王の子に必要なこと:con Sagres el Asturias
負けた……。
このオレが、負けた。
まさか、剣術の腕で、オレより優れたやつが同い年にいるとは思わなかった。
剣術大会の決勝の後、オレは自室に戻り、考え込んだ。
王子の部屋、ということもあって部屋はだだっ広い。平民の四人家族が住む部屋の倍はある。
そして、内装も豪華だ。
ただ、他に誰が住むでもないこの部屋の広さをオレは持て余していた。
サグレス・エル・アストゥリアスの名を持つオレは、この国の第二王子だった。
幼い頃から、オレは王子として、それは丁重に扱われた。
母は高い身分の中央貴族だったし、そういう意味でもオレは恵まれていたと思う。
自由に、わがままに生きることをオレは許されていた。
ただ……成長するにつれて、オレは一つのことに気づいた。
オレには……何の役割もない、ということだった。
周りはオレを大切にしてくれるが、それは表面だけのことで、オレが王子だからにすぎない。
オレがオレだから必要とされているわけではなく、そして、この先も、オレは個人として必要とされることはないのだった。
たいていの王族は、どこかの貴族の養子になるか、そうでなければ聖職者や軍人になる。
どの道を進んでも、最初から王子として、何もしなくても裕福に暮らせることが保障されていた。だが、それは国から見れば、役割のない王子を厄介払いするというだけのことだ。
オレの兄、アルフォンソ・エル・アストゥリアスは違った。
アルフォンソは王太子だからだ。次の王という役割があり、必要とされていた。母親も大公国の公女だったし、王太子の地位は盤石に見えた。
幼い日。兄という存在に何度か会ううちに、オレは理解した。
オレとアルフォンソのあいだには、決定的な差がある。
次の王としての役割を望まれ、必要とされるアルフォンソは、常に敬意を払われていた。彼は国王となるべく、厳しい教育を施されていた。
オレが甘やかされ、自由に生きているのは……オレが必要とされていないからだ。
そのことに気づいて、オレは衝撃を受けた。
アルフォンソはオレよりもわずかに早く生まれた。大公国の公女であり、王妃でもある若く美しい母を持つ。
アルフォンソが王太子で、オレがただの王子なのは、その二つだけが理由だった。
オレは……兄より劣っているのだろうか?
もしそうなら、それでいい。兄貴であるアルフォンソが王となればいい。
だが、もしそうでないなら……オレの方が優秀なら、オレが王になるべきではないか?
オレがより必要とされる存在であるべきではないか?
そんなふうにオレは思った。
それから、オレは表面では、今までのように、自由気ままに振る舞い、陰では王太子が勉強しているであろうことを、必死になって勉強した。
宮廷にはいる学者や軍人に教えを乞うと、彼らは驚いたけれど、オレの熱意に負けて、いろいろと教えてくれるようになった。
やがて、彼らは口を揃えて、サグレス殿下は優秀だ、と言うようになった。中には天才だという者すらいた。
最初は世辞を言われているのかと思ったが、どうやら、オレはかなり飲み込みが良かったらしい。
宮廷の人々からの好感を得る方法も、やがて身についていった。
自由奔放な態度を見せながら、それでいて、何にでも高い才能を示す、天才型の王子。それをオレは演じることにした。
幸い、容姿にも恵まれていたし、宮廷での人気を獲得することにオレは成功した。あのアルフォンソはそれなりに優秀で眉目秀麗だが、面白みにかけるとオレは踏んでいて、実際、オレの「自由奔放さ」はアルフォンソの真面目さより受けが良かった。
オレはどうやったら王の座を得られるかも、真剣に考えた。
幸運なことに、中央集権を目指す宮廷貴族と、守旧派の地方大貴族のあいだで勢力抗争があり、オレはそれに乗じる余地があると考えた。
現状に不満を持つ宮廷貴族派は、オレを担ぎ出して国王にすることで、主導権を握ることができる。
この目論見は上手くいき、宮廷貴族の有力者をオレは味方につけた。
