アルの興味とアリエルの要望の擦り合わせ。

「セシリー殿については、様子を確認するだけで?」

「……えぇ。今はまだクレア殿と決定的に対立する訳にはいきません。アルバート殿の流儀に反するかも知れませんが……ここは抑えて頂けませんか?」

「……まぁ善処しましょう。ただ、明確に襲撃を受ければその限りではありませんよ?」

「それはもちろんです。アルバート殿に己の身の防衛を放棄しろなどと……私が言える筈もありません」

 流石に襲い掛かって来る者を相手に手加減するつもりはアルにはない。既に女神の力すら制御して隠し通せるようになったが、気配はともかく、連中に目視で確認されれば襲われるのは変わらない。ただ、それがクレアの指示なのか、人外の兵連中の暴走なのかは判別が難しいところ。

 アリエルに対しての襲撃には、明確な意図のようなものを感じているが、自分に向かってくる人外の兵は、どこか制御を外れているような印象をアルは抱いている。

 せめてビクターと同じように会話が成り立つなら殺さない手もある……と、アルは考えているが、自分のミスからの開き直りでビクターを殺した上、まともな情報収集もできなかったということは、既に彼の頭から抜け落ちている。脳筋の証明。……ビクター。

「アル様。どうしますか? あの人外の兵に関しては私の方が近付けそうですが……?」

「いや、ヴェーラには守りを任せるよ。アリエル様のご指名ってだけじゃなく、僕も君が後ろにいてくれる方が安心する。あと、ヴェーラのことを信じていない訳じゃないけど……有象無象ならともかく、今回の仮想敵はやっぱり不味い。情報が漏れているとはいえ、まだ僕一人の方がいざという時に逃げられる可能性が高い」

 冷静に適材適所を考えてしまう。その上でアルはどこかで『最悪、死ぬなら自分』という思いがある。あくまでも戦いという一点においては、アリエル一行もヴェーラも変わらない。守る側だ。力在る者は力無き者を援けるの精神が、悪い方に発露している状況。

 もちろん、ヴェーラもそれを感じ取ってはいるが、アルに能力のことを出されると引かざるを得ない。危機的状況を脱するには、やはりアル一人の方が有利というのは確かな事実。忸怩たる思いがほんのりとヴェーラの中に香る。

「ま、無理そうなら引きます。追手が掛かるなら僕は一人で離れます。そうなればここには戻っては来ません。敢えてアリエル様一行の今後の具体的な旅程も聞かないでおきますよ。勝手に追います」

「……私たちは準備ができ次第、出立しても良いと? ……では一つだけ。今の予定であれば、四日後には出ることになると思います」

 アルは連中に見つかることを想定している。そして人外の兵たちはしつこい。それを見越しての単独行動。

「一応聞いてはおきますが、その予定を早める場合も気にしないで下さい。僕が戻らなければ、ヴェーラはそのままアリエル様の護衛をお願いするよ」

「承知致しました。アリエル様の護衛として付き従います」

 出る。イベントに対して気負いのない自然体なアル。もちろん、本質的には何も変わりはしないが、心情的な気安さが増した。ただ、それは誰にとっての福音であり、誰にとっての凶報なのか。


◆◇◆◇◆


「神子セシリー様。いつビーリー子爵の領事館へ向かいますかな?」

 慇懃無礼な態度のウォレスだが、セシリーも流石に慣れた。彼は自分の力に酔っており、それを見せびらかしたいのだと考えれば、ウォレスへの隔意も薄れる。与えられた力に振り回される姿が哀れだと。セシリーは自らの状況を踏まえて、勝手にウォレスと傷を舐め合った気にもなる。所詮は皆が人形劇を繰り広げているだけだと投げやりな思いを抱く。

「……事が始まればウォレス卿に頼ることになります。貴殿の良いようなタイミングで構いません」

「ほほ。そうですか。では……明日にでも正面からビーリー子爵にご挨拶に伺いましょう。なぁに、私共には聖堂騎士の身分があり、教会が正規に発した神子セシリー様のお立場を保障する書状もあります故、突然の訪問であっても彼の方は断ることはできぬでしょう。……くくく」

