
「すぅ……」
俺はスヴェンから距離を取り、呼吸を整えた。
何度目かの仕切り直しだ。
「ふぅ! いやはや、強いな。たいしたもんだ」
スヴェンの言葉は本音であるようだった。
実際、
だが、奴の手にある神器がその差を埋めている。
致命傷ですら一瞬で快癒してしまうのだから。
「俺の剣は、魔法を消し去ることが出来るんだがな」
「聞いてるよ。でもこれ、魔法じゃないから。神の奇跡、宝剣アルトゥーロヴナってんだよ」
アルトゥーロヴナ。
聖者ラクリアメレクの薫陶を受けたとされる、古い聖人の名だ。
だが聖なる御業というには、やや
実際あれは魔法の一種だろう。
剣から湧出し続ける魔力が、奴の全身に魔法効果を及ぼしているのだ。
あの剣は所謂聖遺物のような、大それた古代の武器には見えない。
神器とは、要するに高度な魔法処理が施された武器なのだと思う。
したがって、煤の剣で魔力の流れを断てば勝ち筋が見えるかもしれない。
だが、奴を斬っても、神器から奴の体へ流入する魔力が一瞬で傷を塞いでしまうのだ。
それなら神器を持つ両腕を一刀で落とせば良いのだが、それは簡単ではない。
凡百の剣士が相手なら可能だが、いま
まして、俺がそれを狙うことは、奴にも分かっているはずなのだ。
「ロルフさんよ。それだけ強いなら、もっと大胆に踏み込んできても良いんじゃないか?」
スヴェンが誘う。
俺としても、出来れば強い一撃で勝負に出たい。
しかし、このレベルの剣士を相手に、おいそれと勝負に出ることは出来ない。
「慎重さが持ち味でな」
「時には思い切りも大事だぞ」
時間をかけるという選択肢もある。
神器という武器は、リスク無しで使えるものでもないだろう。
根拠は無いが、神と名がつくなら、代償は強いられると思う。
生命力なり何なり、スヴェンは消費しているのではないか。
だが、俺としても時間を使い過ぎるのは
何せこちらにもタイムリミットはあるのだ。
こうしている間にも、仲間たちは命がけで戦っているのだから。
それに、スヴェンのような
予想外の状況が
「ふぅー……」
いけない。息を吐いて、いったん頭をクリアにする。
思考の
「風体に似合わず、考えて戦うタイプなんだな」
にやりと余裕を見せるスヴェン。
治るとは言え、身に刃を受ければ焦りが出そうなものだが、そんな気配は無い。
戦い慣れしているのだ。
俺は改めて糸口を探すべく、スヴェンを観察する。
筋肉の動き、表情に呼吸、それから纏う空気。
それらを視界に捉えて何かを探す。
その視界が、望まぬものを捉えた。
スヴェンの後方に人影。
誰かがこちらへ近づいてくる。
「おや?」
スヴェンも気づき、そして声をかけた。
「来られたのですか」
「外は部下に任せてある。うちの者たちは皆、優秀だからね。問題ないよ」
そう答え、男は俺に顔を向けた。
茶色い直毛に、やや童顔の騎士である。
「外よりこちらが重要だからね。強い敵を迎え撃たないと」
俺の目をしっかりと見据えながら、そう言った。
彼は俺と戦いに来たのだ。
「ステファン・クロンヘイム……」
「憶えててくれたかい? 何度か会ったことあるよね」
向こうが俺を憶えていたことの方が意外だ。
エミリーの従卒として中央へ行った際、確かに何度か顔を見たことがある。
言葉を交わしたことは無いが。
「旧知と斬り合うのは気持ちの良いものじゃないけど……」
そう言って、剣を抜くクロンヘイム。
その所作だけで、空気が張り詰める。
「まあ何はともあれ、やろうか」
「…………!!」
構えを見ただけで気づく。
やはり、とんでもない強さだ。
そして二対一という状況。
第二騎士団団長と、済生軍最強剣士である。
「クロンヘイム団長。私は構いませんが、よろしいんですか? 正道を行く騎士として高名な貴方が、二人がかりとは」
肩を竦めながらスヴェンが問う。
騎士に対してやや敵愾心も感じる物言いだった。
彼はおそらく、戦いに精神性を見出す考えを嫌う種類の人間なのだろう。
「スヴェン殿。戦争なんだよ、これ。しかも大将の近くにまで攻め込まれている。全力で排除しないと駄目だ」
「ごもっとも」
二人の意見は統一されているようだ。
俺は彼らを、同時に相手取らなければならない。
そして、まともに戦力を比較すれば、当然向こうが上である。
連携の隙を見つければ、勝ち筋が見えるだろうか?
「おや、それが例の黒剣かい?」
考える俺をよそに、クロンヘイムが煤の剣に気づいた。
そして興味深げに見つめる。
「なるほど……美しい剣だね」
「ああ、俺もそう思う。
「それに何かこう……何だろう。美しいだけじゃなくて」
怒り。
この剣からは、僅かながら怒りが感じられる。
何に対する怒りなのかは分からないが。
「まあいいや、それじゃあ、行くよ」
会話を切り上げ、間合いを詰めてくるクロンヘイム。
剣が一瞬で突き入れられる。
凄いスピードだった。
俺は退かずに、煤の剣で突きを払う。
ギリギリ間に合ったかと思いきや、真横にはすでにスヴェンが居た。
「せっ!」
気合いと共に、スヴェンの中段斬りが飛来する。
俺は身を低くし、スヴェンの方向へ転がりながら回避した。
そして彼の横で膝立ちになり、剣を横薙ぎに振る。
その剣を躱し、大きく跳び
入れ違いに、クロンヘイムの剣が襲いかかってくる。
「くっ!」
膝立ちの姿勢から、俺は大きく後ろへ跳んだ。
そしてすかさず立ち上がり、剣を構え直す。
「何とまあ。今のも対応出来ちゃうのか。凄いよな、やっぱり」
「これは油断出来ないね」
二人はそう感想を漏らす。
クロンヘイムは油断などと口にしたが、元より彼にそんなもの期待出来ない。
マズいのは、彼らの攻撃がすでに連携の
個の力に優れる者が連携を不得手とすることはよくある。
それを期待し、隙を突けないかと思ったが、そう上手くはいかないらしい。
しかも戦っているうちに、二人の連携は更に
不利な条件ばかりが
「『
そこへ、さらなる不利を強いる声があがった。
音に聞こえた、クロンヘイムの魔法剣だ。
彼は、
俺は頭の中で激しく鳴り響く警鐘にしたがい、横合いへ転がる。
それを見たクロンヘイムは、振り抜いた剣を反転させ、すかさず横薙ぎに振った。
立ち上がっていた俺は、何も無い真横の空間へ向けて煤の剣を振り下ろす。
何かを斬る感触。そしてそれがかき消えた。
そこには魔力の帯が流れていたようだ。
「……なるほど。君は魔力そのものを斬れるのか」
今のが、清騎士クロンヘイムの見えぬ刃か。
何とか煤の剣で迎撃出来たが、紙一重だった。
「それにしても初見で……しかも連撃を見舞ったというのに斬れてしまうとはね。凄まじいな、君という男は」
クロンヘイムが感嘆に声をあげ、スヴェンも瞠目している。
俺はヴァルターとの模擬戦を思い出していた。
あの時、彼が放った『
あれを見ていなければ、クロンヘイムの刃に対応出来ていなかっただろう。
ヴァルターという友が俺を生かしたのだ。
それを思う俺に、クロンヘイムが言った。
「強いね。ヴァルター以上かもしれない」
「…………あんたが?」
「ああ、僕が倒した。死んだよ」
「………………」
覚悟してはいた。
だが聞きたくなかった。
「友達だったのかい?」
「ああ」
降りる沈黙。
ややあって、俺は口を開いた。
