「また、純軍事的な兵力増という点を抜きにしても、戦術的見地において、人間との協力関係は有効と言える」

 何度目かの、議会への出席。

 こうして人前で話すのにも、だいぶ慣れてきた。

 周囲からの視線に含まれる俺への敵意も、幾ばくか薄れている。

 徐々にだが、信頼は獲得出来ていると見て良いだろう。

 タリアン領での戦勝も評価されているようだ。

「つまり、他種族からの多面的な物の見方が加わることで、戦術に幅が広がるということだ。一例を挙げると───」

 アルテアン領に確認された、王国への抵抗組織。

 かなりの規模であるらしく、次の戦いへ向けて彼らとの協調が検討されている。

 今日は、その点について合議しているのだ。

 こういったことも、将軍である俺にとって大切な仕事である。

「実際、参謀職に他国の将官を招き入れるケースも戦史には散見され───」

 だが、この種の仕事のあとは、何か自身が剣から遠ざかるような不安を感じてしまう。

 やはり俺は、剣を取って自ら戦ってこその男なのだ。

 こういう日は、決まって訓練の量が増える。

 おそらく今夜も、いつもより多く剣を振ることになるだろう。



「ロルフ、お疲れさま!」

 議事が終わり、議場から吐き出される人波の中、話しかけてきたのはリーゼだった。

 隣にモニカも居る。

 二人も今日の議会に来ていたのだ。

 ヘンセンの議会には、武官もよく出入りする。

 発言が出来るのは請われた場合のみだが、傍聴は自由だ。

「今日、ミアたち来るんでしょ? 私たちも行くわ」

 そう言って、俺と並んで歩き出す。

 ミアたちは、この数か月、集落とヘンセンを行き来していたが、本格的にこちらへ移住することが決まったのだ。

 あの集落の地下で、エーファと共に子供たちをかくまっていた年配の女性、イルマ院長。

 彼女の養護院をヘンセンで再開するが立ったため、ミアたちもこちらへ移るのである。

 住まいは、俺の家のすぐ近く。

 あの区画は軍関係者が住む場所なので、ミアには好ましくないと思ったのだが、彼女がその場所を希望したのだ。

 まあ、見知った顔が近くに居た方が安心するだろうし、彼女が望むなら異論は無い。

「それにしても、反体制派と協力する件、無事に可決されて良かったですね」

「ああ。あとは、向こうが首を縦に振ってくれるかだが」

「フリーダに期待ね」

 今日の議会で、反体制派と手を組むことが可決された。

 フリーダが先方のリーダーと親しいため、交渉に向かっている。

 戦いの準備は着々と進み、軍の編制も予定どおりに片付きつつある。

 あとは、反体制派、および魔族のレゥ族。今回手を組むことが予定されている彼らと、どう協力するかだ。

 それについて今後の展望を話し合いながら、俺たちは歩く。

 やがて見えてきた俺の家の前には、ミアとエーファが居た。

「済まない。もう着いていたんだな。あがって待っててくれても良かったのだが」

「大丈夫。いま着いたところよ」

 そう答えるエーファの横、ミアが上目遣いで俺を見ていた。

 確かスモックドレスと言ったか? ふわりと、ゆとりのあるワンピースに身を包んでいる。

 俺と同じように煤まみれアルガと呼ばれていたころからは、ちょっと想像がつかないれいな格好だ。

 俺の方はいまだに、剣を振るたび煤にまみれるが。

「……ロルフ様」

 口元に小さな笑みを浮かべている。

 ミアが、笑顔を浮かべている。

「ミア。集落からの道中、疲れなかったか?」

「大丈夫、です」

 一つとしを重ね、十三歳になったミア。

 受け答えもずいぶんしっかりしてきた。

 うれしいことだ。

 子の成長を喜ぶ親の気持ちになる俺だった。



「ん」

「うん?」

「ん」

「ふむ、これは?」

 家に入って座るや、ミアがバスケットから皿を取り出し、両手で持って差し出してきた。

 これは、パイだろうか?

