リーゼが「お父様ですよー」と子に向けて言った。そうか、俺がお父様なのか。

 赤子はほんわりと温かくて、不思議な匂いがした。何かを察知した赤子がむににっと動いた。

 あっ、可愛いな。

 そう思った瞬間に赤子が泣き出した。

「どどどうしたらいい?」

 俺は本気で焦っているのに、なぜか皆に笑われた。


 リーゼと赤子のために侍女を増やし、乳母を採用した。それでも赤子の世話は大変なようだった。一方で俺は仕事が非常に忙しかった。即位したばかりということもあり、また、リーゼがやってくれていた仕事も担うことになったからだ。婚姻を結んだあとは嫌がらせのように仕事を大量に持ってきた宰相だったが、今回は逆に減らせるように協力してくれた。それでもリーゼと赤子と過ごせる時間は限られていた。

 幸いなことに、俺たちの長女はすくすくと成長した。コロリと回ったり、ハイハイしたり、それはもう可愛い。この子が生きる未来のためと思ったら、仕事にもより力が入った。

 長女が2歳を越えて少し、リーゼが2人目の子を産んだ。

「また女の子でした」

 少し残念そうにリーゼは言った。

「無事に産まれたんだ。性別はどちらだっていい。……可愛いな」

 長女の時は不思議な生物だなと感じたけれど、次女は最初から可愛く見えた。長女には申し訳ないが、あの時は俺にも余裕が全くなかったのだ。

「リーゼ、ありがとう」

 俺の言葉も少しだけ増えた。


 次女は長女に比べて少し体が弱かったが、それでも元気に成長した。2人の姫は本当に可愛くて、宰相が俺に目を光らせる理由が少しだけ分かってしまった。この姫たちがいつか別の男のものになるのかと思うと、今から相手を殴りたくなってくる。

 俺はリーゼにも2人の娘にも文句があるはずがなかったが、残念ながら周りはそうは見なかった。この頃から俺は積極的に妾を勧められるようになった。男児を産ませようというのだ。妾の子には王位継承権がないが、王妃が養子として迎えれば王位を継ぐことも可能になる。

 当然俺が頷くはずもなかった。それなのに、姿絵を見せられたり勝手に候補者たちとの面会予定を作られたりした。仕事の面会だと思って入った会議室に着飾った女性がいたこともある。

「ラファエル、王女にも継承権を持たせたい」

「そうおっしゃると思いました。でも難しいと思いますよ」

 この国では女性には王位継承権がない。爵位を継ぐのも男性だ。特殊な事情がある場合に限り女性でも認められることがあるが、滅多にない。

「まずは女性全体の地位を上げることから始めましょう。反発も大きいかと思いますが」

「それでもやる。この件がなかったとしても必要なことだ。女だからという理由で活躍できないのは、国としても損失だ。実際に、俺よりもリーゼの方が優秀だろ?」

「また答えにくいことを。得意分野、不得意分野があるのですから、なんとも言えませんよ」

 俺は目を丸くした。少し前だったらラファエルは迷わず「そうですね」と言ったはずだ。

「いい回答をするようになったな」

「鍛えられましたから」

 俺がいくら気にしないと言っても、リーゼにはプレッシャーを感じさせてしまったらしい。次女が産まれて3年経っても、次の子はできなかった。

 ある夜、リーゼは静かに俺に言った。

「クラウス様、妾を迎えてください。わたくしは、次の子を産めるか分かりません」

 思わず押し倒した。リーゼが悩んでいることは知っていたけれど、リーゼにだけは言われたくなかった。妾だ妾だと言われて苛立っていたこともある。

「誰かにそう言えと言われたのか?」

「違います。でもわたくしは、王妃の義務を果たせていません」

「王妃の義務なら、もう十分に果たしている。妾は絶対にない。何度も言っているだろ。絶対にないから。俺にはリーゼだけだ」

「ですが……」

 リーゼが言葉を発する前に、口を塞いだ。それ以上聞きたくなかった。

 翌朝我に返った俺は頭を抱えた。リーゼはすごく悩んでいたのに、勢いで押し倒すとか最悪だ。俺はリーゼに詫びた。そしてできる限り思っていることを伝えた。女児だけでもいいこと、娘が王位につけないなら養子を迎えることも可能なこと、妾はありえないこと、ましてや離縁など絶対に嫌なこと。跡継ぎが産めないという理由で離縁になるケースも、貴族では少なくはないからだ。リーゼはどこか晴れやかな顔で笑って許してくれた。

 その日からリーゼには明るさが戻ってきたように見えた。少なくとも俺に妾を勧めることはなくなった。

 それから1年後、リーゼは男児を産んだ。

「リーゼ、ありがとう」

 ひどく安堵した表情で、彼女は微笑んだ。


◆◇◆◇◆


 一度目の人生で荷馬車のような乗り物に乗せられて通った道を、それよりはずっと過ごしやすい王家の馬車で進むこと数日。それでも道が悪くガタガタと揺られてようやく到着したのは、俺が長年を過ごした鉱山だ。側近たちはなぜ俺がここに来たいと言うのか不思議がっていたけれど、なんだかんだと理由をつけて説き伏せること数年。やっと来ることができた。

