特典SS とある令嬢はかく語りき 2
昔々、あるところに高貴なお嬢様がいました。
王国が成り立つずっと前から続く、由緒正しき貴族家のご令嬢。ただ、まだまだ自分の立場をしっかりと理解できない……そんな年頃の女の子。
彼女の生活は何不自由のないものでしたが、大好きな父と祖父に連れられて、生まれ育った華やかなる都を出ることになり、辺境地の邸宅へと生活の場を移すことになりました。そして、高貴なお嬢様はそこで出会いました。神の遣いと呼ばれる子供たちに。
神の遣い。当時のお嬢様はその言葉が意味するところなど知りませんでした。彼女の目に映るのは、同年代の男の子と女の子。高貴なお嬢様にとっては、そんな二人の素性などよりも、大好きなお父様から〝二人の面倒を見てやってくれ〟と頼まれたことで胸が一杯でした。〝お父様の役に立つんだ!〟という思いに溢れており、神の遣いたる二人の子供のことが本当の意味で目に入っていませんでした。それは子供らしい張り切りであり、そんなお嬢様のことを周りもとやかくは言いません。微笑ましく見守るのみ。もちろん、高貴なお嬢様の父や祖父、信頼の置ける使用人たちは、時に厳しくお嬢様を叱責することもありましたが、当のお嬢様はきちんとその意味を理解していました。皆の心に深い愛情があるが故の厳しさなのだと。厳しくも優しい者たちに囲まれて過ごす日々。高貴なるお嬢様にとって、それは当たり前の日常。
「……ですが、高貴な令嬢にとっての日常は、ただ在るがままにそこに在るという性質のものではありませんでした。多くの者の愛情や誠意、忠誠や努力、お金に時間、時には周囲の者の命すらも賭して作り上げられている平穏でした」
とある令嬢は語る。物語の令嬢を通じて、当時の自分がいかに皆に守られていたかを。それは今でも続いているのだと。
アリエルの語りを聞くアダム・マクブライン。栄えあるマクブライン王国の王子様。
王国を巡る女神の託宣により、籠の鳥であることを周囲に求められていた彼にとっても耳の痛い話だ。ほんの少し前まで、彼も自分が守られていることを当たり前だと認識していたのだから。
「……高貴なる令嬢は、自身の日常が〝普通〟でないことに気付いたのか? つまり、〝普通〟が脅かされる出来事が?」
「はい。高貴な娘は気付きました。他者からの悪意というものに触れたことで、自分がいかに守られていたのかを。そして、初めて自覚したのです。自身が守られるだけではなく、誰かを守る立場にあることを……」
アリエル・ダンスタブル侯爵令嬢。高貴な娘。とある令嬢。そして、魔境に出自を持つ戦士の友。
幼き日、彼女の道は決定的に定まってしまう。その在り方を変えてしまう出来事が起こる。
「ねぇねぇアリエル。どうしてちょっとお外に出るだけで、こんなに大勢の人が一緒なの?」
シンプルだが、明らかに上等な馬車に揺られながらの質問。それは彼女にとっては素朴な疑問だった。ただ、神の遣い……神子セシリーのその疑問に答えるのは、彼女が期待した相手ではなく、同じ立場の男の子。
「バッカだなぁセシリー! そんなのアリエルが〝こーきなおじょうさま〟だからに決まってるだろ!」
「あー! 今、私のことバカって言った! バカって言う子の方がバカなんだよ!? ダリルのバカッ!」
セシリーが反射的に言い返す。子供らしいというか何というか、彼女は興味の移ろいが激しく、その上で直情的だ。
「お前だって俺のことバカって言ってるじゃないか!」
「私は良いのよ! だって! ダリルが先にバカって言ったもん!」
「もう! 二人ともいちいち喧嘩しないで!」
それほどに広くない馬車の中で、キーキーと喚き合う二人を怒鳴りつけるのは〝こーきなおじょうさま〟であるアリエル。子供たちからすれば真剣ではあるものの、そんな彼女らのやり取りを眺める周囲の護衛……付き従う大人たちの表情は柔らかい。
何だかんだと言いながらも、アリエルは侯爵家のご令嬢。幼いながらにも高度な教育を受けており、その上、マナの制御によって、同年代の非魔道士よりも明瞭な思考力を持ち合わせている。生まれながらにそうあるようにと望まれていた。良いように言えば聡明、将来有望というところではあるが、悪し様に言えばこましゃくれたお嬢様。