「……彼の部隊の仲間は?」
「多くは討った。一部は逃れていったが」
「……そうか」
第二騎士団が山頂に戻ってきた以上、レゥ族は敗れたということだ。
そしてレゥ族は、多くの点でヴァルターという英雄に支えられている。レゥ族の敗北は、高い確率でヴァルターの敗死を意味していたのだ。
それでも生きていて欲しかった。
だが目の前のクロンヘイムは噓を言っていない。それが分かってしまう。
「彼は強かったよ」
「……知っている」
戦っていれば、喪う。避けられぬことだ。
つまり、この痛みは常に
受け入れなければならない。
…………そう、受け入れなければならないのだ。
「せい!」
「つっ!」
スヴェンの剣が襲いくる。
剣でガードしながら、俺は後ろへ下がった。
そこへ刺さる殺気。
クロンヘイムが遠間で上段に構えている。
彼が剣を振り下ろすと同時に、俺は横へ跳んで転がり、不可視の刃から逃れた。
そして立ち上がり、スヴェンから距離を取る。
「ふぅー……!」
息を吐きながら、剣を構え直した。
今、意識に一瞬の間隙を作ってしまった。
友の死に自失したのだ。
これではいけない。
目の前の戦いに集中しなければ。
心に活を入れ、俺は剣を握る手に力を入れる。
そして距離を取り、二人との間合いを測り直した。
また不可視の刃が来る前に踏み込みたいが、スヴェンがカウンターを狙っている。
精神を消耗する差し合いの中、俺は心に
そこに焦りを感じていると、視界に、クロンヘイムが中段を振る姿が映った。
俺は、不可視の刃を煤の剣で迎撃しようとしたが、それが誤りだと気づく。
スヴェンが踏み込み、下段を狙っているのだ。
不可視の刃と、宝剣アルトゥーロヴナ。
中段と下段が同時に襲ってきている。
「くっ!」
俺は迎撃の構えを解き、すかさず後方へ跳んで逃れた。
だが、二人の攻撃を完全に躱すことは叶わず、
スヴェンの剣が、その剣に
「捉えたぞ。精神が乱れてるな?」
スヴェンは微笑を浮かべて言う。
彼の言うとおりだった。
理屈のうえで、俺は人々の死を受け入れている。
だが、感情面での痛苦を無視することは出来ないらしい。
今、ヴァルターの、友の死は、改めてそれを俺に突きつけている。
ヘンセンでベルタという友を得た日。
俺はその日に彼女を喪った。
彼女は、友となった日に逝ったのだ。
そのことを思い出す。
無情だ。これから友誼を深めることが出来るはずだった。
そうやって、死は突然訪れる。
戦っている者たちにとって、死はあまりに身近なのだ。
ヴァルターも、あの気の良い男も、再会すること無く逝ってしまった。
これから日々を共有出来るはずだった。
だが、もう二度と会えない。
「………………」
痛い。
この痛苦を、あとどれだけ味わうのだ。
分かっていても、分かっていても痛いのだ。
思考が沈む。
体が重さを増していく。
「せぁっ!」
「くっ!」
再び襲いかかる、クロンヘイムとスヴェン。
俺はその場に踏み留まり、どうにか不可視の刃を砕き、宝剣アルトゥーロヴナを払う。
そして返す刀をスヴェンに振り入れた。
だが、煤の剣は空を切る。
スヴェンは一瞬で跳び
「はぁ……はぁ……!」
「削れてきてるな。こりゃあ何とかなりそうだ」
今のは対応出来たが、かなり危なかった。
判断が僅かにでも遅れていれば、俺は死んでいただろう。
次の攻撃も、その次も、この
これでは駄目だ。
俺は全力で床を踏みしめ、自らを奮い立たせる。
戦うのだ。
戦わなければならないのだ。
そう、残された者は、戦い続けなければならないのだ!
たとえ、一人になっても!
「僕も何人も喪ってるし、覚えがあるけど、その沼に捕らわれたら、すぐには戻ってこられないよ」
「……!!」
誰であれ、死から目を逸らすことは出来ない。
クロンヘイムはそう言っている。
心の裡を言い当てられ、俺は焦燥を深める。
頰を伝う汗が、顎先から滴り落ちた。
そんな俺へ、クロンヘイムは剣を向け直して言う。
「さあ、君の旅を終わりにする時だ」
「終わんねーよボケ」
………………。
男が、肩に剣を担ぎ、悠然と歩いてくる。
ああ。
そうだ。そうだとも。
去りゆく者は居る。だが、留まる者も居るのだ。
友人たちは居る。常に傍らに。
俺は、一人ではないのだ。
そんな当たり前のことをようやく思い出し、不覚にも感動している俺へ向け、奴は犬歯を露わに叫んだ。
「てめぇ……しけたツラしてんじゃねーぞロルフ!」

◆
「この神殿に突入出来てる時点で強者だ。こりゃあ気をつけないとな」
スヴェンは俺へ固定していた視線をシグに向け、警戒を強めた。
そう。彼が言うとおり、シグは強者だ。
「じゃあ、俺の相手はお前だ」
あっさりと言い放ち、シグはスヴェンに斬りかかる。
それを剣でガードし、
「とっ!」
スヴェンは、やや意表を突かれたようだ。
そしてパワーではシグに分がある。
剣を離し、鍔ぜり合いから逃れつつ、スヴェンは横へ跳ぶ。
すかさずシグはそれを追った。
そのまま、二人は俺から離れていく。
俺はクロンヘイムと、シグはスヴェンと戦うことになったらしい。
シグは理由も無く、このかたちを選択したが、これで合っている。
スヴェンのような変則的な剣を使う男は、体系だった剣を修める俺のような相手を得意とすることだろう。
シグの方が相性が良い。
ただ、神器はやはり厄介だ。
「シグ! そいつは剣の力で自動回復する! 気をつけろ!」
「ああ!? 何だそのフザけた力は!」
そう言いながら、剣を構え直すシグ。
台詞とは裏腹に、口角が上がっていた。
それを見届け、俺は自分の相手に目を向ける。
こっちの相手も十分にフザけているわけだが、大丈夫だ。
負けはしない。
「立ち直ってしまったか。たいしたものだよ、君も彼も」
クロンヘイムはそう言った。
友の死を受け、精神に変調をきたしていた俺だが、もう迷いは無い。
黒い剣をまっすぐ構え、俺は倒すべき敵へ向き直った。
◆
シグと呼ばれるこの男の本名、シグムンドは、親から与えられた名ではない。
路上生活の中、いつの間にかつけられていた名である。
確か、どこかの酒場の名を適当に振られただけと本人は記憶しているが、定かではない。
名すら親から与えられなかった男。
裕福な家に生まれたロルフとは対極の子供時代であった。
あの
そこに居た時シグは、誰に顧みられることも無い存在だった。
世界の片隅で
そんな彼が今、世界を変える戦いに参加している。
ロルフと共に。
そして、そうとは口にしないが、ロルフと共にある時、シグは今までの人生に無い感情を感じていた。
楽しいのだ。
このロクでもない世界。
唾棄すべき世界。
それを変えるべく戦っている。
そして実際、眼前で世界は変わりつつある。
あの男、ロルフは、彼を次の世界へ
国と戦い、領土を落とし、更に大きなうねりを作り出している。
今日に至っては、誰もが知る信仰の象徴である、霊峰ドゥ・ツェリンへ踏み入ったのだ。
そしてその頂にそびえる大神殿までやってきた。
そんな場所で今、自分は剣を振るっている。
ただ日々の糧を得るために戦った日々からは、考えもつかない。
こんなところにまで来ることになるとは。
どこに繫がっている? この道を往けば、どこに
こいつは俺をどこへ連れていく?
