
再び進み始めたアリエル一行。警戒はしているものの、どこかその空気は弛緩している。ただし、これは束の間のことだとアリエルも自覚していた。独立派との合流が節目であり、父との再会が、そのまま命の終点になる可能性も依然残されたまま。
「とりあえず、クレア殿たちからの襲撃は止みそうですね」
「……まだ気は早いですが、アルバート殿のお陰で無事にここまで辿り着けました。改めて百の感謝を」
独立派が真にアリエルを害そうとするなら、道中で襲う必要はない。迎え入れて油断したところをブスリと一突き。それでおしまい。到着してしまえば、アルに感謝の言葉を述べる機会すらないかも知れない。アリエルはそんなことまで考えていた。当然、彼女の懸念はアルやヨエルどころか、セシリーですら察している。
「……一応、お聞きしておきましょうか。アリエル様は独立派に命を狙われた場合はどうなさるので?」
「知れたこと。それが我らの大望に必要なことであれば受け入れます」
即答。そこに揺らぎはない。彼女は〈大貴族に連なる者〉であり、如何なる理由があろうとも、敬うべき王家に弓を引いたことに変わりはない。目的を果たす為ならば、己の命も駒の一つに過ぎないという気概を持っている。当然、彼女の覚悟を受け入れられない、受け入れたくないという者もいる。
「……アリエルは凄いな。私はそこまでの覚悟を持てないよ。義父や義母、義弟が私を捕らえようとすれば……抵抗はできないが、かと言って、唯々諾々と従うのも辛い……」
セシリーがふと零す。
アリエルのような、決起した者の覚悟をセシリーに求めるのは筋違いであるとしても、都貴族家の者として生まれ、親兄弟との関係性が最悪なヨエルには、彼女の言葉が理解できない。だが、そんなことを口にする神子セシリーのことを甘いと断じながらも、どこかで羨望を抱いている。家族という幻想への憧れ。
「セシリー殿は孤児だったとお聞きしましたが、オルコット子爵家での日々は恵まれていたようですね」
「……あぁ。私は家族に恵まれていた。当然に、私が神子であるという打算もあったのだろうが、義父たちの愛情が嘘だったとは思わない。たとえ嘘だと言われても、私の家族への愛が揺らぐことはないよ」
気負うことなく家族への愛を語るセシリー。裏切られても、騙されていたとしても、自らの愛は変わらない。自然体で語ることができる。確固たるモノがある。セシリーはアリエルの覚悟を凄いと言うが、アリエルやヨエルからすれば、彼女の家族への想いの方こそだ。
「セシリー殿が家族への愛に溢れているのは承知しましたが、それでも考えている方が良いとは思いますよ? もし、オルコット子爵家がセシリー殿を害そうとした場合……どうしますか? アリエル様にも言いましたが、僕は害意を持って襲ってくる相手には容赦しませんけど?」
場に水を差すアルだったが、現実的な問題として必要なこと。セシリーが家族と争うことなどできないと言っても、向こうが襲ってくればアルとしては撃退するまで。
セシリーは道中の襲撃者へのアルの対応を知った。迂闊に手を出したエイダが、紙一重で命を拾ったことも聞いた。それ故に彼女も本気で考えることになる。
「……頼むアル殿。オルコット子爵家の兵には手を出さないでくれ。アリエルにはすまないが、私は家族を傷付けてまで何かを為そうという気概はない。そもそも神子としての役割なども、その意味すら分かっていないんだ……」
「ま、善処はしましょう。もっとも、アリエル様を始末してセシリー殿は保護。あるいは逆、アリエル様は保護してセシリー殿には死んでもらう……なんていう思惑だってあり得るでしょう。結局のところ、事前に知らされない限りはどうにもなりませんけどね。どちらにせよ、なるべく僕に触れないように事を起こして欲しいものです」
「「…………」」
あっさりとしたアル。事情がどうであれ、火の粉が自らに降り掛からなければ良しというだけ。
死にたがりな人外の兵は女神の力に反応していたのか、アルやセシリーを認識すると一目散に襲い掛かって来るという有様で、度重なる襲撃を受ける羽目になっていた。襲撃者を察知して撃退。葬る。その繰り返し。その中で、アルが徐々に変容していることにセシリーたちも気付いている。
王都で居を構えていた時とは違う。今回は旅の途上。アルは完全にタガが外れており躊躇も遠慮もない。いや、タガが外れたというよりは、王都でのしがらみの中で鈍っていた、大森林での感覚が研ぎ澄まされてきている。戻ってきているというべきか。
