「真っ暗だ」

 そうつぶやいたのは、だれだったのか。

 息を止めていたようで、パチッと目を開けた途端、喉がヒュウッと鳴って、大きく息を吸った。

 心臓はドクドクと鼓動し、てのひらにはびっしょりと冷や汗をかいている。

 そして、私は……私は……。

 横たわっていた上半身を起こし、辺りを見回す。

「私の……部屋」

 いつも寝ていたベッド。掛け布団は蹴ってしまったのか、床に落ちていた。

 ここは……そう。私の部屋。引きこもり女子高生だった、私が暮らしていた部屋。……明日、たくさんイベントするぞって、クリスマスの夜に眠った、あの部屋だ。

「ああ、そっか……」

 服の胸元をぎゅうっと握る。その可能性にすぐに気づいた。

「もどってきた……。ううん、今までが夢だった?」

 わからない。わからないけれど……。

 レニ・シュルム・グオーガ。レベルカンストしアイテムを持ち越して転生した。世界を旅して回っていた四歳児は。

 ──ただの引きこもりの女子高生になった。

 どうやら私はクリスマスの夜に、うなされて起きたようだった。

 ゲームのイベントを楽しみにして眠り、その後、すぐ目が覚めたのだ。ベッドから起き、日付を見たり、PCを立ち上げたり。結局、寝直すこともできず、そのまま朝になった。

 学校はすでに冬休みに入っている。

 出席日数が足りないから、すでに留年は決まっていて、私は退学するつもりだった。

 あれはきっと、夢だった……んだろうか。でも、たしかにあちらで過ごした記憶は残っている。夢というには実感があった。でも……。

「夢みたいな日々だったなぁ……」

 それは間違いない。本当に楽しくて、とても幸せだった。日本で引きこもり女子高生をやっている今の私に比べて、なんて意欲的で活動的だったのだろう。

「四歳で旅に出るって……」

 自分が決めたことだったが、考えてみれば驚きの決断だ。サミューちゃんという保護者がいたけれど、日本でそんなことをしたいと言っても、もっと大きくなるまで待てと言われるに決まっている。

 でも……許してくれのだ、父と母は。そして、サミューちゃんはついてきてくれた。

 旅で出会ったキャリエスちゃんは王女としてりんとしていて、ピオちゃんもかっこいい騎士。ハサノちゃんは立派な女王で、ムートちゃんはあこがれのドラゴンだ。カリガノちゃんは明るくて、一緒にいると励まされた。

「みんな、私の妄想だった……?」

 ──そんなわけはない。

 ぼんやりとし、スウェットのポケットを探れば、そこにコツンと当たるものがあって……。

「あ、げきりん

 取り出してみると、出てきたのは黒いうろこ。光ってはいないけれど、これは逆鱗だ。

 ……みんなはちゃんといた。これがその証拠だと思う。

 でも、日々はそのまま過ぎていき……。


「それじゃ、行ってくる」

「……気をつけてね」

「途中まで、送るか?」

「ううん、大丈夫」

 冬休みが終わった一月初旬。私は高校へ行くために、家を出ようとしていた。

 まさか、ここにきて私が学校へ行くと言い出すと思っていなかった父と母が玄関で心配そうに声をかける。

 ……玄関から出る一歩。ずっとこれが怖かった。

 なんとか家を出ることができても、途中で足が止まり、進めなくなることが何度もあったのだ。

 父も母も。きっと私が学校に本当にたどりつけるとは思っていないだろう。

 でも……。今の私は。

「いってきます」

 ほんの数回しか着ていない制服はまだ新しい。指定の革靴もまだピカピカだ。

 今日の授業の科目はわからない。筆記用具とクリアファイルだけ。ほぼ空のリュックを背負い、外へと出た。始業式だけならなんとかなる気がする。

「さむっ」

 冬の朝。空気が冷たい。新品のマフラーと手袋をしているが、ほおに当たる風が痛いぐらいだ。

 ああ……。

「日本の景色も……」

 黒いアスファルトに白線がまっすぐ。灰色の電柱には黒い電線がかかり、丸くなった冬毛のスズメが止まっている。それを見上げて、はぁと空気を吐けば白くもやになった。

「……きれい」

 学校に行くのはいやだったはずなのに、私の心はいでいる。

 とりあえず、一度、行ってみようと素直に思えた。

 学校に行くという義務から、体感にして四年間離れられたからかもしれないし、残っているレニとしての記憶が私の気持ちを大きくしているからかもしれない。

 本当は……怖くないわけでなない。

 三学期のこんな時期から学校に行ったところで、クラスにめるわけもないし、授業もわからない。友達だってできるわけもなく、ただ、「なにしに来たの?」って視線を送られるだけだろう。でも……。