 今回の訪問にリーゼはいない。乳母たちがいるとはいえ幼い子供たちを放ってはおけなかったし、快適な旅ではないことが分かっていたので、俺だけで来ることにしたのだ。寂しい。

 馬車を降りると、見渡す限り山、山、山。そしてその合間に見えるのは懐かしの集落だ。

「まずはこちらへ。足元にお気を付けください。王都の道とは違いますから」

 俺を先導する男は、今この地を管理している官僚だ。鉱山からは利益を取れるだけむしり取ればいい、というスタンスだった前管理官は辞めさせ、ついでにそれを黙認していたこの地の領主も代替わりさせた。若い視点を持った新領主と俺が見込んだ官僚によって、鉱夫たちの待遇はよくなっているとの報告は受けているが、果たしてどうだろうか。

「このような粗末な部屋で申し訳ございません」

「いや、十分だ。まずは状況を聞こう」

 通された小屋の部屋は、かつて親方が近隣の親方たちとの話し合いや、当時お偉いさんと呼んでいた人たちとやり取りするために使っていた部屋だ。何度か来たことがあったが、どうやら内装を整えたらしい。雰囲気がだいぶ変わっていた。

 そこで聞いた状況は、報告を受けていたものと変わらなかった。今までのずさんな管理からきっちりと記録されるようになり、それだけで鉱夫たちの手取りはかなり増えているはずだ。

 報告を終えると、俺と管理官は外に出た。そこには俺の護衛の他、管理官が連れてきた護衛が数人いた。間違っても俺に危害を加えないためだという。鉱夫たちにとって、王族は「最も残酷な方法で苦しめて殺してやりたいクソ野郎」だ。かつて親方がそう言っていた。俺は親方や仲間たちがいきなり襲いかかってくるような人でないことを知っているが、万が一の時にも屈強な鉱夫たちを抑え込めるようにと、護衛を多くしたらしい。

 鉱山の入口に向かってぞろぞろと歩く。

「本当に行くのですか? 村も山も、陛下にお見せできるようなところではありませんよ」

「視察に来たのに現場を見ずにどうする。それとも、見られたらまずいものでもあるのか?」

 久しぶりすぎる鉱山にわくわくと不安と緊張を隠して管理官を見ると、彼は慌てる様子もなく真顔で答えた。

「あるに決まってるじゃないですか。まだ改善途中でいろんなところがガタガタなんですよ。ちょっとずつ手をつけてますから、お目こぼしをお願いします」

「正直だな」

「嘘をついても仕方がありませんから」

 鉱山の入口には、鉱夫たちが並んでいた。懐かしい顔の中に、親方の姿を見つけた。

 俺に鉱山での全てを教えて、守って、導いてくれた恩人。そして共に働き、事故で死んだ人。その親方が生きている。

 親方あああぁぁぁ! 会いたかったです! お、お、親方あああぁぁぁ!

 俺は心の中で絶叫した。まずい。目の奥がツンと熱くなって、視界がぼやけてきた。今瞬きをしたら、涙が落ちる。

 俺は慌てて後ろを向き、目をぬぐった。

「陛下、どうかされましたか?」

「目に埃か虫が入った。大したことはない。気にするな」

「あぁ、こちらは埃も舞うし虫も獣もいっぱいいますからね」

 よく知っている。なにせ何年も住んでいたからな。

 なんとか気持ちを落ち着かせて、かつての仲間たちと向かい合う。と言っても、俺が一方的に知っているだけだ。皆はいきなり現れた国王に緊張と戸惑いを隠せていない。

「皆、新しい服を着ているのだな」

「正直に言いますと、陛下がいらっしゃるというから新調したんですよ。ほら、靴も綺麗でしょう? 新品なのです。ちなみにいつもはもっとボロいです」

「本当に正直だな。そこは待遇を改善したのだと胸を張っておけばいいのではないか?」

「嘘をついても仕方がありませんから」

 俺がクッと笑うと、皆も緊張気味ながら苦笑していた。この管理官のそんなまっすぐなところを買っている。思っていたとおり、彼と鉱夫たちの関係は悪くないらしい。

 鉱夫たちの代表で親方が俺の前に進み出て膝を折った。所作が綺麗で、そういえば親方は貴族出身だったなと思い出した。

「このようなところまで足をお運びくださり、感謝申し上げます」

 親方あああぁぁぁ! 俺に! 頭を! 下げないで!

 と心の中で再び絶叫したが、そういうわけにもいかないことを理解はしている。なにせ今の俺は国王で、親方は俺を知らない。

「出迎え感謝する。顔を上げてくださ……なさい」

 敬語になりそうになって変な言葉遣いになった。顔を上げた親方もちょっと戸惑っている。

「ゴホン、君はなんと呼ばれている?」

「あ、えっと、ここの皆からは『親方』と」

「では親方。行くぞ」

「はい? あの、どちらへ?」

「親方たちの仕事場に決まっている。案内してくれ」

 俺が鉱山を指差して言うと、親方は目を丸くして、助けを求めるかのように管理官を見た。管理官が慌てて俺の前に出る。

「陛下、さすがに鉱山の中は危険です。陛下をご案内するわけには……」

「その危険だというところでここにいる皆は働いているのだろう? 国民の仕事場なのに、私が入れないはずがない」

「いや、ですが」

 なんとかして止めようとしてくる皆を振り払って、俺は鉱山に向かって足を進めた。どうしようという雰囲気を漂わせながら、ぞろぞろとついてくる。諦めたらしい親方の先導で鉱山の中に入ると、懐かしい独特の匂いがした。

