リトルベル市での実地研修初日は無事に終わった。今は案内された宿の一室で休憩中だ。

 研修なのに宿舎ではなく普通の宿とはいかがなものかと思ったが、料理はしいしお風呂も結構れいで不満はない。タルク少尉いわく、駐在所の宿舎に空きがないのが理由らしい。

「満腹だし、身体も温まったし、もう言うことなしです。せっかくだからサンドラも参加すればよかったのに。もったいない」

 気分はすっかり観光旅行である。目に映るものが新鮮で実に楽しい。

 が、一人なので全力で盛り上がれないのが難点だ。クローネがいたら楽しかっただろうに。そのクローネは予想通り陸軍に参加し、東部の国境地帯へと向かって行った。それはもうやる気いっぱいだったので、お土産みやげには期待できそうである。

「この一週間、どうなるかな?」

 期間限定で上司になるモラン大尉は、怖そうでいかついおじさんだったが、特に怒られたりはしなかった。忙しくて構いたくないという感じはありありだったけど。町の人たちも、最初は薄気味悪そうに私を見るが、次の瞬間にはパッと笑顔を作ってくれる。多分私が子供だからだと思う。今は子供だから大目に見てくれるけれど、このまま大人になったらとんでもないことになりそうで怖い。

 部屋に備え付けられた鏡を見る。うつろな青い瞳に死人のように白い顔、そして長い銀髪。そろそろ髪を切っても良いだろう。ふと思いついたので、長髪を全部前に下ろして、両手をだらりとゾンビみたいに垂らしてみる。

「──うわぁ」

 本当に呪い人形だった。調子に乗って白いシーツも身体にまとってみる。自分でドン引きしてしまった。このまま室外に出たら大騒ぎになり、研修先で同僚の皆さんから職務質問という、前代未聞の事態を起こしかねない。シーツを元に戻して、髪を元通りにける。これで何もかも安心だ。

 なんにせよ、この目が全部悪いんだと思う。誰かのと交換できたらいいのに。くり抜くわけにもいかないしどうしたものか。頑張って笑顔を作っても、この目のせいで不気味にわらっているように思われるらしい。

 サンドラにずばりと指摘されたから私もしっかり理解した。クローネは別に気にしなくていいじゃないかと、適当に笑っていたけど。毎回初対面の人の好感度がマイナスからスタートなのは結構厳しい。せっかくにぎやかになりそうな世界なんだから、色々な人と関われた方が楽しいだろう。

「さてと、とにかく研修報告を書かないと。宿題を忘れたら後が大変です」

 一週間の研修後、提出するように教官から命じられている。いつ、どこで、何をやって、何を学び、何を感じたかを書くのである。つまり、今日は、リトルベルの町を『見回り』という名の観光をして、人々の平凡な暮らしを見て、平和だなぁと書けばいいのである。他にも武器の手入れとかこまごまとしたことはやったけど、他はとくになしだ。隊員の人ともそれなりの付き合いである。挨拶して、終わり。うん、短い!

「これで終了です。初日はこんなものかな。明日も早いからとっとと寝ましょう」

 既に夕食やらお風呂やらは済んでいるので後は寝るだけ。他の隊員の人は夜警やらもあるらしいが、私は研修生なので免除だ。せっかく選んでもらったのに、こんな堕落した一日を過ごしていては教官に顔向けできない様な気もする。明日からはもう少しだけ頑張ろうか。

 ところで、タルク少尉はとてもさわやかだったので、帰るまでになんとかしないといけないと思う。一応治安維持局に研修に来ているわけだし、仕事はしないといけない。でもなんとかすると言っても、将来有望な軍人さんでしかもこの駐在所の副長さんらしいからどうしたものか。一発で終わらして万々歳とはいかないと思うのだ。

 そんなことを皆で悩みながら、私たちは温かい布団に包まれて眠りにつくのである。



 ──翌日。なんだか朝から駐在所は騒がしかった。

 近くに住んでいるハルジオ伯爵とかいう人が駐在所に飛び込んできたからだ。私を見て一瞬ひるむが、見なかったことにしてモラン大尉に改めて怒鳴りかかったのは面白かった。さんくさいちょびひげ紳士というのがピッタリである。

「モラン大尉ッ! 君は本当に真面目に働いていたのかね? 私の村に緑化教徒が潜んでいると報告が入ったぞ!」

「少しは落ち着いてください伯爵。さっきかららちが明きません。どういうことか、最初からきちんと説明していただきたい」

「馬鹿な! こんなときに落ち着いていられるか! 今すぐ兵を率いて出向き、緑化教徒をひっ捕らえていただきたい! 私の土地にカビがまんえんしたらえらいことだ!」

「いきなり兵を出せと言われましても。まずは詳しいお話をと、先ほどから申しているではありませんか」

 興奮するハルジオ伯爵を何とかなだめ、何とか事態の把握に努めるモラン大尉。その顔はこれでもかとゆがんでいたが、必死にこらえている。理不尽にも耐えるのが大人。モラン大尉は実に大人である。その忍耐力は私も見習いたい。見習うだけで、実行するとは言っていない。

「私の財産に損害が出てからでは遅いのだぞ! その際は賠償責任を負ってもらうぞ!」

「ですから説明を──」

「さっさとなんとかしてくれッ! 緑化教徒どもが自爆してくるぞ!」

 全く話にならない。で、何が起こったかだけど。リトルベルから西に少し行ったところに、ハルジオ伯爵が所有する土地がある。そこに農奴たちが暮らす集落があり、ハルジオ村と呼ばれている。自分の名前を村名としてつけてしまうおちゃな伯爵が支配者だ。昨日も今日も明日も明後日あさっても、そのお茶目なハルジオ伯爵に搾取されるのが運命づけられている。そんな場所で、ハルジオ伯爵ご自慢のご子息が、緑化教徒を目撃したそうである。いつの間に緑化教が蔓延していたのか。このままでは善良な我々の命が危ない。恐怖と怒りで震える伯爵は、朝一番でこの駐在所に乗り込んできたわけだ。そんなことをさっきから延々とわめき続けている。

 で、モラン大尉も流石さすがに我慢の限界がきたのか、強引に肩を押さえつけて、椅子に座らせる。あくまで紳士的にだ。流石大人だ。

「伯爵、まずはお座りください。ええ、緑化教徒が潜んでいるという訴えはよく分かりました。で、その者が緑化教徒だとなぜお分かりになったのでしょうか。例えば、緑化教徒が所有する経典、緑の布、あるいは旗、連中が愛用する麻薬を入手したとかですかな?」

「そんなものはない。だが、我が愛する息子が言うのだから間違いない。早く向かって、不愉快なカビを始末していただきたい!」

「しかしですな。ただ闇雲に向かっても、『私が緑化教徒です』などとは誰も言いませんぞ。連中、拷問されてもしばらくは耐えるぐらい忍耐強さがありますからな。だからカビは厄介なのです。無実の人間を拷問するわけにもいきません」

「いや、全然構わん。なんなら数人殺していい! 拷問も許可する!」

「そんなちゃちゃを言わないでいただきたい。……もしや、御子息は誰がカビなのか分かっているのですか? それならば話は別ですが」

「いや、緑化教を美化する声は聞こえたが顔までは見てないと言っていた。可哀かわいそうに、さぞおびえていたのだろうな。いいかね、君たちにはなんとかする義務があるぞ!」

…………

「とにかく、問答している暇があるなら早く兵を出してくれたまえ! 私は愛する国家にばくだいな税を納めている。故に保護される権利があるのだ。それを見捨てるというなら、直接治安維持局本部に怒鳴り込んでやるぞ! そうなればどうなるか分かるだろうね!」

 ハルジオ伯爵が頭から湯気を出しそうな勢いでまた怒り出した。観念したモラン大尉は、タルク少尉に視線を送る。苦笑してうなずく少尉。私が全部くやるという合図だろう。

「……よく分かりました。我々の使命はこのリトルベル市一帯の治安を守ることです。直ちに隊員を向かわせましょう。編成は隊員十名と大砲一門です。いささか過剰ともいえる戦力ですが、伯爵にここまで言われては、私も出し惜しむつもりはありません」

「おお、流石は大尉だ。実に話が分かる。しかも虎の子の大砲まで出していただけるとは。ありがたいお話ですな!」

「なに、丁度士官学校から研修生が来てましてね。大砲を使用した緑化教徒の処刑を見せてやりたいのですよ。実戦に勝る研修はありませんからな」

「ははは、それは実に豪快ですな。そのときは私と息子も出向かせていただきますぞ!」

 入ってきたときとは真逆の態度で、上機嫌で出ていく伯爵。スキップして空に飛んでいきそうな勢いだった。あの人は長生きできそうである。この先何もなければだけど。それより、今の話の流れだと私も行くことになるのだろうか。

「タルク少尉。隊員十名を選抜し、ミツバ研修生を連れてハルジオ村の集落へ出向いてくれ。今の話にあったとおり、大砲も持っていけ。恐らく緑化教徒は見つからんだろう。そのときは、適当に大砲を試射してみせて伯爵の機嫌を取ってくれ」

「了解しました。準備が整い次第出発します。しかし、そんなことのために高価な弾薬を使うのですか?」

むをんだろう。あの勢いで本部に苦情でも入れられれば、私だけでなく君たちの査定に響く。ならば砲弾の一発や二発惜しくないわ。どうせこの町で使用することなどほとんどないのだからな」

 各駐在所には大砲が一門配備されているらしい。だが、普段のけい任務では長銃しか持ち歩かない。重いし火力が過剰すぎるから。タルク少尉が昨日説明してくれたが、納得できる話だ。大砲と一緒に警邏とか意味が分からないし。問題は、誰が運ぶかだけれども。

「集落までの道はそれほど整備されていない。だが、砲兵科の君にとっては大したことではないだろう。これは良い訓練になる。是非頑張って押してくれたまえ」

「……はい、了解しました」

 意地の悪い顔でニヤリと笑う大尉。やっぱり押すのは私だった。というか、弾薬、器具、大砲全て私が持つのだろうか。それは結構大変である。面倒だから、ここでひとまず済ませてしまうのはどうだろう。でも、ズバッと言うと角が立つので、遠回しに聞いてみよう。

「大尉。一つだけよろしいでしょうか」

「なんだね、ミツバ研修生。遠慮なく言ってみたまえ」

「今回の任務は、緑化教徒を見つけて、処刑することですよね」

「その通りだ。本当に存在するかは疑わしいがな。証拠が何ひとつない」

「じゃあ、タルク少尉に聞いてみたらどうでしょう」

「なに? なぜ少尉に聞くんだ?」

「タルク少尉、緑化教徒の居場所を知りませんか? 少尉は、もちろん知ってますよね?」

 私が見上げると、僅かに動揺したようなタルク少尉。

 だが、すぐに笑みを作ると手を振って否定してみせる。

「ははは。私が知るわけないよ。それをこれから調べに行くんだろう」

「全く、馬鹿な冗談を言っとる場合かね。ほら、早くしないと伯爵閣下がお怒りになるぞ。急ぎ準備せよ!」

「はっ!」

 タルク少尉にかされて部屋の外へと出される。そして大砲の用意を頼む、と倉庫に一人で向かわされた。まるで余計なことを言うなとでも言わんばかりだ。

 皆、各自の準備に入ってしまったので、仕方なく私も移動準備を整える。一時間ぐらいかけて大砲の荷物整理。保管場所も分からないのでかなり苦労させられる。誰も手伝いに来ないというのは、一体どういうことだろう。本当の本当に大砲は私一人で準備させて、運ばせるつもりらしい。

