第四章 旅立ちとさらなる出会い


 マリウスさんやバーニーさんたちがこの街にいるのは今月中。私が彼らから情報を得られるのは、もう一ヶ月もない。

 時間は有効に使わなければ。

 トマス氏と異世界課のエイリー課長には、今月で王宮勤めを辞めたいと申し出た。

 異世界課に就職してから頼まれていた、書類や資料、本のたぐいの翻訳はほとんど終わっている。用途が分からなかった小物や道具類の説明も、私が分かる範囲では全て説明をしたり使えるように整え終えた。現在は私が異世界から持ち込んだ本(大学図書館で借りた童話集。やばい、返せない)を訳している最中。

 異世界課のエイリー課長は良くも悪くも異世界のことにしか興味がないので、「一緒に仕事をするのは楽しい発見がたくさんあったのだが、キミの希望が優先される。残念だが、キミの決定に従う」と童話集の翻訳が終われば別に構わないと言ってくれたけれど、トマス氏はとても慌てた。

 トマス氏だって、今、王宮中で流れている私のうわさに関して知っているはずなのに。居心地が最高に悪い環境にいるって分かっているはずなのに、どうして私が王宮での仕事を辞めて、寮から出ていくことに慌てるのかが不思議だった。

 そこからは毎日トマス氏や部下さんから、考え直してくれと何度も説得を受けた。職場や寮の環境改善はもちろん、噂に関しても収束するように対処すると言われた。でも、そう言われても今さらなんだよな、としか思えなかった。

 別に職場や寮に関して不満があったわけじゃないし、もう噂に関してはどうにもならないくらい広がっているし、ここを出ると決めてからは前ほど気にならなくなった。

 お金を節約したいため、食事はできるだけ食堂で取ることにした。相変わらず遠巻きにされているし、噂話という悪口も絶妙に私に聞こえる声量で言われていて居心地が悪い。食事の味もほとんど分からない。味付けがされていない料理を食べているような感覚だけれど、それももう少しだと我慢する。

 全てにおいて、〝もう出ていくのだ、残り何日〟と思えば耐えられた。

 寮の部屋にある私物も少しずつ処分する。といっても、たいしたものはもともとないし、お布団や枕なんかは支給品だからそのまま置いておけばいい。

 旅に持っていけるものだけを残して、処分していく。そうやって身の回りを片付けて旅立つ準備を進めていくと、周囲のことなんて気にならなくなってくるから、とても不思議だ。



 王宮での仕事が休みの日、私は約束通りランダース商会に顔を出した。

 お米の食べ方をレクチャーしてほしい、とのことだったのでお米の炊き方を書き出しておいた紙を渡した。ご飯の炊き方が分かれば、自分たちでも炊けるようになる。そうすれば、上手うまい売り方も考えられるだろう。

「ここで大丈夫か?」

 ドーベルマンっぽいイヌ獣人であるグラハム主任に案内されたのは、ランダース商会の従業員用休憩室。その隅っこにはキッチンが備え付けられている。魔法で火がついて火力の調節ができるコンロが三つに、魔法で水が出る大きな流しもある立派なものだ。

「大丈夫ですよ」

「で、何を作ってくれるの?」

 マリウスさんはうれしそうだ。

「お米料理はたくさんあるのですが、まずは基本的な食べ方をと思います」

 お昼の時間も迫っていたので、早速やや大きめのボウルに洗ったお米を入れて水に浸しておく。その間に用意してもらった干した魚を焼き、身をほぐしておく。お米の吸水が終わった頃に鍋へお米を移し、お水を入れて火にかける。

「お水、こんなに少なくていいの?」

 先に渡しておいた紙を見ながら、マリウスさんは鍋の中のお米と水の量を確認した。

「多すぎるとベチャベチャになりますし、その、お米を溶いたようなお湯になっちゃいますよ?」

 そう言うと、彼らが作りあげたという薄い重湯のことを思い出したのか、休憩室に集まった人たちの間で苦笑いが浮かんだ。

「火にかけてから二十分くらいで炊き上がり、そのあと十分くらい蒸らしたら完成です」

 火の加減がどうだの、蒸らすってどういうこと、とかの質問を受けながらにぎやかな時間が過ぎる。まるで学生時代にやっていた調理実習みたいだ。

 炊き上がったお米はツヤツヤでふっくら。日本のお米よりも少し粒が大きくて、香りもちょっと違う。少しだけ食べてみれば、味も少し違う。やっぱり、似ているものがあってもこの世界は私のいた世界とは違うんだなって、こういう小さなことで思い知らされる。

 焼いてほぐした魚の身を入れたおにぎりと、お肉のしぐれ煮を入れたおにぎりを作れば、お店で働く皆さんから「美味おいしい!」という言葉を貰えた。

「へえ、コメってこんな味なのね、甘い」

「前回出来た甘いお湯のことは忘れようぜ、ありゃあないわ」

「この肉の煮たやつ美味うまいな。パンにはあんまり合わないから、売れないだろうと思ってたんだが……コメとなら相性がいいから売れるかもしれん」

「この干した魚も美味しいね。コメと合わせると丁度良いしょっぱさ」

 作ったおにぎりはすぐに皆のお腹の中に消えていく。

 おにぎりを食べながらも、どうやってコメを売るのか、コメと一緒に合わせると美味しい食材も売ろうなど、活発な意見が飛び交う。とても賑やかで、楽しそうだ。

 私はそれを見て聞きながら、食材が尽きるまでひたすらおにぎりを握り続けた。

「レイさん、ありがとう。コメがこんな美味しいものだって知ることができたよ」

「こんな美味しいものなら、ぜひこのコメの美味しさを広げたいね」

「美味しいもの教えてくれてありがとね」

 お米の売り方を検討する皆さんからお礼を言われて、私は素直に嬉しかった。この世界に来て、こんな真っすぐに他人様から感謝されたことなんてなかった。

「ねえねえ、他にもいろいろ食べ方あるんでしょう?」

「え、ありますよ」

「教えて、教えて! っていうか、作って!」

「え、ええ!?

 体が大きなイヌ獣人さん、ヤマネコ獣人さんたちがお皿や鍋を洗っていたところにやってきて、私を取り囲んでそれぞれに口を開く。言いたいこととか、希望していることは分かるんだけど、圧がすごい。まるで大型のイヌネコに複数でじゃれつかれているかのよう。

「今度はもっとたくさん作ってほしい!」

「そうそう、もっと食べたい!」

 悪意はゼロ。彼らの中にあるのはただ純粋にお米料理がもっと食べたい、という気持ち。ただその圧が凄いだけ。

「えっええっ……ええと……」

「ねえねえ、お願いだよ! もっといろいろ、いっぱい作って食べさせて!」

「はーい、はい、そこまでー」

 まとわりつく獣人さんたちを引きがし、マリウスさんが私を背中にかばってくれた。大きくてふんわりしたマリウスさんの尻尾が私の体を包む。

「なんだよ、マリウス。ただ頼んでるだけだろ」

「そーだそーだ、こんな美味い料理なんだからもっと食いたい! 美味しい食い方を知ったら、上手い売り方も思いつくかもしれないし」

「レイちゃんにはね、ちゃんとお願いしています」

「えっ」

 マリウスさんはふふんっと鼻を鳴らして、休憩室にいる全員ひとりひとりの顔を見てうなずく。

「これから僕たち本隊が出発するまで毎週、レイちゃんの知るコメ料理を作ってもらう約束になっているの。だから、そんな風にこの子に詰め寄らないで。また来週をお楽しみにね」

「本当か!?

「あ、うん。そういう、約束ですから」

 休憩室はワッと歓喜に沸いた。皆嬉しそうに笑って、今さっき食べたおにぎりについて語っている。

「ごめんね、レイちゃん。皆コメが想像以上に美味しかったから、興奮しちゃったみたい」

「……いえ、美味しいって皆さんに言ってもらえて、よかったです。安心しました」

「オニギリ、本当に美味しかった。以前ここで出来上がっちゃったあのお湯とは全く別物よね」

「それは……」

 そうでしょうとも。美味しく炊けた白米と、薄い重湯では比べものにならない。

「来週も楽しみにしてるから。期待しちゃうなぁ」

「あんまり期待されても、困っちゃうんですけどね」

 そう言いながらも、私は皆に美味しいって……日本の主食を美味しいと言ってもらえたことが嬉しくて、皆の役に立てたのかもってふわふわした気持ちでいっぱいだった。

 来週のお休み、ここで皆に何を振る舞おうか、それを考えている自分がいた。

 商会を出て王宮に戻れば、私を取り巻く世界は厳しい。うそばかりの噂と、それを面白がって広める人たち、私を追い込もうとしている人たちの厳しい世界。

 でも、私はその厳しい世界のことをそのときは忘れていた。この米料理試食会で生まれた新しい縁のお陰で、忘れることができていた。

 それだけでも、十分な進歩だ。そう思う。



 翌週のメニューは中華がゆ、蒸し鶏とネギがトッピング。その次の週のメニューはオムライス。その次はトマトの風味を効かせたリゾット。

 料理の後は東の島国の言葉で書かれたメモ(普通に読めたけど日本語にかなり近い感じ)を翻訳したりした。その代わりに他の街や国の話を聞いて、書籍なんかも見せてもらった。

 ついでにというわけじゃないけども、ランダース商会で扱っている商品の中から旅にぴったりな肩掛け型のかばん、雨や風を防ぐフード付きのポンチョ、長距離を歩いても大丈夫な編み上げブーツなど旅に必要だと思われる品を購入した。

 マリウスさんたちがこの街にいる期間が残り数日ほどになって、おそらく皆に会えるのは最後になるだろうという休日。いつものようにランダース商会に顔を出して、恒例となりつつあるお昼ご飯を兼ねたお米料理を披露する。

 おにぎりにお粥、オムライス、リゾットと作ってきて……最後の休日は何にしようかと考えて、味付きのご飯を作ることにする。祖母直伝のきのこの混ぜ込みご飯だ。

 いつものように、従業員用休憩室にあるキッチンを借りてお米を炊く。炊き上がるまでの間、数種類のきのことにんじん、小さく切った鶏肉を入れて醤油しょうゆっぽい調味料とお砂糖、お酒っぽいものを入れて甘辛い味付けで汁を多めに炒め煮にする。本当なら油揚げとかタケノコとか、日本っぽい食材を入れたいところだけれど、今のところ存在が確認できていないので仕方がない。もしかして、この手の食材も東の島国に行けばあるかもしれない。

 ふっくらと炊き上がったご飯に煮込んだ具材を混ぜ込んで、三角形に握ればきのこの混ぜ込みご飯のおにぎりの完成。

 出勤してきている従業員の皆がお昼に食べては感想をくれるのも、恒例になってきた。「美味しい」とか「甘辛い味が好き」とか言いながら、皆が笑顔で食べてくれるのが嬉しい。

「レイは料理が上手いな。このオニギリも、前に作ってくれたカユもオムライスも美味かった」

 グラハム主任はおにぎりをづかみして三口で食べ切り、ふたつ目をほおる。

「このきのこのオニギリ、本当美味しい! 特にカユとリゾットが僕は好きよ。温かくってスルッと食べられるのがいいわ。カユは添えられていた鶏肉がまた美味しかった。添え物をいろいろ工夫できるのも楽しいよねぇ。レイちゃんはこういうお料理は誰に教えてもらったの?」

「私の料理は家庭料理で、母と祖母から教えてもらったんです」

 母方の祖母は料理が上手で、その料理は私の母が受け継いでいた。伯母は食べるのは大好きだったけれど、作る方にはあまり興味が湧かない人だったらしい。あんの家では外食やデリバリー、デパートやスーパーのおそうざいが多かった。

 炊き込みご飯やら混ぜ込みご飯などの味の付いたご飯は祖母の十八番おはこで、杏奈とけん兄さんも大好きだった。

 学校が長期休みになれば、私は杏奈と建斗兄さんと一緒に祖父母の家に行った。祖母はその都度、きのこだったり豆やくりだったりを使った味の付いたご飯と、それに合うご飯のおかずをテーブルいっぱいに並べて迎えてくれた。「よく来たね」という言葉と柔らかな笑顔と共に。

「へええ、レイちゃんのお祖母ばあ様とお母様もお料理が上手なのね。うらやましい~」

 マリウスさんはふたつ目のおにぎりに手を伸ばし、機嫌良さそうに尻尾を左右に振った。

「僕の母ってば、料理が下手でね? よく焦げて苦くなったシチューやら、甘いような酸っぱいようなよく分からない味付けの料理とかが出てきたものよ~」

「俺の母親は肉をいつも焼きすぎて、カチカチになったものを出してきたな。以前、半生に焼いた肉を食った俺が腹を壊してからやたら火を入れるようになったみたいだ」

 どこの家にもある、家族の失敗談。そういう話を聞くと楽しくなる半面、少しだけ胸が痛い。

 そういえば杏奈の母である伯母が甘酸っぱい感じの、不思議な味のカレーを作って食べさせてくれたことがあったのを思い出した。微妙にご飯と合わない甘酸っぱいカレーは、食べられないような味じゃないけど決して美味しいとは言えなかった。伯母さんを心から愛する伯父さんは「とってもデリシャス!」を連発しながらお代わりして食べていたけど……愛だなって感心した。

 市販のカレールーを使ってもカレーを微妙な味に作れるなんて、もしかしたら伯母さんは料理が下手で、だから外食やスーパーのお惣菜などがメインな食生活だったのかもしれない。

 そんなカレーも伯母さんと伯父さんと杏奈と建斗兄さん、従兄妹いとこ家族と過ごした楽しい思い出だ。

「いいねえ、お祖母様からお母様へ、お母様からレイちゃんへ、お料理の味はつながっていくんだね」

「そうですね」

「レイちゃんが教えてくれたお料理の味は従業員たちからそのおうちに伝わって、そのうちコメや他の食材を買ってくれたこの街のお家に広がっていくのねぇ。本当、レイちゃんのお祖母様とお母様には感謝だわ」

「そうだな。レイ、ありがとう。おまえの祖母君と母君にも感謝を」

 マリウスさんとグラハム主任はそう言って、改まって感謝の言葉をくれた。それに倣うように、ランダース商会の休憩室でお米料理を試食してきた全員が、私自身と私の祖母と母に対して感謝の言葉をくれたのだ。

 思い返せば、料理をはじめとした家事を母から習うことに私は積極的ではなかった。料理好きの母が手料理を作ってくれていたから、私自身が作ろうという気持ちにはならなかったから。そんな私にしつこいほど「できないとれいが将来困るんだよ?」とか「できないよりできた方がいいよ」と言って、母も祖母も教えてくれた。その都度私は料理を一緒にしながら「面倒くさいよー」とか返したものだ。

 あの時間がとても大切なものだったと、今になれば分かる。失って初めてそれの大切さを知る。そういう意味合いの言葉を聞いたことがあったけれど……本当にその通りだ。

 母や祖母と一緒に過ごす時間は、二度と得られない。顔を見ることも声を聞くこともできない。

 女神がくれるという、以前にいた世界に残してきたものに対する想いを薄くする魔法が解けてしまっている私は、家族のことを思うと本当に切なくて苦しい。でもその切なさが、家族と過ごした時間が現実だったことを証明してくれてもいる。

「どういたしまして。美味しく食べてくださって、ありがとうございます。祖母も母も喜びます」

 遠く離れていても、私が孫であり娘であることは一生変わらないのだ。

 でも、やっぱり……失った寂しさや苦しさが完全になくなることはまだない。

 この感情を薄くして早く過去のものとするために、女神は失った縁を気にしない魔法を異世界からやってきた人間にかける。その魔法が解けてしまった私は、杏奈が胸にスースーする穴の開いた感じと表現したせきりょう感という感情と、上手く付き合っていかなくてはいけない。

 分かってはいても、まだ、それが私には上手くできない。

 いつか、上手くできるようになって……笑って、くしてしまった家族の話をすることができるのだろうか? 今はまだ、想像もできない。



 きのこの混ぜ込みご飯のおにぎりの試食会が終わった後、私は別の部屋でこの世界の地図を見せてもらっていた。

「……ねえ、レイちゃん」

 この地図を見せてもらえるのも今日が最後かと思うと、目に焼き付けておきたい。

「なんですか?」

「グラハム主任が言ってたんだけど、旅支度をしてるんだって?」

「はい、そうなんです。マリウスさんたちに出会ってからいろいろあって、私もいっぱい考えたんですよ。で、私は王宮にいたら駄目なんだなって、そう思ったんです」

「でも、王宮を出てこの街で新しい仕事探して暮らしていくだけでもいいんじゃないの? 旅支度をしてるってことは、最低でもこの街を出るつもりなんでしょう」

 もちろんそれも考えた、パターン二を考えなかったわけじゃない。

 私を取り巻く環境の中で、居心地が悪いのは王宮の内部だけだ。噂を流し、それを好きなように書き換えて話題にして楽しんでいるのは王宮で働く下級職の職員がメインだから。

 王宮で働くのをやめて、この街で新しい仕事を見つけて部屋を借りて生活すれば環境は改善される。でも私はこの街を出て、いろんな国のいろんな街を見て東の島国に行くつもりだ。この街を出て、新しく暮らす街なり村なりを見つけて、そこでさらに新しく仕事も探す……それは言うほど簡単なことじゃないだろう。きっと私の考えは甘い。

 それでも、最低でもいろいろあったこの街は出る。できたら別の国で暮らしたい。

 本や地図で調べて、この世界の東側にある地域は日本や中国が混じったような文化圏だと分かった。きっとそっちの方が私にとっては生活がしやすいはずだ。だから自分で行って、確かめてみようと決めた。それからそこで暮らすかどうかを決めても遅くない。

「はい、そのつもりです。もしどこか別の街で会えたらいいですね」

 他の街にあるランダース商会の支店には、今後も絶対買い物で寄るつもりだ。お世話になった商会に私ができるのは、買い物をすることだけだから。

…………はあ、もう。いつ言い出してくれるのかなって期待してたんだけど、駄目ね」

「どうしたんですか?」

 マリウスさんは地図を見ている私の正面に座ると、地図をササッと片付けて顔をのぞき込んできた。

「どうして一緒に連れてってって、言い出してくれないの」

「……ええ!?

