
俺たちは、霊峰の中腹に差しかかるあたりで攻撃開始の刻を待っていた。
イスフェルト領に入ってから、ここまで接敵することなく進軍出来ている。
俺たちに呼応するように、敵も霊峰を戦いの場としたのだ。
それには理由がある。
信仰の象徴である霊峰で魔族軍を覆滅せしめるのが正しい行いであるという、教義に
そして何より、霊峰ドゥ・ツェリンはまさに要害の地なのだ。
標高は低いが、反して面積は広い。
裾野ばかりが極めて広範に渡って続いているような地形であり、したがって行軍は可能だ。
ただ、そこかしこに谷が走っている。
まず西側は大きな渓谷に阻まれ、山頂へ至るルートを取れない。
ほかの三方も所々に谷が走っており、行動がかなり制限される。
俺たちの居る北側は完全に分断されており、レゥ族が攻め込む南側とも、反体制派が攻め込む東側とも、谷に隔てられているのだ。
南側と東側は一部が繫がっているが、これも限定的だ。
いったん麓近くまで下がらなければ行き来できないため、柔軟に兵を流通させることは不可能となっている。
今回、魔族と人間はあくまで同時に攻撃に及ぶという相互利用関係にあるのみで、積極的な協力関係には無いが、そうでなくとも、協力は物理的にほぼ不可能な状況なのだ。
対して、防衛側は事情が違う。
山頂からは望んだルートへ入れるのだ。
いずれの戦域にも、自由に人員を送れるわけである。
つまり、俺たちは兵力を流通させることが出来ず、完全に別行動となるが、敵はそうではない。
これは厳しい条件だ。
様々な者たちの尽力があり、戦略面での条件を整え、三正面作戦の実現にこぎつけたが、決して優勢とは言えない状況である。
だが、これが採り得るなかでは最善の方針であるはずだ。
あとは戦場で全力を尽くすのみである。
「………………」
敵は、第一騎士団と第二騎士団。そして精強極まる済生軍だ。
王国と教団を同時に相手取った戦いになる。
それは既定路線だ。
ロンドシウス王国との戦いが、ヨナ教団との戦いをも指すということは、公然たる事実である。
そして教団への打撃は、王国の支配体制への打撃にもなる。
この霊峰を落とせば、教団はまさに大打撃を受け、それは王国にも波及する。
なればこそ、絶対に勝たなければならないのだ。
それを思い、前方に広がる戦場を見渡した。
灰色の岩々を、白い霧が覆っている。
霧はかなり深く、視界は周囲十メートルほどしか利かない。
「それにしても凄い霧ね」
傍らに歩み寄ってきたリーゼが言う。
事前に得ていた情報どおりではあるが、こうして実際に見ると、やはり驚く。
一面まっ白なのだ。
「この北側の霧が最も濃いらしいからな」
ほかの二方面は、ここまでではないそうだ。
ちなみにヨナ教信徒の間では、この北側が巡礼ルートとして一番人気らしい。
さして標高が高いわけでもないこの地に、ここまでの霧が通年発生しているのだ。
神秘を感じるのだろう。
「神秘的ね。ここを霊峰って呼ぶのも分かる気がするわ」
リーゼも同じ感想を持ったようだ。
だが実のところ、この霧には説明がつく。
「河川が二つ、東西に流れているんだよ。山を挟むようにな」
「知ってるよ。周囲の地形は頭に入ってるから」
「その河川の水温に開きがあるんだ。それが霧の原因だよ」
この霧は、地理的な特殊性によって発生しているのだ。
神の奇跡ではない。
「え、そうなの? 温度差がある川が近いと霧が出るの?」
「ああ。俺が発見したわけじゃないけどな。昔そう主張した地理学者が居たんだよ。でも筋が通っているし、たぶんそれが正解だと思う」
残念なことに、その学者は不慮の死を遂げている。
それが謀殺なのかどうかは分からない。
何にせよ俺としては、必ずしも神秘を否定するものではない。
先ごろヴァルターと竜の神性について語り合いもした。
何か美しかったり不思議だったりする光景に、大いなるものの影を感じるのは、人にとっておかしなことではない。
そういった考えを
だが、説明のつく事象を神威に結びつけるのは無理筋だ。
ましてそれをプロパガンダに用いるなど。
「もっとも、この霧が何であれ、警戒すべきものであることは確かだ」
「うん。同士討ちにも注意しないと」
霧に向け無闇に攻撃し、味方を傷つけるようなことになったら目も当てられない。
かと言って攻撃に二の足を踏んでいては勝ちようが無い。
「そしてこの霧の向こう、南と東でも、仲間が勝ってくれると信じよう」
「そうだね」
俺は、レゥ族と反体制派をただ仲間と呼んだ。
本当は、旗印として、きちんとした呼称が欲しかったところだ。
だが俺たちは正式な同盟ではなく、消極的な協力関係であると強調している。
よって呼称は無い。
だがそれでも、同じ戦いへ挑む仲間であることに、変わりは無いのだ。
「……そろそろ時間ね」
リーゼが言った。
同時攻撃開始の時刻だ。
「ああ」
常に無い緊張を隠すように、俺は短く答えた。
いよいよ戦いが始まる。
◆
「ヴァルター。準備はいい?」
「いつでも行けるよ」
霊峰南側。レゥ族が展開する地点。
ヴァルターは、エリーカの問いに頷いた。
大きな戦いを前にしても、気圧されてはいないようだ。
皆が頼もし気に、英雄ヴァルターへ目を向ける。
もっとも、エリーカの目には、気弱な少年時代の面影が見えるのだった。
彼女の指が、ヴァルターの首元へ伸びる。
「ほら。襟が曲がってるわよ」
「い、いいよそんなの。これから戦いだよ?」
「駄目。戦いだからこそよ」
衣服の乱れは心の乱れ。
やや見た目に無頓着なヴァルターに、エリーカは常よりそう言っている。
美しい指先が自分の襟を直す間、居心地悪そうにそっぽを向くヴァルター。
ギードとグンターが、やや冷やかすような笑みを浮かべつつ、それを見守っている。
「はい。これでオーケー」
「ありがとう」
意に沿わぬ扱いでも、礼は忘れないヴァルター。
だが胸中には、密かに野望を
この大きな戦いで活躍すれば、子供扱いされなくなるかも、というものだ。
「よし、頑張ろう」
「うんうん。その意気よ」
そして、個人的な野心は抜きにしても、絶対に勝たねばならない戦いである。
それを思い、ヴァルターの表情に力が入った。
戦いの向こうに目指すのは、ただの戦術的勝利ではない。
新しい世界だ。
少し前まで考えもしなかった世界。
何にも怯えずに済むし、弱き人たちを怯えさせずに済む世界。
そして、ロルフのような新しい友人たちの居る世界。
それを実現するのだ。
そこへ至るのだ。
大切な人たちと共に。
ヴァルターは、改めて心に勝利を誓った。
そんな彼の耳に、仲間の声が届く。
「そろそろ時間だぞ」
攻撃開始の時刻だった。
穏やかな空気が霧散し、皆の顔が引き締まる。
霊峰ドゥ・ツェリンを舞台とした一大決戦が、いよいよ始まるのだ。
◆
「ロルフさん。前衛が接敵しました」
「分かった」
霊峰の戦いが始まった時刻は、俺にも分からない。
公的には、攻め込む三方が定めた攻撃開始時刻がそれになるだろう。
だが実際のところ、戦いは少しずつ始まっていったのだ。
号令などは何も無かった。
両軍は、じりじりと近づき、そしてじわりと接敵する。
それから、少しずつ
地の利が向こうにあるため、俺たちは警戒しつつ戦いへ踏み入ったのだが、敵も俺たちを警戒していたのだ。
こうして、歴史に特筆されるであろう霊峰の戦いは、特筆すべき点を持たぬかたちで始まった。
だが、始まったかと思ったら、ややあって剣戟音が
敵の前衛が下がったのだ。
これは……。
「障壁張れ! 魔法障壁だ!」
俺が叫ぶと、すぐさま魔導士たちが魔力を練り上げ、防御魔法を詠唱した。
「『
隊列の前に魔法防御の壁が出現する。
その直後、幾本もの炎の槍が飛んできた。
敵の『
炎の槍は障壁に激突し、こちらの隊列へ至る前に
間一髪だった。
「風だ!」
続けて俺の飛ばした指示は、ごく短いものだった。
だが、部下たちはきちんと
優秀な者たちなのだ。
「『
矢避けの風が大きく吹き、一時的に霧を吹き飛ばす。
霧が晴れた向こうに、敵の正体が見えた。
希少なはずの魔導士が、荒涼とした山にずらりと並び、こちらへ杖を向けている。
「済生軍か!」
俺が言うと、近くに居た部下の一人が顔を強張らせた。
当然の反応だろう。
済生軍は、音に聞く強力な軍なのだ。
もっとも、今回はどれを引いても顔を強張らせる羽目になる。
済生軍のほかは、第一騎士団と第二騎士団なのだから。
とにかく俺たちの相手は、ヨナ教団の私兵集団、済生軍に決まったわけだ。
極めて魔導に優れると有名で、それは今、この目で確認出来ている。
「また来るぞ! 障壁張り直せ!」
俺が叫んだ直後、槍は再び飛来した。
爆音をあげ、次々に障壁を揺さぶっていく。
炎の槍が、まるで
その槍の群れを目にした俺は、敵の意図を概ね理解した。
イスフェルト侯爵を最高司令官に
だが、敵にとっての最重点目標は明らかだ。
俺である。
そもそも将軍であるし、そして悪名によるネームバリューは随一なのだ。
敵は〝大逆犯〟を絶対に押さえたいだろう。
そのためイスフェルト侯爵は、本来の自分の軍である済生軍をこちらへ向けてきたのだ。
功名心のためか責任感のためかは分からないが、とにかく狙いは俺だ。
これが自意識過剰であってくれても俺は困らないのだが、黒い剣を持った大男を見るや、敵たちは目に怒りを込めている。
やはり俺に用があるらしい。
良いだろう。
こちらから出向いてやる。
胸中にそう告げて、俺は隊列の前へ進み出るのだった。
◆
──ホーカンソン男爵家四男 アンドレ述懐す──
誰の人生にだって、浮き沈みはある。
当然だろ?
良いことがあって、悪いことがある。
でもちゃんと、帳尻は合うように出来てるのさ。
それが公平な世の中ってもんだ。
そこで何年か過ごして、人々の役に立ってこいって言うんだよ。
無茶だろ。
だってあんた、軍だよ? 戦うんだよ?
俺に出来るわけないって。
兄貴が家を継いだ後は、部屋住みとしてダラダラ生きてやろうと思ってたのに。
まったく最悪だよ。
まして済生軍つったら、生え抜きの強力な魔導士たちが居るところだ。
俺みたいのが行って役に立てるわけねーじゃん。
貴族だし、多少は剣の指南も受けてきたけどさ。
そんなんで戦えるほど甘くないよ。
まあしゃーない。
そうそう実戦に出されたりはしないだろうし、家に呼び戻されるまで何年か耐えるしか無い。
帳尻だ、帳尻。
家を追い出された日が、人生最悪の日。
それ以下は、きっともう無い。
ちょこちょこ後方勤務を頑張るフリでもして、お勤めが終わる日を待つさ。
と思ってたら、人生最悪の日が更新されちまった。
実戦部隊に配属だとよ。
そんなバカな。
これはアレか? 魔導士連中の盾になれってことか?
