリだろうと予想しており、前日のように動き回るのではなく、隠れることができる場所を探し、そこから動かずに監視するのが今回の方針である。
(できれば川を越えておきたいが……対象はエルフ。魔法のスペシャリストが相手となれば、不用意な行動は厳禁だ)
気を引き締め、姿を隠して川の向こうを見やるも、何もしないというのは暇だ。かと言って下手に動き回ればエルフに姿を見られる可能性がある。森というフィールドは彼らに利するところである。加えて魔法というこちらの知識にないものまであるとなれば、慎重すぎるくらいが丁度良い。全く以て反則染みた種族である。
そんな訳でしばらく身を隠していたところ、視線の先で何かが動いた。俺は即座に望遠能力を使用する。エルフ──それが五人も確認できた。しかも全員が「エルフ」というイメージからかけ離れた分厚い筋肉を纏った男達である。
(これは……エルフの戦士か!)
帝国兵さえ恐怖したという屈強な戦士達がこちらに向かって来ている。会話をしている様子は見て取れるが、残念ながらエルフ語には精通しておらず、さらに距離があって聞き取れないこともあってか何を言っているかは不明である。しかしながら五人もの戦士が共に行動しているとあっては見逃すことなどできない。彼らの動向次第では仮拠点の放棄すらあるのだ。
俺は気配を消すことに集中し、彼らの挙動を見守った。逃走も視野に入れ、望遠能力を駆使して彼らの一挙一動を油断なく観察する。防具はなく軽装ではあるものの、その手にはしっかりと弓や槍が握られており、彼らが戦闘に関わる者であることは明らかである。
(彼らの戦闘力がどれほどのものか確認したいが……今はそこまで求めるべきではない)
前日から十分に考えた末に出した結論が「エルフの行動範囲の確認を最優先とする」という指標である。その場の思いつきでの計画変更は容認できない。よってこの場から動かず監視に徹する。たとえ彼らがこちらに気づきそうであったとしても、完全に気づかれるまでは不動を貫く。固い意志を以て挑む俺に気づくことなく彼らは森を抜ける。
(川の周囲には不自然なほどにモンスターの気配を感じなかった。そして武装したエルフがここにいるとなれば……恐らく彼らは
これまで得た情報からの推測だが、この結論には少しばかり自信がある。そもそもエルフというのは元来領土内に引きこもる種族である。稀に外へと出る者もいるのは確かだが、それらは総じて若い個体であり、若さ故の行動力であることはエルフ自身が認めている。一部の例外を除きさえすれば、エルフは基本的に自国内で完結しているのだ。言ってしまえばエルフが領土と認識している境界さえわかってしまえば、安全な拠点を確保できたも同然である。
(さあ、職務を全うするが良い! 貴君らが義務を果たした時、俺の生存圏が確立される!)
発見した瞬間は「あ、ちょっとヤバい連中発見したかも」と弱気になってしまったが、冷静になってみればまさに「ご都合主義万歳」と言いたくなる結果である。川へと辿り着いた彼らの視線にも気を配り、いつでも擬態能力を発動できるように備える。違和感を感じ素振りを見せたなら、即座に使用するつもりである。
エルフの一団の一人が突出して川へと入り振り返る。どのような会話がなされているかは不明だが、談笑しているのは間違いなく、隠密行動は問題なく継続可能であると判断。彼らの次の行動を窺っているとそのうちの一人が手にした槍を岩の上に置いたのだ。そして他の者達がそれに続く。
「ここで休憩を取るつもりか」と俺は内心舌打ちする。見ようによってはこの場所が中継地点である。この状況は決して良くない。俺の姿が人間であったならば冷や汗が一筋流れていたことだろう。だがそんな俺に気づくことなく、男達はその身に服を脱ぎ始めたではないか。
(ここで武装解除だと!? つまり川はエルフにとって安全圏ということか!)
これはまずいことになった。仮とは言え拠点放棄の危機である。警備を担当する者がエルフの領内ギリギリにある川で無防備になるだろうか?
答えは否──今俺がいる場所ですら危うい状況である。しかも今、俺が動けば発見される恐れがある。擬態能力を使用すれば最悪の事態は避けることができるだろう。しかし、それでは目的を達成することはできない。そして擬態して逃げるのであれば、今である必要がない。
(リスクは大きい。慎重を期すべきならば、ここで立ち去るべきだが……)
もしも彼らが川を越えてもこちらに向かってこないというのであれば、擬態能力を温存していれば追跡するという選択肢も生まれる。こちらはリスクに見合ったリータンだ。既に拠点放置の一歩手前の状況だ。これ以上の損失は西側からの撤退という選択も余儀なくされる。故に、俺はこのままここに居座ることを選んだ。
俺の考察と逡巡など知る由もないエルフ達は服を全て脱ぎ捨て川へと入っていく。休息と呼ぶにはリラックスしすぎであるようにも思えるが、自然崇拝が強いお国柄なのでこの光景が果たして異常なのかは判断が付かない。しかし何が悲しくて筋肉エルフの裸など見なくてはならんのか?
