第九話 ウチには座敷童がいるんだからよ


 翌朝、俺はいつもより入念に迷宮探索の準備をしていた。

 充電済のスタンロッド、モンスター用のスリングショット、催涙スプレーと口まで覆うタイプのゴーグルマスク。催涙スプレーは熊撃退用の強力なものであり、ゴーグルは風で薬剤が逆流してきた場合のための備えだ。その他にも色々と役立ちそうなものを詰め込んでいく。

 今日こそ俺は、初の迷宮踏破を行うつもりだった。

 幸いにして今日は学校も休みだ。適度な休息をしつつ、試行錯誤する時間は十分にある。

 すでにFランク迷宮に一週間以上もかかってしまっている。これ以上この迷宮に時間をかけるつもりはなかった。

 この迷宮をクリアしたら、迷宮の情報を買わずに挑むという縛りも解除するつもりだ。

 もう十分に未知の迷宮に挑む経験は積めた。今度はどんどん迷宮を踏破していくことで色んなタイプの敵と迷宮を知っていく予定だ。

 そうして気合を入れていると、二階からトコトコと降りてくる影があった。妹の愛だ。

 まだ眠いのか、目をこすりながらフワフワの栗毛を揺らす様はとても可愛らしい。

 近所のおじさんおばさんたちからちょっとしたアイドルのように可愛がられているという話も頷ける。

 なお、ご近所における俺のウケは悪い。

 なにが「妹さんはあんなに可愛いのにねぇ……大丈夫! 男は顔じゃないわよ! お金持ちになりなさい。そしたらウタマロくんもモテモテよ!」だ。

 俺は金持ちにならねぇとモテないとでも言いたいのか! 馬鹿め! 言われなくても──知ってるよ……。

「ふぁあ、おはよぉ~……」

「おはよう」

 なぜか目尻に浮かんできた液体を拭っていると、愛が欠伸交じりの挨拶をしてきた。

 とさりと倒れ込むようにソファに座り、ぼんやりとした表情で俺の荷物を見ていた愛だったが、突然パッと目を輝かせると駆け寄ってきた。

「あ~! もしかして、お兄ちゃん迷宮行くの!?

「おう。今日こそ迷宮を踏破してくるぜ」

「私も行きたーい! 連れてって、ね? ね?」

 可愛らしくおねだりする愛だったが、言ってることはシャレにならなかった。

「ダメダメダメダメ! 無理に決まってんだろ」

「えー、なんでなんで? 私も一回くらい行ってみたーい」

「危ないからに決まってんだろ! それに、冒険者以外は迷宮に入っちゃ駄目なの。一般人を連れ込んだらカード没収されちまう」

 金さえあれば簡単になれる冒険者だが、なった後は案外規則が厳しかったりもする。例えば迷宮に冒険者以外の人間を連れ込んだり、あるいはほかの冒険者を襲ったりすると一発でライセンス没収、二度と交付されない上に場合によっては刑事罰すらあり得た。

 それに何より、未だに自分の身すら危ういというのに、愛を連れていくなどあり得ない。もし万が一のことがあれば、悔やんでも悔やみきれないだろう。

 いくら可愛い妹の頼みであってもこればっかりは受け入れられなかった。

「あーあ、私もはやく冒険者になりたーい。そしたらクラスのみんなに自慢できるのにな」

 この思考回路……完全に俺の妹である。

 違いといえば、愛はそのルックスと性格からすでにスクールカーストのトップだということか。

 兄と妹、どうしてここまで差がついたのか……。遺伝子と会話できるなら小一時間は問い詰めてやりたいところだ。

「ま、いっか。今はお兄ちゃんが冒険者ってだけで。正直、お兄ちゃんのこと優しくて大好きだけど~ちょっと冴えないなーって思ってたんだよね。でも最近のお兄ちゃんはカッコよくて大満足!」

「そりゃ~どうも」

 明け透けな妹の評価に俺は苦笑した。仕事で忙しい両親の代わりに俺が良く遊び相手になっていたため、俺と愛は一般的な家庭に比べ仲がいい。だが愛が大きくなって服やアクセサリーなどに興味を持つようになると、小学生にして俺のファッションセンスを超えるようになった妹は、だんだんと兄に対して微妙な眼差しを送るようになってきたのだ。