内からの衝動に若干の不愉快さを感じるという重荷はあるが、今のアルはヨエルやセシリーが知る、学院に顔を出していた頃の彼ではない。常在戦場の大森林の戦士。平静に気が触れているファルコナーの者。非魔道士並にマナを抑えてはいるが、どこか鋭さを纏っている。
「……アル殿。ただの戯れ言として聞きたいのだが、ファルコナー領において、アル殿はどれほどの戦士なのだろうか? 既に当主であるファルコナー男爵と同等の領域に足を踏み入れているのでは?」
場を転換する為の問いでしかない。問うヨエルも流石に辺境貴族家の当主級ではないだろうと見越している。そもそも、ブライアン・ファルコナー男爵の逸話は王都にいても漏れ聞こえてくるほどだ。ヨエルのそんな意図に気付きながらも、アルの方も敢えて話に乗る。
「まさか。父は飛び抜けた化け物ですよ。僕が瞬間的に出せる本気の身体強化を常時展開しているほどです……眠っている時ですらね。父が本気を出せば、大森林の深部域の昆虫も敵ではありません。ま、あくまで一対一ならですけど。あと、父ほどではありませんが、二人の兄もそれぞれにまた違ったタイプの化け物ですね。僕では殺せないです。父に付き従う精鋭たちであれば、不意を突けばなんとかいけると思いますが……体術でまともにやり合うとなると、まだ厳しいですね」
つらつらと至極当然という体で話すアル。父や兄たち、ファルコナーの精鋭にはまだ敵わない。そして、熱量もなく殺すという単語が出てくるところに、聞く者は異常性を感じる。
「……信じられないな。アル殿を上回る手練れがゴロゴロしているのか。いや、ルーサム家のことを考えれば、それも不思議ではないか? 東方出身者としては、ルーサム家こそが王国最強だと教えられてきたものだが……」
王国において、魔物の脅威度については、南方の大森林、東方の大峡谷が双璧を為すと言われている。しかし、教会に対しては公然の秘密ではあるが、東方においては一部の魔物……ゴブリンやオークなどは、ヒト族とも商取引すら行っており、持ちつ持たれつという部分があったりもする。
だが、大森林の昆虫たちはそうではない。知能はあっても、それは生存と繁殖に偏っており、取引や対話が成り立つ相手ではない。そんな中で磨かれたファルコナーの技や気質が、他の地域と毛色が違うのも当然のこと。
「あぁ、東方のルーサム家については聞いたことがあります。父上は若かりし頃に各地を放浪していたようで、一時はルーサム家の食客をしていたとか。ゴブリンの軍団長に打ち合いの末に負かされたと……珍しい話を聞いたことがあります」
「ッ!? ゴブリンの軍団長と言えばダーグ軍団長か!? 現当主よりも強いというルーサム家の生きる伝説だぞッ!? 彼と打ち合うなど……一撃必殺を体現しているかのような御方だと聞くが……」
「そうなんですか? 半日近く打ち合い、体力負けしてあしらわれたのはアレが初めてだったと父上が愚痴っていましたが……ま、僕からすれば上には上がいると呆れるばかりでしたね」
東方育ちであるセシリーにとって、ルーサム家とは強者の象徴ではあったが……アル個人ではなく、ファルコナー家そのものが強者として付け加えられることになった。
ただ、そんな風に驚くセシリーを見て、アルは内心で嘆息する。何を驚く必要があるのかと。
「ヨエル殿が話を変える為に振ってくれた話題でしたが……ここはハッキリと言っておきましょうか」
真っ直ぐにセシリーを見つめる大森林の戦士。
「……アル殿、何を……?」
ヨエルが何かしらを察するが、アルは構うこともない。
「ビーリー子爵領から始まり、道中の襲撃の際などにもセシリー殿の白いマナを用いた魔法を見ましたが……安定したマナ量を含めてその効力は凄い。正直に言えば、セシリー殿が魔法を展開すると僕は勝てません。でも、僕がセシリー殿に強者として怖さを感じることはないし、戦えば殺せます。むしろ、僕はヨエル殿やヴェーラの方が怖い。何だったら、僕の従者をしてくれている非魔道士のコリンという者の方が、セシリー殿よりも〝戦士〟として完成されています」
「アル殿……」
ヨエルは多少の恨みがましさを込めてアルを見やる。もう話の流れが読めてしまった。それはセシリーを傷付けることになる流れだ。
「……アル殿は私に何が言いたいのだ?」
