
無知とは愚かさだ。
この世界の大半は知らないほうがいいことで満ちている。
きっとこれは、そういう類のものだ。
彼が仮に舞台の上で踊り、人々に笑われるピエロだったとしても、真実を知らなければ傷つくこともない。
「どうしたの、ガーくん」
腕を絡めて歩くティアは、愛しい夫の顔を覗き込む。
ガディオにとって、ティアの顔はまさに理想そのものだ。
そんな彼女と至近距離で目が合うと、嫌でも顔が熱くなる。
「話を聞いてる限りじゃ、どうもガーくんは周囲から『いつもしかめっ面をしてる謎多きダンディ戦士!』って思われてるみたいだけど、実際は全然違うよねぇ」
「あまりからかわないでくれ」
「いやいやぁ、あたしは嬉しいんだよ? 久々に会ったガーくんが、女性慣れしてたらどうしようかなーとか思ってたんだ」
近くにいるだけで無条件に気持ちが明るくなる、まるで太陽のような存在。
ガディオにとってのティアは、そういう女性だった。
だから、彼女を失ったガディオは、血にまみれた地面を見つめ続けるしかなかった。
太陽の無い空なんて、見上げただけで心が絶望に閉ざされてしまうから。
「でもさ、あたしはちょっと嫌な女になっちゃったかも」
「どうしてそうなる」
「だって……ケレイナとハロムちゃんのところに返したくないと思ってる。ずっとこのまま、あたしのものでいてほしい、って」
妻として当然の独占欲、人ならば誰もが抱く可能性のある感情。
その
ある日、突然空から太陽が消えたとして、そっくりの太陽が現れたとき、人は真偽を見極められるのか――そんな命題だ。
眩しすぎて、暖かすぎて、照らしてくれるのなら、体温を与えてくれるのなら、嘘か真かなんてどうでもいいのではないだろうか。
「ティア」
名前を呼ぶと、彼女は女神のように微笑み、「んー?」と首をかしげる。
「愛してる」
はぐらかしたようにも聞こえるかもしれない。
だがそれは、紛れもなくガディオの本心だった。
「あたしも愛してるぜい、ガーくんっ」
照れくさそうに頬を赤らめ、ティアは言う。
無知とは幸福だ。
知識とは束縛であるがゆえに、賢さと自由は両立しない。
それを知るからこそ、ガディオは願うのだ。
頼むから、せめてあと少しだけでも、俺の愚かさを許してくれ――と。
二人は腕を組み、ダフィズに与えられた家に帰っていく。
何気ない会話を交わしながら、ティアはほぼ無意識のうちに、フラムたちが向かう教会を視界の端に収めた。
◇◇◇
教会の目の前まで来たところで、ダフィズとスージィが足を止める。
「さて、この教会に研究所の入り口があるわけですが、説明が必要なフラムさんたちはともかく、新聞記者の方まで招きいれるわけにはいきません」
「えぇー、ならミルキットちゃんだって一緒じゃない。大丈夫、これでも口は堅いほうだからさー」
「ウェルシーさんが見ると都合の悪いものがあるの?」
「今はまだ、研究の核となる部分を公表されるわけにはいきません。リスクを避けるに越したことはありませんから」
ダフィズには頑として譲らない強い意思があった。
困った表情で頭を掻いたウェルシーは、諦めたようにため息をつく。
「……まあ取材だけが目的で来たわけじゃないしね。私が駄々をこねて足を引っ張ってもしょうがないし、ここは
「そこまでは制限しません、どうぞご自由に」
「一人で大丈夫なのかな……」
「平気よインクちゃん、いざとなればガディオさんに助けを求めるかんねー。んじゃ、そういうわけで行ってきまーすっ」
気になる場所でもあったのか、駆け足で離れていくウェルシー。
フラムは彼女の身が心配でならなかったが、逃げ足は速いほうだと言っていたし、彼女を信じるしかない。
「それでは行きましょう」
そしてついに、研究所へと足を踏み入れる。
教会の内部は、地表部分に関していえば王都や他の町にあるものと変わらない。
壁や天井は白で統一され、高い場所に設置されたステンドグラスの色が、差し込む陽の光によって床に映し出されている。
左右には長椅子が並び、その間に敷かれた赤い
