ノイズしか映さないテレビをずっと眺めていた。多分、眺めていたんだと思う。

 自分のことなのに多分というのは、意識がはっきりしたのが今だからだ。──で、意識が遠くなるくらいそれを眺めていたけど、変化が何もなかったので私はテレビの前からようやく離れることにした。だって暇すぎて死にそうだから。

「あれ」

 そんなことを思ったとき、今度は場面が一気に移り変わった。チャンネルが切り替わったかのようで世界がぐるぐると回っていた。気持ち悪くなるかと思ったら、そんなに気分は悪くなかった。

 数十分は経過したのだろうか。ぐるぐるしていた私は何故なぜかテレビの中にいた。

 テレビから外の世界が見えた。世界はいつも通りに進んでいた。私には意味が分からなかった。

 ぐるぐるが緩やかになり、どこからかやってきた二つの光が私と混ざり合ったとき、今までにない強烈な光が私たちを包んだ。なんとなく浮遊感があり、どこか遠くへと飛ばされてしまったような感覚だった。

「トンネルを抜けたら、そこは?」

 何も見えないトンネル──黒色を抜けて、とても冷たい海中──青色をくぐって、なんだかまとわりつくもや──紫色を切り開いて、私たちはようやく白くまばゆい明るい出口を見つけた。そこに一歩足を踏み入れた瞬間、背中に感じていた重い何かが消失し、まるで大空へ、いや宇宙へ飛び立ったかのようなすさまじい解放感に浸ることができた。最初に私たちの頭に浮かんだのは。

『この世界は私のために回っている』

 ──もちろんそんなわけはないのだが、それくらいのハイテンションな感じで世界を眺めていたら、いつの間にか白いおひげがダンディなおじさんに抱きしめられていた。

 ああ、私は目覚めていたのだ。



「おお、おおッ!?

「?」

「か、神が、ようやく、ようやく、我が祈りを聞き届けてくださった。い、偉大なる神よッ、心より感謝いたしますっ!」

「?」

 せっかくのダンディフェイスなのに、何故か鼻水と涙で顔はぐしゃぐしゃであった。とりあえず何か声を掛けようと思い口を開いてみたのだが、喉が凄まじい痛みを訴えて言うことを聞いてくれない。へんとうせんをやってしまったかなと思った。前から私は扁桃腺が弱かった気がする。本当にそうかは分からない。

「……ア、アれ?」

「──ど、どうしたのだ。ま、まさか。また。いや、やはり不完全だったのか?」

 顔をあおめさせて慌てるおじさん。ムンクの叫びみたいで面白かったので思わず笑ってしまったが、私の表情はく動かせなかった。ガチガチに凝り固まっている。というか、初対面の人なのに笑ったりしたら失礼である。

…………

「ミ、ミツバ? 大丈夫、なのか? か、身体は」

「ウ、……ア」

「や、やはり、今回の魔術も完璧ではなかったのか?」

 魔術がどうのと、よく分からないことを言うおじさん。アニメの見すぎかなと思ったが、いわゆるひとつのジョークの類いなのだろう。私の緊張をほぐすための。

「し、しかし、ど、どうすればよいのだッ! ニコレイナスを呼んでいる時間なぞとても──」

…………

 しばらく目を閉じて考えた結果、声を出すのを諦めて自分の喉をツンツンと指し示すことにした。最初からこうすればよかったのだ。沈黙の後、おじさんはあんの息を吐いて、笑みを浮かべる。

「か、身体は大丈夫なのか? 苦しいところはないか?」

 うんうんとうなずき、喉を再度示す。

「の、喉か? 喉が痛いんだな!?

 うんうんと頷く。ようやく理解してくれたようだ。

「おお、おお、ミツバよ。我が最愛の妻の忘れ形見よ! 目覚めたばかりだというのに、もうその声を私に聴かせてくれようというのか!」

…………

 浸っているおじさん。水はまだこない。

「なんと心優しい──い、いや、今はそれよりも水、水だッ。おいっ、そこで立ち尽くしていないで早く水をさぬか! ミツバが喉を痛めているのだぞ!」

「す、すぐに用意いたします!」

 喉はガラガラだが、視界の方はしっかりしている。ダンディなおじさんに命じられた使用人のおばさんが、大慌てで水差しを差し出した。おじさんが、私を片手に抱いたまま、水差しを傾けてくれる。なるほど、どうやら私は看病されていたらしい。

「さぁ、慌てずに飲みなさい。もう大丈夫だ、何も心配はいらぬぞ」

…………

「あらゆるものから私が守ってやる。今度こそ守ろう。誰が何を言おうとも、お前は私が全身全霊を懸けて守る。そしてお前が全てを受け継ぐのだ。そう、お前以外の誰にも渡さぬ」

「?」

 私が頭に疑問符を浮かべると、おじさんは苦笑して首を横に振った。

「……ああ、うれしさのあまりつい先走ってしまったようだ。積もる話は山のようにあるが、何も慌てることはないのだ。……うむ、軽い食事を用意させるから、まずは落ち着くといい。私も一度顔を洗って出直さなければならないな。こんな顔ではとても父親面などできぬ。とにかく、話はそれからにしようではないか」

 おじさんの優しい声に、私は軽く頷く。

 状況把握がさっぱりなので、その配慮はとてもありがたい。

 だが、とりあえず一つだけ聞いておこう。これを聞かなくては、全くもって落ち着かない。

「ひとつだけ」

「なんだ? どうしたのだ」

「……ひとつだけ、教えてください」

「うん? 何でも遠慮なく聞いて構わないぞ」

「私は、一体誰なんです?」

 その言葉に一瞬だけ落胆の様子を見せるが、すぐに笑顔に戻るおじさん。

「お前はミツバ・ブルーローズ・クローブだ。クローブ家の令嬢にして、偉大なるローゼリアしちじょうの一つ、ブルーローズの名を継ぐ者だ。だが、今はそんなことはいいのだ。私の最愛の娘だということだけは知っておいてほしい」

 ゴツゴツした硬い手で私の頭をでると、使用人に合図をしておじさんは部屋を出ていこうとする。

「最高の食事を用意するように。着る物もすぐに手配せよ。急ぎ頼むぞ!」

「お、お待ちくださいご主人様! お、お食事と申されましても、その、私どもにはとてもお嬢様に触れられません」

たわけが! 何を馬鹿なことをぬかすか。もう魔光石や触媒なぞ必要ないのだ。ミツバの初めての食事になるのだから、とびきりのものを用意せよ!」

「し、しかしながら。私たちだけでは、何かありましたら、その、手に負え──」

「ならばピエールに伝えて手配させればよかろう! 私はミツバのために急ぎやらねばならんことがあるのだ!」

 使用人のおばさんはブンブンと首を振っていたが、おじさん──多分お父さんは聞く耳を持たずにずかずかと歩いていってしまった。後に残されたおばさんは、ぼうぜんと立ち尽くしている。

 ──私の名前はミツバというらしい。

 部屋に飾ってあった装飾豊かな鏡に視線を向けてみる。

 そこには、真っ白い肌をした銀髪青目の人形みたいな少女がいた。人形みたいなというと聞こえはいいが、実際は死人みたいだなと思う。自分のほおに両手を当ててみる。冷たい。が、一応生きてはいるようだ。一安心。自分がゾンビの可能性はなくなった。良かった良かった。

 使用人さんに視線を向ける。何故か、ヒッと小さく悲鳴をあげて、直立不動の姿勢。

「あの」

「は、はい、はい。な、ななななな、なんでございましょうか」

「──ここは、どこなんですか?」

「ミ、ミツバ様のお部屋でございます。わ、私はミツバ様のお世話を命じられただけの、しがない使用人めにございます」

「そうなんだ。で、貴方あなたはだれです?」

「ル、ルビナ、使用人のルビナと申します。半年ほど前より、この館にお仕えしております」

「あ、そう」

「ミ、ミツバ様。ど、どうか、私どもの魂を吸うのだけはお許しくださいませッッ!」

 そう言うと、使用人のおばさんはその場にいきなり正座して礼拝を行ない始めた。祈りの対象は私らしい。何か祝詞のりとみたいなものを唱えているけど、当然私は成仏しない。なぜなら霊魂ではないから。ちゃんと肉体はあるし。

「魂を吸う?」

「ひ、ひいいいいいっ!」

「私は、魂を吸えるの?」

 私はいつから魂吸いに変化したのだろうか。それともこれもジョークの類いなのだろうか。よく分からない。魂がしいかどうかは私には分からない。多分ソフトクリームみたいな形だとは思う。これは私ジョークである。

「わ、私めは存じ上げません! 何も存じません! 見ておりません、聞いておりません!」

「ねぇ。私は、貴方の、魂を吸えるの?」

「お、おおおおお、お許しを、お許しを! ああ、神よお助けください!」

 残念なことにおばさんからは話を聞きだせそうにない。

 ふと隙間風の気配を感じて、そちらに目をやる。ドアが半開きになっており、そこからメイド服を着た女性たちや執事っぽい人がこちらをのぞんでいる。どれもこれも顔色が悪い。

 ベッドから抜け出し、震える足をこらえながら、フラフラと立ち上がる。なんだか肩や腕がぎくしゃくする。変な歩き方になっているような気がする。

 使用人のおばさんが歯をガチガチと鳴らしながらこちらを凝視している。

 私は安心させてあげようと、そのくしゃくしゃ頭に手を置いた。

「──げぷっ」

 変な悲鳴とともに、おばさんは泡を吹いて前のめりに倒れこんでしまった。あわあわうめいているので、生きてはいるようだ。仕方ないのでドアの向こうに再び視線を向ける。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!

 という盛大な悲鳴とともに、女性メイドたちは蜘蛛くもの子を散らすように逃げ出してしまった。その場に残されたのは、腰を抜かしている哀れな執事っぽいおじさん。

「──わ、私は、こ、腰が、抜けて。だ、誰か」

「それで、貴方は誰です?」

 腰に手を当てているおじさんを見下ろしながら問いかける。おじさんはあわあわと周囲を見渡した後、観念したように口を開く。

「こ、この館に長年お仕えしております、ピ、ピエールと申します。執事として、使用人たちの統括を──」

「ピエールさんですか。じゃあ、貴方でいいや。うん、貴方にしよう。この世界のお話、色々と聞かせてね? 私、何も分からないので。初心者なんです」

 私はニコリと笑みを作ると、執事さんの方へとゆっくりと歩き始めたのだった。今度は驚かさないように、慎重に、一歩ずつ、着実に床を踏みしめながら。ピエールは、なんだか泣きそうな顔で一生懸命に頷いていた。これでは首が痛くなってしまうだろう。

 何はともあれ、なんだかせわしない日々がやってきそうな気がする。まぁ、なるようになるだろう。




 いまいち要領を得ないピエールさんとの会話を通じて、私は現在の状況をそこそこ把握することに成功していた。

 ここはブルーローズ公ギルモア公爵の城館なんだとか。そして私は今は亡き第一夫人ツバキの忘れ形見と。ツバキ夫人は私が産まれた後、産後の肥立ちが悪化し亡くなってしまったとか。その上、残された赤子の私も意識不明のまま植物状態へ。生まれは高貴でも実に悲惨な状況である。全然うれしくない。

 本当はとっくに私は死んでいるはずなのだが、そこは伝統ある公爵家の財力と権力。私を延命させるためにばくだいな私財を投じてしまったらしい。

 よく分からなかったが、王国魔術研究所所長さんの力を借りて、魔光石と触媒を利用しての魔力注入とやらを十年間も続けてしまったらしい。さんざん散財したり、怪しげな儀式を行なったりしたとかなんとか。詳しく聞きたくないのでそこらへんは軽くスルーしてしまった。

 誠実そうな顔とは裏腹に、ぺらぺらとおしゃべりな執事のピエールはしきりにハンカチで汗を拭っている。最初は何も心配いりませんとか話をごまかそうとしたのだが、私が延々と質問を繰り返した結果、うめごえをあげながら素直に返答してくれるようになった。渋い顔に似合わず意外と根性がない。

「なるほど。じゃあ、私のためにお金いっぱい使っちゃったんですね。貴方あなたも大変だったんじゃない? お給料とか」

「……いえ、そのようなことは」

「あ、他の皆も私を恨んでるんじゃない? 本当はさっさと始末したかったとか!」

 私がニコニコと語りかけると、ピエールはビクッと一瞬震えたあとすぐにぶんぶんと首を横に振った。

「め、滅相もない! とにかく、どうかギルモア様には内密にお願いいたします! このようなことをミツバ様に話したと知られたら、どんな罰を受けることか」

「もちろん内緒にしておくけど。それで、私の他の家族は何も言わなかったんですか? だってそんなに無駄遣いしてたら怒りますよね」

「……そ、それは。わ、私の口からはなんとも」

「そっかそっか。うん、それはそうですよね。死体同然の、しかも腹違いの娘にお金をんで良い顔するわけないよ。私も嫌だと思うし」

 うんうんとうなずくと、ピエールの顔が更に青くなっていく。

 現在、父ギルモアの正室を務めているのは、第二夫人だったミリアーネとかいう人らしい。私の継母にあたる人だ。私の本当の母親が、いつまでたっても子供をつくれなかったため、周囲の圧力に負けて父は嫌々めとったとか。夫婦仲は当初からぎくしゃくしていたようだが、私の誕生、母の死亡、延命のために私財投入の経緯で更に悪化したと。今ではこの城館のすぐ近くにわざわざ別館を建てて別居するほどの仲だそうだ。会うのが楽しみで仕方ない。どんなぞうごんを投げかけてくれるのだろう。楽しみでドキドキしてきた。

 私が思わずニコリと笑っていると、ピエールの顔の青みが深くなってきた。貧血なのかもしれない。

「で、ですが。ギルモア様は、ずっとお待ちになられていたのです。ツバキ様が亡くなられてからというもの、周りの者はこの館から距離を取り始め、ギルモア様も人を避けるように。……あの時から、全てが変わってしまったのです」

「そっか。貴方も大変だったんだね。執事さんは苦労人だね」

「い、いえ、滅相もありません。私のことはどうでもよいのです。ただ、ギルモア様があまりにおいたわしく。周囲からは色々とよからぬうわさを立てられたりと、さぞかし心労を重ねられたことと存じます」

 私は運ばれてきたスープに柔らかいパンをつけて食べる。あんまりしくない。

「んーそういえば」

「な、なにか?」

 おかしなことに気がついた。

 私が誰なのかは大体分かったのだが、〝私〟は一体誰なのだろう。

 だって、私は産まれてすぐに植物状態になったのだから、言葉をしゃべれるのはおかしい。それに、なんか違う世界の知識が大量にある。ここにはテレビはないけど、私はテレビを知っている。あっちには魔法はないけど、こっちにはあるらしい。一体どういうことなんだろう。

「えっとね。私は、誰でしたっけ?」

「……ミツバ様にございます」

「うん、それは知ってるんだけど。でもよく分からなくて。聞いておこうかなって」

…………

「あ、頭はたらいてますから大丈夫ですよ。全然大丈夫だから、安心してくださいね?」

 ピエールは、腫れ物を触るような視線を私に向けている。

 残念ながら、多分私は正常だと思う。それとも、こういうことを考えることが異常な証左なんだろうか。

 よく分からないので、私は「もう一度寝ます」とつぶやいて、ベッドの中に潜り込むことにしたのだった。


 次に目が覚めたとき、また父ギルモアの顔があった。

 何度も抱擁され、頭をでられた後は、大量のお人形や玩具おもちゃをプレゼントしてもらった。あまりに多すぎて、部屋内は足の踏み場がないほどだ。少しずつ買いめていったら、倉庫を埋め尽くすほどになってしまったとか。この部屋にあるのはほんの一部。散財の原因の一つに違いない。このクローブ家の家計は相当にやばそうだ。