 一口サイズの丸いものが皿に沢山載っている。

「それ、引っ越しのご挨拶よ。このへんでは近隣の家にパイを振る舞うのが風習なの」

「ほう、それは知らなかった」

 エーファの説明に得心する俺。

 引っ越しの際に何かを振る舞う文化は他にもあるが、パイとは珍しい。

 俺は切り分けるタイプのものしか知らないが、何ともわいらしい一口サイズのパイだ。

「ありがとう。いただきます」

 そう言って、差し出された皿から一つを手に取り、口に運ぶ。

 さくり、と心地よい食感に続き、果物の甘味がじゅわっと広がった。

「む……うまい。これはかなりのものだ」

「うん。ほんと、おいしい!」

「上手に出来てますね」

 リーゼとモニカも賛辞を贈る。

 本当に旨い。見事な出来だ。

「色々な果物が入っているんだな。リンゴにブドウ、それから……これはスグリか。俺はこういうのは初めて食べる」

 そう言いながら食べ切ると、ミアがにこにこしながらもう一つ差し出してくれる。

 遠慮なく受け取り、それをまた口に運ぶ。

「ミンスパイ……干し果物を果実酒に漬け込んだもので作ったパイよ。私も少しだけ手伝ったけど、ミアがほとんど一人で作ったわ」

「本当か。やるじゃないかミア。うん、ぎっしり詰まった果物の旨さが力強い。好きな味だ」

 そう言いながら、更にもう一つもらう。

 それを見ながら、モニカが口を開いた。

「ミアちゃんは、ロルフさんの恋人候補ですね」

 とんでもないことを言い出すモニカ。

 リーゼの視線にけんのんさが混ざる。

 俺のことを小児性愛者だとでも思ったのだろうか。

「ミアは子供だ。そういう話になるわけがないだろう」

 さっきまで笑顔だったミアが、不機嫌な表情を見せる。

 彼女にとっても、この種の話題は不快だろう。

 やはり子供にこういう話は良くない。

 子供の感性は、周囲の影響を大きく受けるうえ、不可逆だ。

 そのあたり、大人は気を遣わなければならないというのに。

「この子、幼く見えるけど十三歳でしょう?」

「幼くは見えません……」

「いや、だから十三歳は幼いだろう、普通に」

「幼くありません……」

 か反論を挟むミア。

 自身の幼さを否定したがるのは人にとって普通だが、子供がそれをする必要は無い。

 あとで教えてやらねばならないだろう。

「ロルフさんとはせいぜい八歳差でしょう? 別におかしくないじゃないですか。私の両親は十四歳離れてますよ」

「年齢差ではなくミアの歳が問題なんだ」

 モニカは見た目によらず、破天荒な人物であるようだ。

 俺は、頭の中の要注意人物リストに彼女の名を書き加えるのだった。

「では数年後には差し障りが無くなってますね!」

 ぽん、と両手を合わせ、得心したかのように破顔するモニカ。

 厄介極まりない。

 エーファは何やら苦笑しているが、妹が馬鹿なことを言われているのだから、助け舟を出して欲しいものだ。

 その横でリーゼが、何かに思い至ったように言い出した。

「シグもアルノーって子に懐かれてるけど、人間には幼児にまとわりつかれる特性でもあるのかしら?」

「幼児じゃないです……」

 先が思いやられる。

 戦いを想起させるものからミアを遠ざけるため、一度は離れたが、こうして縁がまた交わった以上、彼女の健やかな成育に寄与してやらねばならない。

 周りの大人がおかしなことを言うような環境は良くない。

 俺は無理にでも話題を変えることにした。

「ところでエーファ。ヘンセンでの暮らしに不便は無さそうか? 何かあれば頼ってくれ」

「ありがとうロルフさん。今のところ大丈夫よ。支援を受けてこっちでイルマと養護院をやれることになったし、仕事も何とかなりそう」

 以前、集落の地下で会った時、俺へのエーファの態度にはかなり険があった。

 今はそれが、だいぶ和らいでいる。

 バラステア砦でミアを救った結果、俺を認めてくれたようだ。

「あの集落は大事な場所だけど……でも、まあ、帰ろうと思えばいつでも帰れるしね」

 生まれ育った場所から居を移すことに迷いはあっただろう。

 ましてミアは、まったく意に沿わぬかたちで、かの地から連れ出されたのだ。

 ようやく帰れた土地に、思い入れの無かろうはずも無い。

 だが、あの集落の生き残りは、ミアのほかは、あの地下に居た人たちだけなのだ。

 ほかはもう、一人も居ない。

 かの地で生活基盤を得るのは、現実的に言って少々厳しい。

 それに、あの集落には慰霊碑も建立され、土地の保全は出来ている。

 このヘンセンからは馬で一日の近さだし、エーファの言うとおり、帰ろうと思えばいつでも帰れるのだ。

 それならば、周囲に頼りやすいこちらに居た方が良いだろう。

 ヘンセンに来たのは正しい判断だと思う。

「いつでも頼ってねエーファ。それと……」

 リーゼが居ずまいを正し、エーファに向き直った。

 そして真剣な表情で言う。

「あの時、あの敵襲の中、よく逃げてくれました。私たちのなさで危機を招いてしまい、申し訳なく思っています。そして、生き延びてくれてありがとう」

 礼を述べてから、胸に手をあててめいもくするリーゼ。

 俺とモニカもそれに倣う。

 そう。

 あの敵襲の中、逃げて生き延びてくれたことが、本当に有り難い。

 人々がそうやって諦めずにいてくれることが、何よりの助けになるのだ。

「謝罪とお礼が遅れてしまってごめんなさい。中々ちゃんとした時間が作れなくて」

「そ、そんな、やめて。貴方たちは命がけで助けてくれたんだから」

 恐縮して慌て出すエーファ。

 それから、ミアの後ろに回り、その両肩に手をあてて言った。

「謝ったりなんかより、ミアのことを褒めてあげて欲しいわ。この子が活躍したんだから」

 急に水を向けられ、少し驚いた様子を見せるミア。

 エーファの言うとおり、あの時は砦に火を放つというミアの機転が活きた。

 王国騎士たちが出火への対応に追われていたから、俺たちが砦に突入する隙が出来たのだ。

「ああ、ミアは賢い。俺は知っていたよ」

 言って、ミアの頭に手を乗せる。

 リーゼとモニカも、少女に向けほほんでいる。

 とは言え、建物に火を放つことを褒めるのもさすがにおかしいので、俺は言葉に迷ってしまう。

 結果、俺の行動は黙ってミアの頭を撫でるに留まった。

 くすぐったそうに目を細めるミアを見て、思う。

 胸に宿した自戒のことを。

 捨て去った家族とのきずなを都合よくミアに見出してはいけない。

 そこは、たがわず自らを戒めねばならないのだ。

 ミアはフェリシアの代わりなどではない。

 そんなのはミアに失礼だ。

 俺はただ約束を守るのみ。彼女がもう悲しい思いをしないで済む未来を作るのみだ。

 少女を前に、改めてそれを思うのだった。



「ふぅ……」

 池を往復して泳ぎ切り、水から上がる。

 だいぶ息も切れなくなってきた。

「はぁ……! はぁ……! くそっ! まだ勝てねえか!」

 少し遅れて、シグも泳ぎ切る。

 数日前に泳ぎを覚えたばかりの男だが、俺とたいして変わらないスピードだ。

「おいロルフ! もう一勝負だ!」

「待て。オーバーワークだ。少し休憩を挟まないと、訓練も逆効果だ」

「関係ねえ!」

 いや、あるだろう。

 シグは訓練にはちゃんと取り組む男だが、しばしば理屈を無視する。

 理論への傾倒を忌避したスタイルこそ彼の強みであるとも言えるが、ノウハウを完全に度外視して良いものではない。

 ただ、人の振り見て……というやつで、彼を見ていると、俺は自身の省みるべき部分を思い出す。

 俺も、を押して訓練を続ける等、割と理屈に合わないことをやってきたのだ。

 根っこの部分で結構似てる、とは、俺たちを評したリーゼの言葉だ。

 言われた時はそんなこともあるまいと思ったが、あれは的を射た言葉だったかもしれない。

「よし、休憩終わりだ!」

 何でだよ。

 まだ十秒ほどしか休んでいない。

 やはり、これと似ているというのは納得がいかない。

「てめえ! 失礼なこと考えてやがるな!」

「だからその動物的な勘は何なんだ」

 前回の戦い。

 ヘンセンから深くタリアン領まで向かい、敵の屋敷を突いた。

 その後、王国軍のたくらみに気づき、領境の平原へ向かい、その足でバラステア砦まで取って返し、戦ったのだ。

 たいへんな強行軍だった。

 にもかかわらず、シグに疲れは見えなかった。

 ───一度の戦で、あれだけ動き回って暴れたのは初めてだぜ!