「おまかせあれ、だね」

 記憶の中での私は元気にそう言って、やる気をみなぎらせていた。

 あのときの私と今の私は全然違うけれど、でも、言葉に出せば、胸に勇気が湧いてくるようだ。

 久しぶりの登校で、しんどくなるかもしれないから、かなり早めに家を出た。途中で足が止まることもあったけど、近くのバス停まで行けば、そこから高校まではバスで一本。三十分揺られれば、もう学校だ。

 さすがに緊張して胸がドクドク音を立て、手からは冷や汗が出る。顔はうつむいてしまったけれど、なんとか足を動かした。

「おまかせあれ……おまかせあれ……」

 おまじないのように呟いて、前へと進む。私なんかになにも任せられるわけもないのだが、そう言えば、胸に勇気が湧いた。

 家を早く出てよかったと思う。

 生徒がまだあまりいないから、自分のペースで正門をくぐれた。あとは記憶を頼りに教室まで歩いていく。西校舎の三階。階段を上がってすぐ。そこが私の教室。1-5だ。

 あとは……扉を開いて、教室に入るだけ。

 ……私の席、あるだろうか。

 ずっと休んでいたのだ。もうなくなっているかもしれない。……どうしよう。一度、職員室で先生に話をしたほうがよかっただろうか。ああ、でも、先生に迷惑な顔をされたら……。

 ぐるぐると思考がめぐる。

 すると、突然ガラガラガラッと音を立てて、扉が開いた。

「おはようございます」

 そこにいたのは私と同じ制服を着た女の子だった。黒い髪を両サイドで三つ編みにした、優しそうでとてもかわいい。同級生、だろうか。同じクラスならもしかしたら顔は見たことがあるかもしれないが、見覚えがなく、名前もわからない。

「あ、えっと、あ、……おはようございます」

 驚いたのもあるし、そもそも人見知りなので、もごもごとしながら挨拶を返す。

 すると、女の子はニコリと笑った。

「席はこっちですよ」

 そう言って、私を案内してくれる。

 どうやらこの子は私が不登校の同級生だとわかった上で、接してくれているようだ。

「あの……ごめんなさい」

 登校の最初から迷惑をかけてしまった。なさに謝れば、胸がぎゅうと痛んだ。……やっぱり私はまた、「ごめんなさい」しか言えないのだろうか。

 ずっと、謝って……それで……。

 ぐるぐると暗い思考に飲み込まれる。でも、その途端──

 『大好きよ』、『なんでもできるんだな!』、『さすがです!』、『もう、私を幸せにして……!』、『僕は君に救われた』、『かわいいわ!!』、『また会いに来るぞ!』、『一緒にいることがいいことなノ!』

