口を濯ぐ。一度、二度と水を吐き出すが、気持ち悪さがまだなくならない。と言うか口の中に何かいる、そんな気分が全く消えない。文明レベルの低い国では風呂なんて滅多に入ることはなく、水浴びすらほとんどないという壊滅的な衛生環境なのは知識としては知っていた。だが二百年経って猶そのままだと誰が予想したか?

(あー、何か虫がいる感じがしてならん。こんなことなら噛む場所他にするべきだった!)

適当に苦しんだフリをするつもりが本当に苦しませてくれるとは……あのオッサン今度会ったら絶対に殴ってやる。結局、瓶二本分の水を費やすことでどうにか落ち着いた。水の残りを考えると一度補給したいと思わないでもないが、いちいち川に行っていては埒が明かない。

ここは予定通りちょっくらカナン王国領内にお邪魔して、町を拝見させてもらう所存である。カナンの町を知ることで俺が眠っていた二百年間で技術水準がどの程度変化したかを推測できるようになるはずだ。と言うわけでルークディル跡を抜け、そのまま北上。明らかに人が通るために伐採され、道らしきものができている。恐らくではあるが、ここを通ってあの傭兵団はやってきたのだろう。

この道自体は何年も前からあるように見受けられるので、飛行船を南に飛ばしたことがあるカナンならば、領土拡張のためにこの辺一帯の調査に行ったことは想定するべきだ。とすれば、ここは既にカナン王国の勢力範囲であると思って行動した方が良さそうである。

(ただ森を切り開いただけの道とは言え、他にも通る人間がいるかもしれないと考えれば、道から外れた方が良いな)

下手に見つかって騒ぎを起こすのも面倒なので、道を外れて森の中をひっそりと進む。視界に映るものに人工物は未だなく、人影も気配も今のところはなし。念には念を入れて音や臭いには気を配っておくが、歩きながらとなると実は結構神経を使う。

気が付けば周囲を気にせず走っていた。いや、だって本当疲れるんだって。どうせあれだけわんさかゴブリンがいる拠点がすぐ近くにあったんだし、こんな場所に来る人間なんて余程のモノ好きでもない限りいない。

そうしてしばらく走り続けたところ、右手に人工物が見えた。よく見てみたところそれが城壁であることがわかったのだが、一つ疑問がある。

(こんな場所に町なんてあったか?)

俺が眠っていた間にできた町と考えるのが自然だろうが、また随分と国境近くに作ったものだ。いや、既に国境がなかったから前線拠点となりそうな位置に作ったと言うべきか?

脳内マップに町を書き込み観察を開始する。このまま北に向かうと森が途切れるので、この辺りは完全にカナンの領土となっているようだ。城門は北と南に存在し、北門の道は北西と北東に分かれている。

恐らく北西に行けば俺の記憶にある町に辿り着き、北東に行けば恐らく国境を守っていた砦があるはずだ。ちょこちょこと移動を繰り返し、見る角度を変えたりして町の様子を見ていると南門から数人の男女が出てくると、そのまま南へと進路を取る。

(見た感じ斥候せっこうっぽい? 森の調査員か、それともゴブリン退治の確認か?)

俺は彼らを見送るとどこかに高所はないものかと辺りを見渡すが、あるのはここよりずっと北。時刻は昼過ぎとあって、見通しの良い街道を突っ切るのも考えものである。擬態能力を使えば次に姿を隠せる場所まで移動できるとは思うが、その隠蔽能力も完璧ではない。

それならいっそ、北西にある町「グレンダ」に向かうのもありである。記憶が確かならば、山の上から一望できるような地形だったはずなので、現在のカナン王国はどのような暮らしぶりなのかを知るならば悪い選択ではないだろう。

「悩むな」と顎に手をやり町の観察を続ける。そもそもこの新しい町の規模は小さくはないが、大きいとは決して言えない。それならば当時賑わっていた町が二百年の間に発展を遂げていると考えた場合、そちらの方が参考としてはより多く物を得ることができる。

「この町に拘る理由もないな」と北西へと進路を取る。北部と違って発展が遅れているであろう地域なら、森林が十分に残っているので移動にも不都合はない。というわけで街道から少し離れた森を移動していたところ、血の匂いが進行方向の先から漂ってくる。擬態能力を使用し、音をできるだけ立てないようしつつ森を進むと、街道に六人ほど死体が転がっていた。

全員が武装していたと思われるが、その周囲に武器類は一切なく回収されたと思われる。また、わだちが森の中に入っており、ここで何が起こったかを示してくれている。

(賊が馬車を襲った、というところか。それで馬車が森の中に逃げ込んだ、もしくは誘導されたか、捕獲された)

護衛と思しき男達が死んでいる以上、捕まったと見るべきか?

