とある死刑囚の視点

世間一般の価値基準ならば、有体に言って俺の人生は糞だった。度を越した教育熱心な両親と、ご近所様とのマウントの取り合いが子に悪影響を及ぼすことなどごく当たり前のことで、それが引き金となり最悪な結末を迎えるというのはよくある話だ。

俺は所謂「不良」と呼ばれるグループにカテゴライズされるようになり、隣人の同級生に至っては「自殺」という形で諸々の事情に幕を下ろした。事ここに及んでようやく両親は自らの過ちに気が付いたらしく、弟の教育に関しては方向転換をせざるを得ない状況に追い込まれた。

隣人の自殺とあって、押しかけるマスメディアに対して焦燥しきった親は、持ちうる心許ないリソースの全てを弟に注ぎ込むことに決め、問題となった俺を「失敗例」として反面教師の如く扱った。幾ばくかの同情という感情で繋がりがあった程度の兄弟関係は破綻し、十五年暮らした家の中で、俺の居場所は次第になくなっていった。

思えば「この頃からだろう」という程度の意識はある。鬱憤を晴らすように喧嘩に明け暮れた。気づけば「家に帰る」という作業がなくなっていた。なので両親と弟が事故で死んだことを知ったのも、半年近く遅れてのことでだった。

顔も忘れた親族からは罵詈雑言の嵐だったことは覚えているが、何を言っていたのかは記憶にない。恐らくどうでも良いことだったのだろう。しかし、掴みかかってきた一人をぶん殴り、馬乗りになって殴り続けたところで口を開く奴は一人もいなくなっていたくらいのことは断片的に覚えている。

ただ、この一件で警察の世話になる羽目になった。こう言っては何だが、それなりに要領の良い人間だという自負はある。今まで様々な犯罪行為に手を染めていたが、実は捕まったのはこれが初めてだった。だから思った以上に話を聞く担当だったことが幸いし、簡単に言いくるめることができた。

「両親に家を追い出されていたのにどうやって事故を知れと言う? それどころかあいつらは俺を馬鹿にするだけなら兎も角、俺の両親や弟まで馬鹿にしていたんだ」

細部は違えど確かそんなことを言った記憶がある。人生であれ程空虚なセリフを吐いた覚えはないが、俺を担当した警察官は思うところがあるのか色々と手を回してくれた。結果として俺は「お咎めなし」となった。正確に言えば刑罰と呼べるものがなかっただけだが、それでも当時の俺としては十分だった。

「君さえ良ければ職を紹介するが……」

そんなことを言っていたお人よしの担当が、俺の初めての殺人の対象となった。憎かったわけではない。むしろ色々と便宜を図ってくれたおかげ助かったとすら言える。だが邪魔だった。この時の俺はもう真っ当な暮らしなど望んでいなかった。社会不適合者、或いははみ出し者。反社会的なマフィアや犯罪者と呼ばれる者となっていた俺に、あれやこれやと勧めてくる彼は邪魔だったのだ。

決定的となったのは俺の人間関係を調べ始めた時だ。はっきり言ってしまえば、俺の仲間はどいつもこいつも頭がおかしい。自分の犯した犯罪を面白おかしく自慢するもの。クスリをキメすぎてうっかり人を殺してしまったことが持ちネタの奴だっている。そいつらを知られるわけにはいかなかった。

さて、十七歳にして殺人犯となった俺だが……生活は特に変わらなかった。運が良かったのか目撃者がいなかったのだ。結果、彼は行方不明という扱いになり、時機を見て姿を消した俺は、仲間達から祝福された。人生で最高の瞬間だったと今でも思う。

そんなわけで俺の人生は決まった。この頭のイカれた阿呆どもと一緒に死ぬまでバカ騒ぎをして生きることにした。ただ、予想以上にその期間が長かった。俺はてっきり一年と経たず捕まることになるだろうと思っていたのだが、予想に反して俺達は捕まることはなく、色んな町で好きに生きていた。偽装工作が妙に上手い奴がいたことが、恐らく俺達の尻尾を掴むことができない大きな要因となっていたのだろう。