甘い。言われずとも分かっているだろうに。そんなアルの呆れにも似た空気感をセシリーは感じ取る。実のところ、彼女にも話がどこへ流れていくのかは理解している。知らないフリをしていたいだけ。
「先ほど、セシリー殿は僕に頼むと言った。オルコット家の兵を殺さないで欲しいと。でも、貴女が本気になれば、僕を殺してでも止めることができる。それほどの力を秘めている。気に入らないなら気に入らないと暴れればいい。独り善がりで暴走したダリル殿をぶん殴ってやりたいっていうなら……それをするだけの力が、今の貴女にはあるでしょう。いつまで〝力無き者〟のフリを続ける気ですか?」
「……ッ!!」
アルの言わんとすることは分かってはいた。ただ、ハッキリと指摘されると堪える上に、セシリーは強く羞恥を感じる。力がない……ということを言い訳にしているのを看破されていた。そして、一歩を踏み出す勇気がないこともだ。
ダリルには腹が立っている。憎からず思っていた。いや、語らずとも想いは通じ合っているという安心やズルさもあった。だが、彼は一人で動いた。相談することもなく、ただセシリーの為だと。馬鹿にしている。〝私のことを勝手に決めるな〟という怒りがセシリーにもある。そして、ぬるま湯に浸かったまま、ダリルと真剣に語り合うことを恐れていた自分の馬鹿さ加減に、今さらながら気付き、呆れた。
セシリーは家族への愛はすらすらと語れる。誇らしいとさえ思っている。家族の為に犠牲を伴うなら、この身を投げ出す覚悟だってある。
だが、ダリルの想いを確認することは怖かった。拒絶されることを恐れ、今のままで良いんだと言い聞かせ……ずるずると流されに流された結果がこの有様だ。
そして何より、神子だのなんだのと、勝手に運命のようなモノを決められているのも気に入らない。当然の怒りが彼女にだってある。ただ、それを表に出すには、セシリーは自分で思う以上に臆病な箱入りだったということ。
「……何を言っているのか……私はダリルの馬鹿さ加減に呆れているが、そんな個人的な想いで場を引っ掻き回すようなことは……」
「あぁ、結構ですよセシリー殿。貴女とダリル殿の間にある男女の機微は僕には分かりません。『力在る者は力無き者を援ける』というように、力在る者は何かしらの役割を負うべきという考えがあるだけです。今のセシリー殿は力が在るにもかかわらず、そこに目を向けない。自分を弱者の側に置いたままだ。僕は、強者が弱者のフリをして、ただ援けを待っているのが気に入らないんですよ」
アルはセシリーの言い訳などに興味はない。そもそも、本来は彼がここまで言ってやる義理も必要もない。そこには、内からの衝動による影響もあったのかも知れないが、純粋にセシリーを心配する想いも確かにあった。
何よりも彼は知っている。その理由の善し悪しについて判断はできないが、ダリルが死兵の覚悟を持って事に挑んでいることを。
女神の遣いを神子の前に連れて行ったあの日。ダリルは不帰の道を歩む覚悟があった。心を決め、マナは穏やかに凪いでいた。アルは戦士の出立を見送る気分でダリルと別れたのを覚えている。
「ダリル殿のやろうとしていることは知りませんけど、命を懸ける覚悟があったのを僕は知っています。彼だけじゃない。アリエル様をはじめ、この一件に関わる者は皆がそれぞれに命を懸けている。
「…………」
「……アル殿。セシリー殿は神子としての役割に踊らされ、そのことを知ったのも最近のこと。力の制御も、ほんのついこの間だ。力在る者として振る舞うには流石に……」
ヨエルのフォローにもならない言葉が、更にセシリーの心を抉る。力が在っても、弱いままだと言われているに等しい。
「今のセシリー殿を肯定する……アリエル殿にヨエル殿、エイダ殿もか。貴方たちはそれで良いのかも知れないけど、クレア殿の思惑はどうです? 彼女が神子に何かをさせたがっているのは分かるでしょう? そもそも、今のセシリー殿なら、クレア殿だって滅することができるかも知れない。それほどまでの力が在るのに、付け入る隙を与えて駒に甘んじる? クレア殿……に限らずですが、誰かしらがオルコット子爵家の命を盾にすれば、セシリー殿は逆らえない。そうなれば、あの白いマナの強大な力を他者が振るうことになる。結果として、セシリー殿自身が害悪を撒き散らす者となるかも知れない。……これはそういう話ですよ」
