Ⅲ フィルが心配!

あれやこれやで、全学舞踏会は無事に終わった。

友達みんなに、フィルを「わたしの最高の弟」として紹介して回るのも、忘れてはいない。

結果として、フィルの評判はわたしの同級生の女子のあいだでは上々だった。

みんな「可愛い」、「可愛い」と言って、フィルのことをかまおうとした。フィルは目を白黒させて恥ずかしがっていたけれど、それがなおのこと、みんなの庇護欲を煽ったようだった。

前回の人生みたいに、フィルのことを「弟じゃない」なんて冷たく突き放すようなことはしていない。

これで破滅は回避できたはず。

ところが……。

「どうして腕の刻印が消えないの……?」

わたしは学園の女子寮の談話室で、天井を仰いだ。

もう夜も遅くて、わたしとシア以外には、人はほとんどいない。

全学舞踏会から二週間が経った。

もう授業は始まって、わたしやシアやアリスは、二年生として普通の学園生活を送っている。

それは順調なんだけれど……わたしの腕には、まだ赤い刻印……夜の魔女の呪いの証が残っている。

これがあるということは、わたしは破滅への道を回避できていないということなのだと思うけど。

でも、あれほど、フィルを一生懸命、最高の弟として紹介して回ったのに……。

前回のような扱いを受けたときと比べても、フィルにとっても良い学園生活のスタートになったはずなのに。

これでも、わたしは公爵令嬢かつ王太子の婚約者で、学内の有名人だから、その弟として知られるのは、悪くないはずだ。

そうやって思い悩んでいたら、隣のシアが何か言いたそうにわたしを見つめる。

シアはもう、寝間着姿だ。ピンク色の可愛らしいネグリジェを着ていて、いつも以上に可憐だった。

そんなシアは、わたしにおずおずと話しかけた。

「あの……フィル様のことについて……お話したいことがあるのですけれど……。よろしいでしょうか?」

「もちろんダメなわけない。でも、どんなこと?」

シアが深刻そうに告げたのは、最近のフィルの様子だった。

フィルは学園生活を順調にスタートさせたかに見えた。

リアレス公爵家の次期当主として、注目される存在だったし、全学舞踏会でのわたしの行動で、より一層目立つことになった。

でも……どうも、フィルはクラスに馴染めていないのではないか、と言う。

「そ、そうなの?」

「はい。決していじめられているとか、嫌がらせされているとかそういうことはないみたいですけど……あまりご友人がいないみたいで……」

それは……まずい。

フィルはたしかに大人しい性格で……とても人見知りだった。

クラスで孤立しても、たしかに不思議じゃない。

でも、わたしが聞いた限りでは、そんな様子はなかったのに。

「レオンくんがそう言っていて……」

なるほど。

フィルとは別のクラスだけれど、同学年のレオンだったら、詳しい事情を知っていてもおかしくない。

けど……それならどうしてわたしに知らせないのだ、レオンめ。

シアが慌てたように付け足す。

「きっとレオンくんはクレア様を心配させないようにしているんですよ」

「そうかな。わたしが余計なことをするとか思って隠しているんじゃ……」

レオンのことだから、わたしを姉バカ、姉バカと思って、何をするかわからない危険な存在だとでも思っているのかもしれない。

……いや。

たしかに、わたしがやり過ぎて、舞踏会で目立ちすぎたかも、そのせいで、一年生のみんながフィルを遠ざけているのだとしたら……。

わたしのせい、というのは嘘じゃなくなってしまう。

そして、フィルもそう思ったら……わたしはフィルに恨まれて……破滅への道一直線では?