正面の突き当たった先には、オリジンのシンボルとオリジン像が設置されており、やはり研究所と呼べるような設備は見当たらない。
だが右手にある扉を抜け、とある部屋に入り、その先にある階段を下ると、景色は一変した。
感覚的に〝近未来的〟だと感じさせる、無機質で冷たい、金属のような材質で作られた壁や床。
天井に備え付けられているのは魔力灯だが、そのサイズに反して出力は高いようで、少ない数で廊下全体を明るく照らしている。
一度こういった施設を見ているフラムはともかく、他の四人にとっては地下にあるという部分も含めて非常に珍しい光景だったらしく、落ち着きなく視線を動かしたり、壁に触ったりしていた。
「前から思ってたんだけど……この地下施設、使ってる技術っていえばいいのかな。王国の他の場所で使われてるものと違わない?」
「魔族たちが使用する土属性魔法を活用した建築様式を、王国のものと組み合わせているそうです」
「魔族の技術を取り入れてるの? 教会なのに?」
「薬草もそうだけど、自分たちだけいいとこ取り」
「返す言葉もありません。優れた技術は共有するべきだと僕は思うのですが――」
この件に関して、ダフィズを責めても仕方ない。
教会は人々を救済しようとしているのではなく、支配した上で思想を統一しようとしている――そんな考えが透けて見える。
「まずは近い部屋からご紹介しようと思います」
「私は自分の部屋に戻ってるわね」
「そうだね、スージィは休んだほうがいい。フラムさんたちも、それでも構いませんよね」
別に聞く必要だってないし、それを止める権利はフラムたちにない。
スージィとその場で別れ、ダフィズについていく。
「ああ、そうだ。一応、人の死体を取り扱う研究です。いきなりショッキングな光景をお見せすることになるので、死体が苦手な方は見ないほうがいいかもしれません」
そう言って最初に見せられたのは〝死体安置室〟。
冷たい室内に、蓋が透明の棺が数十個ずらりと並び、蘇生待ちの死体が保管されている部屋だ。
「う……」
唯一ミルキットだけはその光景に怯えていたようだが、それでも
死体の状態はさまざまで、中には骨だけだったり、原形を留めないほど崩れているものもあった。
だがダフィズ曰く、「ネクロマンシー・コアを使えば元の状態に戻る」とのことだ。
「僕たちは国内で起きた〝悲劇的な死〟を調べあげ、その被害者の遺族に交渉することで蘇生する死体を集めてきました」
「じゃあ、わたしのお父さんとお母さんは?」
まるで〝慈善事業〟とでも言わんばかりの口ぶりをするダフィズを、エターナは目を細めてにらむ。
彼はようやくそこで、なぜ彼女が怒っているのか気付いたらしく、慌てた様子で弁明した。
「それに関しては申し訳ありませんでした。あなたがたの説得にどうしても必要だと思ったので、今回は無断で墓を暴かさせてもらったんです」
「今まで通り隠れてこそこそやっておけば、気づかれることもなかったかもしれない」
「それは以前お話しした通りです。あなたがたとチルドレンとの接触で、教会上層部は〝兵器としてのネクロマンシー〟の完成を急がせる可能性がでてきました。そうなれば、今のように〝死者を蘇らせるためだけの研究〟はできない。ですから早いうちに、あなたがたを味方に付けておきたかったんです」
やはり信用ならない――とフラムは心の中でつぶやく。
ならばサティルスを蘇らせたのは、資金援助を続行させるためなのだろう。
だが結果として、オリジンコアを破壊できる唯一の人間であるフラムと敵対してしまったし、そもそもダフィズはフラムをシェオルに呼ぼうとはしていなかった。
裏でこそこそと動いて、〝親しい人間の死〟というわかりやすい弱みがある、ガディオとエターナから
「……それでは次の部屋に行きましょう」
ダフィズはフラムの敵意のある視線に気づいてか気づかずか、部屋を出て別の場所へと移動をはじめる。
そして今度は〝コア製造室〟と書かれた扉の前で、足を止めた。
薄暗い室内に、白いライトで照らされた十個ほどの筒状の透明ケースが円形に並んでいる。