最初にやったのは強盗だ。これに関しては笑えるほど上手く行った。今でもあの時の金持ちの男の命乞いはよく覚えている。娘がブクブクと太った豚でなければ満点だったが、残念ながら母娘合わせた体重は俺達三人より重かった。痩せていた写真を見つけ三人で爆笑していたのは良い思い出だ。

腹を抱えて笑わせてもらったお礼に、二人のダイエットを手伝ってやった。二人合わせて五十キログラムくらいは肉をそぎ落としてやったところ、旦那さんは泣いて喜んでくれた。

「はっは! 俺達って案外良い奴だな?」

「ばっかやろう、最高って言え、最高ってな!」

危うく夜通し騒ぎかけて帰るタイミングを逃しかけたのも良い思い出だ。だが現金が意外に少なかったのは頂けない。貴金属に手を付ければ足が付く。なので現金だけを持って帰ったわけだが、一か月遊んだだけで消えちまった。ついでに一緒に行動する奴が七人に増えた。ここから先は、まさにスリルとサスペンスの順風満帆な日々だった。

他人の家に押し入った回数は確か三十七回。犯した女の数は覚えていない。数えている奴もいたんだが、当時の俺は女よりも金だった。数えるようになったのは、多分二十三歳の時だ。そこからの数なら九十七人。もうちょっとで百の大台に乗ったんだが、それ以前にも結構な数をヤってんだからまあいいだろ。殺した人数に関してはしっかり覚えている──六十六人だ。一時数を競ったことがあるので間違いない。

まあ、そんな感じで色んな町で暴れ回っていたんだが、やっぱり最後ってやつはやってくる。ダチの一人がしくじった。クスリの売買で囮にかかって俺達にまで手が伸びたんだ。逃走期間は大体三か月くらいだったと思う。あの時は金がなくなり、人目のある路上で襲うという杜撰ずさんなマネをした。言い換えればそれだけ俺は追い詰められていた。

ああ、この時にはもうダチとは散り散りになって逃げていた。後でわかったがほぼ全員捕まってたらしい。ちなみに俺は最後から二番目だ。最初の方に捕まったマヌケに自慢してやったぞ?

さて、そんなわけで俺の六年にわたる活動が終わりを迎えた。最後くらいは華々しいカーチェイスや銃撃戦ってのをしたかったんだが……生憎と盗んだ車がポンコツでな、数キロメートル走ったところでエンジントラブルで停止しやがった。ダチの一人に「ダッセ、俺なんか三時間カーチェイスしてたぜ?」とか言われた時はぶん殴ってた。あんた良く知ってるな。その時の騒ぎの原因だよ。

話を戻すが……ポンコツカーを蹴り飛ばし、俺は自分の足で駆け抜けた。警察を振り切り、手にした銃で最後のショータイムと行きたかった。だがここでも問題が発生しやがった。手にした拳銃がな、旧式だったんだ。いや、骨董品と言っても良いな。察しがいいな、あんた。その通り、俺の持ってる弾が使えなかった。

いや、確認しなかった俺も悪かった。それは認める。けどよ、今時あんな玩具を持ってるやつがいると思うか?

「ふざけんなボケが!」って思わず叫んじまった。それで居場所がバレてあっさりと捕まった。後はまあ、あんたの知ってる通りだろう。裁判の結果は死刑。予想通りと言いたいところだが、俺がやったことの半分くらいしか起訴されてないんだけど、どうなってんだ?

「ちゃんと全部調べろよ」と調書取ってる奴に笑ってやったら一人の男が掴みかかってきた。「なんだこいつ?」って思ってたら、どうやら俺が殺したと思われる中に知人がいたらしい。残念だが、それは俺ではなくダチの方だと言ってやったら無視された。それから事務的に「余罪がありすぎて刑の執行が遅れる」と言われたが、帝国警察はそれで良いのかね?

そんな訳で猶予期間を楽しむことにしたのだが、半年を過ぎた辺りで飽きてきた。そりゃそうだろう、毎日毎日同じことの繰り返し。たまに絡んでくる奴もいるが、どいつもこいつも普通なんだよ。たまに犯罪自慢をする奴もいるが、すぐに話が終わってしまう。

「俺なら丸一日話せるな」

そう言ってやったら鼻で笑いやがったから本当に一日かけて語ってやった。喉が痛くてもうやりたくねぇな。あの時は俺も意地を張っててなー、聞いておきながら「わかった、もういい」とか言いやがるから鼻をへし折って延々と聞かせてやった。親切だろ?