 終わったあと、彼は楽し気にそう語るのだった。

 対して俺はと言えば、さすがに少し疲れてしまっていた。

 剣の技術はどれだけ修めても十分とは思えないが、実のところ体力には結構自信があったのだ。

 にもかかわらず、その体力において俺は、シグに水をあけられているらしかった。

 これではいけないと思い、体力強化に励んでいるのだ。

 まあ、結局シグも訓練に付き合っているので、差は縮まっていないかもしれないが。

「おい! 深いほう行くんじゃねえよ! エマの言うこと聞いとけ!」

「はーい!」

 今日は気温が高く、アルノーとその友人たちが水遊びをしている。

 エマが見てくれているが、子供たちは活発で、あちこち動き回ってしまう。子供の相手は本当に大変だ。

 そのエマが、少し離れたところから、こちらに向けて何かを言っている。

「いらっしゃいましたよ!」

 彼女が指さす先、若い男が二人、こちらへ歩いてきていた。

 長身ながら、かなりそうの男と、対照的に、背は低いが肩幅の広い筋肉質の男だ。

 いずれもぼくとつな顔立ちをしている。

「司令官……いや違った。ロルフさん。それにシグさん」

「今日はよろしくお願いします!」

 瘦軀の男がトマス。筋肉質の男がダン。

 彼らは人間である。

 バラステア砦で、イーヴォという男の息子たちを王国騎士から守った二人だ。

 彼らは以前、そのバラステア砦に兵として勤めていた。

 つまり俺の部下だった者たちである。

 二人は魔族軍への合流を希望してくれた。

 最初は、バラステア砦の防衛隊として職をあっせんしようかと思ったのだが、当人たちがヘンセンへの赴任を望んだのだ。

 ───もし可能なら、いっそ元からの魔族領に住んでみます。折角ですし。

 とのこと。

 魔族の子供を守るため、剣を取って王国騎士たちを斬り伏せた二人だ。腹は据わっているようだった。

 今日は二人の剣術訓練に付き合う約束なのだ。



 服を着て、木剣を手に、池のほとりにて訓練を行う。

 俺は人に教えるほどのタマではないと思うが、請われれば技術を伝えることに否やは無い。

 バラステア砦在籍時、トマスとダンは何度か俺の剣を見ており、そこに倣うべきものがあると思ってくれていたそうだ。

「こうですか?」

 二人が上段の構えから木剣を振り下ろす。

 二振りの木剣が、びゅごうと風切り音をあげた。

 良い剣筋だ。

 彼らは、かなり優れた腕前を持っている。

 第三騎士団の騎士数名を相手取り、著しく負傷しながらではあるが、子供たちを守り切ったのだ。

 その技量は確かなものだと思って良いだろう。

「うん。二人とも、かなり使うな。ただ、意識が剣に行き過ぎているように見える」

 そう言って、俺も木剣を上段に構えた。

「肝要なのは、五体の力をロス無く剣に乗せることだ」

 振り下ろす。

 ふっ……と吐息のような風切り音があがり、木剣は下段でぴたりと止まる。

「え…………

 二人が目を丸くしている。

 一振りへ込められた技術に気づけるだけの下地を持っているということだ。

「今の振り、出来そうか?」

「む、無理です」

「すぐには無理だろう。だが、訓練すれば出来るようになる」

「そうでしょうか……?」

「自分らには難しい気がしますが……」

「いや、出来るさ」

 そう言って、二人に素振りの手ほどきをする。

 一振りごとを丁寧に、しかし数も大事だ。

 愚直で反復的な素振りは、最も有効な剣術訓練の一つなのだ。

「ああ、それと二人はプレッシャーで押し込むすべをもう少し身に着けた方が良い。素振りの大切さを説いたばかりで逆説的なようだが、振るばかりが剣じゃないからな」

「それは前から思ってるんですが、どうにも上手くいかなくて……」

「どう踏み込んでも、相手がプレッシャーを感じてくれないんです」

「おい、ただ構えて踏み込むだけじゃ意味ねえぞ」

「シグの言うとおりだ。敵は肩口の動きや呼吸を見て、こちらの動作を予測する。次の瞬間にも切っ先が動くと思わせることが重要なんだ」

 そう告げて、手本を見せる。

 俺は二人に向け、木剣を正眼に構えて踏み込んだ。

「う……!?