このまま進めば間違いなく鉢合わせるか視界に入る。賊が襲う理由と言えば積荷。積荷と言えば食料である。

(その積荷に食料がある可能性は極めて高い。水は間違いなくあるはずだ。それに俺にとって有用な物があるかもしれない。行き先を考えるのであれば、南部開拓の最前線が必要としているもの……魔法薬とかもあれば良いが、なかったとしても積荷の中身は情報になる)

少し考えてみたが、積荷の横取りというのも悪くない。

(目撃者がいても消せば解決。こういう時にモンスターというのは都合が良いな)

相手は賊なんだから死んだところで誰も困らないし、俺も一応軍人として心傷まず殺せる相手だ。やっぱり新兵とは言え……いや、新兵だからこそ民間人に手を出すのは躊躇われるのだ。

というわけで荷物を置いて──「ヒャッハー! 賊狩りだー!」と擬態を解除し「ガッガー」と臭いを辿って馬車に突撃。視界が悪い森だろうが、嗅覚と聴覚に意識を集中すればいともたやすく発見可能。思った通り賊がいた。

(んー、全部で十一人か……いや、馬車の中にも何人かいるな)

帆があって中は見えないが四、五人はいそうな感じがする。多少増えたところで変わりはないので気にせずそのまま馬車に近づくと、ようやく俺に気づいた賊が声を上げて周囲に呼びかける。

俺の登場に賊は面白いくらい狼狽うろたえながら各々が武器を取る。だが三人ほど逃げ出しており、一人が何か叫んでいる。ある意味では非常に賊らしい行動なので、その潔い逃げっぷりに免じて見逃してやろう。

残った八人が武器を構えるが、これには俺もがっかり。見た目でわかる何の変哲もない鉄の装備なのだから、俺を傷付けるとかどう考えても無理である。だが一人が馬車に向かって叫ぶと、出てきた身なりの良い太った男が持っていたのは大きなクロスボウ──所謂「アーバレスト」というものだ。

威力、射程が従来のクロスボウに比べ向上しており、賊が持つには少々不相応な武器である。金属製の弦を用いる物もあり、二百年前は一部の国が戦争で使用しており、俺も訓練時代に注意喚起を受けていた代物だ。

しかし、今となっては「だからなんだ?」というレベルの話なので気にせず前進。奇声を上げて切りかかってきた男を裏拳で木のシミに変え、手斧を振りかぶった奴も強めに叩くと首が二百七十度くらい回転して崩れ落ちた。

指示を出している奴がいるのでそいつは後にとっておき、武器を捨てて逃げ出した者にはお仕置きの投石。練習の甲斐あって見事一発で命中。胸に穴が空いたので絶命間違いなし。

それを見ていた一番手前の槍持ちも武器を捨てて逃げ出したので跳躍して踏みつける。背骨が折れたような感触と血を大量に吐いたので、こちらもまあ死んでいるだろう。一気に距離が縮まったので尻尾で弾いてその辺の木に叩きつけ、振り向くと同時に拳で追加で仕留める。

これで残りは三人。アーバレストを持った太っちょはまだ用意ができていない。大剣を担いだ男が何か言いながら前に出てくる。顔に傷があり大物感を醸し出しているが、相手の踏み込みに合わせて拳を繰り出し武器ごと人体を破壊。なんという呆気ない結末だ。

木にシミを作ったところで飛んできた矢を手でキャッチ。アンドリリース。残り一人となったところで指示を出していた男が何か喋ってるけど、早くて聞き取れない。賊が何を言っていようが「どうせ大したことは言っていないだろう」と頭を掴んで適度な力で捻る。首を三百六十度回転させて後ろに放り投げて殲滅完了だ。

(さーて、お荷物を確認するとしましょうか)

むせ返るような血の匂いの中、馬車の後ろに回ると中が見えた。だが期待した物はそこにはなく、女性五人が怯える目で俺を見ていた。俺は首を傾け、しばし彼女達を見る。年齢は十代後半から二十代後半で、服装は派手で非常に薄く肌が薄らと透けて見える。