王都の邸宅で過ごしていた頃のアリエルは、相手が同年代の子供相手であっても、声を荒げて直接的に注意するような〝はしたない〟真似はしなかった。相手の言い分や態度について、後々に従者を通じて注意を促す程度。それは〈貴族に連なる者〉としては正しいやり方ではあるのだが、どうしても〝子供らしさ〟というものからは遠い姿だ。
「ふふ。お嬢様、お二人に注意するのもよろしいですが、セシリー様の問いにも答えて差し上げないと」
「あ! そ、そうね。些細なことであっても、問われたら応じるのが貴族の務めだから……」
幼い子供同士のじゃれあい。そんな場面であっても、折を見ながら、周囲の者たちはアリエルを導く。アリエルにとっても、周囲の者にとっても、それは当たり前の日常。
「……おほん。気を取り直して……セシリー。ちょっとお外に出るだけでも、こうやって大勢の人を引き連れるのは、私がダンスタブル侯爵家に連なる者だからよ」
高貴なお嬢様の顔を出しながら、誇らしげにそう伝えるアリエル。王都の邸宅にいた頃は、付き合いのある同年代の子たちは全員が漏れなく貴族家に連なる者たち。その頃に比べれば、セシリーやダリルに対しては、いわゆるドヤ顔になってしまう。そんな機会が増えていたりする。
「んー? だから、どうしてダンスタブル侯爵家に連なる者は大勢の人を引き連れるの?」
「へ? ……えぇと……だ、だから、ダンスタブル侯爵家は大貴族だし……」
「うん。だから、どうして大貴族の人たちは大勢の人を引き連れてるの? 一人だと寂しいから?」
「う、うぇ……ッ!?」
曇りなき
「え、えぇと……だ、だから、大貴族に連なる者は……そ、その……」
「うんうん」
〝従者や護衛を引き連れているのは、大貴族に連なる者だから〟
王都にいた頃はそれだけで通じていた。深く考えることもなく、アリエルがそう言えば周囲は〝あぁなるほど〟と納得したものだ。だが、教会で保護されていた孤児であるセシリーとダリルの二人は、当然のこととして現段階では貴族としての教育など受けていない。だからこそ、彼女たちは問う。〝どうしてなのか?〟と。
ある意味では滑稽な話だ。貴族社会で生きていたアリエルは、自身がマクブライン王国の古貴族家にして大貴族、ダンスタブル侯爵に連なる者だという自負はあったが、その意味や意義を他者に説明できなかった。する必要がなかった。王都では、いちいち説明しなくても周りが察してくれていたから。辺境の地へ赴き、常識の通じない相手から質問をされて、初めて彼女は自覚することになる。自身が無知であることを。知ったつもりになっていたことを。
「あ、あー……うぅう……」
「? どうしたのアリエル? お腹でも痛いの?」
困ってしまったアリエルは、自分だけで何とかしようとはせず、すぐに隣に座る使用人を見やる。助けてくれ素直に目線でおねだりをする。
「ふふ。セシリー様。お嬢様のお腹は大丈夫です。ただ、質問の答えが分からなくて困ってらっしゃるだけですよ」
「えー? アリエルにも分からないの? じゃあ、ランシャさんには分かるの?」
「ええ。しかし、この件については、セシリー様やダリル様、それにお嬢様が、自分たちで調べる方が良いかと存じます」。
幼いアリエルの護衛であり、良き理解者であり、ある意味では直接的な保護者でもある妙齢のランシャ。当然に彼女であれば、セシリーの疑問に対して分かりやすく説明することはできる。しかし、彼女はアリエル・ダンスタブル侯爵令嬢の教育係という一面も持っているため、今回については、安易に答えを差し出すのは幼い主のためにならないと判断した。
「……うぅ……ランシャからの宿題かぁ……」
「えー? 別に私は調べたりとかしたくないんだけどー?」
「こらセシリー! ランシャさんに〝しつれー〟だろ!」
それは幼き日のアリエルの日常の一コマ。セシリーとダリルとの賑やかなやり取りにも徐々に慣れて来た頃のこと。ただ、この日の宿題について、アリエルがランシャと答え合わせをする機会は、もう永遠に訪れることはない。
この日、〝こーきなおじょうさま〟一行の馬車は襲撃を受ける。そして、アリエルとランシャは死んだ。
場面は変わる。移る。柔らかな日差しが窓から差し込み、室内は明るいものの、その雰囲気は重苦しく、麗らかな昼下がりとはとても言えないとある部屋。
「御当主。残念ながら、どうやら今回の……あの子供たちは〝本物〟のようです」