 この怒りはどこにぶつけるべきだろうか。やはりカビどもにぶつけるのが正解だろうか。多数決を取ると、そう決まった。私はためいききながら、長銃を担ぎ、器具と弾薬の入ったかばんを背負い、大砲の砲身を後ろからえっさほいさと押していく。やっぱりだるい。

「……君、一人で押せるのか。一体どういう腕力の持ち主なんだい?」

「いえ、皆さんが手伝ってくれないので、仕方なくです。お気になさらず」

「いや、気にするよ。移動準備さえ整えてくれれば、手伝うつもりだったんだけど。……砲兵科って、皆一人で押せたりするのかい?」

「さぁ、どうでしょうか」

 タルク少尉を軽くにらみつけて、私はぐいぐい押していく。がらがらと大砲の車輪の音がなる。この野郎、後で覚えておけと思う。今は我慢してじゅうてん中。我慢も大事ということを忘れてはいけない。前を行く隊員も後ろめたそうだったが、手を出してはこない。私は後を無言でついていく。重いけど押せなくはないし。でもだるい。

「小さいのに力持ちなんだな。いやいや、感心してる場合じゃないね。おい、あと一人、そっちの車輪側を頼む」

「はっ、分かりました、少尉」

「今更ですが、手伝ってくれてありがとうございます」

「いやいや、元々一人なんて無茶だからね。つい見とれてしまって悪いことをした」

「全くだ。いやぁ、小さいのにすげぇな。少し見直したぜ」

 タルク少尉ともう一人が手伝ってくれた。多少怒りが収まったかと思いきやそうでもない。こう見えて意外と執念深いのである。大体もろもろの準備は全部私がしたわけだしね。相手がさわやかなのも相まって怒り百倍である。

 で、一時間も頑張って押した頃、ハルジオ村付近に到着した。村の門が見えるし、集落もあるし間違いない。近くにはどう畑が広がっている。ワイン用だろうか。丁度秋ということで、収穫時期っぽい。たくさんの実がついている。美味しそうだが、ワイン用の葡萄って普通に食べられるのだろうか。うーん分からない。

「さて、私は先に行って事情を説明してくる。君たちはここで待っていてくれ。いきなり完全武装の上に、大砲まで見せたりしたら、村人が驚いてしまうだろうからね」

「了解しました、少尉」

 タルク少尉が村の中に入っていく。

 それを見届けると、思い思いに休息を取る隊員たち。面倒な交渉役はいつもタルク少尉なんだと、私に説明する隊員。それを聞きながら、私もとりあえず座り込む。さてこれからどうしたらいいだろう。といったものの、私が何を言おうとも、何にも変わらないと思う。なぜなら私はただの研修生でありものだから。私の言うことには説得力などないし、誰も信じてくれないのである。つまり、これから起こるであろう事態も、甘んじて受け入れなければならない。

 左右の葡萄畑から、緑の鉢巻を巻いた人間たちが姿を現す。ついでに緑の旗も静かにあがる。緑化教徒の皆さんである。目で合図しようとするが、煙草たばこをのんびりふかしたり、水を美味そうに飲んで一服している隊員たちはまださっぱり気がついていない。のんすぎるなぁと思うが、休憩中だから仕方ないのかな。それとも何もないと油断しきっているのか。あ、村の門周辺にもしっかり配置されているようだ。全員、かがみながら長銃を構えて照準を定めている。これはいけない。すっかり詰んでいた。

『──撃てッ!!

 タルク少尉の掛け声とともに、多数の銃声が鳴り響く。悲鳴と飛沫しぶきをあげて、隊員たちがばたばたと倒れていく。ついでに私も倒れる。運が良いのか悪いのか生き残ってしまった隊員は、慌てて銃を構えるが既に手遅れである。殺到した村人たちの農具が振り下ろされ、全身を耕されてしまった。やっぱり不幸だったようだ。

『一人残らず殺せ! 確実にとどめをさせ! 緑の神へのいけにえにするんだ! 徳を積み重ねれば、我々は必ず楽園に導かれるぞ!』

『緑の神よ、罪深き我らを導きたまえ』

『緑の神よ、我らを楽園に導きたまえ』

『緑の神よ、慈悲を求めぬ罪人たちに裁きを与えたまえ』

 私たちの死体の周りを、村人たちが取り囲む。そして、口々に不快な祝詞のりとを読み上げる。本当にさわやかで鼻につく臭いだなと、私はおぼろげに思った。腹立たしい限りだが、なんだか目が疲れてきたので、少し眠ることにする。──とりあえず、おやすみなさい。



 元仲間を壊滅させた後、タルクたちは一息ついてハルジオ村へと戻っていく。

 家の中からは、事態を見守っていた妻のハンナや幼い子供たちが現れる。他の家族も同様に出迎えてくる。

貴方あなた、おはありませんか?」

「大丈夫さ。皆も無事だし、敵も全員始末した。大砲もこの通り奪ったよ」

「ああ、これも神のお導きでしょうね。貴方、本当におめでとう!」

「お父さん、おめでとう! 僕たち、これで楽園にいけるんだよね?」

「ああ、そうだとも」

 ハンナと子供たちが笑みを浮かべる。

 数年前、逃走中の緑化教徒だったハンナをかくまい、身分を偽らせてこの村に住まわせたのはタルクだ。『遠い縁戚の者が訪ねてきて困っている、なんとか働かせてもらえないだろうか』と、モラン大尉を通じて願い出た。搾取できる労働力が増えることに、ハルジオは否とは言わないことは分かっていた。当然農奴という立場だが、ぎりぎりで生きてはいける。最初はただ哀れだという同情心からだった。交流を重ねていくうちに、その教えに感銘を受け緑化教徒にタルクはなった。どんなに懸命に国のために働いても、傲慢な貴族がぜいを尽くす一方、貧しい人々の生活は全く救われない。そんな人々を時には取り締まることに、タルクは激しい違和感を覚えていたからだ。

 緑の教えはすぐに村人に広まった。ハンナを通して、『神の慈悲』が支給されたことで村人たちは苦痛から逃れることができたのだ。密告する者はだれ一人としていなかった。王家や貴族連中は麻薬などと呼んで市民や農奴が使用するのを禁じている。神へのぼうとくなどと呼んでいるが、苦痛や絶望から救われている間、労働力が低下することが気に入らないだけだ。しかも教徒から取り上げた『神の慈悲』を隠れて使用している有様。ただの快楽目的のために。決して許されることではない。

「だが、傲慢になってはいけない。謙虚にそして誠実に、緑の神に祈りをささげることが大事なんだ。そうだろう、ハンナ」

「ええ、貴方。神は常に私たちを見守っていらっしゃるもの」

 ハンナを抱きしめる。

 この村に匿ってしばらくの後、ハンナとは自然に結ばれ子供をもうけることになった。タルクは普段はリトルベルの駐在所で過ごし、時折ハルジオ村へは定期巡回と称して訪れている。村人たちは自分たちも苦しいというのに、親身に世話をしてくれた。当然、モランも含めて同僚連中で知る者などいない。ちなみに、町の食堂にも緑化教徒が潜り込んでおり、本部への連絡役となっている。食材のやりとりを通じて、『神の慈悲』や司祭からの通達を村に渡しているのだ。

「やったぞ! 俺たちで軍人を殺してやったんだ!!

「あはは! これも神のお導きだよ!」

 村人たちからも歓声があがる。

 緑化教徒は、緑の神のために働いて徳を積み重ねれば、死後に楽園での幸福な暮らしが保証されている。そのためには司祭から免罪符をもらわなければならない。死後であろうとも問題ない。司祭から授与されれば、彷徨さまよう魂も楽園へと導かれるのだ。それを手に入れるために、緑化教徒たちは陰でさまざまな活動に従事している。神の下僕をかたる不届きな連中や、不当に人々から搾取する連中に対抗する手段を得るためである。

「ほ、本当に長かった。苦しかった」

「俺たちにだって、できるんだ!」

 ──我々は神の下で平等なのだ。誰にも支配されず、誰にも搾取されず、誰にも虐げられない。ただ緑の神への信仰を忘れず、日々をあるがままに過ごせば良い。徳は自然に積み重なり、死後に司祭から免罪符というゆるしが与えられ楽園へと導かれるのである。これが緑化教の基本的な教えである。だが、これを弾圧する連中に対しては抵抗し、神への信仰を示さねばならない。見過ごすことは神に対する冒涜だ。徹底して立ち向かわなければならない。

 貢献の方法は様々である。金、食糧、土地、武器などを教会に提供する。布教活動を行ない、教徒を増やす。『神の慈悲』を栽培し、苦しむ教徒たちに配布する。えて異教徒や冒涜者の懐に忍び込み、情報を入手する。あるいは、自らの命をもって神への信仰を示すなどだ。

 不当な弾圧に打ち勝つために、緑化教徒は懸命に働いている。

「そうだ、大砲は大丈夫そうかい?」

「ああ、問題はなさそうだ。多少弾は当たったけど、壊れてはいないと思う」

「それは良かった。司祭も喜ぶだろう」

「なぁタルクさん。俺たちでもこれ使えるかな? 一発ぐらいあのくそ野郎の家にぶち込んでやりたいんだが」

「気持ちは分かるけど、砲弾の無駄使いはやめておこう。緑の教会に送れば私たちの勤めはひとまず終わるよ。後はハルジオの屋敷から物資を回収して、盛大に燃やせばいいさ」

 タルクは大砲の使い方を一応知っているが、人に教えられるほどではない。歩兵科だったため、実際に撃ったことは数える程度、実戦では一度も使ったことがない。長銃に関しては習熟しているため、ここの村人たちに技術を教え込んだ。大事なのは、狙いをつけることよりも数をそろえて撃ち込むことである。

「まぁ燃やすなら同じことか。よし、分かった。それじゃあ早速司祭様に連絡をつけるか。これからどうするにせよ、早く連絡しないとな」

「後で駐在所にも手紙を届けてくれるかな。『問題は無事解決しましたが、ハルジオ伯爵から歓待を受けており中々帰れそうにありません』と書く。それで数日はごまかせる。貴重な時間を稼げるはずだ」

えてるな、タルクさん。分かった、それも俺が届けよう」

 明日にはこの場所を引き払い、他の土地の仲間と合流しなければならない。もしくはここをきょうとうに勢力圏を広げるのか。それすらも今は分からない。ただ司祭の指示に従うのみだ。

 困難が待ち受けるのは確かだろう。何しろ、今回の件は急だったため、何の段取りもできていない。ただ、何かあったときの合図を決めておいたから、すんなりと対処はできた。最初に伯爵が駆け込んできた後、リトルベルに潜んでいる緑化教徒をこの村に走らせ、銃撃準備をさせておく。その後は、タルクの合図で始末するという寸法だ。止むを得なかったとはいえ、これでタルクの軍歴は終わりになってしまった。もう治安維持局からの情報を緑化教徒に流すことはできなくなる。

 本当は穏健に済ませたかったのだが、ここの村人には信心深い者が多い。緑化教徒であることを否定することは、神への冒涜に当たると考える者が少なからずいる。そうすれば、自らの手で処刑しなければならなくなる。タルクの軍歴、隊員の命と、志を共にする同胞とをてんびんにかければ答えはすぐに出た。王国や軍などに未練などない。巻き込んでしまった隊員たちは可哀相だと思うが、仕方がない。彼らは緑化教徒ではないのだから。