勘弁してよホント。
もう祈るしか無い。
俺が軍に居る間は、戦いなんてありませんように。
騎士団が頑張ってくれますように。
大丈夫。俺は日ごろの行いが良いとは言えねーけど、悪いこともあんまりしてない。
女神様は見てるさ、きっとな。
大丈夫大丈夫。
駄目だった。
戦いになるんだとよ。
もう真っ暗だよ、目の前。
なんか、ここんとこ魔族どもが元気で、この霊峰にまで攻め込んでくるんだと。
ふざけてるよな。
だから嫌いなんだよ魔族とか。
空気読めよ。
つーか、いつ浮き上がるんだ俺の人生は。
家を追い出された日から、ずーっと沈んだままだぞ。
いつ帳尻が合うんだ。
ひょっとして、今度の戦いで俺は武勲を挙げるのか?
それで英雄になったり?
いやー、照れちゃうな。
アホか。
俺みたいのが色気出したらすぐ死ぬわ。開戦一秒で
戦うのは強い連中に任せて、俺は生き延びることだけ考えてりゃいいんだ。
幸いなことに、我らが済生軍は滅茶苦茶つえーんだ。
魔族なんぞに負けはしねえ。
全員倒すぜ。倒すのは俺じゃないけどな。
うちの魔導士たちが、魔族どもをガシガシ
それが俺の仕事だ。それ以外はやらん。
誰にだって役割ってもんがあるのさ。
とにかく、さっさと敵をぶっとばしてもらって、そんでさっさと終わりだ。
そんな高潔な思いを胸に、戦いの日は近づく。
いよいよ魔族どもが向かってきてるってんで、ここ何日かは、みんなやたらバタバタしてる。
騎士団も到着して、一大決戦って感じだ。
「やっぱいいっす」とか言って魔族帰ってくんねえかな。
そんで騎士団の連中も「ええーーっ!?」って。
そしたら面白えなって思ったんだけど、まあそうはならんわな。
残念。敵は来ちゃった。
ついに迎えたわけだ。戦いの日を。
俺も出陣。
ここまで来たら
そりゃそうだ。死にたくねえもん。
でも仕方ない。
とにかく味方に頑張ってもらって、安全に終える。
それだけだ。
繰り返しになるけど、とにかくうちの連中は滅茶苦茶つええ。
魔導士って元々そんなに居ないんだけど、この済生軍にはごろごろ居るのよ。
そんでみんな一流なのよ。
こいつらが負けるところって、まったく想像つかん。
勝つのは決まってるとして、とにかく重要なのは、俺に危険が及ばないことだ。
かすり傷一つ負うことなく、百パー無事に帰りたい。
俺の願いはそれだけだ。
ささやかなもんさ。
で、霊峰の中腹で俺たちは敵を待ち構える。
見渡す限り灰色の岩ばかりが広がる山。
いや、見渡す限りってのはおかしいか。
実際、山の裾野がすげえ大きく広がってるんだけど、霧に阻まれて見渡せないんだよ。
この北側は本当に霧が深いんだよな。
荒涼とした山に白い霧が広がって……と、けっこう神秘的な光景なんだけど、今日はそんな感想は持てない。
ただただ寒々しいわ。
何せこれから戦闘が始まるんだからな。
そして敵は現れた。
霧で煙ってるが、確かに来てる。
そして徐々に、剣がぶつかる音が聞こえてきた。
始まっちまったんだ。
「『
何人かの魔導士が、同時に魔法を放った。
スピードも威力も一級品。
いつ見てもすげえ。
これで敵はごっそり減る。
と思ったら、魔導士たちは鋭い視線を霧の中へ向けたままだ。
どうも障壁を張られたらしい。
次の瞬間、敵の風魔法が舞い、一時的に霧が晴れた。
「う……」
つい声が出ちまう。
霧の向こうに見えたのは、敵の大軍だった。
まあ大軍が来てるとは聞いてたが、実際に見ると怖い。
やはりここは、魔導士たちにまるっとお任せだ。
大軍であれ、うちの軍の前じゃノーチャンスなんだからな。
俺が心の中で声援を送ると同時に、魔導士たちは魔法攻撃を再開した。
『
第一列が撃って下がって、第二列が撃って下がって、で第三列が撃つ。
矢で同じことをやることはあるらしいが、それを魔法でやるのがとんでもない。
ふざけた練度とふざけた物量。
味方で良かったよホント。
ん。
再び霧が視界を塞いだと思ったら、霧の向こうから何かが現れた。
黒い
魔導士のうちの数人が、すぐさま反応した。
敵陣へ向けて詠唱中だった『
さすがの判断力だな。
何本もの『
こりゃお
え?
男が剣を振った。
今、何回振った? 見えなかった。
炎の槍も見えなくなった。
と言うか、かき消えた。
何あれ? あれ何?
理解が追いつかない俺をよそに、男は済生軍の隊列に突っ込む。
瞬間移動でもしてるかのように、一瞬で肉薄する。
そして剣を振る。
たちまち魔導士たちが討ち倒されていく。
こちらの剣士たちが斬りかかったが、片っ端から返り討ちに遭っている。
魔法が再びそいつへ殺到するが、やっぱり全部かき消された。
こいつ、人間だ。
魔族についた人間が魔法を斬るとは聞いてた。
でもピンと来なかったんだ。
魔法を斬るっていう概念が理解出来ない。
〝空を煮込む〟みたいな、〝
だって魔法って斬るものじゃないから。
だけど、いま見て理解出来た。
こいつ魔法を斬ってる!
あの黒い剣の
いや、だとしてもおかしいだろ!
だって『
それが同時に何本も向かっていってるんだぜ?
それを斬るってなんだよ?
斬れねえよ! 常識考えろ!
「撃て!」
男が叫んだ。
誰に言ってんだ?
まさか、霧の向こうに居る味方へ言ってんのか?
そう思ったら、肯定するように敵軍の方向から炎やら氷やらがびゅんびゅん飛んでくる。
男への対応で敵陣に注意を向けられないこちらの隊列が、たちまち魔法攻撃に晒された。
さっきと逆の展開だ。
この男、自分もろともこっちを討つつもりか?
いや、違う。
こいつには魔法が当たらない。
敵陣から飛んでくる魔法は、全部こいつを避けてる。
いやいや、そうじゃない。
こいつが避けてる。
どんどん斬り込んでこちらの兵を倒していく。
でも魔法はこいつに当たらない。
この男、魔法が当たらないように立ち回りながら剣を振ってる!
視界と感覚どうなってんだ!?
こっちの隊列は一気に崩れた。
駄目だこれは。
逃げねえと。
でも足が竦んで動けねえ。
男の剣からは、黒い粉が舞い飛んでる。
あれは煤か?
白い霧の中、黒い煤が何本もの帯を引く。
白と黒が、上等の
それを背景に、奴と剣が舞う。
ゆったり構えたかと思えば、一瞬で踏み込んでこちらの兵を倒し、そこへまた黒い帯が引かれる。
そして男は睨めつける。
途端、何人もの兵が、気圧されて後ずさった。
これはどうにもならん。
まるで
女神の摂理を否定するかのような、許されるはずも無い存在。
いや、それにしては妙に美しい。
美しい?
そんなわけない。
こいつは魔族に
そんなことより、とにかく逃げるんだ。
震える足をどうにか動かし、俺は駆け出した。
最悪だよ。
済生軍に入れられた時、それを超える最悪は無いと思ってた。
実戦部隊に配属された時も、敵が攻めてくると知った時も、それこそが最悪だと思ってた。
そうじゃなかった。
今日だ。
ああ、人生最悪の日は今日だったんだ。
どれほど走っただろうか。
遮二無二逃げるうち、俺は戦域から大きく外れていた。
判断力を失ったまま走る。
でもここは、霧で視界が利かないうえ谷がある山中だ。
そして今日は、人生でいちばんツキが無い日なのだ。
「あっ!」
当然のこととして、俺は谷へ足を滑らせた。
そして転げ落ちる。
がつがつと岩肌に体をぶつけながら滑落していく。
谷底へ落ちていく。
その
◆
俺は谷底で目を覚ました。
そう、目を覚ました。生きてるのだ。
全身、傷だらけだ。骨も折れてるらしい。
でも生きてる。
…………生きてる!
その事実をようやく理解し、僥倖に感謝した。
生きてる!
帳尻が合ったんだ!
あんなとんでもないのが居る戦場で、死なずに済んだ!
俺はこの瞬間のために、運という運を溜め込んでたんだ!
これまでのツキの無い日々は、このためにあったんだ!
心を入れ替えよう。
部屋住みでダラダラ生きるという野望は諦める。
帰ったらちゃんと働こう。
でも、戦場に戻るのはゴメンだ。
それだけは断固拒否する。
そもそも動けないしな。
と言うか、こんなところへ助けは来るんだろうか?
ここで朽ちるということは無いだろうな?
そう思って周囲を見まわす。
谷底だここは。
どう見ても谷底。
相変わらず、霧も出ている。
「………………」
幸運はまだ残ってるか?
溜め込んだ分は、いま使い果たしてしまった気がするが……。
「………………」
いやいや、大丈夫。
大丈夫に決まってる。
そうだろ?
大丈夫だよな?