楽しみだ。この先の景色が。
そう。変えられる。
世界は、変えられるのだ。
シグはまさに、歓喜の只中にあった。
その思いが、口をついて出る。
「見せてもらおうじゃねーか!」
がつがつと打ちつけられるシグの剣。
さっきまで戦っていたロルフの剣とはまるで違うその剣筋に、スヴェンはやりづらさを感じる。
だが彼も超一流である。
シグの剣の間隙を縫い、凄まじいばかりの剣速で突きを入れた。
それを躱しつつ、なお剣を振り入れるシグ。
二人の剣が交錯する。
そして一瞬の
シグの肩口とスヴェンの胸元に、それぞれ一直線の傷が走っている。
剣は互いを捉えたのだ。
だが。
スヴェンの傷は、一瞬で塞がる。
そこには、もとどおり無傷の肉体があるのみだった。
「はぁん。世の中には、こんなんまでありやがるのか」
感嘆するシグ。
こんな敵まで現れるとは、つくづく遠くまで来たものだ。
「で、どうするね?」
「まあ首落としゃ死ぬだろ」
シンプルな解を出すシグ。
剣戟において斬首など、ましてや実力が拮抗した相手の首を落とすなど、そうそう出来ることではない。
それを思い、シグの目を覗き込むスヴェンだが、そこにハッタリは無いように見える。
「自信家だな。俺の首を落とせるか?」
「知らねえ。やってみりゃ分かんだろ」
そう言って、再び突っ込むシグ。
無造作に、しかし本能的に探り当てた有効な角度で、次々に剣を打ちつける。
「やっぱり面倒だなあ」
駆け引きを好み、得意とするスヴェンとしては、一様に激しい剣戟を挑んでくるシグは嬉しい相手ではない。
しかし我慢のしどころだ。
宝剣アルトゥーロヴナを巧みに操り、シグの攻撃をガードしながら隙を探す。
「…………ッ!」
だが、ずしりずしりと衝撃が、スヴェンの両腕に痛みを蓄積させる。
十合、二十合と打ちつけられる剣。
そろそろかと思うも、剣は途切れない。
どういう肺活量なんだと恨み言を口にしたくなりつつも、スヴェンの目はシグを冷静に注視し続ける。
そして足元に一瞬の隙を見つけた。
剣でガードしたまま、するりと懐へ入り、足払いを仕掛ける。
「とっ!?」
バランスを崩し、転倒しかけるシグ。
そこへ向け、スヴェンは剣を振り下ろした。
「でい!」
「オラァ!」
シグは転倒しなかった。
膝を折り、上体を床とほぼ平行にまで倒した姿勢から、剣を振り抜く。
あり得ぬ角度から飛来する刃に、スヴェンは完全に虚を突かれた。
自身の剣を弾かれたうえ、首の左半分を斬り裂かれたのだ。
「ぐぅっ!?」
たたらを踏むスヴェン。
シグは上体を戻し、追撃に入る。
だが、すでにスヴェンの傷は塞がっている。
踏み留まり、返礼とばかりにシグの首を狙うスヴェン。
その首を、刃は浅く通過した。
「いっつ!」
「ちっ!」
表情には常に余裕を浮かべていたスヴェンだが、ついに顔を歪めた。
そして屈辱に舌打ちしている。
シグの剣は、スヴェンの
スヴェンの手にあるのが神器でなければ、勝負がついていたのである。
対してスヴェンの剣も、あと一センチずれていればシグの頸動脈に達していたのだが、それはシグに何らの感想も与えない。
生きている。
シグにとって意味を持つのは、その事実のみである。
その男に、スヴェンは若干の恐怖を感じた。
首から血を垂らし、しかしそれを意に介さず彼はずいずい踏み込んでくるのだ。
「狂人め!」
叫びながら突きを繰り出すスヴェン。
動揺と共に剣先が乱れるであろう場面だが、しかし彼はここに至って一流だった。
その剣はなおも鋭さを失わない。
回避を試みるシグだが、完全には躱せなかった。
宝剣アルトゥーロヴナは目の僅かに横を突き通り、耳を斬り裂いていく。
にもかかわらず、シグは
恐怖を知らぬかのように、スヴェンと同様に選択した突きを、彼の胸に突き込んだ。
「がっ……!」
剣が胸を貫通する。
吐血するスヴェンにそのまま組みつき、その鼻先へシグは頭突きを見舞う。
「どぉらあ!!」
「ぅぶ……!?」
半歩を退きつつ、シグは剣を抜いた。
そして抜いたままの流れで後方中段に構えた剣を、スヴェンの首へ向け振り抜く。
「るあぁぁ!!」
白刃が閃く。
剣は、スヴェンの首をまっすぐ通過した。
「こ……!!」
口から血を零し、目を見開くスヴェン。
「……!!」
次の瞬間、シグも瞠目した。
さすがの彼も、驚くほか無かったのだ。
首は落ちず、刃が通過した先から接合されていった。
そして、血走った目をぎょろりと向けるスヴェン。
首を斬られてなお取り落とさなかった剣を、彼は下段に振り抜いた。
「ちっ!!」
即座に跳び
だが
びしりと血が飛んだ。
距離を取って構え直す両者。
死出の旅から帰還したスヴェンは、ぶるりと首を振った。
当然、突かれた胸の傷も消えている。
「ふぅ……。貴重な経験だが、二度とゴメンだね」
「てめえ、気色ワリーな」
シグの感想は、見た目の悍ましさではなく、命の摂理に逆らうことへの嫌悪を表したものだった。
それに気づくこと無く、スヴェンは言う。
「ご挨拶だな。でも、これで万策尽きたんじゃないか?」
二人は気づいていないが、実のところ、煤の剣なら斬首でスヴェンを殺せたのだ。
刃に触れるものから魔力を消失させる黒い剣であれば、神器の魔力が首に流通し、そこを繫ぐ前に、スヴェンを絶命せしめていただろう。
ここへ来て、マッチアップの幸運がスヴェンを照らしたのだった。
「さあ、どうする?」
「…………」
シグはスヴェンに正対し、まっすぐ立った。
そして剣を正眼に構える。
「おや?」
策が尽きれば、立ち戻るべきは正攻法。
シグの選択は、戦いにおいて理に適ったものであるようだ。
だが、それはスヴェンに怖さを与えない。
彼にとっても、望むところだった。
同じく正眼に構え、スヴェンはシグへ切っ先を向ける。
目の前の敵が強者であることを、スヴェンは理解している。
なにせ致命の斬撃を度々食らわされたのだ。
だが、それは相性によるところが大きい。
スヴェンはそう見ていた。
正面からの技量の比べ合いなら負けはしない、と。
じりじりと、両者が距離を読み合う。
数センチずつ、数ミリずつ近づいていく。
ここまでの戦いで、二人は相手の間合いを把握している。
それをもとに、有利な距離を作ろうとしていた。
一寸を奪う差し合い。
正統派の剣士が戦う際に見られる展開である。
変則的な剣を使う者同士が、戦いのすえ、正統的な勝負に及んでいるのだ。
「…………」
「…………」
少しずつ、少しずつ近づく。
シグの顎先から、汗が一滴、次いで、切れた耳から流れる血が一滴、床を打った。
両者が相手の呼吸を見定めようとする。
瞬きもせず、すべての神経を次の
「…………」
「…………」
二人の剣先が、ぴくりと動く。
次の瞬間、同時に上段斬りを放った。
「せい!」
「うらぁ!」
シグの脳天へ向けて飛来するスヴェンの剣。
対して、シグの剣はスヴェンの剣を打った。
「っ!?」
シグは、剣をスヴェンの剣の軌道に割り込ませ、刀身同士をかち合わせる。
そして剣の背を捉えた。
そのまま振り下ろし、磨き抜かれた石の床に剣を叩きつける。
ばきりと鈍い音が響いた。
ヨナ教団の至宝である神器、宝剣アルトゥーロヴナが、無残にも叩き折られた音である。
当然の帰結として、
「ぐぅっ!?」
手を伝う激しい衝撃に、声をあげるスヴェン。