「だってそうでしょう? この街を出るって支度してるのは買い物してるの見てれば分かるし、話してたらおおよそこの辺りで出発するなっていうのも見当がつくの。僕たちと同じくらいに出発するつもりなんでしょう? なのに、何も言ってこないなんて」

 マリウスさんはフーッと大きく息を吐いた。

「グラハム主任も心配してたわ。いつ一緒にって言い出してくれるんだろう、誰か申し出を受けていないかって」

「え……でも、私は」

 私はランダース商会の人間じゃないし、一緒に連れてってなんて言っていい立場じゃない。

「あのね、レイちゃん。この世界のこと、国のこととか一生懸命勉強してたのは知ってるけどね、実際王宮以外の世界を見たこともないあなたが、いきなりひとりであちこち旅して回れるほどこの世界は甘くないの」

 マリウスさんはこの世界の旅は安全ではない、と教えてくれた。魔物が出て人が襲われたり、盗賊も普通にいて追いぎ行為をしたり、若い女性をさらっていったりすることもあるらしい。

 日本でひとり旅をする、そんな気分でいた私はぼうぜんとしながらこの世界での現実を教えられ、ショックを受けると同時に落ち込んだ。やっぱり、私の考えは甘かった。でも、私はこの街にはいたくないのだ。

「だから、行くのなら僕たちと一緒に行きましょう? 絶対安全、とは言えないけども僕たちは何年も支店を巡って移動してるから、旅慣れているしね」

「でも、私、何もできませんし」

「……それなんだけどね、少し確認させて?」

 そう言って、テーブルの上に数冊の本が並べられた。

 テーブルの上に並んだ五冊の本は全て違う言語で書かれているけれど、内容は同じものに見えた。異世界からつがいを召喚する力を持った女神様に関する物語。

 女神様に関する物語は、こちらでは日本の昔話のような立ち位置にあるようで、この手の物語を子どもたちは読み聞かせられて育つらしい。

「……? この本がどうかしたんですか」

「レイちゃん、この本見てどう思う?」

「どうって、全部同じ内容ですよね。書かれている言葉が違うだけで。一番右はこの国の言葉、その隣は内海を挟んだ先にある国、その隣とそのまた隣は分からないけども、一番端っこは東の島国の言葉です」

 たぶんもっと国は細かく存在しているし、言語も多岐にわたっていると思うけれども……大まかに言語は五、六種類の体系に分かれている。

 この世界に来るときに異世界から呼ばれた私は女神様の加護っぽいものをもらっているので、話すこと読むこと書くことに苦労しない。だから、言葉の壁などない。

「やっぱり」

「どうしたんですか?」

 マリウスさんは大きく息を吐くと、一冊の本の上に手をポンッと置いた。

「あのね、レイちゃん。アナタ、女神様からどんな祝福を貰ったの?」

 女神様の祝福といえば、杏奈が植物を早く元気に育てられる力を貰ったというアレだ。私は何も貰えなかったという、アレ。

…………いえ、あの、私は何もそういったものは貰えなくて」

「違うわ! レイちゃんは知らなかったんでしょうけど、異世界人が読み書きに困らないのは、その人が呼ばれた国の言語だけなのよ」

「え?」

「本当なら、レイちゃんはこの本に書いてあることしか読めないはずなのよ」

 マリウスさんの手がこの国の言葉で書かれた本をポンポンとたたいた。

「……え?」

「なのに、アナタは全部の本が読めるんでしょう? たぶん、聞き取りも話すことも書くことも問題なくできたりするんでしょう?」

 首を縦に振ると、マリウスさんは笑った。

「レイちゃんが女神様から貰った祝福は、この世界のどこにいても言語に全く困らないこと、だったのよ」

 ああ、そういう、ことだったのか。

 異世界人は呼ばれた国の言語しか理解できない。

 それは呼び出された国の獣人さんと伴侶になって、その国で生きていくのだから他国の言語が理解できなくても問題ない。他国の言語なんて必要ないのだ。

 私は特に勉強しなくてもどこの国の言葉も読んで書いて、話すことができる。これが女神様の祝福だったのだ。

 なんだ、何も貰えなかったわけじゃないのか。ただ、誰も気が付いてなかっただけなのか。

 あのマーティン・フォーも分からなかっただけなのだ、自分が分からなかっただけなのに私に対して「相応ふさわしい祝福を貰えなかった」とか見当違いなことを言っていただけなのだ。

 それが分かっただけでも、ホッとした。

 それにこの世界のどこに行っても言葉の壁に苦労しないなんて、とてもよいことだ。意思疎通がどこの誰とでもできる、理解することも交渉することもできる。

「マリウスさん、ありがとうございます」

「なあに、突然」

「私、なんの祝福も貰えてないと思っていたんです。それに、どこに行っても言葉に困らないなんて、すごく嬉しい。それを教えてくれてありがとうございます」

 私は頭を下げた。本当にありがたいことだ。

「……レイちゃんが自分の祝福に気が付けたのなら、よかったわ。それで、ここからが本題よ」

「本題?」

「ええ、僕たち商会と一緒に行きましょうって話よ」

 そこに着地するの? 私は商会の仕事なんて何もできない。荷運びするには力がないし、商品の善し悪しを見抜く審美眼もない。商隊の一員に交ぜてもらうのなら、私がお金を払うべき立場になるだろう。

「レイちゃんはどこの国の言葉も読めるし、書けるし、話せる。だったら、翻訳や通訳をお願いしたいの」

「……翻訳、通訳」

「そう、王宮でも似たような仕事していたんでしょう? それに、コメの説明書を読んで、訳してくれたでしょう? そういうことをしてほしいし、今後も東の国の食材や品で分かるものがあれば教えてほしい。レイちゃんの故郷と東の国は似たところがあるんでしょう?」

 パチンッとマリウスさんがウインクして笑った。大きな三角の耳、ふんわりと大きな尻尾が揺れてカッコいいよりはわいい印象。

「……私でも、務まりますか?」

「もちろん。それにどんな仕事でも最初から一人前なんてあり得ないでしょ。経験を積んで徐々にできることは増えていくものなの」

 だから、商隊で翻訳や通訳の仕事をしながら一緒に行こうと改めて申し出てくれた。

 私は日本にいたときだってひとり旅の経験などなく、家族や友達と一緒だった。ひとり旅なんて初めてで初心者中の初心者だ。人を襲う魔物や盗賊のこともある。命の危険もある旅をひとりでなんて、確かに無謀なのだろう。

 マリウスさんたちと一緒に行く方がいい。旅の経験を積んで、それからひとりであちこち旅をしても遅くない。だって、私には迎えに来てくれる番がいないんだから。この世界での人生の送り方は自分で決めていいのだ。

「……マリウスさん」

「はい」

「私も商隊と一緒に連れていってください。翻訳と通訳、頑張ります。お米が売れるように、いろいろ考えますから」

「もちろん、こちらからもお願いするわ。とりあえず、この国の都市を数ヶ所回ってランダース商会本店まで一緒に行きましょう。半年はかかるから、承知しといてね。そこから先のことは、そのときになったら考えるってことでいいわね」

 私はその場で正式にランダース商会と契約を結び、商会がまとめて行う出国手続きのメンバーの中に私も入れてもらえるようにした。出国手続きを事前にしておくことで、国境検問所での手続きが大幅に短縮できるらしい。

 私は一週間後にこの街から旅立つことになった。私を元の世界から召喚したこの街から、このフェスタ王国から。商会の契約社員のひとりとして。



 天気は快晴、抜けるような青い空。綿菓子のような雲が風に流れ、白い海鳥が海風を受けてふんわりと空に舞い上がる。

 目の前に広がる海は深い青色で、港に接岸されているたくさんの船は大きさも色もさまざまだ。

「レイ、こっちだ」

 グラハム主任が大きく手を振ってくれていて、私は小走りで近づいた。

 三と番号が振られた船着き場には大きな船が着けられていて、荷運び人が船の中から積み荷を運び出している。その荷物の一部がグラハム主任の横に並べられていた。

「東の島国から輸入された茶葉、のはずだ」

 木箱には〝茶〟と漢字のような文字で書かれていて、荷運び人が開けてくれた中には緑茶のような深緑色の茶葉が入っていた。

「緑茶みたいです」

「……こっちの茶葉とは随分と形や色が違うな」

「こちらのお茶の木と同じですよ。ただ、茶葉をお茶に加工する製法が違ってくるんです。緑茶は緑色で、すっきりとした口当たりのお茶です」

 主任から差し出された紙には、茶葉の管理方法や基本的な飲み方などが書かれていた。東の島国の言葉で。東の島国の文字は縦書きで日本語にかなり近い。

「なんと書いてある?」

「この茶葉の管理の仕方と、一般的な飲み方です。茶葉はしっかり管理しないとカビが生えますし、味や香りも落ちます。商品価値を保つためにも、管理方法を間違えないようにしなくてはいけませんね」

「各店舗での管理の仕方や、売り方も考えなくてはな」

 日本ではお茶ってどうやって販売されていたかな、と思い出しながら〝茶〟と書かれた木箱が運び出されていくのを見守る。

 私はまだ、私を召喚した国にいる。でも、王都からは出た。

 ここは王都から馬車で三日ほどかかる港街、リント。

 港街リントはこの国で一番大きな港なんだそう。何十という大小さまざまな船が行き来して、人や荷物を運んでくる。商会のあるウェルース王国はまだ東の国々との販路がない。ここフェスタ王国の港街リントが、一番近くて一番大きな交易港なのだそう。

 将来は東との販路を自国に開拓するのがグラハム主任の夢らしい。すごく大きくて、良い夢だと思う。

「レイ、すまんがこっちの中身も確認してくれ」

「はい」

 東の島国から運ばれてきた荷物は木箱に入ったり麻袋に入れられたりしていて、船から運び出される。米、お茶、豆類を中心に、工芸品や布なども見受けられた。

 付属している説明書と中身を確認し、こちらの管理表とも照合していく。照合作業の終わった荷物は、ランダース商会が所有する倉庫に保管される。そこから小分けにされて各店舗へと送られて、それぞれの店舗に並ぶ。

 東の国の品物は今ゆっくりとではあるけれど、この国でブームになりつつあるんだとか。

 この品は日本のものではないけども、似ているから……好きになってくれる人が増えてくれたらいいな、と思う。たくさん売れて、商会の利益になってくれたらいい。東の島国の人たちが経済的に潤えばいい。

「……よし、ここでの仕事は終わりだ。レイ、助かった。午後には出発だから、早めにメシをって準備をしよう」

「分かりました」

「本当はもうちょっと余裕があったはずなんだが、慌ただしくて悪いな」

 グラハム主任は荷運びの人たちを激励すると、こっそりと息を吐いた。

「どうかしたんですか?」

 ランダース商会の船だけではなくて、他の商会の船や海へ漁に出ていたらしい漁船の乗組員たちもバタバタしている。

「今日の昼前……もう入港したかもしれないが、王族の乗った船が港に入る予定なんだ。入港する波止場はここから離れているから、特に問題はないはずだ。けど、何か事故や不手際があっちゃならない。だから、王族やそのお付きの偉い者が港を離れるまで大きな作業はできないと考えていい」

「……なるほど、それはバタバタしますね」

 どの世界でも、偉い人が来ると周囲はバタバタするものだ。しかも、ただの偉い人じゃなくて王族。港を管理する人たちも、作業する人たちも気が抜けないしせわしないだろう。

「さらに、王族が王都へ移動するから交通も制限を受ける」

「わあ、それは……」

 迷惑ですね、と言ってはいけない、と気が付いて言葉を飲み込む。でもその気持ちはグラハム主任に伝わったようで、主任は苦笑を浮かべて私の頭をガシガシとでた。

「この国から外に出ていた王族は、今日帰ってくる王子だけだったからな。あの王子が戻れば、こんなバタバタはしばらくない」

「王子様ですか。お仕事とかで海外に?」

「いや、留学で国を出ていたはずだ。第三王子だったかな、将来、兄である王を支えるための勉強をしに行ったと聞いた」

 身分の話うんぬんに関しては、正直、今でも実感がない。ただただ、身分の高い人は大変だな、と思うばかりだ。

 三番港を離れ、グラハム主任の後をついて歩く。たくさんの荷物と行き交う人たちをかわしつつ歩くのは、技術が必要だと思わされる。必死になって歩くのに、少しずつ主任との距離が開いていく。私は街の地理に明るくないので、主任を見失うのは危険だ。

 小走りになって追いかけると、突然主任が足を止め、私はそのまま主任に軽くぶつかった。まあ、体格のよいイヌ獣人である主任は私にタックルされたところで微動だにしないけども。

…………グラハム主任?」

「見てみろ、王族の乗った船だ」

 貨物船ではなく、人を乗せる船用の波止場にはひときわ大きくて真っ白な船が入港していた。帆船というのだろうか、四本のマストに大きな帆が張られている。帆には大きく家紋が入っていて、それを見てグラハム主任は王族の乗った船だと判断したようだ。

 私はどこかで見たボトルシップや、有名になった海賊映画に出てきた船みたいだと思った。

「丁度貴人が船から下りたところらしいな、出迎えの護衛官やら文官やらでごった返してる。レイ、急ごう。昼飯は……港の外れに美味い煮込みを出す店がある、そこで食おう」

「はい」

 遠目に見えた、立派な毛並みに豪華な衣装をまとった王子様はトラ獣人みたいで、お付きの人はオオカミ獣人のように見えた。出迎えた人たちからペコペコと頭を下げられ、移動もままならなさそう。

 高貴なご身分の方は大変そうだな、と改めて思っていると、再度名前を呼ばれて返事をしながら主任の後を追いかけた。



 港街リントを出発したランダース商会の商隊は、ドドム鳥という大型二足歩行の鳥が引く二頭引きの荷馬車が三台に、商会の商人と護衛の人たちという中規模商隊。整備された主要陸路を街から街へと移動していく。

 国が管理している道には石畳が敷かれていて、数メートルごとに街灯まで立っている。夜の道を照らすことは当然だけれど、街灯は魔物を寄せ付けないための魔導具でもあるらしい。魔物が嫌う光と音を発しているそうだ。

 絶対とは言い切れないけれど、その魔導具のお陰で大半の魔物は主要街道の近くには寄ってこない。だから、比較的安全に旅ができるとのこと。

 個人で魔物けの魔導具(ペンダントやブローチの形にすることが多いらしい)を持って、主要街道を行けば安全を確保できる。でもまあ、効果があるのは魔物に対してだけなので強盗とか盗賊に対する危険はそのままだ。

 やはり世間知らずの私がひとりで旅をするのは、なかなかハードルが高かった。このハードルを少しずつでも下げていくのが、今後の課題といえる。今回は商隊の一員として国境検問所もするっと通ることができたけれど、個人で通るのは大変そうだ。大勢の旅人さんが検問のために並んでいるのが見えた。

 日本から外国へ行くのと同じような感覚でいなくちゃいけないだろうから、国へ入る理由とかもしっかりと答えられるようにしなくては。

 商隊は街から街へと、積み荷を増やしながら進んでいく。大きな街から小さな村まで、商隊は進む。

 美しい湖のほとりにある村や、古代遺跡の中に造られた街、深い森の中の巨木の上にある村、巨大な地下空間に造られた村などを商隊は巡る。

 見たことのない景色、特産物、食べ物、生き物。その全てが私に〝ここは異世界だよ〟と現実を突き付けてくる旅路だった。

 私を召喚した国を出て、国から離れれば離れるほど言葉は変化していって、私の翻訳と通訳としての仕事は劇的に増えた。商隊が田舎やへきの村に行けば行くほど、私は重宝される。

 この世界の基本言語は私が呼ばれたフェスタ王国の言葉で、英語のような存在。でも、フランス語、中国語、日本語、ポルトガル語などのように国や地域によって言葉は違う。どこでも英語が通用するわけじゃないように、基本言語を話したり書いたりできる人ばかりじゃない。言葉の壁のせいで商売が成り立たないのは、確かにもったいないことだ。

 それと並行して、お茶やお米の管理・販売方法を主任やマリウスさんたちと相談し、美味しい食べ方や飲み方をまとめ、試食や実演販売を提案してみたりした。

 想像していた以上に忙しくなったけれど、私はその忙しさに助けられていた。

 忙しく働き、商会の人たちから頼りにされることで、自分の中にある不安や家族に会いたいというかなわない希望について感じたり考えたりするすきを埋められる。

 夜、宿屋の部屋でひとりボンヤリしていると、なんとも言えない不安が心の中からあふれて、その不安に押しつぶされそうになって涙がこぼれてしまうことがある。家族のことや呼び出された王宮で受けたいじめなどを思い出して、怖くて、悲しくて、どうしたらいいのか分からなくなって、不安で溢れた心は引きちぎられるようになる。

 胸に開いたスースーする穴は、定期的に寂寥感を思い出させてくる。けれど、そのような状況に襲われる間隔が長くなってきているし、つらい気持ちも徐々に薄まってきている。

 忙しく動き回って働くことで、私は自分の中にある不安や恐怖から目をらしているのだ。

 いつか、心が痛むことなく残してきてしまった家族や友人たちのことを思い出して話せるときがくる、そんな日を願ってやまない。



 隣国の王都にあるという、ランダース商会本店まで半年ほどかかると聞いていた。けれど、私という通訳が存在していたため、普段は寄らない街や村だったり、予定より長くひとつの街に滞在したりと……八ヶ月ほどの時間をかけて本店のある街にまでやってきた。

 ウェルース王国の王都ウェイイル、山頂に雪化粧をした大きな山を背負って、巨大な城壁に囲まれた街。

 この国の王族はイヌ獣人で、暮らしている人たちもイヌ系の獣人が一番多いと聞いた。

 旅の途中で知ったことだけど、国によって暮らす種族に偏りがあるそうだ。私を呼んだ国はトラ獣人が王族で、ネコ系獣人が比較的多い国なんだそう。

 北にある雪国はクマ獣人さんが多くて、森林地帯にある国はシカ獣人、砂漠にある国はヘビ獣人、海底にある国はシャチ獣人と地域によって違いがある。言われてみれば、その自然環境に適した人たちが暮らすっていうのは普通のことだ。

 ちなみに、私が気になっている東の島国に暮らす獣人さんたちは、ハムスターやネズミなんかの小さな体のげっるい系獣人が多いらしい。想像するになんだか可愛らしくて、ますます行くのが楽しみになった。いつ行けるようになるかは、全くめどが立っていないけども。


 大人三人分くらいの厚みがありそうな城壁を抜けて、ウェイイルの街中へと入った。街は全体的にクリーム色に統一されていて、街路樹の緑と王家の旗色であるモスグリーンのタペストリーが鮮やかに浮かんで見える。