 茶番に過ぎない。力を振りかざしたくて仕方のないというウォレス。無駄に波風を立てる方法を取る。もっとも、目的がビーリー子爵の粛清である以上、どうやっても波風は立ち、場が荒れるのは確実だが。

「(……力は感じるが、俗物であり小者。皮肉な話だ。聖堂騎士として、自らの力と足で立っていた時のウォレス殿は、まるで巌のような強大さと安定感があったというのに……今の彼はあまりにも軽薄。吹けば飛ぶような軽さ。……ふふ。そんな彼に抗えない私が何を言うのか……)」

 セシリーは流されるままに消耗し続けている。心が摩耗していく。そして、そんな自分の状況を、恐らくクレアは望んでいるのだろうという不穏の影も感じてはいる。ただ、どうしても心が動かない。状況を脱しようという意欲が湧いてこない。

 ダリルとの距離がセシリーを蝕む。未だに彼女の心には何故? どうして? という疑問が巡っている。

「……ウォレス卿。それでは、私は少し外へ出ても良いでしょうか? 補給物資を調整しておきます」

「そうですな。ではヨエル殿にお任せ致しましょう。あぁもちろん、私の部下を手伝いとして付けましょうぞ」

 にやにやと嗤うウォレスがいちいち癇に障るが、ヨエルも既に気にはしない。今さら虜囚の身であることを嘆いたところでどうにもならない。ある程度の行動の自由は許されているが、檻の中にいることは自覚している。

「ありがとうございます。……セシリー殿もどうですか? 僭越ですが……あまりにも覇気がない。少しは気分転換でも……」

「……ヨエル殿。気分転換と言ってもな……いや、そうだな。少し外へ出てみるか……」

 ヨエルとしては、本当に気晴らし程度の提案。このまま見張りを撒いて脱するなどと考えている訳ではなかった。相手はウォレスの部下……人外の兵だけではない。領都に入ってからは尚のこと気配を感知できなくなったが、東方の悪魔と呼ばれる精鋭……〈ルーサム家に連なる者〉が周りに配置されているのはヨエルたちも知っている。

 そして、内心に焦りのあるヨエルと、状況に流されるままの神子セシリーを、静かにラウノは観察していた。


◆◇◆◇◆


「……ヨエル殿はまだ諦めていないのですか?」

「セシリー殿。あまりそういう話は……」

 買い出しという体で街へ出たが、実のところ、補給物資等については既にウォレスたちが手配している。それを承知でヨエルは外へ出た。

 それがクレアの指示かは不明だが、ウォレスはセシリーやヨエルたちの激発を待っている気がしている。敢えて遊ばせているとも言える。見張りとして付けられた人外の兵も、今はこれといって特に反応はない。

「はは。ヨエル殿。今さらだろう。見張りはこいつ等だけじゃないし、連中は私たちが自棄になるのを待っている。そうじゃないのか?」

「……あくまで、それがウォレス卿の個人の判断なのか、クレア様の意思なのかは不明です。それに、いくら反応がないとは言え、彼等が見聞きしたモノはウォレス卿に筒抜けでしょう」

 セシリーも諸々の状況を把握はしているが、その上で、もう半分以上自暴自棄に流れている。どうとでもなれと。

「(……危うい。もう既にセシリー殿はまずい所まで来ている。もし最後の一押しが私たちの命だとしたら……楽には死なせてもらえないかもな。いざとなれば速やかに死ねるようにラウノに符丁を出すか? ……いや、そうなればラウノもそれどころじゃないかも知れないか……)」

 セシリーとはまたモノと理由が違うが、ヨエルも半分以上は諦めている。彼の場合は自身の命をだ。そうなった場合には、せめてセシリーの負担にならぬように速やかに死ぬ。それすらも彼女の負担にはなると知りつつも、《王家の影》由来の拷問を受ける姿は、流石にセシリーには見せる訳にもいかないだろうと。

