Ⅳ 図書室では静かにしてください、お嬢様!

「ということでね。フィルとセレナさんを仲良くさせる作戦に、協力してほしいの!」

わたしたちが身を乗り出して頼むと、レオンはぎょっとした様子だった。

ここは図書室。学園の東棟の隅にある場所だ。

レオンは受付カウンターにいて、わたしはその目の前に腰掛けている。レオンは図書委員だった。

そして、わたしはレオンに、フィルの友達を作ろう作戦への協力を頼んでいるのだ。

相手は、セレナ・ロス・マロート伯爵令嬢。フィルのクラスメートだ。

前回の人生ではセレナさん(さんを付けることにした。だって、フィルの友達になる予定なのだから!)は、フィルに好意を持っていたし、今回もきっと上手くいくはず。

そのためには、下級生の数少ない知り合いであり、フィルの味方のレオンの協力が必要だ。

レオンはわたしには冷たいけど、フィルのことは気に入っているようだし、フィルのためだったら、動いてくれるはず。

でも、レオンの反応は鈍かった。

「まずですね、クレアお嬢様。ここは図書室なんですから静かにしてくださいよ」

「……ご、ごめんなさい」

レオンに注意されて、はっと周りに気づく。

みんなクスクスと笑っている。は、恥ずかしい……。

「まったく、お嬢様はフィル様のこととなると見境がないんですから。姉バカもほどほどにしておいてくださいよ」

とレオンに言われてわたしはカチンとくる。

そんな冷たい言い方ないじゃない!