◆
霊峰の南側、中腹。
ロルフたちとほぼ時刻を同じくして、レゥ族も接敵した。
北側と違い、こちらは霧が薄く、前方が見渡せる。
「これは……ツイてるかもしれん」
レゥ族兵の誰かがそう言った。
見渡した先に展開しているのが第二騎士団だと気づいて漏らした感想だった。
少なくとも最悪の相手、第一騎士団は引かずに済んだ。
第二騎士団と済生軍のどちらが強いかは判断の分かれるところだ。
王国序列二位が伊達であるはずは無く、市井に問えば第二騎士団と答える者の方がおそらく多い。
だがその一方で、戦場に立って彼らを相手取る者は、また違った考えを持つ。
魔導の大部隊との戦いは多くの者にとって未知であり、警戒せざるを得ない。
どのような戦いになるか、予測が立ちづらいのだ。
そうなると、第二騎士団の方がマシということにもなる。この戦場に居る敵勢力のうち、最も与しやすい相手ということに。
それを思い、男は「ツイてる」と漏らしたのだ。
決して、敵を侮ったつもりは無かった。
だが十数分後、彼は自らの不見識を知った。
侮っていたのだ。
第二騎士団は、彼の想像を超えて強かった。
「おおおおおっ!」
「ぐぁっ……!」
「出すぎるな! 各個撃破されるぞ!」
レゥ族の部隊長が声を張りあげる。
それをかき消すように、圧力のある攻撃を正面から展開してくる第二騎士団。
レゥ族兵が一人、また一人と、斬られ、刺し貫かれていく。
当然の
彼らは決して隊列を崩さず、確実に歩を進めながら戦っている。
巧みに多対一の状況を作りながら、レゥ族兵を討ち減らしていくのだ。
「自陣内に引っ張り込め!」
レゥ族は、敵を誘って引き込み、第二騎士団の強固な隊列を崩そうと試みた。
だが、騎士たちは誘いに乗らず、横の連携を保ったまま進んでくる。
そして確実にレゥ族を削っていった。
「崩されるぞ! 踏み留まれぇ!!」
必死に
彼らは決して弱くない。
むしろ、かなり強い部類に入る。
なにせ先の戦いでは、アルテアン領に攻め込み、そして陥落させたのだ。
その直前に、王国領は立て続けに二つも陥落しているため、印象が薄れる感はある。
だが王国から領土を切り取るというのは、歴史に特筆される大事件だ。
ヴィリ族、ゴルカ族と同様、レゥ族もそれをやってのけた氏族なのである。
だがこの戦場には、シンプルな、そしてレゥ族にとって不本意な事実がある。
第二騎士団も強いのだ。
「前進やめ! 障壁張り直せ! 矢が来るぞ!」
油断なく、そう指示を飛ばすのは、第二騎士団副団長のアネッテである。
堅実な用兵だった。
もっとも、アネッテは堅実より速攻を好む傾向にあり、我慢を強いられる用兵は好きではない。
今回の戦闘プランは参謀長のフェリクスによるものなのだ。
アネッテとしてはその点が気に入らないが、とは言え栄えある第二騎士団の副団長を務める人間である。
戦いに私心は持ち込まない。
クロンヘイムに信頼される部隊運用能力を遺憾なく発揮し、部下たちを的確に動かしていた。
「矢はダメだ! 障壁張られた! もう一度近接でいくぞ!」
レゥ族も、士気を損なわず戦っている。
だが攻め切れない。
隊列に穴を開けても、後列の兵ですぐにそこを埋められてしまう。
第二騎士団は、前列と後列で即時的に兵を流通させ、軍の回復力を十全に発揮していた。
完璧な連携である。
この組織力こそが、まさに第二騎士団の強みなのだ。
彼らは、完成された全体の力で敵をすり潰す。
一枚岩と言うべき布陣には、まったく隙が生まれない。
王国東部の戦線を、目立った損害も無く支え続けた第二騎士団。
その背景には、ひたすらに磨き上げられた組織の強さがあったのだ。
「『
そこへ聞こえてくる詠唱。
さして声量の無い詠唱だったが、それは不思議と響き渡った。
次の瞬間、第二騎士団の隊列を雷が襲う。
『
「うわあぁっ!」
「来たぞ! 奴だ!」
第二騎士団が警戒を
危険度を最高レベルに定めていた相手が前線へ出てきたのだ。
情報どおり、学者のような風体の優男。
だが強さは折り紙つきである。
「よし、いこう」
彼の言葉に、傍らのエリーカ、ギード、グンターが頷く。
全員の瞳に信頼が
そして魔法を放った男、ヴァルターは、前方の敵を見据えていた。
◆
反体制派のリーダー、デニスは、霊峰の東側で開戦を迎えていた。
岩ばかりの山は荒涼としており、普段ならそこに熱など感じない。
だが、早くも両軍は激しく衝突しており、怒号と熱気を周囲に振りまいていた。
「いやー、こんなことになって残念だね」
デニスは言う。
〝こんなこと〟とは、人間同士が戦うことだ。
彼は国への反抗を指揮してきた者であり、すなわち人間と戦ってきた。
だが、戦場で人間の集団同士がぶつかり合うという状況は初めてである。
これまでの戦いとはわけが違う。戦争なのだ。
「悲劇だよ」
誰に告げるでもなく零すデニス。
反体制派と済生軍。同胞であるはずの人間同士だ。
それが戦っている。
魔族に対する反抗が組織化され、それが広がり、やがて国が出来上がった。
それがロンドシウス王国の成り立ちである。
建国の時点から、魔族との戦いを命題とする国なのだ。
その国で人間同士が戦っている。
戦場で、叫び声をあげながら殺し合っている。
「いや、ままならない。ままならないよなあ、世の中」
デニスは嘆息した。
冗談めかした軽い口調だが、本音である。
戦わなくて済むなら、その方が良いに決まっている。
だが、彼と彼の家族を襲った悲劇は許容し得ぬもので、同じようなことが国の各所で起きているのだ。
それを思えば、戦いを選ばざるを得ない。
戦いもまた悲劇であることが分かっていても。
「おっと!」
「がっ……!」
襲いくる敵の刃を躱し、返す刀を振り入れるデニス。
現役からは退き、今はデスクを居場所とする男だが、もともと名うての傭兵である。
領内で知らぬ者は居ないほどに高名なのだ。
最盛期のデニスには、今の自分もまったく
さすがにそのころの力はもう無いが、しかし戦士としてのキャリアを全うし生き延びた者の凄みは、余人に測れぬものがある。
彼は当然のように老獪で、そして周りがよく見えていた。
何より感情の制御に
だが「人の死に慣れているのか」と問われれば、その時は彼も不快感を禁じ得ぬことだろう。
確かに長く戦い、多くの死に立ち会ってきた。
だが慣れることなど無い。
彼はただ、受け入れる
「デニス! 敵は済生軍みたいだけど、様子が変じゃないかい?」
戦いながら傍らに来たフリーダが問う。
デニスには質問の意味が分かっていた。
相手は済生軍だが、その多くが剣や槍を装備しているのだ。
済生軍の代名詞と言うべき魔導士が少ない。
「軍を分けたんだろうな。本隊と言うべき魔導部隊は、別方面に回したんだよ」
「そういうことか」
デニスもフリーダも、「ナメやがって」と、剣を握る手に力を込めたりはしない。
彼らにそのような価値観は無いのだ。
特にデニスは口元に笑みすら浮かべていた。
「妥当な評価を頂けたようで」
そのデニスに、槍が二本突き込まれてくる。
剣を振るって一本を
「がは!」
「げぁっ!」
もう一人の敵はフリーダが倒していた。
彼女が動いてくれることは分かっていたのだ。
楽が出来る場面では楽をするというのがデニスの信条である。
予想どおりにフリーダが動かなければ危なかった場面だ。
それが分かっているフリーダは、やや非難がましい視線を向けるが、デニスには気にしたふうも無い。
「年寄りには楽をさせろよな」
それが敬老精神だ、とばかりに言い放つデニス。
彼はまだ四十代だが、腐して自身を年寄りと主張したがる壮年は珍しくない。
しかしデニスのそれは、フリーダにしてみれば鬱陶しいのみだ。
戦場に居る時点で老いも若きも関係ないのだから。
だがデニスに言わせれば、フリーダの頼もしい戦いぶりこそが、彼に老いを自覚させるのだ。
後進の台頭ほど、人に歳を意識させるものは無い。
フリーダの見せる流麗な剣技は一流と言って良いもので、彼女を昔から知っているデニスとしては、時の流れと人の成長について考えてしまう。
彼から見て、フリーダには危うい時期もあった。
男に対するやや
それは腕の良い女傭兵にしばしば見られる過ちで、そのままでは不幸な末路へ至っていたかもしれない。
しかし彼女は
人としての正道を歩いてくれているように見える。
デニスはそのことが嬉しい。
「ちょっと、何ニヤニヤしてんの? 戦場だよ?」
その原因の一端は、あの男、ロルフにもあるのだろう。
ならば彼女の保護者として、返すべき恩があるというもの。
それを思い、剣を振るう。
「ほっ!」
巧みに敵を退けるデニス。
フリーダの美しい剣技もあり、二人は戦場の注目を集め始めていた。
当然そこには、強い戦力が向けられる。
「向こうだ! あの男と女をやってくれ!」
周りに導かれて出てきたのは、デニスと同年代と思われる男だった。
中肉中背で、だらりと下げた腕に剣を持っている。
「神器は持ってこなかったのか?」
「要らんよ、あんなもん。たぶんリスクあるしな」
目の前の男らの会話に、デニスは警戒感を強める。
教団は、神器と称せられる強力な武器を幾つか所蔵している。
この霊峰にもあるはずだ。
男の手にその神器は無いようだが、彼はそれを持つことを許されるレベルの者ということだ。
「スヴェンです。よろしく」
「これはご丁寧にどうも。デニスです。こっちが娘のフリーダ」
「娘じゃないから」
戦場に似つかわしくない挨拶を交わしながら、デニスは内心で溜息を吐く。
本隊の魔導部隊と戦わずに済んだと喜んだのも束の間、やはり楽は出来ないらしい。
なにせ、スヴェンと言えば済生軍最強の剣士である。
心の底から御免
だが残念ながら、戦いは避けられないのだ。
◆
「また無茶するわね……」
ロルフは、一人で深い霧の中に突っ込んでいった。
私も自ら斬り込むことが多いけど、あそこまであからさまな単騎駆けは出来ない。
「リーゼさん、援護を出しますか?」
「いえ、ここは展開を待つわ」
モニカの問いに、私は首を振った。
いま味方を踏み込ませても、ロルフの邪魔にしかならないだろう。
彼を信じるべきなのだ。
あの真っ白な霧の中で、ロルフはきっと状況を動かす。
「リーゼさん! また撃ってきます!」
「障壁維持させて!」
霧の中からオレンジ色の魔力光が複数見えた。
あれは『
私たちは、再び防御態勢を敷いた。
でも、炎の槍はこちらへは飛んでこない。
どうやら敵たちは、ロルフへ向けて魔法を放ったみたいだ。
しかし……。
「
モニカが言う。
『
でもその音がしない。
「斬ったんでしょうね。何本もの『
「………………」
冷静なモニカも、いつもと違う表情を見せる。
事実を受け入れるのにやや難儀している、そんな表情。
ロルフの力を知っていても、やはりそういう表情になってしまうのだ。