 ──みんなの声がした。

 失敗ばっかりの私。迷惑をかけてばかりの私。

 そして……みんなだって完璧ではなかった。でも、私はそれを嫌だとは思わなかったから。だから……。

「あのっ、親切にしてくれて、……ありがとう」

 みんなで一緒にいて、助け合うこと。

 完璧な者同士が一緒にいるわけじゃない。失敗しても、フォローし合えたら……私は……。

 私の言葉に、女の子はまたニコリと笑った。

「はい。困ったら声をかけてください」

「あ、あの、私も……私もなにか手伝えることがあれば……っ」

 私はそこまで言うと、案内してくれた席に座り、急いでリュックを下ろした。

 不登校の私に手伝えることなんて、きっとない。

 おこがましい提案だと思う。でも、言ってみたかったのだ。そして、発言したことでいっぱいいっぱいになり、もう、焦りから自分で自分がわからない。

 そんな不審な私なのに、女の子はとくに変わった様子はなかった。そして、私の隣の席へと座って……。

「私の名前はしおりです」

「えっと……」

 名乗られて、びっくりして、視線が泳ぐ。

 でも、たぶん、これは悪い意味ではない。だから、おそるおそる隣を見た。女の子の目は……迷惑そうにはしていない。優しい黒い目のままだ。

 それに勇気をもらって、慎重に、失礼のないように言葉を返した。

「……しおりちゃん?」

「はい。隣の席ですね。よろしくおねがいします」

「あ、あ……えっと、私は……」

 私の名前は……。

「りな、です」

「……りなさん、ですね」

 女の子……しおりちゃんは、そう言ってうなずく。

 そして、おどおどした私に合わせて、ゆっくりと会話をしてくれた。

 そのうちにほかの同級生も登校してきて、私を見て、びっくりするような顔をする人もいた。たぶん、私のことを話しているだろう声も。

 「今さら来るんだね」とか「留年なんだよね」とか。

 きっと言っている人たちに悪意は……ないんだと思う。ただ、いつもと違う私という存在の確認作業をしているだけ。

「りなさん、始業式は講堂であるんです。一緒に移動しましょう」

「ごめんなさい……。ううん、あ……ありがとう」

 しおりちゃんは、そんな声をかき消すように、私に明るく声をかけてくれた。

 思わず謝ってしまう癖が出てしまったが、小さく首を振って、お礼へと変える。私が言いたいのは……。

 「こんな私でごめんなさい」ではなく……。「優しくしてくれてありがとう」だから。

「りなさんは慣れないことも多いと思います。よければ私がいますから」

 しおりちゃんはそう言って、ニコリと笑った。

 きらきらと世界が輝く。

 冬の教室、窓際で前から五番目の席。……隣の女の子の優しい言葉。

 そして、そこからは、これまでとは違う学校生活が待っていた。

 まず、学校が怖くない。

 友達が一人できるだけでこんなに違うとは思わなかった。

 すでに留年が決まっているため、プレッシャーがないのもよかったのかもしれない。

 今から登校してもどうせ留年するのだから、春から行けばいい。つまり、今の期間は行っても意味がないから、しんどい日は休んでいいし、行けそうな授業だけ行っても問題はないということでもある。これは引きこもりの私には、リハビリとしてぴったりだった。

 私だけがそんなことをやっていたら、同級生が怒りそうなものだ。が、不登校からの留年が決まっていることを周囲も知っているため、「まあ、あの子はしかたないよね」という枠に入れてもらっているようだ。

 最初は異物だった私も「そういう枠」として、日常に入り込むことができた。

 もちろん、それはしおりちゃんの存在が大きくて──


「りなー! しおりちゃんが来てくれたわよ」

「うん」

 玄関から母が呼ぶ。私は急いで二階の自室から、一階へと降りていく。

 外へと出れば、しおりちゃんが待っていてくれた。

「いつもありがとう」

「いえいえ! 私もりなさんと登校するのが楽しいんです。それよりも迷惑じゃないですか? 私が来たほうがしんどいことはないでしょうか……」

「ううん。しおりちゃんが来てくれると、うれしい」

 幸運なことに、しおりちゃんは私と同じバス停から高校へ行くルートだった。しおりちゃんは、高校に入るときにこちらの地域へと引っ越してきたらしい。

 はぁと吐く息はまだ白いけど、だんだん日が長くなってきたと思う。

 しおりちゃんと二人で歩くと、心がワクワクとしてくる。学校へ行く道はいつも同じなのに、二人でいれば楽しかった。

 自然と笑顔になれば、しおりちゃんも私を見てうれしそうに笑う。

 ……こんな日が来るなんて思わなかった。

 移動教室のとき、一緒に廊下を歩いていくこと。昼食を一緒にること。放課後、コンビニに寄って、二人で肉まんを買って、公園のベンチで食べること。

 全部、新鮮で。

 全部、全部、本当にうれしくて……。

 留年は決まっていたけれど、登校を始めた私に父と母は喜んだ。

 ここからうまく回り始めるかもしれない、と。私もその予感に胸が弾んだ。

 普通に学校に行くこと。

 普通に進学すること。

 普通に就職もして、普通に暮らして、普通に生きていく。

 ──それが、できるかもしれない。

 中学のときにその道から外れ始めた私。行きたくて、でも行くことはできなくて……。毎朝、私を登校させようとする母と泣きながらケンカをした。ケンカというにはあまりにもみっともない。