「そういうレオンが、図書委員だなんて、意外ね」

「似合わない、と思っているでしょう?」

「ええ」

わたしがそう言うと、レオンはじっとわたしを睨み、そしてぷいっと顔を背けた。

「それで協力してくれるの、してくれないの?」

「しますよ。お嬢様は俺の主人なんですから」

「それはそうだけど、フィルのためになにかしてあげようとは思わないの?」

「まあ、フィル様も俺の主人ですし、お嬢様よりずっと良い方ですからお力になりたいですけど……」

レオンはちょっと顔を赤くする。素直にフィルのことを心配しているというのが恥ずかしいのだ。

シア&アリスの言葉から、レオンがフィルのことを心配しているのは確認済みだった。

「本当はフィルのこと、大事に思っているくせに。友達でしょう?」

「ふぃ、フィル様は、次の公爵様ですし……友達なんて恐れ多いですから!」

「でも、フィルもレオンも、今は学園の一生徒でしょ?」

「そうは言っても、身分差というのは覆せませんよ。お嬢様は、公爵令嬢だからわからないかもしれませんが」

たしかにわたしは公爵令嬢にして、王太子の婚約者だ。わたしより身分の高い生徒なんて、ほとんどいない。

でも、カリナみたいに身分を気にせず付き合ってくれる友人もいるのだけれど。

一方、レオンは男爵家の跡取りだし、それほど身分が高い方じゃない。

だから、いろいろわだかまりはあるのかもしれない。

ま、わたしみたいな気に食わない主人に頭を下げないといけないわけで、それだけでも不機嫌になって当然かもね。

まあ、でも、レオンがフィルのために力を貸してくれれば、それでいい。

「でも、俺たちがセレナさんをフィル様に近づけるのって、ホントにフィル様のためになるんですかね?」

「どういう意味?」

セレナさんはフィルの友達になってくれる可能性が高い。フィルが孤立している状況を変えられる、重要人物だ。

そのセレナさんとフィルの友情を取り持つことに、悪いことがあるはずない。

レオンはちょっと浮かない顔をして、そして、「まあ協力しますよ」と言ってくれた。

「問題はセレナさんですが……本当にフィル様と仲良くなりたいと思っているんでしょうか?」

レオンのもっともな疑問に、わたしは言葉に詰まる。

セレナさんがフィルに関心があることは間違いない。

だって、わたしには前回の人生の記憶があるから、わかるのだ。

でも、レオンにそれを言うわけにはいかない。

「せ、セレナさんはじっとフィルのことを熱い視線で見ていたの!」

「それだけ?」

「あとは勘……そう勘よ!」

わたしは手を上に突き出して叫ぶ。

レオンがびくっと震える。

「お、お嬢様……お願いですから静かにしてください」

「す、すみません……」

「お嬢様って頭がいいはずなのに、どうしてこう……」

「あら、褒めてくれているの?」

「お嬢様より優秀な生徒なんてそうそういないでしょう。褒めているというより単なる事実ですよ」

とレオンはそっけなく言ったけど、意外にも、レオンの中のわたしの評価は高いみたいだった。

「ふうん」

「なんでにやにやしているんですか?」

ちょうどいい。

レオンとも仲良くなりたかったところだ。

今回のフィルとセレナさんを友達にしよう大作戦では、わたしとレオンも仲良くなることとしよう!

そんな目標を胸に、わたしは立ち上がった。

「さあ、早速、セレナさんに会いに行きましょう」

とわたしがレオンに言うと、レオンは目を白黒させた。

「い、今からですか?」

「善は急げ、と言うでしょう?」

わたしがにっこりと微笑むと、レオンはやれやれという顔をした後、図書室の椅子を立った。

付き合ってくれるみたいだ。

今はお昼休みで、まだけっこう時間がある。教室へ行けば、セレナさんに会えるだろう。

フィルと、フィルのクラスメートのセレナさんを仲良くさせる計画を、わたしはレオンと共同で推進することになった。

うまくいくといいのだけれど。

レオンは、フィルやセレナさんとは隣のクラスだった。

それでもいきなり上級生のわたしだけが行くよりも、同じ学年のレオンが一緒に来てくれた方が、セレナさんも話しやすいはずだ。

廊下を歩きながら、レオンがおそるおそるといった感じで言う。

「あの……クレアお嬢様。会っていきなり、セレナさんに『フィルの友達になって』とか言わないですよね?」

「まさか。そんな下手な手段はとらないから、安心して」

「では、どうするんですか?」

「まずはわたしたちが、セレナさんと仲良くなればいいでしょう? そしたら、自然にフィルとも一緒にお昼を食べに行ったりして、みんなで仲良くなればいいの」

「ああ、なるほど」

レオンはぽんと手を打って、納得してくれたようだった。

わたしはレオンを睨む。

「わたしもそんなに考えなしってわけじゃないの」

「もちろん知っていますよ。ただ、お嬢様は、フィル様のこととなると姉バカになって、とんでもないことをしますから」

レオンは肩をすくめた。

悔しいけど、レオンの言うことは否定できない。

たしかに、わたしはフィルのこととなると、ときどき、冷静さがなくなってしまう。

前回の人生では、そんなことはなかった。自分で言うのも変だけど、わたしはいつでも、そつが無く優秀にものごとをこなしてきた。

それは……フィルのような、心を奪われるものが、あるかないかの違いだ。

ああ……でも。

前回の人生でも、シアにアルフォンソ様を奪われそうになったとき、わたしは暴走してしまったんだ。シアを傷つけようとして、逆に自分が破滅した。

わたしは、はっとする。

もしかしたら、今も同じかもしれない。

フィルに心を揺さぶられすぎて、とんでもない失敗をすれば……すぐさま破滅ってこともありえるかも。

実際に、夜の魔女の刻印は、わたしの腕に真っ赤な模様を刻んでいる。

これが浮かんでいるうちは、わたしの破滅はすぐそばにあるということなのだから。

「慎重にいかないと……いけないよね。うん、そうだよね」

「何でひとりごとをつぶやいているんですか?」

レオンが呆れたようにわたしの方を振り向く。

しまった……。口に出ていたみたいだ。

わたしが、「あはは」と笑うと、レオンはため息をついた。

「お嬢様は……変わりましたね」

「そう?」

「はい。フィル様が屋敷にいらしてから、お嬢様は落ち着きがなくて、とんでもないことをしたりして……でも、とても楽しそうになりました」

レオンがそう言って、少し表情を和らげて、わたしを見つめた。

どきっとする。

レオンはけっこう顔立ちが整っている。仕草も上品だし、その青い瞳で見つめられると、少しどぎまぎする。

フィルの可愛さとは方向性が違っていて、レオンの顔には幼いなりに凛々しさがある。

レオンは微笑んだ。

「さあ、急がないと。立ち止まってはダメですよ、お嬢様」

レオンに見つめられて、わたしは思わず足を止めていたみたいだった。

すたすたとレオンは歩き出してしまい、わたしはそれを慌てて追いかけた。

「ま、待ってよ! レオン!」

「俺はお嬢様のペースに合わせるつもりはないんです」

「意地悪ね」

「どうとでも言ってください」

と言って、レオンは振り向いて、にやにやと笑った。

こいつ……!