年長と思しきスケスケの赤いドレスの女性が、他四人をかばうように前に立ち両手を広げており、賊が狼藉を働いた跡が衣服の乱れからよくわかる。彼女の行動を見れば、頬も腫れていることから殴られた状況が目に浮かぶ。

(五,三,四、一、に三だな)

これだけボディラインがしっかり見えるのなら俺の計測も正確なはずだ。積荷があるかと思ったが、どう見ても娼婦のお姉さん方が乗っていた。中々エロチックな衣装であるし、衣服が乱れている女性もいて中々に目の保養となる光景だ。とは言え、これは予想外。

(どうしたもんかね、これ?)

綺麗どころさん達を眺めるのは良いが、いつまでもこうしているわけにはいかない。皆さんタイプがそれぞれ異なるので大きいのから小さいのまであって大変よろしいのだが、全員の目が完全に怯えきっているのだ。どうにか前に出ることができた女性も、顔が引きつり足が震えている。

(殴られた跡は抵抗した際のものか? それとも年下の四人を守ろうとした時か? 状況から察するに面倒見の良いお姉さんか彼女達のまとめ役といったところ。ならばあまり刺激をしないようにした方が良さそうだ)

しかし、これは困ったことになった。賊と思って襲ったら実は人攫いだったのだから、アテが外れたというより騙された気分だ。とすると一人だけ場違いな身なりの男は奴隷商か何かだろうか?

このような連中が跋扈ばっこするとはカナン王国も進歩がない。奴隷と言えばこいつらは「一体どこに彼女達を売るつもりだったのか?」と疑問が湧いてくる。セイゼリアに密入国できるルートがある、ということになれば、相応の組織である可能性が出てくる。

「さて、どうしたものか?」と衣服の乱れがある二人を中心に視線をやる。タイミング的に、あの太っちょが「味見」でもしようとして女を襲おうとしたところに、俺が来たと言ったところだろうか?

目の前の年長のお姉さんもそうだが、帝国にあるような下着が一般に出回っていないせいか、一番胸の大きい娘とかスケスケだから色々と見えている。露出度も高く、皆様素敵な御御足で大変眼福にございます。後、下着を履いてない娘もいるのだが、そのスリットでノーパンとか娼婦のお姉さん方ちょいとばかし攻めすぎてませんかね?

ここで俺が何もしてこないことをいぶかしんでか、両手を広げて後ろの四人を庇う女性がこちらに語りかけてくる。おっと、どうやら思考が少しばかり煩悩に傾きすぎていたようだ。聞き逃さないようにしっかりを声を拾う。しかし勇気を振り絞ったことは痛いほどわかるのだが、拾えた単語が「私達」だけなことを本当に申し訳なく思う。

(いやもう本当に、つくづくもっと真面目に勉強しておくべきだったと後悔してる。まあ、モンスターが言葉を理解するとかどう考えてもおかしいけどさ)

彼女達に何かをするつもりはないが、何もしないというのもそれはそれでおかしい。積荷を頂くつもりだったから馬車の中にある物を貰っていくというのも考えたが、一部散乱した彼女達の私物を見れば、俺が必要とする物など見当たらない。と言うか、流石に人攫いに襲われた人らの荷物を奪うような鬼畜ではない。相手が美人さんなら尚更である。

(いっそ布目当てで衣服や下着……どんな噂が流れるかわかったもんじゃないな。却下だ、却下)

むしろ逃げた連中を追ってアジトを襲撃する方がまだ建設的な気がする。そこまで考えた時、俺の中に一つの閃きが起こった。

(そうだよ、隣国に密輸できるほどの組織ならアジトくらい幾つもあるはずだ。なら最初に逃げた連中がそこに向かう可能性は十分にある。そこを襲撃すれば色んな物が手に入るのでは?)

