一瞬、前回の人生では、わたしはアルフォンソ様のことが好きだったんだなあ、といまさら思い出す。

というか、婚約者であることを思い知らせる、って何をされるんだろう?

と思ってどきどきしていると、上からレオンの声が降ってくる。

「殿下……俺もいるんですよ」

アルフォンソ様はレオンを振り返った。ほっとする。あのままだったら……わたし、何をされていたんだろう?

アルフォンソ様は低い声で言う。

「僕はクレアの婚約者だ。レオンがいても、やることは変わらない」

「クレアお嬢様は、俺のご主人さまです。主人に不埒ふらちなことをしようとしている方がいれば、たとえ王太子殿下といえども、お止めしなければなりません」

「不埒なこと? 僕はクレアの婚約者だから……」

とアルフォンソ様とレオンが言い争う。

といっても、わたしが見た感じ、本気で口論しているというより、じゃれ合っているという雰囲気だった。

いつのまにか、この二人も仲良くなったのかな? 何がきっかけかはわからないけれど……。

そうしていたら、アルフォンソ様とレオンの声のせいか、隣のフィルが「ううん」とうめいて、そして、起き上がった。

フィルは寝ぼけ眼をこすりながら、わたしをちらりと見る。それから、ぼんやりとした目で、アルフォンソ様とレオンに目を移した。

可愛らしく、フィルが首をかしげる。

「どうして……王太子殿下とレオンくんがいるの?」

「フィル様のことが心配で」

とレオンは笑いながら言う。

一方、アルフォンソ様は肩を落とし、「今回も何もできなかった……」とつぶやいている。

そういえば、アルフォンソ様はセレナさんのことで話があると言っていたんだっけ。

わたしが話を切り出すと、アルフォンソ様もすっかり忘れていたというように手を打った。

「セレナさんは、マロート伯爵家の令嬢だよね」

「それがどうかされましたか?」

「あの家は、第二王子サグレス一派と裏で取引をしている」

ゆっくりとアルフォンソ様は言った。

わたしには……驚きはなかった。

マロート伯爵家は名門だけれど、宮廷貴族だ。王国が中央集権化を果たせば利益を得るし、サグレス王子を戴く中央集権派を支持する理由もある。

それに……たしかにそんな話は前回の人生でも聞いたことがあった。

記憶をたどって、思い出す。

たしか、前回の人生では、セレナさんからお茶会の招待があった。

そのとき、セレナさんの家が、第二王子派だという噂を聞いたのだと思う。

わたしはアルフォンソ様の婚約者で、当時は未来の王妃になるつもり満々だった。だから、アルフォンソ様の敵はわたしの敵で、敵の家の娘は敵だと判断したと思う。

もともとセレナさんとは親しかったわけでもないし、お茶会は断った。今なら……そうはしない。

アルフォンソ様がどう思っても、もう、セレナさんはわたしの友人だ。マロート伯爵家とサグレス王子がつながっていてもそれは変わらない。

わたしはアルフォンソ様の婚約者で、アルフォンソ派の筆頭と思われても仕方ないけど、そのことは、わたしとセレナさんの関係には無関係だと思っている。

セレナさんは、あんなにわたしのことを慕ってくれる、もしセレナさんからお茶会の誘いがあったら、今度は断らないだろう。

「アルフォンソ様は……セレナさんとわたしが関わらないほうがいい、とおっしゃりたいんですか?」

「いや、逆だよ」

「逆?」

「むしろクレアとセレナさんは積極的に仲良くなってほしい。そして、セレナさんをこっち側に取り込もう」

セレナさんは、マロート伯爵家の一人娘で、溺愛されている。今はまだ、子どもだけれど、将来的には、伯爵家の後継者になる。

そうすれば、サグレス王子を支持する有力貴族をひとり減らせる。

そして、アルフォンソ様も次期国王になるのを確実にできる。

そういうことかな? 