 彼らはびくりと震えて後ろに退がる。

「訓練と分かっていても、剣が襲いくるように感じられただろう? 相手が高位の剣士であればあるほど、こういった技術が有効になる。覚えるんだ」

「は、はい!」

「よーし、そのへん踏まえて地稽古といこうぜ。二人まとめて来い」

 シグが木剣を手に前へ出る。

 トマスとダンは、絶望的な表情を見せた。

 二人は、シグの実力のほどを知っているが、凶暴性も知っているのだ。

 まあ、シグもあまり無茶はしないだろう。

 それに彼のような相手との稽古も身になるはずだ。

「お、お願いします!」

 二人の木剣の先が震えていた。



 シグもあまり無茶はしないだろう。

 いったい何を根拠に俺はそんなことを考えたのか。

 俺の判断ミスをあざわらうかのように、ぼろぼろになった二人が横たわっている。

「オラァ! 立ちやがれ!」

「ぜぇ……はぁ……。は、はい……!」

「お、お願いします!」

 よろめきながらも立ち上がり、膝をがくがくと震わせて木剣を構えるトマスとダン。

 ガッツと向上心がある。

 二人とも良い剣士だし、更に良い剣士になれる男だ。

 だが、ここで壊されてしまっては元も子もない。

「そこまでにしておこう。続きは後日だ」

「ああ!? やっとあったまってきたとこだろうが!」

「アルノー。今日の訓練は終わった。シグと遊んで良いぞ」

「わーい! シグにい! あっち行こうよ!」

「あ、おい!」

 アルノーに纏わりつかれ、連行されていくシグ。

 それを見送り、俺は二人に向き直った。

「次の戦い。言うまでも無く、王国との戦いだ。トマス、ダン」

「し、失礼します! 上官のお話を遮って申し訳ありませんが、す、座る許可を!」

「も、申し訳ありません! いつつつつ……」

 律儀に許可を求めるトマスとダン。

 二人はもはや立っていられず、俺が頷くと、どさりと座り込んだ。

 一挙一動ごとに、痛みで顔をゆがめている。

 見事に全身ぼろぼろだ。

 しかし瞳には力があった。

 いずれも朴訥な顔立ちの、ひょろりとした男とずんぐりとした男。

 この風貌に強さを想起する者は少ないだろう。

 だが、優れた剣士だ。

 二人は座り込んだまま、ふうふうと呼吸を整えた。

 それからしばしの間を置いて、口を開く。

「……ロルフさん、こう続けるつもりだったでしょう。〝手伝って欲しい。だが、強制はしない〟」

「〝しかし俺には君たちのように強い味方が必要だ〟とも言うつもりだった」

「はは。このザマを見てください。自分らは強いですか?」

「強い。気づいていないかもしれないが、あの日、バラステア砦で子供たちを守る決断をした時、君たちは無上の強さを証明した」

………………

 またも、しばしの沈黙。

 二人は考え込んでいる。

 胸中で何かをしゃくしているように見えた。

「戦いますよ、もちろん。すべきことをするために、ここへ来たんです」

「そうそう。やってやりますよ!」

「ありがとう」

 笑い合う俺たちへエマが近づく。

 その手に救急箱を持っていた。

「兵隊さん。怪我を手当てしましょうね」

「済まないエマさん。彼らはトマスとダン。王国を出て合流してくれたんだ」

「聞いてますよ。イーヴォさんの息子さんたちを助けてくれたんですよね。みんな感謝してます」

 そう言いながら、エマは二人に寄り添って座る。

 そして薬瓶と包帯を手に取り、手当てを始めた。

 二人は恐縮し、やや戸惑いながら礼を言う。

「あ、ありがとうございます」

「えっと、助かります」

 たおやかな指が、優しく、ゆっくりと包帯を巻いていく。

 二人が痛みを感じないようにという心遣いが、その指先に感じられた。

「トマスさん、ダンさん。こんなになってまで、人々のために訓練を頑張ってくれて、ありがとうございます」

 手当てをしながら、穏やかに微笑むエマ。

 それを見つめて、二人は頰を赤らめている。

「あ、あの! 自分はトマスです!」

「ダ、ダンです!」

「ふふふ」

 今エマが名を呼んだにもかかわらず、名乗る二人。

 一様に頰を赤らめている。

 これは興味深い光景だ。

 人間の多くは、魔族を性愛の対象とはしない。

 だがそれは思想的背景に根差したもので、善悪や美醜についての感性は別に変わらないのだ。

 よって、魔族への差別意識を乗り越えた者には、異性愛も生まれ得ると俺は考えていた。

 トマスとダンの赤い頰は、それを裏付けている。

 もっともエマは人妻で、夫フランクとは、とても良い関係を築いている。

 むつまじい夫婦仲はつとに有名だ。

 気の毒だが、トマスとダンにチャンスは無い。

 それをどう伝えたものか、俺は迷うのだった。



 ロルフたちが戦いの準備を進めているヘンセンから南へ行ったところに、バラステア砦と旧ストレーム領がある。

 そして、その東に隣接するのが、先般陥落したタリアン領。

 更にその南に位置するのが、次の戦いの場と目されるイスフェルト領である。

 ロルフたちは、そのイスフェルト領を三方面から攻撃しようとしている。

 攻撃するのは、ヴィリ族とゴルカ族の混成軍、レゥ族軍、そして人間による反体制派である。

 反体制派は、イスフェルト領の東に隣接する旧アルテアン領を本拠としていた。

 そのアルテアン領の先代領主は、有名な暗愚であった。

 領民の暮らしより、自身のぜいを優先させる男だったのだ。

 彼は芸術を好み、領の運営よりも、絵画や彫刻のしゅうしゅうに忙しかった。

 領民から吸い上げたカネは、そのために使われた。

 だが、それを誤った行為とは思っておらず、むしろ自らを芸術の守護者と評していた。

 自分は優れた感性を持ち、物の価値を解する男なのだと信じていた。

 芸術の保護は為政者の責務であるという建前を、我欲のために拡大解釈しているという事実に、彼は決して気づかなかったのだ。

 時おり重い腰を上げて領地運営に乗り出すも、良い結果は得られなかった。

 政治においても経済においても、彼にセンスは無かった。

 だがそれを恥じることも無い。彼にとって重要なのは芸術のセンスだったのだから。

 ある時、造船用の木材に需要があることを知った彼は、領内の山で大規模な伐採を行った。

 またぞろ蒐集活動の合間にやる領地運営のごとか、と周囲はためいきを吐く。

 だが、そのうち数名は、泡を食って彼を止めた。

 土地の調査もせず、無計画に伐採など行って良いものではないからである。

 だが彼は聞き入れず、木々を刈り取った。

 果たして翌月、裸になった山で大規模な地滑りが起きる。

 折しく、長雨の時期だった。