でも、振り向いた後、レオンはその場で立ち止まり、わたしを待っていてくれた。

レオンってけっこう足が速いんだ。お屋敷にいたころは、背もわたしのほうがレオンより高かった。

けど、一年でレオンに背も抜かされてしまったみたいだった。

「一つ忠告ですが、セレナさんにはあまりグイグイいかないほうがいいかもしれません」

「そうなの?」

「はい。というのも……」

わたしたちはちょうどフィルたちの教室についた。

教室を覗くと、相変わらずフィルが一人で本を読んでいて、ちょっと心配になる。

そして、わたしが探しているもうひとりの子も、教室にいた。

セレナさんも……一人で、窓の外をぼうっと見つめていたのだ。

わたしは意外な気がした。

セレナさんも……もしかしてひとりぼっち?

わたしがレオンを振り返ると、レオンは肩をすくめてうなずく。

「みんながみんな、要領がいいわけじゃないんですよ」

それは……そうかもしれない。

一人でいる生徒なんて、そう珍しい存在でもない。

わたしだって……前回の人生では、破滅する直前には孤立しかけていたわけだし。

とはいえ……これはセレナさんには悪いけれど、かえって好都合かもしれない。

ほかに仲の良い人がいないなら、なおさらフィルの友人になってくれる可能性が高いんじゃないだろうか。

「それで、セレナさんと仲良くなるとしても、具体的にはどうするんです? いきなり話しかけて、『仲良くなりましょう』なんて言ったら不審者ですよ」

「そこは考えているの。これでも秀才の公爵令嬢だから、わたしの話術をもってすれば楽勝よ」

わたしが胸を張ると、レオンは「へー」と冷たい目で見た。

こいつ……わたしのことを全然信用していない!

「み、見てなさい。すぐにでも仲良くなってみせるんだから!」

「不安だなあ」

とレオンはつぶやき、ふたたびセレナさんのいた席へと目を向けた。

わたしもそれにつられて、セレナさんがいるはずの場所へと視線を移すが……。

「あれ?」

そこにセレナさんはいなかった。

はて? どこへ行ったのでしょう?

そして、わたしは目の前に小さな女の子が立っていることに気づいた。

ブロンドヘアに、褐色の目。とっても小柄な少女だ。

セレナ・ロス・マロート伯爵令嬢は、いつのまにか、わたしたちの目の前に立っていた。

「あの……フィル様のお姉様ですよね?」

セレナさんは、鳥のさえずるような小さな声でわたしに尋ねる。

思わず、わたしはこくこくとうなずいた。

急すぎて、こ、言葉が出てこない! レオンが「自慢の話術はどうしたんですか?」とわたしを小突く。

う、うるさい!

