「北を抜かれたか」

 大神殿内部。

 イスフェルト侯爵は不快な報告を受けた。

 息子アルフレッドを擁する済生軍本隊が敗れ、撤退に追い込まれたのだという。

 アルフレッドは健在で、この大神殿に退いたうえで再戦に臨むようだ。

 それは良いが、しかし敗れるとは。侯爵は嘆息する。

 北側劣勢との報を受けていたが、アルフレッドが居れば押し返せる可能性は高いと思っていたのだ。

「敵も中々やる」

 短く感想を述べる侯爵。

 東側では済生軍分隊が反体制派に退けられ、予備兵力の第一騎士団を向かわせた。

 南側では第二騎士団がレゥ族と交戦中。

 そして北側では済生軍本隊がヴィリ・ゴルカ連合を前に撤退。

 イスフェルト侯爵の本来の軍である済生軍だけが敗れた格好だ。

 侯爵としては、忸怩たる思いである。

 そして、その北からは敵が大神殿に向かってくる。

 済生軍の本隊と分隊を糾合させ、山頂で迎え撃つかたちになるが、やや厳しい。

 第一か第二が敵を倒して戻ってきたら、まず負けは無いと侯爵は見ているが、それを前提とするわけにもいかない。

「神器をスヴェンに持たせろ。命令だと伝えてな」

「はっ」

 答えたのは、イスフェルト侯爵の側近で、ヨン・リドマンという男だった。

 彼は今、大神殿に置かれた武器、神器の使用を伝えられたのだ。

 それは強力な剣で、スヴェンのように秀でた剣士が使えば大幅な戦力アップが望める。

 大逆犯ロルフはアルフレッドを退けたのだ。彼の強さを侯爵は認めざるを得ない。

 また、報告を聞く限り、ほかにも個の武勇に優れる者は居そうに見える。

 彼らへの対抗措置が必要だった。

 もっとも、神威というものは何の代償も払わずに縋れるものではない。

 神器を持つことで、スヴェンは大幅に体力を消耗し、しばらくは戦えなくなる。

 世にイメージされる神器の神性を保つため、その事実は秘匿されているが、おそらくスヴェンは気づいているのだ。

 だからここまで、神器を持たずに戦っている。

 だが、それを許して良い状況ではない。

 敵が霊峰の頂へ迫っている。

 スヴェンのように強力な剣士には、もっと働いてもらわなければならないのだ。

「それと禁術もだ。使うぞ」

「……やむを得ませんな」

 決定を受け、リドマンは額に汗を浮かべた。

 神器もそうだが、奥の手を避けている場合ではない。

 聖なる御山を守るために、神の徒として、すべきをせねばならないのだ。

「触媒はそろっているな?」

「は。魔族の捕虜が百余名、ろうに居ります」

 神殿という場所にもかかわらず、侯爵たちの足元、地下には牢がある。

 それは聖戦の行使において必要なもので、信徒たちはその点に矛盾を感じない。

 そこには労働力とするための魔族が捕らえられているのだ。

 平素は十数名であるが、今は百名超がそこに押し込められていた。

 禁術を使用しなければならない事態に備えていたのだ。

 よくある話。奇跡を降ろすための生贄である。

 神器に比べ、禁術が求める代償は極めて大きい。

 侯爵としては、この事態に至って欲しくはなかった。

 当然、魔族たちをおもんぱかってのことではない。

 禁術を使うこと自体を避けたかったのだ。

 禁術は、大神殿とその周囲に居る者を焼き払う。

 要は大規模な攻撃魔法である。神殿に迫る敵を殲滅出来るのだ。

 しかも優れた指向性を持っており、魔力を生まれ持った者だけを焼く。

 つまり、魔族を殺すことに特化した魔法であった。

 行使には膨大な魔力が必要で、神威の間と称される、大神殿の二階にある部屋でのみ発動出来る。

 そこでは部屋中に大規模な魔法陣が施されている。

 その神威の間で百名ほどの魔族を殺し、その身に宿った魔力を解放することで、禁術は発動するのだ。

 理論上、おそらく人間を殺しても発動するが、当然のこととして生贄は魔族と決まっている。

「業腹だが……やるしか無いのだ」

 歯嚙みする侯爵。

 百余名の命という代償は巨大だが、魔族の命なのだ。そこは問題ではない。

 問題は、神威に縋る、女神の手を煩わせるという点にある。

 神に頼ることは信徒にとって当然だが、禁術ほどの奇跡となると、それは勝手が違う。

 使用はおおごとなのだ。

 ヨナ教の司教であるイスフェルト侯爵は、そこを重く考える。

 聖なる霊峰に踏み込まれたことは、彼の責ではない。

 だが、苦境に立たされ、禁術を使うに至れば、それは教団内において彼の汚点となる。

 使えることは魔法理論のうえで証明されている禁術だが、今までに使われたことは無い。

 そして、一度使えば二度と使えないとされている。

 それを使ったという事実は、司教イスフェルトにとって大きなマイナスポイントとなるだろう。

 禁術の使用は、政治的理由により躊躇ためらわれているのだ。

 だがやむを得ない。

 大神殿を落とされては元も子も無いのだから。

 イスフェルト侯爵が、保身のためにそれを決断出来ない小人であれば、それは魔族たちにとって幸運だっただろう。

 しかしそうではないのだ。

 厳格な声で彼は命じた。

「地下牢の魔族どもを、神威の間へ移送させよ」

「はっ! ただちに!」

 北側から魔族軍が上ってくる。

 だが、禁術を使うまで時間が稼げれば良いのだ。

 済生軍が彼らを押し留めている間に、術は完成するだろう。

 魔族軍には、大神殿内部へ至り、神威の間を押さえる時間は無いのだ。

 そもそも、そこで禁術が行使されること自体、知りようが無い。

 ほぼ勝敗は決した。

 それを理解しながら、しかしその苦さに苛立つ侯爵だった。



「移送任務だ。戦闘から外しても良い者を何人か回せ」

 山頂で部隊の再編にあたっていた指揮官は、リドマンから命じられた。

 それを受け、数名を差し出す。

「向こうの部隊から……そう、お前らだ。それから貴様も行け」

「は、はい。分かっただ」

 命じられたのはマレーナだった。

 彼女は指揮官から直接下された命令に、恐縮しながら答えた。

「地下牢の魔族どもを別の部屋に移す。滞りなく履行するように」

「禁術か」

 割り込む声。

 それは一兵卒のものであり、侯爵の側近であるリドマンと、上官である指揮官に対して礼を失する態度であった。

 だが彼らは怒声をあげたりしない。

 そこに居る者は、特別なのだ。

「アルフレッド様。お戻りですか」

「あれは一度使えば二度と使えぬ。たびの敵はそれほどか?」

「は。予備兵力の第一騎士団も投入される戦況です」

「……そうか」

 平素は感情を出さないアルフレッドだが、常に無く、機嫌の悪さを表情に滲ませていた。

 禁術を使い、イスフェルト侯爵が権勢を失えば、息子アルフレッドの未来も変わる。

 彼がそれを嫌うことはリドマンらにも理解出来た。

 だがこのままでは敗北もあり得るのだ。

「アルフレッド様。仕方ありません。侯爵様の決定でありますれば」

「分かっている。だが私はまだ戦える」

 禁術は人間には作用しない。

 ゆえに、あの許し難い人間を排除するのは自分だ。

 そう決意するアルフレッドだった。

「ご期待申し上げますアルフレッド様」

 恭しく述べるリドマン。

 禁術が発動すれば勝利は確定するが、それまで敵を食い止めなければならない。

 そのためにはアルフレッドが必要なのだ。

 それにもう一つ、重要な駒がある。

 それを考えるリドマンのもとへ、分隊の者たちが現れた。

 今リドマンの脳裏に浮かんでいた者の姿もある。

「来たかスヴェン。神器を持て。侯爵様のご命令だ」

「リドマン殿。たぶんあれ、持つ人間の魔力か体力をごっそり持ってくでしょう? 嫌なんだが」

「おい、スヴェン……」

 秘匿されている事実を、公然と口にするスヴェン。

 リドマンの声音に剣吞な気配が混ざる。

「ああ、はいはい。持ちますよ。しゃあねえ」

「禁術の使用も決定した。必ず御山を守るのだ」

「じゃあ生贄を大勢殺さにゃならんでしょう。俺がやりましょうか?」

 スヴェンの視線が鋭さを帯びる。

 デニスらを圧倒したものの、軍としては撤退の憂き目に遭っているのだ。

 やや苛立ちを感じているようだった。

 それに気づきながら、リドマンは答える。

「その怒りは戦いで発散せよ。禁術が発動するまでは敵を食い止めねばならんのだぞ」

 戦う力を持たぬ生贄を殺すなど、スヴェンでなくとも出来るのだ。

 最強の剣士である彼には、強力な敵を排除するという役割がある。

「了解しましたよ」

 そう言って、スヴェンは面倒くさそうに大神殿へ入っていった。

 その背を見送り、息を吐くリドマン。

 これで良い。神敵を討ち滅ぼす準備は着々と進んでいる。

「よし、お前らも行くぞ。付いてこい」

「は、はい」

 マレーナたちを伴い、大神殿の地下へ向かう。

 侯爵の無念を共有しているリドマンではあったが、巨大な神威の発現を前に、高揚を感じてもいた。



 デニスは認識不足を恥じていた。

 常に安全マージンを重視する彼は、敵を過小評価したことが無い。

 だが今度ばかりは、予想の上を行かれていたのだ。

 最強と称せられる者たちがここまでだったとは。

 最強がこれほどだったとは。

 頂が、こんなに遠かったとは。

「こりゃあキツイ」

 自身の甘さを後悔すると共に、しかし態度にはそれを出さず、変わらず軽い口調で零す。

 しかしその台詞はいつもと違い、無駄な修飾の無いものになっていた。

 やはり追い込まれているようだ。

 デニスは以前、第二騎士団の戦いを見たことがあった。

 見事に統率された組織の力に目を見張り、これ以上があるのかと疑念を抱いたものだ。

 だが第一騎士団は、間違い無くそれ以上だった。

 正確に言えば、上という表現も当てはまらないように感じる。

 第一騎士団の戦いは、第二のそれとは根本的に違っていた。

 個人がそれぞれ強いのだ。

 突出した強者が居る軍と、弱い者に合わせて統率された軍。

 後者の勝率が高いというのは、軍略における常識である。

 よって魔力というものが存在し、特に強い者が存在し得るこの世界では、そういった者は単独で行動することが多い。

 それほどまでに、統率というものは重要なのだ。

 そしてデニスの目の前に居る第一騎士団。

 当然の如く見事な統率だ。見事な統率なのだが、瞠目すべきはそこではない。

 彼にとってふざけた冗談としか思えない事実。

 全員、強いのだ。

 デニスの隣に居るフリーダは、傭兵の中でも相当に高い技量を持った剣士であり、間違いなく一流である。

 だが第一騎士団の中には、そのフリーダと伍して斬り結ぶ一兵卒も居た。

 幹部クラスではない。一兵卒である。

 デニスに言わせれば、そんなものは軍事による対応限界を超えている。

 天を仰ぎたい気分だった。心底ふざけている。ここまでの軍団が存在するとは。

 実際、第一騎士団は、エルベルデ河以降、更に精強になっていたのだ。

 たいの英雄、エステル・ティセリウス。彼女は、大きな被害を出したエルベルデ河での戦いを事実上の敗戦と捉え、こんにちまで軍を鍛え続けてきた。

 結果、元より最強であった第一騎士団は、今では更に恐ろしい軍団となっている。

 それを可能にしてしまうのが、ティセリウスという人物なのである。

「まあ、不公平なのが世の中なわけだが……」

 デニスは、覚悟を決めねばならないと理解していた。

 死への覚悟である。



「はぁっ……! はぁっ……!

 エリーカが激しく息を吐いている。

 ほかの皆も、消耗が激しい。

 一瞬をせめぎ合う攻防が続き、誰もが疲労の極致にあった。

 僕も、敵も皆、肩で息をしている。

 ただ一人、クロンヘイムを除いて。

………………

 彼は乱さぬ呼吸、乱さぬ視線で、剣を構え続ける。

 何度も斬り込みつつ魔法を放つこちらへの対応に、かなりの運動量を強いられているはずなのだ。

 それなのに、まったく疲れを見せない。

 驚異的な体力だが、真の脅威はあの剣だ。

 不可視の刃を纏う魔法剣、『刎空刃ビヘッドラプチャー』は恐ろしい技だった。

 彼はその技で、何人もの魔族兵を斬り倒した。

 だが、こちらも敵の騎士たちをかなり削っている。

 仲間たちの頑張りのおかげで、僕の魔法は幾度も敵を捉えたのだ。

 クロンヘイムを守る騎士たちは皆凄い精鋭だが、それも大分少なくなった。

 双方、いよいよ終わりが近い。

「英雄ヴァルター、君の魔法はたいしたものだよ。正直、ヒヤッとする場面もあった。部下が守ってくれなければ、僕も危なかっただろう」

「『刺雹スティングヘイル』!」

 仲間に守られているのは僕も同じだ。

 そう答える代わりに、魔法を行使した。

 棘状の氷で刺し貫く魔法だ。

 珍しい魔法ではないが、僕流にアレンジを加えてある。

 氷柱つらら状に伸ばした棘を、敵の足元から直上へ突き上げるのだ。

 これは躱しづらい。

 しかも放射系の魔法を何度も見せた後だ。虚を突けたはず。

 果たして、氷柱は数人の騎士たちの体を貫いた。

 だがクロンヘイムは跳び退すさり、そして剣を振る。

 騎士たちの背後に隠れ、死角から放つ剣閃だった。

「はぁっ!」

「ぐぉあ!!

