それは既に戦いではなかった。ただの殺し。蹂躪。作業のようなもの。

 黒いマナを纏った明らかな魔族……魔人と見られる巨躯の男が、満身創痍の戦士に止めを刺さんとしている場面。

 セシリーは咄嗟に動いた。マナを練り、何の警告もなく魔法を放つ。

『あの魔族はダメだ』という直感に従って。

 白き輝きを含んだ風の刃が瞬きよりも早く敵に到達する。

 それはつい先ほど、アルに語った己の理想とは相反する行動。権限も証拠もない。法ではなく暴力。どちらが正しいかなど分からない。だが、彼女は巨躯の魔人を明確に害する為に魔法を撃った。

 その事実に彼女自身が驚愕したのは、風の刃が魔人……ベナークの腕を斬り飛ばした後のこと。

「なッ!? わ、私は何故……ッ!?

 もっとも、セシリーが動かなければアルが動いていた。ただ、その反応速度はセシリーの方が早かった。仮にアルが対応していたなら、戦士は魔族にその身を引き千切られていたというタイミング。超反応のセシリー。

「……ッ! ぐッ!? 何だ貴様らッ!?

 明らかに防御に自信ありといったくろがねの鱗に覆われた身体だったが、呆気なく腕を斬り飛ばされる。ベナークの衝撃は大きかったが、すぐに切り替えられるだけの気概は持っていた。既に黒きマナで障壁を張りながら動く。

 一方、衝撃から立ち直れないのは攻撃した側。セシリーは自分の行動がまるで信じられないまま。

「セシリー殿。惚けてないで相手をしないと」

「……ッ! そ、そうだな……い、いや、しかし!」

「アイツはマクブライン王国において、間違いなく外法の者ですよ。黒いマナの使い手。ま、その素性がどうであれ、敵意満点で向かってくるので話し合いは無理でしょう。流石に生かして無力化するのも。悪いですけど、アイツの相手はお任せします。仕掛けたのもセシリー殿ですしね」

 これが大森林の練兵で、アルが教官を務めていたならセシリーを三回はぶん殴っている。

 最初の一撃の反応は良かったが、狙いが甘い。本来はあの一撃で終わっていた筈。

 次、相手が反応する前に、止めとなる二撃目を連続で放てた筈。

 最後に、未だに惚けたまま。

 呆れたように突き放すアルの言に、流石にセシリーも惚けたままではいられない。黒いマナを纏った大男が突っ込んでくるのをただ眺めてもいられないと切り替える。アルの基準ではかなり遅いが、ようやくセシリーの意識が〝敵〟へと向く。そんな様を確認しつつ、アルはそっと神子と距離を取る。今回は手を出す気はない。その必要性も感じていない。既に黒いマナを強く纏う者は向かってくる大男しか残っておらず、普通に戦えばセシリーが負けることはないだろうと見越す。

 相手の敵意も自分ではなく彼女に向いている。それに〝敵〟を一目見て、『自分とは相性が悪そうだ』という保身的な目算もあった。

 敵である大男は肉体を覆う天然の鎧を纏う。黒鋼の鱗だ。打撃や衝撃には滅法強いだろうと看破する。その上で、セシリーの魔法はアッサリとソレを斬り裂いた。アルは自分の出番はないと判断した。

 後はセシリーとベナークの二人が、勝者と敗者。生者と死者に分かれるだけ。その結果も明白。白いマナを含んだ魔法はそれほどまでに脅威だった。ウォレスが曲がりなりにもセシリーの魔法を防げていたのは、『神聖術』をベースに魔法の障壁を張り、生と光の属性が同属性で打ち消し合っていたから。

 本来は、女神の力と冥府の王の力を同時に操れるウォレスは稀有な人材だったはずなのだが……情緒の不安定さによって、クレアに雑な捨て駒とされてしまっただけ。そんな事情すら、誰にも知られぬまま忘れ去られてしまう、ウォレスのエピソード。

「(くそったれッ! 何だあの魔法は!? 女神の属性だとッ!?)」

 肘辺りから右腕を切断され、当然に困惑はしながらも、ベナークは頭の片隅では次の一手を冷静に考えている。

 苦手な相手だ。距離を取っていると削られる。いや、斬り刻まれる。接近して間合いを潰さなければ、まともな戦いにならないと判断していた。多少の手傷を承知の上で踏み込んで行く。