顔が青ざめていく。

わたしの顔色が変わったのを心配したのか、シアがまた慌てる。

「だ、大丈夫ですよ。そのうち、きっとフィル様にもお友達ができますし……。その……私たちが手助けすることだってできます」

「手助け?」

「はい」

「でも……どうやって?」

シアはしばらく考えて、困ったような顔をした。

具体的な案は思いつかないらしい。

救いの手を差し伸べたのは、アリスだった。

「おふたりともあまり夜ふかししちゃダメですよ」

と言いながら、アリスはまだ普通に学生服のブレザーを羽織っている。白を基調としていて、鮮明な青色の襟が印象的な、学園の標準服だ。

片手にはマグカップを持っていて、しかも中に入っているのは珈琲のようだった。

アリス……夜ふかしする準備万端じゃないか。

珈琲は昔は貴重な飲み物だったそうだけど、今ではすっかり王族から庶民まで誰もが飲む飲み物となっている。

シアが簡単に、フィルのことをアリスに説明した。

ふむふむ、と聞いていたアリスは、にっこりと微笑んだ。

「でしたら、解決方法は一つあります」

「なに?」

「あんなに可愛いフィル様を、みなが放っておくわけがありません。ですから……」

その後に、アリスが提案したのは効果的な方法で、そして、わたしにとっては諸刃の剣というべき、デメリットもある計画だった。

アリスの提案というのは……フィルのことを「可愛い!」と思う女の子の友達を、フィルに作ればいいということだった。

たしかに……前回の人生では、フィルはかなりモテた。今回だって、きっとそうだろう。

何人か、フィルに告白した生徒のことをぱっと思いつく。

フィルは女の子みたいな見た目だし、性格的にも女子と馴染みやすいかもしれない。

だから、男子の友達を作るよりハードルが低いとも思える。

でも……それは……。

わたしにとってはあまり面白くない。こんなに可愛い弟を他の誰かにとられちゃうなんて……。

いや、フィルをずっと独占しようなんてつもりはないし、わたしとフィルはあくまで姉弟だ。フィルとシアが相思相愛になったら、わたしは邪魔しない……つもりだ。破滅したくないから。

だからといって、フィルを積極的に女の子と仲良くさせようという気も起きない。

それにフィルが女たらしになってしまったらどうするのだ。

とアリスに言ってみたら、アリスはにこにこと笑った。

「大丈夫ですよー。あくまで女性のご友人を増やすだけです。それに……」

「それに?」

「フィル様にとっての一番は、きっといつでもクレアお嬢様ですよ」

アリスはぽんとわたしの肩を叩いた。

わたしは次の日の昼休み、ひょっこりとフィルの教室へと行ってみた。

一年生たちはわいわいと楽しそうに、にぎやかに休み時間を過ごそうとしていた。

なかには、学園の食堂へ、何人かで連れ立って行こうとしている子たちもいる。

でも、たしかに、フィルはひとりぼっちで、きょろきょろと周りの様子を見て、困っているようだった。

……これはよくない!

このままではフィルは孤立してしまうし、フィルの不幸はわたしの破滅へとつながる道だ。

前回の人生では……どうだったんだろう?