ああ、口調が崩れてきた。普段はこういう喋り方はしない方なんだ。油断するとすぐに地が出てしまうのは勘弁して欲しい。一応役作りで慣れてはいるんだが、やはり性に合ってないようでな……人間得手不得手というものがある。恐らく俺はお上品に生きるのが苦手だったんだろう。社会が悪いだとか、親が悪いだとかは言う気はない。俺は生来こういう人間だったんだろうな。

それで、だ……そんな俺に一体何を聞きに来たんだ、あんたは?



「人体実験、ね」

窓すらない隔離された一室──存在するのは一つ机と二つの椅子。目の前の黒服を相手に椅子に座って話を終えた俺は、提示された書類に目を通し呟く。

「言い方は悪いが、確かに言ってしまえばそうかもしれないな。だが技術自体は既に確立されており、成功例も幾つもある。実験という段階は既に過ぎていると言わせてもらおう。このままここで死刑を待つよりも、一つその命を有意義に使ってみる気はないか?」

「他人の玩具にされるのは気が進まないな」

対面に座る黒服「ふむ」と頷き、背後の扉が開くと黒服が新たに登場。手にした書類を渡すと部屋から出ていく。その中の一枚をそっと俺に差し出し、目で「見ろ」と言う。俺はそれに黙って目を通す。

「これは『お願い』ではないのだよ」

「軍人さんに命令される覚えはないなぁ」

鍛えられた肉体、それにこの物腰──恐らくは軍関係者だと当たりを付けていたが、今のセリフで確信が持てた。こいつらは「やばい」奴らだ。最も関わってはいけないタイプの人間であることは、最近になって起こした事件の全貌が明るみになり始め「シリアルキラー」と称されるようになった俺でもわかる。

(軍関係……それも非合法かそのギリギリで活動する連中。俺らの犯罪が霞んで見えるどす黒い悪意の塊。こりゃまずいな)

そんな連中に目を付けられた。恐らくダチの方にも行っていることだろう。と言うよりまず間違いなく話は行っているはずだ。そして最高に頭のイカれたあいつらのことだ。条件付きで快く引き受けているのは容易に想像が付く。

「一つ聞きたい」

俺が机の上に身を乗り出して質問の許可を求める。対面の黒服が頷き、俺は頭の中で質問する内容を整理する。

「この『キメラ計画』だったか? それの被験者になったとして、だ」

一度言葉を区切り、俺は最大の懸念材料を口にする。

「俺の意識は人間のままか?」

一瞬の間──本当に僅かな空白の時間。それを見逃すほど、俺は殺しを雑にやってきていない。

「勿論だとも」

黒服は笑顔を作ってそう言った。

(嘘だな。だがそれを口にしたところで状況が良くなるはずもねぇ)

俺は姿勢を戻し、椅子に背中を預けると「わかった」と短く答える。

「商談成立だ。俺をここから出してくれ」

俺は手を伸ばし、黒服がその手を掴んだ。囚人達の視線を背中に集めながら悠々と監獄から出る。車に乗せられ、目隠しと手錠を付けられた後、体感二時間ほどの移動をした後に地下へと入る。そこで車を降り、しばらく歩いたところで扉を幾つか潜る。そこで目隠しは解かれた。

黒服二人に連れられた場所は如何にも「研究室」と呼ぶに相応しい地下施設。道中暇だったので他の連中について尋ねてみたが「答えることはできない」の一点張りだった。残念ではあったが、施設内部を見る限り中々楽しそうなことをやっているようで、そのことはすぐに忘れてしまう。

「ああ、それに興味があるのかい?」

ふと立ち止まって見てしまった先にあるものは、標識に「サンプル四四五号」と書かれたケースに入ったネズミとタコを掛け合わせたかのような奇怪なオブジェクト。そんなものが展示されていた。

「それは初期のものでね。一つの基準となった非常に意味のあるものなんだ」

粘土細工を無理矢理くっつけたような異形を前に、笑顔でそう言った黒服は実に誇らしげであった。その姿を見るに、この男もここで行われている研究に何らかの関わりがあるように思える。

「その言い草だとあんたもこの研究に関係があるように聞こえるが?」

明らかに研究者の体つきではない。それとも最近は健康に気を使うものなのだろうか?