直立したままにそう語るのは、ダンスタブル侯爵家に仕える家令。その意味ありげな報告を受けるのは、高貴な令嬢の父であり、ダンスタブル侯爵家の現当主。エイベル・ダンスタブルその人。
「……そうか。では、王国と教会はこのまま〝女神の戯言〟のまま突き進むということか……」
「そうなるでしょう。特に教会は〝女神の託宣〟とやらが、〝正しい歴史〟だなどと言い出す始末。王家は王家で、〝マクブライン王国に繁栄が約束されているというなら、わざわざ否定することもない〟という姿勢のようです」
淡々と語る家令ではあったが、その口調とは裏腹に、彼の身には怒りが渦巻いている。主の前であるにもかかわらず、マナの昂りを隠そうともしない。
「……く、くくく……まったく、舐められたものだな……ッ……!!」
そして、怒り心頭なのは、主たるエイベル・ダンスタブル侯爵も同じ。
数日前、彼らの耳に入って来たのは凶報だった。
〝アリエル様の一行が何者かの襲撃を受けた模様〟
〝死傷者が多数〟
〝襲撃者は撃退したものの、周囲への被害も甚大〟
〝アリエル様も大怪我を負いましたが、すでに治癒されています。今は命に別状はない様子〟
〝神子が……とんでもない魔法を使いました〟
矢継ぎ早にそんな報告をエイベルは受けることになった。そして、知った。知ってしまった。この度の襲撃が愛娘アリエルを狙ったものではないことを。狙われたのは二人の神子。襲撃者を撃退したのも神子。大怪我を負ったアリエルを……生き返らせたのも神子。そして、何よりも、この度の襲撃について、王国と教会は事前に知っていたということを、エイベル・ダンスタブルは知った。
「……こうなっては、アリエルにも話をしておく必要があるだろうな」
「……御当主。僭越ながら、このままでよろしいので?」
家令の瞳には怒りが渦巻いている。当然だ。彼はアリエルの護衛を務め、その身を挺して幼い主を守り落命した……ランシャの父でもある。
もちろん、任務として命を落とすのは仕方のないことだと彼は理解している。むしろ、主を守れたことについて、娘の働きを誇りに思う気持ちすらある。しかし、その任務自体が『女神の託宣』とやらに記されたものであり、事前に防ぐことができた類のものであるなら……話は少し違ってくる。
「ふっ……ガトーよ。当然にこのままで済ます気はない。王国にも、教会にも、何ならその女神とやらについても……落とし前は付けさせる……ッ! く、くく。こういう時、ブライアンの奴なら何と言うだろうなぁ……」
「彼の御仁なら、『やられたらやり返す』と仰ったことでしょう」
「それだ。俺は個人としても、ダンスタブル侯爵家の当主としても、相手が王国だろうが、教会であろうが、やられた分は必ずやり返してみせる……ッ!」
エイベル・ダンスタブル侯爵は知った。王国に張り巡らされた操り糸の存在を。その一端に触れた。かねてより噂程度は知っていたが、まさか本当に『女神の託宣』などという与太話を権力者たちが真剣に成就させようとしていたなどとは思いもしなかった。だが、その与太話に自らの、ダンスタブル侯爵家の役割がはっきりと記されていたことを知り……彼はキレた。王国や教会への……『女神の託宣』への反旗を決意した。
「……つまり、高貴な娘が瀕死の重傷を負ったその襲撃自体が……『女神の託宣』に記されていたことだったと?」
「はい。もちろん、高貴な娘が……私がそのことを知ったのは、もっとずっと後になってからですが……」
アリエルは語る。自らの運命が定まった日を振り返る。
それはただのお使いのはずだった。神子であるセシリーとダリル。その二人に街を案内しながら、教会の聖堂にて二人のマナを精査してもらう予定だった。
だが、一行が教会に辿り着くことはできなかった。
唐突に矢と魔法が降り注いだ。いきなりの襲撃。街の中、白昼堂々と。
「あの日、馬車に襲撃を掛けてきたのは、そのほとんどが素人に毛が生えた程度の使い手たちだったようです。しかし、いかんせん数が多かった。護衛を引き連れてはいましたが、まさか街の中であれほど大規模な襲撃に遭うとは、流石に護衛の皆も想定していなかったのでしょう。降り注ぐ矢に気を取られたその間隙を縫って〝本物の刺客〟が私たちに迫りました。……結果、馬車を貫通して突き立てられた槍を、ランシャがその身で受け止めました。私を庇って」
