
王都。中央に王城と至尊区。次に貴族区。更にその周囲を民衆区と外民の町という構成であり、それぞれが城壁で区切られている都。
政の中心は至尊区と貴族区。民が暮らす「生活」という面では民衆区や外民の町がその中心と言えるだろう。
アルの要請にて、ファルコナー領から出張ってきたコリン。彼が留守を任されたギルドにしても、その活動の中心は外民の町であり、時折、民衆区に出かけるという具合。まさに王都の生活に寄り添ったもの。
そして、この度のコリンは民衆区にいた。それも自身が足を踏み入れることはないだろうと思っていた、〈貴族に連なる者〉、その子弟が数年にわたって通うことになる、栄えあるラドフォード魔導学院。その敷地内の外れにある、とある屋敷に彼はいた。
「はぁ。確かに俺たちは、魔族だなんだと言いませんが……」
「コリン殿。そうであるなら、何卒、連中を引き受けてもらえぬじゃろうか? 当然、タダとは言わぬ。見返りに加え、残された一族の者は恩を忘れぬ」
コリンの前で頭を下げる翁の名はヴィンス。二百年以上前に魔族領からヒト族の領域へ逃れてきた流浪の民。その生き残りであり、元・一族の長。
正式な一族の長の座は、新天地たる西方辺境地へ向かった者たちのリーダーに譲り一線を退いたが、王都に残っている者をまとめる役割と責任はまだ背負ったまま。しかし、そうは言っても、ヒト族社会に溶け込んだ者たちは、既に魔族であることを捨て、ヴィンスたちとも距離を置いた。もはや彼の下に残った者はそれほど多くはない。
その中でも年少の者たち。エイダらよりも更に下の世代。若き子たちの未来をヴィンスは憂えている。
「……いや、まぁギルドで受け入れるのは構いませんが、俺たちもそれほど余裕がある訳でもありません。それに、あくまでも俺たちにできるのは、下働きの紹介や身請けの話が来た際の調整くらいですよ? つまり、そうなればヒト族として生きていくことになります。魔族であることを封じるくらいなら、俺たちではなく、ヒト族社会に溶け込んだ一族の者を頼る方が無難なのでは?」
ヴィンスからの頼み事。一族の年少の者を、ただの孤児としてギルドで預かってもらいたい。できれば、そのままヒト族社会へ出してやって欲しいという話。
コリンは次々に身請けの話をまとめており、実のところ、ギルドに残っているのはサイラスとエラルドのみ。他の者たちは既に身請け先での新たな生活を送っている。もっとも、ほとんどの者はギルドに日常的に出入りしている為、生活はあまり変わらなかったりもするが。
「……だからこそじゃよ。距離は置いておるが、一族の者に頼めば確かに受け入れ自体は可能ではあろう。じゃが、それではダメなのだ。どうしても一族への帰属意識が拭えない。わしら一族は終わったのじゃ。もはや滅びし民よ。この先、残り伝わるのは各々の内にあるものだけ。それで良い……生き永らえてくれればの。そして、生き方を変えられない者たちは去るだけじゃ」
「……ヴィンス殿も王都を去ると?」
ヴィンスの下に残った者は、〝庇護者〟への恩や義理を含めて、魔族であることを忘れることができぬ者たち。一族の滅びに際しては、ただ去り往くのみ。後は野となれ山となれ。まさに流浪の民として散る。それらを含めてヴィンスはコリンに明かす。もはや自分たちの道の先に未来はないと。
そして、ヴィンスにもエゴがある。可能性を持つ、年少の者たちをそんな道行きに連れ出したくはないという老婆心。まだ子供である年少者たちには、その意味を深く知ることはできない為、分かり合えない溝ともなり得るもの。
「身勝手なことではあるが……若い彼ら彼女らには一族ではなく、己の未来の為に生きて欲しいのじゃ」
「……それを当人たちが望んでなくても? 一族の者として誇りを抱いて共に往きたいという子も多いのでは?」
「……既に話し合いは済んでおる」
コリンも言葉に出しはしたが、もう既にどうすることもできないのだろうと思っている。
