「ええと、クレア様は、フィル様を遠目から一目見るために、この時計塔に登ったんですか?」
「そのとおり」
戸惑ったようなシアの問いに、わたしはうなずいた。
なにか不思議なことがあるだろうか?
「でも、それだったら、普通に出迎えに行けばいいのではないでしょうか?」
「飛空艇から降り立ったら、いろいろ面倒な手続きがあるもの。すぐにはわたしも会えないでしょう?」
王立学園は王都の外れにあり、外部との接触が絶たれている。
これは警備上の都合だ。上は王太子から下は大商人の娘まで、要人の子女が集まるこの学園に、不審者が侵入すれば大変なことになる。
そのため、王立学園の門を初めてくぐるのは、それだけで一仕事だ。検査と手続きとで、二時間は拘束される。
一度入学してしまえば、比較的王都との行き来は自由になるのだけれど、最初はそうもいかない。
そして、わたしが飛空艇の発着陸をする港まで出向いて、フィルが見られる位置まで行くのも難しい。
王都へ行く道とは違って、飛空艇の港は、安全上、厳重に警備されていて、用がなければ入れない。
ということで時計塔に登って、フィルを遠目から見ることにしたのだ。
幸い、単眼鏡の向こうに見えるフィルは、元気そうで、その白い頬を紅潮させていた。
王立学園に入学できて、フィルなりに興奮しているのかもしれない。
フィルはこの学園に一年飛び級で入学して、この春から一年生になる。飛び級の理由は、嬉しいことに、わたしと少しでも早く一緒にいられるようになりたいからだと言ってくれた。
そんなフィルの姿を、わたしも王立学園に到着したらすぐに見たかった。もちろん公爵家に里帰りしたときには会っているんだけど、そう頻繁には戻れない。
最後に会ったのは三ヶ月前だ。
「でも……ここからフィル様を見なくたって……後になったら会えるんじゃ……」
「大事な弟が来たんだから、元気かどうか、一刻も早くみたいでしょ?」
わたしが微笑んで言うと、シアは沈黙し、しばらくしてから「羨ましいなあ」とつぶやいた。
? なにが羨ましいんだろう?
「クレア様がフィル様のことを大事にされているんだなって思いまして。私や王太子殿下には、クレア様はそこまでの情熱を示してくれませんから」
「え、えっと……そんなことは……」
ない、と言おうと思ったけど、その言葉は空に浮いた。王太子もわたしをジト目で見ている。
わたしにとってシアは大事な友人だし、王太子殿下は婚約者だ。
けど……二人には悪いけど……わたしにとっていちばん大事なのは、フィルなんだ。
自分でもどうしてかはわからない。ただ、わたしの願いはフィルの最高の姉になることで、フィルにもそう約束した。
単眼鏡の向こうに見えるフィルは、無事に手続きを終えて、王立学園の門をくぐった。
また、お屋敷のときみたいに、フィルと一緒にいられる!
けど、ここからが問題だ。
わたしは前回の人生で、破滅した。その理由はいろいろある。一つはわたしが「夜の魔女」という特殊な立場にあることだし、あるいは、シアを裏切ってしまったのもある。
ただ、もう一つ大事なのは、フィルと疎遠になってしまったこと。
あんなに可愛い弟に、わたしは冷たく接していた。それが、わたしがフィルに処刑されるという破滅につながったと思う。
もちろん、今回はわたしはフィルを全力で可愛がる方針だけど、でも、選択肢を間違えれば、わたしの意思とは無関係に、フィルとの関係が破綻してしまうかもしれない。
「第一の山場は、全学舞踏会よね……」
新入生を歓迎し、在校生の親睦を深めるために、四月の学園で行われる大規模な舞踏会。
それが春の全学舞踏会だ。
そして、前回……わたしはフィルに冷たく接し、フィルにひどいことを言ってしまっていた。
周りの生徒たちに、フィルを紹介するように言われ、でも、そのときのわたしはフィルのことを嫌っていた。
だからフィルなんて弟じゃない、と冷たく突き放してしまっていたのだ。そのせいで、フィルとの関係はますます悪くなったし、フィル自身も学園生活を送りづらくなったはずだ。
実のところ……今、わたしの腕には赤い刻印が現れている。夜の魔女に近づいたことを示す幾何学的な禍々しい模様だ。
つまり……破滅を回避する必要がある。
ということで、わたしが取るべき対策は一つ!