シグは再び、上段の構えをとっている。
もう奥の手は使えない。降伏しろ。
そういう言葉を用いるシグではなかった。
彼は彼流の敬意を剣先に乗せ、再度の振り下ろしを見舞う。
「おおぉぉぉっ!!」
────どしゅり
剣は真っすぐスヴェンを捉えた。
そこに走った深く
「ぁ…………」
スヴェンは両膝をついた。
それから顔を上げる。
信じ難いものを見る目をシグに向け、何かを言おうとしたが、吐き出される血が言葉を阻害した。
そしてうつ伏せに倒れ込む。
床に広がる血が、彼の死を告げた。
最後の差し合い。シグは決死の覚悟を持って臨んだが、スヴェンは違った。
首を斬られても死ななかった彼は、決死の覚悟など持ち得なかったのだ。
それが勝負を分けたのだった。
「ふん」
今の技は、屈辱と共にシグの記憶に刻まれているものだった。
アーベルでロルフと初めて会った時、シグは彼に剣を叩き折られたのだ。
その技を今、成功させてやった。
ロルフが攻めあぐねていた相手に対してである。
それを思い、彼は歯を剝き出しに笑った。
「やってやったぜ!」
◆
大神殿三階。
扉の前に護衛が置かれた部屋を見つけたリーゼは、迷わずそこへ走り込んだ。
「せぁ!」
「ぐわっ!?」
護衛は済生軍の剣士たちだった。
それを倒し切り、そしてリーゼは扉を開く。
その向こうには、槍を持った兵が五人と、更に魔導士が二人。
そして奥に、身なりの良い男が居た。
年のころは四十代。
やや長い赤茶色の髪を持った長身の男。
情報と一致する姿であった。
「バルブロ・イスフェルト侯爵ね?」
「無作法者め。まず自ら名乗れ」
「ヴィリのアルバンが娘、リーゼよ!」
言うが早いか、リーゼは駆け出す。
ヴィリ族でも随一のスピードを持つ彼女は、一気に侯爵へ近づいた。
だがこの場に居る護衛は皆、当然ながら精鋭だ。
すかさず三人が同時に槍を突き込んでくる。
一糸乱れぬ動きであった。
「はぁっ!」
リーゼは、その槍を躱しつつ前方へ跳躍する。
そしてそのまま、護衛たちの頭上を跳び、イスフェルト侯爵へ躍りかかった。
やや常識を無視したその動きに、護衛たちは一瞬たじろぐ。
リーゼはそのまま、双剣を侯爵の喉元へ。
しかし、がきりと音がして、双剣は槍に防がれる。
護衛が割って入ったのだ。
着地したリーゼは、囲まれる前にすかさず横へ跳躍し、更に後ろへ跳んだ。
そして元の場所へ戻り、再度身を低く構える。
一瞬の間に、侯爵の喉元近くへ刃を突き出され、護衛たちは緊張に身を引き締める。
侯爵も、額に汗を浮かべていた。
対してリーゼの方は、好機に昂る感情を自覚する。
目の前に居るのは敵のトップ、バルブロ・イスフェルト侯爵で間違いない。
敵軍の総大将である。
それを前に、リーゼは思う。
彼女には、
彼女は、強い者への劣等感に自身を卑下するようなことはしない。
不毛な嫉妬に囚われたりもしない。
強きを強きと認めたうえで、払うべき敬意を払う。
そういう公正な人である。
だが、その一方で、強き人としっかり肩を並べたいという思いはある。
戦功を挙げ、認められたいという思いもある。
そして目の前には、敵の最高司令官が居るのだ。
彼を倒し、大将首を挙げる。
今、リーゼは、それを目標に定めた。
ストレーム領を落とした際も、タリアン領を落とした際も、リーゼは大将首を
イスフェルト侯爵を前に、今度こそという思いを強くする。
ロルフに置いていかれないために。
もっとも、実のところロルフも大将首を獲ったことは無い。
ストレーム領主、アーロン・ストレーム辺境伯を斬ったのはシグであり、タリアン領主、バート・タリアン子爵を倒したのはフリーダなのだ。
収容所の戦いでヴィオラ・エストバリをロルフが討ったのは、大将首を挙げたに近いが、彼女は正確には代理の司令官に収まっていただけである。
だがそれはそれとして、リーゼは大将首を獲る。
そう決めたのだ。
そのリーゼの視線が、杖を掲げて魔法を準備する魔導士の姿を捉える。
そうはさせじと、彼女は床を蹴った。
だがその前方に槍を持った護衛が立ちはだかる。
「ちっ!」
普段は比較的行儀の良いリーゼだが、戦場でそんなことは気にしない。
盛大に舌打ちすると、素早く判断し、後方へ跳んだ。
槍を処理している間に魔法を撃たれることを嫌ったのである。
そしてリーゼが距離を取ると同時に魔法が詠唱される。
「『
大きく横合いに跳んで、火の玉を躱すリーゼ。
ギリギリを小さく躱して次の攻撃に繫げたいところだが、距離感が上手く摑めなかった。
彼女は、元より魔法の処理を苦手としているのだ。
魔導士を含む部隊と一人で交戦するのは、彼女にとって難しいチャレンジだった。
しかし、それを気にせず言う。
「侯爵。一応、降伏の意思を訊いておくわ」
「馬鹿なことを。私は貴様に降伏など許さぬぞ」
アルフレッドとスヴェン。
済生軍最強の魔導士と剣士が健在で、この神殿に居る。
更に、第二騎士団団長、大英雄クロンヘイムもである。
目の前に居る女は網をくぐり、ここへ辿り着いてしまったが、ほかの侵入者は問題なく処理されるだろう。
対応を終えた味方が、ここに駆けつける可能性も高い。
そして何より、大神殿とその周囲に居るすべての魔族を焼く禁術が、今にも発動するのだ。
それはもう、次の瞬間かもしれない。
イスフェルト侯爵は、有利を自覚している。
降伏などあり得ないのだ。
「一応言っておくけど、アルフレッドはここへは来ないわ。それと、禁術も発動しない」
「!?」
侯爵と、そして護衛の兵たちは驚愕に顔を歪める。
ハッタリだと信じたいが、彼女が禁術の存在を知っているはずは無かった。
「どういうことだ……。アルフレッドを倒したとでもいうのか」
「どうかしら。いずれにせよ、守勢に回って時間を稼ぐのはお勧めしないわよ」
その言葉に、考えを巡らせる侯爵と兵たち。
それはリーゼにとって十分な隙だった。
最も近くに居た兵へ、瞬時に肉薄する。そして双剣を振るった。
「っ!?」
兵は喉を斬られた。
声帯を失い、断末魔の悲鳴も満足にあげられぬまま、彼は絶命する。
それを見て、兵たちは激昂した。
「貴様!!」
またも突き込まれてくる槍の群れ。
ここだ。
ここで飛んだり跳ねたりしているから、毎回同じリズムになる。
知覚を加速させ、圧縮された時の中でリーゼはそう考えた。
自分が殻を破るには、踏み留まる勇気を手に入れなければならない。
床を踏みしめ、交差させた腕に双剣を構えるリーゼ。
そして、襲いくる槍を迎え撃った。
右で一閃、左で二閃。更に右で一閃。
都合四本の槍を、一秒足らずの間にすべて打ち払った。
がき、ばきんと金属音をあげ、槍は軌道を曲げられる。
パワーでは、兵たちの槍が上回っているはずだった。
だが速度と技術でそれをカバーし、リーゼは槍を防ぎ切ったのだ。
そして、それで終わりにはしない。
そこから一歩を踏み込み、兵たちの懐へ。
一人の首に刃を通し、一人の腿へ刃を突き立てる。
頸動脈と
「がはっ!?」
同時にリーゼは、目の端で魔導士の動きを捉える。
二人の魔導士が、杖を構えていた。
「『
「『
魔法が詠唱される。
これまでの彼女なら、必要以上にマージンを取って大きく跳び
だが、スピードで流れとテンポを作るのがリーゼの戦い方である。自ら流れを切るのは正しい行動ではないのだ。
それを考え、彼女は体に魔力を満たす。
