王都に到着すると、フラムたちとガディオは別れた。

 彼が東区にある自宅に戻ったのは、夕方のことである。

 門を抜け、屋敷へ続く石畳の上を歩くと、玄関の前に座り込む女性の姿を見つける。

 ケレイナだった。

 ガディオの足音に気づいた彼女は顔をあげ、笑みを浮かべる。

 だが、その口元は震えている。

 目は涙で潤み、色々と用意しておいた言葉がうまく出てこない。

 だから、仕方なく、ありきたりに彼を迎えるしかなかった。

「……おかえり」

 それは下手な言葉より、よっぽどガディオの胸に刺さった。

 一方的に置いていったくせに、ティアを殺した結果、余計に彼女への想いを強めたくせに、自分に返事をする資格はあるのだろうか、と。

 しかし、罪悪感に黙り込んでいるうちに、次第にケレイナの表情が不安に満ちていく。

 近いうちに終わるつもりなら、切り捨てるのも一つの選択かもしれない。

 だが、彼はそうしなかった。

「ただいま、ケレイナ」

 優しく笑いかけ、そう返事をする。

 ガディオの言葉を聞くと、ケレイナは立ち上がり、ふらふらとした足取りで近づいて、その胸に顔を埋めた。

「おかえり……おかえりぃ……っ」

 涙をこすりつける彼女の頭を、ガディオは無言で撫でる。

 そんな彼の表情は、どこか苦しげに見えた。


 ◇◇◇


「戻ってきたぁーっ!」

 フラムは家に入るなり、両手を上げて思わず叫んだ。

「ふふ、ここの空気を吸うと落ち着きますね」

 フラムのはしゃぎっぷりを見て微笑みながら、ミルキットもほっと肩の力を抜く。

「いつのまにか我が家って感じになってる」

「あたしもあたしもー!」

 全員がリラックスした表情を浮かべ、ひとまず戦いが終わったことを実感していた。

 その後、軽く早めの夕食を摂り、風呂を済ませ、各々の部屋で体を休める――


 ◇◇◇


 インクは自室に戻るなり、なぜかベッドの縁に座らされ、背中からエターナに抱きしめられていた。

 そしてこれまたなぜか、エターナはしきりにインクの匂いを嗅いでいる。

「……エターナ、何やってんの?」

「匂いを嗅いでる」

「やっぱり変態じゃん!」

「変態呼ばわりは普通に失礼」

「こんなやり取りつい最近やったばっかりだよぉ」

「仕方ない、癖になったから」

「今すぐ矯正してよぉー!」

 そう言いつつも、インクは抵抗したりしない。

 そんなことをしても無駄だと体で理解しているからである。

 エターナはこう見えて、かなり腕力が強い。

 本人は『フラムと比べればぜんぜん』と言っていたが、それでもか弱い一般人であるインクに比べれば天と地の差がある。

「油断するとエターナはすぐ距離を縮める……あんまりやりすぎると、あたしのほうがエターナから離れられなくなっちゃうぞー?」

「それは万々歳。匂いも嗅ぎ放題」

「匂いからは離れてよー!」

「くんかくんか」

「いーやー! やめてってばこの六十歳児! 独身! 変態!」

「ぐっ……さすがにその合わせ技は心に突き刺さる……」

「自業自得だいっ」

「そんな生意気なことをいうやつはこうする」

「へ……っ? ひやあぁっ!?

 エターナはインクを水のつるで抱えると、向きを変え、今度は正面から抱き合った。

「は、恥ずかしいんですけど……っ!」

「うん、わたしも恥ずかしい」

「じゃあなんでやったの!?