セレナさんは、そんなわたしたちの様子を見て、くすっと笑った。

お、笑ってくれた。

セレナさんは笑うととっても可愛かった。人形みたいな整った顔に、ほんのりと赤みが差す。

「お話があるんです」

「ええと……」

それは願ったり叶ったり。

むしろこちらから話に行こうと思っていたのだから。

「屋上へ……行きませんか?」

と言われ、わたしはレオンと顔を見合わせる。

断る理由はない。

わたしたちはその場を離れ、校舎の屋上へと向かうことにする。

そのとき、教室の中のフィルと、一瞬、目が合う。ぱっとフィルの顔が輝き、でも、わたしたちが去っていくことがわかると、とても寂しそうな顔をした。

……ごめんね。本当だったら、フィルと一緒にいたいところなんだけど……そういうわけにもいかない。

わたし、セレナさん、レオンの三人は廊下をてくてくと歩き、階段を登り、そして、それほど時間もかからずに、目的の屋上にたどり着いた。

こないだ、フィルと一緒にお昼ごはんを食べた場所だ。

風で、セレナさんのブロンドの髪がたなびく。

「えっと、その……改めてご挨拶申し上げます。私はセレナ・ロス・マロート。マロート伯爵家の娘です」

「ええ、知っているわ」

マロート伯爵家は、古い家系の名門貴族だし、わたしの父とも付き合いがあったはずだ。

セレナさんは、ぼそぼそと型どおりの挨拶をこなすと、わたしをじっと見つめた。

話す前は勝ち気そうに見えた瞳だけど……喋り方は弱々しくて、気弱な印象がある。

「ご用件は?」

とわたしが尋ねると、セレナさんはおずおずとわたしに言う。

「その……ですね。クレア様たちはフィル様にご友人を作ろうとされているんですよね?」

「な、なんで知ってるの?」

「だって……聞いていましたから」

ああ、そうだ。

たしかにいくらでも知られる機会はあった。

うかつだった。

ただ、それほど大した失敗じゃないし、セレナさんにわたしたちの目的が伝わっているのは好都合かもしれない。

でも、それは勘違いだった。

「あの……クレア様。お願いがあるんです」

「わたしにできることなら、なんでも言って?」

とりあえず、わたしはできるかぎり優しげな微笑を作ってみた。

セレナさんはようやく決心したように、深呼吸する。

そして、言う。

「フィル様に友達を作ろうなんてしないでください」

「え?」

わたしは一瞬、セレナさんの言うことが理解できず、まじまじとセレナさんを見つめた。

どうしてフィルに友達を作らないで、なんて言うんだろう?

セレナさんは頬を赤らめて、うつむく。

「だって……私は、ひとりぼっちのフィル様が好きなんです」

たしかに、セレナさんはフィルのことを好きと言った。これは事前の予想通りだ。

でも、一人のときのフィルが好きってどういうことだろう?

「フィル様は、いつも窓の外をぼんやり眺めて……本を読んで……。そんなフィル様はとてもかっこよくて、可愛くて……」

たしかにフィルは可愛い。けど、ひとりぼっちのときよりも、わたしの目の前で微笑んでくれるフィルの方が好きだけど……。

レオンが口をはさむ。

「自分と同じ、一人のフィル様が好きってこと?」

レオンの言い方は少し意地悪だったけれど、真実を言い当てているようだった。

セレナさんはうつむいた。

「そう……かもしれません。ずっと……一人のフィル様を眺めていたいんです」

気持ちはわかるかもしれない。

孤立しているセレナさんは、同じように孤立しているフィルに親近感を抱いているんだと思う。

そして、フィルは孤立していても、容姿も優れているし、勉強もできるし、目立つ存在だった。

セレナさんが憧れのような好意を持つのも理解できる。

でも……。

それでは困る。フィルがひとりぼっちのままなのは、わたしは嫌だ。

「あのね、セレナさん。わたしもね、このままフィルがひとりぼっちだったらいいな、って思いがないわけじゃないの」

セレナさんは驚いたように褐色の瞳を見開く。

レオンもぎょっとした顔をした。

「な、何を言い出すんですか、お嬢様?」

二人がびっくりするのも当然だ。だけど……。

「フィルが一人だったら、ずっとわたしがフィルを独り占めできるじゃない?」

「お、お嬢様……。でも、それではフィル様が……」

そう。そのとおり。

それでは、フィルにとって、不幸なことだ。

わたしが教室へ行くだけで、フィルがぱっと顔を輝かせる。その魅力には抗いがたいけど……。

でも、それはフィルがひとりぼっちだからで、そしてフィルはひとりぼっちを望んでいない。

一人が悪いわけじゃない。世の中には一人でいることの方が気楽で素敵だという人もたくさんいる。

でも、フィルはそうではなくて……周囲と仲良くなることを望んでいる。

そして、わたしが観察するかぎり、セレナさんも同じだと思う。

「わたしは、フィルにもっとたくさんの人と仲良くなってほしいの。そして、みんなにもフィルの魅力を知ってほしい!」

セレナさんとレオンがあっけにとられたようにわたしを見る。

わたしはにやりと笑った。

「だって、あんなに可愛くて、頭も良くて、そしてとても優しい子をわたしが独占していたら、きっと神様からの罰が当たるもの。わたしはフィルのことが大好きだから、みんなにもフィルのことを知ってもらいたいの」