 行きたくない、部屋から出られないと泣く私と、なんでなの、と泣く母と。

 父はそんな私と母をどうすることもできなくて……。

 買ってくれたのが、PCだった。

 今ならネットで勉強もできるし、Webで受講できるような学校もある。学校に行かなくてもいいから、勉強はがんばれ、と。

 そうして私はPCで勉強をしながら、ゲームも始めた。

 ……私はゲームが好きだ。

 暗くてへいそく感しかなくて。普通になれない自分を責めて、悲しむだけの日々から救ってくれたから。

 だから……。


 だから、私は違和感に気づいた。


 だって、私がこんなに簡単に学校に馴染めるはずがない。世界はもっと暗くて、苦しくて、どうしようもない自分しかそこにいなかった。

 私が普通の人生を歩めるかもしれない、なんて……。そんなのゲームの世界に転生するより、もっともっと、夢みたいなことだ。

 ……そう。夢、なのだ。

 ──こちらの世界が。


「しおりちゃん」

「はい、どうしました? 今日も寒いですが、そろそろ梅の花が咲きそうです。もう春になりますよ」

 放課後、公園のベンチに座り、二人で話す。

 寒い中、この日常の繰り返しが、私はなによりも好きだった。

 黒髪の三つ編みに、優しい黒い目。ほら、と指差す手は白くてきれいだ。

「──ちゃん」

 名前を呼ぶ。「しおりちゃん」と、そう名乗ったけれど。

 でも、私は違う名で読んだ。もう一度。次はもっと大きな声で。

「サミューちゃん」

 その瞬間、黒い目が大きく見開かれた。そして、すぐ悲しげに眉を寄せる。

「……っダメ、です。いけません。……いいんです、このままで。この世界でいいんです」

「ううん……違う。ダメ、ダメだよ」

 黒髪の三つ編みの女の子が、私の肩に手を添える。

 このままでいいのだ、と。……夢を見たままでいいのだ、と。

「サミューちゃん……だって、サミューちゃん……っ」

 目が熱い。勝手にぽろぽろと涙があふれる。

 幸せだった。私が欲しかったのはきっとこういう日常、こういう未来だった。

 ちゃんと学校に行けて。友達がいて。父と母は仲が良くて。私は「普通」のレールに乗って、暮らしていくのだ。

 でも、……でも……。

「サミューちゃんは……っ、サミューちゃんは金色の髪がさらさらで……、みどりいろの目がとってもきれい。それで、魔法を込めるときらって光る、すごくすごく素敵な目で……私が、大好きな、色で……っ」

 時計台の上で、守護者の契約をしたよね。

 サミューちゃんはあんな高いところから落ちそうになって、それを必死で引っ張ったのだ。

「守護者になるんだって言って、百年もがんばれる努力家で……。ママとパパのことで悲しいこともあったけど、でも、自分を変えようとできる人で……っ」

 エルフの女王様だったママ。余命わずかのなか、パパと一緒に宝玉を手に入れたサミューちゃん。それを使ったママはパパと出ていって。サミューちゃんは百年の努力がかなわなくなったと知ったのだ。

 そんな悲しみを背負って、それでもサミューちゃんは努力を続けていた。

 でも、この世界には、サミューちゃんの努力したものがどこにもない。サミューちゃんがただの普通の女子高生になってしまう。

「ここにいたら、全部、なくなっちゃうんだよ。……サミューちゃんの悲しみも痛みも苦しみも。それがあって、乗り越えるためにたくさん努力したこともっ。……サミューちゃんがすごいこと、私、知ってる。それがここにはないなんて……そんなのやだよ」