「こいつらの死体はどうするんだ?」

「全部燃やして始末しようぜ。異教徒どもにとって、死体を燃やされることは許されざることらしいからな。せっかくだし、報復してやろうじゃないか」

 村人たちが、死亡した隊員たちをあしにしながら中に運び込んでくる。どれも銃弾で血だらけだ。全員死亡しているのは確実だった。

 緑化教徒は死亡後の遺体の扱い方に決まりはない。ただ、神への信仰があればいい。

 だが、異教徒──大輪教徒は違う。時をて母なる大地にあるがままにかえり、次の転生を待つのだそうだ。馬鹿馬鹿しく、実に愚かな話である。死体はやがて腐り、虫の餌になって終わりである。燃やして灰にするのと何が違うのか。その魂は決して救われないというのに。

「よし、油を持ってこい!」

「皆、少し待ってくれ。その子供にだけは慈悲をあげないか?」

「子供? ……ああ、こいつか」

 村人がミツバの死体を乱暴に引っくり返す。

 完全に絶命しているため身動きしない。しかし、死んでいるのにとても綺麗な顔だと思った。目は見開かれたまま、生きているときと表情が変わっていない。視線はただ空を見つめている。頭部と腹部に数発の銃弾を受けた痕がある。苦痛を感じずに即死できたのかもしれない。それだけが救いである。彼女に恨みはなかったが、仕方がなかった。

「異教徒とはいえ、子供には救われる機会があってもいいと思う。正しい神の教えがあることを、彼女は知る機会がなかったんだ。それは、とても哀れなことだと思うんだ」

「まぁ確かに同情するぜ。こんなとしで軍隊に放り込まれるなんてひどすぎる。全く、本当にクソッタレな国だぜ。早く滅びればいいんだ。国王も貴族も全員死にやがれ!」

『神の慈悲』が練り込まれた煙草を吸っている村人。これを摂取すればたちまち気分が高揚し、恐怖が一切なくなる。解放感に満たされ、痛みすらも消してくれる。故にこれは神の慈悲。

 この男は従軍した際に負った傷の後遺症で苦しんでいたのだが、慈悲に触れてからは幸せな日々を過ごしている。国は禁忌の植物としているが、神にすがって何が悪いというのか。ならば代わりに救ってみせろというのだ。それもできないで、神から権利を授けられたなどとのたまい、国を治めているとは笑わせる。

「しかしよう、どうするんだ? 今更免罪符を貰うことはできないだろう。こいつはなんの徳も積んでねぇ」

「……このまま埋めてあげよう。もしかしたら、長い年月の果てに神が慈悲を与えてくれるかもしれない」

 彼女の視線がこちらを見ているような気がした。後ろめたい思いが湧き出てくる。タルクはその青い澄んだ目を、片手で閉じさせる。

「そんなことしたって、腐って終わりだ。大輪の教えなんて全部うそっぱちだ。面倒だから燃やしちまった方がいい」

「分かってる。だけど、あまりに忍びない。どうかあの場所に埋めてあげてほしい」

「しかしよう……」

「無理にとは言わない。だが、頼む」

「あー、分かった、分かったよ。アンタが言うんじゃ仕方ない。じゃあ、こいつだけ特別に埋めてやるさ。他のは燃やして灰にしちまおうぜ」

 ミツバが背負っていた弾薬鞄を取り、村人に渡す。器具は村人が拾い上げ、既に回収を終えている。これが一式あればいつでも発射できる。司祭も喜んでくれるだろう。

 他の村人は穴を掘って隊員の死体を乱雑に放り込み、その上に油をいて焼却準備に入った。

 タルクはミツバの死体を担ぐ。思ったよりも軽かった。そして、ハンナとともに村の外れにある墓地へやってくる。ここには、緑の教えを知る前に死亡した村人の死体が眠っている。村人たちは彼らの魂が救われるように、神が慈悲を与えますようにと毎日祈っていたのだ。その一番片隅に、タルクは穴を掘る。墓石は必要ないだろう。彼女のために祈る者は、誰もいない。

「こんな幼い子が、救われずに一人彷徨わなければならないなんて。この世はなんと救われないのでしょう」

「神の意思に逆らい、国などという概念で人々を縛り付ける連中が悪いのさ。でも、少しずつ世の中は変わっているよ。緑化教徒は勢いを増している。人々の不満を抑えつけるのも限界に近い。近いうちに必ず爆発する」

「私たちも今まで以上に教えを広めねばなりませんね、貴方」

「そうだね、ハンナ。いずれ、この世界に国なんてものはなくなるんだ。そうすれば王、貴族、市民の区別もなくなる。国同士の争いもなくなる。ただ、一人の人間として自由に生きていける。そう、緑の神は全てをお救いになる。この世は誰もが救われる楽園になるんだ」

 墓穴を掘り終えたタルクは、ミツバの死体をそこへ優しく入れる。ハンナと一緒に土を掛け、埋葬する。そして、最後にミツバが所持していた長銃を墓標代わりに突き立てた。

「これは彼女の罪のあかしであり、救いの道標でもある。全ての銃が用済みとなり朽ち果てる頃、緑の神によって大いなる慈悲がもたらされますように」

「緑の神の、お導きがあらんことを」

 最初で最後の祈りを捧げる。そして、ハンナと共にみなの元へと戻る。

 これから忙しくなる。やることは多いが、タルクの顔には満ち足りたものがあった。軍服などという拘束具を脱ぎ捨てられる解放感、家族と常に一緒にいられるという幸福感からだった。



「き、貴様ら!! 貴族たるこの私をこんな臭い場所に閉じ込めるとは! 後でどうなるか分かっているのか!」

「腐れ農奴ども、さっさと私をここから出せ! 本当に殺されたいのか!!

「もう本当に臭いっ! 鼻が曲がりそうだわっ!! 誰か、なんとかして頂戴!」

 ハルジオ一家を拘束している豚小屋をタルクは訪れた。

 木箱に腰掛けていた見張りの男が笑みを浮かべる。

「お、タルクさん。こんなところに何か御用ですかい?」

「ああ。後は私が見ていよう。君は寝るといい」

「へへ、そいつは助かりますよ、こいつらピーピーうるさくて仕方がねぇ。じゃあ、神の慈悲に触れてから寝るとします。それじゃ、お先に」

 見張りの男はふらふらしながら立ち去っていった。木箱に腰掛け、ハルジオ一家を観察するタルク。こちらを見たハルジオ伯爵は目をいて怒り出す。

「お前、タルク少尉か! 何をそこで突っ立っているのだ!! 早くここから助け出さんか!! その後でカビどもを皆殺しにしろ!」

「はは、お断りしますよハルジオ伯爵閣下。貴方たちにはその場所が相応ふさわしいと思いますが」

「貴様、誰に向かってそんな口を利いているんだ!! 本部に報告して処分をくだして──」

「どうぞご自由に。まぁ、貴方にそんな機会は二度とこないと思いますが」

 タルクは薄く笑う。

 騒いでいたハルジオ一家の勢いが徐々に落ちていく。事態を飲み込み始めたのかもしれない。

「お、おい。まさか、き、貴様も、緑化教徒なのか? 嘘だろう」

「ええ、私は緑化教徒ですよ。この村に入れていただいた農奴がいたでしょう。彼女は私の妻なんです。彼女から教えを受けましてね」

 それを聞いたハルジオが口を開けてぜんとする。そして、顔をあおめさせる。

「つ、妻だと。ま、待て。まさか、村の農民全てが、緑化教徒なのか?」

「ええ、その通りです。貴方が虐げすぎたせいで、皆すんなりと教えを受け入れてくれました。いやはや、貴方の馬鹿息子が騒いだと聞いたときは、心臓が止まるかと思いましたよ。どうせ、全部嘘だったんでしょうがね。そうでしょう、アルストロ上院議員さん」

 タルクがハルジオの息子アルストロに笑いかけると、バツが悪そうな表情を浮かべる。元はただの虚言だったのだ。緑化教徒が王都を騒がせていると聞きつけたこの息子は、ちょっと父親をからかってやろうと考え付いた。村人をいじめる理由が欲しかったのかもしれない。緑化教徒が隠れていると報告すれば、必ず騒ぎになる。だが、そのせいでタルクは決断し、村人は反乱を決意した。燃料は元々ばら撒かれていたが、最後に着火したのはこの息子だ。

「そ、そうなのかアルストロ?」

「え、ええ。生意気な農奴をいたるついでの冗談です。最近、やけに反抗的だったので。一人か二人、適当に懲らしめれば態度が改まるだろうと思って。し、しかし、こいつらが全員緑化教徒だったなんて、私は知らなかったんですよ!」

 アルストロと呼ばれた青年がおびえた表情を見せる。この愚にもつかない男が、国の中枢を担うべき上院議会の議員だというのだから実に救えない。この男が例外でないことは言うまでもない。この国の貴族は全て腐りきっている。

「虚言とはいえ、結果的には真実だったというわけです。で、そのまま放っておけなくなったので、こういう事態になりました」

「……なんということだ。だ、だが、事実とすればむしろ大手柄だ! カビどもの巣を暴いたのだからな! すぐにモラン大尉がやってきてくれる!」

「そのご心配には及びません。大尉には偽の報告を送ったので、数日の間は騒がれないでしょう。役目を終えた私たちは、貴方に歓待されていることになっていますので」

「ふ、ふざけるな、薄汚いカビどもめが! 今すぐ地獄に落ちろ!!

「私たちをカビと呼ぶのですか。ですが、私から言わせれば、貴方たち貴族の方がよっぽど薄汚く腐れたカビですよ。弱者から限界を超えるほど搾取し、理由もなく痛めつけ、暴言を吐いては不快にさせる。もはや存在が冒涜にひとしいのです。今すぐ、この世界から消えてほしいですね」

「な、な、な」

 ワナワナと震えるハルジオ伯爵。息子のアルストロと夫人は途方に暮れて泣き崩れている。

「このまますぐに処刑しようと思ったのですが、貴方たちは教会本部に引き渡すことにします。どういう使われ方をするかは分かりませんが、死ぬのは確定なのでご安心を。私の予想では、見せしめのために公開処刑でしょうか」

「ま、待ってくれ。た、助けてくれるなら金はいくらでも──」

「私たちは金なんて要りませんよ。私たちが求めているのは救いですからね。それとも、まさか、貴方がくれるとでも言うんですか?」

「た、待遇改善を約束しよう。農奴たちには、少し厳しすぎたと反省している。か、金だけじゃなく自由もやる! だ、だから許してくれ!」

「私も議会に提案する! 約束する! だから、だから殺すのだけは待ってくれ!」

 今更泣き言を繰り返すハルジオとアルストロ。実に空虚な言葉であり、心には全く響かない。全てが嘘偽りに満ちている。

「全く信じられませんね。それに、今更少しばかりの待遇改善なんてされても困りますよ。どれだけ搾取してきたと思っているんですか。私たちは皆で楽園に行くのです。今までのことは徳を積むための試練と思うことにします」

「お、おい。少尉、待ってくれ。頼む、話を」

「そうそう、後で村の者がお礼をしたいそうです。是非親身になって聞いてあげてくださいね。多分、死ぬことはないと思いますよ?」

 あははと乾いた笑いを浮かべてから、タルクはこれからのことに思いをせた。耳障りなはずの悲鳴が何故なぜか心地よい。これだけ徳を積んだのだから、免罪符を貰えることはほぼ確定している。後は、ただ神のために祈り、働き、楽園での暮らしを待てばいい。自分たちは必ず救われるのである。