 三桁にのぼる民家と作地が、そこにあった命もろとも土砂にまれたのだ。

 いよいよ人々の不満は限界を超える。

 そんな中、領主は精神に変調をきたして寝込んでしまった。

 多くの領民の命を損なったこと。

 その結果、ついにすべての支持を失ったこと。

 それらは関係が無かった。

 彼の屋敷へ収蔵された美術品の多くががんさくであることが判明したのだ。

 だが、それを良い機会と、彼の長男が立ち上がった。

 そして抜け殻のようになった父に認めさせ、新たに領主となる。

 長男はすぐに、土砂災害からの復興に乗り出した。

 予算を組み、スケジュールを引き、大規模な対策班を立ち上げた。

 中央の支援も取り付けた。

 その手腕は確かで、施策は的確かつ迅速だった。

 長男は有能だったのだ。

 まさにとびたかを生んだと、人々は喜んだ。

 しかし、災害復興は自然を相手にした事業である。

 それは水物であり、思いどおりにいかないのが常なのだ。

 実際、復興は、予定との間のズレを徐々に生じさせた。

 だが俊才と呼ばれる手合いは、自身の予定が狂わされることを嫌う。

 長男は日増しにいらちを強めていった。

 彼は自己愛が強かった。

 有能な自分を好ましく思い過ぎたのだ。

 無能な先代の不始末を有能な自分が解決し、人々の支持を得る。

 大きな不幸の渦中にあった人たちは、彼によって救われる。

 救世主である。

 その未来図は、彼の名誉欲を大いに刺激していた。

 彼にとって、絶対に実現させるべき未来だった。

 そのため、計画したとおりに進まない復興を目の当たりにし、それによって名誉への酔いからめ始めた時、彼が感じたのは焦りだった。

 負けそうになった時、謙虚な者は引き返してやり直す。

 そうでない者は、どうにか現有のリソースだけで押し通そうとする。やれるはずだ、と思ってしまうのだ。

 彼は後者だった。

 想定を大幅に超過するかたちで人足たちを働かせた。

 膨大な土砂やれきの撤去作業は毎日深夜に及んだ。

 人足一人あたりの一日の作業時間は、十時間から十二時間に増え、更に十六時間へ。最終的には二十時間にまで増えた。

 睡眠もそこそこに、人々はひたすら働かされる。倒れる者も出始めた。

 本来は軍を動かすべきだった。

 この地は山脈を挟みながらも魔族領と隣接しており、領軍を保有しているのだ。

 だが、その領軍を投入することは出来ない。

 この数か月、山々を越え、魔族のレゥ族が度々現れており、それによる戦闘が散発していたためである。

 やむを得ず長男は、人員を追加で徴発して復興作業にあたらせた。

 だが作業は過酷を極めるばかりで、当然の帰結として逃走する者も出始める。

 それに対してげきこうする長男。

 彼は現場の監督官たちにむちを持たせ、それで人足を打たせた。

 そこへ再びの長雨。

 例年では見られないものだった。

 小規模な地滑りが頻発し、いよいよ死者も出始める。

 それでも人々は過酷な労働に従事させられた。

 領主の怒りにらされ、監督官は怒号をあげる。

 精魂つき、膝をついた人足の背中に、鞭がたたきつけられた。

 復興現場は地獄の様相を呈していた。

 そして働き手を奪われた人足の家族たちは、困窮を深めていく。

 そもそも、この復興はもはや急ぐ必要も無い。

 すでに生存者は無く、災害のあった地は長いスパンで立て直すしか無いと判断されているのだ。

 まして領境では戦闘が続いている。

 残念だが、領軍が使える状態になるまで、失った土地は放棄するのが妥当だった。

 だが長男は、なおも復興にこだわった。中央から支援を受けていることも影響したのだろう。

 しかしそんなことは人々には関係が無い。

 どうしてこんな目に。

 彼らの悲憤とえんは、爆発寸前だった。

 それに呼応し、この地で活動していた反体制派が勢いを強めていく。

 もともと、先般のストレーム領とタリアン領の陥落を受け、各地に存在する反体制派は活発化していたのだ。

 中でも、この地方の反体制派は勢力が非常に大きく、それが更に力を増している状況だった。

 そして蜂起寸前にまで至ったところで、領民を衝撃が襲った。

 レゥ族が、領の中心部にまで攻め入ってきたのだ。



 レゥ族は数こそ多いが、ここ数年目立った動きを見せておらず、山を踏み越えてくることもあまり無かった。

 だが、氏族内にヴァルターという男が現れてから、情勢が変わったのだ。

 彼の戦果は著しく、いまや魔族の間で英雄と名高かった。

「『雷杭ラベイジステーク』!」

 そのヴァルターがつえをかざすと、天から雷のくいが何本も降り注いだ。

 それが領軍の隊列に突き刺さる。

 神罰を想起させるその光景は、女神ヨナと共にあることを最大の自負とする王国兵にとって、許し得ぬものだった。

 だが、そんな怒りは知ったことではないと言わんばかりに、次の魔法が詠唱される。

「『風刃ブリーズグリント』!」

 巧みだった。

 大きな魔法で散らされた隊列へ、幾つもの風の刃が撃ち込まれる。

 雷が討ち漏らした王国兵を、風が拾い上げるように斬り裂いていった。

「ぐあぁぁぁっ!

「奴だ! ヴァルターを仕留めろ!!

 ヴァルターさえ倒せば。

 その思いのもと、領軍は魔族の英雄へ剣を向ける。

 だがレゥ族はよく統率されており、敵をヴァルターに近づけさせない。

 時おり高位の王国兵が、どうにか肉薄一歩手前までいくが、ヴァルターの周囲を守る精鋭たちにね返される。

「やらせないわ!」

 ことけんせんの鋭い女剣士がり、ヴァルターにはやりの穂先たりとも触れさせなかった。

 このままでは領主のもとまで攻め込まれる。アルテアン領が終わる。

 そんな焦燥を強める兵たちを鼓舞すべく、後方の馬上から指揮官がだいおんじょうで号令をかけた。

 彼はこの地の領軍をまとめ続けた、信の厚い将軍であった。

「臆するな!! 負傷者を下げつつ、左右を固めろ!」

 その声を後ろに聞きながら、ヴァルターを視認していた領軍兵のうち何人かが、ぎょっとした表情を浮かべる。

 すさまじい魔力光がヴァルターの杖を包んでいるのだ。

 ばしばしと激しい音をあげ、赤黒い雷がその杖に集まった。

 雷は一点に集束し、暴れ狂うエネルギーをめ込む。

 そしてしばらくののち、彼は詠唱した。

「『赫雷イグニートスタブ!!

 熱線が撃ち出される。

 それはおよそ魔法の射程とは思えぬ距離を穿うがち、遠く後方の馬上へ突き刺さった。

「かっ……?

 熱線が将を射落としたのだ。

 目を見開き、馬上から落ちる指揮官。

 一拍おいて、領軍は恐慌に陥る。

「うわあぁぁぁぁーーー!?