中には液体が満たされており、〝人間の脳〟と思しき物体が浮かんでいた。
「あ、あれって、脳みそですか?」
フラムにしがみつくミルキットの腕に、きゅっと力がこもる。
「リトル・オリジンと呼ばれる装置です」
「小さなオリジン……こんなものが?」
そうつぶやきながら、フラムは自分の意識や視界に微かなノイズが走るのを感じていた。
(サトゥーキのときもそうだったけど、なんなのこれ、気持ち悪い。こういうの、デジャブって言うんだっけ。私……この光景を知ってる……? いや、エニチーデの地下でも似たような光景を見たし、そのせいだと思いたいけど)
はっきりとした記憶があるわけではない。
だがフラムはこの部屋に、奇妙な〝懐かしさ〟と、同時に何かが噛み合わない〝違和感〟を覚えていた。
「リトルオリジンは、オリジンのエネルギーを受信し、それを増幅させることで、中央に置いた黒水晶と呼ばれる鉱石をオリジンコアに変えることができます」
確かにガディオは『お前の疑問にも全て答えてくれるだろう』と言っていた。
だがまさか、コアの製造過程まで見られるとは――ノイズに
「こんな部屋を見せてもいいの? 教会にとってトップシークレットなはずなのに」
「もちろん上に知られたら怒られるでしょうね。ですがフラムさんに納得していただくためには、手段を選んでいられませんから」
そう語る彼の瞳に、〝嘘〟は見えない。
「なら聞くけど、オリジンのエネルギーを〝受信〟って言ってたのは、どういうこと?」
「言った通りですよ。オリジンの本体は別の場所にありますから」
「本体……それはどこにあるの?」
「わかりません。少なくとも僕は、教会からそれを教わっていませんからね。ですが――あなたなら、予想できるんじゃないですか」
「もしかして、魔王城に……」
魔王討伐の旅に、無力なフラムが必要無いのは明らかだった。
だがオリジンは〝お告げ〟で彼女を田舎から連れ出し、半ば強引に旅に同行させた。
そして、旅の終着点は魔王城――つまりオリジンの本体がある場所だ。
強引だろうが無理筋だろうが、オリジンはフラムを自分のところに連れてこさせたかったのだろう。
おそらく彼女が〝オリジンコアを唯一破壊できる人間〟だと知った上で――驚異を取り除くために。
「でも、殺すだけなら私を連れていく必要なんて無かったはず。失敗のリスクを負ってでも、私を自分の元に連れて来たがった理由はなんなの?」
「それはオリジン本人にしかわからないでしょう」
居場所すら知らされていないダフィズが知らないのは当然のことだ。
だが、それがオリジンにとって〝悲願〟であったことは間違いないだろう。
何せ、フラムがまだ幼かった頃に使われていたエニチーデの研究所――あんな場所にまで、その名前が記されていたのだから。
それから彼女は、一旦オリジンの目的について考えるのをやめ、他の質問をダフィズに投げかけた。
その全てに、彼は快く答えた。
黒水晶は王国南部で採掘されており、オリジンコアになる前はごく普通の鉱石であること。
より完全な形で〝螺旋〟を封じ込めるためには、可能な限り正確な球形を作り出す必要があること。
リトルオリジンに使われている脳は、処刑予定だった罪人から摘出されたものであること――
あまりにあっさり答えすぎて、逆に胡散臭く見えてしまうのはさすがに疑いすぎだろうか。
しかし、ガディオが彼を信用した気持ちもわからないでもない。
隠し事をしないだけでなく、瞳や表情、話し方からも人の良さがにじみ出ているのを、フラムも感じたからだ。
「それでは、そろそろ次の部屋に行きましょう。まだお見せしたいものはありますから」
コア製造室から出る一行。
すると、部屋の前で白衣を着た男性と遭遇する。
彼の後ろには、同じく白衣を纏い、赤子を抱いた女性が立っていた。
「おや、ゴーンじゃないですか」
「ダフィズ、そいつらはもしかして……」
フラムたちがじっとゴーンと呼ばれた男を見ていると、ダフィズが彼の紹介をはじめる。
