水音と共に、みず飛沫しぶきが舞い上がります。

 飛沫は陽光を反射して、きらきらと散っていきました。

 水が光をたたえる光景は、きまって美しいものです。

 ですが私の目により美しく映るのは、その水飛沫を上げて力強く泳ぐ、二人の男性の姿です。

 全力で泳ぎ続ける彼らからは、訓練にかける真剣な意気込みが伝わってきます。

 水泳を訓練に採り入れる方は珍しくありません。

 偏った負荷をかけずに筋肉を鍛えることが出来るうえ、心肺能力の向上にもつながるのです。

 当然、水場が無いと出来ないので、やりたくてもやれないケースは多いと聞きます。

 ですがこのヘンセンには水泳に適した大きな池があり、この種の訓練も可能なのです。

 今日は泳ぐには肌寒いのですが、あの二人には関係が無い様子。

 ロルフさんに言わせると、水が冷たい方が精神が引き締まるのだとか。

 高い訓練効果を得るために適切な気温も必要だということは、彼にも分かっています。

 ただ、どうやら彼は、頑健な精神を保つことに重きを置いているようです。

 ですが精神論を他者に強要することはありません。あくまで自身の考え方として、心の強さを重要視しているのです。

 訓練中、彼の表情は真剣そのものです。

 そして、後ろを泳ぐシグさんも真剣です。

 彼は、訓練には真摯な態度で臨みます。地道な日々のけんさんいとう人ではないのです。

 失礼ながら、少し意外でした。

 強い人には、やはり相応の理由があるということなのでしょう。

 シグさんには、このヘンセンに来るまで泳いだ経験が無かったそうです。

 それで、ロルフさんが訓練で泳いでいるという話を聞くに及び、興味を示したのです。

「いいじゃねーかそれ。俺も付き合うぜ」

 そう言って、初めて水に入ったシグさんでしたが、ロルフさんから簡単な指導を受けただけで、たちまち泳げるようになってしまいました。

 少し遅れつつも、しっかりロルフさんに付いていってます。

 激しく水を巻き上げる大きなフォームには、無駄が多いようにも見えますが、あれがシグさん流なのでしょう。

 実際、初めてとは思えないほどに、すごいスピードで泳いでいきます。

 やがて二人は大きな池を往復して泳ぎ切り、水から上がってきました。

 ぜえぜえと、荒い息遣いが聞こえます。

 私はこちらへ歩いてくる二人の、その見事なたいに目を奪われました。

 ロルフさんの体は、大きく重厚です。

 まるで巨木のよう。

 花や動物が自然と寄り添ってくるような、周りのすべてから頼りにされる、まっすぐ立った深緑の巨木です。

 それでいて、鋼鉄とまがうような筋肉は、強力な大剣を思わせもします。

 ロルフさんが大剣なら、シグさんはさしずめあいくちです。

 がちりと引き締まった全身は、何やら凄みをはらんでいます。

 いつかの遠征で、竹林に見た虎を思い出しました。

 彼の筋肉の脈動は、危険な肉食獣のそれと同じなのです。

「モニカ」

 二人の体に共通しているのは、幾つもの古傷に彩られているという点です。

 そこにある歴戦の重みが、肉体に強烈な存在感を与えています。

 そしてその体の美しい隆起。そこへ走る血管。

 彼らからは、得も言われぬなまめかしさを感じるのです。

「モニカ」

 古来より、多くの芸術家が裸体に美をいだしてきたことにもうなずけます。

 彼らの肉体は、宝石のような高貴さを持つ一方で、生命が内に秘める激しい炎の存在も感じさせるのです。

 鍛え上げられた体は、かくも尊いものなのかと、興奮を禁じ得ません。

 つい、熱い息が漏れてしまいます。

 私の目をくぎづけにしたまま、二つの肉体はどくどくと脈打っていました。

 水にれたそれは、とても官能的です。

 そして上気し、ほんのりと桜色に染まる様は、どこかコケティッシュでさえあります。

 触れたくなる衝動に駆られるのです。

「ねえちょっと」

 まったくもって、けしからぬ肉体です。

 あのように挑発的な造形美が二つも。

 それが、訓練後の激しい息遣いに上下しているのです。

 由々しき事態と言うほかありません。

 やはり直接触って、色々と確認しなければならないでしょう。

「グヘヘヘヘ」

「モ、モニカ!?