 こんな人が当主をやっているらしいので、このブルーローズ州の領民は大変だろうなぁとピエールにそれとなく聞いたら、内政は行政官がおり、軍事は派遣された国軍が担当しているから何も問題ないそうだ。中央集権化がかなり進んでおり、貴族にはいささか世知辛い世の中のようだった。それでも働かずにぜいたくな暮らしができちゃうのだから、貴族万歳である。きっとそのうち罰が当たるに違いない。

「どうだねミツバ、何か気に入ったものはあるか? この中になければ、なんでもすぐに買いにいかせよう」

「いえ。なんだかたくさんありすぎるので、ちょっとずつ遊んでいきますね。当分飽きません」

「……そうか。お前のために買っておいた服も、それはもうたくさんあるのだよ。お前の母の故郷から取り寄せたものから、王都で流行のドレスまで。なんでもあるし、なんでも用意させる」

「ありがとうございます、えっと、お父様」

「ははは、なに、構うものか。今まで何もしてやれなかった分、いくらでもままを言いなさい。どんな願いだろうとなんでもかなえてやる。必ずだ。なんでも言いなさい」

 これではただの親馬鹿である。

 執事ピエールさんによると昔は武闘派の指揮官で、ブイブイ言わせていたとか。王国陸軍の将官として領土拡張、植民地獲得に東西南北を駆け回っていたらしい。

 その頃のたくましい写実画が部屋に立てかけてある。若い頃の父ギルモアと、母ツバキが並んでいる。正装を着込んだギルモアはそれはもうエリートっぽい感じ、母の方はなんだか着物みたいなものを着込んでいる。父いわく、異国の魔術師──陰陽師だったそうだ。ギルモアとは魔術交流がきっかけで知り合ったのだと、のろ話まで聞かされてしまった。

「ご覧、これがお前の母さんだぞ。髪の色は私と同じだが、目や顔立ちは母さんにそっくりだ。将来は、間違いなく美人になるな」

「これが、私のお母さんですか」

 母の黒の長髪。私は銀色。父も銀髪。髪色は父から遺伝したようだ。他の要素は間違いなく母譲りだろう。何せ、人形みたいなまん丸の瞳はさっき鏡で見た私とそっくりだ。この母を夜中に見たら、多分驚くと思う。市松人形っぽいし。私は銀髪なので、市松人形にはなれないのである。使用人たちが私を見て挙動不審だったのは、この瞳が原因かもしれない。

 と、アルバムには他の写実画も挟まれている。不機嫌そうな顔をしたギルモアの右側に表情の硬いツバキ、左には見慣れぬ金髪をした気位の高そうな女性が並ぶ。その手前に小さな子供が二人、緊張した様子で直立していた。

「こっちは?」

「……一応、今の私の妻にあたるミリアーネだ。そして、こいつらが長男のグリエルと二男のミゲルだ。ああ、もう少し早くお前が生まれていれば、あんな女を迎える必要はなかったのだがな」

 嫌悪をあらわにして、絵をにらみつけている。この絵をわざわざ残しているのは、多分ツバキが描かれているからだろう。


「兄上たち?」

「ああ、まぁ、一応はそうなる。……グリエルは軍属としてこの近くの駐屯地に、ミゲルは上院議員として都にいる。会う機会はほとんどないだろうから、気にしなくていい」

「こちらの母上は?」

「ふん、何をしているかなど知らんし知りたくもない。いや、むしろ知る必要もない。どうせ別宅に若い男でも連れ込んでいるんだろう。金と権力以外興味のない女なのだ!」

 そう吐き捨てると、いらいらした様子で絵を端へと追いやる。夫婦仲が非常によろしくないのは理解できた。

「さて、ミツバよ。悪いが、これを持ってみてくれないか?」

 どこからかつえを取り出したギルモアが、私へと差し出してくる。

 先端には青い水晶がくっついており、その中には薔薇の花が埋められている。杖の握りの部分には、何だかとてもきめ細かな装飾がほどこされており、年季を感じさせる色合いだ。

「青い水晶、ですか。えーと、これは薔薇の杖ですか?」

「うむ、中々れいなものだろう。少し早いかもしれないが、いわゆる保険というやつをかける。さぁ、遠慮なく握りなさい」

 なんとなく、このまま手に取っていいものかどうか悩む。この杖から妙な気配を感じる。オーラというかなんというか、普通じゃない感じ。

「どうかしたのか?」

「えっと。この杖、なんか普通じゃないというか、その」

流石さすがは我らの娘、早速杖の性質に気付いたか」

「?」

 悪そうな顔でニヤリと笑うギルモア。その目には異常な色が浮かんでいる。

「……確かにこれは普通の杖ではない。だが、決してお前の害になるようなことはない。だから、安心して手に取るが良い」

「はい。分かりました」

 遠慮した方がよさそうな気がプンプンしたが、私が持たないことには話を終わらせてくれる気はないようだ。仕方なく、その青水晶の杖を握り締める。うん、やっぱり違和感しかない。これは、私のものではないという感じ。杖も嫌そうな感じだし。というかこちらに敵意を向け始めた気配がある。長く持っていると危険かもしれない。とりあえず投げ捨てようかと考え始めたところ。

 ──と。ギルモアが何かブツブツと小声で呟き始め、私に向かって手をかざした。青くまばゆい光がギルモアから私の中へと入り込む。痛みは感じない。同時に、先ほどまでの違和感が消失していた。今は、これは私のものであるという感じ。杖も反発していない。

「今のは、なんです?」

「ちょっとしたおまじないだ。今、この杖に、お前という存在を深く刻み込んだ。魂の刻印とでも言おうか。とにかく、これで、あらゆる災禍からお前の身を守ってくれるだろう。これは、お前のものだ」

「そうなのですか」

「うむ。部屋から出るときは、常にその杖を持つようにしなさい。少し荒療治だった分、徐々に慣らしていかねばならぬ」

 どうやら親馬鹿パワーがさくれつしたようだ。高級品の杖をわざわざプレゼントしてくれたのだろう。最初の違和感が気になるところだが、ここはちゃんとお礼を言うべきだ。私はまだまだ半病人だし、この父がどれだけ散財マンだとしても、今のところ唯一の味方である。

「ふふ、しかし、まさか一回でくいくとはな。流石は我が娘、眩いばかりの才能よ。……誰がばいどもにこの家をくれてやるものかよ。ブルーローズの名は、私とツバキの娘こそが受け継ぐべきなのだ。誰が何を言おうとも、グリエルなどにくれてやるものかッ!!

 目に暗い光を携えて、ブツブツ呟いている。複雑な家庭環境なのはさっき知ったので、それ関連のことなのだろう。私としては平和にそれなりに優雅な毎日を送れればそれがベストである。詩とか書いて、お茶を楽しんだりとか優雅っぽい。なにせ十年間植物状態だったのだから、いきなり貴族特有のごたごたにぶち込まれるのはごめんである。死にたくはない。

「お父様?」

「……いや、なに、なんでもない。さて、少し外を歩いてみないか。中庭には、お前の母が好きだった花をたくさん植えてあるのだ。これからは、お前の好きな花もどんどん植えていこう。体力が付いたら、最高の教育を受けさせて、最高の生活を送らせてやる。いずれ大人になったら、最高の婿も見つけてやる。今までの分を取り返すのだから、誰よりも幸せな人生を送らねばならん。この父が必ず叶えてやる」

 駄目な父親が一人。そんな財産が残っているといいのだけど、はたしてどうなることやら。ピエールや今の奥さん──ミリアーネが聞いたら憤死するんじゃないだろうか。私はそんなことを考えながら、適当に杖を振り回していた。ギルモアは上機嫌で私の頭を撫でると、一緒に中庭に向かって歩き始めた。



「それで。意識を取り戻したという報告は聞いていたけれど。最近の呪い人形の様子を詳しく教えてもらえるかしら」

「は、はい。ギルモア様はそれはもう毎日お幸せそうです。玩具おもちゃを買いそろえるばかりでなく、つい先日も新しいドレスを新調なさいました。後は、画家を呼び出して、親子の永遠の記録とするとおっしゃられて」

「あ、そう。実に馬鹿馬鹿しいわね。そんなものを描き残したところでゴミにしかならないでしょうに。お前もそう思うでしょう?」

「は、はい」

「それにしてもいまいましいわ。不愉快極まりない」

 ──ここはブルーローズ家別館。ギルモアの今の正妻であるミリアーネは、執事ピエールから報告を聞いて心底苦々しい顔をしていた。

 あの呪い人形が復活してから一か月。──魔光石と子供の死骸から採取した触媒をブレンドした秘薬とやらを、約十年もの間投与され続けてきた呪い人形だ。その顔はあの女──前妻ツバキとうりふたつ。その上、使用人たちの話ではまるで悪魔のような表情で笑うのだとか。

 悪評が広まるのも時間の問題だ。そんなことでブルーローズの名に泥を塗られてはたまったものではない。さっさと死なせてしまえば良かったものを。

「本当に救えないわね。金は減る一方なのに、本人にはまるで自覚なし。当主の資格があるのかしら?」

…………

「黙っているけど。お前もごとではないのよ? 破産したらどうやって食べていくのかしら」

「し、しかし私どもにできることなど」

「まぁ期待などしてないけどね、愚痴ぐらい言いたくなるものよ」

 一体あの男は、どれだけの財産を浪費すれば気が済むのか。ブルーローズ家所有の芸術品、武具などはかなりの数が既に売り払われている。挙句の果てには、土地にまで手をつけようとする始末。これはミリアーネが裏で手を回して即座に握りつぶした。いずれこの土地は息子グリエルが継承するのだ。芸術品などはどうでもよいが、土地だけは絶対に許さない。貴族の誇りにして魂である。売り払うなどありえない。

「とっとと後を追って死ねばよかったのよ。愚かなほど長生きするというのは本当なのかしら。羨ましい限りね」

 ピエールから差し出された報告書をビリビリと破くと、ぽいっと投げ捨てる。慌てて拾い集めるピエール。ピエールは外見だけみると誠実かつ忠誠心にあつそうに見えるが、中身と一致していない。保身が第一であり、ギルモアへの忠誠心はないと言っていい。現にひっぱくしていく資産を見てミリアーネ側に簡単についた。もっとも、ミリアーネは使用人全員を引き込んでいる。報酬は、現在の給金とギルモア死後も引き続き雇用を続けるという保証だけ。これだけで、ギルモア周囲の情報が全て入ってくる。

「さぁて、どうしようかしら」

 イエローローズの家から政略結婚で嫁いだ身。二人の男子をもうけたことで十分にその役目は果たしている。ギルモアの役目ももう終わっている。後はとっとと引退、もしくは病死してくれれば全てが上手くいく。

 イエローローズ家は国王に近しい家で、議会でも王党派の筆頭だ。中立を保つブルーローズ家を味方に引き込むことができれば、イエローローズ家にとって都合の良い政治が行なわれることになる。国王ルロイとの水面下での折衝も父が終わらせており、ブルーローズの家を継ぐのはグリエルと報告済みだ。ギルモアがどれだけ抵抗しようと、ミツバなどという呪い人形がその座につくことは絶対にない。

「奥様、一つ悪い知らせがございます」

「あらあら、なにかしら。怖いわねぇ」

「青薔薇の杖の継承を、ギルモア様は既に行なわれたようです。杖の所有権は、その、ミツバお嬢様に。今ではお嬢様が常に持ち歩いていらっしゃいます」

「まぁ、それは大変。でも、そんな勝手なことをして、自分がどうなるか考えていなかったのかしらねぇ」

 ミリアーネは薄く笑う。

 由緒あるしちじょうけ継承者のあかしである、各色の薔薇の杖。その杖は継承の儀式を行なわなければ、握ることすらできない。薔薇の杖は持ち主を選ぶのだ。資質のない者が無理に握ろうとすれば死の代償を得ると伝わっている。ギルモアはその杖を死守することで、自分が当主であり、後継者を選ぶのも自分であると広言していた。

(余計な仕事を増やしてくれて。本当に面倒なことばかりしてくれるわね)

 だが、特に問題はない。杖が本物であろうとレプリカであろうと誰も気にしない。当主自ら先頭に立って戦場に出ることはもうないのだ。ここ二十年で戦争は大きく様相を変えた。だから、本物の杖を誰が持っていようが気にしない。ブルーローズの家に存在しているだけでいい。

 ミリアーネがギルモアの浪費に目をつぶっていたのは、穏便に家督継承を済ませたかったからに過ぎない。医者が言うには、酒に溺れていたギルモアの内臓はボロボロとのこと。麻薬と言い換えることのできる鎮痛剤を毎日飲んでいることも知っている。他にも重い病を患っている可能性も高い。だから見逃してきた。

 だが、それももう終わりだ。杖もなく、ひたすら財産を食いつぶす害虫。当主としての役割を何一つ行なうこともせず、呪い人形にかまけてきた哀れな男。そんな男の妻とされた自分も十分哀れだろうが、ブルーローズ家乗っ取りには成功した。何ら恥じることはない。

「……奥様?」

「ああ、少し考え事をしていたわ。……さて、お前の報告によると、来月おのパーティーを計画しているのだったかしら」

「は、はい」

「ふん。あの男、恐らくそこでミツバに家督継承を発表する気でしょうね。ふふふ、それはそれで面白いかしら。ならば、そこで決着をつけましょう」

「け、決着ですか」

「ええ。グリエルとミゲルは忙しいでしょうし、後で色々言われるのは可哀かわいそうだから欠席させましょう。いつものように、私が全部掃除しなくてはね」

 いずれにせよ、ことを行なえば多かれ少なかれ悪い噂は流れる。ギルモアの今までの所業を利用して、自業自得という風にみつぶしていくつもりだが。くだらぬ悪評は母である自分が背負えばいいだろう。グリエルは立派な当主として、ミゲルには上院議員として立派に働いてもらいたい。そうすれば自分も報われるというもの。

「さてピエール。あとであるモノを渡すから、それをあの男のグラスに仕込みなさい。臨時報酬は百万ベルよ。大変な仕事だけど、やってみたいかしら?」

「……それは、ま、まさか」

「ええ、そうよ。これはお前の忠誠心を試すためのテストでもあるの。もちろん断ってもいいわよ。罪深い行為であることには違いないし。どちらにせよ、お前がしくじった場合に備えて、客の中に手の者を数人紛れ込ませるから心配は無用、結末は一切合切何も変わらない」

 そう言って笑うと、ピエールはしばし悩んだ後、ひざまずいて頷いた。

「聞き分けが良くて助かるわ。色々あったけど、最後には全て上手くいきそうねぇ。後はあの呪い人形をどうするか、かしら。一緒に始末できればいいのだけど、なにせあの女が目をかけているからねぇ」

 ミリアーネは髪をいじりながら、しばし思考する。

 ギルモアは確実に殺す。ついでにミツバも殺してしまいたい。だが、あれは王国魔術研究所が関与してしまっている。植物状態だったあれを生存させてきた常軌を逸した連中だ。いけにえの実験動物ではなく、魔術の観察対象として見ていた場合、後で揉めるはめになる。