 指揮系統と戦意と勝ち目を失った領軍。

 彼らを追い立てながら、レゥ族は領主の館へ迫る。


 そして数刻後、アルテアン領は陥落した。

 領主父子は泣きわめいて投降を拒んだすえ、逃げる領軍で混乱を極める戦場に死んだ。

 復興に関わらされていた人々は、この侵攻によって、大げさではなく自身や家族の命を救われた。

 誰もが、言い知れぬ何かを胸中にくすぶらせるのであった。



「地下抵抗組織の長なんだから地下に籠ってるのかと思ってたよ」

 旧アルテアン領の傭兵ギルド。

 その本部の二階、それなりに整った執務室にフリーダは通されていた。

 応接用の椅子に彼女と向かい合って座っているのは、デニスという壮年の男。

 この傭兵ギルドの長である。

 黒味の強い茶の髪に、傭兵らしからぬ、整えられたあごひげ

 体はやや小さめだが引き締まっている。

 たたずまいに余裕を感じさせつつも、そのまなしに油断は無い。

 現役を退いてはいるが、傭兵として熟練の領域にあったことが見て取れる。

「そりゃ本当に地下に居ちゃ仕事にならんからな」

 デニスは崩した態度で答えたが、フリーダの来訪にはやや驚いていた。

 魔族側からの使者を迎える約束であったこの日、現れたのは旧知の傭兵だったのだ。

「来るのがお前さんだとは思わなかったよ」

「色々あってね」

 そう言って、出された茶を口に運ぶフリーダ。

 彼女はタリアン領を本拠としてきた傭兵だが、このアルテアン領にも知り合いは多い。

 ギルド長であるデニスとも親しかった。

「ここんとこ、どう? 忙しいかい?」

 そう尋ねるフリーダ。

 デニスは、この地方の傭兵の顔役と言って良い存在で、年もフリーダより一回り以上、上である。

 だがフリーダはものじしていない。もともと気安い間柄なのだ。

 しかし、そのフリーダの心情を見透かしたように、デニスは小さく笑った。

「ふふふ……」

「ん、何だい、その笑いは?」

「いや、お前さんもちゃんと世間話から入るんだと思ってな。あのフリーダが渉外担当とはねえ」

「い、いいじゃないか別に」

 やすやすと主導権を握られるフリーダ。

 熟練の傭兵は戦場の外でもろうかいなようだった。

「私と旧知とは言え、フリーダが交渉ごとに向くとも思えんが、まあ、魔族どもは君の人品を信頼したということなのかな」

 そう言って、ティーカップを口に運ぶデニス。

 唇を茶で濡らし、やや間を置いてから尋ねた。

「フリーダ。魔族を信じるのか?」

「まあ……全幅の信頼を、とはいかない。迷いはあるよ。これまでずっと敵と定めてきたんだから」

「ではどうして?」

 穏やかな口調ながら、デニスの声音には真剣さが含まれている。

 それが重要な問いであることは明らかだった。

「第一に、魔族がどうとか以前に、王国を諦めた」

「国を見限る理由は? 聞きづらいことだが、やはりアールベック子爵の件か?」

「加えて、同じようなことがまたあってね」

「……そうか。気の毒だったな」

 フリーダの大切な友人であるアイナとカロラは、タリアンの手によって再び貴族の無法にさらされた。

 フリーダ自身も危険な目に遭ったが、それ以上に、彼女は二人の身に起きたことが許せない。

 かつて二人を襲ったアールベック領での悲劇を知りながら、なお欲のために彼女らはかどわかされたのだ。

 しかもタリアンは、騎士団長として国家に重用された者だったのである。

 フリーダとしては、はやあのような者のちょうりょうを許す王国に忠誠を感じなかった。

「そのへんは、デニスも同じだろ?」

「まあな」

 直近二代の領主によって、荒れに荒れたアルテアン領。

 多くの者が人生を壊された。

 デニスの生家は豪農で、食うには困らなかったが、それゆえに、先代の治世で重税を課された。

 画家の卵のための奨学制度を設けるとかで、突然された課税だった。

 それも、あまりに無茶な税率で、デニスの家はたちまち困窮した。

 デニスは三人兄弟の次男であった。

 弟は口減らしのため、他領の貴族のもとへ奉公に出た。

 そしてまともな待遇を与えられず、病を得て死んだ。

 兄は、家を守るため両親を支えた。

 だが両親は、いよいよ首が回らなくなってきたところに、奉公先での息子の死を聞くに及び、ついに自死を選んだ。

 並んでぶら下がる両親を発見した兄は、その時に精神のすべてを使い果たし、あとの人生では酒だけを友とし、二年後に吐血して死んだ。

 傭兵として生きるデニスは、自身のを稼ぐのが精いっぱいだった。

 家族を救えなかったことに、今もじくたる思いを抱いている。

 そして同時に、家族を奪った国と体制への憎しみを募らせるのだった。

 反体制組織を育て上げ、蜂起の寸前まで行ったところで、アルテアン領は魔族によって陥落した。

 だがデニスの敵はこの地の領主だけではなく、国であり、体制である。

 体制が、あのような領主の存在を許した。

 そしてアルテアン領だけの問題ではない。弟は他領に行ってなお、死ぬ羽目になったのだ。

 彼の戦いは何も終わっていない。

「しかし魔族と結べるかというと、それは別の話だ。フリーダ、魔族の側についた理由の第二は何だ?」

「友人の存在だよ」

 そう言って、フリーダは一つ息を吸った。

 それからロルフについて話す。

 彼に受けた恩。

 彼に抱く信頼。

 ロルフという男が、いかに凄い人物であるか。

「それほどの男が信じるものを、あたしも信じるべきだと思ったんだ」

「お前さんらしい考え方だ」

「それで改めてこの目で見ると、ヘンセンの魔族は悪い連中じゃないように思えたよ。……おかしなことを言ってるように聞こえるかもしれないけど、仲良くなれるかもしれないって、そう思えた」

………………

「いや、本当に。ええと、どうしよう。上手く伝わらないな……」

「ふふ。そこで狼狽うろたえてちゃあな。やっぱりお前さんは交渉ごとに向かないよ。ところで……」

「何だい?」

「そのロルフのこと、ずいぶん熱を持って話すんだな」

「いや、そういうのじゃないよ……たぶん。あるのはあくまで敬意」

 答えるフリーダの表情を眺めつつ、デニスは考え込んでいた。

 ロルフという男のことは聞いている。

 国へ、ひいては人間社会へ弓を引いた大逆犯。

 女神にてられ、魔族と結んだ悪逆の徒。

 そういう評判だった。

 だが、デニスと部下の傭兵たちは信仰への傾倒が小さく、女神に棄てられたという点に、さほど強い嫌悪感は抱かない。

 王国では、剣を取る者はおおむね信仰心が強いが、この地の傭兵たちは違っていた。

 もともと自立の気風が強い風土である点に加え、実利主義者たちで構成されたローランド商会との繫がりが強いことも影響しているのだ。

「そう言えば、トーリ会長も魔族との間によしみを結んだそうだな」

「そうだよ。会長も王国には失望してるしね」

 顎に手をあて、考え込むデニス。

 彼の知る限り、トーリはたいへんな知恵者で、判断を誤ったことは無い。

 更にストレーム領とタリアン領も、魔族の手に落ちて以降、上手く回っている。

「……お前さんたちの願いは、次の戦いで同調したいということだよな?」

「そう。あくまで攻撃のタイミングを合わせたいだけ。無理に同盟を求めるわけじゃないよ」

 ロルフたちの狙いは三正面作戦である。

 王国のイスフェルト領を、北の旧タリアン領側、東の旧アルテアン領側、そして南のレゥ族支配地域から、同時に攻めるというものだ。

 同盟を結んでの高度な連携は望んでいない。

 これまでの魔族と人間の対立を思えば、急に手を携えて大きな戦いに臨むのはリスクが大き過ぎるのだ。

 デニスから見て、その考えは妥当だし賛同出来る。

 部下の傭兵たちがヨナ教の教義に傾倒しておらず、ロルフや魔族への差別意識が低いとは言っても、それはあくまで相対的に、という話でしか無い。

 一朝一夕では越えられぬ対立意識は、厳然として存在するのだ。

 だが、同盟を結ぶでもなく、ただ同調して攻撃するという前提なら、デニスとしてもやりようがある。

 半ば魔族を利用するというていにも出来るし、それなら組織の動きをまとめやすい。

 またデニスはフリーダを信用している。

 彼女の言いようをるわけではないが、そのフリーダが信じるなら、個人的にはロルフという男を信じても良いのだ。

 更に、このアルテアン領を落としたレゥ族に対してはかいさいを叫ぶ自分も居り、そちらと同調することにも強い忌避感は無い。

「イスフェルト領……。あの地にある霊峰は、王国の現体制を決定づけているヨナ教団の重要拠点だ。私たちとしても落としたい」

「うん。それで?」

「敵の敵と手を組むという論法は、戦略上ごく常識的で、正しい。そして我々にとって許し難い敵は、あくまで王国の現体制だ」

………………

「その体制は、国王がびょうしてからは特にひどい。あの王女様はそこそこ頑張っているが、もう国は命数を使い果たしていると私は思う」

…………うん」

「魔族との協力。我ながら信じ難い判断だが、そういう変化を拒絶出来る時代が終わるのかもしれん。あくまで同調して攻め込むのみで、積極的な同盟関係じゃないという点は強調させてもらうが、良いだろう。協力する」

「デニス! ありがとう!」

 身を乗り出し、デニスの手を取るフリーダ。

 傭兵ギルドの一室で、歴史の転換点になるかもしれない判断が為されたのだった。



「がっ……!! ああああぁぁぁぁあああああ!!

 第五騎士団本部。

 幹部が居住するフロアの廊下を歩くエミリーの耳を、獣のような叫びが刺した。

「また、か……」

 悲しげに言葉を漏らし、エミリーは叫び声がした方へ向かう。

 そして一室の前に立つと、そのドアをノックした。

「シーラ。入るよ」

 返事を待たず、ドアを開ける。

 部屋の主、シーラ・ラルセンは、ベッドの上で仰向けになり、はあひいと浅く呼吸していた。

 目を見開き、左手が何も無い空間をきむしっている。

「はっ……はひっ……!

 左手が搔きむしるのは、本来右腕がある場所だった。

 だが彼女の右腕は、肩口から失われている。

「はっ……あ、があああぁぁぁぁぁ!!

 シーラが右腕を失ってだいぶつ。

 失ってしばらくの間は精神の均衡を失っていたが、今では平静を取り戻しつつあった。

 だが、時折このように、激しい幻肢痛に襲われる。

 無いはずの右腕が痛むのだ。

「はぁっ……あ、ぐ……!!