 エターナは何も言わない。

 無言のまま、ぎゅっとインクの小さな体を抱きしめる。

「……よしよし」

 するとインクは、ふいにエターナの頭を撫でた。

「そっか、本当は悲しかったんだね。そりゃそうか、どんな状態でも、自分の両親を殺したことに違いはないんだから」

「悲しくないつもりだった。実際、殺した瞬間も、戦ってる間は何も感じなかったから」

「でも、ここに戻ってきちゃったから?」

「この家には、思い出が染み付いている」

 二人の凄惨な死に顔と、過去の思い出が絡み合って、エターナの心を締め付ける。

 締め付けられて、絞られて、涙があふれ出しそうになる。

「上書きしてしまいたい」

「あたしたちとの思い出で? でも、この家での出来事はエターナにとって大事なことじゃないの?」

「だからそこではなく、シェオルでの記憶を」

「そのための隣に、あたしがいてもいいの? あたし弱っちいし、目も見えないし、何もしてあげられないかもよ」

「そんなことはない。インクといると、楽しくてしょうがない」

 平淡な口調なので楽しさは伝わりにくいが、インクにはわかっていた。

「じゃあ仕方ないね。傷が癒えるまで、あたしがエターナを甘やかしてあげようじゃないか」

 それがインクにできる、エターナへの恩返しだ。

「ありがとう。じゃあさっそく思う存分、匂いを嗅がせてもらう」

「どうしてそっちの方向に持っていっちゃうかなー!」

 再び離れようとするインクと、さらに強く抱き寄せるエターナ。

 エターナが年下の少女に甘える日々は、しばらく続きそうである。


 ◇◇◇


 ファサッ、と包帯がベッドの上に落ちると、フラムはその感触を確かめるようにミルキットの微かに赤らむ頬に触れた。

 するとその上から柔らかく温かい手のひらが重ねられ、二人はベッドの上に腰掛けて、いつものようにしばし見つめ合う。

「その……ミルキットさ、サティルスと戦ってるとき、すごいこと言ってなかった?」

「すごいこと?」

 きょとんとするミルキット。

「ほ、ほら、愛してるとか……そんなの」

 フラムの顔は真っ赤だが、なぜそうなっているのか、ミルキットにはまったくわからなかった。

「ああ、あれですか。私はずっと、ご主人様と自分の関係をどう呼ぶべきなのかわからなかったんです」

「パートナーじゃないの?」

「それも嬉しいんですが、もっと具体的に知りたいなと思っていまして」

 現状で納得していたフラムは、言われて初めて気づく。

 確かに、パートナーという言葉は、割と抽象的かもしれない。

「でもシェオルでの出来事を通して、ようやくその答えを見つけられたんです。あのときは戦いの途中でしたし、あらためてちゃんとお伝えしてもいいですか?」

「へっ? い、いや、えっと……」

「ダメ、でしょうか」

 しょんぼりするミルキット。

 そんな顔を見せられたら、フラムはノーとは言えない。

「じゃないよっ、いいから! 私も心して聞くから!」

「よかったです。それではっ」

 ミルキットは頬で重ねていた手を、自らの胸に持っていった。

 フラムの手のひらに、胸の膨らみと、鼓動が伝わってくる。

 そしてミルキットは、真っ直ぐにフラムを見つめる。

 出会ったときから彼女の瞳の綺麗さは変わっていない。

 しかし、銀色の髪はツヤを取り戻し、肌の血色も良くなり、体も随分と女性的な丸みを帯びてきた。

 トータルで見て、あの頃よりずっと可愛らしくなった彼女を見て――フラムは思わず見惚れる。

 そんなミルキットの、桃色の唇が開いて言葉を紡いだ。

「私は、ご主人様のことを愛しています」

 満面の笑みで宣言され、フラムの思考が完全にストップする。

 愛している。

 愛とは何か、ラブである。

 ラブとはつまり――パートナーはパートナーでも、夫婦的なパートナーになるわけで――

「ま、ままま、ま、まっ、まっ!」

 ぼふっ、とフラムの顔が真っ赤に染まる。

「ま?」

「待って、待ってミルキット! ちょ、ちょっと、突然過ぎてご主人様の脳がついていけない!」

 それを冷まそうと両手を頬に当てるが、すぐに手の方が熱くなってしまう。

 困ったフラムは枕に顔を突っ込む。

 自分のものではない、甘い香りが鼻腔をくすぐる。

(すごくいい匂い、落ち着くけど心臓がバクバク言うような……ってミルキットの枕だよこれーっ!?