刎空刃ビヘッドラプチャー』の攻撃範囲外に逃げられなかった味方がやられた。

 だがクロンヘイムとの間に居た騎士たちに傷は無い。

 あれがあの技の、いや彼の恐ろしいところだ。

「魔力運用か……。物凄い技術だ」

「そこに気づくのか。普通は分からないと思うんだけど、やっぱり凄いね。魔族の英雄は伊達じゃない」

 彼の技は風の魔法剣と解釈されているが、実際は違う。

 おそらくクロンヘイムは、誤認をあえて放置しているのだろう。

 あの魔法剣は、空間へ干渉している。

 魔力が通過した空間に断裂を割り込ませているのだ。

 彼が斬った空間は、一瞬、完全に分かたれる。

 結果、そこにあった存在は、逃れようもなく切り離されてしまうのだ。

 この魔法は炎や風とはわけが違う。

 とんでもない量の魔力を食うはず。

 普通は使用に耐える技じゃない。

 クロンヘイムは、それを巧みな魔力運用でカバーしているのだ。

 空間への干渉を常時発動させず、剣を振り、インパクトの瞬間だけ、その箇所に断裂を発現させている。

 すなわちあの刃は、対象に触れる時だけ存在するのだ。

 それ以外の時は、剣の延長線上にただ魔力の帯が放出されているのみである。

 魔力は、事象として顕現することで初めて意味を成す。

 炎や風を起こしたり、武器や防具を覆って力を付与したり、身体能力を強化したりだ。

 事象化する前の魔力はただの無害な粒子だ。当然だろう。人の身に宿されているのだから。

 それは障壁で防げない。

 そのため、あの技は障壁をすり抜け、かつ周囲の味方を巻き込まずにいられるというわけだ。

 そこまでやって刃の発現を最小限にし、かつ十分なクールタイムがあって、やっと実戦で使えるのだ。

 絶技を、極限までエネルギーコストを下げて行使する。彼の強さは、その魔力運用の巧みさにあった。

 いや、巧みという言葉では不足だろう。余人には不可能な、凄まじい技術だ。

 見事な剣閃と、派手な技に目を奪われた者は、そこに気づくこと無く敗れてきたのだ。

「エリーカ。勝負に出る」

「分かった。策を言って」

 何も問い返さず了承するエリーカ。

 彼女は常に、僕を信じてくれる。

 この信頼があればこそ、僕は戦えているのだ。

「彼の強さはハイレベルな魔力運用に支えられている。その魔力運用の邪魔をするんだ。要するに、間断ない攻撃で畳みかけるのが最適解だ」

「でも畳みかけるのに失敗したら、二分後にあれが来る。それが問題ってことね?」

「二分というのは信用出来ない。実際はもっと短いに違いない」

 クロンヘイムは、あえて実際より長いクールタイムを見せている可能性がある。

 いや、可能性と言うより、それを前提とすべきだろう。

「でも一度の攻撃で畳みかけなければ、勝ち筋は無い。僕も突撃する。次のターンで仕掛けよう」

………………

 押し黙るエリーカ。

 僕の言葉に、そうなものを感じ取ったのだろう。

 昔から彼女には隠しごとが出来ない。

「エリーカが言うとおり、魔力運用の邪魔に失敗したら、あの刃が襲ってくる。それも恐らく、二分のクールタイムを待たずに」

………………

「そうなっても、なお畳みかける。何人かは斃れることになると思う。でも、これしか無い」

「……そうね。分かったわ、ヴァルター」

 彼女には状況が見えている。

 このままいけば、先に削り切られるのはこちらだ。

 覚悟を決めて行くしか無い。

 要するに特攻だが、それがベストなのだ。

 恐ろしい暴威とあいたいした時、その懐に飛び込むのが最善であることは、しばしばある。

 今がそれだ。

「済まない」

「謝んないでよ。私はヴァルターを守るために居るんだから」

「エリーカ……」

 視線が絡み合う。

 子供のころから、ずっと僕の傍に居てくれるひと

 いつも僕を守ってきてくれた人。

 見せたいものだよ。

 君が守ってくれた僕は、こんなに強くなったって。

「作戦会議は終わったようだね? もう次の攻撃の分のチャージは出来てるけど、良かったのかな?」

「みんな! 次のを躱したら、一気に仕掛けるわよ!」

「心を決めたか。なら見せてもらおう!」

 やや語気を強め、クロンヘイムが剣を振るった。

 皆、大きく跳び退すさる。

 何人かが刃に捉えられ、崩れ落ちた。

 それを横目に歯嚙みしつつ、僕たちは突っ込んでいく。

「はあぁぁぁぁっ!!

 エリーカの剣がひらめく。

 過去最高の美技。

 騎士の一人を、一刀のもと斬り伏せた。

「ぬぅおおおおぉぉぉ!!

「ぜえぇぇぇい!!

 ギードとグンターも必殺の気合いで槍を突き込む。

 ここですべての力を使い切るつもりなのだ。

 そして、負けじと僕も飛び込む。

「『圧刻コリジョンカーヴ』!」

 僕は杖を捨て、風系の近接魔法を詠唱した。

 そして拳を振るう。

 拳の先で、ぼこりと音がして騎士の鎧がへこんだ。

 圧縮した空気を両手に纏い、叩きつける魔法だ。

 クロンヘイムの刃に比べれば威力にも射程にも劣るが、近接距離での連打力がある。

 今は、細かい手数が必要なのだ。

「だああぁぁぁぁぁぁっ!

「ぐ……がはっ!」

 騎士が沈む。

 僕は何度も拳を振り、敵たちに圧縮空気を叩きつけた。

 エリーカらも、全力で攻撃し続ける。

 ここが勝負のきわだ。

「せいっ!」

「でぇぇあっ!」

 ひたすら攻撃を続ける。

 そろそろ二分が過ぎるが、不可視の刃はまだ来ない。

 おそらく、クールタイムはもう終わっているはずだ。

 だが、魔力運用の阻害が効いているのだ。

「ぐぉあ!!

 ついに、騎士を倒し切った。

 あとはクロンヘイムただ一人!

「単なる特攻ではなく、手数で……! なるほど、僕が魔力を練るのを邪魔したいわけか!」

 クロンヘイムが初めて表情を歪ませる。

 しかし退こうとはしない。

「だが! それでも君たちに勝ちは無い!」

 向こうも回転を上げ、剣を振り立てる。

 こちらの攻撃を純粋な剣技で迎撃していく。

 僕たちも数で圧倒せんと押し込む。

 まだ不可視の刃は来ない!

 まだ行ける!

「うおおぉぉぉぉぉ!!

「ぐぅっ!」

 手応えがあった。

 圧縮空気の一つが、クロンヘイムの肩口を捉えたのだ。

 おそらく誰も聞いたことが無い、クロンヘイムのうめき声が響く。

 だがもんに歪む彼の表情には、強い意志が込められていた。

 ぎらりと光る瞳が、僕たちを捉えている。

「来るぞ!!

 僕が叫ぶと同時に、クロンヘイムが剣を振る。

 ほぼ予備動作なしの中段斬り。

 全員が回避行動に移った。

 僕は思い出していた。

 先日のアーベルでの模擬戦を。

 彼は。

 竜が好きで、僕と趣味の合うあの新しい友達、ロルフは、僕の『風刃ブリーズグリント』をすべて迎撃していた。

刎空刃ビヘッドラプチャー』ほど強力ではないが、あれも目で捉えるのは不可能な魔法であるはずだ。

 しかし殆ど見えないはずの風の刃を、彼はすべて捕捉していた。

 そう、目に見えるか見えないかは重要ではないのだ。

 ましてクロンヘイムの刃は、剣の延長線上にしか存在し得ない。

 ならば躱せるはず!

 思い出すんだ。

 ロルフの姿を!

 彼は、恐れることなく刃を迎え撃っていた。

 そうだ! 恐れるな!

 僕は退きたがる体を奮い立たせ、クロンヘイムの手元を注視する。

 そして刃がこちらに到達すると感じた瞬間、身をかがめた。

 頭上を魔力の帯が通過するのを感じた。

 そして僕はどこも斬られていない。

 見ると、ギードとグンター、そしてエリーカも伏せて、刃を躱している。

 しかし、ほかの皆は……。

 だが、ここだ!

 ここで行くしか無い!

 クロンヘイムが剣を振り抜くと同時に、僕たちは再度飛びかかった。

 こちらも、もはや前衛をほぼ失った。

 距離を取っての魔法攻撃に戻っても、彼が相手では勝ち目が無い。

 ここで決めるしか無い!

!!

 瞬間、背筋に悪寒が走る。

 クロンヘイムの目には、まだ意志が込められたままだ。

 彼は振り抜いた剣を反転させ、再び逆方向への横薙ぎを放った。

 連撃……!

 あの刃は、一度のクールタイムで二度振れたのか!

 彼はこれを、ここまで見せずに戦ってきたのだ!

 ステファン・クロンヘイム!

 これほどだったとは!


 ────ざしゅり


 肉を裂く、嫌な音。

 それ以上に嫌なのは、僕の頭を押しつけ、伏せさせる手のひらの感触。

 だって、それは。

「グンター……」

 目を上げると、咄嗟に僕を伏せさせたグンターがそこに居た。

 玉の汗が浮かんだ顔は、笑顔だった。

 そして、胸に直線が。

 切り取り線のように真っすぐな線が入り、そして。

 そこから体が二つに分かれた。

「う……おおおおぉぉぉぉぉ!!

 昔の僕なら、ここで自失して、そしてただ殺されていただろう。

 でも、今は違う。

 勝つんだ!

 命に報いるんだ!

 クロンヘイムは剣を振り終え、元の構えに戻した。

 三連撃は無い!

「来い! 英雄ヴァルターとその盟友たちよ!」

 クロンヘイムがえる。

 僕は『圧刻コリジョンカーヴ』に残りすべての魔力を込め、彼に飛びかかった。

 エリーカとギードも、最後の攻撃に賭ける。

 ここに至ってもクロンヘイムは強い。

 振り入れられる剣を払い、突き込まれる槍を躱し、なお剣を見舞おうとしてくる。

 五合、十合、二十合と打ち合い、皆の息が続かなくなってくる。

 それでも、止まることは出来ない!

 勝たなければならない!

「でぇぇあぁぁ!」

 クロンヘイムが雄たけびをあげる。

 彼も、気合をもって自身を奮い立たせているのだ。

 向こうも追い込まれている。もう少しだ!

「せやあぁぁぁ!

「ぬおおぉぉぉぉぉ!

「はあぁぁーーー!

 僕ら三人も、すべての気力を振り絞る。

 一瞬が無限に感じられる時の中、拳と剣と槍を、ありったけ叩きつける。

「そこだっ!」

 叫んだのはクロンヘイムだった。

 狙われたのは僕だ。

 近接戦闘に長けたものを持たない僕に、隙が生じたのだった。

 真っすぐ突き込まれてくる、クロンヘイムの剣。

 あ……。

 すべてがスローモーションに見える。

 顔に、ついぞ見たことの無い焦燥を浮かべ、エリーカが割って入ってきた。

 ────私がヴァルターを守るからね

 それは、小さいころからの彼女の口癖。

 今なお、それを為そうとしている。

 でも、僕には見えてしまう。このまま彼女が突き殺されれば、そのままクロンヘイムはもう一歩を踏み込み、僕も斬る。

 タイミングも角度も、完全に整えての剣閃なのだ。

 やはりクロンヘイムは別格の剣士だった。

 しかし、クロンヘイムもすべての未来を見通しているわけではない。

 彼が描く、僕たちの殲滅という結末を回避するために、僕は動いた。

 考えるより先に、体が動いていた。

 そうするべきだと、心の深いところで感じたのだろう。

「エリーカッ……!!

 腕を伸ばし、彼女の体を押しのける。

 いつの間にか、その体はずいぶん軽くなっていた。

 そして『圧刻コリジョンカーヴ』で彼女を吹き飛ばす。

「ヴァル……ッ!?

 腹に痛み。

 何かが貫通した。刺し貫かれた。

 だが構わない。

 手のひらを眼前に突き出す。

 最後。これが最後だ。

 すべてを叩きつけるんだ!


「『雷招ライトニング!!


 ────ほらヴァルター、泣かないの。本を取られたぐらいで

 ────だって

 ────まあいいわ。取り返してきてあげる。また何かされたら言うのよ

 ────………………

 ────ほら、大丈夫だから立ちなさい。私がヴァルターを守るからね

 ────………………

 ────ヴァルター。ほら立って

 ────…………ぼくも

 ────うん?


 ────ぼくもいつか、エリーカを守るから



 自分の名はトマス。

 兵隊です。

 今、自分が感じているこの感情が何なのか、どうにも説明が難しく。

 剣戟音の響く戦場にあって、間違いなく恐怖は感じています。

 兵としてこれを感じなくなったら終わりですから。

 加えて、高揚もあります。

 たぶん恐怖を薄くするための防衛本能なのだと思いますが、戦いへの熱も感じるのです。

 ですがそれだけではありません。

 恐怖とも高揚とも違う、何かが胸の真ん中に居座るのです。

 そこに引っかかりを感じながら、剣を手に戦います。

 我々は霊峰ドゥ・ツェリンに攻め入ったのです。

 戦う相手は、かの済生軍。

 目指すは山頂、大神殿。敵の本丸です。

 敵軍の隊列を踏み越えて行かなければなりません。

 行かなければならない。

 そうです、この感情。

 使命感。

 これは使命感に違いありません。

 いや……何に対する使命なのでしょうか。

 使命などという大仰なものが、ただの兵士である自分にあるというのでしょうか。

 しかし、ここにあるこれは、確かに使命感なのです。

 使命感。使命感か。

 本当にそんなものを感じて良いのかどうか。

 なにせ自分は今、人類に仇なしています。

 この霊峰は、人々の聖なる信仰の象徴です。

 国も、信教も、人々のなのです。

 それは疑いようの無い事実でしょう。

 そして自分は今、それに対して剣を向けています。

 あり得ぬ蛮行。

 許されざる愚挙。

 そのはずなのに、信じています。

 自分が今、正しいことをしていると。

 自分は、自分こそは、誰にも恥じぬ人間であると。

 そうだ。信じています。

 そして、信じたものを、証明しようとしています。

 それが使命感。

 自分に対する使命感。

 自分が信じたものに対する使命感。

 自分には今、それがあるのです。

「トマス! 前を崩せそうだ! 行けるか!?

「ああ! 行こう!」

 傍らで声をあげるのは、相棒のダン。

 バラステア砦に赴任した時に知り合った友人です。



 ひょろりと背ばかりが高い自分に対し、背は低いが筋肉質の、ずんぐりとしたダン。

 我々はその風貌から、でこぼこコンビなんて言われたものです。

 バラステア砦での任務はキツいものでした。

 なにせ、あの砦は死地と呼ばれていたのです。

 日々、厳しい戦いの連続です。

 自分もダンも、剣は得意な方でした。

 それでどうにか生き延びることが出来ていましたが、しかし明日をも知れぬ身だったのです。

 ある日、激務の果てに司令官が病を得て倒れました。

 それを受け、代理として赴任してきた人物には驚かされたものです。

 騎士団を追放された人物で、しかも何と、女神の加護をまったく持たないとか。

 自分もダンも、そんな人間が居るのかと嫌悪を感じました。

 本来、地上に存在し得ない人間なのです。

 周りの仲間たちも皆、彼を嫌っていました。

 しかし彼の仕事ぶりは確かなもので、砦の戦況は大きく好転します。

 それでも皆は彼を嫌悪し、それは自分も同じでした。

 ただ、そのころ何か、自分は恥のようなものを感じていたのです。

 彼によって生命を守られているのに、彼を疎んじるのは理屈に合わないような気がしました。

 あくまで気がするのみ。

 しかし、気がする、とはおかしくないか?

 命を守られているのに、どうしてそんな感想を?

 どうにも、何かが変です。

 彼は以前、相手が魔族であっても民間人を害するのは間違っているとし、辺境伯と衝突したと聞きました。

 それを聞いた者は皆、何と愚かなことかと嘆息します。

 そう。魔族に対してそのような考え、確かに愚かです。愚かなはずです。

 しかし、どうも心の折り合いがつきません。

 自分は、どこかおかしいのでしょうか。

「ダン。司令官の考え方をどう思う?」

「それは……愚かな考えだろう。やはり……」

 意を決して問う自分に、ダンは答えます。

 しかし、どうにも奥歯にものが挟まっているような回答でした。

 ダンも、自分と同じような考えに囚われているのではないか?

 そう思うのでした。

 そのうえあの司令官は、剣の腕が凄かったのです。

 基本的には指揮卓に居ますし、魔力が無くては剣に意味などありません。

 しかしどういうわけか、訓練の際に見せるその剣技は、およそ理解の外にある代物でした。

 皆はそのことを、特に気にしません。

 ですが、どうしてもくだらぬ者の剣技には見えないのです。

 自分もダンも、剣は人並み以上に振ってきました。

 だからか、どうしても司令官の剣技が気になったのです。

 その後、彼は反旗を翻し、砦を落としました。

 大事件に皆が泡を食っていましたが、自分はどこか得心します。

 ああ、やはり。何となくそう思ってしまいました。

 彼は、の民を守るために行動を起こすのではないか。そんな気がしていたのです。

 無辜の民。

 魔族のことか?

 魔族が無辜?

