Ⅰ フィルとシアの真剣勝負
「それでは……これより、シア・ロス・リアレスと、フィル・ロス・リアレスのあいだで真剣勝負を始めます」
厳かな声で、しかめっつららしい顔を作って宣言したのは、メイドのアリスだった。
わたしはごくりと息を呑む。
ここは、王都からも王立学園からも遠く離れた港湾都市バレンシア。
多くの貴族や上流階級が、夏はこのバレンシアで過ごす。心地よい風が吹き、きれいな青い海に触れられる素敵な場所だ。
その街の王家の別荘にわたしたちはいた。
アルフォンソ様が招待してくれたのだ。
わたしたちは剣術大会で無事に優勝して、そして、夏季休暇を迎えていた。
招かれたのは、わたし、フィル、レオン、アリス、シア、そして後輩のセレナさんといったいつものメンバーだ。
穏やかで楽しい休暇になる……はずだった。
ところが、今、目の前では、フィルとシアが睨み合っている。
別荘一階の談話用スペースに、みんなが集まっていて、そして、固唾を呑んで様子を見守っている。
フィルはわたしの弟で、シアはわたしの妹だ。
そんな二人が、勝負をするという。
その内容は……。
アリスは相変わらず、しかめっつららしい顔を作っていたけれど、やがて笑いを抑えられなくなったのか、くすくすと可愛らしく声を上げた。
「勝負の内容は……妹と弟と、どちらがよいかの対決です! クレア様の理想の妹、または理想の弟は、はたしてどちらなのでしょうか!?」
アリスは楽しそうに言い、わたしはため息をついた。
「……アリス……本当にそんな勝負やるつもりなの?」
「前代未聞の対決ですよ、これは」
「アリスが言い出したことだけどね……」
剣術大会に優勝して、わたしがフィルとおそろいのペンダントをするようになってから、シアはますますフィルに対抗心をむき出しにするようになった。
べつにフィルに意地悪をしたりなんてことは全然なくて、むしろシアはフィルにとっては親切なもう一人の姉だと思うのだけれど。
でも、二人は仲良し、という感じではなかった。
「ああ、あんな可愛い弟と妹に、あたしも取られあってみたいです」
とアリスがうっとりとした表情を浮かべている。
ま、まあ、フィルとシアがわたしのことを慕ってくれるのは嬉しいんだけど……。
まさか弟妹対決なんて言い出すとは思わなかった。
いつものように、「ぼくの方が」「いえ、私の方が」とフィルとシアが言い争っているのを、アリスが聞き留めたらしい。
なんでも、わたしの午後のおやつをどちらが作るかで、揉めていたのだとか。
……どうしてそんなことで争いになるんだろう?
わたしはどっちも食べたいし、食べられるのに。甘いものは別腹なのだから。
ともかく、アリスはいつもどおり二人をからかっているうちに、変なことを思いついたらしい。
それが……理想の弟妹対決……らしい。
「フィル様とシア様には、これから一日のあいだ、理想の弟・妹として、全力でクレア様にご奉仕していただきます」
「ほ、奉仕って……何するの?」
とわたしは恐る恐る聞く。わたしが対象なのに、わたしの意思は完全に置き去りだった。
アリスは微笑んだ。
「どれだけ全力でクレア様を甘やかせるか、ということです」
「弟や妹ってそういうものでもない気が……するんだけど」
「細かいことは気にしなくてもいいじゃないですか」
「細かい、かなあ?」
わたしは小さくつぶやくけれど、すでに、フィルとシアはやる気満々のようだった。
あのおとなしいフィルまでガッツポーズを作っている。
「賞品はクレアお嬢様との一日デート権です!」
わ、わたしが賞品!?
き、聞いていないんだけど……。
「審査員は、レオンくんに加えて、伯爵令嬢のセレナ様、そして、王太子アルフォンソ殿下という豪華な顔ぶれです」
ははは、とアルフォンソ様は引きつった笑みを浮かべている。王太子殿下に理想の弟妹対決の審査員なんてさせていいんだろうか……?
セレナさんはといえば、楽しそうで、「私もクレア様の妹として参加したかったなあ」なんてつぶやいている。
レオンはやれやれと、ため息をついていた。珍しくレオンと気持ちが一致した気がする……!
フィルとシアが互いを見つめ合っている。
「ぼくは……手加減したりしないからね?」
「もちろん私もです」
ばちばちと火花が散る音が聞こえてきそうな感じだった。
アリス……こんなに焚き付けて大丈夫なの?