アルの戦士としての未来予測。非情な計算。神子を生かす以上、必要なのは白いマナを操るその力だろう。そこにセシリー個人の人格など必要はない筈。つまり、手っ取り早いのは傀儡。脅しや懐柔はもとより、自我を失わせて他者を操るというのは、外法の中では比較的ポピュラーな部類だ。当然、クレアが知らない筈もない。
これまでのような立場や権力による操り人形ではなく、直接的にセシリーを操ってしまえば良い。それは突飛な発想という訳でもない。アルは自分がクレアの立場であれば、間違いなくそうする。
そして、暗部として活動していたヨエルも、都貴族の裏を知るアリエルとて、同じようなことを想定している。していない筈もない。アルはセシリーに甘い二人に対しても、少し憤りがある。
「(セシリー殿が個人として好ましい気質なのは分かる。自分にないモノを彼女が持っているっていうのも。だからこそ、汚したくない、壊したくない、ずっと
アリエルとヨエルは、セシリーのことを守っているが、それは身の安全というだけではない。『そのままであって欲しい』という願望が見え隠れしている。その想いは、時に好ましい変化……成長を阻害する毒であり、じっとり絡みつく呪いになりかねないモノ。
「……私が今のままではそうなると?」
「十中八九そうなるでしょう。……僕は本当のところは知りません。ですが、ダリル殿がクレア殿に
「アルバート殿ッ!」
沈黙を保っていたアリエルが制する。そこまでだと。強き意志の宿る、その深き翡翠の瞳がアルを貫く。
「……失礼しました。よく知りもしない僕にダリル殿のことを語る資格はありませんでした。伏して謝罪致します。申し訳ございませんでした」
座ったままではあるが、アルはキッチリと頭を下げて詫びる。一種の茶番ではあるが、謝罪をされた以上はセシリーも応じざるを得ない。
「アル殿の謝罪を受け入れよう。……しかし、そもそも貴殿が私に詫びる必要はないがな……アル殿の言葉は当然のことだと思う。私が甘ちゃんなのは事実だ」
自分が『託宣の神子』という存在であると言われ、周囲のお膳立ての中で暮らしていた。まさに自分が操り人形に過ぎないということを知った。同じく神子であるダリルは、その真意を語ることなく去り、セシリーは流されるまま今に至っている。
未だにセシリーには現実感がない。独立派だの、託宣だの、神子だのと言われても、そんなのは知らない。逃げたいと思ってしまうだけ。
「いつまでも逃げてはいられないのか……」
セシリーの呟きに応える者はいない。彼女が自身の足で歩まない限り、その答えには辿り着かない。アリエルとヨエルにしてみれば複雑な心境ではある。自分たちの願いが、セシリーにとって真綿で首を絞められるようなモノだったと突き付けられてしまった。分かってはいたが、『まだ大丈夫だろう』『これくらいなら……』『もう少しだけ……』という判断が積み重なっていった。セシリーの甘さを許容してしまっていた。
「(内から湧いてくるこの衝動……。僕はセシリー殿のことを心配している。それだけじゃない、ダリル殿のこともだ。二人のその先行きを気にしている。これは僕個人の感情だけじゃない。追加で足されたモノもある気がする。神々は〝物語〟からの脱却を目指し、クレア殿は託宣や神々の支配からの脱却を目指している……つまりゴールは似たようなものだ。だったら、僕のこの衝動はなんだ? セシリー殿を護り、クレア殿の目論みを邪魔するっていうのは、女神側の意図ではない? ……僕は〝物語〟そのものから影響を受けているのか?)」
沈黙の帳が下りる馬車内。それぞれに思うことがある。
アルだってそうだ。己の衝動についての考察。女神の気まぐれな一手によってこの世界へ喚ばれた使徒。〝物語〟の記憶を持つ者。
この世界で生まれてから、女神からアレをしろ、コレをやれと細かい指示などないままに育った。後に使える駒と認識されたのか、
「(元々〝物語〟に僕の役割なんてなかった筈なんだけどな。ここに来て何かしらの役割を振られたってことか? ……はは。あくまで妄想に過ぎないけど、知らぬ間にナニかを押し付けられるっていうのは、思っていたより不愉快なモノだね。神々やクレア殿、神子やダンスタブル家の気持ちも、ほんのちょっぴりは分かる気がする)」
ただ、それでもアルには、役割に反抗しようという意識はあまりない。大事なのは結果。流れゆく先の景色が、特別に悪いモノでなければそれで良い。シンプルな願いがあるだけ。
先の景色が悪いモノであれば……押し付けられた役割などアルの知ったことではない。