「あら、リーゼさん。いかがなさいました?」

 気がつけば、隣にリーゼさんが立っていました。

 彼女は上官ですが、私を姉のように慕ってくれています。

 私も年上の女性として、見本であろうと常より心がけているのです。

 私たちは戦場に身を置く者ですが、かと言って女性としての自分を見失うべきではありません。

 しとやかさ、繊細さ。そういったものを、私から学んで欲しいのです。

「えっと……大丈夫?」

「? 何がですか?」

 げんな目でこちらを見つめるリーゼさん。

 よく分かりませんが、最近の激務で彼女もお疲れなのでしょう。

 私も、もっとサポートしてあげなければなりませんね。

「リーゼも来てたのか」

「服着なさいよ」

 近寄るロルフさんから目をらし、すげなく着衣を促すリーゼさん。

 水泳は普通、全裸か肌着のみで行いますが、この二人はちゃんと肌着を着けています。

 なので恥ずかしがることもないのですが、リーゼさんには目の毒のようです。

 かわいらしいことですね。

「トーリさんたち、もう来てるわよ」

 タリアン領での会戦、そしてバラステアとりでの再奪取から、六か月が経過していました。

 ロルフさんたちは、あの戦いのあとゆうを結んだ人間の有力者と、今日、対話を持つことになっているのです。

「でも約束は午後からでしょう? 慌てなくても大丈夫ですよ」

 そう言って、二人にタオルを手渡しました。

 ロルフさんは丁寧に、シグさんはぶっきらぼうにお礼を言って、体を拭き始めます。

 二人の体の表面を流れる水滴が拭い去られていき、美しい肉体が陽光の下に現れます。

 訓練を経て、より美を増した肉体です。

 私はそれを、この目でたんのうするのでした。



 俺たちはアルバンのしきに、トーリを迎えていた。

 彼は茶色い髪とくちひげを持った細身の中年男性。そして、人間だ。

 六か月前の戦いで陥落せしめたタリアン領。

 そこに本拠を持つローランド商会は、王国最大の商会として知られている。

 向かいに座るトーリは、その商会の会長なのだ。

 また、あの戦いの中でタリアンから救ったアイナの、父親でもある。

 そのアイナと、同じくタリアン邸に捕らわれていたカロラが、随行してトーリの横に座っていた。

 対してこちらはアルバンと数名の文官。そして武官は俺とリーゼだ。

 ほかの高級武官は任務中。フォルカーもアーベル総督の任に戻っている。

「ではトーリ殿。タリアン領の参事会も問題なく回っていると?」

「左様ですアルバン様。アーベルというモデルケースがあったのもきました」

 旧ストレーム領では、人間たちで構成された参事会を置いて、統治にあたらせていた。

 魔族による直接統治は当面避けている。

 そして新たに奪取したタリアン領でも、同様の手法を採ったのだ。

「私もそうですが、実利的な考えを持つ者たちは、貴方あなたがた魔族への差別意識が比較的低く、協力的です」

 まあ私の場合はもはや王国が嫌いというのもありますが、と続けるトーリ。

 実際、彼は進んで俺たちに協力してくれていた。

「ここしばらくの小康状態のおかげで、こちらも地固めが出来ました」

 トーリがそう言うとおり、ここ最近は大きな戦いが起きていない。

 六か月前、俺たちがタリアン領を落とした後、そのタリアン領から東に少し離れたアルテアン領も陥落した。

 落としたのはレゥ族という氏族だ。

 王国は立て続けに領土と、多くの将兵を失った。第三騎士団半壊の憂き目にも遭っているのだ。

 彼らには、国内を安定させるのに時間が必要だった。

 また俺たちとしても、新たに得た領地の運営を軌道に乗せるため、時間が欲しかった。

 結果、この数か月、俺たちと王国はにらい、互いをけんせいしたまま内政に注力している。

 この間、参事会の取りまとめのほか、もろもろに協力してくれたのがトーリなのだ。

 彼の実務能力は群を抜いていた。

 ローランド商会会長の肩書はではないようだ。

「それと、イスフェルト領の動向ですが、やはり予想されたとおりです」

 トーリは、次の戦場と目されるイスフェルト領についても報告する。

 あそこは王国のみならず、ヨナ教にとっても重要な地だ。

 教団も王国に同調し、厳戒態勢を敷いているらしい。

 いよいよ次の戦いが近いということだ。

