でも、あんなに俺がひどい仕打ちをしたリーゼだぞ?

 城の芝生を端から端まで転げまわりたい。


◆◇◆◇◆


 8歳になったある日。

 今日はリーゼとのお茶会だ。天気がよいので庭にしませんか、と侍女に言われ了承する。わくわくが止まらない。予定の時間よりもずいぶん早く庭に出た。本を持ってきているので、リーゼが来るまでゆっくり読んで待てばいい。

「早すぎませんか?」

 侍女がクスクスと笑う。遅いよりはいいはずだ。女の子を待たせるなんて、そんなことができるはずがないじゃないか。

「外で本を読むのも気持ちがいいだろう?」

「えぇ、そうですね」

 微笑ましい視線には気が付かないふりをして、俺は本を開いた。最近人気の「子供のための名作シリーズ」だ。その一つで特に女の子が好みそうな話だったので、もしかしたらリーゼも読んでいるんじゃないか、もし読んでいたら内容を語り合って、最後に主人公2人が手を取り合うシーンがあるので再現できちゃったりして……という打算があることは言わない。

 しばらく読んでいると足音が聞こえた。

「お待たせしてしまいましたか?」

「い、いや、今来たところだ」

 本当はそこそこ待っていたかもしれない。侍女よ笑うな。バレるだろう。

 俺が軽く睨んだからか、侍女たちがハッとした顔をして口を噤んだ。

「もしかして、子供のための名作シリーズですか?」

「そう、それ。リーゼも読んでいるの?」

「えぇ。特に今殿下が読んでいる本が好きです。もう3回は読みました。面白いですよね」

 キター! 当たりだ。これは本の内容を語り合って……。

「殿下、今日はお菓子を持ってきたのです。一緒に食べませんか?」

 ……あれ。

 リーゼは彼女の侍女から包みを受け取って開けた。中には一口大のクッキー。

「殿下がレーズンが好きだと聞いたので、取り寄せて入れてみました」

 リーゼが一つ取って食べて見せ、ニコッと笑った。思っていた展開と少し違うが、もちろん食べるに決まっている。差し出されたクッキーに手を伸ばすと、頭の中に同じ情景がパッと浮かんだ。これは確か一度目の時。

『形がガタガタじゃないか。そんなの食べれないよ』

 そう言って俺はリーゼが作ったというクッキーを突っぱねたのだった。

『いらないって言っただろ!』

 そう叫んで立ち上がった拍子に手が当たり、床に散らばったクッキー、悲しそうな顔のリーゼが脳裏に浮かぶ。

 いらないわけないだろ、俺よ!

 しかもせっかく作ったクッキーが床に!

 当然のようにその場を立ち去ったかつての俺を思い出して、視線の先にある花の鉢を頭で割りたい衝動に駆られた。いかん、それをやったらリーゼにドン引きされる。

「……リーゼ、すまない」

「好みではなかったですか?」

 リーゼはきょとんと俺を見る。

「違う、そうじゃない。なんでもない。なんでもないんだ」

「無理しなくていいのですよ」

 俺は引こうとしたリーゼの手から包みごと奪った。そして一つ取って口に入れた。ちょっとゴツゴツしたクッキーは料理人が作るよりも少し硬く、優しい味がした。

「美味しい。リーゼはすごいな」

 リーゼは嬉しそうに、はにかんだ。

 それから俺たちは「お茶会」の名の通りクッキーをつまみながらお茶を飲んで、話をした。いつものように、今こんな勉強をしているとか、どこへ行ったとか、そんなことだ。

「おととい、教会の孤児院に行ってきました」

 俺はリーゼに街に出たら教えてほしいと言ってあった。王子という身分の俺は、10歳までは親の同伴なしに外に出ることが許されていないのだ。

「どうだった? みんな元気?」

「えぇ、とっても。お勉強の時間なのにじっとしていられない子がいて、シスターが困っていました。だから一緒に席について、文字を教えました。わたくしが先生になったのですよ」