「普段のように仕事をしてみてくれるか?」

 俺の指示で鉱夫たちが岩を砕き始めた。俺も工具を持って参加する。

「なるほど、そのように岩を掻くのだな」

 などと言いながら親方を真似るフリをして工具に力を込めるが、当時と違って全然進められない。筋肉が違うのだ。そりゃ、毎日こうしていた身体と書類仕事ばかりの今が同じであるはずがない。だけどやり始めたら当時を思い出して、必死になってしまった。

「ふぅ、なかなかこれは大変な作業だな」

 立ち上がって額の汗を拭うと、皆が俺に注目していた。

「陛下、とてもお上手ですね」

「そうか?」

 ふふん、当たり前だ。何年やっていたと思っている。いや思っていないだろうが。身体は違っても記憶はあるのだ。素人には負けない……とよく分からないことを思いながら胸を張ると、皆が目を丸くしていることに気が付いた。

 しまったあぁ、ドヤッたああぁぁ。

 素人には負けないって、素人だよ、今の俺!

「あ、いや、ちょっと夢中になってしまった、ははっ。見よう見真似だったが、上手くできていたか? 俺は真似るのが得意なんだ、ははっ」

 自分で言っておいてなんだが、真似るのは苦手だし不器用だ。

「さ、さて、もう少し先まで行ってみたい。案内してくれ」

 ごまかすように俺は先に歩みを進めた。親方はすっかり諦めたのか、俺の横に付き従ってくれた。案内しているように見せながら、危なそうな箇所を避けている。親方らしいなと思って顔が緩んだところで一つの分岐に当たり、緩んだ顔がサッと引き締まった。

「親方、この左の道は駄目だ」

 一度目の時、この先で落盤があった。そこにいた鉱夫が戻ってくることはなかった。

 入口から少しだけ中に入って見回す。あの時に比べてまだ道は進んでおらず、しばらく先に突き当たりが見えた。

「この先は危険だ。これ以上進めてはならない」

「こちらですか? 特に危険そうには見えませんが……」

 俺はさらに中まで進んで壁に触れた。わずかに柔らかいところがある。親方にその箇所を指し示すと、親方も壁に手を触れた。

「絶対に駄目だ。これは命令だ」

 他にも事故のあった場所を俺は知っている。足早にそちらに向かい、親方に危ないところを告げた。それをいくつか繰り返し、最後に立ったのはまだ穴のない壁の前だった。

 これからここを掘り進める。そしてその先で、親方は死んだ。

 困ったことがある。ここは、今の段階では危ないと感じられるものがない。むしろよい鉱石が取れそうだと思われてしまう場所なのだ。実際によい鉱石もたくさん取れた。

「親方。頼みがある。ここは掘らないでもらえないか?」

「何か問題があるのですか?」

 親方は壁に触れながら不思議そうに俺を見た。俺は実際に起こったことを知っているから危険だと分かるだけであって、実際にこれから掘る場所が危険かどうかの見極めは親方の方が格段に優れている。それを知っているからこそ、親方が進むルートを決め、皆はそれに従っていた。理由のないところで駄目だと言われても、信じられないのが普通だろう。

「嫌な感じがするのだ。この先には、どうか行かないでほしい」

 懇願するように親方を見ると、親方は探るようにじっと俺を見て、それから「分かりました」と言った。そしてその壁に大きくバツを描いた。ここを掘っては駄目だという印だ。親方は一度バツをつけた場所には絶対に行かない。

「ありがとう、親方」

 俺を信じてくれて。いや、信じたのではなく、王の言うことだから聞いたのかもしれない。どちらでもいい。とにかく事故にあわないでくれれば。


 鉱山から出た俺たちは、次に村を訪れた。管理官は「改善途中でいろんなところがガタガタ」と言ったが、元を知る俺からすると、そのガタガタ部分よりも確かに改善しているところに目がいった。まだ少しではあるが、確実によくなっていた。

 何よりも意外だったのは、俺のことを歓迎してくれるムードだったことだ。王族ふざけんなと言っていた俺たちである。嫌そうな目を向けられると思ったが、そんなことは全くなかった。

 ちょうど煮炊きをしている時間だったらしい。匂いにつられて調理場の方に行くと、俺の姿に慌てた女性たちがピシッと立ち上がった。「気にするな」と言うと、動揺しながら少しずつ作業に戻っていく。