魔力運用が苦手だったリーゼだが、ヘンセン侵攻よりこっち、弛まず鍛錬してきた。
強いくせに地道な鍛錬に少しも手を抜かないロルフの姿を見て、反省したのだ。
今までの鍛錬は不十分だった。
そして今、鍛錬の結果は出ている。
これまでとは段違いのスピードで体に魔力を満たすことが出来たのだ。
そして彼女は、そのまま回避行動に移った。
恐れず魔法を見定め、そして必要最小限の回避行動を取る。
炎の壁は彼女の横数センチを通過した。
氷の礫は、六つが彼女をかすめつつ、通り過ぎていく。
だが礫は七つあった。一つがリーゼの肩に当たる。
「つっ!!」
だが、十分に魔力を満たした体は、その衝撃に耐えた。
もう華麗に舞うだけのリーゼではない。
彼女は正面から押し通る強さを手に入れているのだ。
そしてリーゼは魔導士たちに肉薄すると、双剣を大きく横に振った。
二本の短剣が、彼女の前方で半円を描く。
その半円が魔導士たちを巻き込み、彼らは膝をついて倒れた。
二人とも、喉を完全に斬り裂かれている。
なおもリーゼは流れを切らない。
彼女は振り返らぬまま後ろへ跳んだ。
降り立った場所は、槍を持った兵の真横だった。
そのまま双剣を兵の脇腹に刺し入れる。
「ぐぁっ!」
槍を取り落とし、倒れる兵。
彼の悲鳴に重ねるように、別の声が響く。
「『
魔導士はすでに倒し切っている。
だが、今ひとり。
イスフェルト侯爵も強力な魔導の使い手なのだ。
彼が放った雷は、轟音をあげてリーゼに迫る。
だがリーゼは、侯爵が詠唱するより早く、最後の兵へ近づき、そして、その
「がっ!?」
軽い体重ながら、優れたスピードと
兵は声をあげて蹴り飛ばされ、そして飛来する雷と接触する。
ばしりと音をあげ、雷は兵に直撃し消滅した。
膝をつき、倒れゆく兵の横を風のように駆け抜け、そしてリーゼは侯爵に肉薄する。
「『
杖を向け、詠唱に入る侯爵だが間に合わない。
リーゼは侯爵の杖を双剣で
「ぐっ!?」
たたらを踏みながらも杖を放すことなく、リーゼから離れる侯爵。
その彼へ向け、リーゼは言った。
「イスフェルト侯爵。護衛はすべて倒れたわよ」
「……せい!」
侯爵は、懐から出した短剣を投げつけた。
刃がリーゼの胸へ向け飛来したが、彼女は半身になってそれを躱す。
追い詰めながらも、リーゼに油断は無かった。
「はぁっ……! はぁっ……!」
顔を絶望に染めるイスフェルト侯爵。
待てど暮らせど禁術は発動しない。
どうやら、リーゼが言ったことは本当らしかった。
そのリーゼは、双剣を構えて踏み出る。
今日を勝てば、自分は殻を破れるだろう。
それを思い、彼女は目の前の敵を睨みつけた。
◆
「シグ! そいつは剣の力で自動回復する! 気をつけろ!」
「ああ!? 何だそのフザけた力は!」
そう言いながら、剣を構え直すシグ。
台詞とは裏腹に、口角が上がっていた。
スヴェンは強敵だが、シグなら大丈夫だ。
彼を信じて任せる。
それを即断し、俺は自らの相手へ向き直った。
「立ち直ってしまったか。たいしたものだよ、君も彼も」
「まあな」
煤の剣をゆっくりと構える。
目の前に居るのは、第二騎士団を任される英雄。ステファン・クロンヘイムだ。
だが俺に恐れは無い。
「…………」
「…………」
どちらともなく、俺たちは距離を測り始める。
だが、俺には細かい差し合いをする気は無い。
彼にあの不可視の剣、『
「はっ!」
床を蹴り、一気に間合いを詰める。
近接距離での戦いに持ち込むのだ。
「速い──! だが!」
がきりと響く金属音。
俺の斬撃は彼の剣にガードされた。
それ自体は想定内である。だがその先が違った。
ガードされたら、そこから
だが彼は剣を引きながらの巧みなガードで、柔らかく衝撃を吸収してしまう。
やはり技術も超一流だった。
いや、技術の妙を見せてくるのはここからだ。
危機を察知し、俺はすぐに剣を戻して下段をガードする。
そこへ、閃くような剣が振り入れられた。
またも響く金属音。
彼はガードを解き、すかさず下段斬りを見舞ってきたのだ。
視線は俺と合わせたまま、足元をまったく見ずに放った下段だった。
「でぁっ!」
それを防いだ体勢から、そのまま煤の剣を上へ振りぬく。
クロンヘイムは慌てず半歩を下がって躱し、そのまま横薙ぎを一閃。
再び煤の剣で阻み、俺は突きの体勢に移行する。
だが突きを入れる相手は、すでに居ない。
彼は床を蹴って大きく後ろへ跳んでいた。
距離を取り、両者剣を構え直す。
「ふぅ……なるほど。やはり強いね」
クロンヘイムの口調は穏やかだが、そこへ潜む殺気に俺は気づいていた。
次の瞬間、彼は
同時に、俺は煤の剣で右前方の空間を斬った。
不可視の刃が消失する。
訪れる静寂。
それを経て、クロンヘイムが口を開いた。
「本当、馬鹿げた話だよ。なんでアレを斬れるのかな?」
「これはそういう剣だ」
「いや、そうじゃなくて。寸分たがわぬタイミングで剣を合わせないと、君が両断されてるはずなんだよ。
「………………」
「『
「別に特別なことはしていない」
事実だった。
俺はただ、懸命に剣を振ってきただけだ。
「そうかい」
改めて剣を構え、中間距離で
そのまま互いを観察し、次の手を探る。
踏み込んで近接戦闘を仕掛けるという基本方針は変わらない。
相手が誰であれ、俺は近づかなければ攻撃出来ないのだから。
だが、単調に近接距離ばかりを取りにいっては、動きを読まれ返り討ちに遭うだろう。
彼はそういうレベルの敵なのだ。今の攻防で、改めてそれを理解した。
しっかり隙を見つけたうえで踏み込まなければならない。
頭の中でプランを練る。
クロンヘイムも、俺を見据えながら考えを巡らせているようだ。
そんな俺たちの頰を、風が撫でた。
ここは霊峰の山頂にそびえる大神殿。その最上階である。
この区画はテラスのようになっており、壁が無く、立ち並ぶ石柱が天井を支えるのみだ。
そして壁面の代わりに広がっているのは、雄大な山々である。
霧を纏いながら広がる山領。
遠くまでかすむように続く稜線。
その美しい風景は、確かに神秘を感じさせる。
そんな見事な景色を背景とし、俺とクロンヘイムは向き合っている。
この霊峰の戦いに決着をつけるために。
「はっ!」
静寂を破るクロンヘイムの声。
距離を取ったまま、彼は剣を振る。
今度はやや変則的な角度を選んできた。
スリークォーター。斜め下からの斬り上げである。
難しい軌道だ。だが俺も、あの技に対応出来始めている。
刃を迎撃するために構え直していては、そのあとの攻撃に繫がらない。
体をクロンヘイムに正対させたまま、煤の剣を横合いに振り入れて不可視の刃を消し去る。
そしてすかさず、クロンヘイムへ向けて踏み込んだ。
「させない!」
クロンヘイムは、
あの刃は、少なくとも二発までは、クールタイム無しでの連撃が可能だ。それは確認済みだった。
ここで迎撃のために剣を振っていたら、動きにロスが生まれる。
それを考え、俺は正面やや上方向へ向け、まっすぐ突きを繰り出した。
黒い剣先は不可視の刃を直撃し、それを消失せしめる。
「ッ!!」
顔に驚きを浮かべるクロンヘイム。
その彼に向け、俺は突きの体勢のまま突撃する。
「ぜぁっ!!」
「つっ!」
横へ跳び、突きを躱すクロンヘイム。
彼のこめかみを、剣がかすめた。