 特に所長のニコレイナスと敵対するのは避けたい。あの女は近代の戦争のあり方を変え、王国躍進の一翼を担った天才。敵対するよりは協調していった方が得策だ。

「それとなく聞いてみるとしましょうか。ピエール、ニコレイナス所長に使いを出しなさい。娘のことで早急にお会いしたいとね」

「かしこまりました」

 ピエールが下がった後、机をトントンとたたいて命令する。前には誰もいないが、背後に複数の気配を感じる。

「呪い人形の悪評をばらきなさい。死体の血をすすってよみがえった化け物、母親を殺し、次は父親を呪い殺そうとしていると。後はギルモアの体調が急激に悪くなっているともね」

 どうせ悪評は広まるのだ。ならば先手を打って操作してしまった方がいい。こちらには非が及ばないように浸透させる。

…………対象地域は?」

「ブルーローズ州だけでなく、王都周辺にもよろしく。あそこに撒いておけば、ローゼリア全土に風評として流れることでしょう。金はイエローローズの家に請求しなさいな。そっちの利益も大きいのだから、嫌とは言わせないわ」

「承知しました」

 背後から気配が消える。いわゆる子飼いの密偵だ。イエローローズから連れてきた連中で、荒事から裏工作までお手のもの。

 これで、来月のお披露目会までには愉快な風聞にまみれていることだろう。ギルモアはどんな顔をしてそれを聞くだろうか。ミリアーネは楽しそうに笑った。

「黄と緑に青が加わる。王党派内での勢いを増せば、私たちは更に栄えることができる。国王も私たちの勢いを無視できないわ。まさに、ローゼリア万歳、議会政治万歳ってとこかしら」

 国軍結成による私兵所有の大幅制限。その代わりに受け入れさせた議会制。一時はどうなるかと思ったが、貴族の世はどうやらまだ終わらないようだ。ローゼリアは大陸有数の強国となり、王権は制限され、貴族の力は更に強まっている。いずれは、自分も議員とやらになるのも悪くないかもしれない。可能性は十分にある。

 ミリアーネは湧き上がってくる大量の野心に、思うがまま身を委ねることにした。



 ──ブルーローズ家城館。

 普段は閑散としている大広間だが、今日は多くのテーブルが並べられ、豪勢な料理が用意されている。着飾った客人たちが、思い思いに歓談している。だが、どれもこれも表情が硬いことに、当主のギルモアは当然気がついていた。

 原因はミツバに関する忌まわしい噂の数々である。母を呪い殺し、今度は父まで病に陥れているなど。それを聞いたときは、憤りのあまり一瞬気を失ってしまうほどだった。

(くだらぬ噂のせいで、せっかくの披露会にケチがついたわ。だが、それぐらいは構わん。女狐めぎつねめ、精々ふんぞり返っているがいいわ)

 ギルモアは、隣で扇子をあおっている女、ミリアーネを睨みつける。

 視線に気付いたのか、こちらに視線を向けると鼻で笑ってくる。あの不愉快極まりない噂をばら撒いたのは、間違いなくこの女狐である。今すぐにでも斬り殺してやりたいが、こいつの背後には武器を隠し持った使用人が常に控えている。外見は見目麗しい女使用人だが、正体はイエローローズの密偵である。この館はそんな人間ばかりだ。

「あら貴方、どうかなさいましたの?」

「……なんでもない。耳障りだから私に話しかけるな。今更私の機嫌を取る必要もなかろう」

「本当につれないお方。全く、どうしてこうなってしまったのかしらねぇ」

たわごとをぬかすな。私の知らないところで好き勝手動いていることぐらい、百も承知なのだ。近いうちに全て掃除してくれる。覚悟しておけ」

「あらあら、それは怖い」

 肩をすくめてみせるが、全く恐れてはいないだろう。ミリアーネの後ろには実家のイエローローズがついているのだから。

 ブルーローズは王党派内で中立を保っている。黄、緑の派閥と、白、黒の派閥が二大巨頭。それに続くのが人数に劣る王家主導の赤と桃──最近は寛容派などというものを結成したらしいが。ギルモアが受け継いだ青の派閥は、中立を保つことで王家内の各派の融和を図ってきた歴史がある。それをこの女は変えようとしている。実家であるイエローローズのためだけにだ。

「私と貴様は水と油、最初から分かっていたことだ。私の最大の過ちは、王家や親族どもの圧力に負けて貴様を受け入れてしまったことだろうな。ツバキにもっと早く子ができてさえいれば、貴様など誰が受け入れるものかよ!」

 ギルモアは最後まで断ろうと思っていた。だが、周囲はツバキに圧力を掛け始めたのだ。ゴロツキどもを使って罵声を浴びせたり、夫人同士のパーティーで嫌がらせを行なったり。最後には、国家同士の揉め事に発展すると国王から脅しをかけられたツバキに、土下座されて頼まれた。表情はいつもと変わらなかったが、一番無念だったのは彼女だったろう。

 その後は第二夫人となったミリアーネが家のことを仕切り始め、二人の男子を儲けてしまった。本当に最低限の回数しか交わっていないのにだ。本当に自分の子かも怪しいところだ。今となってはどうでもいいことだが。

「お察しいたしますわ。ツバキ様のことは本当においたわしいことでした。私は今でも悲しく思っておりますのよ」

「──黙れ女狐ッ!」

「黙れと言われても。先ほどから声が大きいのは貴方でしょうに」

 クスクスと笑うミリアーネ。思わず怒鳴ると、周囲の視線が集中する。せきばらいをして会釈すると、元の空気に戻る。

「ピエール、水をせ。女狐のせいで喉をやられたわ」

「は、はい。かしこまりました」

 喉が渇いたので、水を受け取り一気に飲み干す。一瞬ピリッとした感触が舌に走る。気持ちが引き締まる。魔術により冷やされた水が心地よい。後味も爽やかで、なんだか甘い香りがした。普段からの飲酒のせいで、舌がおかしくなっているのかもしれない。

 ミツバが目覚めるまで、酒の量は自然と増していた。薬の量も増えている。久々に大勢の前で挨拶をしなくてはならないのだ。気をしっかり持ち、今日の会を立派に執り行なわなくては。

 そんなことを考えていたら、ミリアーネが隣に座っているミツバに声をかけていた。

「貴方がミツバね。目覚めたと聞いて、いてもたってもいられなかったの。本当、ずっとお会いしたかったわ」

「……はじめまして」

「ええ、はじめまして。そのお人形さんのような目、本当にツバキ様に似ていらっしゃる。そうそう、私のことは母と呼んで構わないわ。私たちは家族になるのだから、敬語も必要ないわよ?」

「ミツバよ。この女のそばには今後は近寄らぬようにせよ。何をしでかすか分からんからな。この女狐は笑いながら毒を盛れる女なのだ。そしてこいつからは何も受け取ってはならん。こいつこそが我が家に不幸をもたらした呪いの元凶よ」

「貴方。私はこの子の母になるのですよ? そのような粗野な言い方はおやめなさい。みっともない」

「笑わせるなよミリアーネ。ことが終われば、貴様らは全員追放する。今すぐ殺されないだけありがたく思え」

「まぁ。貴方は本当にお冗談がお好きで」

「精々笑っておけばいい。後で必ず思い知らせてくれる」

 ミツバはいつもと変わらぬ表情で、ミリアーネとのやりとりを眺めている。ツバキに似て感情をあまり表に出さない。淡々とした言葉遣いだが、ちょっとした仕草で何をしてほしいかが最近は分かるようになってきた。それもツバキに似ている。

(私は恐らく、それほど長くないだろう。だから、それまでにできる限りのものを残してやらねばならん。最も重要な仕事は、この家に巣食う害虫どもを一掃することだ)

 ドレスで着飾ったミツバの腰には、青薔薇の杖が備え付けられている。客人たちの目に嫌でも入るようにだ。これがどういうものかは、ここにいる上流階級の連中ならば誰もが知っている。つまり、次のブルーローズ家の後継者は、ミツバであると示しているのだ。

 ミリアーネは、しさを隠すためか、笑顔の仮面を外そうとはしない。ギルモアの傍で控えているピエールなどは顔を真っ青にしているというのに。気配りはできるが、小心な男だ。次期後継者がグリエルではないと知ってきょうがくしているのだろう。

「……ピエール、そろそろ乾杯の準備をしようではないか。客人の皆様に記念の酒をお配りしろ」

「承知いたしました」

「本当に奮発したのねぇ。どこに隠していらっしゃったのかしら」

「貴様に教える必要はない」

「これだもの。大事なことは何も教えてくださらない」

「こそこそ嗅ぎ回ってる女狐と野良犬にかける慈悲などない」

 この日のために用意しておいた、プルメニア産の高級ワイン。ギルモアがかつて指揮を執った戦いで勝利した際、先代国王から戦利品として賜ったものの一つ。有利な和平を結んだ際に、プルメニア皇帝から奪い取った代物だ。ギルモアの栄光を表わす酒。この日のために寝かせておいた逸品だ。

 ピエールが、そのワインをギルモアのグラスに注いでくれる。宝石のような紫色の液体から、かぐわしい香りが漂う。普段の酒とは格が違う。ミツバの小さなグラスには、りんジュースが注がれる。

「お前にはまだ早いから、我慢してくれるか。あと数年もしたら、ともに飲むこともできよう」

「はい、お父様」

「良い返事だ。それとだ、今日でこの女とはお別れだからな。さようならを言ってあげなさい」

…………

 そうミツバに声を掛けると、少しだけ眉をひそめる。そして無言を維持する。

「あら、貴方は頭の良い子なのね。口は災いのもとと、こんなに幼いのに理解できている。ろくに教育も受けていないでしょうに。本当に賢い子」

「ふん、お前は最後まで理解できなかったようだがな。口で身をほろぼすのだ」

「ふふふ。今日は本当に手厳しいですわね。いつにも増してお口がりゅうちょうですわ」

「ああ、それはそうだろう。今日の私は解放感に包まれているからな。貴様の顔をもう見なくて済むかと思うと、思わず小躍りしたくなるほどだ」

「あら。それには同意見ですわ。珍しく気が合いますわね」

「ほう、そうかそうか。ならば、何も問題はないな。実にめでたいことだ。今ならお前と乾杯してやれそうだ」

「ふふ、素敵な提案ですがやめておきましょう。今更ですわ」

「実に同感だ」

 ギルモアはそう言い放ち、周囲を見渡す。客人たちの中には、七杖の各家から使わされた者や、王国魔術研究所のニコレイナスの姿もある。後でミツバのことについて相談しなければなるまい。彼女に後見役を頼むことができれば全てが安泰だ。

 ギルモアは立ち上がると、グラスを手に取り挨拶を始める。

「今日は、我が娘ミツバのために皆様に集まっていただき、このブルーローズ家当主ギルモア、心から嬉しく思っておりますぞ」

 感謝を伝えることからはじめ、ミツバについての紹介、ちまたで流れている噂をやんわりと否定する。あまりムキになって否定しても、こいつらの噂好きに火をつけるだけ。少しずつ鎮火を待つのが正解なのだ。

 ここまでは順調だ。後はミツバに挨拶させ、青薔薇の杖を彼女に継承したことを発表するだけだ。あともう少し。──だというのに、何故なぜか、ひどく喉が渇く。

「きょ、今日は、快気祝いを兼ねて、皆様に、重要な、は、発表が──。ご、ゴホッッ!!

 咳が出る。隣で座っているミツバがこちらを見上げてくる。大丈夫、心配無用だ。そう目で伝える。咳がひどくなる。喉が渇く。焼けるようだ。咳が出る。が出る。

「わ、我が、ブ、ブルーローズのか、家督は──」

 手からグラスがこぼち、赤い印が点々とあるテーブルクロスに酒が染みていく。身体が膝から崩れ落ち、テーブルごと前のめりに倒れ込む。悲鳴があがる。来客席からニコレイナスや顔見知りの連中が近づいてくる。ミツバは心配そうに近くでたたずんでいる。そして、視界に入ったミリアーネの顔は。──口がわらっていた。

「ミ、ミリアァネェ……ッ!!

(き、貴様の仕業か!! ミリアーネ、貴様という女はああああああッッッ!!

「貴方、気をしっかりもって! 貴方がいなくなっては、ミツバはどうなるのです! 貴方ッ!!

「ギ、ギギ、グアアアアアッ!!

 手を握り締めてくるミリアーネ。ギルモアはその左手を取り、全力で握り締めてやる。呪いをめられるなら、怨念全てを篭められるようにと。僅かに顔をゆがめるミリアーネ。だが、表情はそれ以上変わらない。

「ああ、神よ! これは一体どういうことなのでしょう!! ミツバの快気祝いのめでたい宴の日に、なんというむごいことを! ああ、神よ!」

 演技ぶった口調のミリアーネが、偽りの涙を流している。ピエールは顔をどす黒くして、口元を押さえている。

『こ、これが呪い』

『お、恐ろしい』

『まさに悪魔の所業よ』

 来客者たちは、呪い人形の仕業、父親まで呪い殺した、あの氷のような表情に虫みたいな目、悪魔が体内に潜んでいるに違いないなどとささやいている。

 違うのだ。全て、この女狐の仕業なのだ。誰か、気付いてくれ。お願いだから、ミツバを守ってくれ。私はまだ死ねないのだ。何も残していない、何もしてやれていない。このままではツバキに合わせる顔がない。誰か助けてくれ。

「お父様、大丈夫ですか?」

「ミ、ミツバッ。す、すまぬ。こ、こんなはずでは」

……………………

「ゆ、ゆるし」

…………さようなら、お父様」

 薄れていく視界。しゃくねつが走る喉元。ほおに感じた冷たいしずく。そして、暗闇。何故か、今までの苦しみから解放されたようなあん。苦しみは一切なかった。最期にギルモアが感じていたのは、ミツバの小さな手の感触だけだった。

 ブルーローズ家当主、ギルモア・ブルーローズ・クローブ。プルメニア帝国、リリーア王国との戦で多くの戦功を挙げた、優秀な軍人であり魔術師だった。だが、ツバキ夫人の死と娘の病で精神を衰弱させ、最期は最愛の呪い人形により魂を吸われて悲惨な死を迎えた、と人々は噂した。

 当主代行にはミリアーネ・ブルーローズ・クローブが就任。軍務が落ち着き、国王の認可が下り次第、長男のグリエルに譲ると表明。既に名ばかりの当主であったため、特に州内に混乱が広がることはなかった。

 ミツバについては各種の疑いが晴れるまで隔離塔に幽閉と決まった。青薔薇の杖については、正式な当主が決定するまで城館で保管されることとなる。



「ピエールが死んでいたですって?」

「……はっ。いかがいたしましょうか」

「当初の予定通り、殉死ということにするしかないでしょう。こちらがやるべきことを減らしてくれたことには感謝すべきでしょうけど、少し気持ちが悪いわね」

「……調べますか?」

「適当でいいわ。毒の入手経路とピエールの周囲で不審な点がなかったかだけ報告しなさい。まぁ、無駄でしょうけどね」

「はっ」

 ──ギルモアの死の翌日。執事ピエールの死体が城館の執事室にて発見される。ギルモア毒殺の口封じのために、ミリアーネの放った刺客が、死体を発見したのだ。ピエールの死因は、ギルモアと同じ毒によるもの。その死に顔にはこの世にあらざるものを見たかのような恐怖が貼り付けられていた。

 ミリアーネがピエールに渡した毒は、ギルモアを殺すための量しかない。ピエールが同じものを手配することなど不可能である。手に入れようと動いていれば、必ずその動きをつかむことができるからだ。