「おばさん、俺にも一口、分けてくれるか?」

 おばさんは非常に戸惑いながらも断れないと思ったのか、鍋の蓋を開けてかき混ぜた。

「暮らしぶりはどうだ?」

「ほんとうにね、よくなったですよ。お金をもらえるようになったしね、ほら、この鍋も新しく買ったですよ」

 普段敬語を使うことがないおばさんの口調は、どこかたどたどしい。

「皆いっぱい食べられるようになってね、元気になったよ。ほんとうにありがたいですよ」

 おばさんは器に少しだけ作っていた豆料理を入れて、俺に差し出した。毒見をしようとしたのか、一歩進んだ管理官を手で制してそのまま口に入れる。懐かしい味がした。

「ありがとう、美味しかった」

 そう告げると、おばさんはニカッと笑った。歯が何本か欠けていた。


 帰りの馬車が止まっている最初の小屋まで、親方は見送りに来てくれた。

「陛下のおかげで皆が無事に暮らせております。感謝いたします」

「いや、親方が今日までしっかりまとめてきてくれたからだろう」

 親方が顔を上げて俺を見る。立場は変わってしまったけれど、親方の目の色は変わらない。厳しくて優しい、仲間思いの鉱山の男の目だ。

「これからも皆の生活がよくなるように尽力するつもりだ。だけど少しだけゆうがほしい。ここだけではなくて、いろいろな場所で問題が山積みなんだ」

 すぐにでもここの待遇を上げたかったけれど、ここだけを贔屓ひいきすることはできない。もどかしいけれど、少しずつ変えていくしかないのだ。

「陛下はどうしてそこまでしてくださるのですか?」

「かつてある人が俺に『皆に笑っててほしい』と言ったんだ。国民皆がそうあるようにするのが、俺の仕事だ」

 ある人、とは、もちろん親方のことだ。

「親方、今日は会えてよかった。また来たいと言ったら歓迎してくれるか?」

「もちろんです。いつでもお待ちしております」

「その時まで、どうか無事に過ごしてくれ」

 いつかの再会を誓って、俺は鉱山をあとにした。


◆◇◆◇◆


 即位してから15年。

 宰相や側近たちの力もあって、国内の俺の治世は安定し、揺るぎないものになっていた。

 庶民の暮らしもかなり改善したと思う。同時に王族に恨みを抱く民も減ってきて、みにはできないが、調査によれば俺の支持率は高いらしい。

 リーゼとの間には、5人の子が産まれた。上から長女、次女、長男、三女、次男の順である。

 俺は王女にも王位継承権を持たせるべく奔走していたが、その案は残念ながら見送られることになった。あまりにも急激に男性優位の考えを変えるように推し進めたため、反発が大きかったのだ。リーゼからも、今の状態で長女を王位につけるのは彼女が危険だと言われた。反対派が長女を狙う可能性を指摘されてしまえば、推し進めることはできなかった。


 ある日執務室でリーゼと並び仕事をしていると、ここに勤めてまだ日の浅い若い文官がやってきた。婚姻のためにしばらく仕事を休むので、その挨拶だそうだ。

 ちなみにこの文官、学園を首席卒業している。この執務室は首席率が高すぎる。肩身が狭い。

「結婚か。おめでとう」

「陛下にお礼が言いたかったのです。陛下のおかげで結婚できます。ありがとうございます」

「は?」

 俺は何もしてないぞと思いながら話を聞けば、好きだけどぎくしゃくしていた婚約者に卒業パーティーでプロポーズして受け入れられ、結婚できることになったらしい。

「陛下が卒業パーティープロポーズの元祖なのでしょう?」

「元祖」

 復唱したら、ラファエルがブッと吹き出した。なんだ元祖とは。

「確かに、私たちの世代までは、卒業パーティーと言えば婚約破棄の場でしたからね」

「本当にそうだったのですね?」

「そうそう。私が卒業した時も婚約破棄した人がいたな」

 新人文官が「へぇぇ」と目を輝かせてラファエルの話を聞いている。卒業パーティーにはいろんな思いがありすぎて、あまり思い出したくない。特に一度目を思うと……ぐっと心を抑えた。最近は感情を制御できるようになって、あああぁぁぁと発作を起こす回数も減ったのだ。

 だけど一度目を思い出して悶えることは少なくなっても、今度は今世のやらかしに悶えるようになった。三度目だからもう何も後悔することはない、なんてことは残念ながら全くない。

「今はもう卒業パーティーといったらプロポーズですよ。男子生徒の勝負の場で、女子生徒の憧れらしいです。成功した人は皆陛下に感謝してます」

「それって、失敗した人からは恨まれてるってことじゃないか?」

「どうでしょう、恨まれることはないと思いますけど。自業自得でしょう」

 なかなかに新人文官は手厳しいようだ。

 俺に挨拶を終えたあと、直属の上司に当たるラファエルにも彼は挨拶していた。同じ部屋の中なので丸聞こえである。

「休みの申請は通っているから、期間中ゆっくりしてくるといい。ただし、休みが終わったらしっかり気持ちを切り替えてここに戻ってくること」

「気持ちの切り替えですか?」

「そう。陛下が結婚なされた時は、ずっと浮かれていて仕事が手につかずに大変だった」

 その頃を思い出して、思わず「ぐっ」と声がもれた。言うな、ラファエル!