「(くッ!? わ、私は……ッ! いや、コイツはダメだッ!)」

 それは彼女が神子として受けた啓示なのか。

 黒いマナを纏うベナークに対して猛烈な忌避感。拒否感。使命感が衝動としてセシリーの身を揺さぶる。

 死と闇の眷属。しばらく行動を共にしていたウォレスには……クレアの契約者には感じなかったモノ。

 白く煌めく風のマナを纏い、セシリーはベナークと距離を取る為に動く。威力よりも速度。牽制として細かい風の刃を放ちながら下がる。

 もはや傍らにアルの姿はない。既にまともには稼働していないが、黒いマナの反応が残っている人形の残骸たちに対して、彼は止めを刺して回っている。念の為として。

『風刃』

 セシリーが得手とする風の属性魔法。彼女固有の魔法ではなく、基礎魔法の範疇。

 彼女は様々な基礎魔法を威力や速度、範囲や数を適宜調整して様々な状況で使い分ける技巧派の魔道士。

 元々の彼女は、魔道士として一流からは落ちるという力量だったが、白いマナがそれをアッサリと覆す。速射する基礎魔法の一つ一つが必殺の一撃になり得るという、相手からすれば理不尽の極みを体現することになる。しかも、消費するマナが極端に少なく継戦能力も高い。数の暴力を一人で可能とする。多数を相手取る前提のような性能。

 女神の力を持つセシリーを敵として認識したベナークは、その強化された防御と運動機能で敵に迫るが、彼女が牽制として速射する風の刃に刻まれ、思うように距離を潰せない。

 白き風の刃は、速度を優先して威力を抑えているにもかかわらず、黒きマナの障壁を軽々と引き裂く。剥がれる鋼の鱗。その下の皮膚を破る。血飛沫。速い上に数が多くて、ベナークは捌き切れない。場も悪い。広い造りの領主館内とは言え、ベナークの巨躯で全てを躱し切るほどのスペースはない。どうしてもその身が削られていく。場を含めて、ベナークからすればセシリーとの相性が悪過ぎた。

「(……がッ!! 何だよコレはッ!? は、反則だろうがッ!)」

「(ま、まさこの白いマナがここまでとはッ!)」

 ベナークは自身の戦法がまるで通じないことに驚愕したが、別の意味でセシリーも驚嘆していた。自身が引き起こす現象に戸惑いを隠せない。……とは言え、彼女もまた戦う者。決めた以上は敵を葬る為の戦法を練る。足を止める。この敵相手に下がる必要がないと判断した。

 ベナークからすれば、それは好機ではなく死への誘い。しかも、分かっていても踏み込まざるを得ない状況。

「(くそったれがぁぁッッ!!)」

「…………ッ!」

 濃密な黒いマナが影のようにベナークを包む。一縷の望みを賭けて彼はセシリーへ挑む。死中に活を求める為。

 そんなベナークをセシリーは真っ向から迎え撃つ。

 魔人が踏み込む。開いた間合いを一気に潰す。

 ベナークのマナが左拳に瞬間的に凝集し、必殺となる拳が放たれる。

 その速度はセシリーが認識できる埒外。アルの本気と同等以上かと思われる動き。

 ただ、彼の決死の一撃が実を結ぶことはない。

 刹那の交叉は、ズタズタに切り刻まれたベナークの左腕という結果を示した。

『風刃・鎧』

 単純な魔法。目に見えぬ細かい刃の気流を周囲に生み出すだけ。接近戦を挑んでくる相手限定ではあるが、攻撃は最大の防御を一定範囲で体現した魔法。

 ベナークも当然認識はしていたが、それを承知で死地へ踏み込んだ。まさかこれほどまでに一方的な結果になるとは思わなかっただけ。彼からすれば最悪の計算違い。

 傍から見ると、セシリーが展開していた魔法に突っ込んで、ベナークが自滅したようにしか見えない。それほどの差。魔法の質が違い過ぎた。

 ベナークは、エイダたちからすれば〝戦士〟ではないかも知れないが、それでもまごうことなき強者。両腕を失いながらも、即座に次の行動へ移る。足掻いて見せる。

 先の一撃の踏み込みによって、踏み割っていた床を咄嗟に蹴り上げ、セシリーに向けて瓦礫を撒き散らす。当然それらも『風刃・鎧』に切り刻まれるが、あくまで陽動。注意を逸らすだけ。

「……くッ!?

「(こんな化け物、相手してられるかッ!)」

 逃げの一手。その動きはダメージによる影響がないかのよう。撒き散らされた瓦礫に紛れて窮地を脱する心算。だが、塞がれた視界の端でセシリーはベナークの姿を捉えている。

「に、逃がすものか……ッ!!

「が……ッ!?