 やだよ。サミューちゃんの努力がなくなっちゃうなんて。

 サミューちゃんには努力した分、いっぱいいっぱい幸せになってほしいのに。

「……私のことならば、本当にいいんです」

 サミューちゃんは、私の肩をそっと抱き寄せた。

「あなたが幸せなら、私はどんな世界でも構いません。私の努力は能力を誇示するためにしたものではありません。……あなたとともにいるために。そのための努力だったのです」

 そう言って、サミューちゃんは笑う。

 本当にうれしそうに。

「この世界があなたの望んだものであるなら、私はこの世界で生きていきます。なにもいりません。ただ、そばにいます」

 その笑顔があまりに優しいから。

 こんな私のエゴしかない世界で、一番きれいに笑うから。

「サミューちゃんっ……サミューちゃんっ」

 どうして、私のそばにいてくれるの?

 本当に世界を越えて、来てくれたの?

「私、全然、姿も違う。あっちの世界みたいに強くない。なにも持ってない」

 銀髪に金色の目。ママとパパのこどもで種族はエルフ。

 レベルカンストして、チートな装備品とアイテムをたくさん持っている。

 サミューちゃんが出会ったのはそんな私だ。サミューちゃんはそんな私を何度もすごいすごいと言ってくれた。でも、ここではなに一つ持っていないのに。

「いいえ、なにも変わっていません。私はなにかを持っているあなただから一緒にいたかったわけではないのです。姿形も関係ありません。──いとしさは目でなく、心で感じればいいのです」

 ああ……。サミューちゃんだな、って。

 自信満々にそう言い切るから。

 だから、心が震えて……。

「私の心はあちらの世界でも、こちらの世界でも変わりません。ただずっと、あなたを向いています。私はあなたのそばにいたい。……二人でいれば、無敵です」

 気づけば私は声をあげて泣き、サミューちゃんに抱きついていた。

 いっぱい泣いているうちに、胸が熱くなっていく。

 これは……宝玉だ。そうか、この世界を創ったのは……。

「宝玉よ」

 呼びかければ、宝玉が姿を現す。球の中心から光が幾重にも幾重にも紡ぎ出されていく。……まるで、世界を織るように。

「私の願いを……叶えてくれたの?」

 私の問いかけに答えるように、淡く明滅した。せいと。そういうことだろう。

「宝玉はエルフの女王を人間に変え、その子へ受け継がれました。そして、女王の魔力とその子の魔力を封印することに宝玉の力を使っていた。が、封印が解かれたとき、宝玉は力を使う先がなくなっていたのです」

 サミューちゃんの説明に、「うん」と頷く。

 私の封印が解かれたときから、宝玉は力を余らせていたのだろう。

 そして、私が魔力暴走した際、私とともに宝玉も消えるところだった。

 普通ならば、私が消えれば宝玉は世界に残るはず。それが、なぜ私とともに消えそうだったのか。それは──

「──宝玉は、世界を創ろうとしていたから」

 私とずっとともにいた宝玉。

 きっと、私の胸の奥にあった願いにも気づいたのだろう。……私自身でも気づいていなかった、『日本で普通に暮らしたい』……『ちゃんとしたい』という願いを。

「この世界は、その宝玉一つで新しく創られた世界です。……世界を支える宝玉は七つそろって世界を支えているのです。まさか、それがたった一つだけで新しい世界を創り上げるなど、だれも考えつきませんでした」

「……そうだね」

 あまりにも宝玉の力が強すぎる。

 ……きっとそれは、母の望みや私の素質や、そういうもので満たされた魔力が膨大にありすぎたせいかもしれない。

 歴代のエルフの女王随一の魔力量を誇るママ。人間になりたいと願ったため、その魔力はすべて宝玉へ吸収された。そして、レベルカンストして生まれた私。魔力量は桁違い。それがずっと宝玉とともにあったのだ。

「あっちの世界は大丈夫? 宝玉がなくなったら困るってムートちゃんは言っていたけど……」

 そう、七つのうちの一つでも欠ければ、世界は滅びると言っていた。今、私とともにある宝玉は私の願いを叶えて世界を創り上げてしまった。それはつまり、あちらの世界では一つ欠けてしまったのではないだろうか。

「大丈夫です。今はドラゴンが支えています」

「ムートちゃんが」

「あまり褒めたくはないですが、やはりブラックバハムートドラゴンですね。透写の森で異変が起こり、世界がひび割れた瞬間、すぐに立て直しました。今はまだ維持はできているようです」