「彼はゴーン・フォーガン、僕の助手を務めてもらっています」
「うっす」
ゴーンは軽く頭を下げ、フラムも「どうも」と会釈する。
「彼は元々、僕の友人である優秀な研究者だったんですが、奥さんを事故で亡くしてから荒れに荒れまして、王都でギャンブルや酒に溺れて借金を作っていたんです」
「おいおい、何もそこまで話さなくたって……」
「まあ、いいじゃないですか。僕はそんな彼にネクロマンシーの話を持ちかけ、今ではこうして蘇った奥さんのルルカさんと一緒に、僕の助手として研究に参加してもらっています」
続けてルルカも頭を下げる。
抱かれた赤子はつぶらな瞳で、じっとフラムを凝視した。
「じゃあその子は、ルルカさんが生き返ったあとに、妊娠して生まれた子ってこと?」
「そういうことです。さっきも言いましたが、ここで生まれた子供たちはみな順調に、すくすくと育っていますよ」
生物は、自らの種を残すために存在するとも言える。
そういう意味では、蘇った死者が〝子供を作れる〟という事実は、彼らが生者同様に〝生きている〟という証明になるだろう。
ダフィズが自らの研究に対して持つ自信、それを構成する大きな要素の一つがそれだ。
近い内にスージィも出産する。
その子が完全に〝人〟であるのなら、彼の自信はさらに確信へと近づくだろう。
フラムもまた、死者が子を身ごもり出産したという事実に、強い説得力を感じざるを得なかった。
「邪魔しましたね、ゴーン」
「いや、必要な話なら構わねえよ。じゃあな」
すれ違い去っていくゴーンとその妻子。
ルルカの抱く子供は、最後までフラムをじっと見つめ続けていた。
「この先にある部屋は、研究所の――いや、ネクロマンシーという研究の〝核〟とも呼べる場所です」
最後にダフィズが連れてきたのは、研究所の最奥にある、やけに物々しい扉の前だった。
「ロックを解除できるのは、私と、ごく一部の研究員だけなんですよ」
言いながら、彼は壁に埋め込まれた水晶に手を当てる。
魔力灯のスイッチにも似た装置だが、そこに使われている技術力は段違いだ。
送り込まれた魔力の〝波長〟をチェックし、登録された人間にのみ反応し、扉のロックを解除する仕組みである。
魔力波長は人によって細かい差異があるため、最上級のセキュリティシステムとして、王都や大聖堂のごく一部に導入されている
逆に言えば、そういった場所にしか導入できないほど高価という意味でもあるのだが。
つまりこの扉の先にあるのは――国家レベルの機密ということである。
「こちらが、中央制御室です」
チェックが終わると、自動的に扉は開いた。
中は高さも広さも他の部屋とは段違いで、壁にはびっしりとケーブルが張り巡らされていた。
そして室内の中央には、直径が人の大きさほどもある、巨大な黒い球体が鎮座している。
「もしかして……あれも、オリジンコアなの?」
「中で何かが渦巻いているのがはっきり見えます」
「大きさがそのまま生じるエネルギーに直結するとは思いたくない」
「でもエターナ、なんかピリピリするよ。部屋中に、懐かしいものが満たされてるような」
感想は各々異なるものの、誰もがその異様さは感じているようだ。
ダフィズはその巨大コアに近づくと、表面に手を当てた。
「これがネクロマンシー・セントラル・コア。シェオルに住む人々のコアからあふれるオリジンの〝意思〟を抑制するのに必要なものです」
「それが無かったら、町の人たちはどうなるんですか?」
「肉体は人の形を維持することはできなくなり、オリジンの意思に支配されるだけの、ただの肉塊になるでしょう」
まるでそれを見たことがあるかのように、彼は言った。
「ですが研究は進み、数日間ならシェオルから出ても肉体を維持することは可能になりました。そしていつかは必ず、セントラル・コアの役目は無くなるはずです」
「でも今は、それが無いと化物になっちゃうってことでしょ?」
「だから彼らは人ではない。フラムさんは、そう言いたいんですね」
フラムはうなずく。