ヴィンスたちが去った後に何を為すのかは具体的には分からない。ただ、本当に流浪の者となることはないだろう。恩や義理を受けたという〝庇護者〟の為に動くのか。
「分かりました。流石に全員をという訳にはいきませんが、五、六人程度であればギルドで責任を持ちましょう」
「……忝い。アル殿を含め、貴殿らには迷惑を掛け通しじゃ」
「(子は宝か……彼等一族のことを多くは知らないが、せめてヴィンス殿たちが納得の上で〝死ねる〟ことを祈るだけか……)」
王都を去り往くヴィンス一族。
かつての長であったヴィンスが、穏やかに死を覚悟していることにコリンは気付いていた。
彼は既に死兵。先行きには恐らく戦いが待っている。
◆◇◆◇◆
「陛下。この度の争乱、如何に決着を? ダンスタブル家との調整に入ったとお聞きしましたが?」
「ふん。中々に耳聡いじゃないか、アダムよ。……優秀な側仕えを得られたか? いや、違うな。さては教会連中だな?」
「……ッ!」
「ふっ。分かり易いな。精進せよ」
父と子ではなく、至尊の冠を持つ者とその後継者の一人。
マクブライン王であるフィリップと、第三王子であるアダム。
今は執務の合間を縫っての面会。
アダムにとってこの度の争乱は寝耳に水。しかも首謀者……旗振りをしたのは婚約者であるアリエル嬢の父、ダンスタブル侯爵その人。当然のことながら、アダムは責め立てられた。『なぜ気付かなかったのか?』『王家の情報を抜かれていないか?』『事が起こった直後にでもアリエル嬢を確保するべきだった』などなど。
〈王家に連なる者〉とは言え、公的には自由に振るえる権力も手勢もない身。流石に一連の流れを把握することはできなかった。
そもそも、王家にせよ教会にせよ、託宣に示された〈王家に連なる者〉である可能性が高いアダムには、神子と同じく、託宣絡みについては余計な情報を伝えていなかった。
もし、アリエルと同じ程度の情報をアダムが得られていれば、また結果は違ったのだろうが、そのことは綺麗サッパリと棚に上げ、一部の者たちは、ただただアダムを責めるという愚行に走った。今さらながらの託宣の情報開示もだ。
「教会の聖堂騎士……恐らくは異端審問を執り行う連中でしょうが、その者たちが情報を寄越してきました。陛下が、父上が独自にダンスタブル侯爵と接触をしていると……」
「ふっ。女神の託宣を蔑ろにするとはけしからん! ……と言ったところか」
アダムもまた託宣によって振り回される者。もはや、自身に入って来る情報が正しいものであると信じられる筈もない。そして彼は然程に愚かでもない。状況を理解した上で、自分だけで抱え込もうとはしない。得られた情報は吐き出す。信頼を置ける者へ。
教会はアダムを傀儡としたい。未だに託宣に固執している。だが、彼は〈王家に連なる者〉としてごく当たり前に、至尊の権力を持つ王の裁可を仰ぐという行動をとる。自らの考えで勝手に動くなど、王に求められていないと知っている。
「アダムよ。お前もある程度は聞いたであろう? 託宣を。千年の繁栄という未来は惜しいが、もはや流れは託宣から外れてしまった。教会の連中が王国建国の黎明期から積み上げてきた計画がご破算という訳だ」
「……教会の者は、託宣はこの世界の始まりからの秘儀だったなどと
「はんっ! そんなモノは知らん。まぁ古い託宣の一部は帝国時代に遡るのはこちらも確認しておる。しかし、マクブライン王家がまともに託宣に向き合うようになったのは、それに比べればごくごく最近のことだ。……託宣通りに、魔族連中が主となり攻めてきたのであればまだしも、このまま独立派の連中と王国内で一戦交えるという訳にもいかぬであろう。ダンスタブル侯爵の言い分は、託宣への妄執を捨てきれない教会に巣食う妖怪坊主や、一部の古貴族家どもに比べれば現実的だ。……潮時であろう」