名残惜しいが、ここで彼女達とはお別れだ。距離的にはさっきの町までそれほどないし、俺が通った時には危険な生き物もいなかったので、落ちてる武器を持っていけば大丈夫だろう。それに荷物に手を付けなければ水や食料に問題はないだろうし、馬車も無事なので暗くなる前には到着するだろう。

(あ、やっぱり水だけ少し頂いていこう)

丁度水を補給しなければ心許なかったので、腕だけ馬車の中に突っ込み、積荷の木箱に手を伸ばし水を探す。お姉さん方は自主的に避けてくれたので、ガサゴソと瓶の入った木箱を探り出すとそこから一本拝借。その栓を親指ですぽんと抜いて中の水を「がっがっ」と飲み干して気づく。

「これ、お酒だ」と思わず口に出る。俺が「が、がー」と吠えたことでお姉さん達を少々驚かせてしまったらしく、全員が隅によって固まっている。度数はあまり高くないとは言え、酒は酒。お酒は二十歳になってから、と言うのが帝国の法律だが、俺は二百歳超えなので問題はない。

後、味がイマイチ。タダ酒に文句を付けるのもどうかと思うのだが、カナンの酒は口に合わないようだ。あまり長々と探すのもお嬢さん方の精神衛生上よろしくないので、水は諦めて賊を追いかけることにする。賊のような臭いの強い人間ならば、嗅覚を頼りに追跡することも不可能ではないはずだ。

俺が去っていく様子を警戒しながら見送る視線を背中で感じながら、逃げ出した賊を追う前に荷物を慌てて取りに戻る。ちょっと忘れそうになっていたが、俺が引き返したことで馬車の中で小さな悲鳴が上がっていた。申し訳なさでいっぱいだが、アジトまでどれだけ距離があるかわからないから持っていくしかないんだ。

荷物を担いでいざ追跡。馬車の横を通り過ぎる際にまた悲鳴が聞こえた。少しだけ胸が痛い。

(そこまで怖い顔じゃないと思うんだがなー?)

ホラーゲームなら十作ほどやっていたが、この容姿ではランクインすらできないレベルのまともなモンスターっぽい外見である。個人的な感想だが、グロくはないしむしろ格好良い部類に入るとすら思っている。「軽くショックだわ」と肩を落として賊に追いつけるように速度を出す。

すると十分もしないうちに逃げた三人と思われる臭いを確認。集中すれば限定的だがそれなりの精度で探索に使える。擬態能力を使おうと思ったが、荷物までは隠せない。こんなところでも足を引っ張るか、ブルーシートよ。仕方がないので振り切られない距離を維持しつつ、臭いを頼りに進んでいく。

まあ、これも訓練の一つと思えば良いかと一時間ほど追跡をしていると、視界の先に洞窟の入り口らしきものが見えてくる。臭いもその先に続いているので、あそこがアジトと見て間違いない。

(しかし洞穴のような地面に空いた穴を拠点にするとは……もしかして中はしっかりと作られているタイプかね?)

後はどの程度の深さがあるかだが、これは入ってみないことにはわからない。俺は適当な場所に荷物を降ろし、周辺の葉っぱや枝を折って偽装すると、目印とばかりにスレッジハンマーを木に吊るす。まだ一回も実戦使用していないが、使う日はやって来るのだろうか?

そんなわけで擬態を使用し、見張りもいない穴の中へと入って行くのだが……ぶっちゃけ入り口がちょっと狭い。入れないことはないが、あまり余裕がないのでぶつからないように注意しながら中へと入る。

真っ暗な洞窟の中を進んでいくと、思ったよりも中が広いことがわかった。通路のはずなのだが、俺が立ち上がることができるくらいには高く、幅も十分あり木材で壁や天井を補強している。曲がり角を一つ過ぎた辺りからは壁と天井は石材に置き換わり、魔法的な仕組みで動いていると思しき照明が設置されていることから、明らかな人工の施設へと変化している。

(結構古そうな感じだが、長年活動している人攫い組織……いや人身売買組織のアジトってところかねぇ)

こうなるとここにある物にも期待が持てる。そう思った時、怒鳴り声が微かに聞こえてきた。大分先の場所からのものであることから、どうやらここはかなり大きいアジトのようだ。

自分の擬態能力を確認しつつ、周囲の警戒を怠ることなく先へと進む。するとやはりと言うべきか牢屋が見つかる。鉄の格子の先にあるのは鎖で繋がれた白骨死体。状態を察するにそこまで古いものではないだろう。そしてこの臭い……死体は他にも沢山あるようだ。

胸糞が悪くなる。しかし犯罪組織というのは得てしてそういうものだ。少なくとも、俺が「この先にいるであろう連中を生かしておく気がなくなった」ということだけは確かである。

