「お前が来る前に死んだよ。もう高齢で身体の具合も万全じゃなかったんだ。そんな状態でも俺たちは休めねぇ。無理に鉱山に入って倒れっちまった」
その人は親方が親方になる前にここを取り仕切っていた人で、皆から尊敬され、一目置かれている人物だったという。
「実は俺も出身は貴族なんだ」
「えっ、そうなんですか?」
「信じられねぇだろ?」
貴族らしくねぇよな、と親方は笑った。今の俺が王子の容貌でないように、ここに来た時に既に親方は親方の姿だった。だから疑ったことはなかった。
「貴族と言ってもお前みたいな身分じゃない。貧乏な子爵家だった。学園でも蔑まれるような地位だった」
「学園に通っていたんですね」
「1年だけな。2学年の初めに父が悪事に手を染めて家は取り潰し。父と共にここに来た」
貧乏だった子爵家を立て直すために、
「俺は爵位を継ぎたいとは思っていなかったし、学園でも居場所がなかったから思ったよりは冷静でいられた。だが父は違って、ここに来てすぐに病んでしまった」
ここでは病んだ者は生きていけない。どうなったのかは聞かなくても分かる。
「俺は体はなんとか大丈夫だったが、いきなりやってきた元貴族に鉱夫たちがどうするかはよく分かってるだろ?」
親方は俺を見てニヤリと笑う。俺は特に「王子だ」なんて言ったから、ボコボコにされた。
「俺の親方は鉱山生まれの
「そうだったんですか」
「お前を助けようと思ったわけじゃない。だけど、俺の親方だったら面倒を見るだろうなと、そう思っただけだよ」
親方はつまみに手を伸ばした。わずかな灯りは、より親方の手を黒く見せた。爪も黒ずんでいる。鉱夫の手だ。
「あとはな、俺にも貴族だった矜持ってのが当時は少しはあった。仕事もできないくせに無意識に皆を下に見てた。今思えば生意気なガキだったと思うよ」
お前ほどじゃないがな、と言って親方はまたニヤリと俺を見た。
「お前が偉ぶってるのが昔の自分を見てるみたいで、放っておけなかったんだろうなぁ」
「親方にもそんな時があったんですか」
親方は少し目を逸らして酒に口をつけた。実際俺ほどひどいはずはないと思う。だけどちょっぴり親近感が湧いて、俺はフッと笑って親方のカップに勝手に乾杯した。飲みながら互いのカップを軽く合わせるのは、ここではよくやることだ。仲間だと認めた証拠でもある。
「お前、本当にいいとこの坊ちゃんだなぁ。王子様だもんな。当然だよな」
「なんの話ですか?」
「その口調だよ。仕事中は周りに合わせてても、俺と2人だとずいぶん綺麗な言葉遣いじゃねぇか。それから酒を飲む所作だな。ここに来て長いってのに、品ってやつが出てんだよ」
気が付いていなかった。確かに仕事中は周りに合わせるようにしていた。鉱夫たちは言葉が荒い。なるべく同じような口調をするように最初は気を使い、今はそれがもう
「気を付けます」
「気を付けなくていいよ。お前がいいとこの坊ちゃんだったことくらい、皆知ってる」
「……え?」
「さすがに本当に王子様だったとまでは思ってないとは思うが、平民か貴族かくらいは見れば分かるもんだ」
親方は理由を挙げた。ここに初めて来た時、肌が白くて傷一つなかったこと。言葉遣い、所作。それだけで十分に分かるそうだ。俺が皆からボコボコにされて復帰したあと、皆は知りながら受け入れてくれていたのだということを今知った。
「親方が取りなしてくれていたんですね」
「俺は一度だけチャンスをやってくれと言っただけだ。もしお前がそこでまた『俺は王子だぞ』とか言い出したりちゃんと働かなかったら、すぐに見限られていたさ」
どうやら相当危ないところだったらしい。俺は力で鉱夫に敵わなかったし、仲間外れにされれば文字通り生きていけなかった。
「でもどうして俺を受け入れてくれたんでしょうか。皆にとって貴族は憎い存在でしょう?」
「そりゃ簡単なことだ。お前は貴族だった自分を捨てて、鉱夫になることを選んだから」
捨てたつもりも選んだつもりもなかった。ただ生きるために必死だったというだけだ。