 この数か月、大きな戦いは起きていなくとも、各地での散発的な戦いは続いている。

 俺たちヴィリ・ゴルカ連合や、アルテアン領を落としたレゥ族のほか、多くの氏族が大陸中で戦っているのだ。

 そして魔族をせんめつすべしという王国の国是も変わらない。

 戦いが終わる気配など無く、むしろ現在の小康状態は、これから先に待ち受ける激しい戦いを予感させるものだった。

 それを裏付けるような、イスフェルト領内での軍事行動の活発化について、トーリから情報が共有される。

 その報告を受けながら、俺たちは今後の対応を話し合った。

「その関係で、アルテアン領の件でも報告が。アイナ、頼む」

「はい会長」

 父トーリの指示を受け、アイナが返事をする。

 ちらりと俺を見ると、こほんと一つせきばらいし、それから報告を始めた。

「目されたとおり、かの地には王国への地下抵抗運動レジスタンスの存在が確認されました」

「やはりか」

 アルバンが、腕組みをしてそう言った。

 反体制派はいずれの世にも存在するが、アルテアン領に一定以上の規模を持つ抵抗組織が存在することを、彼は予測していたのだ。

「領主が有能でも清潔でもなかったうえ、あそこは元々、独立独歩の気風が強いからな」

おっしゃるとおりですアルバン様。私も商会の仕事で、このカロラと共に何度か赴いたことがありますが、反骨の気質が強い土地です」

 アイナがそう言うと、横に座っていたカロラが頷く。

 それから、その言葉を引き継いで言った。

「反体制派は、アルテアン領のようへいギルドと繫がっているようです。ギルド長がそのリーダーと目されます」

「だとしたら、戦力としても期待出来るわね。く同調出来ればだけど」

 リーゼのげんを、皆が首肯した。

 魔族と人間の協力関係には、まだまだ課題が残るが、こうしてトーリたちとは肩を並べることが出来ている。

 以前から期待しているとおり、よしみを結ぶこと可能なはずだ。

 そんな思いを肯定するように、アイナが言う。

「同調に向け好材料はあります。フリーダがくだんのギルド長と親しいのです」

「ほう、ロルフと旧知という、あの傭兵か」

「彼女、顔が広そうだもんね」

 アルバンとリーゼも、前回の戦いのあと、フリーダと顔を合わせている。

 ここに居るトーリらと同様、フリーダも王国への嫌悪が強く、そのぶん俺たちと連携することに抵抗を示さなかった。

 おそらく、彼女のような人物をもってしても、魔族への不信はまだゼロではないと思う。

 だが共にあるうちに、きっとい関係を作っていける。

 そして彼女が反体制派のリーダーと親しいのはぎょうこうだ。

 そういったことが重要なのだ。

 紡いだ縁が次の縁を繫ぎ、を大きくしていくのだから。

「しかし、地下抵抗組織などというものがよく見つかりましたね」

「まあ、事実上、地下組織ではなくなっていますから」

 文官の一人が呈した疑問にアイナが答える。

 彼女の言うとおりだ。

 アルテアン領はレゥ族によって陥落し、王国領ではなくなっている。

 地下に潜って活動する必要は無くなっているのだ。

 そのレゥ族も、次のイスフェルト領の戦いに参加することになっている。

 魔族軍は大兵力になる見込みだ。

 だが、敵も大きい。

 イスフェルト領には、済生軍と呼称される、ヨナ教団の私兵集団がいるのだ。

 強力で、その数は騎士団一つ分と同等か、それ以上と目されている。

 そして間違いなく、王国も騎士団を出してくる。

 現在は、魔族が戦勝を重ねて領土を切り取っているが、実際のところそれは、王国のごく一部をいだだけだ。

 今なお王国は強大である。

 むしろ、敵が本腰を入れてくるのはこれからだ。

 ヨナ教団の重要拠点であるイスフェルト領を守るために、王国が出してくる騎士団は、おそらく……。

「ロルフ様」

 思考に沈む俺を、トーリの声が引き戻した。

 見ると、細身の紳士は、向かいで穏やかな表情を浮かべていた。

「怖い顔をしておられますな」

「む……失礼しました、会談中に。次の戦いの大きさを思い、つい考え込んでしまいました」

「ずいぶん正直な将軍様ですな。そこで謝罪する方など、人間の国にはあまり居られませんよ」

「魔族にも居ないけどね、こういうのは」

 リーゼの言葉に、皆が笑声をあげる。

 その声に緊張がほぐれるのを感じた。