フィリップ・マクブライン。彼は先祖代々の計画に対して、教会の者ほどに執着はない。これまで王国が、マクブライン王家が介入、操作をすることで、無理矢理にでも託宣の流れに沿うように手を加えてきたのは事実ではあるが、事ここに至っては、もはやどうすることもできぬと諦めてもいる。
目先で言えば、神子の身柄を確保できなかったこと。また、ダンスタブル侯爵と交渉の札になり得るアリエル嬢に逃げられたこと。この二つが痛かった。
過去を鑑みれば、託宣からの脱却を望む者たちは、少なくとも百年単位で準備をしていた。《王家の影》にはじまり、王国の暗部にすら影響を及ぼしており、教会側にも手の者が入り込んでいたことが既に判明している。
教会は託宣を守ることに固執はしていたが、教会内の支配階級層にも腐敗が蔓延り、百年の時間を掛ければ隙を突くのは容易かった筈。王国……都貴族関連についても同じこと。
フィリップはこの度の争乱に関して、情報が
『負けだ』と。
もっとも、理性的な王がそう判断するだろうと見越して、クレア一派を含む独立派は敢えて情報を出したという面もある。フィリップは多数を生かす為に少数を切ることはあっても、面子や託宣の遵守の為だけに、甚大な犠牲を払うことを是とはしない。為政者としてのバランス感覚を見失うほどに託宣へ傾倒はしていない。
そもそも、先祖代々の王たちがどのように考えていたかはフィリップには分からないが、東方辺境地を丸ごと犠牲にしてでも、王国に千年の繁栄が約束されていると言うからこそ、彼は託宣に従っていただけ。
もしかすると、ここから託宣の流れに戻れる可能性もあるのかも知れない。託宣の通りにしていれば間違いないという、過去の積み重ねに縋りたくなる気も分からないではない。
しかし、託宣からの脱却を目指す一派の本気度を知った以上、託宣の流れには戻れないことを考え、現実的な判断をしなければならない。それは為政者としての義務だ。
マクブライン王国においても、王とは女神より王権を賜った
「……ダンスタブル侯爵家をどうなさるので?」
「ふん。いずれケジメはつけさせる。だが、今は独立派連中をまとめておるのも事実。侯爵家とこの先の落としどころを探っていくことになるだろう。教会との蜜月関係も終わりだ。今後は教会との暗闘によって血の雨が降ることになるだろうな」
それはアダムの聞きたい答えではない。当然、フィリップとて分かっている。〈王家に連なる者〉とはいえ、まだまだ箱入りで年若いアダムが心配するのは、婚約者であるアリエル嬢のこと。
「(……まったく。千年の繁栄という餌があったにせよ、託宣の通りであれば、こやつが王位を継いでいたかと思うとぞっとするな。未だにアリエル嬢への想いに引き摺られるとは、大局的判断ができぬ者よ。託宣を外れる以上、もはや後継者候補からも外すか……?)」
女神の託宣による〝物語〟から、この世界を生きる者たちの物語へと……徐々に移行しつつある。それが現状。
◆◇◆◇◆
「アル様。特に大きな問題はありませんでした。一度、恐らくはラウノと思われる気配を近くに感知しましたが……直接的には接触してきませんでした」
「そう。ありがとうヴェーラ。……って、隠形のラウノ殿を感知できたんだ。凄いな」
「……いえ、私が気付くようにと、向こうがわざわざ仕向けていた気もします」
アルはアリエル一行に接触する際、念の為に別の場所にて、まずは先触れとしてヴェーラと合流していた。奇しくも、それはセシリーとエイダが邂逅した寂れた噴水広場。行き交う人は少ないが、決して誰もいないという訳でもない場所。
「未だにビーリー子爵は邸宅に立て籠って、聖堂騎士や治安騎士と散発的に衝突しているらしいね。領主館で働いていた者たちをはじめ、子爵家の家臣たちもが
「ええ。こちらもそのような情報を確認しています。アリエル様は、膠着状態がこれ以上続くなら、多少目立っても明後日には出立する考えのようです」