 密偵たちはピエールの周囲を洗ったが、特に不審な点はなし。金回りがよくなってご機嫌だった、これからは死ぬほど贅沢すると吹いていたなどという情報だけである。

 結局、あるじギルモアの後を追っての自殺として、ピエールの死は内密に処分されることとなった。ミリアーネの心中に僅かばかりの疑念を残して。




「……うーん」

 気がついたら、私は隔離塔とやらに幽閉されていた。

 父親を呪い殺したという容疑がかかっているらしい。呪いとは穏やかじゃないが、あいにく私にはそんな能力はないはずだ。魔術とやらの才能はあると父は言っていたが、そもそも使い方を教えてもらっていない。なので私はやっていない。魂を賭けてもいい。

 というわけで、真犯人ができるだけ苦しんで死ぬように昨夜はお願いしておいた。お願いで人が殺せるなら苦労はないので、いわゆる徒労というやつである。がっかり。

「うーん。やることもないし超退屈です」

 薄暗くて不気味極まりない部屋を見渡す。お化けが出てきそうでちょっと怖い。ゴキブリが出たらもっと怖い。そんな殺風景でカビ臭い部屋には、ボロいベッド、ボロいテーブルと椅子だけ。トイレのときは鍵のかかったドアをノックすると、警備の兵が付き添ってくれる。逃走できないように足かせはつけられるけど。食事は一日二食、おやつなし。いけれど、おなかは膨れる。お風呂も時間になれば水と布を渡される。

 容疑者とはいえ、当主の娘だったこともあり一応それなりの対応だ。室内では手かせと足かせはないし。でも窓は完全に封鎖されていて、外とやりとりできるのはドアに作られた監視口だけ。なんとも悲しい世界である。せっかく新しい世界に来られたような気がするのに、これではがっかり極まりない。お外に出たいものである。前の世界というのがどういう世界だったかは、いまいち曖昧なので外の景色を味わいたい。それにしても私は一体誰なんだろう。教えて偉い人。

「あー。暇だし寝飽きました。壁の染みを数えるのも流石さすがに飽きました」

 というか、父が死んだというのに何の感慨も湧かないというのはどういうことだろう。

 父が苦しんでいるときは大変だと心配したし、息絶えてからしばらくしたら目から涙もあふれてきた。お別れの言葉も勝手に出た。でも、まだ一か月と少しだけの付き合いだったしそんなにダメージはない気がする。悲しめと言われても中々に難しいのだ。事実、一週間この塔に幽閉されているけど、思い浮かぶのは父とのことより、退屈で死にそうだということだけ。

 最初のうちは警備兵に色々と話を聞こうと頑張ったが、ほとんど無視された。教えてくれたのは、父の葬儀は終了し遺体は埋葬されたということ。ほかには、執事のピエールさんが死んだことか。父の後を追って自殺してしまったらしい。いわゆる殉死。それほどまでに慕われていたとは、父もあの世で喜んでいるだろう。あちらで仲良く暮らしてほしいものである。

「これの中身も分からずじまいだし」

 作業着みたいな質素なズボンのポケットから、小ビンを取り出す。

 あの騒ぎのときにこっそり拾ったものだ。小ビンの中には透明な液体が少しだけ入っていて、とても甘酸っぱい香りがした。超貴重なジュースかなにかだと思う。かんに飢えていたので既に飲み干してしまい、中には何もない。残っているのは香りだけ。残念。屋敷のことを何でも知っているピエールさんなら中身を教えてくれただろうが、もう聞くことはできない。死人に口なしである。

「暇だから、玩具おもちゃを要求しようかな。強引に閉じ込められている私には、退屈を紛らわせるための要求をする権利があります」

 ドンドンと無骨なドアをたたく。返事がないので、ドンドンドンドンと連続で叩く。

 小さな監視口が慎重に開かれる。あからさまに警戒している警備兵の顔が目に入る。嫌な感じである。

…………何の用だ?」

「暇だから何か玩具をください。お父様からもらったものならなんでもいいので」

「駄目だ。お前には許可されたもの以外、何も渡すなと命令を受けている」

「そこをなんとかお願いします。退屈で死にそうなんです。というか死んじゃいます」

「絶対に駄目だ。むしろ死にたいならそうしてくれると助かる。誰も止めないからな。遠慮なく死ね」

 無慈悲な物言いとともに、監視口が無慈悲に閉まってしまった。しかもひどいことを言われてしまったので、超がっかりである。はあーっとためいきく。

 そして退屈の時間がまた始まる。

 ──やっぱり暇だ。室内にこもるのは嫌いじゃなかったと思う。でも、テレビもゲームもスマホもない。記憶は曖昧だけど、私は現代社会の申し子だったに違いない。つまり、めいそうは趣味じゃない。というわけで、この無機質なドアを使って一人寂しくリズムゲームをやることにした。

 延々とドアをドンドンドンドンと叩き続けて、時折小気味良くトントンと入れたりする。

 扉の外で、何か倒れたような物音がした。居眠りでもしているに違いない。ならば遠慮なく叩かせてもらおう。

 そんな感じで一時間ぐらいやっていたら、ドアの向こうが急に騒がしくなった。監視口が乱暴に開く。

「お、お前ッ、一体何をした!! 何をやったんだッ!!

「リズムゲームです。ドンドンドンと刻むんです」

「わけの分からんことを! とにかく絶対に何もするな、そこを動くな!!

 お怒りの警備兵さん。先ほどの無慈悲な人とは違う人である。監視口から、外の声が入り込んでくる。ぐちゃぐちゃとなんだか不思議な音もする。なんとなく懐かしい臭いが漂ってくる。はえの飛ぶ音が聞こえた気がした。

『そいつを早く運んでやれ! まだ息をしている!』

『し、しかし。これは、どう見てももう──』

『くそっ! とにかくミリアーネ様に連絡しろ! ニコレイナス所長にもだ!』

「あのー。早く玩具をください。新しいものを、早く。早く早く早く」

 なんだかビビってるので、それっぽい口調と顔をしてみる。だらりとした腕を振りかぶり、ドアを全力で叩こうとしたら。

──ッ!?

 おびえたような表情で監視口が素早く閉められた。

 ドアを叩くのも飽きたので、ひとまず終わりにしよう。手が痛くなってしまった。次は丸いものが欲しい。手まりかボール。歌いながらポンポンとつくのだ。楽しいかは知らないが、時間は潰せるはず。


 ──夕方くらいになっただろうか。手まりやボールはまだこない。時計がないので時間の感覚がさっぱりである。時間が補正されるのは、朝と晩の食事のときだけ。トイレで室外に出ても、空の様子が分からないのでどうしようもない。がっかりな暗闇の世界である。

「あー、暇だなぁ。暇だから芸術活動でもしようかな」

 あまりに暇なので、ボロい床からささくれだった木片を慎重に抜いていく。座り込んだ私は、それを、ボロい椅子の隙間に無造作に突き刺していく。とげとげが一杯の拷問椅子になってしまうが、後で抜くので問題ない。というか暇すぎるので、それくらいしか遊ぶことがない。片目をつぶり、集中して木片を突き刺していく。先ほどまで、こんなところに黒い隙間はなかった気がする。でも、丁度良い感じの大きさなので、気にせず突き刺していく。

「えいえいえいっと。気持ちよいぐらいサクッと刺さりますね。椅子がもろいのか、この木片が硬いのか。どっちだろう。両方なのかな?」

 サボテンみたいになった哀れな椅子さん。暗闇の世界に輝かしい芸術品が誕生してしまった。いわゆる前衛芸術。満足した私は、思わず拍手してしまった。

 すると、私の体から紫の毒々しい光が椅子に向かって集まっていく。そして微妙な感じに飛び散った。よく意味は分からなかったけど、ちょっと面白かった。いわゆる魔法というやつだろうか。何の意味もないけど宴会芸くらいにはなりそうである。

「それにしても暇だなぁ。なんか面白いことでも起きないかなぁ。この世界のこと、まだ全然知らないし。魂が抜けちゃいそうなほど暇です。暇暇暇」

 色々と妄想しようにも、この世界のことを知らないのだ。前の世界のこともやっぱりいまいちくん。断片的にあるのは、どこかの誰かのいつかの知識と経験の断片。これが真実なのか空想のことかは判断できない。私には正確な知識と経験が足りないのである。がっかり。溜息を吐きながら私は、だらんとベッドに横たわる。

 ──と。

 今度は監視口ではなくドアが乱暴に開かれ、武装した警備兵と紋章つきのローブを着た人たちが大勢入り込んできた。その顔はとても険しい。警備兵たちは私が作った前衛芸術を見つけると、目をカッと見開くと震えながらそれを指さす。

「──隊長。これを」

「やはりお前の仕業か、この呪い人形めッ! お前は、お前は一体何人殺せば気が済むのだ!」

「えーと、何のことですか? 私が何かしましたか? ねぇ、教えてください」

 怒鳴る警備兵たちに、微笑ほほえみかける。警備兵たちは、ヒイッと悲鳴をあげて腰を抜かしてしまった。

「大丈夫ですか? 手を貸しましょうか?」

 私が近づこうとすると、顔を真っ青にしてぶんぶんと首を横に振る警備兵。ちょっと面白い。更に近づこうとすると。

「──警備兵は私たちの後ろへ下がれッ! 全員、対魔障壁を多重展開しろ! 惜しまず全力だ!」

「はっ!」

 ローブを着たフードつきが数人前へ出て、キラキラ輝くれいな壁を作り出した。

 すごい。やっぱりこの世界に魔法はあったんだ。これはバリアーかな?

「本当に凄いなぁ。これ、やっぱり魔法ですよね。キラキラで綺麗ですね。触ってみていいです?」

 私は拍手しながらそれに近づいていき、ツンツンと触ってみる。見かけと異なり、感触はスポンジ的だった。穴がぼこぼこ開くし。すると、障壁とやらは穴から紫色が広がってドロドロに崩れ落ちてしまった。見かけは綺麗だけど、とてももろかった。がっかり魔法である。

「馬鹿な」

「我らの多重障壁が、た、たった一撃で!?

「隊長、攻撃許可を! こいつはとても我々の手には負えません!」

「駄目だッ。それはニコレイナス所長がお許しにならない! 死力を尽くし拘束せよ!」

「こ、拘束術を展開します!!

「今度は鎖の魔法ですか? こっちも綺麗ですね」

 変な形のつえから光の鎖がたくさん飛び出てくる。私の体に巻きついた。つまむと、ボロボロに崩れていく。やっぱり脆い。劣化したビニールひもみたい。

「ひいいいいっ!!

「こ、この装備と人数ではとても相手にならん! 所長に報告して増援を要請せよ!」

「あのー」

退け退けッ! こいつと目を合わせるな、呪い殺されるぞ!!

「呪い人形め、さっさと地獄に戻れ!! 神よ、ご加護を!」

「あのー」

「親殺しの化け物めがッ! ここで永遠に隔離されていろ!」

 こちらの話を全く聞いてくれない。警備兵とフードつきたちは悲鳴と罵声をあげながら逃げ去っていく。ドアが閉められてガチャガチャと凄い勢いで音がする。しばらくすると、再び室内に静寂が戻ってしまった。

「なんだかよく分からなかったけど、今のはかなり面白かったです。それにやっぱり魔法はあったんだ。私にも使えるのかな? えいっ、とかやってかっよくやりたいです。いつかできるかな?」

 手をにぎにぎしてから力をめてみる。そういうフリをする。なにかまっている様な気もするし、そうでない気もする。試してみようか。魔術というからには対象が必要だろう。

「誰にしようかなぁ。まぁごっこだから適当でいいですよね」

 よし、さっき私を親殺しって言ったあの人にしよう。しかも永遠に隔離されていろとまで言われてしまった。無期懲役とは非常に心外である。私は完全無欠に無罪なので、いわれのない悪口を言われる筋合いは全くないのである。

 しかし呪いって言うくらいだから、髪とか落ちてないかな。ロックオンするのに必要だと思う。伝統あるうしこく参りってやつを参考にしてみたい。そんなに都合よくないかーと思ったら、床に紫色に光る謎の髪の毛が見えた。誰のか分からないけど、これを使ってみよう。自分のだったら呪い返しみたいでちょっと面白い事態になりそう。

 髪の毛をさっきの椅子に結び付けて、えいっと適当に念じてみる。すると、紫の光がそこに集まっていく。腐食が進んでいたらしい元前衛芸術の椅子は、ボロボロに崩れ落ちてしまった。どこかですさまじい悲鳴があがった気がするが、きっと気のせいだろう。この塔は隔離されてるから外の音はほとんど聞こえないはずである。

「……魔法なんだろうけど、ただ光っただけ。というか効果が超絶に地味でしたね。しかも芸術品が壊れちゃったし。無意味でした」

 芸術品は壊れるから価値があると誰かが言っていた気もする。でもちょっと早すぎる。とりあえずがっかりしておこう。──がっかり。



「……にわかには信じがたいですわね。この短期間で十三人が変死などと」

「ですよねぇ。でも、事実なんですよ。お疑いでしたら、実物を御覧になられますか? 全員素敵なオブジェになってますけど。どれもこれも逸品に仕上がってますよ。一見の価値はありますね」

「遠慮しておきますわ」

 深い溜息を吐いて、こめかみをほぐすミリアーネ。机の向こうには、丸眼鏡を触り、ニコニコと笑うニコレイナスがいる。

 ギルモアの死後、大輪教会主導の下で葬儀はつつがなく行なわれ、埋葬も終了した。せめてもの情けで墓はツバキの横にしてやった。愚かな男だったが、おかげでブルーローズ家は手に入ったし、優秀な息子二人をのこしてもくれた。父親の良いところだけを抽出したような立派な息子たちである。

 当主代行の地位に正式に就いたミリアーネは、早速イエローローズ本家と連携を取り、人脈作りにとりかかった。行政官に任せっぱなしだった州行政にも口を出さなければならない。それには情報が必要だ。軍備についても知らなければならない。陸軍大佐の地位にある長男グリエルからいくらでも情報は手に入ってくる。議員のミゲルにはもっと援助して、派閥の勢力を伸ばさなければ。あれもこれもやることが多い。

 執事のピエールを除く判断は間違いだったか。軽薄な男だったが、仕事はそれなりにこなしていた。後々のことを考え、厄介なことになる前に口封じしてしまえと思ったのだが。小心な男だったから、敵対派閥に脅迫されて余計なことをさえずられてはたまらないと考えた。それが勝手に自殺してしまった。理解はしがたいが、まぁ、もう終わったことだ。結果は当初の予定通り。とにかく、家のことを任せられる新しい執事を雇い入れなければなるまい。

 そんなことを考えていたら、厄介事が浮上した。城館から少し離れたところにある、隔離塔。そこで異変が生じているというのだ。そこで幽閉しているのは、ミツバ・クローブ。既にブルーローズの名誉姓は根回ししてはくだつ済みだ。後は死ぬまで塔で幽閉してしまえと考えていた。王国魔術研究所の観察終了後は、餓死させるなり毒殺するなり自由自在である。生活費はあちらがもってくれるそうだから、こちらも不満はない。存在は心底邪魔臭いが。

「警備兵が三、そちらの家に仕える使用人があわせて十名が死亡。警備兵のうち一人は胴体だけ奇妙なことになってましたし。あれでしばらく生きていたというのが凄いです。それはもうぐちょぐちょのねちょねちょで。もう片方は未知の毒が侵食し、全身紫色になって苦しみぬいた挙句に死亡。いやぁエグイエグイ。久々に芸術的な死体を連続で拝見しましたよ。芸術と死というのは切っても切り離せませんからねぇ!」