おやよお。俺は親不孝もんだ。結局親父に教えを信じさせることができなかった。なんであんなに頑固だったんだ。信じてさえくれてれば、親父にも免罪符をあげれたのによぉ」

 夜中。一人の男が、村はずれの墓地の前で麻薬を吸っていた。祝い事の日以外は飲むこともない酒も用意している。あと数日でこの救いのない村を出ていかなければならない。だから、最後の別れのつもりだった。

「へへ、ハルジオの糞野郎、豚小屋でみじめに泣き喚いてるんだぜ。親父が散々甚振られたあの糞野郎だ。後で徹底的にぶん殴ってやるぜ。親父は死ぬまで国王を信じてたが、やつは何もしてくれなかった。だが俺たちは神のおかげで立ち向かう勇気を持てた。そして救いを得たんだ。どっちが正しかったか、今なら分かるだろ? なぁ」

 そう言って、男はこけむした墓石に酒をかける。救いがありますようにと祈りを込めながら。だが、きっと救いはもたらされないだろうと思う。父は頑固であり、緑化教をただのごとと断じていたからだ。最後まで頑固な男だった。頑固で頑固で誰よりも家族を愛していた。だから苦しんで絶望して死んだ。そのことをとても哀れに思う。

「俺は楽園で幸せになる。親父やお袋の分までな。そして、もし緑の神様に会えたら、親父の分も頼んでおいてやるよ。救ってやってくださいってな。それで親不孝のことは勘弁してくれよ」

 高揚感が身体を包んでいく。神の慈悲が脳を包んでいく感覚だ。愉快に世界がふらついてくる。

「……うん?」

 何か物音が聞こえたような。虫の音ではない。ザクザクという、なんだか乾いた音。夜中なので音がよく通る。男は周囲を見渡した後、一点を見つめる。長銃が突き立てられた場所である。

「……ああ。タルクさんが埋めてやった子供の墓か。なんだ、お前も飲みたいってのか? へへ、子供のくせに生意気な奴め」

 笑い声をあげながら、そこに近づいていく。気分が良い。異教徒ではあるが、今日ぐらいは慈悲を与えてやってもいいだろう。自分は神のせんぺいなのだ。救われるべき偉大な存在なのだ。

「へへ。子供にはちと早いが、大陸一の名酒だぜ。なぜなら俺様が飲んでいるからだ。わはははは!」

 片膝をついて、長銃にちびちびと酒を垂らしていく。子供にはこれで十分だろう。と、長銃が倒れてしまった。お代わりの催促かもしれない。だが、そこまでは寛容になれない。

「へっ。ガキにそこまではやれねぇなあ。さっさと虫にわれて、魂だけで反省して──」

 そう言いかけて男は目を剥く。埋め立てた地面から、いきなり手が生えてきた。小さく、そして異様に白い手が。獲物を求めるように揺れた後、土がものすごい勢いで盛り上がっていく。

…………え? え?」

 あの子供だ。地中から、子供の上半身がてきた。タルクが埋めたはずの死体が、勝手に。その土まみれの死体は、歯を見せて嗤うと、こちらを見つめてくる。青が特徴的だった瞳が黒く虚ろに染まっている。更に地中から這い出ようと、死体は身体を揺り動かしている。その動きは人形のように不規則で、実に恐ろしい。これは、人間ではない。

「う、嘘だろ。た、ただの、ただの幻だろ!? なんなんだよこれはッッ!」

 神の慈悲に触れると、気分の良い幻に包まれる。楽園生活を仮想体験できるのだ。それと同じ作用が働いていると男は信じたかった。だが、必死に頭を振り、目を擦っても目の前の光景は変わらない。むしろ、少女はあと少しで土から這い上がる寸前だ。

「あ、あああああああッ!! く、くるなくるなくるなッ!!

 恐怖に駆られた男は、腰を抜かしながらその場から逃れようとする。だが足が凍りついたかのように動かない。だから両手だけで、必死に逃げる。すぐに助けを呼ばなくては。タルクだ。あいつなら大砲が使える。大砲でこいつを粉砕しよう。やっぱり異教徒は燃やさなきゃ駄目だったんだ。だって神の敵なんだから。神の敵はすなわち悪魔である。だからこいつは悪魔なんだ。悪魔なんか埋葬するからこうなる!

「ひっ」

 ──足首にヒンヤリとした感触。何かが、自分の右足をつかんでいる。ひいっと叫びながら、必死に振りほどこうとするが、離れてくれない。見てはいけない。それは分かっている。だが我慢できない。嫌な予感がしつつも、つい、後方を見てしまう。

「ひいいいいいいいいいいいいいいいいッッ!!

 完全に黒く変色し濁った目が、こちらを見つめていた。口からは黒ずんだ液体が垂れている。と、自分の右足にぞわぞわした感触が走る。それは下半身から腰へと範囲を広げている。何か分からないが、何かが自分の身体を浸食している。これは毒だ。ぞわぞわぞわ。魂が掻きむしられている。

「な、なん、なんだこで。お、おでの身体が、く、くさっで」

 腐っていく。生命力が吸われているのか、それとも死体が毒素をもぐり込ませているのか。分からない。だが、右足はもう原型をとどめていない。徐々に下半身の感覚もなくなっていく。やがて、それは上半身へと。

「が、がみざま。だ、だずげて。おじひを。おでにおじぃひををををっ!」

 救いを必死に求める男。もう顔を動かすことができない。もがきながら、ひっくり返る。そして、空に手を伸ばす。神の慈悲がありますようにと。その哀れな手を、両手で優しく掴んでくれたのは。

「月が、綺麗ですね。良い夢、見れましたか?」

 ニヤリと嗤う少女の両手だった。腐食が両手からも急速に広がっていく。

──ッッ!? ウアアアアアッ!!

 こんなはずじゃなかったと、声にならない叫びをあげ、男は紫色の泡を吐きながら最大級のもんを味わって死んだ。その死に顔には、救いの手など一片のカケラすら残っていなかった。少女はそれをしばらく眺めた後、土まみれの長銃を拾い上げる。そして、腐食しきった男の頭部を踏み潰すと、明かりのともる家々に向かいゆっくりと歩き始めた。




 紫色のもやがかかった場所に私はゆらゆらしながら立っている。なんだか見覚えのある場所。

 そうだ、ここははじまりのあの場所だ。

 でもなんだか高いところにいるような浮遊感。高い場所から世界を見下ろしているような。でも下には何もない。そして、気がついたらとても見知った顔が二つあった。私も入れれば全部で三つ。私はとりあえず挨拶をすることにした。

「こんばんは、ですか? こうやって面と向かって話すのは初めましてですかね」

「いつも一緒だからねー。とっても不思議で面白いね!」

「顔をつき合わせても私は私、だからどうでもいいよ。思考も最後は混ざるんだし」

「ここはなんなんです?」

「さぁ。しーらない」

「地獄じゃない? 天国はないけど地獄はあるってお母さんが言ってたし。だからここは地獄。私たちは地獄で生まれて地獄で死ぬの」

 ろくでもないことを言う私。こんなにも暗い世の中、少しは明るくいきたいものである。

「それはそれとして、また死んじゃいました。申し訳ないです」

「そうだねぇ。穴だらけで痛いよねー。どうしてこんな目に遭うのかな? 本当に嫌だなー」

「私がのんにしてるからだよ。いつも後手後手。先手を打って殺さないと駄目でしょ。だから死ぬんだよ」

 私たちからの駄目出し。痛いところを突かれた私は話をらすことにした。

「ま、まぁまぁそう怒らないで。私だって死ぬぐらい痛かったんですから。ところでですね、この世界に神様はいるんですかね?」

「どうだろうねー。私には分からないよ。全然興味ないかなー」

「いないよ。どこにもいなかったもの。いたら殺せたのにね。残念だね。そうか、だから私は緑の連中が嫌いなんだね。いないモノをあんなに信じるなんて気持ち悪いし。あはは、気持ち悪いから全部殺さなくちゃ!」

 私たちは全員がミツバでありミツバじゃない。

 不運にも魂を複製された私。

 執念に束縛され消滅できなかった私。

 生まれでることが許されなかったバラバラな私。

 全部私だけど思想や思考はみんな違う。穏健主義なのがこの私、あちらが今が楽しければ良いという享楽派な私、こちらが頭のネジが全部すっとんでる過激派な私である。いわゆる三頭制で、穏健派なこの私が主体なのである。やったね。でも私は私なので結局同じことなのである。残念。

「じゃあ私はなんで生きてるんです? 何度も殺されたと思うんですけど」

「さぁー。でも生きてるからどうでもいいんじゃないかな。難しいことを考えると眠くなるよ」

「存在できているならどうでもいい。まだ、この世界で何もしてないし。まだまだこれからだよ。何もせずに消えるなんてありえない。そんなのは絶対に嫌」

 生と死への疑念を抱く哲学的な私に、どうでもいいと答える私たち。

「なんでかというとですね。死なないなら、もしかして私には神のご加護があるのかなって。それとも悪魔的な何かですか? ほら、魔法っぽい変な能力使えたりするし。きっとそうですよね」

「あー、私は馬鹿なんだね。でもいいと思うよ! 馬鹿な方が人生楽しいよねー。分かる分かる」

「私たちは神でも悪魔でもないよ。加護なんてないし、もちろん勇者でも死神でも魔王とかでもない。私たちは人間じゃないけど人間っぽいなにか。あははは。じゃあ一体なんなんだろう! いつかお母さんに聞いてみないとね!」

「……えっと。じゃあ、私は人間っぽいなにかとして。今までが超幸運で、そのうち死んじゃうってことですか?」

「さぁ。そんなの知ーらない。ふぁあーあ」

「何事にも代償は必要なんだよ。人を呪わば穴二つって言うんでしょ? 私たちはもっとたくさんの穴を作れるよね。でもね、お互いに呪われていることには変わりがない。だからね、そういうことだよ。早く制御しないと全部撃ち尽くしちゃうからね。でもこの腐った世界で制御できるのかなぁ? あはははは! でも悪意はたくさん渦巻いてるから補給し放題! そう簡単には消えないし消えられない!」

 手を銃の形にしてご機嫌にバンバンやっている過激派な私。享楽派の私は横になって眠ってしまったようだ。この話に飽きたらしい。

「あのね、私は平和に生きたいんでしょう? でも絶対に無理だよ。そんなのつまらないから私たちが許さないし。民主主義万歳だよね」

「……最後に一つだけ聞かせてください。結局、私に、どうしろっていうんですか?」

「あのね、この世界のいろんな人たちが私を作ってくれたんだよ。長い時間をかけて、血、肉、魂まで全部用意してくれたの。だからね、何もせずに消えるなんて嫌なんだよ。私もそうでしょう?」

……………………

「だから、これからは私ももっと頑張って起きているから。一緒に、この世界にたくさん刻み込もうね」

「世界に、刻む。いったい、何を?」

 返答はとても素敵な私の笑顔だった。ブツンと視界が途切れて、私は目が覚めた。



「……うん?」

 見張りを続けていたタルクは、異変を察知した。夜だというのに、明るすぎるのだ。今日は確かに満月の夜だが、その類いの明るさではない。何かもっと赤くて不吉な──。

「か、火事だ!! ディーガンの家が燃えてやがる!」

「早く水をんでこい! 男連中は消火作業に当たれ!! 女はにんの手当てだ!」

 村で睡眠を取っていた大人たちが慌てて水の入ったおけを持って、ディーガンの家に向かっていく。タルクもそれに加勢しようとしたが止められた。

「私も手伝いますよ!」

「いや、アンタはハルジオの野郎を見張っててくれ。このくずども、まだ諦めてないみたいだからな」

「し、しかし」

「逃げられでもしたらそれこそ大変だ。こういうのはアンタが一番適任だ」

「……分かりました。ですが、皆さんも気をつけてください」

「分かってるよ。しかし無事に避難してるといいんだが。全く、こんなめでたい日になんてことだ」

 見送った後、タルクは再び腰掛ける。そして、元豚小屋にぶち込まれているハルジオ一家を眺める。元というのは、家畜など食べてしまったため、とうの昔に存在しないからだ。今のこの村のなりわいは、どうや野菜の栽培と、『神の慈悲』の密造である。