「ん? ああ、そういうことか。研究そのものには関わっていない……が、素晴らしいとは思わんか?」

黒服の物言いに一瞬背筋に冷たいものが走る。言うならば「嫌な予感」というやつだ。

「帝国の技術はここまで進んだ! 遺伝子と呼ばれる肉体を構築する情報。詳しい話は専門外だが、これを操作することで人間は如何なる病気も克服できるという」

言っている内容とあまりにかけ離れたオブジェクトを俺は見る。どう見ても病気の克服のためのものではないことは明らか。いや、何をしようとしているのかさえ想像できてしまう。

「なるほど、その遺伝子とやらを変更することで、ああいったモノが出来上がるわけだ」

「素晴らしいと思わんか? この技術が進めば、帝国は多種多様の動物が持つ能力すら手に入れることができる」

黒服の口調に熱が帯びる。高揚しつつある男は話を続け、如何に帝国のこの技術が優れているかを並び立てるが、不意にその口が止まりこちらを見下ろす。

「しかし、だ。ここにあるのは到達点ではない」

「……その到達点とは?」

異質、もしくは異様。自身のことでもあるが、目の前の黒服は明らかに違う。「刺激するのは拙い」と俺の直感が囁いた結果、そんな言葉を絞り出した。

「我々の最終目的は『寿命の克服』だ。まるでエルフ……いや、それ以上の長寿が約束された未来! 最早我々帝国人を他国と同じ人類とする訳にはいくまい。そう『新人類』とでも呼ぶべきか?」

嬉々として語る黒服を見て理解した──こいつはやばい、と。

(思想が完全にそっち方向にぶっ飛んでやがる。こりゃまともに相手をするのは無理だ。あー、ヤダヤダ。こういう奴は生理的に受け付けねぇわ)

再び歩き始めた黒服に付いていくが、施設の職員は誰もこちらを見ようとしない。忙しなく動き回っているのでその余裕がないと見るべきか?

「それとも……」と思考を巡らせていると白衣の男が足早にこちらに近づいてくる。

「やあ、大尉。新しい被験体を用意してくれたと聞いて飛んできたよ」

笑顔で手を上げて歓迎を示した男は痩身の三十代半ばの如何にも「研究者」といった恰好をしていた。

「博士、彼が少し前に話題となっていたシリアルキラーです」

そう言って黒服が一枚の紙を博士と呼ばれた白衣の男に手渡した。

「ほうほう……健康そうだ。実にいいね」

大尉と呼ばれた黒服が「結構なことです」と相槌を打つと背を向け軽く一礼。

「では、お届け物は済みましたのでこれで……」

「もう行ってしまうのかい?」

名残惜しそうに言う白衣の男に「次の被験体探しもありますので」ともう一度軽く礼をして黒服は去っていく。結局一度も後ろにいたもう一人の黒服は喋ることはなかった。

「次は第三と第四に取られないようしておくれー」

後ろからかけられる声に反応することなく黒服は去っていく。

(第三、第四というからには恐らく研究所。あいつらはそっちに回された、ということか)

今は役に立つ情報ではないが、覚えておいて損はないだろう。しかしあの男がいなくなる、というのであれば幸いだ。世間知らずの研究者ならば騙すことは難しくはない。

「博士、で良いですかね?」

俺の言葉に「いいとも」と白衣の男が頷く。

「先ほどの黒服の男のことを『大尉』と呼んでいましたが……」

「ああ、彼は戦場で膝に矢を受けてしまってね。それが原因で前線から下げられたのさ。愛国心の強い男でね、戦場に出ることができないことを今も嘆いているよ」

予想通りの人物像だが、どうやら怪我をしていたようだ。そんな素振りは一切見せなかったが、それを知っていれば道中でどうにかできていたかもしれない。

「それで早速なのですが……『キメラ計画』についてお聞かせ頂きたいのですが?」

俺の言葉に博士は嬉しそうに頷く。

(やはり世間知らずは扱いやすい)