 自分の考えが分かりません。

 その後、解放された砦の兵たちは、他領に移ったり、この地で職に就いたりしました。

 自分はダンと共に、アーベルで日銭を稼いで過ごすことに。

 剣を活かし、警護などを主とした日雇いです。

 日雇いとは言え、食い詰めることなく暮らすことが出来ました。楽な暮らしではないものの、しかしこれは意外です。

 アーベルでは、人間と魔族によって善政が敷かれていたのです。

 価値観が揺らぎます。

 ある時、自分はダンを誘ってバラステア砦を訪れてみました。

 そう時間も経っていませんが、懐かしき職場です。

 若干の感慨を自覚しつつ訪れたそこでも、人間と魔族が協業していました。

 ここは物流の中継地なのです。

 そう。ヘンセンと旧ストレーム領で、種族によって分かたれていた両地域で、物が流通しています。

 そして砦では、人間と魔族が共に話し合い、仕分けに荷運びにと、協力して働いていました。

………………

 沈黙する自分とダン。

 眩しい光景、のような、気がします……。

 司令官が求めていたのは、おそらくこれだったのです。こういう世界を望んでいたのです。

 いや、正確にはこれもまだ、途上の光景なのでしょう。

 しかし自分が見る限りこれは、もと居たあの世界より良いような気がします。

 ……いや、良い。この世界の方が良い。

 見ると、ダンが、感情の読み取りにくい表情をしていました。

 たぶん自分も今、同じ表情をしているはずです。

 名状し難い感情を持て余すように、自分たちは砦を歩き回りました。

 そして、自分とダンが掃除を担当していた武器倉庫へ、何とは無しに足が向きます。

「わあ! ここでおとうさんが働いてるんだね!」

「うん! すごいよね! えへへへ!」

 子供。

 そこには魔族の子供が居ました。

 どうやら父親がこの砦で働いており、その職場を見物しているようです。楽し気に、はしゃいでいます。

「あ! もしかして人間のひと?」

「こんにちは!」

………………

 魔族の子供たちは、自分とダンを見つけ、声をかけてきます。

 無邪気な笑顔。

 ですが自分とダンは答えません。

 目の前で微笑む邪悪の象徴に、何と答えて良いのか分からないのでした。

 そう。彼らは邪悪。

 …………邪悪な、はず、なのです。

 その時。

 門の方から大きな音が響き、次いで悲鳴と怒号が聞こえてきました。

 これは……?

 子供たちは、笑顔から一転、不安そうな顔をしています。

 それはそうです。いよいよ剣戟音まで聞こえてきました。

 ややあって、彼らは現れます。

 王国騎士です。

「こっちに魔族が居るぞ! ガキだ!」

「逃がすな! 殺れ!」

「えっ……? えっ……?

 子供たちは、ぶつけられる敵意に困惑し、そして悲しんでいます。

 突然の非日常。

 突然の暴力。

 これがこの世界における、魔族へ与えられた環境なのです。

…………ダン」

「……なんだい、トマス」

「今、同じことを考えているかな?」

「ああ。どうやらそのようだよ」

 まずあり得ないはずの判断に及ぶ自分とダン。

 もし我々に家族や立場があったら、こうもシンプルにはいかなかったでしょう。

 その日暮らしの兵隊崩れなど、気楽なものだと思うのでした。

「子供。その倉庫に入っていなさい」

「え……?」

「倉庫だ。そこに入って、決して出てくるんじゃないよ」

 そう言って、腰の剣を抜く自分とダン。

 相手は正規の騎士です。

 やれるのか? これで死んだら、あまりにも愚かです。

 でも自分たちは、決して愚かなどではありません。

 意味の分からない感情が湧出します。

 しかし正しい。これは正しい。

 いま自分たちは、正しいことをしているのです。



 数か月後。霊峰ドゥ・ツェリンに自分とダンは居ました。

 我々が参加するヴィリ・ゴルカ連合は、敵の隊列を突破し、いよいよ山頂に至ります。

 不思議と、中腹よりこのあたりの方が霧が薄く、視界が開けてきました。

 そしてその視界に現れたのは、巨大で荘厳な大神殿。

 我々はついに、敵の本丸に至ったのです。

 その我々に向け、矢と魔法が飛来します。

 済生軍は山頂で糾合し、隊列を組み直したようです。

 組織立った動きで展開し、攻撃してきました。

 それに対し我々は、定石どおりに障壁を張り、少しずつ距離を詰めていきます。

「くっ……! さすがに厳しい!」

 ダンが漏らしました。

 そう。敵の攻撃は極めて激しいものになっています。

 彼らの背後にあるのは本丸なのですから、敵も必死です。

 ここはじっくり時間をかけて……。

「おい、トマス!」

 焦燥に叫ぶダン。

 彼が指さすのは、右前方の岩場です。

 岩陰に隠れて矢から逃れる魔族兵が居ます。

 彼は腹から出血しています。

 やや深い負傷に見えました。

 その岩場へ、敵が四人ほど、少しずつ近づいていきます。

 彼は負傷で動けません。

 このままでは殺されるでしょう。

「いかん! 行くぞダン!」

「よし!」

 飛び交う攻撃の中、我々は走り出します。

 身を低くしての全力疾走。

 岩場までの二十メートルほどを駆け抜けました。

 そして、負傷者の居る岩陰に滑り込みます。

 矢が、自分の頰をかすめました。

 間一髪です。

 ですが、気を抜くことは出来ません。

 この岩場には、今まさに敵が近づいてきているのです。

 すぐにも離脱しなければなりません。

 負傷者を見ると、やはりかなり出血していました。

 急いで回復班のもとへ連れて行かなければ。

「おいあんた! 立てるか?」

「しっかりしろ!」

 彼はぐったりしていましたが、声に反応して薄く目を開けました。

 そして、その目を見開き、我々を睨みつけます。

「に……人間か!」

「我々は味方だ! ここを離れるぞ! さあ、自分が背負う! 急ごう!」

「だ、黙れ! 人間など……信用出来るか!」

 彼は、差し出された手を払いのけました。

 瞳には激しい憎悪が浮かんでいます。

「失せろ! 俺に……俺に触るな!」

「自分はトマス。彼はダンだ。あんた、名前は?」

「ぐぅ……! 人間に……名乗る名など、な、無い! アデリナを殺した……人間などに!」

 出血で消失しそうになる意識を、怒りで繫ぎとめて叫ぶ男。

 彼は大切な者を亡くしたようです。

 人間に奪われたのです。

「トマス! 敵が来たぞ!」

 我々の居る岩陰へ敵が至りました。

 彼らは、我々を見て顔に怒りを浮かべます。

「人間……? 貴様らも裏切り者か!」

「おのれ!」

 自分とダンを恥知らずだと思っているようです。

 敵は四人。槍を一斉に突き込んできます。

 ですが、怒りに満ちた槍は鋭さに欠けていました。

 これは対応出来ます。

 ヘンセンでの特訓が活きるというものでした。

「せっ!」

「であ!!

 ダンとは一瞬で意志の疎通が出来ました。

 先頭二人の槍を同時に払い、そして彼らの真横へ踏み込みます。

 すかさず、後ろの二人へ剣を突き入れました。

 これも、ダンとまったく同時です。

「ぐぁっ!」

 間髪を入れず次の敵へ向き直ります。

 再び突き込まれる槍をギリギリで躱し、下段からの振り上げを見舞いました。

「がは!」

 今ひとりの敵はこちらに向かわず、負傷者に向け槍を構えていました。

 しかしダンはすでに動いてます。

 彼は負傷者との間に割って入りました。

「づっ……!

 槍に横からぶつかり、軌道をそらすダン。

 そして腕と脇腹で槍を挟み込みます。

 若干、脇腹を穂先が通過しましたが、負傷は大きくありません。

 そして槍を制したまま、ダンはもう一方の手で剣を突き入れました。

「ぐぅ!」

 喉に剣を受け、敵は崩れ落ちます。

 これで四人。何とか撃退出来たようです。

「よし! すぐに離れるぞ!」

「……ぐ、ぐ……。ちく、しょうめ……」

 負傷者の顔は屈辱に歪んでいます。

 我々に助けられることを認められないのでしょう。

 自分は膝をつき、彼の肩に手を置きます。

 それから再度問いかけました。

「あんた。名前は?」

「だま、れ……」

「お願いだ。名前を」

…………ク、クンツ、だ。もういいだろ。失せろ……」

「よしクンツ。あんたはトマスとダンが助ける。さあ、自分の背に」

「いけ、よ……」

 がしゃりと音がしました。

 隣でダンが膝をついた音です。

 そして彼はクンツの襟首を摑み、叫びます。

「いいかげんにしろ!!

 にんに対して乱暴ですが、ダンはそうせずにいられなかったのです。

 我々も、魔族への憎しみに囚われて戦っていた者。

 理解出来てしまうからこそ、腹立たしいのです。

「アデリナが誰かは知らんが、いいか! 絶対に! 絶対に、アデリナはあんたがここで死ぬことを望まない!!

「……だま、れ……」

「命も! 未来も! 憎しみに明け渡す気か! 馬鹿げていると思わないのか! アデリナが泣くとは思わないのか!」

…………

「誰が何と言おうと、あんたを助ける! 黙って助けさせろ!!

…………

 ダンは温厚な男ですが、本気で怒っています。

 クンツの憎しみは分かります。

 ですが、命と未来に対して不誠実であって良いはずがありません。

 それらを捨てようとするクンツに、ダンは激しい怒りをぶつけました。

 そんな怒りに満ちた顔を、閉じかけた目で見つめるクンツ。

 自分はダンの腕に手をやり、クンツの襟首を放させました。

「さあ、行こうクンツ。我々のままならぬ怒りについて、後でゆっくり話せると良いのだが」

 そう言って自分が背を向けると、少しの沈黙を置いて、クンツはその背に乗ってくれました。

 そして自分が立ち上がると同時に、ダンが周囲を確認します。

「よし、行けるぞ! 走れ!」

 我々は駆け出します。

 クンツを救うため、回復班の居る方へ向けて急がなければなりません。

 背のクンツが、ぼそりと何かを言った気がしました。



 デニスの耳が、不穏な声を拾う。

 あいたいする第一騎士団の中で、伝令が伝える声だった。

 あえてデニスらにも聞こえるようにしているようだ。

 ────南側の戦線で第二騎士団勝利

 ────クロンヘイム健在


 ────ヴァルター撃破


 どうやら虚報ではないようだ。

 レゥ族は敗れたらしい。

 そして、ヴァルターも死んだという。

 デニスは、アーベルの会合で会ったヴァルターの顔を思い出した。

 縁ある者の死は何度目か。

 数え切れないが、しかし縁ある魔族の死は初めてだった。

 この戦いに勝ち、生きて再会出来たら、我々の関係も変化するかもしれない。

 ヴァルターとは、そんな言葉を交わした。

 だが、その機会は永遠に失われたのだ。

 デニスは、魔族の死に胸を痛める自分に気づく。

…………たいした進歩だ」

「『火奉輪レヴィアクリメイト』!」

 その時、離れた場所で魔法剣の炎が燃え上がる。

 声はエステル・ティセリウスのものだった。

 彼女もほかの英雄たち同様、前に出て自ら戦うと聞いている。

 それを思い、デニスはいよいよ焦燥を強めた。

 精強極まる騎士たちに加え、ティセリウスの剣は信じ難いほどの暴威だった。

 それを前にした反体制派の被害は甚大である。

 第一騎士団は、手に負える相手ではなかったのだ。

「デニス、大丈夫かい?」

「フリーダ、綺麗になったな。お前さんの花嫁姿を見たかったよ」

「おいやめなって!」

 台詞の不吉さもさることながら、父親のような物言いに寒気を覚えるフリーダ。

 だが、台詞には若干の本気が含まれているようだ。

 フリーダの目には、デニスが死を覚悟しているように見えた。

「いいかい! 諦めるんじゃないよデニス!」

 デニスの軽い口調は、苛烈な人生を誤魔化すためのもの。

 そのことをフリーダは理解している。

 ゆえにこそ、いよいよその表情に現れ出した悲愴感にも気づくのだ。

 そしてデニスにしてみれば、覚悟を決めているのは事実だ。

 だが、必ずしも死を受け入れているわけではない。

 戦いを諦めて逃げ去るという選択肢も出てきてしまったのだ。

………………

 撤退すれば、第一騎士団は追ってこないだろう。

 デニスたちにも聞こえるようにレゥ族の敗北を伝えたのは、それを意図してのことだ。

 要は、とっとと失せろと言っている。

 結果、反体制派はただ多くの仲間を喪ったのみで戦いに敗れるが、全滅は免れる。

 反体制派の危機に加え、レゥ族も敗れたとあっては、もはや全体での敗色も濃厚なのだ。

 そして戦前に取り交わしたとおり、彼らは同調して攻め込んでいるのみで、積極的な同盟関係にない。

 となれば無理をするべきではないのだ。撤退が正解である。

「でもなあ……」

「デニス?」

 南側でレゥ族軍に勝った第二騎士団は、山頂へ戻る。

 大神殿の守りに入るだろう。

 そこへ第一まで戻らせては、残ったヴィリ・ゴルカ連合も確実に敗れる。

 ロルフがいかに強くとも、ティセリウスとクロンヘイムを同時に相手取って勝てるチャンスなど無い。

………………

 だが、それが何だと言うのだ。

 デニスは自問する。

 彼にとって大事なのは自分の部下たちで、ロルフや魔族たちがどうなろうと知ったことではないはずだ。

…………つっても、それやったらフリーダに嫌われちゃうしなあ……」

「?」

「それに見たいよなあ」

「何が? 分かるように言いなよ」

「フリーダ。ロルフ殿は本気で望んでるらしいよ。人間と魔族が手を取り合う世界をさ」

 今日、戦線をたがえながらも、共に強敵と戦った。

 少し離れたところで同じく戦っている仲間が居る。

 厳しい戦いのただなかにあって、その事実は思いのほか支えになっていた。

 デニスが自覚しているかは定かではないが、この戦いは、彼の心に意味ある変化をもたらしているのだ。

「俺ねえ、やっぱり見てみたいよ。その世界」

「だったら! 勝たなきゃ駄目だ!」

「そりゃそうだ」

 覚悟をより深めなければならなかった。

 そして覚悟を決めるなら、すぐが良い。

 特に戦場では。

「よし、それで行こう」

「それって?」

「第一騎士団をこの戦場に引き留める。分かるよな、フリーダ」

「……!」

 ロルフに託す。

 彼らが第二騎士団と済生軍を討ち、大神殿を制圧する。

 それを信じて、自分たちは第一騎士団を釘づけにするのだ。

「ああ、やろう!」

 フリーダは力強く即答する。

 本当、いい女になったよなあ……。

 胸中にそう呟くデニスだった。



 霊峰南側、麓付近。レゥ族本陣。

 そこに彼らは居た。

 霊峰に踏み入り、第二騎士団と交戦し、そして敗れた兵たち。

 継戦不可となり、麓まで撤退してきたのだ。

 誰もが沈痛な表情で押し黙っている。

 その中で一人、とりわけ重い空気を纏う女。

 簡易椅子に腰かけ、上体を倒したまま顔は地面を向いている。

「エリーカ……」

 その人物、エリーカにギードが話しかける。

 ギードもまた心身に傷を負っている。

 激戦に負傷し、仲間を喪ったのだ。

 だが、ギードには分かっている。

 生き残った者のうち、最も傷を負っているのはエリーカなのだ。

 ヴァルター。

 幼いころからエリーカと共にあった存在。

 いつもエリーカの後ろを付いて歩いていた気弱な少年。

 彼は成長し、強さと、そして正しさを得て戦場に立ち。

 エリーカを守って死んだ。

 彼女を押しのけ、自らクロンヘイムの刃に立ち向かったヴァルター。

 自分の身を優先すべき最重要戦力として、軽挙にも見える行動である。

 だがヴァルターには分かっていたのだ。

 あのままでは、彼もエリーカも斬り伏せられていた。

 だから彼は、せめてエリーカだけでも逃がしたのだ。

 自身を盾として。

 ギードには、彼の決意が理解出来た。

………………

 武人としての自分を誇るギードは、膝をついて嘆き悲しむことは無かった。

 だが、胸を締めつける強い悲しみを無視することは出来ない。

 ヴァルターも、そして長年の相棒、グンターも死んだのだ。

 しかし、それでも彼は進言せざるを得ない。

 まだ仕事があるのだ。

「……エリーカ。今は、この後のことを考えなければ」

 彼女は族長の娘で実績もあり、リーゼ同様、軍の幹部に収まっている。

 ヴァルター隊に専念してはいたが、生き残った者たちの中では序列が高く、敗戦処理に責を負う立場にあるのだ。

………………

 しかしエリーカは黙したまま動かない。

 ギードは無骨なばかりの男だが、彼女の気持ちは分かるつもりだった。

 彼女にとってヴァルターは特別だったのだから。

 だがギードがいま考えたいのは、死んだ者たちの思いについてだ。

 彼らの思いを無下には出来ない。

 その死を、無意味なものには出来ない。

「……エリーカ。グンターはヴァルターを守って死に、そのヴァルターはエリーカを守って死んだ。お前が為すべきを為し、責を全うしてこそ、彼らは浮かばれるのだぞ」

 ヴァルターがエリーカのために死んだという事実。

 今それを突きつけるのは残酷である。

 だが、言わなければならなかった。

………………

 しかしエリーカは動かない。

 俯いた顔に髪が零れ、表情はまったく見えなかった。

 ヴァルターのことを考えているのだろうか。

 それとも、何も考えることが出来ずにいるのだろうか。

 続けてかけるべき言葉を見つけられないギードだった。


 ────雷招ライトニング!!