 違和感。ベナークは決定的な違和感を覚える。身体がズレた。続いて意味不明な浮遊感。

 それは瓦礫の隙間からの一閃。ベナークは視界の端で認識した。敵である女が、自分を目掛けて水平に腕を振り切ったのがハッキリと視えた。認識は遅れる。死神の鎌が自身を裂いたのだと、彼が気付くのには数瞬の時を要し……既に手遅れ。

 腰の辺りから寸断されて宙を舞う身体。彼の認識もそうだが、その肉体も切断されたことが分からないのか僅かの間、血やぞうもつも反応しない。まるで時が止まったかのよう。

 そして、間違いを正すように慌てて時が動き始めた頃、既にベナークの意識は永劫の旅へと出立していた。


◆◇◆◇◆


「セシリー殿。そっちは終わりましたか? 丁度こっちも一通り終わりましたよ」

「アル殿は何を? こ、この黒いマナは……ゴーレムなのか?」

 もはや周囲に動く影はない。散らばる人形を見て、セシリーも黒いマナを感知する。それら黒いマナを発する者や人形は、死の闇に抱かれて沈黙している。

「……それで……その……彼女は?」

「セシリー殿。……敬意を。彼女は戦士だ。僕には詳しい経緯いきさつは分からない。ただ、彼女は後ろの仲間を庇う為に戦い、そして果てた。黄泉路を渡ったにもかかわらず、未だに仲間への守りを解かない。……天晴あつぱれだよ」

 アルとセシリーの二人の前には、女戦士が仁王立ちで立ち塞がる。

 命の灯は既に尽きている。もはやその瞳に生命の息吹は感じられない。しかし、その双眸は前を向き、敵を阻む。倒れない。仲間を守るという想いはその場に遺ったまま。残照というにはあまりにも強く眩い意志の光がそこにある。その亡骸に宿ったまま。

「……名も知らぬ戦士よ。僕は貴女の意を汲み、後ろの仲間の命を可能な限り助けると誓う。……すまないが通らせてもらうよ」

 アルはそっと戦士を抱き寄せ、その身に遺る仄かな血の暖かさを感じつつ、丁寧に床に寝かせる。まるで愛しい人を、大切な宝物を扱うかの如く。

 血に濡れた顔を優しく拭いながら、『清浄』の魔法で遺体を清める。

 それは戦士への敬意。厳かな儀式。どのような出自であれ、たとえ怨敵であっても、戦士として戦い果てた者には相応しき振る舞いを。ファルコナーの流儀だ。

「セシリー殿。貴女は風の属性魔法を使うようですが、癒しの風……治癒術の心得は?」

「あ……あぁ。多少なら使える。いや、白いマナを利用すれば『神聖術』とまではいかないが、かなりの治癒は可能だと思うが……?」

「なら、後ろにいる彼女の治癒を。虫の息だがまだ命の灯は尽きてはない」

 エイダ。アルは女戦士が庇ったのが彼女だと気付いているが、その命を助ける。個人の諍いにおいての流儀と、命を懸けた戦士への敬意。どちらを優先するかは比ぶべくもない。

「こ、この女性ヒトは……ッ!? い、いや、今はどうでも良い……! 『癒しの風』よ!」

 セシリーも気付く。名も知れぬ邂逅。似た者同士の雰囲気を持つ者。昨日の今日でお互いに随分と変わり果てた姿となってしまった。動揺はあったが、まずは治癒術をかける。

 彼女が感じたように、白いマナの相乗効果なのか、セシリーがこれまでに使用していた治癒術よりも強い効果を期待できるマナの流動。ただし、その相手が……エイダが半死半生なのも事実。


◆◇◆◇◆


(……な、なんだ? ……わ、私は……まだ現世を漂っているのか……あぁ、カーラの姿が見えない……彼女も私を置いて逝ってしまったのか……?)

 混濁して揺蕩たゆたう。散り散りになっていた意識が少しずつ戻ってくる。

 しかし、そこには暗闇があるだけ。何やら暖かいモノに触れている気はするが、意識は闇の中。

 それは彼女の記憶なのか、何らかの意思の力によるものか。

 闇の中でエイダは自身の歩いてきた道を辿る。

『魔族の解放を! ヒト族の中で偽って過ごすなど! 一族の誇りはないのか!?

 そう叫ぶのは、幼く、愚かな魔族の女。正真正銘、かつての自分自身。

(……はは。馬鹿なことを……誇りとはそんなモノじゃなかった。愚かなガキが振りかざす玩具である筈もない。流浪の一族が……先人たちが必死に積み重ねた交渉……一族の身の安全を確保し、ヒト族の社会に紛れることが如何に困難を伴うことだったか……)

 辛酸を舐め、地べたに這いずるように頭を下げ、一族の為には個としてのちっぽけな自尊心など投げ捨てて見せる。一人でも多くの同胞を生かす為の戦い。それこそが一族としての誇りだったのだと……今の彼女は知っている。

『エイダ。いいのか? ヴィンス様の許可もなく……』

『アイツは〝庇護者〟の関係者だ! アイツから情報を引き出せば、ヴィンス様も話を聞いてくれるだろう!』

(……表面しか見ていなかったな。アイツは化け物だった。冷静に、慎重に見極めていれば、あの時の馬鹿なガキでも気付けただろうに……いや、だからこそ愚かだったのか……)