 聞いていた通りイヌ系獣人さんが大勢いて、毛並みの色の種類が多く、体格も大きい人から小さい人までいてとっても賑やかな感じだ。

「まずは商会本店の倉庫に行くから……ってレイちゃん、そんなに顔出したら危ないよ」

 マリウスさんは、馬車の荷台から顔を出して田舎者丸出しでキョロキョロする私を見て笑った。

「すごい、都会なんですねぇ」

「……都会っていうなら、レイちゃんが暮らしてた街の方が大きくて都会なんだけどね?」

 私を呼んだ国、フェスタ王国の王都ファトル。私はマリウスさんやグラハム主任と出会った商店街しか知らないけど、王都は女神様の大樹とその森から一番近い街だから、街は大きく人が多くて都会であるらしい。

 この街からも大樹は見えるけども、すごく小さく見える。遠くにほんのり金色と緑色が混じったような光が見える程度。どうせだったら、大樹くらいは近くで見てくればよかったかもしれない。ついでに、女神様に文句のひとつも言ってくればよかった。

 私を望んでくれる獣人さんがいないんだったら、私をこの世界に呼ばないでほしかった。元の世界に帰してほしいって。

「あれが、商会の倉庫。荷物の数量チェックをしながら卸したら、ご飯食べに行こうか。その後、商会の寮に案内するからね」

 商会の荷馬車はふたつ並んだ倉庫の前に止まった。倉庫の壁には〝ランダース商会〟の名が入っている。荷馬車から降りると、荷物の到着を待っていたらしい荷運び人や商会の人たちが集まってきて、仕事が始まった。

「マリウス、お疲れさん! 今回はいつも回れないようなところにも行けたんだって?」

「ええ、そうなの。この子のお陰」

 マリウスさんに腕を引かれ、倉庫の前で待っていた人の前に立たされる。薄い茶色の毛に垂れた耳、濃い茶色の優しげな瞳……薄い色の毛並みのゴールデンレトリバーを連想するイヌ獣人さん。

「レイちゃんよ。どこの国のどの地域の言葉も話せるし、書けるしで、本当に助かったわ」

「連絡は受けてるよ、僕はクルト。ランダース商会の三男坊だ、これからよろしく。レイちゃん」

 私は動物が好きだ。犬も猫も小鳥も好きだし、将来ペットと一緒に暮らせたらいいな、とか思ってたりもした。

 だからなのか、獣人さんの容姿にはややほだされやすいと自覚している。

 ピクピクと音に反応して動く耳、感情を表現する尻尾は見ていて飽きない。ついうっかり触りたくなってしまう衝動を抑え込んでいる。なんせ、耳や尻尾に触れていいのは幼い頃は家族のみ、長じてからは伴侶のみ。友人関係だからといって触っていい部分じゃないらしい。

 でも、見ているだけで満足だ。愛らしい。

 薄茶色の毛並みを持ったゴールデンレトリバーが、尻尾を大きく振って自分に飛びついてくる、そういうイメージ。犬好きにはたまらない。

 だから、人懐っこく接してくるクルトさんに対して、ついいろいろ頼みごとを聞いてしまっていた。商談やパーティーに通訳として同行したし、手紙の代筆、クルトさんの買い付けにも同行した。

 私にとってそれは業務の一環だ、仕事だからする。

 断ってもいい仕事を引き受けてしまっていたのは、人懐っこい笑顔で「頼まれてくれるか?」と言われて断れなかっただけ。ノーと言えない日本人だっただけだ。

 そこに特別な感情はない。

「レイちゃんが僕の番だったらよかったのに。そしたら仕事もより一層はかどるよね」

 そうクルトさんは言う。仕事の上で私の使い勝手がいいからそういう冗談を言う。

 でも違う、分かっている。クルトさんは私の番じゃない。私はこの国、ウェルース王国に召喚されていない。私の番はフェスタ王国の獣人なのだ。

 クルトさんの番はこの国のどこかにいるはずで、私じゃない。

 ウェルース王国で獣人さんが番と出会える確率は、五割を切るくらいだと聞いた。だから、番とか関係なく自由恋愛で結婚する人も結構いる。でも、私にそんなつもりはない。

 私を召喚したあの国で起こったさまざまな出来事は、私の中にあった年頃の女の子らしい恋心を粉砕していた。恋だの愛だの、私には縁のないことだと認識している。

 私の中にあるのは、敬愛とか親愛のみ。恋愛とはご縁がない。

 ウェルース王国の王都ウェイイルにやってきて、ランダース商会と契約している通訳・翻訳担当として仕事をこなして十ヶ月。この世界に来て約一年半ほど、私はグラハム主任やマリウスさん、本店勤務のスタッフさんたちに囲まれ、時折襲われる程度になった〝寂寥感〟をなんとかなだめながら、忙しくも充実した社会人生活を送っている。

 一部の困ったことを除いて。



 私が今困っていることは、私を『クルトさんの番だ』と認識して突撃してくる獣人の貴族令嬢がいることだ。

 目の前で騒いでいるご令嬢で何人目になるだろう。全員が年若い上流階級のご息女様ばかりだ。貴族のご令嬢はもちろん、お医者さんや法律家のお嬢さん、他の商会のお嬢さんなどなど。

「ですから、番ではないと申しております」

「どうしてアナタみたいな人がっ!」

 だから聞いて理解してよ、私の話を。

 大きな声がカフェの店内に響き、他のお客さんたちの目がさらに集まっているのが分かる。

「お話はランダース家に対して、お嬢様のお父上からお嬢様のお気持ちをお伝えするのがよろしいかと思います。私自身は仕事をする仲間としか認識しておりませんので」

「なんなのよっ! わたくしがクルト様とつがったら、アナタなんてすぐクビにしてこの街から追い出してやるんだからっ! わたくしにはそれができるのだから!」

 散々騒いで叫んだお嬢様は顔を真っ赤にして、そう叫ぶと美しいローズピンクのドレスを翻し、後ろに控えていたメイドさんを連れてカフェから出ていった。

 途端に店内の空気が緩み、大半の視線がなくなる。

「……ねえ、レイちゃん。さっきのお嬢様、誰?」

 カフェの店員をしているシロウサギ獣人のアンさんとは時々お話しする程度には顔見知りだ。

「さあ、知らない人なんだよね。最近、そういう人が増えて困ってるの」

「ちょっとよくない傾向じゃない? レイちゃんがクルトさんの番相手だっていう話って、最近上流階級の中でよく流れてるらしいよ。ランダース商会の本店じゃなくて、南店の方で婚約式の準備をしてるとかって話も聞くもの」

「え、そうなんだ」

 ランダース商会はこの王都に三店舗お店を出しているけども、私の仕事場は本店と倉庫だから南店と東店のことはよく分からない。

「うん。お花の大量発注があったとか、お酒や果物なんかもたくさん買い付けてるとかね」

「へえ、でもお相手は絶対私じゃないよ? アンさん、お会計お願いします」

「はいはーい」

 茶色のエプロンを着け、白色の毛に覆われた長い耳を揺らしながら、アンさんは会計をしてくれる。その姿はとっても可愛らしい。

 それにしても、アンさんの言う通りで今月に入ってから知らないお嬢様に絡まれる確率が上がってきている。今はまだ昼間だけなので、休憩中や休みの日に出かけた先で文句を言われるくらいだ。

 けど、それが徐々にエスカレートしていったとしたら?

 お嬢様たちの背後にある、経済力や権力のあるおうちが出てきたとしたら?

 守ってくれる家族も番もなく、なんの縁故もない外国人の私がどうやって身を守るんだろう。

 身を守るすべなんて……持ってない。

 私は魔法なんて使えないし、戦う技術もない。暴力や誘拐などの犯罪に巻き込まれたときには、あらがうことができない。

 そのことに気が付いた瞬間、体に悪寒が走って冷たい汗が背中を流れた。

 私が今暮らしているのはランダース商会が所有している社員寮で、商会所有の敷地内に立っているアパートのようなところ。管理人さんご夫婦が住み込んでいて、寮の出入りは魔法で管理されているから寮の中は安全だ。

 仕事も基本的に商会本店の事務部屋か、商会所有の倉庫だから商会の誰かがいてひとりになることはない。安全だと言っても問題ない。

 問題なのは……お昼の休憩時間、仕事後に寮へ戻るまでの時間、休日、この辺になるかな。

 ひとりきりのとき、お嬢様のお家に雇われたコワイ感じの人たちに襲われたら?

「どうしたのレイちゃん、顔色悪いよ? 疲れてるときは、ちゃんとお休み取って心も体も休めないと駄目だからね」

 アンさんからお釣りを受け取ると「うん」と返事をして、カフェを出た。ここからランダース商会本店までは、通りを真っすぐ五分ほど歩けば到着する。

 ランダース商会本店があるのは、王都に張り巡らされた道の中でもかなり大きな主要道路で、ドドム鳥が引く乗り合い車や個人所有の馬車なども走っている。

 私は頭の中に生まれたネガティブな想像を振り払うように、大股で本店に向かって歩き出した。

 大丈夫、大丈夫。周囲には人がたくさんいる。こんなに人が多いところで私をどうこうしようなんて普通はあり得ない。大丈夫、大丈夫と頭の中で繰り返しつぶやきながら、足を動かす。

 いつもならすぐに辿たどり着く本店が妙に遠い。


「あ、レイちゃーん! お帰りなさい」

 本店が見えてきたところで、マリウスさんが手を振ってくれているのが見えた。いつもの大きな三角耳に大きな尻尾、優しい笑顔にちょっと女性的な話し方。

 私はホッと息をついて手を振り返した。

「マリウスさん!」

 小走りで駆け出すと、何者かの大きな手が私に触れて、左肩と背中を押される。

 私は馬車や乗り合い車が走る車道へと、押し出された。突然かなり強い力で押されたから、私の足はもつれてそのまま石畳の道に膝を崩すように座り込んでしまった。打ちつけた膝とてのひらがひりつくように痛む。

 悲鳴が聞こえてハッとしたときには、大型の乗り合い車が目の前まで迫ってきていた。黒い羽と大きな黄色いくちばしを持ったドドム鳥の大きな体と、力強く走る大きな足がすぐそこにあって、御者のおじいさんが慌てているのが見える。

「……っ」

「レイちゃんっ!」

 マリウスさんの声が遠くから聞こえて、周囲からさらに悲鳴が響いた。

 私は二羽のドドム鳥にはね飛ばされ、石畳の車道に叩きつけられて、さらに別の車を引くドドム鳥の大きな足に踏みつけられて死ぬかもしれない……。衝撃に備えて体を固くし、目をギュッと閉じた。それなのに……大きな力にほんろうされた感覚があっただけで、痛みはやってこない。

 目を開けて、驚く。

 私の体はいつの間にか歩道に引き戻され、大きな腕の中に抱き込まれていた。

「レイちゃん、レイちゃんっ! 大丈夫、ケガはない!?

「う……うん」

「よかった。なんなのあの男、ぶつかっておいて謝罪もしないなんて、本当に失礼しちゃう! 下手したら命に関わるような大ケガをしたかもしれないっていうのに! ちょっとあの男を捕まえてくるから待っててね」

 駆けつけてくれたらしいマリウスさんはプリプリと怒りながら、男の後を追っていった。その姿を見送ってから、私は突然背後から自分を抱き込む相手を見上げる。

 黒と灰色の混じった毛並み、透き通るような青い瞳、ピンッと立った三角の耳……犬? おおかみ? すらりと背が高く、鋭い印象を受ける獣人さんだ。制服らしき服を着ているけど、どこかの警備員か警備隊の人だろうか?

「その、大丈夫か? 大きなケガはないように見えるが」

「ありがとう、ございます。大丈夫です」

 まだ心臓は破裂しそうなくらいドキドキしているし、声も震えている。けれど、幸い大きなケガはない。

「そうか、よかった」

 獣人さんは私を抱き込む腕に一度だけ力を入れて、その後解放してくれたけれど、私の足は自分の体を支えることができずに大きく震えた。体に力が入らない。

「あっ」

「おっと……!」

 獣人さんは再度私を支えてくれた。

「怖い思いをして体も心も驚いてるからだ、心配ない。落ち着いたら元に戻る」

「……す、みません」

「気にするな」


 大きな事故になりそうだったけれど、結局何も起きなかったことを知った周囲の野次馬たちはいなくなり、街の警備隊が到着して現場検証が始まる。

「レイちゃん、ごめんね、見失ってしまったわ……けど本当に無事でよかった」

 マリウスさんが戻ってきて、抱えられたままの私の手を取った。

「こちらのお兄さんが助けてくれたから、大丈夫です」

「……この子はランダース商会の大事な子、助けてくださってありがとうございます。よろしければお名前をお教えください、後ほどお礼に伺います」

「いや、大したことはしていないから、礼などいらない。ケガがなくて本当によかった」

 普通ならランダース商会の名前を出してお礼をする、と言われれば飛びつくのに……獣人さんはお礼はいらないと言う。遠慮深い人だ。

「あ、私はレイといいます。助けてくださって、ありがとうございます」

「……レイ、さん」

「はい、呼び捨てでいいですよ」

 名前を呼んでくれたので、返事をすれば獣人さんはわずかに顔を背けたけれど尻尾は左右に揺れていた。

「俺はリアム。リアム・ガルシア、見ての通りオオカミの獣人だ。今は守衛をしている」

「守衛さん?」

 聞けばリアムさんはついひと月前、このウェイイルにやってきたばかり。今はランダース商会本店のすぐ近くにある、商業ギルドウェイイル支部の守衛さんをしているとのこと。鮮やかな紺色の制服に船と貝のモチーフの紋章が入ったバッジは商業ギルド所属の守衛、警備担当者が身に着けるものらしい。

「俺は人を守るのが仕事だ。だから気にしなくていい」

 リアムさんはそう言って笑った。その笑顔を見たら、胸の奥の方がキュッとして……自分で自分に驚いた。

 なんだろう、私の中の乙女な気持ちは粉々に壊れて死んでしまったはずなのに、ほんの少しだけどそういう気持ちが反応しているみたい。

 いや、でも、気のせいだ。

 私に恋のご縁はないのだから。



 閑話 マリウス・ベイトの驚嘆


「あれ、レイちゃん。誰かに贈り物?」

 閉店間際、事務系の裏方であるレイちゃんはもう仕事が終わった時間。いつもなら裏の従業員出入り口から帰宅しているのに、彼女の姿が店にあった。

「あ、マリウスさん、お疲れ様です」

「はい、お疲れ様。珍しい、贈り物なんて…………誰に贈るの?」

 レイちゃんの手には最近仕入れた柔らかな肌触りのタオル、薄い青と白の柄物と薄黄色のものが二枚。さらに男性向けに仕入れたレモンミントの清涼感の強いせっけん

 選んでいる品や色合いからしても、男性に向けての贈り物にしか見えない。けれど、レイちゃんが男性に贈り物というのがしっくりこない。

 この世界に来てからのレイちゃんは、心ない一部の獣人どもからひどい仕打ちを受けてきていて、やや獣人不信だ。私やバーニー、主任や店の従業員とは問題なく話をしているし、お昼ご飯を一緒に食べたりもしているけども……仕事の仲間という関係を逸脱したりはしない。

 買ったお菓子を分け合ったりはしても、贈り物をするような関係にある男なんていないと思っていたのに。

「え……あの、守衛さんに」

「守衛さん? あ、ああ! レイちゃんを守ってくれたあの人ね!」

「お礼なんていらないって言われたんですけど、やっぱり……あのときなにもなく済んだのは、リアムさんのお陰ですから。その、お礼をと思って」

「……それで、タオルと石鹸を選んだのね。良い選択だと思うわ、タオルも石鹸も皆使うものだもの」

 レイちゃんは「はい」と言って、ミントがたっぷり使われた石鹸とタオル二枚をカウンターに置き、会計を済ませると、贈り物用の包装でと頼んでいた。

 驚いた。本当に驚いた。

 この世界の住人に対して、どこか一線を引いているレイちゃんが、獣人の男に対して理由があるにしても贈り物をするだなんて!