「それから、まぁ、頑張れよ」

 ラファエルが生温かい視線を送っているが、新人文官は察しがよくないタイプらしい。

「何を頑張るのですか?」

「そりゃ、その。陛下も結婚式を挙げられた直後は、それはもう挙動不審で……」

「あああぁぁぁ」

 新人文官がビクッと身体を揺らす。

 俺は机に突っ伏した。勢い余って額を軽く打つ。新人文官の慌てた声が聞こえる。

「へ、陛下? 大丈夫ですか?」

 リーゼはクスッと笑って「大丈夫ですよ、昔からの病気なのです」と宥めていた。


◆◇◆◇◆


 即位してから35年。

 問題がない日は今だってない。だけど民の生活は向上し、貴族も落ち着いている。ひとまず国は安定したと言える程度にはなったと思う。

 俺は王位を長男に譲った。

 本当はもう少し早く譲りたかったが、残念ながら長男は俺に似てあまり器用でなく、聡明でもなかった。性格が穏やかでおごり高ぶることがないところは安心だが、全体的にぼんようである。リーゼに似ていればさっさと交代しただろうが、素直でなんでも信じてしまうあたりがどうにも危なっかしく、なかなか決断できなかったのだ。

 ちなみに次男はリーゼに似て聡明でしっかり者だ。彼を次期王に、という声もあったが、本人が「絶対にない」と公言したうえで、後ろ盾にはなりえない惚れた男爵家の娘を囲い込んで外堀を埋めてついに結婚した。少々腹黒いところや自分が上に立つよりも補佐をする方が向いているあたりは前宰相である義父に似ていて、兄を立てるフリをしながら裏で物事を動かしまくっている。そんな次男とちょっと抜けているところのある長男は、なんだかんだ上手くやっているようだ。

 3人の娘もそれぞれ結婚し、いつの間にか俺たちには孫ができた。

 譲位したからといってすぐに仕事がなくなるはずもなく、特に最初の5年は新国王となった長男を補佐しつつ、いろいろなところに口を出したり顔を出したり、変わらず忙しく過ごした。

 それを過ぎると、口うるさく遠慮のない信頼できる臣下たちから「もう大丈夫だから」と言われるようなことが増えてきた。俺はもういらないらしい。いやきっと、俺がそろそろのんびりしたいのを知っていて、そう言ってくれているのだ。皆の優しさだと信じている。

 ある日の昼下がり。俺は離宮にあるリーゼの部屋を訪ねた。譲位するにあたって、俺たちは住まいを王宮から同じ敷地内の離宮に移していた。

「あら、クラウス様。会議に顔を出すとおっしゃっていませんでしたか?」

 リーゼは俺に気が付くと、読んでいた本にしおりを挟んで閉じた。

「その会議に行ったんだが、お前はもうこなくても大丈夫だと追い出されてしまったよ。まったく、皆、俺の扱いが雑じゃないか?」

 リーゼが「まぁ」と声を上げてクスクスと笑う。リーゼも俺と同じで、少しずつ時間に余裕ができていた。侍女がお茶を出して下がると、俺たちはのんびり話をした。

「次はどこに行こうか、相談に来たんだ。行ってみたいところや、やりたいことはあるか?」

「ふふっ、視察ではないのですか?」

「視察だ。……ということになっているから、一応候補地はある」

 国王になった長男から「現地へ行って状況を知らせてください」と頼まれている。王だった時にはそうしたいと思っても軽々と動くことはできなかったから、俺は二つ返事で頷いた。


 今回は視察先に海辺の町を選んだ。漁業権をめぐって隣国ともめごとがよく起こっていた、国境の町だ。といっても既に国の間での取り決めはなされており、ここ数年大きな問題が起きたという報告はない。それでも実際の状況を確かめる必要があったのは事実だ。リーゼが釣りをしてみたいと言ったから、という理由だけではないことはしっかり述べておく。

 一通りの視察を終えて状況を聞き、問題点を洗い出してから、仕事を終えた俺たちは町長と漁師におすすめだという場所に連れていってもらい、釣り糸を垂らした。

「釣りもいいな。のんびりした気分になれる」

「そうですね」

 波が穏やかで、いい陽気だ。餌を入れればすぐに食いつくというものでもないらしく、俺たちは静かに海を見つめた。

「クラウス様、お疲れさまでした」

「うん?」

「まだ終わったわけではありませんけれど、仕事もだいぶ落ち着いたのでしょう? 今までずっと働きづめだったではありませんか」

「まぁ、そうだな」

 ずっと忙しかった。国王だったのだから仕方がない。片付けても片付けても次の案件が出てきて、途切れることがなかった。だけど、優秀な臣下たちのおかげでやりたいと思っていたこともやれた。学校を作って平民たちも通うように制度を整えたり、診療所を増やしたり。一つ達成するとさらにもう一段階上までやりたいと思って、それも止められなかった。大変だったけれどやりがいはあったし、仕事は楽しかった。

 だけどそれをこなすために、リーゼには負担をかけた。

「リーゼ、すまなかった」

「何がですか?」

「リーゼもずっと休めなかっただろう。俺は君を幸せにすると約束したのに、ゆっくりさせてやることもできなかった」

 王妃の仕事に加えて子を産み、もちろん乳母や教育係はいたけれど、子の世話もあった。貴族の女性たちを取りまとめたり、時間ができれば執務もした。共に参加しなければならない儀式や行事も多くあった。働きづめだったのはリーゼも同じだ。