 ギードの耳に、ヴァルターの最期の叫びが残っている。

 彼はクロンヘイムの剣に刺し貫かれながらも、至近から雷を放った。

 受けた剣は致命傷だったが、それでも絶命の瞬間まで立ち向かったのだ。

 しかし、ギードにとって思い出すだに無念な、あまりにも無念なことに、ヴァルターはその雷でクロンヘイムを討つことは出来なかった。

 クロンヘイムは剣を捨てて退いたのだ。

 あそこまでの激戦の中にあっても、なお残してあった体力と、そして恐るべき身体能力で、彼は一気に跳び退すさった。

 あの時、『圧刻コリジョンカーヴ』を行使するため杖を捨てていたヴァルターの魔法は、指向性を失っていた。

 そして最後の最後で運はクロンヘイムに味方する。

 大きく散った雷は、クロンヘイムをかすめてダメージを与えるも、直撃とはいかなかった。

 そして傷を負ったクロンヘイムは、剣を放棄したままその場を離れた。

 彼の傷は明らかに浅かったが、再度踏み入るリスクを嫌ったのだろう。

 それにヴァルターを倒した以上、ギードやエリーカに用など無かったのだ。

 そこに屈辱を覚えるギードだが、そのおかげで自失するエリーカを連れて離脱する時間がとれた。

 横たわるヴァルターの体をあらため、その死を確認する時間もである。

 そしてヴァルター戦死の影響は大きく、レゥ族軍はほどなく撤退に至ったのだった。

………………

 あのぐらいの傷なら、クロンヘイムは回復措置を受け、戦線に復帰するはずだ。

 ヴァルターは彼を倒せなかった。

 だが、ヴァルターはそのことを悔いたりはしないだろう。

 ギードはそれを理解していた。

 あの時、彼はエリーカを守ることだけを考えていたに違いないのだ。

 そして、その目的は達せられた。

 だからこそ、エリーカは前を向かなければならない。

「さあ立とう。な、エリーカ」

「あの……」

 声をかけてきたのは、部隊長の一人である。

 指示を仰ぎたいのだ。

「東側はまだ戦っていますが……どうしますか?」

「反体制派か。救援に向かう選択肢もあるが……」

 よどみ、ギードはちらりとエリーカに目をやる。

 一応、麓では伝令が走り、ほかの二方面の戦況を確認している。

 北のヴィリ・ゴルカ連合は山頂に至ろうとしているが、東の反体制派は第一騎士団に苦戦中らしい。

 三方面は谷で隔てられているが、レゥ族の居る南側と、反体制派の居る東側は、この麓付近では繫がっている。

 レゥ族から救援に向かうことは可能だ。

 敗走に至ったレゥ族だが、要であるヴァルターを失ったことによる撤退である。

 兵力としてまとまった数はまだ残っている。

 反体制派と協力すれば、戦うことは可能と思われた。

「反体制派は、麓付近まで押し込まれています。ここからなら近いです」

「押し込まれているのは事実だろうが、引き込んでもいるのだ。敵を山頂から遠ざけているのだろう」

 ギードは部隊長にそう答えた。

 レゥ族をくだした第二騎士団は、山頂に戻ってヴィリ・ゴルカ連合を迎え撃つ。

 更に、済生軍にもまだ戦力が残っているようだ。

 ここに第一騎士団まで加わったら、ヴィリ・ゴルカ連合に勝ち目は無い。

 だから反体制派は、第一騎士団を自分たちに引きつけているのだ。

 今なお諦めぬその行動。あのデニスという男の判断だろうか。

 ギードは思った。人間にしては、たいしたものだと。

「人間。人間か……」

「ギードさん?」

「いや、何でもない。それよりエリーカ、どうする?」

………………

 エリーカは答えない。微動だにしない。

「エリーカ」

「……どうでもいい…………

 ぼそりと。

 消え入りそうな声で、ようやく答えるエリーカ。

 だがそれは答えとも言えないものだった。

 考え込むギード。

 この戦を放棄し、帰るならそれでも良い。

 ヴィリ・ゴルカ連合や、ましてや人間である反体制派を助ける義務は無いのだから。

 だが、その反体制派は踏み留まっている。

 彼らは、なお勝利を信じ、第一騎士団を引きつけている。

 それを思えば、武人たるギードは恥を感じるのだ。

 自分たちは立ち去って良いのか? と。

 ステファン・クロンヘイムは、あまりにも恐ろしい敵だった。

 彼に勝てる者が居るとは、ギードには思えない。

 だが、あるいはあの者なら。

 ロルフならやれるかもしれない。

 そうであるなら、まだチャンスがあるなら、第一騎士団を山頂に戻らせるわけにはいかない。

 ティセリウスとその軍団を、残った者たちで引き受けなければならないのだ。

「エリーカ。東側へ救援に向かうべきではないだろうか」

「……そんなの、興味ない」

 もはや彼女に、再び戦場に立つ気力は無い。

 その姿を前に、悲しげに目を伏せるギード。

 報告を聞く限り、反体制派は予想以上にやるようだ。

 ギードにとってはやや意外なことだった。

 彼らは済生軍の分隊を撃退したうえ、今なお第一騎士団と戦っている。

 だが、これ以上は無理だろう。

 相手はレゥ族が戦った第二騎士団より、更に強い者たちなのだ。

 救援が無ければ、まずもたない。

「エリーカ。俺たちが行ってやらねば、反体制派は負けると思うぞ。そしてそれは即ち、この霊峰の戦いでの完全な敗北を意味してしまう」

…………知らない。負けでいいよ、もう……」

 勝ち気で、いつも勝負に拘ったエリーカ。

 今は見る影もない。

「救援に向かうべきです」

 そこへ別の人物の声。

 ギードが振り返ると、女が一人立っていた。

「連絡官どの……何を?」

 何のつもりでそんなことを?