…………

「今は優雅に素敵な歌を口ずさんでいるそうです。それがまた素敵な歌詞なんです。カゴメカゴメとかいう、どこぞの童歌らしいですよ。聞いてるだけで寒気がするとのことですが、歌にあわせてグルッと監視口を向くんです。いきなり、グルッと! うっかり目を合わせてしまった警備兵は精神崩壊してしまったそうですよ! あははは、回復の見込みなしですね!! 実におかしいですよね!」

「失礼ですけど、おかしいのは貴方あなたのほうじゃなくて?」

「あはははは! 相変わらず手厳しいお方ですね。いやぁ、当主になっても変わりませんねぇ」

「当主代行よ」

「意味はそんなに変わらないでしょう。ならいいじゃないですか」

 何故なぜか先ほどからうれしそうなニコレイナス。王国魔術研究所の所長を長年務めている。

 この女の活躍があったから、王国では女性の進出が進んでいると言っても過言ではない。それほどの才覚の持ち主だ。華々しい栄誉、身分も高く見た目も悪くないのにいまだに独り身の理由がこれだ。この破綻した性格に普通の常識的な人間はついていけないのである。先代国王はそれを何とか受け入れていたらしいが、今の国王ルロイはどちらかというと遠ざけている。王国に必要不可欠だが、積極的には関わりたくない存在。それを本人も自覚しているらしく、必要なとき以外は研究所に篭りっぱなし。

 この女は兵器開発だけでなく、不老の研究者としても名高い。こちらは凄まじい悪名であるが。ニコレイナスの不老秘術最初の実験体は自分自身。成果は見ての通りで、うわさによると六十も半ばを過ぎたというのに、三十代前半の外見を維持し続けている。本人は『魂の寿命がくればそのうち死ぬんじゃないですかね。そこは試してないのでなんとも。肉体も微妙に劣化してますし。ほら、最近は白髪が増えてきてしまって』とおどけていた。ニコレイナスいわく、不老ではなく不死も実現したいとのことだ。

 それでも、この奇跡とも言える秘術はきょうがくを貴族階級にもたらした。なにせ不死ではないとはいえ若さを維持できるのだ。栄華を極めた貴族たちからしたらすいぜんである。先代国王は直ちに門外不出を厳命した。

 王族の特権、外交の切り札や家臣への最上級の報酬として採用される予定だったらしいが、実験体に志願してしまった勇敢かつ愚かな貴族たちは今では全員墓の下だ。ミリアーネも挑戦する気は皆無である。

「──で、我が家の使用人の方はどうなったのかしら?」

「あれれ、ご存じありません? お抱えの犬さんから聞いたのでは?」

「詳しくはまだよ。酷いことになっているというのは聞いているけど」

「いやぁ、あれは本当に一見の価値がありますよ。隔離塔の外壁に使用人たちが串刺しにされているんですよ。大胆かつ繊細な構図に思わず鳥肌が立ちましたねぇ。ただ、鳥たちの餌になってしまっているので、そのうち消えてしまいます。御覧になるならお早めに」

「遠慮しておくわ。……王魔研の見解としてはどうされるのかしら? 陛下に報告されるのでしょう?」

「そうですねぇ。集団自殺と、謎の病、ということにでもしておきましょうか。もちろんミツバお嬢様への処分はなしです。そちらの家への醜聞は避けられないでしょうが、それは必要経費ということでご容赦を」

「曖昧にごまかして終わりにするつもり? どうみてもアレの仕業でしょうに。あの呪い人形の」

「ま、そうなんですけどね。世間の皆さま方に信じてもらえるかは分かりませんが、間違いないでしょう。怪しげな噂で脅えるくせに、実際に被害が出るとそんなことあるわけがないと大騒ぎ。ま、世間というのはそういうものです。だってそんな呪いが実在したとしたら怖くてしかたない。なにせ呪いを防ぐ魔術なんて存在しませんから」

「手ぬるいわね。どうして始末なさらないのかしら。私やブルーローズ家に遠慮は無用です。さっさと始末していただきたいですわね。こうなった以上、手段は問いませんわ」

「あははは。母親として、それはどうなのでしょうねぇ。世間の評判によると、貴方は家族への愛情に溢れる素晴らしいご夫人だったのではなかったでしたっけ?」

「私の家族はグリエルとミゲルだけですわ。あんな不気味な人形を産んだ覚えはありません」

「はは、そうですかそうですか。大事なご主人を忘れている気もしますが、それも仕方ないでしょう。だって死んでますし」

…………

「それにミツバお嬢様は一見近づきがたい容姿ですからねぇ。そこが可愛かわいいんですけど。ええ、そこだけは亡きギルモアきょうとも話が合いましたね。あははは、私が言うのもなんですがあのお方はいささか精神を病んでいましたからね!」

 ご機嫌なニコレイナスにあきれ果てる。お前が言うなと喉元まで出かかってしまった。第一、ミツバを子供などと思えるはずがないのは当たり前だ。あの憎々しい女、ギルモアのもう一人の妻ツバキの生き写しである。違うのは髪の色ぐらいか。黒髪が銀髪に変わったからといって、愛らしいなどとは思わないし思えない。何より、あの目が不気味極まりない。ギルモア同様に一刻も早く排除したい。

「こうなった以上仕方ありません。それでは、正式に依頼しますわ。そちらの実験と観察が終了したら、直ちにミツバを処刑してくださいな。絞殺、斬首、生き埋め、銃殺、お好きなようにどうぞ」

「それはできませんね。絶対にお断りします」

 ふざけた顔を一変させ、強烈に拒絶してくるニコレイナス。

 渋るかもというのはあったが、ここまで強烈に拒否してくるのは想定外だった。

「それは何故かしら。遠慮は無用ですわよ」

「あはは、遠慮するに決まってるじゃないですか。かつに手を出したら、どうなるか分からないですしね。下手すると、この素敵なブルーローズの土地が死の大地になってしまうかもしれませんよ?」

 ニコレイナスが大げさにおどけてみせる。

「ふん、馬鹿馬鹿しいわね。そんなことできるわけ──」

「今のは言いすぎでしたが、命じた私に不幸がもたらされるのは確定なので、全力で遠慮します。まだ不死は実現できていないので。王国魔術研究所所長として、正式にお断りします」

「言っている意味がまるで分かりませんわ」

「分かりませんか?」

「分からないわね」

 短く吐き捨てる。すると、ニコレイナスは真顔で口を開く。

「あの子はですね。凄まじい威力を秘めたりゅうだんなんですよね。知ってますか、榴弾って。中に魔力を詰め込んで、大砲で豪快に撃ち出す弾の一種なんですけど。それはもう素敵にさくれつしますよ。人間の身体も素敵に吹っ飛びますから。あ、大砲ってご存じです?」

「……大砲は貴方が作り出したものでしょう。で、それが何か?」

「あははは、流石にご存じでしたか。今じゃ大陸中で独自のを作ってますけどね! 発明者としては負けていられませんよ。って、そういう話ではなくてですね。あの子の中には、それはもうとんでもない量の何かが溜まっているんですね。何かはよく分かりませんが。それをですね、悪意をもって殺そうなどとしたら、嗚呼ああ、どうなることやら」

 身体を抱きしめて、脅えるフリをしている。その顔にはまた先ほどの軽薄な笑みが浮かんでいる。

「一体どうなるというのです」

「さてさて、それは分かりません。まだ観察中ですが、悪意を向けられると強烈に悪意を返す性質、もしくは癖があるようで。それだけじゃなく、気が向いたら自分から仕掛けることもあるみたいですよ。まぁ必ずじゃないというのがまた困りものなんですが。子供だから気まぐれなんですね」

「悪意には、悪意。自分から仕掛けることもある……?」

 ミリアーネの背筋に冷たいものが走る。

「うふふふ、怖いですか? とにかく、それはもうすごいことになるんですよ。どうしてもというなら、ご勝手にどうぞ。死刑執行時には、私はできる限り遠くに逃げておきますのでご安心を」

「──ギルモア主導とはいえ、あれも貴方が作り出したようなものでしょうに。一体、あの呪い人形に何をしたのです? いえ、貴方たちは何を作り出したの?」

「呪い人形とは酷い言い草ですね」

「はぐらかさないで頂戴ッ」

 ミリアーネは精一杯の威圧を込めてにらみつける。ニコレイナスはどこ吹く風だ。眼鏡の位置をニコニコしながら直している。

「申し訳ありませんが。それは亡き当主様とのお約束があるので、お話できませんね。まぁ、色々集めて混ぜて投入したり、神様に言えないことをたくさん繰り返したというところですけど。いや、あれだけの力があれば一人でも十分に生きていけるでしょうね。素晴らしいですね。子供は強くたくましくないといけませんから」

「馬鹿なことを! 一体何が素晴らしいのですッ!」

 思わずげきこうしてしまう。ただの死に損ないの小娘が、行動を予測できない本物の呪い人形になってしまったのだ。笑えるわけがない。

「まぁまぁ、そう興奮なさらずに。ならば精々優しくして差し上げればよろしいじゃないですか。貴方はまだ生きているでしょう? ということは、特に何とも思われていないということですよ! 貴方は彼女にとって本当にどうでもいい存在なんですね。いやあ、良かったですね」

「くっ!」

「それとも、そうは最後に残しておく癖でもあるのでしょうか。それは今後に期待というところですね。あははは!」

 能天気なニコレイナスの言葉に思わず頭を抱えそうになる。今はいいが、このまま放置というわけにはいかない。魔術師を雇って、本格的な結界でも用意させてみるか?

「……幽閉しているだけで、これだけの被害をもたらすのよ? 何とかしてもらわないと困るわ。このままでは直接陛下にお願いすることになるわよ。それでもよろしいのかしら?」

「あははは、それは困りますね。いや、そんなに困らないかもしれません。でも少しは困るかもしれません」

 こういった脅しが効く相手ではないのは承知だが、予算は削られるかもしれない。ニコレイナスもそれは本意ではないだろう。王国はそれでなくとも厳しい財政状況なのだから。

「ならニコ所長、塔に結界を張って封印することは可能かしら。こちらに被害を出さなければ構わなくてよ」

「絶対にやめてください。実は、それが一番マズイんですよ。これは後で言おうと思っていたのですが、あの塔に今の状態で置いておくこと自体、非常にマズイんですよね。それをですよ。万が一にも封印なんてしたら、時間経過で塔ごと吹っ飛ぶでしょうね。どこまで被害が拡大するかは見てのお楽しみで」

「……どういうことかしら?」

「あの子を悪意を以て閉じ込めておく、それはつまり、アレの濃度が加速度的に増していくということでして。アレが何なのかはさっきも申し上げた通り分かりませんが。ただ、絶対にマズイんです。圧縮された悪意が、スポーンとね」

 親指にコインを乗せ、上空に弾いてみせる。それを魔力で消し飛ばすニコレイナス。彼女は魔術師でもある。

…………もう一度聞くわ。貴方とギルモアは、一体何を作り出したの? 何を作り出してしまったの?」

「さぁ。今となっては私にもさっぱり。でも、素敵なレディに成長すると思います。未来が楽しみですよね。私もこの目でしっかりと見守るつもりですから。それまでは絶対に死にませんよ。ゾンビになってでも見届けます」

 正気でないようにケタケタ笑っているニコレイナス。自分の研究で多くの人間を既に殺しているのだ。今更何が起ころうと気になどしない。多分、自らが死に直面しても笑っていることだろう。頭のネジが全部すっ飛んでいる女なのだ。天才だが精神異常者である。

…………

「先に言っておきますが、ウチでも今はちょっと預かれないんです。私は心底預かりたいんですが。ほら、好奇心旺盛な研究者が多いから、うっかり手を出して嫌われたりしたら大変ですし。王都ベルが死の都になっちゃうかもしれません。それもちょっと面白そうですがね。ただ、まだ私もやりたいことがそれなりにありましてね」

…………

「私には理解できませんが、どうしても遠ざけたい、適当なところで不運にも死んでもらいたいとおっしゃるのなら、微妙に良い考えがありますけど、陸軍の士官学校に放り込んでしまってはいかがでしょう。不人気な科にでも放り込むんです。そこで適当に過ごしてもらいましょう。海軍でもいいですけど、あっちは人気がありますから。で、適当に迷惑をいてもらった後は、得意の裏工作で激戦地行きにでもしてしまえばどうでしょう。それからは適当なところで戦死してもらえば万事解決ですね。そこまでやるのは義母としてどうかと思いますし、どうせくいくとも思えませんけどね。あはははは!」

 ニコニコと笑っている。目的のためなら手段を選ばない女、性格と思考は全く違うが、ミリアーネも似たようなものだ。

…………士官学校、ねぇ」

「戦争は無数の悪意が飛び交いますからね。流石のあの子でも、対象を絞れないでしょう。吹っ飛ぶ可能性が高いのは敵兵ですし。しかも爆発するのは戦場、これほどの場所はありませんよ。私たち善良な市民に迷惑は一切かからない。悪意はやがて分散して、空にかえるのです。これでまるっとハッピーエンドですね」

「……前向きに考えておきますわ。その時は、是非、協力をお願いしますわ。貴方にも多大な責任があるでしょうし」

 くぎを刺しておくが、全然聞いていない。

「いずれにせよ、できるだけお早めに。早くしないと、貴方に照準が合わせられるかも。子供はまぐれで、しかも残酷ですからね」

 クツクツと笑うと、ニコレイナスは優雅に一礼して退出していった。

 ミリアーネは、壁に飾り付けられている青薔薇ばらの杖に目を向ける。これは本物の杖。ミリアーネが普段所持している、レプリカとは異なる。その本物の杖の先端についている青色水晶は、毒々しい紫色に濁ってしまっていた。

(本当に呪い人形だとでもいうの? しかも、私を恨んでいない? まさか、私など眼中にないとでもいうの?)

「全く理解できないわ。ギルモアもツバキもそうだったけれど。本当に、親子そろってどこまでもいまいましい連中ッ」




「かーごめ、かーごめ。かーごのなーかのとーりーは──」

「う、歌うな! その歌をめろ!! 一切しゃべるんじゃない!」

 いまだに幽閉は解かれない。ということで、私のワンマン歌謡ショーはいつまでも続く。と思っていたら、無粋な警備兵に止められた。監視口すら封鎖され、話をやりとりするための小さな穴しか残っていない。声を聞く限り、多分新しい人だ。ここは入れ替わりが激しいブラックな職場なのだ。可哀かわいそうに。それはともかく。

「どうしてですか?」

「いいから止めるんだ! もう口を開かないでくれ! 頼むから!」

「そう言われると、歌いたくなっちゃいます。じゃあ遠慮なく続きを」

「やめろッ!!