「王妃の立場が軽いものでないことは、最初から分かっていたことです。大変だと思ったことはあっても、嫌だと思ったことはありませんよ」

「でも気軽に出かけることもできなかったし、やりたいことも本当はいっぱいあっただろ?」

 隣を見るとリーゼは海を見ていて、「あっ」と声を上げた。

「クラウス様の、引いてるんじゃありませんか?」

「え?」

 海面に視線を戻すと、確かに糸が動いていた。慌てて竿さおを引く。

「あっ、リーゼのも」

 俺のよりも大きく糸が動いている。リーゼは竿を持ち上げようと頑張っているけれど、大きいのか重そうだ。後ろに小さく合図すると、少し離れて控えていた護衛や漁師が急いでやってきた。彼らに手伝ってもらい、リーゼは大物を釣り上げた。

「初めてでこれを釣り上げるとはすごいです」

 漁師が驚いている。魚の種類には詳しくないが、珍しいらしい。リーゼも嬉しそうだ。

 ちなみに俺が釣り上げたのは、とても小さい魚だった。

 漁師おすすめの場所だけあって、その後も順調に俺たちは釣った。なぜか俺が釣るのは小さい魚ばかりで、リーゼはそこそこの大きさの魚を合計3匹釣った。

「どうやら魚もリーゼに釣られたいらしい」

 俺がボソッと呟くと、リーゼはふふっと笑った。

「この勝負はわたくしの勝ちですね」

「勝負だったのか?」

「そうですよ? 次に時間ができたら、わたくしがやりたいことに付き合っていただきましょう」

 そんなこと、勝っても負けてもいくらでも付き合うが。

「やりたいことは、これからやればいいのですよ。嫌ですか?」

「嫌なはずがないだろう。喜んで」


 リーゼが次にやりたいことに挙げたのは、パン作りだった。俺の得意分野である。二度目の俺はパン屋で働いた経験があるからだ。リーゼは菓子やパン、料理にもともと興味はあったらしい。小さい時には俺にクッキーを焼いてくれたりもした。だけど貴族の女性が厨房に入るのは歓迎されないから、諦めてきたという。

 住まいである離宮の厨房で料理人に教わりながら生地を捏ね、発酵させて、成形する。毎日パンを焼いていた頃とは身体が違うから感覚も違う。だけど勉強した作り方だけはちゃんと覚えていたらしい。やり始めるとつい夢中になってしまった。

「クラウス様は上手ですね」

 リーゼの声にハッとした。俺の前には綺麗に成形された生地が並んでいる。俺の不器用さを知っているリーゼには不自然に映ったかもしれない。しまったと思ったけれど、もう遅い。

「お、思ったよりも上手くいった。今日のために本をしっかり読んだ甲斐があったよ」

 ははっ、と笑ってごまかしてみる。

「リーゼも上手にできてる」

 お世辞ではない。リーゼはとても器用だ。記憶の中の俺は、少なくとも最初の頃はこんなに綺麗に形を作れなかった。

「クラウス様ほどではありませんけれど、初めてにしてはまあまあかしら。上手く焼けるといいのですけれど」

 パンがまから出されたパンは綺麗に焼けていた。もしパン屋のおじさんとおばさんがここにいたら、微笑みながら「まだまだだな」と言うだろうけれど、楽しむ分には十分な出来栄えだ。

「パン作りって簡単じゃないのですね。またチャレンジしますわ」

 その日の夕食で、俺はリーゼが焼いたパンを食べた。優しい味がした。


 それから俺たちはいろんなことをした。庶民を装って街を歩いたり、農作業を体験したりもした。周りには「陛下方を畑に入れるわけには……」と恐縮されたが、リーゼに感はないようだった。むしろ伝わってくるほどにわくわくしていた。初めて土まみれになり、顔に泥を付けながら笑っていたリーゼは最高に可愛かった。

 家畜を追い回すのは得意だと思っていたけれど、そういえばあの頃よりも俺はずっと歳を取っていて、役に立てなかった。ちなみに追い回したのは毛刈りのためだ。さすがに潰すところをリーゼに見せるつもりはなかった。

 視察の名目でいろいろなところにも行った。一応言っておくが、ちゃんと視察して結果を報告しているし、改善点があれば直している。ついでに自分たちと同年齢程度になったいわゆる「大御所」と呼ばれる貴族の重鎮じゅうちんたちをいさめたり取り持ったり宥めたりして経済効果を上げているので、文句はないはずである。

 そんな視察先には王都にはないよいこともある。俺たちの顔を知っている人が少ないので、庶民に混じれるのだ。王都の街だとバレてしまうことも多いが、街を歩いても不審がられない。

 街歩きをしながら、生活はどうか聞いて回った。概ね明るい顔でよくなったと答えてくれた。同時に今の王族の評判が爆上がりしていて、俺はいつもいたたまれない気持ちになった。

「前の国王陛下が素晴らしい方でね、ご覧のとおり、おかげ様でこの店もこんなに大きくなったんだ」

「今は孫娘が学校へ通ってるんだ。将来お城に勤めるんだなんて言っててさ、あたしらの頃じゃ考えられなかったよ」

「俺らでも行ける診療所ができて、うちのじいさんは命拾いしたんだ。三軒隣の子供も助かった。感謝しかないさ」

 政治は俺だけで動かしていたわけじゃない。皆が頑張ってきた成果を俺の功績のように語られるのは心苦しいが、俺の父の代までの王族のひどい評判を変えなければならなかったので、そう仕向けたところはある。俺が、じゃない。前宰相を始めとした当時の重臣たちがそうしたのだ。だから俺は素晴らしい王であったかのように思われている。それだけでも申し訳なく思うのに、どうにも身分が離れるほど噂が美化される傾向があるらしい。