 今度の戦いは、俺が経験した過去のどの戦いよりも大きなものになる。

 だが、きっと大丈夫だ。

 俺は胸に勝利を誓うのだった。



 会談ののち。

 トーリの望みで、俺たちはヘンセンの町並みを見て回っていた。

 驚いたことに、トーリは誰も随行させず、一人で残った。

 信頼を表すためであろう。

 それに報いるため、こちらも俺とアルバンだけだ。

 また、俺たちとしても、彼だけに話したいことがあったので、都合が良かったのだ。

 俺とアルバンは、その〝話したいこと〟を彼に告げた。

しんの秘奥にそのような裏があったとは……」

「推測を含む話ですが、しかし、いま言ったとおり───」

「ええ。筋が通っている。頷ける話です」

 沈痛な面持ちで、俺たちの話を受け止めるトーリ。

 頭の回転が速い彼は、秘奥による思想誘導や、それが女神への信仰心と結びついていることについて、よく理解してくれた。

「信教は統治の手段としてごく一般的です。それは良い。良いが……しかし、これは」

 苦虫をみ潰したような顔を見せるトーリ。

 そこには怒りや屈辱が見て取れる。

「信仰心の薄い唯物主義者たちに、魔族への差別意識が低く見られるのには、そういう理由もあったのですね。私もその一人だ」

「そうなります」

 先進的な商人であるトーリは、強い唯物主義者であり、実利主義者だ。

 信仰からは、かなり離れたところに居る。

「その事実にこちらが気づいていることは、可能な限り秘匿しなければなりませんね」

「そうだ、トーリ殿。だから貴方だけに話したのだ」

 アルバンとしても、部下たちを信頼している。

 リーゼ含め、皆に秘密を作りたくはないだろう。

 だが、この件はそういうわけにもいかないのだ。

「分かりました。それで、話してくださったのは私を信頼したからだと考えてよろしいのですか?」

「俺はトーリ殿を信じます。ただ、アルバン殿。貴方はどうだろうか」

 俺はアルバンにそうただした。

 これから先、いよいよ大きな戦いが始まっていく。

 互いの信頼について、この場でハッキリさせておかなければならない。

「ふむ。際どいところを突いてくるじゃないか。言いたいことは分かる」

 腕組みをして、重々しく口を開くアルバン。

 やや言いづらそうにしながらも、しっかりとトーリを見て言った。

「実のところ、まだ確信に至っていないのだ。我々には歴史がある。良くない歴史が。ロルフのことは信じたが、新たに現れるそれ以外の人間も同じように信じ続けられるかというと、そこはやはり難しい」

 隠さず、胸のうちを話すアルバン。

 トーリは優れた人品の持ち主で、しかも彼の協力は俺たちにとって得難いものなのだ。

 手を結ぶべき相手であるはずだ。

 だが、それが分かっていても、割り切れぬものがある。

 長い対立の歴史は、そう簡単には乗り越えられない。

 そもそも俺も、未だ信頼を積み重ねる途上にあるのだ。

「トーリ殿。貴方にはヨナ教の教えへの拘泥が無く、思想誘導の影響も低い。それは分かる。分かるが……」

 アルバンは武官あがりだ。

 戦って信を得ようとした俺に対しては、まだ理解を示せるものがあったのだろうが、商人が相手となると難しいのかもしれない。

 それを知ってか、トーリはアルバンに正面から向き直った。

 あいたいするアルバンとはまるで逆の、細身で柔和な印象の男だが、される様子は無い。

 会長は、ああ見えて凄い胆力なんですよ。一流の傭兵であるフリーダも舌を巻くほどです。

 とは、アイナのげんだ。

「私は、借りを返す機会を頂きたいのです。商人ですから、貸し借りには敏感なのですよ」

「……ふむ」

「この私には、無限に近い負債がある。お分かりでしょう」

 負債とは何のことだろうか。

 俺には分からないが、アルバンは何かに思い至ったようだ。

 腕組みしたまま、トーリを見つめ、そして言った。

「商人としてではなく、父として道を選んだと言われるか。だが、部下である商会の者たちへの責をどうお考えなのか」

「なに。商会としても、貴方がたと結ぶのが最良と考えておりますので」

 トーリがそう言うと、アルバンはしばし考え込んだ。

 それからゆっくりと俺の方を向き、伝える。

「ロルフ。トーリ殿は、娘たちを救ってくれた恩に報いたいとお考えのようだ」

 借りとはそういうことか?