そこから僅かな血が零れる。
だが彼は焦りを見せない。
跳びながら、しっかりと下段を振り入れていく。
俺の追撃を
結果、俺は二の太刀を諦め、鋭い下段斬りから逃れて跳ぶことになった。
そして、また中間距離で向き合う俺たち。
両者とも肩を上下させ、大きく息を吐いた。
「ふぅっ……!」
「はぁー……」
互いに油断なく剣を構え、相手を見据える。
一瞬たりとも気を抜けない戦い。
俺も彼も、精神を削りながらここに立っている。
「…………王都で会った時のことを憶えているよ。君は従卒だった」
クロンヘイムは語り出した。
当然その間も、彼に隙は生まれない。
「僕やヴァレニウス団長……当時のメルネス団長が、国事について話し合う時、君は彼女の椅子を引いていた」
「そうだな」
「だがそんな君が、僕と伍して戦っている」
「そのようだ」
言葉を紡ぐクロンヘイム。
さっきから意外に感じていることだが、彼には俺への興味があるようだった。
「君への評価は不当だったということだ。その事実を、君はどう思う?」
「さあな。知らん」
俺は、境遇への怒りで国に背いたわけじゃない。
俺が王国を許し難く思うのは、もっと別のことだ。
俺への評価についてどう思うと問われても、別に感想は無い。
「王国の在りようをおかしいと思ったから、こんな行動を起こしたのだろう?」
口ぶりから言って、彼にも体制への疑心があるのかもしれない。
だが俺と違い、彼が国へ弓を引くことなど無い。
そこは、こうして剣を交えれば理解出来るというもの。
しかし、いや、だからこそ、彼は問わずにいられないのだ。
国に背いた男の胸の裡を。
「……俺が羨ましいのか?」
自分では、国に背くという選択に至りようがない。
だから彼には、それを選んだ俺への羨望があるのかもしれない。
「そうとまでは言わないけどね…………いや、どうかな……」
苦笑し、しかし油断なく半歩を踏み込んでくるクロンヘイム。
「…………」
「…………」
沈黙。
そろそろ『
それを思い、俺は三歩の距離を一息で踏み込む。
ぴくり。
クロンヘイムの剣先が揺れる。
それが迷いによる揺れであることを確信し、俺は残りの距離を一気に詰めた。
「でぇあぁ!!」
「うっ!?」
今の距離。
詰めて剣技で戦うか、不可視の刃を振り入れるか、判断に迷うギリギリの距離だ。
俺はその位置を取った。
あえて選択肢を与え、判断を強いたのだ。
それでもクロンヘイムほどの男である。
迷いが彼の動きを止めたのは、ごく一瞬だった。
だがそれで十分だ。
俺たちは一瞬を奪い合っている。
その一瞬の隙に、俺は剣を突き入れた。
しかし、予想に反して、クロンヘイムは叫び声と共に突っ込んでくる。
「だあぁぁっ!」
彼は剣戟も魔法剣も選ばなかったのだ。
一瞬でこの判断を下す胆力に、俺は舌を巻く思いである。
彼は、距離をゼロにして自身の肉体をぶつけることを選んだ。
懐に入ると頭を俺の顎先へ叩き込み、下からかち上げる。
「あぐ!?」
俺はたたらを踏んだ。
下顎への強打が視界を揺さぶる。
その揺れる視界の中で、クロンヘイムが剣を下段に構えている。
そして高速の斬り上げが俺を襲った。
体勢を崩している俺は、剣を構え直すことが出来ない。
「……っ」
呼吸を殺す。
そして一瞬、五体から力を消した。
そのうえで、直後、指先にまで力を満たす。
剣のために修めてきた脱力の技術がものを言った。
これにより、限界値を超えた瞬発力を獲得し、俺は横へ跳ぶ。
俺が居た空間を、刃が垂直に通過した。
だが、これで終わりではない。
二撃目が来る。
無理な跳躍で、俺はなお体勢をもつれさせている。
煤の剣で迎撃する余裕は無い。
圧縮した時の中、後方へ逃れることが最適解と判断し、全力で後ろへ跳び
「はぁぁっ!!」
この二撃目が本命だったのだろう。
そして、迫る剣は間違いなく不可視の刃を纏っている。
巧みだ。一撃目は通常の剣で有利な体勢を作り、二撃目でこれを繰り出す。
だが、回避はギリギリ間に合った。
刃は、後方へ逃れる俺の、胸の前を通過する。
そして距離を取り、再び構え直す二人。
ほぼ同時に、大きく息を吐く。
「今ので終わったと思ったんだけどな」
「俺も今の攻めには自信があったんだが」
またも
俺は、再び近接戦闘を仕掛けるタイミングを測る。
剣を向けたまま、慎重に攻め口を探した。
この敵を、俺は過小評価してなどいないつもりだった。
だが、彼には想定の上を行かれてしまう。
やはり恐ろしいまでに強い。
当然ではあるが、ステファン・クロンヘイムという男は尋常な相手ではないのだ。
そして次の一手で、俺はその思いをより深めることになる。
「よし……それじゃ、全開でいこう」
「……?」
しばしの睨み合いのあと、クロンヘイムは剣を正眼に構えた。
そして上段に振り上げる。
その動作は今までと寸分たがわぬものだった。
俺は、次の瞬間に飛来するであろう不可視の刃に備え、迎撃の構えをとるが……。
「!!」
氷のナイフを心臓へ突き込まれたかのような感覚。
頭の中で、警鐘がけたたましく鳴り響く。
俺は迎撃を放棄して後ろへ跳んだ。
そこへ不可視の刃が襲いくる。
「ぐっ!」
刃は俺の体の前面を僅かに撫でながら通過していった。
だが、クロンヘイムはこちらへ踏み込みながら、第二撃を
「せいっ!」
逃れるため横合いへ転がるが、今度は回避し切れない。
刃は、俺の前腕をかすめた。
斬られた箇所から血が飛ぶ。
その血に構わず、俺はすぐに立ち上がって構え直した。
「今のも躱してしまうのか……」
クロンヘイムはそう言った。
だが、今のは躱したことにならない。
腕から零れる血がそれを証明している。
俺は対応し切れなかった。
彼の斬撃は、今までより鋭さを増しているのだ。
「……これまで本気じゃなかったというのか?」
「いや、間違いなく本気だったよ。だけど、最後の一滴までを絞り切ってはいなかった。人にはあまり分かってもらえない話だけど、君には分かるはず」
「…………」
確かにクロンヘイムは本気で戦っていた。
だが、剣を振り抜く時、最後の最後に一念を刃に乗せる、その行程を省略していたのだ。
剣というものは、百パーセントを超えた先で、使い手に感応し鋭さを増すもの。
百パーセントから百一パーセントへ。更にそこからコンマ一パーセントでも先へ。
そうやって剣に伸びを与え続けようと研鑽するのが本物の剣士である。
当然クロンヘイムは本物の剣士であり、したがって彼の剣にはその領域がある。
そして今までは、最後のコンマ一パーセントを出していなかったのだ。
そこにはあまりに僅かな差しか無い。
コンマ一パーセント。それだけだ。
それだけだが、俺たちの戦いでは、それがあまりに重大な意味を持つ。
「この僅かな差が重要なんだ。少なくとも、僕と君にとっては。そうだろう?」
そのとおりだ。
今までの戦いで、俺は不可視の刃への対応を済ませている。
あの刃を迎撃するタイミングを、少しのズレも生じさせないよう体で憶えているのだ。
「…………」
いや違う。
覚え込まされたのだ。
そこへ、今までより鋭さを増した斬撃が飛来する。
これへの対応は、殊の外難しい。
「はぁっ!」
クロンヘイムが横薙ぎを放つ。
不可視の刃を消し去るべく、俺は下段に構えた腕へ力を込めるが……。
駄目だ!
やはりタイミングが合わない!