「前の国王陛下は頭が素晴らしくよくて、臣下が一斉にしゃべっても聞き分けて、それぞれに指示を出せるんだってさ」

 もはや人間じゃないな。

「あら、あたしは未来が予言できるって聞いたよ」

 そんなわけないだろ、と言いたいが、あながち間違いでもない。やっぱり俺は人間じゃないのかもしれないと思えてきた。

「絶世の美男子なんでしょう? あたしも一度でいいからお目にかかってみたいわぁ」

 ……本人いるよ、目の前に!

 俺がこの場に適切だと思われる笑顔を貼り付けている隣で、リーゼが口を押さえて目を逸らし、肩を震わせている。まったく、ごとだと思って……とリーゼを軽く睨もうとした時。

「いや、すごいのは前王妃様の方らしいよ。実は実権を握っていたのは前王妃様だったとか。陛下も奥方には頭が上がらないんだって」

「そうなのかい? なんでも女神のような方だってのは聞いたけど」

「女神? あたしは魔法使いって聞いたよ。困ってる人がいたら魔法で助けてくれるんだと」

「前王妃様が畑に水を撒けば即座に芽が出て実がなるって聞いたけど、本当だったのかい」

 リーゼも人間じゃなくなってた!

 本当なわけないだろと心の中で突っ込みながら隣を見ると、リーゼは先ほどと変わらない姿勢のままちょっと顔を赤らめていた。

「美男美女でお似合いのご夫婦なんだろ? 遠くからでもいいから見てみたいねぇ」

「ほんとねぇ」

 俺たちはいたたまれなくなって逃げ出した。そしてお互いを見て笑い合った。


◆◇◆◇◆


 年月は流れ、いつからか、俺たちは遠出するのが厳しくなってきていた。馬車の移動だけでも疲れてしまう。歳を取ったなと自分でも思う。

 幸か不幸か、仕事はなくならなかった。王であった頃のように忙殺されることはないが、改善すべきことはいつだってある。俺とリーゼは近場でやりたいことをやりつつ、仕事を手伝って息子の治世を支えた。

 ある日俺が王宮で手伝いをしていると、リーゼの侍女が慌ててやってきた。リーゼが倒れたのだという。大急ぎで離宮に戻ると、リーゼは寝台に横たわっていた。

「リーゼ、大丈夫か?」

「あら、戻ってきてくれたのですね。お仕事中でしたのに、すみません」

 よいしょ、と起き上がろうとしたのを止めて、休ませる。

「ちょっとクラッとしただけですよ。皆、大げさなんだから。クラウス様こそ大丈夫ですか? 顔が真っ青ですよ」

 リーゼの顔色はよくないが、思ったよりは元気がありそうで安心する。

 駆けつけた医者に診てもらったところ、疲れが出たのでしょう、とのことだった。

 幸いにも、リーゼはすぐに回復した。だけどそれから少しして、今度は風邪を引いて寝込んだ。それも回復したけれど、だいぶ疲れやすくなっているようだった。

「わたくしももう歳ですから、仕方がありませんね」

 その頃からリーゼは体調を崩しがちになった。俺は王宮に通うのをやめた。離宮の中で書類の手伝いをして、王宮に行くのはそれを届けたり用事のある時だけになった。

「わたくしに気を使わなくていいのですよ」

「いや、俺ももう歳だから、体力的に厳しいんだよ。お互い若い頃のようにはいかないな」

 俺がいない間にリーゼに何かあったらと思うと怖かったから、というのが一番の理由ではあるけれど、俺自身も体力がなくなって、身体が弱くなってきている自覚はあった。

 離宮の中でもできることはいろいろあって、退屈することはなかった。簡単な仕事の他に、ゆっくり2人で本を読んだり、料理をしたり、花を植えてみたりした。時々友人や家族たちが訪れてお茶会をすることもあったし、リーゼの体調がよい時には短時間だけ街に出ることもあった。

 しばらくのんびりと穏やかな日々を過ごす間、リーゼは体調が悪くなったりよくなったりしながら少しずつ衰えていった。

「リーゼ、今日は天気がいいから庭に花を見に行かないか? 一緒に植えた花につぼみができていただろう。そろそろ咲く頃じゃないか」

 体調がよさそうに見えたその日、俺はリーゼを散歩に誘った。「いいですね」とリーゼは頷いて、俺たちは庭に出た。花は咲き始めていた。

「これからたくさん咲きそうだな」

「そうですね。しばらく楽しめそうです」

 リーゼが種類を選んで植えた花は小さいけれど色とりどりで、つぼみがたくさんできていた。大きく華やかではないが可愛らしい。リーゼらしいと思った。

「あら、こちらもつぼみが……あっ」

 隣の花壇を見ようと屈んでいた背を伸ばした時、リーゼは急によろめいた。

「リーゼ、どうした?」

 慌てて抱きとめる。顔が真っ青だ。

 すぐに侍女を呼んで部屋まで運び、医者を呼んだ。寝台に横になってもなかなか顔色が戻らないことに不安が募る。

 医者はリーゼを診察して薬を指示した。そして別室で俺と向かい合い、緩く首を横に振った。また「疲れが出たのでしょう」で終わると信じていた。信じたかった。でも医者はそうは言ってくれなかった。