 バタバタと騒がしい音。そこまで嫌がらなくてもいいのに。私はそんなに音痴だっただろうか。よーしこうなったら全力で──。

 大きく口を開けたところで、パンパンと手のたたく音が響いた。れいに響くものだなぁと思わず感心してしまった。

「はーいはいはい、死にたくないならそこまでになさい。ほら、貴方あなたは早く出ていかないと、腐って死ぬか、胴体が素敵な肉塊になるかもしれないですよ。そんな耳栓なんて全くの無意味! 大体、声は聞こえちゃってるんでしょう? あははは、私は別に構わないんですけどね! 経過観察もしてみたいですし」

「──ニ、ニコレイナス所長」

「ささ、理解できたなら鍵を開けてください。この子のお引っ越しが始まるんですから、ちゃんとお話ししておかないと。馬車の中で全員皆殺しなんて嫌でしょう?」

「りょ、了解しました」

 ガチャガチャという音の後、重々しいドアが開かれた。オープンザドアー。現れたのは、すごい頭の良さそうな丸眼鏡を掛けた女の人。金髪で、紋章つきの白衣、こちらを楽しそうに眺めている。エリート科学者っぽい。

「はじめまして、ミツバさん。体調はどうですか?」

「身体が硬いです。後、暇すぎて死にそうでした」

「そう。それは大変でしたね。早く出してあげたかったのだけど、色々な手続きがありまして。ごめんなさいね」

「お気になさらず」

 私は汚れるのも気にせず、床に座り込んでいる。椅子はないし、ベッドもなんか臭いから。白衣の女の人は、私と同じように座ると、両手で私の手を包み込んだ。うーんクールビューティー。

「私は王国魔術研究所所長の、ニコレイナスです。貴方のお父さんに協力して、貴方の治療を行なっていました」

「そうなんですか。それは、ありがとうございます」

 そういえば、魔術師に協力してもらっていたとか父が言っていたような。それがこの人なのだろう。多分、かなり偉い人。ドアの向こうには、この前よりも気合の入った装飾つきの魔術師っぽい人がたくさんいるから。

「お父様のことは本当に残念でした。以前から、お酒は控えるようにと言っていたのですが」

「父は病気だったのですか?」

「ええ。前の奥様をなくされてからお酒の量が増え、それが原因で身体が弱り、病に。痛みから逃れるために、最近は鎮痛薬の量を増やしていたようです。それらが複合して、今回の不幸な結果になったと言えるでしょうね」

「そうなんですか」

「悲しいですか?」

 あまりにごとに聞こえたのか、ニコレイナスが問いかけてくる。

「まだ一か月程度の付き合いなので実感はありませんが、多分。死ぬほど悲しいわけではないです」

「ふふ、正直なんですね」

うそをついても仕方ないので」

「なるほど。私もそういう性分なので、理解できますねぇ」

 この人はかなり話しやすい。なんというか、波長が合う気がする。なんでかは分からないが。少なくとも、いつもの警備兵やら使用人、義母よりは相性が良い。

「それで、今まで貴方にここで過ごしていただいたのは、周囲の誤解を解くためだったんですよ。まだ完全ではありませんが、少なくとも裁判にかけられて直ちに処罰、などということはもうありません」

「そうなんですか」

「ええ。何の教育も受けていないのに、魔術の行使などできませんし。呪いでたたり殺したなどというのは、馬鹿馬鹿しくてお話になりませんよね。そんなことができたなら世の中は死体だらけですよ。あははは」

 上品に微笑ほほえむニコレイナス。だんだん喋り方がくだけてきた気がする。こちらが素なのだろう。

「それは、つまり?」

「間もなく自由の身になれるということです。いやいや、ご迷惑をおかけしましたね」

 ニコレイナスは、そう言うと軽く頭を下げた。私は気にしないでと言って立ち上がり、ベッドに座りなおした。

「ということは、またあの館で暮らせばいいのですか?」

「そのことなんですがね。お義母様──ミリアーネ様と、くやっていけると思いますか? 唐突な質問だとは思いますが、一応お聞かせください」

「無理だと思います」

「そうでしょうねぇ! ええ、ええ、見れば分かりますとも。お互いに、関わらないのがベストだと思いますよ! あんなのは放っておくのが一番です!」

 何故なぜか凄いうれしそうなニコレイナス。それはもう名前がニコニコレイナスになるくらいのスマイルである。しかもあんなの呼ばわりだ。クールビューティーはどこかへ飛んでいってしまったらしい。

 まぁ、ニコレイナスの言葉は正しい。多分、ミリアーネ義母様は私を嫌いだろうし。確認しなくても分かる。でも、何かされるまでは特に私は何も思わない。というか、この世界で好きな人などまだ一人もいないし。良くしてくれたギルモアお父様はさっさと死んでしまったし。まだ仲良くなったとはとても言えなかったが、好きになれたかもしれない人である。がっかり。

 嫌いな人はそれなりにできた。意地悪をする人、悪口を言う人、邪魔をする人である。パッと色々な顔が頭に浮かんだが、名前は分からない。まぁ、もうどうでもよいことである。いつかそこにミリアーネ義母様が加わったら楽しそうである。こういうことを考えるということはやっぱり嫌いなのかもしれない。ま、楽しみは最後にとっておこう。後に回した方が、きっと面白くなるから。私の中の私が楽しそうにささやいた。

「これから何がしたいとか、何処どこをぶっ潰したいとか、誰々をぶっ殺したいとかありますか? あ、もちろん内緒にしておきますよ。夢や希望は大事ですからね! 乙女おとめの秘密というやつです」

 後半が不穏なものだったが、多分これはニコレイナスジョークだろう。曖昧に笑っておく。すると、向こうも笑ってきた。とても悪い顔である。

「まだこの世界のことがさっぱり分からないので。というか、私に何ができるかも分かりません。ただ、なんだか偉い人の娘に生まれたということは分かるし、魔法が存在するというのも分かります」

「いやー。まだ十一歳になったばかりというのに、大人びた言葉遣いに冷静な思考能力を持っていますね。素晴らしいですよ。流石さすがです」

「あ、私って十一歳なんですか?」

「ええ、そうですよ。貴方の誕生日は六月六日です。世界一大事な記念日ですね。言い忘れていましたが、お誕生日おめでとうございます。もう過ぎてしまいましたが」

「ありがとうございます。多分、嬉しいです」

「あははは、それは良かったです。ところで、他にも、色々な知識や覚えのない記憶がなぜか頭に浮かんだりしませんか? いわゆる不思議体験ですね」

 なんだか意味ありげに笑う。何かを知っているのだろうか。それとも、カマをかけているのか。どちらかは判断できない。ここはごまかしても仕方ないので素直に認めてしまおう。

「はい、たまにありますけど。でも、どうして知ってるんですか?」

「ふふ、色々とありましてね。ま、細かいことは貴方が大人になったときにお話ししましょう。今たくさん詰め込んでも、いいこととは思えませんしね。混乱するだけですよ。私は当分死なないので、それはご心配なく」

 私の頭をでてくるニコレイナス。その目に敵意はない。なんというか、見守る系の暖かい目だ。その奥に不穏な何かが見えるけど。なぜ分かるかというと、その瞳に映る私の目と同じだから。濁ってる。

「──で、私から一つ提案があるのですがね。将来、何でもできちゃうように、まずは勉強してみるというのはどうでしょうか」

「勉強ですか」

「ええ。この国には中々素晴らしい学校がありましてね。貴族や裕福な商人、一部の市民の子供たちが通っているのです。そこから、それぞれが選んだ道に進んでいくのです。皆、夢や希望にあふれた若者ばかりですよ」

…………

 学校。パッとイメージするのは、教室でわいわいがやがやと楽しく授業する光景。平和で楽しいイメージだ。勉強は大変だけど、歌ったり、運動したり、旅行したりと楽しいこともいっぱいだ。うん、中々良い感じ。ノーと答える理由は一つもない。

 思わず笑みがこぼれると、ニコレイナスの口角が素敵な角度に上がっていく。「わらう」を表現したらこうなるだろうという顔。二人で笑う光景は外からどう見えるのか。

「うふふふ、本当に良い笑顔ですねぇ。私の笑顔も中々のものだと思っているのですが、貴方はそれを上回りそうです。いやぁ、素晴らしい。常人だったら悲鳴をあげますね! 私も思わず叫んじゃうところでしたよ。してやられるとは、油断大敵です」

「それは褒められているんですか?」

「もちろん超絶に褒めてるんですよ。──で、行っちゃいますか、学校」

「凄く唐突ですね」

「あははは、私はせっかちなでしてね。で、行っちゃいましょうよ、学校。楽しいですよ? まぁ寮に住んでもらうので、今までみたいに使用人がついたりはしませんが。生活費等は完全無欠に保証します」

「じゃあ行っちゃいます、学校。この塔にいるのも飽きたので。暇つぶしに勉強したいです」

 勉強が好きなわけではなく、暇が嫌いなのである。

「なら決まりですね! では、こちらにサインを。怪しい契約書じゃないのでそれはご安心を。あ、文字は書けちゃいます? 多分書けるはずなんですけど」

「えーっと、どうだろう」

 ニコレイナスが差し出してきた用紙の記名欄。入学願書と書かれている。最初は謎の暗号にしか見えなかったが、今では読むことができる。変換機能っぽいなにかが働いたのか。よく分からない。ならば、書けるかもしれない。適当にペンを走らせると、なんだか素敵な筆記体で自分の名前を書くことができた。

「おや、これは達筆ですねぇ。ミツバ・クローブ、ですか。ブルーローズの名誉姓は、貴方が大人になったときに、きっちり返してもらえるように図ってみますよ。それまでは、ちょっと我慢してください。ムカついたら自分で頑張ってもいいですけどねぇ! 言ってくれれば、私もそれはもう本気で手伝いますよ?」

 狂気の笑みを浮かべるニコレイナス。それでもなんとなく親しみが湧くのはなぜだろう。もしかして同類なのかも。私ってそういう性質なのだろうか。多分常人だと思うんだけど。こういうのは客観的評価が重要である。つまり、私は私らしく生きるのがベストであるということだ。簡単な話だった!

「で、どうします? 一切合切まるっとやっちゃいます? なんなら今から──」

「気にしないでいいです。長い名前は面倒なので、むしろ気楽になったかもしれません。愛着もないですし」

「あははは、それは前向きで素晴らしい! そうそう、貴方のお父様──ギルモアきょうからですね、こっそり後見役を頼まれていたのです。当主代行にはミリアーネ様が就かれましたが、ちゃんと貴方をバックアップしますので。最初から最期まで、私がきっちり面倒を見させていただきます」

 親指を上げてグッとポーズを取る所長。リアクションを取りにくいが、私も同じポーズで感謝をしておく。

「本当にありがとうございます、ニコレイナス所長」

「ああ、堅い堅い。ニコ、と縮めて呼んでください。いつもニコニコ、ニコ所長です。この名乗りと同時に笑うんです。これ、私の持ちネタなんですけどね。これをやると皆、顔がるんですよ! おかしいですねぇ!」

 そう言って、ニコニコとは程遠い笑顔で嗤う。ニタニタというかケタケタが似合いそう。でも、私には良くしてくれるらしいので、ちゃんと頭を下げておく。色々と手配をしてくれるし、ここから連れ出してくれるのだから何も文句はない。ありがたい話である。ここはもう全力で頼ってしまおう。

「それで。学校では、魔法の使い方とかも勉強できるんですか?」

「ええ、もちろん。生きていくのに必要なたくさんのことを学べますよ。その逆もですけど」

「逆?」

「生き方とか殺し方とか。まぁ色々ですね!」

「殺し方? ……それって、どんな学校なんです?」

「将来安泰の王立の学校です」

 ということはエリートなのかも。いわゆる国立学校である。凄い。

「学校の名前を聞いてもいいですか?」

「ローゼリア王立なんたら学校です」

「なんたら学校?」

「おや、うっかり忘れてしまいました。ま、行けば分かりますよ。この時期ですから編入という形になりますが、貴方はかなり頭が良さそうですし、きっとなんとかなります。体力勝負なところもありますしね!」

 ちょくちょく不穏なことを言っている気がする。スルーすべきかどうか悩む。悩んだところで結論は変わらない気もするし。

「さてさて。それではお名残惜しいですがそろそろ」

 さっさと入学願書をしまい込むと、立ち上がるニコレイナス。本当にせっかちらしい。それか所長というくらいだから本当に忙しいのだろう。慌てて私も立ち上がる。

「ニコ所長、色々とありがとうございました。なんだか、よく分からないうちにこんなことになってしまって」

「あははは、感謝なんていりませんよ。目覚めてから今まで、色々と大変だったでしょう? でも、これからは好きに生きられます。存分に好き勝手に生きてください。この大陸の情勢もこれからは激しく動きますよ。王都もなにやらキナ臭いですし。厄介なカビもまんえんしてきているようで。それなりに安定していた時代は終わりを告げ、これからは激動の時代です。ワクワクドキドキが止まりません。貴方も私も、頑張って生き抜いていきましょう!」

 そう言って強引に握手すると、きびすを返して鼻歌交じりに出て行ってしまった。まさに嵐のような人である。

「激動の時代。どういうことなのかなー」

 よく分からないのでもっと質問したかったが、ニコ所長はもういない。代わりに険しい表情の魔術師さんたちが入ってきて、色々な荷物をどんどんと置いていく。わざわざ袋を開けて見せてくれる。制服、着替え、生活用品、勉強道具が入っているらしい。ニコ所長と違って不愛想だった。けれど親切である。

「丈が合っているか試着してもらいたい。他に必要なものがあれば遠慮なく言ってくれ。用意できるものはすぐに手配する」

「は、はぁ。ありがとうございます」

「翌朝、王都ベルに向けて出発する。ミリアーネ様や、他の者に何か伝えたいことがあれば聞いておく。手紙でも構わない」

 特に思いつかないので、結構ですと言おうと思ったら口が勝手に開いてしまった。どうやら私は言いたいことがあったらしい。

「色々とお世話になりましたと。このお礼は、いずれ、必ずしますと、お義母様にお伝えください」

「……た、確かに承った。そ、それでは、失礼する」

 僅かにうろたえた魔術師さんは、早足でさっさと出て行ってしまった。他の人たちはへっぴり腰で出て行く。所長に似て忙しい人たちである。

 私は用意された制服を早速身につけ始める。鏡がないので、似合っているかは分からないのが残念。

 ……なんだか、第一印象は軍服みたいだなーである。というか、帽子は明らかに軍帽である。かっいいけど、学生としてこれはいかがなものだろう。ついでに、刃が潰されたサーベルまで用意されている。実に謎である。

「うーん。こうかな?」

 ぎゅっと柄を握り締めてみる。それなりに重いけどなんだか格好いい。私のサイズに合わせてあるし、本当の剣士になったみたい。思わず笑みがこぼれる。すると手から何故か紫が出てきたので、意識して刀身に向かわせてみる。

「すごい。紫ソードになった。あー、どこかで見た光る玩具おもちゃの剣ですね」

 何か標的はないかなーと思って周囲を眺めてみる。なかった。仕方ないので、無意識に任せて振るってみることにした。

「──えいっ、と」

 ブオンとなんだか不気味な音を立てて、紫の光は壁にぶつかっていき消失した。『お抱えの犬』さんの悲鳴が聞こえた気がしたけど気のせいである。だって、それがどの犬なのか私にはさっぱり分からない。第一私は動物が多分好きなので、無意味に攻撃なんてしないのである。

「しかし、本当に無意味な光芸です」

 やっぱり私の魔法は宴会芸と分かってしまった。今回のは名付けるとしたら、がっかり必殺剣か。勉強したら立派な魔法が使えるようになるだろうか。うーん、どうも使えない気がする。そうしたら諦めて、紫の光を使った宴会芸をマスターすることにしよう。ニコ所長の持ちネタみたいに、人付き合いの潤滑油になるかもしれないし。



 ガタゴトと景気良く揺れる車内。魔法がある素敵な世界でも、移動手段は原始的なものになってしまうらしい。魔法のじゅうたんや空飛ぶ馬はないのかと聞いたら普通にスルーされた。ニコ所長と違って、他の皆さんはドライなのである。かなしいおはなし。