 ギードはそれを問うていた。

 彼女はヴィリ・ゴルカ連合の連絡官である。

 情報の伝達が任務であり、軍務に口を差し挟む権限など無い。

 そもそもギードの印象では、彼女は静かで主張の無い人物だった。

 戦いに関する場へ踏み入るようにも見えなかったのだ。

 しかし彼女は救援に行くべきだと、戦うべきだと言っている。

「ギードさんが言ったとおりです。いま南側を支えなければ、北側も敗れます」

「連絡官どの。貴方がヴィリ・ゴルカ連合を案じるのは当然のことだ。だが」

「身内を案じてのことではありません。ここで動かなければ、霊峰での戦いのすべてが無意味となるのです。彼女の想い人の、散った命も」

「おい……」

 視線に非難の気持ちを込めるギード。

 打ちひしがれるエリーカに対し、遠慮の無い物言いであった。

 だが女は怯むことなく、エリーカへ近づく。

 そして座り込む彼女を見下ろしながら言葉を続けた。

「甘えないでください。子供じみた振る舞いをすれば、きっと後悔しますよ」

「いいかげんにしてくれ! 何のつもりだ!」

「死んだ人は帰ってきません! そして生き残った者には等しく義務があるのです! 死者に報いるという義務が!」

「……!」

 女は叫ぶ。

 その叫び声に、ギードは理解した。

…………連絡官どの。どうやら貴方も誰かを喪っているご様子。だが彼女は今、たった今、別れを経験したのだ」

 それも、あまりに特別な人との別れを。

 戦場に死は付きものとは言え、エリーカはまだ、それを受け入れることが出来ない。

「悲しむなと言っているのではないのです。心が張りあげる声を止めることは、誰にも出来ません」

 それは女が以前、ある者に言われた言葉だった。

 彼女は、死が人の心をいかに凍えさせるか知っている。

 だがそれでも。それでも人は進まなければならないのだ。

「いいですか」

 へいげいするようにギードらを見まわし、女は言う。

 瞳に強い力を込めながら。

「北で戦っているのは、貴方がたに引けを取らぬ強い思いを持つ者たちです。そしてそこには、貴方たちに愛された英雄ヴァルターが友とした者も居るのです」

 女は知っている。

 その男は、決して諦めない。

「賭けるべき目は残っています。最後まで戦ってください」

 エリーカたちがヴァルターを信じたように、女もまた、誰かを信じている。

 それを感じ取ったエリーカは、ようやく顔を上げた。そして女と目を合わせる。

 彼女は確か、ディタという名だ。ゴルカの族長を父に持つ身だという。

「さあ立って。未来はまだ、閉じていません」



「はっ!」

 俺は煤の剣を振り抜いた。

 済生軍は魔導ばかりの軍ではなく、当然そこには強い剣士も居る。

 だが、これまでのところ目を見張るほどの剣士とは会わなかった。

 それでも幾らかの者は剣を手に最後まで踏み留まる。

 信仰と矜持の為せる業であるらしく、彼らの眼差しには覚悟があった。

 その信仰が、一つの種を原罪とすようなものでなければ、戦わずに済む世界もあっただろう。

 信ずるものに殉じ、ある種、曇りの無い瞳で斬りかかってくる剣士たち。

 その瞳に言いようの無い感情を覚えながら、俺は彼らを倒した。

「ぐぁはっ!」

「駄目だ! 退け! 退けぇ!」

 剣士たちを倒し切ると、残った敵はついに潰走していった。

 彼らが逃げる先にあるのは、薄く霧を纏う、巨大で荘厳な建物。

 それこそが霊峰の頂にそびえるヨナ教団の大神殿である。

 俺たちは、いよいよ敵の本丸に至ったのだ。

「ロルフさん! すぐに隊列組み直します!」

「ああ、頼む」

 部下に答え、俺は周囲を見まわした。

 損害は大きくないようだ。

 済生軍は霊峰中腹から撤退したあと、山頂付近に再び防衛ラインを敷き、戦いを挑んできた。

 他方面で戦っていた分隊と糾合したのだ。

 俺たちはそれを退けた。そして今、大神殿に迫っている。

 だが、このまま王手とはいかない。

 大神殿の周りには、騎士団が展開していた。

「あれは第二騎士団でしょうか?」

「そのようだ」

 部下の一人が言うとおり、大神殿を守るのは第二騎士団だ。

 予備兵力として最初から山頂に居たわけではない。

 一戦交えてきたことは、見れば分かる。

………………

 すなわち、勝って戻ってきたということだ。

「彼らがどちらから戻ってきたか、見ていた者は居るか?」

「居ないようです。ただ、東から戻ってきたなら誰かが捕捉しているでしょう。したがって……」

「ここから逆方向の南から戻ってきたと。そうか……南か……」

 レゥ族は、第二騎士団に敗れたのだ。

 彼らと山頂で合流出来ていたら頼もしかったのだが。

………………

 もっとも、俺たちはすでにレゥ族に救われている。

 もし第二がもう少し早く戻り、済生軍の防衛ラインと糾合されていれば、こちらの勝ち目は薄かっただろう。

 しかしそうはなっていない。第二騎士団は遅れての登場となった。

 クロンヘイムを相手に、ギリギリまで戦い抜いた者たちが居るのだ。

 脳裏に、アーベルで新たに友とした男、ヴァルターの顔が浮かぶ。

 それに彼の仲間たちも。

………………

「それとロルフさん。第一騎士団の姿が見えないということは……」

「……まだ戦っているんだろうな」

 そちらは東側。反体制派だ。

 第一騎士団は、エルベルデ河で見た時より更に強くなっていることだろう。

 ティセリウス団長は、あの戦いに自戒を感じていた。

 何もせぬままであったはずが無い。

 それを思えば、第一はこちらで引き受けたかった。

 ティセリウス団長と戦いたくはないが、正規の軍ではない反体制派では厳しいだろう。

…………いや」

 俺は何様のつもりなのだ。

 少し戦勝を重ねたぐらいで、いい気になっているのではないか。

 増上慢ほど剣を曇らせるものは無い。

 友軍を信じるべきだろう。

 東側にはフリーダも居る。

 そして彼女が信頼する、あのデニスという男。

 アーベルで会った時は、かなりの傑物と感じた。

 事実、今この時点も第一騎士団は山頂に現れないのだ。

 反体制派が引きつけてくれている。俺たちが、ほかの強敵と戦えるように。

 ならば、その敵をこそ見据えるべきだろう。

 そう。未だ手ごわい敵が残っている。

 あの恐るべき魔導士、アルフレッド・イスフェルトは、大神殿で俺を待つと言った。

 それに司令官イスフェルト侯爵を守る者たちも皆一流だろうし、侯爵自身、強力な魔導士と聞いている。

 そして第二が戦場に居る以上、クロンヘイムも健在と考えねばならないし、ほかにも強敵はまだ居るだろう。

 なお心してかからねばならない。

「ロルフさん! 攻撃準備、出来ました!」

「よし」

 攻撃プランは、リーゼらと話し合って決めてある。

 ここに至って採るべき策はシンプルだ。

「目標は大神殿の制圧。各部隊長の指揮のもと敵防衛ラインを引きつけ、少数の突撃要員で大神殿へ突入。イスフェルト侯爵を打倒し、大神殿を掌握する」

 黒い剣を掲げ、俺は伝えた。

 霊峰の戦いは、ここに最終局面を迎える。

「行くぞ!」



「済生軍。不甲斐ないことだな」

「副団長……。聞こえますよ」

 びくびくと周囲を見ながら声を潜めるフェリクス。

 彼らは大神殿を背に、前方に展開するヴィリ・ゴルカ連合を見渡している。

 そして周りには、その魔族軍の方から逃げ延びてきた済生軍の兵たちが居るのだ。

 だが、事も無げにアネッテは言う。

「いちいち気をむなフェリクス。どうせこれから力を示すのだ。魔族どもを、我々第二騎士団が倒してな」

 治療を受け、戦線に復帰したアネッテ。

 先の戦いではヴァルターの遠距離魔法に不覚を取ったが、今度はそうはいかぬと鼻息を荒くする。

 また彼女の自信には、大きな根拠があった。

「それに団長もられる。英雄ヴァルター撃破という戦果を挙げたうえでな」

 彼女らの団長、クロンヘイムも、回復措置を受け、この大神殿の守りについている。

 であれば、敗れることは決して無い。

 アネッテにとって、それは曲がらぬ事実であった。

「まあ、クロンヘイム団長に勝てる者など、この戦場に存在しませんからな。ティセリウス団長は例外ですが」

 クロンヘイムがヴァルターと戦っている時、援護に向かうべしという騎士たちの具申を、フェリクスは退けた。

 敵も強いが、団長に負けは無い。

 彼はそう言い、実際、クロンヘイムが勝ったのだった。

 そして援護に向かわせなかった分を含め、騎士たちを糾合。

 クロンヘイムがヴァルターを排除したと見るや、すかさず攻勢に出てレゥ族軍を撤退させた。

 勤労意欲と無縁のフェリクスとしては、楽が出来ないことに不満を感じるばかりだ。

 しかし、それでも彼は能力を発揮している。

「いや、ティセリウス団長よりクロンヘイム団長の方が上だ」

 そんなフェリクスの言葉を否定するアネッテ。

 彼が見る限り、さすがに彼女のげんは大げさだが、反論はしない。

 クロンヘイムに対するアネッテの敬意は、信奉の域にあるのだ。

「何にせよ、先の戦いでは、大事な場面で役に立てなかった。だが今度は違う」

 そう言って自らに気合いを込めるアネッテ。

 危うげな言動も目立つが、彼女は第二騎士団の副団長。

 力のほどは間違いなく一流である。

 その力をぶつける相手を、今や遅しと待ち構えるのだった。



 地下牢に押し込められていた、百余名の魔族たち。

 老人や子供も含まれている。

 済生軍の兵十数名が、その魔族たちを移送していた。

「止まるな。さっさと歩け!」

 槍を突きつけ、暗い廊下を歩かせる。

 魔族たちは不安な表情をしながら、ぞろぞろと歩いていた。

「おい、外の様子、聞いたか?」

済生軍ウチはほぼ壊滅。ここまで押し込まれるとはな」

 アルフレッドやスヴェンといったタレントを大神殿内部に置いたとは言え、神殿の外で戦うそれ以外の者たちも弱くなどない。

 だが彼らは敗れ、魔族たちはこの大神殿へ肉薄しているのだった。

「俺ら、この移送任務につかされてなきゃ死んでたかもなあ」

 男はそう言う。

 その声音に危機感は無かった。

 第二騎士団が戻って防衛についているうえ、今から行使しようとしている禁術は、確実に勝利をもたらすのだ。

 何も焦る必要は無かった。

「そこだ。突き当り、全員入れ」

 彼らは大神殿の二階へ上がっていた。

 そして小突かれながら、魔族たちが部屋へ入れられていく。

 中には運命を悟り、目に涙を浮かべる者も居た。

 それでも逆らう力は誰にも無い。

 ややあって百余名全員が部屋に入れられる。

 彼ら全員が入っても、なお広い大部屋。

 そこには侯爵の側近リドマンと、数名の魔導士が待ち構えていた。

 更に今ひとり。

 重要な戦力として魔族軍を迎え撃つはずの者がそこに居た。

 魔族を移送してきた兵の一人が、彼に尋ねる。

「アルフレッド様。どうしてここに?」

「父のめいだ。有史にて最初で最後の禁術。魔導に生きる者として、この目で見ておけとのこと」

 神威の間と呼ばれるこの部屋は、窓が無く暗い場所だったが、そこにあってもなお、金髪と白皙の肌はめいめいと美しい。

 アルフレッド・イスフェルトは禁術をその目で見るため、立ち会うのだ。

 禁術の使用はイスフェルト侯爵にとって望ましくない事態だが、使う以上は可能な限り有効利用したいらしい。

 アルフレッドはやや面倒に感じながらも、父イスフェルト侯爵を、転んでもただでは起きぬと評するのだった。

「全員をその魔法陣に入れろ。すぐにも始めるぞ」

「リドマン様、どのようなはずで? 自分たちが突き殺すのですか?」

「お前らの任務は移送のみ。この数をいちいち突き殺していては時間がかかるばかりだろう。そのための彼らだ」

 その場にいる数名の魔導士へ、リドマンが振り返る。

 百余名の魔族を、魔法で一息に焼き殺そうというのだ。

 そして魔族たちを生贄に、禁術は発動する。

 その瞬間、大神殿に迫っている魔族は皆死に、この戦いが終わるのだ。

 リドマンと魔導士たちの顔には、興奮が見て取れた。

 巨大な神威の発現。

 それを前にし、彼らの信仰心は、大いにその琴線を震わせるのだった。

「あ、あの。殺すって、何のことだか?」

 そこへ、やや間延びした声。

 移送任務にあたっていた兵の一人。巨体の女、マレーナだった。

…………

 それに取り合うことなく、手筈は進められる。

 魔族たちは、次々に魔法陣の中へ入れられていった。

「あ、あの」

「黙れ。うるさいぞ」

「で、でも、あの。殺すって」

 マレーナには理解出来ない。

 自分が魔族を相手にした戦争に参加していることは分かる。

 魔族を倒すべき敵と認識してもいる。

 だがこの場に居るのは、ただの虜囚だ。しかも子供や老人も居る。

 殺すとはどういうことなのか。

「すみません。こいつ、ちょっとおかしいみたいで」

 兵の一人がリドマンに頭を下げ、そして後ろからマレーナの襟首を摑む。

 だが引っ張っても、マレーナの大きな体は動かない。

 いつもなら、殴るなり引き倒すなりすれば、マレーナはすぐに従う。

 だが今は、どんなに強く引っ張っても、マレーナは動こうとしなかった。

「こ、殺すだか? 子供もいるだよ? じいさんやばあさんも」

「おいデブ! わけの分からんことで駄々をこねるな! 下がれ!」

「あぐっ!」

 兵士の一人がげきし、槍の石突でマレーナの横面を殴った。

 さすがにマレーナはよろめく。

 だが、すぐに向き直り、また同じことを言い出した。

「だ、駄目だぁよ! どうして殺すんだ!」

「魔族だからだよ! 第一こいつらを殺せば、多くの人間が死なずに済むんだ! お前はもう黙ってろ!」

「で、でも! この人ら、何も……!」

「うるせ!!

「ぎゃっ!!

 打たれても聞き分けぬマレーナに苛立ち、兵は近くに居た魔族をたおした。

 抵抗する力など無い、中年の女性だった。

「止めるだ!」

 マレーナの手が、ついに腰のせんついに伸びる。

 それを見た兵たちが、剣吞な雰囲気を纏った。

「てめぇ……。気は確かか」

「お、おら……。おら……」

「貴様……」

 兵たちの後ろで、より怒りに震える者が居た。

 アルフレッドである。

「そのせんついをどうする。戦うつもりか……!」

 血走る目、こめかみに浮き立つ血管。

 彼をよく知るリドマンもついぞ見たことの無い、凄まじい怒りに満ちた表情だった。

「……そうだよ! この人たちは殺させねえだ!」

 十数名の済生軍兵士に、リドマンと数名の魔導士たち。そしてアルフレッド。

 どう見ても、戦いを選ぶ場面ではない。

 だがマレーナは叫んだ。

 彼らと戦うことを選んだのだ。

 初めて、自ら選んだ戦いだった。



 ただ、友だちが欲しかったんだ。

 うちは大きな商家で、地元で有名だった。

 よく分からないけど、すごく力があったみたいだ。

 ぼくはそこの後継ぎ。

 だからか、お父さんは同年代の友だちを作らせてくれなかった。

 悪い影響を受けると思ったんだろう。

 でもぼくは友だちが欲しかった。

 ずっと欲しかったんだ。

 教育係だけが訪れるぼくの部屋。

 その窓から、時々近所の子供たちが見える。

 身なりは良くないけど、みんな笑ってる。

 騒ぎながら走り回ってる。

 ああやって誰かと一緒に居るのは、きっと楽しいに違いない。

 ぼくは違う。一人だ。

 でも、ぼくの家には、同年代の男の子が居た。

 ティモって子。屋敷で働いてる。

 ぼくはまだ子供で、働いてない。

 でもその子は働いてる。

 働いてると言っても、給金は無いらしい。

 下男というか、要するに奴隷だった。

 汚くて辛い労働を、子供がやらされてた。

 それが何故なのかはよく分からなかったけど、どうも彼はぼくたちと違うようだ。

 肌の色が薄い褐色である以外は、別に違いは無いように見えるんだけど、人間とは別の存在なんだって。

 彼が話に聞く「魔族」らしい。

 魔族って、生まれついての邪悪だと教わってる。

 ただ、ぼくは教育係があまり好きではなくて、彼の言葉を疑ってかかる癖があった。

 彼が教えてくれる神学は結構好きだったけど、その中で一つの種を全否定するところは、ちょっとピンと来なかった。

 だから、そのティモと直接話してみることにした。

 同年代だし、ひょっとしたら気が合うかもしれない。

 お父さんからは彼に関わるなと言われてるけど、話さないことには、いい人なのか悪い人なのか分からない。

 その時間、彼はいつも荷運びをしてた。

 火薬とか堆肥とか、使用人があまり運びたがらないものを運んでるらしい。

 それで、搬入口のあたりを探すと、居た。

 ぼくと同じ、たぶん十歳ぐらいの男の子。

 ティモだ。

 ぼくは、彼に近づいて挨拶する。

「やあ、こんにちは」

「……えっ?」

「話すのは初めてだね」

「あ、あの」

 次の瞬間、ばしりと大きな音がした。

 ぼくの頰が張られたのだ。

 いつの間にか、目の前にはお父さんが居た。

「これに関わるなと言ったろう! けがれるぞ!」

 打たれた頰を押さえ、ぼうぜんとするぼく。

 ティモは怯え、それから謝った。

「ごめん……なさい」

「黙れ!」

 父は、ティモも打った。

 ぼくにしたより、ずっと強く。

 ティモは何もしてない。

 ぼくに話しかけられただけ。

 でも、どういうわけか謝ってた。

 そして打たれてた。

 穢れるという言葉の意味は理解出来ない。

 ただぼくは、打たれた頰ではないどこかに、何かよく分からない痛みを感じた。



 数日後。

 ぼくは初めて、勉強をサボった。

 教育係が来る前に部屋を抜け出したのだ。

 何かずっとモヤモヤしてて、屋敷に居たくなかった。

 と言って、行くあてがあるわけでもない。

 ぼくは何となく、屋敷の裏手に広がる林へ来てた。

 その林の奥の方にある、池のほとり。

 ぼくはそこに座り込んで、ぼーっと池を見てた。

 今日はよく晴れてて、水面がきらきら光ってる。

 そのきらきらを、ただずっと眺めてた。

「あ……」

 その時、池の中に何かを見つけた。

 動いてる。

 あれは……かにだ。

 蟹って池にも居るんだ。

 というか、野生の生き物をぼくは初めて見た。

 窓の外に見る近所の子供たちは、虫取りなんかもしてたみたいで、ぼくはそれがすごく羨ましかったんだ。

 それで、何だか気持ちがたかぶってしまう。

 ぼくは濡れるのも構わず、池の中にざぶざぶと踏み入った。

「か、蟹……!」

 外で遊んだことのある普通の子供なら、それが危ない行動だって分かっただろう。

 でもぼくは、そんなこと考えもしなかった。

 ただ、初めて見る生き物を捕まえたかった。

 突然、ごぶりと身が沈んだ。

 池には、急に深くなってる場所もある。

 ぼくはそんなことも知らなかった。

「あ……あぶ!?

 突然、視界が水で覆われる。

 反射的に暴れ、そして前後が分からなくなった。

「は……! がばっ……!

 息が出来ない。

 ぼくは危険なんてものをまったく知らなかった。

 この時、初めて命の危機を感じたんだ。

「ごぼっ……! ぶぁっ……!

 あえぐように水面を探すけど、どこにも無い。

 周囲にずっと水だけが広がってるような感覚。

 本当に、死を感じたその時。

 腕が、ぼくを摑んだ。

 ぼくと同じ、小さい子供の腕だった。



「はぁっ……! はぁっ……!

