エピローグ


 王宮の宝物庫には、王族の所有するたくさんの宝物が保管されている。煌びやかな王冠、宝石のたくさんついた首飾りや腕輪、ブローチ。値のつかないような絵画も多数ある。

 この国の第一王女であるリーゼは7歳になり、初めて宝物庫に入ることを許された。リーゼは父である国王、宝物庫の管理官と共に中へ足を踏み入れ、ぐるりと見回して「わぁ」と感嘆の声を上げた。

「綺麗だろう?」

 リーゼの目を引いたのはたくさんの宝石が散りばめられた冠だ。儀式の時に父が身に着けていた記憶がある。

「お父様、わたくしもこれを身に着けることがあるのでしょうか?」

「どうだろうな。着けてみたいか?」

「……どうかしら?」

 リーゼは首を傾げる。7歳の女の子としてはキラキラするものに目がないし、今ここでちょっとだけかぶってみたいかという単純な質問だったら、答えは「かぶりたい」である。だけど相応の場でこれを身に着けるということは、それなりの責任が伴うことをリーゼは知っていた。

 ふと煌びやかな一角から視線を外して反対側を見ると、宝物には見えない古びたものたちが置かれた場所があった。

「お父様、あちらはなんですか?」

「あちらも宝物だよ。来なさい」

 リーゼが父と共にそちら側へ行ってみると、一見するとガラクタのようなものが置かれていた。割れたカップ、折れた剣、壊れた耳飾り。これらは歴代の王族が使用した何からしい。

 ふと見上げた一角に本が見えた。古びた手鏡のようなものと共に飾られている。ここにあるということは貴重なものなのだろうが、特に凝った表紙でもなく、ごく普通の本に見える。

「お父様、どうしてここに本があるの?」

「リーゼはここに入る前に本を読んだね?」

 リーゼは自分の質問に答えてもらえていないことを疑問に思いつつ頷いた。ある1冊の本を読み終えること、それがこの宝物庫に入る条件として父から出されたものだった。

「面白かったか?」

「はい。絵本でも見たことがありましたけど、もっとたくさん書かれていて楽しかったです」

 その本とは「ある王様の物語」という題名のもので、この国では知らない人はいないくらい、とても有名な本だ。「ある王様」の名前は記されていないが、それが三代前の国王、つまり現国王の曾祖父であるクラウス王を指すことも、ほとんどの人が知っている。

 リーゼが読んだのは子供向けに抜粋して簡単に読めるようにしてある本だ。もっと抜粋して絵を前面に出した絵本も存在するし、大人向けにも原本をそっくり写した本の他に、読みやすくしたものもある。

「誰が書いた本か、知っているだろう?」

「わたくしのおじい様のおじい様なのでしょう?」

「そう、リーゼのひいひいおじい様だ。ここに来る前にご挨拶に行ったな」

「えぇ、今日も花だらけでしたね」

 リーゼはその時のことを思い出す。


 広い王宮の敷地内の一角に、歴代の王族が眠る墓地がある。

 王宮の建物から少し離れたその場所は公園のように綺麗に整えられ、解放的な空間になっている。その中の一区画にクラウス王とリーゼ王妃の墓は仲よく並んでいる。

 宝物庫に来る前、2人はそこに足を運んでいた。リーゼは父と共に足元の花を踏まないように気を付けながら墓の前に進んだ。そして持ってきた花を供えようとして困ってしまった。

「どこに置いたらいいかしら」

 父である国王も困ったように笑った。まるで墓が埋め尽くされるのではないかというくらいに花が飾られていて、既に置き場がないからだ。

「とても綺麗ですけれど、どうしてここだけこんなにお花が?」

 リーゼは何度かここに来たことがあった。いつも同じように大量の花が供えられている。偉大な王と王妃だったからだと聞いたけれど、なんとなくそれだけの理由ではない気がした。

「パワースポット、らしいぞ」

 国王は苦笑しながら答えた。

「ぱわーすぽっと?」

「クラウス王は名君でリーゼ王妃は聡明で優しい賢妃だと知られているけれど、それと同時にお2人はとても仲がよかったことで有名なんだ。クラウス王は王妃を非常に愛していて、リーゼ王妃はいつも王に寄り添っていたそうだ」

 クラウス王とリーゼ王妃をモデルにした物語は多数の本にされていて、もはやどれが本当なのか分からない。ただ、2人がとても仲よく幸せに暮らしました、という結末はたいていの本で一致している。