 自分が負けることなど、仲間たちが死ぬことなど考えもしなかった。想定すらしていなかった。あまりにも軽薄だった馬鹿な自分。

『エイダ。いや、ナイナよ。お主の名を剥奪する。確かにお主は愚かだったが、最も愚かなのはわしじゃ。恨むならわしを恨め。憎め。じゃが、アル殿への復讐など考えるな。あの御仁にとっては、火の粉を軽く払った程度のこと。命があるだけでも御の字と思うがいい』

『何故だ!? どうして私の名を剥奪するなどと仰るのかッ!? それに、アイツは一族の者を殺したんだぞ!? バート、ベラ、ベン、グレタ、ガロン。皆、ヤツに殺されたッ!』

(……先に手を出したのはオマエだ。愚かなガキが。しかも、相手の強さを見誤った。復讐? ……馬鹿馬鹿しい。愚かなガキが友を道連れに崖から飛び降りたようなものだ。友が死んだからと言って、オマエは崖に復讐するのか? ……悪いのは他でもない、友を道連れに飛び降りたオマエだよ)

 復讐する相手は、まさに愚かな自分だった。もう少し、ほんの少しだけでも慎重さがあれば……踏み止まることができたのではないか? そんな後悔が彼女をさいなむ。

『やぁエイダ。いや、今はナイナだったっけ? まぁどちらでも良いさ。私はシグネだ。魔族の解放を望む一派の者でね。君を引き抜きに来たって訳。前々から聞いていただろ? 開戦派のことはさ』

(……はは。シグネ。アンタも外法の者であり、クズには違いなかったが……今思えばまだベナークよりはマシだったよ。人外故にか、良くも悪くもあまり命に頓着しなかったからかもな。アンタの命令を聞くだけのお人形になって、私は自分の弱さを突き付けられたよ)

 自分の世界が如何に小さかったか。エイダは知らなかった。世には化け物たちで溢れているという事実を。

『臆病者めがッ! 人形の後ろに隠れるしか能がないのかッ! 貴様のような小娘如きに、このイーデン・コートネイの命が取れると思うなッ!! 私を殺したくば、あのシグネという化け物を連れてこいッ!』

(イーデン・コートネイ伯爵。後に都貴族のカラクリを聞いたが、それでもあの時のアンタは戦士だったよ。付き従う者たちもだ。私のような半端者よりもずっと戦士だった。強かった。私はアンタを殺したが、結局は人形の陰に隠れて泣きじゃくるだけしかできなかった。完敗だったよ)

 エイダは知った。馬鹿にして、一方的に見下していたヒト族が、時に化け物を凌駕することがあるのだと。非魔導士の殺気からも逃げ回ったしまった己の弱さを突き付けられてしまった。

『アンタはさ。確かに間違えた。それは私たちも同じだ。でも、間違えたなら正せば良い。ヴィンス様の下には戻れないとしても、私たちの生きる道は続く。……死に急ぐような真似はよしな。死に場所を求めてどうする? 私らは、この外法の連中とはまた毛色が違う。いざとなったら、こいつらを利用して生き延びるくらいの意地を見せな。どうせクズなら開き直って、泥に塗れてみっともなく生きてくだけさ』

(……カーラ。そうは言っても、アンタは逃げなかったじゃないか。私なんかを庇ってさ。本当は知っていたよ。アンタがヴィンス様に直訴の上で出奔したことを。そうまでして私と共に行動してくれたってことをさ。アンタは私と違って正真正銘の戦士だった……幼い頃から、ずっと姉のように思っていた……なんで……なんで、こんな私なんかを生かそうとしたんだ……?)

『ふん。清廉潔白で一度も間違えたことがない。そんな奴は信用できないね。私はさ。見たかったんだよ。間違いを犯し、馬鹿を仕出かして、戻れない道を行く。それでも、そんな戻れない曲がりくねった道の先で、正道へ辿り着くアンタの姿をさ。私たちは、別にアンタの為に命を懸けたんじゃない。自分の為さ。所詮は自己満足の為。それ以上でもそれ以下でもないよ。戦士の矜持とかさ、そんな大袈裟なモノでもない。そう気にしなさんな』

(気にするに決まってるだろ? ……なぁカーラ。私も連れて行ってくれよ。何だかんだと、ずっと一緒だったじゃないか?)

『はは。まっぴら御免だね。さぁそろそろ起きな。後悔の時間は終わりだよ。これからも折に触れて自分の愚かさを反省するんだね。でも、後悔のままに停滞して立ち止まるんじゃないよ。……泣き虫なエイダ。征きな。アンタはアンタが生きる道を』