 俺はそれを「愛も兄離れの時期かな~」なんてのんきに構えていたのだが、どうやらあれは単純に兄の冴えなさに女としてがっかりしていただけだったようだ。小さくても女は女ということか。

 それが、俺が冒険者になったことで「やっぱりお兄ちゃんはスゴイ!」となったと。

 当初の目的であるスクールカースト成り上がりこそ予定通りにはいかなかったが、少なくとも家庭内カーストはちょっと向上したようだった。

「おっと、もうこんな時間か。そろそろ行くわ」

「頑張ってね!」

 妹に見送られ、俺は慌てて家を出たのだった。


 ──一週間も通い続けただけあって、最下層までの迷宮攻略は極めてスムーズに進んだ。

 スマホの冒険者アプリには、これまで攻略したマップの地図や様々な情報が記載されている。

 その最短ルートをできるだけ敵を避けながら進むことで、ほとんど消耗がないまま俺たちは最下層に至る階段の前まで到着することができていた。

「……大体五時間ってところか」

 最下層への階段を前に、腕時計を見た俺はそう呟いた。

 何度も通った道とは言え、一週間かけて攻略していった道が数時間で済むとなるとさすがに思うものがある。

 長くて三日、スムーズにいけば一日。それが、Fランク迷宮の攻略に掛かる時間。

 手探りで進んでいた時はピンとこなかったが、なるほど地図と敵がわかっているというのはここまで迷宮攻略を楽にしてくれるのか。

 やはり、初回は絶対に自分の力だけで攻略するというのは変なこだわりだったんだろうか。最初からギルドで情報を買っていれば……俺は時間を無駄にしただけなんじゃあないのか?

 ……いや、そんなことはない。こうやって自分の力だけでここまで来たからこそ、後々生きてくる経験というものはあるはずだ。

 俺は自分にそう言い聞かせると、バッグを降ろしクーシーと座敷童へと振り返った。

「よし、最下層に入る前にちょっと休憩するぞ」

「はい!」

「あー、疲れた、はやく菓子くれ、菓子」

「お前はろくに働いてないだろうが……」

 そう言いつつ、俺は座敷童へとお菓子を渡してやった。

 一応、本当に一応だが、道中働かなかったこともなかったからな……。

 今日のお菓子は、上のコンビニで売られていた期間限定のイチゴのムースだ。

 俺が二口で食えそうな大きさのくせに一つ五百円もするちょっとした高級品である。

「む、この酸味と甘みのハーモニー。とろけるような舌ざわり……なんて美味さだ! シェフを呼べ!」

 この前貸したグルメ漫画の影響か、阿呆みたいなことを言い出す座敷童。

 バカガキは放っておくとして、俺も一口ムースを口に入れる。む、確かにこれは美味い。コンビニの品とは思えないレベルだ。

 ……しかし、慣れてみれば冒険者業ってのも悪くはないな。

 そりゃあ重い荷物を持って何時間もモンスターの徘徊する迷宮を移動するというのは心身ともに疲れる。

 頼りの三枚のカードは、言うこと聞かないわ、融通利かないわ、臆病だわで一筋縄でいかない奴ばかり。

 高収入、高収入とテレビで言う割には、ここまでで得た収入はせいぜい一万円ほどで、苦労に見合うものとは思えなかった。

 肝心のスクールカースト上位にはなれなかったし、正直不満だらけだ。

 ……だが、同時に今までの人生で味わったことのないような充実感のようなものを感じているのも事実だった。

 当初想定していたほど命の危険性もないし、グーラーはだんだんと戦えるようになってきたし、クーシーもペットとしてみれば可愛いし、クソ生意気なだけだった座敷童もこうしてお菓子を夢中になってがっついてるところは中々愛嬌が──。