わたしの言葉に、レオンは呆れたというようにため息をついた。けど、その顔はどこか楽しそうで、優しい表情が浮かんでいた。

そして、セレナさんは……固まっていた。

しばらくして、セレナさんはわたしを上目遣いに見る。

「私が間違っている……ということですか?」

「そういうわけじゃないわ。あなたがフィルのことを好きなのは、わたしも嬉しいもの。だからね、あなたも眺めているだけじゃなくて、フィルの友達にならない?」

「私が……フィル様の友達……」

つぶやいた後、セレナさんはぶんぶんと首を横に振った。

「私なんかじゃ……きっと……ダメです。私は……ダメなんです。ずっとお屋敷にいて……家から一歩でも出ると怖くて……。人と話すのもうまくできないですし……何の取り柄もないし……」

ずいぶんと自分に否定的だな、と思う。

ある意味、前回の人生のわたしとは正反対だ。あの頃のわたしは、完璧な公爵令嬢として、王太子の理想の婚約者として、自信に満ちていた。

もちろん、それは思い込みで、わたしは破滅したわけだけど。

セレナさんの自己評価だって、思い込みだ。

「私は……クレア様とは違うんです。クレア様みたいに……フィル様と仲良くしたりなんて……」

セレナさんは小声で言う。

セレナさんは、それはそれは両親から愛されたそうで、使用人たちからも大事にされてきたはずだ。

でも、だからこそ、外の世界が怖いのかもしれない。

わたしは身をかがめ、とても小柄なセレナさんと目線を合わせる。

「セレナさんはとっても可愛いもの。取り柄がないなんてことはないと思うの」

「そう……でしょうか」

「ええ。わたしが男子だったら、セレナさんみたいな女の子が友達になってくれるなんて言ったら、きっととても喜ぶと思うし」

これはお世辞じゃなくて事実だ。だからこそ……フィルをとられたらどうしようという心配もないわけじゃないけれど。

さらに言葉を重ねようかとも思ったけど、あまりグイグイいかないほうがいい、というレオンの忠告を思い出した。

このあたりで切り上げようかな。

「あなたが勇気をもってフィルと友達になりたいなら、わたしはいつでも協力するから」

わたしの言葉に、セレナさんは答えず、うつむいたままで、でも一瞬きらりと目が光った。

あと一歩押せばいけるんじゃないだろうか?

セレナさんは、孤独なフィルを眺めていたい、なんて言うけれど、それは本心じゃなくて、本心では普通にフィルと仲良くしたいと思っているはずだ。

最初に教室で見たとき、セレナさんはわたしを憧れや嫉妬のこもった目で見ていた。

あれは自分も、フィルと仲良くしたいということだったはずだ。

やっぱり、もう一歩、踏み込んでみようか?

そのとき、レオンがわたしの服の袖を軽く引いた。

「お嬢様、そろそろ戻らないと……」

いけない。

毎日授業をさぼるわけにはいかないし、そろそろ戻らないと午後の授業に遅れてしまう。

わたしはひらひらと手を振り、「じゃあね」と言って立ち去ろうとした。

「あの……」

セレナさんに呼び止められて、わたしは振り返る。

青空を背に、セレナさんがわたしをまっすぐに見つめる。

「どうして、クレア様はそんなに堂々としていて……自信をもって振る舞えるんですか?」

そんなに堂々としているかな?