 さらに上昇する体温と、激しくビートを刻む心音。

 熱を帯びた血液が、体の全体に運ばれる。

「うひぃーっ!」

 奇声をあげたフラムはすぐに顔を上げて、今度は布団に顔を突っ込む。

「あの、私……そんなに変なことを言ってしまいましたか?」

「へ、変っていうか、いきなり、あ、ああ、愛とか言われて、びっくりしたっていうか」

「びっくり、ですか。ですが私のご主人様に対する想いは、愛が一番しっくり来ると思うんです」

 布団に顔を埋めたまま、視線だけをミルキットに向ける。

 フラムが一人で動揺しているのがアホに思えるほど、彼女はしゅうしていない。

「……ん?」

 フラムは気づく。

 ひょっとして、ミルキットの言う〝愛〟とは――恋愛的なそれとは別物なのではないか、と。

「ねえミルキット、もしかしてさ……」

「は、はい」

「今の愛してるって、私と恋人になりたいとか、そういうのとは別のやつ?」

「こ、ここっ、こここっ、恋人、ですか!?

 今度はミルキットが赤くなる番だ。

 ぼふん、といちごのように染まる頬。

 いや、それどころか耳や鎖骨のあたりまで紅潮する。

「ど、どうしてそんな結論に!?

「いや、だって愛してるって普通はそういうときに使う言葉だから」

「そうだったんですか!? いや……そういえば、そう……です、よね……」

 徐々にトーンダウンしていく声。

 それに合わせるようにミルキットの体がふらりと横に傾き――そのまま横になる。

 そして両手で顔を覆い隠し、固まってしまった。

「そんなつもりでは……いえ、別に、好きではないというわけではなく、間違いなく好きなのですが……あれ、でも、だったらなんと言えば……」

「ま、まあ、愛といっても色々あるもんね。ほら、家族愛とか、友愛とかさ! そういう意味では、確かに、私もミルキットのこと……」

 ミルキットだけに恥ずかしい思いをさせてはいけない。

 そう決意したフラムは、体を起こし、太ももの上に強く握った拳を置いて、緊張を隠しきれない表情で告げる。

「愛してる、よ?」

 しかしそれが家族愛かと言われれば、フラムは首を横に振るだろう。

 友愛とも違う、だったら何愛なのか――彼女もまた、その答えを知らないでいた。

「ありがとう、ございます。ですが……ああ、本当に、言われる方が恥ずかしいですね」

「言う方も恥ずかしいから」

「ご主人様に恥ずかしい思いをさせてしまい面目ないです。でも、困りました……だったら私のこの気持ちは、どう伝えたらいいのでしょう」

 ようやく答えを得たと思ったのに。

 愛している、以外の言葉をミルキットはまだ知らない。

 フラムはそんな彼女に四つん這いで近づくと、顔を覆う手に触れた。

「ご主人様?」

 その感触に、ミルキットは指の間から様子を窺った。

 そこから見えたフラムの顔はまだ赤かったが、先ほどに比べるとかなり落ち着いた様子である。

 彼女はミルキットに笑いかけると、

「好きだよ、ミルキット」

 そう言った。

 どくん、と胸が高鳴り、同時に締め付けられるような感覚。

 けれど決して苦しくはなく、心地よいと感じる。

「うん、〝好き〟でいいんじゃない? 愛してるじゃさすがに重すぎるし、ね?」

 確かにそれなら、まったく恥ずかしくないわけでもないが、気兼ねなく言える気がする。

 ミルキットの顔は相変わらず真っ赤なままで、フラムと違って落ち着きも取り戻せていない。