 かなしいおはなしと言えば、がっかり剣紫ソードができなくなってしまった。人生で一回だけの超必殺技だったのだろうか。出発の景気づけにぶんぶん振り回そうと思ったのに。どうしてですかねーとフードつきの魔術師さんに聞いたら、また普通にスルーされた。流石にムカついたので、もう一度お願いしようと思ったら「すぐに確認する!」と青白い顔で全力で駆け出していってしまった。そして一時間後くらいに汗をだらだら流しながら答えを聞かせてくれた。──ニコ所長いわく、『外に出て解放感に浸れたのと、そういう気分じゃなかったからじゃないですかね。あははは!』だそうである。意味が分からないけど、ニコ所長が言うのだからそうなのである。がっかり剣乱舞は残念ながら当分は封印である。実にがっかり。まぁそれにしてもである。

「……腰が痛いです」

 そう、私は馬車に乗ってだらだらと王都とやらに向かって移動中なのである。座布団くらい用意しておいてほしかったのだが、しょぼい布が一枚だけ。というか、この馬車は明らかに普通じゃない。囚人護送用っぽいし。だって、中からは開けられないドアだし、覆いはほろじゃなくて頑丈な鉄板だし、なんと私は鉄格子の中。鉄格子つき鉄板の向こうには先日の強そうな魔術師さんたちが待機している。

 鉄板ボックスの中から御者っぽい人が馬を駆っているのが見える。本当なら文句の一つは出そうなものだけど、これはこれでちょっと面白いので文句を言うのは止めておく。──何故かというと。

「ここから出してぇ」

「ひいっ!」

 震えた声を出しながらゾンビっぽく鉄格子から両手を伸ばして上下させると、魔術師さんたちの反応が良いのである。思わず笑ってしまうくらいに。でも、そんなことを数十回も繰り返していたら流石に飽きてしまった。脅かす、おびえる、腰が痛いの繰り返しだから。いくら面白くても、マンネリというものは起こってしまうのだ。人間ってままだね。

 外の様子を眺めたいのだが、窓は残念ながら開いていない。見える景色は、無骨なにびいろと、鉄格子からのぞく僅かな人だけ。なんともがっかりな旅である。

 というわけで、私は退屈と腰の痛みを紛らわせる必要がある。今までの私は流されるままだったけど、これからは少しだけポジティプにいかなければならないのだ。ニコ所長もそう言っていた。

 私のことはよく分からないけど問題ない。分からないことは聞けばいいし、それでもだめなら自分で調べればいいのである。そのためにも、まずは身近なところから話しかけてみよう。私はコミュ力抜群なのだ。

「あのー」

…………

「あのー!」

…………

「あーあー、私の声が、聞こえますか? もーしもーし」

…………

 こちらをチラッといちべつすると、何か石のような物をぎゅっと握り締めて、再び視線を落とす魔術師さん。脅しているときから、ずっと握り締めている。何かお守りだろうか。他の人たちは身動きせず、ひたすら口をもごもご動かしている。お祈りだろうか。いや、もしかしすると魔術師さんたちはお疲れなのかもしれない。起きてるように居眠りできる人がいると聞いたこともあるし。子供と遊ぶと変な体力を使うらしいし。それならば仕方ないので、この鉄格子つき鉄板を叩いて起こしてあげることにしよう。

 大きく息を吸い込み、集中してみる。握りこぶしを作り、腕をしならせて頑丈そうな鉄板に全力で打ちつける。

「えいっ!」

 鉄を叩く独特の音が聞こえるかと思ったのに、鉄格子つき鉄板は紫色に変色したあと、ドロドロにびて崩れ落ちてしまった。

 あー、これは経年劣化というやつだ。経費節減するのはいいけれど、こういう地味なところにゆがみが出るのである。何事にもメリットとデメリットはあるんだなぁと私がうなずいていると。

「お、王魔研特製の対魔術師用のおりが」

「……嘘だろ。や、やめろ、頼むからやめてくれ」

 遮るものがなくなって、前半分がよく見えるようになった。ちょっと開放感がある。石をこちらに向けながら、魔術師さんが顔をあおめている。石は何だか光り輝くと、結界のようなものを作り出した。がっかりバリアーである。早速ツンツンしようとすると、慌てて制止される。

「ま、待て、待ってくれ! 慌てるな早まるな! どうか、落ち着いてくれ」

「あれれ、起きてたんですか? もしかして、たぬきねりで無視してたとか? ひどいです」

「ち、違──う、うげえっ」

 ジト目でにらむと、いきなり口元を押さえてその場でおうする魔術師さん。ばっちい。船酔いならぬ馬酔いである。トマトでも食べていたのか、赤いものまでまき散らしている。これは後で掃除が大変だ。馬車がえた、あとてつさびの臭いで充満する。私は全然気にならない。酔いには強いのである。

「ち、違うんだ。君を無視していたわけではないんだ。た、ただ、任務中の私語は禁じられていただけで。ゆ、許してやってくれ」

 と、別の魔術師さんが、慌てて弁解してくる。別に怒ってないけど、そう見えてしまうらしい。私の顔はそんなに怖いだろうか。鏡で今度じっくり見ることにしよう。笑顔の練習もしてみちゃったり。

「それじゃあ、とっても大事なお願いがあるんです。実は腰が痛いんです。お尻も。それと外の景色が見たいんですよね」

 待遇改善を訴えてみる。結果はともかく、自分の意志を表明するのは大事である。

「き、君には極力干渉するなという命令を受けている」

「とにかく何か敷くものください。お願いします」

…………し、しかし」

「腰とお尻がとても痛いんです」

「わ、わ、かった。わかった、から、その目で、見ないで、くれ」

 さっきの人みたいに口元を押さえてしまった魔術師さんが、誰も座っていないクッションもどきをくれた。使い込まれていて、あまり綺麗じゃないけど気にしない。早速それを敷いて座る。かなり快適になった。あのままではお尻が筋肉痛で、腰がぎっくりしてしまう。がっかりならぬぎっくり少女爆誕だ。

「で、景色はどうすればいいです?」

「は、半日もすれば、王都に到着する。その後で、ゆっくりと眺めてくれ。頼むから、頼むからどうか、あと半日だけ、大人しくしていてくれ。それからは好きにしてくれていいから」

「うーん、分かりました」

 いびつな感じに開いてしまった鉄の壁。その前で私は正座しながら、待機する。居心地が悪そうな魔術師さんたち。馬酔いでダウンしてしまった可哀相な魔術師さんをニコニコと眺め続ける。白目をいたまま身動きしない。でも呼吸はしてるっぽいから大丈夫。人間って意外と丈夫なのだ。

「ひッ」

 チラッと視線を向けたら、御者さんは慌てて前方を向いた。何故かこちらを不安そうにうかがっていたから気になったのだ。凄い涙目だったし。気になったのでジーっと見ていると、御者さんの背中がガクガクと震え始めた。馬のいななきが聞こえ、馬車の揺れが更にひどくなる。──と、それを遮るように、何かが差し出された。コップかな?

「の、飲むか? 水分補給は、きょ、許可されている」

「あ、いただきます。喉が微妙に渇いていたんです」

 水筒からお茶を入れて、こちらに渡してくれたのだ。ありがたく受け取って飲み干す。冷たいが、かなり苦かった。苦いのも大丈夫だが、甘い方が好きだ。この前飲んだ、空き瓶のあれはとてもしかった。また飲みたいものである。──あ、揺れが収まった。

「そういえば、王都ってどんなところなんです?」

「も、もうすぐ到着するから自分で確認するといい。あと、君への干渉は──」

「ちゃんと内緒にしておきますので。で、どんなところなんです? 教えてほしいです」

 できる限り悪戯いたずらっぽく微笑んでみる。私が言わなければいいだけの話。本人の良心がとがめるとか、そういうことは知らないのだ。

「……王都ベルは、エウロペ大陸有数の大都市で、我らがローゼリアの首都だ」

「なるほどー」

「花の都として世に名高く、著名な芸術家や魔術師を多数輩出した歴史がある。死ぬまでに一度は見ておけと、ローゼリアの民は親から教えられるほどに有名だ」

「……あ、それってパリですか? 聞いたことありますよ、パリ。あれ、パリってありましたっけ?」

 記憶が混濁する。パリは知ってる。誰でも知ってる。でも私は知らないはず。あれ。やっぱりベルでいいんだっけ。分からなくなった。

「違う、パリじゃない。ベルだ」

「でも花の都といえば、パリじゃなかったでしたっけ?」

「どこの街かは知らないが、私は聞いたことがない」

「じゃあパリパリなら?」

「だからベルだと」

「そうなんですか」

 ちょっとした小粋なジョークはスルーされた。ニコ所長の気持ちがちょっと分かった。

 それにしても、ここはやっぱり違う世界らしい。じゃあ、何が正しい世界なんだというと、中々答えにくい。正しい世界ってなんなんだろう。これは哲学的な分野であるから、暇なときに考えることにして。記憶では、花の都はパリであると主張している。でもここではベルらしいし、何より魔法があるからかなり違いがありそう。しちじょうけなんて聞いたことないし。まぁどうでもいい話である。どうせ記憶は曖昧さんなのだから。

「ところで、今って、何年です?」

「大輪暦五八五年、六月十三日だが……」

「大輪暦? えーっと、それってなんですか?」

「大輪教を信仰しているローゼリアでは、大輪暦を採用しているんだ。……本当に知らないのか?」

「知らないです。でもこれから覚えるのでご心配なく!」

 全くピンとこない。ピンとこないので深く考えるのは止めておこう。知らないことは勉強すればいいのだ。

「あ、そうだ。魔法ってどうやって使うんです? 私も色々使いたいんですけど、魔法。紫に光るやつじゃない系でお願いします」

 宴会芸もいいけど、他のも使ってみたい。空を飛ぶ魔法があったらいいなぁと思うが、馬車で地味に移動しているということは多分ないのだろう。じゃあ、派手な魔法とかあるのだろうか。変身魔法とか。なんだか楽しそう。攻撃魔術とかもあったら護身用に一つ二つは覚えておきたい。

…………詳しいことは、学校で聞いてくれ。私たちにはどうにもならない話だ。教える時間もないし、許可もない。不可能だ」

「そうなんですか」

「わ、悪いが、私はそろそろ報告書を書かなければならない。話はここまででいいだろうか。君も、静かにしていてくれ。頼むから、何もせず大人しくしてくれ」

 もう話をしたくないといった感じで、強引に打ち切られてしまった。

 また退屈になった私は、景色でも眺めることにした。劣化が著しい鉄板なら、一撃で粉砕できるだろう。

「いっせーの、せっ!」

 掛け声とともに全力パンチしたら、錆び付いていたオンボロ壁は景気良く外側に吹っ飛んでいった。爽やかな風が吹き込み、心地よい日光が降り注ぐ。お日様が気持ちいい。お昼寝にもってこいだ。

「い、言ったそばから! どうして大人しく──」

 さっきの魔術師さんが大声を出すが、先ほどから黙っていた年配の魔術師さんが首を横に振っている。

「……もう止めておけ。彼女は私たちには止められない。何をやろうが言おうが無駄なことだ。ニコ所長のおっしゃられた通り、普通の馬車にするべきだった。これは、絶対に閉じ込めるべきじゃないんだ」

「し、しかし! それではいざというときに困ると、貴方も同意されたはず!」

「だから間違いだったと言っている。死にたくないなら、これ以上手を出さず、口も挟むんじゃない。到着まで好きなようにさせてやるべきだ。後半日の辛抱なのだ。何事もないよう、大輪の神とニコレイナス所長にでも祈るのが最善だろう」

「な、なにもするなと。な、ならば私たちは一体」

「どうしてもというなら、私はここで降りさせてもらうぞ。はや護送任務など知ったことではない。どんな罰だろうが受けるさ。あんな死に様だけは、私はご免だ。絶対にな」

…………

 なんだか重々しい空気が前の方から漂ってくるが、後方のここは爽やかさで溢れている。ただ、期待していた景色は大したことがなかった。木々と畑しかない。たまに民家とか。最初は色々と新鮮だったが、すぐに飽きてしまった。何度も繰り返されれば飽きてしまう。だって人間だもの。

「ふぁーあ。なんだか疲れたし、もう寝ようかな。学校初日から寝坊はまずいですよね」

 大きな独り言をつぶやいて、私はごろんと横になる。新品の制服なので、まだ身体にんでいない。革靴もなんだか違和感がある。別にドレスが好きというわけではないけど。ただパジャマが異様に楽だっただけで。あのパジャマだけはちゃんと荷物に入れてもらった。肌触りが素敵で寝心地が良いのである。

…………うん?」

 と、馬酔いでダウンしている人と目が合った。と思ったらやっぱり合わなかった。だって焦点が合っていないんだもの。可哀相に、きっと酷い夢でも見ているのだろう。でもちゃんと生きているので安心だ。

「後遺症も全然ないよ」と太鼓判つき。「リアクションが良かったからうっかり見逃してあげた」と、私が言っていたからだ。あれ、よく分からなくなった。誰がなんで満足したんだっけ。私って誰だ。哲学的な意味じゃなく。

 うーん、とにかく、私は眠いので寝ることにする。私は楽しい夢だといいなぁ。そんなことを考えながら、私は暖かなしの中で、まどろんでいくのであった。



 ──ローゼリア王立陸軍士官学校。未来の陸軍を担う人材育成のために、先代国王肝いりで設立された機関である。四年間で一定以上の成績を挙げて卒業することが求められる。入学条件の一つ目は原則として十六歳以上であり、身体と精神に問題のないこと。そして二つ目は、多額の入学金を支払う、もしくは入学試験をクリアするかのどちらかである。

 難関試験を突破すれば、入学金と授業料は免除されるのでそちらを突破しようと夢見る市民階級層も多い。ただし、卒業できなければ、授業料返還の義務が生じ、士官候補生ではなくただの一兵士として、借金返済のために軍隊にそのまま放り込まれてしまう。かなりの数の学生がこの詐欺にひっかかって前線に放り込まれているのは言うまでもない。

 そして、貴族の子息たちが卒業できないことは、まずありえない。市民出身の学生と違い、士官の道は確約されている。階級だけもらって元の貴族生活に戻る者もいる。士官学校出というはくをつけたい者たちだ。そんな有様なので、卒業生の能力にはひどくばらつきがあり、当初期待されていた成果は、いまだ挙げられていない。卒業認可制度が適正かつ厳格に作用しているのは、市民階級の学生だけである。

『騎兵は戦場の華』

『歩兵は戦場のあだばな

 学科選択でも貴族と市民の間には大きな壁がある。

 貴族階級の学生は魔術科や騎兵科といった花形の学科に進む。戦場では使われることがなくなった詠唱魔術の習得や、突撃用障壁を用いた騎兵突撃で、いかに雑兵を華々しく蹴散らすかという時代遅れの訓練に心血を注ぐことになる。騎乗、あるいは魔術の詠唱ができることは貴族令嬢への受けがいいのである。戦場での活躍などどうでもいいのだ。また、家督を継承できない貴族の二男、三男坊にしてみれば、軍人であるということはステータスにもなる。全てがこういったやからではないのだが、比較的やる気のある貴族の子息はあらかじめ情報収集し、まだまともな教官の下につけるように根回しを行なっている。もしくは、はじめから海軍士官学校を選択してしまうかだ。海軍は植民地獲得競争に参加したいという野心と欲に溢れた連中が多い。無論、海軍でも貴族と市民のヒエラルキーは変わらない。