「お、おい! もしかして王国軍ではないのか? 私たちを助けに来たのでは」

「ははは。あいにく、ただの小火ぼやですよ。ちょっとした火の不始末ですね。勝利した喜びで、つい気が緩んでしまったようで」

「ぼ、ぼや? く、くそがっ!」

 顔面中にあおあざが刻まれたハルジオが、しそうにうずくまる。

 息子は右足をられており、苦痛にうめくのみ。もう普通に歩くことは難しいだろう。夫人は髪を切り刻まれた挙句、全身に泥をぶちまけられている。ただ屈辱を与えるのが目的である。

 タルクが見張りを続けながら、少し離れた場所で行なわれている消火活動の様子を見守る。

「うん? 何だか声が」

 誰かのささやくような声が、近くで聞こえた気がした。小さな女の子のような声だ。その直後、ドンと何かが破裂したような音が響く。──そして、ディーガン家が爆散した。

 消火活動に当たっていた大人たちは、一斉に地面に倒れ伏せ、悲鳴を漏らす。顔面には木片やら鉄片が食い込んでいる者もいる。四肢の一部が千切れた者もいる。

「……い、痛い。な、なんで、俺の腕が」

「ああああああ!! か、顔が焼ける!! 助けてくれ!!

「神様!! お、お慈悲をッッ!!

 続けて破裂音。とどろく爆発音。軽傷で救助に当たろうとしていた者たちが、再び吹き飛ぶ。タルクはぜんとしながら、それを眺めることしかできない。そして、ふと疑念が頭によぎる。

「み、皆。そ、それに今のは、砲弾。まさか、本当に王国軍がやってきたとでも」

 だがモラン大尉にそんな気概があるとは思えない。今回だって、適当に大砲の射撃を披露してやれと言っていたくらいだ。彼は現状維持することにしか興味がない。今までだって、緑化教徒をわざわざ捜索しようとはしてこなかった。こちらにも被害が出るから避けたいというのは明らかで、自爆を恐れているのも見て取れた。だからタルクは副長の地位を利用して、教徒のために色々と手を回してやったりもした。一々詮索してこないモラン大尉は実に理想的な上司であった。

 しかし、極めて信じがたいが、現実はこの惨状である。誰かは分からないが、敵方は容赦なしに砲弾を撃ち込んできている。タルクは慌てて立てかけておいた長銃を手に取る。そして、気持ちの悪い声で笑い始めたハルジオをにらみつける。

「は、はははっ。やはり国は私を見捨てなかった。お前ら全員皆殺しだ! 貴様ら、一人たりとて逃げ──ぐえっ!!

「黙れッ!」

 おりを開けて、顔面を銃床で殴りつける。鈍い感触があったので、鼻の骨は折れているだろう。小うるさい口を足で踏みつけてやる。そのついでに、右足の折れている息子も蹴りつける。もちろん折れている足をだ。

「ぐああああッ! あ、足がああああああああ!!

「や、やへて。む、むすこだへは」

「この寄生虫どもが! 今度余計なことをしゃべったら頭を撃ち抜くッ!!

 貴族の蔑称、寄生虫。これ以上ない名前である。このまま撃ち殺してやりたい。

 だが今はそんなことより、命を懸けて応戦しなくてはならない。倒れている人たちは可哀かわいそうだが、助けている余裕はない。それよりも、一人でも多く道連れにするべきだ。それでこそ緑の神への貢献に──。

「……え?」

 タルクは一瞬己の目を疑ってしまった。

 燃え盛るディーガン家。その死角から、一門の大砲がのろのろと進み出てきたのだ。片手に呪紙棒を持っているのは、死んだはずの少女──研修生ミツバ。彼女は大砲を止めると、口元をゆがめて着火点に呪紙を当てる。すると、破裂音とともに、今度は散弾が飛び出した。最後の力を振り絞り立ち上がろうとしていた者たちの身体が、一瞬で蜂の巣になる。断末魔の悲鳴すらあがらない。

「そ、そんな馬鹿な。あの子は、確かに、確かに死んでいた。何故なぜ生きている!?

 混乱するタルク。ありえない。確かに死んでいたし、そして埋めてやった。祈りもささげてやった。だから生きているはずがないのだ。それに見てみろ、彼女の軍服は現に土まみれだし、銃弾の痕もあるじゃないか。それが生きているのはおかしい。ありえない。

「……どうして。なんでだ? 一体何が起こっているんだ。か、神よ」

 幸い、ミツバはこちらに気付いていないようだ。

 と、何かを見つけたのか、その場に大砲を残して小走りで駆けていく。そして、縄とさるぐつわで拘束された二人の人間を引き連れて戻ってきた。それはとてもよく見知った人たちで。

「どこかに隠れているタルク少尉、聞こえていたら今すぐに投降してください。さもないとこの人たちを殺します。貴方あなたの大事な家族ですよね? これから十秒以内に出てこなかったら、まずこの子供から殺しますね」

「──な」

「それでは秒読みを開始します。10、9、8──」

 妻ハンナと愛息を強引にひざまずかせると、その頭部に銃剣を突きつける。そして楽し気に秒読みを開始した。タルクは慌ててミツバに向かって照準を定める。この距離だ。当てるのは自分の腕なら難しくない。別に頭部じゃなくてもいい。どこかに当たれば隙ができる。だが、本当にアレを殺せるのかという疑問は尽きない。なぜなら、殺したのに生きているから。それはおかしいのだ。なら自分はどうするべきか。何を選択するべきなのか。

「当たる。当たるはずだ。そうすれば殺せる。緑の神が私たちを見捨てるはずがない。これは神が与えた試練なのだ。神よ我らを導きたまえ」

 手の震えが収まっていく。引き金に掛けた指に力を込めていく。そして、撃とうとした瞬間。ミツバと完全に目が合った。青い目じゃない。深遠な黒が広がる、その絶望をたたえた目。その目が、タルクを捉えている。

──ッ!!

「ああ、そこにいたんですね。やっと見つけました」

 ミツバは白い歯を見せてわらうと、長銃を片手で構えて、引き金を引いた。



 タルクたちは、ミツバ一人の手によって壊滅させられていた。何が何だか分からないうちにだ。

 そして、意識のない者もある者も村の広場に集められた。ゴミでも打ち捨てるかのように。

 ハルジオ一家は救出されたらしく、近くの椅子に座りながら肩で呼吸を行なっていた。

「た、助かったぞ。こ、今回のことは、国への大きな貸しになる。この落とし前は必ずつけてやる!!

「伯爵伯爵、まだ何も終わってないですよ?」

「な、なに? 一体何がだ。反乱はこうして無事鎮圧」

「緑化教徒の処刑ですよ。全員連れては戻れないし、自爆されたら厄介です。短い人生、リスクは早めに摘み取らないと」

「お、おい。勝手なをせず応援を」

 動揺するハルジオを置いて、ミツバが一番近くの男に近づいていく。

「貴方は緑化教徒ですか?」

…………

「黙して語らずとは頭が良いですね。でもさわやかな臭いなので死刑です」

 流れるような動作で銃剣を男の頭部に突き刺した。血がほとばしり、男は倒れ伏す。

 ハルジオもあまりの事態にぼうぜんとしている。

「な、なんてことを!!

 思わずタルクは声をあげる。右腕を撃たれ、更に両脚を拘束されているから、身動きすらできない。ハンナと息子をそばに引き寄せることぐらいしかできないのだ。

「心配しないでいいですよ、タルク少尉。私は緑化教徒を嗅ぎ分けられるんです。最初に言ったでしょう? さわやかな人ですねって。麻薬のせいか、それとも緑化教を信じるとあの臭いがつくんでしょうか。分からないけど、もしただの麻薬常習者でも別にいいですよね。錯乱して自爆する迷惑な人間なんですから。巻き込まれたらいやですし、死んだ方が世の中のためです」

 笑いながら『神の慈悲』の花を握りつぶした後、ぐりぐりと踏みつけている。神へのぼうとくを聞いた怒りで思わず歯を食い縛るが、どうにもならない。どうしてたかが子供一人にここまでしてやられたのかも分からない。なぜこいつが生きているのかも分からない。分からないことだらけで、タルクは頭がどうにかなりそうだった。

「じゃ、どんどん行きましょう。貴方は、緑化教徒ですか?」

「そ、そうだけど、頼む、殺さないでくれ。お、俺は、まだ免罪符を」

「はい、死刑です」

 また見知った顔が殺された。続いてその妻、子供。真実を述べた者、うそいた者、老若男女の区別なく、ミツバは銃剣を突き刺していった。何も答えることができない重傷者は、葡萄の実を潰す作業のように容易たやすく頭部を粉砕されていった。残りはミツバが抱えている赤子を除けば四名のみ。

「この赤ちゃんからは臭いがしません。ということで助けてあげます。ここの住民は貴方が管理するんですよね。はい、どうぞ」

 わめく赤子を、ハルジオへと差し出す。ハルジオは慌てて受け取るが、すぐに汚らわしいという表情で地面に投げ捨ようとするのを、ミツバが腕をつかんで制止する。

「なんで殺すんです?」

「ふ、ふん。は、反乱を起こした農奴の赤子など、生かしておいたところで!」

「赤ちゃんを殺したら許さない。何の罪もないのに。何もしてないのに。絶対に殺さないでください。……殺したら殺すぞ」

「ひ、ひいっ」

 声色を変えたミツバが強く念を押し、顔を近づける。ハルジオは赤子を抱いたまま腰を抜かして泡を吹いている。アルストロと夫人などは、跪いてミツバに対しひたすら祈りを捧げている始末。

 そして、ようやくタルクへと向き直りあわれみを帯びた視線を向けてきた。

「さて、いよいよタルク少尉の番ですね。何かことづてがあればモラン大尉に伝えますよ。もう話す機会はないでしょうし」

「……なぜ」

「はい、なんでしょう?」

「なぜ、お前は生きているんだ? 確かに死んでたはずなのに。何故死人がよみがえ!?

「さぁ。神様がいるなら、まだその時じゃないって追い返したんじゃないですかね。まぁいないんですけど」

「ふざけるなッ!! お前の様な悪魔に、神が慈悲を掛けるわけがない!! 化け物め!!

「自分だって仲間を殺したくせに、ひどい言い草ですね。それと唾を飛ばさないでください。そのさわやかな香りが頭に突き刺さるんです。さわやかすぎるのも鼻に悪いですよね。なんだか頭痛もしてきました」

 心底嫌そうにミツバが見下ろしてくる。さわやかな香りなど、知るわけがない。そんな香りは嗅いだこともない。ここにあったのは土と汗の臭い、そして今は血の臭いだけだ。

「こ、殺すなら殺すがいい。私たちは神に導かれ、楽園で過ごすんだ。徳は十分に積んだ。きっと救われる。私たちは救われる!」

「特別サービスで、良いことを教えてあげます」

…………

「天国なんてないんですよ。もちろん楽園なんて嘘っぱちです」

「黙れ!!