 これはきっと良い傾向なんだと思う。

 簡易ながら、贈り物として包まれた品を受け取るとレイちゃんは僕のところに戻ってきた。

「今から渡しに行くの?」

「そのつもり、ですけど……商業ギルドの守衛さんって、お仕事何時に終わるんですかね?」

「守衛だから、交代制でしょうね。あの守衛くんの勤務体制は分からないから、ギルドに行ってみるしかないね」

「ううっ……」

 ササッと行って、ササッと渡して、ササッと帰りたいのかな? 困ったように眉を下げる。

「大丈夫、商業ギルドなら提出する書類があるから、僕が一緒に行ってあげる」

 そう言うと、分かりやすく表情を明るくするのがわいらしい。ここに来てから随分と明るく話すようになったし、表情も優しく豊かになった。

 出会った頃は痩せて顔色は青白っぽくて、口調も硬く周囲の者に警戒しまくっていてニコリともしなかった。

 きっと、今のレイちゃんが本来の姿だったんだと思う。

「ちょっと待ってて」

 急いで事務所に入ると、商業ギルドへの提出用にまとめてあった書類を手にし、少し緊張気味のレイちゃんと一緒に商業ギルドへと向かった。



 ランダース商会本店から商業ギルドウェイイル支店までは歩いても数分、かなり近い。言われてみれば、くだんの守衛くんがギルドの正面入り口で立ち番をしていたのを思い出すことができた。

 商業ギルドが警備・守衛担当者として雇い入れているということは、彼自身の身元がハッキリとしていて、親族の全てが犯罪歴も何もないことを証明している。ひとまずは安心だ。

「マリウスさん」

「ん? どうしたの」

 レイちゃんは足を止めて贈り物の入った紙袋を抱え、顔色を青に変えている。

「いらないって突き返されちゃったら、どうしよう」

 なんとも可愛い心配をしていて、つい僕はレイちゃんを抱きしめてしまった。その小さな背中を落ち着くようにさすってあげる。

「大丈夫、心配いらないから。大丈夫、大丈夫」

「マリウスさん」

…………おい、一体何をしている」

 そこに降ってきたのは、僕とレイちゃんの親愛に満ちた交流を邪魔する不機嫌丸出しの言葉だった。遅かれ早かれ来るだろうとは思っていたけど、予想よりもずっと早い。

「何って、安心させていただけ」

「おまえの行動が不安にさせていたのではないのか、道ばたで突然抱きしめるなど」

「この子は僕にとって大事な妹のような存在で、家族なの。それに、この子を不安にさせたのは僕じゃなくて、キミだから」

「……俺?」

 ワケが分からない、という顔をするリアムというオオカミ獣人は丁度立ち番だったようで、商業ギルドの正面入り口に長い警棒を持って立っていた。

「キミに用事があったんだけども、少し時間もらえるかしら? ほら、レイちゃん」

 まだ顔色が回復していないレイちゃんの背中を軽く押すと、リアムくんは目をカッと見開いてレイちゃんを視界に入れた。

「……あと十分ほどで交代になる、その後でもいいか?」

「は、はい」

「じゃあ、中で仕事を済ませちゃいましょ。レイちゃんも外で待ってると危ないから、中に入りましょう」

 レイちゃんを促して商業ギルドの正面入り口を入る。

 ロビーに入りながらチラリと入り口を振り返れば、守衛くんの大きな尻尾は左右に揺れ……それをこらえようと小さく震えて、でも堪えきれずに大きく揺れるを繰り返していた。

 尻尾だけは、感情に引きられて堪え切れないときがある。自分の尻尾なのに、自分の言うことを全く聞かなくなるのだ。同じ獣人として、同情と苦笑しか浮かばなかった。

 商業ギルドに書類を提出して軽い打ち合わせを済ませると、相変わらず尻尾の様子がおかしな守衛くんが近づいてきた。制服の首元を着崩して、勤務中は必ず着けているギルドバッジが制服からなくなっているのを見るに、彼は本日の勤務を終えたらしい。

「すまない、待たせた」

「いいえ、こっちも丁度終わったところだから。じゃあ、レイちゃん」

 ロビーの隅っこに移動すると、レイちゃんは紙袋を守衛くんに差し出した。

「あの、先日は……本当にありがとうございました。これ、よかったら使ってください」

 再び守衛くんは目をカッと見開き、紙袋に手を出そうとして、止まった。

「だ、だが……俺はそんなつもりで……」

 見返りが欲しくてやったことじゃない、それは分かっている。衝動的に動いたことだろうし、結果的にレイちゃんが助かったことで満足もしているんだろうと思う。

「迷惑でないなら、貰ってあげてくれない? 助けてもらったことを本当に感謝してるし、それ以上に含まれてることなんてないから」

 ここでレイちゃんの気持ちのもった行動を否定されては、せっかく良い方向に変わり始めたこの子にまた新しい傷をつけてしまうことになる。そういう悲しいことはできるだけ避けたい。

「……ありがとう、気を遣わせてしまったな」

「とんでもないです」

 レイちゃんの選んだ贈り物は、無事に贈りたいと思った相手の手に渡った。僕はホッと胸をで下ろす、これがレイちゃんにとって良い変化が続くきっかけになってくれたらいい。

「じゃあ、お邪魔しました」

 任務を全うして安心したレイちゃんの顔には血の気が戻り、笑みが浮かぶ。守衛くんに軽く頭を下げ、ロビーから立ち去ろうとしたレイちゃん。僕も後に続こうとしたとき、「きゃっ」と小さな悲鳴があがった。

「あ……っと、すまない。その……」

 レイちゃんの腕を守衛くんがつかんで、引き留めていた。

「はい?」

「その、えっと……この後、時間はあるか?」

「え?」

「よければ、夕飯を、どうだろうか……?」

 レイちゃんは戸惑って、僕の顔を見上げる。本気でどうしたらいいのか分からない様子だ。

 一方の守衛くんは必死の様子。必死すぎて顔が怖くなっている……けど相変わらず左右に振れては堪えて小刻みに震える尻尾、耳まで小さく動いている。

「いいじゃない、お夕飯くらい行ってらっしゃいよ。これも何かのエン、でしょう? 大丈夫、商業ギルドに雇ってもらえてるってことは、この人の身元がしっかりしてる証拠だから」

 そう助け船を出せば、レイちゃんは少し考えてから首を小さく縦に振った。



「守衛くん、言いたいことがあるんなら今のうちよ? レイちゃんが戻ってくるまで、そう時間はないんだから」

 ギルドのお手洗いに行ったレイちゃんを待ちながら、僕は守衛くんの物言いたげな視線にさらされていた。言いたいことがあるなら、さっさと言えばいいのに!

「……おまえとあの子は、どういう関係だ?」

「言ったじゃない、妹みたいに思ってるって。大事な仕事仲間でもあるね」

「恋人、ではないのか?」

「僕にはちゃんと愛するつがいがいますぅ! 婚姻式も身内でちゃんとやっていますぅ! 可愛い可愛い伴侶が、ふたりの愛の巣でお夕飯を作って待っててくれてますぅ! レイちゃんは妹分、信頼してるし家族のように思ってるの。僕らの間に親愛はあっても、性愛は存在しないの!」

 傷ついてるレイちゃんの心はまだえてない、本人はその傷を積極的に治すつもりはないらしい。

 時間がいやしてくれる、とは思う。でも時間にだけ任せていては、レイちゃんがおばあちゃんになってしまう可能性が高い。

 諦めてしまう気持ちも、期待することに関して臆病になる気持ちも分かる。それでも、できることなら大事な人を作ることに、おびえないでほしいし諦めないでほしいと願っている。

「守衛くん、お願いがあるんだけど」

「?」

「レイちゃんはね、ここに来るまでの間につらい思いをたくさんしてるの。傷ついてるし、正直に言って獣人不信だし男性不信。理由は僕からは話せないけれど、あの子に落ち度はないってことだけは言っておくね」

「……」

 守衛くんは僕の言葉を聞くと、予想以上にシュンとして耳も尻尾も垂れてしまった。

「僕にはこの国のこの街に来ないかって、あの子を誘った責任がある。だから、あの子を傷つけたりしないで。泣かせないで、苦しい思いも辛い思いもさせないで。楽しい思いをたくさんさせて、傷ひとつつけずに家まで送ってちょうだい」

「おまえがあの子を大事にするのは分かった。だが、どうして俺に託す? そんなに心配なら、おまえが大事にすればいい。家族なんだろう?」

「あのね、僕自身は確かにレイちゃんを妹みたいに大事に思ってるよ。でも、僕には番がいるの。僕の人生で一番大事な子は番であって、レイちゃんじゃない。いつまでも、ずっとあの子を心配することはできないでしょう? だから、あの子を託せる男が必要なの。僕が認めた、あの子を生涯大事にしてくれる男がね」

「……それが、俺だと?」

 さっきまでションボリしていた耳と尻尾が元気になっている。

 僕が、キミを認めたとでも思っているわけ? 気の早い勘違い野郎だね。

 レイちゃん自身が、お礼をしたいっていう気持ちにさせた相手だから、食事くらい行ってらっしゃいって言っただけなのに。

「さあ?」

「なっ……」

「お待たせしました」

 丁度良いタイミングでレイちゃんが戻ってきて、僕たちはそろって商業ギルドの建物を出た。そのまま食堂街へ行く道と住宅街へ行く道で別れた。

 この行動が、どうか、レイちゃんにとって良い方向に向かいますように。

 女神様、どうか、こちらに呼び寄せたレイちゃんにたくさんの幸せを贈ってあげてください。どうか、どうか、お願いします。



 第五章 デートと突撃! 見知らぬご令嬢


「就業時間は過ぎたぞー! よっぽどの急ぎじゃないのなら、適当にして終われよー!」

 開け放たれた扉をノックする音と同時に声が聞こえ、私と事務系職員さんは書類から顔を上げた。廊下から体を半分室内に入れているのはクルトさんだった。

「あ、お疲れ様です」

「もうそんな時間?」

「ふたりともお疲れ様。急ぎの仕事はなかったはずだよね? いつまでも仕事していたら駄目だよ」

 クルトさんのモットーは、よく働いてよく食べてよく遊んで、よく休む、ことなのだそう。だから急ぎの仕事がない場合の残業は、彼にとっては避けたいことなのだ。

「すみません、もう終わります」

「私も終わりまーす」

 時計は終業時刻を三十分ほど過ぎていた。まだお店の方は営業しているけれど、事務系である私たちはほどのことがなければ定時で退勤する。

 私は訳していたページにしおりを挟み、インクとガラスペンを片付けた。窓の施錠を確認してから、私物の入ったかばんを肩にかける。

「では、お先に失礼します」

「お疲れ、また明日。あ、レイちゃん、明日はクレームス帝国から来た商家の人間と商談があるんだ。第二応接室で十時から、通訳をお願いするよ」

「分かりました」

 店全体の施錠を確認してから帰る、と言うクルトさんに一礼して私は他の事務系職員さんたちと一緒に裏口から外へと出た。

 夕食を一緒にどうとか、家に食べに来ないかというお誘いをやんわりとお断りする。彼女や彼らには恋人さんや伴侶さんがいる。そのままだと夕食はカップルの中に入り込むかたちになるのだ。さすがにお祝い事とかお祭り事なら受けるけれども、何もないときにカップルの邪魔をするなんて……いたたまれない。

 フェスタ王国にいた頃、私を食事に誘ってくれるような人はいなかった。

 お披露目会のとき、あんの番のウィリスさんに大ケガをさせられるまでは杏奈と一緒にご飯を食べたり、お茶を飲んだりしていた。でも、大ケガの後からはずっと部屋でひとり、ご飯やおやつを食べていたのだ。

 杏奈や一緒にこちらの世界にやってきた人には番である獣人さんがいて、いつだってラブラブ(杏奈と番さんはギスギスしてたけど)で、その間に誰かが入り込むすきはなかった。

 ランダース商会にお世話になってからは、マリウスさんやバーニーさん、グラハム主任をはじめとして、同じ商会の仲間と一緒にご飯を食べることになった。仲間と一緒にご飯を食べるって楽しいことなんだよね、と思い出させてもらった。

 でも基本的に仕事を離れた皆には、伴侶さんや結婚を約束した恋人さんがいる。私はあくまで仕事の仲間、仕事を終えたら皆大事な人のところへ帰っていく。

 獣人という種族は、番や家族をとても大切にするのだそう。仕事が終われば皆急いで家族の待つ家に帰るか、恋人との待ち合わせ場所へと一直線。

 その様子はほほましいし、少しだけからかえばわいい反応が返ってきてこっちもほっこりする。

 時々、そんな様子を見ていると無性にうらやましくて、また寂しくて苦しい気持ちになる。私にはそんなお相手はいないんだって、思い知らされるから。

「レイちゃーん!」

 声をかけられて振り返ると、帰り支度を済ませたマリウスさんが小走りに駆け寄ってきた。

「今度ね、バザー&ティーパーティーがあるんだけど、一緒に行かない?」

 シャツの胸ポケットに入れていた一枚のチラシを私に見せてくれた。チラシには女神様をまつる教会主催のバザーとティーパーティーのお知らせが書かれている。

「ティーパーティーとかうたってるけど、教会に併設されてる養護院への寄付を募るバザーと、中庭にテーブルと椅子を出してお茶を提供するだけだから」

「養護院?」

 教会はもちろん独立機関だけれど、国や貴族からの寄付的なものも大切な収入で……養護院の運営費もそれらの収入が大きなウエイトを占めるんだろう。

 少しつたない文字なのは、きっと養護院にいる年長の子たちが書いたものだからだ。

「そうなの。養護院で暮らしてる子たちが作ったお菓子と飲み物、小物なんかと、寄付されたハンカチやクッションカバーに刺繍ししゅうをしたものなんかを販売するの。売り上げはまるっと養護院の運営費になって、さらに寄付も募っちゃう感じ?」

 日本でも幼稚園とか保育園でそういうイベントがあったような気がする。家庭にある不要品とかを持ち寄って販売して、その売り上げを寄付する、みたいな。

「どう? ハンナも行くから、一緒に行こう?」

「でも、お邪魔じゃないです?」

 マリウスさんの愛妻ハンナさんはキツネ獣人で、震えるほど美しい黒い毛並みを持ったスーパー美人。ふたりは番で、プライベートではもう見ているこっちが恥ずかしいくらいにラブラブだ。ラブラブカップルの邪魔なんて絶対したくない。

「ハンナがレイちゃんと一緒に行きたいって言い出したのよ? 寄付するカップケーキも一緒に作ってほしいって。ね? バザーの前日うちに来てハンナとお菓子を作って、そのまま泊まって! 朝になったら一緒に行きましょう」

「……え、新婚家庭に泊まるって」

「新婚って、うちはもう結婚四年目よ! それに、家族が泊まるのなんて普通でしょ」

 マリウスさんは「決まりね! 週末はお泊まりセットを持って出勤してね。一緒に我が家に帰りましょう」と決めてしまった。

 勝手に、と思いながらもうれしかった。

 強引に私を家族の一員として扱ってくれるマリウスさんとハンナさん。私だったら絶対にできない強引さで、私をその優しさでほんろうする。

 とても嬉しかった。

 お節介な兄夫婦のようなふたりの気持ちが、とても嬉しかった。



 週末、仕事の後でマリウスさんとハンナさんの暮らす家にお邪魔した。L字の形をした平屋で、赤みの強いオレンジ色の屋根がのった可愛らしい家だ。

 手入れの行き届いたお庭に面したデッキで、ハンナさんお手製ハーブを利かせたローストチキンに、小エビの入ったトマト味リゾット、サラダと柔らかなパンというお夕飯をいただいた。リゾットはふたりの好きなメニューとして定番化しつつあるのだと聞いて、感激した。

 夕飯を食べた後、ハンナさんと一緒にカップケーキを作る。プレーン、チョコチップ、ナッツ、レモン&オレンジの四種類。小ぶりだから、ひとりで違う味を四つ食べ切ることができるだろう。

 味を選ぶのも楽しいけど、全種類制覇したい気持ちもあるから……全部を味見できるのは個人的には嬉しい。

 可愛い柄の紙カップに入ったカップケーキは、透明なセロファン紙のような袋にひとつずつ入れて、ピンクや黄色の小さなリボンをかけた。さらに全部の味がひとつずつ入った四個入りセットも作った。細長いリボンをカールさせて花のように飾る。ハンナさんが「かわいい!」と言って喜んでくれたので、きっとこちらの女の子にも受け入れてもらえるだろう。

 全部の味が入っていると分かれば悩む必要もないので、きっと甘いもの好きの女子やご婦人がたくさん買ってくれると思う。娘さんや奥様へのお土産に買い求める紳士もいるかもしれない。

 このお菓子は教会に寄付されて、バザーで販売される。その売り上げが教会併設の養護院運営費に回されるというシステム。たくさん売れてくれるといいな。


 可愛らしくラッピングしたお菓子を持って、翌朝三人で教会に向かった。

 女神様を祀る教会は、この世界に大小数え切れないほど存在している。大きな街には大神殿があって、その下に教会。教会もないような小さな村ではほこらというかたちで女神様を信仰している。

 大神殿には女神様に仕える神官を育てる神学校が併設されていて、養護院は教会に併設されているのが一般的なんだとか。まあ、教会にも規模の大きい小さいはあるようで、受け入れる遺児の人数に違いがあるらしい。

 到着した教会は、王都ウェイイルという大都市の中では小規模らしい。こぢんまりとしていて、私の想像するヨーロッパの田舎にある教会に近かった。

 白っぽい石造りの建物、中央の塔部分には色ガラスで女神様と大樹が描かれている。教会内部は中央に通路、左右にはベンチが設置されて、女神様の像が最奥に立っている。その女神像に対して人々が祈りをささげるのだ。

 中央入り口に神官らしい白と青の神官服をまとった人がいて、寄付金を受け付けている。その横では小さな獣人の子どもたちが寄付される小物やお菓子を受け取っていた。

 たくさん作ってラッピングしたカップケーキを受付の女の子に渡せば、とても可愛い笑顔で「ありがとうございます!」と受け取ってくれた。

 書面の寄付欄にカップケーキという品名と個数を記入し、名前も書き込む。それを確認すると、後ろに控えていた子どもたちが焼き菓子がたくさん並んでいるブースにカップケーキを並べ始める。並べている女の子たちから「かわいい」とか「美味おいしそう」とかいう言葉が聞こえてきて、ホッとするのと同時によかったと思えた。

 お菓子の並ぶコーナーには、貝の形の焼き菓子やカステラみたいな四角いケーキ、隣には色とりどりのキャンディーや果物のあめがけも並んでいて、目にも鮮やかだ。

「レイちゃんはどれを買うか、決めた?」

 マリウスさんはランダース商会として、教会への寄付金を神官さんに納めに向かった。ハンナさんとふたりでマリウスさんを待ちながら、子どもたちの手によって着々と準備が進められていく様子を見守る。

「ううーん、悩みます。たくさんあるから、あれもこれもって思っちゃいますよ」

 こちらの世界のお菓子には保存料的なものが入ってない。だから、食べて安全だけど日持ちはあまりしないのだ。長持ちするのは砂糖菓子やキャンディーくらいかな?