「……今は、まだ?」

 サミューちゃんの言い方が引っかかる。

 まるで、その先はないような……そんな言い方だったから。

 探るようにサミューちゃんの黒い目を見る。サミューちゃんは悲しむように眉を下げた。

「……最初、私はあなたを連れ戻しに来ました」

「……うん」

「ブラックバハムートドラゴンの力を借りて。逆鱗をしろにして、私をこの世界へ飛ばすことができる、と。宝玉の暴走を止め、世界へ戻る。そうすれば、宝玉はふたたび七つとなり、世界は平穏を取り戻す。それでうまくいくはずでした」

 サミューちゃんはそこまで言うと、目を優しく細めた。

「でも、私はこの世界での姿を見て、……この世界でいいのではないかと思いました。……あなたが笑っている。これが望みであれば、それを叶えたい、と」

「サミューちゃん……」

「私は……。すべてを隠すことを選びました。……もし、ブラックバハムートドラゴンの力が足りず、あちらの世界が滅びたとしても。私は、あなたの笑顔が一番大切だから」

 そして、ふぅと息を吐いた。

「しかし! やはり私は浅はかでした。私のせんりょなど飛び越えて、いつもすばらしいものを選び取る」

「……うん」

「ご自分で気づいて、こうして私とまっすぐに話をする。さすがです」

「……だって、サミューちゃん。私が気づかなかったら、なにも言わないサミューちゃんが苦しいよ」

 サミューちゃんはあちらの世界でずっと育って暮らしていた。大切なものもたくさんある。そして、今、私を連れ戻すという、世界を背負った使命があったはずなのに。

 私一人の願いを叶えるために、それを全部犠牲にしようとするなんて。そんなの……。

 そして、ここまで話を聞いた私が選ぶ道はただ一つ。

「──この世界は、終わりにする」

 私の夢が叶った世界。でも、この世界は選べないから。

 そう言うと、サミューちゃんはぎゅっと私を抱きしめた。

「私は……今も、まだ、この世界でいいと思っています。……この話を聞いてしまえば、選ぶ道はそれしかありません。ですが……っ」

 サミューちゃんの声が苦しそうに途切れる。

 優しい体温に包まれて、ぽろぽろ涙がこぼれた。

「……ありがとう。……ここまで来てくれて。……こっちの世界でも私を助けてくれて」

 幸せ……だったなぁ。

 ちゃんと学校に行って、友達とお弁当を食べて、父と母がため息をついていない。

「でも……私は……」

 私は……クリスマスの夜に死んでしまったから。

 不摂生で睡眠時間も短かったし、自分の体調も全然気にしていなかった。実際の死因はわからないけれど、死んでもおかしくない生活をしていたと思う。

 でも……、もし、私が生きていたとしたら。

 ゲームをたくさんして、その中で得た経験を活かしていけたとしたら。

「こんな風な未来も……あったのかも」

 サミューちゃんはいないのだから、こんなに簡単に物事がうまく回るはずはない。きっと学校に行ったとしても友達はすぐにはできないだろうし、また結局引きこもりに戻っていただけかもしれない。

 でも……。そう思えたことが。

 閉塞感だけじゃない、すこしは明るい未来があったかもと可能性を信じられることが。それが私の胸にずっと残るから。

 全部が普通なんて無理だったかもしれない。でも、通信制の高校なら行けるかもしれない。そこで大学受験をできる資格をとって……。大学生になって。

 もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら。

 たくさんの未来が見える。ただの引きこもりの女子高生だった私に、いろんな道が。

 ──死んでしまった私には叶えられない道。

「ありがとう」

 ありがとう。たくさんの可能性を見せてくれて。

「宝玉よ」

 光を織るそれに語りかける。

 すると、一層、光が強くなった。

「──帰ろう」

 光の中で、自分の姿が変わっていくのがわかる。

 小さくなった体で、隣を見上げる。

 そこにいるのは金色の髪に碧色の瞳。とってもかわいいエルフの女の子。


「いこう、さみゅーちゃん」

「はい、レニ様!」