「仲がよかった王と王妃にちなんで、ここに2人で訪れると幸せになれる、と言われているらしい。たしか昨日は解放日だったかな」

 王宮の一角なので、いつでも誰でも入れるわけではない。一般の人が立ち入れるのは解放日の決められた時間だけだ。その時間は行列のできる人気ぶりだというから恐れ入る。人の墓を一体なんだと思っているのだ、と国王は苦笑する。自身も愛妻家の国王は、きっとクラウス王は2人で静かに過ごせないことに少しムッとしているのではないだろうか、という気がしている。とはいえ、国王もかつて王妃と共にここを訪れているから、人のことは言えない。

 もしかしたら毎日ではないから賑やかでいいと思っているのかもしれない。リーゼ王妃が喜んでいたら、クラウス王もきっと一緒に喜んでいる。

「クラウス王とリーゼ王妃にご挨拶しよう」

 国王は場所を探し、クラウス王の墓の近くにそっと花を供えた。リーゼもまたリーゼ王妃の墓の前に花を置き、2人は墓の前で礼をとった。

「わたくしもクラウス王みたいな方と結婚するのかしら」

「うん?」

「それともリーゼ王妃のような方かしら。だってわたくし、名前をいただいたリーゼ王妃とは似ていない気がするのですもの」

 リーゼの名はリーゼ王妃にあやかってつけられたものだ。彼女のように聡明で優しく、そして幸せになってほしいという思いが込められている。まだ7歳の娘から結婚という言葉を聞くとは、国王はなんとも複雑な気持ちになった。伝え聞くクラウス王のように大切にしてくれる人ならば、もしくはリーゼ王妃のように包み込んでくれるような人ならば、とは思うものの、まだ早いという気持ちが強い。

「リーゼもそのような人に出会ったら、共にここに来るといい。きっとリーゼのひいひいおじい様とおばあ様が、君を幸せにしてくれるよ。でもここに来る前に、まず私に報告すること」

「お父様もお母様とここに来て、お願いしたの?」

「したさ」

 後ろからクッと笑う声が聞こえた。当時王太子であった国王が非常に熱心にここに通っていたことを知っている、長い付き合いの側近である。ちなみに彼は、街の本屋出身だ。

 国王はチラリと彼を見て、わざとらしく咳払いをした。


 クラウス王とリーゼ王妃のお墓はとても綺麗だった、とリーゼは思い出しながら、宝物庫にある目の前の本を見た。おそらくこれは。

「ひいひいおじい様が書いた本なのですね?」

「よく分かったね。この本はクラウス王がじきじきに書いた、リーゼが読んだ本の原本だよ」

「開いてみてもいいですか?」

「あぁ。でも汚したり破いたりしないように気を付けて」

 リーゼはそっと本を開いた。流麗な字が並んでいる。まだ分からない単語も多いけれど、開いただけでわくわくして心が躍った。

「わたくしも読みたいわ」

「もう少し大きくなったら、嫌でも読むさ」

 この原本はクラウス王が自ら書いたもので、自身の経験をまとめた本だと言われている。彼は自身が犯したさまざまな失敗や反省を書き記すことで、後世の人々、特に為政者が同じ過ちを繰り返さないようにと望み、この本を残したらしい。

「リーゼはこの本からたくさんのことを学ばなければいけないからな」

 クラウス王の時代に始まったと言われる女性の社会進出は目覚ましく、今では女性が男性と同じように仕事をすることはもちろん、爵位を継承することも珍しくなくなった。女性にも王位継承権が認められるようになってから、リーゼは初めて国王または王太子の第一子として誕生した女児だ。

 まだ男性優位であるところは残っているし、女王の誕生に反対する意見もある。本人が拒否する可能性もあるだろう。だからリーゼが将来王位に就くかは分からない。だけど、リーゼはこの国初の女王の座の一番近くにいる。

「お父様、クラウス王には3回人生があったって、本当かしら?」

「どうだろうね。それは研究者の間でも意見が分かれているところだ」

 本の内容から、三度の人生があったと考えなければ矛盾が生じる箇所がある、という意見もあるし、さすがに非常識すぎる、創作だろう、とする意見もある。

「お父様はどう思いますか?」

「本に書いてあるのは事実だと思っているよ。あくまで私はね。実際にどうなのかを知っているのはクラウス王だけだろうな。本の隣を見てごらん」

 父の差す方を見ると、手鏡のようなものがあった。父が頷いたので、そっと手に取ってみる。鏡らしき丸い部分は曇り、割れている。鏡の周りに施された装飾も今はくすんでいる。