「そんな大声を出して否定しても事実は変わりませんよ。貴方たちは緑化教の偉い人たちにいいように使われて搾取されてきただけ。まともな思考は麻薬でされちゃいましたか? それにほら、死んだ後に救われるって言っておけば、誰も否定できませんから。死人に口無しですね、あはははははははっ!」

「う、うるさ!! 楽園はある! 神は確かに存在するんだ!! だって、私はこの目で見たんだ!!

 神の慈悲に触れたタルクは確かに見た。見たのだ。神は、いる。

 心の中に僅かに残っていたさいしん欠片かけらは、自分の弱さの表れ。そうに決まっている。そうじゃなければ、あまりに救われないではないか。

「麻薬のやりすぎで頭がイってたんじゃないですか? そうか、だから自分の子供たちに麻薬を使っちゃったんですね。あははははは!! おめでとうございます。少尉は地獄行き決定ですね!」

 拘束された身体でミツバに飛びかかったが、頭部に激しい衝撃を受け、タルクは意識を失った。ハンナと愛息が絶命する際にあげた悲鳴だけは、なぜか頭に飛び込んできてしまった。そして、上機嫌なミツバの笑い声。きっと全てが夢なんだと、タルクは思うことにした。そうしなければ、精神を保っていられなかったから。

「天国はないけど、地獄はあるんですよ。これからしばらくの間、存分に味わってください。そうしたら、解放される瞬間だけは救われた気分になれるかもしれません。本当、良かったですね」

 目の前で家族を失い、神の存在を悪魔に否定されたタルクの精神は完全に壊れてしまった。それが幸か不幸かは誰にも分からないし、もう本人にも判断できなかった。ただ、その表情はひたすらもんあふれているものだった。



 靄のかかった意識が晴れてきた。朝焼け空がとても目に染みる。ついでに、大地は緑化教徒たちの死体で埋まっている。大体五十人くらいだろうか。それはもう見事に死んでいる。

「うーん。私がやったんですけどちょっとやりすぎたような。片付けが大変そう」

 ポリポリと頭を掻いて反省。反省だけなら猿でもできる。手には乾燥した赤茶けた血が付着している。ポンポンとはたくと、ペリペリと剥がれていく。近くにはよだれを垂らしながら何かをぶつぶつつぶやいているタルク少尉。愛する妻子の死で精神が崩壊してしまったようだ。それをやったのは私。記憶はしっかりある。でもまぁ同僚を殺した罰があたったということで。

「で、どうしたらいいと思います? 伯爵」

「ひ、ひいっ!」

「伯爵は緑化教徒じゃないでしょう? だから大丈夫です。そんなことより、どうしたらいいか考えはありますか?」

 おびえる伯爵一家に近づき、意見を求める。赤子を抱えた伯爵は顔面そうはくだったが、目がイッてしまっている息子を見て口を開く。

「と、とにかく息子を、アルストロを医者に見せなければ。それに、妻も! さっきから様子がおかしいのだ!」

「……ああ、女神様。どうか私たちをお救いください」

「女神様? どこに女神さまが?」

 私に向かって拝んでいるご婦人に声を掛けるが、特に反応はない。一発ぶん殴れば治りそうだけど、やったら伯爵に怒られそうだからやめておこう。息子さんもほぼ一緒の症状。必死に拝んでいる。

「糞っ、どうして善良に生きてきた私たちがこんな目に遭わねばならん!」

「あの、伯爵の家に誰か残っていないんですか?」

「……全員裏切っていたのだ。あの薄情者どもめらが!」

「もしかして全員緑化教徒だったんですか?」

「違う! 金で懐柔されていたのだ! 私たちを嘲笑した挙句、見捨てていきおったわ!」

「あちゃー」

 私の予想だと給金を渋ったか、常日頃から嫌がらせをしまくったせいである。この自称善良な伯爵、ビックリするほど人望がなさそうだし。

 国のためを思うならここで死んでた方がいい気もするけど、別に潰さなくてもいいかもしれない。一匹寄生虫を潰しても、大して何も変わらないし。私に迷惑を掛けなければどうでもいいのである。むしろ生きててもらえれば、私が士官学校に戻ってから褒められるかもしれない。というわけで伯爵には生きて帰ってもらうとしよう。

「仕方ないです。じゃあ善良な伯爵様ご一家は私と一緒にリトルベルに帰りましょうか」

「わ、私たちに自分で動けというのか? しかも今から? この散々な有様を見てものを言っているのか?」

「別にここにいてもいいですけど。盗賊とか緑化教徒の残党が来て、皆殺しにされちゃっても文句言わないでくださいね。私は帰ります」

 私がキッパリと告げると、伯爵は顔をあおめさせた。大変危険な状況にいることにようやく気がついたのかもしれない。別に気がつかなくても構わないけど。本当にどうでもいいからである。それに徹夜したせいか、普段の礼儀正しい対応ができていない。でも疲れてるから仕方ない。この人たちが勝手に死んでも仕方がないことにしよう。世の中そういうものだし。

「わ、分かった。分かったから見捨てないでくれ。頼むから、私たちを連れていってくれ! 死ぬのは嫌だ!」

「ちょ、ちょっと。顔が近いですから。そちらの奥様も近いですって。全員離れてください」

 ゾンビみたいに顔を近づけてきたので、手で押し返す。夫人もゾンビみたいに近づいてきたので、ハルジオ伯爵を盾にして回避。だって、泥まみれで汚いし。私も血まみれだけど。

「ぶ、無礼なと言いたいが、命の恩人に失礼なことは言えんか。しかし、まぁ、派手にやったものだ」

「ええ、見事に壊滅状態ですよね。崩壊って感じで!」

「ああ、鼻が折れて痛くてたまらん。それに死ぬほど頭が痛い。物理的にも精神的にも私の懐的にもだ。これから一体どうしたらいいのだ。誰が補償してくれるんだ……」

 死ぬ寸前だったのに呑気な伯爵。メンタルだけはきょうじんなようだ。

「さぁー。それも私は知らないですし興味もないです」

 私はかばんを背負い、器具を担ぎ、大砲を押しはじめる。

「お、おい。まさか、それを持っていくのか?」

「ええ。大砲は高いですからね。命令がない限り放棄は許されないと教えられました」

「……そ、そうか。最近の兵士は実に敢闘精神に溢れているのだな。……すまんが、アルストロを大砲に乗せてやれないだろうか。も、もちろん私も押すつもりだ。つもりはある」

「ええー」

 うっかり非常に嫌だという不満がもれてしまった。アルストロという青年は脂汗ダラダラで、今にも気絶しそうである。右足はなんだかすごい形に曲がってるし。伯爵も口ばっかりで手伝わないに違いない。

「頼む! この通りだ! 後でもちろん礼はする!」

「わ、分かりましたから、あまり近づかないでください。死ぬほど邪魔なんで。器具が落ちちゃいます」

「ほ、本当に無礼な娘だな」

「戦場に無礼も非礼もないです。生きてるだけでラッキーですよね」

 私が言いきると、伯爵もしぶしぶうなずいた。

 仕方なくアルストロを砲身に乗せ、縄で落ちないように身体を固定する。そのときの振動で悲鳴があがるかと思いきや、特になにもなし。その目はうつろで、何だかニヤニヤしていて気持ちが悪い。まぁ、これから地獄を味わうと思うので今は放置だ。道はそんなに整備されてなかったから、車輪はそうとう揺れる。振動はもろに伝わるわけで。それはもう超痛いだろう。

「よいしょ。これでできあがりですね」

「ああ、女神さまのお慈悲に触れることができるとは。もう、私は死んでも構いません!」

「……奥様はアルストロ君を横から支えてもらえます?」

「ええ、ええ。女神さまのお告げですわね。もちろん従いますわ」

「……そ、そうですか。伯爵、この人たち、頭大丈夫ですか?」

「私に聞かれてもな。無事戻ったら医者に診せるつもりだ。追い詰められて精神が少々まずいことになっているようだ」

「そうですか。じゃあ、伯爵がタルク少尉を見張ってください。これから一緒に砲身にくくけます。もちろん手足にはかせをするので」

「わ、私が見張るのか?」

「他の二人はもう無理そうですし。よろしくお願いしますね。万が一悪さをしたら、このナイフで死なない程度にやっちゃってください」

「わ、分かった。任せておけ」

 タルクを乱暴に大砲に括り付ける。伯爵に拾ったナイフ、アルストロには、一応布を巻いた木の棒を渡しておく。

「多分、悲鳴をあげたくなるでしょうから、これをどうぞ」

「これは一体?」

「我慢できなくなったときにめると、気が紛れるかもしれません」

「おお、女神さまのお慈悲……。ありがとうございます。ありがとうございます」

 木の棒で凄い感謝をいただいてしまった。彼には黄金の棒にでも見えているのだろうか。

「……そんなものより、連中の使っていたこの薬を使うのはどうだ? 痛みが紛れるだろう」

「駄目です。神の慈悲だろうがなんだろうが麻薬は駄目です。あ、緑化教に入信希望なら死刑です」

 伯爵の提案を即座に却下。そして差し出してきた神の慈悲とかいう麻薬を地面に落として踏みつぶす。

「麻薬の使用は許しません。いずれ成分が調整されて鎮痛剤として出回ったらいいですね。というわけでこれは駄目です」

 麻薬は、ダメ絶対である。なぜなら、麻薬をやる、頭がおかしくなる、緑化教徒になる、自爆する。この流れを止めないといけない。つまり、麻薬常習者は見逃さないし見逃せない。むしろ一度でも使ったら死刑にする法律にした方がいいと思う。サンドラにお願いしておこう。

 でもなぜ鎮痛剤になったら許されるのかというと。お医者さまの言う通りに服用する限り、人に迷惑を掛けないで済むからである。用法用量を正しく守りましょうということだ。

 いつか私もお世話になるかもしれないし。そういう研究がされているかは知らないけど。モルヒネとヘロインの違いと同じ。モルヒネ、条件付きで許可。ヘロイン、絶対に不許可。とても分かりやすい。いたいのはいやだからね。でもきょうふをごまかそうなんてゆるさないよ。

「じゃあそろそろ行きましょうか。しかし、なんだか酷い一日だった気がします」

「……全く同感だ。本当に酷い一日だった」

 大砲を押し始めると、タルク少尉のうめごえと赤子の泣き声だけが響き始める。アルストロ君と夫人はなんだかさんを歌い始めている。気持ち悪いのでこれ以上触れるのはやめておこう。赤子を背負った伯爵がヒーヒー言いながらタルク少尉を見張り、私は大砲をひたすら押している。意味が分からないが、これもある意味平等な社会かもしれない。サンドラが見たら手をたたいて称賛するに違いない。そんなことを思いながら、私は汗を拭いながら大砲を押すのであった。



 リトルベルに戻ると、それはもう大騒ぎになった。赤子を抱えたハルジオ伯爵が、それはもうとうの勢いでモラン大尉に詰め寄り、盛大に罵声を飛ばしたり、夫人とアルストロ君がまた讃美歌を歌い出したり、赤ちゃんが大泣きしたりして面白かった。その後は、一家そろって案内された医者の下へ直行だ。多分そのお医者さんの専門は精神科に違いない。で、裏切者のタルク少尉はとりあえずろうごく行き。ぶくぶくと泡を吹いていたのがちょっと面白かった。そして、私は大尉直々に事情聴取である。

「……ミツバ研修生。伯爵が言っていたことは、その、本当なのか? タルク少尉が裏切っていた、しかも言うに事欠いて緑化教徒だっただと?」

「はい間違いなく。本当の本当です」

「全く信じられん」

「でも本当です。伯爵も言ってた通りです。というか、伯爵が嘘つく理由がないですし」

 モラン大尉が黙り込んでしまった。やっぱり伯爵には生き残ってもらって正解だった。生き証人というのは重要である。

…………

「隊員の人は待ち伏せにあって全員死にました。私はたまたま生き残ったので、隙を見て大砲を奪って反撃したらくいっちゃいました。頑張りました」

…………おお、神よ」

 私は頑張ったことを強調したが、モラン大尉は両手で頭を抱えている。可哀相だけど、きっと責任問題である。副長に緑化教徒を据えてしまい、その上隊員十人戦死させちゃいましたとは悲惨である。伯爵から治安維持局本部に激烈な苦情も入るだろう。悲哀を感じる中間管理職である。

 しかし、私にはそんなに関係ないので知ったことではない。むしろ撃ち殺されたこちらが被害者である。訴えてやりたい。でも誰に? 王様とかかな?