 だが、主の好意に応えるべく、視線を合わせて想いを伝える。

「えっと、それでは……私も、ご主人様のことが好きです」

 フラムはうなずく。

「えへへ……」

 そしてはにかんだ。

 心が通じ合っているようで、それが無性に嬉しい。

「ふふ……」

 だから彼女も同じように微笑んで、また繰り返す。

「ご主人様のことが、大好きです」

 そう言った彼女にフラムは抱きついた。

 ただそれだけの言葉のやり取りが、幸せで幸せでしょうがない。

 家族に向けるものでもない。

 友人に対するものでもない。

 それは温かく、心の奥底まで染み込んでいく、未知の感覚。

 液体のようで、けれど球体のように丸くもある。

 ミルキットと出会って初めて手に入れた、代わりのきかない宝物。

 自分の内側で、触れ合うたびに育っていく、きっと綺麗な花を咲かせる種だ。

 フラム自身も、その感情の名前をまだ知らないままだが――しばらくは今のままでもいい、そう思うのだった。


 ◇◇◇


 王都に帰還したのは、フラムたちだけではない。

 一足先にシェオルを出たネクトも、地下にある拠点へと戻ってきていた。

「ただいまー」

 いつもより長めに留守にしてしまった彼女だが、どうせマザーに怒られることはないと確信している。

 彼はもう、第二世代に興味を示していないのだから。

 それはともかく、他の螺旋の子供たちスパイラル・チルドレン――ミュートやルーク、フウィスは挨拶ぐらいしてくれるはずなのだが、部屋には誰もいない。

 それどころか、拠点全体があまりに静かだ。

「みんな、どこにいるの? かくれんぼでもやってるなら、鬼が誰もいないんじゃない?」

 言いながら、別の部屋に足を踏み入れる。

 研究とは関係の無い本やおもちゃが置かれた部屋で、フウィスとミュートはよくここで遊んでいるのだが――

「なんだよ、これ……」

 本棚は倒れ、おもちゃは破壊され、そこらじゅうに散らばっている。

 また、床には血液と思われる赤い液体がべっとりとこびりついていた。

 尋常ではない事態に気づいたネクトは、慌ててマザーの研究室に入る。

 そこでも実験道具の数々は破壊され、壁に赤い血の落書きが施されている。

 さらに先ほどの部屋と違い、壁や床、天井がボコボコに歪んでいた。

「戦闘の形跡? でもあいつらと互角に戦える化物なんて。フラムお姉さんたちはシェオルから帰ってきたばっかりだし、まさか――」

 部屋の奥で、影が揺れる。

 気配に気づいたネクトは、戦闘態勢に入る。

 現れたのは、人狼ワーウルフの姿をしたモンスターだった。

 しかしその中身が普通ではないことを、ネクトは知っている。

「やっぱりキマイラ……教会はネクロマンシーだけでなく、僕たちのことも見捨てたのか。せめて、もう少し待ってくれればっ!」


 ◇◇◇


 情報を持ち帰ったウェルシーが、記事を書いて新聞を王都中にばら撒いたのは、翌朝のことである。

 教会による、死者を蘇らせる人体実験の存在。

 ともすれば三流ゴシップ誌によくある都市伝説とも思われかねないこうとうけいな作り話とも思われかねない内容だったが、サティルスの屋敷や研究所から回収された資料の数々、そしてシェオルから脱出した人々の存在が、記事に説得力を持たせていた。

 教会はすぐさま反論すると思われたが、民の不満は彼らの想定よりもはるかに早く爆発し、さらに秘密裏に活動していた反教会組織の過激派が扇動したことにより、大聖堂を取り囲むデモが勃発。