町で暮らす死者たちは、紙一重で、危うい存在――ここまでの話を聞いてきて、彼女はそう感じた。
「それはあなたが、この町で暮らす人々を『人の行動を
「先入観かなぁ……私は今日まで何度かオリジンコアにまつわる事件に巻き込まれてきたけどさ、その中でオリジンの〝性質〟みたいなものを感じたの。チルドレンたちの能力が、一番それをわかりやすく表してるかもね。一つはそのままだけど〝回転〟。そして次が〝接続〟。そして最後に〝増殖〟。私は、死者を蘇らせるっていうのが、オリジンの増殖から来ているものじゃないかと思った」
ねじれ、繋がり、増える――そうやってオリジンは自らの勢力を広げている。
フラムにはこの町の現状が、〝餌〟にしか見えないのだ。
人が自らの意思で、オリジンコアを死体に埋め込むよう誘導するための。
「確かに、オリジンコアがそういった性質を持っているのは事実です。ですが、それはあくまで性質であって――」
「でもそれは性質であると同時に、オリジンの〝欲望〟でもあるんじゃないかな」
「欲望、ですか」
「オリジンは意思を持ってる。現状、それが意思を持ったエネルギーなのか、なんらかの形で実体を持っているのかはわからない。けどあの力は、人のあり方を歪めて、支配して、埋め尽くす。過程に違いはあっても、最終的にたどり着くところは、人の想いを踏みにじった上で、オリジンが自分自身の欲求を満たすことなんじゃないかな」
「なるほど、僕たちはまだその過程にいると、そう言いたいんですね」
たとえばインクは、幼い頃に誰かに――おそらくはマザーによって目を摘出され、視力を失った。
結果、本人は明るく生きてはいるが、『みんなと同じように自分の目で色んなものを見てみたい』という欲求を抱くに至った。
そして彼女に埋め込まれたオリジンコアは、それを〝目を増殖させる〟という歪んだ手段で具現化させたのだ。
「ですが、それを止めるためのセントラル・コアです。じきにそんな心配も必要無くなりますよ」
「……? あの、でもそうなったら、オリジンがわざわざ力を貸す必要も無くなるんじゃないですか?」
ミルキットは控えめに手を挙げて言った。
仮にオリジンの目的が自らの勢力を広げることにあるのだとしたら、それが叶わなくなった場合、一方的に協力を打ち切ればいいだけの話だ。
だがダフィズは自信を持って反論する。
「個別に力を
「オリジンは不完全な状態だって言いたいんだね」
インクはその言説に、思い当たる節があるようだ。
不完全だったとはいえ、十年近くオリジンコアを心臓代わりにして生きてきたのだ。
〝パパの声〟は聞こえずとも、今になって思えば、その完全ではない力を感じることもあったのだろう。
「現状、オリジンの力の意思の大きさや出力を調整するのは、使い手側なのです。フラムさんの考える通り、これは危険な力なのかもしれない。ですが、ものは使いようです。人の
ダフィズの言葉を聞いたフラムは沈黙し、セントラル・コアを眺めた。
「……はぁ」
ため息をつくと、彼女の体からふっと力が抜ける。
ダフィズはにこりと笑った。
「よかった、納得していただけたようですね」
「ひとまずセントラル・コアの破壊はしない。最大の弱点をさらけ出したってことは、それなりの覚悟があるんだろうから。けど、こっちとしてはこのままガディオさんを連れ帰らずに戻るわけにもいかない」
「そればっかりは、彼の決断と言うしかありませんね」
「だから少しこの町に滞在したいと思うんだけど、それでもいい?」
「……泊まる、ということですか」
彼の微小な戸惑いを、フラムは見逃さない。
「構いませんよ。エターナさんもご両親と水入らずの時間を過ごしたいでしょうから」
だがすぐに笑顔に戻り、快諾した。
「別にわたしは……」
「いいんじゃない? あたしもエターナの両親に会ってみたいなっ」
「わかった、インクがそう言うなら」
「では、ご主人様と私は町に宿を借りて泊まりますか?」
「それなんだけど――研究所に泊まりたいんだよね、私」
視線がフラムに集中する。