 そこに、兵隊さんがやってくる。運よく遠征に行かなくて済んだので、この人はラッキーな人である。私にもお裾分けしてほしい。

「大尉、準備が整いましたが……」

「ああ、嘆いていても始まらん。とにかく状況を調査し、直ちに本部に報告しなければ。話が本当ならば、部下の遺体も放置してはおけん」

「はっ」

 と、大事なことを一つ思い出したので口を挟むことにした。

「そうだ。この町の食堂の従業員さんにも、緑化教徒がいますよ。本部への連絡係だとかなんとか。さっきの大騒ぎで、逃げる準備をしてるかもしれないです」

「……食堂に直ちに兵を派遣しろ。村にも直ちに出発しろ! 怪しいやつは全員逮捕、歯向かったら撃ち殺して構わん!! やられる前に殺せ!!

「りょ、了解しました!」

 兵隊さんが飛び出ていく。モラン大尉の顔色は青くなったり赤くなったりと忙しい。

「……一つだけ尋ねたい。村人全員が緑化教徒だったのか? 生き残りは他にはいないのか?」

「あの赤ちゃん以外にはいませんね。全員処刑したので他の生き残りはいないです」

「全員、処刑しただと? 一体どういうことだ」

「はい。村の人全員に緑化教徒ですかと尋ねて、認めたら殺しました。認めなくても殺しました。だって、赤ちゃん以外は全員緑化教徒だったので。でもタルク少尉には証人として生き残ってもらいました。あんな感じで壊れちゃいましたけど。あはは」

 淡々と報告する。カビが消毒できてハッピー! などとは言えない。降りかかる火の粉を払っただけである。そして、平和主義の私の意識はそのときもうろうとしていたので、あんまり自覚がない。完全にごとなのである。

「なんということだ。あの魔術師たちの言った通りになってしまったとは。……いや、むしろ救われたとでもいうのか?」

…………なんです?」

「……とにかく、君の報告は了解した。悪いが今日は宿に戻って休んでくれ。状況を確認次第、追って連絡する」

「はい、了解しました」

 出ていっていいみたいだったので、とっととおいとますることにした。──と。

「待ちたまえ」

「はい?」

「……村の反乱事件を解決し、ハルジオ伯爵一家を救ってくれたこと、心より感謝する」

 しばらく苦渋の表情を浮かべていたモラン大尉がのそっと立ち上がり、私に敬礼してきた。私も慌てて振り返り、敬礼する。なんだか軍人になったみたいでかっよかった。背が小さいので、兵隊さんごっこに見えるだろうが、それは仕方がない。ついでに一つおねだりしてみようか。心から感謝してくれたのだからもしかしたら聞いてくれるかも。

「あの、一つお願いが」

「……何かね」

「お借りしていたあの長銃、もしよければくれませんか? 手放すにはちょっと名残惜しいので」

「……好きにするといい。隊員も少なくなってしまったからな。……研修終了後、持ち帰れるように取り計らおう」

「ありがとうございます!」

 私は最敬礼しておく。なんだかあの長銃に愛着が湧いてしまったのである。墓標になっていた銃なんて超レアものだし。倉庫には同じものが他にもあったけど、これは是非とも手元に置いておきたい。本当は大砲も欲しかったけど、それはこらえよう。何せ高いから。

「それでは、失礼します」

「……ああ」

 どっしりと座り込んで、上を向いてしまったモラン大尉。大変お疲れのようだ。それをいちべつした後、私は駐在所の外に出る。もう時間は夕方だ。しいシチューでも食べに行こうか。あれ、でも食堂には今兵隊さんが押し掛けていたっけ。じゃあ私の晩ご飯はどうしたらよいだろうか。そんなことを悩みながら外を適当に歩いていたら、町の人が凍りついた表情で私を眺めてきた。そして、絶句したまま逃げていってしまった。

「あ」

 結構大事なことを忘れていた。今の私の格好だ。私の軍服は血と土にまみれており、しかも穴まで開いている。表情は白いから、死体が動いているように見えたかも。長銃を担いだ少女のゾンビ。面白そうなので、このまま宿に行きたいところだが、これ以上大尉を追い込むと精神崩壊してしまうかもしれない。

 私はこっそりと駐在所に戻ると、モラン大尉にお願いして替えの軍服をもらうのであった。『心からの感謝』の貸しはこれでチャラになったにちがいない。なんだかに落ちないところもあるけど、世の中というのはそういうものなのだ。




 一週間の研修を終えて、私は士官学校に帰ってきた。

 特に歓迎とかそういうのはなく、ガルド教官に報告書を提出して終わりである。かと思ったらいつも通り指導室へそのまま連行された。なんで私だけ。色々な文句を頭に浮かべながら出頭すると、頭が輝いてるパルック学長、無表情な事務官、難しい顔のガルド教官が待ち構えていた。

「いやいや、帰ってきて早々悪いとは思うが、色々と話すことがあってだね。まずは研修、本当にご苦労だったね。なんでも大変な活躍だったらしいとか……ははは」

「ええ、本当に大変でした。笑い事じゃなくて死ぬかと思いました」

「そ、そうかね」

 私は学長をにらみつける。

 本当に笑い事ではないのである。内通者がいたり待ち伏せをくらったり血まみれになったりと散々である。研修にしてはちょっとハードすぎる。これじゃ潜入捜査任務と同じだ。

「そう怒るな。リトルベル駐在所のモラン大尉からお前の働きに対し、感謝状が送られてきている。また、治安維持局本部からも名指しで称賛する書状が届いた。派手に名前を売れて良かったな」

 教官がひらひらとさせる書状をちらりと眺める。

 確かに褒められるのはうれしいが特にご褒美はない。世の中というのは世知辛い。

「ありがとうございます。でもあまり勉強になった気がしないんですが。全然学べてないですし」

「細かいことは気にするな。こういうことは結果も大事だからな。経験も積めて訓練にはなっただろう」

「はぁ」

 研修っぽい感じだったのはタルク少尉に町を案内されたときぐらいだ。後はハルジオ村でドンパチやって、宿で適当に過ごしてくれと放置。モラン大尉たちは後始末で駆り出されて、私にかまってくれる暇な人はいなくなってしまったし。散歩してもものだからか、町の人は余所余所しい。嫌がらせも兼ねて、夜中に長銃を装備して黙々とランニングしてやったので良しとする。武装したゾンビが彷徨さまよう町ということでしばらくは話題になるだろう。

「しかし、お前とクローネは普通じゃ終わらないと思っていたが、予想以上だったな。軍関係者に士官学校の質の高さを見せつけられたと思う。……ああ、褒めちぎるのはこれくらいでいいですかね、学長」

「う、うむ、突然悪かったねガルド君。疲れているだろうから、長話もこれぐらいにしておこうか。というかだね、もうこの子は卒業させてしまっていいと思うんだが。これ以上ここで学ぶことなんてないだろう。私の胃もとても助かるし。ガルド君はどう思うかね。もちろん賛成かな?」

「いやいやいや、流石さすがに早すぎるでしょう。まだ戦も始まってないってのに、こんな子供を送り出したら、寛容派の議員たちに何を言われるか。ただでさえうるさい連中ですよ? 責められるのは学長ですし私は知りませんがね」

「そ、そうだったね。はは、軽い冗談だよ冗談。うん、なんだか私も疲れてきたし、そろそろ下がって構わんよ」

「あ、はい。では失礼します」

「明日からはまた通常の訓練に戻れ。多少は疲労もあるだろうが、もうすぐ冬期休暇がある。そこまでは気合で乗り切れ」

「はい、教官殿」

 なんだか投げやりな学長だったが、私は解放されたので一安心。

 冬期休暇とやらがあるのも初めて知った。正月休みのようなものかな。とりあえず、そのまま部屋に戻って荷物を片付けることにした。モラン大尉から頂戴した長銃は、後でこちらに送ってくれるそうだ。流石に研修生の身分で部屋に置いておくわけにはいかないので、ちゃんと士官学校の倉庫で保管する。卒業後にきっちりいただくことにしよう。


 そんな感じでだらだらと自分の部屋に入ると、クローネが待ってましたとばかりに出迎えてくれる。

「はは、おかえりチビ。いやぁ、首を限界まで長くして待ってたよ。流石にもう伸びないね」

「ただいまです。クローネは今日帰ってきたんです?」

「ああ、出発したのが結構早かったのさ。で、そんなことよりさ。そっちも派手にしでかしたんだって? いやぁ、お互い大変だったよね」

「……そっちも?」

「うん。こっちは国境警備の研修中に、プルメニアの斥候部隊と鉢合わせしちゃってね。色々と微妙な地域だから、散発的な戦闘はよくあるらしいんだけどさ。ここなら弾なんて当たるわけがないとか、余裕ぶっこいてた指揮官殿は眉間に銃弾受けて戦死だよ。あれには笑ったね。腹がよじれるかと思った」

 眉間をツンツンとやるクローネ。そういうことはまれによくあるのである。

「それは本当についてないですね」

「だろう? 副長殿ときたら一人で逃げ出す有様だし。それでさ、情けない先輩方の代わりに私がうっかり指揮を取っちゃってね。最後は斥候部隊を返り討ちってやつさ。お互いに弾薬が切れちゃって、最後は地獄の白兵戦! いやぁ、殺したり殺されたりで楽しかった」

「それは本当にすごいですね」

 指揮官が戦死した場合、部隊はほとんどの場合壊走するそうである。頼りになる副長がいれば話は別だけど、教育や訓練を受けていない兵ばかりだから、踏みとどまって戦ったりしない。命大事と我先に逃げ出すのである。

 それを強引に押し止め、逆に返り討ちにしたのだからクローネは凄い。指揮力Sをプレゼントしよう。私は多分Dくらい。何故なぜかというと、私はたいてい嫌われるからである。だから、こうやって普通に話してくれる人たちは大事にするのである。

「そうそう、私も王国陸軍から感謝状とやらをもらったよ。チビとおそろいだね」

「私の方はたまたまだったので。運が良かっただけです」

 そう言って曖昧にごまかそうとしたが、クローネは背中をバシバシたたいてくる。よく見ると酒瓶が転がっている。一人で景気づけにワインを飲んでいたようだ。既にできあがる寸前だ。

「謙遜はいらないって。間抜けな貴族様ご一家を救出して、内通者を捕らえて、さらに緑化教徒は皆殺しだろ? 凄い働きだよ。卒業したら間違いなく治安維持局が勧誘に来るね。むしろ今すぐ来るべきだよ」