「あら。ならこちらの彼に、食べるのを手伝ってもらいなさいな」

「え?」

 ハンナさんに体をくるりと回されて後ろを振り向くと、私の真正面に立っていたのはリアムさんだった。いつもの制服姿じゃなくて、私服でしかも前髪が下りている。見慣れない姿に、心臓が大きく鼓動する。

「おはよう」

「お、おはよう、ございます。なんで、ここに……」

 教会のバザーとリアムさんがあまり結びつかない。でも、まあ、いてもおかしくはない……のかな? 教会が祀る女神様は、獣人さんたちに広く受け入れられている神様だもの。

「キミが今日はここに来る、と聞いたから」

「え?」

 振り返ると、ハンナさんがいない。というか、教会の正門でマリウスさんといつの間にか合流している。そしてふたりは体を寄せ合って〝楽しんで!〟と口パクで言った。

「一緒に、見てまわらないか……嫌でなければ」

 私は顔が徐々に熱くなっていくのを感じた。たぶん、耳まで真っ赤になっているに違いない。

 リアムさんとして思い浮かぶのはいつも紺色の制服を着て、前髪をきっちり上げている姿。ラフな私服姿で前髪が下りていると随分印象が違うな、と思った。

 普段はキリッとしくて怖そうな印象だけど、今は優しげな印象の方が強い。

 心臓が爆発しそうなほどドキドキと激しく脈打って、顔が真っ赤に染まる。

「レイ? 大丈夫か?」

「ああ、その……はい。ここで会うなんて、思ってもなくて、驚いてしまって」

「そうか、事前に連絡をしておけばよかったな」

 バザーの始まる時間になった。教会の前の通りや教会の敷地内に並べられたテーブル上にはたくさんの品が並んでおり、大勢の人が集まってきて販売が始まった。

 小さな獣人の子が商品を渡したり、呼び込みをする姿はとても愛らしい。

「欲しいものがあるんだろう?」

「えっ……あ、お菓子を少し」

 リアムさんの大きな手が私の肩に触れ、ゆっくりと、でも力強くお菓子を扱っているテーブルに誘導された。

「好きなものを好きなだけ買えばいい」

「食べきれませんよ」

「一緒に食べよう。それなら、たくさんあっても大丈夫だ」

 言われるままに焼き菓子を数種類とキャンディーを買ってもらった。お金を払うと言ったのに、なんやかんやはぐらかされて私に払わせてはくれなかった。

「そういえば、何かを寄付したんだって?」

「ああ……ええっと、カップケーキを。といっても、私はお手伝いをしただけで、主に作ったのはハンナさんですし、材料費はマリウスさん持ちですよ」

「手伝いだって立派だよ、何もしないよりいい。どれ?」

 形も色もさまざまなお菓子が並ぶコーナーは華やかだ。その中でも、リボンで可愛らしくラッピングをしたハンナさんお手製のカップケーキは人気のようだ。たくさん作って渡したはずなのに、もう三分の一くらい減っている。

「このカップケーキです」

「可愛らしく、でも美味うまそうにできているな」

 リアムさんはそう言って、ハンナさんと私が作ってラッピングしたカップケーキを購入した。全部の味をひとつずつ。

「味がたくさんあると選べないな、全部食べてみたくなる」

「分かります! 私も後で買うつもりで、全種類ひとつずつ取り置いてるんですよ。本当はこの四つ入ってるのが欲しいんですけど、リボン可愛いから。でも、こっちの方がよく売れてるので我慢なんです」

 売り子をしていたネコ獣人らしい三毛の女の子は「本当は取り置き、いけないんですけどね」と笑って、カップケーキをリアムさんに渡してくれた。

 その後もカップケーキは順調に売れていって、ほとんどの人が四つ入りか個別に全種類買っていってくれているようだった。可愛いとか美味しそうとか、そんな言葉が聞こえてきてまた嬉しく感じた。

「では、他も見ようか」

「はい」

 そのまま、人の流れに乗って小物や装飾品などを売っているテーブルも見てまわる。

 リアムさんは私の手を取り、他の人とぶつからないように、私がテーブルの上の商品をちゃんと見られるようにと気を遣ってくれるのが分かる。

 こんなスマートにエスコートされたら、ドキドキが止まらない。

 寄付された品が並ぶテーブルの上にはブックカバーやペンケースなどが並び、その横には小さな飾りのついた髪留めやかみひも、耳飾りなどの日常使いのできる装飾品が続く。

「……」

 小さな花を複数組み合わせた髪留めは、濃い青や薄い青で変化が施されていてれいだった。青色のもの、紫色のもの、赤色のものと並んでいて、まるで紫陽花あじさいみたいなデザインはどこか日本を思い出させる。

 髪留めのお値段は、教会のバザーに出されている品としては少しお高めだ。でも、クオリティには見合う値段設定な感じがした。

 この世界で女性は髪を長くするのが常識で、腰辺りまで伸ばす人が多い。どちらかといえば、長ければ長い方が美しいとされる傾向にあるみたい。

 女性で髪を短くするのは、女神様に生涯仕えると決めた神官さんと、罪を犯した人だけのようだ。神官さんは肩口ほどのボブヘアに、犯罪者はベリーショートにするからすぐに分かるらしい。

 私はショートボブ、この世界にしたら信じられないくらい髪が短いヘアスタイルで召喚されたから、当時はいつも男の子に間違えられた。

 ひとりで旅をするなら、男の子だと思われた方が安全かと思って短くし続けるつもりだったけれど……今のところは伸ばしている。商会にいるのなら男の子のふりは必要ないし、この世界の常識から外れて髪を短くするのは、私を女だと知っている周囲の人たちに違和感や不信感を与えてしまうだろうから。

 商会から離れてひとりになって、短い髪になった方がいいと判断したときに切ればいいのだ。長い髪から短い髪にするのは簡単だから。

 そうこうしているうちに髪はほどほどに伸びて、結んだりピン留めする程度にはなっている。だから、髪留めを買う意味はあるのだ。前髪を留めておけば仕事のときに気にならないし、私だって可愛いものや綺麗なものは好きだ。

「……これを頼む」

 青色の紫陽花風髪留めを指し、リアムさんはあっという間に会計を済ませてしまう。商品をリアムさんが受け取ると、次は自分たちの順番とばかりに後ろにいたネコ獣人らしいカップルが耳飾りと首飾りのセットを選び始めてしまい、その場を離れざるを得なくなった。

 教会の中庭は休憩スペースとして開放されていて、椅子やテーブルがセットされていたり、芝生の上に敷くマットも用意されていた。

 バザーで買ったお菓子や軽食をそこで食べることができるようだ。

 リアムさんに誘導され、中庭にある大きな木のそばにあったテーブルにつく。そこでは先ほど買ったお菓子を広げられて、温かいお茶のサービスも受けられる。

 水玉模様の青い紙袋に入れられた髪留めを、リアムさんは私に差し出した。

「……どうして?」

 買ってもらう理由がない。私はリアムさんの番じゃないし、今日は誕生日などの記念日でもないし、お祝いしてもらうこともない。

「キミの黒い髪にとても似合うと思ったし、キミ自身も気に入っただろう?」

「それは……」

「今日の記念に、これを受け取ってほしい」

 教会のお祭りで扱う品としては高い方だけれど、一般的なアクセサリーとしては決して高価なお値段じゃない。お友達へプレゼントとして贈っても、なんの問題にもならない程度だろう。

「レイ、どうか」

…………あ、りがとう、ございます。大事にします」

 差し出された可愛らしい袋を受け取って、中身を取り出す。青い紫陽花風のデザインはやっぱり可愛くて、すごく嬉しい。

 デザインをでて楽しんだ後は、その髪留めで前髪をまとめた。長くなってきていた前髪が落ちてくることもなく、視界はすっきりだ。

「似合っている。とても似合うよ」

 向かいの椅子に座るリアムさんはそう言って、尻尾を大きく一度左右に振った。

「……お世辞でも嬉しいです」

 長くなってきたとはいっても、私の髪はまだ短い。手入れだって、そう頻繁にしている方じゃないから、美しいとは言えない。だから、可愛いアイテムが似合うだなんてお世辞なんだってすぐに分かる。

「お世辞なんかじゃない、俺は似合うと思う」

 リアムさんがふわりと笑って、お菓子を勧めてくる。勧められるまま、貝の形をした焼き菓子と果物のジャムがのったクッキーを分け合って食べた。

 その間ずっとリアムさんは笑顔で私の相手をしてくれる。

 どうしよう。

 私の砕け散った乙女心というか、恋心のようなものが少しずつまた集まってきているのを感じている。リアムさんがどんどん私の心に入り込んでくる。

 恋なんてしても、意味ないのに。

 恋なんてしても、先はないのに。

 分かっているのに、私は、恋をしようとしている。気持ちを止めることができない。

「今月末の休み、何か予定があるだろうか?」

「いえ、特には何も」

 お菓子を食べてお茶を飲み終える頃、休みの予定を聞かれた。ドキッとまた心臓が大きく跳ねる。

「なら、〝しらはな祭り〟に一緒に出かけないか?」

「シラハナ、まつり?」

「知らないか? 三年に一度開催される、女神へ感謝と白い花を捧げる祭りだ」

 〝白花祭り〟は女神様にこの世界を創造してくださったことを感謝するもの。大神殿で白い花をたくさん咲かせるミラの若木を三年かけて育てて、白いお花を好む女神様に捧げる儀式をする、のだとリアムさんから聞いた。

 大神殿で行われる儀式は神官長、王族、貴族の限られた人が参加して行うので、一般庶民は見学することもできない。けれども大神殿のある街には大通りに屋台のような簡易販売ブースがたくさん出て、それぞれのお店もお祭り用の商品をたくさん用意し、大道芸や劇団や吟遊詩人なんかもやってきてとてもにぎわうらしい。

 そのときは皆、白い花やそれをモチーフにしたアクセサリーを身に着けて、美味しいものを飲んで食べて、歌って踊って楽しむんだとか。

「一緒に行こう、きっと楽しい」

 これ以上私の心に入り込んでこないでほしい。

 これ以上、私の心を満たさないでほしい。

 勝手に育っていくこの気持ちをまた砕かれてなくしたら、そう思うと怖い。

 すごく怖い。きっと立ち直れない。



 この世界の郵便には二種類ある。

 ひとつ目は魔術による手紙で、便せんに書かれた手紙や送りたい書類に風魔法をかけると、その便せんや書類は鳥の姿になって相手の元へと飛んでいく。

 とっても便利なもので、絶対に送りたい相手のところへ指定した日時に届く。ただし、相手の本名が分からないと届かなくて、あまりにも距離が離れている場合も難しいらしい。

 ふたつ目は日本の郵便と同じ。手紙や書類を、住所を記載した封筒に入れて郵便局で送料を支払うと、郵便車に乗せられて届けられる。

 魔法が使えなくても届くし、遠くても時間とお金がかかるけれども届く。同じ街の中なら比較的お安い。

 お安いとはいっても、街中でも一通二百ガルとか三百ガルとかかかる。

「……二十四通? 一通二百ガルだったとして、四千八百ガル? 郵便局のもうけになるから、いいけど。無意味なことを」

 私は昨晩、寮の管理人さんから受け取った手紙の束を見て、息を吐いた。

 この世界で私に手紙を送ってくるような人はいない。

 手紙を送ってくれるような人といえば杏奈がいるけども、あの子には私が今どこにいるのか教えてないし、教える気もない。

 どうせ手紙なんか出しても、杏奈の手元には届かないだろう。手紙を出したことで杏奈の旦那サマの一族やメイドさんたちがまだ杏奈に私が付きまとっている、とか勘違いして攻撃してきたらたまらない。だから、少し寂しいけど連絡はしない。

 毎日三十通近く来るこのお手紙は、全て差出人不明。

 全部がやたら良質な紙を使ったレターセットで色の濃いインクを使っているので、貴族令嬢の皆様からなんだろうと推察している。

 内容は私に対する非難、お説教、警告。

 全てが〝商会職員のレイはクルト・ランダースの番〟といううわさからくるお手紙だ。

 最初は身を引けといった程度だった内容も、クルトさんのふたりいるお兄さんに言い寄っているとか、ランダース商会本店に入り浸って好き放題やっているとか、パーティーに妻づらしてやってきては他国の商人や貴族と懇意にしているとか……どんどんグレードアップしてきている。

 一体この噂はどこから流れてきているんだろう?

 流れているのは、一部貴族の間だけというのも気になるところだ。他の商会や取引先、従業員たちの間ではほとんど噂は流れていないし、耳に入れた人も全く信じていない。

 商会本店では事務所で仕事をしているし、個人宅で開催されるパーティーでは通訳として参加しているだけ(ドレスじゃなくて仕事用の服を着用)、クルトさんのふたりいるというお兄さんには会ったこともない。

 でも私がどんなに否定しても私とは関係のないところで、ひれに背鰭、胸鰭まで付けて噂は激しく流れていっている。

 私は手紙をかみひもで束にまとめて、日付を書いた紙を挟んで箱に詰めた。捨てるのは簡単だけれど、何かの証拠になるかもしれないので捨てないでいる。

 箱の中は手紙の束でいっぱいだ。部屋に置き切れなくなったら、グラハム主任に頼んで商会倉庫の隅っこに箱を置かせてもらえないだろうか。

 そう思いながら、そんなに手紙が届くのもイヤだなと心底思った。

 手紙のせいで重たくなった箱をベッドの下へ押し戻すと、私は寮を出て仕事に向かう。

 気になることはたくさんあるけども、自分の仕事はきちんとこなさなければ。そうすれば仕事中は余計なことを考えずに済むし、周囲に商会の人たちがいるから安心できる。

 不安がなくなることは、ないけれど。


 ランダース商会の管理する倉庫に次から次へと荷物が運び込まれる。今日の荷物はクレームス帝国から輸入されたものだ。美しいガラス細工や装飾品、食器類、緻密な模様が織り込まれたじゅうたんやタペストリーなどが今回の主な輸入品であるようだ。

 月末に開催される〝白花祭り〟のための品物だろう、白い花をモチーフにしたブローチやブレスレット、ペンダントトップなどの装飾品、ガラス細工なども入荷している。

 私はこちらの購入リストと帝国側からの納品リストとを照らし合わせて、数量と品を確認。

 取り扱い説明書なども受け取り、その中身を確認する。

 取り扱いの難しいガラス製品や食器類は、すでに扱いに慣れた職員がいるのでそう心配はしていない。

 今回の品の中で大変そうなのは、絨毯やタペストリーだ。動物の毛から作られた色とりどりの糸を織って作られたそれは、虫食いやカビの発生、日焼けによる色落ちなどが心配になる。

 防虫用のハーブ類を用意し、風通しの良い冷暗所で保管。店頭での展示販売は難しいので、小さなサンプルを用意してそれを確認した後、お客様には倉庫で本物を確認してもらうのがいいだろうか?

 この辺はグラハム主任と相談して決めなくては。まずは適切な管理保管方法を確認する。

「レイ、荷物の搬入は大丈夫か?」

「はい、数量共に問題ありません。主任、後で絨毯とタペストリーの保管方法について相談させてください」

「分かった。後で倉庫事務所に行くから、保管方法を確認しておいてくれ」

「了解です」

 今回帝国から入った品の取り扱い説明書を全てまとめると、私は別の倉庫に入っていった主任を見送ってから倉庫事務所に向かった。

 倉庫事務所はランダース商会倉庫の敷地出入り口のすぐそばにあって、他の商会の人や小売店の人がやってきた際の受付も兼ねている。

 彼らの乗ってきた鳥車や馬車なども近くに駐車してあって、なかなかに賑やかだ。

 従業員専用出入り口に向かうと、倉庫では見慣れない色鮮やかな色が目に入った。美しい光沢のグリーンのドレス、そのドレスに合わせたゴールドとエメラルドの装飾品。

 金色に近い髪色に蜂蜜色の瞳が印象的な、高貴な生まれのご令嬢。そして、付き従う年若い従者。

 嫌な予感がした。

 ここは高貴なご令嬢が来るところじゃない。ここにいること自体がおかしい。

「アナタがレイとかいう、人間?」

 声にはいらちと怒りが含まれていて、私は心の中で「またか」とため息をついた。

「クルト様に付きまとってご迷惑をかけるだけでなく、最近はお兄様方にも付きまとっているとか。本当に、恥知らずな人間だわ」

 ご令嬢はお綺麗な顔をゆがませて、私を視線で殺さんばかりににらんできた。

「申し訳ありません。私はクルト・ランダース氏とは特別な関係ではございません。ランダース商会という中で創業者一族の方と、契約社員という関係でございます」

 そう言って説明をする。過去何人ものご令嬢に同じ説明をしてきた。

 クルトさんと私は職場の仲間、という関係でしかない。番だなんてうそだ。一緒にいるのも仕事だからで、プライベートな関係なんて一切ない。

 けれど、その説明で納得してくれた人はひとりもいない。

「では、どうしてクルト様とアナタが番だという話が聞こえてくるの? どうしてアナタがお兄様方にり寄っている、という話が聞こえてくるの?」

「存じません」

 私の方が教えてもらいたいくらいだ。番でもない人と番だと勝手に噂を流されて、知らないご令嬢に絡まれている私の方が被害者だと言いたいくらいだ。

「アナタに自覚がないだけではないの? 無自覚にクルト様やお兄様方に擦り寄って、ご迷惑をかけているのではないの?」

「……は?」

 クルトさんとは本店で時々会うけれど、仕事の話しかしない。ご兄弟には会ったこともない。無自覚もクソもあるか!

 そう思った瞬間、シュッと空気の裂けるような音がした。

 私の目の前には白くて綺麗な扇が突き付けられている。いつも思うけれど、獣人さんの身体能力はとても高くて、私は全く太刀打ちできない。力強さ、素早さは当然だけど、耳がよく聞こえるとか目がよく見えるとか……基本的な能力が段違い。

 扇を突き付けられたときの衝撃で身分証を下げていたかわひもが切れたらしい、私の透明な身分証であるペンダントトップが地面に落ちた。

 それに手を伸ばして拾うと、握り込む。

「アナタ……それ」

 お嬢様が一歩近づき、私に手を伸ばした瞬間だった。

「そこで何してるッ!」

「レイ!」

 騒ぎを聞きつけたランダース商会の職員たちが集まってくる。倉庫に勤務している商会職員たちは力仕事が多いからか、みな肌は日に焼けて小麦色で体が大きく筋骨隆々の人が多い。そんな男性が怒り顔で走って集まってくれば、なかなかに恐ろしいことだろう。

 案の定、職員たちを見て慌てた従者さんが、まだ私を睨みつけているご令嬢を引きるようにして乗ってきた馬車の方に向かっているのをただただ見守る。

「おい、レイ! 大丈夫か? ケガはないか?」

「誰か、そこの馬車止めろッ! 捕まえろ!」

「警備隊に連絡してっ」

 グラハム主任が私の顔をのぞき込む。いつもはピンッと立っている耳がふにゃりと垂れてしまっている。

「だ、大丈夫です。ケガもないです」

「なんだ、あいつらは。知り合いか?」

「いえ、全然知らない初対面の人です」

 グラハム主任に促されて事務所に入り、いつも使わせてもらっている机につくとすかさず温かい紅茶とクッキーが出てきた。

「警備隊が来るまで休んでろ。事情を聞かれるだろうからな」

 主任の言葉に「分かりました」と返事をし、紅茶とクッキーをいただく。少し甘い紅茶とナッツが香ばしいクッキーがとても美味しい。

 どうしてこうなっちゃうんだろうなぁ?

 獣人さん全員がそうだ、とは言わないけども……私の話を全然聞いてくれない人が一定数いる。

 どうして、嘘の噂に踊らされちゃうんだろう?

 どうして、事実確認をきちんとしないんだろう?

 どうして、すぐ暴力に訴えるんだろう?

 どうして? どうして?

