信じると決めた以上、シグの戦いにはまったく注視しなかった。

 彼が勝つことは俺の中で確定事項だったのだ。

 ゆえに気づかなかったが、いつの間にか、シグたちとはかなり離れていたようだ。

 こっちはずいぶん飛び跳ねたからな。

 崩れた一角を挟んで反対側、積もる瓦礫の向こうに彼は居た。

 俺とほぼ時を同じくして、スヴェンに勝利したようだ。

 崩落に巻き込まれずに済んだようだが、シグのすぐ横にも大きな瓦礫が落ちている。

 瓦礫をかいし、こちらへ歩いてくるシグ。

 表情はぜんとしていた。

「何考えてんだお前。常識ねえのか」

 シグに常識を問われてしまった。

 俺は自分では常識人のつもりだが、意外とそうでもないのだろうか。

「なに、天井を崩したのはこれで二度目だ。慣れたものだよ」

「慣れたものだよじゃねーんだよ。二度とやるな」

 そう言って、俺の体を見まわすシグ。

「だいぶ派手にやられたな。外じゃ戦闘が続いてるが、回復班のとこまで連れてった方が良いか?」

「いや、止血しておけば死ぬほどじゃない。ただ、戦闘はもう無理だ。シグはリーゼの援護に行ってくれ」

 俺たちと同じく大神殿へ突入しているリーゼ。

 シグには、彼女への助勢を頼むことにした。

 もっとも必要ないかもしれないが。



「投降を望むなら、認めなくもないわ」

「……投降はしない。良いか、魔族の女よ。忘れるな。私がここで死すとも、ヨナ様は必ず世界から穢れを払われる!」

 それがまつの言葉となった。

 神の徒として、満足のいく最期だったかもしれない。

 バルブロ・イスフェルトはリーゼの双剣に喉を裂かれ、絶命したのだった。

 侯爵位を持つ大貴族であり、イスフェルト領を治める領主であり、霊峰の大神殿を預かるヨナ教団の司教。

 ロンドシウス王国の重鎮であり、この戦いの司令官でもある。

 それが敗死した。

「ふぅ……」

 戦いを終え、リーゼは息を吐き出す。

 その吐息には、あまりに多くの感慨が含まれていた。



「見えるかい、ダン」

「ああトマス。見えているよ」

 二人の目には、第二騎士団と済生軍が退いていく姿が映っていた。

 彼らは大神殿に戻るのではなく、霊峰の南側へ下っていく。

 南側は、第二騎士団がすでにレゥ族を降した方角であり、もうそちらに戦場は無い。

 そして麓の向こうにあるのは、レゥ族支配地域を迂回して王国へ帰る道である。

 つまり、彼らは退却しているのだ。

「これは……終わった、のか?」

 トマスは、抑揚を失った声を漏らした。

 まだ信じられないのだ。

 勝利を信じて戦ってきた。

 だが、実際に撤退していく敵を目にした今、実感を得られないでいる。

 それはダンも同じだった。

 なにせ、霊峰を陥落させるというのは、世界と歴史に対する、あまりにも大きな挑戦なのだ。

 少し前の自分なら、絶対に不可能と考えるであろう作戦である。

 今、本当にそれが成ったのかと、どこかにはかりごとがあるのではないかと、懐疑的にもなるというものだった。

 そこへ、伝令の声が届く。

 高揚に染まったその声が、霊峰の山頂に響いた。

「バルブロ・イスフェルト、ならびにステファン・クロンヘイム撃破! 敵軍は撤退!」

 静まり返る仲間たち。

 皆が報告の意味を咀嚼している。

 敵将を討ったのだ。

 目の前の巨大な神殿へ踏み込んでいった頼れる味方が、敵の大将を倒し、そして敵軍は撤退していった。

 一拍おいて、熱を持った声が戦場全体に沸き上がる。

「おおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!