モニカに同調する私をよそに、敵の怒号と悲鳴が聞こえてきた。
その声からは、済生軍がまさに恐慌へ陥っていることが分かる。
まあ、あんなのに懐へ飛び込まれたら、恐怖しか無いだろう。
「撃て!」
その声は霧の中から届いた。
よく通る声だ。
そして聞き間違えようの無い声。
ロルフが発したその指示の意図を理解し、私は命じる。
「魔導部隊! 霧の中へ向けて斉射!」
「い、いいんですか?」
モニカが驚いている。
それはそうだろう。
あの霧の中にはロルフが居るのだ。
味方を撃ってしまったら目も当てられない。
でも。
「大丈夫よ」
私は自信を持って言った。
そして味方の魔導士たちが魔法を放つ。
火の玉や氷の
敵の悲鳴が大きくなる。
隊列はかなり乱れたみたいだ。
攻めるならここだろう。
「行くわよ! 前衛部隊は突撃! 私に続いて!」
双剣を手に、私は霧の中へ突っ込んだ。
◆
霧で視界が悪いことを利用し、俺は敵の隊列へ飛び込んだ。
敵もすぐさま魔法を放ってきたが、それを処理し、そして剣を振るう。
魔導部隊を一気に討ち減らし、次いで斬りかかってきた剣士たちを倒す。
そして味方に号令し、今度はこちらから魔法攻撃を実行した。
俺は短く「撃て」と叫んだだけだったが、リーゼが正しく意を汲んでくれた。
嬉しいものだ。
戦場で味方と相通ずる瞬間、俺は有り難みを感じる。
命がけの場にあって、自分は一人ではない。
それを思い出させてくれる友人たちは、本当に得難い存在だと思う。
魔法はどんどん撃ち込まれてくる。
それに当たらぬよう立ち回りつつ、俺は剣を振るっていく。
敵の隊列は大きく崩れていた。
ここがチャンスだ。
いや、しかし。
多いな、魔法。
信頼してくれているのは嬉しいが、ここまで遠慮なく撃ちまくってくるとは。
俺の場合、一つでも被弾したら致命傷なのだが。
まあ良い。
シビアな戦いなんだ。
過度に安全マージンをとった戦いをしていては、どこかで足を
俺は全身の感覚を励起させ、魔法が着弾しない位置を取りながら、剣を振り続けた。
そして魔法が止んだのちも、研ぎ澄ました感覚はそのままに、敵と戦う。
その感覚が、自陣から猛スピードで突っ込んでくる者を捉えた。
来てくれたようだ。タイミングも完璧だな。
俺がそう思うと同時に、霧の向こうからリーゼが現れる。
前衛部隊と共に斬り込んだのだ。
「ロルフ! 来たわよ!」
「助かる! このまま押し切るぞ!」
俺が言い終わるや、リーゼは双剣を手に、済生軍へ躍りかかった。
そして凄いスピードで、敵たちを倒していく。
舞うような戦いは、いつにも増して美しい。
霧の中、幻想的でさえあった。

「リーゼさんに続け!」
ほかの兵たちも果敢に踏み込む。
こうして敵味方が入り乱れる状況を作ってしまえば、魔法で一方的にやられる不安は減る。
最初の突撃で魔導部隊を大きく削ったし、この一帯は制圧まであと一歩だ。
「ロルフ! さっきの魔法での援護! いい判断だったでしょう? ロルフの意図はちゃんと伝わったわよ!」
「あ、ああ。俺たちの連携は中々だ」
あんなに遠慮の無い斉射が来るとは思わなかったが。一瞬ヒヤっとしてしまった。
とは言え、まあ、信頼というのは有り難いものだ。
「リーゼさん! ロルフさん!」
そこへモニカが声をあげる。
こちらが優勢と見るや前線を押し上げ、自らと共に中衛を敵陣へ踏み込ませたのだ。
やはり彼女は優秀である。
「この一帯の趨勢はほぼ決しました! 右翼方面はシグさんらの活躍もあり、同じく優勢! ただ……!」
「左翼か。援護が要るか?」
「はい! 敵の魔導士がかなり強いらしく……! おそらく、アルフレッド・イスフェルトです!」
済生軍で最も高名な魔導士。司令官イスフェルト侯爵の息子だ。
だがその立場によって高名なわけではない。強いのだ。折り紙つきと聞く。
「俺が
「ええ!」
頷くリーゼの声は、信頼で満ちている。
俺もリーゼを信じてこの場を任せ、そして駆け出した。
◆
「前衛は崩されずに頑張ってる! 押し返すぞ!」
「俺たちが出る! 前を開けろ!」
ギードとグンターが声をあげ、駆ける。
二人はレゥ族でも名うての戦士で、本来なら部隊を束ねる器だ。
それなのに、ヴァルターを守るのは俺たちしか居ない、などと言って僕に付いてくれている。
「はぁっ!」
そして彼女も居る。
族長の娘、エリーカとは長い付き合いだ。
僕が過分な評価を与えられるずっと前からの友達である。
傍に居てくれるこの人たちのためにも、期待を裏切るわけにはいかない。
僕は魔族の英雄、ヴァルターなのだ。
「『
さっき撃った『
今は敵に勢いがある状況だ。それを鈍化させる必要がある。
そのため、まずは魔法が持つ面の制圧力を活かし、敵の隊列全体に圧力をかける。
「撃ってきてるぞ! ヴァルターだ! 警戒しろ!」
敵もさるもので、障壁を張ってしっかり被害を抑えている。
でもこれで良い。
討ち取ることを目的とした魔法攻撃じゃない。
足を止めさせて戦場を組み立て直すためのものだ。
「負傷者下げて! 中衛、隊列を保ったまま前へ!」
指揮権を持つエリーカが声を張りあげる。
その指示は僕の意図を汲んだものだった。
押し込まれて決壊寸前だった前線が、構築され直していく。
「おおおぉぉっ!」
「であっ!」
ギードとグンターが槍を振るい、敵の正面を痛打する。
一瞬、敵の隊列が乱れを見せた。
それでも第二騎士団の統率力は恐るべきものだ。
すかさず兵を動かし、隊列を整え始める。
見事な部隊運用。
美しさすら感じる、完成された組織の力だ。
でも、その穴は塞がせない。
「『
面の次は点だ。
敵の乱れた隊列が組み直される前に、その乱れた箇所へ氷の礫を割り込ませた。
「うわあぁぁぁ!」
十数個の礫を、一か所へ集中させる。
がこりがこりと、
鎧は大きく陥没し、着ている者は重傷を負う。
騎士たちが倒れ、第二騎士団の隊列が初めて崩れるのだった。
「そこよ!」
エリーカの合図と共に、味方が攻撃を加える。
敵の隊列に開いた穴は、じわじわと広がっていった。
「『
前衛の攻撃を、魔法の火球で援護する。
魔法の精密射撃は、僕の最も得意とするところ。
敵と味方が入り乱れる状況にあっても、確実に敵だけを狙っていけるのだ。
「よし! 皆、この機をモノにするわよ!」
エリーカの号令を受け、味方が敵陣へ踏み込んでいく。
戦場の流れはこちらが摑んだ。
少しずつ、レゥ族の兵たちが敵を削っていく。
「くそっ! 奴を何とかしろ!」
「居るぞ! あそこだ! ヴァルターだ!」
僕の姿を捕捉した敵が、こちらへ向けて矢を放ってくる。
でも僕は対応しなかった。
僕の魔力は攻撃にのみ使う。
第二騎士団は、そうしなければ勝てない相手だ。
障壁を張るのにリソースを使うべきじゃない。
それを理解しているギードとグンターが、盾を持って僕の前に立つ。
矢は、彼らの盾に阻まれた。
「ヴァルター、大丈夫か?」
「ああ、ありがとう」
敵の隊列を乱すという仕事を終え、大急ぎで一気に後衛まで戻ってきたのだ。
おそるべきスピードと運動量。
彼らが味方で本当に良かった。
杖の指す先は、敵正面から右翼寄り、やや中衛の一点だ。
さっき、敵は僕を見つけて矢を放ってきた。
でも部隊の要を捕捉したのは敵だけじゃない。
第二騎士団の組織力は凄いが、ああも整然と隊列が動けば、そこにある規則性も知れるというもの。
指示がどこから出ているか、僕は看破していた。
「『
十分に魔力を練り上げて生成した炎の槍。
それが狙った場所へ飛び込んでいく。
そして爆音と共に、障壁が割れる音が響いた。
「ぐああぁぁっ!」
女の声だ。
『
敵がざわめく。
そして、彼らは目に見えて統率を失っていった。
「副団長がやられたのか!?」
「駄目だ! 退がれ!!」
落としたのは副団長だったようだ。
敵は皆、色を失っている。
そこを好機と味方が斬り込もうとするが、その足が止まる。
凄い圧力を感じさせる男が、敵の中から前に出てきたのだ。
「皆、落ち着け。中衛を前に出しつつ、全体を下げるんだ。各部隊長はフェリクスの指示に従い隊列を組み直し、指揮系統を回復させろ」
男は朗々と告げた。
ごくり、と。誰かが唾を吞む音が響く。
だが、いつの間にか戦場は、気味が悪いほどに静まり返っていた。
敵と味方の視線を集めるその男は、落ち着き払った態度で続ける。
「兵の損耗は皆が思うほど大きくない。流れに目を取られて
そう言って剣を掲げ、「では行け」と男は言った。
すると
それを見届け、男はゆっくりと首をこちらに向けた。
かなり距離があるが、確かに目が合う。
「ヴァルター、来るわよ!」
台詞に緊張を滲ませ、エリーカが言った。
男が誰なのか、彼女には分かっているのだ。
もちろん僕にも。
その直後、男の姿が人波の中へ消える。
僕の魔法を警戒してのことだろう。
だが、こちらへ向かってきている。
男は僕と戦いたがっているのだ。
彼は一軍の将だが、僕を倒すことを自分の仕事と心得ている。
さっき目が合った瞬間、僕はそれを理解させられたのだった。
視線にそういう意志を込めることの出来る強者。
向かってきている男は第二騎士団団長、ステファン・クロンヘイムである。
◆
「おおおうるぁぁぁぁぁぁ!!」
悪。
そうとしか思えぬ、獣の如き
ロルフが援護に向かった左翼方面とは逆方向、ここ右翼側に、それが響き渡った。
済生軍の前に立ちはだかるのは常に神敵である。
いずれも紛うこと無き悪ばかり。
したがって、いま目の前に居るのも間違いなく悪だ。
そして彼ら済生軍に、悪を恐れる理由は無い。
女神へ仇なす愚か者にあるのは、神威に焼かれる末路のみ。
悪は滅びるだけの存在なのだ。
だが、このとき彼らは心胆を凍えさせていた。
決して認めたくない。認めたくないが、恐ろしい。
目の前の暴威には恐怖を感じる。
その恐怖をまき散らす存在、シグが、更に敵陣へ踏み込んでいった。
「どおぉらあぁ!!」
「取り囲め! まずその男を処理しろ!」
部隊長の声は、焦りから上ずっている。
この戦域の隊列は、ほかに比べると若干
最も布陣の厚い中央部分や、アルフレッド・イスフェルトが居る反対方面に比べ、戦力に劣るのは事実だ。
だがそれでも、音に聞こえた済生軍の精鋭たちである。
彼らが想定していたのは、今まで同様、神敵を成敗して勝利することだけだった。
それなのに押し込まれている。
開戦後、霧の中へ矢と魔法を射かけ、戦線を構築しようとした済生軍だったが、魔族軍は防御態勢をとりながら、じりじりと前線を上げてきた。
そして中間距離まで迫ったところで、風魔法で霧を飛ばし、一気に駆け込んできたのだ。
その際、先陣を切って走る男に、済生軍の面々は
魔族軍の中に人間が居ることは聞いていたが、実際に目にするとやはり驚く。
