聖女にできるたった一つのこと:con Sia los Riares

シア・ロス・リアレス。

そんな名前を手に入れてからの私は……とても幸せだった。

前回の人生で、私が不幸にしてしまったクレア様。

わたしもクレア様と同じ家のリアレス公爵家の養子になった。だから、クレア様のそばにずっといることができる。

しかも妹として!

こんなに素敵なことはなかった。

育ててくれた両親のもとを離れるのは寂しかった。けれど、前回の人生での両親が流行り病で亡くなるという出来事を回避するための手立ては用意した。

後はクレア様を破滅の未来から救うだけ。

そうすれば、今回の人生では、私はクレア様と……ずっと親友のままでいることができる。

妹なんだから、もっと仲良くなれるかもしれない。

実際、公爵家のお屋敷で、私はクレア様と一緒にいることができて、とても楽しかった。

ただひとつ、クレア様が、フィル様とすごく仲良しになっていたのは、予想外だった。

前回の人生では、仲の悪かった二人なのに、どうしてしまったのかと思うぐらい、フィル様はクレア様にべったりで、クレア様もフィル様を甘やかしていた。

わたしはその甘々な関係が羨ましかったけれど、きっとわたしの方がクレア様のことを大事に思っている。

……弟より妹の方が優れているって証明してみせるんだから!

フィル様は、前回の人生で、クレア様を処刑した張本人だ。今度は前回みたいな悲劇は決して起こさない!

王宮でのクレア様監禁事件には焦ったけど、おかげで、王太子アルフォンソ殿下も、今回はちゃんとクレア様に好意を持つようになったみたいだし。

前回の人生では、話でしか知らなかったメイドのアリスさんも、とても可愛くて優しかった。

王立学園に入学しても、そんなふうに、私とクレア様、そしてフィル様たちの穏やかな時間は続いていた。

ずっと……こんな時間が続くと思っていた。今日までは。

私は薄暗い部屋の中で目を覚ます。

どこかの……廃墟……あるいは物置、かな。

じめっとした感触が不快で、あたりはすえた臭いがする。

手を動かそうとして、私は縄で拘束されていることに気づいた。

誘拐……されたということみたいだ。

昨日は……バレンシアの別荘で、フィル様と弟妹対決をして……。

その後の記憶がうまく思い出せないけど、どこかのタイミングで一人になり、そのときに拉致されたんだ。

弟妹対決は……楽しかったな、と思う。クレア様のどぎまぎとした表情も、フィル様の焦り顔も、アリスさんの楽しそうな表情も、少し遠く感じられる。

誰が私を監禁したんだろう?

その答はすぐにわかった。

「こんなところに、お連れして申し訳ありません、シアお嬢様」

声の方を向く。壁の隙間からのわずかな光しかないから、顔はうっすらとしか見えない。

それでも、相手の顔ぐらいは見て取れた。

「あなたは……」

バリエンテ子爵家の子息コンラドさん、という名前の少年のはずだ。私たちより一つ下の一年生で、そして、第二王子サグレス殿下の側近だったと思う。

私は戸惑った。

誘拐犯が、同じ王立学園の生徒とは思わなかった。

目的はなんだろう? 身代金、とか? 私も一応公爵家の養女になったわけだし……。

それとも……。

「私はあなたを監禁するつもりはないのです。ただ、少しお話をさせていただきたいと思ったのですよ」

「話?」

この人が私にいったいどんな用事があるというんだろう?

コンラドさんは、印象の残らない、茶色の瞳をわずかに輝かせた。

「まずは、そうですね。やり直し、という現象についてです」

わたしは息を呑んだ。

やり直し。

私は、前回の人生で、クレア様を傷つけてしまった。クレア様が処刑されたのを見て、私は絶望した。

そして、私は……聖女の力を使って、人生をやり直し、十二歳に戻った。

でも、それを知っているのは、私だけのはずだ。

コンラドさんは微笑んだ。

「夜の魔女クレアと暁の聖女シア。あなたたち二人は親友だった。けれど、その関係は破綻した」

「どうして……それを……知っているんですか?」

「それにはお答えしかねます。ただ、私が教えられることは一つありますよ。あなた方お二人は互いを大事に思っていたはずです。それなのに、なぜ、破滅の未来を迎えたのか?」

「……それは……」

私が無神経で、クレア様を傷つけてしまった。私がクレア様からすべてを奪ってしまった。

今回は、そうならないようにすればいい。

そう私は思っていた。けれど……。

「魔女と聖女は相容れない存在なのです。どちらか片方が生きていれば、もう片方は死すべき定めにある」

「それは……」

「それも預言に書かれていることなのですよ」

とコンラドさんは言った。

私は呆然とする。

つまり。それって。私とクレア様が一緒にいることはできないということで。

私が生きているかぎり、またクレア様が死んでしまうということなんだ。

コンラドさんの瞳を私は睨む。

「それが本当だと、どうして言えるんですか?」

「私が前回の人生のことを知っているというだけで十分では? それに、どうしてクレア・ロス・リアレスが不幸になったかを考えれば、明らかだと思いますが。あなたがいなければ、クレアという少女は何も失わずに済んだ」

私は絶句した。

そう。たしかに、私がいたことで、クレア様はすべてを失った。王太子殿下の愛も、未来の王妃という立場も、学園での華やかな地位も。

人から羨まれ、尊敬される要素を……すべて、私が奪ってしまった。

今回も、そうならないとどうして言えるだろう?