わたしの疑問に、アルフォンソ様は微笑んだ。

「そう。半分はクレアの言う通りだ。でも、僕が王になりたいから、というよりは……サグレスの思い通りにはさせないというのが大きいかな」

「どういうことですか?」

「僕のクレアを傷つけようとしたサグレスを……許すわけにはいかないだろう?」

たしかに決闘の件は、サグレス王子の陰謀だったし、そのおかげでフィルが傷つきそうになった。

結果としてわたしが身代わりになって勝利したわけだけれど、フィルを巻き込もうとしたのは、許せない。

フィルも「ぼくも……お姉ちゃんを巻き込んだサグレス王子のことを許せない」とつぶやき、レオンもうなずいた。

望むと望まざるとにかかわらず、わたしたちは王太子アルフォンソ派と見られる。

「無力な僕のせいで、すまない」

とアルフォンソ様がつぶやく。わたしは首を横に振った。

アルフォンソ様のせいじゃない。

ただ……サグレス王子との決着はいずれつけないと、また、わたしたちの誰かが狙われて、大変なことになるかもしれない。

レオンが口をはさむ。

「俺からもお嬢様にお知らせがありまして。お嬢様宛にお茶会のお誘いがあるんです」

「わたしに?」

差し出された白い手紙には、可愛らしい小さな文字が踊っていた。

セレナさんの字だ。

そっか。今回の人生でも、セレナさんは、わたしをお茶会に誘ってくれるんだ。

可愛い後輩の誘いだし、断るつもりはない。

アルフォンソ様も、セレナさんと仲良くして良いと言っているんだから、なおさらだ。

フィルと一緒に行こっと。

楽しみだなあ、と思っていると、レオンが一言付け加えた。

「そのお茶会、サグレス殿下も参加するんですよ」

わたしは緊張しながら、お茶会の場に入った。

王立学園はともかく設備が立派だ。学生寮や校舎の他に、生徒たちが交流のために使えるようにしている建物がある。

五十年前の卒業生の大貴族アビレス侯の寄付で建てられたから、アビレス侯記念会館という名前になっている。

その一部屋をセレナさんは借りているのだった。白で統一された部屋は、ティールームとして利用できるようになっていて、さすが貴族の学園といった雰囲気だった。

名門貴族の娘のセレナさんには、寮でもそれなりに広い部屋が割り当てられていると思うけど、お茶会には手狭なのかもしれないし、そもそも男子生徒は女子寮には出入り禁止だ。

参加者は、セレナさんとそのクラスメートの女の子何人かが中心だった。すっかり、セレナさんもクラスに馴染んだみたいでほっとする。もちろんフィルも誘われている。

あとはレオンもいる。レオンは別のクラスとはいえ、同じ一年生だし、フィルの友人だ。わたしと一緒にセレナさんに何度も会っている。

レオンはけっこう顔立ちも整っていて、少年らしい凛々しさと幼さの混じった雰囲気は、同い年の女の子からの評判も悪くないようだった。実際、わたしの目から見ても、フィルほどじゃないけど、レオンもなかなかの美少年だった。

セレナさんの友人たちに囲まれ、きゃあきゃあと構われている。レオンは人当たりの良い笑みを浮かべ、彼女たちに接していた。

人見知りのフィルよりも、レオンのほうが受けが良いというのも理解はできる。

ただ、レオンは彼女たちの相手をそつが無くこなしながらも、女の子に囲まれて、舞い上がったり、照れたり、ということはなさそうだった。

しばらくして、わたしがからかうように、レオンに聞いてみると、「あの子達よりもフィル様の方が可愛いですからね」とそっけない返事が返ってきて、わたしはくすっと笑った。

他の招待客は、ちょっと異質だ。まず、二年生のわたし。

それに生徒会の副会長だという女子生徒もいた。副会長をやっているからには優秀なのだと思う。華やかな雰囲気の端然とした美人でもあった。金髪に真紅の瞳が印象的だ。

フローラという名前で、マロート伯爵家と親しい名門貴族の生まれらしい。けど、セレナさんとの個人的な交流はあまりないみたいだった。「クレア先輩のほうがずっと大事です!」というのは、事前にセレナさんが言ってくれたことだった。

最後にサグレス王子。招待客の中ではもちろん、最上位だ。お茶会の格を上げるために、招かれた客とも言える。それにマロート伯爵家とサグレス王子派のつながりも影響しているんだと思う。

まあ、サグレス王子と親しくせよ、とご両親から言い含められているのかもしれない。ただ、先日の決闘の一件もあるし……セレナさんとしては複雑な思いに違いない。

ただ、確実なことは、上級生組三人は明らかに浮いているということだった。

わたし、サグレス王子、フローラ先輩の三人は自然と、片隅のテーブルに集まることになる。わたしもアリスを連れてきていないし、サグレス王子たちも、従者を連れてきていないのだ。