 そして、そんないざという判断に迫られる時が、そう遠くない内に訪れるだろうこともヨエルは予感している。

 彼の見立てでは、ラウノと二人で命を懸ける覚悟を持てば、ウォレスとその部下となった人外の兵たちは何とかできる。ただ、そこまでが限界。ルーサム家の囲いを脱するまでには命が足りない。生きたままでは届かない。

 そもそもセシリーにその意思がないことの方が問題となっている。彼女は、もう流されることを望んでしまっている。

「(何か一つ。せめてあと一つ何かが欲しい。ビーリー子爵家の粛清の際、戦闘になれば……せめて相手の抵抗が激しいことを期待するだけだな)」

 ヨエルは買い出しの体裁を取る為に、嗜好品となる酒や食べ物をそれとなく見繕い、街をぶらつく。セシリーと見張りはただついてくるだけ。もはや自分たちの独力でできることは少ない。何かしら外部からの介入のどさくさに紛れるしか手がないという、いわば神頼み。情けないが待つことしかできない。

「……ヨエル殿。私は少し疲れたから、そこの広場で待っているよ」

「……ええ。分かりました。私はあと少し買い出しをしてから戻ってきます」

 寂れた教会の前にあるちょっとした広場。セシリーは久しぶりに人の流れがある街を歩き、疲労を感じたのは事実だが、本心では諦めないヨエルを見るのが辛かった。諦めてしまった自分をどうしても意識してしまう。

 ぼこぼこした石畳に涸れた噴水。魔道具の不調で水の循環ができなくなり、放置されたままになっている模様。ただ、寂れた風情ではあるが、古くからの場所なのか、街の風景として自然に馴染んでいる。セシリーに限らず、喧騒を離れることを望む人も多いのか、水のない噴水に腰を掛け、ぼんやりとしている者もチラホラといた。

 元・聖堂騎士であり現・人外の兵が無言で傍らに控えているが、それを無視する形でセシリーは空いている場所を目掛けて、涸れた噴水に腰掛ける。

「(ヨエル殿は凄いな。まだ抵抗することを諦めていない。私にはそんな強さはない。自分がこんなにもダリルに依存していたとは……こんなにも弱かったとは……)」

 自らの弱さを見つめるセシリー。

 奇しくも、同じく自らの弱さを知る者は他にもいた。その上でセシリーに……正確には傍らに控える人外の兵に反応する。


「(ベナークたちの気配とは違うが……アレは間違いなく死と闇の眷属だな。もう一人は魔道士か?)」

 ナイナ。糸の切れた自暴自棄な操り人形。死と闇の属性を根源とする黒いマナ。それらを転用して創造されたシグネの〝人形〟たちを操る戦士もどき。戦う力はあれど、その心は戦士に非ず。ただ、死を遠ざける為に惰性で動いているだけ。既に自らに避けられない死が差し迫っていることも肌で感じていた。

 そんな惰性で流されただけではあるものの、彼女は〝人形〟を操ることにより、黒いマナとの親和性が強まっている。彼女は気付く。セシリーの傍らに控える人外の兵の異質な気配……黒いマナの源流たる死と闇の属性。邂逅。

「(……味方ではないか。もしかすると、アイツ等が私の終着点か? ふっ。もうどうでも良いか)」

 ナイナは、自らの歩む道がどこにも繋がっていない袋小路だと気付いている。

 どこで間違えたのか? 何が悪かったのか? なぜ、自分はこんなところにいるのか?

 堂々巡りの思考の末に、『ただただ、自分が愚かだった』……という一つの答えに辿り着いた。そして、もう遅い。改心にも後悔にも懺悔にも意味はない。

 帰りたくても、もう帰る場所はない。ヴィンスの下でエイダとして過ごしていた日々。あの日々がどれほどに恵まれていたのか、自分がどれだけ甘ったれだったのか。全ては幻。どれだけ焦がれても、もう二度と戻らない日々。決して辿り着かない砂上の楼閣。

 そんな彼女を、何が突き動かしたのかは分からない。

 ただ、気付けばナイナはセシリーの前に立っていた。