 水から引き揚げられ、大きく息を吐くぼく。

 傍らには、同じく息を吐くティモが居た。

「はぁっ……はっ……だ、大丈夫ですか?」

 ぼくを案じるティモ。

 彼が助けてくれたのだ。

「た……助かったよ。ありがとう……!」

 ぼくがそう言うと、ティモは目を丸くした。

 お礼を言われたことに驚いてる。

 彼はきっと「ありがとう」という言葉とは縁遠い日々を送ってるんだ。

「ティモ、どうしてここに?」

「あの、薪を拾いに。そうしたら、坊ちゃまが池へ入っていくのが見えて……」

 本当、九死に一生を得た。

 彼がたまたま居てくれなかったら、ぼくは死んでいただろう。

「ティモ、君は命の恩人だよ」

「そんな……僕はただ……」

 居心地が悪そうに、視線を彷徨さまよわせるティモ。

 助けた側の彼が、申し訳なさそうにしてた。

「でも、君がぼくを助けたことは黙っておかないと」

「お、お気遣い、ありがとうございます」

 このことが知れれば、お父さんはまた怒る。

 ティモに感謝なんかしないだろう。

 それどころか、息子の命が魔族に救われたと分かれば、きっと激怒では済まない。

 いいことをしたはずのティモが、ひどい目に遭わされる。

 ぼくがそう考えたことを、ティモはすぐに理解したみたいだ。

 彼は賢い人だった。

 それから、服を乾かしつつ色んな話をした。

 ぼくは、彼がどうしてうちで働いてるのか訊いた。

 ちょっと遠慮の無い質問だったかもしれない。

 でも彼は、穏やかに答えてくれた。

「お父さんが、以前こちらのお屋敷で働いてて……」

 話を聞くと、彼のお父さんも、うちで働かされてたそうだ。

 確かに、前は大人の奴隷も居たような気がするけど、ぼくはよくおぼえていない。ここに来てそう経たたず亡くなったらしい。

 それで、父親と一緒に連れてこられていたティモは、そのまま一人で働くことになったようだ。

「でも、ティモはぼくと同じで、子供なのに」

「まあ……仕方ないです」

 力ない笑顔で答えるティモ。

 魔族は子供だからと配慮を与えられたりしない。

 彼の境遇の悲しさを、ぼくはまだ理解し切れてなかった。

 そんなぼくに比べ、ティモは色んなことを知ってた。

 さっきの蟹の名前とか、向こうの木には美味おいしい実がるとか。

 草笛というものには心が躍った。

 ただの葉っぱなのに、ティモが口に当てると、ぷうぷうと音が鳴った。

 ぼくが中々上手く出来なくて少ししょげてると、ティモは丁寧に教えてくれる。

 彼の言うとおりにすると、ぼくも綺麗な音が出せるようになった。

 すごく嬉しかった。

 ティモは、故郷に居た時、お父さんにこういうことを教わったらしい。

 ぼくもだけど、ティモにはお母さんが居なくて、お父さんだけが家族だったそうだ。

 お父さんの話をする時、やっぱりティモは悲しそうだった……。

 それからしばらくして、服が乾いた。

 屋敷に戻る前に、ぼくにはティモへのお願いがあった。

「ティモ、頼みがあるんだ。敬語はやめてくれないかな」

「え……でも……」

「お願いだ。ぼくは友だちが欲しいんだよ」

「友だち……」

 戸惑うティモ。

 しばらく考え込んだあと、彼は答えた。

「うん……。分かったよ」

 こうして、ぼくに初めての友だちができた。



 それからというもの、ぼくの日々は変わった。

 灰色だった世界に色がついたようだった。

 友だちが居る毎日って、きっと楽しいんだろうなって、ずっと憧れてた。

 でもそれは思ってた以上だったんだ。

 もちろん、ぼくらが友だちだってことは、お父さんや家の者たちには内緒だ。

 だからぼくたちは、もっぱら夜に会った。

 家の者たちがその日の仕事を終え、自室に戻っているころ、ぼくとティモはこっそり会う。

 そして二人だけで遊んだ。

 夜に部屋の外へ出ること自体、すごくワクワクしたし、そこにティモが居れば最高に楽しかった。

 ティモも次第によく笑うようになっていった。

 ティモと一緒に居ることで、ぼくの世界は一気に広がった。

 それまでは、教育係から伝えられることだけがぼくの世界だった。

 でもそれは瞬く間に様変わりしたんだ。

 色んなことをした。

 蔵を探検したり、裏庭で虫を探したり。

 屋根裏に忍び込んだ時はすごく興奮した。見たことも無い大きなクモが居て、ぼくもティモもびっくりした。

 あの林にもよく行った。木に登って鳥の巣を見つけた時は感動した。

 ちゅうぼうに忍び込んだりもした。

 果物を盗み食いした時はティモも躊躇っていたけど、構うもんかとぼくは言った。

 ここで働いてるんだから、それを食べる権利がティモにはある。

 ぼくがそう伝えると、ティモは小さくありがとうと言った。

 それと、ぼくたちは駆け回るばかりでなく、時にはゆっくり語り合った。

 裏庭に座って月を眺めながら、色んなことを話した。

 その日あったこととか、最近屋敷を訪れた人の話とか。

 ティモは、彼のお父さんから教わった季節と自然の話に詳しかった。

 ぼくはそれを聞くのが大好きだった。

 対してぼくは、教育係から教えられた、歴史の話なんかを伝えた。

 それはたぶん、王国の主観による歴史だったんだろうけど、それでもティモは興味深げに聞いていた。

 でも未来のことは話さなかった。

 いつかこんなことをしたい、あんなところに行きたい。

 そういう話をティモとすることは出来なかった。

 ティモにちゃんとした未来があるのか、それは考えたくない問いだったんだ。

 だから今日を生きた。

 ぼくとティモは、ぼくたちの少年時代を大切に過ごした。

 その日々は本当に楽しく、ぼくは夜を待ち遠しく思うようになっていた。



 ある日、お父さんがぼくに、養子の話を告げた。

 偉い貴族が子を欲しがってるそうだ。

 すごく名誉なことのようにお父さんは言ってる。

 でもぼくはショックだった。

 お父さんとの仲は良好とは言えないけど、でも家族だ。別れたいわけじゃない。

 そして何より、ここには大切な友だちが居る。

 離れ離れになりたくはなかった。

 それに、ぼくは知ってる。

 その貴族がやってるのは、青田買いというやつだ。

 子を何人も囲って、しんの秘奥を経て有望な者のみ手元に残すんだ。

 そういうやり方だから、ほかの貴族家から養子を取ることは出来ない。

 かといって出自のちゃんとしない子を迎えることも出来ない。

 だから、うちみたいに平民ではあるけど中央との繫がりもある商家なんかはもってこいなんだ。

 お父さんは、うちの後継ぎには別の子を養子に貰うつもりなんだろう。

 そして有力な貴族家と親族になる。

「お前が貴族家の跡取りとなるのだ。私より偉くなるんだぞ」

 お父さんは、楽し気に言ってた。



「ティモ。今日は夜を待たずに出かけてみないかい?」

「え?」

「海を見てみたいんだ。ティモは見たことがある?」

「無いけど……」

「じゃあ行こうよ!」

 その日、父や主だった家人は出かけており、明日まで戻らない予定だった。

 例の養子の話で、会合があるのだ。

 だから日のあるうちから出かけることが出来る。

 この機会に、ぼくは海を見てみたかった。

 この地には海があるんだけど、ぼくは一度も見たことが無い。

 屋敷から海までは、子供の足で三時間ぐらいの距離らしい。

 今から行けば、夜には戻ってこられる。

「でも……」

 さすがに大胆な行動だ。

 だけど、ぼくはどうしても行きたかった。

 ティモと海を見てみたかった。

 彼との日々に証が欲しかった。

 ぼくの表情から、そのことが伝わったのかもしれない。

 ティモは少し考えてから笑顔を見せ、そして言った。

「分かったよ。行こう」



 数時間後。

 ぼくとティモは海を見ていた。

………………

………………

 二人とも、言葉を失っていた。

 すごい。

 見渡す限り、空と水面が広がってる。

 世界。世界ってこういうことなんだ。

 どれだけの時間、無言で海を眺めていただろうか。

 ぼくは、その日のもう一つの目的を思い出した。

「ティモ……話しておくことがあるんだ」

「ん? なに?」

「ぼくね、養子に行くことになった」

………………

 それからぼくは、ぽつりぽつりとティモに話した。

 貴族家に貰われていくということ。

 気が進まないということ。

 でも、その日は近いということ。

 十三歳になっていたぼくは、未来のことを考えなければならない。

 ティモも同い年だけど、彼にはここで働く日々しか無い。

 解決方法が欲しかった。

 でも、何も思い浮かばない。

 そんなぼくに、ティモは穏やかな声で言った。

「そもそも、断りようが無いんでしょ?」

 それはそのとおりだ。

 お父さんには断る気なんかないし、あったとしても、たぶんそもそも断れない。

 これはそういう話だ。

「平民が貴族になるって、すごいことなんだよね? それに、ずっとあのお屋敷に居ちゃ駄目だよ」

 同い年だけど、ティモはぼくより大人だった。

 ぼくよりずっと大変な思いをしてきたんだから当然だ。

「そ、それじゃあさ。ぼくは貴族になって、偉くなって、そしたらティモを領地に呼ぶよ!」

 何とも現実味に欠ける話。

 それでもティモは笑って、ありがとう、期待してるよと言ってくれた。



 それからぼくたちは、しばらくの間、海風を共に受けた。

 残された時間を嚙みしめるように。

 そして数時間の距離を歩いて帰り、屋敷に戻った時にはすっかり日が暮れていた。

!?

 ぼくは、その光景に狼狽えた。

 屋敷の前に、大勢の人が出て騒いでいる。

 ぼくが居ないことについて話していた。

 そして使用人の一人がぼくに気づいて指さした。

 お父さんが走り寄ってくる。

「いったい何処どこに行ってたんだ!」

「あ、あの。お父さん」

「うん!? 貴様! どういうつもりだ!」

 お父さんが、ぼくの隣にいるティモに気づいた。

 すると表情をみるみる怒りに染め、そして怒声をあげた。

「貴様が連れ出したのか!!

 これは駄目だ。

 誤解を解かないと、ティモがひどい目に遭う。

 ぼくが口を開こうとすると、父の後ろから身なりの良い男が近づいてきた。

「これはどうしたことですかな?」

「あ、いえ、これは……」

 激しく動揺するお父さん。

 男は貴族だった。

 どうやら、ぼくを養子に取る例の貴族だ。

 予定を変えてこの屋敷を訪れたらしい。

 ぼくを見定めようということだろう。

 それなのに、その子供は魔族と行動を共にしている。

 お父さんが顔中に脂汗を浮かべるのも当然だった。

「ふん。少し脅しつけてやっただけでホイホイついてきやがって」

 お父さんもぼくも思考出来なくなっている時、声をあげたのはティモだった。

「少しばかり外に出てただけだよ。ここは窮屈だからな。お坊ちゃんには供をさせてやったのさ」

「貴様!!

 お父さんが叫んだ。

 貴族の男も怒り、ティモを睨みつけている。

 魔族が善良な子供を勝手に連れ出した。

 それがティモの筋書きだ。

 ここに居る貴族の不興を買えば、養子の話は無くなる。

 それは、都合よく元に戻ることを意味してはくれない。

 この家は権勢を失うし、ぼくにも良くないレッテルが貼られる。

 色んな未来が消えて無くなる。

 魔族と共にあろうとしたぼくには、希望の無い未来だけが与えられる。

 それはこの国で、大げさな話じゃないんだ。

 そのことを、ティモは正しく理解してしまった。

「ま、待ってティモ……!」

「黙れ! 鬱陶しいぞお前!」

「あっ……!

 両手でぼくを押しのけるティモ。

 ぼくは尻もちをついてしまう。

「こいつを捕らえろ!!

 お父さんの怒号は、絶叫に変わっていた。

 使用人たちがティモに飛びかかる。

 ティモは特に抵抗すること無く、捕らわれていた。



 屋敷の地下にある倉庫。

 正確には倉庫だった場所。

 暗くてがらんとしたそこは、今では懲罰房のような用途になってるらしい。

 ティモが捕まった日の深夜、ぼくはそこへ来ていた。

 それまでぼくは自室に押し込められていたのだ。

 ティモをかばいたかったけど、誰にも声を届けることが出来なかった。

 ぼくは気が気でないまま時を待ち、見張りの者が居なくなる深夜になったところで、ここを訪れたのだ。

 扉を開け、中に入る。

 殆ど明かりの無い中、彼は居た。床にうずくまってた。

「ティモ!!

 ぼくは駆け寄る。

 冷たい床に倒れる彼は、血まみれだった。

「こんな……!!

 ティモは鞭で打たれていた。

 むちちは、大人にとっても恐ろしい刑罰だ。

 背中の皮膚が破れ、肉が裂け、とにかく痛みに喘ぐことになる。

 ティモはそれを子供の身で、しかも全身に受けていた。

「あ…………

 ティモがぼくに気づく。

 血を大幅に失い、顔面はそうはくだった。

 命がこぼちていっている。

 それが分かる表情だった。

「ティモ! ティモ!」

「来てしまった……の、かい……?」

「大丈夫! 誰にも見られていないよ!」

 そう言って、ぼくは手巾ハンカチでティモの顔を拭う。

 彼は笑顔を浮かべていた。

 いつもの穏やかな笑顔だ。

「ごめんよ! ごめんよティモ! ぼくが海を見たいなんて言ったから! ぼくは……ぼくは君に迷惑をかけてばかりで……!」

 ティモはゆっくりと首を振った。

 それから、消え入りそうな声で言う。

「迷惑だなんて……思ったことはない、よ……。君が居なければ、ここでの、僕の日々は……ただ悲しいだけの、ものだった……」

 ティモは別れの言葉を言っている。

 愚かなぼくでも、それは理解できてしまう。

 彼は、命を使った。

 ぼくのために。

 ぼくが、ぼくが弱いから、彼にそれを選ばせてしまった。

「ティ、ティモ! しっかりして! うあああ! ごめんよ! ごめんよ! ぼくはきょう者だ!!

「いや……君は、卑怯者なんかじゃない。だって……泣いてるじゃないか……。僕のために……」

「ティモ! ティモ!」

 瞳から光を失っていく友だちに、たった一人の友だちに、ぼくは精一杯、声をかける。

 ティモの居ない世界なんてイヤだ。

 絶対にイヤだ。

「ありがとう……君の未来を…………信じてるからね……」

「いかないで! いかないでティモ!」

 涙が頰を伝う。

 ぼろぼろと、次から次へしずくがこぼれ落ちた。

 それとは対照的に、ティモはにこりと微笑む。

 そして最期の言葉を口にした。


「……ずっと、友だちだよ……………………アルフレッド」



 貴族家に貰われたぼくには、実家に居た時より更に厳しい英才教育が施された。

 辛かったけど、ぼくはティモが言った「未来」のために頑張った。

 ただ、王国貴族としての未来を目指すということは、つまり魔族と戦うということなのだ。

 仕方が無かった。

 ほかにはまったく道が無かったのだ。

 友だちの死を無意味にしないためにも、ぼくはここで自分の未来を作るしか無かった。

 でも時々、自分がどうしようもない人間に思える。

 至ろうとしている場所が、本当に正しいのか分からなくなるのだ。

 そしてそういう毎日を過ごしていると、記憶の中で微笑むティモの顔にもやがかかっていく。

 彼を忘れるのは受け入れ難いことだ。

 だからそんな時は彼の言葉を思い出しながら、日々を耐えた。



 イスフェルト侯爵家へ養子に入ってより二年後、しんの秘奥では、図抜けた魔力を与えられた。

 私は正規の後継ぎとされた。

 そこから数年間、魔導の修業と、そして戦いに明け暮れた。

 それが私の役割だったのだ。

 そしていつの間にか、私は済生軍で最強の魔導士となっていた。

 魔族を、滅ぼすべき邪悪と見做し、打倒する日々。

 未来への途上にそれがある以上、受け入れるよりほか無かった。

 そう。魔族は敵なのだ。

 今では、そう考えることに躊躇いは無い。

 しんの秘奥を受けてからは、迷いが消えていた。

 人間である以上、この世界で責務を与えられている以上、それと向き合わねばならぬ。

 魔族との戦いが責務であるなら、それを全うせねばならぬ。

 当然のことだった。

 私はそれを何度も考え、自身に納得させたのだ。

 だからこそ。

 あの男には苛立った。

 大逆犯ロルフ。

 奴は私の前で、身を呈し魔族の男を守ったのだ。


「人間として生まれておきながら……! ましてその男を守らねば、いま私を殺せたはず!」

「彼は友人だ。友を守る。それの何がおかしい」

「友……! 友、だと……!!


 友と言った。

 奴は、魔族を友と。

 私が諦めた道を、奴は堂々と歩いている。

 許せぬ。許せるはずが無かった。

 嫉妬と怒りが、激しく胸に渦巻く。

 こうなれば、奴を倒すことでしか、私は未来に至れぬ。

 それを思う私の前に、またしても現れたのだ。

 今度は女だった。


「そのせんついをどうする。戦うつもりか……!」

「……そうだよ! この人たちは殺させねえだ!」


 怯える百余名の魔族たち。

 切り抜けようの無い状況において、女はその魔族たちを守ると言っている。

 いったい私は、何を見せられているのか。

 いや違う。問うべきはそれではない。

 いったい私は、何をしているのか。何を目指しているのか。

 そして今、何をすべきなのか。

 そうだ。考えるべきは、それだ。

 そこに答えを得ることでのみ私は、いま感じている羞恥心と向き合うことが出来るのだ。

 決意が込められた女の目。

 何かを信じ、何にも迷わぬその目。

 私はそれを強く見返す。

 すると頭の奥で、何かがぱきりと音を立てたような気がした。


「『火球ファイアボール』!」


 私の放った火の玉が、済生軍の兵士を捉えた。

 兵たちは、きょうがくをもって私を見ている。

 あの女もそうだった。

 せんついを手に、私を見つめている。

ほうけるな女! 一人とて死なせぬと誓ったのであろうが!」

「え!?

「アルフレッド様! ご乱心あそばしたか!?

 侯爵の側近リドマンが叫ぶ。

 狂ったか、と。

 違う。

 今までがおかしかったのだ。

「ずいぶん回り道をしてしまったが……この身に刻まれた罪は、もはや消えぬであろうが……」

 杖を構える。

 守るべき存在と、倒すべき存在を見まわし、そして言った。


「やるぞ……ティモ!!