 考えたって仕方がない。でもつい考えてしまう。

 思考の無限ループにまり込んでいると、赤い立派な制服の警備隊員が事務所に入ってきた。全員が体の大きなイヌ獣人さんだ。

「……こちらはウェイイル警備隊の者です。被害者のレイさんは?」

「あ、はい。私です」

 席を立って入り口脇にある打ち合わせスペースに向かう。

「改めまして、自分はウェイイル警備隊第三部隊所属、ハリアーです。こちらは同じくリッグス」

「ランダース商会の契約社員をしております、レイです」

 打ち合わせスペースの椅子に座る。私の隣にはグラハム主任が腕組みをして座った……心強いけどすごい圧を感じる。

「突然、貴族のご令嬢とその従者に絡まれた……というお話でしたが、かのご令嬢やその従者との面識は?」

「全くありません。名前も知りませんし、お顔を拝見したのも先ほどが初めてです」

「では、一方的に彼らがアナタを認知していたと」

「そういうことになります」

 例のご令嬢はルシンダ・レッドラップ嬢、二十歳。レッドラップ子爵家のご令嬢で、彼女と一緒にいた従者はザカリー・ブルック。男爵家の四男で、親戚筋であるレッドラップ家の使用人として働いている。

 警備隊の隊員さんとの話で分かったことは、彼らの名前と素性。そして、私に近づいたのは「現実を教えて、忠告したかった」という理由だったこと。

 彼らの言う現実は現実ではないことをグラハム主任と一緒に説明すると、警備隊員たちは頭を抱えて「分かりました」と理解をしてくれた。

 今後、ランダース商会本店周辺やこの倉庫周辺の巡回警備を強化してくれると約束してから、彼らは帰っていった。

「……一応、商会からレッドラップ子爵家には抗議文を出しておく」

「えっ……そんなことして大丈夫ですか?」

 ランダース商会を経営しているランダース一家は平民。確か、ご長男が子爵家のお嬢様をお嫁さんにもらって、次男さんは歴史のある別商会のお嬢さんをお嫁さんにもらっていると聞いた。

 着々と足場固めが進んでいるとはいっても、平民と貴族は違う(らしい)。貴族に抗議文なんて、困ったことになりそうで不安が募る。

「心配いらんよ。今回、レイにはケガも何もない。ペンダントの革紐が切れただけだろう? だから、お宅のお嬢さんが暴走してるんで、ちゃんと管理してもらわないと困りますねって言うだけさ」

「でも……」

「うちの商会は貴族との取引も多い。取引を止められたら困るのは向こうさ、あのお嬢様の言う現実は現実じゃないんだしな。あ、革紐の代わりは後で俺が買ってやるから」

 グラハム主任はそう言って私の頭をグリグリとでた。

 本当に大丈夫なのかな? 革紐のことなんてどうでもいいけど、正直に言えば不安だ。

「まあ、しばらくひとりで行動するな。必ず複数人で行動しろよ」

 主任の言葉にギクッとした。

 何かされる可能性はゼロじゃないんだ。だから、ひとりになるなと主任は言う。私は「はい」としか返事のしようがなかった。



 第六章 白花祭り


 三年に一度開催される女神様に世界創造を感謝して白い花をささげるお祭り〝しらはな祭り〟は、三日間開催される。

 初日の午前中に大神殿で花が咲き誇ったミラの木を女神様に捧げる儀式が執り行われ、次のお祭りで捧げられるための若木が大神殿に植えられる。

 儀式が終わった後は誰でも大神殿に入ってミラの木を見学することができて、大半の人がお祭りの開催中に大神殿でお祈りを捧げるらしい。白い花を咲かせたミラの木を捧げられた女神像にお祈りをすると、次のお祭りまでの三年間を幸せに平穏無事に過ごせるという言い伝えがあるそうだ。

 初日にお祈りに向かう人が圧倒的に多いと聞いたので、他の日で都合がついたら行ってみようと思う。

 真剣に祈ったら、私みたいな複雑な立場にいる者にも女神様はやくをくれるだろうか?

 いやでも、私をこの世界に召喚という名の誘拐で招いたのは女神様なのだから、超特大の御利益をくれてもいいと思う。

 お祭り開催期間は三日間、一日目の私はランダース商会の出店するブースで白花モチーフのアクセサリーを売るお手伝いだ。

 商会の職員だって三年に一度のお祭りには参加したい。でも、商会としてはこのビジネスチャンスを逃すわけにはいかない。そのため、職員はこの三日間を交代制で仕事とお祭りの参加を両立させている。三日間のうち、一日は仕事で残りの二日を休日にするのだ。

 初日は大神殿にお祈りに行く人が多いと聞いていたから、初日に休日を希望する人が多いだろうと予想はしていたけど、予想以上に多かった。

 特に若い女の子たちは恋人さんと一緒に、初日の大神殿にお祈りに行って「ふたりの生活がたくさん幸せに満ちますように」とお祈りして、大神殿で販売される大樹をモチーフにした数量限定のお守りを買うのが鉄板なんだとか。

 数量限定のお守りは大体お祭り初日で完売するらしくて、初日にお休みが欲しいっていう人を増やす要因になっているようだ。どこでも数量限定という言葉には人をきつける魔力があるらしい。

 私も一応は若い女の子のくくりには入るけども、初日へのこだわりはないしお守りも特にいらないし、一緒にお祈りする恋人もいないので初日に仕事を入れた。

 初日の仕事を快諾したときに「本当にいいの? 初日だよ? お守り買えなくなっちゃうよ? いいの?」と何度も念を押された挙げ句、すごくわいそうな者を見る目で見られたことは納得いかない。

「ありがとうございました。良き一日を!」

 私は淡い水色の化粧袋に入れたブローチを目の前にいるネコ獣人さんに渡した。ネコ獣人さんはそれを笑顔で受け取ると、隣にいる恋人さんの腰を抱いてブースを離れていく。

 恋人さんの手には大神殿のお守りが握られていて、絵に描いたような幸せカップルに見えた。

 ランダース商会の販売ブースには、ミラの白い花をデザインしたネックレス、ブローチ、耳飾り、ブレスレット等の装飾品が並ぶ。どれも少し小ぶりだったりきゃしゃなデザインで、主張しすぎないけれどキラキラと輝くような素敵な装飾品ばかり。値段が手ごろなのもいい感じだ。

 ブースをのぞいてくれるのは圧倒的に若いカップル、その次に女の子ばかりのグループ。彼氏にアクセサリーを選んでもらってプレゼントしてもらったり、皆でおそろいのブレスレットを買い揃えたり……見覚えがある光景だ。

 彼氏に何かを買ってもらった経験はないけど、私もあんとお揃いでネックレスを買ったことがあったし、高校生のときは友達グループ全員でお揃いの文房具を買ったこともあった。

 ここは世界が違う。女神様が本当にいて獣人やエルフ、ドワーフという多種族が生きていて、魔法があって、魔物がいる。自動車や新幹線の代わりに馬車が走り、電話の代わりに魔法の手紙が飛んでいく。

 でも、営まれる生活には共通する部分が多くあって……私はそれを見て実感するたびに胸の奥が痛む。きっと、私の中にある『帰りたい』という気持ちが震えるから。

「すみません、このブレスレットなんですけど……」

「はい、こちらですね。こちらは彫り込まれた模様が一品ごとに違っておりまして……気に入ったデザインのお品を選んでいただけますよ」

「本当! 少しずつデザインが違うなんて、迷っちゃう。ねえ、どれがいいかしら?」

「そうだなぁ……」

 こちらも幸せカップルの代表みたいなふたりだ。

 私は胸の奥の痛みを無視して接客を続ける。幸せそうな若いカップル、楽しそうな女の子グループ、奥さんと娘さんに強請ねだられて困りつつもうれしそうな旦那さん。

 たくさんの幸せを見ながらたくさんのアクセサリーを売りさばき、私の売り子としての仕事は夕方に無事終了した。

 想定以上に売り上げがあったようで、初日の店仕舞いをしながらクルトさんが「特別賞与を出すよ!」と言っていて皆喜んだ。

 販売ブースを片付けて、二日目に販売担当する職員さんに引き継ぎを済ませば完全に仕事は終わり。残りの二日間はお休みで、お祭りに参加するもよし、ゆっくり過ごすもよしだ。

 お仕事が終わってそれぞれの伴侶や恋人さんが迎えに来たり、待ち合わせ場所に散っていく職場仲間たちを見送る。

 ひとりになった私はゆっくり食堂街へ足を向けた。グラハム主任にはひとりで行動するな、と言われてはいるけれど……どうにもできないことはある。

 お祭り開催中の三日間、寮では食事が出ないのだ。

 いつも朝夕の食事を用意してくれる管理人さんご夫婦は、お祭りの間はお休み。お祭りに合わせて、別の街で暮らす娘さんご夫婦とお孫さんが遊びに来ると聞いた。基本的に休みのないご夫婦だ、このお祭り中は家族で楽しく過ごしてほしい。

 寮の個室にキッチンはないので、自炊はできない。この三日間の食事は外食かテイクアウトに頼るしかないのだ。

 幸いお祭り期間中の飲食店は朝早くから夜遅くまで営業しているし、店前でテイクアウトのお弁当やオードブルを販売している。夕飯と明日の朝ご飯をササッと買って、急いで寮に帰ろう。

 明日は一日部屋でゆっくり過ごして、最終日にリアムさんとお祭りを少し見て回る。うん、良い休日の過ごし方だ。

 そうと決まれば、夕飯と明日の朝ご飯の調達だ。

 朝はサンドイッチか調理パンみたいなものがいい。夕飯は……お肉かお魚か迷う。

 メニューに迷いながらやってきた食堂街は、大勢の人でにぎわっていた。

 いくつもの魔法ランプが空中に浮かんでいたり地面に置かれていて、道にもテーブルと椅子が用意されて皆食事とお酒を楽しんでいる。呼び込みの声や皆のおしゃべりする声が響く。

「うーん」

 肉の焼ける香ばしい匂い、煮込まれたスープの優しい香りにお腹が鳴りそうだ。

 夕飯、どうしよう? 本当に迷う。

 ふらりふらりと店先で売られているものを物色しながら食堂街を進んでいくと、腕をいきなりつかまれた。力強く掴まれた腕を引かれ、勢いのままに振り返るとそこにはリアムさんがいた。

「……えっ?」

 息が上がっていて、額からは汗がたくさん流れている。紺色の制服の上着を脱いで腕に抱えていて、着ているシャツは汗にれていた。

「さ、捜した……」

「え?」

 リアムさんとの約束はお祭り三日目だ。私は一日目に仕事が入っていたし、リアムさんは一日目と二日目は仕事だと言っていた。

 リアムさんは大きく息を吐いて呼吸を整えると、苦笑を浮かべる。

…………本当はキミの仕事が終わる少し前には、商会の販売ブースに行くつもりだった」

「え、え?」

「俺の中での予定では定刻通りに仕事が終わるはずだったんだが、想定外に客が多くて、なかなか終われなかった。それで、キミのところへ行くのが遅れてしまった」

「でも、その……約束、してませんよね?」

 私の腕を掴んでいたリアムさんの手が移動し、私の手を握り込む。大きくて、硬い手だ。でも、とても温かい。

「約束はしてない。ただ俺がキミに会いたくて、夕食を一緒に食べたいと思っただけだ」

 一気に血が流れて、私の顔は耳まで燃えるように熱くなった……きっと不自然に赤くなっているだろう。でもが落ちかけて薄暗いし、オレンジ色の強い魔法ランプのお陰でごまかせている、と思いたい。

「だから、一緒に食事をしてくれたら、嬉しい」

 これで、ノーと言えたなら……それはきっと人としての情をなくしてしまっている。

 私は情を失ってもいないし、無謀にもリアムさんにひっそりと恋をし始めているのだ。はいかイエス、もしくは喜んで、しか返事のしようがなかった。



 賑やかな食堂街から奥に入ったところの小さな落ち着いた感じのお店に入り、テラス席へ案内された。メインストリートのけんそうが少し遠くに聞こえて、うるさくはないけど賑やかさは感じられる。

 このお店はお肉料理が美味おいしくて評判だと聞いたので、名物のひとつであるミートパイとマッシュポテト、ナッツとベーコンをたっぷり散らしたサラダを注文した。飲み物はレモンのようなライムのような、スッキリしそうな炭酸水を選ぶ。

「商業ギルドはお祭り期間でも忙しいんですね」

 仕事の後は誰だって疲れが見えるものだけれど、今日のリアムさんは疲労度がとても高そうだ。

「そうだな、通常の業務はないんだが……催し物を開催している」

「催し物、ですか?」

「ああ、〝詰め放題〟という催し物だ。先代のギルド長夫人が始めたことらしい。袋やかごを渡されて、定額でその中に商品をいっぱい詰め込んでいいというものだ。あふれたり、袋や籠が破れたり壊れたりしたらそこまでで」

 詰め放題?

 私の記憶が正しければ、ひとり五百円とか千円の定額を支払ってビニール袋を渡される。そしてその中にお菓子や野菜などの商品を詰められるだけ詰めて、こぼれなければ大丈夫というやつだ。

 先代のギルド長夫人は私と同じように、日本から召喚されてきた日本人に違いない。きっとこの国のお披露目会で無事につがいさんが迎えに来てくれて、異世界人の番として普通に生活してきた人なんだろう。

「詰められるものによって値段が違うが、五百ガルから千ガルで菓子や野菜がたくさん買えると、ご婦人たちが山のように押し寄せてきていてな……」

 リアムさんは今日のことを思い出したのか、明日のことを想像したのか、はたまたその両方なのか……運ばれてきたエールをぐいっと飲んで大きく息を吐いた。

「まるで魔物が集団で襲い掛かってきたかのような、そんな殺気すら感じる勢いで商品の入った箱に群がって……ものすごい勢いで品を奪い取っていた」

「お疲れ様です。〝詰め放題〟は主婦層には人気のある種のお祭りですからね。殺気立つ女性客が多いのは仕方がないかと」

 スーパーの詰め放題は母や伯母も熱心に参加していたし、情報番組でも見たことがある。有名お菓子メーカーがやっている詰め放題とか、詰め放題の達人がいるとかなんとか。だからこっちの世界の主婦層に受け入れられて、人気が出るのも納得だ。

「そういう、ものか」

「そういうものなのです。見守るしかないですよ、逆らっちゃ駄目です」

 リアムさんは再度大きく息を吐き出すと、運ばれてきたミートパイにナイフを入れた。パリッという音をさせて、濃いめのきつね色に焼けたパイ皮が割れて中身のひきにくが肉汁と共に溢れ出る。

「美味しそう……」

「この店のミートパイは食べやすいと評判だ。食べきれなかった分は包んでもらえるから、明日以降に食べるといい」

 大きなミートパイはふたりでシェアしてもとても食べきれそうにない。テイクアウトができるなら、明日のご飯の心配もなくなってありがたい限りだ。

 ミートパイを切り分けてもらっている間に、私はサラダを取り分け、付け合わせのマッシュポテトも盛り付けた。スパイスの効いたミートパイは美味しくて、滑らかなマッシュポテトとよく合う。食感の楽しいサラダに口がさっぱりする飲み物。

 目の前には好きになりかかっている男性がいて、和やかに楽しい食事ができている。

 私は今、幸せだ。幸せを確かに感じている。

 この世界に来ていろいろなことがあった。つらいことも切ないことも、頭にくることもいろいろとあったけれど……ここ一年は幸せだ。

 でも先のことを考えると、不安しかない。

 いつまでもランダース商会の契約社員ではいられないし、リアムさんとの関係も不明。なにより、妙なうわさが上流階級の間で流れている以上、今後も身分の高い人から絡まれたり、何かしらの行動を起こされたりする可能性がある。

 クルトさんとの関係を噂されているのだから、商会を辞めて別の街で別の仕事を探すことも考えた方がいいかもしれない。

「レイ、どうかした?」

「えっ……あんまり美味しいから、食べすぎちゃったみたいです。お腹いっぱいで、苦しくなっちゃいました」

「そうか?」

 考えなくちゃいけないことだけれど、今考えるのはやめよう。

「はい」

 せっかく、楽しくて幸せな気持ちなんだから。

 楽しくて幸せな思い出を作っている最中なんだから。


 お祭り二日目は、静まり返った寮の自室で目が覚めた。

 もう朝早くとはいえない時間だったので、寮で暮らしている皆はすでにお祭りで賑わう街中へと出かけたんだろう……あ、いや、昨日は恋人さんのところにお泊まりだったのかもしれない。

 管理人さんご夫妻も娘さんご家族と一緒にきっともう出かけていて、この寮にいるのは私だけ。

 カーテンを開け、窓も開ければ冬の気配を感じさせる冷たい空気が部屋に流れ込んできた。高く澄み渡った空と小さな雲はどことなくくすんで見えて、晩秋らしい。

 今日は一日ゆっくりと過ごすつもりだ。

 部屋を片付けて掃除と洗濯をして、ゆっくり食事をして図書館で借りてきた旅行記を読む予定。

 最近発売されたその旅行記は、クレームス帝国の西端の街から帝国を横断し海を渡って東の島国を巡ったものだ。帝国だけではなく東の島国も大まかな島は巡っているらしいので、読むのをとても楽しみにしている。

 身支度を済ませて、私は予定通り部屋を片付けて掃除をし、一階にあるランドリールームでまっていた洗濯物を洗って乾かした。魔法で動く魔導洗濯用ボックスは、洗って乾燥まで一気に仕上げてくれる。

 洗濯ボックスが動いている間に朝昼兼用ご飯を食べた。昨日食べきれなくてテイクアウトしてもらったミートパイと、レストランから寮へ帰ってくる途中で買った角切りチーズの入ったパン。

 誰もいない寮は静まり返っていて、少しだけ怖い。

 まるでこの世界に私ひとりきりになってしまったかのような感覚になって、私はわざと大きな音を立ててミートパイを切り、ポットにたっぷりれた紅茶をカップに注いだ。お行儀が悪いことは分かっているけども、自分の中にある恐怖から音を立てることで目をらしたかった。

 食事を済ませ、後片付けをしているとリリンッと館内にある郵便ベルが鳴った。

 郵便ベルは郵便配達人がポストに手紙を入れると鳴るシステムだけど、このお祭り中は郵便配達もお休みのはずだ。それでも配達されたということは、特別郵便物が届けられたということ。

 私は玄関から外に出て、ポストを覗いた。ここのポストは寮に暮らす人たちの兼用なので、かなり大きい。その中に入っていたのは全て私てになっている三通の封筒だった。

 そのうちの二通は差出人から郵便局を通さずに直接入れられたもの……そう、私への高貴な方からのお手紙だ。しかし、もう一通は郵便配達人がさっき配達してくれたものだ。

 郵便局を通したあかしであるツバメのスタンプがしっかりと封筒に押されている。しかも赤インク。

 郵便は基本的に料金前払い制で、日本でいう料金別納郵便が一番近い。

 通常郵便は青黒インクでスタンプが押されていて、休日やイベント時など郵便局がお休みのときは配達されない。でも、お金を余分に払えばその限りではない。その場合は赤インクでスタンプが押されていて、何があろうと最速で届けられる。

 寮の部屋に乾いた洗濯物と紅茶ポットとカップを持って戻ってから、三通の郵便物を改めて確認した。二通はやたら上質な封筒で、黒が濃い高価なインクを使っているから、最初に思った通り高貴なご令嬢様が書いて誰かに届けさせた、いつものお手紙。

 問題なのは、郵便として正式に届いた三通目だ。

 これは庶民がよく使う中程度の紙を使った封筒で、薄い水色に小さな青色の花の絵がワンポイントとして描かれている。庶民の女性が好むもの、もしくは庶民の女性に宛てて選ばれるもの。

 住所や私の名前の書かれたインクは青黒インクで、こちらも庶民には一般的に広く使われているもの。ふうろうなどもない。

 封筒の隅っこに押された郵便局のスタンプはツバメのマークなので、ここウェルース王国内で出されたもの。赤インクだから特別郵便物として料金が支払われている。

 あてが書かれている文字は大きく、力強くやや角張っているから……おそらく男性が書いたものではないか?