そう思いながら心の中で笑うと、博士は周囲を見渡す。

「ここではなんだ、付いてきなさい」

俺は頷き歩き出す博士に黙って付いていく。同時に動き出す気配が二つ。恐らく銃を所持していると思われる。「迂闊な行動はできないな」と前を歩く博士とは一定の距離を保つ。しばらく歩き続けると明らかに先ほどとは雰囲気の違う場所へと変わった。

「ここは……」

「説明を前にこれを見せた方が早いだろうと思ってね。まあ、黙って付いてきたまえ」

そうしてそこから二分ほど歩き、気が付けば俺の後ろには二人の男がいた。博士が扉の前で立ち止まると両腕を掴まれる。反射的に振りほどこうともがいてしまったがピクリとも動かない。

「君はここから軍事機密を見ることになる。悪いが少し大人しくしてもらうよ?」

「……そういうことですか」

今はまだ従順なフリを続ける方が得策だ。何よりこの二人の男から逃れるのは至難の業である。「上手く武器を奪えれば……」と思ったが、こんなところにいるガードマンがその程度を考慮していないとは思えない。

「先に言っておこう。驚くぞ?」

博士は嬉しそうに扉を開けた。

「……え?」

開いた扉の先にあるガラス越しに、一匹の見慣れないモンスターがいた。何もない簡素な白い空間に佇むそれは、一言で言えば大きなタコ。紫色の体をゆっくりと動かしこちらを見ている。しかし、だ。

「これの何を驚けと言うのか?」

思わず口から出かかった言葉を呑み込む。ただ大きなタコのようなモンスターが陸上にいるだけである。しかしそんな感想を抱いたのも束の間、扉の中に設置されたスピーカーから音声が流れる。

「彼が次の犠牲者ですか、一体何をやらかしたので?」

それが誰の声なのかはわからない。ただ猛烈に嫌な予感がした。

「犠牲者とは人聞きの悪い……それと、彼は少し前に帝国内で話題になっていたシリアルキラーというやつだ。適役だとは思わないか?」

違う──そんなはずはない、と頭が理解を拒絶する。無意識に体がこの場から逃げ出そうとするも、左右の男達は力を強め放そうとしない。

「紹介しよう──」

「やめろ、その先を言うな!」と頭の中で悲鳴を上げる。だが、声を出すことはできなかった。

「彼が、君の知りたがっていた『キメラ計画』の成功例だ。他にもあるが、彼が一番近くてね」

大きなタコが姿勢を変え八本の足を開くと、本来であるならば口がある箇所をこちらに晒す。そこにあるべきはずの口は確かにある。しかしその中から人間の頭部がぬっと姿を現した。粘液に塗れた目を瞑ったままの頭部がこちらを向く。

「初めまして、新たな被験者。君がこちら側に来るかどうかは知らないが……まあ、もう会うこともないだろう。特に言うこともないのでこれで終わりだ。では、さようなら」

スピーカーから流れる音声は実に淡々としていた。口を開くことなく声を発していた人間の頭部を引っ込めると、タコ型モンスターはこちらにはもう興味がないと姿勢を戻す。同時に博士が退出し、俺はガードマンを振り解こうともがく。だがビクともしない。扉が閉まり、俯く俺の視界に白衣が映る。

「正気、ですか?」

「はっはっは、正気で戦争はできないよ」

予想していたものと全く違った。軽快に笑う白衣の男はそのまま歩き始め、俺はその後をガードマン二人に抱えられ連れていかれる。

(ふざけんな! 体の一部を変化させるとかそんなレベルの話じゃなかったのかよ!)