「『聖帳グリームカーテン』!」

 アルフレッドが選択したのは障壁魔法だった。

 百余名の、戦う力を持たない魔族たち。

 彼らを大きく囲う、ドーム状の障壁である。

 本来、ここまで大きな障壁を張れるものではない。

 アルフレッドの図抜けた力の為せるわざであった。

 ただし、『聖帳グリームカーテン』は物理攻撃に対する障壁である。

 魔力を纏った武器による攻撃は防ぐが、純粋な魔法は防げない。

 そしてこの場には、魔族たちを移送してきた十数名の済生軍兵士のほか、リドマンら魔導士も数名いる。

 本来は物理、魔法両面防御の完全障壁を張りたいところだ。

 だがそれは高等魔法である。

 魔導の天才とうたわれるアルフレッドをもってしても、百余名を守る規模の完全障壁を、持続性を保って展開するのは不可能だった。

 そして戦闘の常識から言って、たとえ戦力にまさっていても、百余名の護衛対象を抱えて勝つのは無理である。

 しかし、ここには好材料が二つあった。

 一つは、アルフレッドが愚か者ではないという点。

 彼は名望を集める天才だが、万能感に身を横たえる類の男ではない。

 周囲にそのような印象を与えはするが、実際は大きな挫折を知る男だ。

 世の中には、出来ないことが幾つもあると分かっている。

 彼がすかさず物理障壁を張ったのは、ゆえにこそである。

 必要な妥協を瞬時に選択したのだ。

 そして今一つ。

 アルフレッドには、仲間が居た。

「女! 物理障壁を張った! 先に魔導士を倒せ!」

 彼はそこに居あわせた女の、〝マレーナ〟という名も知らない。

 同じ済生軍に所属する者ではあるが、面識は無かった。

 だが、名など知らずとも、彼はマレーナを信じた。

 彼女は今、命を賭して守るべきを守ろうとしたのだ。

 アルフレッドはそんな彼女を、信じるに足る者と理解していた。

 一瞬戸惑ったマレーナだったが、アルフレッドの目に噓が無いことを見て取ると、魔導士たちの方へ踏み込んだ。

 そして大きくせんついを振るう。

「でああっ!」

「ぐぉっ!」

 巨体から繰り出される攻撃は、魔導士たちを紙のように吹き飛ばした。

 先の戦いでは、済生軍最強の剣士、スヴェンに賞賛されたほどの女である。

 今まで正しい評価を与えられてはいなかったが、その強さは一兵卒のものではない。

 一兵卒と言えば、アルフレッドも同様だ。

 彼の場合はマレーナと異なり、養父イスフェルト侯爵の方針により、修行の意味合いで与えられた身分だった。

 だがマレーナと同じく、その力は一兵卒のものではない。

「く……こんな規模の物理障壁を!」

「アルフレッド様! 血迷われたか! 障壁を解除されよ!」

 禁術の実行を急がねばならない済生軍は、障壁を破ろうとしている。

聖帳グリームカーテン』は、通常さして強力ではない。

 武器が通らぬとは言っても、波状攻撃で破ることは可能だ。

 だがアルフレッドが張った障壁は強固で、ゆるぎもしなかった。

「おのれ!」

 魔導士の一人が叫んで、マレーナに杖を向けた。

 だが詠唱するより早く、彼はマレーナのせんついによって打ち倒される。

「ごぶ!?

 魔導士たちは、戦う力を持たぬ魔族を、ただ殺すためにここへ来ていた。

 戦闘に及ぶ予定など無かったのだ。

 移送のために居あわせた兵たちとの間にも連携など無い。

 兵たちは、魔導士を守る前衛として立ち回ることが出来なかった。

「ぎゃっ!」

 あっという間である。

 その巨体からは想像出来ない機敏な動きで、マレーナはたちまち魔導士の半数をなぎ倒したのだ。

 侯爵の側近リドマンを含めた残りの魔導士たちは、泡を食って部屋の壁際まで後退した。

 逆に、剣を持つ兵たちは前へ出る。

 気弱なだけの雑用係であるマレーナに後れを取るはずが無い。

 マレーナから感じる強いプレッシャーは何かの間違いだ。

 自らにそう信じ込ませ、斬りかかった。

「このデブがぁ!」

「せっ!」

 襲いくる剣を、マレーナはせんついで迎え撃つ。

 がきりと音がして剣が撥ね返された。

 彼女は大きな鎚を精密にコントロールし、剣を迎撃していく。

 マレーナの武は卓越したものだった。

 才もあり、またいつか認められるようにと、一人鍛錬を欠かさなかったのだ。

 その認めて欲しかった同僚たちと戦うことになってしまったが、選択を後悔はしない。

 ここに至ってマレーナは、彼女が本来持っていた心の強さを発露させていた。

「だぁぁっ!!

「ぐぁ!」

 打ち倒されていく兵たち。

 彼らは、マレーナに感じる恐怖を認めたくなかった。

 見下していたこの女から後退するなど、あってはならないのだ。

「奴をやれ!!

 だからリドマンの命令は有り難かった。

 彼はアルフレッドを指さしている。

 本来なら、強い封建主義を持つロンドシウス王国において、侯爵家の息子に剣を向けるなど、まず考えられないことだ。

 だが、魔族に与するという事実はそれをすら帳消しにする。絶対にあり得ない、あってはならないことなのだ。

 女神に背く人間の存在など、許してはならないのである。

 まして禁術は絶対に実行せねばならない。

 もはや、アルフレッドは明確な障害であった。

「所詮は平民の出! せんが本性を現したのだ!」

 口角泡を飛ばすリドマン。

 兵たちはその命令に従い、標的をアルフレッドという名の神敵に変えた。

 彼は障壁を展開中で、無防備である。

 だが、臆した様子は無い。

 アルフレッドはその場から一歩も動かぬまま、口を開いた。

「『風刃ブリーズグリント』」

「な!?

 兵たちは瞠目する。

 障壁は張られたままだ。にもかかわらず、アルフレッドは詠唱した。

 魔法の並列起動は魔導士にとって奥義の一つである。

 アルフレッドは天才だが、ここまでの高みにあることを兵たちは知らなかった。

「ぐあぁっ!?

 風の刃に蹂躙される兵たち。

 そしてその中へ果敢に踏み込み、マレーナはせんついを振るう。

 彼女は刃が自分を裂かないことを確信していた。

 今日初めて共に戦うアルフレッドを信じたのである。

「っせい!」

 殆どの兵が倒れ、残った二名が屈辱に顔を歪めながら後退する。

 だがその間に、魔導士たちは魔力を練り上げていた。

 蹂躙されながらも、兵たちは魔導士の前衛として機能したのだ。

 そして魔導士たちは魔族へ杖を向ける。

 彼らを殺すことが勝利条件であると分かっているのだ。

「『雷招ライトニング』!」

 複数の杖から雷光が迸る。

 だが、アルフレッドも魔法を詠唱していた。

「『撥壁プロテクション』!」

 物理障壁を、すかさず魔法障壁に切り替えたのだ。

 果たして雷光は、障壁の前に霧散した。

 その光景に絶句する魔導士たち。

「裏切り者め!!

 それと同時に、残る二名の兵がアルフレッドへ斬りかかっていた。

 だが彼は、迫る刃から退こうとしない。

 ただ信じ、次の魔法の準備を優先した。

 そして彼が信じたとおり、横合いからマレーナが割って入り、兵たちを倒す。

「でぇい!!

「ぐぁっ!」

 同時にアルフレッドは障壁を解除し、すかさず魔法を放った。

「『雷招ライトニング』!」

 魔導士たちが見せたそれとは、発生の早さも威力も段違いだった。

 轟雷が、魔導士たちを一気に飲み込む。

 悲鳴をあげ、彼らは崩れ落ちていった。

 それを見届けると、アルフレッドとマレーナは残る一人に顔を向ける。

 そこには、リドマンが立ち尽くしていた。

「おのれ……! こ、このような……許されぬぞ……!」

「リドマン。許しなど求めていない」

「黙れ!」

 リドマンが杖を構えた。

 そして魔法を詠唱しようとする。

 だが、その前にマレーナが踏み込み、せんついを振り抜いた。

 声をあげることも出来ず、壁まで跳ね飛ばされるリドマン。

 そしてずるりと横たわり、動かなくなった。

…………

…………

 すべての敵は掃討された。

 視線を交わらせるアルフレッドとマレーナ。

「……女。名は?」

「あ、あの。おらは……」

「待て!」

 名乗ろうとするマレーナを、アルフレッドは手で制した。

 びくりと驚くマレーナ。

 それから一拍を置き、アルフレッドは言った。

「私はアルフレッドだ。それで女。名は?」

 名を訊く時は先に名乗る。

 アルフレッドは、紳士の流儀に従った。



 神殿には門も城壁も無い。籠城には不向きだ。

 だがそれでも、寄せ手が有利ということは無い。

 戦いが長引けば、こちらの被害が大きくなる。

 急ぎ突入しなければ。

「ロルフさん! 前! 開きました!」

「ああ!」

 そう考える俺へ呼応するように、仲間たちが敵の隊列を削り、穴を開けた。

 俺は煤の剣を構えつつ、そこへ踏み入る。

「せい!」

 飛び込みつつ左右へ二せん

 敵を散らし、穴を広げる。

 そしてそのまま、突入した。

「通すか!」

「はっ!」

「ぐ!?

 槍を突き込んでくる敵を斬り倒す。

 俺はプレッシャーを利かせ、退かずに踏み込んでいった。

「調子に乗るな!!

 正面から、怒りを剣に乗せて男が斬りかかってきた。

 かなり大柄なひげづらの男だ。

 剣には鋭さがあり、この場に居る敵の中で、上位の強さを持つことが分かる。

 俺は一歩をずしりと踏みしめて、煤の剣を横薙ぎに振り抜いた。

「でぇぇあ!!

 ばごりと鈍い音があがる。

 男は銀の鎧ごと、体を上下に両断された。

「ひ!?

 敵たちが顔色を失う。

 それを好機として俺は更に斬り込み、敵隊列を縦断していった。

「どけ!!

「うわぁぁぁっ!?

 そしてほどなく、人波を突破する。

 俺は巨大な神殿を眼前にした。

「このまま突入する!」

「ご武運を!」

 部下の声を背に、神殿へ駆け込んでいく。

 俺はプランどおり敵の本丸へ飛び込んで戦う。

 この場は皆を信じて任せるのだ。



「これが大神殿か……」

 神殿へ入った俺は、周囲を見まわしながら走る。

 ヨナ教の信仰において、象徴の一つとなっている霊峰ドゥ・ツェリン。

 その頂にそびえる神殿は荘厳だった。

 全面石造りの見事な造形。

 磨き上げられた床は、鏡かと見紛うほどだ。

 巨大で真っ白な円柱が立ち並び、美しい空間を作り出していた。

 この一階は一般信徒たちが訪れる場だ。

 教団関係者の執務や居住の部屋は上階にある。

 イスフェルト侯爵もそこだろう。

 俺は横合いに見えた階段を上った。

 上階では、廊下の全面にえんの絨毯が敷かれていた。

 一般信者が立ち入らないフロアだが、体裁は美しく整えられている。

 俺はその絨毯の上を走った。

 前方の曲がり角から足音が聞こえてくる。

 軽くて速い足音だ。

 俺はおそらく不要であろう警戒を胸に、その角へ至った。

「やぁぁっ!

「俺だ」

「あ! ごめん!」

 警戒が不要ということも無かったか。

 俺は出会い頭に斬り込まれる双剣を躱し、声をかける。

 走ってきたのは予想どおり、リーゼだった。

 彼女も敵を突破し、この大神殿へ突入していたのだ。

「本当ごめんね! 怪我なかった?」

「大丈夫だ。リーゼこそ、ここまで負傷していないか?」

「うん。問題ないよ」

 胸を張って答えるリーゼ。

 このまま敵将撃破と行きたいところだ。

「こっちには侯爵は居なかったわ。ロルフは何か見つけた?」

「いや……む?」

 物音が聞こえた。

 しかもこれは戦闘の音だ。

 リーゼも気づいたらしく、俺たちは顔を見合わせた。

 俺たちより先に突入していた者が居るのか?

 何にせよ、行ってみなければならない。

 俺とリーゼは音のした方へ走った。

 そして扉の前に取りつくと、それを蹴り開ける。

 同時にリーゼが飛び込み、双剣を構えた。

「え?」

 リーゼが困惑に声をあげる。

 俺も同じ気持ちだった。

 かなり広い部屋。それも何か特別な部屋であるようだ。

 魔法陣による何らかの措置が部屋中に施されている。

 そしてそこには、大勢の魔族が居た。

 皆、民間人だ。囚われていたのだろう。

 百人ほども居そうだ。

 そして怯える彼らの周りに、済生軍の兵たちが倒れ伏していた。

 いや、二人だけ立っている。

 うち一人には見覚えがあった。

「来たかロルフ」

「ロルフ、知り合い?」

「アルフレッド・イスフェルトだ」

「え!?