 他の地区でも、それぞれ教会が囲まれ、シュプレヒコールとも呼べないぞうごんが飛び交う結果となった。

 おそらく、最近の無理な治療料金の値上げにより、教会への不信感が高まっていたことも要因の一つなのだろう。

 王都の修道女や神父、司教たちが対処に追われる中、最高権力者である教皇は枢機卿を集め、大聖堂で会議を開いた。

「ネクロマンシーが潰されたようですね」

 教皇フェドロ・マクシムスが言った。

 玉座に腰掛けた彼は、白の布に金の装飾が施された祭服を纏い、黄金の教皇冠を頭に乗せている。

 髪は長く、白く、ほとんど外に出ないからか焼けていない肌と相まって、あまり生気が感じられない。

 そのせいか、人の良さそうな柔らかい声や、顔に張り付いた優しい笑みも、人間味が欠けているように見えた。

「残念です、ダフィズ君には期待していたのですが」

 そう言いながらも表情は変わらず、むしろ彼の死を喜んでいるようですらある。

「人の命は尽きるために存在しているもの」

 トイッツォが言う。

「彼は死ぬことで、教徒としての役目を果たしたのです」

 まったく同じ口調で、タルチが言葉を続ける。

「殉教者です。彼はオリジン様の言葉を理解できない不出来な信徒でしたが、死が彼を完成させた」

 スロワナクの口調も、表情も、やはり変わらない。

 まるで一人分の語りを分割しているようだ。

「しかし底は見えたと我々は考えます。いかがかな、サトゥーキ・ラナガルキ」

 そして四人目の枢機卿ファーモは、目を細め、じっと机の表面を見つめるサトゥーキに問いかける。

 彼は顔を上げ、フェドロのほうを見ると、場に満ちる独特の雰囲気に押されることなく、堂々と発言した。

「あえて私が言わずとも、すでに結論は出ているようだが」

 言ってから、部屋の隅に立つ女性に視線を向けるサトゥーキ。

 目が合うと、その女――エキドナ・イペイラは、口元に手を当てて「くすくす」と笑った。

「いやですわぁ、サトゥーキ様ぁ。私ぃ、まだなぁんにも知りませんものぉ」

 くねくねと体を揺らしながら言う彼女は、おそらくとっくに全てを知っている。

「今日、彼女をここに呼んだのは他でもありません。我々はオリジン様からたまわった力をよりよく使うために、様々な方法を模索してきましたが――ついに、選ぶときが来たのです」

 その名が呼ばれる瞬間を心待ちにし、エキドナの呼吸が色っぽく震える。

「私はここに、キマイラこそが聖戦に相応しき矛であると宣言いたします」

 ぱちぱちぱち、と同時に上品に拍手をする枢機卿たち。

 同時にエキドナは、「はぁ……んっ」と歓喜に体を震わせた。

「チルドレンについては、直ちに研究の打ち切りをマイク君に伝えてください」

「承知いたしました」

 チルドレンを担当していたファーモは、あっさりと承諾する。

「お待ち下さい聖下、あの男が打ち切りを受け入れるとは思えませんが」

 サトゥーキが異議を唱えると、「でしたらぁ」とエキドナが割り込んでくる。

「それなんですがぁ……私がチルドレンを処分してさしあげますわぁ。力の証明にもなりますし、一石二鳥ですものぉ」

「王都であの兵器を戦わせるつもりか?」

「キマイラの制御は完璧。王都ぐらいの広さなら細かな動きまで命令できますしぃ、逆に命令が無ければただのオブジェ。なぁんにもできないのが、完成したキマイラですからぁ」

「だが、情報源が捕らえられ、セントラル・コアの核となる技術は入手できなかったと聞いたぞ」

 エキドナの表情が一瞬だけ引きつる。

 だがすぐに元に戻り、サトゥーキを論破すべくじょうぜつに語りだした。

「サトゥーキ様が何をおっしゃっているのかはわかりませんがぁ、そんなものが無くても、私のキマイラは量産性、性能、どちらを取ってもネクロマンシーやチルドレンより勝っていますわぁ。コンペティションに勝利するのは、当然の結果だと思っていますがぁ?」