そしてその男は、マトモではなかった。
魔導部隊の杖が彼の方を向いているにもかかわらず、もの
戦いに勝つためにはリスクも背負わなければならない。それは当然だ。
しかし彼は度を越していた。
済生軍の目に、彼は頭のネジが飛んでいるように見えたのだ。
誰かの喉から「ひっ」と空気が漏れる。
男は、
まるで肉食獣のような風格を全身に纏っている。
神は絶対。
信仰
神の威が獣の威などに敗れるはずは無いと。
だが、本能を捨て去れるものではない。
その暴獣を前に、杖を構える者たちは一時的ながら体を竦ませたのだ。
それはやむを得ざることであった。
魔法を放ったとして、それを外せば、獣は自分たちの喉を食い破るのだ。
それを信じさせる殺気と圧力が、シグにはあった。
結果、放たれた魔法は普段より数と威力に劣るものだった。
済生軍は、剣をぶつけ合う前に、プレッシャーのかけ合いで敗れたのだ。
戦場に霧がかかったままであったら、シグの目を見ずに済んでいたら、違う展開もあっただろう。
だがシグは敵陣に踏み込み、そして暴威を
たちまち隊列を乱す済生軍。
一気に戦場の主導権を握られてしまったかたちだ。
「ぜえぇあぁ!」
「ぐぁっ!」
済生軍は斬り伏せられていく。
そして先陣を切ったシグに続き、魔族軍がなだれ込む。
「何故だ!」
済生軍の中で誰かが叫んだ。
「おのれ」でも「ちくしょう」でもなく「何故だ」。
彼らにとって理屈に合わぬ光景。それを前に出た言葉だった。
◆
「こりゃあ……冗談、キツイねえ……」
デニスの口調は軽いままだ。
だが肩で息をするその姿からは余裕を感じられない。
目の上を切り、血が顔を流れている。
「はぁ……はぁ……」
隣で剣を構えるフリーダも同様に疲労が激しい。
優れた敵手と
剣を振ることによってのみ疲れるのではない。
どの瞬間に、どの角度から振り入れられてくるか分からない剣への警戒は、人の体力をごそりと持ち去るのだ。
翻って言えば、相手の体力を巧みに奪うことが、優れた剣士の要件の一つと言える。
済生軍の剣士スヴェンは、まさにそれを持っていた。
「思い出したよ。デニスと言えばアルテアン領、傭兵ギルドの長だ。現役ん時はブイブイ言わせてたよな」
「そうだったかな……? 昔から、謙虚なのがウリなんだがね……」
どうにか息を落ち着けながら答え、糸口を探すデニス。
彼とフリーダの名手二人を相手にして、スヴェンには呼吸の乱れも無い。
強かった。二人にとって、完全に格上の相手である。
「……大丈夫か?」
「はぁ……はぁ……だ、大丈夫」
だが、二人の気力に萎えは無い。
デニスは強い敵を何人も知っている。
大型の魔獣と戦ったこともあり、死にかけた経験も一度や二度ではない。
危地には慣れているのだ。
そしてデニスにとってやや意外なことだったが、フリーダも瞳に光を失ってはいない。
彼女は強きを知っている。
強い男を知っている。
今、自分より強い者に出会ったからといって、狼狽えたりはしないのだ。
「俺とこれだけ斬り結べるとはな。かなり強いよ、二人とも」
「そいつはどう……もっ!」
デニスが言い終わるより早く、スヴェンの下段斬りが襲ってきた。
それを剣でガードし、返す刀を狙うデニスだったが、スヴェンが放つ二の太刀の方が速い。
そこへ横合いから振り入れられる、フリーダの剣。
スヴェンは、自身の剣の軌道を柔軟に変化させ、フリーダの剣を払い落とす。
そしてすかさず後ろへ跳んだ。
スヴェンが居た空間を、デニスの剣が通過する。
コンマ何秒かの間に一連の攻防を終え、再び仕切り直す三者。
だが次の一瞬の攻撃に備え、筋肉の
「ふぅ。今のにも反応するか。反体制派というのも侮れんね。周りも優秀じゃないか」
三人の周囲では、反体制派と済生軍が戦っている。
ここに居る済生軍は、主力を北側に回した残りだが、それでも決して二軍というわけではない。
幾つもの戦場を知る、本物の軍隊である。
それに対し、正規の軍ではない反体制派の者たちが伍して戦っているのだ。
腕利きの傭兵たちを母体にしていることもあるが、組織を精強たらしめているのはデニスの手腕だった。
「それどころか、あんたたちが押してるっぽいな。いや、たいしたもんだよ」
本心からの感想。
スヴェンが敵を称賛した言葉を裏付けるように、反体制派の剣士たちが済生軍を斬り伏せる。
戦場の流れは反体制派に傾きかけた。
その時。
「でぇぇぇいっ!」
大きな体をした女戦士が踏み込み、
強力なひと振りに、数名の剣士が吹き飛んだ。
「おや、こっちにもよく働くのが居るじゃないか」
スヴェンが褒めたのは、済生軍の兵士マレーナだった。
彼女の危険性を素早く察知した周囲の反体制派が、彼女に斬りかかる。
「せいっ! であっ!」
だが、大きな体に似合わぬ機敏さでマレーナは迎え撃ち、
その度に反体制派は跳ね飛ばされた。
スヴェンのほかにも居た恐ろしい敵に、皆が
戦場の中、二人の目が合った。
「…………?」
フリーダに一瞬の違和感。
瞳の奥には、悲しみに縮こまる何かが見えた気がした。
あれは本当に敵なのか……?
「無理をするな! 前線を下げろ!」
フリーダの思考をデニスの声が中断させる。
彼の指示に従い、反体制派は後ろに退いていった。
押し込みつつあったが、やはりそう上手くはいかない。
それを見てフリーダは
「あらら。ちょっと弱気なんじゃないの?」
そう言って、スヴェンは再び剣を振り入れてくる。
ガードしながら、デニスも退がらざるを得ない。
そしてスヴェンやマレーナの働きに呼応するように、済生軍は攻勢に出る。
反体制派は、じりじりと押されていった。
指示を出しながらの剣戟。
デニスの疲れは許容範囲を超え、剣の振り終わりに若干の隙を生じさせてしまう。
それを見逃すスヴェンではなかった。
「そこだっ!」
鋭い横
決定的なタイミングだった。
だがその剣は、がきりという金属音と共に、フリーダの剣によって阻まれる。
彼女がすんでのところで割り込み、デニスを守ったのだ。
「おっと……。お姉さんも中々やる」
「お、おお、フリーダ!」
「な、なに!?」
「フリーダに守られちゃったよ!」
いま死にかけたにもかかわらず、満面の笑みを浮かべるデニス。
その表情にフリーダは呆れた。
「なんで喜んでるのさ!」
「後進の成長ほど嬉しいものは無いんだよ。お前さんにもいずれ分かる」
玉の汗が浮かぶ顔に喜色も浮かべ、デニスは笑った。
昔から親しく、時には守ってきたフリーダ。
彼女が長じてからはやや縁が離れ、アールベック領とタリアン領の件では、何もしてやれなかった。
態度の軽いデニスだが、それを悔やまぬ男ではない。
ゆえに、この戦いではそれを取り戻そうと思っていたのだ。
今度はきちんとフリーダを守ろうと。
ところがどうだ。
彼女に命を救われてしまった。
しかも、それを屈辱に思わぬ自分が居る。
「フリーダ。今日は記念すべき日だよ」
「なに言ってんの! ピンチなんだよ! あいつをどうにかしないと!」
フリーダが剣で指す男、スヴェンには、未だ息の乱れ一つ無い。
デニスもフリーダも一流なのだ。そして剣戟において、多対一の優位性は極めて大きい。
それなのに圧倒されている。
「いやぁ、駄目だろアレ。ちょっと強すぎるよ。勝ち筋が全然見えない。もう全っ然」
「なに言ってんだい! しっかりしなよ!」
デニスとしては、叱られても困る。
事実だし、本音を言っているのだ。
「デニス君。諦めるかい?」
「スヴェン君。私は別に信心深くはないが、この霊峰へは何度も訪れてるんだよ」
信心深くはないが用心深い。
それがデニスだった。
彼は事前に霊峰を自分の目で確認し、地形の把握に努めていたのだ。
首を
それから声を張りあげる。
「今だ!」
両翼の岩場から反体制派の兵たちが飛び出る。
そして済生軍の側面を突いた。
「おおっ!?」
驚きに声を漏らすスヴェン。
侵攻した敵地で伏兵作戦に及んでくるとは、想像もしていなかったのだ。
デニスは、自陣の両翼にあらかじめ味方を潜ませ、あえて退がり、敵を正面と左右の三方から叩くかたちを作った。
敵の圧力に押されたのは演技などではなかったが、それでも退がることは既定路線だったのだ。
状況を、それも戦術的劣勢というネガティブな状況を上手く利用する、老獪な指揮だった。
「反体制派、こんなに居たのか。よく集めたもんだな」
「人望あるからね、私」
「そうだっけ?」
横で唇を
この策を知らされていなかったことに若干の不満があるようだった。
「スヴェン! どうする?」
泡を食った済生軍が、この場で最も強い者に答えを求める。
後方に居る指揮官は判断を下せないようだった。
「退いた方がいいだろうな」
「その二人だけでも倒せ!」
兵の言う二人のうち、特にデニスは重要だった。
一応デニスは副官を立て、指揮を任せている。
だが先ほどの伏兵への指示を見るに、やはり彼が部隊の要なのだ。
済生軍としてはここで倒しておきたい。
「無理だ。俺の方が強いが、殺し切るには時間がかかる。その間に敵が殺到してくるぞ」
「だが!」
「それが分かってるから、向こうも守勢に回って時間を稼ごうとする。賢いからな、奴は」
そのとおりだった。
数ですり潰せるまで、スヴェンの攻撃に耐え抜くのはデニスたちにとって難しくない。
そして自身の強さに溺れ、その事実を認めぬスヴェンではなかった。
「一度出し抜かれた以上、戻って仕切り直しだ。敵の戦力を読み誤ってたんだから、踏み留まっても良いことは無いぞ」
そう言って、デニスとフリーダへちらりと目をやるスヴェン。
それから背を向け、ゆっくりと歩き去っていく。
そこへ斬りかかる愚を犯す二人ではなかった。
去る背中を見ながら、デニスは考えた。
この戦場に、奴を倒せる者は居るだろうか、と。
◆
「来るわヴァルター! 右よ!」
人波の中に消え、しかし確実に向かってきていた男。
ステファン・クロンヘイムは団長自ら僕と戦うことを望んだのだ。
そしてエリーカが叫んだ直後、彼は右方向から現れた。
僕を捕捉している。
でも、まだ距離がある!
いけるか?
完全に接近される前、魔導士の距離を保てるうちに倒し切りたい。
それに、高名な団長なら当然、
戦いを長引かせれば、きっと不利になる。
早い段階で勝負に出るべきだ。
杖を構える。
そこに赤黒い雷が、ばしばしと音をあげながら集まった。
『
だが、まだ距離がある中、雷の音をかき消すようにクロンヘイムが叫んだ。
「『
事前に共有されていた情報を思い出す。
クロンヘイムは風系の魔法剣を使うのだ。
剣の力を大幅に高めるそれは、威力は元より、攻撃範囲の増幅が大きい。
ひと振りで周囲十数メートルを攻撃出来ると聞いている。
しかし見たところ、彼の剣には何の変化も無い。
いや、でもこれは……!