噴き出す血に驚く暇もなく、死に体のランシャに突き飛ばされるようにアリエルたちは馬車の外へ出される。同時に、すかさず別の護衛たちがアリエルたちを抱えてその場を離れる。護衛たちは取捨選択を迷うことはなかった。己の命を捨て、幼い主や神子たちを守る。
「……しかし、逃げ切れなかった……のか?」
「はい。〝本物の刺客〟は一人ではありませんでした。私を抱えてくれていたのはライルという護衛でしたが、場を離れようとしたほんの数歩の内に首が刎ねられました。そして……私はその時に初めて気づいたのです。すでに私自身の身にも風穴があき、臓腑を抉られていることに」
襲撃に際して、声を上げることもできなかったアリエルだったが、自分を抱えていた護衛の力が抜け、共に地に倒れ伏した時、すでに自分も血に塗れていることに気付いた。ランシャが身を挺して庇ったが、その時の槍はアリエルの幼い体をも突いていたのだ。途端に痛みと身を灼くような熱が込み上げてくる。
「……あの頃の幼い私は、死ぬということがどういうことなのかも分かっていませんでした。しかし、あの時は『あぁ私はここで死ぬんだ』と、妙に冷静に考えていたのを覚えています」
「それほどの深手だったのか……?」
「はい。殿下、改めて申し上げましょう。私はあの時、本当に死んだのです。瀕死の重傷という比喩ではなく、正真正銘、アリエル・ダンスタブル侯爵令嬢はぁの襲撃の日に死にました」
「……」
幼いアリエルが自身の死を認識したのは間違いない。何より、彼女の語りの通り、本当にアリエルは死んだ。その命の灯は一度消えた。
だが、彼女は再び現世に戻ってくる。無理矢理に戻された。
「……今になって思えば、私が蘇ったのも、『女神の託宣』に記されていた事なのかも知れません」
「一体何があったのだ? どうやってアリエル嬢は蘇った? 『神聖術』か?」
もちろん、アダム王子はアリエルの語りをそのまま信じてはいない。本当に蘇ったのではなく、やはり瀕死の重傷を治癒されたのだろうと考えている。その考えも間違いではない。
「……ライルの死体と共に地に伏した私は、そのままライルの死体ごと剣を突き立てられて絶命しました。完全に意識が途切れたのです。ですが、次に気付いた時、私の瞳に映ったのは、真っ白な炎を纏うダリルでした。具体的に何が起きたのかは分かりません。ですが、ダリルの白い炎に包まれた私の体には、すでに傷一つありませんでした」
白い焔の顕現。神子ダリルの奇跡の御業。
「……ダリルが? 確認だが、当時のダリルは孤児であり、魔法の訓練など受けていなかったのだろう?」
「はい。そう聞いています。あと、ダリルに当時の記憶はありません。セシリーにも。……もし可能なのであれば、他の死者も蘇らせて欲しかったのですが……あの後、すぐにダリルは意識を失いました。私も原典を直接確認したわけではありませんが、『女神の託宣』には〝神子の覚醒〟という内容があったそうです。恐らくですが、あの襲撃と神子の力の顕現こそがそれだったのではないかと……」
アリエルにはそうとしか思えない。神子であることを確認するための作業。仕込み。神子の覚醒のためには、あの襲撃が必要なことだったのだ。少なくとも、王国と教会はそう考えていた。だからこそ、当時の襲撃計画が見逃されていたのだと、アリエルはそう解釈している。
「……神子であることを確認するため、『女神の託宣』の正しさを確認するため、襲撃は見逃されていたと?」
「……はい。もっと言ってしまえば、そもそもの都貴族の腐敗や、そんな腐敗を見過ごせずに王家に苦言を呈しきたダンスタブル侯爵家が存続を許されてきたのも……すべては『女神の託宣』のためなのだと聞いています。……もちろん、今でこそ冷静でいられますが、そのことを知った当時はずいぶんと荒みました。そんな事のためにランシャたちは死んだのかと……」
高貴な娘の表情は柔らかい。平静なままだ。しかし、その瞳には宿っている。怒りが。悔しさが。何よりも哀しみが。
「……殿下。貴方はこれから大峡谷へ赴き、この度の変事の行く末を見届けるのでしょう?」
「あ、あぁ。あくまで私はダスティン様のおまけに過ぎないがな」
話の続きをと思うアダムではあったが、一先ずはアリエルの語りのままに受け入れる。だが、すぐに知る。アリエルの本題はこれなのだと。