 色々と並べ立ててはいるが、セントラル・コアは完璧ではない――それを否定する言葉は一つも無かった。

「サトゥーキ君、もうよいでしょう。下がりなさい」

 しかし教皇はすでにキマイラの採用を決めている、細かな事情などどうでもいいと考えているようだ。

 サトゥーキは「くっ……」と悔しそうに引き下がる。

「エキドナ君、それでは説得が失敗したときは、あなたに任せますよ」

「光栄ですわ、聖下ぁ。それでは早速、私は準備に取り掛からせていただきますわねぇ」

 マイク・スミシー――もといマザーへの説得は、すでに失敗することが前提で話が進んでいる。

 キマイラによるチルドレン潰しは、もはや避けることはできないだろう。

 だがサトゥーキが恐れているのはそこではない。

 きゅう猫を噛む、と呼ぶにはチルドレンはいささか強大過ぎる存在である。

 彼らがもし、追い詰められて、なりふり構わずに暴れだしたら――必ず王都に甚大な被害が出る。

 もちろん教皇や他の枢機卿とてそれは理解している。

 理解した上で、『そのようなことはどうでもいい』と対策を考えることすら放棄しているのだ。

(この人でなしどもが――)

 心の中でサトゥーキは悪態をつく。

 教会には、そんな連中がうようよといる。

 もちろんエキドナも、そのうちの一人だ。

 彼女は自分の欲求を満たすためなら平気で他人の命を奪うし、そのときだって〝我慢〟というものをしない。

 そんな獣畜生以下の堪え性の無さだというのに、厄介なことに頭は回る。

 今日も会議の内容を先読みした上で、すでにチルドレンを潰すべくキマイラを派遣していた。

 そんな魑魅魍魎がひしめく教会で、サトゥーキが枢機卿の地位まで上り詰められたのは、まさに奇跡と呼べよう。

 もっとも、中にはそんな教会の現状に危機感を抱き、サトゥーキに力を貸してくれたものもおり、そういった人々の尽力の結果でもあるのだが。

「ところで、何やら大聖堂の外が騒がしいようですね」

 ここでようやく、フェドロが外で起きているデモについて触れた。

「シェオルで起きた一連の出来事が、低俗な新聞により民衆に広まってしまったようです」

「それは困りましたね。彼らを黙らせるよい方法は無いでしょうか」

「私に妙案があります」

 名乗り出たのは、タルチだ。

「役目を終えた私とファーモを処刑するというのはいかがでしょう」

 タルチとファーモは、それぞれネクロマンシーとチルドレンを管理していた。

 つまりキマイラが正式採用されると決まった以上、そういう意味では、二人の役目は終わっているのである。

「それは素晴らしい案です。オリジン様が理想とする世界を作り上げるためには、一人でも多くの人間が死ぬ必要がありますから、浄化にも繋がります」

 ファーモは嘘偽りなく、喜んで自らの死を受け入れた。

「それではヒューグ君、頼みましたよ」

「はっ、我が剣技にて、今すぐにお二人の首を落としてみせましょう」

 枢機卿の処刑というオリジン教にとってあまりに大きな変革は、一言二言の会話の応酬によって決行されようとしていた。

 サトゥーキは唯一この場で彼らの狂気に気づきながら、しかし机の下で拳を握り、黙っていることしかできない。

 あくまで彼も枢機卿の一人、オリジンに忠実な下僕として、その思惑通りに動いているように彼らをあざむかなければならない。

正義執行ジャスティスアーツ――浄化の刃スコッチメイデン

 ヒューグが白銀の剣を振り下ろすと、離れた場所にいるタルチとファーモの首が落ちる。

 ゴトッ、と生首が床に転がり、体から力が抜け椅子から転げ落ち、断面から鮮血がどくどくと流れ出た。

「相変わらず良い腕ですね、ヒューグ君」

「ありがたきお言葉」

 枢機卿を手にかけたというのに、ヒューグは冷静そのものだ。

「そうだヒューグ君、いい機会ですから、例の話を進めましょう。ディアン君からはきょだくをもらいましたからね」