 雄たけびをあげる者、嗚咽する者、両手を天に掲げる者。

 誰もが涙を零している。

 誰もが勝利を喜んでいる。

 彼らは勝ったのだ。

「やった! やったぞおい!」

 どかりと、き込むほどの衝撃がトマスに。

 一人の魔族兵が、強く肩を組んできたのだ。

 隣では、別の男がダンの背中に手を当て、声をかけていた。

「聞こえるか? 勝ったんだぜ、俺たち!」

「ああ、聞こえているよ。皆でもぎ取った勝利だ」

 笑顔を浮かべてそう言うと、ダンは気を失い、崩れ落ちてしまった。

 体力は限界だったのだ。

「あ、いかん! おい、こっち! 回復班!」

「こっちのノッポの兄ちゃんもヤバい! 急げ!」

 トマスも、微睡まどろむように意識を手放す。

 二人は笑顔で気絶していた。



「司令官イスフェルト侯爵、戦死!」

 伝令の声にも表情を変えないティセリウス。

 しかし、霊峰の陥落というてつもないこの事態を、彼女とて予想していたわけではなかった。

 美しいまつが僅かに揺れる。

「クロンヘイム団長が司令官代理となって、山頂から指揮を執ることも考えられるが……」

 副団長フランシス・ベルマンがそう言った。

 確かにクロンヘイムであれば、第二騎士団と済生軍の残存兵力を糾合し、組織的な防衛戦を続行することが可能なはずである。

「それが……」

 伝令が言い淀んで目を伏せる。

 それを見たティセリウスは察し、そして今度は明確に表情を変えた。

 瞠目し、唇から感嘆に満ちた声を漏らす。

「ロルフ……! クロンヘイムをすら……!」

 その横でベルマンが問う。

「第二騎士団と済生軍は?」

「南側へ撤退しています! 山頂と大神殿は完全に制圧された模様!」

 つまり、王国と教団は完敗を喫したのである。

 そうとなれば、ティセリウスのとるべき行動は決まっている。

 第一騎士団も撤退するのだ。

 この東側の麓付近からなら、南側へ出ることが出来る。

 交戦中の反体制派、およびレゥ族も、まさか追ってはくるまい。

「フランシス、全軍に戦闘の停止を命じよ」

「やむを得ませんな」

 最強の第一騎士団が踏み留まり、戦闘を続行すべし。

 そう主張する者は、ここには居ない。

 最強であればこそ、それが無意味であると分かっている。

 第二騎士団も済生軍も、リーダーを失い、敗れた。

 この地の領主は死に、そして本拠であった大神殿も制圧されたのだ。

 敗戦を受け入れるよりほか無い状況。

 なお戦いを選んでも、山頂と麓から挟撃を受け、無為に兵を減らすのみである。

「あの連中も見事だったな」

 ティセリウスは言った。

 その視線の先に居るのは、反体制派とレゥ族である。

 彼らはついに、第一騎士団を相手取って戦い抜いた。

 潰走することなく、最後まで戦ったのだ。

 ティセリウスは、胸中に若干の感謝を自覚している。

 反体制派とレゥ族が第一騎士団を最後まで引きつけていなければ、ティセリウスは山頂へ戻り、次の戦いに臨んでいた。

 そして、その戦場で彼にまみえていたら……。

………………

「お嬢様」

「帰るぞ。撤退だ」

 最後に振り返り、ティセリウスは山頂へ目をやった。

 届くはずの無い視線を相手へ向けたのだ。



「あいつら……南側へ向かってないかい?」

 レゥ族と反体制派が糾合し、兵力を増大させても、なお第一騎士団は強大だった。

 勝ち筋など見えず、しかしそれでも士気は保ち、皆、全力で戦っていた。

 フリーダもその一人である。

 傷だらけになり、肩で息をしながらも、なお剣を握る手に力を込め、戦い続けた。

 そして折れぬ心で敵を見据えていた彼女は、異変に気づく。