フィルを舞踏会で冷たく扱ったところまでは、記憶にある。けど、その後、フィルがどんなふうに学園生活を送ったのか、関心がなかったせいでわからないのだ。

お忍びでフィルの様子を見に来たはずだけど、フィルに見つかってしまった。

フィルがぱっと顔を輝かせて、とてとてとわたしの方にやってくる。

「クレアお姉ちゃん!」

きらきらとした黒い瞳で見つめられ、わたしは嬉しくなる。わたしが教室にやってくるだけで、こんなに喜んでくれるんだ。

同時に、困ってしまう。

舞踏会のときはともかく、今、下級生の教室であまり目立つのは良くないかも。

「あれ、クレア様じゃない?」「フィル様の姉の……」

そんな声が口々に聞こえてくる。

ああ、まずい……。目立ってしまっている……。

でも、目の前のフィルの可愛さには抗えない。

わたしはフィルを抱きしめようとして……やはりひょいとかわされる。

「クレアお姉ちゃん……みんなの前で、恥ずかしいことしないでって言ったよね?」

「ご、ごめんなさい……」

わたしがしょんぼりとして謝ると、フィルはくすっと微笑んだ。

「一緒にお昼ごはんに行ってくれたら、許してあげる」

その笑顔は……まるで天使のようで。

当初の予定にはなかったけど、わたしはフィルと一緒にお昼をとることにした。

……フィルがクラスに馴染む機会をますます奪ってしまうのが心配だ。けど……今日のところは、姉のわたしがフィルと一緒にいても、許されるんじゃないだろうか。

「あっ、でも、わたし、お昼ごはん持ってきてないかも……」

「大丈夫。ちょっと多めに作ってきちゃったから……」

フィルはバスケットを掲げてちょっと自慢そうにする。

へえ……自分で用意してきているんだ。

貴族の子弟が自立した生活を送れるように、と、寮には厨房まであったりする。

まあ、実際には使用人任せだったり、食堂や王都の料理店に頼り切りということも多いのだけれど。

ただ、フィルはそういう環境を利用して、自分でお昼ごはんを持ってきたみたいだった。

フィルの用意した料理……絶対においしい!

わたしが目を輝かせているのを見て、フィルが慌てて言う。

「た、たいしたものじゃないよ……」

「きっとそんなことない! それに、フィルの作ったものってだけで嬉しいもの」

フィルが恥ずかしそうにうつむく。わたしは思わず髪を撫でようとして……。

そして、視線に気づく。好奇の目とは違った、強い熱量を持った視線。

わたしたちを……見つめている。

振り返ると、教室の隅に、ブロンドヘアの小柄な女の子がいた。

なかなかきれいな少女で、褐色かっしょくの瞳がわたしたちをじっと睨んでいる。

わたしと目が合うと、その子は目をそらした。

……あれは……憧れ……じゃなければ嫉妬?

そして、わたしは思い出した。

その子のことを、前回の人生でも知っていることを。

その子の名前は、セレナ・ロス・マロートという。マロート伯爵家の一人娘だ。

マロート家はけっこう古い家柄の名門伯爵家だった。

お嬢様であるセレナは、美しい金色の髪が自慢の、とても愛らしい令嬢だった。両親から溺愛されたというのもうなずける。

小柄なフィルよりも、ずっと小さい。

セレナは……たしか、前回の人生ではフィルのことが好きだったはずだ。

友達の一人がわたしにご注進におよんだから知ったのだけど、でも、わたしは興味がなくて放置していた。

そういえば、フィルと同じクラスだったんだっけ……。

前回の人生では、わたしはフィルに興味がなかった。けど、今ならセレナの気持ちがわかる。

フィルみたいに可愛い子、他にいないものね!

「……お姉ちゃん? どうしたの? 早くお昼ごはん、食べに行こう?」

そうだった!

この教室で、フィルと一緒にお昼ごはんをとる、というのは無理だ。

周りは下級生だらけで、周囲の目が気になってしまう。

ということで、フィルと一緒に、学園の校舎の屋上へと向かうことにした。

セレナのことは何か引っかかりを感じた。なにか重要なことに気づいていないような……。

でも、考えても仕方ないので、とりあえず気にしないことにする。

ちょうどフィルのクラスのある校舎は、屋上が花壇と菜園になっていて、誰でも出入り自由だ。

わたしはフィルの手を引いて、階段を登っていく。

「ぼく……屋上って初めて来る」

「そうなの?」

「うん」

まあ、普通は屋上に用事はないし。

屋上への扉を開けると、爽やかな春の風が吹き抜ける。

時計塔からほどではないけれど、学園のかなりの部分を一望できるいい場所だ。

ちょうど学園の奥にある、アーモンドの並木が見える。

アーモンドといえば木の実を食べるものだけれど、春になると星型の淡いピンク色の花を咲かせる。

それがたくさん並んでいる姿は、遠目からでもなかなか綺麗だった。

ただ、それ以上に凄いのは屋上の花壇だった。

「すごい……。きれいな花がいっぱい……」

フィルがぱっと顔を輝かせて、つぶやく。

わたしもそれにつられて微笑んだ。

ひなげしアマポーラの花をはじめ、春の花が色とりどりに屋上を彩っている。その奥には、薬用の植物を育てている菜園もあった。

どちらも、趣味の花壇や菜園を超える規模だった。

「すごいでしょう。学園の植物学の先生や、園芸部の人たちが作っているんだって」

「へえ……」

フィルは興味津々で、身をかがめて花壇を眺めている。

……そういえば、フィルも課外活動に参加すれば、もしかしたら友達ができるかも。

園芸部だけじゃなくて、いろいろなクラブ活動が学園にはある。貴族の子弟が多いから優雅な活動が多いけど、単純に学園の生徒の数はなかなか多いから、活動には意外と幅もある。