 国王ディアンを、教皇は〝君〟付けで呼ぶ。

 つまり、目下の存在と認識しているということだ。

「では……!」

 ヒューグの瞳が歓喜に輝く。

「はい、本日をもって王国軍は、教会騎士団の一部となります」

 フェドロは、穏やかな表情で宣言した。


 ◇◇◇


「お姉様っ、大変ですわ!」

 オティーリエが、アンリエットの執務室にノックも無しに飛び込んだ。

 青ざめた顔から、その焦りがうかがえる。

「大聖堂前に、枢機卿タルチとファーモの首がさらされていますの!」

「それでデモ隊が静かになったのか」

 アンリエットは窓の外から王城前広場に集まるデモ隊を見下ろしながら言った。

「ええ、教会はこれで民衆の口を黙らせるつもりですわ」

 人々も、よもや枢機卿が二人も殺されるとは思っていなかったのだろう。

 りゅういんを下げたというよりは、あまりに強引なそのやり口に恐怖している、と言ったほうが正しい。

「王国軍として、あんなやり方を認めるわけにはいきませんわ。お姉様、わたくしたちこのまま黙っているわけには――」

「いや、黙っているしかないさ。私たちにそんな力は無い」

「お、お姉様……?」

 いつもぜんとしたアンリエットらしからぬ、弱気な発言だ。

 オティーリエが戸惑っていると、アンリエットは振り向き、距離を詰める。

 そして何も言わず、強くオティーリエを抱きしめた。

「は……へっ? お、おおおっ、おねっ、おねえ、さま……? い、いきなりこんな情熱的なっ、いけませんわっ!」

「落ち着いて聞いてくれ、オティーリエ」

「そん、そんなの無理ですっ! お姉様の匂いと感触があっ、あぁ、胸をっ、胸がっ、いけませんわ、今わたくしとても汚らわしいことを考えていますっ!」

「お前に……軍を辞めてほしいんだ」

「ぐ、軍を辞めるって……え? わたくしが、軍を、辞める?」

 オティーリエの舞い上がっていた気持ちが、急速に冷めていく。

「どうして、お姉様。どうしてわたくしがそんなことしなければなりませんのっ! いついかなるときもお姉様とともにありますっ! 死んでも、生きていても、来世でも前世でも全てっ!」

「昔から変わらないな、お前は。その想いだけで私を追い軍に入り、副将軍に上り詰めるのだから大したものだ。そんなオティーリエを買っての頼みなんだ」

「買ってくださるなら、一生お姉様の隣に置いてくださいませ。奴隷でも便器でも構いませんわ!」

「いいや、お前は私の同志だ。王国を守るためにともに戦う、横並びの、同等の存在なんだよ。しかしそれも、『国民を守りたい』という国王の意思があってのことだ」

「まさか……まさか、国王は王国軍と教会騎士の統合を、承諾したんですの!?

「統合ではない、吸収だ。私はもう将軍ではないし、教会騎士団でどういう扱いを受けるかもわからない」

 軍力とはつまり、国土を維持するための力だ。

 国王が軍を放棄すれば、野心の強い貴族がすぐに攻め込み土地を奪うだろう。

 つまり王国軍を教会騎士団に吸収させるということは、国王の持つ主権を、無償で教皇に引き渡すことと同義である。

「吸収前にもし誰かを逃がせるとしても、せいぜい一人だけだ。ヴェルナーやヘルマンに恨まれるかもしれないが、私はその一人に、オティーリエを選んだ」

「そんな……こと……わたくし、望んでいませんわ……」

「すまない。だが、お前ならきっと、英雄たちと力を合わせて、王国のために戦ってくれると思ったんだ」

「卑怯ですわそんな言い方。わたくしが、お姉様の頼みを断れるわけないってわかっているのでしょう?」

 アンリエットは、無言で寂しげに微笑む。

「ひとつ、お願いがありますわ」

「なんだ?」

「もしも教会の野望を打ち砕いて、またわたくしがお姉様のそばに戻ってこられたら……わたくしを、抱い……だ、だ……いや、それはいきなりすぎますわね。それではキシュっ、しゅ……ううぅ……えっと……だから……その、またハグしてくださいませんかっ!」