 失った右腕に痛みを与えるのは、屈辱の記憶である。

 体の一部を失うのは当然おおごとだが、それでも本来であれば、時を経ることでそれを受け入れる。

 個人差はあれど、誰でもいずれは順応するものだ。

 だがシーラは、しばしば憎悪に叫び声をあげる。

 腕を奪われた時の屈辱がよみがえるのだ。

 自分よりはるか下に居たはずの加護なし。心底から見下していた無能者。

 そんな男に敗れたのだから。

 あの日。

 負ける可能性などまったく無く、むしろシーラは情けをかけてやるつもりだった。

 それなのに、愚かな男は投降しなかった。

 だから現実を教えてやることにしたのだ。

 彼女には十人もの精鋭がついていて、それを会心の魔法で大幅に強化した。

 相手は一人。万全であった。

 いかなる命乞いの言葉が聞けるのか、楽しみだった。

 それなのに。

 まったく歯が立たなかった。

 腕を落とされたシーラは、味方が壁になる間に、無様に逃げ出した。

 どう考えても信じられないし、あり得ない。

 自分が敗れるはずが無い。

 だが何度確かめても、あるはずの場所に腕は無い。

 そしてシーラの思考を、あの男の姿が埋める。

 恭順の意志など一切浮かべない、あの黒い瞳。

 憎悪が募る。

 その憎悪の中に、あの男への恐怖があることを認め得ず、ただ憎しみだけを増幅させていく。

「ぐ……! ぐうぅ……!

「シーラ……」

 友人の額に手をあて、その名を呼ぶエミリー。

 彼女のことを心から案じている声音だった。

 とても悲しい。

 だが一方で、シーラの命があって良かったと、その点には胸をなでおろしている。

 彼女が殺されなかったことに、エミリーは心底からあんしているのだ。

 それは、友人の命が助かったことのみへの安堵ではない。

 シーラがロルフの剣にたおれていれば、ロルフが五年間も共にあった仲間を殺していれば、その時は確定してしまう。

 ロルフが敵であると。

 王国にとって、ロルフはまがうこと無き敵なのだが、エミリーはいまだ、その事実を直視出来ない。

 まだきっと、いつかきっと。

 そんな夢想を手放せないでいるのだ。

 シーラの生存は、エミリーにそんな夢想を捨てさせずに済んだ。

 そのことに、エミリーは感謝している。

「おのれ……! おのれ……! おのれぇぇ……!!

 そんなエミリーの胸中を知れば、果たしてシーラは何を思うだろうか。

 誰にとっての幸運なのか、シーラはそれを知らぬまま、ただ怨嗟を紡いでいる。

 粘つく汗に顔中をまみれさせながら、歯茎をしにして。

「シーラ……もう行くね。落ち着いて、ね」

 してやれることは無いと、エミリーには分かっている。

 この憎悪の嵐が過ぎ去るのを待つしか無いのだ。

 残念に思いながらも、彼女は部屋を後にした。

「はぁ……」

 廊下に出てドアを閉める。

 そして一つ溜息を吐いた。

 どうしてこんなことに。

 いったい何度、自らに問うたか分からない、その思い。

 それにとらわれるエミリーのもとへ、人影が歩み寄った。

「ヴァレニウス団長」

「え……」

 一瞬、精神の変調が極まって幻覚でも見ているのかとエミリーは思った。

 声の主は、この場に居るはずの無い人物だったのだ。

 ピンクブロンドの麗人。

 第一騎士団団長、エステル・ティセリウスである。

 副団長のベルマンを伴い、彼女はそこに居た。

「中央へ呼ばれていたのでな。帰りに寄らせてもらった」

「そ、そうですか」

 第五騎士団のあるノルデン領は、王都に隣接している。

 ゆえに中央からの帰り道であることは確かだが、これまでティセリウスがこの地に寄ったことなど無い。

 何か理由があることは明白だった。

………………

………………

「な、何ですか」

 沈黙に耐えかね、エミリーはただす。

 いったい何の用で来たというのか。

「ヴァレニウス団長。我々第一騎士団は、次の戦いを仰せつかった」

「え?」

「イスフェルト領だ」

…………!

 先般陥落したタリアン領。

 そこと隣接するのがイスフェルト領である。

 魔族軍が次に進軍すると目される場所であった。

 そこは王国のみならず、ヨナ教団にとっても重要な地で、かなり大きな戦いになることが予想されている。

 その戦いに赴くのだ。ティセリウスと第一騎士団が。

 そしてその戦場には、当然ロルフも居る。

「え……その」

「そのことをお伝えしようと思ってな」

「そ、そうですか」

………………

 のぞき込むように、エミリーの目を見るティセリウス。

 だがエミリーは何も言えない。

 ティセリウスが何を意図してここに現れ、それを伝えたのか。

 エミリーには分からないのだ。

「何も言わないのだな、貴公は」

「え……」

「貴公は状況に対し、何もしない。行動せず、望む未来が到来することをただ待つのみ。子供のころの甘やかな世界が戻ることを、ただ期待するのみだ」

「な……!」

 エミリーは一瞬、屈辱に頰を染め、それから恥を感じ、やはり頰を染めた。

 反論出来なかったのだ。

 そしてただうつむいてしまう。

 その様を見て嘆息するティセリウス。

 横で、副団長ベルマンが初めて口を開いた。

「お嬢様。もう参りましょう」

「そうだな。それではヴァレニウス団長、失礼する」

 それから二人はきびすかえし、歩き出した。

 去っていく背中に、どうにか絞り出すようにして、エミリーは声をかける。

「あ、貴方は、ロルフのもとへくだるつもりですか!?

 やや突拍子の無い問いであった。

 だがエミリーには、それがあり得ると思えたのだ。

「……どう思う?」

 背中ごしに横顔だけを向け、問いを返すティセリウス。

 その声には力があり、エミリーは答えることが出来なかった。

「……私は騎士。国に忠誠を誓った身だ」

 ティセリウスはそう言って振り向き、エミリーを正面から見据えた。

 強い瞳にエミリーは気圧される。

 それに構わず、ティセリウスは告げた。

「降ることは無い。この手に剣がある限り、騎士の誓いをたがえることは無い。絶対にな」

 それから再度背を向け、去っていくティセリウス。

 その背中を見送りつつ、エミリーは思った。

 今度の戦いは、かなり大規模なものになる。ロルフとティセリウスが戦場で会う可能性は低いかもしれない。

 だが、どのようなかたちであれ、きっと、きっと───。

「〝私のおもい人が勝つ〟。それを言わぬのだな」

…………!