「おい、ボンクラ。喰い終わっちまったからおかわりくれよ、おかわり」

 ──いや、やっぱ愛嬌なんてないな。生意気なだけだわ。

 俺は一瞬で我に返ると、ため息をつきながら立ち上がった。

「おかわりなんてねぇよ。ほら、休憩は終わりだ。行くぞ」

「なんだよ、しけてんな~。貧乏人はこれだから」

「ハッ倒すぞ」

 そんな軽口をたたき合っていると、おずおずとクーシーが言ってきた。

「あの、ボクは……その」

「ああ、わかってる。ここからはグーラーと交代だ。ご苦労さん」

「あ、はい。ありがとうございます」

 ホッとした顔でお礼を言うクーシーの頭を撫で、グーラーと交代させる。

「グーラー、準備は良いな?」

「イエス、マスター」

「よし」

 いよいよ、最下層。

 迷宮を一個も踏破したことのない冒険者なんて、冒険者じゃない。

 ここを踏破してようやく、俺は冒険者としての一歩を踏み出すのだ。

 俺は意気揚々と最下層へと足を踏み入れ──。

「……ッ!」

 その瞬間、明らかに変わった空気に、俺は背筋を震わせた。

 それまで夏の森といった雰囲気だった周囲が、一気に薄暗く冷気の漂うものへと変わっている。

 別に迷宮内の天候が変わったわけじゃあない。単純に森の木々が深く、鬱蒼としたものへと変わったせいで太陽の光が遮られただけだ。そのせいで先ほどよりも暗くなり、気温が下がったのだろう。

 ……そう考察しつつも、俺は言いようのない違和感を感じていた。

 暗くなったことについてはそれで説明がつく。だがこの纏わりつくような悪寒はなんだ? これまで変わらなかった植生が変化したのはなぜ? それに、先ほどから微かににおうこの下水道のような悪臭は一体……?

 ……ここは本当にさっきまでいた迷宮の延長上にあるのか?

 一度、撤退するべきかもしれない。

 理屈じゃなく、本能的な何かでそう考えた俺は後ろへと振り向き──目を見開き愕然とした。

「か、階段が……!」

 先ほど俺たちが下りてきた階段。それが綺麗さっぱりなくなっていた……。

 ど、どういうことだ? もしかして、ここが最下層だからか? 最下層に一度でも入ると主を倒さなきゃ帰れないとか? いや、そんな話は聞いたことがない。逆に、主に勝てそうになかったから撤退した話は何度も聞いたことがある。

 となれば、これは迷宮全体の仕様じゃあない。この迷宮特有の現象だ。

 ああ、クソ。やっぱり事前に調べておくべきだった! もし撤退ができないと知っていたら絶対にこの迷宮には来なかったのに!

 そう俺が後悔していると、ガッと強く肩を掴まれた。小さな手。座敷童だ。

「おい、しっかりしろ! 気が付いてるよな? ここは普通じゃねーぞ」

「あ、ああ」

 俺は無様に頷きつつ、コイツが俺を気遣うようなことを言うなんて……と場違いなことを考えていた。

「……クソ、まさか階段が消えるなんてな。知ってたら最初からここを選んだりはしなかったのに」

 俺の言葉に座敷童は怪訝そうに眉を顰めた。

「ああ? 何言ってんだ? 階層を隔離できるほどの主を最初から探知できるわけないだろ。マジでしっかりしろよ、死ぬぞ」

 ……? なんだ? 何言ってんだ、コイツ?

 やべぇ、まだ混乱してるのか? 自分でも頭が働いてないのがわかる。落ち着け、よーく考えろ。

 まず、座敷童はなんて言った? そうだ、迷宮じゃなくて主について言ったよな? ってことはだ、これはこの迷宮の仕組みじゃあなく主が起こしている現象ってことになる。

 でも迷宮の主は基本的に変わらない。主を倒すたびにランダムで変わるタイプの迷宮も存在するが、それは主の特性というよりは迷宮の特性だ。そして、ここはそういった特殊なタイプの迷宮ではない。さすがに、それくらいは調べた。

 初めての迷宮探索で、俺はできる限りオーソドックスで探索がしやすい迷宮を選んだつもりだ。マップこそ購入しなかったが、ギルドが無料で公開している情報はしっかりと調べた。ここは、発見されたばかりの迷宮ではなく、過去に冒険者たちに数えきれないほど踏破されている。その中に、入ると階段が消えるだとか、主がランダムで変わる、なんて情報はなかった。

 座敷童は「階層を隔離できるほどの主を最初から探知できるわけない」と言った。ってことはだ、これは通常の迷宮の主ではなく──。

 それに思い至った瞬間、ゾワリと全身の産毛が逆立った。

「──い、【一人歩きする死神イレギュラーエンカウント】か……!」

 イレギュラーエンカウント。それは冒険者の死因ナンバーワンに輝く、一種の事故だった。

 迷宮には、全迷宮を渡り歩く固有のモンスターが存在する。そいつらは本来の迷宮主を喰らいその迷宮を乗っ取ると、餌が来るのをじっと待つという習性を持つ。

 それを外部から知ることは決してできないと言われており、こうして最下層に踏み込んで初めてその存在がわかる。いつ自分の元に訪れてもおかしくない、まったく予期せぬ不幸……。故に、事故。

 さ、最悪だ。こんな事態を防ぐために、この迷宮を選んだというのに……!