エターナ、インク、ミルキットが驚いた様子を見せる一方で、ダフィズは険しい表情をしていた。
「何か問題ある?」
「いえ、それであなたが納得してくださるというのなら、受け入れましょう」
これは挑戦でもあり、確認でもある。
できれば誠実に全てをオープンにするダフィズを信じたかったが――そうできない理由が、まだいくつも残っているのだ。
◇◇◇
その後、研究所の他の部屋の案内を軽く終えると、エターナとインクは、フラムたちを残して研究所を出た。
ここで別行動になるのは不安だったが、エターナがもう一度両親の顔を見たいと思っていたのは事実である。
夕食は一緒に摂ることになっているし、夜は研究所内の部屋に泊まることにもしている。
短時間離れたところで、急にダフィズが心変わりしてフラムを狙うとは考えづらいので、大丈夫だとは思うが――
「エターナの両親ってどんな人なんだろうなー。やっぱりエターナに似てるのかな?」
そんなエターナの不安など知らずに、はしゃぐインク。
「そんなわけない、血は繋がってないから」
「でもでも、一緒に過ごしてたんなら喋り方が似てるとかあるかもじゃん?」
「喋り方はよくわからない。でも、お母さんはわたしみたいに変ではなかったはず」
「エターナ、自分で変だと思ってたの!?」
「独特だとは思ってた。でも小さい頃からこれだから、今さら変えられない」
「あたしは好きだよ、エターナ感があって。聞いたらすぐにエターナだってわかるし!」
それが〝独特〟ということではないだろうか。
二人で話していると、あっという間にリンバウ夫妻が暮らす家の近くまで来ていた。
だがすぐには向かわず、エターナは一旦向きを変え、近くに作られた公園に入る。
敷地内では何人かの子供たちが騒ぎながら遊び、その様子を両親が幸せそうに見守っていた。
「どったの、エターナ。家に行くんじゃなかったの?」
手を繋いで歩くインクは、現在地が目的地に続く道から逸れたのに気づいたようだ。
「気持ちの準備が必要」
「そう……なの? まあいいや、じゃあどこかに座ろうよ」
ベンチを見つけると、エターナが先に腰掛ける。
そしてインクは、軽くジャンプして彼女の膝の上に飛び乗った。
「うっ」
「よしっ!」
「よしじゃない」
軽めのチョップがインクの後頭部を襲う。
「えー、別にいいじゃん。実はあたしさ、こういうスキンシップが好きなんだよねっ」
「知ってる。寝てるときに頭を撫でたら嬉しそうな顔してた」
「……そ、そうなんだ」
嬉しそうな表情をしてしまったことはもちろん、寝ている間に撫でられていたことまで知らされ、赤くなり恥じらうインク。
エターナはそんな彼女の体温を感じながら、ふいに体を抱きしめた。

「お、おおうっ、エターナがエターナらしからぬスキンシップをっ」
「こういうのが好きだって言ってたから」
「ぐぬぬ……あたしとしては、ここまで濃密なスキンシップは想像してませんでしたです!」
「嫌ならやめる」
「嬉しいから続けてほしいです!」
「なぜに敬語……でもわかった、続行する」
そして、互いにしばし沈黙する。
だが全く変化が無いわけではなく、インクの体はどんどん温かくなり、頬も赤くなっていく。
抱きしめられ慣れていないのだろう。
もっとも、エターナも抱きしめ慣れていないし、頬もほんのり紅潮しているが。
「インクって……甘くていいにおいがする」
「急に変態発言っ!? さ、さすがにあたしそこまで許可した覚えはありませんよー!」
「変態呼ばわりは普通に失礼」
「いや無許可で人の匂いを嗅いだら十分に変態だよぉ」
「そんなこと言うならもっと嗅ぐ」
インクの髪に顔を埋めて、すんすんと匂いを吸い込むエターナ。
「うひぃっ、くすぐったいからやめてぇ!」
「やだ、やめない」
「良い年した大人なんだから、子供の言葉は聞くもんじゃないの!?」
「外見年齢はインクと大して変わらないから」
「甘えんぼの五十歳児めっ!」
「五十じゃない、六十歳児」
「余計ひどいじゃん!」
そこまで言われても、エターナは匂いを嗅ぐのをやめなかった。