 だが、あれは……。

「トーリ殿。タリアン邸への攻撃は、俺たちにとっても必要なことでした。それにバラステア砦の危機に気づけたのも貴方がたのおかげで……」

「タリアン邸でのことだけではありません。その前の一件についても、感謝しているのです」

 アールベック邸でのことか。

 一応秘密なのだが、あの一件に俺が関わっていたことを、彼は知っているようだ。

「ああ、一応申し上げますが、アールベック子爵の事件を解決する際に貴方が関わったことは、娘たちからは聞いておりません」

「そうですか。それでも俺の関与を知るに至ったと。さすがに凄い調査力をお持ちですね」

「ん? ああ、いや。調査なんかしてませんよ」

「え?」

「お前が口止めをしたのなら、あのフリーダという傭兵とて誰にも話してはいまいよ。調査して分かることでもあるまい」

「そのとおりです。ですが娘たちが以前からロルフ様を知っていて、しかもそこにただならぬ恩があることは、彼女らの顔を見れば分かりますから」

「そういうものですか」

 俺がやや戸惑う横で、アルバンが得心したように頷いている。

 人の親にとっては理解出来る話であるようだ。

「ですので、私は貴方と貴方のご友人に、全面的に協力しようと決めたのです。娘たちをあんな目に遭わせた王国に、もはや忠誠はありませんしね」

 俺にそう言ってから、アルバンへ手を差し出すトーリ。

「理だけではなくおんしゅうで動く私という男を、信じてみては頂けませんか?」

 差し出された手を見つめるアルバン。

 それからしばしの間を置いた。

 そしてゆっくりと手を出し、決意したようにトーリの手を握る。

「分かった。今後ともよろしく、トーリ殿」

 雪解けは、こうやって少しずつ進んでいく。

 わだかまりは大きく、一朝一夕では無くならない。

 だが、皆の不断の努力で、少しずつ、少しずつ両者の距離は縮まっていくのだ。



「む? あれは何ですか?」

 それからしばらく町を歩き、この地の文化を視察してもらう。

 そのなか、トーリは軒先へ干されたしきものに興味を示した。

「何……とは? じゅうたんだが」

「ちょ、ちょっと触らせてもらって良いですか? …………おお、この毛足と密度ノット。これは……!」

 この地の手織りの技術は優れており、絨毯などは特に美しいと俺も思っていた。

 ただ商売になるかというと、俺に分かるはずも無い。

 トーリはその絨毯をでながら目を輝かせている。

「良いですね! こういうものは人間社会でも大いに喜ばれますよ!」

「そうなのか? 我々にはよく分からないが」

 興奮するトーリに、やや困惑しつつ答えるアルバン。

 それに構わず、トーリはまくてる。

「どんどん物を流通させましょう。こういう優れた品を使って、両者の文化に理解を深めるのです!」

 ローランド商会にとって、現王国領との取引続行はやはり難しく、商圏の縮小が見込まれた。

 だが、本拠である旧タリアン領での活動は続行出来るし、旧ストレーム領や旧アルテアン領でも商売が可能だ。

 そこに加えトーリは、今までまったく未開であった魔族領に商機を見出している。

「アルバン殿。今でもヘンセンとアーベルの間には物流があるんですよね?」

「ああ。限定的だが、香辛料などは売買されている」

「それをもっと広げましょう! いやあ、ワクワクしてきましたなあ! 壁を壊しましょう!」

 壁を壊す。彼はそう言った。

 両者間で文化や産物を流通させ、壁を取り払おうというのだ。

「前向きなお考えだが、相手への嫌悪が先立つなかで、そう上手くいくだろうか? ロルフはどう思う?」

「俺には経済に類する話は分からないが、トーリ殿は逆と仰りたいんじゃないだろうか」

「そうです! 仲が悪いから交われないのではなく、交わることによって仲の悪さを解消すると考えるのです! 大丈夫! どんなに不仲でも、経済的結びつきはそれとは別です! まずは結びつくことですよ!」

 それは俺にも分かる。

 軍事よりも政治が、政治よりも経済が、より多くの人に作用するのだ。

 まして敵は、軍事、政治、経済のいずれにも作用する、信仰というワイルドカードを使ってきている。

 こちらとしては、戦い以外の打てる手も、すべて打たなければならない。

 それに際し、やはりローランド商会という味方の存在は、極めて重要だ。

「む!? あの木工細工、よく見せてください!」

 少年のようにはしゃぐトーリ。

 それを見て、俺は自然と相好を崩していた。

 そして、俺が愛してやまぬ馬乳酒もいけるのではないかとひそかに思うのだった。