Ⅱ 真実を知るとき
その次の日も、さらに次の日もシアは戻ってこなかった。
わたしは……不安でいっぱいになった。
捜索は行われているけれど、わたしは何もできない。
……わたしは、無力だ。
どうして、シアはいなくなったんだろう?
考えてみると、前回の人生も、今回の人生も、わたしはあまりにもシアのことを知らなさすぎた。
前回の人生では友人として、今回の人生では妹として、わたしを慕ってくれているのに。
わたしは……シアに何もしてあげられていない。
今、わたしはバレンシアの街の時計台のてっぺんにいた。
大きな金色の時鐘が屋根にあり、柵の向こうにはバレンシアの街を一望できる。眺めの良い場所だ。
思い詰めるわたしを心配して、フィルが連れてきてくれたのだ。もちろん、シアが行方不明ということもあって、護衛の人も一緒だけれど、彼らは時計台の入り口で控えている。
真っ青な空に、白い雲が少しだけ浮いている。正午の太陽は、きれいに輝いていた。
さわやかな風が吹く。
こんなに夏らしい、良い日なのに。
わたしはため息をついた。
フィルは心配そうに、わたしを見上げる。
「お姉ちゃん……あまり自分を責めないで」
「うん。……でも、もしかして、シアがわたしのせいで、家出をしたりしたんじゃないかって心配に思うの……」
「そんなこと絶対にないと思うよ」
とフィルは力強く言う。びっくりして、わたしはフィルを見つめる。
フィルは恥ずかしそうに目を伏せて、小声で言う。
「だって、シアさん。あんなにお姉ちゃんと出かけるのを楽しみにしていたんだから」
「ありがとう、フィル」
わたしは微笑み、考えた。
でも、家出じゃないとすると、もっと悪い可能性。犯罪に巻き込まれた、というのを想像してしまう。
ともかく、無事だといいのだけれど……。
わたしは、腕の赤い模様を見る。
一瞬でも、シアがいなくなれば、と考えてしまった自分が恥ずかしい。
きっとシアが戻ってきたときに、この模様も消えるはず。
そのとき、急に、空に黒い雲が垂れ込める。
さわやかな夏の空は消え、どんよりとした重い空気があたりに立ち込める。
すぐに、激しい雨が降り始めた。
「夕立……だね」
「うん」
まるで、わたしの暗い気持ちを映しているかのような、空模様だった。
ともかく、早く建物の中に戻らないと。
フィルが夏風邪を引いたりしたら、大変だし。
そして、わたしは建物に戻ろうとして、思わず目を疑った。
目の前に、シアがいたからだ。
シアは普段どおりの純白の衣装に身をつつんでいる。
けれど、様子がどこかおかしくて……。
「シア! どこ行っていたの!?」
わたしは思わず、シアに駆け寄った。
シアはぺこりと頭を下げる。
「突然いなくなってしまってごめんなさい」
「ともかく、シアが無事でいてくれてよかった」
「本当に……そう思ってくれていますか?」
「え?」
シアは真紅の瞳を
「本当は、クレア様はわたしのことなんて、どうでもいいんじゃないですか?」
「そんなこと……ない!」
わたしは強く否定したけれど、シアは薄く笑った。
「クレア様の嘘つき」
「嘘なんかじゃない。シアは……わたしの妹で、友人で、仲間だもの」
シアの瞳がかすかに揺れる。けれど、シアは首を横に振った。
「……私がいると、クレア様を不幸にしてしまうんです」
「どうして?」
「夜の魔女と、暁の聖女は、相反する存在だから。互いが互いを傷つける運命にあるから」
暁の聖女、という言葉に、わたしは驚く。今回の人生では、シアはまだ聖女に選ばれていない。
暁の聖女という言葉を知る機会だって、なかったはずだ。
シアは寂しそうに微笑んだ。
「嘘つきは私なんです。私は……これがシアとしての二度目の人生なんです」
「ど、どういうこと?」
「前回の人生でも、私はクレア様と出会いました。学園の同級生として、ただの平民として。そんな私にクレア様はとっても優しくしてくれて、居場所を与えてくれて……嬉しかったんです」
「シア……まさか……」
前回の記憶があるのは、ずっとわたしだけだと思っていた。
わたしは破滅し、処刑され、フィルに冷たくし、シアを裏切った記憶に苦しめられてきた。
でも、それはわたし一人だけのことだと思っていた。
違ったんだ。
知らなかった。
シアも、やり直していたなんて。
「私のせいで、クレア様は不幸になってしまいました。だから……十二歳に戻って、やり直したとき、今度はクレア様を幸せにしようって思っていたんです。私がクレア様を救うんだって、決めていたんです! でも……」
シアは、フィルをちらりと見た。
そして、胸に手を当てる。
「クレア様には、フィル様がいて、私なんかいなくても幸せそうで……。むしろ私がいることで、前回の人生みたいに、クレア様を不幸にしちゃうんじゃないかって気づいたんです」
「そんなこと……」
ない、と言い切れるだろうか?
わたしは……今でも、シアのことを怖れている。
もしシアが、わたしの何もかもを……フィルを奪っていってしまったら。
シアはさみしげに微笑んだ。
「私は……ある人に教えてもらったんです。クレア様も『やり直し』をしていることを。クレア様も前回の人生の記憶があることを。そうですよね?」
「……た、たしかにそうだけど……そんなことをいったい誰が……?」
「誰だっていいじゃないですか。前回の人生の記憶があるなら、クレア様は、きっと私のことを憎んでいる。この世からいなくなればいいと思っている。クレア様は……私のことを……死んじゃえって思っているんです」
わたしは混乱のあまり、何も言えなくなった。わたしがやり直したことを、誰か他の人が知っていて、それをシアに教えた? そんなことがありえるんだろうか……?
動揺するわたしに、シアは畳み掛ける。
「だから、私は、ここで、クレア様の目の前で死ぬんです。そうすれば、クレア様がもう不幸になることもありませんから。代わりに私のことは、永遠にクレア様を救った存在として記憶に残ることになるんです」
わたしは絶句した。
そう。たしかにシアがいなくなれば、暁の聖女、というわたしにとっての脅威はなくなる。フィルを、他のみんなを、わたしの居場所を奪われる心配もなくなる。でも……。
「そんなの間違っているよ」
つぶやいたのは、フィルだった。
わたしも、シアも驚いてフィルを見る。
フィルの黒い瞳は……怒りに燃えていた。
そんなフィルを、わたしは初めて見た。
「シアさんは……勝手だよ。シアさんが死んで、お姉ちゃんが悲しまないわけないよ」
「フィル様は何も知らないから……そう言えるんです」
シアは戸惑ったように、小さな声で言う。
フィルは首を横に振った。
「やり直しっていうのが、何のことかぼくにはわからない。でもね、シアさんが死んだほうがいいなんて、そんなこと……クレアお姉ちゃんが思うわけがない! 妹が死んで、悲しまないお姉ちゃんなんて、いないよ」
フィルは切々と、必死な様子で、そう訴えかけた。
わたしは、はっとした。
そうだ。たしかにシアがいなくなれば、わたしは破滅が回避できるのかもしれない。
もうシアに怯えなくてもいいのかもしれない。
でも……シアがいなくなれば、わたしはきっと後悔する。
シアはわたしにとっての脅威かもしれない。
でも、それ以前に、大事な友人で、仲間で、そして妹なのだ。
シアは後ずさりする。
「私は……もう決めたんです! ここで私は退場するんだって、だから……」
シアが、時計台から飛び降りようとし……。
次の瞬間、わたしはシアを抱きしめていた。