「そうなんですかね」

「そうなんですよ。それでさ、なんで連中が緑化教徒って分かったんだい? 緑布を偶然見つけたとか?」

「いえ。臭いで分かりました。最初はさわやかなんですけど、鼻につくんですよね。近くにいるとイライラしてくるというか」

『神の慈悲』とかいう麻薬のせいかと思ったけど、その植物からは強烈な臭いはしなかった。さわやかというか、かぐわしい臭いだったし。というわけで、私の鼻は対緑化教徒選別機能がついているようだ。本能的にダメというか、生理的に受けつけないというやつだろう。私の生まれに関係があるのかも。やっぱりないのかも。前世で無政府主義をひょうぼうするアレな信者にぶち殺されたとか。うーん、違う気がする。

「ほうほう。それも直感ってやつ?」

「そういうやつですかね。く説明できないんですが、なんとなく分かるんです」

「ふーむ。それじゃあ参考にはならないかぁ。ま、そのうち私にも身につくかもね」

 そう言ってワインを飲み干すクローネ。なんだか私も喉が渇いてきた。

「ところで、私もそれ、ご一緒してもいいですか?」

「ああ、もちろんだとも! ちなみにどうでもいいだろうけど、サンドラの馬鹿は出迎えも忘れて、図書館で勉強中だよ。薄情な奴だねぇ」

「あはは、それはサンドラらしいですね」

 クローネがワインをマイグラスに注いでくれる。これは私が王都で買った日用品。

 ちなみに、士官学校で酒を飲むなんて本当はご法度である。だから、どうジュースということでごまかしてるけど、多分バレバレである。サンドラが教官に報告しないのは、自分も共和主義の本やらヤバいチラシをたくさん持っているからである。結局は同じ穴のムジナということなのだ。

「よーし、これでよしっと。実地研修終了と二人の大活躍を祝して乾杯っ!」

「乾杯!」

 二人で一気に飲み干す。これが勝利の美酒というやつ。なるほど、確かにいつもよりしく感じられた。

 それから、小一時間ぐらいチーズと焼き豆をつまみに研修話で盛り上がっていると、サンドラが帰ってきた。

「……なんだ、もう戻っていたのか。……おい、いくらなんでも酒臭すぎるぞ」

「これはこれは、世に名高くなる予定のサンドラ議員様(仮)のお帰りかー。ほらほらローゼリアの英雄様たちのご帰還だぞ、とっとと陰険な祝福をしてくれたまえ!」

「本当に騒がしく面倒な奴だ。……だが、ローゼリア国境を脅かす外敵をほふったのは褒められるべきだ。まだ研修生なのに、大したものだ。それだけは褒めてやろう。よくやったな」

「……あー、普通にイラッとしたよ。なんでそんなに偉そうにできるのかが、私にはさっぱり分からない。どこで練習すればそうなるのかな?」

「すまないが、過剰にへりくだるのは苦手なものでね」

「はっ、アンタがへりくだるところなんて私は一度も見たことがないよ」

 クローネがあきれながら豆を口に放り込む。そしてサンドラは私に向き直る。

「ミツバよ。貴族の救出などはどうでもいいが、村に蔓延はびこる愚かなカビを消し去ったのは素晴らしい働きだ。無政府主義を標榜する緑化教会と、私の目指す共和制は絶対にあいれない。容赦なく断固とした処置で徹底的に排除するべきだ」

「あ、はい。そうですね」

 ワイングラス片手に適当にあいづちを打つ。共和制でも王政でも帝政でもどうでもいいけど、緑化教徒はダメである。もう決めたのでダメ。

「しかしながら、軍人、しかも士官学校の卒業者にまでカビが繁茂しているとはな。……意外と根は深いのかもしれん」

「もっと見せしめみたいなのができればいいんですけど。緑化教徒はこんな目に遭うよ! だから辞めようね! みたいな」

「うぅむ。悪くはないと思うが、奴ら、免罪符のためなら死ぬことすら恐れないからな。それが厄介なのだ。名誉の死などと殉教扱いされては意味がない」

 普通に殺すだけではだめかもしれない。目を背けたくなるような処置ならどうだろう。例えば身体がボロボロに腐り落ちるとか? そんなことができたら苦労はないのであった。

「とりあえず、サンドラが議員になったら、麻薬使用者、販売者、製造者は全員死刑になるようにしてくださいね。根は元から断たないと」

「えらく唐突だな。どれ、詳しく聞かせてもらおう」

「ええ、また今度で」

「いや、今すぐでいい」

 可哀かわいそうにと同情の視線を向けてくるクローネ。でも助けてはくれなかった。

 仕方ないので、私はサンドラに麻薬の危険性を説明する。病状じゃなくて、社会にまんえんすることの危険性だ。どこぞの大きな国は、関わったら死刑と徹底している。指導者自ら排除に乗り出したりしてる国もあったし。ここではないどこかの知識だと思うけど、そんなに間違ってないと思う。麻薬に関わると人間は堕落していって、最悪の場合戦争が勃発してしまうと説明し、私は適当な解説を終えた。

「……確かに、リリーア王国が麻薬を植民地で製造させ、強引に輸出しているといううわさを聞いたことがある。なるほど、敵を内側から腐らせるために安価でバラいている可能性もあるか」

「リリーア?」

「植民地を多数保有する西に浮かぶ強国だ。とはいえ、無政府主義を標榜する緑化教と相容れるとは思えないがな。となると、緑化教会はどこから資金を入手しているのか。正気を失っているくせに、武装だけは整えてくるからな」

 そういえば、自爆用の弾薬やら、長銃やら、緑化教徒はよく持っていた。それらを揃えるための大本の資金はどこから流れてるんだろう。やっぱりリリーアなのかな?

…………

「なんにせよ、お前の考えは分かった。いつになるかは分らんが、同志には説明してみよう。善良な市民に蔓延してからでは遅いからな」

「そうですね」

「……では、私は自習をするから、お前たちは遠慮して静かにするように。邪魔をしたいなら外でやれ」

「はーい」

「なんだよなんだよ。遅れてきた勉強の虫が偉そうにさ」

 私は素直にうなずき、クローネは悪態をついた。またいつもの日常が戻ってきそうである。早く冬期休暇にならないかなぁ。と思ったけど、私には帰る場所はないし、遊ぶ人たちもそんなにいないのであった。残念。



 ──王国魔術研究所。ニコレイナスは珈琲コーヒーを片手に、ミツバの様子についての報告を受けていた。

 情報源はパルック学長の下にいる話の分かる事務官である。彼に手間賃を渡して成績やら授業態度やら近況やらを入手しているのである。ニコレイナスの最近の楽しみといえば、この報告を受ける時間である。

 彼女のやることなすこと、何もかもが驚きに満ちている。取り組んでいた研究が完成したときと同等、いやそれ以上に心が沸きたつのが分かる。今はハルジオ村反逆事件のてんまつを副所長から聞いていたところである。

「ふんふんなるほど。それはまた、派手にやらかしたようで。私もこの目で現場を見たかったですねぇ」

「村は死体の後始末が大変だったようです。派遣された警備兵が惨状に泣き言を漏らしていたとか」

「それはそうでしょうね。平和の代償というのはいつも高いものですよ。で、治安維持局はなんて言ってるんです?」

「はい、タルク少尉については、正気を失っているために情報を得るのは難しいと。尋問による内通者の割り出しは困難なため、調査が終了次第処刑されるようです」

「いえいえ違いますよ。裏切者の顛末とか内通者とかどうでもよくてですね。ミツバに対して何か言っていましたか? 私が興味があるのはそこだけです」

「学生が一人で緑化教徒を壊滅させたことをいぶかしんでいるようです。ですが将来的には治安維持局に採用したいと称賛の声が大半です。ただ、ごく一部に身内切りの可能性があると疑う者がおりまして。信頼を得るために、用済みの緑化教徒を処分したのではと」

 それを聞いて、ニコレイナスは思わず吹き出した。見当外れにもほどがある。緑化教徒の連中が聞いても憤慨するに違いない。その一部の人間の頭を切り開いて脳を是非見てみたいものだ。

「あはははっ。それは中々愉快な発想ですが、絶対にありえませんね。彼女の反カビ思想の強烈さは間違いないようですから。とはいえ余計な疑いが掛かっては可哀相です。では王魔研所長の太鼓判つきの書状を送って差し上げなさい。絶対にありえないと」

「分かりました。しかし、彼女はなぜあそこまでカビどもを憎むのでしょうか。彼女と緑化教会に直接のつながりはないはずなのですが。今回はともかく、それまでは自爆現場を目撃した程度でしょう」

 副所長が眉をひそめているが、別に大した問題ではない。

「何かを好きになったり嫌いになったりするのに、深い理由はいらないんですよ。直感でそう思ったなら、それでいいのです」

「王魔研所長ともあろうお方のお言葉にしては、少々短絡的な気がしますが」

「ふふ、不老の処置を行なっているとはいえ、私もただの人間ですからねぇ。奇人だの天才だのと人様から持ち上げられていますが、根っこはそうなのです。実は、私もか弱い女なんですよね」

…………

「今のは笑うか気の利いたことを言うところですよ?」

 ニコレイナスがおどけてみせるが、生真面目な副所長の表情に変化はない。こういうところがイマイチだと思うが、気に入っているところでもある。信頼がおけるから、全ての研究に携わらせている。ミツバの件も大体は知らせている。

 いずれは所長を任せてもいいと思っているが、本人は確実に辞退するだろう。生真面目で極めて沈着冷静に見えるが、馬鹿がつくほどニコレイナスへの忠誠心がある。研究のために死んでくれと言ったら、普通に死にそうである。──と思わせておいて裏切られても面白い結末だ。何が起こるか分からないというのは、この身をもって学んでいるのでどうでもよい。

「話を続けさせていただきます。彼女は対象が緑化教徒か判断がつくと言っているようです。なんでもさわやかで鼻につく臭いがすると」

「さわやか、ですか? うーん、それはよく分からないですねぇ。連中、何か妙な香水でも使ってましたっけ? それか嗅覚が犬並みに優れているとか」

「犬、ですか。その可能性は低いと思いますが」

 香水うんぬんは適当に言っただけだ。もしかすると、染みついた魂の臭いで判断しているのか。もしくは、ミツバだけに分かってしまう何か。彼女の在り方を考えると、それも十分に考えられる。

「犬云々は冗談ですよ。ま、私も緑化教会が嫌いなんでいいじゃないですか。ええ、それはもう死ぬほど嫌いでしてね。嫌いすぎて優先的に実験材料に使いたくなるくらいです」

「……長い付き合いですが、そこまでお嫌いというのは初耳です」

「それは王国に逆らう罪人なんですから、憎んで当然でしょう? 実は話題に出すのもはばかられるほど嫌いですよ」

「所長がそこまで嫌いと断言するのは珍しいですね」

 ニコレイナスの信奉者である副所長の言葉には重みがある。これでいて妻子持ちだから世の中分からない。

「まぁ、緑化教との間には私も色々ありましてねぇ。そういうわけで、彼女には深い共感を持ちますね。どんどん隠れ教徒を見つけ出して始末してくれると嬉しいです」

 ミツバがカビを毛嫌いする理由は分かっている。憎悪の継承だ。だがそれを本人に伝えるつもりはない。自分で考え自分で判断して動くべきである。彼女は人形ではないのだ。

 彼女の人生を見守ることは、ニコレイナスの趣味であり、権利であり、義務なのである。だって彼女を構成する三つのうちの一つは、間違いなくニコレイナスが生み出したものなのだから。