コンラドさんは優しく微笑んだ。

その虚ろな瞳を、私は吸い込まれるように見てしまった。

そういえば……乙女ゲーム『夜の欠片』の攻略対象は、アルフォンソ、フィル、サグレスたちと並んで……コンラドという名前のキャラクターもいたような……。

急に頭が鋭く痛む。

何か……変だ。

「あなたが、あのクレアという令嬢を真に思い、大切だと言うのなら、あなたが彼女にできる最大のことはたった一つ。死ぬことです」

「そんな……! 私がいないと……クレア様は……」

言いかけて、私の言葉は止まる。

あれ?

私はクレア様のことが大事だ。

でも、クレア様は……? 私がいなくても……きっと平気だ。

フィル様を大事にするクレア様のことを思い出し、私は胸が痛くなる。

クレア様の瞳には、いつも私は映っていなくて。

きっとクレア様は……私のことを必要としていない。

それなら、私がいなくなれば……クレア様は幸せになれるのかもしれない。

コンラドさんが私にささやく。

「クレアの前であなたが自殺する。そうすれば、あなたの記憶は、永遠にクレアの中に残る」

「私が……永遠にクレア様の中に……」

そして、私はその言葉に魅入られ……そして、頭の中でカチっと音が鳴る。

不思議な感覚だ。まるで……魔法にでもかけられたような……。

コンラドさんは、さらに言葉を重ねる。

「それともう一つ。あのクレアという娘も、やり直していますよ」

「……え?」

「前回の人生の記憶があるということです」

……衝撃だった。それってつまり、私のせいでクレア様が破滅したことを、すべて覚えているということで……。それなら、当然、私は今でもクレア様に憎まれているということで……。

混乱のなか、私の意識は……暗転した。

次に気づいたとき、私はバレンシアの街の時計台の最上階に立っていた。

バレンシアの街を見合わせる場所のはずだけれど、激しい雨のせいで、外の風景を眺めることはできなかった。

そして、そこにはクレア様がいた。寄り添うように、フィル様もいる。

胸が……とても痛い。やっぱり、フィル様がいれば、わたしなんてきっといらないんだ。

わたしは何かにとりつかれたように、クレア様のそばへと、ふらふらと歩み出た。クレア様は美しい茶色の目を大きく見開いた。

「シア! どこ行っていたの!?

「突然いなくなってしまってごめんなさい」

「ともかく、シアが無事でいてくれてよかった」

そう言って、クレア様はほっとため息をついた。……心配、してくれていたのかな。

ううん……そんなわけない。だって、クレア様には、前回の人生の記憶がある。それなら、私を憎んでいて当然だ。

「本当に……そう思ってくれていますか?」

「え?」

「本当は、クレア様はわたしのことなんて、どうでもいいんじゃないですか?」。

「そんなこと……ない!」

クレア様はきっぱりと否定してくれたけれど……でも、そんなの、信じることはできなかった。私のせいでクレア様は破滅した。私がいなくても、クレア様にはフィル様がいる。だから、私のことなんて、いらないはずだ。

「クレア様の嘘つき」

「嘘なんかじゃない。シアは……わたしの妹で、友人で、仲間だもの」

それでも、クレア様は言葉を重ねてくれた。私のことを妹だと、友人だと、仲間だと言ってくれた。そんな資格、私にはないのに。

「……私がいると、クレア様を不幸にしてしまうんです」

「どうして?」

「夜の魔女と、暁の聖女は、相反する存在だから。互いが互いを傷つける運命にあるから……。嘘つきは私なんです。私は……これがシアとしての二度目の人生なんです」

「ど、どういうこと?」

「前回の人生でも、私はクレア様と出会いました。学園の同級生として、ただの平民として。そんな私にクレア様はとっても優しくしてくれて、居場所を与えてくれて……嬉しかったんです」

「シア……まさか……前回の人生のことを……覚えているの?」

ああ……コンラドさんが言ったことは本当だったんだ。クレア様はすべて覚えている。私のせいで、すべてを奪われ、死んでしまったという過去を、知っているんだ。それなら、もう、私は絶対にクレア様のそばにはいられない。

「……私のせいで、クレア様は不幸になってしまいました。だから……十二歳に戻って、やり直したとき、今度はクレア様を幸せにしようって思っていたんです。私がクレア様を救うんだって、決めていたんです! でも……」