それこそ園芸部とか良いかも。

でも、フィルは集団にいきなり入って馴染むというのはまだ得意じゃないかもなあ、とも考えてしまう。

そんなことを考えていたら、フィルはひとしきり花壇と菜園を見て満足したようだった。

とてとてとわたしのもとに戻ってきて、わたしを見上げる。

「ごめんなさい。待たせちゃった。お昼食べないと」

そして、フィルはバスケットの中から紙にくるまれたパンを取り出した。

バゲットパンを薄く切ってあって、そこにチーズと……なにか赤いものが塗られている。

「フィル、それは?」

「トマトをこすりつけて、オリーブオイルをかけてあるんだ。簡単なものだけど……けっこうおいしいと思うよ」

一口食べてみると、たしかにトマトの風味が心地よくて、オリーブオイルのしみたパンとよく合ってる。

おいしいなあ、と思ってぱくぱくと食べていると、フィルが申し訳無さそうな顔をする。

「お姉ちゃんと一緒にお昼ごはんを食べられるってわかってたら、もっと良いものを作ってきたんだけど」

「十分すぎるほどおいしいけど……」

「ね、お姉ちゃん。時々でいいから、また、こうしてお昼ごはんを一緒に食べてくれる?」

フィルがわたしを上目遣いに、期待するように見つめた。

わたしは勢いよくうなずき、そして、パンが喉につまり、少し咳き込む。

「だ、大丈夫? お姉ちゃん?」

「ちょっとむせただけだから平気……。それより、またお昼に誘ってくれるの!?

わたしの剣幕に驚いたのか、フィルが目を見開いてこくこくうなずいた。

「お姉ちゃんさえよければだけど……」

「もちろん! 毎日フィルと一緒にお昼を過ごしてもいいぐらいだもの!」

フィルと一緒にいられて幸せ! と何も考えずにフィルに返事をしてから、はっとする。

もちろん、フィルがわたしをお昼に誘ってくれるのは大歓迎だ。

でも……そうしていたら、ますますフィルはクラスと関わらなくなって、馴染めなくなってしまうのでは?

そう。フィルの問題をなんとかしてあげないといけない。

それが……フィルの姉であるわたしの使命だ。

「ところで、最近、クラスはどう? もう慣れた?」

とフィルに聞いてみると、フィルはパンを片手に、顔を曇らせた。

やっぱり、フィル自身も、あまり上手くいっていないと思っているみたいだった。

空がとても青い。

いまのところ、フィルに友達らしい友達はいないみたいだし、いつも一人で教室で過ごしている。

わたしはそれを直接フィルの口から聞くのはためらった。フィルを……傷つけてしまうかもしれないと思って。

でも、フィルはおずおずと、自分から、切り出した。

フィルの言うことを聞いても……やっぱり状況は、レオンの観察結果のとおりのようだった。

フィルは遠くを見つめるような目をして、つぶやく。

「王家のお屋敷では……ずっとひとりぼっちだったから。どうしたらみんなと仲良くなれるのか、よくわからないんだ」

「焦らなくてもきっと、すぐに仲良くなれるよ」

わたしは静かに言う。

これは気休めじゃない。

少なくとも、前回の人生でわたしが破滅した頃には、フィルにも友人がいたはずだ。

決して多かったわけではなさそうだけど、孤立していたという印象はない。

けれど、フィルは自信なさげに首を横に振る。

「お姉ちゃんは優しいから……ぼくのことをかまってくれる。でも、他のみんなは……きっとそうじゃない」

「わたしは優しくなんてないわ」

わたしは微笑んで言う。

フィルは驚いたように、わたしを見上げる。

「わたしがフィルと一緒にいるのは、わたしがそうしたいから。ただのわがままなの。わたしはね、自分勝手で、自己中心的な子どもなの」

前回の人生では、結局、わたしは自分のことしか考えていなかった。立派な公爵令嬢、立派な王妃……そんなものを目指したのも、自分が褒められて、他の人より偉くなりたいだけだったと思う。