「ここに送られてきた元貴族ってのは、皆ここの境遇を嘆くもんだ。もうお終いだとか未来がないだとか言ったり、まるで地獄に来たかのような嘆きっぷりでさ」
こちらの村側から見れば、勝手に送りこまれた貴族が勝手に絶望して死んでいく。村側の気持ちが分かる今となっては、それは迷惑以外の何ものでもないと想像できる。
「ここの奴らはここで生まれ育って仕事して毎日生きている。その境遇をありえないと嘆いて否定されて、面白いはずがないだろ。こっちは必死に生きてるってのに。でもお前は違った」
「違いましたか? 俺は王子だって叫びましたよ?」
自嘲気味に笑う。それを聞いた皆がどんな気持ちだったのか、今ならよく分かる。
「それで戻ってからだよ。お前は必死に周りに馴染もうとした。ここでの仕事や生活を受け入れて、ここに溶け込もうとしていた」
他の元貴族たちは絶望して病むか、いつかは戻れる、この境遇から抜け出せるという希望を持つか、どちらかが多かったという。どちらにしても自分はここの者ではないのだという意識が強かったようだ。
口に出したわけではなくても、そういった気持ちは周りに伝わるのだと親方は言う。
「お前は身分を越えて自分からここの一員になろうとした。よそ者じゃなくて、ちゃんとここで生きていこうとしたんだ。それが分かったから、皆も受け入れた。お前の努力の
「買いかぶりですよ。俺はまだ死にたくなくて必死だっただけです。仲間に入れてもらうか死ぬか、どちらかしかなかったから前者を選んだだけですよ」
「そうだとしても、だ。いいとこのお坊ちゃんに簡単にできることじゃないさ。お前は頑張ったよ」
思わず目の奥がツンとして、慌てて酒を流し込んだ。
親方は俺を認めてくれた。ここの仲間たちもだ。
少しだけ、昔を思い出した。
『素晴らしいです、殿下』
『殿下、頑張りましたね』
『さすが殿下です』
俺はいつだって褒められていた。だけどそれは
本当に認めてもらえることは、こんなにも心に
「なぁクラウス。俺たちは希望を持っちゃいけない。ここに送られてきて貴族社会に戻っていった奴は一人もいない。俺はここで死ぬし、お前もここで死ぬ」
「分かっていますよ。いきなりどうしたんですか。俺、逃げ出したりしませんよ?」
俺は笑ってつまみに手を伸ばした。
戻れるなんて、これっぽっちも思っていない。ここの生活はつらい。逃げ出したくなることがないとは言わない。だけどここを知ってしまったらあの
「だけどなぁ。もしお前が貴族に返り咲く奇跡があったら、ここの皆を忘れないでくれよ」
「そんなこと、あるわけないじゃないですか」
「分からねぇだろ。戻れなくても、お偉いさんと話す機会くらいならあるかもしんねぇ」
どうやら親方は少し酔ってきているらしい。希望を持っちゃいけない、と自分で言ったばかりなのを忘れたのだろうか。
「ここの奴らは皆、頑張ってんだ。俺は皆に笑っててほしいんだ。だから頼むよ」
「親方が貴族社会に戻るかもしれないじゃないですか。その時はこちらこそ頼みますよ」
話を合わせて笑うと、親方は座った目で俺を見てきた。やっぱり酔いが回っているようだ。
「あのなぁ、俺はもう戻る家がねぇんだよ。潰れてるの。親族もいないの。だから絶対ない」
「それなら俺もですよ」
数年前、王家も滅びたのだ。父と母はもういない。親族と呼べる人たちがどうなったのかは知らないが、想像はつく。追放された俺だけが生き残っているとは、なんとも皮肉なものだ。
俺が「同じですね」と親方に言うと、彼は急に酔いが覚めた顔で俺を見て焦った。
「いや、すまねぇ、そうだった。だって王家がなくなるなんて、なぁ。そうだよな、お前の家だったんだよな、いや、すまねぇ」
本当にすっぽり抜けていたらしい。俺はなぜか焦っている親方が面白くて笑った。
父と母がいない寂しさを感じることはなかった。
親方が死んだのは、それから3年ほど経った雨の日だった。事故だった。
鉱山は常に危険と隣り合わせだ。俺が鉱山に来てから、もう何人も死んでいる。
親が死んだと聞かされた時よりも、俺は泣いた。号泣した。涙が止まらなかった。鉱夫の仲間たちも皆泣いていた。それだけ