俺は迎撃を諦め、後ろへ跳んだ。
しかし刃は俺を逃がしてはくれない。
不可視の刃が上腕を通過していく。
ひゅっ、と軽い音を立て、上腕に傷が刻まれる。
それはかなり深く、血が勢いよく噴き出した。
「く……!」
俺は上腕に力を込め、血の流出を少しでも抑える。
「せっかく会えた対等の剣士だけど……」
そしてクロンヘイムは油断なく剣先を向けてくる。
その台詞は本音のようで、表情は残念そうだ。
しかし瞳に込められた殺気には、一分の曇りも無い。
だが、まだ終わらせはしない。
いくら血が流れ出たところで、魂は少しも擦り減らないのだ。
そして魂ある限り、俺は戦える。
歯を食いしばり、クロンヘイムを睨みつける。
そして床を踏みしめ、剣を握り直すのだった。
◆
ヘンセンの町。
夕暮れの木陰に座り、少女は遠い空を見上げていた。
優しい風が吹き、絹糸のような少女の髪を静かに揺らす。
少し前からは想像もつかないほど穏やかな日常が少女を包んでいた。
しかし少女は知っている。
その日常のために、今も戦っている人たちが居る。
傷つき、喪いながらも、身命を賭して立ち向かっている。
そしてその先頭に、あの人が居る。
「ミア、心配?」
少女の姉が近づき、気遣わしげに問う。
だが少女はふるふると首を振った。
「約束、してくれたから」
────大丈夫。必ず帰ってくる。
彼はそう言った。
そして、少女はその言葉を
彼は約束を守る人。
だから帰ってくる。
少女の待つ、この場所へ。
────ロルフ様は負けません。…………いちばん、いちばん強いですから。
出兵の前夜、彼にかけたその言葉は、心からの本音だった。
だから少女は信じている。
信じて、待っている。
「あ……」
宵の明星が空に瞬いた。
美しいその星へ向け、少女は早い再会を願うのだった。
◆
山々の稜線を薄暮が覆いつつある。
朝から始まった霊峰ドゥ・ツェリンの戦いは、最終局面を夕闇と共に迎えようとしていた。
ここから見える雄大な風景は、夕暮れに至ってもやはり美しい。
「景色に目を向けるとは、余裕じゃないか?」
クロンヘイムが言う。
確かに、剣を手に、腕から血を流しながら景色を
もっとも油断してはいない。
むしろ向こうから近接戦闘を仕掛けてきてくれれば有り難い。
だが彼は、斬りかかってはこない。
俺が隙を作ったわけではないと分かっているのだ。
「宵の明星が出ている。美しい星だ」
「僕も好きだよ。ぽつんと一人光ってるところが良いよね」
俺は少しずつ距離を詰める。
まだ『
やはり近接戦闘への警戒は十分と見えて、踏み込む隙は見当たらない。
だがこのまま待っていてもジリ貧だ。
リスクを冒してでも行くしか無い。
「せっ!」
突っ込みながら、体重を乗せた中段斬りを放つ。
クロンヘイムは剣でいなすようにガードし、返す刀で同じく中段斬りを繰り出した。
それを俺は、クロンヘイムの方へ前転しながら躱し、すかさず膝立ちからの斬り上げに移る。
「でい!」
「ふっ!」
飛び込んでの斬り上げは虚を突けるかと思ったが、それにもクロンヘイムは反応する。
彼は斬り上げを剣で払いながら、背後へ大きく跳んだ。
また距離を置いての仕切り直し。
そして、たったこれだけの攻防に、俺は激しく消耗する。
「ふぅっ……!」
ほんの僅かでも判断に迷えば、即座に斬られる。
少しも気を抜けない戦いだ。
それは向こうも同じはずだが、現状、負わされた傷は俺の方が深い。厳しい状況である。
だがクロンヘイムは
「やはり簡単に押し切らせてはもらえないか。まあ、当然だろうけど……」
半歩を後ろに動き、間合いを調節しながら彼は言う。
『
「そうだ。王都で妹さんに会ったよ」
「唐突だな。今する話なのか」
クールタイムは終わっているはずだ。
だが、彼は不可視の刃を放つではなく、話をしたがった。
「良いじゃないか。名残惜しいんだよ」
名残惜しい。
クロンヘイムはそう口にする。
この戦いを終えることが、俺と別れることが名残惜しいと。
「第二騎士団の団長は、ずいぶんウェットな男なんだな」
「たぶん君も大概だけどね」
殺気を乗せた剣を突きつけ合いながら、しかし俺たちは言葉を交わす。
まもなく、いずれかは世界から去ることになる。
それは確実で、そして双方とも、それは相手であると思っている。
だから確かに、話したいことがあるなら話しておいた方が良いのかもしれない。
「妹は、兄の不始末について責任を追及されただろうか?」
父母の
だが気になってはいたのだ。
そんな俺に、クロンヘイムはにこりと笑って答える。
「追及したがる者たちも居たけど、王女が彼女を許した。だから何の責も負わされてないよ」
「…………」
「黙らなくて良いよ。自分に心配する権利は無い、とか思ってるんなら、そんなことは無いから」
「…………」
「その権利は誰にでもある」
「かもな……」
正道の騎士、ステファン・クロンヘイム。
強くて優しい英雄か。
「さて、終わりは近い。行かせてもらおうかな」
そう言って、彼はゆったりと上段の構えをとる。
そしてそのまま、一拍おいた。
何かを思うような視線を見せ、頭上で剣を強く握る。
それから振り下ろした。
「てぁっ!!」
横へ躱させて、そこへ二撃目を合わせる算段だろう。
そう予測しながら、俺は精神を集中させる。
斬撃の鋭さを僅かに抑制し、俺の対応能力の裏をかいたクロンヘイム。
俺は、彼が放ち得る最高の斬撃には対応し切れていなかった。
だが対応せねばならないのだ。
俺はすべての神経を迫りくる刃に向ける。
目に見えぬそれを心で見る。
クロンヘイムの殺気は刃に乗り、薄暮の中に明々と輝いていた。
それがびりびりと俺の肌を刺す。
分かる。刃が見える。
百パーセントを超えたクロンヘイムの斬撃は、凄まじい代物だ。
だが、その凄まじい斬撃も、もう三回見た。
いけるはずだ。
やれるはずだ。
彼が如何に素晴らしい剣士で、その剣筋が余人に測れぬものであろうとも、三度も見れば対応出来る。
「でい!!」
煤の剣を振り抜いた。
至高を極めたクロンヘイムの斬撃を、黒い刃が捉える。
そして前方で、不可視の刃が消失した。
「ここへ来て……!」
想定外だったようだ。
クロンヘイムは歯嚙みし、しかし予定どおり、二撃目のモーションに入る。
ここへ来て。
それは俺こそ言いたい台詞だった。
事ここに至って、彼の挙動はなお
二撃目を振り入れようとするその動作は、流麗で迫真だった。
その姿に、俺は危険を察知した。
今の斬撃を、更に超える剣が来る。
ここで再度の迎撃を試みるのは、慢心の表れでしか無い。
それを理解した俺は、床を蹴って後方へ跳んだ。
そしてそこへ、クロンヘイムの袈裟斬りが繰り出される。
「!!」
ぞくりと悪寒を感じ、俺は更に床を蹴って
そして俺が着地すると同時、俺の左前方で石柱が両断された。
壁の無いこの広大な空間にあって天井を支える石柱は、どれも直径一メートル近くある巨大なものだ。
その一つが、ナイフを入れられたバターのように、すぱりと斜めに斬られる。
ずず……、と低い音を立て、石柱は斬られたところで斜めにスライドし、崩れ去った。
この巨大な石柱を一刀のもとに両断するあの刃は、やはり凄まじい威力を持っている。
だが、いま問題にすべきはそこじゃない。
この石柱は、射程外にあったはずなのだ。
「もう、なりふり構ってられないからね」
額に汗を浮かべつつ、そう言うクロンヘイム。
そこには疲れが見えた。
どうやら彼は、いよいよケリをつけようとしている。
「…………」
状況は概ね把握出来る。
まず『
剣で受ける限り、風など感じなかったし、いま石柱が両断されるのを見て確信した。
あの刃は空間を断っているのだ。
たぶんヴァルターは、もっと詳しいところまで気づいていたのだろうな。
しかし、魔力の消費が極めて大きいということは俺にも分かる。
だから、継戦能力を維持するための射程とクールタイムが設定されていたのだろう。
巧みな魔力運用で、技に制限をかけていたのだ。
そして今、彼はその魔力運用を止めた。
継戦能力を捨て、不可視の刃に本来の暴威を取り戻させたのだ。
おそらく数分のうちに、彼の魔力は枯渇する。
だが、そうしない限り勝ち切れぬと踏んだのだろう。
「いくよ!」
そう言って、剣を振るクロンヘイム。
同時に俺も振る。
そして手応え。
振った先で不可視の刃が消失したのだ。
やはりクールタイムも短縮されている!
これは危険極まる。
射程もまだ伸ばしてくるかもしれない。
四の五の言わず、突っ込むしか無い状況だ。
俺はクロンヘイムの間合いへ踏み入る。
それを狙っていたかのように、彼は切っ先を俺に向けた。
気づき、すかさず半身になるが、不可視の刃が真っすぐ俺を削っていく。
首を一センチほど斬られ、真っ赤な血が美しい床に飛び散る。
更にクロンヘイムは下段の構えに移行した。
不可視の刃は、まだ連撃出来るのだ。
だが俺は一瞬早く剣の届く距離へ踏み込む。
そして煤の剣を構えた。
しかし、その構えた剣で斬撃には及ばない。
クロンヘイムが斬撃をガードし、カウンターを取ろうとしていることに気づいたからだ。
俺は剣を持ち替え、その柄を彼の
「ごふっ!?」
体をくの字に曲げ、
正道の騎士に似合わぬ姿だ。
そこへ向け、俺は煤の剣を振り上げた。
だが、クロンヘイムは体を曲げながらも、ぎらりと目を光らせる。
そして崩れた姿勢から、しかし完璧な刃筋で斬り上げを繰り出してきた。
近接距離だが、この剣も不可視の刃を纏っている。
退がって躱すことは出来ない。
振り上げていた煤の剣を、俺はすかさず彼の剣へ叩きつける。
消失する不可視の刃。
だが流れはまだ切れていない。
クロンヘイムは、更に連撃の体勢へ入る。
彼は後方へ剣を引いて、居合のような姿勢をとっていた。
鋭いのが来る。
一度逃れるか?