 封筒から得られる情報はそれくらい。

「……ほんと、誰?」

 もちろん、封筒の表にも裏にも差出人の名前はない。

 ウェルース王国内での知り合いはランダース商会の関係者と、リアムさんくらいしかいない。呼び出されたフェスタ王国から私に手紙を送ってくる相手はいないし、フェスタ王国からの手紙ならスタンプはツバメではなくハヤブサのはずだ。

 ちなみにクレームス帝国の郵便スタンプはフクロウで、東の島国であるポニータ国はコウモリのマーク。国によって郵便スタンプマークが違うのだ。

 しかし、どんなに考えても差出人に全く心当たりがない。まあ、それを言ったら上質な便せんを使ったお手紙をたくさん貰っているけども、送ってくるご令嬢の誰一人として私は知り合いではないのだけれど。

 洗濯物を畳みクローゼットに片付けて、紅茶を飲んで一息入れてから……私は手紙を開封した。

 ご令嬢からのお手紙は予想通りの内容だった。クルトさんにまとわりつくのはやめろ、自分の立場をわきまえて行動しろ、この辺はもう定番だ。

 最近はランダース商会を辞めろ、この街から出ていけという内容も加わりつつあって……怖い。

 ご令嬢に絡まれることは、商会倉庫に突撃されて以来なくなっている。きっとお祭り開催期間中だから、私に直接どうこうする時間が彼女たちにないから止まっているんじゃないかと思う。

 実際、手紙の内容がエスカレートしている以上、お祭りが終わってその後片付けが終われば……何かされる可能性は高くなるんじゃないだろうか。

 二通の手紙をまとめて、いつもの手紙箱に日付を書いた紙を挟んでから入れる。箱にぎっしり詰まった手紙を見れば、ため息も出てくる。

 これは本格的にランダース商会を辞めて、他の街へ移動して新しい仕事を探すことを考えなくちゃいけない気がする。私にはご令嬢や彼女たちの家と戦う力がない。できることは、その場から離れることだけだ。

 大きく息を吐いて、三通目の手紙を手に取る。少しざらついた紙の感触、ペーパーナイフもスッとは入らずにギザギザに切れるあたり、庶民用の封筒だと再認識する。

 中に入っているのは、封筒とセットになっている便せんが一枚。

 便せんを開いた、でもそこには何も書かれていない。白紙の便せん、右下に封筒と同じような青い花の絵が入っているだけ。

 一瞬、手にした便せんが白く発光した……ように見えた。

「何? あぶり出し的な?」

 レモン果汁で文字を書いて、火であぶると浮き出るアレを思い出したけども、こっちの世界でそんなものがあるとは思えない。裏も表も封筒の中身も確認したけれど、入っていたのは何も書かれていない便せん一枚。

「なんなの?」

 便せんを指でつまんでヒラヒラさせると、便せんからすごく良い香りがした……気がした。甘酸っぱい、オレンジとかレモンのような香り。

 顔を寄せてくんくん嗅いでみると、やっぱりうっすらと良い香りがする。便せんへの香りづけは理解できるけど、文字が書いてないなんて意味がない。

「……? これを特別郵便物で私に送るって、意味が分からないんだけど」

 ある意味不気味な手紙だ。でも、ご令嬢方からの手紙の方が百倍は不快だ。

 私は内容不明の手紙も手紙箱の中に放り込み、ベッドの下へと箱を押し込む。

 もう忘れよう。

 私には考えなくちゃいけないことがたくさんある。今から読む旅行記のことも、ランダース商会のことも、ご令嬢たちのことも、私のこの先のことも……明日のお出かけのことも。



「おはよう」

 リアムさんは約束の時間きっかりに寮へ私を迎えに来てくれた。白いシャツにブルーグレーのジャケット、紺色のコットンパンツ姿。前髪は緩くセットされているだけ、というラフな格好だ。

 私服姿を見るのは教会のバザー&ティーパーティー以来二回目。初めて私服姿を見るわけじゃないのに、すごく心臓がドキドキする。

「おはようございます。今日はよろしくお願いします」

 渇き気味の喉から声を絞り出すと、リアムさんはいつもの優しい笑顔を浮かべてくれた。

「こちらこそ。わいい格好だ。それにその髪飾り、着けてくれてるんだな、嬉しいよ」

 私はシャツにコットンパンツというお仕事スタイルではなくて、襟に花の刺繍ししゅうの入ったキャメルカラーのチェックワンピースにベージュの薄いカーディガンスタイルだ。

 普段は職場と寮との往復で、可愛いお洋服なんて必要ない感じだけれど……さすがの私もリアムさんとふたりでお出かけするのにお洒落しゃれをしないという選択肢は却下だ。

 持ち合わせの中でできる限り可愛い服を選び、ほんのりお化粧もして、髪を整えて、貰った髪留めを付けた。

 これが今の私の精いっぱい。

 お世辞だったとしても、可愛いと言ってもらえた。

 髪留めを着けていることを嬉しいと言ってもらえた。

 嬉しくて、顔が緩むのを必死にこらえる。

「……祭り、何か見たか?」

「いえ」

「昨日は休みだったんだろう? 出かけなかったのか」

「はい。今日、リアムさんと一緒にお祭りに行く約束をしてたので、昨日出かけてあちこち見るつもりは全然なかったんです」

 先にお祭りを楽しんでも問題はないんだろうけど、やっぱり初めて見て回る方が楽しめる。それに、洗濯や部屋の掃除だって休みのときにやらなきゃいけないことだから。

「……そ、そうか。ではレイはまだ祭りをどこも見ていないんだな」

「はい。一日目に商会の販売ブースにいましたけど、お仕事が忙しくって他の販売ブースを見る暇もなかったですよ」

「そうか、まだ全く見ていないのか」

「というか、私この〝白花祭り〟に参加するというか、見に行くのも初めてなんです。だから、とても楽しみです」

 この世界に来て〝白花祭り〟なんてお祭りがあることを知ったのだって、つい最近の話だ。なにもかも初めてなのだ、楽しみでならない。

「んんっ……う……」

「? リアムさん、どうかしましたか?」

 リアムさんは私に背を向け、なにやらせきばらいをしていた。耳は垂れているし、尻尾は小刻みに震えているけど、何かあったんだろうか?

「いや、なんでもない。…………レイ、これを」

 ジャケットの内ポケットから何かを取り出し、リアムさんは私の左手首に触れた。パチンッという音がして、何かが手首をくるりと回る。

「え……これ?」

 一輪の白い花、その茎と葉がデザインされた華奢なブレスレットが私の手首を飾っていた。

「〝白花祭り〟は白い花かそれを模したデザインのアクセサリーを身に着けるって、聞いただろう? キミはそのアクセサリーを一日目に売っていたんだから」

「……はい」

「今日はこれを身に着けていてくれたら、嬉しい」

 カーッと首から顔が熱くなっていくのが分かる。きっと顔だけじゃない、耳も手も足も全身が赤くなっているに違いない。

 赤くなった私を見たリアムさんは、驚いた様子で固まった。私たちは寮の玄関先で向かい合ったまま、ひと言も言葉を交わすでもなく……立ち尽くす。

 どのくらいそうして過ごしたのかよく分からない。体感では一時間以上だけれど、実際はきっと数分。

 寮の管理人をしているアガサ夫人に「私らも出かけるんだから、さっさと街へお行き! 若い者がこんなところでつぶしていい時間はないんだよっ」と笑いながらたたき出されてしまった。

 ものすごい勢いで寮から追い出されて、私たちは小走りに大神殿の方へ向かった。大勢の人たちが行き交う道を、ふたり手をつないで。

「ふっ……ふふっ」

「リアムさん?」

「いや、はたから見ていたらおかしな状況だっただろうと思ってな。ふたりで見つめ合って固まって、そのまま数分硬直していたんだ」

「そうですね。第三者として見たら……変なふたりです」

「ご夫人が見かねて追い出すのも、無理はないな」

 きっとアガサ夫人はじれったくて見ていられなくなったんだろう。私がアガサ夫人の立場だったとしたら、きっと同じようにしたと思う。

「……ありがとうございます。嬉しい、とても嬉しいです」

 私の左手首に光るブレスレット。れいでとても華奢なデザインのそれは、まだ子ども臭さの抜けない私には似合っていないのかもしれない。

 でも、これを私にと選んで贈ってくれた気持ちがなにより嬉しい。これが似合う大人になりたい、心の底からそう思う。

 私のお礼の言葉は小さくて、大勢の人たちの声や喧噪に飲まれてしまった。けれど、リアムさんの耳はちゃんと私の声を拾ってくれたようで……ぎゅっと手を握ってくれた。

 その手の力強さに、私の心はまた恋へと大きな一歩を踏み出してしまった気がする。



 ウェルース王国の王都ウェイイルにある大神殿。王都に複数ある神殿を取りまとめる、最も大きな神殿。

 白い石造りで中央に大きな塔が立ち、その脇に左右対称の小ぶりな塔が並ぶ。中央塔の上に巨大な色ガラス窓があるのは、バザーでお邪魔した小さな教会とほぼほぼ同じ造りに見える。

 違うのはその規模だ。大神殿は全てが大きい。

 女神様をまつる場所はもちろん、神官さんたちが暮らしているだろう建物も、養護院の代わりの神学校も全てが巨大にできている。

 その大きな神殿には、最終日だというのに大勢の人たちがすでに集まってきていた。リアムさんが言うには、これでも最終日ともなると人出は少ないらしい。

 まるで有名な神社の初詣みたいだ、と思った私を責める日本人はいないに違いない。きっと誰しも同じことを思うだろう。

 人の流れに乗って私たちは大神殿の中に入り、白い花を咲かせたミラの木を捧げられた女神様の像へと近づいた。

 大理石っぽい白い石でできた女神像は足元まである長い髪をしていて、ギリシャ彫刻みたいなふんわりとしたドレスを身にまとって、後に大樹に育つ苗木を抱えた姿だ。

 その女神様の像の手前には、一輪一輪は小ぶりだけれどすごくたくさんの白い花を咲かせたミラの木が供えられていた。

 皆がしているように、私も女神様の像にお祈りをする。

 女神様、お願いします。どうか、私に平穏な生活をください。お願いします。

 大神殿でお祈りを済ませ、人々の流れに乗って大神殿の敷地から出た。お祭り開催期間中に一度は女神様にお祈りをするのが、基本的なルールであるらしい。

 リアムさんに誘ってもらってなかったら、私はきっとお祈りに行かなかった。もし、行かなかったら……何かしらの天罰が下ったかもしれない。だって、この世界では女神様は本当にいるのだし。

 でも、異世界から連れてこられた私にとっては、今の立場は十分に罰を受けている状態のように思われる。

「大神殿での祈りは済ませた。後は……そうだな、中央広場と大通りに行こうか」

 この世界のお祭りのことはさっぱり分からないので、リアムさんに言われるままに街を歩く。

 大神殿と中央広場を繋ぐ大通りをそれぞれのお店が出す販売ブースを覗きながら歩き(途中ランダース商会のブースも覗いたけど、リアムさんとのことをからかわれたのでさっさと退散した)、中央広場に抜けた。

 中央広場はその名の通りこの王都の中央付近にある。大きな円形の噴水が中心にあって、イルカのようなクジラのような生き物の像が口から水を噴き出している。

 その噴水を取り囲むように小さな露店が店を広げていて、大勢の人たちが買い物や買い食いを楽しみ、あちこちで大道芸やらダンスやらが披露されておひねりが飛ぶ。

「ここだけじゃない、公園や広場、各教会の近くにもこうした露店が出ている場所がある。皆、気に入った場所に出向いたり、ハシゴしたりする」

「へええ……思っていた以上に賑やかです」

 女神様へ感謝を捧げる三年に一度のお祭りっていうから、もっと儀式めいた厳かなものを想像していたけれど、どっちかと言えば日本の夏祭りや秋祭りに近い感じがする。

 儀式めいたものは、初日に大神殿で偉い人たちが行うものだけで終わっているのかもしれない。

 露店で、串に刺して焼いたお肉や焼きたてのソーセージを挟んだパンなんかを買い食いした。デザートに買ったミックスフルーツソルベは歯がキーンッと痛くなるほど冷たくて、甘いのか酸っぱいのかよく分からなかった。でもお祭りに出ている露店で買い食いするという行為自体がスパイスのようなもので、どれもすごく美味しく感じた。

 聞いたことのない民族風の音楽に、美しい衣装を纏って鈴を鳴らし花びらをき散らしながら踊る、ウサギ獣人さんのわく的なダンス。

 幻影魔法を駆使して、まるでプロジェクションマッピングみたいに周囲を取り込んで物語を披露するキツネ獣人さん。

 小さなリスのような魔物をたくさん従属させて、思いのままに操って芸を披露させるネコ獣人さん。

 見たことのない芸に私は驚き、感動し、手が痛くなるほど拍手をしてできる限りのおひねりを出した。

「大丈夫か? 疲れたんじゃないか」

「あはは、さすがにちょっと疲れちゃいました。見るもの聞くものすごくて、素敵で……」

 興奮しすぎたのか、喉の奥が少し乾いた感じがしてコホンコホンと軽く咳が出た。

「楽しんでるのならいいが、無理はしないでくれ」

「大丈夫ですよ」

「……座って休憩しよう。ものも演者が交代するようだからな」

 リアムさんは露店で果実水を買って、私を広場の端にあるベンチに座らせてくれた。果実水は桃のような味と香りがして、ほんのり甘くて美味しい。カサカサした喉の奥が潤っていくのが分かる。

「これは一体どういうことなのか、説明を求めるわ」

 突然降ってきた怒りをはらんだ声に顔を上げれば、目の前には見知らぬご令嬢が立っていた。

 ワインレッドの街歩き用のドレスを身に纏って、手には美しい扇。ピンと立ったその耳はドーベルマンを連想させる。その後ろにもまたモスグリーンとダスティピンクのドレスを纏った見知らぬふたりのイヌ系獣人のご令嬢たち。

 まずい、と瞬間的に思った。

 彼女たちはきっと差出人不明のお手紙を私に出しているご令嬢で、私をクルトさんの番だと信じている。その私がクルトさんではない、別の男性と一緒に出歩いていることに関して良い感情を抱くわけがない。

 それに、リアムさんを巻き込むことになってしまう。それだけは避けたい。

 ベンチから立ち、一礼だけはした。が、私に突き刺さる視線の鋭さは増すばかりだ。

「えっと……」

「アナタはクルト様の番。だというのに、別の男性と一緒に〝白花祭り〟に参加するなんて……恥知らずにもほどがありますわね。不貞行為ですわよ。クルト様はどちらにいらっしゃるの?」

「……え?」

「何をとぼけているの!? アナタ、午前中に王城前で披露された合唱隊の歌をランダース様と一緒に聴いていたじゃない!」

 後ろにいたダスティピンクのドレスを着たご令嬢が言う。

 午前中に王城前で合唱隊の歌を聴いた? え? 私が、クルトさんと?

「そうよ、そのあり得ないくらい短い黒髪を見間違うわけないわ! ランダース様にべったり張り付いて、王城前にいたのを私たちしっかり見ていますからっ」

 モスグリーンドレスのご令嬢が追い打ちをかけてくる。

 いやいやいやいや、あり得ない。

 私は午前中からリアムさんと一緒にいて、大神殿でお祈りをしてから大通りを通って、中央広場に来た。王城前にまで足を延ばしたりしていない。

 完全な人違いだ。クルトさんと一緒にいた黒髪の女性は、絶対に私じゃない。

「申し訳ありませんが、クルト・ランダース氏と一緒にいた女性は私ではございません。人違いかと思われます。私は本日クルト・ランダース氏と行動を共にしておりません」

 それが事実だ。私は今日クルトさんと会ってないし、一緒に行動もしてない。

 でも、これで納得して引き下がってくれるのなら苦労はいらないのだ。

「私たちが見間違えたとでも言うの!?