最初はここまでやるつもりはなかったのだが、想像以上に心が安定するのだ。
もはやこれは一種のアロマのようなもので、エターナは『王都に戻っても毎日嗅ごう』などとインクが本気で怒りそうなことを考えていた。
「まあ……エターナの気持ちがこれで落ち着くっていうんなら、あたしも我慢するけどさ。そんなに両親と会うのって怖いもんなの?」
インクは気づいていた。
声というのは、顔以上に感情が出るもので、表面上は何もないように装っていても、動揺すると声が微かに震えてしまうのだ。
「結果としてダフィズの誘いは断ったけど、迷いが無いわけじゃない。本当は、会わずに全て終わらせるのが一番いいと思う。でも会わずにはいられない。何歳になってもわたしはそういう甘い人間だから」
「そこは優しいって言っちゃうべきだと思う」
「わたしはそこまでナルシストになれない」
「じゃああたしが言う。エターナは優しいよ。あたしのことも助けてくれたし、今だって一緒にいてくれるし。あたしにとっては世界一優しいっ!」
「インク……」
そういうところだ。
まだ出会って一週間ほどしか経っていないが、そういうところが、彼女の強みである。
想いがあふれて、抱きしめる両腕に力がこもる。
「お、おおっ? 痛い……いや痛くないけど絶妙に苦しいっ。これを長時間続けられると、厳しい程度の苦しさがっ」
「わたしにとってインクは、きっと〝現在〟の象徴。だから少し、甘えたいと思った。インクの存在があれば、わたしは〝過去〟に惹きつけられずに済む」
「そっか……エターナは信じてないんだね、ダフィズって人のこと」
結局のところ、全ての不安はそこに集約される。
「信じたい。けど今回の一件に彼の人格は関係ない。わたしが考えるべきは、たった一つの疑問だけ」
「それって、何?」
ふっと腕の力を緩め、エターナは言った。
「――オリジンコアは、人を救うのか」
公園で遊ぶ子供たちの声が、遠くに聞こえる。
あのうちの何人が、コアの力で蘇った死者なのだろう。
「フラムも同じことを感じていると思うけど、あれに宿っているのは悪意の塊。ひょっとすると、オリジンの意思は人の尊厳を踏みにじることに悦びすら感じているのかもしれない。たとえ制御できたとしても、果たしてそんなもので人を救えるのか」
エターナの言葉を受けて、インクはなぜか申し訳なさそうに言った。
「ごめんね、エターナ」
「どうしてそこでインクが謝るの」
「だって、あたしは当事者だったのに、何も知らないから」
パパの声が聞けていれば、悪意の有無ぐらいはわかったかもしれない――彼女はそう言いたいらしい。
「それでいい。インクがチルドレンから抜けて生きていられるのは、たぶん何も知らなかったから」
「知ってたら、死んでたの?」
「まず抜け出そうとすら思わなかったはず」
「あれは、ちょっとした好奇心で抜け出しただけだったんだけどね……」
「その行動にたどり着くのが少しでも遅れていたら、今とは違う結果が待っていたかもしれない」
フラムとインクが出会ったのは、奇跡的な偶然だった。
そしてそこに彼女を救えるエターナがいたことも、天文学的な数字でも足りないほどの奇跡だ。
「だから……終わらせるなら早いほうがいい。遅れれば遅れるほど、傷は広がるばかりだから」
だが、そう何度も奇跡は起きない。
いや、もし起きたとしても、この町に暮らす人々全員を救うのは不可能である。
できることは、いかに軟着陸して、浅い傷で終わらせるか――〝蘇生が完全ではない〟というダフィズの自信を否定することが前提だが、それ以外の方法はエターナにも思いつかなかった。
話が終わると、彼女はインクをひょいっと持ち上げ、立ち上がる。
充電はもう十分だ。
二人は手を繋ぎ、今度こそリンバウ夫妻の家に向かう。
「皮肉なものだ。王国の研究を否定したはずなのに、その研究のおかげでエターナとまた会えるとはね」
エターナたちを迎えたキンダーとクローディアは、目に涙を浮かべながら歓迎した。
「あぁ……でもやっぱり、生きてあなたの顔を見られるのは嬉しいわ。今日もまた抱きしめてもいいかしら?」