 俺も、イレギュラーエンカウントに対する最低限の警戒くらいはしていた。この迷宮で直近に行方不明者……未帰還者が出ていないかくらいは調べていたのだ。外部からその存在を観測できず、事故扱いされているイレギュラーエンカウントであるが、不注意による遭遇くらいは避けることができる。それが、その迷宮における行方不明者の有無の確認だ。

 イレギュラーエンカウントの発生した迷宮では、それを返り討ちにでもしない限り、必ず行方不明者が出る。全冒険者にDランク以上のカードの所持が義務付けられている以上、Fランク迷宮ごときで行方不明者が出るのは不自然。そこでようやく、人類はイレギュラーエンカウントの発生を察知することができるのだ。

 イレギュラーエンカウントが巣を張っている確率は、その迷宮が踏破されていない期間が長ければ長いほど上がる。故に、遭遇の確率を減らしたければ、踏破されたばかりの迷宮を選べばよい。この迷宮も、俺が潜り始めるつい先日に一度踏破されたばかりだ。確率の上で言えば、この迷宮でイレギュラーエンカウントと出くわす可能性はかなり低い。……はず、だったのだ。

 理不尽。もはや不運なんて言葉では言い表せないほどの理不尽であった。

「ハァッハァッ……!」

 息が、し辛い……。心臓の音がやけに耳に響く。喘いでも喘いでも酸素を肺に取り込めている気がせず、少ない酸素を送るために心臓が暴れまわっているようだった。

 俺が、ここまでイレギュラーエンカウントに恐怖しているのには、当然理由があった。

 ──イレギュラーエンカウントは、そのどれもがAランククラスのスキルを持っている。

 かつてのアンゴルモアの際、イレギュラーエンカウントもまたその姿を現した。

 子供のころから慣れ親しんだ数々の童話、昔話。その思い出を裏切るかのような痛ましく歪んだ姿で、地獄としか言いようのない惨劇と共に……。

 フランスに現れた【マッチ売りの少女】は、街一つを幻覚の中で死に追いやり。

 インドに現れた【浦島太郎】は、罪のない少年少女たち数千人を老人へと変え、大人たちは一人残らず老死。

 日本においても【カエルの王子様】が現れ、その姿を見た者は胸の内部から鉄の帯を弾けさせられ、解剖された蛙のように無残な死を遂げた。

 アンゴルモアに悲劇はつきものだが、イレギュラーエンカウントのもたらす恐怖と悲劇は量と質が違う。

 醜く歪んだ童話の主人公たちの姿のインパクトとあいまって、イレギュラーエンカウントの名は消えぬ恐怖と共に全人類の胸に刻み付けられていた。

 そして。

 俺は今。

 そんな化け物の、仕掛けた、檻の中に、いるのだ。

「……ッ!」

 フッ、と意識が飛びかけて我に返った。

 あ、……危ない。今、気絶しそうになった。だが、ここで気絶したら終わりだ。

 ……ッ! そ、そうだ!

 俺は慌てて冒険者ライセンスを取り出した。

 冒険者ライセンスは、ただの身分証ではない。魔道具の一種であり、有事の際はライセンスからギルドに救助依頼が出せるようになっていた。当然それ相応の金額がかかるが、今は金を惜しんでいる場合ではない。

 俺は救難信号を送ろうとして──。

「クソッ! 駄目だ! 届かない!」

 地面へとライセンスを叩き付けた。

 ちくしょう! 階段が消されているだけでなく、空間ごと隔離されているのか……!

 ああ、糞、どうすりゃいいんだ。頭を掻きむしる。いざとなれば、ギルドに助けを求めることができる……そう思って迷宮に潜っていたのに……!