地方大貴族は、リアレス公爵家をはじめとして、王太子を支持していたが、一枚岩ではない。
それに王妃アナスタシアの故国である大公国は滅亡していて、急激にアルフォンソの立場は弱くなった。
けれど……それだけでは足りなかった。
まだ、オレが王になるには、あと一歩決め手が必要だった。
そして、その鍵こそが夜の魔女。
クレア・ロス・リアレスとなるはずだった。
王宮にある古い預言。
聖ソフィアの預言と呼ばれるそれには、国王や王太子といったごく一部の人間のみが触れられる禁忌だった。
未来の歴史が記載されているというその書物には、不思議な点が多かった。
魔法時代の書物であるはずなのに、それより古い文字で書かれていて、解読できない。そもそも聖ソフィアとはどのような人物なのかもはっきりとしない。
預言に書かれている内容でたしかなことは、三つだけだ。
あと数年で、やがてこのカロリスタ王国に大きな災いが訪れること。
その危機を救うのは、国王の妻たる『暁の聖女』であること。
そして夜の魔女と呼ばれる少女こそが破滅をもたらすこと。
王族は知ることすらなかった存在を、教えてくれたのは宮廷貴族の一人だった。
彼は
魔女崇拝は教会の異端だが、オレにとってはそんなことは気にならなかった。
オレは力が欲しかったのだから。
彼らは魔女の力を利用すべきだと進言した。預言のいう国王は、王太子のことである。そして、その妻には聖女の力がある。
それなら、第二王子としては、夜の魔女を利用して、対抗するべきだ。
彼らはそう言って、そして、夜の魔女になるのは、クレア・ロス・リアレスという少女だと断言した。
それは、兄の婚約者の名だった。
オレにとっては、それなりに容姿が優れた、ごく普通の公爵令嬢、という記憶しかない人間だった。
兄の婚約者というのが、オレの中のクレアのすべてで、だからこそ意外だった。
「クレアが聖女じゃないのか? あれはアルフォンソの婚約者だろう?」
「クレア嬢は、やがて王太子から捨てられます。そうして絶望したクレア嬢が夜の魔女となり、暁の聖女には別の人間がなるのです」
王宮のオレの部屋で、かつて、魔女崇拝者の老クロウリー伯爵は笑顔で告げた。
夜の魔女のもたらす破壊をもって、彼らは新しい王国を作ろうとした。
クロウリー伯爵は焦ってしくじって逮捕された。だが、オレの背後には、まだ魔女崇拝者の宮廷貴族たちがいた。
だから、オレはリアレス公爵家に手を出した。
小手調べに、次期リアレス公爵のフィルという少年を決闘の場に引き摺り出した。
リアレス公爵家をかき回し、アルフォンソとの仲を疎遠にし、適度に圧力をかけていく。
そうすれば、クレアは夜の魔女と化し、オレの手に入るかもしれない。
そうでなくとも、リアレス公爵家は、アルフォンソの有力な支持者だ。
貴族の集まる学園で力を削いでおいても悪くない。
そう思ったのだけれど……。
まさかクレア本人が決闘に出てくるとは、予想していなかった。
そして、クレアはオレの従者のカルメロに最初は負けたけれど、次の戦いでは倒してしまった。
カルメロの腕はかなりのものだったから、クレアが勝ったのは本当に予想外だった。
途中でカルメロに勝負を引き上げさせたのは、最後まで続けて負ければ、より傷が深くなる、という判断もあったが、クレアの奮闘を見ているうちに、自分のやっていることが馬鹿らしく思えた、ということもあった。
小手先の工作に力を入れるオレたちに、クレアは真っ向から向かってきて、一矢を報いた。今度はオレ自身が、クレアと戦えばいい。
その後のお茶会でも、クレアとは会った。生クリームのお菓子が事故で宙を舞ったとき、クレアは弟のフィルをかばうのを優先して、オレに生クリームのお菓子が直撃した。
みんなオレが怒ると思って、青ざめていた。
ただ、不思議に怒りは湧いてこなかった。もちろん、寛大なところを周囲に見せたほうがいい、という打算もあった。
でも、それ以上に、クレアという少女にオレは興味が湧いた。
どうして……この少女は、そんなに弟が大事なんだろう?