今のわたしも、本質はきっと変わっていない。

それでも、わたしはフィルのそばにいたい。

それはフィルに対する優しさなんかじゃない。自分のための思いなのだ。

「フィルはとっても可愛くて、良い子だもの。だから、優しくないわたしも、フィルと一緒にいたくなるの」

「そ、そうなの?」

「ええ。だからね。きっと他のみんなも同じ。すぐにフィルのことを大好きになるわ。だから、安心していいの」

わたしはそう言って、フィルの黒い髪をくしゃくしゃと撫でた。

わたしがフィルの魅力をみんなに知らしめないと!

フィルを孤立させないための計画は、アリスが提案してくれた。

フィルに女の子の友達を作らせるという話だった。

そして、気づく。

フィルのクラスメートのセレナ・ロス・マロート伯爵令嬢。彼女は前回の人生でフィルに好意を持っていた。

なら、今回の人生だって同じはず。

セレナこそが、アリスの計画にうってつけの子だった。

そうか……。

セレナを見たとき、思いついて当然だったのに。

そこに考えが及ばなかったのは、きっと、わたしが無意識にセレナにフィルをとられたくないと思っていたからかもしれない。

ともかく、セレナと知り合う必要がありそうだ。

そのためには……誰に協力を頼めばいいだろう?

下級生の知り合いって、まだ、あんまりいないし……。

レオン、に頼むしかないか。

またレオンに嫌みを言われるかと思うと、ちょっと腹が立つけど、仕方ない。

ただ、今もフィルは落ち込んでいて……そして、ここにいるフィルを元気づけられるのは、わたしだけなのだ。

フィルの作ってくれたパンは、もうひとかけらしかない。トマトとオリーブの味が後を引いて名残惜しい。

けど、わたしはその最後のひとかけらを口に放り込んだ。

そして、立ち上がり、フィルに微笑む。

「ね、フィル。お昼休み明けの授業、さぼっちゃわない? それで、一緒に食堂の厨房に忍び込むの」

「え? で、でも、そんなことしたら……」

「大丈夫。一時間ぐらいいなくたって、誰も気にしないわ。言い訳はなんとでもできるし。あっ、もちろん。フィルが勉強したいなら、授業に出ていいよ」

フィルは真面目な子だし、さぼるなんて嫌かもしれない。

けれど、フィルはしばらく考えてから、微笑み、ふるふると首を横に振った。

「ううん。お姉ちゃんと一緒にさぼってみるのも、面白そうだし」

「やった!」

わたしがフィルに抱きつこうとしたら、フィルはさっと身をかわした。

フィルは恥ずかしがって、全然、わたしに抱きつかせてくれない。

でも、フィルの顔は赤くて、そして、はにかんだようにわたしを上目遣いに見つめている。

「もしぼくがこのまま他の誰からも好かれなかったとしても、お姉ちゃんだけはぼくのそばにいてくれる?」

「もちろん!」

わたしは得意げに胸を張る。フィルはくすっと笑った。

フィルは、きっと大勢の人に愛されると思う。前回の人生で殺されたわたしとは真逆だ。

でも、今、この瞬間は、フィルの一番の味方は、わたしなんだ。

いつもお姉ちゃんが言っていることと同じだよ?

