アルは征く。今は自分が求められていないということを知った。

「……アル様。本当にこのまま征かれるのですか?」

 夜明け前の薄闇に包まれ、まだ目覚めたくないと抵抗を続ける……そんな静かな葛藤を湛えた街にアルとヴェーラは溶け込んでいた。その姿は旅装。徒歩の道行きを想定したものであるが、辺境の地を旅するには軽装に過ぎるほど。馬車はもとより、荷を引く馬もない。二人だけの旅路。

「ああ。もはや今のアリエルは僕の助力を必要としない。セシリー殿は未だに危ういけど、ヨエル殿やエイダ殿もいるしね。クレア殿の思惑はどうであれ、僕がセシリー殿をベッタリと守ってやることもない。……むしろ、僕の中の〝衝動〟はダリル殿へ向いているみたいだ。……『彼を止めろ』と煩いくらいにね」

 アルに迷いはない。彼はアリエル・ダンスタブル侯爵令嬢の道を知り、エイベル・ダンスタブル侯爵の見識を知った。もうオルコット領都に用はない。彼の身の内に宿る衝動を別とすれば、後はもう『興味の向くまま』というだけ。

 此の度の『託宣からの脱却』についての独立派の狙いを、あくまでも理想的な流れとしてではあるが、アルはその目指すところを知った。少なくとも民への害悪という尺度においては、託宣のままに事を進めるよりはいくらかはマシなのだろうと判断した。

 エイベルからの情報にて、不敬ながらアルは陛下……フィリップ・マクブライン王が、権力を振りかざし、女神や教会の言うがままに託宣を追い求めるような人物バカではないことも知った。為政者として〝まだ〟現実的な判断のできる人物だ。そして、その統率力は未だに健在。

 聞けば、既に教会との関係を清算しにかかっている。流石にその判断はいささか性急なようにアルは感じたが、もしかすると、フィリップ王はいっそのこと託宣絡みの〝膿〟を出し切る気なのかとも思える。ただし、その考えは劇薬であり、しばらく血の雨が降り止まないかも知れない。それに関しては、状況によってはアルも手を出すことはやぶさかではない。

 マクブライン王国としては、もう〝物語〟を外れたと言っていい。完全新規でもないが、この世界では独自の物語が始まりつつある。新たな息吹をもたらす、誰も先を知らない、それぞれが主人公となる〝本編〟が脈を打っている。

 後は……過去となりつつある〝物語ゲームストーリー〟の終息クリア

 別にアル個人がソレを為す必要もなければ、そんな役割もない。そもそもそんなことができるなどと彼自身は考えていない。それこそ〝主人公〟にお任せすれば良いという具合だ。

「……ヴェーラ。悪いけどここから先は本当に僕の興味本位だ。〝衝動〟によって僕はダリル殿のことやクレア殿のことが気になってるけど……正直なところ、大部分は〝物語〟の結末を覗き見したいという、ただの好奇心に過ぎない」

「アル様の行動の理由など、私には関係ありませんよ」

 即答。ヴェーラにも迷いはない。彼女の瞳には、主の姿以外は映っていない。

「……悪いね。ヴェーラには甘えてばかりだ。だけど、ヤバくなったら僕のことは捨ておいて良いから。主とか従者とかじゃなく……僕は君には死んで欲しくないし、僕を守る為に傷付くことも望まない」

「……私の心は……そのお言葉を嬉しく思います。……ですが、そればかりは約束できかねます。本気のアル様にとって、私が足手まといなのは承知していますが……私自身がアル様をお守りたいのです。優しい心を持つ貴方のことを」

 アルバート・ファルコナーのことを優しいと語る者は少ない。だが、ヴェーラは彼の性根を知っている。敵には容赦がないが、その根底には力無き者を援けるという想いが、矜持がある。そして、彼は〝身内〟には無私の愛を持つ。与える者だ。

 それはファルコナーの特性なのか、彼個人の性質なのかはヴェーラには分からない。ただ、そんなアルのことを彼女は敬愛している。それは紛れもなく本当のこと。

「はは。僕のことを優しいと評し、僕を守ると言ってのけたのは君で二人目だ。……分かったよ。僕はヴェーラの想いを無下にはしないさ。僕は全力で君を守る。だから、君も僕を守ってくれ」

「……私はアル様をお守り致します。そして、アル様も私を守って下さい」

 主と従者。お互いがお互いを守る。どちらも死なない。死なせない。それは新たな契り。

「アル様。私が二人目と言われましたが……一人目とはどんな方だったのでしょう? ファルコナー領の?」

「え? ああ、所謂幼馴染ってヤツでさ。その子は幼い頃の事故が原因で……」

 語らいながら二人は歩く。〝次〟へと向かう。

「……そんなことが? ……それでは、アル様の戦士としての出発点は…………」

「まぁ…………そうとも……かな? ……でもさ、その子は…………なんだ……」

「……そ、そんなにも? ……ファルコナー領とは凄いところですね……まさか……アル様より……ですか? ……他にも……では……となる?」

「……そういえば……父上が……でさ……かな……?」

 二つの影が寄り添いながら、オルコット領都の薄闇に紛れて出立していく。目指すはルーサム家の庭。大峡谷の深部。