 第一騎士団は戦闘を止めると、霊峰の南へ向けて動き始めたのだ。

 南側の麓にはレゥ族が本陣を張っていたが、彼らは全軍で反体制派の救援に来ている。

 つまり、向こうに戦場は無い。

「山頂へ戻るでもなく南へ? これは……」

 エリーカが疑問に声をあげる。

 ある可能性に気づいているが、それを信じ切ることが出来ない。

 そんな彼女に向け、デニスが言った。

「勝ったんだよ。私たちは」

 そう言って、どさりと地面に尻をつく。

 大きく息を吐いて、顔を上へ向けた。

「デ、デニス。つまり……?」

「つまりも何も、言葉のとおりだよ。山頂でロルフ殿たちが勝った。結果、霊峰の戦いは我々の勝利に終わったわけだ」

 勝った。

 デニスのその言葉の意味を、フリーダはすぐには理解出来なかった。

 だが状況から見て明らかである。勝ったのだ。

 生き延びてしまったな。

 デニスは、頭の中でそう呟く。

 第一騎士団を相手に踏み留まって戦うという彼の選択は、多くの死傷者を出した。

 その選択の正しさを理解してはいる。

 だが、このうえは一人でも多くの部下たちを、そしてフリーダを生きて帰すために、自分の命は捨てるつもりだった。

 しかし、そこに至ることなく戦いは終わった。

 勝利によって。

 周囲にも、勝ったという事実が伝わっていく。

 そして少しの間を置いて、皆が歓喜の声をあげた。

 泣き、笑い、そして抱き合う。

 人間と魔族も抱き合っている。

 それを見て、口元に笑みを浮かべるデニス。

 エリーカもその光景に微笑んでいた。

 だがその笑顔には影が差している。

 それに気づいたデニスは立ち上がり、彼女に近づいた。

 エリーカの肩に、そっと手を置く。

 そして真剣な顔と声音で言った。

「私もずいぶん喪ったが……」

「……?」

「死者はいつだって共に居るよ。これは本当だ。いずれきっと分かる」

 それを聞き、エリーカのそうぼうに涙が浮かぶ。

 そして、ひとしずくがぽろりと零れた。

 エリーカは涙に揺れる目を細め、笑顔を作る。

「……ありがとう」



「許せぬ……!」

 うのていであった。

 アネッテは、撤退の列の最後尾にあって、屈辱に顔を歪める。

 彼女は大神殿の一階で敵と交戦した。

 味方であったはずの敵だ。済生軍のアルフレッドとマレーナである。

 そして敗れた。

 第二騎士団の副団長である彼女でも勝てなかった。

 大神殿からの敗走を余儀なくされたうえ、しかも悪夢のような報告を受ける。

 クロンヘイムが死んだのだ。

 結果、彼女たちは霊峰からの撤退に至っている。

 最悪を極める事態の中、彼女は口中でぶつぶつとじゅを吐く。

 呪詛は復讐の言葉だった。

 敬愛する団長のため、彼女は復讐を誓っているのだ。

「まさか、こんなことになるとは……。予想もしていなかった……」

 うしろでフェリクスが言った。

 その、ぼそぼそとした、いかにも気弱な物言いがアネッテを苛立たせる。

 彼女は振り返り、中年の軍師を叱責した。

「貴様の予想が外れたことなど、どうでも良い! それより次の戦いの算段を整えろ!」

「ああ、いや。私はただ驚いているのです。敵が、こうも予想の上を行くとは……」

 アネッテの目に、フェリクスは敗戦を深刻に受け止めていないように見えた。

 どこかごとのように感想を述べている。

 それが彼女を激昂へ追い立てた。

「貴様! 敵を褒めてどうするか! 状況が分かっているのか!」

「分かってますよ。第二騎士団は敗れ、団長、副団長とも戦死。終わりです。団は解体のうえ、ほかへ糾合されることになるでしょう。勝てればそれで良かったのですが……」

 副団長も戦死と彼は言った。