わたしがアリスを見ると、アリスは片目をつぶって、いたずらっぽく笑った。
こうして、理想の弟妹対決(?)が始まってしまうこととなった。
弟妹対決なんて、と呆れる反面、わたしはちょっぴり、期待していた。
だって、フィルとシアが、わたしを全力で甘やかしてくれるというのだから。
けれど……。
ソファーに腰掛けたわたしに、まずはシアがハーブティーを用意してくれた。フィルが何か言う前に即行で提案したのだ。
わたしはこくこくとうなずいて、お茶をいただくことにした。シアが用意してくれたのは、ラベンダーの香り高いハーブティーで、それはとても美味しかったのだけれど。
じーっと、目の前の、フィルとシアがわたしを見つめている。
わたしは落ち着かないなあ、と感じながら、ティーカップのお茶を飲み干す。
ことん、とわたしがティーカップを皿に置くと、とたんにフィルとシアが身を乗り出す。
「お姉ちゃん、おかわり、いる? 今度はぼくが紅茶を……」
「いえ、おかわりでしたらわたしがご用意します! ハーブティーだけじゃなくて美味しい紅茶も……ありますから!」
えーと、とわたしは困ってしまう。
今日一日、二人は理想の弟妹になるという。そうして審査員(?)のみんなから評価されようと必死だ。
けど、わたしは一人しかいないので、自然とわたしの取り合いみたいになってしまう。
これでは甘やかしてもらっているというより、いつも狙われているみたいで……緊張する。
しかも、今みたいに、わたしがどちらかの申し出を選ばないといけないときも多いわけで……。
片方がやってくれる、という提案を断るのは、とても心苦しい。しかも、レオン、アルフォンソ様、セレナさんの三人まで、審査員としてわたしたちを凝視しているので、なおさら息苦しかった。
それもこれもアリスのせいだ……。アリスを見ると、とっても楽しそうにしている。まあ、アリスが楽しそうなら、いいか。
ともかくわたしはその場から逃げようとした。
「あ、あのね、今度はわたしが二人にお茶を淹れてあげる!」
そういって、わたしは慌てて立ち上がろうとした。
そのとき、わたしは部屋の絨毯に足をとられる。
……このままじゃ、転んじゃう!
床に激突せずに済んだのは、シアのおかげだった。
シアがわたしを抱きとめてくれたのだ。
「大丈夫ですか、クレア様?」
心配そうにシアがわたしを覗き込んでいる。
その美しい真紅の瞳は、まっすぐにわたしを見つめていた。シアのきめ細かい白い肌もすぐ近くにある。
改めて見ると、シアは恐ろしいほどの美少女だ。銀色の髪も、人によっては不気味だと感じるらしいけれど、わたしは神秘的な美しさがあると思う。
少しうらやましいし、憧れてしまうほどだ。
そんなシアが、わたしを姉と慕ってくれるなんて嬉しい。……弟妹対決なんてしなくても、シアはとても良い子だし、一緒にお出かけだってむしろわたしからお願いしたいぐらいだ。
「ありがとう、シア」
「いえ……」
シアは、優しくわたしが元通りの体勢に戻れるように手助けしてくれた。
そして、シアは嬉しそうに微笑んだ。
「今のは……クレア様的には、いかがでした? 妹感出てました?」
「それは審査員の人たちに聞いたほうが良いんじゃない?」
「でも、わたしはクレア様に喜んでいただきたいですから」
とシアは頬を赤くして、わたしを上目遣いに見た。
こ、これは……あざとい!