 控えめにもほどがある。

 そのまま首を縦に振ってもよかったが、アンリエットはあえてこう言った。

「生きて帰れたら、キスでもなんでもしよう。オティーリエが望む限り、全てのことをな」

「あぁ、お姉様……絶対、絶対に約束ですわよ……っ」

 二人は子供のように指切りをして、誓いを交わす。


 ◇◇◇


 こうして王国軍は消滅し、教会騎士団に吸収され――まず真っ先に〝選別〟が行われた。

 役立たずの元王国軍兵士を、他の兵士の前で惨殺するのだ。

 その数は百を越えたと言われている。

 全ては王国に忠誠を誓う軍の兵士の心を破壊し、支配し、オリジンへの信仰を植え付けるため。

 また、反抗的な兵士には拷問や投薬による洗脳、また洗礼と呼ばれる儀式が行われた。

 もっとも、その全ては教会施設内で秘密裏に行われ、民衆たちの間では噂が広まっただけである。

 だが一つの事実として、王国軍が吸収されて以降、かつて幹部だった人間の姿を見たものは、一人としていない。


 ◇◇◇


 枢機卿たちの処刑、そして王国軍の統合が発表された翌朝、一人の男が西区のギルドを訪れた。

 まだフラムやガディオの姿はそこには無い。

 偶然にも早出だったイーラは、退屈そうにカウンターで肘をついていたが――彼がやってきたことで、一気に目が覚めた。

 背が高く、顔も整った緑髪のその男は、彼女でもよく知る有名人だったのだ。

「ライナス・レディアンツじゃない……」

 ギルドを訪れたライナスは、白い歯を見せてイーラに微笑む。

 思わず胸を押さえて倒れそうになる彼女だったが、受付嬢としての役目がそれを許さない。

「なあ、ここのギルドにガディオがいるって聞いたんだが」

「マスターなら、まだ出てきていませんわ」

 好みど真ん中な男性を前に、猫をかぶるイーラ。

「やっぱそうか、早すぎたな……しかしあいつ、なんで急にギルドマスターの業務にやる気を出したんだ? 一方的に押し付けられた仕事だからって、今までは無視してたくせに」

 昨日の夜、魔族領から帰ってきたばかりのライナスは、ほんの数日間で起きた出来事の情報量の多さに、目眩めまいがしそうになった。

 そしておそらく騒動の中心にいそうなガディオに話を聞くことで、表には出ていない事の真相を知ろうとしたのだ。

「それは……フラム・アプリコットがいたからではないでしょうか」

「あぁ? なんでフラムちゃんがここにいんだよ」

「そのあたりの事情は私も知りませんわ。なぜか頬に奴隷の印もありますし、厄介事にでも巻き込まれたのでは?」

「……奴隷の印だって?」

 ライナスの表情が真剣なものに変わる。



 真面目な顔にもきゅんとするイーラだったが、彼はそれどころではなかった。

 フラムがいきなり田舎に帰ると言い出したとき、妙だとは思っていたのだ。

 しかしこれで、理由がようやくわかった。

 彼はカウンターから離れると、無言で出口へ向かう。

「あら、マスターはいいのですか?」

「あいつには俺が来たってことだけ伝えておいてくれ、別の用事ができた」

 そう言い残し、外へ出るライナス。

「あのドアホが――やりやがったなぁ!」

 彼は地面を強く蹴ると、目にも留まらぬ速度で移動を始める。

 向かう先はもちろん――王城で呑気のんきに研究にいそしむ、ジーン・インテージアホの部屋であった。