「王家に伝わる秘宝の一つで『三度の手鏡』と呼ばれるものだ。クラウス王はそれに選ばれて、3回の人生を生きたらしい」

「選ばれた?」

「そう。秘宝が人を選ぶんだって」

「わたくしも秘宝に選ばれることがあるの?」

「どうだろう。私も選ばれたことはないから分からない」

 ふぅん、と相槌を打って、リーゼは手元の秘宝だという手鏡を眺めた。キラキラした王冠や宝玉を見たあとだからだろうか、お世辞にもそれは美しいとは言えなかった。

「クラウス王はどうして選ばれたのかしら?」

「さぁ。詳しいことは分かっていない。だけど、三度の手鏡の言い伝えでは、国が滅びそうになった時に選ばれるらしいよ」

「国が滅びる? そんなことあるの?」

「ないとは言えない。実際にクラウス王の時代には争いになりかけた時があったんだ」

 今は平和なこの国も、クラウス王の時代には周辺国とのいざこざが頻繁に起こっていた。この国は周辺国に比べると資源が豊富で地形的にも攻め入られにくいが、だからこそ周辺国には常に狙われていた。国力が弱まればその隙をついて狙われる可能性は大いにあった。

 実際にクラウス王が即位して20年の頃、好戦的だった隣国の王がこの国に侵攻してきたという記録がある。結果から言うと、この国は大きな被害もなく追い返すことに成功している。それが可能だったのは、十分な国力が蓄えられていたからだと言われている。

「だけど、もしクラウス王が残した書物の中の一度目の人生の先であれば、もしかしたらこの国はなくなっていたかもしれないと言われているんだ」

 当時の宰相が王を討ち、反乱により国が荒れた状態で侵攻されていたとしたら、国を守り切ることはできただろうか。答えは誰にも分からない。

「それを考えれば、クラウス王はこの国の救世主でもあったことになる。もしかしたらそれが秘宝に選ばれた理由かもしれない」

「国がなくなるだなんて」

「そうなっていたら、私もリーゼも生まれていなかったな」

 今、この国はとても平和だ。周辺の国とも悪くない関係を保っているし、争いは起こっていない。飢えて亡くなる人はいなくなったし、貴族も平民も穏やかに日々を過ごせるようになった。問題のない国なんてものはないが、ひとまずこれを平和だと言っても差し支えないだろう。

 そんな国に生まれたリーゼは、この国がなかったかもしれないと言われても全く実感が湧かない。自分がいなかったかもしれない、というのはもっと分からない感覚だ。

 リーゼは手鏡をもう一度眺めて元の場所に置いた。そして本をパラパラとめくる。本にはところどころに挿絵があった。

「この絵もクラウス王が描いたもの?」

「そうらしい」

「なんの絵なのかしら?」

 国王はリーゼが開いたページを見て、クッと笑う。

「クラウス王はどうやら絵が上手じゃなかったらしい」

「上手じゃないってレベルではない気がするけれど。字はとても綺麗なのに」

「字は公的文書を書くことが多いから必死に練習したと書かれていたよ。クラウス王は元来あまり器用な人ではなかったようだ。まぁ、そう見せかけて実はすごいメッセージが隠れているんじゃないか、とも言われているけどね」

 研究者たちは挿絵が何を示しているのかでよく議論している。研究者泣かせというか、そんなことで議論ができる世の中になったことを喜ばしく思うべきか。この挿絵のおかげで神秘性が増している、とも言われる。

「お父様、これは何かしら?」

 後半にさしかかった辺りから、時折水を零したような滲みが見られるようになった。特にリーゼ王妃の記述があるところに集中しているように見える。

「あぁ、これはクラウス王の涙だと言われている」

「涙?」

「これをクラウス王が書いていた頃、リーゼ王妃は寝たきりで、もういつ天に召されてもおかしくない状態だったそうなんだ」

「泣きながら書いたってこと?」

「そうだと思う。もしかしたらリーゼ王妃が亡くなられたあとに読み返して、涙を零されたのかもしれない」

 リーゼはその滲んだ部分をそっと指で触れた。当然もう乾ききっていて、そこだけ少しパリッとしている。

「ひいひいおじい様はおばあ様が大好きだったのね」

「クラウス王が亡くなられたのは、リーゼ王妃が亡くなられたわずかひと月後だったそうだ。きっと早く会いたかったんだろうな」

 リーゼ王妃亡きあと、クラウス王はとうの勢いでこの本を完成させた。そして書き終えると、仕事は終わったとばかりに床についてしまい、それから天に向かったのはすぐのことだったという。

「わたくしも早くこれが読めるようになりたいです」

「すぐに読めるようになるさ。さぁ、そろそろ出ようか」

 リーゼは最後のページをめくった。文字がぎっしりと書いてあった他のページと違い、ここは白い。その真ん中に一文だけ、クラウス王の最後の言葉が記されていた。

『我が最愛の妻、リーゼに捧ぐ』

 その文章を指でなぞると、リーゼはそっと本を閉じた。