「舞踏会で、フィルをわたしの『最高に可愛い弟』として紹介してまわらなきゃ!」
わたしの叫びに、王太子もシアも、あっけにとられていた。
☆
「ねえ、アリス。男子寮にこっそり忍び込む方法ってないかしら?」
「まあ、お嬢様もお年頃ですね」
メイドのアリスは、朝の身支度をするわたしの髪に、リボンをつけようとしていた。そんなアリスは、びっくりしたようにわたしをまじまじと見つめる。
わたしは、アリスの淡い灰色の瞳を見つめ返して、ふるふると首を横に振る。
「違うの。フィルに会いに行きたいだけ」
「あら、てっきり素敵な殿方との逢引に行かれるものかと思いましたのに」
「フィルより素敵な男の子なんていないわ」
わたしが冗談めかして言うと、アリスはくすっと笑って、「さすがお嬢様、姉バカですね」と言う。
わたしとアリスがいるのは、王立学園の女子寮の自室だった。今日は休日で比較的のんびりできる。
王立学園は貴族の生徒ばかりだけれど、そのなかでも、わたしは公爵令嬢として特別扱いを受けている。
寮の中でも特別豪華なだだっぴろい部屋を与えられていて、天蓋付きのベッドまである。
普通の生徒は二人から四人で一部屋を割り当てられているから、破格の待遇だ。
前回の人生のときは……特別扱いされていることはわたしの自慢だったけれど。でも、所詮、それはわたしが偉いんじゃなくて、リアレス公爵家が偉いだけだと気づいてしまった。
ただ、一つだけ嬉しいことがある。
それはアリスと一緒にいられることだ。
前回の人生では、わたしが学園に入学する前に、アリスは死んでしまった。けど、今回は、わたしはフィルと一緒に、アリスの死の運命を回避することができたのだ。
だから、わたしと一緒に、今は学園の二年生になっている。
ホントは、アリスの方がわたしよりも二つ年上だけど、わたしのメイドということで、わたしと同じ年に入学したのだ。
学園の標準入学年齢は十二歳だけど、飛び級で早く入ったり、若干遅く入学したりするのも、入試に受かりさえすれば自由に認められている。
そして、今のアリスは、わたしと一緒の部屋に住んでいる。
メイドを一緒の部屋に住まわせるなんて、普通の生徒にはできないから、これは公爵令嬢の特権だ。
べつに特権があることを誇るつもりはないけど、あるものは有効活用しよう。
ただ、そんなわたしの(家の)力をもってしても不可能なことがある。
それはフィルと同じ部屋に住むことだ。
さすがに男の子のフィルと同じ部屋にしてほしい、という要望は通らない。女子寮は男子禁制だ。
アリスは「うーん」と腕を組む。
「フィル様なら、待っていれば、そのうち会えますよ?」
「わかってるけど……でも、フィルはもう昨日到着したのに、まだ会えてないし……」
学園への入学手続と検査さえ終われば、すぐに会えると思っていた。
ところがフィルは男子寮に入ったきり、出てこない。
男子寮の寮監は取り次いでくれないし、結局、会えずじまいだ。
フィルもわたしに会いたい、と思いながら、会えない事情があるのだと思うけれど……。
「フィルが……わたしのことなんか、どうでもいいと思っていたら……どうしよう……?」
「あのフィル様にかぎって、そんなこと絶対ないと思いますけどね」
「でも……お屋敷と違って、この学園には刺激的なものがたくさんあるし……可愛い女の子だっていっぱいいるし……」
わたしは思わず、不安を口にする。
問題は、今だけのことじゃない。ずっとお屋敷で一緒にいた以前とは違う。フィルだって成長していくし、そうなったとき、わたしとフィルの関係は今まで通りでいられるだろうか?
前回の人生で、フィルがシアを好きになったように、アリスと親しくなったように、誰かわたしより大事な人を見つけたら……。
それ自体は覚悟しているけど、でも、それで、わたしのことなんてどうでもよくなったら、どうしよう?
アリスはそっとわたしの肩を抱いた。
「大丈夫。フィル様にとって、きっとクレアお嬢様はいつまでも最高の姉ですよ。だって……お嬢様より魅力的な方なんて、この世にはいないんですから。お嬢様にとって、フィル様よりも素敵な方がいないのと同じように」
「……そうかな?」
「はい。お嬢様のことをよく知っているあたしが言うんだから、間違いありません」
アリスは優しく、わたしを安心させるように微笑んだ。
そんなアリスを見ていると、不安が薄らいでいくのを感じる。
フィルにとって、またシアにとっての姉がわたしであるように、わたしの姉代わりの存在がアリスなのだ。
アリスは急にぽんっと手を打った。
「あっ、でも……お嬢様……」
「な、なに?」
「男子寮に忍び込むというのは面白そうなので、やってみたい気がしてきました」
「ええと……やっぱりやめておいた方が良い気がしてきた」
アリスがこういうふうに目を爛々と輝かせているときは、危険だ。アリスはこういう冒険的なことが大好きで、前は一人でサグレス王子に会いに行ったりしているし……。
アリスはふふっと笑った。
「冗談です」
「よかった……」
「あら、お嬢様が言いだしたことではありませんか」
「それはそうだけど……でも、アリスのおかげで考えが変わったの」
フィルには明日、必ず会える。明日の入学式のあとの全学舞踏会には在校生も新入生も参加するからだ。
今考えるべきなのは……フィルを最も大大的に、わたしの弟として紹介する方法だった。
そのためには……目立つ必要がある。
そして、その手段もあった。