「黒い髪色は決して珍しいものではございませんし、髪型によっては短く見えるものもございます。大勢の見物人たちがいる中で遠くから見かけた、のであれば見間違いは仕方のないことかと」

 ご令嬢たちのいらちが高まっているのを感じる。

「では、クルト様と一緒に合唱を聴いていた女性は、どこのどなたなのですか?」

「存じません。何度も申し上げておりますが、そもそも私はクルト・ランダース氏の番ではございません」

 ワインレッドのドレスを纏ったご令嬢の持つ扇が、ミシッと嫌な音を立てた。

 私のところに直接物申しにやってきたご令嬢、全員に「私はクルトさんの番ではない」と伝えている。中には複数回伝えたご令嬢もいる。けれど、彼女たちはそれでは納得してくれないのだ。番問題は否定しているというのに、どうして信じてもらえないんだろう。

「では、どうしてアナタとクルト様が番である、という話が出回っているというの?」

「そちらも存じません」

「知らないって、どういうことですの!? アナタがランダース様の番だって言って回っているのでしょう!」

「ご兄弟にり寄っているのだって、事実だからそんな話が出てくるのに決まってるわ!」

 モスグリーンとダスティピンクのご令嬢がえる。イヌ獣人だけになかなかの迫力だ……正直に言えば怖い。牙をいて怒って威嚇してくる犬が怖いのと同じだ。

「本当に迷惑な女ね! 不愉快な噂の大元だけあって、口から零れる言葉はうそばかりだわっ」

 モスグリーンのドレスのご令嬢が詰め寄ってきて、持っていた扇を振り上げた。貴族のご令嬢が持っている華奢なデザインの扇だけれど、あれで叩かれたらかなり痛いだろう。

 私は目を閉じて、顔か肩に来るだろう衝撃と痛みに備えて体を硬くした。

「……いい加減やめないか」

 ご令嬢たちと私の間に入ったリアムさんの声が響いた。低く、怒りを含んだ声だった。

「何を……」

貴方あなた様もこの人間に振り回されておられるのではありませんか? この人間はランダース商会の三男、クルト様の番で……」

 私から見えるのは、ご令嬢たちから私を守るように立つリアムさんの背中だけ。その背中がとても強く、頼りがいがあるように見えるのは……私の気持ちの問題だろうか。

 ご令嬢方の中にはただただ、私に文句を言いに来る人もいるけれど、大半は私がひとりきりになったときを狙う。その方が圧倒的有利な立場で、私に物申し、自分の言うことを聞かせられる。

 だから私はご令嬢とたいしたとき、こうして誰かにかばってもらえる経験は初めてだ。

「彼女は、クルト・ランダースの番であることを否定しているが?」

「しかし、ランダース商会に契約社員として勤務しているレイという名の人間。その人間が、クルト様の番であるということは社交界でよく耳にする話です。はっきりと、そちらの方であると」

「そうですわ、商会に勤めている者らしいだとか、人間であるらしいとか、そういう曖昧な話ではないのです。はっきりとその子が指名されてるのですよ!?

 そこも私にとっては疑問で仕方がない。クルトさんと私が番であるという話が、いつから誰の口から流されたのかが全く分からない。

「そうか。だが、最低でもあなた方が午前中にクルト・ランダース氏と一緒にいた、と主張する黒髪の女性が彼女ではないことは俺が証明できる」

「証明、ですって?」

「今朝、俺が彼女を家まで迎えに行った。それから今に至るまで共に行動していて、王城前で合唱隊の歌など聴いていない。合唱隊が歌を披露していた時間、俺と彼女はこの中央広場で食事をして演し物を見ていたからな」

 リアムさんははっきりと言い切った。

 串焼き肉の露店を出しているタヌキ獣人のおじさんも「その兄ちゃんと姉ちゃんなら、ずっとこの広場にいたよ。うちの串焼き、美味うまいってたくさん食ってくれたから、よく覚えてるね」と証言をしてくれた。

…………そう、そうですか。では王城前でクルト様と一緒にいた女性は、アナタではなかったのでしょう。アナタのおっしゃる通り、黒い髪で短く見えるような髪型をしていた別人なのでしょうね」

 ワインレッドのドレスのご令嬢がそう言ったことで、ご友人のご令嬢たちも引き下がってくれた。お三方からの視線はいまだ厳しいものの、鋭さは随分となくなったように感じられる。

「理解してもらえて幸いだ」

「人違いはおびします、申し訳なかったですわ。ですけれど」

 ホッと息をついていたところに、改めて声が飛んできて私の心臓が跳ねる。

「レイさん? 今までは知らぬ存ぜぬ、でかわしてきたかもしれませんけれど……そのまま済ませられるとは思わない方がいいですわ」

「……え」

「先ほども申しましたけれど、ランダース商会の三男、クルト・ランダース様の番はアナタだと名指しで話が流れております。社交界に出ている者なら、名指しで名前が出ても不思議はありませんけれど……アナタは庶民。普通なら名前が出てくる可能性は、じんもありませんの」

 さっき心臓が跳ねたのとは違う理由で、ドキンドキンと心臓が大きく跳ね始める。

「それでも社交界で、クルト様の番としてアナタの名前があがっていること。その現実と理由について、もう少し真面目に考えて行動なさった方がよろしいですわ」

 そう言って三人のご令嬢は中央広場から立ち去っていった。ご令嬢方が立ち去ったことで、露店の人たちや遊びに来ていた人たちの注目度も興味も一気に下がる。

 露店で買い物をする人、披露される手品や大道芸に夢中になる人、これから別の露店が集まる場所にも行ってみようと相談する人たちなどでまた賑わいが復活する。

 私はリアムさんに促されて、ベンチに座った。緊張して喋ったせいか、また喉の奥が乾燥した感じがして咳が出た。

ぬるくなっているが、まずはこれを」

 差し出された果実水を受け取り、一気に飲んだ。少し温くなっているけれど、甘い桃のような味の水が喉を抜けてスッキリした。

「大丈夫か?」

「……はい、平気です。ありがとうございます、助かりました」

「俺は事実を言っただけだ。それよりも、一体彼女たちは何者なんだ? 何度も伝えていると言っていたが、ああいうことは過去にもあったのか?」

 リアムさんの青色の瞳は真剣で、私を心から心配してくれているのが分かる。まさか、ご令嬢方から庇ってくれると思っていなかったから……余計にその気持ちや言葉が嬉しい。

「何度かありましたけど、大丈夫です。すみません、変なことに巻き込んでしまって」

 こんなに優しい人を好きになってよかった。心配してもらえて、庇ってもらえて、とても嬉しかった。そして同時に、こんな優しい人を私の抱える問題に巻き込んではいけない。そう強く思った。

〝白花祭り〟最終日の夜には、花火が打ち上がるらしい。夜空を一時間ほど色とりどりに輝かせて、女神様へ最後の感謝を伝え三年間のほうじょうを願う。

 私はリアムさんと一緒に夕食を取るために入ったレストランから、その花火を見た。

 日本の花火とは少し色合いが違うし、演出される形も少し違うのは火薬だけではなくて魔法とミックスされているかららしい。

 花火は二十年以上前からこの国にあるそうなので、きっと二十年前くらいにこの世界にやってきた花火師さんが、その技術を伝えたのかもしれない。この生まれ育った世界とは全く違う世界で花火が見られたことは、素直に嬉しい。

 レストランは、花火が見える個室をリアムさんが予約してくれていた。四角い木製のテーブルに向かい合う椅子、白い花をデザインしたテーブルクロスが可愛らしい。部屋の隅には白い花と小さな女神様像が飾られていて、お祭り期間用に準備されたものなのだと分かる。

 きっとこういうレストランの個室はカップルや新婚夫婦に人気で、なかなか予約だって取れないに違いない。それなのに、予約を入れてくれた気持ちがやっぱり嬉しい。

 ふたりで花火を見て、どこからか聞こえる詩人の歌声に耳を傾けつつ、柔らかなお肉の入ったコクのあるブラウンシチュー、焼きたてのパン、とろけたチーズソースのかかった温野菜サラダに魚のカルパッチョなどをいただいた。

「レイ」

 食後の紅茶とデザートである小さなフルーツケーキが運ばれてきた後、向かいの席に座っていたリアムさんは私の手を握った。

「先ほどの話だ。あのご令嬢たちの存在や、番の噂とはなんだ?」

 握られた手を引っ込めようとしたけれど、リアムさんは力強く私の左手を握って放してくれない。

 私はこの件にリアムさんを巻き込みたくない。それと同時に、トラブルを抱えてそれを上手うまく躱せないでいる自分を知られるのが恥ずかしい。

「レイ、話して」

「……でも、これは私個人の問題で」

「大丈夫だから、話して。何か困ったことになっているのなら、悩んでいることがあるのなら、俺に話してほしい」

 うつむいた私は、ギュッと強く手を握られている自分の荒れた手を見つめた。

 両親の元で暮らして、勉強と遊びをメインにしていた頃の私の手は手荒れ知らずの綺麗な手だった。でも、今は違う。

 仕事で大量の紙に触れるせいか、手からは脂気が抜けてカサカサ。掃除や洗濯だって自分でするので、手荒れは増す一方、庶民らしい働く者の手になった。

 そういえば、母もこんな風に手が荒れていて効果の高いハンドクリームを探しては塗り込んでいたことを思い出す。

 ぼんやりしていると、リアムさんが両手で私の左手を包み込んだ。男性らしい節の張った指が私の手首を飾るブレスレットに触れて、揺らした。魔導ランプのオレンジ色の強い光を受け、ブレスレットはキラキラと輝く。

「キミが話してくれるまで、俺はキミの手を放さない」

 魔導ランプのあかり、その灯りを受けて輝くブレスレット……その双方の輝きはリアムさんの青い瞳の中で一層輝いて見えた。

「レイ」

…………クルトさんと私は番ではありません。私は番が分かりませんけれど、クルトさんからも番だと言われたことはありません。そもそも、私はこの国の生まれではないので、この国の国民であるクルトさんと番なんてあり得ないのです。それなのに、いつの間にか社交界では私はクルトさんの番だ、ということになっていました」

 もう、黙っていることはできないと観念した。心が決まれば、口からは言葉が零れる。

「いつからその噂が流れたのか、分からないのか? 誰からその噂が出たのかも?」

「はい。私がその噂について知ったときには、もう社交界の大半の方が噂について知っていたようです。どなたが噂として流したのかも、全く分かりません」

「その噂が原因で、貴族のご令嬢たちから嫌がらせを?」

 私がうなずくと、リアムさんは小さくうなり強く手を握ってくれた。

「直接私に会いに来て文句を言うご令嬢は、さすがに少ないです。基本的にはお手紙が届きます、差出人は不明ですけど。高級な便せんを使っているので、ご令嬢方からだと」

「内容は?」

「身のほどをわきまえろとか、身を引けとか。クルトさんから離れるように、という内容です」

 表現方法は多岐にわたるし、最近はご兄弟さんのことや商会を辞めて街を出ていくようにといった内容も加わってきている。

 手紙は一応全て開封して確認しているけれど、あまり内容に違いはない。

「どうしてご令嬢方はクルト・ランダースに執着する? 彼はランダース商会の三男だったな」

「この辺は私も想像でしかないのですけど、ランダース商会は今とても勢いのある商会です。国内はもちろんですけど、国外にも支店がいくつもあって、今も少しずつ支店の数を増やして仕事を広げています。きっとこの先も大きく成長していくでしょう」

「経済的に充実し、この先も育っていく、からだと?」

「経済的に豊かでこの先も大きく成長するだろう商会です。経済的に不自由している貴族や、商会が持っている国内外の伝手つてや情報が欲しい貴族にとっては、喉から手が出るほどランダース商会との縁が欲しいでしょう。しかも、商会にいる直系の子どもは男性の三人兄弟で、そのうちのふたりはすでに結婚されています」

「……三男坊は最後のひとりか」

「自身がお嫁さんとして嫁ぐのか、クルトさんにお婿さんとして来てもらうのかは知りませんけれど……クルトさんは若くて、見目も麗しくてお金を持っている頭の良い男性です。庶民であることを気にしなければ、普通に結婚相手として優良でしょう」

 この国で獣人さんが番と出会える確率は五割程度。

 クルトさんが番と出会っていないのなら、政略結婚も恋愛結婚も十分にあり得る話なのだ。

 どうせなら家同士の利権が関係した結婚であっても、愛して愛される結婚生活を送りたいと誰だって思う。そのためには分かり合う時間、交流の機会がとても大切になる。そんな中、クルトさんの番だという噂の私が目障りになるのは当然のことだろう。

 噂は噂、番なら番だとはっきりしたのなら……番を大事にする獣人さんたちは、納得して引き下がることだってできるだろうに。

「噂が流れているのは社交界だけ、というのが気になるところだな」

「え?」

「そうだろう? 噂というのは庶民の間でだって流れるものだ。それなのに、キミの職場や周りにいる者たちの間では三男坊とキミが番だなんて、誰も思ってない。けれど、社交界にだけは流れている」

 リアムさんは大きな三角耳を震わせ、私を改めて見つめた。

「この噂は操作されているのだろう、えて社交界……貴族階級の者たちの耳にだけ噂が流れるようにしている、としか思えない」

 誰かが、わざわざ『クルト・ランダースと商会従業員のレイは番であるらしい』という噂を社交界限定で流している。

 おそらく、私がクルトさんのお兄さんたちに擦り寄っているとか、商会で好き勝手しているとか、そういう噂は付属的に発生してきたもの。噂の大元はクルトさんと私が番だろう、というただそれだけ。

 誰が、何のために?

 私の頭にはクエスチョンマークがいくつも浮かんだ。

 この噂を社交界で流して、一体誰が得をするというのか私にはさっぱり分からない。

 ふと喉の奥がまた乾燥してきて、咳が出た。私は温くなった紅茶をゆっくりと飲んで、咳を鎮める。

「……私には、理解できません」

「そうだな、俺にもどうしてそのような情報操作をしているのか分からない。この国の社交界については詳しくない、内情を探る伝手もない以上、現状では手の打ちようがない。だが、何かしら手を打たなくては」

 私はティーカップをソーサーに戻す。

「どうして、こんなに……優しくしてくださるんですか?」

 ずっと疑問だった。オオカミ獣人であるリアムさんにはどこかに番さんが存在している。今はまだ出会えていないようだけど、半分の人が出会えるのだからリアムさんだってきっと出会える。

 それなのに、番でもない私に対してよくしてくれて優しくしてくれる。お陰さまで好きになっても、恋をしてもその先はない。辛い思いをするだけだって分かっているのに、異性として好きになったら駄目と分かっているのに……結局好きになってしまった。

 優しくしてくれることを勘違いしてはいけない、これは友情だったり親愛だと思い込もうとした。けど、駄目だった。

 粉々に砕けたはずの私の心は、それでも恋という気持ちを抱いてしまった。

「……」

 目をまん丸にして、大きな三角形の耳もピンッと立てて、リアムさんはきょうがくの表情で私を見た。本当に驚いている顔だ。

 その顔を見て、しまったと思った。

 さっきのセリフはまるで私のことを恋愛的な感情で好きだから、という前提条件でもって話しているように聞こえる。リアムさんにとって私は友人で、恋の対象ではない。だって、獣人さんにとっては番さんだけが本当の意味で恋して愛する相手なんだから。

「あっ……その、ごめんなさい。変なこと聞きました、忘れてください」

「……レイ」

「あの、大丈夫です。噂のことは自分でなんとかします」

「しかし、社交界での話だぞ? 個人でなんとかできるような問題ではないだろう」

「いえ……大丈夫です。やりようはあるので」

 私は笑ってみせた。ちゃんと笑えているかは分からないけど、ファミレスのバイトで身につけた〝営業スマイル〟というやつだ。ほほんでいるようには見える、はず。

「レイ?」

「ありがとうございます、話を聞いてもらえて気が楽になりました。昼間はご令嬢方からも守っていただいて、本当に嬉しかったです」

 窓から見える夜空が一気に明るくなった。

 こちらでも花火の最後は一気にたくさんの大きな花火を打ち上げてフィナーレを飾るらしい。

 青、赤、黄色、オレンジ、緑などの花火が夜空いっぱいに広がって、ポポポンッという音が光を追いかけるように響く。それを見ている人たちの歓声も聞こえてきた。

 この花火終了をもって、三日間にわたって開催された〝白花祭り〟は閉幕する。次のお祭りは三年後の晩秋。

 次の〝白花祭り〟が開催される頃、私は一体どこで何をしているんだろう?

 どこの国のどこの街にいてもいい、穏やかな気持ちで今日のことを幸せな思い出として思い返していられたらいいな、と思う。

「リアムさん。本当に、ありがとうございました」

 今日という日は最高に幸せな日だ、私は心からそう思った。

 それと同時に、この幸せを失いたくなくて悲しくなった。



 第七章 体調不良と誘拐と


 〝しらはな祭り〟が終わり、後片付けが終われば街は通常の姿へと戻っていく。

 ランダース商会も通常営業に戻って、私も本店で翻訳作業をしたり打ち合わせや買い付けに同行して通訳をしたり、すっかりいつもの日常業務をこなしている。

 私への差出人不明のお手紙も相変わらず届いてはいるけれど、少しだけ数を減らした。一日三十通前後だったものが、十通程度になった……中身は相変わらずだけど。

 少し変わったことといえば、せきが出るようになったこと。

 朝晩の寒暖差が激しいので、もしかしたら風邪でも引いたのかもしれない。これ以上悪化させないように、気を付けなくちゃいけない。

 秋も深まって冬が近づいてきている。この国には結構な量の雪が降るそうで、寒さもなかなか厳しいと聞いた。ぼちぼち真冬用の洋服や、コートにブーツなどを新調するべきだとは思っている。

 ただ……今以上に物を増やすことに躊躇ためらいを感じている私は、新しい物を買えずにいる。

 リアムさんにはなんとかすると言い切ってしまったけれど、あのうわさに関して私ができる行動はひとつ。ランダース商会を辞めて王都ウェイイルを去る、それだけだ。

 ご令嬢方やそのご家族が私を気にするのは、クルトさんのつがいかもしれないという曖昧な立場だからだ。社交界に縁がなく、守ってくれる家も家族もない私にできるのは立ち去ることだけなのだ。手紙にも書いてあるように、私がここからいなくなれば問題は解決する。

 この街から立ち去るつもりなら、荷物を増やしたくはない。非力な私が持てる荷物は限られているし、お金だって節約(乗り合い馬車に大きな荷物を載せるには、別途荷物料金を払わなくちゃならない)しなくちゃいけない。

 コンコンコンッと乾いた咳をして、手に持っていたガラスペンをペン立てに戻した。この頃は咳が一度出始めると止まらない。

 お茶を飲んだり、喉に良いというハチミツや果物味のあめをなめたりもしているけど、効果が出ている感じはあまりない。

「……レイちゃん、大丈夫? お祭り終わってから、咳が出てるけど」

 マリウスさんが温かい飲み物を持ってきて、咳が止まらない私の背中をさすってくれた。同室で仕事中の職員さんたちも不安そうな顔をしている。

「ハチミツ湯よ、ゆっくり飲んで」

「ありがとうございます……」

 ランダース商会を辞めるということは、マリウスさんやグラハム主任、バーニーさんたち皆ともう会えなくなるということだ。

「それ飲んだら今日はもう帰りなさいな。倒れてしまいそうよ?」

「……はい、そうしますね」

 こんな風に気遣ってもらえることもなくなる。

 当然、リアムさんとご飯を食べに行くことも、休日に遊びに出かけることもなくなる。声を聞くことも、笑顔を見ることも、触れることもなくなる。

 ひどく悲しくて寂しくて、涙がこぼれそうになって……私は温かいハチミツ湯を強引に飲んだ。

 甘くて、とても美味おいしかった。