遠慮してセレナさんのそばには行かなかったけど、セレナさんがちらちらとこちらを見ていたので、もっとセレナさんの近くに行っても良かったのかもしれない。ちょっと後悔だ。

やがて、お茶会が始まった。貴族の社交の場とはいえ、舞踏会や晩餐会とは違って、お茶会は、堅苦しい作法もないし、打ち解けた雰囲気で行うものだ。

セレナさんが立ち上がり、純白のティーカップに紅茶を注いで回っている。二杯目以降は自分で注ぐのだけれど、一杯目はお茶会の主人がれるのが、カロリスタの流儀だった。主人が客をもてなしている、ということを示すための、儀式的なものだ。

セレナさんがわたしのもとにやってきて、そっとティーカップに紅茶を注ぐ。

真っ白なティーカップに、淡いオレンジ色の液体が満ちていく。

ふわっとした、フルーツのような華やかな香りが立つ。

わたしは一口飲んで、そして微笑んだ。

「美味しい……。これ、グレイ王国の、春摘みの茶葉でしょう?」

「さすがクレア先輩! よくお分かりになりましたね!」

セレナさんに尊敬の眼指しで見つめられて、わたしは困ってしまった。

前回の人生で覚えた知識を使っているだけだから、すごいことでもなんでも無い。

でも、誉め言葉は素直に受け取っておくことにしよう。

それより……問題は、サグレス王子だ。

わたしの目の前のサグレス王子は、にこにことしている。

少し長めの赤い髪と、青い線の入った服が、対照的で、印象に残る。

その金色の瞳は、敵意を示していなかったけど、吸い込まれるように深かった。

「やあ、先日の決闘以来か」

「はい」

わたしは短く答えた。

サグレス王子は、明確にリアレス公爵家とフィルを攻撃しようとした。

決闘という形で恥をかかせようとしたのだ。

それは前回の人生では成功し、フィルは決闘に敗れ、ぼろぼろになって、みんなから中傷を受けた。

もちろん、その問題を放置して、フィルを手助けしなかったのは、わたしだ。それが、わたしの破滅へとつながった。

今回はわたしが決闘の代理人をすることで、問題は解決したけど……もとはといえば、このサグレス王子のせいなのだ。

前回の人生で、わたしはサグレス王子のことを警戒していた。アルフォンソ様にとっての王位継承権のライバルだったからだ。

今回の人生でも、わたしはサグレス王子と対立するだろう。フィルの敵になりうる存在だから。

そして、サグレス王子も、アルフォンソ様の最大の支持者の娘であるわたしを、敵だと思っているだろう。

そんな内心とは無関係に、お茶会はあくまでも穏やかだった。

わたしの隣のフローラ先輩が、わたしにささやく。

女性にしては低い声で、でも、耳にとても心地よく響く声音だった。

「お茶会の目的を知ってる?」

「それは……」

貴族の社交……だろうか?