 俺はようやく、イレギュラーエンカウントが恐れられている理由を理解した。

 イレギュラーエンカウントだって、別に無敵のモンスターというわけではない。奴らの戦闘力は出現した迷宮に相応しいものに抑えられるし、過去に何度も討伐されている。懸賞金もかけられており、一度現れれば倒されるまではそこに居続けるからイレギュラーエンカウント目当ての賞金稼ぎもいるくらいだ。

 確かに、Aランククラスのスキルは脅威だ。ランクが上がれば上がるほど、そのスキルは戦闘力以上に強力かつえげつないものになっていく。

 しかし、それでも、Fランク迷宮に相応しい戦闘力に抑えられたイレギュラーエンカウントならば、倒すことまではできずとも、救助が来るまで逃げ延びることくらいはできるのではないか。そう、俺は今まで思っていた。

 そのためのDランクカード制限。これまでの犠牲者たちは、救助が間に合わなかった不運な者たちなのだ、と。

 だが、違った。実際には、彼らは助けを呼ぶことすら許されなかったのだ。

 この檻に捕らえられたが最後、生き残る術は自力での脱出以外に存在しない……。

 視界が、絶望で狭く、暗くなっていく。

 怖い……寂しい……。子供の頃、見知らぬ旅行先で迷子になった時の心細さ……それを何百倍にも増幅し、凝縮したような孤独感が俺を襲っていた。

 あの時は、親父とお袋が俺を見つけてくれた。汗だくになって、街を走りまわって、一人泣き叫んでいた俺を迎えに来てくれた。

 だが、今回は迎えには来てくれない。誰も、来てくれない。

 ああ……そうか。俺は今、迷宮に、いるのか。化け物たちの巣窟に、一人で……。

 これが、迷宮。これが、迷宮の怖さ、か……。

「おい、とりあえずグーラーじゃなくてクーシーを呼んどけ。今は索敵がいた方が心強い」

 一人で勝手に追い詰められている俺を、座敷童が静かに諭した。

「あ、ああ、そうだな」

 俺は震える手でクーシーのカードを取り出し、グーラーと交代で呼び出した。

 現れたクーシーは、オドオドと周囲を見渡しながら言う。

「マ、マスター。こ、これは?」

「……イレギュラーエンカウントだ。その鼻ですぐ敵を捜してくれ」

「は、はい!」

 俺の余裕のない言葉にクーシーはクンクンと鼻を鳴らし──ギョッと目を見開いた。

「そ、そこ! そこにボクたち以外のにおいが!」

「なに!?

 座敷童がすぐさまそちらへと光弾を放つ。

「……鼠?」

 そこにいたのは一匹の鼠だった。大きさはかなりデカい。プレーリードッグくらいのサイズだ。しかし、その顔つきは醜悪なドブネズミのそれで、可愛らしさの欠片もなかった。

「……これがイレギュラーエンカウント、じゃない、よな?」

「んなわけあるか。眷属に決まってんだろ。マズいぜ、この手のモンスターは無尽蔵に湧いてくる。いくら倒してもキリがないぞ」

 座敷童が鼠を指さして言う。光弾に打ち抜かれて屍を晒すそれは、臓腑が腐っていたのでは? と思うほどに耐え難い悪臭を放っていた。もしや、これが森に漂うにおいの原因なのか? だとしたら一体どれだけの数が森中に……。