ビーリー子爵やその側近、外法邪法の研究者連中は未だに抵抗を続けている。元々が、託宣をなぞる為にと始まった不意の捕り物ではあったが、これ幸いにとビーリー子爵家に仕えていた者、領主館で仕事を得ていた者たちが、その全ての罪を当主やその周囲の者に押し付けた形だ。外法邪法の研究は当然として、細々した不正、汚職の類も。
少なくとも、教会側が異端審問官の派遣を要請するほどには、ビーリー子爵の罪状が積み上がっている。そうなれば、治安騎士団も指を咥えて見てもいられない。子爵領の領都勤務である以上、ビーリー子爵の悪行にもある程度は目を瞑ってきたが、もはやそうも言っていられない。
ビーリー子爵領の混迷は、しばらく鎮静化することはない。数日で落ち着くことがないのは確実となった。
「なら、とっとと合流した方が良いかな? 街を出る際に多少目立っても、まとまっていた方が良いだろうし。どうせ監視の目はあるんだ。セシリー殿が今後をどうするかは、オルコット子爵領に到着するまでに決めてもらえば良い。いつまでも彼女の潔癖な悩みに付き合ってもいられないしね」
アルはヴェーラに語るというよりは、いつものように考え事をしながら独り言ちる。それをヴェーラは静かに聞く。いつものやり取り。もはや阿吽の呼吸がそこにある。
「アル様。セシリー殿がどのように悩んでいるのかは分かりませんが、神子という立場である以上、大局を動かす者にその身柄を預ける方が良いでしょう。個人としては好ましい気質ではありますが……彼女が己の考えで動くと、命を縮めるかも知れません」
「……ま、彼女についてはヨエル殿が上手く誘導するとは思う。あと、エイダ……彼女にも、僕ではなくセシリー殿へ恩を返せと言っておいたし……突発的な暴力で呆気なく命を喪う可能性は低くなるだろう」
アルは自分でも気付いていない。セシリーを『死なせてはならない』と考えていることを。主のそんな傾向は、客観的に観察しているヴェーラも気付いているが、セシリーが神子という立場だからだろうと思うのみ。
「エイダ殿……かつてアル様から生き延びた方ですか」
「ああ。まさかこんな風に関わるとは思ってもみなかったよ。ただ、今の彼女は戦士としてはそれなりの力量だろうし、少なくとも戦う者としての気概はセシリー殿よりマシだ」
アルのセシリーへの評価は高くない。
恐らく、お互いの姿が見える距離で、よーい始めの決闘方式で戦えば、アルはセシリーには勝てない。白いマナの風魔法による防御を展開されると、そもそも近付けない。体術が封じられる。その上で、見える範囲での魔法の撃ち合いについても、『銃弾』だけでは心許ない。防御に自信ありといった魔人が、基礎魔法の連続射出で呆気なく斬り刻まれる様を見ていた。
だが、それらの魔法の性能を踏まえても、アルがセシリーに強者への恐れを抱くことはない。彼女は弱い。甘い。
アルはその甘さをナチュラルに『主人公だから』で済ませているが、戦士としてセシリーが未熟なのは他の者から見ても一目瞭然。
それもあって、エイダが戦士の恩を言い出す前に、アルは先んじて彼女に伝えていたのだ。
『自分には心から信頼する従者が既にいる。それに、たとえ戦士の恩と言えど、やはり僕と貴女が共にいるべきではない。僕はヴィンス一族の者を殺し過ぎた。別にそのことに欠片も後悔はないが、今回の戦士たちに配慮するというなら、僕が殺した者への配慮も必要だろう』
ただし、アルの魂胆はエイダには呆気なく看破されていたが。
『ふっ。もっともらしいことを。……すまないな。気を遣わせた。貴殿の前では、私など壁にもなれないか。足手まといだと、ハッキリと口にしなかった気遣いには感謝するよ』
『なんのことやら。……貴女の命を繋いだのは紛れもなくセシリー殿だ。彼女は飛び抜けた性能の魔法を使うが、戦士としては未熟。できれば彼女を援けてやって欲しい』
本人が気付かない内にも、神子を守るという思いがそれぞれの者に宿る。
それは〝物語〟の差配なのか。それとも……。