 意味の分からない言葉を、アネッテは問いただす。

「何を言っ────

 だが、最後まで言葉に出来ない。

 腹へ深く短剣が刺さっているためである。

 短剣を刺したフェリクスは、あわれな者を見る目をしていた。

「こうやって、届かぬ場所へ刃を突き立てる。それこそ強さなのです。貴方がた〝武人〟には、それが理解出来ない」

 その武人の矜持を振り絞り、アネッテは血を吐きながら腰の剣に手を伸ばした。

 だが、それと同時に周囲から槍が突き込まれてくる。

「ぁが……!」

 本来であれば、謀殺の刃を易々と身に受ける彼女ではない。

 だが戦傷と疲労の蓄積した身である。

 アネッテは自らの死を理解し、膝をついた。

 しかしその目はフェリクスを見据え、最期に問うている。

 誰が私を殺したのだ、と。

 それを言葉にすることは叶わなかったが、フェリクスには伝わった。

 だから彼は、目に憐れみを湛えたまま、冥土の土産とばかりに答えてやるのだった。

「そりゃあエーリク・リンデル殿ですよ」



「第一騎士団はあのまま離脱していきました」

「分かった」

 撤退した第一騎士団が、そのまま霊峰を離れたという報告を受け、俺たちは息を吐く。

 これで終わってくれた。

…………

「どうしたの? ロルフ」

「いや、何でもない」

 さっき一瞬、視線を感じたのだ。

 憶えのある視線だったが、さすがに気のせいだろう。

 結局、エルベルデ河以来の、望まぬ再会とはいかなかったな。

 それを喜ぶべきなのかどうか……。

「ありがとう。もう大丈夫だ」

「傷は塞がりましたが、安静にしてくださいね。かなり出血してますから」

 回復術士に礼を言い、あたりを見まわす。

 俺は大神殿の入口付近に座っていた。

 霊峰は夜を迎え、空に星が瞬き出した。その星空の下、皆が勝利を喜んでいる。

「さて、戦後処理を始めないとな。まず部隊長たちと話を……」

「私がやるから座ってなさい。安静にしてろって言われたでしょ」

 俺を気遣うリーゼ。

 申し訳ないが、ここは甘えさせてもらうとするか。

「それと、貴方たちのことも話さなきゃね。私たちと来るでしょ?」

 リーゼが問う。

 彼女の視線の先に居るのは、アルフレッドとマレーナだ。

「うむ。私はそう決めた。厄介にならせて頂こう。マレーナもそうであろう?」

「お、おらも行って良いだか……?」

「良いに決まってるじゃない」

「ああ、友を拒む理由は無い」

…………

 俺の言葉を聞くと、マレーナはやや硬い笑顔を浮かべ、それから頷く。

 ヘンセンに居を移すことを決めてくれた。

 彼女とアルフレッドは恩人だ。二人が居なければ、俺たちは禁術により大敗を喫していたのだ。

 きっと皆に受け入れられるだろう。

 いや、それが無くとも友誼を結べるに違いない。

 なにせ今日、魔族と人間は共に戦い、そして勝ったのだ。

 少し前まで、まず考えられなかったことが起きたのである。

 今日という日は、歴史の中で至上の意味を持つ一日になる。

 きっとそうなるはずなのだ。俺たちが、前を向いて歩き続ければ。

 ……そうだよな?

 夜空に息を吐きながら、友に、去った魂たちにそう問いかけた。

 美しい夜空だった。

「何を見てるの?」

「空を。山の夜空は綺麗だ」

「あ、ほんとだ」

 リーゼも空を振り仰ぐ。

 多くの血が流れた日に、美しい夜空はやや皮肉にも見える。

 だが星明りは穏やかで、何かを悼むようであり、何かをことぐようでもあった。

 そして俺は、遠くヘンセンのある北西の空へ目を向けた。

 まだ最終ミッションが残っているのだ。

 すなわち、必ず帰るという約束が。


 さあ、任務を完遂するとしよう。