「すまねぇ、親方。もっと立派な墓にしたいんだが、俺たちにはこれが精一杯だ」
仲間の一人が親方を埋めた墓の前でそう言った。
俺たちは墓に摘んできた花を供え、安い酒とつまみを置いた。
「親方、天国に行ってまでこの酒かよ、って言ってるかね?」
「バカ、親方は酒なら文句言わねぇよ」
「でも、いい酒飲ませたかったなぁ。いつかはって思ってたんだけどなぁ」
「おいおい、お前ら、親方の思い出は酒しかないのか?」
泣きながら墓の前で皆で乾杯し合い、一杯飲んだ。
親方がガハハと笑った気がした。
◆◇◆◇◆
気が付けば、鉱山に送られてから20年が経とうとしていた。
長い間不在だった王の座に宰相がついたと風の噂で聞いたのは、いつのことだっただろう。ここには情報がなかなか入ってこない。入ってきたものが事実か噂なのかも微妙なところだ。
宰相が王の座についたことに驚きはなかった。そもそも宰相が父を討ったのだ。すぐに即位しなかったことの方が不思議に思えた。
最近になって税率が軽減され、ほんの少しずつ村の暮らしはよくなっていった。外から物資も入りやすくなったし、こちらからも売りやすくなった。仕事自体は変わらないし、苦しいことには違いない。だけど何より村人の顔が明るくなった。少しでも未来に希望が見えるようになってきたからだ。
リーゼはどうしているだろうか。
ふとかつての婚約者を思い出す。思い返してみれば、彼女は常によい成績を保ち、いつも努力していた。俺が厄介に思っていた苦言が至極まっとうなものだったと気が付いたのは、いつのことだろう。
見た目が好みじゃないとか、俺を褒めないとか、そんな自分勝手な理由で婚約破棄をしたのは俺だ。俺が遊んでいる間に俺の仕事をこなし、学園に通いながら妃教育を受けていたら、着飾る時間などなかったはずだと今なら分かる。褒められないことを不満に思っていながら彼女を褒めたことは一度もなかった。婚約破棄を突きつけて清々した気分でいたが、本当に清々していたのは彼女の方だったのだろう。
彼女がどうしているか気になりはしたが、今となってはもはや情報も手に入れられない。
申し訳なかったと思う。
ただ、幸せであってくれたらいいと、自分勝手にもそんなことを思う。
村の中で婚礼があった。村人同士の結婚だ。ささやかながら祝いの宴会が開かれた。皆が笑顔で祝っていたし、新郎新婦は幸せそうに笑っていた。
リーゼの笑った顔を、俺は見たことがあっただろうか。いつも困った顔をしていた。もしあの時、仕事を手伝ってくれたリーゼに「ありがとう」と言ったら、彼女は笑っただろうか。もし疲れた彼女を気遣うことができていたら、贈り物をしたら、何か変わっていただろうか。
泣いた顔ならば、一度だけ見たことがある。彼女の使用人が俺に文句をつけてきたので、護衛に大人しくさせろと命じた。その傷がもとで、彼は死んだのだという。それ以来リーゼは苦言をあまり言わなくなった。静かになったと当時の俺は喜んだ。今思えばひどい話だ。
リーゼが笑ったら、どんな顔だったんだろう。
ブサイクだなんて言ったことが悔やまれる。そんな顔をさせていたのは俺だったのだ。きっと笑っていたら可愛らしかったはずだ。彼女は素敵な人だった。
悔やまれると言えば全てがそうだ。どうして俺は彼女にあんなにひどいことばかりできたのだろう。
目の前で幸せそうに笑う新郎と新婦に、俺とリーゼを重ねた。もし俺がリーゼのことを大切にすることができていたなら、こうやって笑い合う日は来ていたのだろうか。
考えても仕方のないことだ。
今の俺にできることは、ただ無責任に彼女の幸せを祈ることだけだ。
村人たちから「あんたも結婚すれば?」と勧められたけれど、そんな気にはなれなかった。結局この歳まで独り身だ。これから結婚することもない。
それから数カ月後、俺は鉱山の落石事故に巻き込まれたらしい。最期に頭に浮かんだのは、数々の後悔。それから城での華やかな生活ではなく、村人たちと安い酒を飲み交わして笑ったことだった。