『貴族は王国の剣となり、市民は王国の盾となれ』

 国に尽くそうという愛国心に溢れていた市民階級の学生は、人気のない歩兵科、砲兵科からの選択を強制される。騎兵科、魔術科は満員であると予め弾かれるからだ。

 歩兵は泥臭いイメージがあり、前線で盾になる兵科。士官になれば、まともな訓練を受けていない兵士たちを最前線で指揮しなければならない。戦争の主役、最も重要な兵科であるが故に、死傷率は当然高い。対物障壁など支給されるわけもない。士官学校で学ぶことは、隊列行進と長銃の扱い方、兵の指導方法である。戦列歩兵の先頭に立つ、戦列の後ろで兵の脱走を防ぐことが前線士官の役目である。前線士官を指揮するのはもちろん騎兵学科を卒業した貴族様たちである。前線指揮官たちのえんの声が聞こえてきそうな有様だ。

『いかに人間を効率よく殺すか。現段階での結論がこちらになります。そうそう、味方へのうっかり誤射には気をつけてくださいね! 皆さんも砲兵には恨まれないように気をつけましょう!』

 ──そして去年新設されたばかりの砲兵科。大砲が戦場に登場してからまだ日が浅く、教官も戦場で知識と経験を積んだ退役軍人だ。求められるのは大砲の撃ち方と扱い方を覚えることである。量産体制の整っていない大砲はまだ高級品であり、雑兵に簡単にくれてやるわけにはいかない。裏切らず、逃亡しない人間による指揮が必要とされる。

 大砲を用いた戦術は一応学ぶことができるが、それを活用できることはほとんどない。命令された通りに移動し、大砲を撃つ態勢を整えるのが士官の役目である。

 高級品を扱えるのに人気がない一番の理由は、非常に重い大砲を移動させる地獄の訓練が待ち受けているからだ。歩兵科にも増して人気がない。大砲は敵に狙われやすい上、戦場では逃げ遅れやすいというのが常識となりつつある。命令なく高価な大砲を放置して逃げたりすれば、罰則が待ち受ける。人の命は武器よりも安いのだ。

「……納得がいかん」

 そんな、国民の血税が有効に活用されているとは言いがたい陸軍士官学校に、一人の厄介者が送り込まれることになった。

 ミツバ・クローブ。ブルーローズ家、ギルモア卿が残した呪い人形である。

 学長のパルックは、禿がった頭をポンポン叩きながら、これみよがしにためいきを吐いた。

「……何故よりにもよってこの陸軍士官学校に押し付けるのだ? 海軍にでもやればよかろうに」

「ニコレイナス所長が強く推薦したようです。ここに推薦状が届いております」

 事務官が手紙を差し出してこようとしたので、思わず一喝する。

「それはさっき見せられたから知っている! それにしてもニコレイナスめ、私に迷惑を掛けておいて謝罪の一言すらないというのはどういうことだ」

「ご不満ならば、弾いてしまえばよろしいのでは? この娘は、入学条件である『十六歳以上』を満たしておりません。まぁ、原則として、ではありますが」

「『彼女を特例扱いしろ』とわざわざ連絡があったわ。それを落としたりしたら、どんな報復を受けることか分からん。あの女、笑いながら人を殺せるからな。本気でこの学校に大砲を撃ち込んでくるぞ。一発ではなく、かいじんと化すまでやる」

「恐ろしい話です」

「まったくだ」

 原則では十六歳以上という入学条件だが、今まで何度も例外は存在した。十代前半の我が儘な貴族の子息様たちが、格好いい軍人に今すぐなりたい、などとぬかして押し寄せてきたことがある。その際は、強い圧力もあったため特例ということで全員入学を認めてしまった。結果は半年で飽きて通わなくなり、一年後に卒業ということになった。流石に士官の資格は与えられなかったが、貴族に対して『退学』などという不名誉は許されない。

「では、入学試験を課して、普通に不合格にしてしまえばいいのでは。彼女は貴族出身ですが、ブルーローズ名誉姓ははくだつされております。もはや遠慮は不要かと」

「それも考えたが……よからぬうわさがあるのだ」

「よからぬ噂というと?」

「あの娘にちょっかいを出した人間には、恐ろしい呪いが降りかかるという噂だ。既に、両親だけではなく、警備兵、使用人合わせて百人は祟り殺したと」

「ははは! 学長も冗談がお上手で。私も魔術師のはしくれですが、魔術にそのように不合理なものはありません。己の体内の魔力を、触媒、あるいはつえを媒介して、具現化して放出する。術式を組み込めば更に洗練されて発現する。これこそが魔術のことわりです」

「そんなことはお前に言われんでも分かっている! だが、万が一ということもある。いいか、よく考えてみろ。名誉姓を剥奪されるということは、少なくともギルモア卿殺しは黒に近いということだ。だというのに、何故わざわざ自由にさせるのだ。おかしいではないか」

「まぁ、それは確かに。妙な話ですね」

 事務官も首をひねる。全くの白ならばブルーローズ名誉姓を剥奪する理由がない。逆に黒ならば、外に出すわけがない。内々に処刑、あるいは永遠に幽閉が妥当なところだ。手を打たなければ、ブルーローズの名に傷がつく。なぜ士官学校になど送り込んでくる? 存在が邪魔ということだろうか。ならばやはり幽閉してしまえばいいと思うが。理解しがたい。

「ミリアーネ夫人にはお会いしたことがあるが、そうめいかつれいな女性だ。情に流されて判断を誤るとはとても思えん。つまり、何か裏があるのだろう」

「はぁ。そうなのですか」

「この馬鹿者が。頭を使え頭を。そうでなければ、これからの出世は難しいぞ」

「私は今の仕事が向いていますので。偉くなりたいとは思いません」

「それはそれで幸福なことかもしれんな。私も貴族の一員だが、上を見ればキリがない。足るを知るというのはいいことだ」

「ははは。今のお言葉を学生の前で話せば拍手喝采間違いなしですよ」

「ふん。誰も私のような下級貴族の話など聞かんわ。ボンボンどもは好き勝手、市民のくそどもはひがみや妬みばかり。全くよくもまぁゴミばかりそろえたものだ。まぁ、トップが私だからそれもむをんことだな」

 自嘲をめてパルックは吐き捨てた。そういう学校を変えようと努力したこともあったが、長い努力の結果は全て徒労に終わった。よって、もう流れるままにすることにしたのだ。頑張っても何も変わらないのだから、後は適当にやって次代に回す。それが最善なのだ。

「とりあえず、本人に会ってみるとするか。希望を聞くだけ聞いて、歩兵科か砲兵科にでも突っ込んでしまえばよかろう。ゴネたら即席の適性試験でもやらせて、強引に突っ込んでしまえ」

「それがよろしいでしょう。しかし、その娘は、一応貴族扱いということでよろしいので?」

「うーむ、どうだろうな。貴族とも市民とも言いがたい。私に言わせると、ただの厄介者だな」



「パルック学長。ミツバ・クローブ嬢の身柄の引き渡しに参りました」

「おお、お待ちしておりましたぞ。……ううん? ちょ、ちょっと。いきなり何をなされるのか」

「極めて大事なお話が。ミツバ、君はここで待っていてくれ。頼むから動かないでくれ」

「分かりました」

 ミツバと呼ばれた少女は興味津々に周囲を見回しながらからへんをした。

 銀髪の小柄な少女。だが、その目がいけない。目が合いそうになったので、思わずらす。直視してはいけないような気がしたのだ。

「学長、移動しましょう」

「そ、そんなに慌ててどうされたのですか? ……なにやら、顔色が悪いですぞ」

 ミツバを応接室に通した後、護送の魔術師に腕をつかまれて廊下へと移動させられてしまう。

 年若い魔術師だが、装束についている紋章は王国魔術研究所。かなりのエリート。魔術科から所長によって選抜された極めて優秀な者たちである。

「失礼をいたしました。しかし、彼女の扱いにはどうかご注意なされますよう。敵対するような行為は慎まれるべきです。一切の容赦なく、殺されます」

「は、はぁ。あいにくおっしゃられている意味が分からないのですが。確かに、異質な感じは受けましたが」

 あの目。人形のような目。一瞬だけしか見ていないのに、強烈に印象に残った。奥にあるのは濁りだったのか。

「……嫌でもすぐに分かるでしょう。数ある噂は、ほぼ真実であるとだけ、言っておきます」

「まさか」

「外に、今回使用した王魔研の護送馬車があります。後でご自分の目で確認してください。……対魔術師用の檻が、容易たやすく破られました」

「そんな、馬鹿な」

 魔術を使う囚人を連行する際に用いられる、王魔研特製の対魔術師用の檻。魔力を大量に帯びた魔光石で作成された高価な代物。戦場で使われるものとは違い、対象を限定し膨大な魔力を常に注ぎ込むことで、すさまじい対魔防御力を誇る。しかしコストが通常のものとは比べ物にならないほどにかさむため、使用は限定される。

「犠牲者を御覧になりたいのでしたら、王魔研までお越しください。何体かは回収してありますので……当分、食事が喉を通らなくなるでしょうが」

 思い出してしまったらしい魔術師は、口元に手を当てている。

「ま、待っていただきたい。そんな危険人物を、何故こんな場所に──」

「この世界のことを色々と勉強したいそうです。ならばここが適任だと、所長が推薦を」

 ふざけるなと思わず叫びそうになるのをこらえる。何か聞き捨てならない単語が聞こえたから。

「こ、この世界? ちょっと待て。何かおかしいぞ。どういうことかちゃんと説明を──」

「私の任務は完全に終了しました。後は、よろしくお願いします。なにかありましたら、王魔研までご連絡を。私以外の誰かがきっとなんとかするでしょう」

 魔術師は素早く敬礼すると、そのまま逃げるように立ち去ってしまった。触らぬ悪魔に祟りなしとでも言いたげな顔で。後に残されたのは、学長パルックと、こちらをいつの間にか観察していた呪い人形──ミツバである。その目と合ってしまった瞬間、意識を失いそうになる。何故かは分からない。だが、直視できない。

「──ううっ」

…………

「よ、ようこそ、り、陸軍士官学校へ。ささ、そんなところで立っていないで、ま、まずは座りなさい」

「はい、パルック先生」

「ううっ。き、君は耳が良いみたいだね」

「ありがとうございます、パルック先生。明るいお名前ですね!」

「は、ははっ。お世辞でもうれしいよ。ははは」

 乾いた笑いしか出てこない。

 既に名前を覚えられてしまった。呪いとは、名前と顔で発動するのだろうか。分からない。呪いなどという魔術は存在しない。ならばどうしたら回避できるのだ。対魔障壁では駄目らしい。大輪教会の護符でも買うか。百枚あれば足りるだろうか。

「き、君の名前を、教えてもらえるかな。いや、一応知ってはいるのだが、本人の、口から聞かせてもらおうかと」

「はい、パルック先生。私の名前は、ミツバ・クローブです。どうして士官学校に入れられるのかは分かりませんが、全力で勉強します」

 それを聞いて、パルックは強い眩暈めまいを覚えた。この場にニコレイナスがいたら、顔面を全力で殴打してやりたいと思う。思うだけ。なぜなら、一撃も入れられずに殺されるのでやらないのだ。

 しかしおかしいだろう。これが、十一歳そこそこの子供? ありえない。

 醸し出す雰囲気が異質すぎる。この目もおかしいが、それだけじゃない。全部おかしい。悪魔に少女の皮をかぶせているのではないのか。魔術を少しでもかじったことがある者なら、感じられるはずだ。とにかく、まがまがしく毒々しい。青き薔薇ばらの娘? とんでもない。これは忌まわしい毒草だ。

「……ここがどんな学校か、全く聞いていなかったのかな?」

「はい。学校で勉強させてくれるとしか、ニコ所長は言ってませんでした。私は将来軍人になるのですか?」

「そ、そういうことになるのかな。無事、卒業できればだが。ははは」

「じゃあ、頑張って人殺しの勉強をしますね。戦争でたくさん殺せば、英雄になれるってどこかで聞いたことがあります。一人だと人殺しでも、いっぱい殺すと英雄なんですよね。立派な殺人鬼になれるように頑張ります!」

 これに余計なことを吹き込んだのはきっと悪魔に違いない。早く帰って眠りたい。

「そ、そうかい? どこの話かは知らないが、中々興味深いお話だ。でも殺人鬼はやめようじゃないか。聞こえが悪いしね」

「あははは。ただの冗談です。えーっと、ローゼリアンジョークですね。面白いですか?」

「そ、そうだね。あははは、き、君は本当に面白いね。うん、存在がユニークだ」

「学長も明るくて面白いですね。特に頭が。名前と一致してていい感じです」

「ははは! 君がそう言うならそうなんだろうね! 意味は分からないけれども!」

 あはははと二人で笑い合う。冗談になっていないのが極めて恐ろしい。

 護送に使われた特別馬車を確認するのは精神を維持するためにもやめておこう。はずれしか入っていないクジを引くことはない。

「で本題なんだけども。君は何を勉強したいのかな? ウチは一応軍人を養成するための学校だからね。多分、気に入らないと思うんだ。べ、別の素敵な学校を紹介するのもやぶさかではないよ。うん」

「私は魔法を勉強してみたいです。面白そうですし」

「うんうん分かるよ。そうだよね。うん。わかるわかる。私も魔法が大好きなんだ。ただ、大人は魔術と言うんだ。洗練されている気がするだろう? そこは宜しく頼むよ。うん」

「じゃあ魔術を勉強したいです」

「そうか、そうだよね。ただね、生憎、魔術科は既に満員でね。空きが出るのはまだしばらく先なんだ。うーん、どうしようか」

 お願いだから、別の学校に行ってくれと神に祈る。海軍なんかオススメである。船って楽しいし。うじの湧いた料理を食わされるのが現実だが。

「他の学科だと、勉強はできないんですか?」

「いや、ちょっとはできるよ。魔術学初級なら履修することができる。これはいわゆる一般常識というやつだね。魔術適性の有無は問わないんだ。ただの座学だからね」

「じゃあ、他でいいです」

「他というと、ウチ以外の学校かなっ!? すぐに案内を──」

 つい嬉しさがにじてしまう。

「いえ、この学校が良いです。校舎に趣きがあって気に入っちゃいました」

「……そ、そうかい? それは嬉しいけど、やっぱり君の年齢では難しいんじゃ──」

「それで、他の学科は何があるんです?」

 人の話を全く聞いていない。無表情で次を促してくる。

 呪い人形というが、近くで見ると吸血鬼に見える。銀髪に、死人のように白い肌、どことなく甘い香り。なんにせよ、恐ろしいことだ。

「き、騎兵科も満員だね、うん。ほ、歩兵科と砲兵科があるにはあるが、これは君のような高貴でれんな人間には相応ふさわしくないんじゃないかなぁ。だからね、他の」

「じゃあ砲兵科でお願いします」

「り、理由を聞かせてもらっても?」

「大砲が一番破壊力がありそうですし。多分、戦争で重要っぽいですし。あと、派手にぶっ放すのは楽しそうです。にぎやかなのも楽しそうでいいですよね。それはもういっぱい撃ちますね!」

 大砲が楽しいというのは初耳だ。賑やかなのは間違いないだろうが、別に楽しくないと思う。世間一般的には。それに、これは死神に鎌を持たせるようなものではないだろうか。いや、悪魔に大砲か。最悪の組み合わせにしか思えない。なんとか、別の学校に行ってもらえないものだろうか。具体的に名案は思い浮かばないが、修道院とか良さそうだ。神の力を以て封印してもらいたい。

「そ、そうか。だが、君は女子であるし、その年齢と体格で大砲を扱うのは……」

 必死に翻意を促すが。

「なら、人一倍がんばります」

 駄目だったようだ。パルックはハンカチで額を拭うと、頑張って愛想笑いを浮かべることにした。何かが起こらないうちに、早く卒業させてしまおう。それが最善だ。