 立ち去る際の、その言葉。

 蔑まれている。

 エミリーは、ようやくそれを理解した。

 そしてしばらくの間、ただ床を見つめるのだった。



 王都レーデルベルン。

 王宮の庭には、色とりどりの花が美しく咲いている。

 そこに女は居た。

 人形のように整った顔立ちの彼女は、ロンドシウス王国の王女、セラフィーナ・デメテル・ロンドシウスである。

 庭の中ほどにしつらえられた白いテーブルのうえで、紅茶が湯気を立てていた。

 テーブルについているのは、ほかに二人。

 一人は五十代の男。宰相、フーゴ・ルーデルス。

 いま一人は四十代。やや長い赤茶色の髪を持った長身の男であった。

 その男に向け、王女セラフィーナが語りかける。

「壮健そうですね、イスフェルト侯爵。司教どのとお呼びした方が良いですか?」

「お揶揄からかいを。しんは王国の忠実な臣民でありますれば」

 恐縮したふうも無く答える男は、大貴族バルブロ・イスフェルト。

 王国の侯爵であり、かつヨナ教の司教である。

 彼が領主を務めるイスフェルト領には、霊峰と呼ばれる山、ドゥ・ツェリンがある。

 峰とは言っても、標高は千六百メートルと低く、面積は広い。

 ほぼすそで構成された、なだらかな山だ。

 ただ、木々の代わりに岩ばかりがある荒涼とした山である。

 その中心部、山頂にあたる場所には、ヨナ教団の大神殿が建っている。

 霊峰は信仰のシンボルの一つで、毎年、礼拝の時期には多くの信徒が大神殿を訪れる。

 その地は教団にとって、極めて重要な場所なのだ。

 その霊峰を領内に持つイスフェルト家の領主は、教団においても重責を担うことになる。

 そのため、四代前の国王の治世に、領主は教団によって司教へ叙せられ、以降代々、イスフェルト領において領主と司教は兼務されている。

 イスフェルト家は、もともと伯爵家であったが、当主が司教になった際、それに見合う爵位をと国王が考え、侯爵にしょうしゃくさせたのだ。

 当時、それに反対し、政教分離の重要性を説く学者が居たとされるが、こんにちに至るまで、その学者は狂人という扱いである。

「イスフェルト侯爵。戦いの準備は如何いかがでしょうか」

「は。済生軍の編制は進んでおります。ほぼ全軍の投入になるかと」

 霊峰には、教団私有の軍が常駐している。

 司教イスフェルトが司令官を務めるその軍は、正式名称を神前教導支援会というが、一般には済生軍と呼称されていた。

 非常に精強な軍で、とりわけ魔法には大いに優れている。

 ことに侯爵の息子で次期当主であるアルフレッド・イスフェルトは、不世出の天才魔導士と有名だった。彼は王国の騎士団長として戦えるとまで言われている。

 霊峰への侵攻という事態を前に、当然その済生軍が動くことになるのだ。

「ですが敵には勢いがあります。御山の加護があっても、済生軍だけで守り切れるかどうか」

 そう言って、侯爵は紅茶を口に運ぶ。

 御山の加護とは、そこにあってしかるべき霊験のほか、山の地形を指している。霊峰には幾つもの谷が走り、攻め入る側の行動を制限するのだ。

 だが、それがあっても今度の戦いでは多くの兵力が要される。

 侯爵はそれを思い、音を立てずにティーカップをテーブルへ戻し、抑揚の無い声でいた。

「王女殿下。聖なる御山を踏み荒らす者どもを滅するべく、ご助力についてお話頂けるものと思って良いのでしょうか」

 イスフェルト領から北に隣接するタリアン領、そして東に隣接するアルテアン領。

 それらが立て続けに陥落し、イスフェルト領は、そして霊峰は、二面から魔族とあいたいしているのだ。

 これらを同時に相手取るのは、強力な済生軍にとっても厳しい話だった。

「無論です。霊峰を落とされるわけには参りません。王国としても万全の布陣で臨みます」

「有り難い仰せです王女殿下。いずれの騎士団を出してくださるのでしょう?」

「当然、第一だよ侯爵。ティセリウス団長にも通達済みだ」

 答えたのは宰相ルーデルスだった。

 それを受け、イスフェルト侯爵は頷く。当然得られるべき回答を得て満足したのだ。

 この重要な戦いに出るのは第一騎士団であるべきだと、彼も思っていた。

 しかし、続く王女の言葉は、侯爵にとっても予想外だった。

「ただ、それだけでは不足です。第二騎士団も投入します」

 一瞬の静寂の間に、王女の言葉を咀嚼する二人。

 それから宰相ルーデルスが口を開いた。

「第一と第二を、同時に投入すると仰せあるのですか? そこまで大きく軍を動かしては、ほかの戦線を支え切れないのでは」

 当然の指摘だった。

 いずれの団にも、任地があって役目がある。

 おいそれと、国の中をあちらこちらへと動かせるものではない。

 まして最高戦力二つである。

 いかに霊峰の戦いが重要とは言え、その計画は現実性を欠くように見えた。

「問題ありません。第二が押さえた東部の諸地域は、各地の領軍で維持出来ます」

 焦りを見せること無く、王女セラフィーナは答える。

 彼女はすでに、計画を煮詰めていたのだ。

「また、西部の安定した幾つかの地域には、駐屯が不要であると結論出来ています。現状、国内に存在する遊兵を再分配することで、薄い戦線を無くすことが可能です」

 そう言って、紙束を卓上に差し出すセラフィーナ。

 拝見しますと述べ、それに目を落とした宰相と侯爵は、そこに書かれた精緻な計画に目を見張った。

 当然だが、本来、王女は計画の上申を受ける立場である。

 それなのに、採るべき計画が王女の側から提示されている。

 宰相ルーデルスは無能ではなく、むしろその能力を極めて高く評価されている男だ。

 だが、ここに至っては立つ瀬が無い。

 恐縮し、表情をこわらせる彼に、王女は薄く微笑んで言った。

「良いのです。ルーデルスは政務が本業。まして陛下の病臥は紛れも無く国難なのです。私もすべきことをせねばなりません」

「殿下……。言葉もございません」

 ロンドシウス王国では、国王が病にせって長い。

 きさきは数年前に病没している。

 母の死と、病み疲れる父の姿に心を痛めながら、若い王女は責務と向き合い続けているのだ。

 ただ、国王が存命である以上、王女の権限は限定的で、彼女にその領分を踏み越えることは出来ない。

 それゆえに、国内の乱れを分かっていながら、思うように是正出来ないでいる。

 そこに関する王女の心痛に、宰相は常より申し訳なく思っているのだった。

「先ごろ再編した第三の駐屯計画を精査します。さすれば、各地の防衛プランを補完出来ましょう」

「ありがとうルーデルス。頼りにしています」

 にこりと笑って礼を述べる王女。

 それから真剣な表情を作り、改めて二人に向き直る。

「おそらく、反体制派も挙兵します。ゆえに第一と第二を投入するのです」

「その点はわが領でも警戒していますが、しかし現実的にあり得るのでしょうか。人間が魔族との同盟に及ぶなど」

 侯爵が問うた。

 ごく当然の疑問だった。

「厳密には同盟というかたちは採らないでしょう。それぞれが同時期に侵攻するという、相互利用関係を築くのだと思います」

 答える王女。

 だが、それを聞いても二人は釈然としなかった。

 その反応を予想していたかのように、王女は続ける。

「聞いておりましょう。失地では人間による参事会が構成されており、ローランド商会は王国を離れて魔族領に商圏を広げようとしています」

 二人にとって認め難い話だが、それらは事実だった。

 だが認めねば、敵を知らねば、きっと敗れることになる。

 それを思い、王女はやや語気を強めて告げた。

「これまでの常識を捨ててかからねばならない。そういう転換点に来ているのです。お忘れなきよう」