心の中であらん限りの罵倒をし、前を歩く博士を睨みつける。その視線を感じ取ったわけではないだろうが、博士が振り返りこちらを見た。

「あれはね、本来兵器となる予定だったんだ。まあ、あんなものを世に解き放つわけにはいかない、という理屈もわからんでもない。私も少々やりすぎたとは思っているよ。だから次はもう少しシンプルなものを作りたいのさ」

黒服は肯定した。「人の意識は保てる」と──だが、あんな姿にされるのであれば、いっそない方が幸せだろう。つまりあの時に一瞬の間は、こういうことだったのだ。

「なあに、現段階でも成功率は十%もない。運が良ければ生き残れる程度のものさ。だがデータは蓄積される。それにな、別に君が失敗しても私は特に気にしない。これを元に別の計画も既に進んでいるんだ。『遺伝子強化兵計画』と言ってな、こちらは従来のキメラと違い──」

「博士」

唐突に呼びかけられ、両手を口元に持って行くと俺の左側にいる男を博士が見る。

「おっといかん。研究者と言うのは得てして自分の成果に関してはおしゃべりになってしまうものだ。今後も引き続き注意を頼む」

「強制されるよりかはマシな扱いを受けるだろう」という俺の目論見は見事に外れた。いや、そもそも死刑囚に情けなどかける国ではない。フルレトス帝国とはそういう国であることを完全に失念していた。コツコツと廊下を歩く音が響く。そして、死刑宣告の時が訪れた。

「さあ、君と掛け合わせることになる生物はこれだ」

扉の前に立つ博士が笑う。開かれる扉から目を逸らすも、前方へと運ばれ強化ガラスに顔面を押し付けられる。同時に眼下にあるものが見えた。吹き抜けとなった部屋の下層に一匹の黒い大きな蜘蛛がいる。

「『デモンスパイダー』という。モンスター図鑑とか見たことはあるかね? 強力な毒を持つ大型の蜘蛛型モンスターだ。こいつから採取される糸は軍事利用が可能でな、引き取るには苦労したぞぉ?」

苦労話を軽く挟み「それなりに数がいるのにケチ臭いと思わんか?」と同意を求めてくるが、最早このマッドサイエンティストの言葉など耳には入らない。

「ふざけんな! 契約内容と違うぞ!」

俺の叫びに「契約なんてしていないだろう?」とマッドが笑う。

「こんなことをして、許されると思ってんのか!?

「君が言うかね、そのセリフを?」

マッドが背を向け、棚から注射器を一つ取り出す。何をしようとしているかはすぐに察したが、俺はガードマンに地面に押し付けられる。抵抗するが二人分の体重をかけられていては動くことも叶わない。

「クソ! やめろ! 聞いてんのか!?

唯一動かせる膝から下を出鱈目に動かすが何の意味もない。

「ふむ、これくらいか」

準備ができたマッドがこちらに向かって歩いてくる。俺は叫び必死の抵抗を試みたが状況は何も変わらない。

「殺してやるからな! お前らを、絶対に、殺してやる!」

俺のあがきにガードマンの二人が鼻で笑い。マッドが俺の首に注射器の針を押し付けた。

「まあ、頑張ってくれたまえ。生きていたらの話だがな」

その言葉を聞いた後、急速に失われて行く意識の中で、最後に俺は何かを言っていた。

「……うして、お……さ、ん」



それから約二百年後。一匹のキメラがとある研究施設跡で目を覚ます。

「おい、何があった!? これはどういうことだ!?

状況を把握した彼は周辺を破壊し、自分の姿にただただ絶望した。

「誰か答えやがれぇぇぇぇぇっ!」

叫びは施設内に響き、彼は孤独であることを理解した。また僅かながら残った電力でゲートを操作し、外に出た彼は報復すべき相手が最早いないことも察した。施設で得た情報、外部の状況から現実を正しく認識した結果、彼は一つの結論にたどり着く。

「そうかそうか、俺を止めるもんはもうねぇのか」

人間の上半身と蜘蛛の下半身を持つ彼は笑う。

「だったら、俺が貶めてやる」

帝国を、その臣民を、あのマッドを!

化物となったこの身を使い、この世界を恐怖に陥れてやろう。そして最高のタイミングで全てを暴露する。

「俺を生かしたことを後悔……いや、もう死んでんな。んじゃどうすっか?」

顎に手を当て考える彼は知らない。既に帝国の名声など地に落ちていることを……。