「ぎぃやぁぁぁああぁぁっ!」

一つの決意を胸に、次の死体を発見したところで悲鳴が聞こえてきた。男のものだったので無視。と言うか、十中八九先程逃げ出した賊の中の誰かがお仕置きでも受けて悲鳴を上げたものなので、気にするほどのものでもない。

(確かこういう犯罪組織とかマフィアがこういう「ケジメ案件」を処理する時は、指を切るとかテレビで見たことがあるな)

子供の頃の知識なので定かではないが、少なくとも今の悲鳴が「指を切り落とした」時の悲鳴でないことくらいは俺でもわかる。明らかに命に関わりそうなレベルの絶叫に近い恐怖の叫びだ。どうやらここのボスは中々部下に厳しい奴のようだ。

近づくに従い話し声が鮮明に聞こえるようになってくるのは良いのだが、相変わらずほとんど聞き取れない。どうにか聞き取れた単語から推測するに、どうやら先程の娼婦のお姉さん達を攫ってくることを失敗したことでボスからお叱りを受けていると言ったところだろう。

ただ、ボスと思しき声があまり流暢なカナン王国語を話していない。これのおかげで比較的聞き取りやすく、推測もしやすくなっている。つまりここのボスは外国人であり、他の国から派遣されてきたと考えられる。

どうやらここの組織は多国間を股にかける大規模なものであるようだ。「これは略奪品にも期待ができる」と俺はこっそりほくそ笑む。通路を進み、T字路を声がする左に曲がるとその奥に部屋があった。扉は閉まっており、その奥から話し声と叫び声が聞こえてくる。どうやらまた一人ケジメを付けられたようだ。そんな悲鳴を聞き流しつつ、扉の前に来たところで問題が発生。

(扉が小さい……)

人間用のものにしては大きいとは思うのだが、俺にとっては狭くて通り抜けるのがやっとといったサイズである。

(入れないことはないし……いや、壊すか)

周囲の壁くらいなら余裕で破壊できるだろうし、ここは一つインパクト重視で登場してみよう。そんなわけでダイナミックにお邪魔します。擬態を解除し、両手を床につけて右足を引く。

狙いは扉。右足が床を蹴った──俺の全力のぶちかましが扉に炸裂し、周囲の壁ごと破壊して室内に乱入する。そこにいたのは、俺から逃げ出した三人の賊の死体と巨大な蜘蛛。

本来あるべき蜘蛛の頭部の代わりに人の上半身──胸から上が生えているという蜘蛛と人を合わせたかのような化物。裸の上部にスキンヘッドの如何にも人相の悪い顔があり、こちらを見ると蜘蛛の足が突き刺された賊の死体を投げ捨てる。

「あぁ? 何だてめぇは?」

はっきりと聞き取れたそれは俺にとって間違いなく最も馴染み深い言葉。聞き間違えるはずもない。目の前の化物はフルレトス帝国語で喋っていた。

(どういう、ことだ?)

俺は混乱している。ありきたりな言い方だが、そうとしか言えない。それもそのはず、明らかに自然に生まれてくるとは思えない「人間+蜘蛛」としか形容できない怪物とか、映画の中でも見たことがないような姿をしたモンスターが帝国語を喋ってるのだから混乱もする。しかもそれってもうこいつの正体が一つしかないわけで……

(俺と同じ帝国の遺伝子強化兵──もしくはそれに準ずる何かとしか思えない)

二百年の眠りから目覚めて初めて出会えた同胞がコレというのはどうかと思うが、同じ帝国人(?)として情報の共有と確認を行いたい。

「ガアッ、ゴォアゴガァング」

でもやっぱり出るのは「ガオガオ」という声。ちなみに「待て、俺も帝国人だ」と言おうとした。しかしこいつも人間から化物へクラスチェンジしたかと思えば、人身売買組織にジョブチェンジまでしてるとか忙しいやつである。

まあ、モンスターのような姿ならば真っ当な職に就くなど不可能だから仕方がないと言えば仕方がないのだろうが、もう少し帝国軍人としてその選択はもう少し考えて欲しかったところではある。

「ああ、クソが。こいつら付けられたのかよ……ほんと役に立たねぇグズだな」

言葉は当然通じるはずもなく、目の前の俺を警戒しつつ部下を罵る。どうにかしてこちらの意思を伝えなければと思ったところあっさりと名案が浮かぶ。

(あ、そうか。声が無理なら文字を書けばいい)