「う……、じゃ、じゃあとりあえず先に進むか。倒さないと帰れない、しな……」

「……………………」

 俺の震えながらの言葉に座敷童は茶々を入れることはなかった。


 しばし、クーシーの先導のもと迷宮を進んでいく。

 時折出る鼠は、座敷童が仕留めてくれた。今ばっかりは、彼女も見返りなく協力してくれている。それが心の底から、頼もしかった。

「ご、ご主人様……血の、においが」

「えっ?」

 ドキリ、と心臓が跳ねる。

「ど、どこからだ?」

「あ、あちらです」

 そう言ってクーシーが指さしたのは迷宮の壁にあたる森の木々。恐る恐る近寄っていくと……。

「……うっ」

 口に手を当て、呻く。

 そこにあったのは五体バラバラにされた子供の死体だった。十歳程度だろうか、金髪の白人の男の子だ。そばかすの浮いたその幼い顔は、恐怖と痛みで歪んでいた。

 血の鉄のにおいと、内臓から漂う何とも言えないにおいが鼻をつく。

 まず本物ではないだろうが、何とも趣味の悪いオブジェだった。

 気の滅入る光景に俺が深いため息をついていると。

「……こりゃ本物の死体だな」

 座敷童が顔を顰めて言った。

「……えっ?」

「間違いない。アタシにはわかる。しかも……なんてこった、この子……まだ魂がここに囚われてやがる」

「…………………………」

 俺は座敷童の言葉をよく咀嚼し。

「い、いやそれは可笑しいぜ。法整備が進んでこんな子供は絶対に迷宮には入れない。万が一迷い込んだとしても、すぐわかるからニュースになるはずだ。それに、ここは日本だ。この子は外国人じゃんか。これは迷宮のイミテーションだよ。冒険者をビビらす演出だ」

 そう捲くし立てる俺に、座敷童は沈鬱そうな顔で俯く。

「……アンゴルモアだ」

「え?」

「だからアンゴルモアだよ。お前らはアレをそう呼んでるんだろ? これはその時の獲物なんだろう。持ち帰ってトロフィー代わりにしてんだ」

「アンゴルモアって……前のやつから何年経ったと思って」

 そう言う俺に、座敷童は昇ったままの太陽を指さし。

「迷宮の中は時間が経たない」

 そう短く告げた。

「う、ぁ……」

 やべぇ、眼が……。世界がグルグルする。何にもわかんねぇ。俺、今どこにいるんだ? 森? なんで森の中に。ああ、そうか、俺冒険者になったんだっけ。えっと、で、これはなんだっけ?

 そうだ。死体だ。どっかの国の本物の人間。

 眼が、合った。男の子が語り掛けてくる────シニタクナイヨ。

「……ぉ、ご、ぅげぇぇぇぇええええ!」

 吐いた。

 二度、三度。俺は胃をひっくり返すようにすべてのモンを吐き出した。

 吐瀉物の異臭と死体のにおいが混じり合い、それが更なる吐き気を呼ぶ。俺は涙を流しながら何度も、何度も、内臓がぜんどうし、胃そのものを外に出してしまいそうになるまで吐き続けた。

 そんな俺の背中を、クーシーが心配そうにずっと擦り続けてくれた。

 ……しばらくして吐き気が落ち着くと、座敷童が水の入ったペットボトルを差し出してきた。

「飲みな。アタシのおごりさ」

「…………俺の、買ったやつだろうが」

 掠れた声でそうツッコミながらペットボトルを受け取ると、座敷童の奴は不敵に笑った。

「お、もう元気になってきたのか。それでこそアタシのマスターだ」

 相変わらず、生意気な奴め。……ん? 今コイツ俺のことをなんて……?

「さて、こっからどうする? なんなら今回はアタシ一人で倒してきてやってもいいぜ?」

「あ? ……な、なんだよ、今日は。なんというか……」

 予想だにしていなかった言葉と、いつもとはまるで違う協力的な座敷童の姿に混乱する俺。

 そんな俺を気にした風もなく、少女は快活に笑った。

 それは、いつもの意地の悪い笑みとは違い、年相応の爽やかな笑顔で──。

「ビビリなマスターの代わりに単身、強敵に立ち向かう! これで報酬を弾まないわけがない、ってね!」

 それで、否応なく気づかされた。

 コイツ……ああ、クソ! そう言うことかよ、なんてこった!

 俺を、元気づけようとしてんのか。あの、糞生意気だっただけの座敷童が! 俺を……!

 胸が熱くなって、視界が潤んできた俺は、慌てて下を向いた。

 泣いてる顔なんて、見せられるかよ……!

 目頭をもみほぐすふりをして涙を拭きとると、俺は震える脚で立ち上がった。

「……そんなことしたらいくら菓子を買わなくちゃいけねぇんだよ。この街にはそんなにお菓子を置いてねぇぜ」

「へぇ、だったらどうする?」

「俺も行く。そしたらいつも通りでいいからな」

「そいつは残念。大嫌いなマスターを破産させられる絶好のチャンスだったのによ」

「俺を破産させるのは無理だぜ。なんせ……」

「なんせ?」

 面白げに俺の次の言葉を待つ彼女に、俺は自慢げに胸を張った。

「ウチには座敷童がいるんだからよ」