親子水入らずの時間が始まる。
クローディアに抱きしめられ、懐かしい母の匂いと、体温を感じる。
だが胸から聞こえる心音は、やけに無機質な感じがした。
◇◇◇
フラムとミルキットは、研究所内の部屋まで案内される。
ゴーンたちのように、夫婦や家族で暮らすことを想定された部屋なのか、かなり広々としていた。
「地下とは思えない豪華さです。お風呂やトイレ……キッチンまで付いてますよ」
「窓が無いこと以外は高級ホテル並みだね。研究所の中でさえなければくつろげたのに」
フラムがソファに腰掛けると、ミルキットも隣に座り、ぴたりと肩をくっつける。
自然と二人は手を繋ぎ、指を絡めていた。
「ご主人様は、どうしてここに泊まりたいって言い出したんですか?」
「やっぱり納得できなくて。この町に来てからずっと、言葉にはできない違和感があるんだよね」
視線に限った話ではなく、人々の営みも、何気ない仕草も、全てがほんの少しだけズレているような気がする。
「けど、この状況を壊したとしても、誰も幸せにはならない……」
そんな曖昧な状態で、幸せに暮らす人々の日常を壊すのはただの不条理だ。
ダフィズの想いそのものは、まっとうな人間のそれなのだから。
「私は大切な人を失った経験が無いので、彼らの気持ちはわかりません。ですが、もしご主人様がいなくなる未来があったら――と想像すると、それだけで胸が痛くなります」
「私もミルキットがいなくなったら、耐えられないと思う。だからガディオさんやダフィズの気持ちもわかるんだ。でも、あの人の語る話って、説得力があるようで、すごく穴だらけな気がして」
それもはっきりと見えているわけではないが、しかし町で感じる違和感よりは存在が大きい。
「まず本当にネクロマンシーが完璧だと思ってるんならさ、私を呼ぶことを嫌がるはずがない。やっぱり、心のどこかでコアに対する不安があるからこそ、研究を台無しにできる私の存在が嫌だったんじゃないかな」
スージィの出産が近い時期だったため、余計にその想いは強くなっていたのだろう。
だがそれも、〝絶対の自信〟があれば恐れる必要だってないはずだ。
「それに、他でもないダフィズ自身が、私とは真逆の〝先入観〟に捕らわれているように思えた」
「自分の研究が正しいと信じ込まなければならない……そうしないと、スージィさんが生きている現実までも否定してしまうから、ですね」
「ミルキットもそう思った?」
「私がご主人様と同じ立場で話を聞いていたからかもしれませんが、ダフィズさんは、自分に都合のいいようにオリジンを信じすぎていると感じました」
それは宗教的な信仰とは異なる、一種の〝強迫観念〟とも言えるものだ。
長年の研究で妻が蘇った。子供もできた。
だから、何が起きても信じないわけにはいかない――そういう想いが、ダフィズには無意識レベルで染み付いている。
「あの人の語る夢には〝穴〟があって、その欠損が研究成果にも及んでいたのなら――」
「どこかで、暴走するかもしれない、ですね」
「もちろん、それがいつかはわからない。私たちが泊まってる間に起きるとは思えないし、だったらやっぱり、そうなる前に研究を終わらせるべきなんだけど……」
やるなら明日――いや、今日にでもセントラル・コアを破壊するべきだ。
今日のような平和な日々がもしも数年間続くのだとしたら、この町で大切な人を取り戻した住民たちは、『せめて数年間だけでも夢を見させてくれ』と願うだろう。
しかし喪失により生じる傷は、過ごした日々が長ければ長いほど大きく、深いものになってしまう。
「壊したほうがいいと、僕は思うけどな」
悩むフラムは、ミルキットではない誰かの声を聞いた。
ゆっくりと、視線をベッドのほうに向ける。
そこには少年が腰掛け、偉そうに足を組んでいた。
「ネクトか……」
「あれ、想像してたより驚かないんだね」
「もしかすると来てるかもな、と思ってたから」
「ちぇっ、つまんないの」
期待外れの反応に、ネクトは唇を尖らせた。