そこまで言ってから、私はフィル様を見る。フィル様は、そのとても可愛らしい顔に真剣な表情を浮かべていた。

「クレア様には、フィル様がいて、私なんかいなくても幸せそうで……。むしろ私がいることで、前回の人生みたいに、クレア様を不幸にしちゃうんじゃないかって気づいたんです」

「そんなこと……」

ない、とクレア様は言ってくれなかった。

私は無理に微笑んでみせる。

「私は……ある人に教えてもらったんです。クレア様も『やり直し』をしていることを。クレア様も前回の人生の記憶があることを。そうですよね?」

「……た、たしかにそうだけど……そんなことをいったい誰が……?」

「誰だっていいじゃないですか。前回の人生の記憶があるなら、クレア様は、きっと私のことを憎んでいる。この世からいなくなればいいと思っている。クレア様は……私のことを……死んじゃえって思っているんです」

「だから、私は、ここで、クレア様の目の前で死ぬんです。そうすれば、クレア様がもう不幸になることもありませんから。代わりに私のことは、永遠にクレア様を救った存在として記憶に残ることになるんです」

クレア様は……憔悴した表情で、何も言わなかった。

そう。クレア様は、私の言っていることが、正しいとわかっているんだ。暁の聖女である私は、夜の魔女であるクレア様にとっての最大の脅威だ。

ここで、私が死ぬこと。それだけが、クレア様のために、私にできることだ。

「そんなの間違っているよ」

フィル様がつぶやいた。

驚いて、私はフィル様を見る。フィル様の黒い綺麗な瞳は……激しい怒りの色があった。

そんなふうに怒るフィル様を見るのは……初めてで……。前回の人生だって、フィル様のこんな表情を見たことはない。

「シアさんは……勝手だよ。シアさんが死んで、お姉ちゃんが悲しまないわけないよ」

「フィル様は何も知らないから……そう言えるんです」

私の言葉に、フィル様は首を横に振った。

「やり直しっていうのが、何のことかぼくにはわからない。でもね、シアさんが死んだほうがいいなんて、そんなこと……クレアお姉ちゃんが思うわけがない! 妹が死んで、悲しまないお姉ちゃんなんて、いないよ」

……そうなんだろうか? 私が死んだら、クレア様は悲しむの?

本当に?

クレア様は、私のことを、友人で、仲間で、妹だと言ってくれた。フィル様は、妹が死んで悲しまない姉はいないと言った。

クレア様の言葉が、フィル様の言葉が、私に迷いを生じさせる。頭の中に靄がかかったように、私は混乱した。ダメだ……。私は、ここでいなくなるって決めたのに。それでも、クレア様たちのそばにいたいと願ってしまう。

私は、自分に言い聞かせるように、口を動かした。

「私は……もう決めたんです! ここで私は退場するんだって、だから……」

時計台の下に待っているのは、死だ。そして、クレア様にとっての救い。私はそこから飛び降りようとして……。

次の瞬間、私はクレア様に抱きしめられていた。温かく柔らかい腕に、ぎゅっとされて…。

「く、クレア様……」

「ここで死ぬなんて、わたしが許さない」

クレア様は、茶色の綺麗な瞳に、燃えるような強い意志の光が輝く。私は自分の決意が揺らぐのを感じた。

「で、でも、私のせいで……クレア様が……」

「わたしが破滅したのは、シアのせいじゃない。わたしが……愚かで傲慢だったから。それだけ」

「そんなことないです。私は……クレア様を傷つけてしまって……謝りたくて……」

「謝らないといけないのは、わたしの方だもの。ずっと、ずっと言いたかったの。裏切ってごめんなさい。シアは……わたしの親友だったのに」

親友……? クレア様は、私のことを、そう呼んでくれたの? 信じられず、私は問い返した。

「今でも……クレア様はわたしのことを親友だと思ってくれるんですか?」

「もちろん。シアはわたしの親友。今回は妹でもあるけれどね。……シアが死ぬぐらいだったら、わたしは破滅したっていい! でもね、きっとわたしもシアも、一緒に生きていく道があると思うの」

「……信じていいんですか?」

「わたしはシアのお姉ちゃんだもの。二人で、やり直した人生の道を探しましょう」

クレア様の優しい言葉が、私の胸に、すっと染み込んでいく。そして、頭にかかった靄が晴れる。

どうして……私は死のうなんて、思っていたんだろう? こんなにクレア様は優しくて、そして、私のことも必要としてくれているのに。

クレア様に抱きしめられながら、私は思う。

私は暁の聖女で、クレア様は夜の魔女だ。でも、それ以前に、私たちは親友で、そして姉妹なのだった。破滅の運命はいずれやってくるかもしれない。

でも、逃げずに立ち向かってみよう。

だって、私には、クレア様が……クレアお姉ちゃんがいるのだから。