 部屋に戻ると、リーゼは眠っていた。少し顔色がよくなったようだ。俺はリーゼの枕元に椅子を持ってきて座った。どうしたらいいか分からず、ただ座っていた。どのくらいそうしていただろう、リーゼが目を開けた。

「リーゼ……」

「わたくし、どうして……あぁ、運んでくださったのですね。すみません」

「体調はどうだ?」

「薬を飲んで休んだら、だいぶ楽になった気がします。もう歳ですから仕方がないのですよ」

 どう伝えたらいいだろうかと悩んだけれど、リーゼは全て分かっているようだった。

「何か食べられそうか?」

「少しなら大丈夫そうです」

「そうか、なら、持ってくる。今日はここで食べようか」

 この日から、寝室で食事をとるのが日課になった。


 一度回復したように見えたリーゼだったが、日に日に動けなくなった。

 そしてついにベッドから起き上がることも難しくなってしまった。

 俺は本を書いた。ベッドの横に腰掛けて、俺が書いた物語だと言って少しずつそのお話を語った。少しでも笑ってほしかった。

「あるところにバカな王子がいました。その王子にはよくできた素晴らしい婚約者がいたのに、気に入らないという理由だけで婚約を破棄しました」

「あら、破棄してしまったの」

「そう。学園の卒業パーティーの時にね。皆が見ている前で『お前との婚約を破棄する!』って宣言したんだ」

「それで、どうなりましたの?」

「塔に幽閉されて、最終的には身分剥奪のうえで鉱山に送られたよ」

「えっ、婚約を破棄しただけで?」

「それまで王子の仕事を全部その婚約者に押し付けていたんだ。それに婚約者の使用人を暴行するように命じたり、それ以前にも直接手は出さずとも側近に命じていろいろやらせていた。ひどい行いをたくさんしていたんだ」

 俺はバカな王子の奮闘記を語った。

 婚約を破棄してから婚約者がいかに有能だったか気が付いたこと、幽閉中のできごと、鉱山でのやりとり。

「それでその王子は……いや鉱夫は、落石事故で亡くなってしまいました」

「なんてことかしら。せっかく改心したのに」

「でもね、続きがあるんだ。なんと彼は別の人に生まれ変わりました。次の人生、気が付いた時は孤児でした。……疲れただろう? 続きは明日にしようか。少し休むといい」

「明日が楽しみになりましたわ」

 リーゼが寝たのを確認すると、俺はまた本の続きを書いた。

 少しでも離れたくなくて、リーゼの寝ているベッドの横で、彼女の寝顔を見ながら書いた。

「今日はバカな王子の二度目の人生の話を聞いてくれるか?」

「えぇ、もちろん。わたくし、それを楽しみに目を覚ましたのですよ」

「疲れたらすぐに言うんだよ。では……生まれ変わった彼だけど、王子だったという記憶はあまりなくて、鉱夫だった記憶が薄っすらあったんだ。彼は本が好きでした。教会の孤児院にいたにもかかわらずあまり信心深くなくて」

「教会の孤児なのに神様を信じなかったの?」

「そう、信じてなかったけど、でも教会だから聖書ならすぐに借りることができて、いつもそれを読んでいました」

 孤児院を出てパン屋で働いたこと、孤児は蔑まれていたけどそれなりに頑張っていたこと、貸本屋で借りた本の中で面白かったもの、最終的には公爵家の使用人になって大出世したこと。

 本にはもっと詳しく、経験したできごとを書いた。だけど話す時にはなるべく聞いていてつらいと思われるところは除き、リーゼに楽しんでもらえるように工夫した。

「彼は若い女の子にはあまり出会わなかったけれど、おばさんにはモテたんだ。なにせ愚痴を聞くのが素晴らしく上手だったからね」

「あら、ふふっ」

「花屋でも菓子屋でも、いつも口止め料だと言って余ったものをもらったんだ。だから誰に見せることもないのに、部屋にはいつも花が飾られていたよ」

 俺は絵が得意ではないけれど、さしも少し描いた。分かりやすいように、と思って描いているのに、どうやらかえって混乱させているようだ。

「これは一体なんの絵ですか?」

「城の庭だよ。リーゼとお茶会をしたところを思い出しながら描いてみたんだ。これは花」

「このようなお花、咲いていたかしら?」

 俺は真剣に描いているのに、リーゼは笑った。だから俺は挿絵を増やした。

 俺は毎日少しずつお話を読んだ。リーゼの顔色を見ながら、大丈夫そうな時だけ。

「彼はまた生まれ変わりました。三度目の人生は、また一度目の王子でした。いろいろな経験をしてきた彼は、今度こそ失敗しないように、よき王になることを決意しました」

「三度目があるのですね」

「そうなんだ。でもこれが最後だよ。……王子は一度目にひどい扱いをしたうえに婚約破棄をしたご令嬢に会うと、一目で恋に落ちてしまいました」