いや、シアは本心から言ってくれてると思うけど、審査員の評価は高いかもしれない。
さらにシアは畳み掛ける。
「その……クレア様。やっぱり、私がお茶を淹れますね。クレア様がやけどをされたりしたらと思うと、私、心配で……」
「わたしはそんなにそそっかしくない……はず」
目の前で転びかけたから、まったく説得力がないことに気づく。
シアはにっこりと微笑んで、わたしにささやく。
「今日は、クレア様にわたしとフィル様が奉仕する日なんですから、素直に私のお茶を飲んでください」
「う、うん……」
わたしはこくこくとうなずいた。流れ的に、シアにお茶を淹れてもらうという提案に乗ってしまった。
フィルはむうっと頬を膨らませている。
しばらくして、シアが新たに淹れてくれた紅茶をティーカップに注ぐ。フィルやアリス、審査員のみんなの分の用意も忘れていない。
明るい水色のそれは、蘭のような華やかな香りだった。一口飲むと、かすかにスモーキーな感じがあって、それが味に複雑さを増していて、それでいて心地よさを損なっていない。
アルフォンソ様がうなり、「これはすごい……」とつぶやいている。王宮で高品質の茶をたくさん飲んでいるはずのアルフォンソ様をもうならすのだから、シアの紅茶を淹れる腕の高さがわかる。
シアはさらに、お茶菓子まで用意していた。
白い皿の上に、載っているのは……白い粉砂糖がまぶされたケーキだった。
ただ、特徴的なのは、そのケーキの表面に粉砂糖がかかっていない箇所があって、それが十字架の形を描いていることだった。
「タルタ・デ・サンティアゴという名前のアーモンドのケーキです。ほとんど小麦を使っていなくて、アーモンドの粉で焼きあげているんですけど、不思議な美味しさがあるんです」
シアはそう説明してくれた。
そして、シアはみんなのために切り分けた後、そのうちのひとかけらをフォークに刺し、わたしの口もとに運んだ。
「……なにしてるの、シア?」
「その……あーんして差し上げようと思いまして」
「えっ」
わたしはびっくりして固まった。シアは恥ずかしそうにわたしを真紅の瞳で見つめる。
「ダメ……ですか?」
「ダメってわけはないけど……」
「なら……いいですよね?」
わたしは雰囲気に流されて、ぱくっとシアの差し出したケーキを食べた。おおっ、と声を上げたのは、たぶんアリスだと思う。
……素朴で優しい味だ。でも……すごく……美味しい。
シアは、わたしが美味しいと思っていることに気づいたみたいで、微笑んでくれた。
わたしは紅茶を口に含む。紅茶ともとても良く合う。
「これ、実は手作りなんです」
「そうなの!?」
「はい、皆さんに振る舞うつもりだったんですが、ちょうどタイミングが良かったです」
にっこりとシアは笑った。一方のフィルは「ずるい……」とつぶやいている。
シアはこんなに可愛くて、優しくて。そして、美味しいお茶を淹れることもできて、お菓子まで手作りで用意できる。
完璧だなあ、とわたしはため息をついた。
前回の人生で、みんながシアのことを好きになったのもわかる気がする。
みんなはシアを必要として、わたしを必要としなかった。
なら、今回の人生では……どうだろう?
もしかしたら……また、同じことになるんじゃ……ないだろうか?
時間が経てば、みんなシアの魅力に気づいて、フィルもアルフォンソ様も他のみんなも、シアのもとへと行ってしまって。
そんなことが起きたら、そのとき、わたしは……。
「どうしたんですか? クレア様?」
心配そうに、シアがわたしの瞳を見つめていた。
わたしは誤魔化すように微笑みを浮かべた。
「なんでもないの」
いま考えていたことをシアに言うわけにはいかない。
シアは、わたしと違って、前回の人生からやり直しているわけじゃないんだから。
☆
結局、一日が終わったとき、弟妹対決はシアの勝利で終わった。
シアの行動は遠慮があるように見えて、常に素早く、フィルの一歩先を行っていた。
そういうところが、セレナさんやアルフォンソ様には印象的だったらしい。
審査員三人の多数決で決めたから、シアの勝利となったわけだ。
レオンはフィルに投票したみたいだけれど、これはフィルに対する友情というか、親しさからかもしれない。
フィルは不満そうに、残念そうにしていた。
「……お姉ちゃんと一日お出かけする権利、手に入れたかったな……」
「そんなのなくても、フィルと一緒ならいつでもお出かけするよ?」
「本当?」
「わたしからお願いしたいぐらいだもの」
学園の授業期間は忙しかったし、男子寮と女子寮にわかれていたせいで、フィルと一緒に過ごす時間を十分にとれなかった。
だから、休暇で別荘にいるうちは目一杯、フィルと楽しむつもりだった。
もちろん、シアとも。
シアがやってきて、嬉しそうに「勝ちました!」と報告する。
わたしは微笑んだ。
「良かったね」
「はい。でも、本当に勝ったとは言えないかもしれませんね」
「どうして?」
「アリスさんが、審査員をクレア様自身にしなかったのはどうしてかわかりますか?」
質問に質問で、シアが返す。
わたしは答に詰まった。
たしかに……わたしの理想の弟妹を決めるためにわたしに奉仕するというのなら、わたしが審査員になって判断するのが一番いいと思う。