 その様子を思い出したのか、リーゼがクスッと顔をほころばせる。

「リーゼなら、いい先生になりそうだな」

「みんないい子で、ちゃんと聞いてくれました」

 ちょっとだけ得意そうな顔をする。実際にリーゼには2人の弟がいるから、子供と接するのは慣れているだろう。特にリーゼのすぐ下の弟はやんちゃで大変なことを、俺は知っている。

「それから小さい子と遊びました。可愛かったです」

 くぅ。そんなリーゼが一番可愛いよ。

「あ、そうそう。男の子から、大きくなったら結婚しよう、って言われました」

「は?」

 俺はほんわりとした会話から一瞬で目が覚めた。なんだって?

「そ、それで?」

「え? 特に何も。わたくしより小さい子でしたから、可愛いなって思っただけですけれど」

 いやいやいやいやいや! 全っ然可愛くないから!

 どこのどいつだ? 俺のリーゼと結婚だと? 許さん!

 俺は思わずリーゼの手を握った。本当はもうちょっと、こう、本の内容をなぞったりして自然に握るつもりだったけど、もうそんなことはどうでもいい。

「リーゼと結婚するのは僕だ! だから他の人と結婚なんて、絶対に駄目だ」

 必死に言い寄ると、リーゼはきょとんと首を傾げた。

「えぇ、分かってますよ。そうなるのではないですか?」

「そうだ、そうだぞ、そうなるんだ!」

 俺が前のめりになった時、わざとらしい「ゴホン」という咳払いが聞こえた。ハッと振り向くと、宰相がいた。思わぬ人の登場に、俺はそのままの体勢でカキンと固まる。

「こんにちは、殿下。リーゼと仲よくしていただいているようで、なによりです」

 さささささ宰相がキター!

 宰相は少しだけ口端を上げた。無理に親しげに見せようとしている感じが伝わって逆に怖い。

 会いたいと言っていたのは俺だ。ずっとリーゼを通して気持ちを伝えてもらっていた。記憶を得た俺は、なるべく早めに宰相と話をしたいと思っていたが、俺から会いに行くことができず、宰相を呼ぶことも難しかった。彼としても、宰相として王子を訪問するわけにもいかず、こうしてリーゼの父としてお茶会に顔を出してくれたのだろう。

 それは分かる。分かるが、まずい。何がって、この状況だ。なんでよりにもよって今なのだ。というか、いつから見ていたんだ?

 俺はぎゅっと握っていたリーゼの手を放し、座り直す。自然と背筋が伸びて一気に緊張が襲ってきた。そんな俺とは反対に、リーゼはパッと顔を明るくした。

「お父様。来てくれたのですね」

「あぁ。2人のお茶会のところ悪いが、少しだけご一緒してもいいですかな、殿下?」

「もももももちろんです!」

 さっと侍女が椅子を一つ追加すると、宰相はそれに腰掛けて軽く手を上げた。侍女は3人分のお茶を出して少し離れたところまで下がっていく。

 宰相がいるだけで空気が変わった。穏やかな陽気なのに、まるで冬になったかのようだ。

「さ、宰相、お会いできて嬉しいです」

「私もですよ、殿下。なかなかお話できずに残念に思っていたのです」

 俺は一方的に一度目と二度目の人生での宰相を知っているが、今世では挨拶くらいしかしたことがない。それ以外で直接話すのは初めてだ。

「リーゼとはどんな話をしていたのですか?」

「孤児院に行ったという話を聞いていました。僕も行きたいのですが、許可が出ないのです」

「そうでしょうね」

「だからわたくしがお話しているのですよ」

 リーゼにとって宰相はよい父なのだろう。緊張する様子もなく嬉しそうにしているところからもそれが分かるし、二度目の人生でこの父娘のやり取りを見ていたことからも、2人の関係がよいものであることは知っている。