授業中の学園の廊下はシーンと静まり返っていた。

わたしとフィルは、二人でそっと、そんな廊下を歩いていく。

わたしとフィルは授業をサボっているのだ。

本当に人っ子一人いない。豪華な赤い絨毯が廊下には敷かれていて、窓からの光でその模様をはっきりとさせている。

「まるで世界にわたしとフィルしかいないみたいね」

わたしが思わずつぶやくと、フィルは微笑んだ。

「お姉ちゃんってロマンチストだね」

「そう?」

「うん。でも、ぼくも……お姉ちゃんしか、この世界にはいないような気がするな」

フィルは嬉しそうにそう言った。

わたしも……今はフィルと二人きりの時間を楽しみたい。

そして、わたしたちは 食堂の厨房へと忍び込んだ。

さすが王立学園の食堂の厨房は、生徒の多さもあって、かなりの規模だった。

見渡す限り、調理器具が並んでいる。もう料理を担当する使用人たちは引き上げているようで、誰もいなかった。

フィルは目をきらきらさせながら、あたりを見回した。

「すごい……。赤銅の鍋も、鉄の包丁も、どれも一流品だね」

「わかるの?」

「うん。ぼくは王家の屋敷では調理器具の手入れもやってたし。リアレス公爵家の厨房と比べても、同じぐらい高価な道具を使っているよ」 

フィルは実家の王族の家では、使用人みたいな扱いを受けていた。

それで良い意味で貴族っぽくないところがあって、料理もできるし、いろんなことに詳しい。

やっぱり、そういうところだけでもフィルはとっても魅力的だし、みんなフィルのことを好きになること間違いなしだと思う。

「ということで、フィルと一緒にお菓子を食べましょう!」

「で、でも、お姉ちゃん……勝手に食べたりしたら怒られるんじゃ……」

「大丈夫。ここの食堂の料理人のお爺さんとは仲良しなの。それにね、今日食べるのは、わたしが作ったものだから」

そう言うと、フィルが目を丸くした。

わたしはここで、シアやアリスと一緒に、お菓子作りをしていたのだ。

特にシアはなかなか器用で、きれいな可愛らしいスポンジケーキを焼いていた。

わたしがシアの料理の腕前にびっくりしていると、「フィル様には負けませんから!」と真紅の瞳を輝かせていた。

……どうしてシアはフィルに対抗しようとするのだろう?

それはともかく、わたしのお菓子作りは、あんまりうまくいかなかった……。少しシアに教えてもらったけど、少なくとも、まだそんなに難しいものは作れない。

ただ、成果が皆無だったわけじゃない。

わたしは厨房の隅の戸棚から、一つの袋を取り出した。

そこにわたしの作ったお菓子を保管しているのだ。

そして、わたしはそれを取り出す。

「えっと……どうかな?」

わたしがフィルに差し出したのは、小さなわっか状のクッキーだった。

ワインのリングクッキーロスコ・デ・ヴィノというもので、甘口のワインを入れたクッキーだという。

シアが家でよく焼いていたというクッキーで、教えてもらいながら作ったのだ。

ホントはきれいなわっか状になるはずだけど、残念なことに、わたしのはぼろぼろで、途中で輪も切れてしまっている。

でも、味はおいしいとシアは褒めてくれた。

フィルはクッキーとわたしの顔を交互に見比べた。

「もらっていいの?」

「ええ、もちろん。そのために出してきたんだもの」

フィルはぱっと顔を輝かせて、わたしの手作りクッキーを口に運んだ。

わたしはどきどきしながら、フィルの感想を待つ。

フィルは嬉しそうな顔で食べ終わる。

「とってもおいしかったよ。アニスのいい風味もあるし」

さすがフィル。シアの指示で、アニスパウダーをクッキーに入れていた。

アニスはまさに学園屋上の菜園で栽培されていたりするし、入手が簡単な植物で、そして、使うと独特の香りが出る。

「でも……形も不格好だし、それにフィルの作ったものと比べたら……」

とわたしは思わず、自信のなさを口に出してしまう。

でも、フィルは天使のような顔で微笑んだ。

「そんなことないよ。とても美味しくできているし。それにね、ぼくは、お姉ちゃんが作ったものを食べられるってだけでも嬉しいな」

「そ、そう?」

「うん。いつもお姉ちゃんが言っていることと同じだよ?」

たしかに、わたしはフィルの作ってくれた料理やお菓子が食べられるだけで幸せだ。

それと同じことをフィルも感じてくれているなら、嬉しいかも。

「ありがとう。でも、わたしも……もっと頑張って、もっと美味しいものをフィルに食べてほしいな」

「期待してる。だからね、お姉ちゃんも、ぼくが作ったお菓子を食べてくれると嬉しいな」

フィルとお互いに作ったお菓子を食べさせ合いっこ。これはいいかも!

わたしは、フィルが美味しそうにわたしのクッキーを食べる姿を見ながら、そんなことができる日を楽しみに思った。