「伏せろぉ!!」
魔法を破棄し、僕は叫んだ。
周りの味方たちが、すかさず身をかがめる。
その前方、何も無い空間へ向け、クロンヘイムが横薙ぎに剣を振り抜いた。
僕たちの頭上を、魔力が通過する気配がする。
同時に悪寒が背筋を撫でた。
僕は脂汗が浮く顔を上げ、周囲を確認する。
「な……!!」
ギードが絶句した。
同じく身をかがめていたエリーカやグンター、ほかの皆も、言葉を失っている。
回避が間に合わなかった何人もの魔族兵が、体を腰の上下で完全に分かたれていた。
どさりどさりと、上半身が彼らの足元に落ちる。
「………………!!」
誰もが青ざめていた。
「エリーカ……」
「ヴァルター。臆しちゃ駄目よ」
額を汗が伝う。
これが、ステファン・クロンヘイム。
王国序列第二位の騎士団を預かる
そんな人物が今、僕たちの前に立ちはだかっているのだ。
◆
「あれか!」
左翼方面で味方劣勢の報を受け、俺は部隊を率いてそこへ向かっていた。
そこには済生軍最強の魔導士、アルフレッド・イスフェルトが居ると思われたのだ。
果たして、俺が見据える先では、凄まじいまでの爆雷が魔族軍を襲っていた。
そしてその先、魔導士であるにもかかわらず、最
「『
男が詠唱すると、ほぼタイムラグ無しで現出した水の鞭が、魔族軍を痛打した。
鞭は大蛇もかくやの大きさで、隊列を広範に渡って削る。
あの魔導士、単身で戦況を決定づける強さだ。
長めの金髪に、
そして美しい面立ち。
間違いない。あれがアルフレッド・イスフェルトだ。
「全員、部隊の援護に回れ!」
「はっ!」
部下たちに戦線を支えるよう命じる。
そして俺の役割はあれの相手だ。
危険極まりない敵だが、ゆえにこそ、俺が対抗しなければならない。
「…………」
近づいてくる俺に気づいたらしい。
こちらに目をやると、次に杖を向け、奴は詠唱した。
「『
ごう、と音をあげ、炎の壁が現れる。
これまでに見てきた、どの『
左右へ逃れる隙が無いのだ。
普通ならどうすることも出来ず、焼かれるのみだろう。
だが俺は違う。
足を止めて剣を構え、そして振り抜いた。
ぼしゅりと音がして、炎が霧散する。
それを見て顔色を変える済生軍の兵たち。
だが、奴は驚きも焦りも見せなかった。
「黒髪の人間。お前が大逆犯ロルフか」
「じゃあ金髪の人間の名は何という?」
「知っているのだろう? 私は有名らしいからな。お前のように悪名ではないが」
そう言って、奴は再び杖をかざす。
冷たい目が俺を射抜いた。
「『
空に現れる太陽の如き火球。
以前フェリシアが見せたそれよりも、更に大きい。
そして火勢もスピードも段違いだった。
赤熱する火球は、目にもとまらぬ速さで飛来する。
だが俺の剣速も、フェリシアと戦った時より上がっているのだ。
下段から上へ振り抜いた剣は、確実に火球を捉える。
その瞬間、先ほどの『
「……ふむ。本当に魔法を斬るのだな」
「たとえ知られていても、人に名を訊く時は先に名乗るのが礼儀だぞ」
「私はお前と違って一兵卒だ。名乗るほどでもないのだがな。まあ良い。アルフレッド・イスフェルトだ」
言い終わると、アルフレッドは再度杖を構える。
そして俺が斬り込むより早く、魔法を繰り出す。
「『
彼も、俺と
剣で魔法を斬るのなら、剣の対応能力を超えた攻撃をすれば良い。
奴の『
驚くべき数だ。
フェリシアでも十二個だった。
だが、十六個という数が俺には見えている。
礫をすべて捕捉出来ているのだ。
横へ跳び、八つの礫を躱す。
残りの八つは、巧みにタイムラグを持って飛来してきた。
俺は慌てず、その八つをすべて斬り落とす。
かきりかきんと高い音を残し、氷が消えていった。
「なるほど。たいした剣技だ」
お前の魔法もたいしたものだ、とでも言えば格好がつくのだろうか。
だが芝居じみたことを言うより、俺は奴の全身を注視して隙を探すことを優先した。
そして驚かされる。
まるで剣士のような隙の無さ。
踏み込まれることへの警戒がその身に
それでも手に持つ得物が剣ではなく杖である以上、斬り込めばアドバンテージは取れるだろう。
だがフェリシア同様、近接魔法は装備されていると思うべきだ。
慎重にいかなければ、たちまち危機に陥る。
「…………」
奴の体から目を離すことなく、距離を詰める。
だが踏み込むタイミングが取れない。奴の身に剣を振り入れるイメージが湧かない。
周りでは、俺の麾下が戦線を支え、ほかの敵を引きつけてくれている。
おかげでアルフレッドと一対一の状況を維持出来るが、俺への援護も見込めない状況だ。
判断ミスは許されない。
奴の呼吸を見定め、リズムを捉える。
そして最も心身が弛緩したタイミングを摑むのだ。
…………ここだ!
俺は一気に踏み込む。
やや遠く、アルフレッドに魔法の行使を許す間合いだが、どんな魔法が来ても俺は斬る。
そして二の太刀で奴を倒す。
タイミングは測れている。
「『
アルフレッドが繰り出したのは近接攻撃魔法ではなかった。
奴はふわりと浮くと、風に晒された紙人形のように後方へ跳び
そして着地と同時に、次の魔法を詠唱した。
「『
さきほど魔族軍の隊列を大きく削った水の大蛇が、俺に向けられる。
足を止めた俺はすかさず剣を構え直し、大蛇を斬り伏せた。
霧散した水の向こう、アルフレッドは悠然と佇んでいる。
重力への干渉は超高等技術だが、奴は当然の如くやってのける。
やはり厄介だ。
「理解した」
表情を変えぬまま、アルフレッドはそう言った。
「何をだ?」
「お前を倒す方法だ」
「そうか。教えてくれ」
いま教えてやろう、と言わんばかりに奴は杖を構える。
何を使ってくる?
『
落ち着いて、確実に迎え撃つ。
そう思い、身構える俺の耳に聞こえたのは、予想外の魔法だった。
「『
雷系の基本魔法、『
杖から
やはり、並の術者のそれとは違い、その雷には相当な圧力を感じる。
だが斬れぬということは無い。
俺は横薙ぎに剣を振り抜き、雷を迎撃した。
ぱしりと音を残し、消える雷撃。
しかし。
間髪を入れず、次の雷が杖から迸り出る。
初撃と同じ圧力をもって、雷が
俺は振り抜いた剣を止めずにそのまま反転させ、再度振った。
消える雷。
この時点で展開は予測出来ている。
それをなぞるように、間隔を空けず、雷は轟き続ける。
アルフレッドは、一度の詠唱でいつまで雷を出し続けることが出来るんだ?
魔法は、術者によってその強さを変える。
威力は元より、出の早さ、弾速、数、大きさなど、術者が優れていればいるほど、強くなるのが魔法だ。
そしてその持続性も、術者によって大きく変わる。
目の前の男、アルフレッド・イスフェルトの『
奴と俺の間を迸る雷光は、途切れることなく
俺は何度も剣を振り、雷を消し去っていくが、後から後から次の雷が殺到する。
「ぐ……おおおぉぉぉぉぉ!!」
剣を振る。振り続ける。
普通では目視出来ない速度で両腕を動かし続け、雷撃を斬り続ける。
「おおおおぉぉぉあああぁぁぁぁぁ!!」
ばしりばしりと迸る雷撃。
それを斬る黒い刃。
斬る。斬り続ける。
手を止めれば、その瞬間、雷が俺の体を直撃する。
威力も並の『
俺が食らえばそこで終わりだろう。
「おおおぁぁぁ! はあぁぁぁぁぁーー!!」
いつ終わるのか、いつ止むのか。
分からない。
とにかく、到来する雷をただ斬り続ける。
それ以外に無いのだ。
「…………ッ!」
アルフレッドが、この戦いで初めて表情を歪ませた。
額に汗が浮かんでいる。
奴も限界が近いのだ。
「ぐっ……がああぁぁぁぁぁーー!!」
なお剣を振る。
雷を斬る。
一体どれだけ振っただろうか。
その果てに、俺は限界を迎える。
それは雷が止んだ直後のことだった。
「がっ……は……! はぁ……はぁ……はぁ……!」
ぱしりと最後の雷が消えた。
俺は剣を杖にし、崩れ落ちそうになる体を押し留める。
向かいには同じく、杖で体を支え、激しく息を吐くアルフレッドが居た。
「ぜぇ……はぁ……し、信じられん。貴様、今のを切り抜けるとは……!」
瞳に力を込め、俺を睨みつけるアルフレッド。
表情には怒りと屈辱が滲んでいる。
だが危なかった。
俺は完全に肺活量を使い切っていた。
シグと共にこの数か月、体力強化に励んでいなかったら、確実にやられていただろう。
奴が動けない今が好機だが、俺も動けない。
剣を手に踏み込むまで、もう数秒必要だ。
「でぇあぁぁーー!!」
息を整える俺の眼前。
敵の隊列を突破した魔族兵の一人が、アルフレッドに斬りかかる。
彼も好機と見たのだろう。
だがマズい。
済生軍の兵も一人、反応している。
アルフレッドとの間に割り込みつつ、槍を突き入れていった。
「ぐぅあっ!」
槍が、魔族兵の脇腹を
次の瞬間、アルフレッドが杖を振りかざす。
同時に、俺も行動の自由を回復していた。
「いかん!」
俺は突っ込む。
激しい焦りがあった。
誰であれ、ここに居る魔族は仲間であり、守るべき対象だ。
だが、いま杖を向けられているその兵の危機には、焦燥を強めざるを得ない。
彼の名はフランク。
俺の隣家の住人である。
彼と妻のエマは非常に仲が良く、とても温かい家庭を作っている。
隣家の俺のことも気にかけ、何くれと無く世話を焼いてくれる。
そして笑顔を絶やさぬエマは、今も夫の帰りを信じて待っている。
フランクの好物を作って待っている。
誰も望まぬ報せを持って彼女に会いに行くのは絶対に御免だ。
「おおぉぉぉっ!!」
「げぁっ!」
「『
一気に割り込み、フランクに槍を突き立てた敵兵を斬り伏せる。
だがその瞬間、アルフレッドは詠唱を終えていた。
そして氷の刃が現出する。
その数は……三十!
「ぐ……おおぉぉぉっ!!」
フランクを背に、再び剣を振る。
これはフェリシアも使った近接攻撃魔法だ。
だが、数もさることながら、技巧が違う。
フェリシアは刃という武器の扱いに慣れていなかったが、アルフレッドはそこからして違うのだ。
剣士さながらの怖い角度で、氷の刃を振り入れてくる。
「貴様ァァーーー!!」
「おおおおおっ!」
ついに激昂するアルフレッド。
さっきまでの能面が
俺はひたすら迎撃し、氷の刃を割り砕く。
ばりんばりんと消え去る刃たち。
だがすべての刃を斬るまで、一瞬も気は抜けない。
「ッガアァァァァーーー!!」
「うおおぉぉぉぉぉーー!!」
二十八枚目の刃を砕いたところで、一枚の刃が俺の腕をかすめた。
魔力によって出来た刃は、かすめただけでも大きな傷を作っていく。
「ぐぅっ……でああぁぁぁーー!!」
零れる血に構うことなく、更に剣を振る。
そして残りの二枚を砕き、刃はすべて消滅した。
「はぁっ……はぁっ……はぁ……!」
まだ剣を振れる!