そうではなく、アルフォンソ様たちを審査員にしたのは……。
「もしクレア様が審査員だったら、フィル様の圧勝になってしまいます。だって、クレア様はフィル様のことが大事なんですから」
わたしは返事に困った。けど、たしかにそうだ。シアのことだって、大事じゃないわけではない。
けど、わたしはいつもフィルを優先して行動してきた。
シアは明るい笑顔を作った。
「クレア様を困らせるつもりはなかったんです。いつか本当に妹の方が良いって証明しますから! そのまえに……」
「そのまえに?」
「弟妹対決の賞品の……デート権、使ってもいいですか? 一日、二人で一緒に街に遊びに行きたいなって」
「もちろん! シアと一緒なら、とっても楽しそう」
わたしは心からそう言った。フィルは羨ましそうにわたしたちを見つめ、シアはくすっと笑った。
「私も……すごく楽しみです!」
シアは、思わずみとれてしまうぐらい、満面の笑みを浮かべた。
このとき、まだ暗い雲の影は、一つもなかった。
けど、わたしとシアは一緒に街に遊びには行けなくなった。
次の日。シアは行方不明になった。
☆
次の日の朝、シアが別荘のどこにもいない、と言ったのはアリスだった。
アリスがシアを起こしに行ったら、ベッドの上はもぬけの殻だったのだという。
早めに朝食代わりの軽食を作ろうとしたのかな、とアリスは思ったらしい。それで食堂を見てみたけれど、やっぱりいない。
これはおかしい、と思って、別荘の主人であるアルフォンソ様と、シアの姉であるわたしに知らせに来てくれた。
寝ぼけ眼をこすりながら、わたしは答える。
「シアなら、散歩に行くなら、一言なにか伝えておいてくれそうだけど」
「はい。だから……心配なんです」
徐々におかしい、とわたしは考えはじめた。
シアだって、貴族の子女だ。
それにあれだけ可愛い少女なわけで……。
誘拐されたという可能性に、わたしは思い当たった。
もしそうだとすれば……大変なことになる。
わたしは即座にバレンシアにいるリアレス公爵家の家臣に連絡をとった。捜索をしてもらうことにしたのだ。
さらにアルフォンソ様を通して、王家の直臣やバレンシアの市参事会にも協力してもらうことにした。
そして時間が経った。シアがひょっこり戻ってくるんじゃないか、とわたしは期待していた。
帰ってきたら、「とても心配したんだからね」とわたしは姉らしく怒るつもりだった。
……わたしはシアの姉で、シアはわたしの妹だから。
けれど、シアは夜になっても戻ってこなかった。
みんな心配そうで、その日の夕食の席では重い空気が流れている。
そして、わたしの腕には、赤い夜の魔女の刻印が刻まれていた。
破滅が……また近づいている。
わたしは必死に考えた。
シアが心配でたまらないけど、それ以外にも考えることがある。
シアは……どうして姿を消したんだろう?
……あんなに、わたしと一緒に街をお出かけするのを楽しみにしてくれていたのに。
そして、それはわたしの破滅と、どうつながるんだろう?
前回の人生で、似たことがなかったかわたしは思い出そうとした。
そういえば、シアが寮に戻ってこなかったことがあった。談話室で一緒にお茶を飲む予定だったのに、シアが時間になってもやってこない。
心配になって、わたしが捜すと、シアは寮の物置に閉じ込められていた。平民の子であるシアに、嫌がらせをした侯爵令嬢の仕業だった。
わたしはかんかんになってその令嬢たちに怒って、シアに「も、もう大丈夫ですから……」と止められたんだっけ。
その後、シアは「助けてくれて、とっても嬉しかったです」と愛らしく微笑んでくれた。
前回の人生は、学園で起きたことだし、すぐに解決した。
でも、今回は学園の中のことじゃないし、犯罪に巻き込まれた可能性もある。
今回の人生でも、わたしはシアを救えるだろうか?
ちくりと、胸に痛みが走る。
前回の人生で、わたしはシアを裏切った。その償いを……わたしは十分にできていない。
それなのに、わたしは今でも、シアに嫉妬し、恐れを抱いてしまう。いつかシアがわたしの居場所をすべて、奪ってしまうんじゃないかって。
夜の魔女の赤い刻印を、わたしは見つめる。
これは破滅を回避しなければならない、という印だ。
わたしがシアを助ければ、この模様は消えるんだろうか。
それとも……もしかしたら、シアを見捨てることで、わたしは破滅を回避できるんだろうか。
前回の人生で、わたしはシアを助けて、親友になった。それが破滅の発端だったとも言えなくもない。
シアがいなくなれば……わたしが破滅する理由はなくなるのかもしれない。
わたしは自分の恐ろしい考えに慄然とした。
顔色が悪くなったわたしを、フィルが心配そうに覗き込む。
「お姉ちゃん……大丈夫?」
「うん、平気……」
「すごく……シアさんのことが心配なんだね」
フィルは、わたしがシアのことを心配しているのだと思ったらしい。
もちろん、シアのことが心配だ。でも、同時に、とても醜い感情も抱いてしまった。
フィルには、絶対に話せない。
わたしはシアのことを心配する気持ちと、自分の心の中の暗い感情を整理できないまま、フィルに弱々しく微笑んだ。