でも、たしかに……わたしはセレナさんのような物怖じはしない。破滅は怖いけれど、それはまた別の怖さだ。

わたしが自信をもって振る舞えるとすれば、前回の人生では、王太子の婚約者だったからだ。

完璧な公爵令嬢、理想の王太子の婚約者であることがわたしの存在意義で、そして自信の源だった。

でも、今のわたしは……自分がそんなものにはなれなかったことを知っている。

前回の人生での破滅は、わたしの心に深い傷を残していた。

それでもなお、わたしが少しは自分を信じることができているとすれば、その理由は、たった一つだ。

「フィルがわたしを必要としてくれているから。フィルがわたしのことを姉として頼ってくれるから、だから、わたしは堂々としているんだと思う」

わたしがそう言って微笑むと、セレナさんは目を大きく見開き、そしてうなずいた。

フィルがわたしに破滅に立ち向かう勇気をくれている。だからこそ、わたしはフィルの最高の姉になりたいんだ。

わたしは心の中でそうつぶやいた。

立ち去る前に、わたしはもう一つだけ、言うべきことを思い出した。

「そうそう。セレナさん。わたしのことを『様付け』はやめてほしいの。同じ学園の生徒でしょう?」

レオンと違って、セレナさんはリアレス公爵家の家臣というわけでもないのだから、変にかしこまるのもおかしいと思う。

まあ王太子のアルフォンソ様の婚約者のわたしに遠慮する人は多いのだけれど。

セレナさんはためらった様子だった。

「で、でも……」

「わたしが二年生。あなたは一年生。だから、『クレア先輩』って呼んでくれると嬉しいな。考えておいてくれる?」

こくこくとセレナさんはうなずいてくれる。

そうして、わたしは微笑みセレナさんの肩をぽんと叩くと、レオンと一緒に今度こそ屋上から立ち去った。

すべての授業が終わった後、わたしはもう一度レオンに会いに行った。

ともかく、セレナさんがフィルに好意的なのもわかったし、仲良くさせよう計画も成功するに違いない。

上機嫌にレオンの教室へ行ってみると、レオンは微妙な顔でわたしを出迎えた。

「……お嬢様。俺の教室に来るとは思っていませんでした」

「あら、ダメだった?」

「ダメってことはないですけど……目立ちますし、恥ずかしいんですよ」

レオンはきょろきょろとあたりを見回した。

なるほど。

たしかに上級生で、それなりに有名なわたしが登場すると、注目を集めてしまうようだ。

フィルの教室に行ったときも同じだったっけ。

「恥ずかしがらずに、もっと歓迎してくれてもいいじゃない」

「なんで俺がお嬢様を歓迎しないといけないんですか」

「フィルならすごく歓迎してくれるのになー」

「はいはい」

と言って、レオンは肩をすくめ、そして、くすっと笑った。

何かおかしかっただろうか?

そのとき、レオンのクラスメートの子がひょこっと現れ、わたしたちに近づいた。ちょっと長めの茶髪の男の子だ。

まだ十二歳だからかもしれないけど、女の子みたいな見た目だ。フィルとはちょっとタイプが違うけれど。

その子はわたしとレオンの顔を見比べ、無邪気な笑みを浮かべた。

きらきらとした金色の瞳で、その子はわたしを見つめて、それから名乗った。「僕、王太子殿下の婚約者のクレア様は憧れだったんです!」と言われ、ちょっと気恥ずかしい。

そして、その男の子はレオンをちらりと見る。

「そっか。レオンくんってクレア様のお屋敷にいたんだよね。いいなあ。クレア様と仲良しなんだね」

とその子は言う。声変わり前だから、声も高くて、どこか甘い響きがあった。

わたしとレオンは顔を見合わせ、そして、ぷいっと互いに顔を背けた。

「仲が良いわけじゃない」

とわたしとレオンは口を揃えて言う。でも、相手の男の子は首をかしげた。

「でも、さっきも図書室で一緒にいたじゃないですか? お二人は舞踏会でもあんなに素敵に踊られていましたし」

ああっ、見られていたんだ。

たしかに、最近、レオンと行動を共にすることが多い。他の生徒から見ると、わたしたちは仲良し(?)に見えるのかもしれない。

「あっ、でもお二人は主従なんですよね。理想的な主人と忠実な使用人、って関係も憧れます」

わたしとレオンはもう一度、顔を見合わせる。

「クレアお嬢様のどこが理想的なんですか」

「レオンも忠実じゃないよね」

そうして、わたしたちはむむっとにらみ合う。