激しく呼吸し、体に空気を取り込みつつ、アルフレッドに向けて剣を振り上げる。
だが、アルフレッドもまた、余力を残していた。
「『
再び重力の
離れた場所へふわりと着地した彼だが、表情はその優雅な動きに似つかわしくない。
彼の顔は怒りに染め上げられていた。
「貴様……! 魔族を守るか!」
「…………」
「その男を! 魔族を!」
「……当然のことだ」
俺の言葉を受け、奴は更に眉間の
魔族を守る人間の存在は、彼にとって許せぬものであるようだ。
俺という人間が魔族に与する者と分かっていても、実際にフランクを守る姿を見るにつけ、怒りを強めたのだろう。
「人間として生まれておきながら……! ましてその男を守らねば、いま私を殺せたはず!」
そうかもしれない。
守りながらの剣で互角だったのだ。
それが無ければ、俺の剣がアルフレッドに届いていた公算は高い。
だがそんなものは意味の無い仮定だ。
同じ状況がまた訪れたとしても、俺はフランクを守る。
「彼は友人だ。友を守る。それの何がおかしい」
「友……! 友、だと……!!」
ぶるぶると震え出すアルフレッド。
凄まじいまでの怒りだ。
その時、戦場の中央付近から
これは魔族軍のものだ。
リーゼたちはあのまま敵を押し切ってくれたらしい。
「アルフレッド様! 中央を抜かれました! 右翼方面も駄目です!」
「……だから何だ」
「さ、山頂でほかの仲間と糾合します。スヴェンも健在です」
「分かった」
そう言って、俺に向き直るアルフレッド。
表情からは、あの激しい怒りが消えていた。
ものの数秒で感情のコントロールを取り戻したのだ。
「私は貴様の如きを決して許さぬ。そして……良いか。この戦で貴様は死ぬ。私の手によってな。それは確実だ」
「俺の意見は違うが」
「……山頂、大神殿だ。来るが良い」
そして敵たちは撤退していく。
周囲を再び白い霧が覆い始めていた。
魔法が止み、吹き飛ばされていた霧が戻ってきたのだ。
そして霧の向こう、アルフレッドと済生軍の気配が遠ざかっていった。
だが、しばしの後、また戦うことになるのだ。
「ロ……ロルフさん……」
「フランク、
槍に抉られた脇腹の傷は浅い。
命に別状は無さそうだ。
「済まない……。俺のせいで、大物を取り逃がすことに……」
「逃がしていない。奴はすぐそこの大神殿に居る。頼むから喋らないでくれ。お前に無理をさせたら、俺が細君に怒られる」
さっき彼らは、他方面の兵と糾合すると言っていた。
高名な剣士、スヴェンの名も口にしていた。
山頂には、あのアルフレッドのほかにも強敵が居るということだ。
「ロルフさん……。あんたも手当てが要るぞ……」
そうだな。
まったく、毎度手傷を負わされる。
怒りに満ちた、アルフレッドのあの表情。
それが、傷の痛みと共に俺の胸中で燻り続けた。
◆
やや時間は遡る。
霊峰ドゥ・ツェリン山頂、大神殿。
エステル・ティセリウスは司令官バルブロ・イスフェルトに呼び出されていた。
「何度も呼び立てて済まない。戦局がある程度進んだのでな」
イスフェルト侯爵は、三方で戦う全軍の司令官である。
それぞれが独立して動いている攻撃側と異なり、防衛側は山頂から三方の軍を流動的に運用出来る。
その全体を指揮するのがイスフェルト侯爵であった。
今、彼は予備戦力として第一騎士団を山頂付近に置いてある。
この第一騎士団をどう使うかが重要なのだ。
「いえ。それで状況は?」
「北では済生軍本隊がヴィリ・ゴルカ連合と衝突。やや劣勢のようだ」
それを聞いても、ティセリウスは表情を変えない。
ロルフの居る北側。
迎え撃ったのは強力な魔導士を多く擁する済生軍本隊だった。
その本隊でも劣勢らしい。
「ご子息は?」
「アルフレッドは健在。彼の居る戦域では我が方有利とのことだ」
この時点では、アルフレッドはまだ撤退に至っていない。
イスフェルト侯爵やティセリウスは、彼がロルフと戦うことも当然知らない。
「現時点までで敵に与えた損害は分かりますか?」
「たいして削れていない。幹部級も、大逆犯ロルフをはじめ主だった者はいずれも健在だ」
「そうですか」
「…………」
イスフェルト侯爵は、ティセリウスの表情に注視する。
そしてそこにある感情を読み取ろうとしつつ、言葉を続けた。
「東では済生軍分隊が反体制派と衝突。優位に進めるも、敵の伏兵にあったとのこと。撤退に移っている」
それはティセリウスにとって予想外だった。
敵地で伏兵を仕込んでくるとは反体制派も中々巧みだと、胸中で彼らを評価する。
「そして南だ。第二騎士団がレゥ族を迎え撃った。こちらは
「ふむ……」
「それで、第一騎士団をどうするかだが……貴公の考えは?」
ティセリウスに意見を求めるイスフェルト侯爵。
それは彼女を試しているようでもあった。
「当然、撤退の憂き目に遭っている東側へ向かうべきでしょう」
「だが言ったとおり、北も劣勢なのだぞ」
「東はすでに撤退に追い込まれていると仰いましたよ。そちらを押さえねば」
「………………」
イスフェルト侯爵の視線が鋭さを増す。
ティセリウスの胸の裡を見定めようとしているのだ。
「ティセリウス団長。大逆犯と戦いたくないというのではあるまいな?」
「そのようなことはありません。済生軍本隊は健在なのでしょう? 霧の深い北に二つの軍を投入して、指揮系統を混乱させる必要などありません」
「……確かにそうだが、貴公には大逆犯へ同調的な発言が見られたとか。そんな噂を聞いてな」
「私を追い落としたいなら、噂などではなく一剣によって為すべきです。それが分からぬ者たちの
「これは耳が痛い。気をつけるとしよう。それではティセリウス団長、ただちに東へ」
侯爵も、第一騎士団は東に向かわせるのが順当と考えている。
ここで腹の探り合いをしていても意味が無い。
「その前に今一つ。侯爵様、禁術の使用はお控えください」
「………………」
予備戦力を投入する段に至っても、侯爵に大きな焦りは見られない。
神の御座であるこの霊峰には、邪悪な魔族を焼く神威が存在するからである。
そこにティセリウスは言及した。
「使わずに勝てれば、それに越したことは無い。貴公の働き次第だ」
「心得ました」
「武運を祈るぞティセリウス団長」
「有り難いことで御座います」
互いに感情のこもらぬ定型文での挨拶を交わす。
そしてティセリウスは大神殿を後にした。
◆
「うーん。冗談であって欲しい」
「そんなわけ無いだろ」
デニスとフリーダが、そして反体制派の面々が目を向ける先。
いま撤退に追い込んだ済生軍が帰っていった山頂方向。
そこに、新たな敵影が現れたのだ。
デニスに言わせれば、次の敵が襲ってくること自体は仕方が無い。
迷惑ではあるが、しかし予想出来たことだ。
敵は第一騎士団、第二騎士団、済生軍と三つの軍を持ちながら、済生軍を分けていた。
デニスら反体制派が戦ったのは、その分けた一方だったのだ。
であれば、いずれかの軍は「浮いた」はず。
予備戦力として待機させていたのだろう。
それが来たのだ。
だが、それにしても早い。
スヴェン擁する済生軍を撃退した反体制派は前進したが、幾らも進まぬうちに第二陣と会敵する羽目になったのだ。
山頂はまだ遠い。
敵は、撤退する済生軍が帰り着くより早く、おそらく済生軍が撤退を開始した直後から第二陣を動かし始めたのだ。
判断が早く、そして部隊運用に優れる。
優秀な指揮官、優秀な組織。その表れであろう。
それもそのはず。
前方には、王国の者なら誰もが知る深紅の軍旗がはためいている。
展開しているのは紛れも無く、ロンドシウス王国最強の軍。
第一騎士団である。
「伏兵作戦がハマってくれたから、兵の損耗は少ない。戦いにならないということは無いだろうけど、あれに勝てるかっていうと
「でもデニス。戦場で権威に怯えてちゃ、いいようにやられるだけだよ」
「ああ、そりゃ真理だ」
剣にではなく、名望の前に屈する。
それはあまりに無様だ。
王国最強という権威に恐れをなし、勝てないと決めつけてはならない。
戦場では、看板の美しさを競わせるわけではないのだ。
「まあ、やるしか無いしな」
そう言って、隊列の前に歩み出るデニス。
すらりと剣を抜き、第一騎士団を指し示す。
それから少しの間をとって叫んだ。
「見ろ! まさにあれこそ王国を象徴する存在! 我々の、敵だ!!」
声は周囲によく響いた。
日ごろのデニスからは、あまり想像のつかない
「この時のために戦ってきた! 道はここへ繫がっていたのだ! 喪った家族が! 恋人が! 友が、この戦いを見ている!」
デニスは組織の長として人を動かしてきた男だ。
そして世をよく知る男であり、また口が回る。ある種の魅力もある。
優秀なアジテーターなのだ。
「やるぞ! 我々の力を示す時! 我々の怒りを見せる時だ!」
その声に呼応し、反体制派が雄たけびをあげる。
力強い声が霊峰を震わせた。
「おおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
声と共に足音を響かせながら、反体制派が第一騎士団へ襲いかかっていく。
その光景にやや驚いたのは、第一騎士団の中衛に居たティセリウスだった。
「士気も数もまだ十分か」
そう漏らすティセリウス。
正規の軍ではないからと、侮って良い相手ではない。
反体制派は傭兵たちを母体としている。彼らは戦闘のプロである。
傭兵の中にはベテランが多く、騎士らより長く剣を握っている者も少なくないのだ。
そんな者たちが突っ込んできている。
お前らなど怖くない、と言わんばかりに。
「ならばお手並み拝見といくか」
ティセリウスは剣を抜き、前方を指し示した。
彼女もまた、正面からの攻撃を選択したのだ。
こうして、反体制派と第一騎士団が激突した。
◆
「これは……」
戦闘開始からしばらくの
第一騎士団の部隊長が声を漏らす。
正面から踏み込んできた反体制派だったが、その動きが僅かに不自然なのだ。
あくまでごく僅か。第一騎士団で部隊長を務めるほどの騎士であればこそ気づけたレベルであった。
本来なら、まず分からなかっただろう。
反体制派は、隊列全体をほんの少しだけ左にスライドさせながら攻めてきているのだ。
正面の部隊が左翼に回る、といった運用ではない。
ただ本当にごく僅かだけ、左方向に踏み込みながら戦っている。
第一騎士団から見る限り、それは意味の無い動きに思えた。
それはフリーダにしても同じである。