そう思って指の爪で床に文字を書こうとした時──俺の腕がピタリと動かなくなった。

「俺の許しなく動いてんじゃねぇぞ、デカブツ」

注意深く観察すると俺の手には透明な糸のようなものが絡みついていた。

(蜘蛛の糸か!? 触れた感触が一切なかったぞ! いや、それよりも……)

腕だけはなく体のあちこちに蜘蛛の糸が絡まっている。蜘蛛の体をしているからあるだろうとは思ったが、まさか予備動作もなく搦め捕られているとは思わなかった。この部屋に予め仕掛けられていたと思うべきだろうが、もしも自由自在に操作できるというのであればその脅威は計り知れない。

犯罪組織とは言え、新たな職に就いていることも考えると、恐らく俺よりはずっと早く目覚めていたに違いない。と言うことはそれだけ今の体を使いこなしているということでもある。

「はあー、やっぱ素人は使い物にならねぇな。人攫い一つ満足にできねぇのか」

苛立ちを隠すことなく蜘蛛男は人間の指の爪を噛む。職業軍人からすれば賊など素人同然なのだろうが、自分の部下を駒としか見ないタイプの男のようだ。「こういう男の下には付きたくないな」と思いながら、どうしたものかと悩む。

(ここまでの言動からどう見てもこいつは最早「軍人崩れ」の悪党だ。同じ帝国軍人として協力関係くらいはなれるかと期待したが……これは無理そうだな。とするとこいつをどうするか?)

放置すれば周辺の脅威として俺という存在の隠れ蓑として暴れてくれるに違いない。その場合、どの程度の被害が周囲の町や村に及ぶかは計り知れない。何せ俺と同じ遺伝子強化兵と思われるので、そのスペックはカナン王国の対処能力を上回る可能性すらある。では、始末する場合はどうか?

まず一番の問題となるのが勝てるかどうかがわからない。相手の能力が不明という点は向こうも同じだが、俺は見たままの能力がメインである。対して蜘蛛をベースとしていると見る以上、様々な能力を有していると見て間違いない。

現在俺の体に絡まっている程度の糸であれば問題はないが、これが束ねられたものであったならば、そこから抜け出すことができなくなる恐れもある。

つまり、戦闘になった場合のリスクはかなり大きい。「ここは糸を引きちぎって帝国語を書いて見せるべきだろう」ということで考えがまとまったところで、蜘蛛男が口を開く。

「あー、こんなことなら俺が行っとくべきだった。折角娼婦の釣り出しに成功したのに、こんなすっとろい図体だけのデカブツに横取りされた挙げ句、アジトまで付けられて来るとかマジでふざけんてじゃねぇぞ、おい!」

そう言って俺の顔面を蜘蛛の足が蹴る。痛くも痒くもないので全力ではないのだろうが、少々こいつの言葉が引っかかった。

「クソが、やっと次の女を甚振いたぶれると思ったのに……テメェの邪魔でお預けだ」

また蜘蛛の足が俺を蹴る。

「どんだけ裸にひん剥いて泣かせても勃たねぇ。一体どこに行ったんだ、俺のご立派様はよぉ!」

蹴る速度が増し、爪を立たせて突き刺そうとするが、貧相なその足では俺の体は貫くことは叶わない。蜘蛛男は爪が刺さらないことに舌打ちをし、賊の死体から短剣を足と糸を使い手繰り寄せる。

「あのバカどもに輪姦させてもちっとも反応しねぇ。一体どうすりゃ俺は女を犯せるんだ? 一体どこに俺のモノ勃たせてくれる女はいるんだぁ?」

蜘蛛男の手にした短剣が俺の肩口に振り下ろされる。当然刺さらないし、刃が音を立てて欠ける。

「無駄に硬ぇ体してんじゃねぇ!」

また顔面を蹴られるが痛みはない。

「あー、そうだ。また子連れを捕まえよう。んでこの前みたいに裸で踊らせて、ガキを使ってゲームだ。今度は何を入れさせるか──」

言い終えるより前に俺の拳が蜘蛛男を襲う。だが、その一撃は瞬時に後ろに飛び退かれ回避される。

「やる気かぁ? モンスター風情ふぜいが!」

俺の正体には気づいていない。黙って攻撃を受けたことでこいつの攻撃はほぼ通らないことは確認済み。勝算は得た。

(こいつはここで始末する)