 俺はお茶をゴクリと飲んだ。宰相がやってきて、一気に喉がカラカラになった気がした。

 二度の人生を経た俺は知っている。国王である父に睨まれても大きな問題はないが、宰相に睨まれたら文字通り死ぬ。失敗はできない。

「殿下はどうして私に会いたいと思ってくださったのでしょう?」

 宰相が俺に向けた顔は微笑んでいる。だけど目は笑っていない。俺を見極めようとする目だ。ひるみそうになる心を落ち着けて、俺は顔を上げた。

「僕はいずれ王になります。よき王となるために、宰相にいろいろと教えてほしいのです」

 宰相の眼光が鋭くなった。大柄ではないのに、その場にいるだけで迫力がある。難しい政治をこなし、数々の難局を抜けてきた人の持つ迫力に吞まれそうになる。

 正直に言って怖い。だけどここで負けるわけにはいかない。

「私は王ではありません。それは陛下に聞くのがいいのではないでしょうか」

 優しそうな顔だが、試されていると感じた。俺は机の下でぐっと拳を握る。

「宰相は、僕が父のような王になることを望みますか?」

 あまり政治に関与せず、宰相のかいらいになるような王に。

 宰相はそれを望んでいるようには思えなかった。もし宰相が野心に溢れた人だったら、傀儡の王を操るのではなく、自らが王になるだろう。宰相にはそれができるだけの力があるし、その場合は既に王家は終わっている。父は玉座から下ろされ、俺は王子という身分どころかその存在があるかどうかも怪しい。

 かつての俺が見た宰相が築こうとしていたのは、国民が豊かに暮らせる国だった。今世の宰相が今までと同じとは限らない。だけど彼の目指す方向と真っ向から反発しない限り、俺は宰相にとっても必要とされる王になれるはずだ。

 しばらく宰相は俺の様子を観察するように見ていた。それからフッと笑った。

「なるほど。そういうことであれば、なるべく協力いたしましょう」

 どうやら第一関門は通過できたらしい。

「では、まず今知りたいことはなんですか?」

 俺は少し迷った。知りたいことはたくさんあった。だけどなにせまだ8歳である。一気に聞いては不審がられてしまう。

 繰り返すが、宰相に睨まれたら死ぬ。本気で。

「街には食事をとることもできない人がいると聞きました。彼らに食べ物を届けるにはどうしたらいいでしょうか」

 宰相はピクリと片眉を上げ、「食べ物ですか」と呟くように言った。

「はい。食べられないのは大変でしょう? だから食べ物をあげたいけれど、僕は街へ行くことができません」

 簡単な問題ではないことは分かっている。たとえ今すぐに食べ物を届けられても、それは一時しのぎにしかならない。だけどそれで繋げられる命があることも俺は知っている。

 宰相は静かに俺を観察してから、貼り付けていた柔らかい表情を取り去った。そして俺の気持ちを察したかのように、ゆっくり丁寧に語った。

「殿下、焦らないことです。何を成すにも時機を逃してはいけません。それを見誤れば、成せることもできなくなります。殿下が今すべきことは、時機がめぐってきた時に確実に捕まえられるように、備えることです」

「……ですが、宰相」

 今死にそうな人がいるんです、その言葉を抑えて宰相を見ると、彼は少しだけ目尻を上げた。

「殿下、人を頼ることも時には大切ですが、まずは自分だったらどうするかを考えるべきです。今の自分にできる以上のことを成そうとすると、必ずどこかで失敗しますよ」

 背筋がゾワッと泡立った。この質問をしたのは、俺は今は動くことができないからとりあえず助けてくれ、という下心もあった。宰相ならば街に食料を送ることはできるだろう。それを完全に見透かされていた。

「まずはそれを課題にしましょう。殿下だったらどのようにしますか? 正解でなくてもいいのです。考えてみてください。リーゼと相談してもいいですよ」

 リーゼと顔を見合わせた。巻き込んでしまったと思ったけれど、リーゼは嫌そうな顔はしていない。むしろ少し楽しそうだ。