彼女は傍のデニスに尋ねた。
「この動きは、どういう意味があるんだい?」
「意味は無いな」
「え?」
策の妙味を見せ、スヴェンら済生軍を撤退に追い込んだ反体制派。
その知謀を第一騎士団が警戒することは自明であった。
だがデニスにしてみれば、それは過大評価というものだ。
大規模な魔獣討伐作戦などを指揮した経験はあるが、一軍を率いての戦争となると初めてなのだ。
そう都合よく策を用意出来るわけではない。
そこで、敵の過大評価を利用することにした。
思わせぶりな行動をとることによって、不要な思考を押しつけるのだ。
どこかに奇策が、と身構えた第一騎士団は、消極的にならざるを得ない。
ぶっつけ本番の部隊運用だが、「やや左を狙え」。指示はそれだけで良い。
ほぼ無意味に見える、そして実際無意味な、いつもと僅かに違う動き。それが出来れば良いのだ。
それは最強たる第一騎士団でなければ、まず気づかなかったであろう僅かな違い。
デニスはそれを演出したのである。
ゆえにこそ、第一騎士団の動きは鈍った。
これで時間を稼げる。
その間に、別方面での戦いが動けば、状況が変化してくれるかもしれない。
それを期待するデニスだが、この戦場に居るのは王国で最も高名な英雄である。
言うまでも無いことなのだ。彼女は強く、そして賢い。
「反体制派の動きに意味は無い! 正面より突撃し、踏み散らせ!」
容貌と同じく、透き通るように美しい声だった。
だが言葉の内容は、反体制派にとって最悪を極める。
◆
「うう、なぜ私が……」
第二騎士団、隊列後方。
参謀長フェリクスは、気絶したアネッテを背に担いでいた。
「ああ、もう……」
フェリクスは、副団長であるアネッテの傍で参謀の任に就いていたのだが、彼女が突然、魔法攻撃を受けて倒れたのだ。
遠距離から障壁を削り切っての攻撃だった。
放ったのは、かの英雄ヴァルターだ。
フェリクスは悔いる。まさか、あの距離を攻撃してくるとは思わなかった。
彼もアネッテも、相手の力を読み違えていたのだ。
だがアネッテは第二騎士団の副団長。
強力極まるヴァルターの『
周囲の騎士たちは即座にアネッテを回復班の居る後方へ連れていこうとした。
しかし彼女は拒んだのだ。
意識を消失させる直前、フェリクスに自身を運ぶよう命じたのだった。
責ある者の務めとしてフェリクスを指名したのか、それとも単に一兵卒に身を委ねることを嫌ったのか。
いずれにせよ、フェリクスはアネッテを背負って歩く羽目になるのだった。
「フェリクス殿! 団長が前線へ! フェリクス殿の指示を仰ぐようにとのことです!」
「……ああ、直接ヴァルターを押さえに行かれたか。それで私に指揮せよと?」
「は。そのようで」
「うく……」
胃のあたりに、きりきりとした痛みを感じるフェリクス。
第二騎士団の参謀長に迎え入れられた時は喜んだものだ。
だが、彼を待っていたのは連戦に次ぐ連戦だった。
彼は激務は嫌いだが、それ以上に責任が嫌いなのだ。
重要な判断を幾度も任されることにストレスを感じるのである。
そのような者が戦争に、しかも重職に就いたうえで関わるなど理屈に合わない話だが、それが彼の性分なのだった。
そのうえ今回は、王国の行くすえに影響するであろう一大決戦である。
いつも以上に胃が痛むのも仕方がない。
「前の方はだいぶ削られただろう。団長は中衛を出しつつ全体を下げ、後ろで糾合するよう言ってなかったか?」
「は、はい。仰るとおりで」
「はぁ……分かった。ここで指揮を執る。それと回復班を連れてきてくれ。副団長が負傷している」
「はっ」
走り去る騎士を横目に、溜息を吐くフェリクス。
各部隊長に連携させ、隊列を組み直して……。それと敵戦力の再評価も必要だ。
大神殿に伝令も飛ばさなければ。状況を逐一共有しないと、侯爵がうるさい。
やることが多すぎる。大きな戦だから仕方ないが。
これほど大きな戦が起こる情勢になってしまったのだ。
魔族が霊峰にまで攻め寄せてくる情勢に。
「なぜ私が……」
それはフェリクスの口癖だった。
なぜと問うたところで、参謀長だからという答えしか無いだろうが、問わずにはいられなかった。
「フェリクス殿! 前線の団長への援護はどうしますか?」
別の騎士が駆け寄り尋ねる。
フェリクスはすげなく答えた。
「要らないよ。前の方にもまだ人員は残っているんだろう? それで十分だ」
「し、しかし」
この騎士も、クロンヘイムの強さは分かっているつもりだった。
だが、ヴァルターも
援護はあった方が良いと思えるのだ。
何より、自分も役に立ちたかった。
そのような、騎士の
そんな矜持は戦場において一文の得にもならないというのが彼の考えだった。
「いいから。敵も強いが、団長に負けは無い」
本音であった。
ヴァルターの魔法はこの目で見たし、彼の強さを改めて理解した。
魔族の英雄とされるのも頷けるというものだ。
だが、クロンヘイムには勝てない。彼の強さは圧倒的だ。
フェリクスは、クロンヘイムの勝利を前提に戦場を組み立て直し、指揮を執るのみ。
「団長がヴァルターを排除したら、こちらもすぐに動いて敵を押し返せるよう、隊列と指揮系統を回復させる。それが団長の狙いなのだから、いま後方に居る部隊はすべて糾合する」
「は、はい。承知しました」
クロンヘイムが勝つ。
フェリクスにとって、ほかの可能性など無いのだ。
◆
「『
ギードやグンターが守り、僕に時間を作る。
そして魔法を繰り出して敵にダメージを与える。
きつい状況においても、いや、きつい状況だからこそ、僕たちの戦術に変わりは無い。
敵の前衛が盾で氷の礫を防いだ。
だが幾つかは敵の体に着弾し、隊列を削る。
「来るわ! 気をつけて!」
しかし、損耗はこちらの方が激しい。
エリーカが叫んだとおり、またアレが来る。
「はぁっ!」
クロンヘイムが剣を振った。
不可視の刃がこちらを襲う。
今度は下段だ。身をかがめても躱せない。
全員、跳び
近づき過ぎていた者は、足を斬られ、悲鳴をあげて倒れ伏した。
「くっ……!」
エリーカが歯嚙みする。
あの刃は厄介だ。
僕の『
触れれば確実に両断する威力といい、振りぬく先すべてを斬る攻撃範囲といい、凄まじい。
そして何より、クロンヘイムという不世出の剣士が振る剣なのだ。
その剣閃は常人に対応出来るものではなかった。
そのうえ、
楯は両断され、信じ難いことに障壁をすり抜けてくるのだ。
反則と言うしか無い。
しかし負けるわけにはいかない。
僕も仲間も、ここが天王山だと理解している。
クロンヘイムを倒せば、この戦場を制することが出来る。
だがここで敗れれば、その逆の事態になるだろう。
「敵の前衛は削れている! もう少しでクロンヘイムに攻撃が届くぞ!」
グンターが叫び、味方を鼓舞する。
こちらの被害も大きいが、敵だって同じなのだ。
倒れゆく味方の姿に膝を落としそうになるが、踏み留まって戦うしか無い。
「行くわよ! もう一度突撃! ただし一撃離脱を忘れないで!」
エリーカが叫んで斬りかかる。
同時に、味方も一斉に踏み込んでいった。
あのクロンヘイムの攻撃は、常時発動させることは出来ない。
一度の攻撃のあと、再びあの刃を出すのに、およそ二分かかっている。
その間に、こちらが攻撃へ転じるのだ。
敵たちの攻撃も激しく、大きな魔法を放つ余裕は無いが、コストの低い魔法で細かく削れば良い。
たとえばこうだ。
「『
僕は、敵と同じく魔法の刃を繰り出した。
クロンヘイムの刃に威力で劣っても、数がある。
幾つもの刃が敵に襲いかかった。
敵も巧みで、魔力を十分に通した楯を並べて刃を防ぐが、その隙に横をとった味方たちが斬りかかっていく。
「うおおぉぉぉっ!」
僕を守っていたギードとグンターも前衛に
僕が落とされたら終わるという状況で離れるのは危険だが、仕方が無い。
斬りかかれるのは二分間だけなのだ。
ここで可能な限り戦力をぶつけるしか無い。
長引けば、いずれ不可視の刃で全員やられる。
だが。
「シッ!」
「ぐぁっ……!」
いざ近接距離の剣戟となっても、アドバンテージは向こうにあった。
味方の何人かが敵をかいくぐり、クロンヘイムに斬りかかるが、易々と返り討ちに遭ってしまう。
強い。当然だ。彼は最強の剣士の一人なのだ。
「
その時、ほど近くで敵の声が聞こえた。
敵の前衛の一人が、僕のすぐ近くまで接近していたのだ。
そして剣を振り入れてくる。
「しまっ……!」
回避出来ない!
ぞくりと背筋に冷たい感覚が走る。
しかし次の瞬間、敵の剣は金属音と共に弾かれた。
「はぁっ!」
「ぐあ!」
エリーカが剣を弾いた音だった。
間髪を入れず彼女は、返す刀でその敵を斬り伏せる。
「ヴァルター! 大丈夫!?」
「あ、ああ。ありがとうエリーカ」
危ないところだった。
今のは駄目かと思った。
「お
彼女は
僕に一瞬吹いた弱気の風を感じ取ったのだろう。
「ご……分かった!」
一瞬、ごめんと言いそうになって、留まった。
そうだ。吞まれてはいけない。
「『
気を取り直し、乱戦状況の前線に向けて魔法を撃つ。
距離も近く、同士討ちの危険がある状況だが、そこはコントロールでカバーする。
味方を巻き込まないよう細心の注意を払いながら、僕は攻撃した。
ばしりと雷光が爆ぜて、敵が倒れる。雷が騎士を捉えたのだ。
だが本命には当たらない。
クロンヘイムには、このタイミングでの魔法攻撃は読まれている。
「ふッ!!」
「がは!」
彼は雷を躱し、中段を振り抜く。
隙の無い剣技。剣のことは僕には分からないが、彼の技は、正道を極めた本格の剣技という印象だ。
「全員、下がって!」
エリーカが叫ぶ。
時間切れだ。またあの剣が来る。
どうにか近づいても、凄まじいまでの剣技に撥ね返されてしまう。
あれは、僕が会ってきた中でも最強の剣士だ。
「………………」
いや、最強かどうかは分からないな。
先日も会ったじゃないか。凄い人に。
僕の脳裏に、新しい友達、ロルフの顔が浮かぶ。
凄い剣技だった。あんなのは見たことが無い。
彼の方が強いんじゃないか?
魔力こそ無いが、思うに彼は古竜から認められた存在なのだ。
そして僕は、そんな彼と認め合った仲。
そうだ。そうとも。恐れることは無い。
僕も強いのだ。
そしてエリーカも、みんなも、僕の強さを信じてくれてるじゃないか。
それを思い、戦場を見据え、そして決意を新たにする。
必ず勝ち、そして生きて帰るのだ。