けれど、フローラ先輩は首を横に振り、白百合のような美しい微笑みを浮かべた。

「おいしい紅茶と、お菓子を楽しむこと。そうでしょう?」

わたしはうなずいた。

そのとおりだ。

きっとフローラ先輩は、わたしとサグレス王子の経緯も噂で知っていて、その上で余計なことを考えないほうが良い、と忠告してくれているのだと思う。

わたしは紅茶のティーカップにふたたび口をつけた。

たしかにサグレス王子のことなんか考えて、この上品な味わいを楽しめないなんて、もったいない。

お茶会用の三段のケーキスタンドが、銀色に鈍く光っている。部屋を借りたとはいえ、人数に対してそれほど広いわけでもないし、テーブルは手狭だ。

だから、狭い空間にたくさんのお菓子をおけるように、ケーキスタンドを用意してそれぞれの段にお茶菓子が入れてある。

下の段から上の段へと食べていくのが、作法ということになっている。

これは海の向こうのアルビオン王国の作法で、出されているお菓子もアルビオン風のものになる。

お茶会の本場はアルビオンなのだ。

最下段には、バゲットパンがいくつかある。そのパンの中にキュウリのはちみつ漬けが挟まれていた。

アルビオンのお茶会の定番の食べ物だ。

フローラ先輩は、パンを食べると、真紅の瞳を輝かせた。きっと美味しかったんだろう。

わたしも一つパンを手にとって、口に入れる。

キュウリ、はちみつ、パン、というのは不思議な取り合わせのような気もするけど、これが不思議と美味しい。

わたしもぱくぱくと食べてしまい、隣のフローラ先輩がくすっと笑う。しまった。食べすぎたかも。

フローラ先輩は、悪い人じゃなさそうだ。

ただ……。

「フローラ先輩は相変わらずお美しいですね」

とサグレス王子が微笑みながら言い、フローラ先輩はむせると、顔を真っ赤にした。

「先輩はおやめください。殿下」

「そういうフローラ先輩こそ、殿下はやめていただけませんか。ここは学園で、オレとあなたはただの後輩と先輩なのだから」

「それは……そうですが」

フローラ先輩は真紅の瞳を泳がせた。うろたえているのと……照れているのだと思う。顔が赤いのは、サグレス王子に対する憧れと好意の現れだ、と思った。

こんな気取った王子のどこがいいんだろう? とわたしは思うけれど、サグレス王子は学園では大人気だし、フローラ先輩もそういうサグレス王子のファンの一人なんだろう。

二人は昔からの知り合いのようだし、フローラ先輩の家自体、サグレス派なんだと思う。

ただし、この場ではフローラ先輩は、わたしにも好意的なようだし、あくまでお茶会は「おいしい紅茶と、お菓子を楽しむ」ためと割り切っているんだと思う。

そのサグレス王子も、決してわたしを敵視するような視線は向けていない。

「いや、あの決闘のときは驚かされた。あんたの強さは素晴らしいものだった」

「いえ……」

「学園じゃ、あんたの評判はかなり上がっているしな」

「そうなんですか?」

と思わず聞き返してしまう。

サグレス王子は面白そうに笑みを浮かべた。

「知らないのか? 『リアレスの剣姫』だなんて呼ばれて、騒がれてるぜ。そりゃこれだけ美しい姫が剣を振り回して、強敵に勝ってしまえば、人気も出るわな」

わたしは「美しい」という部分を聞き流し、フローラ先輩からの軽いヤキモチの視線も受け流し、考えた。

前回の人生では、わたしは学園で剣術を披露することはほとんどなかった。

学園では剣術大会もあって、かなり盛り上がるイベントだ。けれど、王太子殿下の理想の婚約者として控えめに振る舞うべき、ということで、わたしは参加を見送った。

今回は……どうすればいいだろう?

わたしはちょっと考えて、剣術を披露することに問題はないと結論づけた。未来の王妃になるつもりなんかないし、控えめに振る舞うなんてまっぴらごめんだ。

「剣術大会、参加するんだろう? オレと当たるかもしれないな」

前回の人生では、剣術大会ではサグレス王子が優勝していた。ちなみにアルフォンソ様はサグレス王子と試合して負けていたと思う。

よし!

このあいだの仕返しもしないといけないし。剣術大会でサグレス王子に勝つのを目標にしよう。

「楽しみにしています」

わたしは初めてサグレス王子に微笑んでみせた。内心では「絶対に倒す!」と思いながらの笑みではあったけれど……。

そんなとき、フィルがとてとてとわたしのもとにやってきた。

フィルがわたしをちらりと見上げる。

「どうしたの? フィル?」

「あのね……クラスメートの子が、お姉ちゃんに挨拶したいって」

そっか。なるほど。

そういえば、サグレス王子の言葉によれば、わたしはさらに有名人になったらしいし。

フィルのクラスメートの子に興味は薄いけれど、でも、フィルにわたしを紹介するようにお願いしたのだから、ここはフィルのためにも知り合いになっておこう。

わたしが立ち上がりかけたとき、セレナさんがやってきた。皿に載せて、わたしたちのテーブルに追加のお菓子を運んできた。ケーキスタンドの上段が空なのでそこに載せるんだと思う。

ビスケットのなかにたっぷりの生クリームを挟んだもので、とても美味しそうだ。わたしもフィルも思わずじーっと見つめてしまう。

なんて名前のお菓子なんだろう? あとでセレナさんに聞いてみようかな。

と思っていたら、セレナさんの身体がふわりと宙に浮いた。

……なにかにつまずいたみたいだ!

とっさにフローラ先輩がセレナさんを抱きとめる。なのでセレナさんは無事だけれど、その手から、お菓子を載せた皿が空を舞い……。

このままだとフィルに激突してしまう!

びくっと震えるフィルをとっさに抱き寄せ、なんとかフィルに皿が当たるのを回避した。