駄目だ。射程が読めないのだ。
刃の射程外に逃れて仕切り直す、というかたちはもう取れない。
クロンヘイムは、背後側に引いた剣を、前方へ向け振り抜いた。
床と平行に半円が描かれる。
俺は、剣戟の常識から外れた行動を選択する。
垂直にジャンプしたのである。
俺の爪先の下を刃が通過し、背後でまたしても石柱が両断された。
そして俺は空中で剣を上段に構え、着地しながら振り下ろす。
「であ!!」
「ぐぅっ!?」
すんでのところでガードしたクロンヘイムだが、衝撃を殺し切れない。
黒い剣先は彼に届き、頭蓋を撫でながら、その額を通過した。
眉間を真っすぐ斬られ、血を流すクロンヘイム。
「やってくれる!」
顔を鮮血に染め、しかし闘志を衰えさせること無く、彼は逆
着地後、俺が選択していたのも逆袈裟だった。
がきりと剣がかち合う。
剣の正面衝突においては俺に、そして煤の剣に分がある。
ここまでの戦いで、クロンヘイムにもそれは分かっているのだ。
彼は
「はぁっ! はぁっ!」
「ぜぇ……はっ……!」
互いに息を荒らげる。
ここで距離を与えるわけにはいかない。
一足先に呼吸を整え、俺は間合いを詰める。
「おおおっ!」
「く!」
クロンヘイムも、いよいよ表情に焦燥を強めている。
だが、その剣はなお鋭さを失わない。
強烈な中段斬りが、不可視の刃を伴って迫る。
しかし、もうタイミングは摑めている。
煤の剣を一閃し、刃を消し去り、そして踏み込んでもう一閃。
スウェーバックで剣から逃れようとするクロンヘイム。
だが、俺の剣は彼の胸を捉えた。
今度はやや深い。
右胸に走った傷は、
「せぇあ!!」
それを意に介さず、後ろへ跳びながら剣を振るクロンヘイム。
不可視の刃は垂直に俺を襲う。
俺は半身になってそれを躱すが、肘を刃がかすめていく。
かすめるだけでも、刃に触れた箇所へ確実に断裂をもたらすその剣。
肘に刻まれた傷は、骨まで到達していた。
「おおおぉぉぉっ!!」
「はあぁぁーー!!」
血と激痛に構うことなく、俺は剣を振る。
クロンヘイムも同じく剣を振る。
荘厳な神殿の一角に、剣の音が響き続けた。
横合いへ跳ぶクロンヘイム。
同時に俺は逆方向へ跳ぶ。
そして息を吸い、すかさず相手の方向へ跳び込む。
一瞬で肺の空気を入れ替え、再び斬りかかるのだ。
クロンヘイムもそれを選択した。
「ロルフ・バックマン!!」
「ステファン・クロンヘイム!!」
剣をかち合わせる俺たち。
終局は近い。
まもなくクロンヘイムの魔力は切れるだろう。
だが。
「ぐ……っ!」
剣戟の中、俺の動きはやや精彩を欠いていく。
先に深い傷を負った分、俺の方が出血が多いのだ。
血を失い過ぎた。
そこへ、大きく振りかぶったクロンヘイムが、全力の上段斬りを見舞ってくる。
「ぜぇぇぇい!!」
「が……あっ!」
剣でガードするも、膝が折れる。
俺は後転して距離を取った。
そしてすぐに立ち上がり、クロンヘイムへ剣を向け直す。
「はぁ……はぁ……」
「ぜぇ、はぁ……」
互いを見据える俺たち。
呼吸を整え、そしてクロンヘイムは言った。
「先に、君にタイムリミットが訪れたようだね」
「…………」
「君は、傷つくことに無頓着すぎた。早い段階で上腕を深く斬られたのは大きなミスだ。もう血が足りないだろう?」
「そうみたいだな……」
彼の言うとおりだ。
傷は両者とも負っているが、太い血管の流れる上腕深くに『
「惜しむらくは、君に十分な経験が無かったことだ。僕は数え切れないほどの戦場を知っているが、君は違う。そもそも戦う機会をたいして与えられなかったんだ」
「…………」
「素晴らしい剣技を持つ君にも、ダメージコントロールという技術は身につかなかった」
確かにな。
鍛錬こそ弛まず続けてきたが、それは一人で剣を振る日々だ。
クロンヘイムに比べれば、実戦の経験は少ない。
「……僕は王国の軍事における一つの記号だ」
「知っている。それが?」
「敗北は許されないんだよ。まして大逆犯と斬り結んで敗れたとなれば」
「戦局に影響するだろうな」
「そういうこと」
クロンヘイムは、散りゆく者に最後の言葉をかけているのだ。
そして自身の記憶に、俺という男を刻みつけようとしている。
「だから僕は、君を殺す」
一歩を踏み出すクロンヘイム。
次に来る『
俺は不可視の刃にギリギリで対応し続けてきた。
出血によって身体能力を損なった状態で躱すのは、いよいよ厳しい。
「クロンヘイム。確かにあんたに比べれば、俺には経験が少ない。だが少ないなりに、俺にも歩んできた道がある」
そう言って、俺は剣を振った。
傍らの石柱に斬りかかったのだ。
「!?」
クロンヘイムは俺の行動の意味を摑み損なっている。
石柱への攻撃は、彼にとって理解の
だが、これこそ俺にとって、経験に基づいた選択である。
ゴドリカ鉱山。
暗い坑道で魔牛カトブレパスと戦った時、俺はこの策を採ったのだ。
壁面が無く、石柱が天井を支えるこの一帯。
クロンヘイムの刃は、すでに二本の柱を崩している。
そして俺は看破していた。
目の前にある柱が、決壊に至る最後の一本であること。
そして、今クロンヘイムが居る位置が、最も危険であることを。
ただ、クロンヘイムと違い、あらゆるものを両断する技など俺には無い。
そしてこの柱は、直径一メートルにも及ぼうかという巨大な代物。
普通は、剣で斬れるものではない。
「おおおおおおおぉぉぉぉぉっ!」
しかし、それは問題ではない。
何故なら、俺の手にあるのは煤の剣。
古竜の炎を浴びた、超硬度超重量を誇る剣である。
そして……。
そして俺は強いのだ。
────ロルフ様は負けません。…………いちばん、いちばん強いですから。
そうとも! 俺の強さを信じる子が居る!
ならば柱一本! 斬れぬはずが無い!!
「おおおぉぉぉ……おおお!!」

ばごりと音をあげ、黒い剣が白い石柱を折り砕く。
同時に、一帯がみしみしと泣き始めた。
建造物の崩壊というものは、始まれば一瞬である。
次の瞬間、この区画の天井が轟音をあげて落ちてきた。
「な……!!」
クロンヘイムの居る位置からの退路は見えている。
彼が跳ぶ先を、俺は完全に特定出来ていた。
俺はそこへ先に跳び、煤の剣を振り入れる。
全力の斬撃。
踏み込んでくるクロンヘイム。
彼は、俺の剣の軌道へ飛び込むかたちになった。
巨石が降りそそぐという状況にあって、彼は警戒心を上へ向けなければならない。
刃を躱すことも、防ぐことも叶わず。
俺の両腕に、どしゅりと響く決定的な手応え。
煤の剣はクロンヘイムを斬り裂いた。
「がっ…………!?」
一瞬、視線を交わす。
「…………」
「…………」
時が止まったかのようだった。
意識が加速し、時間が圧縮された世界。
落ちる瓦礫が空中で静止したように見える。
その中に、俺とクロンヘイムは居た。
視線は互いを捉えながらも、ここに無い世界を
そこでは、俺たちは友になっていた。
ステファン・クロンヘイムは敬愛すべき男。
人品に優れ、剣には学ぶべきところがあまりにも多い。
手を取り合わぬ理由が無い。
肩を組んで笑い合う俺たちの姿が視えた気がした。
「…………」
「…………」
だが、世界は残酷で。
再び時は動き出し、そんな光景も瓦礫の山にかき消える。
そして俺は後ろへ大きく跳び
目の前に、崩れた巨石が降り落ちる。
白い石の群れは、
それが正道の騎士の墓標となった。