 済生軍最強の魔導士であり、要注意人物とされていた男の名。

 それを聞いて、リーゼは警戒を強めた。

 だが、状況を見る限り、これは……。

「そっちの貴方は?」

 リーゼがすいすると、体の大きな女がおずおずと答えた。

 アルフレッド同様、済生軍の兵であるようだ。

「お、おらはマレーナというだよ。あの、済生軍が酷いことをしようとしたから……」

「私の父と済生軍は、この地に備わる禁術を用いるため、百人からの魔族を殺そうとしたのだ」

 そしてそれを阻止した。

 人間の二人がである。

「あ、あの! この方々は、私たちを守って……!」

 魔族の一人が、前へ出て声をあげた。

 周りで、ほかの者たちが頷いている。

「どうやら、守られたのは貴方たちだけではないみたいね」

 構えを解きながらリーゼが言った。

 これほどの生贄を必要とする大規模な術式だ。

 禁術とやらが発動していれば、取り返しのつかないことになっていたのだろう。

………………

 そして俺は、敵地の只中、感慨に黙り込んでしまう。

 この状況が意味するもの。

 またもかせを引き千切る者が現れたのだ。

 しかも、ヨナ信仰を象徴するこの霊峰で。

「なんか、どんどん……」

 どんどん世界が変わっていく。

 リーゼの言葉に、若干の高揚が見て取れた。

 それをよそに、アルフレッドは歩き出す。

 俺はその背中に声をかけた。

「どこへ?」

「気づいていよう。第二か済生軍か分からぬが、外に居た者たちが階下へ戻ってきている」

 彼の言うとおり、僅かに鎧の音が聞こえていた。

 外に居た敵軍の一部が神殿内へ入ってきているのだ。

 突入した俺やリーゼを追ってきたのだろう。

 彼らがここへ至り、魔族たちを見つければ、望まぬ事態が訪れる。

 アルフレッドにもそれは分かっているらしい。

 彼は振り返り、魔族たちを一瞥すると言った。

「守った以上は最後まで責を負わねばならぬ。マレーナ、貴公はどうか」

「お、おら、肚は決めてるだよ。おっ父とおっ母に顔向け出来る人間になるだ」

 王国に居ては、それになれない。

 マレーナは言外にそう主張し、両手でせんついを握りしめた。

「アルフレッド。マレーナ。ありがとう。君たちは友人だ」

「え!? お、おら……」

「礼など要らぬ」

 目を見開いて驚くマレーナと、冷然としたままのアルフレッド。

 二人の反応は対照的だった。

「……だがアルフレッド。俺とこのリーゼは、お前の父を倒そうとしている」

「好きにせよ。養父との間に親子の情愛は無い」

 そう言って、再び背を向け歩き出すアルフレッド。

 マレーナは、きょろきょろして俺とリーゼに目礼し、それからアルフレッドの後に続いた。

「侯爵に決まった居室は無い。三階に居るはずだが、そのどこに居るかは分からぬ。急ぐことだ」

 言って、二人は歩き去った。

 階下での戦いに赴いたのだ。



 扉を施錠して静かにしているよう魔族らに言い含め、俺とリーゼは最上階である三階へ向かった。

 人員が居れば魔族たちを守らせたいところだが、今はそれが出来ない。

 アルフレッドとマレーナが階下の敵を抑えているうちに、侯爵を討たなければ。

「彼が言ったとおり、急がなければならない状況だ」

「そうね。それじゃ私はあっちへ」

 話は早かった。

 答えるとリーゼは即座に走っていく。

 二手に別れ、侯爵を探すのだ。

 まだ強敵は神殿内に居るはずで、こちらとしても戦力を分散させたくはないが、やむを得ない。

 俺も走り出した。

 角を曲がり、南側へ。

「む……」

 自然、声が出る。

 こちらの区画には壁面が無かった。

 大きな円柱が立ち並び、高い天井を支えている。

 そして円柱の間からは、一面に、この山頂からの景色が広がっていた。

 霧を纏う尾根と、周囲の雄大な山々。

 美しかった。神々しいという表現がぴたりとまる光景である。

 こういうものを見れば、神を信じたくもなるかもしれん。

「いよぉ」

 その光景にそぐわぬ、軽い口調。

 立ち並ぶ円柱の向こうから男が歩いてきた。

「外に出なくて正解だった。お前さん、ロルフだろ? 単騎で突っ込んで来ると思ったんだよ」

「あんたは?」

「スヴェンっていうんだ。よろしく」

 高名な剣士であることは見れば分かったが、返ってきた名は、予想どおりのものだった。

 済生軍で最も優れた剣の遣い手と謳われる男、スヴェンである。

 最強の魔導士とは再戦せずに済んだが、最強の剣士と戦うことになったらしい。

「いかにもロルフだ。よろしく頼む」

 そう言って、煤の剣を正眼に構える。

 スヴェンはだらりと下げた腕に剣を持ち、近づいてきた。

 そして、戦いは即座に始まる。

 ひゅるりと、素早いがしかし余裕を感じさせるたいさばき。

 彼は極端なまでに身を低くして踏み込んできた。

 頭が俺の腰より低い位置にある。彼が下段に構えた剣のどころが見えない。

 このまま迎え撃つのは無策に過ぎるが、下がるのも恐らく危険だ。

 俺は横への跳躍を選択した。

 そうすることで彼の手元を視界に収めようとしたのだ。

 しかしその選択は読まれていた。

 跳ぼうとする先へ剣を突き出すスヴェン。

 だが俺にとってもそれは、幾つか予想していた動きの一つだった。

 スヴェンの剣を払い、返す刀を振り入れる。

「おっと!」

 後転して黒い刃を躱し、彼は距離を取った。

 その表情には、なお余裕を浮かべている。

「今のを読んじゃうかあ。こりゃ面倒な相手だ」

 そう言って薄く微笑むスヴェン。

 それを見つめながら、俺は敵を分析していた。

 この男は当然ながら相当強い。

 済生軍最強の剣士というのは事実だろう。

 対応を少しでも誤ればやられる。危険な相手だ。

 だが今の剣を見る限り、やりようはある。

 こういう独自のリズムを持った相手との戦いでは、ペースに乗せられないことが重要なのだ。

 俺は流れを引き込むべく、やや強引に踏み込んだ。

「であ!」

「とっ!」

 スヴェンはすかさず迎撃を試みてくるが、その剣筋は読みどおりだった。

 俺は剣を大きく躱し、下段からの振り上げを見舞う。

 剣の振り終わり、ベストのタイミングを狙った一撃だった。

 しかしスヴェンは体を捻りながら跳び退すさり、俺から離れる。

 無理な体勢からでも、五体を十分に操ることが出来るようだ。

 相当に優れた身体能力である。

 だが、俺は剣先をスヴェンに届かせていた。

 彼は胸を、ざくりと深く斬り裂かれている。

 致命傷だ。

 戦いをあまり長引かせたくない相手である。早い段階で終わらせたかった。

 俺は狙いどおりの展開を引き寄せることが出来たらしい。

「ぐ……!」

 大きく裂けた胸。

 その胸の傷に、変化が起きた。

 分かたれた肉が、まるで縫合されるようにくっつき、そして傷を閉じていったのだ。

 目の前で起きていることに、俺は理解が追いつかない。

「ふぅ……いやはや」

 何事も無かったかのようなスヴェン。

 ほぼ一瞬だった。

 傷は完全に消失している。

自動再生リジェネレーション……?」

 回復効果を継続的にもたらす魔法は存在するが、これは明らかにおかしい。

 致命であったはずの傷を瞬時に塞ぐなど、そんな魔法があるのか?

 あれでは、それこそ神の奇跡のようではないか。

 いや、奇跡?

 そうか、奇跡か。

「……神器だな」

「即座に見破っちゃうのな」

 霊峰に存在するという神の武器。

 奴の手にあるのはそれだ。

 どうやら超高度な自己再生能力を、持ち主にもたらすらしい。

「いいだろコレ。欲しい?」

「要らん。俺はこいつの方がいい」

 手にある黒い剣を、俺は構え直した。

 そして厳しい戦いの予感に、心を強く引き締めるのだった。



「退がりながらで良い! 崩れた隊列はもう組み直すな! 中央へ固まれ!」

 デニスの声からも、いよいよ余裕は消えていた。

 圧倒的な強者である第一騎士団。

 その武威の前に、彼ら反体制派は麓近くまで押し返されていた。

 だがそれでも、なお抵抗を続ける。

 ここに居るのは体制によって何かを蹂躙された者たちである。

 目の前に居るのは、その体制の、最大の守護者たる第一騎士団。

 彼らの胸にある怒りは並々ならぬものだったのだ。

「うおおぉぉぉぉっ!!

「踏み留まれ!!

 反体制派は正規の軍ではなく、際立つ強さを持っているわけではない。

 だがここに来てなお、粘りのある戦いを見せ、ギリギリで戦線を維持していた。

 中核を成す傭兵たちは、場末の戦場からのたたげである。彼らには泥臭さがあったのだ。

「それで良い! 無理に斬り込むな! こっちに引きつけろ!!

 決死の表情で戦い続ける反体制派の兵たち。

 フランシス・ベルマンは、その姿を第一騎士団の中衛付近から観察していた。

 そして隣にいる団長エステル・ティセリウスに言う。

「たいした者たちです。あのレベルの敵に、ただ引きつけることを目的とした戦いをされると、我らとて、おいそれとは勝ち切れません」

「そうだな」

 短く答えたティセリウスの視線は、反体制派の右後方へ向いていた。

 ベルマンもそちらへ視線をやる。

 そして、この冷静な紳士にしては珍しく、驚愕に声をあげた。

「む!?

 そこに現れたのは、新たな敵影。

 魔族の一軍である。

 南側から、レゥ族が駆けつけたのだ。

「増援……だというのか」

 ティセリウスが言った。

 彼女をして、想定していた事態ではない。

 反体制派は、一瞬、後方から現れた軍に顔色を変えた。

 何者かに挟撃を受けたのかと思ったのだ。

 だがレゥ族は彼らの横に並び立ち、一斉に第一騎士団への攻撃を始めた。

「いくぞぉ!」

 先頭で豪槍を振るう男、ギードは、気合も十分に雄たけびをあげる。

 そして彼に呼応するように、レゥ族の兵たちは剣を振り上げた。

「おおおおおおぉぉぉぉっ!!

 彼らは一度敗れたが、その雪辱を晴らそうとするかのように戦場へ戻ってきた。

 人間に助勢するためである。

 ここに居る人間たち、反体制派は、済生軍を退けたうえで、かつ第一騎士団を相手に、なお踏み留まっている。

 見れば、誰も彼もが戦傷を負っていた。

 第二騎士団に敗れ、諦めようとしていたレゥ族。

 突出した英雄に支えられていた彼らは、その英雄の敗死に、一度は望みを失ったのだ。

 だが英雄を持たぬ者たちが、なお戦っている。

 レゥ族の兵らの胸中には、第一騎士団を相手に諦めぬ人間たちへの、引け目や羞恥心、それから敵愾心があった。

 そして誰の胸にも、僅かながら生まれていたのだ。

 敬意が。

「こっち! 回復班まわせ!」

「人間! 弓を扱える者はこちらへ来い!」

 怒号が空をつんざく。

 人間と魔族が手を取り合おうとする怒号が。

 デニスはその光景を、驚きをもって見つめていた。

 傍らのフリーダも同様である。

 その二人へ、レゥ族の女が近づいた。

「デニスさん。それとそっちの貴方はフリーダさんかしら? 二人とも、まだ戦える?」

「あ、ああ。貴方は……エリーカ殿。たすけに来てくれるとは……」

「エリーカさんというのかい。勿論まだ戦えるよ。たった今、元気になった」

「そう」

 微笑むエリーカ。

 その笑顔を一瞬よぎる陰に、デニスは気づいた。

 アーベルで会った時、ヴァルターに向ける彼女の視線は、ただの戦友のものではなかった。

 人生経験に富むデニスである。男女の機微にもさとい。

 ヴァルターの戦死が彼女にとって如何いかなる意味を持つか、理解出来てしまうのだ。

 だが、今は慰めの言葉をかけている時ではない。

 喪えぬものを喪い、それでも援けに来てくれた彼女たちの、その決断に報いる時である。

 それを思い、デニスは敵の方へ向き直り、そして言った。

「よし、もうひと頑張りだ。あと少し、あと少し耐えれば、きっとこの戦いは意味あるものになる」

 根拠は無かった。

 だが確信があった。

 いま少し第一騎士団を引きつければ、きっと山頂で歴史が動く。

 デニスの言葉に、人間の女と魔族の女が同時に頷いた。

 そして反体制派とレゥ族は、第一騎士団に立ち向かう。

 士気を満たしたかけ声が、至る所からあがった。

「ご覧なさい、お嬢様」

 正面に目を向けたまま、ベルマンは言う。

 隣に居るティセリウスも、前方に広がる光景に視線を取られたままだ。

「人間と魔族が、共に戦っております」

「ああ、そのようだな」

 ティセリウスは答え、目を閉じ、俯き、それからしばしののち顔を上げ、目を開いた。

 そして少しだけ震える声で言う。

「誰かが世界を変えようとし、世界がそれに応えつつあるのだ」



「ぬぐっ!」

「トマス!」

 ダンが駆け寄る。

 トマスは肩口に槍を受けてしまったのだ。

 本丸である大神殿を背後に置いた済生軍と第二騎士団は、ここへ来てその攻勢を強めている。

 背水の状況が如何に人を強くするか、ヴィリ・ゴルカ連合の者たちは思い知っていた。

「だ、大丈夫だ! 傷は浅い!」

 なお剣を手に前へ踏み出るトマス。

 確かに肩の傷は浅い。

 だが彼が受けている傷はそれだけではなかった。

 体中、あちこちから出血している。

 そしてそれはダンも同様だ。

 戦傷著しく、頭から流れる血が片目の視界を塞いでいた。

 二人はクンツを回復班のもとへ送り届け、すぐに前線へ戻った。

 そして退くことなく戦い続けているのだ。

 大車輪の活躍だが、結果、ダメージの蓄積は無視出来ぬものになっている。

「おい! あんたたち、退がれ! ここは俺たちが!」

「いやいや! 心配なさるな! ここを薄くしたら斬り込まれてしまうぞ!」

「そうだ! 最後まで共に戦うとも!」

 一人の魔族兵が声をかけるが、トマスとダンは謝絶する。

 勝負のきわにあるこの局面、退くわけにはいかなかった。

「しかしその傷では……!」

「友よ! 傷ついた人たちを守るための戦いではないか! 我ら傷つくことを厭いはしないぞ!」

「うむ! 心配無用だ!」

…………!

 周囲の魔族たちが言葉を失う。

 トマスとダンは朴訥な顔立ちをしており、そういう強い言葉はあまり似合わない。

 だが、傷だらけの笑顔で口にしたその言葉には、不思議と力があった。

 真摯に戦う姿を見せることで、信じるに値する人間も居ると魔族たちへ示す。

 それはロルフの目標の一つだ。

 実際彼はそれを実行している。

 トマスとダンは、そのロルフの思いを詳しく知るわけではない。

 だが、図らずも彼らの行動はロルフの思いに沿っていた。

「さあ行くぞ! ここが頑張りどころだ! 遅れるなよダン!」

 大神殿に突入出来た者たちは居るが、果たしてそれで十分かどうか。

 なにせ、神殿の中にはまだ恐るべき強者たちが居るはずなのだ。

 更に敵は外で戦っていた隊列から、一部の人員を神殿内に向かわせた。

 突入した者たちを追わせているのだろう。

 これ以上、神殿内で戦っている味方に、不利を強いるわけにはいかない。

 不甲斐ない戦いは出来ないのだ。

 二人は、それを強く思った。

「やるぞトマス! 皆も最後まで油断するなよ!」

 トマスとダンが、そして二人に感化された魔族たちが、力を振り絞る。

 この最後の局面にあって、彼らは決意を新たにした。

 戦い抜くという決意を。



「気でも触れたのか……!」

 これ以上なく険しい顔つきで、そう言葉を漏らしたのは第二騎士団副団長、アネッテだった。

 敵が神殿内へ入り込んだことに気づき、それを追ってきたのだ。

 この戦いの司令官であり、この地の領主でもあるイスフェルト侯爵を討たれれば、彼女たちは負ける。

 ゆえに、入り込んだ敵は止めねばならない。

 大神殿に突入したのは、強力な敵戦力であるロルフらと目される。

 個の武勇に優れる者でなければ、止めることは出来ないだろう。

 当然、侯爵に護衛は居るし、上階には強力な戦力も残っているが、大逆犯を放ってはおけない。

 それを思い、アネッテは外の指揮をフェリクスに任せ、麾下を連れて自ら神殿へ入ったのだった。

 しかし、彼女はロルフが向かったと思われる上階へ至れていない。

 一階で足止めを食ったのだ。

「いったい何の真似なのだ、アルフレッド殿!」

 目の前には、侯爵の息子アルフレッドが立ちはだかっている。

 その横にはもう一人、済生軍の女兵士の姿もあった。

「言ったとおりだ。ここは通さぬ」

 アルフレッドの周囲に、数名の騎士が倒れ伏している。

 押し通ろうとしたアネッテの部下たちである。

 アルフレッドによって倒されたのだ。

「我々は、貴方のお父上をお救いしに行くのだぞ!」

「あれは私の才を買っただけの男。父ではない」

 実家に居るのも父などではないが。とアルフレッドは胸中で続けた。

 ティモはふくしゅうを望まぬだろうが、さて私は何を選ぶのか。

 自身にそう問う。

「敵に与すると言われるのか! 魔族どもに!」

「第二騎士団の名も知らぬ副団長よ、よく聞け。私は敵に与する」

「貴様……!」

 アネッテの額に血管が浮き出る。

 アルフレッドは覚悟を口にしたまでだが、台詞は挑発の意味を成した。

 アネッテの部下たちも怒りに顔を歪ませている。

「そっちの女も同じ考えか!」

「ああ、おらもだよ!」

「どこの愚物か知らんが、何をしているか分かっているのか!」

「おら、やんなきゃなんねえ事をやってるだけだ!」

 アネッテは震えた。

 我慢の限界だった。

 この日は霊峰を侵され、あまつさえ聖域である大神殿を踏み荒らされているのだ。

 けいけんなヨナ教徒である彼女にとって、ひたすら不快であった。

 加えて、この造反。

 目の前に、女神を裏切る人間が二人も居るのだ。

 一方は侯爵の息子である。だが、魔族を守る意思を見せるなら、それは神敵なのだ。

「もう一度だけ、もう一度だけ、確認するぞ……! 裏切るのだな……!」

「そうではない。自らを裏切ることを止めたのだ」

 ぎりりと歯を食いしばるアネッテ。

 大きく呼吸し、自身を落ち着ける。

 それでもなお震える手。

 彼女はその手を上げ、そして振り下ろした。

「かかれえ!!

 斬りかかっていく騎士たち。

 アルフレッドは杖を構え、マレーナはせんついを手に踏み出した。