「殿下。私は神子であるダリルとセシリーの二人を友だと思っています。幼き日の友諠が途切れていないと信じています。しかし……私は同時に神子が怖いのです」
「怖い? ……それは神子の力への畏れか?」
静かに横に首を振るアリエル。彼女には躊躇いがある。実のところ、今から彼女が語る内容は、父であるエイベルにも明かしたことのない胸の内。
「神子の力への畏れは否定しません。しかし、私が本当に怖いのは……セシリーです。私は、彼女のことが怖い」
「……」
それは幼きアリエルの脳裏に刻まれた、決して消えることのない記憶。
「……私の命を取り戻したのはダリルでした。彼の炎は慈愛に満ちていました。しかし……セシリーの白き風は……命を刈り取りました」
それは光の奔流であり、暴風。白き死の風。
あの日、アリエルは見た。聞いた。
「……オマエラ……ドウシテコロシタ? ナゼ、コンナコトヲ? カエセヨ……イノチヲ……アリエルヲカエセヨッ!! アレハワタシノモノナンダゾッッッ!!」
吹き荒ぶ白き風。その風に触れた襲撃者は、自身が死んだことすら理解できなかっただろう。
風が吹き抜けた後は、血すら残らずチリとなる。どういう理屈なのか、襲撃者以外の者が白き風に触れても問題はない。しかし、襲撃者は全員極小の細切れだ。また、ついでとばかりに、襲撃者の付近にある障害物も細切れ。家屋や石畳の一部が失せる。
風が吹き抜けた後、襲撃者たちは誰一人残っていない。アリエルが〝本物の刺客〟と呼んだ手練れたちも、素人に毛が生えただけの者も関係なく。ある意味では平等に死んだ。生存者は誰もいない。だからこそ、襲撃者の背景も分からずじまいのまま。
「……しかし、アリエル嬢よ。命を取り戻すほどの魔法を使うのであれば、攻めに転じればそのような凶悪な魔法を扱えても不思議ではあるまい?」
「ええ。まさに仰る通りです。神子が災害級の魔法を扱えても別に驚きはしません。ですが殿下、私が怖いと思うのは、神子の魔法そのものではなく……セシリーの本質です」
「本質だと?」
お転婆で貴族の常識などに疎かった幼いただのセシリー。
貴族家に養子として迎えられたセシリー・オルコット子爵令嬢。
『女神の託宣』にその運命を記された神子セシリー。
そのどれもがアリエルの友に違いはない。しかし、彼女は恐れている。
「殿下、ダリルは大義や己の信ずる者のために力を振るいます。その上で、力を振ることへの恐れを持っています。そんな彼と共に過ごしたセシリーも、表面上は法や倫理、大義を優先する素振りを見せますが……タガが外れてしまったセシリーは、己の感情のままに力を振るいます。相手が誰であろうが、状況がどうであろうが、そんな事に関係なく、躊躇もありません。私が恐れているのはそういう彼女です。」
白き暴風。死の風を振るう幼きセシリー。
暴力や悪意により、親しい者が傷付けられる。そんな状況を目の当たりにした当時の彼女は、もしかすると正気ではなかったのかもしれない。しかし、それでもアリエルは見た。目に焼き付いている。
暴風の中心で嗤う幼きセシリーの顔。
暴力に酔いしれる彼女の姿が、どうしても脳裏から離れない。
セシリー自身に当時の記憶はない。それに、普段の彼女は自らを律するだけの聡明さは持ち合わせている。
それでもアリエルは不安が拭えない。神子の力を十全に扱える状況で、当時のあのセシリーが顔を出したら……と。
「……つまり、アリエル嬢の本題はそれか?」
目と目を合わせ、ゆっくりと頷くアリエル。彼女はアダムに望んでいる。もし、そういう状況になった場合、彼女を止めて欲しいと。その王家の力を以て。
「……アリエル嬢よ。魔境の戦士に関する約束とは違い、そちらについては確約できないぞ?」
「ええ。それも承知しております。これは……ただの私の我が侭ですから」
「……ふっ。我が侭ときたか。アリエル嬢の純粋な我が侭だというなら、それに付き合わないのは男が廃るというものだな」
「ふふ。殿下、お伝えそびれていましたが……しばらく会わぬ内に、殿下もずいぶんと良い顔をするようになりましたね」
お互いに腹に一物を抱えたままに、微笑みを交わし合う二人。かつての婚約者たち。
しかしながら、今になってこそ、二人はお互いを本当の意味で知り合っていくのかもしれない。