貴族の姉弟、というのにはいろいろとしがらみがある。オレとアルフォンソが王位をめぐるライバルであるように。
しかも二人は血がつながっていないらしい。
オレは……不思議だった。
オレにはそこまで関心の持てる存在なんていなかったからだ。
彼女にとって、何よりも大事なのはフィルだった。剣術大会で優勝したいのも、その賞品をフィルにあげたいからだという。
オレがクレアを妃に、と言っても、クレアはその提案を一蹴した。
そして、今、クレアはオレにすら勝ってしまった。
王宮の剣術指南から、最も優秀な弟子、とすら言われたこのオレに、クレアは勝った。
オレはその事実をうまく理解できずにいた。
オレは自分が一番大事だった。オレより優秀な人間はいないと思い、それゆえに王を目指した。
けれど、その認識は誤りなのかもしれない。
あのクレアという少女は……オレの上を行く可能性がある。
オレはそこまで考えて、クレアという少女に、漠然とした恐怖と、そして、より強い興味を感じた。
オレは彼女をどうしたいのだろう?
当初の計画では、クレアは夜の魔女という道具に過ぎなかった。
だが、果たしてそれでいいのだろうか?
部屋をノックする音が聞こえる。
「失礼します」
そう言って、部屋に入ってきたのは、コンラド・ラ・バリエンテだった。
くすんだ茶髪と茶色の目の平凡な容姿だ。一つ特徴があるとすれば、それはあまりにも覇気がないことだった。
その瞳はいつもうつろで、何を考えているかわからない。
コンラドは、オレの支持者の宮廷貴族の子息だった。
そして、彼の父であるバリエンテ子爵は……魔女崇拝者だった。コンラドこそが、オレのそばで、夜の魔女の秘密を握っている人物だった。
「コンラド。聞きたいことがある」
「何でしょう? 殿下のお望みを仰ってください」
「カルメロをクレアとフィルにけしかけたのは、おまえだな」
「そうすることが夜の魔女出現の近道と存じましたので」
平然とコンラドは答えた。
その瞳はわずかも揺れず、何の感情も浮かんでいなかった。
「勝手なことをするな。それと、これからはクレアとフィルに手出しをすることはやめにした」
「敵に情が移りましたか?」
「そういうわけじゃないが、あまり焦って動くと、かえって失敗しかねないからな」
「なるほど」
とコンラドはつぶやいた。
オレの言葉は建前で、コンラドの言葉のとおり敵に情が移ったのだ。
そのことをコンラドは見抜いているかもしれない。
だが、表面上、コンラドはうなずいた。
「いずれにせよ御心のままに。我々の悲願は、殿下を王にすることなのですから」
そして、オレを利用するつもりか、という言葉を飲み込んだ。
宮廷貴族は利害関係からオレを支持しているが、どこまで信用できるか、わかったものじゃない。
コンラドは、クレアとフィルに手を出さない、と約束した。
まあ、さすがに、オレの命令には従うだろう、と思い、オレは安堵した。
そして、自分がホッとしていることに気づいて驚く。
それほど、クレアに興味を持ってしまったのか、と自分のことながら苦笑した。
コンラドは、機械的な笑みを浮かべると、オレの部屋から去った。
このとき、オレは気づいていなかった。
オレはたしかに、クレアとフィルに手を出すな、と言った。
しかし、彼女たちの身内については何も触れていなかったのだ。
そして、クレアのそばに聖女候補の少女がいることも、オレは知らなかった。