彼らの動向から目を離すわけにはいかないので仕方がないのはわかる。だが、正直に言うと目の前で繰り広げられる全裸マッチョエルフ達による筋肉の競演など見たくもない。
(見たくない……しかし連中の動きを見ておかなくてはならない!)
流石に距離があっては自慢の耳でも動きを捉えることなど不可能だ。ポーズを取り己の筋肉を誇示する者。四つに組み、力比べをする者。彼らを称える者も審判役も全員全裸。しかもエルフなので美形なのがいっそ腹立たしい。
(何という精神攻撃……! エルフは今も昔を帝国人の頭を悩ませるのか!)
全裸のまま川で無邪気に戯れる筋肉どもを監視しつつ、苛立ちながら俺は思った。
「これ、見る必要あるの?」
そもそもの話、本当にこいつらはパトロール隊なのか?
それを疑ってしまえば根本から破綻する。唐突に始まったマッスルダンスから目を逸らし、俺は褒められた記憶のない頭脳をフル回転させる。周囲の手拍子に合わせて対面した筋肉がポージングを取る理解不能な遊戯について考えないようにしつつ、俺は一つの結論を出した。
(そうだ、見るのを止めよう)
一体どのような基準で勝敗が決まっているのか全くわからない遊戯を制した筋肉エルフが天に向かって両手の人差し指を伸ばす様を無視することに決め、俺は彼らが動くのを待つこと決めた。彼らが何者であれ、エルフだと言うのであれば、その行動範囲は情報である。
たとえ勝者の背中を全員でバシンバシンと平手で叩いていたところに、一人が尻を叩いたことで気色の悪い空気を醸し出していたとしても、情報は情報である。
(ああ……耐えるということはこんなにも辛いことだったのか……)
なまじ耳が良いから聞こえてくる声に、俺は耳を塞いで
どれほどの時間が経過しただろうか?
筋肉の筋肉による筋肉のための祭典が終わりを迎え、一行は何事もなかったかのように森に帰って行った。「お前らパトロールはどうした?」と心の中で叫ぶ気力すら尽きていた俺はぐったりとして仮拠点へと歩いて戻る。そんな時──俺の耳は確かにその声を拾った。
反射的に顔を上げた俺は直ちに現場へと急行する。勿論大きな音を立てぬよう細心の注意を払いながらである。そして望遠能力を使用した視界の先には一糸まとわぬ姿で水遊びをするエルフ達の姿があった。勿論のことながら全て女性。見た目は十代半ばから二十代前半の美女・美少女が入り乱れているではないか!
例えるならば桃源郷──もしくは成人してから見る女風呂。俺の気力は全回復した。
(俺の、任務は、無駄ではなかった)
ホロリと流れてもいない涙を拭う仕草をしつつ、擬態能力を使用して距離を詰めつつ隠れる場所を探す。しかし悲しいかな俺の巨体を隠す場所が見つからない。そうこうしているうちに彼女達は川から上がると帰り支度を始めてしまう。
(何ということだ! あんな筋肉なんぞに構ってしまったばかりに!)
俺は悔しさのあまり流れてもいない涙を呑んだ。しかしこれでわかったことが一つある。この川はエルフにとって安全圏であることは間違いない。でなければ女子供があのような無防備な姿で遊ぶはずがないからだ。
「仮拠点の放棄は決定か」と肩を落としたその時──何かを見つけた一人のエルフが何の前振りもなく魔法を放つ。その一撃は川に引き裂くように着弾すると、一匹の拳大のサイズの虫が水面に飛び出した。その直後二撃目を放ったエルフによって真っ二つにされ川辺へと落ちる。
(ああ、そういうことね)
二つに分かれた虫は言わば毒を持つ貝のような生物である。石を背負って擬態する習性があり、その毒性の強さから中々厄介な生物である。そんな虫を手で払うように石ごと真っ二つにしたのがエルフの少女──つまり、子供でもエルフは侮れない。少なくとも、この辺に生息しているモンスターが迷い込んだところで返り討ちにすることくらい造作もないことだと思われる。
だとすれば、一つの可能性が浮かんでくる。エルフにとって、脅威となるモンスターなど極一部であり、逆にモンスターがエルフを恐れて近づかないという可能性である。だとするならエルフの生活圏内に近いと思われるここいらで、モンスターの姿をほとんど見ないというのも頷ける。そうなると彼らの活動範囲の予想を再び修正する必要があった。
結論としてはもう少しだけ様子を見ることにした。その日一日を使いエルフが川を越えた痕跡を探し、川に来た美女や美少女を眺めつつ自分の予測を確かなものへと変えていく。
結論から言えば、エルフは川までを自国領土と認識しているらしく、それ以上先へと進む者はいなかった。これは見回りを行う武装したエルフが川に入らなかったことから判明したものである。やはりと言うべきか、あの筋肉集団は警邏隊ではなかったようだ。だとしたら彼らは一体何だったのか?
俺の中でエルフという種族の謎が深まったが、覗き──もとい監視ポイントを複数作成したことによる順調な任務遂行がこの謎を忘れさせた。そして俺は今日も監視任務へと赴く。こんな平和な日々が続くと良いな。